2017/06/24

赤い魚と言えば・・・

日本で赤い魚と言えば、何よりもまずタイが思い浮かぶよね。
なんと言っても高級魚のイメージが強いのだ。
そして、めでたい(笑)
一方で、フランスでは、それに当たるのがrouget(ルージェ)なんだよね。
和名ではヒメジ。

このヒメジという魚は、実は日本近海にもたくさん生息している魚。
数m~100mくらいの深さの砂地の海底近くにいるらしいのだ。
ほとんど海底すれすれのところを泳いでいるようで、特徴的な「あごひげ」はその海底を探るセンサーになっていて、砂の中に潜むエビなどを探し当てて、えさにするそうなのだ。
そういう生態なので、底引き網漁でひっかかるらしいのだけど、市場にはあまり流通しないんだって。
それなりの量はとれるようなんだけど、小骨が多くて食べづらいのと、傷みやすいということもあって、高級な練り製品の材料になるとか。

ただし、各地でいろんな名前で呼ばれているので、昔はよく食べたようなのだ。
ヒメジというのももともとは神奈川あたりのローカルネームで、富山ではその鮮やかな色から「オキノジョロウ」なんて呼ばれるし、東京や広島では「ヒメ」、福井や三重では「アカイオ」(「いを」は古語で「魚」を指す言葉だよ。)、関西・中国・四国では「ヒメイチ」、山口から九州にかけては「ベニサシ」などなど。
どれもやっぱり見た目から来ている名前みたいだね。

脂肪の少ない白身で、唐揚げや南蛮漬けのような、多少小骨があってもそのまま食べられる料理に向いているのだ。
特に、日本産ヒメジは小型のものが多いので、そのまま食べられるようにするんだって。
ある程度の大きさがあれば、小骨は気になるけど、塩焼きや煮付けでもよいみたい。
干物にする地方もあるようだよ。
関東では最近になって天ぷらダネとして人気が出てきているんだって。
皮に独特の風味があって、それが天ぷらに向いているとか。

フランスでは、高級な白身魚のグリエ(焼き魚)やポワレ(蒸し焼き)にはよくヒメジが使われているのだ。
やはり皮の色がきれいなのと、風味があるので、多くの場合は皮付き。
熱を通しても固くなりにくく、身離れもよいので、ナイフとフォークで食べるフランス人にも食べやすいみたい。
スズキもよく食べるんだけど、日本人的感覚から言うと「火を通しすぎ」で、ぱさついていることが多いんだよね・・・。
で、ぱさぱさなだけじゃなくて、身が崩れるので食べづらいのだ。
その点、ヒメジは食べやすい!
よく出てくるタラとかスズキは身がすぐ崩れてしまうのもあって、フォークでは食べづらい・・・。
箸だと問題なく食べられるんだけどなぁ(笑)

ヒメジは地中海沿岸地域では重要な食材で、それこそ古代ローマの時代からおいしい魚として親しまれてきたんだそうだよ。
フランスでは、マトウダイ(サン・ピエール)やカサゴ(ラスカス)もよく見るけど、これらもわりと高級魚。
やっぱり火を通してもぱさつきにくいからね。
その点、タラやボラはいろいろと種類があるけど、たいていはリーズナブルで、庶民の魚なのだ。
でも、よほどおいしいところでない限りは、たいていはぱさついているよ。
少量の脂肪分があるかどうかで違うものだねぇ。
それにしても、肉には火を通したがらないくせに、魚は焼きすぎなんだよなぁ・・・。
においが気になるのかな?

