2011/04/29

ご利用は、間接的に

まだそんな気分じゃないという人もいるだろうけど、いよいよゴールデンウィークに突入。
今年は2日と6日さえ休めば超大型連休!
逆に、その平日二日を普通に来ると、断続的な連休なのだ・・・。
この時勢だとなかなか大型連休にするのはつらいよね(>o<)
そんな連休のさなか、いよいよ天皇皇后両陛下は被災3県に行幸啓されるのだ♪
芸能人が来たり、スポーツ選手が来たりするのもうれしいだろうけど、やっぱり皇室の方々が来るとなると違うよね。
変な政治家だったらむしろ来なくていいだろうし(笑)

で、ここで気になったのは敬称。
日本語だと、皇室や各国の王室に対しては、君主及びその配偶者に「陛下」、それ以外の皇族・王族に「殿下」を使うのが通例。
大統領とか大臣だと「閣下」。
偉いお坊さんや司教などの宗教家に対しては「猊下」
珍しいところでは、ローマ法王(教皇)に対して使う「台下」(或いは「聖下」)なんてのもあるよ。

これは、もともと偉い人を直接名指しするのが失礼だ、とする考え方があったからで、天皇のことを「帝=御門(みかど)」や「内裏(だいり)」と呼んだり、将軍の正室を「御台所(みだいどころ)」と呼んだりするのも同じ考え方。
本人を直接指すのではなく、その人がいる場所で表そうとするものなのだ。
「陛下」という敬称も同じような発想で中国で生まれたもので、「玉座、高御座(たかみくら)の陛(階段)の下においでのお取り次ぎの方にまで申し上げます。」といった意味で使われ始めたんだって。
これは直接話しかけるのが失礼なので、ワンクッションおいて間接的に話しかける、という発想。
殿下や閣下なんていうのも同じ発想で使われるのだ。

実はこれ、西洋でも同じ発想なんだよね。
例えば、米国の大統領が日本の天皇に話しかけるときは、気軽に「You」なんて言ってはいけないのだ。
そういう呼びかけのときは、「Your Majesty」と使い、第三者として言及するときは「His Majesty」と使うんだよ。
これはその他の敬称でも同じような感じで、ローマ法王に使うHolinessの「台下・聖下」、王族などに使うHighness(殿下)、大統領や大臣に使うExcellency(閣下)など。
市長や裁判官、国会議員などに使うLordshipやWorshipなんてのもあるけど、逆にこっちは対応する日本の敬称はないかもね。
洋の東西を問わず、偉い人に対しては直接指すことなく、間接的にその人であることをほのめかすということをするのだ。
けっこうおもしろい現象だよね。

ちなみに、これらは「~さん」という意味で使うMr.やMs.、「~博士」のDr.、「~卿」という意味で使うSirやLordとはまた違うんだよね。
その場合の敬称(というか役職みたいなもの)は名前の前につけるのだ。
エリザベス女王ならQueen Elizabeth、明仁天皇ならEmperor Akihito。
爵位を表すDuke(公爵)、Marquess(侯爵)、Count(伯爵)、Viscount(子爵)、Baron(男爵)や、「~王子」という時に使うPrinceも名前の前だよね)例えば、今度結婚するウィリアム王子はPrince William。)。
一方、日本語の訳からだとまぎたわしいのが大使や偉い軍人などに使う「Honorable」。
訳語は「閣下」になってしまいがちだけど、これも名前の前につけるのだ。
ちなみに、Sirだけはファーストネームの前につけるんだよね。
アイザック・ニュートンはドクター・ニュートンだけど、サー・アイザック・ニュートンとするのが一般的だよ。

