2014/08/30

協調しつつも各自の判断で

自律分散処理という概念があるのだ。
中央で一括処理するのではなく、処理を分散させて並行処理をさせるんだけど、勝手にばらばらと処理するのではなく、全体がちょうわするようにそれぞれが自律的に処理するようにするのだ。
というとなんだか難しいけど、こういうシステムは意外と身近にあるのだ。

例えば、人間の場合、脳で情報処理をしているわけだけどこういうシステムが採用されているんだよね。
膝のあたりをたたくと足がぴんと伸びる「膝蓋腱反射」というのがあるけど、これって意識して動かしているわけではなくて、刺激に応じて勝手に体が動いているのだ。
いわゆる「脊髄反射」みたいなもので、一番低レベルの情報処理でA=>Bというプログラムを実行するもの。
感知した刺激がAなのかそうでないのかだけを区別すればよいだけなので、脳の高次機能を使わず、あらかじめ組み込まれたプログラムに従って刺激が来たら無条件に動くので、「無条件反射」とも呼ばれるよ。
これは熱いものを触ったら手を引っ込める、転びそうになると手をつこうとする、というのと同じ。

ちょっと複雑になると、自転車に乗るためにバランスをとる動作というのがあるんだよね。
最初のうちは意識して苦労しながらバランスをとるんだけど、慣れると自然にバランスがとれるようになって、「バランスをとらなくてはいけない」なんてことは意識しなくて済むようになるのだ。
これは小脳の記憶によるもので、いったん小脳で細かいバランスをとる動きが記憶されると、以降はその記憶をもとに無意識で体が動くようになるんだって。
これは水泳でも同じで、泳げないうちは意識していないと体が沈むけど、いったん泳げるようになるとそんなことはまったく気にならなくなるのだ。

もうちょっと複雑なのは「パブロフの犬」の条件反射。
梅干しを診るとつばが出る、みたいなのだけど、これは先天的に備わっているプログラムではなく、後天的に獲得されたプログラムによる反射なのだ。
なので、まず最初にプログラムを条件付けとして記憶に書き込むことが必要で、「えさを与えるときは必ずベルを鳴らす」なんてことを繰り返すわけ。
これはAという刺激が来たときに過去に条件付けされたBという記憶と照らし合わせ、その二つが合致するときにCという反応をするプログラムなのだ。
なので、A+B=>Cみたいな感じ。
刺激が来てから条件が満たされているかどうかを判断する部分があるので、ちょっと高度な判断をしているんだよね。

でも、条件反射までは意識下で体が反応しているのだ。
もっと高次の反応になると、ある刺激に対して、過去の記憶に照らしてそれが好ましいものかどうか、危険なものでないかどうかなどを判断して反応するんだけど、この場合は意識的にああでもない、こうでもないと考えた末に行動するのだ。
それだけに時間がかかるわけだけど、プログラムとして自動的に答えが出せるようなものではない場合に多様な臨機応変に多様な反応が導き出せる点が有利なのだ。
悩むだけで先に進まないこともあるけど・・・。

これらはおそらく進化の過程で獲得してきたもので、無条件反射のようなものはそれこそ生存競争で生き抜くために必要だったもの。
条件反射は刻々と変わる環境の変化に適用する上で必要となるから、より生存が有利になるものとして身につけてきたもの。
そして、最後の意識的な反応は、群れを作る、子孫を残すパートナーを見つけるなどの社会性のある行動をとるために必要なのものとして手に入れたものと考えられるよね。

実はコンピュータのデータ処理も似たようなもので、最初はあらかじめ入ったプログラムに従ってインプットを入れるとアウトプットを出すだけ。
電子計算機がまさにそれだよね。
もう少し進化すると、インプットを入れたときの条件次第で反応が変わるというもの。
エアコンのスイッチを入れると室温によって暖房と冷房を切り替えるみたいな話だよね。
初期のパソコンのサブルーチン・プログラムなんかは、インプットがある条件を満たす場合はこういうアウトプット、そうでない場合はこういうアウトプットという形式のもので、これを複層的に積み重ねてファミコンのゲームなんかは作られていたんだよね。

で、今必要とされているのは、インプット又は処理すべきデータの種類によってどの階層で処理するかを自立的に判断し、末端から中央までの適切なところで処理を行うことで、全体の処理の効率化を上げる、というシステムなのだ。
例えば、クレジットカードの決済は必ず中央で処理をするので数分かかるんだけど、SUICAのような電子マネーは端末又はそのすぐ上のノードでデータを蓄積しておいて、一定期間ごとに中央に集めて整合性を検証するシステムになっているのだ。
これにより決裁スピードがほぼリアルタイムになっているし、例え中央サーバが落ちても端末が生きているとシステムは一定期間動き続けるんだよ!

