2011/02/26

Pandas have been back!

ついに上野にパンダが帰ってきたのだ!
やっぱり上野と言えばジャイアントパンダ、千葉と言えばレッサーパンダ(二足で立つ風太君)だよね。
パンダがいなくなってから恩賜上野動物園は入場者が減っていたらしいので、今回のパンダの再来日に地元も期待しているようなのだ。
上野桜木亭の名物「パンダ焼き」も売れ行き好調になるかな?

ジャイアントパンダは、絶滅危惧種として有名だけど、四川省の奥の高地に1,500~1,600頭くらいしか生息していないらしいのだ(この他に飼育しているパンダが数百頭いるのだ。)。
もともと繁殖力が弱くて、発情期は年1回で短く、生息数が少ないので物理的な出会いも少ない。
さらに、一度に生まれるのは1~2頭で、しかも、超未熟児で生まれるので(毛も生えていないし、目も開いていない状態で生まれるのだ!)、出生後の生存率も高くないんだよね・・・。
さらに、まだまだ生態が不明な点が多いのだけど、人工的に飼育している環境だと、育児放棄してしまう例も多々あるのだ(ToT)

最初に西洋人に発見された後に一度狩猟の対象になってがくんと減ったらしいんだけど、その愛らしさから、1936年に米国に生きた個体が連れ帰られ、シカゴの動物園で生きた個体が飼育されるようになると保護運動が起こり、絶滅するにまでは至らなかったみたい(そのときのパンダの剥製はワシントンDCのスミソニアン協会の自然史博物館に展示されているよ。)。
しかも、主食の竹は60~120年に一度花を咲かせるんだけど、一度花が咲くといっせいに枯れてしまうんだよね。
なので、一帯に一種類の竹しか生えていない状況だと一気に食糧難に陥るのだ!
なかなかパンだっていうのは増えづらい生態なんだよね。

そこで、中国では1963年に臥龍自然保護区が指定され、パンダの大々的な保護が始まったのだ。
1983年には、世界自然保護基金(WWF、当時は世界野生生物基金)と協力して、保護区に臥龍中国パンダ保護研究センターが設立されたのだ。
今でもWWFのシンボルマークはパンダだよね。
ここがいわゆる「パンダ幼稚園」で、パンダの生態(GPSでの位置情報の補足や食環境の調査)や繁殖技術(特に人工授精)、飼育技術などの研究を行っているんだ。
ここが「パンダ幼稚園」と言われるゆえんは、子パンダを多数飼育していて、しかも、だっこできたりする観光名所にもなっているから(日本でも和歌山のアドベンチャーワールドならパンダにふれあえるプログラムがあるよ。)。
一応「里親」とかになって寄付をしないといけないんだけどね。

しかし、中国以外の国がパンダを展示するときは、基本的に有料で「借りる」という形式をとるのだ。
今回の上野の場合、1頭当たり4,000万円の10年契約で8億円と言われているよ。
名目上は繁殖・飼育の協力という形を取っているんだけどね。
これが中国の得意技の「パンダ外交」なのだ。
でも、有料でもパンダは見たいかも・・・。
ちなみに、上野に最初に来たパンダのランランとカンカンは日中国交正常化の時に日中友好のシンボルとして寄贈されたものだったので日本の所有だったのだ!
なので、その子どものトントンも日本のものだったんだけど、「借りた」パンダで繁殖させた場合、生まれた子パンダも中国の周遊になるので、子パンダ分の借料も必要になるのだ。

さらに、パンダの飼育にはお金がかかって、遊び場を用意したり、快適な空間を用意したりするんだよね。
上野の場合、空調と床暖房完備だって!
都心でいい生活しているよね。
そして、えさ代もけっこうかかるのだ。
主食はもちろん笹だけど、これを通年入手するのはけっこう大変みたい。
実は、パンダは笹・竹・タケノコだけを食べるわけじゃなくて、動物園ではリンゴやニンジン、パンダ団子(トウモロコシ粉、大豆粉、ビタミン、ミネラル類を水に溶いて固めたもの)なども与えているのだ。
自然界では果物や、まれに昆虫や小動物の死体なんかも食べるんだって。