で、こうやって間接的に呼びかけられる人々は自分を指すときも独特の言い回しがあったりするのだ。
中国や日本では、皇帝や王は「朕」という一人称を使うよね。
日本でも戦前までは詔勅で天皇が自分をさすときは「朕」だったのだ(昭和天皇は口語では「私」、普段は「僕」とおっしゃっていたようだけど。)。
いわゆる「玉音放送」の「大東亜戦争終結ノ詔書」も「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ・・・」となっているのだ。
西欧語でもそういう独特の言い回しがあって、偉い人は自分個人でも一人称複数を使う、という習慣(?)があったのだ。
これを「尊厳の複数(Royal We)」と呼んでいるそうなんだけど、すべての一人称を複数形にするんだよね。
ローマ法王も同じだったんだけど、先々代のヨハネ・パウロI世からそれを廃止して、一人称で「I」を使うようになったんだそうだよ。
日本では天皇に対してのみ使う敬語なんていう特殊な表現まで生まれたけど、西洋でもいろんな婉曲表現で「尊敬の念」を表したようなのだ。

というわけで、偉い人の持ち上げ方は意外と洋の東西を問わず同じだったのだ(笑)
こういうのって、たまに接する機会があるから、注意してみているとおもしろいかも。
例えば、NHKの英語ニュースで海外から偉い人とかが来たときにどう表現されているかなどで調べられるのだ!
一番直近では、英国のウィリアム王子の結婚式かな?

2011/04/23

今年は昭和で言うと何年?

未曾有の大震災から1ヵ月以上が経ったけど、なかなか復興のメドは立たないし、原発の方も不安がつのるばかりだよね(ToT)
まさに、21世紀最大の災害なのだ!
中国文明圏では、こういう天変地異があるとよく元号を変えたんだよね。
日本でも飢饉や大地震などがあると変えた例があるのだ。
で、今更ながら元号について気になったので、ちょっと調べてみることにしたのだ。

もともと元号っていうのは中国発祥のもので、中国の考え方では、すべての世界を司る天帝から天命を受けた皇帝は、地上を支配するのみならず、時間をも支配すると考えられていたのだ。
この時空を支配するという考え方は、皇帝が暦を作ってそれを頒布し、その暦に従って人々の生活、特に農業が営まれるということをも意味するんだ。
これは四時の運行は皇帝が司っている、という証でもあるのだ。
すなわち、暦を作るのは王朝の専権事項であって、勝手に暦を作ってはいけなかったのだ。
逆に、自分こそが「王」だと思う人は、自分で暦を作ってそれをアピールしたみたいだよ。
で、年を表す元号っていうのもその流れから来るんだよね。
暦と同様に皇帝以外が勝手に元号を定めてはいけないし、我こそが支配者だと思う人は自分が作った私的な元号を支配民に使わせたりしたようなのだ。

この元号は、基本的には君主が交代すると変わる(=改元される)んだけど、それ以外にも変えられたのだ。
ひとつは祥瑞改元というもので、吉事があったときに縁起がよいと変えるというもの。
中国では竜が天に昇るのを見た、とか、麒麟が空を駆けていくのを見た、とかそういうもので変えたようだよ。
日本でも、白雉という元号があるけど、これは珍しい白いキジが朝廷に献上されたことに由来するものなんだよ。
そして、革年改元というのがあって、中国では甲子、戊辰、辛酉の年に大きな政治的変化があるという説があったので、その年になると元号を変えていたことがあったのだ。
これは政治的な変革が発生しないように、象徴的に元号だけを変えるという発想みたいだよ。

そして、天変地異があった場合に改元する災異改元。
例えば、江戸時代でも、振り袖火事とも呼ばれる明暦の大火の後に万治と改元されているし、天保の大飢饉の後に弘化と改元されているのだ。
これは、元号を変えて悪い影響に区切りをつけようという思いもあるんだけど、それ以上に、天災地変が発生するのは、為政者の徳が低いから、という中国的な考え方が背景にあるためなのだ。
なので、支配者が心を入れ替えて政治をするためにも、元号を変えて出直そう、ということなんだ。
奈良時代の聖武天皇は疫病が流行したときに御自身の徳の低さを嘆き、全国に国分寺を設置するとともに奈良の大仏を建立したんだけど、平安時代まで下ると、御霊信仰とあいまって、何かあると誰かのたたりとして祭り上げ、改元して出直そうとしたのだ。
で、今回も未曾有の大災害だから改元しよう、なんていっている人たちがいるんだけど、そんなわけにはいかないんだよね。

