2022/12/31

クリスマス何食べる?

 今さらな気がするけど、日本のクリスマスではフライドチキンを食べる、というのが世界から笑われている、みたいなニュースが出たのだ。
別にそれぞれの国の事情があるんだから何を食べてもよいような気がするけど・・・。
なんでも、スペインでは、日本はクリスマスにKFCのフライドチキンを食べるんだってよ、ということで「オタク」なるセットを発売したとか。
ま、これはいいほうの「いじり」かな。
これについて、当時のKFCの社長が、「欧米ではクリスマスにチキンを食べる習慣があるとうそをついたら日本中で広まってしまった」みたいなコメントをしているんだよね。
うそというとあれだけど、バレンタインデーなんかと同じで、キャンペーンが習慣として根付くまで成功した、ということだよね。

この話が出ると、欧米でクリスマスに食べるのは七面鳥(ターキー)という話が出るのだ。
日本では元々七面鳥が手に入りにくいのでチキンになったのだ、というのとセットで。
これもおかしな話で、そもそも七面鳥を食べるのは米国の文化で、欧州には氏に米国文化が一部導入されているだけ
映画のクリスマス・キャロルなんかを見るとわかるけど、クリスマスはごちそうを食べるのであって、それは七面鳥ではなく、お金持ちはローストビーフ、そうでない人は丸焼きチキンだったりするのだ。
クリスマスケーキ(菓子)の方には英国のクリスマス・プディング、フランスのブッシュ・ド・ノエル、イタリアのパネトーネ、ドイツのシュトーレンと定番があるけど、料理はおそらくそれぞれの国のその季節に手に入るごちそうなのだ。


そもそも、古代キリスト教では、クリスマスのミサ(降誕祭)の前には「潔斎」する習慣があって、肉、卵、乳製品をとらずに質素目の食事で過ごす、という習慣があったようだよ。
復活祭前の四旬節で同じようなことを今でもやっているけど、食事制限がゆるやかなキリスト教では珍しく、この機関は食事内容を節制するのだ。
もとは「断食」だったらしいから、それでもゆるいのかもしれないけど・・・。
で、そうして食事制限をしていくので、クリスマスの日にははじめてごちそうを食べる、という図式なんだよね。
イスラム教のラマダン明けの宴と同じ。

仏教だとこういうときは菜食になるんだけど、キリスト教は魚はOKだし、ワインもOK。
パンとワインは最後の晩餐でキリストの肉と血とされているので、聖なるものでもあるのだ。
魚の方は、新約聖書マタイ福音書にある、5つのパンと2匹の魚を5000人に分けた奇跡もあるんだろうけど、もともと魚はアイコンとしてキリスト教のシンボルだったのだ。
これは、ギリシア語の「イエス・キリスト・神の・子・救世主」の頭文字をとった「ΙΧΘΥΣ(Ichthys)」から来ているんだ。
このため、キリスト教で正餐は魚料理で、そこにパンとワインがつくんだけど、実際に宗教画を見ると、多くの場合魚料理+パン+ワインであることが多いよ。

では、なぜ七面鳥が出てくるのか。
これはキリスト教徒は全く関係ない、米大陸へ渡った初期の移民、ピルグリム・ファーザースの話なのだ。
米大陸に渡ってきたのはよいものの、慣れない土地での暮らしに困窮を重ね、まさに飢えるというとき、先住民のネイティブ・アメリカンから七面鳥を贈られ、飢えをしのいだ、というのが由来。
これが感謝祭(Thanks Giving)につながっているんだけど、感謝祭なら七面鳥を食べる意味があるのだ。
ところが、ここから、何かと記念日に七面鳥を食べる習慣が北米地域で生まれ、それがクリスマスにも適用された結果、米国ではクリスマスの提案が七面鳥になったのだ。
前月の感謝祭でも食べているのに!
なので、そういう意味では、クリスマスに七面鳥を食べること自体にはそこまで深い意味はないので、チキンを食べる日本が笑われるようないわれはないんだよね。
それぞれ好きなもの食べたらいいんだよ。

2022/12/24

ショウセイハショセイ

なんとなくわかっているようで、じつはきちんとわかっていない言葉ってあるよね。
しかも、そういうのに限って、自分で使うわけでもないから、なんとなく、だけでなんとなって困ることもないのだ。
そんなんでやり過ごしてきたんだけど、どうしても気になって、この間「書生」というのが何なのかを調べたのだ。
戦前までが舞台の小説にはよく登場するよね。
「高等遊民」っていうのはいわゆる「ニート」だな、とわかるんだけど、この書生というのがよくわからない。
学業が本分とか書かれているから教育を受けている立場なんだろうけど、主家で雑用なんかもこなしていたりする。

辞書的に言うと、

 1 学問を身につけるために勉強をしている人。勉学中の若者。学生。
 2 他家に世話になって、家事を手伝いながら勉学する者。

ということなんだそうだ(ネット上のデジタル大辞泉より)。
つまり、教育を受けている立場で、主家で雑用なんかをこなしている、というのはそのまんまだね(笑)
小説なんかに出てくるのは、「明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生」ということのようなのだ。
でも、現代ではこういう立場の人がいないので、余計にわかりづらいのだ。

江戸時代も寺子屋や藩校、私塾などで教育を受けてはいたのだけど、自分のふるさとを離れて「遊学」となると、そこまでおおくはなかったようなのだ。
ところが、明治になって学制が敷かれ、急性の大学や高等学校が整備されていくと、地方から都会に出てこれら学校に通う学生が出てきたのだ。
しかしながら、その当時は学生の身分でありながら単身で居住するのに適した住居が少なく、また、当時そういう高等教育を受けられる学生は基本男性で、実家では家事・炊事なんかしたことがないような者がほとんどだったので、親戚・縁者を頼ったり、他家に家賃や食費を払って「下宿」することが多かったんだって。
で、まさにそうして他家に下宿している学生で、その家の雑務を手伝うような人を「書生」と言ったのだ。

当時から苦学生はいて、生活費にも困窮するような場合は家賃や食費を払えないので、篤志家は自分の家に下宿させる代わりに家のことを手伝ってもらう、という感じで、半分使用人のような形で学制を住まわせたんだよね。
おそらく、これが小説なんかに出てくる「書生」の典型的なイメージなのだ。
我が国近代小説の袖ある坪内逍遙はすでに明治期の書生の生活を「当世書生気質」の中で写実的に表現している、んだそうだよ。
残念ながら、読んだことがないのだけど。

ちなみに、インテリ書生を抱えることは一種のステータスで、成金という言葉が生まれた明治期では、ボランティア精神というだけではなく、そういうステータスとしての社会貢献の意味では書生を下宿させたみたい。
しかも、その書生がインテリで、将来官僚になったりすると人脈も広がるので、そういう投資的な意味合いもあったようだよ。
ま、将来有望な若者のパトロンになる、ということだよね。

でも、時代が下って明治も後半になってくると、学生向けの寄宿舎や専門の下宿宿、学生用アパートなんかもできはじめ、他家に居候させてもらう形の書生は減っていったようなのだ。
一方で、書生という言葉は「住み込みで働きながら勉強している人」といったイメージになり、学生ではなくて、作家や政治家の内弟子、付き人みたいな人も含めて「書生」と呼ばれるようになったのだ。
戦前が舞台の金田一耕助シリーズなんかに出てくるのはこっちかもね。
最近は住み込みで下積みというのもあまり聞かないけど、ぎりぎり残っているのは朝日の新聞奨学生みたいな形態かな。
あれは奨学金を出してもらう代わりに住み込みで新聞配達業務をするわけだよね。
かなり過酷な環境になるので最近はなり手がいないというし、もうきていくものかもしれないけど・・・。

2022/12/17

やり過ぎ注意

なんか、ものっすごく耳の中がかゆいときがあるよね。
ついつい耳かきでかいてしまうのだ。
原因は、耳掃除のしすぎ。
通常は外耳道(耳の穴)の入口付近の耳垢をこそげ取るのだけど、どうしても強くやり過ぎて細かい傷ができてしまうんだよね。
で、その傷口がかさぶたになって、かゆくなってくる。
またかきすぎる・・・。
このループになるのだ。

そういうのもあって、耳鼻科のお医者さんは耳素地はしすぎないように、と言うんだよね。
じゃあ、傷つけないように綿棒で掃除したら、と思うけど、この場合は耳垢を奥に押し込むだけになることが多いのだ。
ちあみに、耳の穴の中皮膚は、内側から外側に向かった移動しているので、何もしなくても基本的には耳垢は外に排出される仕組み。
たまにつまることがあるけど、そのときは耳鼻科でとってもらって、ということらしい。
子どもなんかだと耳が聞こえづらくなったと耳鼻科に行くと、大きな耳垢がとれたりするのだ。
そういうときって掃除機みたいなので吸い出すんだよね。
前にテレビで見たのは、イタリアかどっかの温泉地で、その温泉水を注射器のような専用の道具で耳の穴の中に注入すると、耳垢がごっそりとれるというもの。
なんか気持ちよさそうだった。

では、そもそも耳垢とはなんなのか。
端的に言うと、耳の穴の中に入ってきたほこりなどの異物と耳の穴の中に出てくる分泌物が混ざったもの。
その点では、目やに、鼻くそ、痰なんかと同じようなもので、異物排除の仕組みのひとつなのだ。
この分泌物は耳垢腺というそのまんまの名前の器官からでるものみたいなんだけど、少し粘性がある弱酸性の液体で、独特の臭気があるのだ。
粘性があることでほこりなどの異物をからめとれるわけ。
さっきの温泉水のやつは、きっと弱塩基性なんじゃないかな?
すると、薄めの石けん水をあたためたもので同じようにどぅるっととれるかも・・・。
あんまり試そうは思わないけど。

で、独特のにおいの方は、詳細はよくわかっていないみたいだけど、防虫効果があるようなのだ。
蚊取り線香のようなもので、無視がそのにおいを忌避する傾向があって、耳の穴の中に入ってこないようにする効果上がると考えられているよ!
これは大事。
なので、完全に除去してしまうと、この効果が失われるおそれがあるのだ。
虫の多いところに行くときは注意(笑)
けっこう耳の穴の中に虫が入った、というのはあるみたいで、その多くの症例では耳垢がきれいに掃除されていたので、ということで、においが効果があるかもと調べられたらしいのだ。

そして、耳垢と言えば、かさかさの人とねっとりの人がいるよね。
それぞれ乾性と湿性というらしいけど、中韓はほぼほぼ乾性で、日本も乾性がメジャーで湿性はマイナー。
逆に白人種は乾性がマイナーで湿性がメジャー。
確かに、英語では耳垢を「earwax」と言うからねっとりしているのが基本なんだろうね。
黒人種に至ってはほぼほぼ湿性のようなのだ。
で、この耳垢の違いは、体臭、特にワキガに関係しているのだ。
なぜなら、どちらもアポクリン腺の数の差によるものだから。
アポクリン腺から出る汗は、エクリン腺から出るほぼ生理食塩水の汗とは違って、脂質や他の悪質を多く含んでいて、これが最近に分解されるとにおいのもとができるのだ。
これが体臭(ワキガ)の正体。
なので、耳の穴の中にアポクリン腺が多い=湿性の耳垢で、耳の穴の中にも多いならほかの場所にも多いだろう、ということで、わきがにも結びついているのだ。
確かに、人種別の耳垢の違いとワキガの強さはマッチしているような感じだよね。

どうも、東南アジアやオセアニアも湿性が多いようなのだ。
で、日本でも縄文計は湿性が多いと考えられていて、縄文系の血が濃い九州(隼人)、北海道(アイヌ)、沖縄(琉球)はこの東南アジア系に近いみたい。
で、大陸から渡来してきた弥生人は中韓と同じで乾性がメジャーで、そのふたつが混ざって今の日本の状態があるらしい。
耳垢の湿性/乾性は単一遺伝子で決定されていて、きれいにメンデルの法則に従うらしいので(湿性が優性、乾性が劣性)、耳垢の湿り気の違いで古代の人の交流なんかも見えてくるのだ。
これはすごい。
こうなると、ますます耳掃除が楽しみになってしまう・・・。

2022/12/08

ヨーグルトと食物繊維もお忘れなく

最近は、「もっとタンパク質を摂取しよう」みたいな風潮があるよね。
もともと温暖で湿潤なアジア地域は米作に向いていて、必要なカロリーのほとんどを主食である米からとる食文化なのだ。
日本でも江戸時代なんかは1日で一人3~4合くらい米を食べてるんだよね。
そのかわり、おかずは漬け物、梅干し、納豆とかそんなもの。
今はもっとましになって、肉も魚も食べるけど、菓子パンで食事を済ませたり、麺類が好きだったりして、やはり日本人はタンパク質の摂取量が高くないようなのだ。
そういうのもあって、コンビニとかでも「タンパク質が摂れる」みたいな売り文句の商品も増えているよね。

さらに、コロナ禍で運動不足になった人が多いからか、ジムに通って筋トレする人も増えているようなのだ。
そのときセットになるのはプロテイン。
ガチ勢でなくても、男性だと特に筋肉がつくとうれしくなてプロテインを飲むようになるみたいだね。
何も気にしない食事だとタンパク質が摂れていないので、余計にプロテインを別に摂ることになるのだ。
でもでも、そうしてタンパク質の摂取量を上げていくと・・・。
体臭がひどくなるとも言われているよね!

糖質や脂質の場合、構成元素は基本的に、炭素(C)、水素(H)、酸素(O)の3つ。
一方で、タンパク質の場合は、ここに窒素(N)と少量の硫黄(S)が加わるのだ。
そして、この窒素とか硫黄の入った代謝物はたいがいにおいてくさいんだよね(笑)
タンパク質が生体内で分解されていく過程では、まずはタンパク質分解酵素の働きでどんどんペプチド結合が着られていって分子が小さくなっていくんだけど、最終的にはアミノ酸まで分解されるのだ。
で、このアミノ酸がさらに代謝されるとき、アンモニア(NH)やアミン(RNHの形の1級アミンやRNHRのような形の2級アミンなど)、窒素が入った五員環とベンゼン環がくっついたのインドールのようなものが出てくるんだ。
硫黄を含むシステインやメチオニンが分解されると硫化水素(HS)やチール(RSH)、スルフィド(RSR)なんかの特有の臭気のあるものが出てくるよ。
これらは腐敗臭や便臭、汗臭さなんかのもとにもなっているくさいやつら。

普段からできているんだけど、こういう分解物を腸内で作るのがいわゆる「悪玉菌」と呼ばれる腸内細菌の一軍。
カレー食中毒の原因として有名なウェルシュ菌や大腸菌なんかがこれ。
ビフィズス菌のような乳酸菌は「善玉菌」と呼ばれていて、こっちは糖質をえさにして乳酸を作るのだ。
こっちはくさい物質を作り出さないわけ。
で、糖質の摂取を減らしてタンパク質を増やすと、えさの量の関係もあって、善玉菌が減り、悪玉キナ増えるのだ。
すると、くさい代謝物も増え、まずは便臭がひどくなって、おならもくさくなり、こうした物質が腸管から血流に入れば体臭もくさくなる、という流れ。
タンパク質を増やさずとも糖質制限しているだけでも似たようなことが起きるんだけど、糖質制限だけしている場合は、脂質の代謝が増えて、また独特の甘ったるいにおいのあるケトン体が増え、口臭や体臭がきつくなることが知られているのだ。

なので、単にタンパク質を摂る量だけ増やせばよいというわけではないんだよね。
ネットで調べてみると、牛乳由来のホエイ・プロテインやカゼイン・プロテインはにおいがひどくなる傾向が強く、また、どうしても乳糖が含まれていて、日本人に多い乳糖不耐症(=牛乳飲むとおなかがゆるくなる)の人にはお勧めしません、と書いてあるよ。
代わりに、大豆由来のソイ・プロテインにしましょうって。
確かに、それぞれのプロテインでアミノ酸構成なんかが違うのでそういうこともあるんだろうけど、これは程度の差こそあれ、の世界。
むしろ、腸内細菌叢のバランスの問題の方が大事なのだ。

そのための方策として重要なのは、善玉菌のえさとなるようなものを摂取すること。
糖質、脂質が少ないもので、ということであれば、ヨーグルトと食物繊維がよいのだ。
これらは善玉菌が乳酸菌発酵するときのえさになるので、えさの多寡で悪玉菌優位にならないようにする点で効果的なのだ。
ボディビルダーがひたすらブロッコリーを食べるのも意味があるわけだね。
プロテインは牛乳に溶いて飲むことが多いけど、中に乳酸菌がたくさん入っているヨーグルトの方がよりおすすめなんだよね。
これでもう筋トレに力を入れてもくさくならない(笑)

2022/12/03

12月に休みを!

