2018/08/25

中世以来の学都

パリの大学と言えば、一般にはソルボンヌ大学が有名だよね。
でも、本当はパリ大学の一部なのだ。
現在のパリ大学は第1から第13まであって、パリ第1大学が「パンテオン・ソルボンヌ」、パリ第3大学が「新ソルボンヌ」、パリ第4大学が「パリ・ソルボンヌ」など、「ソルボンヌ」の名を冠しているよ。
「ソルボンヌ」というのは13世紀の宮廷司祭の「ロベール・ド・ソルボン」のことで、貧しい神学の学徒のためにソルボンヌ学寮を作った人。
この学寮が拡大していってパリ大学を代表する神学部になり、やがて、大学全体をさすようになったらしいのだ。

パリ大学はボローニャ大学と並び、中世最初にできた大学の一つ。
当時は自然発生的な組織だったようで、教える側(教師)と教わる側(学生)との間でそれぞれおルールを作り、組合となって高等教育を行う場ができあがっていったようなのだ。
ボローニャの場合は私塾からの発生、パリの場合は教会付属の学校からの発生だって。
なので、パリ大学はもともとキリスト教色が濃いというわけ。
当時は明確なキャンバスはなく、教師は学生に対してどういう責任を負う、学生はどのようにして学べば学位がもらえる、というルールがあるだけだったんだって。
その後徐々に特定の建物で授業が行われるようになり、いわゆる大学が形成されていくのだ。

最初にパリに大学ができたころは、実践教育・専門教育を行う場、という側面が強く、神学、法学、医学の3つの上級学部と、その下におかれた自由学芸(リベラル・アーツ:算術、幾何、天文、楽理、文法、論理、修辞)学部が置かれていたようなのだ。
まずは基礎的な素養を自由学芸として学び、その後専門的な教育に入る。
今の教養課程と専門課程と同じだよね。
フランス革命以降、ナポレオンは高等教育制度を改革したんだけど、まず、地方の大学を専門学校に格下げし、大学は国立の帝国大学のみとして、大学の再編を行うのだ。
このとき、自然科学や文学を加えて、神学・法学・医学・理学・文学の5学部制になるんだけど、すぐに「神学部」は廃止され、おあり大学からは消えてしまうのだ。
「哲学」は残っていrから、いわゆる「キリスト教神学」が全くできないわけではないんだけど。
でも、このナポレオンの近代化により、いわゆる「総合大学(university)」としては、「法学・医学・理学・文学」の4つが必要、というスタンダードになったんだよ。
(後に科学の応用分野として「工学」が加わるし、近代経済の発展で「経済学」も重要になるんだけど、それはまた別の話。)

そんな「神学」が消えてしまったパリ大学だけど、実は歴史的なイベントの現場でもあったんだよ。
それは、1534年のイエズス会の設立。
初代総長のイグナチオ・デ・ロヨラ(最近は「イグナティウス」とは言わないんだね。)や日本にキリスト教を伝道したフランシスコ・ザビエルがともにスペインのバスク地方の出身なのでイベリア半島でのことかた思っていたら、実はその現場はパリだったのだ。
二人ともパリ大学で神学を学んでいて、そこで出会うのだ。
その場にいた、ピエール・ファーヴル、ディエゴ・ライネス、アルフォンソ・サルメロン、ニコラス・ポバディリャ、シモン・ロドリゲスを加えて計7名で、モンマルトルの丘の中腹にあったサン・ドニ修道院教会堂で「モンマルトルの誓い」として生涯を神に捧げる誓いを立てたのだ。
これがイエズス会の発祥と言われているよ。
ちなみに、モンマルトルにはもともとベネディクト女子修道院があって、サクレ・クール寺院ができるのはフランス革命後だよ。

カルティエ・ラタンは「ラテン語地区」という意味で、パリ大学に通い、ラテン語で勉強している学生たちが多くいる場所だったのでその名がついたんだけど、まさにそこでイエズス会を創立したメンバーが集まったんだよね。
パリは神学では中心的な都市だったのだ!
ちなみに、パリのアンバリッドの近くにはフランシスコ・ザビエルの名を冠した「フランソワ・グザビエ教会」(仏語読み)があって、メトロの「フランソワ・ザビエ」駅もあるよ。
パリに来るまでイエズス会とパリとの関係なんて知らなかったよ。
歴史のある大学って言うのはすごいものだね。

2018/08/18

遭難したら、上を目指せ

山口の二歳児が行方不明になっていた事件について、「歩くボランティア」とも言われるスーパー・ボランティアの尾畠さんが山中の沢のような場所で無事発見したのだ。
命が危ぶまれていただけに、無事に見つかってよかった!
それにしても、この尾畠さんの「感」がすごいんだよね。
前に同じように山中で行方不明になった子供を見つけたことがあって、そのときの経験から、「子供は下ることはない」と思って、上の方を探したら、まさに見つけた、ということ。
飴をあげたことで非難もあるようだけど、この人の行動力や感はすごいものだよ。
実際に助けているしね。