明治維新以降、改元をどうするかが問題になって、「一世一元の制」がしかれたのだ。
これは天皇の在位中には元号を変えず、皇位継承があったときだけ改元するというもの。
日本では「蒸し米を炊いて祝おう大化の改新(645年=大化元年)」から元号が断続的に使われ始め、「なれい大宝律令(701年=大宝元年)」からは連続して元号が定め続けられてきているんだ(南北朝時代は2系統の元号があったけどね。)。
それまでは、いろんなタイミングで改元をしていたんだけど、明治になって一世一元の詔を出して、在位中は改元しない制度に変えたのだ。
これは旧皇室典範に継承され、大正、昭和と引き継がれるのだ。

戦後になると旧皇室典範が廃止され、新たに定められた皇室典範(昭和22年法律第3号)には元号に関する規定がなかったので、一時あやふやな状況が続いていたんだよね。
これは、戦後になって古い体制を改めようと、一時公文書でも西暦を使ったりしようという動きがあったからなんだよね。
でも、けっきょく国民は元号を使っているので、しっかりとその法的根拠を定めようとできたのが元号法(昭和54年法律第43号)なのだ。
元号を使うということは、歴史的に見てもその天皇の支配下に属するということなのでけっこう騒がれたようなんだけど、なんとか成立したのだ。
法律自体は2項しかなくて、

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。


というあっさりしたもので、皇位継承があった場合、政令により次の元号を定めるのだ。
この元号法に基づいて最初に定められた元号が「平成」だよ。
なので、どんな災害があっても皇位継承がなければ元号は変わらないんだ。
元号法を改正すれば別だけど・・・。

それにしても、すごいのは、日本ではずっと天皇が君主であり続けて、天皇が定めた元号が使われ続けてきた、という事実なのだ。
摂関政治の頃はあくまでも天皇の下で貴族たちが政治をおこなっていたわけだけど、鎌倉幕府以降、政治の実権は武士に移っているのだ。
でもでも、元号を定め、国を代表する象徴的支配者はあくまでも天皇であり続けたんだよね。
これがすぐに王朝が交代してしまう中国との違いなのだ。
現在の憲法の下でも天皇も、国をまとめる象徴的な存在という意味では、江戸時代となんら変わらないのだ。
というわけで、元号を使うのは日本国民としてのアイデンティティ、誇りでもあるので、便利だからといって西暦ばかり使っていてはダメなのだ。
それと、今上天皇への敬意を表するためにも、「今年って昭和で言うと何年だっけ?」なんてのもダメなんだよ(笑)

2011/04/16

いつまでゆれるの?

3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生してから1ヵ月が経過したのだ。
でも、まだまだ余震が続いているよねぇ。
最近では震度6級の大きな余震もあって、東京でも震度4くらいでゆれたから本当にびっくりしたよ。
気象庁が大きな余震の可能性は低くなるって発表した矢先だったしね。
原発問題もまだしばらく片付きそうにないけど、余震の方も心配なのだ(>o<)
先の地震でもろくなった構造物が倒壊するおそれがあるし、何より、いつまでも余震が続くと精神的な重圧も感じるよね。

余震というのは、地殻プレートが押し合ったり、引っ張り合ったり、横ずれしたりして起きる地震(これを本震と言うのだ。)の後に続く地震の総称で、大きな地震であればあるほど大きな余震が長い間続く可能性があるのだ。
ちなみに、本震の前に先触れでゆれる前震というのもあるんだって。
この余震は、本震で放出されきれなかった地震のエネルギーが徐々に放出されることで起きると思われているのだ。
あまりに貯まったエネルギーが大きいと、一気に放出しきれないんだそうだよ。
で、そういうときは、大きな地震が来た後に、比較的大きな地震が続くのだ・・・。
今の状態がまさにそうなんだけど、なかなか収まる気配はないし、まだまだ警戒しなきゃ、という雰囲気だよね(ToT)
一般には、余震の大きさは最高でも本震のマグニチュードより1程度小さくなると言われているんだけど、今回の地震はマグニチュードが9.0だったから、マグニチュード8クラスの巨大地震が余震として発生するおそれがあるかもしれないということだよね・・・。