パンダの消化器はクマと似ていてむしろ雑食性なんだよね。
無理やり笹や竹を食べている感じなのだ。
手には「第六の指」と言われる肉球があって笹や竹をつかみやすいように進化しているんだけど、内臓はそこまで進化できていないんだよね・・・
つくづく不思議な動物なのだ。
で、基本は笹と竹だけ食べていて、しかも、それをほとんど消化できないので、フンは99%が笹や竹のかす(繊維質)。
なので、ほとんどくさくないんだって。
動物園で飼育していると他のものも与えているから多少は臭いのかな?
さらに、消化できないからたくさん食べないといけないし、あまり活発に行動してエネルギーを浪費するわけにもいかないのだ。
そうなると、コアラと同じように、睡眠時間が長く、起きている間はほとんど食事、という感じになってしまうんだよね。
動物園のパンダの場合は栄養状態もよいので遊びも好きだけど、野生の場合は規定のルートを動き回ってえさをずっと食べているみたいだよ。

というわけで、知れば知るほど奥が深いのだ。
せっかく上野にやってくるし、ほとぼりが冷めたら見に行ってみようかな?
でも、いつまでも混んでいそうな気もするね・・・。
一度くらいはパンダを見に行きたいけど。

2011/02/19

運転手は君だ、車掌はボクだ in Space

日本人宇宙飛行士の若田光一さんが平成25年末からまた約6ヵ月国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在することが発表されたのだ。
しかも、今回は大役で、帰る前の2ヶ月間はISSのコマンダーを務めるんだって。
コマンダーはいわゆる船長で、ISSの長期滞在クルーの統括をする立場だよ。
宇宙での日本人の活躍が期待されるよね。

宇宙飛行士は別に何か資格試験があるわけじゃないけど、有人ロケットを持っている国が選抜をし、厳しい訓練をさせた後に認証しているのだ。
ちなみに、米国の宇宙飛行士はastronaut、ロシアの宇宙飛行士はcosmonaut、中国の宇宙飛行士はtaikonautというのだ。
astro-とかcosmo-はともに宇宙を意味する接頭語だけど、中国のtaiko-は「太空」で中国語で宇宙のことらしいのだ。
日本や欧州、カナダのように独自に有人ロケットを持っていない国の場合は、米国やロシアなどの有人宇宙船を持っている国の訓練を受けて認めてもらう必要があるのだ。
独自の訓練も必要で、日本ではつくばの宇宙センターに訓練施設があるよ。
この訓練のスケジュールは過密で、日本、米国、ロシアを行ったり来たり、そして、その合間にシンポジウムに顔を出したりインタビューを受けたりしているのだ!
超多忙なんだよ。

宇宙飛行士にも役割区分があって、例えば、もうすぐ退役予定のスペースシャトルの場合は、全体を統括するとともに操縦もする船長(コマンダー)、船長を補佐しながら操縦をする操縦手(パイロット)、スペースシャトルの運用を担当し、実施に宇宙遊泳をしたり、ロボットアームを操作したりする搭乗運用技術者(ミッションスペシャリスト)がいるのだ。
船長と操縦手は米国の人でないとなれない決まりなんだよ。
なので、これまでスペースシャトルで宇宙に行った多くの日本人宇宙飛行士はこのミッションスペシャリストで、若田さんなんかはロボットアームの操縦がうまいと有名なんだよね。
さらに、スペースシャトルの運用には直接携わらないけど、スペースシャトルに乗って宇宙で実験をしたり、スペースシャトルによって運ばれる機器の運用をしたりする搭乗科学技術者(ペイロードスペシャリスト)というのがあるのだ。
宇宙でメダカの実験をした向井千秋さんはこのペイロードスペシャリストだったのだ。

