2021/12/25

石にてこ入れ

全国宝石卸商協同組合が63年ぶりに「誕生石」を改訂したようなのだ。
もともと米国の宝石商組合が定めたものに、日本らしい珊瑚や翡翠を1958年(昭和33年)に制定したのがはじまりなんだって。
その後、他の団体も独自に導入していったため、宝飾関係の業界全体で統一されておらず、消費者の混乱を招いていたので、全国宝石卸商協同組合が日本ジュエリー協会と山梨県水晶宝飾協同組合の賛同を得て改訂したんだそうだよ。
ちなみに、他の国でも米国版をオリジナルとしつつ、いろいろ足したりしているそうで、世界的に統一されてはいないようなのだ。

現在の誕生石の一覧は次のとおり(【 】が今回追加されたもの)。
1月: ガーネット
2月: アメシスト、【クリソベル・キャッツアイ(猫目石)】
3月: アクアマリン、珊瑚、【ブラッドストーン】、【アイオライト】
4月: ダイヤモンド、【モルガナイト】
5月: エメラルド、翡翠
6月: 真珠、ムーンストーン、【アレキサンドライト】
7月: ルビー、【スフェーン】
8月: ペリドット、サードニクス、【スピネル】
9月: サファイア、【クンツァイト】
10月: オパール、トルマリン
11月: トパーズ、シトリン
12月: トルコ石、ラピス・ラズリ、【ジルコン】、【タンザナイト】

今回追加されたものにはいくつか類型があって、アレキサンドライトやスピネル、タンザナイト、ジルコンなどは米国で採用されているものの追認。
日本独自に追加したのは、猫目石、生尾ライト、モルガナイト、スフェーン、クンツァイトの5つ。
なんとk、2月の猫目石は、2月22日が9「猫の日」だからだって!
残りのブラッドストーンは、公式発表資料に「歴史的背景も考慮し」とあるんだけど、これがよくわからないんだよなぁ・・・。

ボクが断然注目しているのは8月。
だって、8月生まれだから。
これまではペリドットとかサードニクスとか、いまいち地味だったんだよね。
しかも、お値段もかなりリーズナブルな部類。
そこに「スピネル」が入ってきたのだ。
あまりなじみのない名前の宝石だけど、わりと高級なものなんだって。

化学組成は MgAl2O4で、ここに微量のクロムが混ざると赤く発色するのだ。
少ないとピンク、多いと真っ赤。
特に赤くて透明度の高いものが高級で「レッド・スピネル」と呼ばれるのだ。
ミャンマー産が多いらしいよ。
で、このレッド・スピネルは長らくルビーと混同されていて、英国王室の戴冠式に使われる「黒太子のルビー」は実はレッド・スピネルで、あそこまで大きくて発色がよいものはめちゃくちゃお高いよ。
(小さなものは「ルビーの偽物」的な見方をされて、希少な宝石なんだけど価格があまりあがらなかった歴史的経緯があるようだけど。)
これはエドワード黒太子が入手した宝石なのでその名前があるんだけど、赤くてきれいな宝石なのでルビーとされてきたのだ。
後世になってスピネルであることがわかったんだって。
それでも、世間一般では「スピネル」という宝石名称はまだまだ一般的でないし、すでに有名になってしまっているので名前は変わらないみたい。

ルビーと混同されるのだけど、ルビーはコランダムと呼ばれる酸化アルミニウム(Al2O3)の結晶のうち、微量にクロムを吹くんで赤を呈色しているもの。
スピネルではアルミニウムだけでなくてマグネシウムも混ざっているんだよね。
で、ルビーのモース硬度は9.0だけど、マグネシウムが入っている分スピネルは少し柔らかくて、モース硬度は7.5~8.0なのだ。
それだけ傷つきやすいので扱いは注意しなきゃいけないんだよね。

2021/12/18

八百八島

 最近知ったんだけど、日本国内の島の数って、政府の公式見解と各自治体が発表している数字で違いがあるそうなのだ。
政府は、昭和62年(1987年)に実施した海上保安庁の調査で「6,852」としているんだよね。
戦後すぐにGHQの指示で海上保安庁が調べたときは2,394あまりで、その後、トカラ列島、奄美群島、小笠原諸島、沖縄の変換に伴って数は増え、昭和44年(1969年)には「3,922」になっていたんだって。
そこからするとけっこう数が増えているんだよね。
でも、この数字は内訳がなく、どの島を数えているか不明だったので、昭和62年に改めてきちんと基準を設定して数え尚したわけ。
この時の基準が、「周囲0.1km以上の陸地」というもの。

一方で、政府ではないところが数えたものとしては、昭和57年(1982年)に財団法人日本離島センターが数えたもので「4,917」というのもあるのだ。
これは地図上で「島」とか「礁」とか「岩」とか固有名詞がついている水に囲まれた陸地を規模に関係なく数えたもの。
当然数え方が違うので数も違うんだよね。
これは大きな陸地でも名前がついていないと数えないし、本当に小さな陸地でも名前さえついていれば数えてしまうので、ちょっと怪しい数字ではあるのだ。

で、各都道府県は自らの治世情報として島の数なんかを公表しているんだけど、それを単純に合計すると、このどの数字にも当てはまらないそうな・・・。
ようは、地方自治体はさらに独自の数え方をしているというわけ!
昭和62年の調査についてはどの島を数えているかがわかっているので、政府としては自治体に政府公式見解に合わせるよう要請はするんだろうけど、周囲1km以上くらいだと、海中の大きな岩みたいなものもあるわけで、自治体としてはそういうのを「無人島」というのははばかられるんだろうな、とは想像できるよね。
とはいえ、我が国の領土の「島」であるかどうかで、領海の範囲や排他的経済水域(EEZ)の広さが変わってくるので、けっこう重要。
内海はどうでもいいのかもしれないけど、外海についてはけっこうシビアだよ。
沖ノ鳥島は「岩礁」なんじゃないかなんてクレームが出ることもあるけど、あそこが領土としての「島」なのか、「岩礁」なのかでEEZの広がりがかなり変わってくるんだよね。
そりゃあ、狭めたいと思っている勢力から見れば邪魔でしかない(笑)

ちなみに、日本国内だ最大の島は、当然「本州」。
日本人の多くは「島」という認識ではないけどね。
世界的に見ても第7位の大きさの島だよ。
次いで、北海道、九州、四国、となるんだけど、その次は択捉、国後となって、さらにその次が沖縄。
つまり、北方領土のあるなしでけっこう領土の広さに影響が出てくるわけ。
これは北方領土問題が大きな問題であることがよくイメージできる数字だよね。

一般的な、大きな陸の塊が「大陸」、小さな陸の塊が「島」で、最小の大陸は豪州、最大の島はグリーンランドとなっているんだ。
グリーンランドは豪州の1/3~1/4くらいの大きさなので、そこまで大きな差があるわけではないんだよね。
ただし、第2位のニューギニアになるとそこからさらに1/3くらいなので、グリーンランドを除けば、桁一つ落ちるくらいには大きさの差はあるのだ。
でも、これってイメージ的なもので、実際の定義としては使えないので、国際的には、国連海洋法条約(UNCLOS)の基準で判断されるよ。
3つの基準があって、
①自然に形成された陸地であること(=埋め立て地ではない)
②水に囲まれていること(=琵琶湖の竹生島のように湖の中の陸地もOK)
③高潮時に水没しないこと(=常に水面に出ている陸地がある)
となっているのだ。

我が国の沖ノ鳥島が一部の国から問題視されるのは、消波ブロックなどを設置し、波浪による侵食によって満潮時に水没しないようにしているから。
放って置いたら水に沈むんだからもはや「島」ではないだろう、ってことなんだけど、EEZのこととかを考えると、断固確保すべき領土なんだよね。
似たような名前の南鳥島は海山の山頂部が水面に出ている島なのでそういう心配が全くないんだけど。

2021/12/11

ヤーレンソーラン

北海道のソーラン節と言えば、かつて栄えていたニシン漁の歌。
江戸時代は東北地方の日本海側でもたくさんとれたらしいけど、明治・大正の頃にはとれなくなり、漁場が北上していたのだ。
そして、北海道ではよくとれるようになり、一大産業になったんだよね。
今でもそのときの栄華を伝える「鰊御殿」なんかが残っているけど、そこまで儲かるのか、とびっくりするようなものだよ。
今ではニシンというとお正月の昆布巻きと数の子くらいのイメージしかないけどね。

ニシンは近海で大量にとれる魚だったので、貴重な水産資源だったんだよね。
とはいえ、冷凍技術なんかない時代は別の方法で保存する必要があったのだ。
それが「身欠きニシン」。
ニシンの干物なんだけど、アジの干物なんかとは違って、水で戻してから食べることが多いのだ。
戻すと身が崩れやすくなるので、「身欠き」と言うのだ。
ニシンは脂がのっていることもあり、米のとぎ汁に一晩つけて戻すというのが一般的だよ。
米ぬかは天然の界面活性剤で、余計な脂分を吸い取ってくれるのだ。
特に、表面にある脂分は酸化・劣化していて臭みのもとになっているので、臭み消しにもなるわけ。

戻した身欠きニシンは甘く煮付けて甘露煮にしたり、煮物にしたりするのだ。
甘露煮にしたものをそばの上にのせれば、京都名物のにしんそば。
煮物の場合も、京都のおばんざいの「にしんなす」が有名だよね。
もともとニシンは卵巣(=数の子)や精巣(=白子)が大きいのだけど、それを守るために小骨が多いんだよね。
なので、新鮮なうちなら刺身もあるし、そのまま焼いて食べることもあるんだけど、この骨が邪魔になるのだ。
干してから水で戻して煮てしまうことで、骨を柔らかくして食べやすくする、というのがあるのだ。

ちなみに、欧州でもよくニシンを食べるけど、こっちは少し種類が違うセイヨウニシン。
やはり北の寒い海に住んでいるんだけど、やはり骨が気になるので、若いうち(卵巣や精巣が発達する前)に酢漬けにして食べるのだ。
それがハーリング。
臭みがあるのでタマネギのような香味野菜やハーブと一緒に食べることが多いよね。
ピクルスを中心にして巻くとロールモップスという料理になるよ。
大きいニシンは燻製にするんだけど、これはキッパー。

多くの場合、エラと内臓を取り除いてから濃い塩水につけてから加工するんだけど、この過程で身の表面が赤くなるんだよね。
なので「赤いニシン」とも呼ばれるみたい。
これはかなり臭気が強いことでも有名なんだよ。

で、洋の東西を問わずにニシンはよく食べられているんだけど、北海道で一番多くとれていた時代は、別の使い道もあったのだ。
それが魚油を搾り取るのと、その絞りかす(鰊粕)を肥料にすること。
江戸時代からイワシなどから行灯用の魚油を搾り取り、その絞りかすを肥料(金肥)にしていたけど、全く同じようなことをするのだ。
当時は生物由来の油が基本で、魚油が安かったんだよね(もちろん、灯火の燃料に使うと独特のにおいがするのだけど。)。
米国もランタンの円了として鯨油をとっていたので、海産物由来の油というのはその当時はわりとメジャーだったのだ。
ニシンも大量にとれたので、そういう加工品に向いていたんだろうね。

しかし、昭和になる頃には北海道でもとれなくなってきて、戦後すぐにニシン漁は廃れていくことになるのだ。
とれなくなった原因ははっきりしないのだけど、どこでもとれなくなったわけではないので、乱獲というよりも、海流の変化とかそういう環境の変化ではないかとみられているようだよ。
ま、そういう状況でも日本においてもしっかりと食文化は残ったわけなのだ。
でも、シシャモ同様、すでに国産ニシンは希少で、輸入物が増えているんだよね・・・。
本来は食文化は時代の変化とともに変わっていくものなんだろうけど、物流が発達して輸入できるようになったので、複雑になってきているね。
未来に人たちがこういうのを研究するときは大変だろうなぁ。

2021/12/04

置くだけで邪気退散、病気平癒の御利益

 最近ネットの情報で知ったんだけど、すごいものがあるのだ。
その名は、「テスラ缶」。
価格はナント250万円もするんだけど、ベッドの近くに置いておくだけで、がんなどの病気が治ったり、欠けた歯が再生したり、いやなほくろが消えたりするんだって!
これが本当なら250万円でも高くないよね。
本当なら・・・。

「テスラ」とはついているけど、ペイパルのイーロン・マスクさんが起こした電気自動車のテスラ社とはなんお関わりもないのだ。
でも、なんとなくそのすごい技術力と関係あるかも、と「勝手に」思ってしまう人が多いみたい・・・。
この缶はまったくの謎で、中を明けると効力がなくなると言われていて、決して中身を出そうとしてはいけないのだ。
なので、なんでこれが有効なのかは完全なブラック・ボックス。
まさにオカルト(=「秘されたもの」)そのものだよね。

で、けっこう信者(?)の人が多くて、ツイッターなどで「テスラ缶のおかげでがんが治りました」みたいな情報が流れているんだよね。
一部のあやしいインフルエンサーが積極的に広めようとしているのもあるようだけど、それはどちらかというとステマに近いものだね。
そして、EM菌と放射脳の親和性が高かったように、テスラ缶と反ワクチン派は相性がいいようで、現代の医療技術を否定し、こっちの方が安全でいい、と騒いでいるようなのだ。
本人がそう思っているだけならなんだかなぁ、なんだけど、これに踊らされてしまう人もいるので見過ごせないんだよね。

これも本当にそういう人がいたのかどうかは不確実だけど、病院でのがん治療(抗がん剤や放射線)をやめてテスラ缶にすがった結果、37歳の若さでなくなった男性の奥さん、と言う人のツイートが広まっているのだ。
その流れではっと気づいたんだけど、現代医療のがん治療って、抗がん剤にしても放射線にしても、副作用がかなり強く、つらいものなんだよね・・・。
で、このテスラ缶の場合は、ベッド脇に置くだけ。
実際に治ったという声もある。
ということで、ただでさえ病気で心が弱っているので、現実逃避的にふらふらっと頼ってしまうようなのだ。
長い時間とお金をかけて化学的に積み上げてきた医療技術を信じず、見ず知らずの人の本当か嘘かもわからない匿名のツイートを信じてしまうのだ・・・。
むかしからがんなどのなかなか治らない病気につけこむあやしいものはたくさんあったけど(古くはアガリクスなんかがそう)、これもそれと同じだね。
身近にいるといたたまれなくなる(>_<)

で、このテスラ缶が全くの謎かというと、実は事態はさらに展開してきているのだ。
テスラ缶をあやまって落とした人がいて、中身が出てしまった、という報告が出てきたんだよね。
その結果、そのテスラ缶は効果がなくなってしまったのでまた買います、という話になったんだけど、その人はせっかくだからと中を分解したのだ。
すると、出てきたのはどう見てもただのセメント・・・。
この情報で三つどもえの争いが起きたのだ。

第一勢力は、ただのセメントに見えてもこれは何か特殊な鉱石を含むもので、缶の外に出してしまうと効果がなくなる、だからきちんとテスラ缶を正規で買うべき、という敬虔な信者。
第二勢力は、こんな中身なら自作できるんじゃね、試しにパワーストーンとかいろいろ自分で工夫して作ってみたら効果が出た、というDIY系信者。
もともと偽薬(プラセボ)効果なので、確かに「イワシの頭も信心から」で、信じるものは救われるのかも。
そして、第三勢力は、ひょっとしてこれってウソなのか、だまされてたのか、と気づいてしまった人たち。
ヘレン・ケラーの「water」のごとき「悟り」があったのだ。

で、居間はこの人達がネットで論争しているんだって。
このテスラ缶を輸入販売している業者は一生懸命第一勢力を支援しているみたい。
だって、勝手に作られたら売り上げが激減だから。
実際に前よりは売れなくなっているみたい。
それにしても、地獄絵図のような恐ろしい世界だ。

2021/11/27

アゲアゲ↑

 「マツコの知らない世界」で油揚げを取り上げていたのだ。
ボクはむかしから豆腐が好きなんだけど、揚げも好きなんだよねぇ。
汁物の具にしてもよいし、かりっと焼いてもおいしいし。
何より、いなり寿司は子供の時から好物なのだ。
で、そこで知ったんだけど、油揚げは豆腐の薄切りをただ揚げたものではないのだ!

水分が多い豆腐をそのまま油で揚げると、いわゆる「厚揚げ」のようになるんだよね。
つまり、中心に豆腐的なしっとりした部分が残るのだ。
油揚げのようなスポンジ状にはならないわけ。
厚揚げは逆にそこがよいのだけど、どんなに薄く切っても、普通の豆腐を揚げている限りは薄い厚揚げ(?)になってしまうみたいだよ。
では、油揚げは何を揚げているのか?

答えは、よく水を切ってかたくした特別な豆腐。
豆腐屋さんでも油揚げ用に別に作っているんだって。
かために作った豆腐に重しをしてさらに水気を絞り、原料大豆の2倍くらいの重さにするらしいよ。
普通に食べている豆腐は水分量が80~90%くらいらしいので、相当水抜きをしているよね。
で、こうして硬く作った原料豆腐を薄切りにし、低温と高温の油で二度揚げするのだ。
はじめは低温の油で膨らませ、それを高温の油に移して表面をかりっとさせるんだって。
低温の油の中では、原料豆腐の中野水分が蒸発するときに細かい空隙ができてスポンジ状、軽石のような多孔質の構造になるのだ。
そのままにしておくとしぼんでしまうので、高温の油で揚げることで表面のタンパク質を熱変性させて穴をふさぎ、しぼまないようにするそうだよ。
なかなか理にかなっている製法なのだ。

もともとはがんもどき・飛竜頭と同じように、室町時代に精進料理の中で生み出された食材のようなんだけど、まだその当時は食用油が高級品なので、庶民が食べるようなものではなかったんだって。
油揚げや厚揚げが一般的になるのは江戸中期くらいから。
この頃には菜種油やごま油が比較的安価に手に入るようになったので、「揚げる」という調理法が一般化するのだ。
宗教上の理由で肉食がおおっぴらにできず、かといって、近海・沿海でしか漁業はできないので魚もそこまで多くとれないので、大豆食品は江戸庶民にとって非常に貴重なタンパク源だったのだ。
豆腐や納豆はそれこそ毎日のように食べられていて、そこに、バリエーションとしてあげたものである油揚げや厚揚げが加わるわけ。

厚揚げは煮物なんかの具材に使われていたようだけど、当時の居酒屋では七輪で表面を改めて焼いて、ネギを添えて出す「竹虎」、大根おろしを添えて出す「雪虎」として手軽なおつまみになっていたようだよ。
焼いたときに網目の焦げがつくところが虎縞になるから。
油揚げの方は汁物の具にするほか、スポンジ状の内部構造を生かし、中を開いて袋状にし、そこに具を詰める、という調理法も生まれたのだ。
その代表例がいなり寿司。
もともと飛竜頭は豆腐をつぶして作った記事で具材をまんじゅうのように包んで揚げた料理だったそうで、そういうところにもヒントがあったのかも。

そして、油揚げにつきものなのキツネ。
濃い味付けで甘辛くにた油揚げののったうどんやそばは「きつね」だよね。
油揚げとネギを卵でとじて白飯の上にのせたものを信太(しのだ)丼と言うけど、これは「葛の葉」伝説にもとづくもの。
阿倍保名(あべのやすな)が信太の森で白虎である葛の葉と夫婦になってできた子供こそが安倍晴明その人、という伝説で、人形浄瑠璃や歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」はこの伝説を下敷きにしたものなのだ。
なので、やっぱりキツネが関係しているんだよね。

なぜキツネと油揚げが結びつけられるかには諸説あるようだけど、キツネは収穫した米を荒らすネズミを食べてくれる動物なので神聖視されていて、稲荷神の神使とも考えられているのだ。
で、キツネの好物はネズミ、しかも、油で揚げたネズミという話になっていくのだけど、ネズミをそのまま備えるわけにもいかないので、代わりに油揚げにしたとか言われているのだ。
ちなみに、本物のキツネは油揚げが好きなわけではないし、あげれば食べないことはないんだろうけど、喜ぶわけでもないようなのだ。

稲荷神は密教の「荼枳尼天(だきにてん)」と同一視されるけど、多くの場合、この荼枳尼天は白虎にのった姿で描かれるのだ。
本場のインドではジャッカル(野干)と一緒に描かれるのだけど、中国にはジャッカルがいないので、代わりに似ているキツネになったみたい。
それが日本にも伝わっているのだ。
この荼枳尼天はもともと死肉を食べると言われる鬼女で、同じように屍肉をあさるジャッカルと関連づけられたところから一緒に描かれるようになったみたい。
それがキツネに変わったおかげで、米をネズミから守ってくれる農耕の神様になっているのだ。

2021/11/20

酸化で劣化

けっこうレバーって好きなんだけど、ちゃんと下処理していないやつはなんか臭みがあるよね。
血なまぐさいというのもあるけど、そうではない独特の臭みが。
それは、レバーに豊富に含まれる脂肪酸が酸化されることによって出てくるもののようなのだ。
中高齢者のいやなにおいと言われる「加齢臭」も皮脂が微生物により酸化されて出てくる物質が原因なんだよね。
たいていの場合、脂は酸化されるとくさくなってくるのだ。

レバーの場合、中に含まれる不飽和脂肪酸のアラキドン酸が、血液の中に含まれる鉄イオンが触媒となって酸化されてしまうのだ。
なので、レバーの臭み取りには「血抜き」が重要。
臭みができるのをできるだけ回避するわけだね。
牛乳につけるのは、すでにできてしまった臭み成分を牛乳中の粒子成分(乳タンパクや乳脂肪)に吸着させて除去指定るんだよ。
これらの粒子は表面がでこぼこで、そこににおいのもととなる成分がくっつくのだ。
さらに、ショウガやハーブなどにより、より強い風味でごまかす、というのもやるんだよね。
いわゆる「ベルサイユ方式」で、よりにおいの強いものでごまかす、マスキングという手法なのだ。

なので、レバーをおいしく食べるためには、調理前にしっかりと血抜きをする。
ちょっと鮮度の落ちているものはすでに臭み成分ができているので、牛乳につけてその臭み成分を取り除く。
取り切れない分はショウガなどのにおいの強いものでごまかす。
という三段階方式になるよ。
どれか一つをすればいいというわけでもなく、それぞれ原理が違うので、組み合わせが大事なのだ。


油脂が酸化して品質が落ちるのは一般的なことで、俗に「酸敗」と呼ばれる現象。
炭素鎖の中に二重結合のない飽和脂肪酸は酸化されにくいんだけど、二重結合を持つ不飽和脂肪酸は、その二重結合のところに酸素が結合しやすくて、酸化されやすいのだ。
でも、いわゆる「必須脂肪酸」はみな不飽和脂肪酸なので、ヒトは摂取しなければいけないという宿命もあるんだよね。
ビタミンE(トコフェロール)のような脂溶性の酸化防止剤を使うこともあるけど、大事なのは、しっかり遮光すること。
食用油の場合、肝臓で起こっているような金属イオンが触媒となって酸化が起こることは少ないのだ。
というのも、金属員は基本的には水溶液の中に存在しているけど、食用油の中にはほとんど水は存在していないので、作用しようがないのだ。
では、なぜ酸化が起こるのかというと、紫外線が悪さをしているんだよね。

酸素の存在下で不飽和脂肪酸の二重結合炭素のところに紫外線が当たると、二重結合の一本がきれて、不対電子(ラジカル)ができるのだ、
ここに酸素がやってくると、二つの酸素原子が炭素鎖に結合した「過酸化脂質」というおのができあがるよ。
ところが、これは非常に不安定なので、徐々に分解していくんだけど、そのときに、臭気物質であるアルデヒドやケトンが発生するんだよね。
これが「自動酸化」と呼ばれるもので、空気にさらしておくだけで起こってしまうんだ!
現象的には、火は出ていないけどゆっくりゆっくりと油が燃焼して言っている状態だよ。
実際に酸化熱という形で発熱もしていて、場合によっては自然発火現象も起きたりするのだ。
なので、窒素充填とかで酸素を排除して、さらに光をあまり通さない容れ物に入れておきでもしないと、使わなくてもどんどん油は劣化してしまうのだ。

そして、この酸化反応は熱により促進されるんだよね。
なので、加熱されうると劣化が早いのだ。
揚げ油を使い続けると劣化していくのはこのため。
さっき見た反応でいやなにおいが出てくるんだよね。
これが悪い油を使った揚げ物のいやなにおい。
そして、過酸化脂質はより低分子のアルデヒドやケトンに分解されるだけでなく、となりの過酸化脂質と重合してより高分子になることもあるのだ。
重合した脂質は黄色~褐色に着色し、粘度も高くなるんだ。
換気扇のしつこい油汚れがそれ。
質の悪い揚げ物の色が悪くなって油ぎれが悪いのもこれだよ。

2021/11/13

舶来のマネー

 ひさしぶりに紙幣が新しくなるよね。
今度の1万円札は、日本近代経済の父・渋沢栄一翁なのだ。
女性枠となっている5千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎だよ。
これらの新紙幣は2024年度上期からの発行を目指しているそうなんだけど、実は、すでに新しくなっているお金があるのだ。
それが500円硬貨。
海外の硬貨のように今回から金に縁取りされた銀色で2色になるよ。
こちらはもう11月から出回っているのだ。そのうち見かけるはずなのだ。
日本は世界的にも紙幣・貨幣の技術が高いんだけど、それでも時間が経つと偽造されるリスクが高くなるんだよね。
なので、ある程度時間が経ったところで新しくする必要があるのだ。

ところが、過去の日本においては、偽造防止とはまた違った観点で「改鋳」が行われていたんだ。
それは、貴金属の含有量の低減・・・。
当時は紙幣なんていうバーチャルなお金は存在していなくて、貨幣そのもの自体に価値がることが重要だったのだ。
なので、金銀銅などの貴重な金属で通貨を鋳造していたんだよね。
で、政府が財政難に陥ったとき、流通している通貨の「質」を下げる、と言うことをしていたんだ。
同じ量の貴金属で流通する通貨の量だけを増やそうという作戦。

これは紙幣の刷りすぎでも同じなんだけど、こういうことをするとけっきょくは通貨自体の価値が落ちてしまって、名目上は物価が上がってインフレが起こるのだ。
江戸時代の改鋳はたいてい不評で、かなり質の悪い小判もあるんだよね。
平安時代の場合、ar¥田らしい通貨ができると、1000%のでのみが行われ、前に流通していた通貨の価値が強制的に1/100にされていたようなのだ。
そうすると、通貨を発行する側としてはいいけど、「貯金」を指定ティとカラするとたまったものじゃないよね(>_<)
さらに、当時の通貨は主として銅銭だけど、そもそも当時の経済活動を支えるだけの通貨を製造できるほどの銅の生産量がなかったのだ・・・。
結果として、新しい通貨は名目上の価値は高いのだけど、銅の質は悪い、という最悪の事態に。
こういうのが続いて、平安時代後期には独自の通貨の発行がなくなってしまうんだよね。
実際に流通していたかどうかがよくわからない、最古の富本銭は別として、時の朝廷が流通させるために鋳造した通貨は、和同開珎から乾元大宝まで12種類あったわけだけど(皇朝十二銭)、そこで打ち止めになるのだ。