ただし、これらはそれぞれ処理形式も含めてあらかじめ決められていて、データを見てその場でどの階層で処理するかを決めているわけではないのだ。
それには、データのタグ付けやデータの評価などをしてどの階層での処理が適しているかを振り分ける技術がいるわけで、しかも、その振り分け方によって全体が調和をもって運用できるシステムにならないといけないのだ。
でも、地理空間情報をリアルタイムで把握して自動車を無人走行させたりする場合、全部を中央処理にしてしまうとプラレールのように決まった動きしかできないのだ。
それぞれがいろんな動きをするんだけど全体としては調和がとれていて、仮に何かトラブルがあっても適切に処理できる、ということを考えると、自律分散処理にしないとダメなんだよね。

信号を守る、自分の速度・進行方向を適切に把握する、というのは一番低層の処理でよいのだけど、それをある程度集約して一定範囲内で自動車同士が衝突しないように調整する、という次の階層があって、さらにそれでいて効率的な交通・流通システムになるように自動車が動くという最も高次な調整を行う階層があるはずなのだ。
でも、一台一台全部の動きをミクロに解析して調和的に動かそうとするとどんなに処理速度の速いスパコンでもリアルタイムではできないし、そもそも各自動車からのデータの吸い上げにも時間がかかるので、機能しないシステムになるのだ。
処理するデータが増え、複雑になるほどこうやって処理しないと回せないのが現実で、ビッグデータがはやっているけど、次にはこの技術がないとけっきょく使えないということになるんだ。
なので、これから熱くなる言葉だよ!

2014/08/23

口伝

産経新聞が福島原発の故・吉田昌郎所長のインタビューが含まれる政府事故調の吉田町署について朝日新聞の報道を批判しているのだ。
もともとは朝日新聞が5月に独自ルー-とで入手した内容を報道していたんだけど、産経新聞が改めて8月に同文書を入手し、内容を分析したところ、朝日新聞の報道内容に疑義を呈しているんだよね。
つまり、自分たちの主張に都合のいいところだけとったのではないか、ということなんだけど。

従来の歴史学は主として文献資料や遺跡・遺物などの考古学的資料をもとに研究をしていたんだけど、それだけではつかみきれない情報があるということで、当時の担当者が存命中に直接インタビューをして、それまで紙に書き起こされていなかった情報を残す手法が始められたんだよね。
これが「オーラル・ヒストリー」というもの。
どうしても当時の関係者に話を聞くので、客観的な内容ではなく、その人の主観に基づく情報になるけど、複数の関係者、立場の異なる人の話を聞くことで、全体像が見えてくることもあるのだ。
福島の事故対応については、様々な政府の文書、東電の資料があるし、官邸・東電と福島原発との間のテレビ会議の録画画像なんかもあるんだけど、それだけでは足りないところは確かにあるんだよね。
例えば、今回問題になっている、官邸の指示を現場でどう受け止めていたのか、といったものなんかはあえて資料にはしないので、録画画像で微妙に現れてくる表情の変化を読み取る、といった世界になるのだ。
また、資料の最終版は紙で残されているけど、その検討過程でどのような議論があったのか、誰がどういう主張をしていたのか、といった情報は通常残されないので、そういったものをきちんと記録しておくという意味があるんだよね。

日本にも国立公文書館があって、江戸幕府以来の政府の政策文書を保存・管理しているんだけど、米国のナショナル・アーカイブスに比べると収集・保存している資料の数は段違いなのだ。
米国の場合、アポロ計画で使った月面地図とか、大統領の演説の音声データなんかは常に公開されているし、機密性の高い政策文書でも、一定の期間の経過の後に公開される仕組みが整っているのだ。
さらに、歴代大統領が残した資料については、手書きのメモも含めて、拡大頭領の出身地に整備される大統領図書館に保存されるんだよね。
これがものすごい貴重な資料のようなのだ。
ちょうどスプートニク・ショックやミサイル・ギャップの時の資料が公開されたとき、アイゼンハワー政権やケネディ政権はどういう情報をもとにどういう政策判断をしたのかの政策研究が進んだのだ。
日本では資料もあまりそろっていないし、分析する人も少ないので、なかなかこうはいかないんだけど。