スペースシャトルには実績はないけど、ロシアのソユーズ宇宙船なんかは商用の宇宙旅行者を乗せたりするのだ(時々超お金持ちが何億円も払って宇宙に行ったりしていたよね。)。
宇宙に行くためにはけっこう訓練を受けないと行けないんだけど、この人たちはあくまでも「宇宙旅行者」なので、宇宙飛行関係者と区別されるんだって。
日本人で初めて宇宙に行ったTBS特派員の秋山豊寛さん。
「これ本番ですか?」の名言を残した人だけど、このときはロシアにお金を払って載せてもらっていて、このカテゴリーに入るみたい。
ちなみに、秋山さんのケースが世界で初めての商用宇宙旅行にもなっているようだよ(そのため、秋山さんの場合は正式に「ロシアの宇宙飛行士」としての資格が与えられているという説もあるのだ。)。
その後には、「ペプシを飲んで宇宙に行こう」なんてキャンペーンがはやったりしたけど、現在まではロシアのソユーズ宇宙船に大金を払って載った例しか実例はないのだ。
まもなく弾道飛行(数分くらい宇宙空間に出てすぐに地球に帰還する飛行)では商用旅行が始まりそうだけどね。
これも安くなったとは言え数千万とか何百万とかするのだ・・・。
それでも予約がいっぱいというのだからおどろきだよね。

ISSの長期滞在の場合は、全体を指揮する船長(コマンダー)とその他日々の運用や実験を行うフライトエンジニアの2種類があるのだ。
今は6名体制なので、船長1名、フライトエンジニア5名の構成だよ。
船長にはかなりの権限があって、有事の際には独自の判断でいろいろなことができるようになっているんだとか。
例えば、常に係留されているソユーズ宇宙船による緊急離脱とか。
これは責任重大だね。
ちなみに、米国とロシア以外の国の人が船長をやるのは若田さんが3例目になるとのことで、実績は欧州の一人だけ。
若田さんより先にカナダ人が船長になるみたいだよ。
で、若田さんが船長になれれば、これでやっと日本もISS参加国の一員として一人前になったというわけなのだ。
これは楽しみだね♪

若田さんが次の長期滞在にいくころはすでにスペースシャトルは退役しているはずなので、人の輸送は基本的にはロシアのソユーズ宇宙船で行うのだ。
ソユーズ宇宙船は3人乗りで、操縦士でもある船長と、その他の機器の運用を行うフライトエンジニアからなるんだ。
ロシアの宇宙船なのでロシア人以外は船長になれないんだけど、日本人もフライトエンジニアとしては搭乗するので、ロシア語にも精通していないといけないんだ・・・。
英語だけでもハードルが高いのに、宇宙飛行士ってすごいよね。

このソユーズ宇宙船はカプセルと言った方がよいくらい小さいもので、中はぎゅうぎゅうなんだって。
しかも、座席は宇宙飛行士一人一人の型をとった特注なので、乗る人が変わるたびに交換する必要があるんだ。
これは普通の飛行機のように着陸するスペースシャトルと違って、パラシュートで減速しながら落下してくるため。
ある程度制御はできるけど、どこに落ちるわからないことがるため、パラシュートはテントになるようになっているし、宇宙船の中にはサバイバル用品としてオノや釣り竿なんかも積まれているそうだよ。
乗り心地は悪そうだけど、ちょっと興味あるよね(笑)

米国ではスペースシャトルの代わりに人の輸送を行う商業ベースの輸送手段の開発も進められているけど、それができるとまた宇宙飛行士の役割も変わってくるんだろうね。
パイロットはタクシーの運転手みたいにISSと地球を往復してお客さん(ISSに滞在する宇宙飛行士)を送り届けるだけになるかもしれないし。
これからは一般人でも宇宙に行けるようになれるかもしれないから、そうなると宇宙の「バスの運転手」みたいな人も出てくるわけだよね。
なんだかぐっと親近感がわく気がするよ。

