2009/11/28

2つの宛先

そろそろまた年賀状を書くシーズンが到来しようとしているねぇ。
年賀はがきは売り出されたし、年賀状作成ソフトなんかの話題も出てきているのだ。
で、この時期に重要なのは、送り先の住所の確認。
基本は前の年にもらった年賀状を参照することだろうけど、引っ越しをしたりしている人もいるからね。
このとき、つらつらと人の住所を見ていると、ふと気づくことがあるのだ。

それは、都市部に多く見られる○○町○丁目○番地○号というものと、○○町○○○○番地という長い番地名のみのもの。
東京で生活していると後者はほぼ見かけないから不思議な感じがするよね。
で、この違いは、「住居表示」と「地番」の違いなのだ!

「地番」というのは土地の所有権を確定する登記制度上で所有する土地区域の範囲に対して付される番号のことで、どこどこの町の何番目の区域は誰々さんのもの、というのを明確にする目的でふられているもの。
並び順にも規則性がなく、必ずしも連続する番地が隣り合っているわけではないのだ。
さらに、土地が分割されたり(分筆)、複数の土地が合わせて一人の所有者のものになったり(合筆)することもあって、そうなると、枝番が発生したり、ある番地がなくなったりするのだ。
※土地の登記簿上の境界を「筆界」というので、土地を合わせたり分けたりするのに「筆」の字を使うんだよ。

でも、この特徴を見るとすぐわかるように、はっきり言って位置を特定するのには便利な制度とは言えないのだ。
家が点々としかないような地域ではそんなに問題にならないかもしれないけど、住宅や商店が密集している都市部で番地の数字が連続していないとか、欠番があるとはわかりづらいんだよね。
そこで出てきたのが住居表示という制度。
主に郵便配達をうまく行えるように、という目的で一部の市区町村で導入されていて、基本的には大きな年であればたいてい導入されているのだ。
一定の規則に従って、丁目、番地(街区符号)、号(住居番号)をふっていくのが一般的だけど、これを街区方式と呼ぶのだ。
地図上にバーチャルなマス目を規定して、位置を特定するっていうイメージだよね。
京都市や札幌市のような碁盤の目状の都市だとさらにわかりやすいのだ。
ちなみに、実は「丁目」までが「町名」なので、○○町○丁目の範囲で番地・号をふってるんだって。

でも、この丁目を導入することで、いくつかの旧地名地域を合併していることがよくあって、それで「旧地名殺し」とも呼ばれるのだ。
例えば、板橋区にある小茂根は、小山、茂呂、根ノ上という3つの地名を合わせたものなんだけど、小山は文字どおり小高いところを指し、茂呂はちょっと盛り上がった森や林を意味していて、根ノ上もまわりより少し高くなった地域のことなんだよね。
つまり、旧地名はこのあたりが石神井川のある谷間から見て高い地域であることを示していたんだけど、合成地名になってその意味が失われてしまっているのだ。
といっても、完全に消えているわけでもなくて、交差点や駅名・バス停名に残っていたり、町会の名前が○○町○丁目町会でなくて旧町名の○○町会とされていたりして残っているのだ。
それに、地番に旧地名が残されていることもあるんだよね。

丁目以下の番号もルールに則っているからどっちにいったら数字が増える・減る、というのがわかって、住居表示を見ただけで目的地を特定しやすくなっているわけだけど、このルールというのが、ある基準に向かって1から数字をふっていく、というものなんだよね。
東京の場合は皇居で、皇居に近い方が数字が若くなるのだ。
逆に、住居表示の数字をたどっていくと皇居がどっちの方角かがだいたいわかるのだ!
この皇居=江戸城を基準にするのは、実は江戸時代から共通で、江戸時代の丁目もそうしていたんだよね。
唯一の例外が護国寺門前の音羽町で、ここだけは護国寺の方から数字をふっていたのだ(今の住居表示は皇居が基準だよ。)。
とは言え、江戸時代は○○坂上・坂下、○○橋、○○寺門前などランドマークに対応づけて位置を特定する方が一般的だったんだけどね。