で、実は、この子供のとった「上に行く」というのは、山中で迷ったときに適切な行動なのだ。
ついついなんとか下山しようと下へ行きたくなるんだけど、それは危険なことと言われているよ。
もともと迷っているという時点で登山道から外れているわけだけど、登山道でないところは足下もおぼつかないし、疲労が蓄積されている中でそういう中を進むのが危ない、というのが一点。
また、登山道でないところは、崖があったりしてそもそも進めないことも多いのだ。
特にやってはいけないといわれるのは、沢伝いに下りていくこと。
水の流れがあると、その流れに沿って進みがちなんだけど、沢は特に滑りやすいし、なんと言っても、山中には滝も多いので、進んだはいいがもどれなくなることも多いのだ。

では、どうすればよいか?
答えはその逆で、上へ上へと行くこと。
ちょっと考えれば簡単なんだけど、上に行けばいつか頂上や尾根に出られるんだよね。
で、登山道っていうのは頂上や尾根に向かうものなので、そこまでたどり着ければ、いったん見失った道を再発見できる可能性が高いのだ。
しかも、頂上や尾根まで出られればうっそうとした林も抜けるので、縁による捜索隊からも見つけやすいし、携帯や無線がつながる可能性も上がるんだよね。
なので、むしろ水の流れを見つけたら、その上流を目指す方がよいのだ。
その意味で、「上に行った」という子供の本能的な行動は正しかったんだよ。

ちなみに、闇雲に上を目指せばよいかというと、そういうわけでもないんだよね。
当たり前のことだけど、日が暮れて暗くなったら安全な場所で動かず、朝が明けるのを待つのが大事。
すでに登山道を外れていて足下は悪いので、暗くて先が見通せない時にそんなところを歩くべきではないのだ。
体力の温存にもつながるので、できればどこかでビバーグをして夜を明かすのが大事。
こういうリスクもあるので、山を登る際は、保温性も高い雨具(レインコート)を持っていくとよいんだよね。
それと、もしものときのための非常食。

実は、高い山よりそこそこ低い山の方が遭難する人が多いんだって。
侮って装備が不十分だったり、低いから下りられるだろうと下に行こうとして滑落したり。
登山する際はリスクをしっかり意識して、備えるべきなんだよね。
道に迷ったらまず来た方に戻る。
それがわからなかれば上を目指す。
暗くなったら下手に動かず明るくなるのを待つ。
こうした基本をたたき込んでから行くべきなのだ。
ま、ボクは登山をするわけじゃないんだけどね(笑)

2018/08/11

エビとカニの間

夏休みに北欧に行ってきたのだ。
夏の時期の北欧名物と言えば、ザリガニ!
ゆでられたザリガニが山のように積まれて出てくるよ。
特にスウェーデン人はザリガニが大好物で、それがフィンランドにも広まったんだって。
ボクが食べたのは、オスロからコペンハーゲンに船で移動している最中なのだ。

日本ではどうしてもザリガニはくさいというイメージがあるよね。
在来種の日本ザリガニは北日本に生息していたんだけど、こちらは冷たくきれいな水に住むので、メジャーではないにしても食べられてきたらしいのだ。
ところが、昭和初期にウシガエルのえさ用として日本に導入されたアメリカザリガニはあっという間に日本各地に広がり、今ではザリガニと言えば赤いアメリカザリガニをイメージするよね。

ところが、このアメリカザリガニは、米国南部原産で泥地を好み、雑食性でなんでも食べるので、くさみがあるのだ。
特に、街中で見かけるアメリカザリガニは排水溝とか沼、用水路、水田なんかにいるんだけど、どれも泥臭い・・・。
きれいな水の中で泥抜きをすれば食べられるらしいけど、日本ではそこまでして食べないんだよね。
ところが、米国、特にルイジアナ州ではよく食べるらしいのだ。
多少のくさみはあっても、南部料理伝統のケイジャンのスパイシーな味付けにして食べるみたい。
名物料理になっているよ。

欧州で伝統的に食べてきたザリガニはヨーロッパザリガニ。
河川や湖沼に生息しているんだけど、生息環境の悪化や乱獲(主に食用)などにより個体数が激減。
今では希少種になっていて、代用でウチダザリガニが養殖されているそうなのだ。
このウチダザリガニは、米国北部原産の冷水性のザリガニで、他のザリガニより少し大きめ。
スウェーデンにカリフォルニアから導入され、広まったんだって。