2017/06/17

国にも男女の別あり

フランスに来てからも仕事は英語がメインなんだけど、さすがに多少は仏語を話さないといけない機会があるんだよね。
で、学生時代に第二外国語として習ったときの知識を最大限活用するんだけど・・・。
すっかり忘却の彼方だ(笑)
それでも、ぎりぎり覚えている単語を並べてなんとかするしかないわけで。

そんなとき、改めて面倒だなぁ、と思うのは、仏語の名詞には男女の性があること。
おおもとのラテン語だとさらに中性名詞もあるのでさらにややこしいのだけど。
でも、一つのというときも談攻め意思なら「アン(un)」、女性名詞なら「ユンヌ(une)」と使い分けないといけないし、男性名詞につく冠詞は前置詞と一体化して「au(à+le)」とか「du(de+le)」とかになるのでややこしいのだ。
そして、もっとややこしいのは、「~へ行く」というときに、その行き先が国名になる場合、男性名詞の国、例えば日本なら、「au Japon」なんだけど、女性名詞の国、例えばフランスなら、「en France」となって、前置詞すら変わってしまうのだ。
これから夏のバカンスが来るけど、よその国に遊びに行くなんて話をフランス語でするときには注意をしないといけないんだよね。

仏語の場合、国の名前はひとつに限られるので、必ず定冠詞がつくのだ。
これは英語との大きな違い。
なので、「le」とか「la」と一緒に覚えてしまうと、男女のどちらかかも同時に覚えられそうなものなんだけど・・・。
母音で始まる国、例えばドイツ(Allemagne)なんかは、エリジオンが起こってしまって「l'Allemagne」となるので、どっちかわからない(笑)
ま、たいていの欧州の国は女性名詞なんだけど。

で、つらつらと仏語の国名を見ていくと、いくつかおもしろいものがあるのだ。
まずは米国と英国。
日本ではすぐに「アメリカ」というけど、米国人は自分たちでは「the United States (of America)」と呼ぶんだよね。
これは仏語も同じで、「les États-Unis (d'Amerique)」と言うのだ。
音で言うと「レゼタジュニ(ダメリック)」なので、全く米国っぽさがないのだ。
もっと複雑なのが英国。
日本では「イギリス」と言ってしまうけど、これはもともと「イングランド」のポルトガル語名の「イングレス」に由来しているので、英国全体を指していないのだ。
通常は英語で「United Kingdom (of Great Britain and Northern Ireland)」で、「UK」と呼ばれるよね。
フランスでも全く同じなんだけど、仏語にすると、「le Royaume-Uni (de Grande-Bretagne et d'Irlande du Nord)」となるのだ。
やっぱり英国の面影がない(笑)
最初はどこの国のことを言っているのかわからなかったくらいだよ。
ロンドンも「Londre」で綴りが違うし、日本人には英国関係の地名はわかりづらいようなのだ。

米国・英国以上にわかりづらいのがオランダ。
オランダはホラント州を指す「Holland」のポルトガル語「Holanda」に由来していて、英国と同じように欧米の国名とは大きく異なっているのだ。
オランダの英語名称は「the Netherlands」なんだけど、これはオランダ語の「Nederland」から来たもの。
このネーデルラントはもともと「低地」を意味する言葉なのだ!
このため、仏語では、「les Pays-Bas」と言うのだけど、「pays」は「国」、「bas」は「低い」という意味なので、ドストレートな名前なんだ。
ネーデルラントに近い音だったらわかるけど、これは想像もつかないよね・・・。

最後に、前に出てきた「ドイツ」。
仏語の「アルマーニュ」の由来は、ゲルマ系民族の一つの「アレマン人」の地というところから来ているんだって。
英語の「German」はそのまま「ゲルマン」から。
日本語の「ドイツ」はドイツ語の「Deutschland(ドイチュラント)」から来ているので、実は一番ドイツ自身の呼び方をリスペクトしているんだよ。

逆に、「オーストリア」が「Autriche(オートリシュ)」で、「オーストラリア」が「Australie(オーストラリー)」で、けっこう音が変わるので、むしろこっちは区別しやすくなっていたりもするよ。
朝鮮は「Corée」になってしまうので、英語の時とアルファベット順の並びが大きく異なってくるから注意が必要なのだ。
これはドイツもそうだけどね。

というわけで、国名って英語と仏語ではけっこう違うのだ。
もちろん、国だけじゃなくて都市名も違うんだよね・・・。
なので、日本語・英語・仏語の対応関係はかなりややこしいよ(>_<)