よく地震のメカニズムとして、プレートテクトニクスが語られるよね。
地球表面を覆っている比較的固い岩盤は「1枚岩」ではなくて、いくつかのプレートに分かれていて、それが動いているというのだ。
プレートとプレートの間では、横にずれたり、下に滑り込んだり、上に乗り上がったりして摩擦が生じていて、そこで発生するエネルギーが徐々にためられていくことになるんだ。
それがためきれなくなって放出されると地震となるわけ。
ちなみに、ヒマラヤ山脈も富士山もプレート同士がぶつかって盛り上がってできているんだよね。
決して速いスピードで動いているわけではないけど、それくらいの強さのものなのだ!

ニュースの解説なんかだと、そのため込まれたエネルギーを地震として放出する際に板バネのような絵を描いて説明するのだ。
板バネを指で曲げておいてから指を話すと、振動しながらもとのまっすぐな状態にもどろうとするよね。
これはいわゆる「縦ゆれ」的なイメージだけど、ゴムひもやバネのような伸び縮みするような場合もあって、それが「横ゆれ」のイメージになるのだ。
でも、実際には地殻はそんな単純に縦と横の成分に分けて考えられるような動きをするわけじゃないんだよね。
むしろ、ゴムまりを無理やりつぶして、それが複雑に動きながらもとの形にもどろうとする動きの方が近いのだ。
これは「応力」という力で、物体の内部に生じたゆがみをもどそうとあらゆる方向に働く力のことで、糸が引っ張られたときに引っ張られたのと反対方向に働く張力が3次元になったようなものなのだ。

地殻の構成は一様ではなくて、いろんな岩石や砂、泥、水などなどがモザイク状にまざっていて、岩石内部での密度の濃淡があったり、粘度の大小があったりするんだよね。
そのために外部から力が加わると、それが均等に分散されず、弱いところにゆがみ・ひずみが蓄積されるのだ。
それで局所的に応力が発生した状態になるんだけど、いよいよそのゆがみ・ひずみに耐えられなくなると、地殻の岩盤が割れて、断層ができるのだ。
この断層ができるときのゆれが地震となるわけ。
断層ができる場合には、押し合う力で上に盛り上がる逆断層、引っ張り合う力で下にずれ込む正断層、横にずれ合う横ずれ断層などの種類があって、それぞれの断層のでき方で地震のゆれも特徴的になるんだよ。
この断層は地震後にある程度確認できるので、どういう地震だったかの解析が可能になるのだ。

ところが、こうやって断層ができても、完全にゆがみやひずみが解消していない場合があるんだよね。
いったん断層ができるともろくなって次の断層ができやすくなるし、また、断層ができてずれて動くことで新たなゆがみ・ひずみが発生することもあるのだ。
こうしてまた耐えられない状態になると地震が発生するんだ。
それが余震。
逆に、断層が大きく動く時にその予兆として少し動くのが前震だよ。
実際には断層は一カ所にだけできる訳じゃなくて、いろんな形の断層がいっぺんにできるので、そう単純ではないんだけど。

ちなみに、耐えられなくなって断層ができる前にも、ゆがみ・ひずみのエネルギーが蓄積されている状態は観測できるはずなんだよね。
それで地震予知を行おうという考え方もあるのだ。
例えば、岩石は外から圧力をかけられると中に応力が発生するんだけど、その際、内部に微弱な電流が流れることが知られているのだ。
地殻でも同じことが言えるだろうと、地中に発生する微弱な電流をとらえて地震予知につなげようとする方法もあるんだ。
地震の前にはプラズマの火球が発生するとか、地温が高くなって生物の行動に変化が見られるとか、土中成分の濃度に変化が出てそれが植物に影響を与えるとかとか、いろいろとあやしいのも含めて考えられてはいるんだよね。
地震雲という特徴的な雲が出るなんて言う民間伝承的なものもあるのだ。
日本で一般的なのは、微弱な地層のずれなどをGPSなどを使った精密な位置観測で検出するのだ。
これは前震よりさらに前の前触れを見ているわけだよ。
古代中国では8つの首の竜が8方向に顔を向けて玉を加えていて、その玉が落ちた首の方向で地震が起きる、なんて予知をしていたけど、これも微弱なゆれを検知する機械になっているんだよね。