ついに今年も最後の月、12月に入ったのだ。
年内にけりをつけようと何かと慌ただしくなる師走だけど、令和になってから、12月には祝日が消えた!
思えば、平成の御代は12月23日なんていう素晴らしい日付で天皇誕生日があったんだよね・・・。
他の祝日とトレードでもよいので、「平成の日」を作ってほしい(笑)
で、皇位継承順位第1位の皇嗣殿下が即位したあかつきには11月30日というなんともおしい日付。
第2位の悠仁親王だと9月6日なので、まだ夏休みぼけくらいのタイミング。
日本の皇室制度では不可能なんだけど、愛子内親王殿下であれば、12月1日になるのだ・・・。
英王室は女性の王位継承がありなんだけど、日本の場合は、皇室典範において男系の男子皇族が継承することが規定されているので、制度自体を大きく変えないと実現しないんだよね。

ここで言う「男系」とは、父親をたどっていくことで、皇室の場合、男系をたどると神武天皇につながり、それはすなわち、高千穂に降臨した皇孫ニニギノミコトにつらなる、ということなんだよね。
現在は王権神授説なんて誰も信じていないけど、日本の皇室の正当性や伝統を重んじる上でこれが大事、と考えている人が多くて、女系天皇を認めるかどうかの議論はいつももめるんだよね。
では、なぜ英王室は女性に王位継承が認められるのか?
これには宗教も絡んでくるんだよね。

欧州の王室の場合、基本的にはみなキリスト教(旧教)なのだ。
これが何を意味するかというと、一夫一婦制ということなんだよね。
しかも離婚ができないのだ。
すなわち、男系継承をしようとしても、早々に後継者不足問題が出てくるわけ。
ヘンリー8世のように離婚するために国教会を作ったり、意図的に「死別」した上で後添えをもらうなんて荒技もあるけど、さすがにそんなことは恒常的なシステムには組み込めないよね。
なので、おそらくやむにやまれぬ理由というのがあって、女系の継承も認めざるを得ないような状況だったのだろうと思われるのだ。
そもそも、欧州の王室の多くもかつては男系男子のみの継承としていたことが歴史的にわかっているので、それが破綻した後の措置、ということなんだろうね。
で、それと同じことが我が国に起こるかどうかということ。

日本の場合、権力者は基本的には側室を複数名持ったので、男系男子不足問題はまずまず起こらなかったんだよね。
江戸幕府5代将軍綱吉公や豊臣秀吉公はなかなか嫡男に恵まれずすったもんだがあったけど、徳川将軍家はもともとそういうのに備えて御三家を作っていたわけだし(8代吉宗公意向はそれに加えて御三卿も)、そもそも豊臣家はぽっと出だし、どうしてもつなぎたい場合は畏怖亭とは言え秀長という弟もいたわけで、そんなに問題ではないのだ。
でも、戦後の皇室は一夫一婦制で側室制度をとっていないし、遠縁となっていた宮家の多くも廃止されたので、にわかにこの問題が出てきたわけ。
今は悠仁親王がいらっしゃるので一段落した感はあるけど、それまでは死活問題だったわけだよね・・・。
なので、システムとして男系男子継承を維持しようとするなら、側室を認めたり、皇籍離脱した男系男子の皇族復帰を認めたりなど、とにかく男子皇族を増やさなくちゃいけないわけ。
そんなことするよりは、女系継承を認めるのもありなんじゃない、という議論だよ。

でも、よくよく考えると、遺伝的には女系継承の方が確実なんだよね。
妊娠・出産している以上、子どもの母親は確実なのだ。
でも、父親はと言うと・・・。
上で出た綱吉公や秀吉公も怪しいと言われているよね(>_<)
DNA鑑定が技術的にできない世界だったらそれでもよいのだけど、いまは技術的に血縁鑑定が確認できてしまうから。
それに、女系(母系)でたどると、常にミトコンドリアDNAは同じ系統が維持されるので、さんざん長い歴史の中で薄まってきている始祖の血を主張するよりはいいかもしれないのだ。
もともとニニギノミコトもアマテラスオオミカミの孫であるわけで、このアマテラスの血が大事だというなら母系であったとしても一応の正当性があるのではないか、とも思ってしまうんだよね。

2022/11/26

はたらくひと

ツイッターがイーロン・マスク氏に買収されてから大変なことになっているのだ。
大リストラ。
なんか、そもそも大赤字垂れ流しにもかかわらず、あんまり働いていなさそうな陽キャをたくさん抱えていた、みたいなことを言われているけど、実際はどうなんだろうね。
で、米国ではもともと労働市場が非常に流動的に次々に好条件を求めて転職していくような風潮もあるし、こういう話はままありそうだけど、日本支社でも多くの人が解雇される、というので大騒ぎ。
一般に、日本の労働法制では解雇規制が厳しいのでこういうのがやりづらいはずなんだけど、外資系の場合は毎年契約更改の年俸制雇用だったりするから、ひょっとしたらいけるのかも。
それと、解雇の場合は30日以上前に通告すること(労働基準法上の解雇規制)、というのを逆手にとって、それまでの給与を支払った上での解雇だから問題ない、なんていう声も。
実態がわからないからなんとも言えないけど。

この問題で、改めて日本の伝統的な雇用システム、いわゆる「三種の神器」が取り沙汰されているのだ。
すなわち、「終身雇用」、「新卒一括採用」、「年功序列型賃金」の3つ。
本当に日本独自かどうかはよくわからないけど、この3つが合わさった形の雇用形態はけっこう特殊なようで、小泉内閣以降グローバリズムの流れの中で雇用システムの改革が試みられているんだよね。
これが中途半端に入ってくるとけっこうつらくて、今の日本のように非正規雇用が異様に増えたり、いわゆる「雇い止め問題」なんかが発生しているのだけど。

最初の「終身雇用」はまさに字義どおりで、一度奉職したら最後まで勤め上げることを前提にした雇用制度。
なので、一度雇用してしまうと最後まで雇い続けないといけないので、雇用する側も勤続年数に応じて職階を変えつつ仕事を与え続けないとダメなわけ。
その年次進行のプロモーション(出世)からはずれると「窓際」になるのだ。
海外ならくびになってもおかしくないのだけど、解雇規制が厳しいので(大きな損害を与えるような不祥事や不始末があったのならともなく、単に仕事ができない、というだけではくびにしづらい。)、「飼い殺し」になるわけ。
で、雇われている方も、「終身雇用」を前提としたシステムの中では転職や中途採用も難しいので、甘んじてそれを受け入れるのだ。
今となっては、「窓際」として買い続けることもできないので「追い出し部屋」みたいな殺伐とした世界になっているけど・・・。

次の「新卒一括採用」は、原則として高校や大学を卒業したタイイングでのみ新規採用を行うという考えで、旧来の日本のシステムは、「終身雇用」を前提に人を雇用しながら育てていってより高位のポストに昇進していってもらう、というのが原則なので、転職組の経験者採用、中途採用をあくまでも例外扱いしてきたんだよね。
でも、これがずっと続くと労働市場の流動性がほぼなくなるし、氷河期世代で明らかになったように、このタイミングで就職に失敗するとそれがずっと尾を引いて正規雇用にたどり着けない、などの問題があって見直しが言われてきたのだ。
なので、「第二新卒」だとか、「卒業後3年以内は新卒扱い」だとかそういう取組をしてきているんだよね。
最近はかなり転職への抵抗感も薄れて、世に転職エージェントや転職サイトがあふれているけど、幹部候補生になる、いわゆる「総合職」については、帰属意識を強く持ってもらってエリートとして育成したい、みたいな信仰があって、新卒採用にこだわるところもあるよね。
どうしても日本式のスタイルだと、組織を「家族」のように見なす傾向があるので、経営責任がある人が外様というのだと違和感がある、ということで、自分たちでゼロから育てたい、となるんだよね。
逆に、海外の場合は、経営センス、スキルのある人にきちんと経営を担ってもらうべき、ということで、経営層も普通に外から来たりするわけだけど。
日本は官庁や銀行の出身者が子会社の役員になると、【現場のことが何もわかっていない」とかいってもめる、みたいなステレオタイプもあるよね。

最後の「年功序列型賃金」もくせ者。
これは、仕事上の能力に何の変化がなくても、勤続年数に応じて給与が上がっていく、というシステムなのだ
橋下さんが大阪で府知事や市長をしていた時代にさんざん訴えていたけど、公営バスの運転手や給食の調理を担う人は、なんら仕事内容に変化はないし、スキルの向上がなくても給与が自動的に上がっていくのはおかしい、というもの。
出世して責任と権限が大きくなって給与も上がる、というのはわかるけど、仕事内容の変化がないのに、長く勤め上げるだけで給与が増えるのはおかしい、という論調。
確かに、欧米の場合はこういうことはまずなくて、「同一労働同一賃金」の大原則で、インフレ率の反映を除けば同じ仕事祖師続ける限りは給与には変化はないのだ。
むしろ、給与を上げたいと思ったら、昇進や転職をしてそれなりの仕事内容に変える必要がある、ということなんだよね。
海外はこうなっているから仕事を次から次へと移る人が多いわけ。


昭和の時代はいざ知らず、さすがにもうこの「三種の神器」を堅持した労働システムは破綻しているので、経団連を中心に改革しようという声が上がるんだよね。
小泉改革の後には、派遣業法が改正されて一気に非正規雇用が増えたけど、先にも挙げた厳しい解雇規制のおかげで正規職員として採用するとくびを切れないので、派遣で来てもらう形で、多少割高になっても必要なときに必要な人材を確保する、ということが主流になったのだ。
ところが、こうなると労働市場が極めて不安定化するわけで、さすがに批判の声が強く出るわけ。
そこで、最近進められようとしているのが「ジョブ型雇用」。
大手企業なんかではわりと仕事内容をきちっと規定できる職種では導入が進んでいるみたい。

「ジョブ型雇用」の場合、Job Descriptionの中で明確に用務内容が規定されていて、それにみな宇給与が設定されているのだ。
で、基本的にはその業務を続ける限りはその条件がずっと続くわけ。
その業務が期間限定であれば任期付になるし、勤続年数が増えても原則として給与は上がらないのだ。
雇う側から見ても、そこに規定される業務の要不要という形で検討できることになって、「窓際」みたいなことは考えなくていいのだ。
その業務が不要になればその雇用契約はなくして、別の契約に振り返ればいいというわけ。
雇われる側が新たな業務内容が不満であれば出てってもらって新たな人を入れればいい、みたいな。
極めてドライな欧米式のやり方なのだ。

理論的にはそうなんだけど、やはりこれが日本の風土・文化にぴったりとはまるかどうかはけっこう微妙だと思うんだよね。
意識は瀬宇土も儒教の教えは染みついていて、年長は敬うべき、みたいな文化があるからね。
それと、愛社精神という名の帰属意識の問題もあって、そうやってドライに契約に基づいて職を得ている場合、何かあったときに体を張ってがんばれなくなるのでは、みたいな根性論もあるのだ。
もはやそういうのは前時代のモノとしてなくしていく、ということなんだろうけど、現役の経営層、特に中小企業なんかではそうした考えがまだまだ根付いているから、なかなか難しいんだよね。
こういう労働市場の流動性の問題は、一部の大手だけができていても回らなくて、社会全体がそっちの方を向いていないと成立しないのだ。
あので、これが定着するのはまだまだ時間がかかるだろうなぁ。
今回のツイッター社の件で外資の雇用システムは怖い、みたいな印象も受けているし、雇われる側にはメリットがあるよ、ということが示せないと広がってはいかない気がするのだ。

2022/11/19

か~べ~ぬ~り~

ミラノに行ったとき、世界遺産にも登録されている、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のレオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」を見たのだ。
欧州の協会の壁画って、基本的にはフレスコ画で、壁表面に漆喰を塗ってそれが乾く目にその上に顔料を載せたもの。
これはわりと長持ちするのだ。
でも、フレスコ画は塗り直し不可、色重ね不可、漆喰が乾くまでのごく短期間に描き上げないといけない、などの制約があって、「この「最後の晩餐」は別の手法で描かれているよ。
壁の表面に薄く樹脂の膜を塗って、その上に卵白で絵の具を溶くテンペラ画で描かれているんだ。
これだと、板やキャンバスに描くのと同じで、時間をかけて描けるし、塗り直しも色重ねもできるのだ。
ただ、問題は耐久性。
膜の上のテンペラ画はいいのだけど、壁から膜がはがれるのだ・・・。
これで修復が大変なんだよね(>_<)
やっぱりフレスコ画っていうのは先人の知恵の詰まった装飾法だったわけだね。

漆喰は、消石灰(水酸化カルシウム)を主成分とした建築材料で、洋の東西を問わずに使われているもの。
基本的にはペースト状にして壁に塗るんだけど、乾いていく過程で空気中の二酸化炭素を吸収し、消石灰が石灰(炭酸カルシウム)に化学変化するのだ。
これは石灰水に息を吹き込むと水に不要な石灰が生じて白濁する、という小学校でよくやる実験の反応と同じ。
さらに過剰に二酸化炭素を供給すると炭酸水素カルシウムになるので再び透明に戻るよね。
でも、漆喰の場合は、最初の石灰化が乾燥過程でゆっくり進んでいって、その後はもう水が少ないので次の炭酸水素カルシウムが生じる反応はあまり起こらないのだ。
なので、壁の表面に卵の殻のような水をはじく高いコーティングができあがるんだよね。
これが壁の防水性の向上、耐火性の向上などにつながるので、建築材料として使われてきているというわけ。

漆喰という材料自体は洋の東西を問わずに使われるんだけど、西洋のものと日本のものでは使い方が違うんだよね。
これは、建築本体をどの材料で作るか、というところが大きいのだ。
西洋の場合、基本は石積み・レンガ積みで作っていくので、その石やレンガはモルタルなんかを接着剤にしてくっつけるんだよね。
で、そうした作った壁の表面に漆喰を塗るわけだけど、こういう壁は、従量があるので縦方向には強いのだけど、横方向の力には弱くて、どうしても瀬tっや区部分が割れて崩れてしまうのだ。
そこで、表面に割と分厚く漆喰を塗ってコーティングすることで強度を増すわけ。
さらに、石積み・レンガ積みそのままでも味はあるのだけど、その表面をなめらかに漆喰でコーティングすると装飾性も高まるのだ。
教会建築なんかだと大きな壁にはフレスコ画なんかも描いたわけ。
立体的にレリーフなんかを浮き彫りにする装飾もあるよ。


一方、日本の壁の骨組みは木造。
骨組み自体はきっちりしているので、それが壁や塀になるように漆喰を塗るのだ。
なので、防水性や耐火性は重要なんだけど、コーティングによる強化、ということではないので、むしろ木造の骨組みに均一に塗りやすくする方が重要なわけ。
このため、日本の漆喰は消石灰に「すさ(麻やわらなどの植物繊維)」や海藻(ふのりなど)を加えるんだ。
消石灰が石灰化して固まると少し体積が減るので、収縮が起きるのだ。
これを防止するために「すさ」を入れるんだけど、こういう繊維質のものが入るとひびが入っても崩れにくくなるので、壁材としての強度も増すのだ(コーティングでなく、壁そのものだからこの強度が必要なんだよ。)。
海藻の方は、保水性を高めることでゆっくり乾くようにしているのだ。
表面コーティングではなく、木造の骨組みに塗り込めていくのでわりと時間がかかるので、すぐに乾いていくと作業上まずいんだよね。

日本の漆喰の装飾については、レリーフと同じように立体的に顔料を入れて色をつけた漆喰を立体的に塗る「こて絵」もあるけど、そこまでメジャーではないのだ。
なまこ壁のように、壁の方面に瓦を貼って、その間の目地の部分を盛り上げて幾何学模様にする、みたいな装飾のほうがメジャーだよね。
でも、実は高松塚古墳の壁画は漆喰の上に描かれているんだよね。
なので、古代日本では漆喰の上に絵を描いていたのだ。
でも、こういう古墳の壁画はカビたり、漆喰がはがれたり野損傷が問題になっているので、日本の風土では漆喰の上に絵を描く、というのはあんまり保存性がよくないのかも。

2022/11/12

ふところあったか

寒くなってきた。
家にいるときは、こたつやおふとんから出たくない!
でも、出かけなくちゃいけない・・・。
そんな防寒対策のひとつが、「カイロ」なのだ。
今では使い捨てのカイロが多いけど、ハクキンカイロを愛用している人もいるよね。

もともと、江戸時代は、暖めた石を布などにくるんで懐に忍ばせていたらしいのだ。
これを「温石(おんじゃく)」と言うんだって。
「懐石料理」の「解析」がこの温石のこと。
懐を暖めて空腹をしのぐ、ということなのだそうだよ。
もともとは「会席」だったものが、おなじくわび・さびの世界の禅宗に由来する「懐石」の字が使われるようになったみたい。
戦国時代は、一汁三菜のわりと質素な食事で、おそらくは【たいしたものはありませんがこちらで空腹をしのいでください」くらいの話だったんだけど、茶の湯の発達に伴って徐々にもてなしが豪華になり、今のような尾高級な料理になったようだよ。

それはそれとして、この温石だとすぐに冷めてしまうよね。
長続きしないのだ。
そこで、江戸時代になると、金属容器の中に木炭灰を入れてゆっくりくすぶらせながら燃やして発熱させる「灰式カイロ」というのが出てきたようなのだ。
これは炎が出て燃えるわけではないけど、容器の中で火がくすぶっているわけで、扱いは注意しないといけないんだよね。
でも、これはあくまでも灰をゆっくりと燃やすものなので、発熱させるには着火する必要があるのだ。

この灰式カイロはその後も細々と続くんだけど、とってかわってシェアを奪ったのがハクキンカイロ。
「ハクキン」は白金=プラチナのことで、プラチナを触媒にして、その表面上で燃料と酸素を反応させ、ゆっくりと発熱させる、というもの。
反応自体は燃焼反応と同じだけど、触媒表面で反応させることで、ゆっくりと、火を出さずに反応するので、暖かさが持続するのだ。
燃料としてよく使われるのがベンジンで、効かしたベンジンがハクキン触媒に触れるようになると発熱開始するのだ。
発熱量がわりと高い割に長持ちするので、今でも利用者がいるわけ。
でも、この反応では二酸化炭素とともに水が出てくるんだよね。
なので、カメラの愛好家がレンズがくもらないようにあたためるのにはむしろ水を出さない灰式カイロが利用されるんだって。

ハクキンカイロは非常に優れたものではあるんだけど、液体燃料を補充しながら使う、というのは少し面倒なんだよね。
その燃料は火気厳禁のものなので扱いも気をつけないといけないし。
で、発熱量は高くないんだけど、とりあえず使いやすい、ということでメジャーになっていったのが使い捨てカイロ。
今では貼るカイロ、とか、靴底にしくカイロなんてバリエーションもあるよね。

この使い捨てカイロの原理は簡単で、鉄が酸化するときに出る酸化熱なのだ。
基本は鉄粉が不織布の中に入っていて、空気中の酸素と藩王して発熱するのだ。
この発熱反応を促すため、塩化ナトリウムとか活性炭とかも入っているみたい。
空気中の酸素とどんどん反応してしまうので、基本は窒素充填などで酸素と触れないようにパッケージされていて、そこから出すとまわりの酸素と反応しだして発熱するよ。
低温やけどどには注意する必要はあるけど、そこまでの発熱量ではないので、手でもめるし、春タイプなんてのもできるのだ。
なにより、すべての原料が安いというのも魅力的なんだよね。

ちなみに、使い捨てカイロの中でもメジャーな「桐灰」は、もともと灰式カイロを扱っていた会社。
それが新たな商品として使い捨てカイロを売り出し、かつ、貼るタイプというのを考案したのだ。
いまでは小林製薬の吸収されたので、ブランド名としてだけ「桐灰」が残っているよ。
こうして考えると、一度ハクキンカイロにシェアを奪われけど、新技術で奪い返した、という話なんだね。
なかなか面白い。

2022/11/05

すでにorまだ

「風姿花伝」に由来する有名な世阿弥の言葉で、「秘すれば花」というのがあるのだ。
これは手品なんかをイメージしてもらえればいいんだけど、隠しているからこそきれいに見えるのであって、すべてをさらけ出してしまうと興ざめする、的な意味。
で、ここで言う「秘すれば」というのは、仮定条件ではなくて、確定条件なんだよね。
「もし隠していればきれい」だと、すでにあらが見えてしまっているのだ・・・。
この「秘すれば」は文語の「已然形」なんだよね。
口語の「仮定形」ではないのだ。


中高の古文の授業で習うことだけど、古文の活用は現代文とは異なっていて、古文は、未然・連用・終止・連体・已然・命令で、現代文は、未然・連用・終止・連体・仮定・命令。
つまり、「已然形」と「仮定形」のところが同じような活用語尾になるのに、意味が変わってしまうのだ。
「已然形」には大きく3つの使い方があって、
①助詞「ば」に続いて順接(~なので)、助詞「ども」に続いて逆接(~なのに)
②(四段活用の動詞の場合)完了の助動詞「り」につながる(ただし、「り」は命令形につながるとの説もあり)
③係助詞「こそ」と係り結びをして強調表現になる
だよ。
①がまさに問題で、古文では英語のandやbutみたいに使うんだよね。
逆に、古文で仮定の意味を持たせたいときは、未然形+「ば」にしないといけないのだ。
時代劇で主人公が言う「寄らば切る」とか。
在原業平の和歌でも有名な「なかりせば」のばあいは、「なかり・せ・ば」で、「せ」は過去を表す助動詞「き」の未然形とされるのだ。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集・在原業平)
(この世に全く桜がなかったとしたら、春はもっと心穏やかにいられたのに)
ちなみに、「き」の已然形は「しか」で、これは「ども」にしか続かないよ。
「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散り敷く白河の関」(千載和歌集:源三位頼政)
(都ではまだ青葉だったのに、白河の関ではもう紅葉が進んで色づいて派が地面を覆っているよ)