日本でオーラル・ヒストリーをもとにした政治学研究をしている第一人者と言えば、時事放談の司会もしている御厨貴さんが有名。
学者ではないけど、ジャーナリストの立花隆さんなんかも時事問題について当時の関係者と対談したりしている著作が多いので、後々この分野では重要になるはずなのだ。
日本の宰相では、中曽根康文大勲位はかなりの数の自伝的著作を残していて、これは将来貴重な文献になるんだよね。
で、これらの著作の中には、本人が自伝として書いているものだけではなく、誰かに取材されて答えているものもあるので、オーラル・ヒストリーの記録でもあるんだ。
安全保障の専門家の佐々淳之さんの一連の著作も直接の関係者が浅間山荘事件や東大紛争をどのようにとらえて動いていたかがよくわかる資料だよね。

古代中国でも古代ギリシア・古代ローマでも、歴史は時の権力者が自らを正当化するために残されてきた、極めて政治色の強いものでもあったのだ。
特に中国の歴史書はその傾向が顕著で、元王朝の正当性を示すために、前王朝の成立から滅亡までを書いているんだよね。
で、その滅亡には相応の理由があって、となっているのだ。
一方で、権力者の側に属さない歴史的資料なんかもあって、それらは、権力者が作る「正史」に対して「稗史」と呼ばれるのだ。
この「稗史」と比較することで、政治色をさっ引いて分析できるところがあるんだよね。

オーラル・ヒストリーもこれに近いところがあって、やっぱり政府が残す文書にはどうしても政策的意図がつきまとうので、そこに意図的に或いは無意識のうちに音sれている情報を拾い上げるのに重要なのだ。
昭和天皇の側近が残したメモが公開されて話題になったりもするけど、そうした隠された世界の情報がもたらされるという意味でも大きな意義があるんだよね。
自分がそういう歴史の証言者になることはなかなか想定されないけど、いつ聴かれてもいいように、都合のよい記憶だけじゃなく、メモも残しておいた方がいいんだろうね(笑)

2014/08/16

「れい」の乗り物

お盆シーズン真っ盛り!
この時期は笑点以外のテレビ番組でお線香のCMが入るよね。
町中でもお盆用の提灯や灯籠、お供え物なんかを見かけるようになるよね。
まだまだ日本の風習が残っているんだなぁと思うよ。
仏壇がない家庭も増えてきているんだけどね。

お盆という風習自体は、古代から続く日本の習俗に、道教や仏教が入り交じってできているので、不明な点も多いし、地域ごとにけっこう違うんだけど、共通している認識は、先祖の霊がこの時期に戻ってくるので、きちんとお迎えし、送り返すということ。
地獄の釜のふたが開いてそこから霊が出てくるなんていうこともあるよね。
京都五山の送り火も、長崎の精霊流しも考え方は同じなのだ。
お盆の時期に昆虫などを殺してはいけない(無駄な殺生はしてはいけない)というのも、御先祖様がそういった形態で現世にもどってきているから、という考え方に基づくんだよね。
気づかないところでもけっこう身近なところにあるものなのだ。

で、この時期によく見かけるものと言えば、割り箸などをさして動物に見立てたキュウリとナス。
ともに夏野菜の代表選手なのでこの時期にお供え物に使われることもあるけど、この場合は、御先祖様の霊の乗り物と考えられているのだ。
来るときは足の速いキュウリの馬に乗って、帰りは足はのろく荷物をたくさん積めるナスの牛に乗って、ということらしいよ。
これらは「精霊馬(しょうりょううま)」と言うんだって。
同じ夏野菜と言ってもトマトやピーマンじゃダメなのだ(笑)
某人気漫画ではブロッコリーが出てきたけど・・・。

もともとは水辺に生えるマコモで馬型の人形を作っていて、それが乗り物だったのだ。
すでに推古天皇の時代から熱に先祖の霊をまつる風習があったみたいなんだけど、これに時期的に近かったのが中国から伝わった七夕の風習。
七夕伝説の中では、天の川は天の瓜(キュウリ)からできたものという話があって、七夕にキュウリはつきもののようなのだ。
また、ナスのへたは仏の蓮でできた台座である「うてな」に似ているので、仏事に関連しているんだよね。
こういうのが混ざって、季節の野菜でもあるキュウリとナスが馬型を作るのに使われたようなのだ。

マコモでできた馬なら送り火の時に一緒に燃やせばいいのだけど、キュウリやナスだとそうもいかないよね。
かといって生ゴミで捨てたり、カブトムシのえさにするわけにもいかないし。
多くの場合は、川に流したりしたらしいのだ。
これは精霊流しや灯籠流しと同じで、常世(死後の国)は海の彼方にあるという信仰に基づくんだよね。
でも、送る側のナスはわかるけど、迎える側のキュウリも一緒なのはちょっとおかしんだけどね。

いずれにしても、お盆は先祖の霊を敬慕するよい機会。
御先祖様がいるから自分がいるのであって、自分のルーツに思いをはせるのも大事だよね。
ぐちゃぐちで起源はは不明になってはいるけど、伝統・風習としては残していきたいものなのだ。
お墓参りとかも忘れないようにしないとね。

2014/08/09

水難事故注意!!