気象庁の余震の予測は、過去の地震の観測例や統計データ、発生した地震の性質の分析などをすることで、どの程度の余震が発生するかのシミュレーションをして、余震の発生確率を割り出しているんだよ。
ある期間の間にどれくらいの大きさの余震がどれくらいの確率で発生するかを発表するのだ。
さらに、その予測が当たったか外れたかをさらに計算に入れて未来の予測につなげていくのだ。
今回の地震は未曾有の大災害といわれるような超巨大地震だったのでなかなか予測は難しいみたいだけど、数年に一度発生するような中程度の地震であれば統計モデルもかなり確立されているので予測精度は高いみたい。
今回の地震のデータを詳細に解析すれば、将来の大きな地震にも備えられるはずだから、しっかりとデータをとり続けることが大事なのだ!
次の地震に備えることも必要なんだよね。

2011/04/09

踏みならして地固め

八百長問題でもめている日本相撲協会は、5月場所(夏場所)もとりやめて、国技館で「技量審査」という名目で相撲の取組を無料で公開することにしたのだ。
あくまでも興行ではなく、日々相撲道に精進している力士の「心技体」を競い、技量を披露しようというわけなのだ。
多額の寄付をした人の特別席を除いては整理券が配られるみたい。
一気の多くの力士が退会したので場所運営が厳しいという事情もあるみたいだけど、信頼回復のために始動し始めたというニュアンスが強いよね。

そんなニュースが流れる中、同時に画面に露出してきたのは、力士による被災地の慰問。
お相撲さんが被災現場の避難所でちゃんこをふるまったり、子どもたちとふれあったりするほほえましい光景が映し出されているのだ。
避難所では娯楽も少ないから、うれしそうだよね♪
どうせ場所もないんだから被災地を回って少しでも信頼回復に努めればいい、なんて辛口のことを言う人もいるけど、やっぱりこうして訪れてくれると被災地を元気づけることにつながってよいと思うんだよね。
でも、実はこれにはもっと意味があるのだ。

もともと相撲は神事として行われている側面もあって、今でも靖国神社などでは奉納相撲などが行われているのだ。
江戸相撲も富岡八幡宮での奉納相撲が起源で、今でも横綱碑などの相撲関係の碑があるよね。
そのうち両国の回向院で定期的に相撲が開催されるようになり、いわゆる「常場所」化していったのだ。
これが現在の大相撲のルーツ。
なんだけど、やっぱり相撲は古代から神事として行われていることもあって、寺社との関係が強いのだ。

神事としての相撲の意味合いは、その勝敗で吉凶を占うというのもあるんだけど、それより重要なのは、大地の邪気を払い、清めるということ。
それを体現している動作が「四股」で、だからこそ相撲では四股が重要な意味合いを持っているのだ。
土俵入りで様式美の四股を踏むことには大きな意味があるんだよ。
強く大地を踏みしめることで邪気を払うんだけど、まさに「地固め」の意味があるんだよね。
これは建物を建てる前の地鎮祭と一緒の発想なのだ。

この大地を踏みしめるという動作はむかしから神聖なものと見なされているんだよね。
天の岩戸伝説では、元祖力士とも言うべきアメノタヂカラオが少し隙間の開いた岩戸をこじ開けるわけだけど、そのきっかけはアメノウズメの官能的な踊りとそれをもてはやす神々の嬌声なんだよね。
で、このときのアメノウズメの踊りというのは、体に玉を帯びて強く大地を踏みしめ、しゃんしゃんと鳴らすものだったのだ。
ここでも大地を踏みしめる動作が重要な意味を持っているんだよ。