そうなると、物々交換の世界に戻らないといけないんだけど、すでに商取引・経済活動はかなり発達していたので、そういうわけにもいかなかったのだ。
そこで使われるのが、中国や朝鮮から輸入されたお金。
つまり、渡来銭だよ。
すでに見たように皇朝十二銭は質が悪いので、その頃から密かに使われていたらしいけど、正式に朝廷発行のお金がなくなれば大手を振って使えるわけ(笑)
日本からは生糸や海産物の干物なんかを輸出し、銅銭を輸入していたのだ!
宋銭や明銭などが有名だよね。

ジンバブエでは政府が発行したジンバブエドルの信頼が地に落ちてハイパーインフラが起きた結果、ジンバブエドルの価値はすでになくなり、代わりの米ドルが通貨として使われるようになったことがあるよね。
あのとき、1兆ジンバブエドル札だ、とかなんとか画像が話題になって日本では面白おかしく紹介されていたけど、実は同じようなことが古代日本では起こっていたのだ。
朝廷が発行した通貨を捨てて、中国の貨幣を代わりに使っていたわけだからね。

で、公式に為政者が貨幣を再び発行するようになるのは江戸時代。
幕府が穴あき銭の銅貨を鋳造したのだ。
銭形平次の投げる寛永通宝が特に有名だよね。
これは江戸時代を通じて広く流通したのだ。
小額通貨はそれでよいのだけど、高額通貨については、上方や地方では主に銀貨(一分銀、二朱銀など)が、江戸では主に金貨(いわゆる大判小判)が用いられたよ。
銀貨の場合は、額面が決まっている銀貨もあれば、秤量して重さで価値が決まるものもあって、そっちの方が流通させるには便利だったみたい。

今は通貨の価値はその素材ではなく、発行している国の信頼度に依存するけど、逆にいうと、その発行国の信頼がなくなれば、通貨の価値も下がったり、取引停止になったりするわけだよね。
ソ連崩壊時にルーブルがハイパーインフレを起こした例もあるのだ。
そのため、国際商取引では「基軸通貨」と呼ばれる、国際取引において決済可能な通貨が決まっているのだ。
かつては英ポンド、米ドル、今は日本円やEUのユーロもそうだよね。
つまり、国内の経済活動は別としても、元代のようにグローバルな経済活動が行われる場合、けっきょく多くの国は他国の通貨で取引をせざるを得なくなっているのだ。
そう考えると、だったら自国発行通貨を持たずに、グローバル通貨を使わせてもらうっていうのもありだよね。
その考えがいきつくと、ビットコインのような仮想通貨になっていくんだけどね。

2021/11/06

バード・フェスティバル

 緊急事態宣言が明けて、さっそくハロウィンの渋谷は大変な混雑だったようなのだ。
そういう瞬間的なイベントに限らず、各行楽地にも人が戻ってきているようだね。
昨年のGoToの二の舞にならぬよう、感染対策をしっかりした上で出かけるべきだとは思うけど。
そんな中、東京では次の大きなイベントとして、「酉の市」が控えているのだ。
11月の酉に日に開かれるお祭りで、2回又は3回夜通し市が立って盛り上がるのだ。
「福をかき込む」と言われる縁起物の熊手が有名だよね。
商売繁盛を願うものだよ。
お仕事を増やしたくはないけど、ボクも浅草の鷲神社、目黒の大鳥神社、新宿の花園神社などでいただいたことがあるよ。
ちなみに、今年は11月の9日が一の酉、21日が二の酉だよ。

いわゆる「オオトリ神社」は天日鷲命(あめのひわしのみこと)をまつる神社。
この神様は、天照大神が天岩戸にお隠れになった際、天鈿女命の舞に合わせて楽器を奏でていた神様。
天手力男命が岩とを明けた際にその楽器の弦の先に大きな鷲が止まったので、この鷲こそは世の中を明るくする吉祥だということになり、「天日鷲」という名前になったんだとか。
その本じゃと言われているのが、埼玉県の鷲宮神社。
そう、らきすたのあの神社だよ。

しかしながら、酉の市の発祥は足立区花畑の大鷲(おおとり)神社と言われているよ。
もともとは、日本武尊の東征の折、埼玉の鷲宮神社で戦勝を祈願し、無事戦に勝った後、足立区の大鷲神社の地で戦勝を祝ったとか言われているんだ。
11月なのは、日本武尊が亡くなったのが11月の酉の日だったとか、先勝を祝したのが11月の酉の日だった、とかいう話になっているよ。
でも、この足立区の大鷲神社は実は平安時代の創建で、日本武尊ではなく、八幡太郎義家公の東征の折(後三年の役)、弟の新羅三郎義光公がこの地で戦勝を祈願した際に大きな鷲を見かけ、これぞ瑞祥とまつったのが始まりとされるよ。
江戸時代は「鷲明神」という名前で、どちらかというと八幡系の神社だったみたい。
なぜか明治期以降に祭神に日本武尊が加わり、ずいぶんと時代をさかのぼった戦勝祈願の話に変わったのだ。

どうも、もともとはこの土地の収穫祭として行われていたのが「酉の市」の起源で、この大鷲神社がある当たりは綾瀬川があって水運城便利でものが集まること、江戸郊外で日帰りで遊びに出かけられることなどから、江戸庶民の行楽先として人気が出て盛り上がったようなのだ。
江戸名所図会にも紹介されているほどなので、かなり有名な遊楽地だよ。
でも、江戸中期の安永年間のころ、辻賭博が盛大に開かれたことが幕府に問題視され、禁止令が出たので徐々に衰退していくのだ・・・。
どうしても人が集まると治安が悪くなるんだよね(>_<)

この足立の酉の市では、近隣王民が神社に生きた鶏を奉納し、祭が終わった後に浅草観音堂前で放つ、という行事があったのだ。
そのつながりがあったからなのか、江戸後期になると酉の市の中心は浅草に移っていくよ。
浅草の鷲神社はちょうど新吉原遊郭の裏手。
もともと人出が多いところなので、治安もこれ以上悪くなりようがないんだよね(笑)
何もなくても人の集まるところなのでここが一大メッカとなり、それにあやかろうと江戸周辺のオオトリ神社でも同じような酉の市が立つことになったようだよ。
新宿の花園神社は内藤新宿のそう鎮守で、やはり岡場所で有名なところ。
常に人が集まるので、ここも大きな酉の市になるのだ。
目黒は、「目黒のサンマ」で将軍が鷹狩りをしていたように当時は農村地帯。
でも、目黒不動瀧泉寺はやはり人気のある行楽地だったんだよね。
自然と人が集まるので、いつしかその近くにある大鳥神社の酉の市も賑わうようになるのだ。
こうして、足立で始まった酉の市が浅草で大きくなり、江戸周辺に広がっていったというわけ。

去年はコロナの影響もあってひっそりしたものだったけど、例年浅草や新宿の酉の市はすっごい人出なんだよね。
周辺の道は大渋滞!
はてさて、今年はどうなるやら。
楽しいのは楽しいけど、まだちょっとこわいよなぁ。

2021/10/30

ダブルチャンスにかけろ

もうすぐ約4年ぶりとなる衆議院総選挙。
今回はほぼ任期満了までやっていたのか。
コロナ禍は落ち着いてきているし、コロナ対応の関係もあってけっこう政治への関心も高まっているから、投票率は上がるかな?
今回は、令和に変わってから最初の総選挙で、かつ、21世紀生まれの人が初めて投票できる総選挙なんだって。
いろいろと注目の選挙なわけだよね。

ボクが常々衆議院総選挙で不思議に思っているのは、「比例復活当選」という制度。
なんだかくじの「ダブルチャンス」みたいだけど、選挙区で落選したのに議員になれちゃうの?、というところが引っかかるのだ。
もともとはいかに「一票の格差をなくすか」というところから出発してたどり着いた結論なんだけどね。
俗に、小選挙区で当選した人が「金バッジ」、比例復活当選の人が「銀バッジ」、比例単独で当選した人が「同バッジ」なんて言われることもあるけど、やっぱり政治の世界でもなんらかの「格」のようには見られているんだよね。
ま、仕事をしてくれれば問題ないのかもだけど。

そのむかしは、中選挙区制というやつで、わりと大きめの選挙区で3~5名が当選する、というシステムだったんだよね。
この方式だと、一つの選挙区からは一人しか当選できない小選挙区制と比べて「一票の格差」は是正しやすいし、比較的少ない得票数で当選可能なので中小政党でも下位で当選できるという特徴があるのだ。
でも、同一政党内での「同士討ち」が発生する可能性があるので党内の派閥の力が強くなるとか、特定の団体の支持さえ取り付ければ当選しやすくなるので利益誘導に走りやすくなるとか乃問題点が指摘され、平成の政治改革でなくなったんだよね。

代わりに導入されることになったのが小選挙区制。
でも、全議員定数を小選挙区に振り分けようとすると、都道府県を越える選挙区設定をしなくてはいけないので、現実的ではないのだ。
仮に無理矢理やろうとすると、人口の少ない県(鳥取や島根)は一人の当選者も割り振れなくなってしまい、複数県でひとつの選挙区、みたいなことになってしまうんだ。
でも、選挙事務は地方自治体に下ろされていて、各都道府県選挙管理委員会が実施するので、そういう県境を越えるような選挙区の設定はできないのだ。
なので、どうしてもどの都道府県も最低一人は当選させることになるわけ。
そうすると、どうしても「一票の格差」が大きくなってしまうんだ。
つまり、議席数が480で47都道府県なので、単純平均してしまうと10議席くらいずつになるんだけど、人口ベースで格差がないように計算すると1議席あたり人口の2%になってしまうのだ。
でも、総人口の2%というと焼く240万人で、島根や鳥取は60万人をきっているので、1/4議席しかもらえなくなってしまうのだ・・・。

そこで小選挙区制と合わせて導入されたのが比例代表制。
参議院は全国ブロックだけど、衆議院の場合は地域ごとのブロックだよ。
個人個人が出馬するのではなくて、政党ごとに候補者名簿を提出してもらって、政党ごとの得票数に応じて議席を振り分けるのだ。
すべてを比例代表にしてしまうと少数政党が乱立しやすくなってしまって安定的な政権が立てづらい、というデメリットが出てくるのだけど、小選挙区制と組み合わせることで、それぞれのメリットを生かそうというコンセプトなんだよね。
でも、上で見たように、人口の少ない県はもともと1議席を持てないので、ただ単に比例代表と組み合わせるだけでは大きな格差の是正にはつながらないのだ。

そこでさらにひねり出されたのが、現在の制度。
小選挙区で立候補した人が比例代表にも重複して立候補できるようになっていて、かつ、その重複立候補者については、候補者名簿上同一順位で並べることができるようになっているのだ。
同一順位のままだと議席を割り振るときにどちらを優先するか、という問題が発生するのだけど、そこに「惜敗率」というう概念を使うのだ
これは、小選挙区で落選したとき、当選した人に対してどれだけの割合で得票できていたかを表す数字。
当選者が得票数100で、重複立候補している人が落選したときの得票数が80だった場合、惜敗率は80%。
同一順位の場合は、この惜敗率の数字の大きな人を優先させる、ということなのだ。
こうすることで、僅差で負けた人ほど復活当選しやすくなるので、小選挙区の大きな問題である「死に票」の問題が多少改善されるのだ。

都市部の小選挙区と田舎の小選挙区を比べた場合、同じ議席1の割合であっても当選に必要な得票数はけっこう違うんだよね。
これは「一票の格差」の裏返しな分けだけど、下手をすると、都市部で落選した人の方が田舎で当選した人より得票している場合があるのだ!
そうした場合でも、重複立候補していれば比例復活当選できるので、民意をより正確に反映できるのではないか、ということ。
そう考えると、確かに意味のある制度かもしれないよね。

でも、ここまで来るとさすがに制度が複雑すぎるよね・・・。
なので、中選挙区に戻すべき、という意見も根強くあるのだ。
その方が泡借りやすいよね。
とはいえ、この惜敗率を使った復活当選を含めると、1議席を割り当てられないような人口の少ない県の問題を考えると、格差は小さくなる傾向にあるのも確か。
なかなかこうへいな選挙制度というのは、政治的にだけじゃなく、数学的にも難しいものなのだ。

2021/10/23

上を下への大議論

 いきなり秋深まってきたのだ。
朝晩が寒い。
ついこの間まで暑いくらいでタオルケットだけでよかったのに、今ではお布団が必須だよね。
そして、それだけでは足らず、もう1枚くらい足したいところなのだ。
そこで出てくる問題が、「毛布は布団の上なのか下なのか」問題。
最近は「毛布は布団の上に掛けるのが正解」みたいのが広まってきているけど、実は、これはあまり性格ではないみたいなのだ。

調べてみると、一定の条件下ではこれは正しいのだけど、常に正しいというわけじゃないんだよね。
具体的に言えば、羽毛布団と化学繊維の毛布の場合は、布団の上に毛布がいいらいしのだ。
高級な羊毛の毛布なんかの場合はむしろ布団の下の方がいいらしいよ。
そして、そもそも羽毛布団じゃない場合、綿の布団の場合はどうするのがいのかあまり正解がないみたいなのだ・・・。
実験すればわかるようなものだし、ちょいちょい話題になるので誰かやっていても良さそうなんだけど、情報がないんだよね(笑)

この布団問題のポイントは、保温性と吸湿性みたい。
熱が逃げなければいいだけなら、それこそビニールシートでもかぶればいいわけだけど、それでは快適ではないんだよね。
なぜなら、人の体からは熱と一緒に蒸気も出ていて、その蒸気がこもると「蒸れる」から。
これが不快なので、ただただ保温性を高めるというのはだめなのだ。
吸湿性があって、出てきた蒸気はうまいこと外に出て行ってくれないといけないわけ。

化学繊維の毛布の場合、保温性は抜群なんだけど、吸湿性がないのだ。
洗濯するときにわかるけど、水を吸ってくれないんだよね。
そうなると、体の上に化学繊維の毛布を掛けると、熱とともに上記がこもることになるのだ。
さらにその上に布団が乗れば蒸れてしまうわけ。
逆に、羽毛布団は羽毛の間に多くの空気を含んでいて、これが断熱効果を発揮して保温性があるのだ。
でも、蒸気は通すので、吸湿性はあって蒸れない。
この上に化学繊維の毛布を乗せると、ちょっとずつ逃げていく熱が化学繊維の毛布にトラップされるので保温力が高まるのだ。
蒸気自体はいったん羽毛布団がいったん吸ってくれるので蒸れにくいのだ。
もちろん、羽毛布団の吸湿限界を超えるくらいの蒸気量だったり、長時間だったりすれば蒸れてくるけど、普通に人が寝ているくらいの場合には問題にならないみたい。
これが布団の上に毛布の仕組み。

では、なぜ羊毛の毛布だと布団の下がよいのか。
羊毛の毛布も羽毛布団と同じように保温性と吸湿性を併せ持つものなんだよね。
化学繊維のフリースは蒸れるけど、羊毛のセーターはさほど蒸れないのと同じ。
羊毛は繊維中に多くの空気を含むので、これが断熱効果を発揮するけど、蒸気は通すので蒸れにくいのだ。
そして、羊毛の場合、吸湿すると発熱する性質があるので蒸気があるとさらに保温力が高まる性質があるのだ。
なので、羊毛の毛布であれば布団の下にあった方がよいというわけ。

さて、では綿布団はどうするのがよいのか。
綿は、たくさんの空気を含むので断熱性は高いけど、吸湿性もあるんだけど、放湿性がないので、布団がじっとりと湿ってくるのだ。
これが不快の原因になるよ。
一方で、当然化学繊維よりは吸湿性はあるのだ。
なので、羽毛布団と同じように、羊毛の毛布なら布団の下、化学繊維の毛布なら布団の上がよいのだけど、羽毛布団と違って布団自体が重いからさらに何か乗せること自体が重苦しいんだよね。
というわけで、綿布団の場合は、むしろ寝間着を厚着した方がよいのだ(笑)

2021/10/16

超選抜のエリート

 最近かなり収まってきたけど、まだまだコロナが報道の話題の中心なのだ。
感染が治まってきた原因がよくわからないとか、第六波が来るとか来ないとか、ワクチンの3回目のブースター接種をやるとかやらないとか。
この1年半くらいの間でかなりウイルスに関する知識も深まった気がするよね。
でもでも、そんな中、ちょっと気になる表現があったのだ。
それは、「ウイルスが変異してこうなった」みたいな説明の仕方。

これはほ乳類を含む生物の進化でもそうなんだけど、こうなろう、こうなりたい、という目的の下に努力した結果が進化ではないのだ!
あくまでも変化は常に起こっていて、そのうち、生存競争に有利な変化は構成にも伝えられ、そうでないものは消えていくだけ。
これが自然選択、自然淘汰による適者生存。
たまたま現在の環境により適した変化を遂げたものが生き残る、という結果が積み重なったのが進化だよ。
キリンは高いところの葉っぱを食べるために首を伸ばしたのではなく、たまたま首が長くなった個体は他の動物が食べられない高いところにある葉っぱを食べられるようになり、生存競争上有利になったのだ。
なので、その形質を持つものが生き残り、キリンになったのだ。

ウイルスは生物ではないけど、基本的には同じ。
コロナウイルスのようなRNAウイルスは、遺伝情報の本体がDNAより不安定なRNAであることもあって、変異が入る確率は高いんだよね。
これは遺伝情報の複製におけるエラーで、確率的に起こることなんだけど、どこにどういう変異が入るかはまったくのランダム。
そもそもウイルスとしての形を保つことができなくなるような致死的な変異(例えば、カプセルタンパクが作れなくなる、逆転写酵素の活性がなくなるなど)もあれば、遺伝情報としては変異が入っているけどそれがタンパク質に翻訳されるときにはほぼ影響がないような変異(3つの核酸塩基によるコードとアミノ酸の対応は1:1ではないので、変異が入ってもアミノ酸レベルでは変化がない場合もあるし、アミノ酸1個が変わったところでタンパク質の機能には問題がない場合も多いのだ。)もあるよ。

こういう変異は複製されるたびに起こっているんだけど、少なくともウイルスの活性に大きな影響のないものだけが増殖していくのだ。
これがいわば第一次選抜。
まわりの環境に変化がなければこれだけなんだけど、実際にはまわりの環境も刻一刻と変化していくわけ。
季節が変われば気温・湿度が変わるし、人間はウイルスに対抗するためにワクチンとか開発するし。
で、変異が入った結果、従来以上に感染力が強くなったり、増殖能力が高くなったりするものが勢力を拡大していくんだよね。
これがウイルスの世代交代で、いわば第二次選抜。
デルタ株などの変異株もこうした第二次選抜を突破したもので、人間が一定の感染予防対策をした上でも感染力や増殖能力を発揮できるウイルスが勝ち残って蔓延しているのだ。
逆に言うと、これらの対策で防げるものは感染できない・増殖できないので消えていくわけ。


ほんの少しの飛沫にごく短時間接触しただけでも感染できるほど感染力が強くなったり、ワクチンにより獲得された抗体で無効化されなくなったりとかの、ウイルスにとって有利な変化が起こるような変異をしたものが残るというわけ。
いたちごっこになるわけだけど、じゃあ、いつまでたってもこれが終わらないかというと、実はそうでもないのだ。
どこかで収束するのだ。
それはなぜか?
それは、ウイルスは自分では増殖できないから。
ウイルスが増殖するためには、感染して宿主の中で増やしてもらわないといけないんだよね。
なので、十分いウイルスが増える前に宿主が死んでしまうほどの感染症状が出るようになってしまうなどの、強力になりすぎたウイルスはそれ以上増えなくなるのだ。
これが時々報道で言及される「自壊ルート」というやつ。
ウイルスが増えるためには人間との共生が必要なので、必要以上に人間にダメージを与えるようなウイルスは爆発的な感染にはなりにくいのだ。
そのまえに感染した人が死んでいってしまうから。

最初の頃にコロナウイルスが脅威とみられたのも、致死率はそれほど高くないけど感染力が強くてすぐに広まるから。
そして、最初期の脅威は、感染してからの潜伏期間が長く、自覚症状のないキャリアがウイルスを広めていたかもしれない、という事実。
自覚症状はなくても体の中でウイルスは確実に増殖していて、それが飛沫として外に放出されていた可能性は高いのだ。
一方で、変異に変異を重ねた結果、今現在はやっている変異株では、感染から発症までの感覚が短くなっているようで、無自覚にウイルスを広めてしまっている可能性が低くなっている可能性があるんだよね。
これは時間かけて統計学など目視して分析すべきだけど、これが本当だとすると、潜伏期間が短くなったというのはひとつの「自壊ルート」ということになるのだ。

で、この先またウイルスがぶり返すかどうかだけど、これはよくわからないんだよね。
ウイルスに起こる遺伝情報の変異は全くのランダムで、その結果として生じるウイルスの変化も未知数なので、なんとも言えないのだ。
感染力だけは強いけど発症してもたいしたことのないような、「ただの風邪」みたいになるかもしれないし、インフルエンザのように致死率の比較的高い、季節性のある流行感染症として定着する可能性もあるのだ。
今の時点で言えることは、これからどうなるかわからない以上はm当面はウイルス対策をそれなりに継続せざるを得ない、ということだね。
少なくとも、なぜ今世界中で感染が治まってきたのかがある程度わかってこないと、次打つべき手は見えてこないんじゃないかなぁ。

2021/10/09

免許がないっ!

最近警察が取り締まりを強化しているのもあるけど、よくテレビで「電動キックボード」の問題が取り上げられるのだ。
端的に言えば、電動式モーターがついたキックボードは、道路交通法上「原動機付自転車」に該当するので、法令上の義務を守りましょう、ということ。
つまり、「原チャ」と呼ばれるスクーターと同等の規制がかかるわけで、運転には免許が必要、ヘルメットの着用が義務、車両(キックボード)にはライト、ミラー、ブレーキがきちんと整備されていることが必要、ナンバープレートをとることが必要、自賠責保険の強制加入、などなど。
これを知らずに使っているといきなり「切符」を着られることになるよ。
テレビではすでに無免許・車両整備不良で切符を切られている人が映し出されたりしているのだ。

「原動機付自転車」については、道路交通法第2条第1項第10号で定義されていて、内閣府令(道路交通法施行規則)で規定する排気量又は出力以上の原動機がついている車で、軽車両や車いす、歩行補助車ではないもの、とされているのだ。
車いすや歩行補助車は障害のある方や高齢者が使うもので、いわゆる電動車いすとかシルバーカー(高齢者の手押し車)のこと。
軽車両が除外されているのは、電動アシスト付自転車をこの枠組みから外すためだよ。
あれは自転車と同じ扱いでよいのだ。
車両ではあるので本当は斜度を走らないといけなかったりするんだけど。

もともと自転車にエンジンのついたものは軽車両扱いで免許不要だったんだけど、昭和27年にホンダが「カブ」(小型オートバイのスーパーカブとは違って、自転車に後付けでエンジンをつけるキット)が販売される頃に大きく普及し、事故なども増えてきたので、規制されるようになったんだって。
そのときは14歳以上の許可制。
その後、昭和35年に道路交通法が施行される際、16歳以上を対象とする免許制に移行するのだ。
これが現在に続く原付免許。
速度は出ないけど低燃費で小回りがきくから、細い道が多かったりする日本の都市部では活躍したんだよね。
そういう経緯で交通安全を確保する観点で、免許や保険、車両整備などの様々な規制がかけられるようになったわけだけど、これはやっぱり交通に占める割合が無視できず、野放図にはできないからなんだよね。

厳密に言うと、電動キックボードは最初から原動機付自転車に該当するものだったんだろうけど、町中に走っていない限りは問題にならないわけで、これまで危険視もされてこなかったのだ。
ところが、これが広く売り出されるようになり、乗る人も増えてくるとそういうわけにはいかず、きちんと取り締まりをしないといけなくなったわけだよね。
戦後に原動機付自転車の規制が始まったのと同じ理屈。
電動キックボードが原動機付自転車に該当する、ということがあまり知られていおらず、業者にょってはそれを購入者に適切に知らせないままに販売されているため、普通の自転車感覚で乗っている人が増えてきて問題化したのだ。
あれってけっこう速度も出るし、実際に危ないよね。

ボクはパリにいた頃、フランスでも問題になっていたのだ。
フランスは道が狭いし、車を止めるところも少ないので(っていうか、車庫証明なく自動車が買えてしまうため路駐が多く、道の広さに比べて走行できる車線が少ないのも大きな要因。)、自転車が重要な交通手段になっているんだよね。
一方で、押収の自転車は日本のママチャリと違って「ガチ」の自転車で、乗りこなすのはけっこう大変な代物。
そこで登場したのがキックボードで、歩くよりは速いし、割と簡単に乗れるのだ。
で、足で勢いをつけて乗るだけの、モーターのついていないもの(昭和の時代に日本でもはやった「ローラースルーゴーゴー」みたいなもの)であればそこまで問題なかったんだけど、モーターがついたものが出てきてフランスでも規制の動きが出てきたのだ。
規制が入る前は、電動キックボードのシェアサービスなんかも出始めて、気軽に、簡単に町中のステーションで電動キックボードを借りて、目的地近くの別のステーションに返す、なんてのが広まりつつある頃だったんだ。
その後すぐに日本に帰ってきてしまったのでよくわからないけど、その後はどうなったのか?

