2011/05/28

大きすぎて目が点

かつて期間限定メニューとして公表を博したメガマックが復活するんだって。
ビーフパティが4枚で、一つ食べただけで800kcal近くも摂取してしまうおそろしいハンバーガーだよ。
ま、話題になると一度は食べてみたくなるんだけど(笑)
そんなメガマック、ビッグマックがベースで、「ビッグ」よりさらに大きいからと「メガ」にしたんだよね。
ところで、メガってなんじゃらほい?、ということで、少し調べたんだ。

メガ(mega)はギリシア語で「大きい(great)」の意味を持つ「μέγας(megas)」という言葉に由来しているのだ。
拡声器のメガホンとか、ストーンヘンジなどの巨石群を指すメガリスなんて単語にはまさにそういう意味合いで使われているのだ。
最近では、原発事故関係でメガフロートなんてのも有名になったよね。
あれも海上に浮かぶ巨大な人工物なのでそう呼ばれるんだ。

一方、一般によく聞くのは、メガバイトとか、メガトン(TNT火薬の爆発力の何倍かを示す単位)とかの、単位につける接頭辞の使用法だよね。
こちらの「メガ」は百万倍を意味していて、1と0を区別する1バイトの百万倍(実際には220で1,048,576倍)がメガバイト(MB)だよ。
かつてのフロッピーディスク(通常の2DDの場合)はだいたい1MBだけど、CDだと640MB、DVDになると片面一層でも4,700MBで、通常はそのさらに上の「ギガ=十億倍」を使って4.7ギガバイト(GB)と言うのだ。
コンピュータの世界は容量が飛躍的に大きくなってきているから、まさにこういう接頭辞があると桁数が少なくてすむんだよね。

この単位の接頭辞には決まりがあって、増える方では、十倍がデカ(ほんとど使われないけど・・・。)、百倍がヘクト(畑の広さなどで使うヘクタールという単位はよく出てくるよね。)、千倍がおなじみのキロ。
その上は3桁ずつ上がっていって、百万倍がメガ、十億倍がギガ、一兆倍がテラ、千兆倍がペタ、百京倍(19桁!)がエクサ、十垓(がい)倍(22桁!!)がゼタ、一秭(じょ)倍(25桁!?)がヨタというんだよ。
スパコンの計算速度でペタフロップスというのがあるので、新聞なんかでもペタくらいまでは出てくるけど、その先はまずみないし、そもそも漢字の数の単位が読めないよね・・・。

これは逆に減る方もあって、十分の一がデシ(デシリットルという単位は小学校で出てくるよね。)、百分の一がセンチ(センチメートルくらいしか使わないのだ。)、千分の一がやっぱりおなじみのミリ。
その下は3桁ずつで、百万分の一がマイクロ(最近は放射線量率でよく聞く?)、十億分の一がナノ(ナノテクノロジーのナノだよ。)、一兆分の一がピコ、千兆分の一がフェムト、百京分の一がアト、十垓分の一がゼプト、一秭分の一がヨクトなんだって。
半導体なんかの微細加工にフェムト秒レーザーというごくごく短時間だけレーザー光を照射する技術があるんだけど、そういうのでぎりぎり「フェムト」が専門紙で見かける程度かな?

大きいことを表すメガと同じように、小さいことをマイクロということがあるよね。
ミニスカートよりさらに短いマイクロミニとか、かつては超小型機械をマイクロマシンなんて呼んでいたのだ。
ところが、さらに微細化高技術は高度化されていったので、半導体の分野なんかで分子や原子のレベルで制御する技術が出てきて、それがマイクロの下のナノを使ってナノテクノロジーと呼ばれるようになったのだ。
そこから、ものすごく小さいモノをナノと呼ぶようになって、ナノ加工とかナノ洗浄とか聞くようになったよね。
iPod nanoなんてのもあるのだ。

ということは、ちょうだいえっとメニューの小さいハンバーガーはナノマック?
かつては米国ではカロリーを抑えたハンバーガーが発売されていたみたいだけど、日本でも、ハンバーガーは食べたいけどカロリーは抑えたい、というニーズに対応して出たりして。
商標登録するならいまのうちだよ(笑)

2011/05/21

にがずっぱい!