どうも、すでに江戸時代には已然形+「ば」という表現は口語ではあまり使わなくなっていたようで、{~なら」みたいな言い方で仮定表現をしていたみたい。
そして、なぜか漢文の読み下し文の場合、慣行として、仮定表現なのに已然形+「ば」で読むことが多かったのだ。
この辺の混乱と、そもそも仮定条件でも確定条件でも意味が通るような表現が多いこともあって、已然形+「ば」の使い方が廃れていってしまったみたい。
例えば、「物言えば唇寒し秋の風」という松尾芭蕉の俳句だけど、この解釈として、「ストレートに思ったままのことを言うと」ととらえても「ストレートに思ったままのことを言ってしまうと」ととらえても、意味は通ってしまうんだよね。
この句の場合は確定条件で解釈するのが正しいようなんだけど、仮にそのように解釈していなくてもおそらく困ることはないのだ(笑)

そんな流れもあって、明治の教育勅語には文語文法の誤用があるとの指摘があるんだよね。
それは「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」のとおろで、ここは已然形+「ば」で解釈してしまうとまずくて、仮定条件でないとおかしなことになるのだ。
だとすると、正しくは「アラバ」となるべきなんだよね。
一方で、漢文訓読の場合はさっきも書いたように、已然形+「ば」で仮定条件を表すようになっていたので、それに従ったとすれば致し方ない、とも言われているよ。
っていうか、もうその頃には混乱していたわけだね・・・。

2022/10/29

これさえあれば

最近よく「完全食」という言葉を見かけるようになったのだ。
テレビのCMでも「完全メシ」ってよくやっているし、ネット広告には「ベースフード」がかなりの高頻度で出てくる気がする。
そのむかしは、必要な栄養素を摂取するために1日に30品目食べましょう、なんてことをやっていたし、学校給食もいろんなメニューを用意しつつ、子どもの成長と発達に必要な栄養素を過不足なくとれるように、という発想なんだけどね。
どうも、現代人はいそがしいのか、効率性を重視するのか、それだけで必要十分みたいのを求めるようになっているらしいのだ。

ちまたで言われている「完全食」は、厚生労働省の策定している「日本人の食事摂取基準」にある必須栄養素を過不足なく含んでいるもの。
「過」の部分は、塩分(ナトリウム)や脂質・糖質などは取り過ぎてもダメ、ということ。
最新版は2020年版で、5年ごとに改定しているようなのだ。
そのときの最新の栄養学的知見や、生活様式の変化、運動量の変化などを加味して基準を変えているみたい。
実は、500ページ弱の大部の報告書で、単に○○の摂取目安はいくら、という表だけじゃないのだ。

でも、実際には「完全食」として売られているものは、摂取すべき栄養素が基準を満たす量入っているかどうかだけで判断しているんだけどね。
実際には、例えば鉄はビタミンCと一緒に摂取した方が吸収がよいとか、卵の白身に入っているビオチンはビタミンBの吸収を阻害するとかそういう話もあるので、単純に量的な基準を満たすだけじゃダメなはずなんだけど、そこまできちんと考慮はしていないと思う。
そういうのを気にし出すと、メニュー構成や食べ方も気にしないといけなくなるからね。

思い返してみると、最初にカロリーメイトが売り出されたとき、「完全栄養食」をうたっていたのだ。
食事をとる時間がないときでもカロリーメイトをかじれば必要な栄養素は補給できる、みたいな。
そのころはSFに出てくる「未来食」みたいな感じでウケたわけだけど、フレーバーが複数あるくらいでずっと食べ続けられるものじゃないよね。
なので、やっぱり時間がないときの臨時のしのぎみたいなイメージだったのだ。
ところが、現在売られている「完全食」のラインナップを見ると、カツ丼やラーメン、焼きそば、カレーなんかもある!
しかも、レトルトやインスタントで。
手軽に一色でおいしく栄養が過不足なくとれる、ということではやっているようなのだ。

実は、カロリーメイトの他にも、観世婦負洋食の尾明日他とかクッキーとかはあったようなんだけど、いかんせんおいしくなかったみたいなんだよね。
カロリーメイトはお菓子としてもそこそこおいしいだけにこれは致命的。
その一食で済ませるくらい食事にはそこまでこだわりがないんだろうけど、それしか食べないのにおいしくないのはきつすぎるよね・・・。
おそらく、ここに分岐点があったのだ。
手軽に食べられて、かつ、おいしい。

現在市販されているレトルトやインスタントのものは少し割高ではあるけど、実は災害に備えた備蓄品としても有用だよね。
どうしても従来品のレトルトやインスタントは栄養が偏っている、というイメージがあるし。
そう考えると、これはけっこうすごい技術革新なのかも、と思ったり。
まずはなんか買ってみようかな。

2022/10/22

残り物には・・・

 最近年中スーパーで甘酒を見かけるようになったのだ。
暑い時期は冷やし甘酒、寒い時期はむかしながらのあたためるタイプ。
ビタミンB群や必須アミノ酸が豊富で優しい甘さ、とかいって、健康食品的な位置づけなんだよね。
発酵食品全体がはやっているというのもあるけど。
いわゆる「甘酒」には大きく2種類あって、米麹でお米のデンプンを糖化させて作る「一夜酒」とも言われる発酵飲料の甘酒と、清酒の副産物である酒粕をお湯で緩く溶いて甘みをつけた甘酒。
神田明神の名物の甘酒は前者だけど、お祭りなんかで露店で売られているのは簡単に作れる後者なのだ。
僕は割と酒粕の甘酒が好き。
で、今回は酒粕の話。

日本でも伝統的に酒粕は利用されてきていて、三平汁や粕汁のように汁物、魚介類の粕漬け、奈良漬けなどの漬け物、しもつかれのようなあえもののベースになったりするのだ。
健康食品として注目されてきたので、むかしなら砕いて甘酒の原料にする、くらいが一般家庭の使い方だったけど、ネットに酒粕を利用した料理やお菓子のレシピもたくさんあるし、いろんな使い方が広がっているようなのだ。
清酒の副産物である酒粕は、米麹によるデンプンの糖化の後に酵母がルコール発酵をしているので、イクラ搾り取っても微量のアルコールを含んでいるのだ。
これがすがすがしい風味を与えてもいるんだけど。
この酒粕に微量に残っているアルコールを蒸留して取り出して作られるのが「粕取り焼酎」。
戦後は、同じ音の「カストリ」のなでもっと質の悪い、何からできているのか出自がわからない闇酒があったんだけど、九州なんかの清酒を造る地方では、清酒を作った後に酒粕からさらに焼酎を造るのは一般的だった見みたい。
もう少し手間をかけて、酒粕にさらに水と麹を加えて残った糖分をアルコール発酵させる、酒粕焼酎というのもあったみたい。

水や麹を加えずにそのまま熟成させると、メイラード反応で風味が増してくるんだけど、それが奈良漬けをつけるときに使う踏込み粕。
見た目は味噌に近いのだ。
アルコール発酵でなくて、酒粕を酢酸発酵させると粕酢と呼ばれるんだけど、この発酵させた踏込み課すから作ると、高級なお寿司屋さんで出てくる赤酢になるのだ。
江戸時代は米からそのまま作る米酢より安価だったのでファストフードの寿司に使われていたみたいなんだけど、今では逆に御高級なお寿司屋さんでしか見ないのだ。
そして、この酒粕中にいる酵母の発酵力をパンに使うこともあって、有名なのは酒まんじゅう。
木村屋のあんパンは酒種だけど、酒まんじゅうをヒントに作ったんだとか。
ちなみに、今では酒種パンは、酒粕ではなく、日本酒造りに使う酒母(米麹に酵母を繁殖させたもの)を小麦粉に混ぜて作られているよ。

日本酒の酒粕というといやな臭みはないし、むしろ粕漬けや奈良漬けは風味付けに使われているよね。
ところが、同じようなアルコール醸造後の沈殿物を集めたビール酵母だと、ちょっと独特なくさみがあるのだ。
これが英国のマーマイト、豪州のベジマイトのもと。
日本だと、エビオス錠や強力わかもとと言った方がとおりがいいかな。
コメでなくて大麦を麦芽で投下させた後にアルコール発酵させた後に残るものだけど、最初の原料が違うだけで、ずいぶんと最終形が異なるものだよね。
こっちも一時期健康食品として注目を集めていて、そままビール酵母という名のくさい茶色の粉末がサプリコーナーに並んでいたよね。
それを錠剤の形に固めてあげるとエビオス錠。
塩分などを加えてペースト状にしたのがマーマイトだよ。
生物学を専攻した人だと、バクテリアを増殖させる培地を作るときに使うイースト抽出物というのがあるけど、これもビール酵母。
なので、実験でバクテリアを使っていた人は、苦手なにおいなのだ。
バクテリアに過不足なく栄養を与えるために入れているので、栄養面ではとても優れているんだけどね。

2022/10/15

はい、解散、解散

 ここのところ、宗教法人のことが世間の大きな関心になっているのだ。
果たして、解散命令ていうものが出せるのかどうか。
っていうか、法律の規定がある以上は理論上は出せるんだろうけど、本当にそういう判断ができるか、という問題なんだよね。
紀藤弁護士なんかは問題なくできるはずだから、司法に訴えるべし、という論調。
現時点では、文化庁が難しいとか言いながらごねているように見える構図で報道されているよね。
で、実際問題、宗教法人の解散ってどうなっているのか、ちょっと法律を調べてみたのだ。

宗教法人は宗教法人法により規定されている法人格。
いわゆる一般社団や一般財団のような民間法人とは少し異なる体型なので、個別に法律があって、この法律の所管が文部科学省(文化庁)なんだよね。
まず、宗教法人の設立なんだけど、これは他の民間法人と同じように、設立登記をもって設立されるのだけど、その設立に当たって特殊な手続が必要なのだ。
それが「規則の認証」というもので、これは法人としての根本的な規則となるもの。
一般社団で言う定款、一般財団で言う寄付行為に当たるもので、法人の目的、名所、事務所の所在地、法人内のガバナンスなんかを定めたもの。
この規則について、設立前に所轄庁の認証を受ける必要があるのだ。
所轄庁というのは、ざっくり言うと、単一の都道府県内でのみ活動する場合はその都道府県庁(知事)、複数の都道府県にまたがって活動する場合は文部科学省(大臣)だよ。
申請に当たっては、自分たちが宗教法人であることを証明する書類を提出する必要があって、宗教団体としての活動実績なんかが必要なわけ。
で、規則がきちんとできているか、他の法令の規定にも適合しているか、そもそも宗教団体として活動しているものか(宗教団体を隠れ蓑にして他のことをしようとしている団体でないか)を確認するのだ。
問題がなければ認証され、その認証の結果の通知を受けて設立登記をすると宗教法人ができあがるよ。

で、こうして設立された宗教法人がどういった場合に換算するのかについても当然法律上規定されているわけ。
自分たちで「もうやんぴ」と任意に解散することもできるけど、自動的に解散するトリガーが法律上規定されていて、それは、①もともと自分たちで規則の中でこうなったら解散しますと定めていている場合はその状況になったとき、②他の宗教精進と合併して吸収されるとき、③破産手続が開始したとき、④所轄庁により規則の認証の取り消しが行われたとき、⑤裁判所から解散命令が出たとき、⑥神社本庁のような包括宗教法人の場合は包括する宗教団体がなくなったとき、の6つだよ。
このうち、今みんなが気にしている、「不埒な宗教団体を解散させたい」という場合は、④か⑤になるわけ。
④は、設立時点では問題がなかったんだけど、その後明らかに認証の基準に合致しなくなった場合取り消しになるのだ。
これは所轄庁側が認証基準に満たないことを証明する必要があるわけで、当然、所轄庁側は慎重にはなるよね。
規則が他の法令の規定に不適合になった、みたいなわかりやすいものがあれば別だろうけど、これは内部告発があってもけっこう判断がしづらいと思うんだよね。
ちなみに、認証の取り消しは不利益処分に当たるので、宗教法人側はその取り消しに対して不服申し立てはできるよ。

もう一つの⑤が紀藤弁護士なんかが指摘している解散命令。

こちらは、法律上あらかじめ規定された解散させるべき事由に該当すると認められる場合、所轄庁や利害関係者、検察の請求により裁判所が解散命令を出す、という仕組み。
その具体的な該当事由というのは、次のもの。
①法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと:つまり、わかるや水冷で言えば、かつてのオウム真理教によるテロ行為みたいなことだよね。
②宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと、又は、1年以上にわたってその目的のための行為をしていないこと:ということで、これは何かの隠れ蓑として宗教法人というものを使っているような場合だね。
③神社やお寺など礼拝施設を有する宗教法人について、その礼拝施設を滅失し、やむを得ない理由がないにもかかわらず2年以上礼拝施設を再整備しないこと:これは礼拝施設が事実上宗教団体としての活動の中心なのにそれがなくてすませてるってことは宗教団体としての活動実績にかかわるよね、という意味。
④1年以上渡って代表役員と代表者がいないこと:これはいわゆる休眠法人状態ということだね。
⑤認証を受けてから1年以上経過している場合で、認証の要件を見た索なっていること:これは認証の取り消しと同じ考え方。
で、この解散命令は、宗教法人の主たる事務所の所在地を管轄する地方裁判所の管轄になるよ。
東京に本部があれば東京地裁ということだね。

今回の問題の場合、おそらく①や②に該当するかどうかが争点だと思うんだよね。
霊感商法というのは直感的には①に言う著しく公共の福祉を害する行為と思うし、そもそもその冷感症法自体が違法行為ではあるよね。
②はなかなか難しくて、霊感商法こそが当該法人の主活動になっていて、それ以外はほぼ何もない、ならいいんだけど、宗教的な儀式などをして、そこからもお布施をとる、みたいなスタイルだと、必ずしも宗教活動をしていないとは言えなくなるんだよね。
なので、おそらく解散命令は出せるはず、と言っている有識者は①を想定していると思うんだけど、これって、過去に適用されているのがオウム真理教とかなんだよね・・・。
詐欺商法みたいなものがどこまで「著しい公共の福祉を害する行為」にあたるのかどうかという司法判断がポイントなのだ。
こういうのは社会情勢の変化で判断も変わるものだから、今の世論を踏まえれば、そういう判断はあり得るとは思うけどね。

2022/10/08

古代の血

今年のノーベル生理学・医学賞は、スウェーデン出身でドイツのマックス・プランク研究所に籍を置くペーボ博士が受賞したのだ。
単独受賞なんだけど、その受賞につながった成果は、絶滅した古代人類の遺伝情報を解析する技術を確立したこと、だって。
一瞬なんだそれ、と思ったし、どうも本人もまさか自分が受賞するとは思ってなかった、みたいなことを答えているよね。
生理学・医学賞は医療の発展につながるような成果がとることが多いから、確かに意外性はあるんだよね。


で、具体的に何をしたかというと・・・。
ネアンデルタール人の骨(正確には骨髄?)からサンプルを抽出し、そこから読み取れる遺伝情報を詳細に解析したらしいのだ。
当然、現生人類である我々と比較して。
すると、どうも現生人類の中にネアンデルタール人の遺伝情報がほんの少しだけ残っているらしい、と突き止めたのだ。
当初は、旧人であるネアンデルタール人が進化して現生人類になったと考えられていて、その後直接的な系統のつながりはなく、あくまでもホモ属の別種、交雑もできなかったはず、というのが定説になっていたんだ。
でも、このペーボ博士の研究成果から、どうも現生人類とネアンデルタール人の間には交雑があって、その遺伝情報は髪の色や爪などに残っているらしい、とわかったみたい。
しかも、知己差もあるようで、どうもコーカソイド(白人種)にはわりと多く残っていて、現生人類発祥の地と言われるアフリカのネグロイド(黒人種)ではあるけどかなり少ない、ということみたい。
つまり、現生人類がアフリカで誕生し、「出アフリカ」で世界中に広がって行く際、すでにユーラシア大陸に清んでいたネアンデルタール人と遭遇し、交雑が起こって混血が生まれている可能性がある、ということなのだ。

種の定義の仕方にもよるのだけど、これはそれまで定説だった「別種」ではなく、むしろある程度の交雑が可能な「亜種」ということになるんだよね。
なので、現在では、ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス、現生人類は、ホモ・サピエンス・サピエンスという学名を主張しているグループもいるみたい。
すでにネアンデルタール人は絶滅してしまっているので検証はできないけど、それなりの期間、同じような地域に共存していたので、そういうこともあるよね、とは思うのだ。
これまでの考え方はどちらかというと殺伐としていて、現生人類にネアンデルタール人が滅ぼされた、的なものだから、それよりは納得感があるのだ。
(戦って直接的に滅ぼしたというより、その環境においては現生人類の方が生存に有利だったので、現生人類がより反映し、ネアンデルタール人が生存競争に敗れて数を減少していった、ということなんだろうけど。)

そして、さらに砂金になってわかってきたのが、インフルエンザに対する耐性に影響を持つ遺伝子をネアンデルタール人から受け継いでいる人たちがいるらしい、ということ。
これはどうもインフルエンザに弱い、みたいなんだよね
すると、さっきの生存競争の話で言えば、あるときインフルエンザに似た感染症が流行し、より耐性の低いネアンデルタール人が減って、ということも考えられるのだ。
さらに、どうもコロナ売りする野耐性についても違いがあって、それも一部の人はネアンデルタール人から受け継いでいるんじゃないか、という説もあるみたい。
確かに、コロナ所期はどうもコロナ感染の耐性には人種差・地域差がありそうだ、そのファクターXは何だ、みたいな話があったよね。
BCGにより自然免疫が高まっている、なんてのもあったけど、ひょっとすると、ネアンデルタール人の血が濃いかどうかも影響しているのかも。
ネアンデルタール人の遺伝情報の残り具合は地域差があるようだからね。
(ネアンデルタール人と物理的に接触しやすかった地域により国残っている、ということだね。)

こうなると、生理学・医学賞受賞の意味合いも変わってくるのだ。
古代人類との比較を通じて感染症などへの耐性の違いがわかると、なぜ今は現生人類しか生き残っていないのか、という謎にも迫れるし、今のコロナのような新たな感染症の脅威にさらされたときに人種や地域で耐性の差が見られたときのひとつのヒントになるよね。
まさか令和のコロナ感染がネアンデルタール人の血の濃さで影響を受ける、なんてのも予想もつかないよ。
実際にそうかもしれないと言うことを遺伝情報の解析で科学的に示す、というのは確かに人類最高峰の科学的成果だよね。
単純にすごい。