一方で、規制の網にかけるのは必要だけど、オートバイ型の原動機付自転車と全く同じ義務を課すのもやり過ぎでは、という声もあるのだ。
モーター次第だけど、そこまで速度が出せないようなものもあって、そういうのについては、電動アシスト付自転車と小型オートバイの間くらいのレベルでいいのでは?、ということで、一部の地域で実証実験が始まっているみたい。
具体的には、ヘルメットの着用義務の免除、自転車を除く一方通行での適用除外(自転車と同じように一方通行を免除)、自転車専用道の通行許可(現在はむしろ通行できない)など。
要件は、例えば、毎時15キロメートル以下の速度であることなんだって。
確かにそれだとかなりガチ目に走っているジョギングくらいの速さだから、ママチャリと同じくらいだよね。
一応警察としても、普及を妨げる目的ではなく、あくまでも交通の安全が主旨だから、適切に普及させるような取組もしているというなんだね。
何はともあれ、まずはルールはルールとしてきちんと認識されることが重要だけど。

2021/10/02

カガクの子

 最近はまた受け止めが違ってきているけど、一時期、化学調味料(うま味調味料)への風当たりがすごく強かったのだ。
とにかく体に悪い、という風聞が広まって、使うのが悪みたいな雰囲気があったんだよね。
おそらく、A級戦犯は某グルメ漫画で、化学調味料を摂取し続けると下がバカになって味がわからなくなる、みたいな話が広まったのだ。
基本的には「出汁」の中から単離された「うま味成分」なので、おかしな話ではあるのだ。
塩でも砂糖でも大量にとれば体に悪いわけで、それと同じようなもののはずだよね。

味の素に代表される化学調味料・うま味調味料は日本発祥のもの。
唐代の池田菊苗博士が、コンブに含まれるうま味成分がグルタミン酸であることを発見したことを皮切りに、鰹だしのうま味成分であるイノシン酸、しいたけのうま味成分であるグアニル酸が、「酸・甘・塩・苦」に続く第五の味覚として認識される「うま味」のもととわかったんだよね。
そうなると、コンブや鰹節、干し椎茸で出汁を取る代わりに、これらの物質を足せばいいんじゃね?、ということで開発された調味料なのだ。
最初に調味料として販売されたのがグルタミン酸ナトリウムを主成分とする味の素だよ。

悪い噂が立ち始めたのが60年代終わりの米国。
中華料理を食べると頭痛や疲労感などの症状が出る、といわれるようになり、その原因が、中華料理に大量に使われている化学調味料が原因じゃないかと言われたのだ。
これが「中華料理症候群」と呼ばれるもの。
これは後に濡れ衣であったことが科学的にわかるんだけど、こういう風聞は一度たって浸透してしまうと、なかなかぬぐえないんだよね・・・。
米国でもいまだに批判は続いているそうなのだ。

日本もその流れをくみつつ、日本独自の「嫌悪感」も醸成されていったんだよね。
それが「化学調味料」という名称。
もともとは商品名を言うことができない公共放送が使い始めた言葉。
最初期は小麦粉中のグルテンを加水分解して作られていたグルタミン酸は、やがて石油由来成分から化学合成されるようになったのだ。
こうして、化学的に合成された調味料、ということで「化学調味料」になるんだけど、「天然じゃない」というネガティブなとらえられ方をしてしまった結果、人工的な体に悪いもの、という印象を与えるに至ったのだ。
こうした経緯もあって、現在は「うま味調味料」と呼ぶようにしましょう、と業界が呼びかけているわけ。

ちなみに、現在は化学合成はされてなくて、精糖過程で出てくる廃蜜糖を発酵させて作られているんだ。
サトウキビの搾り汁をそのまま濃縮すると黒砂糖になるわけだけど、その搾り汁の中から白砂糖を結晶化させ、遠心分離して取り出すと、黒っぽい液体成分が残るのだ。
それが廃蜜糖。
かつてはラム酒の原料にされたりしたんだけど、現在は協和発酵の発見した微生物の力でアミノ酸発酵に使われるのだ。
その中にグルタミン酸を作る微生物もいるわけ。
実は、味の素は世界でも有数のアミノ酸製造会社でもあるのだ!
グルタミン酸以外のアミノ酸も様々な微生物を使って作り出しているんだ。

というわけで、現在のうま味調味料は主に発酵により微生物が作り出しているのだ、あまり「化学的」ではないんだよね。
生成過程は化学的だけど、それは精糖や製塩でも同じだよね。
しかも、原料は完全に天然由来。
本来は、口に入るものなのに石油化学関連というネガティブなイメージは払拭されてもいいわけだけど、なかなか一度根ざしたものはぬぐいきれないんだよね・・・。
味の素は広告なんかで「発酵で作っていること」をすっごいアピールしているけど、まだまだ化学合成で作っていると思っている人が多いのだ。
そのためにも、早めに「化学調味料」という名称をなくさないとまずい、と業界は感じていると言うことだよ。

この「うま味」成分は、互いに混ぜ合わせると相乗効果があることが知られているんだ。
コンブと鰹のそれぞれで出汁を取った場合は、合わせ出汁にした場合とでは、味の深みが違うことはむかしから知られていたのだ。
で、その概念はそのまま調味料の世界にも導入されていて、基本中の基本の味の素はほぼほぼグルタミン酸ナトリウムなんだけど、その後に発売されるハイミーはそこにイノシン酸ナトリウムがけっこうな割合で混ぜられているのだ。
現在では、そこに「風味」をつけることで粉末出汁の素(「ほんだし」など)として売られているよ。
味の素は使っていなくても、こういう出汁の素は使う家庭も多いんじゃないかな?
化学調味料ではなく、出汁の素と言われるとネガティブなイメージを持ちにくいからね(笑)

2021/09/25

パンダの気持ち

 改めて考えてみると、メンマって不思議な食べ物だよね。
だって、原料はタケ。
パンダが食べているやつだよ。
最初に加工して食べようとした人はすごいよね。
あのかたい竹があんなしゃっきり食感に変わるんだから、相当手間がかかっているはずだよね。
こんにゃくと並ぶほどの執念の技術と思うよ。

でも、メンマの原材料は日本でよく見る孟宗竹や真竹ではなくて、亜熱帯性の麻竹(まちく)というやつなんだって。
中国南部や台湾に生えているやつで、今でも日本で売られているほとんどのメンマは中国か台湾のものだよ。
1mくらいのまだそこまで大きく育っていないのを切り出し、蒸して少し柔らかくしてから塩漬けにして、乳酸発酵させるんだって。
この過程でかたい竹の繊維があの独特のしゃきしゃきした食感に変わるのだ。
みっちり詰まっている繊維が少しゆるんで、さらに塩分の浸透圧で一部の細胞壁が破壊されるんだ。
そうして細胞の中からしみ出してくる糖分を乳酸菌が発酵させていくわけだけど、このときに風味がつくのだ。
タケを普通にかじるとさわやかな精油成分の香りがするけど、メンマはまた違う風味だよね。
この風味は発酵でできてくるのだ。
そして、あの飴色も発酵の過程で出てくるもので、メンマをメンマらしくしているのは発酵の作用だよ。

発酵させたもの葉細かく切られてから天日干しに。
これが流通する形態で、長持ちするのだ。
食べるときには、塩抜きをしてからラー油や調味液で味をつけるんだけど、そうしてできあがるのがラーメンの上に乗っているメンマ。
実は「シナチク」が本来の名前で、「ラーメンの上にのせる麻竹」だからといって「メンマ」と戦後に丸松物産創業者の松村秋水さんにより名付けられたそうだよ。
今では「シナ」という響きがいやがられることもあって、まず「シナチク」とは呼ばれなくなったけどね。
ちなみに、ラーメンにのせるのは日本だけで、本場(?)の中国では普通に炒め物などの材料に使うみたいだよ。

日本の竹で同じようなものが作れないかというと、そういうわけではないらしく、まだわかめの柔らかい竹で同じような手法で作る国産メンマというのもあるみたいだよ。
福岡県の人が開発したようなのだ。
ネットで見ると、タケノコを使ってメンマ的なものを作っているレシピもよく見かけるね。
タケノコの場合は、塩漬けから始めればいいので楽みたい。
ちょっと育ちすぎてかたくなってしまっているタケノコだとよいのかも。

ちなみに、本来のメンマはかなり長い時間乳酸発酵させるんだって。
もともと麻竹は竹の中でも糖分を多く含む種類だそうで、じっくり乳酸発酵させると、かなりの酸性(pH4くらい)になるそうな。
これにより他の雑菌が繁殖できなくなるというのがポイント。
さらに感想もさせるので、保存食品になるんだよね。
でも、現在は時間を短縮するために半発酵くらいで風味付けの調味液につけたものもあるそう。
時々酸っぱいメンマがあるけど、あれは完全に発酵させたものだったのか。
発酵させた感を出すために、酸っぱい味付けにしてしまったものなのか。
なかなか判断が難しいところだ。

2021/09/18

空中栽培

100円ショップとかでも売っているんだけど、インテリアとして「エアープランツ」がはやっているんだって。
これって、土や水がいらない観葉植物で、空気中の水分を吸収して成長するというすごいやつなのだ!
にわかには信じがたいけど、根もついてなくて、たまに霧吹きする程度で大丈夫なんだって。
世の中にはすごい生物がいるもんだね。

日本で売られている「エアープランツ」のほとんどはパイナップル科の植物で「ハナアナナス属」の仲間。
属名にもあるように、きちんと花も咲くし、実もなるんだって。
種子はものすごく小さいものらしいけど。
この手の根がついていなくて空気中の水分を吸い取って成長しているものは、南北米大陸の熱帯雨林や砂漠、岩石の多い山地などいろんなところにあるみたい。
熱帯雨林は雨が多いけど、実は土壌が薄く貧困なんだ。
その意味では、下手に土の中に根を張るより、他の植物や岩に「着生」して空気中から水分を吸収した方がよい、という生存戦略をとったわけ。

もちろん、そこまで多くの水分を吸収できるわけではないので、多肉性の植物で、葉っぱが分厚いのだ(アロエのような感じの葉)。
そして、葉の表面には水分を集めやすいように細かい毛が生えていていることが多いよ。
熱帯雨林は雨が降るから表面について水滴を吸えばいいだけだけど、砂漠や山地のものは、朝方冷え込んだ時間に出る霧などから水分を吸収する必要があるので、そういう工夫がいるのだ。
表面積を大きくして、できるだけ水分に触れる部分を多くしているわけ。
そして、自分の中に水分をため込めるように多肉性になっているんだよ。

日本での観葉植物としてのエアープランツの場合、いくら湿度が高いと言ってもそれだけではさすがに足りないので、「ミスティング」といって3~5日に1回は霧吹きで水をかけてあげる必要があるみたい。
そして、月に一度くらいは「ソーキング」といってバケツに張った水の中に植物を浸してあげることもやった方がいいんだって。
サボテンと同じであんまり水をあげすぎてもダメなので、湿度にも気をつけながら適宜「水やり」はする必要があるのだ。

で、ボクが気になったのは、水分はそれでいいとして、その他の養分はどうしているんだろうってこと。
観賞用のエアープランツの場合は、肥料を非常に薄めたものを霧吹きすればいいみたいなんだけど、自然界ではどうなっているのか?
熱帯雨林にあるものは、気を伝って下りてくる水滴の中に養分が少し溶け出しているのでそれを吸収しているんだって。
熱帯雨林の場合、土壌の有機物はすぐに分解されてしまうし、雨で流れ出てしまうので、よほど広めに根を張らないと吸い取れないんだって。
なので、むしろ土壌に落ちる前、気を伝っている間に吸い取ってしまえ、ということらしいよ。
枯れ葉や枯れ枝は地面に落ちる前にもすでに微生物による分解が始まっていて、そこに雨が当たると一部の養分が溶け出すので、それを吸い取るのだ。
つまり、流し素麺のできるだけ上流ですくい取る、みたいな。

砂漠や山地の場合は、そもそも有機物が土壌中にはほとんどないわけだよね、生物も少ないから。
他の動物の排泄物や死骸がちょっとある程度だけど、元が少ないからすぐ拡散してしまうしね。
すると、ここで土の中に根を張ってその養分を吸い取ろうとすると非常に非効率。
こういうところにいる着生植物の場合、葉の付け根とかに「水だまり」があって、そこに昆虫や両生類が生息していることがあるのだ。
そうなると、そいつらから養分をもらえばいいわけだよね。
そうでない場合は、鳥の糞などの上からの落下物を受け止める、という戦略もあって、パラボラアンテナのように広がった形の葉の形状をしているものもあるそうだよ。

いずれにしても、けっこう少ない量の養分で成長できるようなのだ。
かなり省エネ型の植物でもあるんだろうね。
うらやましいような気もするけど(笑)

2021/09/11

すきまにつけこむ

 コロナ禍で家に引きこもっているから、心を病む人が増えているようなのだ。
特に一人暮らしの学生さんや若手の社会人など。
新たなコミュニティに溶け込もうとするタイミングでのステイホームで、孤独感が高まっているようなのだ。
特に、進学や就職で引っ越しをした場合なんかは、身近に知り合いもいないし、けっこうきついみたい。
ま、今はオンラインでのコミュニケーション・ツールもかなり充実しているのでさみしさは紛らわせる子tができると思うんだけど、それでも、新しい環境に対する不安はあって、かつ、その環境の中に直接飛び込めないから解消もできないんだよね。
あんまりよく知らない同級生や同僚、先輩とはオンラインだけでは表面的なやりとりしかできないだろうし。

そんなときに気をつけたいのが、こういう「心のすきま」につけこむ悪質なビジネス。
むかしから「運気がよくなるペンダント」、「富を呼び込む壺」などなどあやしい品々はあわけで、普段なら敬啓にはだまされないんだけど、不安が高まっていて正常な判断ができない状態だと、「わらにもすがる思い」で飛びついちゃうのだ。
そして、よくよく認識しておくべき琴は、この手の悪質なやつを仕掛ける側からすれば、百発百中である必要はなく、100人に一人でもカモを見つけられればそれでいいんだよね。
なので、まわりにいる冷静な人たちから見れば「なんでそんなのに」と思うようなものであっても、敵も然る者で不安をあおって正常な判断をしにくくさせる手法は心得ているので、だまされちゃう人も出てくるわけ。

で、詐欺とまではいかなくても、大なり小なりカモにされている場合はあるんだよね。
これは身を持ち崩すほどの被害はないんだけど、「ぼったくり」程度には被害を受けているようなもの。
効果があるかどうかよくわからないアロマやパワーストーンにそこそこお金を払ってしまうなどなど。
そういう場合は、「スピリチュアル」というキーワードがあるのだ。
マスコミがあおっていることもあるのが残念なんだけど・・・。

もともと、「スピリチュアル」というのは、肉体の世界ではなく、精神的、霊的な世界に属することを指すような形容詞。
西洋世界では古代から二元論的な世界の解釈が行われていて、ユダヤ教が元々魂と肉体を分けて考えていたのもあって、キリスト教にもそういう二元論的なとらえ方が浸透しているのだ。
そこで、身体的な外部から観察可能な部分と、それとは逆に、精神的な害府から観察不可能な部分という概念が出てきて、この精神的な部分が「スピリチュアル」の世界になるわけ。

世界保健機関(WHO)が定義するように、人間の健康は心身の健全な状態を指すわけで、身体・肉体だけでなく、心・精神も健全であることが大事なのだ。
で、古代からこの部分をケアしてきたのが宗教やまじないで、不安を取り除くような機能を持ってきたのだ。
お祓いとか祈祷、お守りなどなどがそれ。
社会的に認められたシステムがありさえすれば、あとは「信じるものは救われる」の言葉どおりなわけ。
不安というのは気の持ちようだから。

ところが、近代になって宗教の力の限界が見えてくると、そこまで「盲目的」にはすがれなくなってきたのだ・・・。
特に「科学的根拠がない」とか合理主義的な考えが合わさると、まじないとかって意味のないものと見なされてしまうんだよね。
信じるからこそ救われていたのに、信じ切れないから救われないのだ。
そんなすきまに入り込んできているのが「スピリチュアル」。
多くの場合、現代の科学では解明できていない「超常的な力」とか科学の言葉だけ借りた「エセ科学」の理論により解決される、みたいなスタイルで、宗教とはまた違う、という体をとることが多いよ。
それがオーラとかパワーストーン、レメディ/ホメオパシーなどなどのスピリチュアル・ビジネス。

宗教やまじないは社会的な背景があって、みんながそう信じているから効果があるんだけど、こういうのはそういうのがないので、以外と「お金を出すこと」自体が「きっと効果がある」と信じる根拠になることもあるのだ。
これだけ払ったんだから効くでしょ、ということなんだけど、実は本末転倒なんだよね・・・。
でも、現実的にはそれがよりどころになってしまって、かつ、不安が完全には払拭しきれなくて、ずるずるとはまっていってしまうのだ。
だます方はそういうはめる手法も心得ているわけだけどね。

というわけで、趣味・趣向の範囲で占いとか、パワースポットにはまるのはよいのだけど、高価なものには気をつけなきゃなんだよね。
不安なときに全く見ず知らずの人から優しい言葉をかけられたりするとふらふらっと行っちゃうものだけど、ちょっと一歩立ち止まって考えるべきなんだよね。

2021/09/04

大人も、子供も

 最近、なぜか「カルパス」が気に入っているのだ。
あの、小さなサラミみたいなおつまみ。
ボクはお酒はほとんど飲まないので、駄菓子で売っている「おやつカルパス」のようにそのまま食べるんだけど、ちょっと口ざみしいとき、あの塩辛さ脂っぽさがなんとも言えないのだ。
そういえば、まえからサラミとかけっこう好きだったなぁ。

「カルパス」は北海道帝大にいた化学者・佐々木酉二さんが道内の食肉加工業者のために考案した名称だったんだって。
国内でドライソーセージを販売するに当たって、最初は北海道とは縁も深いロシア語の「ソーセージ」にあたる「カルパサー」を提案したんだけど、五缶があまりよくないのと、ぱさぱさしているかのような印象を与える音なので、少し変えて「カルパス」にしたんだって。
もともとは商品名だったんだけど、商標登録をお粉わかったために、人気に火がついてからみんなまねするようになり、「カルパス」が一般名称化したようなのだ。
ホッチキスなんかもそうだよね。
英語ではstaplerで、このステープラーというのが本来的な一般名称なんだけど、日本ではホッチキス社のものが圧倒的にメジャーだったのでこれが普通名詞のように扱われているのだ。

一般に販売されている「カルパス」はドライソーセージ又はセミドライソーセージで、細身割と短く切られたものを指すんだよね。
ドライソーセージやセミドライソーセージは日本農林規格(JAS)で定義が決まっていて、畜類の肉を主原料とするソーセージを乾燥させたもので、水分が55%以下のものをセミドライソーセージ、35%以下のものをドライソーセージとしているんだって。
内蔵系のソーセージもあるけど、これはドライソーセージにはならないのだ(おそらく、乾燥させて、という工程が事実上不可能なんじゃないかと思うけど。)。
作り方としては、ブタやトリなどのひき肉に塩と香辛料やつなぎを加えて腸などにつめてケーシングし、これを乾燥させるのだ。
豚肉はそのままでは生で食べられないけど、生ハムと同じで、乾燥させながら熟成させることで食べられるようになるのだ。

イタリアのサラミや、米国式ピザにのっているペパロニなんかが代表的なドライソーセージ。
水分が少なめで硬いので、基本は薄くスライスして食べるのだ。
このため、サラミ=薄くスライスするもの、という図式になっていて、ちょっとずつ切り出していくようなイメージのものにサラミの名称をつけることがあるよ。
例えば、サラミ法というのは、ばれないようにちょっとずつ金銭や物品を窃盗していく手法なんだって。
これと逆なのがパンケーキ。
こっちは積み重ねるので、重層的なものを比喩するときによく使われるのだ。

このサラミやカルパスって、どうしても不健康なイメージがつきまとうよね。
それもそのはずで、塩分や脂肪分がとにかく多いのだ。
サラミなんかは薄切りにして食べるもので、もともとそんなに多く食べるものじゃないのだろうけど。
カルパスもどんぶりいっぱい食べるようなものではないよね(笑)
ただ、この塩と油は重要で、塩をきかせることで腐らせずに乾燥・熟成させることができるわけだし、脂肪分の多いひき肉を材四両とすることで乾燥させても硬くなりすぎないのだ。
脂肪分が少ない赤身でやっちゃうと、棒状にまるめたジャーキーみたいになっちゃうはずなんだよね。
それはそれで削りながら食べたらいいのかもしれないけど、水分を飛ばしてもしっとりしているのはやはり脂肪分のおかげなのだ。
あと、やっぱり人間は塩と脂肪が大好きなんだよね。
これがジャンクフードは体に悪いとわかりつつ、やめられない要因だから。

というわけで、ドライソーセージ自体は西洋世界の先人の知恵なんだけど、それを大人も子供も楽しめるカルパスにしたのは日本だったのだ。
薄くスライスするのって大変だから、細いものを食べやすい長さにあらかじめ切ってあるって便利だよね。
そのままつまめるし。
日本式のこういう食に対する改良はいつ

2021/08/28

正体不明

今は科学がかなり発達しているので、多くの現象が科学的に説明できるよね。
でも、むかしはそうではなかったので、不思議なことが世の中にあふれていたのだ。
それでも、当時の人々は「なんだかわからない」ままなのは不安なので、なにがしかの説明をつけようとしたんだよね。
そのときの社会や文化的背景から合理的と思われる範囲で。

その一つの表れが各地に残る神話や伝説。
日食・月食はなぜ起こるのか、なぜ海水は塩辛いのか、蛇はなぜ脱皮するかなどは有名なもの。
身近な自然現象でも、原理がよくわからないながら、妖怪のせいにして警戒したりしたものなんだよね。
あの淵に入るとカッパに足をひっぱられておぼれるみたいな。
そして、特に害とかはないんだけど、なんだかわからないような現象も妖怪のせいにされたのだ。
山の中で聞こえる大きな音は「天狗倒し」と呼ばれるし、おそらく神経が病んでしまって異常な行動が目立つようになる「〔狐憑き」と言ったり。

いずれも「前近代的」な響きがあるけど、実のところ、科学の世界でも似たようなことをしているのだ。
古い例で言えば、そのむかし光の媒質として想定されていた「エーテル」。
波が水が媒質になって伝える、音は空気が媒質になって伝える、じゃあ、光は?、となって、真空だと音は伝わらないけど光は伝わるので、そこに何か光を伝播するものがあるはずだ、という考えで出てきたのが「エーテル」の概念。
ながらく、その正体を突き止めるべくいろいろな実験や研究が行われたんだけど、結論から言うと、光には媒質はなかったのだ!
ところが、それだと伝統的な波動の理論とうまく整合しないので、まだ見つけられていないはずで何かあるはずだ、と「エーテル」の存在が信じられてきたんだよね。
で、光の持つ様々な性質から、光の媒質で「エーテル」はこういう性質を持っているはず、なんて理論までできあがっていたのだ。
これは19世紀以前の物理学の話だけど、やっていることは、「やまびこ」のげんりがよくわからず、山の中に溶解「やまびこ」がいてオウム返しに言葉を返している、と考えるのとそんなに変わらないんだよね(笑)

古典力学の多くの理論が、相対性理論、量子力学の登場で必ずしも正確ではなかったことが判明していくわけだけど、この期に及んでもまだこういうことが行われているのだ。
主に宇宙論や素粒子論の世界だけど、理論の世界ではこうなっているんじゃないか、と仮説を立てられるけど、実験的に確かめられないことが多くて、こういうものや現象が存在するはずだ、と仮置きさるのだ。
歴史的なものは、アインシュタイン博士が一般相対性理論を打ち立てたときに重力場方程式に導入した宇宙項。
一般相対性理論にそのまま従うと宇宙が自らの重力で収縮してしまうので、宇宙の大きさが不変であると考えた博士が時空にまんべんなく働いている斥力として入れたもの。
しかし、ハッブル博士による精密な宇宙の観測結果から、実際には宇宙は膨張していることがわかったので、今ではこの宇宙項はアインシュタイン博士が当時想定していたものより大きなものになっているよ。
ちなみに、この宇宙項が現実世界で何を表しているかは未だわかっていないんだけど、とりあえず「ダークエナジー」と呼ばれているんだよね。
この辺は妖怪のせいにするのと同じ(笑)
これとほぼ同じ頃、様々な天文学的な観測結果を基に宇宙の質量を見積もったところ、光学的に「見える」星々を積み上げただけではたりないことがわかったのだ。
そこで、何か観測でかいけど重量を持ったものがあるに違いない、ということで想定されたのが「ダークマター」。
現在では、全宇宙の質量とエネルギーに占める割合は、原子等の通常の物質は4.9%弱、ダークマターが26.8%、ダークエナジーが68.3%と推定されているんだけど、95%以上が未知のものということになるね・・・。

この分野で日本が頑張っているのは、「陽子崩壊」という現象の観測。
すでにノーベル賞を2回も出しているカミオカンデ、スーパーカミオカンデはもともと理論的に想定されている「陽子崩壊」を観測するための実験装置だったのだ。
ところが、「陽子崩壊」はまだ観測できず、代わりに、ニュートリノの観測で2回ノーベル賞が出ているんだよね。
「陽子崩壊」は非常にレアな現象(少なくとも陽子の寿命は10の34乗年以上と見積もられているよ・・・)なので、超純水を貯めておくタンクが大きければ大きいほど観測しやすくするはずなので、現在はさらに大きなハイパーカミオカンデが計画されているのだ。
もちろん、もはや日本の十八番にもなっているニュートリノの観測も行うみたいだけど。

2021/08/21

下からのぞけば

 またのしたからのぞくときれいと言われるのは、日本三景の一つの天橋立。
でも、ボクは先日、またの間から中身をのぞかれたのだ!
そう、人生で初めての大腸内視鏡検査を受けたんだよね。
それなりの年齢になるとポリープとかできている人も多いので、一度は受けた方がよいとずっとすすめっれていたんだよね。
なので、今回の人間ドックでは、上からの胃カメラ(上部消化管内視鏡)と下からの大腸内視鏡の両方を受けたのだ。
いやあ、大変だった。

胃カメラは独国で発達したものなんだけど、大腸内視鏡は主に日本で発達したものなんだって。
内視鏡の機器を開発したのも日本、直腸=>S状結腸=>下行結腸=>横行結腸=>上行結腸と盲腸の手前まで挿入する技術を確立したのも日本。
そして、現在行われているような、検査しながら見つけた小さなポリープを切除する手術法を完成させたのも日本!
日本は庁が好きなんだなぁ(笑)

胃カメラの場合は、わりとまっすぐ下ろしていけるので、そこまでぐりぐりと曲げる必要なないんだよね。
一方、大腸は、4回大きく湾曲したところがあるので、そこでは内視鏡自体を大きく曲げる必要があるのだ。
なので、かなり柔軟に曲げられるものが必要だったわけ。
最初期は光ファイバーを使っていたけど、光ファイバーはちょっとかたくて曲げるのにも限界があるので、けっこう苦労したはずなのだ。
逆に、今は電子スコープで先端に小型のCCDカメラがついていて、その先はいわゆる「電線」でいいので、曲げるのはかなり楽になっているはずなのだ。


曲げられると言っても、その人その人に合わせて曲げながら入れるのは大変そうだよね。
実際、ボクが自分で受けたときも、大きく曲げなくちゃいけないところでは横向きにされたり、また仰向けにもどったりと自分でも動かないといけなかったのだ。
こういう挿入法をきちんと確立して、小腸の出口まで検査できるようになっているわけ。
ボクが受けたときは、消化管の運動を押さえるブチルスコポラミン臭化物製剤(ブスコパン)を服用した上で、挿入直前に潤滑油ゼリーを肛門付近にぬられたのだ。
これがなんだか冷たくって変な感じ。
むかしはこのゼリーの中に局所麻酔のキシロカインが入っていたそうなんだけど、現在は入ってないものを使うことが多いそうだよ。
ボクは特に説明を受けなかったから、おそらく滑りをよくするためだけのゼリーかな?