気温もぐんぐん上がってきて、なんとなく梅雨も近づいて、いよいよ夏が近づいてきたのだ♪
今年は冷房がなくてきつそうだけど、やっぱりボクは夏が好きなんだよね。
そんな夏好きがそわそわする季節に出てくる果物が夏みかん。
最近はほとんど食卓でみかけなくなったけど、初夏の風物詩なのだ。

この夏みかん、江戸の中期に萩藩青海島(現在の山口県長門市)の砂浜に流れ着いた柑橘類のタネを植えて育ててみたのが始まり、という不思議な出自。
今でもその原木は残っているそうなんだけど、これは史跡かつ天然記念物に指定されているのだ(ちなみに原木部分は根本のみで、上は接ぎ木されたものだって。)。
皮が厚くて実が大きなブンタンが何か別の柑橘類と自然交配してできたものだろうと言われているんだ。
確かに、皮の厚みや実の水分の少なさはブンタンゆずりだけど、あの独特の甘さはないよね・・・。
むしろ、酸っぱくて、ちょっと苦みがあって、という印象で、味的には大きく異なるのだ。

そんな味なので、江戸中期に栽培され始めたころは生食用ではなく、大きな実を子どもがおもちゃにしたり、酸っぱい果汁を食酢のかわりにしたりしたのだ。
食酢の代わりというのはスダチやカボスに似た使い方だね。
でも、明治になると生食されるようになったのだ。
そのきっかけは、秋から冬にかけて色づいて来た実を収穫せず、初夏まで放っておいてから食べてみたこと!
すると、酸味が減って、その分甘みが感じられ、爽快な甘酸っぱさになったというのだ。
ここで「初夏」と言っているのは5~6月なんだけど、今の感覚だとちょっと「初夏」には早い気がするよね。
でも、東洋的な季節のとらえ方だと、気温がぐんぐん上がり始める時期である「立夏」を過ぎたら「夏」だったので、ちょうど新暦の5月くらいが「初夏」だったのだ。

夏みかんはナツダイダイとも呼ばれるんだけど、これはダイダイと同様に実が色づいてからも長く木になり続けるからみたい。
ダイダイはそれこそ2~3年もなり続けるので、それが「代々」にかけられ「だいだい」と呼ばれるようになったのだ。
それで縁起がいいからと正月飾りなんかにつかうんだよね。
夏みかんも同様で、冬に熟してからも放っておけば木になったまま。
あるとき、誰かが気がついて初夏に食べてみたら、酸味成分であるクエン酸や酒石酸が減り、もともとある糖分の甘さが目立つようになったのだ。
(6月を過ぎるとまた実の色が薄くなり、やがて緑色にもどる「回青」という現象が起きるので、それまでに収穫するようだよ。)
糖度は12くらいで、温州ミカンとほぼ変わらないそうなので、実は結構甘い果物なのだ。。
糖度の比較はこの表がわかりやすいよ。

現代では露地もの、ハウスもの、輸入ものとそれこそ1年中いろんな果物が食べられるけど、明治の初期は果物の旬は通常の収穫時期のみ。
初夏に食べられる夏みかんは貴重な存在だったのだ。
それで萩藩では、明治維新で職を失った下級士族に夏みかんの栽培を奨励し、一気に栽培量が増えていったみたい。
さらに、昭和10年(1935年)になると、大分県の果樹園で川野さんがより甘みのある変わり種を発見したのだ。
それが「甘夏」で、発見者からカワノナツダイダイと呼ばれるんだよね。
戦後は夏みかんから甘夏に徐々に置き換わっていったみたい。
糖度が上がったというより、酸味が早めに抜けるようなのだ。