日本書紀や古事記が編纂されたのは奈良時代のことだけど、おそらく、このころまでに日本に伝わった中国文化の影響が出ているんだよね。
その最たる例は平安時代に集大成される陰陽道の儀式で、「反閇(へんばい)」というのがあるのだ。
これは独特の歩き方をして邪気を払う動作なんだけど、かつては皇族や貴人が出かける際には陰陽師が先に立って邪気を払っていたのだ!
おそらくそんなイメージが古事記や日本書紀でのアメノウズメの動きにも反映されているし、後々の神事としての相撲における四股にも影響しているのだ。

この反閇は俗に「禹歩(うほ)」とも呼ばれるんだけど、これは古代中国の三皇五帝の最後の一人、「禹」に由来しているんだ。
伝説上の聖王で、中国最後の王朝「夏」の創始者として知られる禹は黄河の治水に成功したことで王権を手にしたのだ。
その際、中国全土を奔走したことで半身不随になり、独特の片足で跳ぶように歩いていたと伝えられているのだ。
これが元祖「禹歩」で、道教ではこの「禹歩」の動きをまねることで邪気を払う儀式をするようになったそうなのだ。
それが日本に伝わってきたというわけ。

禹王の場合は全国を歩き回った結果として足が悪くなったんだけど、逆にその悪くなった足での歩き方が邪気を払うというように転換されてきたのだ。
原因と結果が逆転しているんだよね。
で、今度はその全国を歩き回って邪気を払い、地固めをする、ということが注目されるようになるのだ。
作家の荒俣宏さんは昭和天皇の全国各地への巡幸をそのようにとらえていて、戦後の日本という国の地固めのため、自ら全国を巡ったと考えているんだ。
最後の現人神であり、最初の象徴天皇である昭和天皇が、最後に残された呪術性を発揮して新生日本の国固めをした、という考え方だよ。
昭和天皇は全国各地に行幸することを強く希望されていて、沖縄にだけ入れなかったことを強く後悔されていた、と言われているほど。

まさに今回の震災の被災地に神事たる相撲の担い手でもある力士が入ることは、そこに意味があると思っているのだ。
被災者を励ますだけでなく、力士が被災現場で四股を踏むことで邪気を払って、地固めをすることにもなるんだ。
科学的にはまったく意味のないことかもしれないけど、象徴的にはきっと大事なことのように思うんだよね。
現代ではすでにお祭りの本来の意義である五穀豊穣祈願とか雨乞い祈願などの意味は失われているけど、根底にはやっぱりそういう部分があるはずなんだよね。
というわけで、ぜひぜひ力士のみなさんには被災地で「地固め」をしてきてもらいたいのだ。
物理的な復旧・復興も大事だけど、心の面はもっと重要なはずで、そこに大きく貢献できる気がするのだ。

2011/04/02

力の限界・・・

震災以降、東京のスーパーやコンビニでは品薄状態が続いていて、商品陳列棚が少しさみしい状況なのだ(>o<)
やっと落ち着いてきて回復傾向にあるけど、まだまだだよね。
カップ麺や水、卵、缶詰などは実際は「買い占め」と物流の停滞のせいで一時的に品薄になっただけなんだけど、今でも深刻なのはヨーグルトとか納豆。
多少売られるようになったけど、あっという間に売り切れているみたい!
ボクみたいに平日の夜か土日にしかスーパーに買い物に行けない身としてはつらいのだ(ToT)
しかも、この品薄状態はそうそう解消しそうにないんだよね・・・。

震災発生後に顕著になったのは、保存食品や乾電池などの災害対応物資の買い占めが起こったこと。
一気にこられの商品を見かけなくなったのだ。
しかも、東北や関東で道路が通行止めや激しい渋滞になり、鉄道や航空も滞ったため、物流も一時的に麻痺。
在庫をさばいた時点で売るものがなくなったのだ。
今では物流も復活してきたので、従前と同じ程度とまでは言えないけど、まったく手に入らない、という状況は脱したんだよね。