そして、大腸内視鏡の場合は、中を観察して終わりではなくて、小さなポリープの場合はその場で切除するのだ。
大木なのは別途開腹手術がいるのだけど、早期発見できれば検査と同時に治療もできるわけ。
ボクははさみみたいなのでちょん切るのかと思っていたんだけど、実際はループ状になっているワイヤーに引っかけ、根元を絞った後にそのワイヤーに高周波電流を流して焼き切るのだ。
そのままだと血が止まらないので、ラジオペンチの先端のようなクリップで傷口を挟んで止血。
そのクリップはトカゲのしっぽ切りのようにその場で切り離すことが可能で、そのまましばらく体内に残留した後、数日すると自然に脱落するらしい。
なので、ポリープの切除などをした場合は、刺激物やアルコールの摂取は1週間は避けてください、と言われるよ。
ボクは幸いそう言うのはなく、見ただけで終わったよ。

胃カメラの時も検査前は絶食が必要なんだけど、大腸内視鏡の場合はもう少し前準備が必要なのだ!
まず、前日から繊維質のものは食べちゃだめ。
そして、寝る前に強力な下剤を飲んでできるだけ腸の中をからっぽにする。
検査当日、腸管洗浄剤というのを飲まされて、腸の中に残ったかすなどをさらに洗い流すのだ。
大腸では主に水分吸収をしているけど、この腸管洗浄剤はポリエチレングリコールに塩化ナトリウム、塩化カリウムなどが加えられている薬剤で、腸管における水分吸収を妨げるので腸管の内側を洗い流すことができるようなものなのだ。
大腸では、イオン濃度勾配を使って陽イオン(ナトリウムやカリウムのイオン)を体内に取り込むときに一緒に水分を取り込むメカニズムなのだ。
ところが、この陽イオンの取り込みには物理的な限界があるんだよね。
なので、等張液に近い成分の液剤を大量に飲んだ場合、ほぼ陽イオンの取り込みができなくなって、かつ、ポリエチレングリコールはもともと水分子を抱え込む性質があって水の吸収を妨げるので、ほぼほぼ水分の吸収ができなくなるんだ。
そうなると、飲んだ分だけ洗浄液が出て行くことになるのだ!
それでかすが出なくなるまでゆっくりとこの腸管洗浄液を飲んで腸の中を本当に空っぽにするんだよ。
これが変な甘さで飲みにくいんだよなぁ・・・。

そんなわけで、人生で初めての大腸内視鏡を体験してきたよ。
前準備は大変だし、当日も何度もトイレに行かされて苦労するけど、大腸の中でちゃんと検査できるのはありがたいよね。
日本では大腸がんが増えていると言うし、検査する意義は高いのだ。

2021/08/14

Bon 盆

 世間的にはお盆休み。
今年は山の日がオリンピックの閉会にあわせて前倒しになった関係で、早めに夏休みをとる人が多いのだ。
年末年始と並んで、この時期は休みを取る人が多いから、公共交通機関は混雑するし、高速道路は渋滞するしで、毎年大騒ぎだよね、
コロナ禍2年目となった今年はもう自粛につかれたのか、例年よりは少ないにしても、けっこうな人の移動があったようなのだ・・・。
休みを分散化しようとする動きもあるけど、けっきょくみんなが一斉に休んでいる時期の方が休みやすいんだよね(笑)

そんなお盆。
年末年始と違って、正式に休みに指定されたことはないのだ。
明治になってから、年末と年始は正式に太政官布告で連休になったのに対し、お盆はあくまでも実行上の連休だったようなのだ。
お盆の時期に仕事を休むのはすでに江戸時代には確立していた習俗のようなので不思議だけど、おそらく、国家神道政策と関係していると思うんだよね。
年末は、「年越しの大祓」として神道行事でも重要な位置づけ。
年始については、天皇が六合(天地と四方)の天神地祇(天津神と国津神、すなわちすべての神様)を廃して五穀豊穣を祈る「四方拝」というのが重要な宮中行事として行われていたのだ。
どちらも神道としては重要な行事なので、国家神道確立を目指す上ではプレイアップしたいのだ。
実際、「年越しの大祓」と並ぶ、6月末の「夏越の大祓」も連休になっているので、神道で重要な行事を休みにしているのだ。
紀元節(今の建国記念日)や新嘗祭(今の勤労感謝の日)なんかも同じだよね。

一方で、お盆は仏教とそれ進行が複合的に混ざったものなんだけど、あいにく神社はあんまり関係ないのだ・・・。
もともとは仏教の盂蘭盆会・施餓鬼会(釈迦の十大弟子の一人、神通第一の目連尊者が神通力により実母が餓鬼道に出していることを知り、釈尊に相談し、安吾の最後の日にすべての比丘に施しをすると救われると聞き、そのとおりにして実母を救った伝説に由来するもの)が、中国で祖先祭祀信仰と習合し、それが日本に渡ってきたもの。
日本でも中国から輸入したものそのものではなく、日本独自の民俗信仰や祖霊信仰とさらに混じり合って現在のような形になったのだ。
精霊馬(キュウリやナスに足をつけてウマや牛に見立てたもの)を作って送り火・迎え火で祖先の霊を送り迎えしたり、盆踊りを奉納して祖先の霊を慰めたり。
多くの人が旧暦七月半ばのこの時期に墓参りをし、祖先の霊を偲ぶ、という風習はあったし、近代化以降はこのタイミングで都会に出ていた人たちも帰省する、ということになっていて、みんなが休む時期にはなっていたのだ。

明治になってからも、正式な休みにはならなくとも、深く浸透している習俗だったのでそのまま続くかと思ったんだけど・・・。
ここで混乱が起きるのだ。
そのきっかけは太陽暦の採用。
春分・秋分を含む二十四節気は太陽と地球の位置関係で決まるものなので旧暦から新暦に移る際は新たな日付にすればよかったのだ。
ところが、もともと日付指定の日は問題が大ありなんだよね。
そもそも元日がずれる、七夕を含む五節句がずれる。
そのまま日付を固定してしまうと、約1ヶ月前倒しになるのだ。
このせいで新暦の七夕は梅雨が明けきらない時期になってしまった・・・。

お盆も同様で、旧暦の七月中旬であればさほど問題なかったんだけど、新暦の7月中旬はちょうど稲作の農繁期に当たるんだよね。
そうすると、お盆の諸行事をやっている場合ではないわけで。
太陽暦を採用した太政官布告ではお盆はそのまま新暦に移行することになっていたんだけど、それでは支障があるので、お盆は旧暦に近い時期で行われるようになたのだ。
これが旧盆。
別に旧暦の日付に合わせているわけではなくて、単純に1ヶ月遅らせて8月中旬にやるだけなんだよね。
で、現在のお盆休みはこの旧盆が基本なのだ。
というのも、k生と言うことを考えると、地方の予定が重視されるわけで、そうなるとどうしても旧盆にならざるを得なかったから。

というわけで、けっこう紆余曲折あって今の盆休みがあるのだ。
最近は8月11日が「山の日」になったから、曜日の並びによっては連休にできるので、盆休みの時期はちょっと前倒しになっていくかもね。
子供たちはずーっと夏休みだけど、大人はやっぱり休日かどうかに影響されやすいから。

2021/08/07

お気持ちだけ

今年も原爆の日がやってきたのだ。
なんだか平和ぼけしている日本だけど、つい80年ほど前は太平洋戦争のまっただ中。
なかなか実感はわかないけど、報道なで慰霊祭を見るとやっぱりそこに思いが至るよね。
そういう意味で、こういうのは続けていく音に意味があるんだなぁ、と思うよ。
この現場卯の日の慰霊祭の象徴的な存在は千羽鶴。
なんだか平和の象徴的な扱いを受けているよね。
そして、なぜか最近では、大規模災害で被災した人たちに千羽鶴を送る、なんてことが行われているのだ・・・。
すでにいろんなところで言われているけど、気持ちはありがたいものの、迷惑でしかないんだよね。
けっこう場所とる割に何の役に立つでもないし、かといって気持ちがこもっているからむげに捨てるわけにもいかないし。
着古した衣料とか消費期限の短い食品など以上に困った贈り物のようだね。

もともとは、鶴は長寿の象徴で、長寿祈願をする際に折り鶴をいくつか糸でつなげて神社に奉納していたらしいのだ。
これは絵馬など奉納するのと同じ。
1年たったところなどの節目で、お札、お守り、破魔矢、熊手などと同様に「お焚き上げ」されるのだ。
これはひとつの日本の民俗信仰の一形態だよね。
江戸時代にはすでにあったことらしいよ。
昭和初期、戦前くらいになると、糸をお通した折り鶴が「千羽鶴」と呼ばれるようになり、女児の技芸上達などの祈願として女性の信仰を集めた淡島神や鬼子母神に捧げられるようになっていたんだって。
これについても、習字がうまくなるようにと筆を奉納したりするのと同じで、そんなおかしなことではないよね。

では、なぜこれが平和の象徴になっていくのか。
そこには、原爆が大きく関わっていたのだ。
広島の平和記念公園内にある「原爆の子の像」のモデルになった原爆被爆者の少女、佐々木禎子さんが、自分の健康長寿祈願のために千羽鶴を折ったことに由来しているんだよね。
ここまでの話では伝統的な扱いなのだ。
自身は10年ほどたった昭和30年10月になくなってしまうんだけど、子の少女の死を悼み、また、原爆で亡くなったすべての子供たちを慰霊するため、千羽鶴が捧げられるようになるんだ。
これで原爆の日の慰霊祭のシンボル的な飾り物となっていくんだよね。
ここまではやっぱり「長く生きたい」という生への渇望が込められているのだ。

しかしながら、時間が経過していくと、もともとの千羽鶴が折られていた動機は見失われ、平和記念であったり、災害に遭って亡くなった人たちへの慰霊といった意味にすり替わっていくのだ。
この手の話は民俗学ではよく出てくることではあるんだけど、それが現代に生きている事例としては実は貴重なのかも、とも思うんだよね。
今でも、千羽鶴は、健康や病気平癒の祈願の意味は残っていて、入院しているお友達に千羽鶴を折ろうなんてこともやっているので、まるまる意味が失われたわけではなく、新たな意味合い、属性が付加されたとみる方がいいんだろうね。
こういうことが起こるには、荒唐無稽に見えるけど、他の要因が心理的なものとして影響していることがあるのだ。

ひとつは、折り鶴の形。
鶴とは言うけど、正直それが何か知らない人が見たら鶴とは言わないよね。
むしろ、よく見る鳥としたら、鳩の方が近い気がするのだ。
これがポイントで、鳩は平和の象徴としても扱われる鳥なので、その形状の類似性から、鳩に見えなくもない折り鶴には平和の象徴的な意味合いは付加しやすいと考えられるんだよね。
鳩が平和の象徴になったのはノアの箱舟の伝説に由来するところが大きいけど、むかしのオリンピックの開会式ではよく鳩を飛ばしたりしていて、鳩が平和の象徴であることは日本にもよく浸透しているし、広島の平和記念式典では実際に今でも鳩を放しているよね(長崎の平和祈念式典では「千羽鶴」という歌の合唱があるよ!)。
こういうのはイメージの重ね合わせを考える上で大きいと推測されるよ。

また、「千」というのにも呪術的な響きがあって、武蔵坊弁慶の千本刀の伝説や戦時中の千人針など、「千」という大量のものを集めることで大願成就を目指すんだよね。
なので、昭和初期に奉納されていた折り鶴も「千羽鶴」と呼ばれるようになったんだと思うけど、「大願成就」と結びついているというのがポイント。
個人の問題ではそれは健康や病気平癒でも、平和祈念式典のような場で出てくる「千羽鶴」の「大願成就」とは何か、と考えると、やっぱり「世界平和」みたいな大きな話になるよね。
なので、「大願成就」という「千」に付属した属性の故に、かってに「千羽鶴」が「世界平和」のためのものみたいに受け取られて、さらにそれが逆転して「平和の象徴」になるのだ。
「世界平和」を祈念するために「千羽鶴」を折るのならまだストレートだけど、なぜか「世界平和」を象徴するようなシンボルになってしまっているんだよね。
こういう因果の逆転もよくあること。

でも、やはり「世界平和」というのはあまりにも大き過ぎる目標で、身近なところでの「平和」まで下ってくるようなのだ。
だからこし、復興を祈念し、災害前の平和を取り戻せるようにとついつい「千羽鶴」を送ってしまうんだよね。
「大願成就」を目指すという意味において「千羽鶴」を折ることはまだいいんだけど、それは本来は神社などに奉納すべきであって、被災地に送るものではないのだ。
最近は報道されるようになったこともあって被災直後に千羽鶴が届くことはないようだけど、気持ちは気持ちとして大切にして、送り先は気をつけないといけないね。

2021/07/31

切って食べるパン

 フランスでしばらく過ごしてからというもの、日本のパンがあまり楽しめなくなってしまった・・・。
フランスのバゲット(フランスパン)やクロワッサン、パンのショコラなんかは安くてもおいしいからね。
それだけはぜいたくだった!
なので、本場の味を謳う日本の高級クロワッサンとか見てもあまりひかれないんだよなぁ(>_<)
味的にはいけているのもあるんだけど、とにかく高い。
パリで1ユーロだったものが500円を越えるなんて。

そんな中でも、日本独自のパンというのはたのしめるのだ。
カレーパンとか、あんパンとか、蒸しパンとか。
そして、ボクが子どもの頃は給食でもおなじみだったコッペパン。
なんか、この頃はおしゃれなコッペパンのお店もできていて、様々な具を挟んだものを提供して暮れるみたいだね。
テレビで見たけどおいしそうだったよ。
そう、これがコッペパンの魅力で、切って間に何か挟む、というのが真骨頂なのだ。

もともとコッペパンは、明治末期に米国でパンの製法を学んで、大正時代にイーストを使った製パン法を日本で初めて開発した田辺玄平さんが考案したもの。
それが日本で好まれ、独自の発展をしていったのだ。
「コッペ」の語源は不明で、一説には、フランス語で切られた(過去分詞)を意味する「クーペ」からとも言われているんだけど、よくわからないみたい。
たかだか百数十年前のことなんだけど。
日本人が好むような味と食感で、ちょっと甘みが合って、おかずと一緒に食べられる主食パンなのだ。
欧米では、主食とおかずという概念がそもそもきちんと確立されていないので、サンドイッチのようなものは食べるけど、主食とおかずを交互に食べることはあまりないんだよね。
料理は料理、パンはパン。
でも、日本人は白飯と同じように置かずと一緒にパンを食べたかったのだ!
そのすでにできあがったのがコッペパンだよ。

戦時中の主食の配給品として国民に広く浸透し、戦後は学校給食に採用されることで多くの日本人に食べられることになったのだ。
これは、ララ物資で大量に米国から送られてきたのが小麦粉と脱脂粉乳で、それをもとに給食が始まったから、
給食の最も古い携帯は、コッペパンにあるまいとの器に入った、表面に膜の張った脱脂粉乳だったんだよね。
その後も、米食は給食として供給するには課題が多く、コッペパンだと一度に大量に焼成して簡便に運べるので、給食の本流を維持してきたのだ。
古米消費のために米飯給食が奨励されるようになるまでは、カレー-ライスやまぜごはんの時くらいしか米飯給食はなかったんだよね。
今やほぼほぼ米飯給食に移行してしまったけど。
それもあって、ミドル世代にとっては給食と言えばコッペパンで、コッペパン自体にもノスタルジーを感じるわけ。

給食におけるコッペパンの醍醐味と言えば、間におかずを挟んで食べる、という食べ方。
ボクが子どもの時に人気だったのは、なんといっても、焼きそばやスパゲッティ(という名のソフト麺みたいなやつ)。
もちろん、ハンバーグやらフライやらも挟むのだ。
魚系のおかずとか、煮物とかだと挟めないからがっかりするんだよね。
こういう食べ方は給食だけでなく、広く浸透しているのだ。
そのむかしは、サンドイッチ的なものより、コッペパンに何かを挟んだもの(コロッケパン、焼きそばパン、ジャムコッペなどなど)の方をむしろよく食べていたような。
コンビニができてサンドイッチはよく食べるようになたtけど、それまでは街のパン屋さんによく置いてあるのはコッペサンドで、耳を落とした食パンで挟んだサンドイッチはちょっとこじゃれた存在だったような気がするよ。

少し毛色の違うのが、揚げパン。
間にものを挟むのではなく、コッペパンを油で揚げて方砂糖ときなこをまぶすのだ。
カレーパンのような「ドーナツ」系惣菜パンは、オーブンで焼成せずに上げて日を入れるんだけど、揚げパンは一度焼成したコッペパンを揚げているんだよ。
少し古くなって固くなってしまったコッペパンをおいしく食べるための工夫、という発想で考案されたみたい。
これがまた学校給食では人気なんだよね。
今でも時々食べたくなってしまう・・・。
カロリーのお化けみたいなものだけどね(笑)

2021/07/24

登録抹消

 つい先日、オンラインで開催されている第44回世界遺産委員会で、英国の世界遺産のひとつが登録抹消になったのだ。
「海商都市リヴァプール」だよ。
原因は都市の再開発で、もともと問題視されていて「危機遺産」登録はされていたんだよね。
それがいよいよ挽回できないところまで来たので、今回登録抹消ということになったのだ。
これで完全抹消は3例目。

最初の抹消はオーマンの「アラビアオリックス保護区」(自然遺産)。
ここのオリックスはユニコーンのモデルにもなったと言われる動物なんだって。
ところが、油田などの資源開発をするために保護区を1/10に縮減したいという要請がオマーン政府から出てきて、もめたのだ。
なんとか保護区を維持しようと世界遺産委員会で議論が行われたんだけど、なかばけんか腰になってしまっていたオマーン政府はその改善策を拒否し、登録抹消になったのだ。

次は独国の「ドレスデン・エルベ渓谷」(文化遺産)。
川を挟んだ地域が登録されているんだけど、渋滞解消のために川に架橋する計画がもともとあったんだよね。
でも、その橋が景観を損なわれるということで、世界遺産委員会からはトンネルにするなどの代替案も提案されたんだけど、地元での住民投票の結果、橋を架けることになったので晴れて登録抹消・・・。
これは当初から独国側がけんか腰で、地元住民に不便を強いるなら世界遺産でなくてもけっこう、という感じだったらしく、まだ同情的な議論があったオマーンの礼とは違って、「見せしめ」的に抹消されたようだよ。

3例目が今回の「海商都市リヴァプール」(文化遺産)。
やっぱり都市の再開発の問題で、景観が損なわれるということなのだ。
ずっと議論をしてきたけど、再開発計画側が寄り添うことはなく、ここまで来てしまったんだよね。
似たような状況に陥りつつアルのが「ウィーン歴史地区」(文化遺産)。
ここの緩衝地帯と言われる、世界遺産登録された地区を取り囲む地域に大型複合施設を建設する計画があって、そんなのができると景観が損なわれるのでダメ、という話。
やはりウィーンの地元民は建設に賛成で、世界遺産でなくても世界的な音楽都市であるウィーンには観光客は来るし、世界遺産にこだわりすぎて生活が不便になるのはいやだ、ということのよう。
世界遺産センター長みずからが現地訪問して議論をしているようだけど、おそらく登録抹消は時間の問題なのだ(>_<)

これらは今後の大きな課題なんだよね。
日本の文化財でもそうだけど、古民家や武家屋敷が文化財に指定されると、雨漏りなどをしても勝手に回収できなくなって不便と言われているよね。
それのもっと規模の大きなものと考えるとわかりやすいのだ。
真正なものを後世に残していくというのは大事なことだけど、以下に現代に生活している人々と折り合いをつけるかが問題。
日本の場合は「歴史地区」みたいな登録がないので身近ではないけど、すでに京都なんかでは景観条例と都市の再開発の問題は出てきているよね。
世界遺産登録抹消には結びつかないけど、我が事としても考えていかないといけないのだ。

ちなみに、現在登録されたけどこのままでは危ないとされている「「危機遺産」のリストには、32カ国51件が登録されているようなのだ。気候変動の影響による支援環境の変化のようなどうしようもないのもあるにはあるんだけど、周辺情勢の不安定さ、密漁による希少動物の減少などの人為内戦内線による政情不安で全部が「危機遺産」入りしているよ・・・。

2021/07/17

そばの真正性

 暑くなってくるとおそばがおいしいのだ。
つるつるっと食べやすいしね。
汁やたれを作っておけば、後はそばをゆでるだけで、それも乾麺を使えばかなり簡単。
我が家ではけっこう朝ごはんのメニューに登場するよ。
そんなそばだけど、けっこう価格帯に広がりがあるよね。
当初は、国産そば粉か海外産そば粉か、生産地が国内か中国か、くらいの差だと思っていたんだけど・・・。
実はそれだけではなく、「そば粉の含有量」というのも大きなファクターだったのだ!

どういうことかというと、そばとは名乗っていながら、そば粉より小麦粉の方が多く使われている商品が多いのだ!
特に、価格帯の安い乾麺や、チェーンの立ち食いそばなどがそう。
口が悪い人は、色つきの細いそば風味うどん、なんて呼んだりも。
一応、「そば」と標記するにはルールがあって、景品表示法に基づく業界団体が作成する自主規制ルールである「公正競争規約」において、「そば粉が30%以上含まれるもの」でないと「そば」と標記してはいけないのだ。
でもでも、逆に言うと、小麦粉が7割でも「そば」という名称で販売が可能なのだ。
つなぎとして小麦粉を2割使うのが「二八そば」だけど、この場合は、「七三そば」になってしまうね・・・。

なので、本格的なそばを食べたい、より濃厚なそばの風味を味わいたい、乾麺であってもそば湯を楽しみたい、なんて希望があるのであれば、そば粉がどれくらい入っているかをきちんと確認して商品を選ぶ必要があるよ。
でも、実はこれは割と簡単。
「原材料表示」の欄を見て、「そば粉」が最初に登場しているかどうかを見ればよいのだ。
最初に登場するのが「小麦粉」の場合は、そば粉は5割未満というのが自動的に決定するのだ。
そのわけは、食品表示における原材料表示のルールにあるんだ。

原材料表示のルールは、自主規制ルールの公正競争規約とは違って、食品表示法に基づく内閣府の布令「食品表示基準」によって定められているよ。
こちらは府省令なので、法令の一部なのだ。
第3条で原材料名表示のルールが出てくるんだけど、「原材料に占める重量の割合の高いものから順に、その最も一般的な名称をもって表示する」となっているのだ。
つまり、そばの場合はほぼほぼそば粉と小麦粉だけでできているはずなので、そば粉と小麦粉のどちらが最初に出てくるかが重要ということ。
ために階層などを練り込んだそばもあるけど、単純化してそば粉と小麦粉だけでできていると仮定すれば、原材料表示で「そば粉、小麦粉」の順で出てきたら、5割以上そば粉が使われていることが確定するわけ。
少なくとも「五五そば」以上は保証されるよ(笑)

ただし、簡単に見抜けるのはそこまでで、その先そば粉が本当にどれだけ使われているかは自主的な表示内容に頼らざるを得ないよ。
「十割そば」のような名称で売っている商品もあるし、「本格二八そば」みたいなのも。
でも、こういう割合がわかりやすいものだけではなくて、「そば湯も楽しめる」なんていう微妙な表現だと、「そば粉が何割以上になるとそば湯として楽しめるのか?」という感覚的な受け止め次第になるのだ・・・。
こういうのって、そば粉が多い方が売りになることが多いので、本当にそば粉を多めに使っていれば、「そば粉○割使用」と書いたりするんだよね。
さすがに虚偽表示はダメだから。
でも、何も書いていない、ちょっと曖昧な用言の場合は、原材料表示でぎりぎりそばがトップに出てくるような割合で、みたいな場合が多いのかも。

とはいえ、そば粉が多ければ良いというわけでもなくて、そば粉が多いとどうしてもぼそぼそしがち。
だからこそむかしから「つなぎ」をつかっているわけで。
なので、あとは食感の好みなどで選べばいいんだよね。
もちろん、小麦粉が最初に出てくるものでも気に入っていればそれを食べればいいわけだけど。
ただ、そばの方が健康に良いからそばを食べたい、なんて思っている場合は、きちんとそば粉割合の高いものを見極めた方がよいのだ。
そば色のうどんだと、けっきょくGI値(食後の血糖値の上昇度合いを示す数値)が高いからね。

2021/07/10

冷凍だけど、熱い

いま、冷凍食品が熱いのだ。
コロナ禍で外食が減り、家庭で食べることが増えたけど、毎回手間暇かけて料理をしていられない・・・。
そこで注目を集めたのが冷凍食品。
レトルト食品もあるけど、今や冷凍食品の方がバリエーションが広いからね。
チャーハンなんかは下手なお店で食べるより冷凍食品の方がおいしいといわれるくらいだし。
しかし、ここまで来るには技術の発展が必要だったのだ。

最初に冷凍食品は普及したのは米国。
しかも、当時はオーブンで焼くのが主な調理法。
アルミ製の皿とかに盛り付けられていて、それを予熱したオーブンで温めるとできあがり、というものだったのだ。
フランスの冷凍食品専門店のピカールが日本にも進出してきているけど、ほぼほぼ電子レンジで調理可能な日本の冷凍食品とは違って、オーブンで焼いたり、フライパンや鍋で加熱する必要がルものが多いよ。
日本は凝り性だし、食べ物への執着は異常なほどだから、冷凍食品でもそれが生かされ、電子レンジだけで簡単に調理できて、しかもおいしい、というのを常に目指しているのだ。
こうやって需要が増えてくるとさらに進化が進むかも。

さて、話は日本の冷凍食品にもどるけど、電子レンジが普及する前は、オーブントースターであたためる、お湯でゆでる、油で揚げる、なんてのが標準的な調理法。
むかしは冷凍のコロッケを揚げる、冷凍のピザトーストを焼く、冷凍うどんをゆでる、といったもの。
バリエーションもそんなにあるわけではないので、限定的な普及だったのだ。
潮目が替わるのは電子レンジの普及以降。
電子レンジはマイクロ波照射により食品中の水分子の運動を活性化し、それで発熱させる仕組み。
なので、表面を温めて中まで熱を浸透させていくオーブンとは違って、中から温まるのが特徴。
ただし、マイクロ波が当たらないと加熱できないので、かつての電子レンジは中でターンテーブルが回っていたのだ。
今はマイクロ波自体をいろんな方向から照射できるようになったので、フラット型が多いよ。

とはいえ、この特徴的な温め方には問題もあったのだ。
中の水分を加熱していくので、温められた水は蒸気になって出て行くんだよね。
なので、そのまま温めると水分が飛んでぱさぱさになって固くなるのだ。
それを防ぐためにラップをかけるわけだけど、ラップをかけると蒸しているような状態になるので、シュウマイのような料理ならよいのだけど、揚げ物なんかはびちゃびちゃになるんだよね。
さらに、水を加熱していくという原理上、食品を温める熱は気化熱で奪われていくので、水分がある限りはせいぜい100度までなのだ。
ラップをして蒸し焼き状態になっ散れば多少温度は上がるんだろうけど。
そうすると、焼き目・焦げ目はつけられないんだよね。
焼き目や焦げ目は、加熱表面が200度とか300度になったときにできるものなので、そもそも表面から温めていないし、温度もそこまで到達しないので、電子レンジをそのまま使っただけでは難しいのだ。

でも、今はこれもある程度克服しているのだ。
ラップをかけずに温めることでびちゃびちゃにならないようにしたのがチャーハンや揚げ物系。
揚げ物については衣に工夫することで、衣の中に微細な油の粒子を混ぜ込んでおいて、加熱したときにその油でちょっとかりかり感が出せるまでになっているのだ。
そして、少し蒸気を逃がしながら温められるような特殊な包装の開発により、しっとり感は保っているけどびちゃびちゃにはならないように温められる、というものも出てきた。
すでに焼いてある焼き餃子とか冷凍パスタなんかがそうだよね。