2022/10/01

さっぱりキャベツ

 最近よくキャベツを食べるんだよね。
1日の摂取目安の野菜の量ってけっこう多くて、かつ、野菜ジュースだと食物繊維はとれないので、ここのところスーパーやコンビニで売っている、「洗わずそのまま食べられるサラダ」みたいあのをよく買うようになったのだ。
レタスベースのものも多いのだけど、レタス系は量が少ないことが多く、ついついたくさん入っているキャベツ系を買ってしまうんだよね。
そのまま千切りキャベツを買うこともあるし、紫キャベツやちょっとのレタス、キュウリなどが混ざったミックスキャベツサラダを買うことも。
で、そのラインナップの中に、コールスローサラダ、というのがあるんだよね。

コールスローと聞くとケンタッキーのサイドメニューのイメージが強くて、キャベツとにんじん、タマネギをマヨネーズで和えたもの、みたいなのを思い浮かべるけど、老舗洋食屋で有名な日本橋のたいめいけんでは、キャベツ、にんじん、タマネギを酢と油でマリネしたもの。
スーパーやコンビニで売っているものは、キャベツの千切りに少しのにんじん、粒コーンが入っているものなのだ。
おそらく、袋から出して好きなドレッシングなりマヨネーズをかけて食べてね、ということだね。
ボクはそのままばりばりいくけど(笑)
で、どうも世にコールスローと言われるものはマヨネーズ系と非マヨネーズ系の2種類があるようなのだ。

調べてみると、細かく切ったキャベツのサラダは歴史が古く、すでに古代ローマでも食べられていたんだって。
もともとキャベツは西欧原産で、かつ、かなり冷涼な気候でも育つこと、春にも秋にも収穫できることなど、野菜として優秀なんだよね。
なので、欧州料理にもキャベツを使ったものが多く、サラダとして食べるだけでなく、ザワークラウトのように乳酸発酵させた「漬け物」にしても食べるし、ポトフのようにスープの具にも使えるし、ロールキャベツのようにメインディッシュの重要な構成要素にもなり得るのだ。
日本には明治以降に入ってきたけど、実は大根と並んで家庭で最もよく食べられる野菜の1つになるほど日本の家庭料理に浸透しているよね。
ボクが子どもの頃の給食メニューは野菜系に困ると「キャベツの塩もみ」だったし(笑)

どうも、ザワークラウトも同じくらい歴史が古い食べ方。
これはおそらくの推測だけど、比較的葉が柔らかい春キャベツはそのまま酢と油でマリネして食べるコールスロー的な食べ方で、葉がかたくみっしり結球する冬キャベツはザワークラウトのように発酵させて食べたんじゃないかと思うんだよね。
かつ、発酵させたザワークラウトは長期保存が可能で、かつ、冬場にはなかなか摂取しづらいビタミンCがとれるので、非常に有用なのだ。
ちなみに、パリに住んでいたとき知ったんだけど、欧州のキャベツは日本のものとはまた種類が違って、極めてかたいのだ。
その結果、ただ炒めるだけの野菜炒めなんかにしてもおいしくないし、ましてや、千切りで生食するなんて無理。
煮込んでも煮崩れしにくいのはいいんだけどね。
で、それをサラダで食べようとすると、やはりマリネにするか、発酵させるかしないといけないんだろうなぁ、と思ったよ。

さて、古代ローマから続いていると思われるコールスローは酢と油でマリネするもの。
つまり、たいめいけんで出てくるようなものなのだ。
ところが、欧州で瓶詰めのマヨネーズが市販されるようになると、油と酢と調味料を混ぜて作るより、オールインワンでマヨネーズと混ぜればいいだけなので、同じ材料だけどマヨネーズで和える作り方が出てきて、普及したみたい。
それが移民を通じて米国に持ち込まれ、米国で一般化したのだ。
なので、ケンタッキーのコールスローはマヨネーズ和え。
まともにたいめいけんレシピで作ろうとすると、つけ込む時間で30分~1時間くらいは必要なんだよね。
キューピーのサイトにあるマヨネーズ和えのレシピだと、軽く塩をして水気を切ってからマヨネーズで和える、となっているので、それよりは早く簡単にできるのだ。
ちなみに、たいめいけんレシピの場合は、けっこう野菜から水分が出てきてつけ汁が増えているので、皿に盛るときに水気をきる必要があるよ。
キューピーレシピは先に水気をきっているので、マヨネーズと混ぜたらできあがり。

個人的には、たいめいけんレシピのやつが好きなんだよね。
口の中が非常にすっきりするのだ。
米国留学時代、お昼は自分でサンドイッチを作っていたんだけど、そのときの定番の具としてもよく作っていたよ。
それに、マヨネーズってちょっと罪悪感あるしね(笑)

2022/09/24

国のマナー

 英国のエリザベス女王の国葬には各国から多くのVIPが参加していたよね。
日本でも安部元総理の国葬があるけど、比べられちゃうだろうなぁ。
在位70年の国家元首と、戦後最長とは言え国家元首ではなくて行政府の長の首相だから、差があって当然なんだけど。
ま、そこはそれとして、この英国の国葬であることが話題になったのだ。
それは、我が国を代表して参列された天皇・皇后両陛下の席の移置。

これまで、日本の天皇は「王(king)」ではなく「皇帝(emperor)」の扱いなので、国際儀礼(プロトコール)上は最上位の扱いを受ける、なんて節がネットにはびこっていたのだ。
しかしながら、実際に中継された国葬の様子を見てみると・・・。
二列目にいらっしゃる。
おとなりはマレーシア王だとか。
最前列の真ん中は英国王家だとして、なぜ二列目なのか?

どうも、「最上位に移置している」ということに誤解があったようなのだ。
プロトコールというのは、国と国がつきあっていく上で互いに失礼がないように、ということでなんとなく合意されている慣習のこと。
明文化されたルールがあるわけじゃないみたいだけど、もめないように序列とかが決まっているものなのだ。
ここでのポイントは、一国一国はすべて平等に扱う、ということ。
大国だから優位、小国だから劣位、ということにはしないのだ。

なので、岸田総理も参加した国連総会の場では、議長国をのぞいてアルファベット順に並んでいるんだよ。
国連本部はニューヨークなので英語のアルファベット順。
ところが、パリに本部のあるユネスコ(国連教育科学文化機関)の場合、仏語のアルファベット順に並ぶようなのだ。
オリンピックの開会式の入場が開催国の言語順で出てくるようなものだね。

日本は、英語で「Japan」、仏語で「Japon」なのでさほど位置は変わらないし、御近所もジャマイカとかジョルダンとか似たようなひとたちなのだ。
ところが、米国や英国はそうはいかないんだよね。
米国は英語だと「United States of America」だけど、仏語では「États-unis d'Amérique」になるので、UとEで大きく順番が変わるのだ!
英国も同じで、英語だと「United Kingdom of~」だけど、仏語だと「Royaume-uni de~」なので、米国ほどじゃないけど、Rでけっこう前に出るのだ。
韓国は、英語だと「Korea」でKだけど、仏語だと「Corée」でCになったりするんだよね。

各国代表という同じ立場だとこうやって「あいうえお順」とかでいいんだけど、各国の代表のランクがずれていると、そのランクのずれも考慮する必要があるんだよね。
で、実際に行われているのは、いくつかの階層分けで、具体的には、国家元首(王、大統領ほか)、王族、首相、閣僚みたいな分け方。
冒頭の節だと、さらに「国の格」みたいなのがあって、単一王朝が長く続いている日本やローマ時代から続いているバチカンは格上、みたいな話なんだけど、実は、大国と小国を区別しないように、これも考慮されないんだって。
じゃあ、どうやって同一ランク内で序列を決めるのか、だけど、これも単純なルールで、在位の長さ順だって。
昭和天皇の時代はそれこそ在位数十年で長かったのでほぼ単独トップ。
先帝、上皇陛下も平成は30年以上続いているからやっぱり在位期間は長かったんだよね。
でも、今上陛下についていえば、まだ数年なので、在位期間で見ると短い方なのだ・・・。
昭和天皇崩御の後はまさに英国女王が最長でトップに君臨していたわけだね。
米国や仏国の大統領はどうしても人気があるからそこまでイ一にはつけないのだ(笑)

その下の王族は少し複雑で、王位・皇位継承順位が重要なんだって。
立太子していれば格上、第二王子・王女以降で王位・皇位継承順位が2位以下だと格下になるのだ。
もちろん、日本の女性皇族のように王位・皇位継承に関係ない人たちもいるので、その場合はさらにその下、という扱いだね。

首相やその他閣僚は在任期間の長さ。
同じような考え方なんだけど、駐箚大使(特命全権大使として任国に常駐している大使)の場合は先任主義で、信任状捧呈の順だって。
国の大小ではなく、先に来ている大使の方が序列は上なのだ。
ま、国によって大使といて赴任する人は様々で、閣僚経験者だったり、若い外交官だったり、日本のようにシニアな官僚だったりして、そのバックグラウンドまで追っていられないということだね。

なんかまさしくお作法の世界なので、こういうのこそ「マナー講師」が必要だね(笑)
きっとこういうのは先輩から教わって、自分で体験して学んでいくんだろうけど。
国の威信もあるから、ミスできなくて大変そうだよね。
日本で行われる国葬も、警備ももちろん大事だけど、こういう展でも失礼がないようにしないといけないのだ。

2022/09/17

月が出た出た

 先週は中秋の名月だったのだ。
夕方に雲が出てきて心配したけど、夜には晴れ間が出て、まんまるの月がきれいに見えたよ。
満月だと、ちょうど日の入り頃に出て来るので特にきれいに見えるんだよね。
与謝蕪村の俳句「菜の花や月は東に日は西に」はまさにこのタイミングを詠んでいるんだよね。
これとは全く逆に、月が沈もうとしている頃に日が昇るのを詠んだのが、柿ノ本人麻呂の和歌「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて振りさけ見れば月かたぶきぬ」で、東の方が白み始めた頃に反対側の西の方ではまさに月が沈んでいくよ、という情景だよね。
日が昇ってからもまだ少し月がうっすら見えているのが「有明の月」。
百人一首(坂上是則)で「あさぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪」と歌われるよね。

このように、月は入りと出の時間が日を追うごとにずれていくんだよね。
月の満ち欠けの周期はまさに「ひと月」で約29.5日なので、毎日12.2度ずつずれていくのだ。
時間にすると48.8分で、月の出や南中の時間で言うと、毎日約50分ずつ遅れることになるよ。
新月は太陽と地球の間に月がある状態だけど、この場合は日の出とほぼ同時に月の出になり、日の入りとほぼ同時に月の入りになるのだ。
逆に、満月は地球から見て太陽と月が180度ずれて逆側にいるので、日の出とほぼ同時に月の入りになり、日の入りとほぼ同時に月の出となるのだ。
なので、中秋の名月の次期だと18時前に日の入りになるので、月の南中時刻は真夜中頃。
夜を通して月が見えやすい状態だよね。

むかしの日本人は風流で、月見は連夜楽しんで、徐々に遅れて出てくる月のそれぞれに名前をつけたのだ。
名前がついているのは、満月の1日前(月齢14)の待宵(まつよい)の月。
これは翌日の満月が待ち遠しくて、焦がれてしまう、というところから来た名前みたい。
満月の翌日、月齢15のときが十六夜(いざよい)。
これは、「ためらう」とか「進めない」という意味の「いざよふ」から来ていて、前夜から比べると月が出てくるのが1時間弱遅れるので、早く出てこないかなぁ、待ち遠しいなぁ、という思いだよね。
さらにその翌日は立待月。
これは1時間半強の遅れなのでまだ立って待っていられる、という感じ。
でも、さらに翌日になると居待月。
この日には2時間半遅れになるので、座って待っている、ということなのだ(「居る」は「居酒屋」の「居」で座るの意味。)。
そしてその次の日には臥待月(ふしまちづき)。
もう寝て待っているのだ(笑)
さおして、その次が最後で更待月(ふけまちづき)。
もう3時間半強遅れなので、夜も更けるまで待っていないと見られない、ということだよ。
このとき、月齢は19で、翌日になると月齢20=下弦の月になるので、月は半月から少し膨らんでいるくらいだね。

ちなみに、この時期の月を「中秋の名月」として愛でるのは中国の風習が伝わったものだけど、天文学的にも、この時期は北半球では太陽と月の角度の関係から観月に適しているんだって。
でも、実は関東以西では、この時期は夜の晴天率が低く、月が見えないことも多いのだとか・・・。
でも、逆に言えば、見えたり見えなかったりするからはらはらしてより焦がれるのかもね。
こういうのは手に入れてからよりも追いかけているときの方が楽しいのだ(笑)
で、雲に隠れて月が見えなかったときは「無月」、雨で月が見えないときは「雨月」と名前もついているから、見えないなら見えないで、見えなくて悲しいなぁ、と楽しんでいたのではないかと思うよ。

電灯が普及する前はとにかく夜は暗くて、今よりもっと月はきれいに見えたし、月の明るさを感じられたはずなのだ。
娯楽も多くないし、きっと目もよかっただろうから、月を愛でることを楽しんだんだろうねぇ。
しかも、月が出てくる時間は徐々に遅れるし、そのたびに満ち欠けがあるしで、ただ星を見るよりは飽きなかったのかもね。

2022/09/10

やわらか~

昭和の懐かしい給食、という話題でよく出てくるのがソフト麺。
もともと学校給食用に開発された麺類なんだそうだけど、懐かしんで中年層が食べたがるので、スーパーやネット通販で買えるようになっているんだって。
ボクは正直なところおいしかった記憶はないけどなぁ。
懐かしくはあるけど。
で、最近Yahooの特集記事で再びこの名前を目にして、気になったので少し調べてみたのだ。

「ソフト麺」の正式名称は「ソフトスパゲッティ式めん」というそうで、これは景品表示法に基づいて事業者団体が作る公正競争規約である「生めん類の表示に関する公正競争規約」では、「小麦粉に水を加えて練り合わせ、製めんし表面糊化した後加工したもの」と定義されているんだ。
これだとわかりづらいんだけど、簡単に言うと、製麺した後にゆでてから、さらに加工したもの、ということ。
Wikipediaの説明では、蒸した後にゆでる、とあるけど、実際は逆で、ゆでてから袋詰めして「蒸熱殺菌」されたもの。
これはさっきのYahoの特集記事で実際に製麺業者の人がそうしているからそうなのだ(笑)

「表面糊化」というのは、麺の表面付近のデンプンが糊化(アルファ化)すること。
糊化は、デンプンが熱によりまわりの水を巻き込んでゲル状になった状態。
お米を炊くともっちりとやわらかくなるのがまさにそうなのだ。
麺類をゆでると、麺の表面から水分が浸透していくんだけど、パスタではアルデンテなんて言ってshinnが残るくらいでゆであげる、なんてことがあるように、表面から中心に向かって徐々に水分が浸透していくのだ。
なので、表面付近は水分が多く、麺の中心付近は水分が比較的少ない状態なんだ。
これが麺独特のぷつっという適度な歯ごたえを与えているんだよね。
全体に均一に水分が分散しているおもちとは食感が違うのはこのため。

これはゆでることで麺の表面から徐々に水分が浸透していくからなんだけど、蒸した場合はこうはいかないのだ。
蒸して作る麺ってあんまりないので直接比較はできないけど、比較的近いのは小麦デンプンの皮を使った点心類。
蒸し餃子の皮なんかを想像してもらうとよいのだけど、ゆでた麺とはまた違う食感だよね。
これは、ゆでる場合に比べてさらにゆっくりとして水分が浸透していかないので、じっくりと水がしみていく結果、かなり均一に水分が浸透してしまうのだ。
なので、全体としてもっちりするけど、ぷつっという麺類にあるような歯ごたえはないわけ。
なので、蒸し上げた場合は、表面糊化にはならないのだ。
ま、ゆでてから蒸しても、蒸してからゆでても、最終的にできあがるものは同じような気がしなくもないけど。

ソフト麺の場合は、熱湯でゆで水でしめ、パックするのだ。
このパックしたものを高圧蒸気で殺菌することで、日持ちよくするとともに、芯までしっかり水分が浸透し、ぷつっという麺類独特の歯ごたえがなくなり、全体にもっちりした感じの食感の麺になるよ。
蒸す前だとほぼ細いうどんなんだそうだけど、蒸した後にだいぶ様変わりするのだ。
でも、実は、芯までしっかり水分が浸透した状態というのは、麺類が伸びた状態でもあるんだよね。
麺類が伸びるという場合、芯まで水分が浸透して歯ごたえがなくなるとともに、糊化したデンプンが老化して弾力性が失われ、かたくなったことを指すのだ。
通常は冷め切ってかたくなる状態までいくことはそんななくて、まわりのつゆや汁の水分をさらに吸い込んで芯までしっかり水分が浸透してだらっとした状態になると「のびた」って言うよね。
その意味では、ソフト麺ではできあがり時点ですでにのびているのだ。
でも、もともとそういうものなので、それ以上は変化していかないわけ。
つまり、これ以上は「のびない」ので、給食のように食材が配送されてから食べるまでにけっこう時間がかかる場合でも問題ないのだ。
この最初から伸びているような食感が「ソフト」なわけだけど、この食感をあまり好きになれない人もいるわけだよね。

ソフト麺がうどんと違うのはこれだけではないのだ。
なんと、原料の小麦粉が違うんだよね。
最初に塩と水と一緒に小麦粉を練って生地を作る工程はうどんと全く同じなんだけど、使う小麦粉の種類が異なるのだ。
通常うどんに使われるのは中力粉。
でも、ソフト麺に使うのは強力粉。
パンに使う小麦粉だよね。
これには理由があって、もともとはパン用に支給されていた学校配給粉という強力粉にビタミンBが配合された小麦粉を使っていたから。

高度成長期くらいのこと、まだまだ日本全体の栄養状態はよくなかったので、学校給食用のパンに使う小麦粉が配給されていたんだって。
でも、毎回パンだけだとメニューの幅が狭くなる。
当時はまだパン食もそこまで一般的ではないからね。
そこで、パン用に配給されている小麦粉で麺類を作ってみてはどうか、と考案されたのがソフト麺のはじまりのようなのだ。
現在は配給粉はないようなので、独自に強力粉を原料に作っているみたい。
まさに学校給食という枠組みの中で考案され、工夫されてきた麺なのだ。

2022/09/03

マナー講師の批判はマナー違反

 なんか最近はテレビとか変なマナーを目にすることが多くなったような気がするのだ。
最初に火をつけたのが、とっくりの注ぎ口からお酒を注ぐのはマナー違反、とかいう件。
注ぎやすいようにとがらせているのに、そこを使わない意味とは?
これを皮切りに、そういえばマナーと言われているものの中にも変なものが混じってないか、と注目を集めたのだ。
稟議書の押印の時に上司の方に向かって少し傾けて押してお辞儀しているようにするとか。
オンライン会議では右上が上座(?)とか。

そのむかしも、瓶ビールを注ぐときはラベルを上にして、とかそういうのがあったけどね。
こういうマナーって、「これが礼儀正しいやり方」という共通理解の上に成り立つものなんだよね。
テーブルマナーも層だし、上座・下座とかもそうだし。
逆に言うと、誰かが言い出しただけで、共通理解には至っていないのに、マナー講師と名乗る人たちが「これが正しい」と押しつけてくるから反発を受けるのだ。
しかも、とっくりの話のように荒唐無稽、本末転倒みたいなものもまざっているし。
変なマナーもどきを広めようとするのがマナー違反だよね。