2011/02/11

太陽と月と木星と

今日は建国記念の日!
国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」とされている日で、その日付は建国記念の日となる日を定める政令
(昭和41年政令第376号)で2月11日とされているんだよ。
戦前の紀元節の復活だと戦後もめにもめて制定された祝日として有名だけど、お正月明けから1ヵ月程度たってちょうど休みがほしい時期だからありがたいよね(笑)
この日は紀元前660年に神武天皇が奈良は橿原の地で践祚・即位された日付をグレゴリウス暦に当てはめたものなんだよ。
今回は、この日付の謎に少し迫ってみるのだ。

日本の最初の正史である日本書紀によれば、神武天皇の即位は「辛酉年春正月庚辰朔」の日とされているのだ。
日本書紀の編纂時期と歴代天皇の在位期間を計算すると、この「辛酉」の年は紀元前660年と計算されるんだって。
それをもとにして、昭和15年(1940年)に皇紀2600年の記念行事を大々的に挙行したのだ。
さらに、「春正月」とあるので立春のある月で、さらに庚辰の日を探せばよいことになるのだ。
※東洋の季節の考え方は立春になって気温が上がり始めるころからを「春」と呼ぶので、旧暦でいうと1月、新暦では2月から春になるのだ。
で、そのあたりの庚辰の日を探すと2月11日がどんぴしゃとあって、その前後だと12月20日と4月19日でどちらも候補にならないのだ。
それで2月11日だろう、ということになったわけ。

実際に現在の知識をもとに月齢を計算してみると、紀元前660年2月11日は「朔」、すなわち新月だったようなのだ。
計算上は日本書紀の記述とこの日付の比定は整合性があるのだけど、紀元前660年ころの日本はまだ弥生時代なので、おそらく、大和朝廷はまだできあがっていないんだよね。
考古学的に天皇家の存在が遡れるのはどうやっても古墳時代が限界なので、そのはるか以前にこういう事象があったかどうかは定かではないのだ(>o<)
でもでも、前漢~後漢の時代の中国でぇ亜辛酉の年に大きな政治的変革が起こるという説(讖緯説)がはやっていたらしく、それを採用するためにこの年に当てたとも言われているんだ。
紀元前7世紀だと中国はすでに春秋時代で資料も残っているので、後から計算して春正月の「朔」になる日として庚辰を当てた可能性もあるのだ。
少なくとも当てすっぽうで書いているわけではないみたい(笑)

ちなみに、日本書紀の編纂は養老4年(720年)で庚申の年。
神武天皇即位が紀元前660年とすると、その間には1380年あるのだ。
庚申は辛酉の前なので、720年の前の辛酉はその59年前の661年で、以降は60年周期でさかのぼっていくはず・・・。
とすると、干支が合わなくなるのだ!
(59+60×n)年前じゃないといけないはずだよね。
ここには干支紀年法の歴史が関わっているのだ。

もともと干支紀年法は木星の動きで年を表す紀年法によっているのだ。
木星は約12年周期で天球を一周するので、その動きを12区分してどの位置にいるかで年を区別することが可能なのだ。
このために古代中国では木星のことを歳星と呼んでいたんだよ。
この木星の天球上の位置区分を十二次と言って、十二支による方位区分に対応した天球上の太陽や月の動きを見る十二辰と共通なのだ。
ところが、木星は太陽や月とは違って天球上を西から東に動くんだよね。
そうすると、十二次上の移り変わりはいわゆる十二辰上の移り変わり(十二支に対応)の順序と逆になってしまうんだよね。

なので、十二辰上を動く架空の惑星を想定することにしたのだ。
それが「太歳」で、木星の天球上の見かけ上の動きの円軌道に直径を引き、木星と線対称の位置にある星として便宜的に使うことにしたんだ(その直線の引き方は暦法ごとに異なっているのだ。)。
この太歳は太陽や月と同じように十二辰上を十二支の順番どおりに動いてくれるので扱いが楽なんだよね。
実際に観測した木星の位置から計算しないと行けないのでちょっと面倒なんだけど。