最後の問題は焦げ目。
むかしからある冷凍グラタンは、あらかじめ御下目をつけた調理済みのグラタンを温め直すだけ、という形式のものだったんだけど、焦げ目の部分が蒸気でびちゃびちゃになってそれっぽくないのだ。
なので、電子レンジで温めた後に少しだけオーブンで焼く、なんて工夫もあったんだよね。
ところが、最近は焦げ目をつける技術ができているみたいなんだよね。
もともと、電子レンジでも温めすぎると水分がなくなって、かりかりに焦げ、最後には発火する、なんてことがあるのだ。
おそらく、これを逆に利用しているんじゃないかと思うんだよね。
あらかじめ焦げやすい部分を作っておいて、全体は温まる程度だけど、そこだけは少しかりかりに焦げる、というように持って行ければ完璧なのだ。
そこまで技術的に完全に到達できているのかどうかはよくわからないけど、確実に進歩はしているみたいだよ。

ちなみに、焼き魚とかハンバーグなんかで焦げ目をつけたいときは、専用の容器やシートを使うことで焼き目をつけることができるようになっているよ。
これは食品だけでなくて、容器やシート自体も加熱されるようになっていて、その熱が表面からも温めるので焼き目がつく、ということみたい。
フライパンやグリルで焼いたのと同等とはいかないけど、こっちも進化しているのだ。
あくなき探究心だなぁ。

2021/07/03

ジャパニーズ・ミックス

一時期廃れたと思われた大食い番組が復活してきているのだ。
これはYouTubeの影響なんかもあるのかな。
自分は食べられないけど、合成に食べるのを見たい、という趣向はあるみたい。
そして、それと同じくらいよく見かけるようになったのが激辛チャレンジ。
一昔前は罰ゲーム的な扱いだったけど、今となっては、最初から辛いものに挑戦し、完食できたらすごいと褒められる、みたいな感じで、大食いのプロットがそのまま援用されているような感じなのだ。
確かに激しく辛いものを食べられるのはすごいけど、自分で食べるなら、辛さはそこそこでうまみがほしいよね(笑)
っていうか、辛いだけじゃいやだよね。

食欲をそそる、とかそういう意味においては、辛さだけでなく、香りが重要と思うのだ。
うちは一味と七味を使い分けているけど、単純に唐辛子の辛みがほしいときは一味だけど、そばに入れたり、焼き鳥につけたりするなら風味付けのために七味だよね。
探してみると、世界中に同じようなコンセプトと、辛みと風味が一体化した混合スパイスがあるのだ。
七味唐辛子は日本代表だけど、中国には五香粉、インドにはガラムマサラ、米大陸にはチリパウダーなどなど。
これを使うだけで、結構本場の味に近づくんだよね。
五香粉なんかは入っていると本格中華の風味になるよ(笑)
チリパウダーもそうで、ただ唐辛子で辛いだけだと無国籍だけど、そこにオレガノやクミン、ディルなんかの風味が加わってチリパウダーになると、とたんにテクス・メックスに。
ガラムマサラも香り付けに加えると、カレーが家庭料理からインド料理に変わるよ。
そういう意味では便利だよね。

そういう意味では、日本代表の塩地味は少し毛色が違うのだ。
七味はあくまでも風味付けで、日本らしい風味にするのは醤油だったり、味噌だったり、昆布や鰹の出汁だったりするよね。
そこにアクセントを加えるもので、七味を使っても日本らしくはならないのだ。
でも、そばにチリペッパーを入れると日本らしくはなくなるけど・・・。
おそらくこれはそもそもの香辛料の使い方の違いなのかも。
香辛料はもともと、風味付けと言うよりは臭み消しに重要な意味があったのだ。
欧州で胡椒をはじめとした香辛料が珍重されたのも、鮮度が落ちて多少悪くなった肉をおいしく食べるためだよね。
欧州でも、新鮮な食材は塩と香草だけで食べたりするし。
イタリアのアクア・パッツァなんかは塩と魚貝から出る出汁でおいしく食べるもの。

日本はというと、仏教が普及して以降、そもそも獣肉をあまり食べなくなっているのだ。
海産物の場合は鮮度が落ちるとすぐに食べられなくなるから、鮮度のよい打ちに食べるか、干物や塩漬けなどの加工品にするかなので、香辛料を使ってちょっと傷んだものを食べる、ということもまずないし。
たまに食べる獣肉(イノシシ、シカ、ウマ、ウサギ)なんかでも、臭み消しはショウガと味噌程度だよね。
頻繁に食べるものではないし、食材の調達地と消費地がそこまで離れていないので、それで足りたのかも。
なので、香辛料的なものはアクセントとして風味をつける、という方向で使われることが多かったのだ。
ジャパニーズ・ペッパーと呼ばれる山椒なんかはまさにそうで、ぴりっとはするけど、その辛さを前面に出すことはあまりなく、やっぱりさわやかな香りを期待するものだよね。
紫蘇や葱、茗荷、山葵なんかと同じで薬味なのだ。

それが凝縮しているのが七味。
7種類のスパイスを混ぜることにはなっているけど、何を混ぜるかは厳格に決まっていないし、そもそも7種類じゃない場合も。
「七味唐辛子」という名前なので「唐辛子」は絶対に入るとしても、常勤メンバーは、山椒、麻の実、胡麻、陳皮など。
これに紫蘇や青のり、生姜、芥子なんかがくわわるけど、ブレンドはむしろそれぞれのお店の腕の見せ所なのだ。
ボクは祇園の原了郭の黒七味が好きだけど。
老舗もあって、日本最大七味と呼ばれるのは、浅草のやげん堀(元は両国薬研堀にあった)、京都三年坂の七味屋、長野善光寺門前の八幡屋礒五郎の3つなんだって。

起源の説はいろいろあるんだろうけど、江戸初期に両国薬研堀で唐辛子に山椒や胡麻、陳皮などを混ぜた「なないろ」というい名の混合スパイスが販売されるようになったのが最初と言われるよ。
この店が浅草仲店に移転したのが今の「やげん堀」。
当時は、お祭りの露店に来ている店のように、客の要望に応じてブレンドを買えてくれたようで、山椒多め、とか、胡麻抜き、とかもできたとか。
これが名物になって各地に広まっていったんだけど、特に有名になったのが、残りの二つだったみたい。
京都の清水寺に行ったついでに七味を買うのは定番だし、善光寺の最寄り駅であるJR長野駅にはそれこそいろんな七味が売られていて、今でも人気なのだ。

現在は海外にも展開されているんだよね。
海外で日本食というと寿司や天ぷらが定番だったけど、いまは「焼き鳥」もメジャーなのだ。
材料的にも作りやすいしね。
で、この焼き鳥の普及とともに、七味も使われるようになっていったみたい。
ところが、海外の人には「しちみ」というのが発音しづらいし、「いちみ」ともまぎらわしいので、スパイス大手のS&Bは、海外販売用は「nanami」という名称で販売しているんだよ。
今はコロナで行けないけど、海外に行ったらスーパーなどにもあるので、確かめてみると面白いよ。

2021/06/26

季節の味覚

 電車内広告で「夏越ごはん」なるものを見かけたのだ。
6月末の「夏越しの祓え」の行事食だという触れ込みなのだけど・・・。
これまで聞いたことがない!
ともって調べてみたら、2015年に公益社団法人の米穀安定供給確保支援機構というところが夏越しの原絵の時期の行事食にしようと提唱しているものなんだって。
だから広告なのか。
ものとしては、丸く上げた夏野菜のかき揚げを雑穀米の上に載せたかき揚げ丼だよ。
「夏越しの祓え」というと茅の輪くぐりのイメージしかなかったけど、あと十年くらい経つとメジャーになっているのだろうか?

思い返してみれば、現在は当たり前のように節分時期に見かける「恵方巻き」ももともとは関西の一部地方の風習。
これが流通産業のビジネスチャンスとなって全国拡大されたんだよね。
コンビニで売ればそうなるし。
かつてのバレンタインデーのチョコレートと同じ。
もっと古く言えば、「土用の丑の日のウナギ」も、江戸時代に平賀源内が生み出したキャッチコピーというから、こういうものには言い出しっぺがあるものなのかも。
今は一生懸命に、仙台近辺で発症した「七夕そうめん」を広めようとしているよね。
こうして行事食が生まれ、それが根付いて続くと伝統になっていくのかもしれないのだ。

ちょうどその途上にありそうなのが、かなり一般に広まっているこの時期の和菓子の「水無月」。
三角形に切ったういろうの上にアズキがのったもの。
まさに夏越しの祓えの時期にいただいて、残り半年を無病息災で過ごす、というものだよ。
結構古いものかと思っていたら、実は昭和になってから広まったものらしい・・・。
もともとは京都の和菓子屋さんが考案して売り出したものが人気が出て広まった、というものみたい。
でも、このお菓子も、荒唐無稽なものでは決してなくて、いくつかの伝統的な習俗が合流してできあがったもののようなのだ。

そのひとつが、「氷の朔日(ついたち)」と呼ばれるもの。
古代中国の風習が日本に伝わったものらしいんだけど、旧暦六月の朔日に、朝廷が臣下に氷室の氷を賜る「賜氷」という宮中行事があったのだ。
もらった人はさらに茅人為分け与えたりするらしいんだけど、この氷を口にすると、夏やせせず、夏重病気にかからないと言われていたんだって。
奈良時代にはかくりつしていたらしいんだけど、鎌倉時代にはすでに宮中行事としては廃れたらしいのだ。
そうだよね、幕府ができて政治の実権が武家に移るから、朝廷の財力も衰退しているし・・・。
しかし、民間習俗の中には残ったようで、旧暦6月1日に氷室から氷を出してきて食べるような風習ができたみたい。
氷室の氷は高級なものなので、庶民ではなく、あくまでも富裕層のものだと思うけど。
こうしてできあがったのが「氷の朔日」というもののようなのだ。
江戸時代には、本物の氷ではなく、氷をかたどった氷餅(冬の間寒中にさらして凍らせることで水分を除いた餅、いわゆる「凍み餅」)に変わって、これをかき餅にして食べたりするようになったんだとか。
で、この風習は、旧暦6月に氷をかたどったお菓子を食べると病気にならない、というような形で根付いたようなのだ。

もうひとつは、すでに出てきている「夏越しの祓え」。
これはもう古い古い時代から、それこしお乞食にも記述があるくらいの伝統なんだけど、旧暦の6月と12月の晦の日に「大祓」をして、半年の間でたまった汚れを祓い、リセットスrう、ということが行われていたのだ。
そのための方法が茅の輪くぐりだったりするわけ。
ただし、こちらは6月の末日だよ。
で、この「夏越しの祓え」をすることで、前半半年間の汚れを祓い、残り半年間を無事に過ごす、という願いが込められていて、「氷の朔日」にちょっとかぶるところが出てくるのだ。

で、室町時代になると、夏越しの祓えの時期には、「夏越ごはん」ではなく、小麦で作った蒸餅が食べられていたようなのだ。
小麦は春に収穫するのでちょうどよいわけだよね。
イメージ的には、くず粉を使っていない方の「くず餅」(東京や川崎で名物のもの)に近いんじゃないかと思うよ。
ただし、形は三角形ではなく、なんかねじり棒のようなものだったらしいのだ。
江戸時代になると、この小麦の蒸餅は「水無月餅」と呼ばれていたようなのだ。
この頃には大角豆なんかも材料になっていて、今の見た目にも近づいているみたい。

こういう土台の上で、あると気胸との和菓子屋さんが思いついたのだ。
夏越しの祓えで食べている「水無月」というお菓子を「氷の朔日」と結びつけてはどうだろうか。
小麦の蒸餅がういろうになったのがよくわからないけど、おそらく、ういろうで作った方が艶があって透明感も出るので、より「氷」のイメージに近かったんじゃないかと思うんだよね。
さらに、そこに邪を払う「アズキ」を加えることで「祓え」のイメージを強化。
こうして、氷をイメージした▽のういろうの上にアズキが載った水無月になっていくのだ、。
今となってはういろう部分が黒糖ういろうで黒かったり、抹茶ういろうで緑だったりするけど・・・。
濁った氷だね(笑)

2021/06/19

蒸し米を炊いて祝おう

 むかしから「おこわ」が好きなんだよね。
基本的にはごはんはあたたかいものが好きなんだけど、それは、冷めた白飯はどうしても固くなって食感が悪くなるから。
でも、お赤飯やおこわは冷めてももっちりとしていて食感がそこまで損なわれないんだよね。
逆に、あたたかい状態で食べると違和感があるくらい。
妙に柔らかすぎるというか。

これは、「糯(もち)」と「粳(うるち)」の違いなんだよね。
お赤飯やおこわはもち米を蒸して作っていて、お釜で炊いたものではないのだ!
十分に水気をすわせてからせいろで蒸すんだよね。
お赤飯の場合はササゲ(又はアズキ)を煮た赤い汁につけておいいて、それでお米に色がついているのだ。
実は、崎陽軒のシウマイ弁当の俵ごはんはおこわで、冷めてもおいしく食べられるように、と蒸したもち米を使っているのだ。
とはいえ、もち米はむかしは贅沢品だったようで、お祝いの人か、いわゆる「ハレの日」に食べるものだったみたいだよ。

でもでも、歴史的に見ると、今のように白飯を炊き始めたのは江戸時代から!
古くから行われていて、「甑(こしき)」という土器は甕(かめ)と一緒に使ってお米を蒸すためのものだったんだよ。
おそらく、最も古い食べ方は単純に「水で煮る」という方法で、そのまま雑炊のように食べていたと思うんだけど、器に水気の少ない飯粒を盛り付けるようになる頃にはこの「蒸す」という方法が考案されたみたい。
大量にごはんを用意するときには工業的にも優れた方法で、業務用炊飯器の中には高温蒸気で蒸すタイプのものがあって、一般家庭で使われている炊飯器と方式が違うものがあるのだ。

時代が少し下ると「湯取り」という炊飯方式がとられるんだ。
これは長粒米を食べる東南アジアでも行われている方法だけど、大量の水で一端にてゆでこぼし、その後にせいろなどに入れて表面の水気を飛ばすのだ。
東南アジアの方では特に米の粘りけが嫌われるのでパスタのようにお米をゆでるイメージに近いよ。
平安期以降の古代日本も似たような感じで、いったんお米を似てザルなどでこし、それを蒸らして仕上げたようなのだ。
ゆでたお湯は米の粘りけが溶け抱いた「重湯」になっているので、そのまま廃棄せずに、そのまま飲んだり、他の料理に活用したりしたらしいよ。
そして、ザルに上げたゆで米をそのまま天日乾燥させたものが「干飯(ほしいひ)」で、携帯用保存食にしたのだ。
伊勢物語の「東下り」、八つ橋のところで出てくるやつだよ。

今のように、水にひたひたにして炊き始めて、仕上がりには水分が飛んでいる状態にするのは「炊き干し」と呼ばれる方法で、これは江戸時代以降に出てきたのだ。
いったんお湯の中に溶け出したデンプンを最後は米にすわせる形で炊きあげるので、炊きあがったごはんはふっくらとしていてつやが出るのが特徴。
炊くのは少し難しいけど、おいしく仕上がるのでこれが主流になっていったのだ。
ただし、「炊き干し」をうまくするにはお釜やかまどのような道具や技術の発達も必要だったんだよ。
江戸時代には、水から米を炊くのではなく、お湯の中にといだ米を入れて炊きあげる「湯炊き」という方法が一般的だったようだよ。
いわゆる時短で、早く炊けるんだけど、仕上がりはちょっとかためになるのだ(それだけ湯に触れている時間が短くなるから)。
寿司飯なんかにはちょうどよいので、寿司屋では今でもこの方法で炊いているところがあるみたい。

もち米の場合は蒸す方法が根強く残っているのは、性質の違いなのだ。
もち米は吸水性が高いので、炊く前の浸漬時間は短くて良いんだよね。
というか、長すぎると炊きあがりがぐちゃぐちゃ、場合によっては粒がつぶれて固まり常になってしまうのだ。
一方で、水をよく吸う性質であるためにすぐに水気がなくなってしまうので、「炊き干し」で多幸とすると、新までに火が通らないうちに水気がなくなってしまうわけ。
今の炊飯器は優れていてもち米モードもあるから簡単だけど、手動で火加減を調節して炊こうとすると相当難しいみたい。
なので、昔ながらの高温蒸気で「蒸す」という方法が残っていたようなんだよね。

2021/06/12

水を減らせ

夏が近づくと、生ものの扱いが怖くなるよね・・・。
どうしても温度・湿度が高いと傷みやすくなるし。
そんなとき、注目されるのが「ヅケ」。
余ったお刺身を翌日に食べるときは、醤油ベースのつけだれに漬け込んで、というのが有効なのだ。
それに、風味が変わるから、違った味も楽しめるよね。

古くから、食材を以下に長期間保存するかは重要な課題だったのだ。
いつでも手に入るわけじゃないし、手に入る時期とそうでない時期もあるから。
魚介類で最初に思い浮かぶのは、干物。
とりあえず天日干しにすることでけっこう長い間保存できるようになるのだ。
日本では魚の干物だけど、古代ローマだと干し肉だよね。
いずれにしても、干している間に腐ってしまわないように、風が当たるところで蒸発した水分がその場に留まらないように気をつける必要があるんだ。
これは洗濯物を干すのと同じ。

そして、最初はちょっと塩をきかせておくも大事。
最初に塩をすると浸透圧で余計な水分を吸い出してくれるから、乾くのが早くなるし、食材に味をつけることもできるのだ。
でもでも、干物の場合、本当に長期間保存しようとすると固くなってしまうので、食べにくくなるよね。
かといって、干しがあまいと腐りやすくなるのだ。
その見極めが長年の経験でちょうど良いあんばいになっているんだよ。
最近は機械乾燥も多いようだけど。

ここで重要なのは、とにかく余計な水分を抜くこと。
雑菌の繁殖には水が必要なんだけど、それは多くの生物の酵素反応は水環境の常温下で起こるものだから。
自由に使える水を奪ってしまえば、雑菌すら繁殖できないのだ。
干すことでその水を徹底的に取り除くわけ。
ただし、これが湿気に触れてふやけたりすると、そこからまたカビたりするよ。
それはずいぶんが戻ってきたから。

干物ほどは持たなくても、そこそこ保存できるのが塩漬け。
これはきれいな海水が周りにたくさんあって、塩には特に困らない日本では採用しやすいものなのだ。
塩漬けの場合は、もともと高塩濃度環境下では最近が繁殖しづらいというのがあるんだけど、これもようは自由に使える水がないから。
浸透圧の関係で、最近の方が塩に水を奪われてしまうのだ。
そこまでじゃなくても、塩分等による浸透圧で細菌の繁殖を防ぐのが、最初に出てきたヅケだよ。
つけだれレシピを見るとわかるけど、基本は醤油+酒又はみりんで、多くの場合、醤油と酒又はみりんは2:1くらいの割合。
酒やみりんには塩と同様に水分を引っ張るアルコールが含まれるし、みりんの場合はそこに浸透圧を上げる糖分もあるのだ。
こうして、浸透圧の高いつけだれに漬け込むことで、雑菌の繁殖を防ぐとともに、食材に味をしみこませるんだ。
このときも、食材中の水分を奪ってから塩分が浸透していくので、アミノ酸等のうまみが濃厚に感じられるようになるよ。
もともと水気の多い魚の場合なんかは、刺身だとぼやけた味でしまりがないけど、ヅケにするとうまみが濃厚になって食感がとくなったりするのだ。
ちなみに、昆布締めなんかはつけだれじゃないけど、乾燥している昆布が魚から水分を奪ってくれて、代わりにコンブのうまみが浸透していくので、身が引き締まって馬m、芋ますのだ。
そして、ちょっと保存期間が延びる。

でも、塩をきかせたりしただけでは、干物ほどは保存期間は延ばせないんだよね。
せいぜいが、海から遠い地域でも中に近い魚が食べられるようになるくらい。
福井と京都の間の鯖街道で傷みやすい鯖を塩漬けにして運ぶとかそういう話。
もっと保存期間を延ばそうとすると、もう一工夫いるのだ。
それが発酵技術の導入。
塩漬けにしていても、食材自体がもともと持っている酵素や付着していた細菌で発酵してしまうことがあるのだ。
それが腐敗ではなく、食べても問題のない方向だと、「塩辛」になるわけ。
イカの塩辛が有名だけど、酒盗やこのわたのようなものもあるよね。
この発酵をもっと積極的に使うのがなれ寿司。
蒸したお米と一緒に漬け込むことで乳酸菌発酵させるのだ。
一度乳酸菌がはびこるとほかの雑菌は繁殖しづらくなるので、腐敗しづらくなるわけ。
これは滋賀の鮒寿司とか福井のへしこが有名だよね。

ちょっと毛色が違うのは北海道のルイベ。
これは凍らせることで雑菌が自由に使える水をなくすんだよ。
液体の状態の水じゃないと生体反応には使えないからね。
ルイベの場合、凍らせて回答する過程で寄生虫が死滅するという利点もあって、生では食べられないサケ・マスを生食に近い状態で食べられるようになるのだ。
今では遠洋漁業の場合はマグロでもカニでも基本は冷凍して持って帰ってくるけど、ルイベと同じ発想だよね。
ただし、ものによっては冷凍して凍すると身が崩れたりしてしまうものもあるので(特に水気の多いもの)、全部に使えるわけじゃないんだけど。

2021/06/05

薄いと違法

 梅雨の時期になってよくスーパーで見かけるようになるのが梅の実。
ちょうど梅の実の季節に降る雨というのもあって、「つゆ」は「梅雨」と書くんだよね。
なので、ちょうどシーズンなので。
そして、その実のすぐそばには、ホワイトリカーと氷砂糖。
梅酒セットだね。
子どもの時は梅酒の梅の実が好きで、半分酔っ払いながら食べてものだよ(笑)

梅酒は自宅で作れるお酒だけど、作り方には気をつけないといけないんだよね。
現代日本では、酒税法によって酒類の製造には規制がかけられていて、許可を受けていない者が勝手にアルコールを醸造してはいけないのだ。
よく問題になるのは自家製どぶろくだけど、梅酒の場合もちょっと気をつけないといけないことがあるんだ。
それは、きちんとアルコール度数の高いお酒を使って漬け込むこと。
一般にはくせのないホワイトリカーが使われるけど、焼酎やブランデーでもいいんだって。
ただし、焼酎やブランデーにはもともとの風味・香りがあるので、梅と合わさったときのことを考えないといけないのだ。

なぜアルコール度数の高いお酒を使わなければいけないかというと、梅酒は梅の風味をお酒に溶け込ましたもの、という整理だから、
すなわち、すでにあるお酒に風味や香りを付け加えるだけなので例外的に家庭での製造が認められているのだ。
これはほかの果実酒も同じ。
問題は、発酵してアルコールが新たに醸造されてしまうことなんだよね。

有名なのは、NHKの今日の料理で照会された「みりん梅酒」で、もともと甘みのある本みりんに梅を漬け込むと、ほんのり甘い、梅の風味の梅酒ができるんだって。
ホワイトリカーなんかを使うとどうしてもアルコールの濃い梅酒になるので割ったりしないと飲みにくいけど、みりん梅酒はそこまでアルコール度数も高くないので飲みやすいというのだ。
確かに、酒税法ができる前、すなわち、家庭でのアルコール醸造が規制されていなかった時代には、清酒やみりんで作った梅酒もあったんだって。
ところが、こうしたアルコール度数が低いお酒(具体的には、20度未満)で梅酒を作ろうとすると、場合によっては漬け込んでいる間にアルコール発酵が起こってアルコール量が増えてしまうのだ!

これは、梅の実の表面とかにもアルコール発酵を行うような酵母が存在しているため。
通常、アルコール度数が20度を越えると自分で作り出したアルコールで酵母は死滅してしまってそれ以上発酵が進まなくなるんだよね。
なので、醸造酒は普通に発酵しただけではどうやっても20度を越える度数にはならないのだ。
逆に、20度未満だとまだ発酵の余地あり、ということで、たっぷりと原料の糖分もあるし、発酵が起こる可能性もあるんだよね。
そうすると、無意識的とは言え、アルコール醸造をしてしまったことになるのでアウトなのだ!

このため、先の今日の料理のときはあとでNHKが謝罪をしたそうだよ。
でも、みりん梅酒はおいしいらしく、今でもネットなどでは「作ってみた」系の話が出てくるよ・・・。
たぶん、違法醸造に当たる可能性が当たるとは気づかずに。
ちなみに、きちんと許可を取って業者が製造する分には問題ないので、みりん梅酒を製造・販売している会社もあるよ。
どうしても試してみたいなら、それで我慢するしかないね。

さらに、アルコール発酵が起こるのであればまだいいんだけど、通常はほかの雑菌の方が強いんだよね・・・。
そうすると、梅酒自体がダメになるのだ(>_<)
甘みが強いし、香りも強いから気づきにくいときもあるけど、危ないものが生成されている可能性もあるよ。
やっぱり素人が手を出してよい世界ではないのだ。
伊rにいる時間があると校区のを試してみたくなるけど、きちんとレシピを守って合法的に作らないとね!