とはいえ、儀礼的に「お作法」というものはむかしからきちんとあるのだ。
マナー講師がはびこる前は、「小笠原式礼法」というのをしっかり習って花嫁修業、みたいのもあったんだよね。
茶道ではお茶会にお呼ばれしたときのお作法があるし、柔道や剣道などの武道でも、礼に始まり礼に終わるみたいなお作法はあるよね。
そういうのに始まって、現代的なものとして、客先との電話は相手が切るまで待つ、就職面接では進められるまで座らない、とかそういう新たな局面に対応するお作法が出てくるわけ。

江戸時代の庶民にそういうのがあったかどうかはよくわからないけど、お祭りの時の祭礼行事には当然伝統的なお作法があったし、冠婚葬祭もどこまでかちっとしているかは別としても、失礼のないように、というお作法はあったのだ。
これが武家になると、「面子」の世界になってくるので、けっこう大変だったみたい。
御査証を指南してくれる人にきちんと付け届けをして教わらないと行けないのだ。
石高が低い旗本やお公家さんでも、そういう副収入で潤っていた人たちがいるみたい。
こういうので有名なのが「高家(こうけ)」と呼ばれる役職。

もともと一般名詞の「高家」は格式の高い家柄という意味なんだけど、江戸時代に役職名にもなったんだよね。
何をするのかというと、まさしくお作法を指南・伝授するのだ。
老中直轄の役職で、朝廷とのコミュニケーションをとる上での作法を教えるのだ。
忠臣蔵のもととなった赤穂事件で浅野内匠頭が吉良上野介に松の廊下で刃傷沙汰を起こしたのも、朝廷からの使者の供応に当たって浅野が吉良の指南を受けることになっていたんだけど、そのときの遺恨が原因。
こういうのは教えてもらわないと用意すべきものなんかもわからないから、意地悪されたら終わりなんだよね。
もちろん、教わる方の態度もあるし、十分なお礼というのも大事なのだ。

この高家職は旗本なんだけど、選ばれているのはかなり家柄のよい武家。
源氏足利流(室町幕府の足利将軍家の流れ。吉良家はこれに当たる。)、室町幕府の管領上杉氏の流れ、織田信長の流れ、武田信玄の流れなど。
徳川将軍家にしてみると、こういういわゆる名家を家臣団に従えているという意味も大きいのだ。
権威付けにつながるというわけ。
江戸幕府が長く安定的な基盤を築けていた要因がこういうところにもあるのだ。

高家は旗本ではありながら、一般に高い官位を与えられたのだ。
というのも、朝廷とのやりとりをする上で、官位が低いとそもそも官位の高い人たち(宮家や有力な公家)と調整ができないため。
通常は従五位下から従四位下くらい。
多くの大名は従五位下で、老中職に就く譜代や大大名がやっと従四位下になるので、旗本としては飛び抜けて高い官位なんだよね。
いわゆる「殿上人」、つまり、天皇のおわす御所の清涼殿への昇殿が許されるのが原則従五位からなので、これくらいの官位がないと仕事にならないのだ。
ま、これは名目上のもので、石高には連動してないんだけどね。

いずれにせよ、この昔のシステムだと、まさしく誰もが認めるような家柄のよい名家が伝統的なお作法について指南をするという形式だったわけだよね。
ビジネスとして勝手に新たなマナーを生み出したりはしないのだ(笑)
俗に元CAが甥とか言われるマナー講師だけど、マナー講師としての有資格であるかどうかも職歴や出自からわからないし、権威付けもないから、どうしても「軽い」のは確かだよね。
それを認識した上で、伝統的なお作法はそれはそれとして教える、現代的な問題に即したマナーは過去の伝統を踏まえた上でこういう考え方でこうやるのがよいのではと提案で留めるとか、そういうことをしないとたたかれるのは仕方がないような気がするなぁ。

2022/08/27

まわる、まわるよ、農業は回る

日本の農業の原風景と言えば、なんと言っても水田による稲作。
春に水を張って田植えをし、夏には青々とイネが育ち、秋には実って黄金色の稲穂が頭を垂れ、冬には水も抜かれてわらが積まれている、みたいな。
日本で水稲栽培が行われてきたのは、土壌の性質の問題もあるんだけど、この方法だと、連作障害が起こらないので、同じ土地で同じ作物を栽培し続けられるという大きな利点があるのだ。
江戸時代にはかなり開墾・新田開発が進むけど、山がちな日本にはそんな広大な農地は望めないので、連作障害を避けるため、貴重な農地を一定期間休耕しないといけないというのはきついのだ。
水稲栽培の場合、水田の水を入れたり抜いたりすることで土壌がリセットされるので、連作障害の原因と言われる病原体の増加・蓄積が避けられるんだよね。
また、作物の生育に必要なミネラル分(カリウム)も川の水から補給されるので、それが欠乏することもないんだよね。
肥料は足せばいいけど、肥料を加えれば雑草も生えやすくなるので、雑草が生育しにくい水田というのは肥料にふんだんにやっても雑草を除去するのが比較的楽、という利点もあるのだ。
これが陸稲栽培になると、土壌はリセットされないので、連作障害が起きるし、施肥して栄養分を補給すると雑草もわんさか生えてくるのだ。
これは小麦なども同じで、こうした連作障害などを避けるためには工夫が必要なんだ。

古代から熱帯地域で行われているのが焼畑農業。
これは一定の区画に火を払って現在生えている植物をいったんすべて焼却するんだよね。
こうすることで、酸性の土壌がアルカリ性の灰で中和されるとともに、カリウムやリン酸などの栄養に富んだ土壌になるのだ。
でも、ここで数年作物を育てていると、連作障害が出てくるので、そうなったらこの畑はいったん破棄して、次の場所に移るんだ。
うち捨てられた畑はそのまま自然変異で雑草が生えてきたりして、以前と同じような野原に戻っていくんだよね。
それが回復したところで、また焼畑をして農地にするのだ。
というわけで、焼畑農業っていうのは不可逆的に森林や草原を焼き払って農地にするわけではなくて、長期的に農地を循環させていく農法なのだ。
自然繊維で土壌の回復を待つのには相応の時間がかかるので、人口に比して結構広い土地がないとサステイナブルには成立しないんだよね・・・。
人口が多すぎると前に焼畑にした区画の土壌回復を待つことができないうちに次々と焼き払われる土地が広がっていくので、一方的な自然環境破壊になってしまうんだ。
歴史的に長い間続けられたってことはそれが持続可能だったからなんだけど、前提条件がくぁってしまって持続可能でなくなってしまったというわけだね。

焼畑農業のように自然変異に任せて土壌回復を待つと時間がかかるので、欧州で編み出されたのが三圃式農業。
これは三つの区画を用意し、秋まきの小麦・ライ麦、春まきの大麦・豆類、休耕して放牧地、というように順繰りに回すことで連作障害を回避するのだ。
放牧地にしている間はシロツメクサ(クローバー)なんかを植えて土壌中への窒素固定を促すとともに、家畜の糞によりリン酸などの有機成分も付加して土地を肥えさせるんだよね。
それで小麦やライ麦などの主要作物を生産し、その次の年はやせた土地でも生育できる大麦や豆類に転換、いよいよ土地がやせ衰えたら休耕、というサイクルだよ。
焼畑ほどではないにしても、必要な小麦の量からすると、その3倍の農作地が必要なんだよね・・・。
これでは大人口を支えられないのだ。
江戸時代は日本の人口が世界的にも大きく伸びているんだけど、これは水田による稲作と、三圃式による小麦栽培の農業生産力の違いもあるんだよね。

これをさらに発展させたのが、農業革命をもたらした転栽式農業。
休耕して放牧地にすると、広い土地に家畜がまばら、という感じだけど、これだと効率が悪いので、休耕せずに家畜飼料用の作物を育てる、ということにしたのだ。
飼料用作物としては、カブやジャガイモ、テンサイなんかを作ったみたい。
これが18世紀から19世紀にかけての話で、ちょうど同時期に起こった産業革命を支えることにもなったのだ
産業革命では大きな労働力が必要だけど、それまでの農業生産効率ではそれだけの人口を支えきれなかったわけで、これでやっと欧州でも大きな人口を維持できる農業生産基盤ができたんだよね。

ちなみに、自然環境により連作障害が回避されていたと考えられる例もあるのだ。
それが古代エジプト。
「ナイルのたまもの」とはまさにそれで、ナイル川が不定期に氾濫することで、土壌に蓄積された病原体が排除され、また、栄養分に富んだ土がもたらされ、古代エジプト王国を支えるだけの農業が可能になっていたんだよね。
古代エジプトの主要作物は小麦だけど、水稲栽培で人工的に行っているような水入れ・水抜きがナイル川の氾濫によって自然に起こっていたということだね。
今では砂漠のイメージしかないけど、古代は一大農業国だったのだ。
だからこそピラミッドなんかも作れたわけだけど。

ちなみに「エジプトはナイルのたまもの」というのは、ヘロドトスの「歴史」にある言葉だけど、どうもこの意味ではないらしいんだよね。
農業生産性の高さのことをいっているわけではなく、古代エジプト王国の中心地は、ナイル川によって作られた中州、ナイル・デルタにあったので、この王国があるのもナイル川のおかげだ、くらいの意味らしいよ。
確かに、古代ギリシアの人間が必ずしも連作障害と川の氾濫を関連づけて考えていたとも思えないし、そんなものかもね。

2022/08/20

1/4の議員の要求

シャムシェイドの代表曲と言えば「1/3の純情な感情」。
そして今回は1/4の議員の要求。
先日、野党が合同で衆参両議長宛に臨時国会開催の要求を出したのだ。
この要求を出すには、議院に属する議員の1/4以上の賛同が必要なんだよね。
ただ、封土を見ていても、出したと言うだけでどういうことがよくわからないので、ちょっと手続的な所を調べてみたのだ。

今回の要求は、日本国憲法第53条に基づくもの。
同条は前段で「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。」としつつ、その後段で「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と規定しているのだ。
つまり、衆参のどちらかの議院で1/4以上の賛同があれば、臨時国会の開催を内閣に迫れるというわけ。
衆議院の総選挙後や参議院の通常選挙後の臨時国会の場合だと、議員の任期が開始する火から30日以内に開催しないといけない、と国会法に規定されているんだけど、こっちはいつ開かなければいけないという規定はないんだよね・・・。
つまり、内閣は、臨時国会の開催の決定はしなくてはいけないけど、その開催時期は裁量を持って決めることができるのだ
今回の場合で言えば、通常秋の臨時国会は9月に入ってから開会されるけど、それを多少でも当初想定していた時期より前倒しにするのか、そのままの時期にするのかは、内閣の判断で決めることができるというわけ。
さすがに憲法に則った手続で要求されたものを軽視するわけにもいかないだろうから、なんらかの調整はするんだろうし、ちょっとは前倒しをするような気もするけど、衆参どちらでも与党が圧倒的に有利な状況だから、受け止めるだけ受け止めて実質何もしないというのはあるかもしれないのだ。

今回の「1/4の要求」の内訳だけど、詳細は報道に出ていないので不明ながら、衆参両院の党勢で見ると次のとおり。
【衆議院】
定数465で、うち与党293、野党167、無所属と欠員で5。
定数いっぱいの1/4とすると、117以上の賛同が必要。
で、野党の党勢として主要なものを見ると、立憲97、維新41、国民11、共産10、れいわ3。
今回代表戦中の維新は賛同していないそうなので、立憲・国民・共産・れいわの全議員が賛同すれば121になるので1/4を超えるのだ。
【参議院】
定数248で、うち与党145、野党94、無所属が9。
定数いっぱいの1/4とすると、62以上の賛同が必要。
で、野党の党勢として主要なものを見ると、立憲+社民39、維新21、国民12、共産11、れいわ5。
維新を抜いて立憲+社民・国民・共産・れいわの全議員が賛同すれば67になるので、1/4を超えるのだ。
野党会派にいる他の議員の賛否はよくわからないけど、両院で維新を除く主要会派が賛同すれば1/4を越える賛同は得られるってことだね。
過半数には届かないから、決議案や法案を通すのは厳しいけど、開催を迫るくらいはできるということか。

数はそろうので、その手続を進めるわけだけど、どうやって要求するかは国会法に規定されているのだ。
国会法第3条で、「臨時会の召集の決定を要求するには、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の議員が連名で、議長を経由して内閣に要求書を提出しなければならない。」と規定されているものがそれ。
この条文のポイントは2つで、ひとつは、「総議員の四分の一以上」という部分。
つまり、定数の1/4ではないので、欠員がある場合は、それを除いてよいのだ。
今回衆議院には欠員1があるので、欠員を除いた464の1/4以上の賛同があればよいのだ。
ま、465だと端数が出るから117必要なんだけど、464だときれいに割り切れて116でよいのだ。
もう一つのポイントは「議長を経由して内閣に要求書を提出」というところ。
今回の報道でも、野党が衆参の両議長宛に要求書を提出した、と報道されているのはこのため。
議員が連名の要求書を直接官邸とかに持っていくわけではないのだ。

こうしてみてみると、今回の報道の背景が少しわかってきた気がするよね。
意外に少なくてびっくりするけど、1/4以上の賛同は両院でもクリアしている、なので、要求書を両院議長に提出した、というわけだ。
あとは、政府の側がこの要求を受け取ってどう対応するかだね。
国会の会期等については原則与党と政府が一体となって対応を検討するので、内閣総理大臣であり、自民党総裁でもある岸田さんがなんらかの政治判断をした上で、今後、与野党の国会対策委員会同士で調整が行われるはずのだ。

2022/08/13

手仕込みの黒

 最近、飲食店でもお酒を飲まず、ソフトドリンクで済ませる人が多くなったみたいだね。
コロナの影響でアルコール飲料の提供が抑えられたりした事情もあるんだろうけど、お酒の売り上げも下がっているみたいだから、お酒自体が飲まれなくなっているのかも。
お酒以外でもストレス発散したり、楽しんだりできることが増えたからなぁ。
ボクも基本はおつきあいでしか飲まないしね。
そんな中でよく見かけるようになったのが、「クラフトコーラ」。
ようは自家製コーラなんだけど、手作りのコーラシロップを炭酸で割ったものなのだ。
自家製ジンジャーエールとかは石北会計のお店で見かけることもあったけど、コーラはここ最近の気がするのだ。

そのむかしはタブクリアなんて透明なコーラもあったけど、一般に、コーラといえば、カラメル色素の黒と強い甘み、その置くに感じるほのかな酸味が特徴のソフトドリンク。
米国の場合、ノンアルコールの飲料というと、ミネラルウォーターか、ものすっごく甘いアイスコールドティーか、コーラくらいしかなかったのだ。
最近は日本からやってきた冷たい緑茶やウーロン茶なんかもあるみたいだけど。
なので、水以外はみんな甘い・・・。
ま、そういう食文化なんだよね。
ハンバーガーやピザだとコーラも合うしね。

コーラの元祖的な位置づけはなんといってもコカ・コーラ。
もともとは栄養ドリンク的な位置づけで開発されたもので、禁酒運動の時代に合わせ、薬用酒に代わるノンアルコールのもの、ということで開発されたようなのだ。
なので少し薬臭いわけだけど、それが清涼感があってよかったみたい。
強い甘みや柑橘系の酸味もその薬臭さや中に入っているスパイスやハーブの苦みをごまかすためでもあるんだよね。
当初は水で割っていたわけだけど、どこかで間違えてその頃製造が始まったばかりだった炭酸水で割ったところ、爽快感と清涼感が受けて一気に売れるようになったのだとか。
その後、禁酒法がいよいよ施行されると、お酒の代わりに食事とともに飲まれるようになっていくのだ。

コカ・コーラという名前は、原料にコーラの実とコカの葉を使っていたことから来ているんだ。
コーラの実はカフェインを割と多く含む実で、もともとは少しずつかみ砕いて楽しむ嗜好品。
カフェインの覚醒作用もあるんだけど、かむと空腹感を紛らわせる効果があってたしなまれていたようなのだ。
このコーラのみのエキスを使っていたので、コーラにはカフェインが含まれているんだよ。
今ではコーラのみを使うことはほぼなく、茶葉などから抽出したカフェインを別に添加しているようだけど。

そして、コカの葉。
もちろん、麻薬のコカインを含むコカだよ。
発売当時はまだ普通に売られていたようなのだ。
当然のことながら、20世紀に入るとコカインの販売が法律上禁止されるので、コカ・コーラの原料からコカの葉は消えていくのだ。
なので、実際にはコカインが含まれていたのはごくごく初期だけ。
コーラには妙な中毒性があって、実はまだコカインが入っているとか、カフェインが強いからとか言われるんだけど、おそらく、ただ単に糖分が多く含まれているからなんだよね。
甘いものには中毒性があって、コーラの場合、飲料としては破格の量の糖が入っていて、しかももっとも吸収しやすいブドウ糖なんだよね。
なので、医療的にも低血糖貧血なんかの場合にはまずコーラを飲ませるべし、となっているくらい。
甘いものはやめられないのだ(笑)

このコカインが入っていた最初期のコーラのレシピは実は普通に売られていたので、今でも見ることは可能。
よくコカ・コーラのレシピは門外不出とかいうけど、それは現在のレシピだよ。
なので、だいたいこんな感じのものを混ぜればコーラ風味になる、ということはわかっていて、ペプシが一番メジャーだけど、コカ・コーラ以外のコーラも多く販売されているのだ。
イオンのトップ・バリュのやつはなんか違うもののような気がしたけど・・・。
で、そういうのを自分で調合して作るような人もいるわけで、そうしてできてきたのが手作りコーラであるところのクラフトコーラ。
このクラフトはクラフトビールのクラフトと同じ工芸品の意味のクラフトで、職人が手作りしている、ってなイメージだよ。

けっこう早い段階でこういう手作りコーラというのはあったみたいなんだけど、今のクラフトコーラのブームの先駆けになったのは伊良コーラ。
神田川沿いの下落合にあるよ。
代表のコーラ小林さんという人が、まさに最初期のコーラのレシピを偶然ネットで見つけて、自分で作ってみた、というのがはじまりみたい。
そのレシピを再現したものがコーラ好きのコーラ古馬や資産的には実はあまりおいしくなかったようで、そこから自分でいろいろ工夫して作り上げていったらしいのだ。
そのとき、漢方をやっていた祖父の伊藤良太郎さんの残した資料なんかも参照したので、「伊良」なのだ。
ボクはこのお店の前を通りかかったことは何度もあるんだけど、まだコーラを作っている現場は見たことないんだよなぁ。

2022/08/06

待て、あわてるな、これはトウケイの罠だ

ひろゆき氏のディベートでの必殺技のひとつとして「それって何かデータとかあるんですか?」というのがあるけど、最近は、論拠としてのデータを示しつつ論を展開する、というのが増えているよね。
報道なんかでもいろんなデータが出てくるようになったのだ。
そもそも自分に都合のよいデータをうまいこと探してくる、っていうのもあるんだけど、それだけでなく、データには読み方っていうのもあるんだよね。
それが基礎知識として理解できていないと誤解が生じるおそれがあるのだ。