木星(歳星)も太歳も12年周期なんだけど、これに十干を組み合わせると60通りになるので、当時の平均寿命から考えると、生きている間の各年を干支をもとにした区分で区別できることになるのだ。
還暦で一周だけどせいぜい二回り目があるかどうかだから、「前の・・・」と言えば区別可能だよね。
こうして、木星或いは太歳の位置で60通りに年を区別する干支紀年法が誕生したのだ。

またここで問題があって、木星の公転周期は実際には11.862年で12年より短いので、十二次上の歳星或いは十二辰上の太歳はより早く動いてしまうのだ。
ちょっとずつずれていって、約86年でまるまる1区分ずれてしまうので、補正が必要なんだよね。
そこで、一つとばしで2つ先に進むという「超辰」という補正が行われていたんだ。
これが干支がずれてしまう理由で、正確な60年周期にならない原因だったのだ。

とは言っても、そもそも太歳は実際には存在しない星だし、いちいち木星を観測せずに60年周期で計算した方が楽だということもあって、漢の時代になると干支で年を表しつつも木星の動きと関連づけない暦法が採用されることとなったのだ。
以降はきちんと60年周期となるわけ。
それが漢の元和2年(85年)のことなので、それ以前はずれあり、それ以降はずれなしで計算すると、紀元前660年の辛酉の干支が出てくるそうだよ。
いやあ、複雑なのだ。

話はもどって、建国記念の日の前身(?)の紀元節は、当初は1月29日に設定されたんだよね。
これは明治6年(1873年)の旧暦の1月1日に当たる日付で、「春正月」の「朔」だから、立春のある月の朔日=旧暦の1日ということで機械的に当てはめたのだ。
ところが、明治政府は、旧暦で祝っていた祝日は新暦でそのままの日付で設定し直すという方針もとっていたので、これが旧正月のお祝いと勘違いされて混乱を来すこととなったのだ。
もともとは複雑な旧暦と新暦の換算をせずにすむように、ということだったんだけど、なんのゆかりもない新暦の1月1日だけでなく、古来親しまれてきた旧暦の1月1日が祝日で残されたように思われてしまったというわけなのだ。
そうすると、天皇親政を歌っている制覇、この日が神武天皇即位の日だという認識が広まらないことをおそれ、文部省天文局に計算させて、翌年の明治7年(1874年)からはからは2月11日という新たに計算した、旧暦に対応する日を定め直したんだって。
その計算方法の詳細は不明だけど、上記のようなことが勘案されたようなのだ。

というわけで、経緯も興味深いけど、その後ろで行われた計算も実は複雑怪奇だったのだ。
いやあ、建国記念の日っていうのはつくづく曰く付きの祝日なんだねぇ。
とにかく、この時期に貴重な祝日を作ってくれた先人に感謝し、ゆっくり休むしかないね♪

2011/02/05

火山でこわいのは溶岩だけじゃない!

霧島の新燃岳の噴火が報道されているけど、これは大変な事態になってきたのだ。
降灰だけでも相当な被害が出ているようだけど、今心配されているのは火砕流。
雲仙普賢岳の噴火でそのおそろしさの認知度が一気に高まったよね。
あっという間に市街が壊滅状態に追い込まれるのだ(>o<)
でも、なんとなくおそろしいものだとわかっていても、実はどういうものかがよくわからないので、ちょっと調べてみることにしたんだ。

端的に言うと、火砕流というのは、火山から噴出される固形の火山砕屑物と火山ガスが一体化して流れ出るもののこと(ちなみにガスがほとんどだと火砕サージと言うそうだよ。)。
火山砕屑物というのは、表面で固まっていた溶岩が砕けたものや溶岩が噴火の爆発で外気に触れたときに急激に冷やされて固まって砕けたものなどで、冷えて固まっているとは言えまだまだ高温なのだ!
これが火山ガスと混ざって流れてくるわけだけど、空気より重いので地をはうように広がっていくんだ。
しかも、期待と混ざっていてほとんど摩擦なく広がっていくので、ものすごく高速で流れて来るのだ。
この熱と高速の流れが火砕流の被害を甚大にしている原因なんだ!
雲仙普賢岳の噴火の時には家や森が一気に押し流され、破壊される映像が流れていたけど、まさにそういうことが霧島でも起きようとしているということなのだ・・・。
これはおそろしいよね。