2021/05/29

生は高級

 本当にはやっているのかどうか実感はあまりないのだけど、高級食パンが注目を集めている、らしいのだ。
「生」食パンとかいって、いわゆるスーパーなどでも買える普及品とは差別化を図っているようなのだ。
焼成しているからこそのパンなのに、「生」とはこれいかに?
どうも、トーストしたりせずとも、そのまま厚めに切って食べるのが一番おいしい、というところが影響しているみたい。
とにかくふかふか、ふわふわでやわらかく、そして、甘みが強いのだそうで。

食パンというのは日本独自の名前で、食事用のパン、おかずと一緒に食べる主食用のパン、ということなんだよね。
で、白飯がそうだからか、日本では甘みのあるものが好まれるようで。
普通の食パンであっても、日本のものは甘みがあるのだ。
これは、パン生地に牛乳やらバター【マーガリン】やらが入っているため。
フランスパン(バゲット)なんかは厳密に、小麦粉、塩、酵母だけで作るべきことが決まっていて、多くの場合、欧米のパンではこれが基本で、日本のパンのように乳製品や油脂類は入れないんだよね。
なので、ちょっと固いし、ぱさぱさしているのだ。
唾液の量が多い欧米人にはこっちの方が合っているらしいけど。

牛乳や油脂類を入れるのは、しっとりとやわらかくなるから。
フランスパンを考えるとわかるけど、皮の部分は固くてぱりっとしているよね。
中の白いところもそこまでやわらかくはなくて、かみ応えがあるのだ。
日本の場合、玄米から白米に移行していったように、やわらかいものがお好み。
パンの耳も柔らかくしたい、パン全体をしっとりさせたい、ということで、牛乳やバターなどを入れるようになったんだって。
フランスパンはあえてこういうものをいれないことで、もちっとさせたり、さくっとさせたりしているんだけど、これは小麦に含まれるタンパク質のグルテンの効果。
うどんのコシと同じだよ。
でも、これってすなわち「かたさ」ということなので、これを緩和するのに油分がいるのだ。

グルテンは網目状に広がっていて、弾力のもと。
このグルテンの網が大きいと腰が強くなるのだ。
そこに油をあらかじめ入れておくと、グルテンの網が大きくなりづらくなるんだよね。
(グルテンは水の介在の下に大きく結合していくので、それを邪魔する油脂があると大きく育たなくなるのだ。)
結果として、ふんわりするのだ。
ただし、ふんわりさせすぎるともちっと感は逆になくなっていくので、食感があるパンの方が好きな場合は「まぜもの」が少なめなパンの方がいいわけ。

生食パンとか呼ばれる高級食パンの場合、ここに生クリームが入っているんだって!
これにより、甘みを増し、かつ、油脂も増やし、ということでより柔らかくしているのだ。
型に入れて焼き上げたときに形が崩れないくらいのぎりぎりの柔らかさに挑戦しているらしいよ。
これはトーストしてしまうと、その際だったやわらかさは目立ちにくくなるので、あえて「そのままお召し上がりください」とうたっているのだ。
厚切りを進めてくるのもやわらかさを強調するためだよ。
トーストする場合も、英国式にかりかりさくさくになるまでしっかり焼くのではなく、軽く焼き目をつけるくらい、というのも同じ。

ちなみに、牛乳の代わりに生クリームを入れる、バターやマーガリンをたっぷりめに入れる、ということさえすれば、通常よりもやわらかい食パンにはなるのだ。
高級食パンの代名詞にもなっている「乃が美」の場合は、最高級原材料を使うことで、さらに高みを目指しているんだって。
厳選されたカナダ産小麦云々とか。
いずれにせよ、糖分や油脂類は普通の食パンより多いので、カロリーもちょっとお高め。
ここは気をつけておかないとまずいよね。
ただでさえやわらかくて食べやすいとついつい食べ過ぎてしまうから・・・。

2021/05/22

濃いめは危険

 いよいよ梅雨入り。
むしむし、じめじめとうっとうしい季節だよね・・・。
そして、気温はそこまで高くないのに、とにかく不快。
汗が出ても蒸発していなくてべとべとするからね。
そして、この時期にリスクが高まるのが、熱中症や脱水症状。
真夏の方が危険な気がするけど、季節の変わり目の方がリスクが高いのだ。

というのも、はじめから猛暑の時はよくわかっているから対策もするのだ。
空調で室温を下げたり、こまめに水分補給したり。
ところが、暑くなりはじめのこの時期、まだ空調をつけるほどでもないな、でも蒸し暑いな、というこのタイミングは全く準備ができていないのだ!
とにかく蒸し暑くなるのでけっこう汗をかくんだけど、水分補給が十分でないことが多いのだ。
どうしても高齢者だとリスクは上がるみたいだから、気をつけないといけないんだよね。
汗をかいたなぁ、と思ったら水分の補給。
なんか気持ち悪いな、ちょっと暑いな、と思ったらすぐに空調をつけるべきなんだよ。

本人にその自覚がなくても脱水症状になっているかどうかわかりやすい指標とされているのが、おしっこの色なんだ。
これは厚生労働省が実施したコンクールでの応募作品のようなんだけど、よくできているのでいろんなところで加工されて使われているよ。
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzenproject/concour/2015/sakuhin5/n006.html
おしっこの色で脱水症状の危険度を「見える化」しているんだ。
薄い黄色は問題ないけど、これが濃くなってくると黄色信号、オレンジから茶色になってきたら赤信号、という具合。
応募したのは製造業の会社で、これを職場のトイレに貼っておいて注意喚起を促しているんだとか。

おしっこの色は主にビリルビンが代謝されてできてくるウロビリンの色。
ビリルビンも黄色で、これがうまく代謝・排出されないと黄疸になるのだ。
たまに栄養ドリンクを飲むとおしっこが異様に濃い色になるけど、これはビタミンB2(リボフラビン)の色だよ。
この場合は蛍光色の黄色なので、脱水症状でおしっこが濃くなっているのとは色が違うよ。
脱水症状の場合は色が濃くなっていくので、山吹色っぽい感じ。
リボフラビンの方はもっとケミカルな感じの色だよ。

で、自分がちょっと脱水症状を起こしているかもしれないと思ったら、まずは水分補給。
軽いものであればとりあえず水を飲めばいいんだけど、重度になってくるとそうはいかないのだ。
重度の脱水症状を起こしている場合、水だけを飲むと体の中で浸透圧が下がってショック症状に陥るのだ!
いわゆる低ナトリウム血症というやつ。
なので、塩分も一緒に摂取する必要があるし、できれば、もう少し浸透圧が高い=まわりの水分を引き寄せるようなものがよいんだ。
なので、よく汗をかく肉体労働の場合なんかは水分補給とともに塩分補給もするよね。
塩の入ったタブレットや飴が推奨されているのだ。
ぐったりしてしまったような脱水症状の場合は、OS-1に代表されるような経口補水液が使われるよ。
これは栄養点滴と同じような成分だけど、塩と糖が一緒に入っているのがミソなのだ。
小腸では、ナトリウムイオンとブドウ糖が吸収されるとき、一緒に水を取り込むんだよね。
これを利用して、ある程度の濃さで塩化ナトリウムとブドウ糖を含む経口補水液を飲むと、小腸で水分が吸収されるのだ。

基本的にはそこまで行かないように気をつけることが大事。
あまりのどが渇いていなくても汗をかいているようなときはこまめに水分補給。
現代の人は基本は塩分取り過ぎなんで普段は気にすることないけど、激しい運動や肉体労働をする場合には積極的に塩分もとった方がよいのだ。
で、トイレに行ったときに軽く脱水症状になっていないかどうかをチェックだよ。

2021/05/15

おまえはどこの?

今はワカメが旬なんだって!
って、ワカメなんて年中あるような気がするけど、これは生ワカメの話。
ワカメは、11月くらいに新芽が出て、それが夏までに大きく育っていくそうなんだけど、若い、柔らかい打ちがおいしいので、生食する場合は春から夏にかけてが旬になるんだそうだよ。
普段は乾燥ワカメや塩蔵ワカメしかみないけど、よくよく探すとこの時期には生ワカメもあるのだ。
さっと湯がいて酢の物にしたりすると食感がよくておいしいそうだよ。
ボクは味噌汁の具でも歯ごたえのあるわかめが好きなので、これは魅力的かも。

ワカメは藻類のうち褐藻に分類される海藻だよ。
褐藻といわれるだけあって、海中では褐色なんだけど、ゆでるとあざやかな緑になるのだ。
藻類の多くはクロレラのような単細胞生物なんだけど、海藻と呼ばれるような海産の藻類の一部は多細胞で非常に大きくなるんだよね。
中でも褐藻に含まれるコンブ。ワカメ、ヒジキ、モズクなんかは日本人ならおなじみだよね。
ちなみに、アサクサノリは紅藻、アオサやアオノリは緑藻だよ。
で、ワカメやコンブを見ると代替形は似ているけど、岩などに付着している「根元」の部分から軸が一本帯びていて、その両側にひらひらした葉状のものがついているのだ。

ちなみに、藻類は陸上植物とは分類上大きく異なるもので、大きなくくりでは光合成をする植物ということなんだけど、生物としての形態上は大きく異なっているのだ。
ついつい、根とか葉とか茎とかいってしまう部分があるけど、厳密には層ではないんだよね。
藻類には根(水分や栄養を吸収する器官)、葉(二酸化炭素を吸収し光合成をして酸素を排出する器官)、茎(維管束を通じて水分や栄養素を全体に行き渡らせるための器官)はないから。
一般に根元の部分は「メカブ」、軸の部分は「茎ワカメ」と呼ばれるんだよね。
根元部分は生殖細胞が集まっている部分で、特に水溶性食物繊維であるアルギン酸やフコイダンが多いのだ。
これらの水溶性食物繊維はいわゆる「ぬめり」のもとで、ねばねばの下だよ、
ゆでたメカブをきざむとオクラやヤマイモのようにねばつくのはこのため。
オクラや山芋でも同じようなことが言われるけど、このねばり成分はコレステロールを下げる働きがあると」言われているので、健康食品的にも扱われているのだ。
メカブほどではないけど、茎ワカメもきざむおねばりが出るんだよね。
生の茎ワカメをさっと湯がいて刻むとやはりねばり、とろみが出てくるので、そこにポン酢をかけて食べたりするようなのだ。

どうも日本人は相当古くから食用にしていたようで、縄文遺跡からも食べていた形跡が発見されるそうだよ。
すでに万葉集にも登場していて、古くから食べ物として親しまれているのだ。
ところが、ワカメを食べるのは、朝鮮半島と日本くらいのようで、その他の外国人はワカメを食べても昇華できないんだって!
実は、バラスト水にマグ入れてワカメは世界中に広がっていて、世界各地で増えているのだけど、多くの外国人は食べられないので、「侵略的外来種」として嫌われているようなのだ・・・。
海藻なんだから悪さしないような気がするんだけど、沿岸部で小型・中型船のスクリューにからまるなどの被害が出ているんだって。
同じように外国人には消化できないノリは寿司の普及とともに知名度を得たようなんだけど(それでもノリがあまり好まれないからカリフォルニア・ロールみたいなのが生まれるんだよね。)、さすがに酢の物とかじゃワカメの食利用は広まらないようなのだ(>o<)
あまり効果はないとすでに言われているけど、「髪にいい」という話が広まればワンチャンあるか?
でも、日本では養殖までしているっていうのにもったいない話だ。

2021/05/08

中間的な形態

コロナで飲食店の時短営業が続いているのだ・・・。
20:00以降はもう胃が移植ができなくなっているわけだけど、ちょっと仕事がたてこむともう間に合わないんだよね(>_<)
かといって、家で自分で作るのもめんどうだし。
というわけで、「中食(なかしょく)」がはやっているのだ。
弁当屋惣菜を持ち帰って、家であたためたり、ちょっとアレンジを加えたりして食べる。
飲食店でサービスを受けながら食べる「外食」と、家で自分で食事を用意して食べる「内食」との中間的な形態だから「中食」なんだって。

言葉としては80年代頃から表れているらしいんだけど、あまり一般的には聞かない言葉だったよね。
コンビニやスーパーなどの流通業界や弁当屋業界なんかでは有名だったのかもしれないけど。
おそらく、意天間で利用すいていなかった層もコロナ禍を機に利用するようになって広まって一般的になってきたのだ。
今ではコンビニ弁当だけでなく、いろんな飲食店がテイクアウト用のメニューを充実させているから、バリエーションが広がったよね。
揚げ物ばかりの弁当とはおさらばだ!
そして、一部の業態に限られていたデリバリーが域に広がって、いろんな飲食店のものが「出前」できるようになったから、さらに広がりがポオ奇異のだ。
温めるだけの冷蔵・冷凍品をミールきっとなんかもあるし、外食しなくても、内食でなくても、ありとあらゆるものがおうちで食べられるようになってきているよね。

言葉はなかったけど、「中食」自体はむかしからあったんだよね。
近世の江戸は、独身男性が非常に多く住む百万都市で、かつ、町人や下級武士の多くはお金もないので、ファストフードや中食が発達していたようなのだ。
江戸のファストフードと言えば、寿司、そば、天ぷらなどなど。
多くは屋台での立ち食いで、さっと食べられるのが魅力。
「中食」としては、料理屋の仕出しやウナギの出前のような高級なものもあるんだけど、庶民相手には惣菜の量り売りが家々をm割ってきたんだよね。
挽き割り納豆にたれとネギを混ぜて売っていた納豆売り、煮豆売り、佃煮売りなどなど。
天ぷらなんかは軽食としても食べるけど、家に持ち帰って白斑のおかずとして食べるのもあったみたい。
江戸においても一膳飯屋のような安価に食べられる飲食店はあったし、もう居酒屋は存在しているのだけど、毎食そこで食べるのはつらいので、家でごはんだけ炊いて、おかずを別に調達する、というのが一人暮らし(特に男性)のスタンダードだったみたい。
コンビニ・スーパーの弁当やファストフードのテイクアウトを家でさみしく食べる姿っていうのは、以外と江戸時代からあまり変わっていないのかも・・・。

で、コロナ前までは、「中食」というと、パーティ料理の仕出しや寿司の出前のようなものでもない限り、家庭では手抜き料理と言われ、一人暮らしでは孤食と呼ばれ、どこかネガティブなイメージだったんだよね。
「お一人様」というポジティブな言葉を津kぁうばあいは、「中食」ではなく、どちらかというとちょっと高級なお店での一人での外食みたいなイメージがあるし。
ところが、コロナ禍で事由に飲食店に行けなくなった今、「中食」のネガティブなイメージはだんだん薄れてきていて、むしろ、自宅にいながらここまで楽しめる、的な感じに替わってきているよね。
商品・サービスの提供側もそういうマインドで拡大路線をとってきているみたいだし。
おそらく、これを景気に一つの食文化になっていくんだろうなぁ。
もちろん外食で食べるのもよいのだけど、よりお手軽に家にいながら本格的なあじをたのしめるっていうのは、コロナに関係なく魅力的だよね。
その土壌が形成されつつあると思うのだ。

2021/05/01

蜜を吸ってはいけない

 今年の桜は早めに咲いて、あっという間に散ってしまったのだ。
気温が高めだったから、八重桜もいつの間にか終わってた。
で、今はちょうどツツジが咲き乱れてる!
GWだから、もうそんな季節か。
ツツジが咲くと春真っ盛りという気がするよね。

ツツジに似た花に、サツキ、シャクナゲ、アザレアなんかがあるよね。
これらはみんな同じサツキ属の植物。
似ていて当たり前で、西洋ではみんなまとめて「azalea」なんだよね。
区別して読んでいるのは日本くらいらしい。


ツツジはよく庭木や街路樹になっているけど、わりと乾燥に強く、丈夫なのだ。
がんがん排気ガスが係るような道路沿いでもきれいに咲いているよね。
花が咲くのは4~6月。
枝先の花芽に1~3輪の花がつくのだ。
落葉樹なので秋には葉が落ちるんだけど、その葉には細かい毛が生えていて、光沢がないのだ。
ちなみに、山の中に自生しているのがヤマツツジ、霧島山に自生していたツツジを園芸品種にしたのがキリシマツツジで、公園や道沿いに植えられているのが主にこれ。

一方、1月ほど遅く咲く、ちょっと小さい花がサツキ。
花の時期は5~7月で、旧暦の皐月、五月雨(=梅雨)の頃に咲くのだ。
もともとは水際に自生することが多く、根が水に強いので、水気が多いところが得意。
雨の時期に咲くのも意味があるのかも。
逆に、ツツジはあんまり水をあげすぎると根腐れするよ。
花は小さいけど、枝先の花芽に1~3輪の花が咲くのはツツジと同じ。
花が咲いている時期はツツジのミニチュアなんだよね。
でも、花以外の時期には違いがあって、葉はツツジと比べて小さく、照りがあって毛もなし。
そして、サツキは常緑樹なので秋に葉が落ちないよ!
つまり、冬には簡単に見分けがつくわけ。

3つめのシャクナゲは、ツツジや五月に比べる地より派手なイメージの花だよね。
花の時期はちょっと短めで4~5月。
しかしながら、シャクナゲの場合、枝先の花芽に5~10輪の花が咲くのだ。
これがシャクナゲの方が派手に見える所以。
そして、葉はツツジより少し細長で、表面に照りがあるけど、裏には毛が生えているのだ。
サツキと同じく常緑樹で、ツツジやサツキがたいてい低木なのに対し、時に背が高くなることもあるんだそうな。

どれも基本の花色は赤、ピンク、白なんだけど、園芸品種が数多く作られていて、黄色、紫、オレンジと多種多様なのだ。
そして、育てやすいというのも特徴で、それが園芸で好まれてきた理由なんだろうね。
これらはアジアに自生する植物だったんだけど、魅せられた欧州人が持って帰って園芸品種にしたのがアザレア。
アザレアは一般名称でもあるんだけど、日本では、欧州で園芸品種になったものが逆輸入の形で入ってきたものをアザレアと呼んでいるよ。
欧州のものは、台湾に自生していたツツジをもとに複雑な交雑を経てできあがったものなんだって。

で、花はきれいなんだけど、このツツジ属の植物にはグラヤノトキシンという毒が含まれていて、品種によっては蜜の中にも致死量に達するほどの量があるのだとか。
安全なものもあるけど、そうでないものとの見分けは専門家でも難しいそうだよ。
小学生が花を摘んでおしりから蜜を吸ったりするけど、極めて危険なんだって!
そういう子供を見かけたら注意しないとね。

2021/04/24

ちょっと先では甘かった

 最近、いろんなところで台湾パイナップルを見つけるのだ。
なんでも、中国本土が台湾パイナップルの輸入を禁止したため、行き場がなくなって困っていたところ、これまで他の場面で台湾にはお世話になったし、友好的感情も持っている日本が引取りを申し出た、ということのようなのだ。
西友で売り始めたのをきっかけに、いろんなところで見かけるようになった。
ボクはもともとパイン好きなので、ちょっと気になっていたんだ。

そして、ついに買ったのだ!
最初は、「ああ売ってるな」という印象しかなかったんだけど、テレビで「台湾のパイナップルは品種改良が進んでいてとても甘い」というのを見てから気になって、気になって(笑)
これまで、フィリピン産はわりと甘いけど、台湾のすぐ近くの沖縄産はそこまで甘くなくて、加工専門だったんだよね。
なので、台湾産も草だと勝手に思っていたんだけど、そうではなかったのだ。
台湾ではかなり進化していた、というわけだね。


もともとは南米はブラジル原産の果物。
「新大陸発見」後、15世紀に欧州に渡り、そこからたちまち世界に広まっていったらしい。
酸味が強いものもあるとはいえ、当時の果物としてはかなり甘かったんだろうね。
フィリピンはスペインの植民地だったので16世紀半ばには伝わり、ポルトガルの植民地だったマカオ経由で中国には17世紀初めに入ったようなのだ。
南国フルーツなので復権で栽培されるようになり、それが17世紀半ばに台湾にも流れていったみたい。
ただし、これは伝わったと言うだけで、大々的に栽培が始まったわけでもないようなのだ。
台湾でパイナップルが盛んに作られ始めたのは、どうも日本統治時代からのようなんだよね。
そこからは世界三大産地の一つに数えられるほどに!

当初は主要輸出産物として主に缶詰に加工されて海外市場に出され炊いたのだ。
ところが、台湾が経済成長していくと人件費などのコストが上がり、価格競争力が弱くなっていき、かつ、田の東南アジア諸国でも生産が盛んになって輸出が減っていったみたい・・・。
そこで、目を内需に向け、国内消費用の果物に替わるのだ。
甘さが追求されるようになるのはここが転換点。
現在のパイナップルは、糖度が高く、芯も柔らかいので切り分けて皮をむけば食べられるんだ。
へたとおしりを切り落とし、縦に等分して皮をそぐようにむけばOK。
自分で切ってみるとわりと簡単。

一方で、いわゆる普通のパイナップルは、そのままだと酸味が強いので、多くはシロップ漬けにするとか加工品になるんだよね。
熱をかけると甘さが引き立つし、パイナップルの中に含まれるタンパク質分解酵素のおかげで肉が軟らかくなるので、酢豚に入ったり、ハンバーグに載せられたりするのだ。
(パインを食べ過ぎるとしびれたり、ぴりぴりするのは、アレルギー反応ではなくて、タンパク質分解酵素で口腔内の粘膜の表面が傷ついているのだ・・・。)。
で、この通常パインは、芯は硬いし、甘さもなくて食べられないので、円柱状にくりぬくんだよね。
その後に皮をむくと、いつも見る輪っか上のパインができあがるのだ。
あれはもともと中心に穴があるわけでも何でもなく、可食部でない芯を取り除いた跡に過ぎないのだ。
世の中にはパインカッターなる便利な道具もあって、へたとおしりを切り落としたらそれで芯をくりぬきつつ、皮をむけるんだ。
そうすると、真ん中に穴の空いた円柱状のパインができるので、それを輪切りにすればいいというわけ。
ちなみに、沖縄産では「スナックパイン」という甘みの強い品種があって、これはちぎりながら食べられるという優れもので、切り分ける必要すらないよ。
台湾だけがすごいわけじゃないのだ。

そして、台湾でメジャーな果物となったパイナップルはお菓子界にも進出。
台湾土産と言えば、「パイナップルケーキ(鳳梨酥)」が有名だよね。
これも内需拡大の結果生まれたもののようだよ。
甘さの中身さわやかなパインの酸味があっておいしいよね。
今はなかなか海外に行けないから、こっちのおかしも日本に来てくれるといいんだけどなぁ。

2021/04/17

さんこいち

復興庁が作ったキャラクター「トリチウムちゃん」があっという間に撤回されたのだ。
正直なところ、センスを疑うものだったので、早めに引き上げたのはよかったと思うけど。
もともと、福島のアルプス処理水の海洋放出の是非の問題があって、その理解を助けるために、と作られたものなんだろうけど、なんだかねぇ。
昭和のにおいのする広報のやり方なんだよなぁ。
けっきょく、こうして話題になっても、テレビなんかで報道するときは、そもそもトリチウムとは何か?、というのには行き着かないんだよね。
ただただおそろしい放射性物質という印象しか与えないのだ。
わざとかもしれないけど。

トリチウムは、和名では三重水素。
この名前からもわかるとおり、最も単純な構造の元素である水素の同位体なのだ。
陽子ひとつでできた核のまわりをひとつの電子が回っているのが水素原子。
陽子ひとつと中性子ひとつでできた核のまわりをひとつの電子が回っているのが重水素(デューテリウム)。
そして、陽子ひとつと中性子ふたつの核のまわりをひとつの電子が回っているのが三重水素(トリチウム)なのだ。
陽子と中性子はほぼ質量が同じで、電子は陽子・中性子に比べてきわめて質量が小さいので、いわゆる普通の水素の三倍近い重さを持った特殊な水素ということになるよ。
なお、中性子が三つ以上入った核を持つ水素の同位体もあるんだけど、いずれもものすごく短い半減期で崩壊するので、天然では見られないのだ。

質量という物理的な性質は大きく違うわけだけど、反応性などの化学的性質はほぼ同じ。
なので、普通に酸素と結合して水になったりするのだ。
重水素でできた水は重水、トリチウムができたミスはトリチウム水(三十水素水)だよ。
ただし、重水素でも存在比率は1%ほど、トリチウムは天然ではごくごく微量にしか存在しないので、自然界には、ふたつtomoが重水素又はトリチウムになったような水はあまり存在せず、ふたつの水素の内野どちらかが置き換わったものがあるのだ。
そうすると、水としての分子量は、普通の水(H2O)が18、半重水(DHO)が19、重水(D2O)が20、トリチウム水が20(THO)、21(TDO)又は22(T2O)となるんだけど、最大の22と最小の18を比べても、2割強増しくらい。
水素原子単独で見るより差はかなり小さくなるよね。
※実際には、酸素にも同位体がいるので、もっとバリエーションがあるよ。

トリチウムは、半減期12.32年でβ崩壊(電子を一つ外に放出)してヘリウム3になるのだ。
天然ヘリウムの多くは、陽子×2+中性子×2の書くからなるヘリウム4なので、それより少し軽いヘリウム原子になるわけ。
質量数が小さい原子にしてはわりと長い半減期で、ごく微量ながら天然にも存在しているのだ。
それは、宇宙船の中性子又は陽子が大気中の酸素や窒素と反応し、原子番号を2落とした元素とトリチウムが生成されるから。
窒素14の場合は炭素12とトリチウム、酸素16の場合は窒素14とトリチウムだよ。
こうして次々に自然界でも供給されていて、それが水の中に溶け込むので、常にほぼ一定の比率で自然界に存在しているんだ。

今回問題視されているのは原子力発電所由来のトリチウム。
自然界でもできているんだけど、それよりも遙かに多くの了が原子炉の中でできているんだよね。
で、他のもっと有害な核種(放射性同位体)を除いた後でも、水の中に混じり合ってしまうトリチウムは除ききれないので、福島のアルプス処理水の中にはトリチウムが大量に入っているのだ。
これを十分に希釈した上で海洋放出する稼働がもんだいだったわけ。
現実的には、トリチウムは生体濃縮はないと考えられていて、普通に見ずとして代謝されていってすぐに体から抜けていくのでそこまで危険視はされていなくて、基準値以下まで希釈して海洋放出mというのが各国の原発で行われてきているのだ。
今回もその考え方にならっているんだけど、事故由来のものであるということ、事故時に海に一部の放射性物質が漏れ出てしまってそれが問題視されてたことなどのもろもろの経緯が積み重なって、原発の排水と全く同じようにはできなくなっているのだ。

つまり、十分に希釈されていれば科学的には問題ないはずなんだけど、事故由来の「汚染された水」がまた海洋を汚染する、ととられかねないことが問題なわけ。
したがって、「風評被害」を抑える必要があって、隣国に声高に騒がれたくないし、「親しみやすい」キャラクターを作って理解を促したい、となったと思われるのだ。
これはうまくいかなかったわけだけど、
地手レアシーの問題は結構深刻で、こういうときにクリティカルにきいてくるんだよなぁ。

2021/04/10

まみれたものたち

ネットで、ダイソーの油漬けカキの缶詰が話題になっているのだ。
110円(税込)でおいしいんだって、中国産らしいけど。
日本ではあまりなじみがないけど、欧米では油漬けってわりとメジャーな保存方法なんだよね。
肉や魚介だけでなく、野菜やキノコなんかもあるのだ。
日本でもっとも家庭に浸透しているのはシーチキンの油漬けかな?

日本では江戸後期になるくらいまで植物油は貴重品。
すでに平安時代にはゴマは伝わっていたけど、ごま油は高級品だったのだ。
当時は明かりのための燃料としても重要で、そのためには安価なものだと鰯の魚油なんかがつかわれたんだけど、なにぶん燃えるとくさいので、むしろ良い香りがする植物油は高級品だったのだ。
江戸時代に合って、菜種油が普及してきて、ゴマやワタの栽培が盛んになると食用油として植物油が使われるようになり、天ぷらのようなファストフードも生まれるんだよね・
それまでの日本式の保存食は、天日乾燥(干物や干し柿、かんぴょうなど)、塩漬け、味噌漬け、粕漬け、ぬか漬け等々。
乾燥させるか高濃度の塩分で水分を吸い取ったものか、発酵系のものに漬け込んで腐敗じゃない、人間にとって都合の良い微生物を繁殖させたもの。

一方、欧州ではかなり早い段階でオリーブから油がとられていたんだよね。
紀元前数千年という古い時代からっちちゅうかいちいきで栽培が始まり、ローマ帝国の拡大によって、欧州、北アフリカ、アラブなどにも広まっていくのだ。
新約聖書の世界では何かと油をぬる、かける、なんて描写が出てくるけど、これらの油はオリーブ油だと考えられているよ。
日本との大きな違いは、むかしから食用油としても利用されていたこと。
そいう背景の中で、保存食を作るときにあぶらにつける、という発想が出てくるのだ。

最大のポイントは、油自体は腐らないということ。
油の中では腐敗性の微生物は繁殖できないんだよね。
おそらく、むかしから油は腐らないことはわかっていたので、その中に食べものを入れておけばいいんじゃね?、というのは自然な流れなのだ。
基本、水分があると腐りやすいのだ。
なので、乾燥させたり、塩分で水分を吸い取ったりして保存性を高めるわけだけど、水に触れないように油に入れるのでもいいわけなのだ(あまり水分が多いものをそのまま入れるとドレッシングのように水と油が分離するので、ある程度水気を切ったもの、すなわち、軽く干したものや塩漬けにしたものを油漬けにすることが多いのだ。)。
かつ、油には様々な香味成分が溶け出すんだよね。
香辛料やハーブを入れた油は良い香りや味がつけられるのだ。
それが漬け込む過程で食べ物にも移るんだよね。

では、油漬けに弱点がないかというと、そういうわけでもないんだよね。
油は腐敗しないけど、参加して劣化するのだ。
透明でさらさらな油が濁ったり粘ついたりするのだ・・・。
紫外線、空気(酸素)、熱の3つが劣化の要因。
なので、冷暗所で密閉して保存するのが油を長持ちさせるこつ。
イコール、油漬けをおいしく保つこつなのだ。
オリーブ油が多くの場合濃い色の瓶に入っているのは酸化を防ぐため。
おしゃれな油漬けの野菜なんかは透明な瓶に入っていることもあるけど、これを明るいところに置いておくとどんどん油が酸化してきて、味が落ちるよ。
要注意!