この時期になると川や海での事故のニュースが多くなるよね。
子供が亡くなったりと痛ましい事故が多いのだ。
もともと遊泳禁止のところで泳いだりするのも悪いんだけど、本人に非がなくても起きるから事故なわけで。
現代ではこうした事故について、なぜ発生したのかを科学的に考えるんけど、むかしはよくわからないから、超自然的な存在を仮定して、そこに原因を求めたんだよね。
川の事故の場合、多くは「カッパ」に関係づけられたのだ。

今となっては「カッパ」というのが代表的な名称になっているけど、実際には、様々なバリエーションの怪異が各地方でそれぞれの名前で呼ばれているんだよね。
カワタロだったり、ガタロだったり、ガラッパだったり、ケンムンだったり。
この地域性というのは習性の違いでもあって、川に住んでいて相撲が好き、キュウリが好きなんてのが共通的な性質でこれがカッパという共通認識につながっているのだ。
で、そんな中の一つに、人や牛馬を川に引き込むなんてのもあるんだよね。

おそらく、人や家畜にまつわる川の事故の原因を説明するために、カッパという怪異に仮託されているところがあるのだ。
つまり、カッパが川に引き込んだから、或いは、カッパが水の中で足を引っ張ったから、と理由をつけて、なぜその事故が発生したのかを納得しようとしたわけ。
実際には、浅瀬だと思って渡っていたところに深みがあってそこに足を取られた、だったり、川の中程に急に流れが速いところがあった、だったりするんだよね。
そうなると、何か別の力が働いて転んだ、という思考パターンになって、その「正体不明の原因」が「カッパ」に関連づけられるのだ。
これは雷は雲の上で雷神が太鼓をたたいている音が聞こえてきている、と考えるのと根本は一緒だよ。

そうなると、今度はそういった水の事故を引き起こす原因としてふさわしい性質がカッパに反映されてくるのだ。
話は逆なんだけど(笑)
例えば、カッパは「尻子玉」が好物で、これを抜かれると人はふぬけになったり、場合によっては命に関わるなんて言われているのだ。
これは、水死体は多くの場合肛門括約筋が緩んでいるので、生きている間はびしっと(?)しまっているはずの肛門が丸く開いているのを見て、「玉状の何かが抜かれたに違いない」という発想から来ているんだよね。
「尻子玉」というものが存在しているわけじゃなくて、水死体を見ると肛門がぽかんと広がっているのだ、そこにあった「はず」の何かを仮定して、かつ、水の事故を引き起こす原因であるカッパが抜いた、という発想につながっているのだ。

また、カッパは人の肝が好物という伝承もあるんだけど、これも同じようなものだと考えられているよ。
水死体は内臓から腐敗してきて、腹腔にその腐敗で発生したガスがたまることで浮力が発生して浮いてくるんだけど、これを引き上げてみると、腐敗しているからおなかの中に内臓がないんだよね。
すると、またまた「カッパが食べた」ということになるんだよね。
肛門から尻子玉をぬいて、そこから手を入れて内臓を取って食べた、となると、話もわかりやすくつながるし。
こうして、水難事故の原因として「特定」されたところから、逆にカッパの性質が付加されていくんだよね。

馬や牛を皮に引き込む、という性質は、実際に牛馬が皮で転んだりする事故もあったし、また、家畜を水神に生け贄として捧げていた古代の風習が習合しているとも言われているんだ。
キュウリ好きなのも同様で、疫病神である牛頭天王(祇園神)にキュウリを捧げる風習があって(これは祇園社の紋がキュウリの切り口に似ているからとか。)、その眷属であるカッパはキュウリが好き、となっていったようなのだ。
牛頭天王は水神とも考えられているんだけど、疫病というのは基本的には人か水によって運ばれてくるものなので、水神としての性質も併せ持つんだよね。
水を介して感染する感染症が多いので、水神に生け贄を捧げれば、そうした疫病の蔓延を防げる、と考えるのが普通だったのだ。