実は、日本人は無類の夏みかん好きで、その独特の苦みがある甘さと酸っぱさを楽しんでいたのだ。
グレープフルーツの自由化が始まると夏みかんの生産量は減っていくんだけど、昭和61年(1986年)に伊予柑にぬかれるまでは、柑橘類ではダントツの温州ミカンに次ぐ消費だったみたい。
今でも夏みかん味のガムやアメは人気があるよね。
さすがにグレープフルーツや伊予柑、スイーティーなんかが出てきているので、生食する機会はほとんどないけど、それでも、夏みかんの皮の砂糖漬とか夏みかんのマーマレードなんかはけっこうよく見かけるよ。
和菓子では、夏みかんをくりぬいて果汁を寒天で固めた夏柑糖なんてのもあるよね。
これがまたさっぱりとした味わいでおいしいのだ(^o^)/

ちなみに、夏みかんの木は意外と街中でも見かけるよね。
ボクも小学生くらいのころよく気になっていたのだ。
見ているとおいしそうで、もらったこともあったんだけど、食べられたものじゃないんだよね(>o<)
記憶が定かでないけど、きっと時期がダメだったんだろうな。
5月くらいにもらえば、生食もできるはず。
今度もらうなら今の時期だね!

2011/05/14

目に青葉・・・

季節も春本番で、まもなく梅雨のうっとうしい天気が来そうなこの頃。
ちょうどカツオの水揚げも増え、食卓に初鰹が並ぶ時期でもあるのだ。
江戸時代には特に珍重されて、初鰹は女房・子どもを質に入れてでも、と言われたものだけど、今では庶民の食卓にも普通に出てくるものになったよね。
ま、むかしも「初物」にこだわらなければ庶民の口に入るものだったようだけど(笑)
そんなカツオを少し調べてみたのだ。

カツオは、春先に南から黒潮に乗って三陸沖まで北上し、秋には逆向きに南下していく季節性回遊魚。
春先の北上してくるのが初鰹で、秋に南下してくるのが戻り鰹。
2回の旬がある魚だよ。
秋の戻り鰹は産卵を控えているので脂がのっていて、トロ以上に珍重する向きもあるんだけど、逆に脂が少ない春先の初鰹はその分だけうまみ成分のイノシン酸の味が強く感じられるさっぱり系の味で、明治より前の日本ではその方が好まれていたのだ。
もともと白身の魚の方が高級で、サバやサンマなどの脂ののった魚は庶民のものだったし、マグロのトロに至っては捨てられていたらしいからね。

そんなカツオは古代から日本では親しまれていた魚で、神饌といって神様のお供え物にされるくらいだったとか。
でも、カツオはサバと同じように傷みやすいので、干して保存が利くようにしてから流通させていたようなのだ。
冷蔵して運べるようになって夏まで初鰹が食べられるようになった現代とは大違い!
ちなみに、その干したカツオが現在の鰹節の原型だとか。
江戸時代に製法が確立された今の鰹節は、ゆでた後に燻製し、天日干しを行うのだ。
ゆでて小骨を抜いたのがなまり節で、これはこれで好きな人がいるよね。
燻製をして水分を抜くんだけど、これを燻乾と呼んでいて、これが終わると荒節と呼ばれる状態になるよ。
これを薄く削ったのが「花かつお」なのだ。
いわゆる本枯節と呼ばれる、たたくと金属音のする固い鰹節は、さらにカビを表面につけ、熟成しながら水分を抜いていくのだ。
こうすることで、タンパク質が分解されてうまみ成分のアミノ酸が増えていくとともに、他の有害なカビが生えなくなって、保存性が高くなるんだ。
これは透明感のある赤い色で、重量は最初の鰹節の2割程度にまでなるというから、水分もほとんどないことになるよね。

この傷みやすいカツオだけど、もっとも一般的な食べ方はなんと言っても「たたき(土佐造り)」だよね。
皮付きのまま表面を火であぶって、氷水か何かであら熱を取って厚めに切って、大量の薬味と一緒に食べるのだ。
同じく痛みやすいサバは酢に漬けて「しめ鯖」にして食べるので、この「たたき」も表面をあぶることで殺菌しているなんて言われるんだけど、どうもそうではないみたい。
むしろ、これを臭みをとると同時に、皮のすぐしたにある脂の層熱を加えることでうまみを増しているっぽいのだ。
脂を少し融かしてうまみを増す、というのは超レアな状態で食べる牛肉の「たたき」と同じなんだよね。