ネットで調べると、様々な油漬けレシピが見つかるのだ。
ジャムと違って、原理的には瓶を煮沸消毒しなくてもよいのだけどできるだけきれいなものをつかうのは言うまでもないとして、できれば色のついた瓶の方がいいわけ。
透明な瓶のバイ愛は光の当たらない場所で保存が原則。
漬け込む前に水分が多いと油もしみていかないので、野菜やキノコなら軽く干してから、肉や魚なら軽く火を通したり、燻製にしたり、塩漬けにしたりして水分をあらかじめ抜いておくとうまくいくみたいだよ。
ネットのレシピでは余ったお刺身を「ヅケ」ではなく油漬けにしましょう、なんてのがあったけど、そのまま切り身を油に入れてもおそらくそんなにうまくいかないのだ。
塩をしてしばらく放置してからキッチンペーパーでよく水分をふきとってから漬け込むと良いよ。

2021/04/03

焼けた鉄の板の上でおどれ!

うちは記念日とかの特別な日にちょっとゴージャスに外食しよう、となると鉄板焼きを選ぶことが多いのだ。
目の前で手際よく焼いてくれるのは見ているだけで楽しいよね。
米国に留学しているときは、向こうに伝わって鉄板焼きの「ヒバチグリル」に連れて行ってもらったことがるんだけど、さらにパフォーマンスが派手なんだ。
エビのしっぽを高く上げてシェフ帽に載せてみたり、ぐちゃぐちゃとまわりにまき散らしながら豪快にガーリックライスを作ったり・・・。
そんなことしているから肉はたいてい焼きすぎなんだけど(笑)

でも、日本のものはなかなか見事で、注文したとおりに焼き具合で仕上げてきてくれるよね。
鉄板の上でさっさっと肉を切っていくのもすごいのだ。
さすが職人技の国。
そのむかし、グルメ漫画の王道「美味しんぼ」では、鉄板焼きをかなりこき下ろしていたけど、いつものように言いがかりみたいな所もあるんだよねぇ。
山岡さんが問題視してたのは、鉄板の上で作業をし続けるので肉にどんどん余計な日が入ってしまうし、そもそも絶妙な温度調節ができないので、表面にさっと焼き目をつけてあまり高くない温度でゆっくり中に火を通す、なんてことができない、というもの。
ところが、一流と言われるような鉄板焼きのお店では、鉄板の温度にグラデーションができていて、温度が高いところと低いところがあるんだ。
なので、ちゃんとじっくり火を通す、高温でさっと火を通す、なんてこともできるのだ。

そもそも、鉄板の厚さとかにも工夫があって、肉や魚介をのせたときに鉄板表面の温度が下がらないよう、かなり分厚いものになっているんだよね。
家庭用のフライパンやホットプレートでうまくいかないのはこのせい。
肉をのせた瞬間に表面の温度が下がってしまうのだ。
これはその後の加熱も同じで、鉄板が熱いがゆえに温度を上げづらくもあるので、焼いている最中に温度を一定に保ちやすいのだ。
フライパンだとこの温度管理はけっこう難しいんだよね。
なので、海外では焼き目をつけた後はオーブンに入れてじっくりと火を通したりするのだ。

今のような鉄板焼きのスタイルを始めたのは神戸の「みその」と言われていて、寿司屋におけるカウンターから客に提供するスタイルからヒントを得たとか。
どちらも料理人がその場の作ったものを出してさっと食べてもらうというのは確かに同じだよね。
寿司でも草だけど、料理人さんとの会話も楽しめるのだ。
フランス料理のジョエル・ロブションは世界で一番たくさんミシュランの星をもっているシェフとして有名だけど、ジョエル・ロブションのレストランのうち「ラトリエ」の名を冠しているところがまさにこのスタイル。
ゲストに対して料理人さんが張り付いて、目の前で最後の仕上げをして料理を提供するのだ。
厨房でシェフが作ったものをギャルソンが運んでくるスタイルとはかなり異なるよね。
この料理はおいしかった、シェフを呼んで、とか言わなくても、目の前の料理人さんと会話も楽しめるわけ。この日本式鉄板焼きは海外にも広がっているんだ。
最初は日系ホテルの中のレストランで提供されたようだけど、そのスタイルが気に入られ、普及していったようなのだ。
米国ではパフォーマンスに特化する方向に魔進化したところもあるけど、世界に広く受け入れられた日本のソフトパワーの一つなんだ。
ステーキなら生魚の苦手な外国の人も食べやすいし、寿司より抵抗感がないかもね。

2021/03/27

東西の差

全国的に桜が咲く季節になってきたのだ。
開花と思ったら、あたたかい容器が続いて一気に花開いたね。
3月中に満開近くになるのもめずらしいかも。
春の風に散る花びらがまた風流だ。

この季節のお菓子と言えば、桜餅。
桜の葉の塩漬けから香る桜の香り(主にクマリンという成分だよ。)がすがすがしいよね。
塩味も上品な甘さを引き立てるのだ。
そして、有名な話として、関東と関西では桜餅と言ったときに思い浮かべるものが違うんだよね。
東西で全く異なるお菓子になっているのだ。

東の桜餅は長命寺桜餅。
隅田川沿いにある長命寺の門前で売られていたのが有名得、そう呼ばれるのだ。
桜色の小麦粉をベースとしたもっちりしたクレープ上の生地で案を挟んだり包んだもの。
元祖長命寺桜餅は桜の葉3枚で巻くんだけど、通常は1枚なのだ。
クレープ生地は小麦粉の他に餅粉とかも入れるみたい。
多くはこしあんだね。

西の桜餅は道明寺桜餅。
道明寺粉(蒸した糯米を干してから粗く挽いたもの)を使ってつぶつぶ感の残る餅皮を作り、大福やまんじゅうのようにあんこを包むのだ。
やっぱり餅皮は桜色になっていて、長命寺と同様に桜の葉で巻くのだ。
桜色のおはぎを葉っぱで包んだような見た目。
こちらはつぶあんもあるみたい。

桜餅という名称で売り出したのは長命寺の方が早いっぽいんだけど、お菓子の形状で言えば、道明寺の方が伝統的なものなので、桜餅という名称だけいただいて作り出された可能性があるんだよね。
和菓子の元祖とも言われ、道明寺粉の餅皮に餡を包んで椿の葉で挟む「椿餅」は平安時代からあるのだ。
これは京菓子。
だとすると、桜餅という名称だけを聞いた京都の和菓子職人であれば、けっこう容易に道明寺桜餅の形を思いつくと思うんだよね。
だとすれば、あんまりどっちの桜餅の方が古いとか争うこともなくて、自分の好みで好きな方を選べば良いはずなんだ。
ボクは割と両方とも好きなので、最近より見る長命寺と道明寺のセットものを買うことが多いよ(笑)

同じように、東と西で呼び名が変わる甘味があるんだよね。
それが汁粉。
関東の場合、汁気があるものは粒が残っていようがいまいが汁粉なんだけど(つぶがあるのが田舎汁粉、つぶのないのが御膳汁粉)、関西では、粒が残っているものはぜんざい、粒がないものが汁粉なのだ。
なので、西野出身の人は田舎汁粉の意味がわからないんだよね!
さらに、汁気がなく、やわらかくした餅に小倉あん(多くの場合はつぶあん)を載せたものを関東ではぜんざいと余分だよね。
関西ではこれを亀山などと呼ぶのだ。
こうなると、東の人から言うと、汁気がないのがいいのに、関西に行ってぜんざいを頼むと汁粉が出てきてしまうのだ。

桜餅の場合、名称だけ同じで形状が異なるのだけどお、汁粉・ぜんざいの場合は入り組んでいるので、自分が思ったものとは違うものが出てくる、というのがよりまぎらわしいのだ。
さすがに情報化時代でいくらでもこの手の情報に触れるので今は混乱が少ないだろうけど、ネットが発達する前は、関西と関東の間を引っ越したりすると混乱があったのだろうなぁと想像するよ、。
けっこう身近なところで日本文化も多様性があるよね。

2021/03/20

でべそでもブランドもの

 スーパーで「不知火」という柑橘類を買ってきたのだ。
売り場に張ってあった「あおり」を読むと・・・。
『いわゆる「ポンカン」と同じ柑橘類で、酸味が少なく非常に甘いです。』と書かれていたよ。
その横で、「デコポン」がもう少し高い値段で売られていたんだけど、なんとなく「不知火」の方を買ったのだ。
すでに高級柑橘類の「せとか」を1個買っていたのもあるんだけど(笑)
で、少し気になったので、不知火とデコポンの関係を調べてみたんだ。

基本的には、不知火(シラヌヒ)はミカン科ミカン属の柑橘類の栽培品種で、大陸系の水分が少なめのポンカンと、温州ミカン(いわゆる普通のミカン)とオレンジを掛け合わせたタンゴールである「清美」を荒廃させて作られたもの。
長崎の島原にあった農林水産省の果樹試験場(現在は国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)で作られたのだ。
独特の「へそ」のような戸田付近の出っ張りが特徴なんだけど、その見た目があまり良くないのと、そのためにどうしても不揃いになってしまうのもあって、栽培品種には不向きと当初は品種登録されなかったそうなのだ。
ところが、その試験栽培の苗木が島原湾を挟んだ反対側の熊本県の不知火町に持ち込まれ、試しに栽培してみると、非常に甘い実ができたのだ。
成熟してくると川がしぼんでくるそうなんだけど、そのくらいが収穫時で、この過程で甘みが増すようなのだ。
こうして、ちょっと見た目は不細工だけど甘い栽培品種の「シラヌヒ」が生まれたわけ。

で、この新しい「シラヌヒ」を売り出すときに工夫をしたのだ。
それが品質保証で、糖度13度以上酸度1度以下の甘みが強くて酸味の少ないもののみ選択し、「デコポン」という名前をつけて流通させたんだ。
つまり、「デコポン」は登録商標(商標の所有者は、熊本県果実農業協同組合連合会)。
当然その名称使用には制限があって、日本園芸農業協同組合連合会傘下の農業団体のみが使用を許諾されているのだ。
生産者個人が販売する場合や、農協を通さずに独自ルートで販売する場合はその名前が使えないわけ(>_<)
つまり、ボクがスーパーで見かけたのは、おそらくスーパーが独自に契約農家から仕入れたもので、農協を通していないので栽培品種の名前である「不知火」で売られていたのだ。

ここで気をつけないといけないのは、「デコポン」であれば甘くて酸味が少ないという基準を満たしているので、確実においしいのだ。
一方、「不知火」はその基準を満たしているかどうかは関係ないので、よいものもあれば、そうでないものもあるわけで・・・。
独自ルートで仕入れた質の良いものならよいのだけど、「デコポン」と名乗れなかった甘みが薄いもの、酸味が強いものの可能性もあるのだ。
そこは見極めないといけないわけだよね。
おそらく、「デコポン」のブランド維持のため、基準を満たさなかったような果実は加工品に回したりして生菓としては流通させないんじゃないかな。
加工品であっても「デコポン」の登録商標の範囲内なので、仮に加工品になっても「デコポン」を名乗ることは許されないんだけど。
みかんの世界も厳しいのだ。

デコポンはハウスものだと年末年始頃から出回るんだけど、ちょうど今くらいの時期に出てくるのが露地栽培のもの。
この後も低温貯蔵されたものが夏前までで回るらしいけど、まさに今が旬なのだ!
ちなみに、不知火は収穫当初ちょっと酸味が強くても、貯蔵しておくと酸味が抑えられるようで、そういうのを後回しに出荷するみたい。
もともと果皮が厚くて日持ちもするのでそういうこともできるのだ。
ちなみに、ボクが買ってきた不知火は酸味はほぼ鳴く、非常に甘くておいしかったよ♪

2021/03/13

オレの屍を越えていけ

もうすぐホワイトデー。
ホワイトデーは感じで白日。
白日と言えば、King Gnu。
というわけで、今回気になったのはヌー。
もちろん、動物の方だよ。

ヌーはウシ科の動物で、アフリカ大陸の南部、ケニアやタンザニアの当たりに生息しているのだ。
牛とカモシカを掛け合わせたような見た目で、顔が大きくて角は立派なんだけど、脚はカモシカのような脚(笑)
ウシというとどちらかと言えばもっさりしたイメージだけど、ヌーは怒濤のごとく走るイメージ。
これは、ヌーは季節ごとに集団で大移動する性質があって、それをよくテレビで見たりするからだと思うんだよね。

ヌーが生息しているあたりは乾季と雨季がはっきりしているので、寒気になると雨が降る方=えさとなる草がある方に草食動物が移動するのだ。
歩奥の場合、天敵である肉食動物に備えるために秀だね異動するんだけど、ヌーはその集団の大きさが半端じゃないんだ。
その数なんと100万頭以上!
まるでナウシカに出てくる王蟲のようだよ。
1年で1600kmを超える距離を移動して、えさを求めてぐるっと異動し続けるのだ。

そのところどころに天敵である肉食獣のライオンやチーター、ヒョウ、ハイエナなんかがいて、むれからはぐれた個体、けがなどで群れの動きについて行けなくなった個体などが捕食されるんだ。
ただし、大集団で移動しているときは、そこに突っ込むと逆に肉食獣の方が踏みつぶされてしまうので、あくまで近くで監視していて、弱ったやつが出てくるとそれをおそう、という構図みたい。
また、ヌーの移動先には必ず水もあるので、ヌーについていくとけっこうくいっぱぐれがないのだ。
さすがに肉食獣には縄張りがあるのでどこまでも追いかけることはないみたいだけど、自分のテリトリーに入ったところから出て行くところまではストーキングするわけだね。

この大移動自体がすごいんだけど、中でもクライマックスは川渡り。
アフリカの川なので日本でイメージする川とは大きく違って過酷なもの。
川幅は広いし、天敵であるワニも生息しているのだ。
そして、川渡りの時期は、繁殖が一段落した頃で、生後半年程度の仔ヌーをつれながらの移動になるんだよね。
もちろん、子供たちを群れの真ん中において大人たちがサポートし、また、天敵から守りながら渡るわけだけど、ぐずぐずしていると天敵に襲われるのでそれなりにスピードが必要。
すると、群れの動きについて行けない子供も出てくるし、もともと体力が弱っていておぼれるような個体も出てくるのだ。
ケニアとタンザニアの国境付近に流れているマラ川を渡るときは、6000頭以上が命を落としていると推定されていて(それでも100万頭の集団とすると0.6%!これが「数の力」だね。)、その死体は1000トン以上になるそうだよ。
シロナガスクジラ10頭分くらいらしい・・・。

これだけの数となるとワニも食べきれなくて、川に死体が残るのだ。
これが徐々に腐敗sい、分解されていくんだけど、実は、これが重要な栄養源として生態系に還元されているんだって。
特に、最後まで残る骨は徐々に分解されていくんだけど(約7年かかるとの推定)、その過程で植物にとって貴重な栄養素である有機リンが出てくるのだ。
これによって、肥沃な草原が生まれ、またそこが草食動物のえさ場になるのだ。
もちろん、途中で朽ちていく肉は魚のえさになって、それはワニや鳥のえさになるのだ。

ところが、最近ではアフリカでも土地開発が進んでいて、農場や牧場が作られてしまうのだ。
そこを大集団で移動してきて荒らされては困るので、フェンスをもうけたり、柵で囲ったりするわけ。
そうなると、移動するヌーの方は移動のルートを変更せざるを得ない。
ルートが変更されると、川を渡る場所が変わるので、その生態系にとってみると、定期的に来るはずだった栄養が来なくなることを意味するのだ。
こうして土地開発をしたところから離れたところでも環境影響が出てくるみたい・・・。
これはかなり難しい課題だよね。
でも、こういう生態系の栄養循環はどこかがほころぶと全体がダメになるんだよなぁ(>_<)

ちなみに、ケニアやタンザニアではサファリツアーとして野生動物を見るのが大きな観光資源になっているけど、このヌーの大移動は人気のツアーみたい。
あまり近づけないだろうけど、100万頭が怒濤のごとく走り抜けていくというのはかなりの壮観だろうね。
テレビなどで映像で見ているだけでもすごいけど、そこに震動なんかもくわわるんだろうなぁ。
それと、ヌーの集団には往々にしてシマウマも混じっているらしいので、ヌーの大移動を見に行くとたいていシマウマもついてくるよ。

2021/03/06

ひな祭りリキュール

 3月3日はひな祭り。
もともとは健康長寿を願う「上巳(桃の節句)」だったんだよね。
ひな人形も最初は飾るものではなく、川に流すもので、汚れを人形に託して川に流すことで健康を願ったのだ(「流し雛」)。
これがどうも江戸時代くらいにひな人形を飾る風習に変わり、そこに備えられるようになったのが白酒だよ。
室町時代には桃の花を浸したお酒を飲んでいたらしいんだけど、それが江戸時代に今のような白酒になったようなのだ。
一見濁り酒のように見えるけど、実は全く異なるものなのだ。
上品などぶろくとばかり思っていたよ(笑)
甘口のお酒なので、婦女子向けなんだって(っていうのもおかしな話だけど・・・)。

また、白い色に意味もあると考えられていて、花嫁衣装である角隠しや白無垢が示すように、白い色は純粋無垢であることの象徴で、そのために女の子の祭りにふさわしいと考えられたとも言われているみたい。
酒自体には清め、払いの意味がもともとあって、かつてはの桃の節句は不老長生を願って桃の花びらを浮かべたわけだけど、江戸時代に女の子の節句となってからは、こういう意味合いも出てきたんだろうね。
ひな祭りの食事と言えば、ちらし寿司とハマグリの吸い物が定番だけど、夫婦和合の象徴であるハマグリも幸せな結婚を願うとの観点でひなまつりに入ってきているようなのだ。
今はそういう社会ではないけど、当時の日本では、女の子は幸せな結婚をすることこそが大事だったからね。
そういうからみの縁起物が混ざってくるのは仕方ないのだ。

白酒は混ぜて作るもので、焼酎やみりんといったアルコール度数の高いお酒に蒸したもち米と米麹を加え、熟成させたもの。
これって、焼酎やみりんに甘酒を混ぜているようなものだよ。
麹はデンプンを分解して糖を産生するので、甘みが出るのだ。
でも、強いアルコールの存在かだし、ここには酵母、つまり、酒母や酛(もと)と呼ばれるものは入っていないので、産生された糖がアルコールに発酵することはないのだ。
その辺にも自然酵母はいるけど、アルコール存在下では増殖できないので、それだけじゃ発酵は進まないよ。
なので、後から加えているもち米は、まさにアルコール発酵の手前で止める「甘酒」の状態なんだよね。
最終的には、残っている粒をよくすりつぶしてできあがり。
どぶろくの場合はまだ粒が残っているけど、白酒はすりつぶしているので、全体的にもわっとしているのだ。

で、この製法のため、酒税法上は「リキュール類」に分類されるんだって。
仕上がりでは、アルコールは9%程度、糖分は45%程度というから、かなり甘めのお酒だよね。
甘いだけでそれなりにアルコールは強いから悪い酔いするタイプのやつだ・・・。
強めのアルコールに果汁などを混ぜるカクテルと同じ。
もっと言うと、焼酎に混ぜものをして飲みやすくする酎ハイと同じなのだ。
焼酎の甘酒割だよね(笑)
逆に言うと、わざわざ白酒を買ってこなくても、家にある甲種焼酎に買ってきた麹甘酒を混ぜても良いのかも。

この白酒で特に有名だったのは、神田猿楽町にあった豊島屋。
一説には、ひな祭りの白酒はこの店から広まったとも言われるくらいだよ。
もともとしろ酒は高級な甘いお酒として季節を限定せずに売られていたらしいんだけど、この豊島屋が桃の節句前に売り出すのが大いにもてはやされたんだそうだよ。
江戸での白酒の元祖と言われていて、桃の節句に白酒がつきものになって行くに当たって大きな貢献をしたのは確かみたい。
現在は所在地は東村山に移っているけど、白酒の製造は続けていて、皇室へも届けているとか。
ちなみに、今でも豊島屋は白酒の売り出し時期をひな祭り前の一時期に限定しているんだって
そう言われるとちょっと試してみたい。
機械ですりつぶすのではなく、昔ながらの伝統製法に従って石臼ですりつぶしているので、ものすごくきめの細かい白酒だそうだよ。

2021/02/27

お達者世代

 いよいよ高齢者へのコロナワクチン接種の目処が立ったみたいなのだ。
4月12日からを目指すんだって。
当初は年度明け早々と言っていたから、2週間くらいの遅れかな?
まだまだ課題はあるから、一般の人向けはまだまだ先だろうなぁ。
で、気になったのが「高齢者」の範囲。
なんとなく「お年寄り」だよね、とはわかるんだけど、実際誰が対象なのかよくわからない・・・。
というわけで調べてみたのだ。

おそらく、今回の「高齢者」は「高齢者の医療の確保に関する法律」における高齢者なのだ。
こちらだと65歳以上が対象ということになるよ。
今は定年が65歳になりつつあるから、現役を退いた世代、ということになるよね。
実は、国内では一番元気な世代でもあるのだ。
「老害」と言われてしまうような、迷惑をかける世代もいるよね(>_<)
世代間闘争をしてもあんまり意味がないのだけど、コロナ対策としては、高年齢の人の方がリスクが高くなるので、まずは高齢者から、というのは妥当なはずなのだ。

一方で、別の法律、つまり、高齢者等の雇用の安定等に関する法律の世界では55歳以上なんだよね。
法理乙の中では「省令で定める年齢以上の者」となっていて、この法律の施行規則である厚生労働省令で「55歳以上」と決まっているのだ。
その差、10歳。
これはけっこう大きいよね。
基本的にコロナ対策は医療の話なので、65歳以上なはずなのだ。
特に報道とかでは言及されないけど。

で、この65歳以上というのも、けっこう複雑な規定ぶりになっているんだ。
定義として「高齢者とは、65歳以上のものをいう」となっていれば簡単なんだけど、そうではないんだよね。
まず、「高齢者の医療の確保に関する法律」の中では、「高齢者」自体の定義はなく、はだかで使われているのだ。
これは一般名詞としての、いわゆる「高齢者」という使い方。
社会通念上の「高齢者」なんだよね。

では、どうなっているのか?
この法律ができたときに話題になったのだけど、この法律では「高齢者」を二層にわけていて、「前期高齢者」と「後期高齢者」がいるのだ。
「前期高齢者」については、各種健康保険の加入者のうち、「六十五歳に達する日の属する月の翌月(その日が月の初日であるときは、その日の属する月)以後である加入者であつて、七十五歳に達する日の属する月以前であるものその他厚生労働省令で定めるもの」となっているんだ。
「その他厚生労働省令で定めるもの」というのは、75歳以上で各種保険の緩急者となっている人を指すようなんだけど、おそらく、75歳の誕生日を迎えてこれまで感泣していた健康保険から後期高齢者医療制度に移行するまでの「ラグタイム」をなくすために入っているものだと思うのだ。
75歳の誕生日を迎えてから14日以内に所定の届出を地元の広域連合に出して資格認定を受けるんだけど、どうしても事務手続きに時間がかかるから。
実際には資格認定日は「さかのぼり」で誕生日当日とかにしているんだろうけど、資格認定前、例えば、誕生日翌日に何かあって保険関係の問題が生じると整理できなくなるからね。
ちなみに、この定義も、「前期高齢者」そのものを定義しているわけではなくて、「前期高齢者たる加入者」を定義しているのに注意が必要だよ。

「後期高齢者」はもっと複雑。
一般に75歳以上と言われるけど、法律上定義されているのは、「後期高齢者医療制度の対象範囲」のみ。
で、この対象は、75歳以上の高齢者と、65歳以上75歳未満の前期高齢者のうち政令で定める程度の障害を有していると認定された人。
つまり、75歳未満でもこの制度の対象になるのだ。
でも、一般には障害が認定されている前期高齢者のことは後期高齢者とは呼ばないのだ。
なので、75歳以上ということでよいんだけど、これも法律上明確な定義があるわけじゃなく、後期高齢者医療制度のメインの対象が75歳以上だから、名前に就いている後期高齢者は75歳以上のことだよね、という理解に基づくものなのだ。

というわけで、よくわかっているようで、実は複雑に定義されているのが「高齢者」というものなのだ。
ワクチンの優先接種については、65歳以上という仕切りでやるんだろうけどね。
それでも、接種開始見込み時期までに65歳になっているのか、すでに65歳以上の人しか対象にしないのかなどの線引きはいずれ必要なんだろうなぁ。
もう決まっているのかもしれないけど。

2021/02/20

コロチュウ

いよいよ医療関係者への新型コロナワクチンの接種が始まったのだ!
特殊な注射器を使えない場合は摂取可能な人数が減るなどの問題も出てきているから一般向けの接種開始は見通せないけど、大きな一歩ではあるのだ。
すでに海外ではけっこう使われているから、効果や副反応はそっちを参照できるし、多少遅れているくらいの方が実は有利だと思うけどね。
早く早く、という勢力と、怖いから摂取したくないという勢力がなぜかネットで争っているけど、本当に効果があるなら、この異常な状況を収束するために有効に使いたいよね。

さて、そんな新型コロナワクチンだけど、摂取方法にも注目が集まっているのだ。
テレビなんかの映像を見ていてもわかるんだけど、普通に想像するものと違うんだよね。
インフルエンザの予防接種の場合は腕に対して角度をつけて斜めに針をさすけど、コロナの場合はかなり垂直に近い形でぶすりと刺しているんだよね。
なんだか痛そう・・・。
実際はそんなにいたくないと言うけど。
これは、今回のワクチンは筋肉注射で接種されるからなのだ。

海外では、多くの不活化ワクチン(病原体を弱毒化した「生ワクチン」に対し、抗体反応を惹起するために病原性を持たないように加工されたもの)の接種は筋肉注射で行われるんだよね。
これは筋肉組織のまわりの方が毛細血管も多く、有効成分が血液中に吸収されるのが早いので、免疫効果が高いと言われているため。
日本では、過去に小児への各種ワクチンの筋肉注射によって「大腿四頭筋拘縮症」という筋肉組織がダメージを上家手壊死してしまう副反応が多く報告されたため、皮下注射が主流になっているのだ。
これが斜めに刺すやつで、筋肉組織の手前の皮下組織に注入する方法。
じわじわと有効成分が吸収されていくので、筋肉注射よりさらに遅効性になるのだ。
インスリンなんかは徐々に効かせる必要があるので、わざと皮下注射にするんだよね。
手術時の昇圧剤とか鎮痛剤とかすぐに効かせる必要があるものは、直接血流に入れる静脈注射になるよ。
今回はワクチン接種だけど、とにかく効かさないといけないから筋肉注射にしているのかも。
海外の接種事例もみんな筋肉注射だしね。


さらに手前で止める注射もあって、それは皮内注射。
表皮と真皮の間に入れるのだ。
ちょうど入れ墨の色素を入れるところ。
ツベルクリンやアレルギーテストのなんかの場合に使うよ。
治療と言うよりは検査目的で使うことが多くて、真皮の手前なので皮膚の色が変わった(赤変など)のがよくわかるから。
さらに、結核の生ワクチンであるBCGのハンコ注射は経皮接種という方法で、皮内注射よりも手前。
皮膚表面に細かい傷をつけ、そこから吸収させるという方法だよ。
ただし、この場合はどうしても傷跡が残るんだよね・・・。

で、ワクチン接種にはいろいろと方法があるわけだけど、ひそかに注目を集めているのは、痛いのかどうか。
効果の有無や副反応の方がはるかに重要なんだけど、実際に接種するとなると、ここが気になるよね(笑)
むかしは日本脳炎のワクチンも筋肉注射で行われていて、特に痛い予防接種と言われていたのだ。
確かに奥深くまで刺すので痛い可能性はあるのだけど、どうも垂直に近い確度で刺すことで恐怖心が増しているという心理的効果もあるみたい。
慣れているはずのインフルエンザの予防接種とも注射の仕方が違うので、どうしても構えちゃうよね。
そこまで痛くないという話は出てきているけど、どうなんだろう?
きっと夏前には一般向けの接種も始まるから、そこでわかるんだろうけど。

2021/02/13

死人に口あり?