典型的なのは、「国民の貯蓄額」みたいなデータ。
ここで出てくる「平均値」は実態を反映していないことが特に多いのだ。
40代の平均貯蓄額は○○万円でした、みたいな報道が出ると、多くの場合、「え、みんなそんなに貯蓄あるの?」といったコメントがつくんだよね。
でも、これはごく自然なこと。
というのも、この平均額付近の貯蓄額のそうっていうのは人数的には多くなくて、そこそこの数の「お金持ち」と、けっこうな数の「お金なし」の人たちがいて二極化しているから。
ヒストグラムのような手法で貯蓄額の分布を見てみると、定額の方に大きなひとつの山、光学の方にもう一つ小さな山があることが多いんだよね。
こういう場合、単純に平均を取ってしまうと、その山と山の間の、実は人数的にはさほど多くないところに平均値が来てしまうんだよね。

一般に、平均値がその集団のメインボリュームを代表できるのは、分布図を取ったときに大きな山がひとつの場合。
山がひとつでもあまり大きな山でなくなだらかな場合だと、一番人数が多いところから平均がずれてしまうのだ。
そして、山が1つでも極端なはずれ値がないこと。
所得なんかの場合、極端に所得額の多い人が一人いるだけでも平均がずれるんだよね。
例えば、99人の平均所得が100だったところに、100,000の人が一人はいると・・・。
100人になったときの平均所得が1,001になってしまうのだ!
現実世界でも、年間数百万くらいの年収の人が多い中、桁外れな人の年収は数十億円なんてことはあって、この場合、平均年収が数千万円と出てしまうんだよね。
ネットで有名な、平均という概念を壊した「校長」の効果なのだ。

一番盛り上がっているところに平均値が来るのは正規分布に近い分布をしている時なんだよね。
偏差値なんかは平均値からどれだけ離れているかをわかりやすく数値で表したものだけど、例えば小学生に大学入試共通試験の択一型試験を受けさせた場合、学力では問題を解けないので基本はすべてランダムに回答が記入されることとなり、理想型に近い正規分布が得られるのだ。
これはもう運だけの世界で、偏差値が高い人=たまたま運良くマークした箇所が正解になった数が多かった人、ということになるんだよね。
ところが、ある程度解ける問題が混ざってくると、この分布が正規分布から外れてくるのだ。
例えば、超天才だけが解ける試験問題を作ると、ほとんどの人は零点なのに、数人だけ100点をとったりすると、平均は10点と出たりするんだけど、実際には零点と100点の人しかいないのだ。
また、ふたつある問題集のうち、A問題集をやった人は解けるけど、B問題集をやった人は解けないような問題があった場合を考えると、A問題集をやった人の集団とB問題集をやった人の集団の2つの集団の重ね合わせになって、山が2つある分布になったりするんだよね。
こういうときにはあまり平均値や偏差値のような指標が集団の特徴を表さなくなるのだ。

こういう場合、事前に世の中にはふたつの問題集があって、そのどちらかだけをやっている人が試験を受けている、ということが事前にわかっていれば、最初から集団を2つに分けて統計解析ができるんだけど、実際にはそんな単純はないんだよね。
超天才がいるかどうかも超難問の試験をしてみないとわからない。
ヒストグラムを作ってみて、実際の分布の様子を確かめるしかないのだ。
その上で、山が2つあったりすると、何かの要員で集団が2つの層に分かれそうだ、という推測をしていくことになるんだよね。
そういうのを分析するのがまさに「目利き」の技なんだけど。
はずれ値の場合はヒストグラムで明らかに変な一にデータが出てくるので、それを除外してあげればいいのだ。

ではでは、こういう平均値があまり意味をなさないようなとき、この集団の特徴をどうやって表現するか、ということが問題になるよね。
毎回毎回ヒストグラムを書いて載せるというのも大変だし。
こういうときによく使われる簡単な指標が最頻値とか中央値と呼ばれるもの。
平均値(mean)は単純にデータの合計をデータ数で割ったもの。
これに対して、最頻値(mode)は、ヒストグラムを作ったときに、もっともデータの出現数が多かったところ。
そして、中央値(median)は、ちょうど真ん中にあたるデータの値(データが101個あれば上から数えても下から数えても51番目に当たるところ、データが100個の場合は、50番目と51番目の平均。)。
さっきの零点と100点しかいない例だと、どちらも零点になるよ。
中央値の応用技で、さらに分布の様子を知りたいときは、四分位点をとることもあって、上位25%点、50%点(=中央値)、75%点ととることで、なんとなくヒストグラムの様子がわかるようになるのだ。
こういうのが仕えると、ちょっと統計をわかっている人になれるんだよね。

逆に言うと、あんまり説得力のあるデータ出ない場合でも、こういうわかりやすい指標をあえて避けて、本来その集団の特徴を表していないはずの平均値なんかを使って説明する悪い人もいるのだ。
そこまで悪い事例ではないけど、みなさん月々保険料はこれくらいお支払いです、みたいな感じで保険の勧誘時に平均値で説明してくる場合なんかがそう。
保険は入る層と入らない層がまずわかれ、手厚くお金をかける層と、そこそこ入っておけばよい層とその下位分類もあるので、保険料支払額の分布を見ると山がいくつもあるようながたがたの分布図になるはずなのだ。
そんな状態で「平均値」をそのまま使っても、その平均値近くの保険料を納めている人たちは「一般的」とは言えないんだよね。
これは年収別とか、既婚・未婚別とか、条件付で出した値ならまだしも、あれこれ全部ひっくるめての平均じゃほぼほぼ意味のない数字だよ。
データを示せといっても、こういうように読み解く力がないとなんとなくわかった風になってダマされるだけになるんで危険なのだ。

2022/07/30

どんな肉も・・・

近所にかなりおいしい焼き鳥屋さんがあるのだ。
ハツ(心臓)やささみなんかを食べてみるとより実感するんだけど、ふっくらと焼き上がっているんだけど、しっかりと火が通っていて、絶妙な焼き加減。
これはそこら辺の居酒屋で食べられるものとは段違いなのだ。
俗に、串打ち三年焼き一生なんて言われる焼き鳥の技術だけど、技術力の差が出るんだなぁ、と思ったよ。

そんな焼き鳥だけど、実は海外の人から見た場合に日本を代表する料理のひとつなんだよね。
海外で好まれる理由のおおきなものは、宗教的な禁忌にあまり影響されない鶏肉の料理であること。
そして、これも大きな理由だと思うけど、いわゆる「ザ・日本」の味付けである甘辛いたれであること。
そういえば、海外で見る焼き鳥はみな「たれ」で、まず「塩」はないんだよね。

ボクがパリにいた頃は、エセ日本料理屋も含め、日本料理のつーっトップは寿司と焼き鳥だったんだよね。
天ぷらやすき焼きではないのだ。
ま、焼き鳥だと、味付の冷凍のものを暖めて焼き色つけるだけで出せる、というのが大きいのもあるだろうけど、それだけ海外の人にも好まれている料理だということだよね。

歴史的には、仏教的な禁忌からあまり肉を食べてこなかった我が国でも比較的よく食べられていたのが鶏肉。
すき焼きとかにもしたけど、串に刺して焼くみたいな単純な方法は当然あって、かなりさかのぼれそうなのだ。
京都伏見稲荷の参道で売られている「すずめ焼き」なんかは、まるまる一羽を串に刺して焼いてあるものだけど、平安時代からあるのだ。
でも、今の形に似た焼き鳥形態が文献にレシピで登場するのは江戸時代らしいよ。
ただし、江戸時代は肉を食べるためにニワトリを育てているわけではないので、卵を産まなくなった雌鳥のほか、餅などで捕獲してくる鳥、例えば、ウズラとかヤマドリ、ヒヨドリ、キジ、ツグミ、スズメなどいろんな鳥を食べていたみたい。
明治になると肉食用の養鶏が始まるので、ニワトリに落ち着いていくのだ。

ところが、大戦後は、 物資がない中、闇市では「焼き鳥」という名の、なんだかよくわからない肉を串に刺して焼いてあるものが並ぶんだよね。
今から考えるとホルモン焼きのようなものだと思うけど、それまではあまり食べられてこなかったような内臓系の肉を安く仕入れてきて出す、みたいなことが起きるんだよね。
今では「焼き鳥」とはいわず、「ホルモン焼き」やら「串焼き」としてきちんと売られているけど、あしたのジョーでもおなじみの山谷地区(浅草と南千住の間)なんかには、串焼きや煮込みなどもつ料理を出す低価格帯の店が数多く並んでいるのだ。
新橋のガード下は今はニワトリの肉だけど、戦後すぐはやっぱりそういう肉だったんじゃないかなぁ。


でも、実は「焼き鳥」には地方さもあって、必ずしも鶏肉ではないことも。
って、なんだか矛盾しているんだけど。
有名なのは北海道。
道央の美唄焼き鳥や道南の室蘭やきとりは豚肉。
そして、知る人ぞ知る函館のハセガワストアの焼き鳥弁当も豚肉だよ。
これは北海道開拓の際に養豚業が盛んになって豚肉をよく食べていたからとかなんとか。
十勝には豚丼もあるし、肉といえば豚、的な文化が北海道にはあるみたい。
(と言いつつ、ジンギスカンは羊肉・・・。)

同じように、埼玉の東松山名物の「焼き鳥」も実は豚肉(「かしら」と呼ばれるほほ肉)なのだ。
これは孤独のグルメにも出てきたから知っている人は知っているけど、特性の味噌だれをつけて食べるんだよね。
これは明確に発祥のお店がわかっていて、その店ではやったからまわりで広まったみたい。
そういうのもあるのだ。

肉の違いだけじゃなく、形態の違いもあるよ。
愛媛の名物と言えば今治の焼き鳥。
これは俗に「鉄板焼き鳥」とも呼ばれるもので、串に刺して焼くんじゃなくて、鉄板の上でやいてたれにからめるのだ。
宮崎名物の地鶏の炭火焼も近い作り方だけど、こっちはあまり「焼き鳥」には分類されないんだよね。
不思議。
地鶏の炭火焼は、一口大に切った宮崎地鶏に塩こしょうをして、鉄板の上で焼くんだけど、そのとき、炭のすすがかかるほどの強火で焼くことで香ばしい香りをつけるのが特徴。
っていうか、これも「焼き鳥」だよね。

こういう地域差があるというのは、この調理法が割と全国規模で好まれている、ということだよね。
軽食にもいいし、お酒のつまみにもいいし、おかずにもなるし。
そして、材料で使われる鶏肉や豚肉は牛肉に比べると臭みがないので、肉食になれなかった昔の人でも食べやすかったんだと思うんだよね。
炭火で焼くときは油も落ちてより臭みが抜け、香ばしい香りがつくし。
実は、江戸時代から数えても二百年を超える伝統料理。
日本料理の代表選手でもいいわけだね(笑)

2022/07/23

匂い立つ大地

アニメ「ゴールデンカムイ」はつに冒険の舞台が樺太に移ったのだ。
このコンテンツのおかげで一気にアイヌへの関心が高まったようだけど、千島列島や樺太についての日本とロシアの関係にも注目が集まるかも。
政府が発信してもなかなか北方領土の話は伝わっていかないけど、こういう娯楽コンテンツは協力なんだよなぁ。
でも、それ以上に今は樺太(サハリン)が社会の注目を集めているのだ。
それは、「サハリン2プロジェクト」の行方・・・。
日本のエネルギー事情に大きな影響が出かねないんだよね。

ロシアは大資源国で、中でも天然ガスは大量に採掘できるのだ。
その天然ガスはユーラシア大陸を横断するパイプラインで欧州諸国に供給されているんだけど、その欧州地域への入口になっているのがウクライナ。
このパイプラインはウクライナを通って西側に延びているんだよね。
ちょっと前、ウクライナで親EU政研ができてロシアともめたとき、ロシア(というか、実際には国営企業のガス供給会社のガスプロム)はウクライナ向けのガスの価格を上げてきたのだ。
旧ソ連地域のよしみで西側諸国より安く卸してもらっていたんだけど、それを西側諸国並みの価格にする、と宣言されたわけ。
これでウクライナとロシアがもめて、ウクライナ向けの供給は止める、とかいう話に発展したのだ。

このとき、西側へのパイプラインはウクライナを通っていて、西側向けの供給は止めていないので、ウクライナに敷設されているパイプラインにはガスが通っているわけ。
で、このもめ事があった後、西側へのガス供給が支払った金額に比べて少なくなっている、ということがわかったんだって。
ロシアはウクライナが途中で勝手に抜いているんだと言い、ウクライナは当然そんなことはしていないと言い、けっこう欧州地域でもめたみたい。
その頃から欧州のガス供給問題はウクライナがネックになっていたのだ。
で、今回の紛争で、やっぱりロシアから欧州地域へのガス供給が滞っていて、ドイツやフランスなどでは大規模なエネルギー不足問題が発生しようとしているんだよね。
原子力で電気青まかなえるフランスはまだましなんだけど、原子力を捨て、自然エネルギー偏重に転換していたドイツはロシアのガスがないと相当つらそうなのだ。
これが欧州で問題になっている天然ガスの問題。
日本はわりと「対岸の火事」的に見ていた人が多いと思うんだけど、今度はそれが「我がこと」になりつつあるのだ。
それが「サハリン2」の問題。
やっと樺太に話が戻る(笑)

ロシアは資源大国なんだけど、まだまだ資源が眠っているとよそくされているのだ。
そのひとつが樺太周辺の化石燃料資源。
樺太等の周辺を8つの鉱区に分け、それぞれ開発をしようという話が出てきたんだよね。
そのうちの第2鉱区、樺太北東部沿岸域で天然ガスを採掘しているのが「サハリン2プロジェクト」だよ。
ソ連崩壊後のロシアには資金力も技術力も不足していたので、このプロジェクトには外資の参加を角だったのだ。
で、距離的に近いこと、天然ガスの供給もとに多様性を持たせたいことなどから、日本も参加することになって、石油メジャーのシェルとともに、三井物産や三菱商事がこの話に参加したのだ
プラント建設にも日本企業がロシア企業と共同で受注していたりするよ。
で、サハリン2だけは開発が成功し、天然ガスの採掘が行われていて、日本も買っているんだ。

でも、この開発途上でもロシアらしい「いやがらせ」的な話があったんだよね。
2001年にいったん開発計画はロシア政府に承認されるんだけど、2006年になって、環境アセスメントの不備を指摘して、プロジェクトを止めろ、と言い出したのだ。
あわや開発中止かとなったんだけど、ロシアの国営企業のガスプロムが、シェル・三井物産・三菱商事で作ったサハリン・エナジーという開発会社に51%の株式保有率で参加することで解決させたのだ。
なんか、難癖つけてこのプロジェクトをロシア企業が乗っ取ったようにしか見えないよね・・・。
もともとそういうことをする国だから仕方ないのかもだけど。
こうしてなんとか開発中止の危機を乗り越え、供給開始までこぎ着けたのだ。

ところが、ロシアのウクライナへの侵攻を契機に、シェルがサハリン2から撤退。
日本企業にもかなりプレッシャーがかかったんだけど、エネルギー安全保障の観点から日本企業は引き続き参加する、という判断になったのだ。
で、なんとかなったはずなんだけど、今般新たな大統領令が出て、サハリン2の運営はロシアの新会社にすべて移せ、となったのだ。
これにはこれまで出資してきた日本企業もびっくり、というのが現状。
日本のロシアへの天然ガスの依存度は9%程度らしいけど、1割近くなくなるのあつらいよね・・・。
ただでさえ原発が再稼働できずに火力が主力になっているのに、
そして、欧州もロシアからガスが手に入らなくなってきているので、他の地域から買おうとするのだ。
それで天然ガスの国際的な争奪戦が起きていて、価格も跳ね上がっているんだよね。
そんな状況下でこれはやばい、というのが今回の問題なのだ。
やっぱりロシアは「おそロシア」だ。

2022/07/16

人の不幸は・・・

大変な事件が起きて、改めてカルトと言われる宗教集団に注目が集まっているよね。
宗教団体はお布施や寄進を募るものだけど、余裕がある分をもらうのではなくて、根こそぎ持っていって生活を破綻させるまでになるから問題になるのだ。
そういう悪質なのがけっこうあるみたいだね。
でも、いつも思うんだけど、なんでこういう手口に引っかかるのか、というのは疑問なのだ。
家庭が崩壊するまで金を搾り取られていれば不幸なはずで、それで何で途中でやめずに出し続けるんだろう、と。
これには、一応心理学的な作用があるみたいなのだ。

まず、入口として、最初にどうやってお金を出させるか、そこがポイントだよね。
個々人の救済というよりも集金を目的とするようなカルト団体だと、「お金を持っていると執着が生まれ、それが不幸の原因となる。まずはそのおおもとのお金を手放すべき。」みたいなことを言ってお金を出させるらしいんだよね。
通常の感覚であれば、「何言ってんだ」で終わるんだけど、心身を病んでいて正常な判断ができないような状況だと、「そうなのか」とお金を出してしまうみたい。
そうなるとカモだよね。
そういう人でなくても、合宿と称して過酷な環境で軟禁して心身耗弱状態になったところで、なんてもあるみたい、
こうなると悪質度はさらに増すね。

こういう仕組みって、全員から集金する必要は全くなくて、百人、千人に声をかけて一人でも金を出せば、その後はその人をターゲットにして搾り取ればよいだけ、ということなんだよね。
なので、一見荒唐無稽、不可解な理論なんだけど、真珠ルものは救われるとばかりにわらをもつかむ人が見つけられればそれでよいのだ。
弱者を食い物にするというひどい話だけど、実際にはそういう方のがビジネスとしては成り立ちやすいのも事実。
生活保護費のピンハネみたいな話もあるようだけど、悪い仕組みを考える人っているんだなぁ、と逆に感心するよ。

こうして搾り取られていくと、端から見ればかえって不幸になっていくようにしか見えないんだけど、悪い人たちは、「金を出しているからこれくらいですんでいる、出していなかったらもっとひどいことになっていた」と脅すんだよね・・・。
これも全く論拠不明なものだけど、いったんお金を出してしまったような人には通じるようなのだ。
信者っていうのは圧縮して一時にすると「儲ける」だからね。
そして、本人的にも、「ここまで金を出しているんだから後には引けない、必ず幸せにならなければ」と思うようになるみたい。
これはコンコルド効果と呼ばれるやつだね。
株式投資やギャンブルで負け続けると後に引けなくなって大負けする、というやつ。
さらに、こうした不幸の中で、ちょっとでもいいことがあると、すかさず「これまでのお布施・寄進のおかげでよいことがあった」と吹聴するのだ。
これもおかしな話だけど、すでにまともな判断はできなくなっているので、そんなものかと思ってしまうんだろうなぁ。