保存性を高める目的なら、流通させる時点で高めておかないといけないはず。
しめ鯖のように酢に漬けたり、漬けマグロのようにしょうゆに漬けたり、鮒寿司のように乳酸発酵させたり、昆布締めのように塩で水分を抜いたり、と実際にそうやって保存性を高める食べ方をしている例はたくさんあるのだ。
あえて言えば、カツオの場合はそれがなまり節なんだろうけど。
今ではかなり新鮮な状態で運べるけど、むかしは新鮮とは言っても流通経路が発達していないので、けっこうにおいが出てしまっていたはずなんだよね。
それをごまかすためにも、生姜やネギなどの薬味をきかせる必要があるのだ。

それでもなおかつ食べられる理由はやっぱりその味にあるみたい。
マグロもそうなんだけど、カツオは死後うまみ成分であるイノシン酸が増えてくるのだ(釣ってから約1日後がピーク。)。
なので、時間がたつと臭みもますんだけど、うまみも増しているというわけで、臭みを我慢してでもおいしいものが食べたい、ということで考案されたのではないか、と思うのだ。
たたきの由来にはいろいろあって、土佐藩主の山内公が食中毒を避けるために生魚を食べることを禁止した際に焼き魚だと言うために表面だけあぶった、なんて説もあるので、そういうところから殺菌説が出てきたのかも。
もともと「たたき」という語源は、塩をたたくようにすり込んだから、とかいうのもあるので、そうやって保存性を上げたカツオの生食の料理のことを「たたき」と呼ぶように鳴ったのではないか、とも思えるよ。

じゃあ、なんで同じようなマグロの場合は臭みがないかというと、これは獲ってからすぐに尾びれを切って血抜きをし、かつ、さばいた後にも血合いをきれいに取り除くからなんだって。
カツオの場合は魚体がそんなに大きくないし、何より高級魚でもないので、そこまでしないから見に臭みが出てしまう見たい。
自分で釣り上げた場合に、すぐに血抜きをして、血合いをとってあげると、まったく臭みなく普通のお刺身として食べられるようだよ。
つりが好きな人は試してみるとよいかも。
ちなみに、有名な一本釣りは、網で獲るとカツオのみに傷がつくので、それを避けるために竿で釣り上げるんだけど、これもカツオが痛みやすいことと関連があるんだよね。
体表に傷がつくとそこから傷んでしまうから。
その点では、サバやイワシよりは高級ってことだよね(笑)

2011/05/07

甘い汁

ペプシが新製品として甘くないコーラを発表したのだ。
コーラというと、あの独特の甘みとフレーバー(これが秘密なんだよね。)が特徴だけど、その甘みを取り除いた、というのだ。
これまでも人工甘味料を使ってカロリーを0にした製品はあったけど、画期的ではあるよね。
ちょっと興味があるので、一度は飲んでみたいのだ。
そのままではきつくても、アルコールを割るものとしてはそれなりに需要はあるかも。

で、その抜かれたコーラの甘さのもとは「異性化糖」という液糖(シロップ)。
成分的に見ると、単糖のブドウ糖と果糖が混ざったものなんだけど、これが清涼飲料水に最適なすっきりとした甘さになるんだって。
砂糖(しょ糖)だとちょっと甘さが口の中に残るし、何より、冷たい飲料を作る場合に粉状の砂糖は溶かしにくい、という問題もあるようなのだ。
ブドウ糖は砂糖の7割程度の甘さで、果糖は逆に1.5倍前後の甘さ。
砂糖より甘くないブドウ糖と砂糖より甘い果糖が混ざることで、砂糖と同じくらいの甘さだけど、すっきり感がある甘味料になっているんだそうだよ。
ちなみに、低温では砂糖の甘みは感じにくいけど、ブドウ糖や果糖では低温でもしっかり甘みを感じるので、やっぱり冷たいものに合っているようなのだ。