フジテレビのいまの月9ドラマは「監察医朝顔」。
もともと漫画が原作で、漫画とは少し設定を変えた形でドラマになっているようなのだ。
第2シーズンをやっているくらいだから人気なんだろうね。
で、タイトルのとおり、主人公は大学の法医学教室に勤める監察医で、警察からの依頼で犯罪性のある遺体を解剖して謎を解き明かしていく、その合間合間に家族のドラマも入れていく、みたいな感じ。

むかしっから監察医はわりとミステリーで取り上げられるよね
どうしても死因を追求しなくちゃいけないし、凶器の特定や死亡時刻の推定は犯人を追い詰めるのに必要なので。
王道は刑事や探偵が主役で、監察医はそういった主人公のサポート役なんだけど、ミステリーも多様化してきて、監察医を主人公に据えたようなものが出てきているのだ。
ドラマだと関東監察医務院(架空の組織)が舞台の「きらきらひかる」(やっぱり漫画が原作)なんてのもあったよね。
海外ドラマでもあるみたいなので、必然の流れなのかも。
もともと深くコミットしている関係者だから、「スチュワーデス刑事」とかそういうのよりは話は自然だよね(笑)

もともと監察医制度は、死因が不明な死体を解剖して死因を究明することを目的に作られた制度で、死体解剖保存法第8条第1項の規定に基づくもの。
実は、日本全国が対象ではなくて、政令で定められた特定の地域のみ(監察医を置くべき地域を定める政令によって、東京都の23区、大阪市、横浜市、名古屋市及び神戸市となっているのだ。)。
これらの地域では、監察医務院を置くか、大学の医学部の法医学教室に委託して解剖を実施するんだよね。
これが「行政解剖」。
基本的に、病院で医師に看取られながら死亡しない場合は、念のためも含めて死因の特定が必要で、交通事故のような目撃者もいてわかりやすいものを除けば、この解剖に回されるのだ。
老人の孤独死とか、砂浜に打ち上げられた水死体とか。
よく報道でも「死亡が確認された」という言い方がされるけど、これが「死体とおぼしきもの」が発見された段階では死んでいるかどうかは決まっていなくて、医師又は獣医師が死体を検案して死亡を確認するとはじめて「死体」という扱いになるから。
即死に近いものでも、白骨化・ミイラ化したものでも、検案というプロセスが必要なんだ。

この検案にはもう一つ意味があって、その死因が「異常」かどうかの鑑別があるんだよね。
で、少しでも怪しいと思ったら検察に連絡が行って、検察官(又はその代行の警察官)が死体を「検視」するのだ。
これは当該死体の異常状況の捜査のことだよ。
その後、死因がよくわからない、ということになるとまた医師の出番で、解剖に回されるのだ。
これが「司法解剖」。
こちらは刑事訴訟法に基づいたプロセスで、「異常」=「犯罪性あり」となった場合に発動。
ただ単に死因がよくわからない、という場合は「行政解剖」になるよ。
監察医はこの「行政解剖」をする医師なんだけど、東京では「監察医務院」が「司法解剖」も行うことがあるのだ。
「監察医朝顔」の世界はまさにこれ。

「司法解剖」の場合は事件性があるので、基本的に解剖すべきとの判断が下ったらいい俗の承諾無しに解剖ができるし、「行政解剖」についても、死因究明に必要と認められるときは遺族の承諾なしに解剖できるんだ。
一方で、監察医制度のない地域(っていうか、日本の多くの地域だけど)の場合は、死因究明のためであっても原則として遺族の承諾が必要なんだよね。
これは感情的なものだけど、「死んでからも切り刻むようなことはしてほしくない」と思う遺族は多いので、解剖されないまま荼毘に付される例も多いのだとか。
ただし、食品衛生法や検疫法においては、どうしても原因調査をする必要があると認められる場合は遺族の承諾なしでも解剖できることになっているんだ。
これは公衆衛生上重大なもの、ということ。
感染や食中毒被害が蔓延すると社会的に重大なリスクになるからね。

こうした解剖の他、普通に病院で病理学的に行われる解剖もあって、それは「病理解剖」と呼ばれるのだ。
学生が学ぶために献体を解剖する場合もあるけど、多くは、病死であることはわかっていてもさらにその詳細な原因を調査したい場合などに行われるのだ。
例えば、多くの場合は心停止で死亡が確認されるけど、なぜ心臓が停止するに至ったのか、体の中ではどういうことが起きていたのかの詳細はわからないことも多いんだよね。
逆に、そのプロセスを薬や処置で止めることができれば延命につながるかもしれないわけで、病理学的に調査したい、というのはあるのだ。
これもなかなか遺族の承諾が得られないみたいだけど。
ま、病気でさんざん苦しんできたのだから、死んでからも切り刻むようなことはやめてあげて、ということなんだろうね。
御自身の意思・遺志で解剖を望む患者さんもいるみたいだけど。

ただ単に死体を傷つけてしまうと刑法の死体損壊に当たるので、死体の解剖についてはこうして法的な枠組みがかかっているのだ。
「死んでしまえばただの物」という考え方もあるけど、やはり死体にも尊厳はあって、それは社会的に合意されている事項なので、死体をむやみやたらに切り刻む、というのはいただけないわけ。
一方で、死因の特定は社会秩序の安定や公衆衛生の向上の観点から必要なものでもあるわけで、その場合にだけ認める、ということだよ。
ドラマとかだとこの辺のプロセスはそんなに出てこないけど、なんでもかんでもすぐに解剖されるわけでもなさそうなのだ。

2021/02/06

包摂的対応

 日本の神社って、「○○神社」か「○○社」と呼ばれるものが一般的で、大きな神社だと「○○大社」や「○○神宮」というのがあるのだ。
ところが、江戸時代の古地図(切絵図)とかを見ると、「○○明神」とか「○○権現」と書かれていることが多いんだよね。
現代でも、お茶の水の神田明神は、正式名称は神田神社だけど、神田明神と呼ばれることが多いのだ。
どちらかというと、「神社」と言った場合には神道の宗教施設を指していて、「明神」や「権現」と言った場合は、その宗教施設にまつられている神様を指しているんじゃないかと思うんだよね。

語源的には、「権現」というのは割と簡単で、「権(ごん)」は、「仮の、暫定の」といった意味(英語のtentative)、「現」は「顕現」の「現」で「あらわれているという状態」を指すのだ。
つまり、「権現」は「仮の姿で表れている」といった意味。
なんで「仮の姿」かというと、日本における神道の神様たちは仏教における仏や菩薩が「仮の姿」で日本人の前に現れた姿である、という本地垂迹説をもとにしているから。
本来土着の、民俗社会の崇拝対象だったものが、いつの間にか伝来の宗教の枠組みにはめられた、ということなのだ。

キリスト教なんかの一神教の場合、他に神様を認めるわけにはいかないので、布教した先々で、その地で古来から振興されていた神様たちは悪魔になってしまい、その神性だけが切り離され、「聖人」に託されるのだ。
信仰に基づく宗教行為のうち、すでに生活に密着してしまっているような収穫祭やら新年の祝いなんかはそういう形で「聖人の祝日を祝う祭り」にしてしまうんだよね。
これはこれでひとつのしのぎ方だけど、もともといたはずの神様が消えてしまうし、伝来後も引き続き昔ながらの信仰を維持するコミュニティとの間では軋轢が生じるのだ。

ところが、どうも大乗仏教というのは懐が深いんだよね。
すべてを取り込んでしまうのだ。
もともとお釈迦様が提唱した原始仏教においては、神様とかいう概念はなくて、悟りを開いて解脱したものが「仏」なのだ。
しかも、偶像崇拝は禁止で、原則として自分で出家して厳しい修行を積んで悟りを開くことを目指す、非常にストイックなものなんだよね。
ところが、これがバラモン教やヒンズー教とまざると、インド古来の神様の多くは、「護法善神」として仏教に取り込まれ、仏教を守護する神様的なもの、という位置づけになるんだよね。
これが明王部や天部と呼ばれるもので、インドラが帝釈天になったりするわけ。
けっこう無理があるようにも思うんだけど、意外にこの方法はいい加減な故に頑健な構造なようで、大乗仏教が広がっていく中でも維持され続けていくのだ。
チベットの神様も密教に取り込まれるし、中国の道教の信仰も仏教の中に入ってくるのだ(例えば、北斗七星を信仰対象とするものが妙見信仰は妙見菩薩になっているのだ。)。

こうして、大陸から日本まで伝わってきた仏教。
日本史で習ったように、最初こそ、土着の信仰との間で軋轢があり、土着信仰を守ろうとする物部氏と仏教を新たに取り入れようとする蘇我氏の間で確執があり、戦にまで発展するのだ。
ところが、これがずっと尾を引くかというと、そういうわけではなくて、日本お神様も実は仏教の神様が化身として現れた姿だと解釈し、神仏習合させることで折り合いを図ったんだよね。
これもすごい話だけど。
これが「権現」という言葉の根底にはあるんだ。
この過程で日本の神様はみんな仏教と一体化していくんだけど、応神天皇をまつっているはずの八幡神に至っては、「八幡大菩薩」なんて呼ばれてしまうように、自分自ら仏教の神様になってしまう例も。

「明神」の方ははっきり言えば不詳なんだけど、もともとは霊験があらたかな神様を「みょうじん」と呼んでいたようで、延喜式神名帳の中では「名神」の漢字が当てられて、国家的な祈祷を行う神社のリストになっているのだ。
ところが、「明神」という字の当て方をした場合もあって、これは普通名詞的に、霊験あらたかで崇拝を集めている神様、といった意味だったようなのだ。
平安の頃はそもそもやっと仮名が生まれてくるくらいで、字の当て方はいわば適当だったんだよね・・・。
なので、たぶん「名神」でも「明神」でもどっちでもよくて、音が大事だったんだけど、延喜式のような公式文書に「名神」と書かれたためにそっちは権威付けの対象となり、固有名詞化していくんだけど、もう一方は一般的な使われ方になったんじゃないかな。
これが後々まで続いていくのが「明神」という言い方。

「権現」にしても「明神」にしても、神様の本来の名前ではなく、通称なんだよね。
そもそもひとつの神社に複数の神様がまつられていても一つの明神や権現で表されることもあるんだ。
例えば、奈良公園の春日大社で有名な春日明神は、4柱の御祭神、タケミカヅチノミコト、フツヌシノミコト、アマノコヤネノミコト、ヒメノカミの集合体なんだよね。
日本の古代思想では、本当の名前は忌み名としてさけられたので俗称で呼ぶ場合が多かったし、そもそも神様の本当の名を口にするなどおこがましい的な発想もあるので、そういう呼び方になったのかも。
実際には、その地域に崇拝されていた神様であって、必ずしも記紀神話に出てこない神様であっても、社格を挙げるために有名な神様に紐付けている例もあるので、この辺は複雑。
春日大社の場合は祖先神なのでわかりやすいけど、諏訪大社のような諏訪地域で信仰されたいた竜神がなぜか国引きでタケミカヅチに懸けたタケミナカタになっているんだよね。
そういう意味では、ひょっとすると、諏訪明神とタケミナカタは本当は別人というか別神かもしれないんだよね。

江戸時代まではこうやって神仏習合で来て、寺社の区別はあまり明確にせずに過ごしてきたんだよね。
そもそも大きな神社には神宮司や別当寺と呼ばれるお寺がくっついていて、そこが神社の管理をしていたりもしたのだ。
ところが、明治維新後の神仏分離令で、お寺か神社かに分けなくてはいけなくなったんだよね!
このとき、廃仏毀釈運動もあったので、神社になれる場合は神社になった方がよい場合が多かったのだ。
で、このとき、「明神」や「権現」というのは、神仏習合時代の負の遺産で、本地垂迹を連想させる、仏教とのつながりを示唆するよう響きに感じたみたい。
そこで、「○○神社」という名称を正式名称にする動きが盛んになって今に至るそうだよ。
三社祭で有名な、浅草寺の横にある浅草神社は、もともと三社権現だったわけだけど、神仏分離で浅草神社に解消したみたい。
この辺は調べていくとさらに奥が深そうだ。

2021/01/30

神社の階級

よく街中で小さな稲荷神社を見かけるよね。
そして、そこにはたいてい赤い旗が立っていて、「正一位稲荷大明神」と書いてあるのだ。
この「正一位」というのは今に続く叙位制度や明治までの位階制度の階級と同じもの。
かつては、神社にも階級があって、偉い神社とそうでもない神社があったのだ。
これを「社格」と言うんだよ。

こういう階級付けは律令制が確立された大宝律令の頃に始まったんだそうだよ。
ちょうど行政機構を中国式のものに整備したときに、天皇を頂点とする神道の体系も整備したようなのだ。
で、平安時代に形式が固まっていって、その結果が延喜式神名帳の中にまとめられているのだ。
官幣の大社・中社・小社と国幣の大社・中社・小社だよ。
これが明治言い新後の神祇官組織にも援用され、さらに、郷社だとか村社だとか細かい格付けが加えられたのだ。
神様だったらみんな偉いような気がするのだけど、何かとヒエラルキーを作りたがるんだね。
こういうことすると、おらが村の神社の方が偉い、なんて争いが起こるだけなのに。
ちなみに、今の神社本庁の組織の中でもこれが生きているようなのだ。
特に社格が高い神社、有名な神社は「別表神社」と呼ばれ、神社本庁が宮司の人事権を盛っているんだよ。
それをいやがって神社本庁から離脱している大きな神社もあるほど。

で、その地域においてもっとも社格の高い神社は「一宮(いちのみや)」と呼ばれるのだ。
これは、新たに国司に任命された人が任地に赴いたとき、それぞれの任国の神様に挨拶すべく主要な神社を回ることになっているんだけど、いの一番に参拝するところだから。
国によっては、二宮、三宮とその先の順番が定まっているところもあるみたい。
東海道線の尾張一宮駅のある愛知県一宮市や、外房線の上総一ノ宮駅のある千葉県一宮町はまさにこの一宮に当たる神社の所在地なんだよね。
尾張一宮には真清田(ますみだ)神社、上総一ノ宮には玉前(たまさき)神社があるよ。
ちなみに、兵庫県神戸市の三宮はこの社格の三宮とは関係なくて、生田神社を囲むようにして存在する裔神をまつった8つの神社(生田裔神八社:一宮~八宮)のうち、三宮があるからなんだって。

これと似たようなもので、「総社」というのもあるのだ。
岡山には「総社市」もあるけど、これは総社がある場所だから。
上では、新たに赴任してきた国司は任国内の神社を挨拶回りする、としていたけど、今の都道府県より律令制の国はせまいことが多いとは言え、あまり交通手段の発達していないむかしだときついんだよね。
なので、国府(今で言う都道府県庁)のある場所に大きな神社を作って合祀し、そこに参拝することでまとめて挨拶したことにする、という習わしができたのだ。
これが「総社」。
そのまま「総社」という名前のついている神社もあるよ。
ちなみに、東京の属している武蔵国の場合は、府中の大國魂神社だよ。
大國魂神社の場合、大きな6つの神社を集めた、ということになっているので、別名を「六所宮」というのだ。

むかしは祭政一致だから、朝廷の中の行政機関を整備するのと同時に、神社の方も組織化することが大事だったんだよね。
一方で、日本の多くの神社は自然崇拝がもとになっていたりもするので、キリスト教の教会のように最初からピラミッド構造にはなってなかったのだ。
なので、枠組みを先に作って後からそこに当てはめるので、どうしても軋轢はあったみたい。
お寺も同じで、本末関係というのがあって、どっちが本山に近い、偉いお寺かでもめることがあるようなのだ。
あんまりそうやって階級を持ち込まなくてもいいのにね。
社会をシステム化するにはある程度必要なのかな?

2021/01/23

働きアリとはちょっと違った

最近ネットで見かけてびっくりしたこと。
もともとはビジネス書で紹介されていた話のようだよ。
今や動画配信事業で大手になっているネットフリック菅間だ小さい会社だった時代。
いよいよ経営に行き詰まった時があって、大リストラを敢行したんだって。
そのとき何をしたかというと。いわゆる「仕事のできない人」を全員クビにしたそうなのだ。
なんと、全社員の3割近く。
それで社員は80名くらいまで激減したんだって。

よく知られている「働きアリの法則」に従うと、これは一番やっちゃだめなやつなのだ。
ありの巣の中では、よく働くアリとサボっているアリがいて、その比率はおよそ8:2.
で、サボっているアリを排除すると、よく働くアリだけになるかと思うと草ではなくて、8割のうちの2割はサボるアリに変わるのだ。
つまり、働くアリは6割4分まで減るわけ。
そうすると、全体のパフォーマンスが下がるんだよね。

同じような話が人間社会でも知られていて、例えば、入学試験のある高校の場合、少なくとも全生徒は入学試験をパスするだけの学力があるはずなのに(中には運だけで受かる生徒もいるかも知れないけどごく少数だよね。)、しばらくしてて中間テストや期末テストをすると、生徒の成績はきちんと正規分布に分かれるのだ。
つまり、入口では一定上の学力を持つ子供だけを選ぶとったはずなのに、しばらくするとその中で成績がよい子供と悪い子供が別れてくる、ということ。
まさに働きアリの法則のようなことが起きるのだ。

で、これが企業活動にも当てはまるとすると、できない社員をリストラしても、できる社員として見なされていた社員の中から落ちこぼれが出てくるため、パフォーマンスが低下してkルことになってしまうのだ!
で、実際ネットフリックスのケースはどうなったかというと・・・。
なんと、V字回復で業績アップ。
パフォーマンスは下がるどころかむしろ上がっていたようなのだ。
その要因分析としては、いわゆる「できない社員」は「できる社員」の足を引っ張っていて、ゼロではなくてマイナスにパフォーマンスに貢献していたらしいのだ。
つまり、「できない社員」の「尻ぬぐい」のために「できる社員」のエフォートがけっこう割かれて、その分が本来業務に回せるようになったので業績が上がった、ということみたい。
経営論なんかでは、「じんざい」には、「人財」、「人材」、「人在」、「人罪」の四首里があるなんていうけど、まさに「人罪」がいたということなんだよね。

もちろん、営業成績とか見れば「できる社員」の中にも「よくできる社員」、「普通にできる社員」、「そこそこできる社員」と分かれるのだけど、これらの人は少なくともマイナスではないのだ。
これが重要。
学校の成績の例も同じで、もともとプラスの集団の中でプラスの値の大きさで差が出ているだけなんだよね。
むしろ、試験をして成績をつけないといけないので、学力の差が出るように試験問題を作るわけで、全員が満点を取るようなテストをしていてはダメなのだ。
なので、入学試験で一定以上の学力を持っている生徒だけ集めたとしても、その後成績に差がついてくることは、働きアリがサボるアリになるのとは大違いなわけ。

そして、アリの例でもサボっているアリもただただマイナスな存在ではないんだよね。
仮にそうっだたとしたら、進化の過程で淘汰されてしまうのだ。
この一件サボっているアリは、いわば「予備役」で、有事の際に活躍するために体力を温存しているアリと言うことが知られているよ。
つまり、的が攻めてきたり、大雨で巣穴に水が親友してきたりなどの有事のサインい、普段サボっているアリが先頭に立って事態の対処に当たるのだ。
全アリが普段からえさ集めや幼虫の世話に全エネルギーを振ってしまっていると、有事の際に対応しきれなくなるんだよね・・・。
なので、通常はあまり仕事をしないのだけど、何かあればすぐにかけつける、みたいな存在がいる方が生存競争上有利だったので進化の過程で残ってきた、ということみたい。
「いざ鎌倉」の武士の世界だね。

企業の中にもそういう存在は時には必要で、まさに「謝罪がうまい」、「訴訟に強い」とか有事の際に活躍できる社員をリスク対応として抱えることはあるのだ。
ネットフリックスの例だと、そもそも会社自体がそこまでの規模ではなく、そういう存在を抱えるほどの大きなリスクに備える必要がなかったので、ただ単に「仕事のできない社員」を多く抱えていた、ということなんだろうと思うよ。
むしろ、まわりに迷惑をかけて足を引っ張るような存在すらけっこういたということなのだ。
「まじめ系くず」という言葉は最近よく耳にするけど、こういうことなんだろうなぁ、としみじみ思ったよ。
自分がそういう存在にならないように気をつけないと。

2021/01/16

二重にかからない?

 コロナは全く収まる気配はないけど、その一方で、まったくインフルエンザの流行は起こらないね。
大きな理由としては、コロナ対策で手洗いや換気などが徹底されてきているし、多くの人は人混みを極力避けるので、インフルエンザ感染対策にもなっているのだ。
どちらも飛沫が気道に入ることで感染するからね。
例年のインフルエンザの流行も、ワクチンだけでなくこういう物理的防疫策を講じればかなり抑えられることがわかったのだ。
社会コストとのバランスで、今のコロナ対策並みにはできないだろうけど・・・。


インフルエンザがあまり流行していない理由のかなりの部分はこれで説明できるんだけど、一部では、二重にウイルスに感染することはまれだから、というのもよく見るよね。
実際、細菌類だと、自分たち以外の菌が繁殖できないように、まわりに化学物質を放出して「縄張り」を形成するんだよね。
それが「抗生物質」。
複数種類のカビが生えているとき、ぐちゃぐちゃに混ざって生えているわけではなく、それぞれの種類がコロニーを作って生えている様子を見て、何かあるのでは?、と調べてみてわかったんだ。
その細菌類が作っている抗菌物質を抽出し、薬にしたものが抗生物質だよ。
化学的に安定にしたり、抗菌スペクトルを広げたり(抗菌効果が発揮される細菌の範囲を広げること)、工業的生産がしやすいようにしたり、といろんな手を加えて薬になっているんだ。
青カビから抽出されたペニシリンが最初だけど、今では世界中のバクテリアやカビなどの細菌類からものすごい種類の抗菌物質が発見されているし、現在進行形で、新たに見つかった細菌類が未発見の抗菌物質を持っていないかスクリーニングが続けられているんだ。
どうしても薬剤耐性ができて、古い抗菌物質が効かなくなってくるからなんだよね(>_<)

では、ウイルスも同じような仕組みなのかというと、これは大違い。
ウイルスの場合は、他のウイルスを駆逐するような化学物質を作るわけではないのだ。
抗ウイルス剤の多くは、ウイルスに特異的なタンパク質の合成を阻害したり、ウイルスの核酸(DNA又はRNA)合成経路を阻害したりする化学物質なんだけど、これは抗生物質などを応用したもので、ウイルス由来ではないのだ。
そもそもウイルスは最低限のタンパク質と遺伝情報しか持っていない非生物で、増殖するには宿主のタンパク質や核酸合成のメカニズムを借用するものなのだ。
宿主に自分のコピーを作らせてばらまくのだけど、そのときに最低限必要になるようなものしかもっていないんだよね。


では、なぜ他のウイルスを排除できるのか?
実は、二重にウイルス感染しない、と言ってしまうと大ウソなんだよね。
だって、HIVの感染者も、E型肝炎ウイルスのキャリアも、ウイルス性の風邪はひくんだよね。
二重に感染しにくい、というのは、同じような経路で感染するウイルスの間でのことなのだ。
つまり、今話題になっている、コロナとインフルエンザの関係。
ほかに、ウイルス性の風邪の原因になるアデノウイルスなんかも同じような感染経路だよ。
これらの間では、ウイルス同志が干渉し合うので、どれかに感染していると、別のウイルスに感染しづらくなると考えられているんだ。

完全に化学的に解明されているわけではないようだけど、有力な説は、ウイルスに感染すると、感染した細胞の膜表面の構造が変わって、他のウイルスが感染しづらくなると言うんだ。
これらのウイルスは、細胞膜表面のタンパク質にくっついて、自分の殻の中の核酸(遺伝情報)を細胞内に送り込み、それを元に自分のコピーを増やそうとするのだ。
で、細胞内でウイルスのコピーが増えてくると、その感染細胞から最終的にあまたのウイルスが放出されるんだよね。
おそらく、中でウイルスがどんどん増殖している状態の細胞は、非感染細胞とは膜表面の状態が違うので、ウイルスのターゲットになるタンパク質にウイルスがアクセスしづらくなるのでは、ということ。
進化論的に、そうやって他のウイルスの感染を阻止できるウイルスが残った、というより、ウイルスが増えるメカニズムが結果としてそういう状況を生み出している、というのが正解のような気がするね。

そうすると、コロナとは別の、気道感染するようなウイルスにあらかじめ罹患すればコロナを防げるのか?、という発想になるよね。
さすがにインフルエンザはつらいけど、普通にみんながかかるウイルス性の風邪、アデノウイルスによる風邪くらいだったらいいんじゃない、とも思えてくるわけ。
でも、細菌類が抗菌物質を出すような仕組みではなく、あくまでも次に来たウイルスには感染しにくくなっているのではないか、程度なので、最悪の場合、ダブルで感染することもあるかもしれないんだよね。
かつ、普通のウイルス性の風邪なんかは数日程度で治ってしまうから、ずっとひいているわけにもいかないのだ。
なので、普通に感染対策をしっかりやった方が確実だよね。