火山の被害では、どうしても浅間山や三原山の噴火のように溶岩が直接流れ出てくるものを想像しがちだけど、実は溶岩はどろっとしているので摩擦でそんなに早く流れないのだ。
山崩れの土石流や表面だけが崩落して流れる雪崩は火砕流と同じようにものすごい早さだからよけたりすることはできないけど、溶岩はじわじわと焼きながら浸食してくる感じなんだよね。
ハワイのキラウエアみたいに玄武岩質でさらさらの溶岩だと、そもそも大きく噴火することもなく、こんこんと(?)溶岩がわき出して海に流れていくんだよね。
一方、流紋岩のように粘性が高いと流れ出ることはなく、噴火口から押し出される感じで溶岩ドームが形成され、それが耐えきれなくなると一気に爆発するのだ。
このとき流れ出るのは溶岩流ではなくて火砕流だよ。
中間の粘性の安山岩だと、溶岩が適度に流れ出るので、溶岩流が出てくるんだ。
浅間山の「鬼押出し」なんかはその溶岩流が流れて固まった跡だよね。

火砕流が発生するときは、いくつかパターンがあるんだ。
今回の霧島のように、溶岩ドームが先にできて、それが爆発的に砕けたときに一気に火砕流が流れ出すのだ。
このときは山の地形に影響されて流れやすいところに流れていくよ。
雲仙普賢岳のケースがまさにこれ。
粘性が高く、中に多くのガスを含んでいるマグマが地表付近で圧力が軽減されて一気に爆発・発砲するときも大規模な火砕流が起きるのだ。
地中深いところでは圧力が高いのでガスがマグマの中に閉じこめられているんだけど、地表付近でそれが気圧程度になると一気にガスが発砲して、爆発するわけ。
この場合はほぼ全方向に火砕流が発生するのだ!
噴火した後、マグマがなくなって空洞になった部分がつぶれて窪地になってカルデラが形成されるのが特徴で、阿蘇山なんかはこのタイプの火砕流が発生していたみたい。
火砕流の後に冷えてできたのがシラス台地だって。
イタリアのヴェスヴィオ火山のようなタイプだと、ガスと個体物が混同している噴煙柱が立ち上っていくんだけど、自重に耐えきれず上昇できなくなって倒れたときにそれが火砕流となって流れ出すんだって。
この場合はまさに倒れたところにだけ火砕流が発せするわけだけど、その流れる方向は風とかの影響を受けるわけで、予測しづらいんだよね。
ポンペイの都市はこの火砕流で地中に埋もれたんだよ。

火砕流中の固体成分でだいぶ流れ方や流れた後の被害も変わるんだけど、火山ガスの影響もあるのだ。
水蒸気が多い場合は熱以外にそんなに影響がないけど、硫化水素のような有毒ガスが多いと、火砕流が流れた地域のまわりの動植物にも影響が出るのだ。
カルデラが形成されて火山ガスがそこに残ってしまうともはや生息不可能地域になるし、直接の被害だけでなくてそういう間接的な被害も無視できないんだ。
火砕流はわりとさらさらで、高速で広い地域に流れ出していくので、その被害範囲も広くなることが多く、大きく動植物の生息環境を変えてしまうおそろしいものなんだ(>o<)

というわけで、ちょっと調べてみただけでもそのおそろしさは増ばかり!
ポンペイが一瞬にして滅んだ原因とか言われるとその被害の大きさがよくわかるよね。
そういう目で霧島の状況を見ることも大切かも。
雲仙の被害も復興にものすごく時間がかかったからね。
今回はそんなことにならなければよいんだけど・・・。