2017/06/10

ついつい買ってしまう通り

日本出張で東京と福岡に行ってきたのだ。
3泊5日なのでかなりの強行スケジュール(>_<)
いやあ、タイトだった。
でも、そんな中で唯一楽しめたのは、太宰府天満宮の仲見世の見学。
名物の焼きたて梅ヶ枝餅も食べられたよ♪

「仲見世」というのは、寺院の門前町にある古い商店街の形態で、社寺の境内、特に表参道に並んでいるお店のことだよ。
特に東京の浅草寺のものが有名なのだ。
雷門からずっと続いていて、いつも賑わっているよね。
でも、同じように、大きな寺院、神社の参道には同じような感じで商店が並んでいるよ。


 織田信長さんや豊臣秀吉さんが楽市楽座で商業・経済を活性化するまでは、自由に商売ができなかったみたいなんだよね。
いわゆる「座」と呼ばれる商工業者の組合に入らないといけなかったんだって。
その組合には独占販売権や非課税特権が認められていたんだけど、これを廃して、誰もが自由に商売ができるようにしたのが「楽市楽座」だよ。
これにより、城下町や寺社の門前町のような人の賑わうところに商店が集まるようになったのだ。

こうして日本で商店街が形成されていくんだけど、 このうち、仲見世には、寺社に参拝する人目当ての商売が行われるわけ。
もう江戸時代にはおみやげものが売られていて、太宰府天満宮では梅ヶ枝餅もあったのだ!
京都の古いお寺の参道沿いなんかは、創業が平安時代にまでさかのぼるような甘味の店もあるよね。
○○団子とか△△餅とか。
その他、寺社ゆかりの縁起物、おみくじ、軽食などなど。
実は今とあまり変わらないのかも(笑)

でも、太宰府に行って気づいたけど、様相がちょっと変わってきているんだよね。
 むかしながらの民芸品やお菓子を売る店も多いのだけど、増えつつある外国人観光客目当てのお店が増えているんだよね。
漢字Tシャツとか、歌舞伎や力士のキャラクターグッズとか。
浅草なんかはだいぶ前からそうだけど、他の観光地でも似たような感じになってきているみたいだよ。
実際、太宰府に来ている観光客の人は中国人だったみたいだし(言葉からの判断だから、なんとなくだけ)。

 でも、歴史的に見れば、これは正しい方向の変化なんだよね。
もともと自由に商売が認められるようになって、売れるものを売る店が残っていって、そういうおみやげもの屋と食べ物屋主体の商店街になったはずなのだ。
それが参拝客がもとめていたものだから、
今度はそのニーズが、いわゆる「外国人から見て日本的なもの」に変わっただけなんだよね。

おそらく、仲見世が形成されつつある時代には、今のような仲見世も奇妙に移ったはずなんだよね。
その前までは、生活必需品を売るようなお店が多かっただろうから。
そういう意味では、ちょっと経済的に余裕を持った参拝客におみやげや軽食を売るというのは新たな形態で、ボクが外国人観光客目当てのお店に感じている違和感と同じようなものを感じたんじゃないかと思うのだ。

そういう意味では、これからも仲見世は進化し続けるのかもね。
日本のことがもっと海外に知られるようになって理解が進めば、今のような俗な「日本的」なものじゃなくて、また違うものを求めるようになるから。
そうなると、原点回帰でむかしのようになるのかな?

2017/06/03

今でも境界線

パリ市内を出てシャルル・ド・ゴール空港に行く場合、「ペリフェリク」という環状高速道路を通るのだ。
ここがまさに渋滞ポイントなんだよね。
この環状高速道路の内側がパリ市、外側はパリ郊外(イル・ド・フランス圏だけどパリじゃない。)ということになっているんだよね。
※実際には、ブーローニュのmoriとヴァンセンヌの森もパリ市なので、ちょっとはみ出ているところはあるんだけど(笑)
実は、この環状道路こそが、かつてパリを囲っていた城壁の跡なんだよね。