さらに、最後の号の住居番号は番地の端から約10mごとに機械的にふっていて、玄関がある位置の番号が採用されるのだ。
なので、大きな建物のまわりでは欠番が生じるし、正面玄関の位置が建て替え等で変わると住居表示も変わってしまうんだよ。
マンションが建設中のときからできあがったときに住居表示が変わっていることがあるのはこのためなのだ。
でも、逆に言うと、住居番号を見ると番地の境からどれくらい進んだところに入口があるかがわかるので、法則さえ覚えていれば便利なんだけどね。

この街区表示の利便性を地番に少し取り入れようとするのが地番整理というやつなのだ。
住宅地開発などの後に区画整理した区域に対し、枝番も使いながら地番をふりなおすことで、一定の規則性を入れて位置を特定しやすいようにするんだよ。
住居表示の導入との違いは、登記簿自体の表記も変わってしまうことで、住居表示を導入するだけでは登記簿上の地番はそのままなんだけど、地番整理はっその地番そのものを変えてしまうのだ。

欧米なんかでよく見られる住居表示が道路表示というやつで、道路にすべて名前をつけて、そこに番地をふっていくのだ。
○○通り○○、というやつだよね。
これは住宅が密集していない地域でも使える利点があって、米国なんかではまわりに他に建物がない場合が郊外に多いので有用なのだ。
でも、その通りにあることはわかっても、どれくらい進んだところにあるのかはよくわからないので、街区表示に比べると不便だと思うんだけど・・・。

最後に、最近問題になっているのが、地番と住居表示がうまく一致しないということ。
基本的に登記のときの地図は現在の実測の国土地理院の地図に比べると精度が悪くて、しかも、土地の境界があいまいなところも多いので、道や土地の端がずれるのだ。
普段生活する分にはそんなに困らないんだけど、土地関係でもめるとこれが大きなインパクトがあるみたい。
個人的には、もっとシステマティックに位置を特定できるように、地番も住居表示もGPSをもとにした精密な緯度・経度の範囲で表したらよいと思うんだけどなぁ(笑)

2009/11/21

ロースト・ヒポポタマス

今日は日本橋でうなぎを食べたのだ。
うなぎはおいしいよねぇ。
で、うなぎの食べ方と言えば「蒲焼き」。
白焼きであっさりというのもたまにはよいけど、やっぱり甘めのたれをつけて焼いてある蒲焼きがおなじみなのだ。
というわけで、今回は蒲焼きについて少し調べてみたよ。

蒲焼きは醤油、みりん、砂糖、酒などを混ぜ合わせて作った甘めのたれをつけながら焼いていく調理法で、イワシやサンマのような脂がのった青魚や、ハモやアナゴなどの淡泊な白身の魚に使われるんだよね。
うなぎは淡泊な白身で脂がのっているということで両方の特徴を持っているわけだけど、もともとはうなぎをおいしく食べる調理法として開発されて、それが他の魚に応用されたようなのだ。
ドジョウやヘビのような臭みのある食材でも比較的おいしく食べられるので使われるよ。
でも、ハモなんかは梅肉をつけてさっぱり食べたり、お吸い物にするのが主流だし、アナゴも焼くより甘めに煮付ける方がメジャーだよね。
一方、うなぎの場合はたれをつけずに焼く白焼きと蒲焼きくらいしか食べ方がないから、うなぎのための食べ方と言えるのだ。
一般に蒲焼きというとうなぎのことを指すのもうなづけるよね。

うなぎ自体は古代から食べられていたようで、遺跡から骨が見つかったりしているんだって。
川に簡単な罠を仕掛けておくだけで捕れるから、手に入れやすい食材ではあったみたい。
その食べ方はと言えば、太刀魚と同じようにそのまま塩をつけて焼いたり、みそで味をつけたり、筒切りにして煮たりしていたと言われているのだ。
ところが、うなぎの特徴はその脂の多さ。
焼いていると次から次へと油が出てきて醤油やみそといった調味料をはじいてしまうので味がつけづらいのだ。
でも、淡泊な味わいなので塩味だとあきる。
煮てもたくさん油が出てくるので食べづらい(逆に脂が少ないアナゴは焼くより煮た方がふっくらやわらかく食べられるのだ。)。
というわけで、なかなかこれというおいしい食べ方がなかったようなんだよね。