ヨーロッパザリガニは秋の10~11月頃が繁殖期なので、あまりとれなくなってからは夏の短期間のみザリガニ漁が解禁されたんだよね。
で、そのときにザリガニを大量に食べる「ザリガニ・パーティ」というイベントもできたのだ。
スウェーデンでは非常にメジャーで、8月の終わり頃にみんなで集まってひたすらザリガニを食べるらしいよ。
ただし、今ではウチダザリガニを食べるらしいけど。
ちなみに、大量のザリガニを食べるけど、ザリガニだけでなく、他のパーティ料理もあるんだって。

最近では中国でもザリガニの消費が増えているようなのだ。
中国は欧州への輸出向けにウチダザリガニの養殖をしているようだけど、そっちではなく、アメリカザリガニを食べているようなのだ。
やっぱり中華風のスパイシーな味付けにしていて、ジャンクフードとして人気みたい。
ザリガニ専門店もあるとか。
中国は人口も増えているし、いろんな食べ物を取り入れる気質があるから、なんでもありだね(笑)

ちなみに、ザリガニは肺吸虫の中間宿主となるので、よく火を通すことが肝心なのだ。
仮に食べる場合は、よくゆでた方がよいよ。
北海道ではウチダザリガニが外来種としてかなりはびこっていて、駆除活動で何万匹も捕獲されるんだって。
それをゆでたものが食材として流通しているとか。
でも、日本で買うとエビやカニに比べて高いみたい。
そこまでして食べたいか、ってことなんだよね(笑)

2018/08/04

木陰に憩う

パリは気温はそれほどでもないんだけど、日差しが強くて熱い!
日向と日陰で全然体感温度が違うのだ。
日向では太陽光の熱をじりじりと感じるよ。
そんなときに助かるのが街路樹。
ちょっと木陰に入るだけで一気に涼しくなるからね。

欧州に多い街路樹はなんと言ってもマロニエとプラタナス。
プラタナスの和名はスズカケノキで、丸い球状の果実がぶら下がるようになることからついた名前だよ。
山伏の包囲で丸いふさふさがぶら下がっているけど、あれを鈴懸の法衣というそうで、そのイメージなんだって。
街路樹としてメジャーなのは、モミジバスズカケノキ。
欧州から西アジアにかけて自生していたスズカケノキと米国に自生していたアメリカスズカケノキの交雑種で、英国で作られたものだそうだよ。
日本には明治期に導入され、街路樹になったようなのだ。

スズカケノキはカエデのように切れ目の入った大きな葉が特徴。
このおかげで心地よい木陰を提供してくれるのだ。
その切れ目の深さは、スズカケノキが一番深く、アメリカスズカケノキは浅いんだ。
なので、葉を見るとどれかは一応わかるらしい。
もっとわかりやすいのは実のなり方。
スズカケノキは3~6個、モミジバスズカケノキは1~3個、アメリカスズカケノキは1個というようにぶら下がっている数が違うので、実のぶら下がり方で区別できるんだ。
日本で街路樹に使われているのは多くはモミジバスズカケノキだよ。

もともとは池辺や湿地などの水の多いところに生えているものらしいんだけど、乾燥にけっこう強いんだって。
それで街路樹に向いているのだ。
ただし、成長には強い日照が必要なので、開けたところに植える必要があるよ。
うっそうとした中では成長できないのだ。
成長が早いので、何もない道に街路樹として植えると、数年で立派な木陰を提供するようになるみたい。

スズカケノキの見た目の特徴は、その大きな葉だけではなく、樹皮もあるのだ。
ところどころ樹皮がまだらにはがれるんだけど、それが迷彩柄になっているんだよね。
これもプラタナスの特徴なのだ。
樹皮がはがれ落ちるようになっているのは、樹皮に規制する害虫への防御と考えられているみたい。
なんかペリペリしていてはがすのも楽しそうだけど・・・。

プラタナスは落葉広葉樹なので、その大きな葉が秋にさしかかるとはらはらと落ちるのだ。きれいに紅葉するわけではなく、葉が落ちるだけなんだけど、その落ち葉が道を覆い尽くす風景は一つの風物詩になっているよ。
フランスの場合は8月になるともう葉が落ち始めるんだよね。
国内だと、新宿御苑の仏式庭園のプラタナス並木が有名かな。
秋バラが終わると葉が落ち始めて、枯れ葉の絨毯ができあがるのだ。
日本にいたときはどこか西洋風でおしゃれなイメージだったけど、パリではどこでも見られるような当たり前のものなんだよね。
観光で来るときれいだなぁ、と思うけど、もう慣れちゃった(笑)
それよりも、夏場に日陰を提供してくれるのがとにかくありがたい。