こうして搾り取れるだけ搾って、さらに、金を出せなくなった後は、無償の労働者として役務を提供させるのだ。
すべての財産を寄付しなさい、なんていう集団は、多くの場合量のような集団生活拠点を持っていて、そこでタコ部屋のような生活を送らせつつ、集団から衣食住を保証してもらう代わりに奉仕をしなさい、と勧誘の手先にしたり、”ありがたい”壺やお札を販売させたり、という感じになっていくのだ。
よくぞここまで、と思うけど、すでに人を人とも思わぬようなかんじになっているんだろうなぁ。
感覚が麻痺してくるのか、もともとそういうタイプ(ソシオパスやサイコパス)の素養を思っている人がやっているのか。

こういう話だけ聞くと悲しい気持ちでいっぱいになるけど、孔子亜手口を知識として知っているかどうかはけっこう重要なんだよね。
知っていれば、あれ、これってあれじゃない、と気づく可能性もあるから。
あんまり見聞きしたくはない話ではあるけど、ある程度知っておくことは重要だと思うんだよね。
道徳お時間で教えるようなものでもないんだろうけど。

2022/07/09

Seven Evenings

七夕ばったばた。
今年は梅雨明けが早かったので、新暦の七夕でもちょっとだけ星空が見えたのだ。
これは珍しいらしい。
七夕というと、笹に短冊を飾って、というのがメインで、平塚や仙台などの七夕祭りを別にすれば、あんまり経済効果がなさそうなイベントなのだ。
でも、最近(?)はちょっと変わってきていて、コンビニとかを中心に、七夕の行事食というのを広めようとしているのだ。
関西のローカルな風習だった恵方巻を全国区にしたり、夏の土用だけだったうなぎを年4回のずべての土用に拡大したりと、その辺は抜け目がないよね。
そんな中で出てきているのが、「七夕そうめん」。
もともとは仙台の方のローカルな風習だったようだけど、ここ最近は七夕が近づくと、そうめんをよく見かけるようになったのだ。
で、これを探るには、もう少し七夕を深掘りしないといけないんだよね・・・。


七夕は中国の風習が日本に持ち込まれて独自に進化したもので、七夕の代名詞とも言える、笹に短冊、というのは江戸時代からの風習のようなのだ、
七夕が九通行事として入ってきたのはおそらく平安の頃なので、その間に貴族の季節行事が一般にも広まっていったってことだろうね。
このあたりはひな祭りや節分(追儺)なんかにも似ているかも。
今では短冊に書く願いに決まりはないけど、そもそもは、裁縫や手芸の技能上達を織女(織姫)に元悔過するものだったみたい。
こっちには起源があって、古代中国に「乞巧奠(きこうでん)」という名称でそういう風習があったのだ。
これは机の上に果物などの供え物をしたうえで、金銀お張りに七色の糸を通して・・・、みたいなもので、短冊なんかは出てこないのだ。
で、日本にこれが入ってくると、糸に見立ててそうめんが備えられるようになったんだって。
これが七夕とそうめんの出会い。

で、この話とは全く異なるところで、夏の時期には影響よけで願掛けをすることがよくあって、ひとつは、夏越しの祓えというのがあるのだ。
これは旧暦の水無月末日に蘇民将来の伝説にあやかって無病息災を願う行事なんだけど、このときは、神社にしつらえられた茅の輪を決まったまわり方でくぐるんだよね。
で、この茅の輪の横には、笹が立てられる習わしなのだ。
これが夏と笹の出会い。
どうも、夏に笹を飾るという発想はここから来ているみたい。
中身は手芸上達と無病息災で違うけど、夏に願う、という点では同じだしね。

さらにさらに、また別の風習があって、中国では、幼くして病気で亡くなった子どもが幽鬼となり疫病をはやらせたとき、生前その子どもが鉱物にしていた索餅(「さくべい」、小麦粉と米粉を水で練って縄上に編み上げた唐菓子)を供えたところ疫病が収まった、という伝説があり、七夕に熱病(マラリアなど)にかからないようにと索餅を供えて食べる習慣あできたそうなのだ。
これも平安期に日本に入ってきていたみたい。
で、この索餅は、そうめんのもとになったものとも言われていて、ここで、七夕、無病息災、そうめんが結びついていくのだ・・・。
で、約1週間前の夏越しの祓えでは茅の輪と笹が無病息災の象徴。
そうして、笹もここに集合されていくわけ。
そんなこんなで、七夕には笹がつきものになり、そこでは何か願い事をする、という感じになり、願い事を書くために短冊が笹につるされるようになっていくのだ。
で、無病息災を願ってそうめんを食べる、という流れみたい。
というわけで、七夕そうめんを食べるときは、無病息災や手芸上達を願った方がいいみたいだ(笑)

ちなみに、全く別のものとして、「七夕ゼリー」なるものもあるけど、これは学校給食の行事食で採用されたのがはじまりみたい。
ボクが小学校時代にはなかったような・・・。
基本は学校給食ででてくるだけのものだったんだけど、最近ではスーパーやコンビニでも、涼しげな青いゼリーに星形に切った果物がのっているものを見かけるよね。
いつのまにか学校での常識が世間の常識になりつつあるのだ。
ま、「ひな祭りケーキ」ほどは商業主義を感じないからいいけど。

2022/07/02

つるっと

夏で暑くなってくると、つるっとした食感の和菓子が出丸のだ。
わらび餅とかくずきりとか。
透明感もあって涼やかでそこもよいよね。
でも、冷蔵庫できんきんに冷やしてしまうと、これらはかたくなってしまうんだ・・・。
もともとデンプンを取りだして糊化(ゲル化)させたものなので、冷えたごはんがかたくなるように、時間経過や冷却によりどうしてもかたくなり、食感が悪くなるんだ。
なので、基本は冷やさずに、涼やかな見た目を愛でて食べるものなんだよね。

わらび餅のもととなるわらび粉は山菜のわらびの根からデンプンを抽出して乾燥させたもの。
山菜のわらびは、若芽・新芽(まだ葉が開ききっておらず、丸まっているもの)をよくあく抜きしてからおひたしにしたして食べるのだ。
まだ小さいものはあく抜きせずに天ぷらにして食べることもあるけど、これはけっこう苦みがあるよ。
で、これらを食用に調理する際、かたい根の部分ははじめに切ってしまうんだけど、この根を細かく刻んで水にさらしておくと、デンプンが溶け出すんだ。
そこからわらび粉を作るわけ。
芋類のように根が太くなっているわけでもなく、そんなに量がとれないので高級品なんだよね。

くずきりに使われるのはいわゆる本くず。
こちらはつる性植物(マメ科)のクズの根から抽出したデンプン。
わらび粉と同じように、クズの根を刻んで水にデンプンを溶かしだし、乾燥させるのだ。
上質なデンプンとしてして知られていて、日本でも古くから食材として使われているんだよね。
やはり量がとれないので、こちらも高級品。
関西ではわりと手に入りやすいそうだけど、関東だとジャガイモ由来のデンプン(いわゆる「片栗粉」、本来はカタクリの根から抽出したデンプンのはずだけど、カタクリからも量はとれないので、今はジャガイモから作るのだ・・・。)や、トウモロコシ由来のデンプン(コーンスターチ)が混ぜて使われることが多いみたい。

よく言われるのは、やっぱり本わらび、本くずの方がなめらかでおいしいというんだよね。
ジャガイモやトウモロコシではもさっとする、というのだ。
これは同じデンプンといっても、植物種ごとにデンプンの構造が違うから。
デンプンはグルコース(ブドウ糖)が重合した高分子だけど、ほぼ直鎖状に連なったアミロースと、細かく分岐して枝分かれしているアミロペクチンの2種類があって、その長さ、枝分かれの具合、それぞれの比率などでデンプンの物理的な性質が変わってきて、ひいてはそれが食感の違いになっているんだよね。
本わらびや本くずはできたてが食べられればおいしいのだけど、実は時間経過によりすぐに劣化するので、賞味期限が短いのだ・・・。
京都にはできたてをすぐ食べてもらう、賞味期限30分の本くずなんてのもあるくらい。
これを防ぐために、トレハロースを加えて劣化しづらくしたりして市販品が作られているんだ。
なので、スーパーなんかで売っている和菓子は、少しのわらび粉やくず粉と、ジャガイモやトウモロコシ由来のデンプンが混ぜられたうえで、トレハロースを添加したものでできているんだよ。
カロリー的には同じなんだけど、食味はけっこう変わるのだ。

これとは似て非なるものとして、江戸近辺の「くず餅」というのがあるのだ。
亀戸天神や池上本門寺、川崎大師平間寺などが有名。
漢字では「葛」ではなく、「久寿」と当て字にするけど、これは小麦粉由来のデンプンを発酵させたもので作られているんだよ。
和菓子界唯一の発酵食品とも言われているのだ。
小麦粉を水で練っていくとグルテンが固まってくるんだよね。
これを乾燥させたものが麩。
グルテンを取りだした後の白濁した液の中には水溶性のデンプンが溶け込んでいて、これを木の桶に入れて長期間乳酸菌発酵させるのだ。
亀戸天神門前の船橋屋では450日間発酵させるんだって!
発酵に使っている木桶にはそこで初めて見つかった植物性乳酸菌もいたそうだよ。

こちらは、発酵させた後に発酵臭(酸味のあるにおい=乳酸発酵でできた乳酸などの酸性成分)を取り除くために、デンプンを沈殿させた後に何度か水洗いし、きれいにしたデンプンを水で練って蒸し上げるのだ。
こちらの場合は、できあがりは白っぽくて不透明なゲルで、寒天ほどじゃないけどわりとかため。
これを菱形に切ってきなこと黒蜜なんかをかけて食べるんだよね。
発酵させていない小麦粉デンプンを使うとういろうのようなもう少しリジッドなできあがりになるのだ、発酵させることでぷるっと感が出るのだ。
で、これは発酵期間をけっこう長くとらないとだめで、酸性条件下でゆっくりと進む反応のようなのだ。
それによりデンプンの質が変化してぷるっと感が生まれるんだよね。

化学的に調べた人もいて、具体的には、直鎖状のアミロースが短くなっていること、分岐しているアミロペクチンの構造が変わっていること、が確認されているよ。
一般にアミロースが少なく、アミロペクチンが多いともちっとした食感になるのだ。
これは粘度が上がるから。
デンプンが水を含んでゲル状になるのは、アミロースとアミロペクチンが網目状の構造を作って、その中に水を包み込むからなんだけど、その網目構造が変わるので、食感も変わるのだ。
もちっと感が減ってぷるっと感が出てくるということは、より多くの水を包んでいる=含水量が多い、ということなので、網目がわりとゆるくなるのかな、とイメージできるよね。
そうすると、アミロースが短くなるなんていうのは直感的にそんなものか、と思うのだ。
基本的に発酵では、大きな分子が微生物に少しずつ分解されていく過程なので、長い・大きいデンプンががっちりと絡み合うより、短い・小さいデンプンがふんわりと絡み合う、という感じになると思うんだよね。

2022/06/23

「上」で待ってるぜ

もうすぐ参議院の普通選挙。
参議院は任期6年で3年ごとに定数(248)の半分が入れ替わる通常選挙が行われるのだ。
さっそく街宣車がうるさい・・・。
ま、2週間程度の話ではあるけど。

日本のように二院制をとっている国では、俗に上院と下院に分けられるんだよね。
日本の場合は衆議院が下院で、参議院が上院。
もともとは独立間もない米国では、当時の暫定種とであるフィラデルフィアにあった連邦議会(現在の独立記念館)の1階が人数の多い代議院(House of Representatives)、2階が人数の少ない元老院(Senate)だったのだ。
これで「上院」と「下院」になったわけ。
どちらが上というわけでもないんだ。
英国の場合は、上院が貴族院(House of Lords)、下院が庶民院(House of Commons)で、仏国の場合は、上院が元老院、下院が国民議会だよ。

英仏が典型的な名だけど、近大民主化の流れの中で、国の意思決定機関として議会が置かれるようになるわけだけど、そのとき、全国民の代表を集める、という建前なのが下院。
原則として人口比ベースで各選挙区に議員定数が割り振られるのだ。
一方で、それまでの体制では、貴族や聖職者たちだけが王の下に国政に参加していて、そういったおハイソな上流階級を代表するのが上院。
英国の貴族院は、戦前日本の貴族院と同じく、貴族や聖職者でないと議員にはなれないのだ・・・。
英国の場合は世襲貴族のほかに、一代限り(=本人限定)ということで叙爵された一代貴族もいて、現在は一代貴族の方が多いみたい。

米国は黎明期は貴族主義があったけど、正式に国として叙爵の制度はないので、あくまでも英国から名前を借りてきたもの。
下院である代議院が国民全体の代表として人口比率で定数が決まるのに対し、上院は各州の代表者ということで、50州に2名ずつの定員になっているのだ。
最も人口の少ないワイオミングと最も人口の多いカリフォルニアで同じ人数。
こうなると、下院と上院の役割分担がけっこう明確にできる気がするよね。
(しかも、米国の下院は任期が2年でそのたびに全定数が入れ替わるので、そこも大きく違うのだ。)
単に人口比のどんぶり勘定ではなく、あくまでも連邦政府として各州の自治に敬意を表している形と言っていいのかな。
例えば、米国政府の政治任用ポストの人事の承認や条約の批准は上院のみに認められた権限。
やはり連邦政府としての方針に各州がどう考えるか、というスタンスなのだ。

この米国の上院の制度なんかも参照にしながら、戦後日本で設立されたのが参議院。
戦前の貴族院と違って一般国民が立候補できるけど、衆議院が25歳から立候補できるのに対し、参議院は30歳からとちょっと年齢を高めに設定しているのだ(といっても、そんな加減ぎりぎりの若手議員なんていないけど・・・。)。
また、衆議院は任期4年で、かつ、解散ありなので、けっこうな頻度で全体構成が変わる=国民全体の代表として世情を反映しやすい、ということになっているわけ。
一方、参議院は任期6年で、かつ、解散なしの半数ずつの入れ替え。
これはその時々の世情を反映するというよりは、安定して国政について議論できる場、ということなのだ。
憲法上も、衆議院が解散して総選挙が終わっていない状況で緊急事態で国会の判断が必要なときは「参議院の緊急集会」という形式で立法府が意思決定できることになっているんだけど、まさにそういうことだね。

とはいえ、よく、参議院不要論というのはあるんだよね・・・。
上で見た米国上院とは違って、参議院だけに認められている権能というのは、まさに「緊急集会」だけで、基本的には衆議院に優越研が認められているのだ。
予算案や条約案は衆議院が先議、法案や内閣総理大臣の指名は、両院の議決が異なり、両院協議会を経ても一致しない場合は最後は衆議院が再議決して決めてよい、など。
これらは憲法上認められている優越性なのだ。
つまり、ねじれ国会で参議院では政権与党が過半数割れしていようと、衆議院さえ過半数をとれていれば、(無理すればだけど、)首相の指名も法案の可決も衆議院だけでもなんとかなるわけ。
例えば、法案については、衆議院の再議決には出席議員の2/3以上の多数での再可決が必要なので、野党主が出席する限りにおいては2/3以上の議席を確保しておくことが求められるのだ(いわゆる「絶対安定多数」)。
また、予算案や首班指名は、両院の議決が異なった場合、又は、衆議院が議決してから一定期間(予算案は30日、首班指名は10日)経過しても参議院が議決しない場合は、衆議院の議決を国会の議決とできるんだけど、予算みたいに年度待ちぎりぎりまで議論していると30日経過するのを待っていると暫定予算を組まざるを得なくなるのだ。
なので、過去の大物政治家も、参議院軽視の風潮に警鐘を鳴らすような発言をしてきたわけ。

効率だけを考えれば一院制でもよいような気がするけど、多数派だけで何でも決めてしまう制度は多様性を目指す社会においてマイノリティを抑圧することにもなりかねないのだ。
あので、こういう上院のような制度が残っているんだよね。
きっと見直しの余地はあるのだろうけど、完全になくしてしまう、というのは違うんじゃないかな、と思うのだ。

2022/06/18

液体白金

豪州の研究チームが、常温で液体の状態のプラチナを開発した、というニュースがあったのだ。
金属だから熱で融けるんだけど、プラチナは融点が1,700℃超と高いので、簡単には液状にはできないのだ。
それが常温で液体になるのがすごいんだけど、液体になること自体がすごいわけじゃないんだよね。
プラチナは金と同様に極めて安定的な元素で、腐食されないし、王水以外には溶けないのだ。
このために貴金属として扱われるんだけど、宝飾業界だけでなく、化学業界でも人気。
それは、この化学的に安定的な性質が高い触媒機能を示すから。
排ガスの浄化作用なんかが有名だけど、化学工業では、水素を添加する還元反応の触媒としてよく使われているのだ。
でも、非常に高価な金属なので、通常は、担体の上に白金の微粒子を並べて可能な限り表面積を稼ぐ、という使われ方なんだ。

今回の液体白金は、30度弱で融けるガリウムに溶かし込む、という手法。
液体の金属と合金を作って液体状態を維持する、というけっこう伝統的な方法なんだけど、この状態の白金でも触媒機能を示すんだって。
しかも、ガリウムに対して0.01%未満の含有量で触媒機能が発揮されるとか!
これまでの白金触媒では単体に対して10%程度のプラチナが必要だったというから、触媒反応に影響する表面積を考慮しても、これは非常に画期的で、扱いやすく、かつ、低コストになる可能性が高いのだ。
ただ液体にした、というのではなくて、この点が注目を集めているわけ。

液体金属というと水銀が思い浮かぶけど、そのむかしは水銀にほかの金属を溶かし込んで液状にし、それを塗料のように塗ることでメッキをしていたのだ。
無機水銀はすぐに蒸発するので、塗った後に放置しておくと溶かし込んで金属だけが表面に残るというわけ。
例えば、奈良の大仏は金メッキだったのだけど、青銅で作った大仏の表面に水銀と金の合金の液体を塗り、水銀を飛ばして作成されたのだ。
なので、できた当時は金ぴか。
でも、無機水銀がそこら中に発散されたので、製造現場の労働者には水銀中毒とおぼしき症状が出ていたことが確認されているよ・・・。
今では水銀はそこらにぽいと捨てるわけにもいかず、全部回収しないといけないから、こういう方法は採れないよね。

ちなみに、金属を液体どころか、来たいにして扱いやすくする、というのもあるんだよ。
それはウランの濃縮。
天然ウランの場合、そのほとんどはウラン238という核分裂しにくい同位体で、ほんの少しだけ核分裂しやすいウラン235という同位体が入っているのだ。
黒鉛炉や重水炉のような原子炉だと天然ウランのまま燃料に使えるんだけど、日本でも採用している軽水炉の場合はある程度ウラン235の濃度を高めた濃縮ウランを燃料に使うのだ(通常は濃縮度20%未満の低濃縮ウラン、それ以上の濃縮度の高濃縮ウランは主に核兵器に使われるものだよ。。)。
その濃縮はどうしているかというと、いったん気体にして遠心分離機で軽いそう(ウラン235をより多く含む)と重いそう(ウラン238をより多く含む)に分ける、という手法があるのだ。
日本では青森県六ヶ所村にある日本原燃の濃縮工場がこの遠心分離法でウラン濃縮を行っていたんだけど、現在は運転中止中なのだ。