この異性化糖、いかつい名前だけど、それは生産方法から来ているんだよね。
一般に家庭で消費されている砂糖はサトウキビやテンサイから抽出された糖液から抽出するわけだけど、異性化糖の場合はデンプンに酵素を反応させて作るのだ。
麦芽糖も麦芽に含まれる酵素でデンプンを分解するんだけど、この場合は二糖である麦芽糖までしか分解できないので、そんなに甘くならないんだよね。
異性化糖の場合は主にトウモロコシ由来のデンプンを使うので、米国では「コーン・シロップ」なんて呼ばれるとか。

異性化糖の場合は、まずαアミラーゼを加えて95℃くらいまで加熱し、デンプンを小さく断片化することでよく水に溶けるようにするのだ(液化)。
次に、55℃くらいまで冷却してから、今度はグルコアミラーゼという酵素を加えて、さらに分解していくのだ。
αアミラーゼで分解すると、デキストリンなど、ブドウ糖がいくつか連なったオリゴ糖になるのだ。
このオリゴ糖をはしから分解していってブドウ糖にするのが今回の反応(糖化)。
これでデンプンののり状のどろどろがとろっとした甘い糖液になるのだ。
さらに、このブドウ糖液にグルコースイソメラーゼという酵素を反応させ、ブドウ糖を果糖へと変換するのだ(異性化)。
分子式を変えずに分子構造を変えることを「異性化」と呼んでいるので、一連の工程でできた液糖が異性化糖と呼ばれるわけ。



途中で異性化させて果糖に変換しているので、ブドウ糖液だと甘さがたりないため。
なんとか砂糖に近い甘さにしようとした結果で、最終的には、水分を飛ばして濃縮し、ブドウ糖と果糖の比率が一定になるように精製して製品となるのだ。
果糖が多ければより甘い異性化糖になるよ。
ちなみに、ブドウ糖が多い異性化糖はブドウ糖果糖液糖、果糖が多い異性化糖は果糖ブドウ糖液糖と呼ばれていて、それぞれ、果糖が42%、55%のものが一般的みたい。
果糖42%だと砂糖より少し甘くなくて(でも、低温では甘く感じることがあるよ。)、果糖55%より砂糖より少し甘くなるのだ。

最終的にシロップの形で出てくるので、冷菓や清涼飲料水の材料として使いやすいんだよね。
タンクローリーなどで運搬も比較的楽だし、工場で計量するときも液状なので量りやすいのだ(粉だと空隙があるから体積では量れないので、いちいち重量を量らないといけないからね。)。
でも、高温にするとメイラード反応が起きて茶色くなってしまうので、熱を加えるものには使いにくいという欠点も。
それに、水分を完全に除去して粉状、固形状にはできないので(その前にメイラード反応が起こってカラメルになってしまうのだ・・・。)、一般消費者向けにはほとんど売られていないのだ。

むかしはサトウキビやテンサイという植物が限定的にしか栽培できなかったから甘い糖は非常に貴重だったわけだけど、今ではこうしてそこらじゅうにあるデンプンからも作ることができるようになったのだ。
口の中でお米をずっとかんでいると甘くなるけど、あれも唾液中のアミラーゼでデンプンが分解され、麦芽糖ができるから甘いわけだけど、そこからシロップにはつながらないよね(笑)
また、お酒の醸造では、デンプンを麹で糖化し、酵母でそこでできた糖を発酵させてアルコールにしていたので、酵素を使った糖化はずっとやってきたわけだけど、せいぜい甘酒を造るくらいで、砂糖の代用になるほどの糖液は作ってこなかったんだよね。
おそらく、最後の異性化の工程が重要で、砂糖並みに甘くできたところが成功の秘訣のような気がするよ。

ちなみに、かつては酸分解でデンプンをブドウ糖にしていたらしいんだけど、それだと甘みも少ないし、副産物で色がついていたらしいのだ。
ここに日本の技術が搭乗し、糖化するところに酵素を使ってきれいにブドウ糖液にすることを可能にし、さらに、酵素を使って異性化をすることで甘みも増強させたのだ。
日本が醸造技術なんかで培ってきた技術力が生きているんだね。
そう思うと、たまに飲む甘い清涼飲料水もありがたみがでるかな?