で、江戸時代の中期に出てきたのが今の蒲焼きの手法。
糖分が入ってより浸透圧の高いたれにつけることで身にも味がしみるし、濃い味なので味もつきやすいのだ。
さらに、たれにつけることで身の表面の油が落ちて、よりさっぱりした味になるのだ。
たれの方にもコクが出るんだよね。
うなぎや焼き鳥のたれ、アナゴの煮汁はつぎたしが尊重されるけど、それはこの身から出た油などでコクが出るからなんだよね。
というわけで、淡泊な身で脂の多いうなぎにはもってこいの調理法が完成され、江戸後期の文化文政期に一気に広まったようなのだ。
18世紀からだとすると、意外と新しい料理法だけど、実は、にぎり寿司や天ぷらなんかもこのころに鐘鋳された料理で、現在海外からも人気のある「日本食」はこの時代に作られたものが多いみたい。

蒲焼きの語原は、一般的には串に刺された身がガマの穂に似ている、或いは焼き上がった色がガマの穂の茶色に似ているから「がまやき」と呼ばれていたのがなまって「かばやき」になっという説が有力と言われているよ(「がま」も「かば」も同じ「蒲」の字なのだ。)。
ちなみに、「がま」と言えばイナバの白ウサギだけど、毛をむしられたウサギが大国主命の助言で身につけたのは茶色いガマの穂ではなくて、黄色っぽいガマの花粉(「蒲黄=ほおう」)の方だよ。
そうでないと白ウサギが茶ウサギになってしまうのだ!
その他にも、できあがった色・形が「樺(かば)の木」に似ていたから、とか、香りがよく「香疾(かばや)」と呼ばれたから、「蒲鉾(かまぼこ)焼き」が略されたなんて説もあるよ。

よく言われることだけど、関東と関西では蒲焼きの作り方が違うんだよね。
武家文化の江戸では、うなぎを背から開き、一度蒸して脂を落としながらやわらかくしてからふっくらと焼き、甘めのたれをつけるのだ。
一方、関西ではさきやすいように腹から開き、蒸さずにそのまま油を落としながら香ばしく焼いて辛めのたれをつけるんだよね。
でもでも、実は、江戸は武士に縁起が悪いから背開きにするというのは俗説で、泥臭さを抜くために蒸してから焼くんだけど、そのときに身の端がやわらかいと焼いている最中に崩れてしまうので、背から開いて身の端がかたくなるようにしている、という実際的な理由があるみたい。
蒸してから食べるので、太くて脂ののった身の固いうなぎも食べるのが関東の特徴なのだ。
身をふっくらさせるからたれも甘めにするんだよね。

関西のうなぎは泥臭くないのでそのまま焼いてしまうんだけど、どうしても身が固くなるのでそんなに太いうなぎは食べないんだよね。
さらに、できあがりが香ばしいので、辛めのたれの方が合うというわけ。
名古屋文化圏ではうなぎの蒲焼きを細かく切ってご飯に混ぜる「ひつまぶし」があるけど、この場合は関西風のかための蒲焼きを使わないとうなぎのみがほぐれすぎてしまうので。
普通に関東で買ったやわらかいうなぎの蒲焼きを家で切ってご飯に混ぜてもうまくいかないんだよね。

というわけで、調べてみると蒲焼きもなかなか奥が深いんだよね。
でも、一番興味深いのは、うなぎをいかにおいしく食べるかという工夫の末にできた調理法ということだよね。
ハモも骨切りしてまで食べるけど、めんどくさいって言ってしまったら、あのおいしいハモ料理は現在に残っていなかったはずなのだ。
今では食べ物がいくらでもあるからそういう工夫は生まれないかもしれないけど、むかしの人の創意工夫には敬服するよね。

2009/11/14

お湯で煮ただけの鍋?