ちなみに、人を介して伝染する疫病を防ぐためには、村の入口に道祖神を置いて「道返し」の呪法による悪いものが道を通って村に入ってくるのを防ごうとしたんだよ。
その名残が辻々にある道祖神、庚申塔・庚申塚、地蔵など。
むかしの人も原因はわからないまでも、道や川を伝って外界から感染源が来ることは経験値として理解していて、それを当時の知識と文化的背景により理解する理屈が疫病神とかそういうものを想像することだったんだよね。
実際問題としても、人の行き来を遮断したり、危ないと思われる川の水を使わなくすれば疫病は収まっていくわけで、あながち対処法まで考えると、このように考えることに大きな不合理はないんだよね。

というわけで、水難事故を防ぐためにも、この川や池にはカッパがいて人を引き込むから入っちゃダメ、というのも不条理ではないんだよね。
もともと事故が多発するような危ない場所がそう言われているだけなので、迷信だと排除せず、耳を傾けるべきなのだ。
もっとも、遊泳禁止と言われているにもかかわらず入って泳ぐような人にはそもそも何を言っても通じないのかもしれないけど。

2014/08/02

しゃりしゃり冷た~い

最近はいろんなトッピングのかき氷があるそうで、ちょっとしたブームになっているとか。
九州のシロクマはフルーツをのせて加糖練乳をかけたものだけど、アサイー入りだとか外国テイストのものもでてきているみたい。
テレビで見たけど、山崎ウイスキーをかけて、最後は水割りとして飲む、なんてのも登場したとか。
地方の変わり種としては、ところてんのように酢醤油をかけたものもあるんだってね。

そんなかき氷だけど、日本を代表する夏の涼味なのだ。
でも、よくよく考えてみれば、氷がある程度安価に手に入らないと、かき氷を庶民が食べることはできないんだよね。
実際に、平安時代にすでに氷を削ったもの(削り氷)に甘い汁(甘葛の汁)を書けてものが高貴な人の食べ物として珍重されていたのだ。
枕草子や明月記に出てくるよ。

氷が一般に出回るようになったのは実は明治時代。
アイスクリームを国内で最初に売り出したことでも知られている横浜馬車道の町田房造さんが函館の五稜郭の外堀で作った氷を売る氷点を開いたのが最初。
それまでは「ボストン氷」といって、喜望峰を回ってきた米国産の天然氷を輸入していたとか!
もちろん、国内で冬に凍った氷を氷室に保存して、というのはあったけど、これはあまり流通しなかったんだよね。
この町田さんの天然氷「函館氷」は良質かつ低廉で、庶民でも氷を入手できるようになったんだって。

明治16年(1883年)に東京製氷株式会社ができて、人造氷(製氷機により作った氷)が大量に生産できるようになるんだけど、そのおかげで、明治20年代には、かき氷が大衆的な食べ物となっていて、大森貝塚を発見したエドワード・モリス博士の日記にも、かき氷を食べたという記録が出てくるとか。
この頃にはごりごり回してかき氷を作る氷削機も発明されたようだけど、台鉋で削るのが一般的で、氷削機が普及するのは昭和に入ってからだって。

戦前のかき氷は種類も多くなく、砂糖をふりかけた「雪」、砂糖蜜をかけた「みぞれ」、小豆あんをのせた「金時」くらいで、シンプルなもの。
戦後になると色のついたかき氷シロップが登場し、定番のメロン、イチゴ、レモンが出てきて、ブルーハワイとかマンゴーとか色も風味も増えていったんだよね(笑)
で、ここ最近になって、そこにフルーツ、白玉団子、タピオカなどのトッピングもするようになってきたのだ。
だんだんとパフェに近くなってきたのかな?
似たものにフラッペというのがあるけど、もともとはクラッシュドアいすにリキュールなどの酒類を注いだ飲み物がフラッペで、日本ではほぼかき氷と同義になってしまっているんだって。
洋風テイストを出したいときにフラッペと称するのだ。

かき氷の普及は製氷機の発達によるところが大きいわけだけど、ここ最近は天然氷を使っていることを売りにするものもあるんだよね。
ブランド戦略だけど、実際に質のよい天然氷は、透明度が高く、溶けにくいという性質があるのだ。
これは、ゆっくりと氷の結晶が作られていくので、氷の結晶の粒が大きくなり、かつ、氷の結晶中に空気があまり入っていないため。
急速冷凍で氷を作るとどうしても空気を巻き込んで凍ってしまうので、透明度が低くなってしまうし、小さな氷の結晶の集まりになってしまうので、融けやすくなるんだ。
ま、天然氷でなくても、ゆっくりと冷却していけば似たようなものを作れるんだけど。