ところが、ヨーグルトや納豆は現在でもほとんど見かけないよね。
これは、買い占めとか物流の停滞とか、そういう問題を越えたところに大きな原因があるのだ。
もともと関東で消費されるヨーグルトや納豆は今回被災した東北地方で製造されているものが多く、地震や津波の影響で工場が止まっている、というのもあるんだよね。
でも、そんな直接的な被害を受けていなくても、生産量ががた落ちしているのだ!
その現況は計画停電!
どちらも発酵過程で温度・湿度を長時間にわたって管理する必要があるので、1日の間の少しでも電気が止まってしまうとそもそも製造が止まってしまうんだよね・・・。

例えば、納豆の場合、大豆を煮る又は蒸してからパックに詰め、そこに納豆菌を植え付けてから一定の温度・湿度に保たれた場所で発酵させるんだって。
(その温度や湿度で風味などが大きく変わるので企業秘密みたい。)
室温でも発酵は続くので、流通・販売にかかる時間を見越して出荷するのが一般的なようだよ。
ようは保温庫で発酵させるんだけど、その温度・湿度が一定に保てないと、品質が保証された納豆が製造できないのだ。
このせいで、直接被災していない地域でも計画停電によって生産が滞るわけ。
ちなみに、むかしながらのやり方では、ゆでた又はむした大豆を熱湯にさっと通して納豆菌以外の雑菌を滅菌したわらにくるみ、囲炉裏のそばなど少しあたたかい場所につるしておいたんだよね。
で、頃合いを見て食べたのだ。
でも、この伝統的な作り方だと、品質保証もできないし、衛生管理もできないし、大量に作ることもできないので、それだけではカバーはできないんだよね。

同じようなことがヨーグルトでもあって、ブルガリアで伝統的な作り方では、温めて少し水分を飛ばした生乳に乳酸菌がついた小枝をさっと差し入れ、その後放っておくとできあがるのだ。
適度にとろみがついて酸味が出たところで食べるんだよ。
でも、これは寒冷で乾燥したブルガリアだからできることで、高温多湿な日本では普通に腐敗してしまうのだ(>o<)
なので、しっかり温度・湿度管理をする必要があるわけ。
工業的には生乳や乳脂肪などの原料を混ぜ合わせ、均質化した後滅菌し、42~45℃で発酵させ、最後に冷蔵して発酵を止めて出荷するんだ。
もともとヨーグルトは北海道・東北で多く作っていたようだけど、計画停電は関東の工場にも影響を与えているので、一気に品薄になったようなのだ。

とりあえず代表的なのはこの2つなんだけど、同じように温度と湿度を管理して発酵させるようなものは他にもあるわけだよね。
さっと思いつくのはアルコール類。
日本酒は伝統的にあまり暖房などで温めず造るむかしながらの作り方をする造酒屋もあるけど、大量生産においてはやっぱり電力を使って管理しているのだ。
ビールだと完全に電力に依存しているのでより危険。
夏の消費のピークでは不足になるかも?
それまでにどれだけ計画停電の影響のない地域で作りだめするかだけど、ビアガーデンとかではそうもいかないよね。

酢やしょうゆ、みそなんかも発酵食品だけど、こちらは熟成期間があるのですぐに品薄ということにはならなさそうなのだ。
これは一安心だね。
あまりに計画停電が長引くと影響は出てくるけど・・・。
それまでになんとかしてほしいよね。

というわけで、今回の特定の食品の品薄状態は早々には解決しそうにないのだ。
必需品じゃないとは言え、なければないで食べたくなるのが心情。
なんとか西日本地域での生産量を増やすとか、計画停電とうまくつきあっていくとかで持ち直してほしいところだよね。
何より、生産できなければ売れないわけで、企業経営にもダメージがあるのだ!
そうなると品薄だけじゃなくてそもそも生産されなくなってしまうので、そうならないように何か手だてが必要だよね。
まだまだ予断を許さないのだ。