うちの職場の同僚が「鯛ちり」が食べたいとさわぎだし、来週食べにいくことになったのだ。
そう言えば、家で鍋をするときはポン酢につけて食べるのが多いけど、外で食べるときは味付きの汁で煮てあるものが多いような
関東ではそもそもあんまり「ちり鍋」を食べず、寄せ鍋や湯豆腐が多いこともあって、くだんの「鯛ちり」についてもみんなはっきり言って「?」といった感じ(笑)
絶対にうまい、というので食べに行くことにしたんだけどね。
そこで、今回は「ちり鍋」についてちょっと予習をすることにしたのだ。

ちり鍋というのは一般的には昆布などのダシで具材を煮て、ポン酢などのつけだれにつけながら食べる鍋料理。
最初から味付きの汁で煮てある具だくさんの汁物としての鍋料理(ちゃんこ鍋や石狩鍋など)とは一線を画すものなのだ。
そのまま取り皿にとって食べるだけの方が楽というのもあるけど、ポン酢とモミジおろしでさっぱり、はふはふと食べたいというのもあるよね。
ボクもわりと好きなのだ。
以前、ちゃんこ料理屋で頼もうとしたら、「うちはつゆが売りなので味付きの鍋にして」と怒られたこともあったくらい(笑)

このちり鍋、通常はタラ、タイ、フグ、ハモなどの白身の淡泊な魚やカニが多いよね。
おそらく、味付きの汁でしっかり煮てしまうとぱさついてしまってうまさが薄れるけど、さっと火を通して食べるちり鍋だとおいしく食べられるということなのだ。
このちり鍋の起源は幕末から明治にかけてと言われていて、お刺身などの生の魚を食べられない西洋人がお湯につけて火を通して食べたのがはじまりなんだとか。
湯につけると身が「ちりちり」と縮むので「ちり鍋」と呼ばれるようになったんだとか。
そういう意味では、「しゃぶしゃぶ」と同じようなものなんだね。

ちなみに、火を通すと身の中の脂肪がとけ、アミノ酸が出てきてうまみが増すんだよ。
その一方で、魚介の場合は火を通しすぎるとかたくなるし、脂肪分の少ない白身の魚は脂が抜けきってぱさつくので、さっと火を通すことが大事なんだ。
一方、しゃぶしゃぶの場合は、肉をさっぱり食べるために余計な脂を湯で融かして除いて食べる調理法で、根本的な考え方が違うんだよね。
最近では、いわゆる「鯛しゃぶ」とかもあるけど、むしろあれはより薄い切り身を使うちり鍋と整理すべきものかも。
起源的には原初のちり鍋の食べ方に近いよね。

特殊(?)なちり鍋としては、豚肉と白菜を使った常夜鍋なんていうのもあるよね。
これは毎晩食べてもあきない、ということからついた名前だそうだよ。
こっちも淡泊な素材をおいしく食べるというよりは、肉をよりさっぱり食べる方法だよね。
最近ではチゲや火鍋など豚肉を使った鍋はたくさんあるけど、むかしの肉をそんなに食べ慣れていない人たちにとってはそれくらいしないと肉の脂身には抵抗があったのかも。
すき焼きの前身の牛鍋はみそやしょうゆの濃い味付けで肉の臭みを抜いて食べるものだし、明治からはしばらく肉食になれるための調理法が各種開発されたんだよね。
今ではもう肉を食べ慣れてきたから、そういう肉本来の味が感じづらい料理法では物足りないというところもあるけど。

ここでちり鍋をするときに問題となるが、具材の新鮮さなのだ。
さっと火を通しただけでうまみを活性化させて食べるのが基本で、そのときに魚介から出たダシを野菜や豆腐が吸うという構造。
なので、もともとの魚介が新鮮なものでないとおいしくないのだ(>_<)
どうもこれが外であまりちり鍋が出て来ない理由のような気がするんだよね。
味付きの汁鍋であればある程度味でごまかせるんだけど、具材の味がそのまま出るちり鍋ではそれがつらいから。
今では流通も発達してイワシやサンマの刺身なんてのも普通に都心で食べられるようになったので状況は変わっているんだろうけど、おそらく、経緯としてそういうことがあったのではないかと思うのだ。
そういう意味では、今度食べに行くちり鍋は楽しみだね♪