日本の都市の場合、城郭の周りにはお堀が作られるけど、城下町を囲むような城壁は作られないので、開放的なのだ。
自由に城下町に入れるし、町が発展していけば徐々に市街地を広げていくことができるのだ。
江戸の街がまさにそうで、どんどん拡張していったわけだよね。
明暦の大火の後には、かつては下総国だった隅田川の向こう側(本所・深川)も併合して、巨大な街になったんだよね。
ところが、欧州の都市の多くは、城塞として、街全体が城壁に囲まれていることが多いのだ。
今でも城壁が残っているところは少ないのだけど、かつて城壁で囲まれていた部分を「旧市街」と呼ぶことが多いよ。

パリもまさにそうで、第一次大戦後の1919年から1929年にかけて城壁が取り払われ、その跡地に公園やらスポーツ施設やら新興住宅地やらを整備してらしいのだ。
ちょうど城壁の外縁部に当たるところに環状の高速道路が整備され、それが今でもパリの境界になっているんだ。
この城壁こそがティエールの城壁で、19世紀、再び王制にもどっていたフランスで、ルイ・フィリップがプロイセンやロシアからの侵攻に備えるために築いたものなのだ。
ナポレオンが失脚したのはまさにこの両国が相手だったから、当時のフランスには脅威だったみたい。

この城壁の跡はほとんど残っていないのだけど、地名には残っているよ。
ペリフェリクに面しているところには、「Porte de ~」という地名が多いのだ。
これはそこに城門があったということを示しているんだ。
国際見本市会場があって、世界的に有名な「サロン・デュ・ショコラ」の会場でもある「Porte de Versailles」なんかもそうだよ。
東京でも、江戸城のお堀沿いには「~橋」、「~門」、「~見附」って地名が多いけど、これも江戸城に続く橋、城門、櫓がそこにあったからなんだよね。
虎ノ門の文部科学省の所では外堀の遺構が見られるようになっているよ。

パリはもともとローマ時代のルテティアというガリア人が築いた街、というか村。
最初はノートルダム寺院があるシテ島周辺だったのだ。
それが徐々に拡大していくんだけど、ブルボン王朝によって絶対王政が確立されると、城壁の必要性がなくなってきて、いったんなくなったんだって。
ところが、18世紀のフランス革命直前のころ、パリ市内で商売を行う承認から徴税しようと、もう一度巴里の中心地が城壁で囲まれたのだ。
これがフェルミエー・ジェネローの城壁。
「徴税請負人の壁」ということらしいよ。
今でもパリ市内のこのときの関税徴収所が残っているようなのだ。

で、フランス革命後、もう一回り大きな城壁として作られたのが、最後のティエールの城壁。
これは原点回帰で城塞の防壁なのだ。
でも、第一次世界大戦ではそもそも戦闘方法が大きく変わってしまって、城壁があることにあまり意味がなくなってきたので、取り壊されることとなったんだ。
引き続き歩兵による戦闘がメインだったのでけど、銃器が発達し、射程の長いライフル銃などが実装された結果、騎兵による突撃があまり意味をなさなくなったのだ。
城壁はこの騎兵の突撃に対して有効だったんだけど、それが主役じゃなくなれば、あまり意味がなくなってしまったんだよね。
これも時代の流れ。

でも、そのおかげで、日本の都市のように街を外縁部へと自由に広げていけるようになったのだ。
これが、パリを中心とするイル・ド・フランス圏だよ。
城壁があるうちは、となりの都市とは物理的に隔絶されていたわけで、一つの都市圏とはならないのだけど、壁がなくなって地続きになると、大きな都市圏が形成できるのだ。
パリ自体は山手線の内側より少し広いくらいの、そんなに大きくない街なんだけど、イル・ド・フランス圏で見ると巨大な経済都市になるのだ。
それでも、東京はもっと大きいんだよね・・・。
城壁のような物理的制約がなかったおかげで明治以降もどんどんと都市圏が広がっていったからね。
ま、広いからいいというわけでもないんだけど(笑)