2009/11/07

冬の花

今日は立冬。
寒さも徐々に厳しくなっていっていよいよ紅葉も本番に近づこうという季節だよ。
で、そんな寒さが増す季節に咲き始めるのが冬を代表する花のサザンカ。
歌でも有名だよね。
大川栄策さんの「さざんかの宿」じゃなくて、もちろん童謡「たきび」だよ。
2番で「♪さざんか、さざんか、咲いた道。たき火だ、たき火だ、落ち葉たき。」と歌われているとおり、たき火の季節に咲くんだよね。

このサザンカ、漢字で書くと「山茶花」で、もともとは「さんさか」と呼ばれていたのが「さざんか」になったんだとか。
「山茶」というのはツバキのことで、「茶」の字が入っているとおり、飲むお茶の葉のとれるチャノキもツバキの仲間だよ。
特徴はその葉っぱで、ギザギザで楕円形の厚みがあって、深い緑色で表面に独特の照りがあるのだ。
照葉樹とも言われるよね。
ツバキの仲間は熱帯から亜熱帯にかけて自生しているんだけど、サザンカは比較的寒さに強くて、日本では山口県、四国、九州以南で自生していて、ここが北限。
ツバキやチャノキも温帯でも栽培できるけど、霜とかには弱いのだ。
茶畑にある下向きのプロペラ(?)は風を送って根元に霜がつかないようにするものなんだよ。

自生しているサザンカは白い花に淡い桃色が入っているもの。
でも、園芸品種が数多く作られていて、赤から白までいろんな濃さの花があり、かつ、花弁の数も普通のものや八重のものなど様々だよ。
サザンカとツバキは一見似ているけど、いくつか違いがあって、ツバキは花が落ちるときにガクから(根元から)落ちるのに対してサザンカは花びらが1枚1枚落ちていくのだ。
ツバキは縁起が悪いと武士に嫌われたけど、その点サザンカなら大丈夫というわけ。
それに、ツバキは花びらが完全に平面状まで開かずにカップ状にとどまるんだけど、サザンカは完全に開ききるんだって。

ツバキというと化粧品などに使われる椿油が有名だけど、この椿油はヤブツバキの実を圧搾してとるのが一般的なのだ。
でも、サザンカの実からもとれるみたいで、なんと、お茶の実からもとれるんだって!
英語で椿油はcamellia oilというのが普通だけど、tea oilという言い方もあるそうなのだ。
ツバキ類の実は照りのある、卵形で、伊豆大島なんかに行くと実自体を使った細工物がおみやげで売っていたりするよ。
この実をつぶしつつ砕きながら油を絞っていくんだけど、そのまましぼるのが向かしながらの圧搾。
砕いたものを一度溶媒でといて液状成分を取り出し、後で溶剤を飛ばすのが溶剤抽出という方法なのだ。
圧搾の方が自然の風味が残っていて質のよい油がとれるというんだけど、効率がよいのは溶剤抽出。
圧搾の場合だと、余計な不純成分が入りづらい分、収量も少ないということなのだ。

この椿油の特徴は、オレイン酸が非常に多く、リノール酸が少ないということ。
椿油やオリーブ油は不乾性油と呼ばれ、薄くのばしておいてもまったく乾燥しないのだ。
で、用途の広さともあいまって、東洋のオリーブ油とも呼ばれるんだって。
逆に、食用油といしてよく使われる大豆油やサンフラワー油は乾性油というすぐに乾いてしまう油、ごま油やひまわり油はその中間で少し乾燥する半乾性油というやつなのだ。

椿油はオレイン酸含有量が高いんだけど、そのおかげで抗酸化作用が強いのだ。
空気中に放置しておいてもあまり参加が進まず、油が劣化しないんだよね。
これと、不乾性油という特徴から、化粧品から食用、装飾用まで幅広い用途に使われるんだよね。
刀や櫛の手入れに使われるのは、劣化せず、乾かないからこそなのだ。
かつては髪にもぬっていたというから、西洋のオリーブ油と同じだよね。

そんなわけで、サザンカやツバキは見て楽しむだけでなく、実用面でもむかしからかなり活躍してきたんだよね。
お茶なんかは日本を代表するソフトドリンクだし、なかなかあなどれない植物種なのだ。
今度からはもう少し尊敬のまなざしを持って花を見ないと!