金属ウランを完全にガス化しようとすると4,000度近い温度にしなければならず、これは現実的ではないのだ。
でも、ウランの化合物のうち、6フッ化ウランは60度弱で昇華するのだ。
なので、少し熱をかけてあげると気体になるし、そこから少し冷ますとすぐ固体に戻るので扱いが容易なんだよね。
取り出した濃縮ウランは今度は二酸化ウランに変換し、これをセラミックのように焼き固めたのがペレット(オセロの縊死のような円盤状のもの)。
そのペレットを被覆材の中に入れていって核燃料ができるのだ。
ちなみに、濃縮ウランの副産物として、天然ウランよりウラン235の存在比率が著しく低下したものが「劣化ウラン」だよ。
液体金属というのもすごいけど、このいったん気体にしてから、という話を知ったときは本当にびっくりしたよ。
そんなこともできるのか、と。
 

2022/06/11

水を奪って固める

関東も昨年より1週間ほど早く梅雨入り。
今のところ「梅雨寒」でむしろ肌寒いくらいだけど、まもなく蒸し暑い、深いな季節がやってくる。
そして、この時期は、においの方も気になる・・・。
汗をかくとどうしてもにおいが気になるよね。
そして、日本人には少ないとはいうものの、両脇に爆弾を抱えている人もいるのだ。
そんなときに活躍するのがミョウバン!
小学校の理科の実験で再結晶を作った思い出があったりするけど、実は何に使うものかよくわからないんだよね(笑)
唯一覚えていたのは、どうも脇のにおいを抑えるのに効果があるらしい、というネット情報。
そこで、少しミョウバンについて調べてみたよ。

ミョウバンは、1価の陽イオンと3価の陽イオンが一緒に硫酸塩になっている複塩の総称。
これだとわかりにくいけど、一般にミョウバンと言われているのは「カリウムミョウバン」というやつで、これは、AlK(SO4)2・12H2Oという化学式で表されるのだ。
最後の12H2Oは12水和物という意味で、硫酸カリウムと硫酸アルミニウムが複合的に結晶構造を作る中に水分子が入り込んでいる、という意味。
12水和物というので、1結晶単位の中に12分子の水があるわけで、相当な量の水を含有している結晶なのだ。
かといって、再結晶実験するとわかるけど、水っぽいかどうかはよくわからなくて、透明な正八面体の大型の結晶が得らるよ。
食塩(塩化ナトリウム)の場合は、温度による溶解度の変化が少ないので、熱水にぎりぎりまで溶かし込んでその食塩水を冷やしても、さほど塩の結晶(通常は立方体の四角い粒)は得られないのだ。
ミョウバンの場合は、温度変化による溶解度の変化が大きく、熱すれば熱するほど多く溶けるので、熱水に大量に溶かし込んで冷やしてやると大量の結晶が得られるんだよね。
ゆっくり冷やすと結晶が大きく成長して面白いのだ。

ちなみに、街中では「焼きミョウバン」というのが売られているけど、これは12水和物の結晶を加熱して水を取り去ったもので、ミョウバンが小粒の結晶で薬局などで売られているのに対し、焼きミョウバンは白い粉状で乾物屋さんなどにあるのだ。
これは食品添加物として使われるから。。
有名なのはウニで、そのままだと時間経過でウニはとろけてしまうのだけど、ミョウバン水で処理するとタンパク質が少し変性してとろけづらくなるのだ。
ただし、ミョウバン独特の苦みなんかも出てきてしまうんだよね。
高級なウニは苦みが少ないとかいうのはこのためで、高級なものは鮮度がよいまま運んでいるのでミョウバン水で処理をしていないのだ。
ナスの漬け物の発色をよくするためにもよく使われているよ。
ナスの独特の紫色はアントシアニン系の色素だけど、この色素を安定化させるので発色がよくなるのだ。
古代ローマでは、質の悪い井戸水にミョウバンを加えることで不純物を沈殿させる、なんてこともやっていて、水の浄化作用もあるんだよ。
いずれにしても、少量くらいなら口にしても問題ない、というところがミソだね。

で、なぜそんな作用が出てくるのか、というところが問題。
ミョウバンの最大の特徴は、水分子を引きつける以下らが強く、まわりから奪ってしまう、という性質。
多くのタンパク質は水素結合で立体構造を支え、水分子をまわりにまとうことで水の中に溶け込んでいる(正確には「分散している」)のだけど、ミョウバンを入れるとミョウバンに水分子を奪われてしまうので、水素結合は崩壊して立体構造が崩れる(=変性する)とともに、水に溶けづらくなって沈殿するのだ。
これがウニを長持ちさせたり、水を浄化させる作用の仕組み。
アントシアニン系色素は水分子と同様に極性のある分子なので、ミョウバン中のアルミニウムイオンと錯体を形成し、安定化するのだ。
もともとアントシアニン系色素はpHの影響で色が変わることが有名だけど(アジサイの花の色が土壌のpHで変わるのとか)、紫色の発色で安定化されるのだ。
下手すると茶色くなって汚くなるので、これは重要なんだよね。

で、最初に戻って、脇の問題になるけど、これは複数の要因でそのような効果が出ていると考えられているよ。
ひとつは、酸性を示すミョウバンの消臭効果。
においのもととなる分子はアンモニアなどをはじめ、弱塩基性のものが多いのだ。
これが酸性のもので中和されるとにおわなくなるんだよね。
いわゆる汗臭いにおいは弱酸性のもので中和できるのだ。
次に、金属イオンによる殺菌効果。
消臭スプレーや殺菌スプレーでは銀イオンがおなじみだけど、アルミニウムイオンでも同じような効果があるんだ。
脇のにおいは、汗の中に含まれるタンパク質などが微生物によって分解されてにおい原因物質が出てくるから。
なので、清潔にするとにおわなくなるんだけど、常にアルコールで拭き続けるわけにもいかないので、金属イオンで雑菌の繁殖を抑えるというわけ。
さらに、最後に聞いてくるのがタンパク質の変性作用(=収れん作用)。
微生物のえさとなるタンパク質を変性させると、水に溶けづらくなるので固形物として析出してくるのだ。
これが物理的に汗腺につまって、汗が出にくくなるんだよね。
これにより、雑菌へのえさの供給も抑えられるわけ。
これらの作用が複合的に働いて消臭・制汗を達成しているようなのだ。
薄めの濃度のミョウバン液をタオルやティッシュにしみこませて拭いたりしたらいいらしい。

2022/06/04

劣化でぼろぼろ

 
日本だと、平気で1000年以上前の文書が残っているので、むしろ丈夫くらいのイメージだけど、神は劣化してすぐぼろぼろになるので、記録メディアとしてはそこまで優秀ではないのだ。
俗に、フェニキア文字が刻まれた粘土板が一番優秀とか言うよね(笑)
それこそ、4000年以上前のギルガメッシュ叙事詩が刻まれた粘土板とかが残っているわけだし。
これは、粘土板自体が安定的なもので、そのためにそこに刻まれた情報が失われないため。

記録メディアの寿命の問題は、主に2つの要因があって、1つは記録している手法によるもの。
例えば、石碑に刻まれた文字は表面が摩耗して薄くなることはあっても、それ自体が消えることはないのだ。
ところが、インクで書かれた文字は徐々に薄れていくよね。
さらに、フロッピーディスクやフラッシュメモリなどの磁気で情報を記録するタイプのメディアは、外部磁場の影響でその磁気情報が狂ったり、徐々に磁気情報が読み取れなくなったりするのだ。
書き込まれた情報が読み取れなくなる、ということ。
インクの場合は保存状況にもよるけど数百年もつこともあるけど、磁気情報の場合はたいてい5~10年なのだ。

もうひとつは、記録媒体自体が劣化してしまって情報が失われるもの。
例えば、けっこう前に話題になったけど、CDやDVDなどの光ディスクは、そこに刻まれている情報自体は50年くらいは余裕でもつのだ。
ところが、これらの記録媒体の票mんのポリカーボネート(透明のプラの部分)は、紫外線等による劣化により、下手すると数年で曲がってしまって情報が読み取れなくなるのだ・・・。
保存状態が割ると磁気ディスクより寿命が短くなることも。
これは記録媒体自体の問題で、石碑であってもそれが破壊されれば情報は読み取れなくなるし、紙も劣化してぼろぼろになるよね。

でも、最近の紙はけっこう丈夫になったので、むかしほどはぼろぼろにはならなくなったのだ。
これは紙の製造工程の違いだよ。
むかしの大量生産の用紙である「酸性紙」は、木材などからパルプを作り、そこからセルロースの繊維を取りだして固めて作るんだけど、そのまま乾燥させただけだとインクがにじんで使い物にならないのだ。
そこで、にじみ防止剤のサイズ剤というのを添加するんだけど、これに使われていたのがロジン(松ヤニ)。
やっきゅうのピッチャーの滑り止めのあれだよ。
そのまま混ぜただけだと均一に混ざらないので、硫酸アルミニウムを添加することで錯体を形成させ、セルロース繊維に化学的に定着させているのだ。

ところが、これをしてしまうと、紙の中に硫酸イオンが残るのだ。
これが酸性を示すので「酸性紙」というのだけど、なぜ酸性化というと、水分の存在かでは硫酸が生じてしまうため。
この硫酸はセルロースを徐々に加水分解してしまうので、紙の本質であるセルロースが細かく分断されるのだ。
紙を紙たらしめているのは、セルロース繊維が互いに絡み合ってシート上の構造を形成しているからなんだけど、その繊維が細切れにされるのでぼろぼろになるというわけ。

西洋ではいち早く用紙の大量生産が始まっていたので、1970年代には酸性紙の劣化が大きな問題になったのだ。
古い本がみんなぼろぼろになっていくからね。
そこで出てきたのが中性紙。
ロジンと硫酸アルミニウムを使うと硫酸が出てきて紙を劣化させるので、それとは別の方法でにじみを抑えればいい、という発想。
この場合、できあがった紙は中性~弱塩基性なので、セルロースの加水分解が起こりづらく、酸性紙の3~4倍の寿命になったのだ。
今では上質紙と呼ばれるものはみんなこの中性紙だよ。
新聞や雑誌、読み捨てるためのペーパーバックなんかは劣化してもいいので安い酸性紙が使われているけど。

でもでも、中国で紙が発明されたときは、この劣化はさほど問題にならなかったので。
それよりも虫食いなどの方が問題だったんだよね。
それは単純にそういう化学的手法でにじみを抑えていたわけではないから。
さらに、和紙の場合、使っている繊維はコウゾやミツマタをとにかくたたいて取りだした繊維で、もとから相当長くて丈夫なのだ。
このため、紙のpHの問題以前に丈夫なんだよね。
なので、鎌倉時代の本とかが残っていたりするのだ。
伝統的な和紙は大量生産には向かないけど、その精神と伝統を引き継いでいる(?)のは、日本の紙幣(日本銀行券)に使われている紙だよね。
あれもミツマタをベースにしたものだけど、選択しても寄れる程度でぼろぼろにならないというのは、紙界では相当の強者なのだ(笑)

2022/05/28

追加料金いただきます

世界的にもコロナは「おさまってきた」という認識で、徐々に海外渡航が自由にできるようになってきたよね。
日本はまだ厳しいけど、国によってはPCR検査や隔離措置を求めないところも出てきて、夏休みに海外に行きたい、と考える人も増えているそうなのだ。
人気なのはハワイやタイだって。
ワクチン接種が証明できればかなり自由に入国できるから。
でもでも、実は航空チケットを抑えるなら今月中にしないとまずいみたい。
というのも、来月から燃油サーチャージで一気に航空料金が上がるから。
2~3割増しくらいになるみたいだよ!

この制度は、もともとはオイル・ショックに端を発する原油価格高騰に対応するため、海運の分野で導入されたのだ。
あらかじめ輸送料金を設定して契約しているわけだけど、その後燃料代が高騰してしまうと下手すれば赤字にもなりかねないので、そういう燃料価格の変動に柔軟に対応できるよう、一定基準を超える価格変動があった場合は運送料金にその差額を反映できるようにしたのだ。
日本で航空分野にこれが導入されるのは21世紀になってから。
航空機燃料であるケロシン(石油系燃料)型ジェット燃料の市場スポット価格が一定額以上の場合、差額が上乗せになるのだ。
今回は、ロシアのウクライナ侵攻に伴う原油価格の高騰のあおりでこの市場価格が高騰していて、その調整が6月から適用されるので、今月中に発見しないと、ということらしい。
ちなみに、原油価格が基準価格以下になれば「上乗せ」はなくなるわけだけど、制度導入後、ごくごく短期間なくなった期間はあるものの、ほぼほぼ常に「上乗せ」分はあるようなのだ。
そういうのって基準額を見直した方がいいんじゃないの?、とも思うけど、航空料金の場合、基準価格を下回ってもマイナスの調整は行われないようなので、低めに設定しておいてもらった方がいいみたいだ。

これと同じような制度が電気料金にもあるんだよね。
それが「燃料費調整制度」。
もともと電気事業は地域独占が認められた公益事業で、厳しい料金規制が行われていたのだ。
電気料機を値上げしようと思うと国(資源エネルギー庁)に新料金案を申請して認可してもらわないといけなかったんだよね。
でも、火力発電の燃料である原油価格はけっこう変動するので、その価格変動に合わせていちいち国の認可を取らないと電気料金に反映できないのでは困るわけ。
燃料価格が上がれば電力会社のリスクになるし、燃料価格が下がれば顧客である需要家にとっては損している形に。
そこで、燃料価格に一定基準を設けて、その歯煮を超える価格変動があった場合は自動的に電気料金に反映できる仕組みを入れたんだよね。
それが燃料費調整制度。

これが電力全面自由化後も大手電力の料金体系には残っているのだ。
電力会社だけでなく、新電力と言われる新規参入事業者でも、インフラ系企業が電力分野に進出したガス系の新電力の場合は同じような制度があるよ。
そもそもガス料金でもそのむかしは規制料金で、同じような天然ガスの市場価格に連動させて自動的にガス料金を調整する仕組みがあったからだと思うけど。
なので、こういう事業者から電気を買っている場合、電気の使用量が減っても電気料金が上がることがあるのだ。
っていうか、現在はまさにそういう状態。
でも、実はこれはまだましな方なんだよね。

最近問題になってきているのは、格安の新電力と契約していたら電気料金が一気に跳ね上がったという話。
ここで問題になっているのは「市場連動型プラン」と言われる契約なんだよね。
電力の部分自由化が開始されてから、新規参入者を増やすため、自前で発電所を持っていなくても市場から調達できるよう、卸電力取引所が整備されたのだ。
で、このプランというのは、その卸電力取引所でのスポット価格に連動させて従量料金が変動するというもの。
電気が余っている状態、つまり、供給過剰の場合は、市場価格は下がるので、格安の電気料金となるのだ。
一方で、需給が逼迫すると市場価格は高騰するので、電気料金は上がるわけだよね。

現在の状況で言うと、原子力発電の再稼働が送れているので、日本全体で供給力が下がっていて慢性的な需給逼迫状態だったんだよね。
それに加えて、ロシアのウクライナ侵攻によって原油価格が高騰したため、さらに市場価格が押し上げられたのだ。
この市場には基本的に「余っている」(=自家消費を超える余剰分の)電気が売りに出るわけだけど、原子力が止まっている今、そのほとんどは火力発電の電気。
原油価格の高騰はこの市場価格にダイレクトにきいてくるのだ。

つまり、この「市場連動型プラン」を選んでいた場合、需給逼迫と原油価格高騰のダブルパンチで電気料金が跳ね上がったわけ。
報道では2~3倍になった例もあるとかいうよね。
さすがにそのまま請求できないと言うことで暫定的にもう少し小規模の値上げだけですませた事業者が多いみたいだけど、それって単純に事業者側でリスクを取っているだけなので長続きするものではないのだ。
このため、新規契約停止とか、電気事業からの撤退みたいなことになっているんだよね。
で、撤退されてしまうと、新たな事業者と契約しなくちゃいけないわけだけど、多くの事業者は新規契約停止になっているので、「詰んだ」ということになっているのだ。
原子力の再稼働でなくてもいいんだけどm早く供給余力を大幅に上げないとこの状況は回復しないんだよなぁ。
でも、いわゆる再生可能エネルギーと言われているやつは発電容量も小さいし、発電量も安定しないから、あまりよい選択肢ではないんだよね。

2022/05/21

謎の湯

この前ひさしぶりに出張に行ったとき、温泉憑きのホテルに泊まったのだ。
ちょっと高いけど、せっかくなら、ね(笑)
朝晩と湯を堪能したよ。
そんな温泉だけど、日本は火山列島と言われるだけあって、ほぼ全国的に存在しているのだ!
温泉というと、火山のイメージがあるよね。

有名どころだと、草津、箱根、別府なんかは、火山の特徴である硫黄の香りが漂っているよね。
火山活動のあるところでマグマに地下水が温められて高温になって湧出するのだ。
これは非常にわかりやすいもの。
でも、一見近くに火山がないのに温泉がある場合があるのだ。
メジャーなのは、岐阜の下呂温泉。
でも、この温泉は活断層の上にあるのだ。
つまり、地下には大きな応力ひずみがあって、そこに蓄えられているエネルギーが熱(摩擦熱)の形で放出されるとまわりの地下水を温めるのだ。
断層にはひずみがあって住み魔も多いので、水がよくしみこんでくるんだよね。
これが「温泉脈」となるのだ。
一気にエネルギーが解放されると地震になるわけ。
そして、愛媛の道後温泉なんかは、過去の火山活動の余熱で地下水が温められたもの、と考えられているよ。
k大は四国にも活火山があったんだとか。
その熱がまだ残っているというのもすごいけど。
いずれにせよ、これらは地下にある高エネルギーにより地下水が温められているものなのだ。
そして、同じような成分が溶け込んでいるので、泉質も似ているよ。

一方で、東京なんかでもいくつか「天然温泉」と言われているものがあるけど、これは火山にも断層にも関係なさそうだよね・・・。
こういうのは、よくよく見てみると、地下かなり深くからくみ上げられているものなのだ。
地表の場合、高度が高くなると100mごとに0.6℃気温が下がるけど、地下の場合、地球の中心は熱いので、100m深くなるごとに2~3℃ほど温度が上がるようなのだ。
なので、地下深くの地下水はこの原理で自然に温度が高いわけ。
これが自然に湧き出る場合は、地表に出てくるまでにすっかり冷めてしまうのでお湯ではなくなってしまうのだけど、ボウリングで地下深くまで人工的に穴を掘って、そこからポンプでくみ上げてしまえば、温かい地下水を地表に届けられるのだ。
これが東京なんかで見られる「天然温泉」のお湯。

ちなみに、温泉法の定義では、第2条で「地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)で、別表に掲げる温度又は物質を有するもの」と定義していて、温度要件か溶存物質の含有量要件を満たせば「温泉」になるのだ。
別表においては、温度要件は「25℃」となっているので、けっこう冷めていても法律上は温泉になるよ。
また、もっと低温でも、この定義は「又は(or)」になっているので、一定量以上の溶存物質があれば温泉を名乗れるのだ。
こういう低温の温泉(なんか矛盾しているけど・・・)の場合は加温するんだよね。
逆に、草津のように超高温で湧出する場合は「湯もみ」したり、加水して冷ますのだ。
人間にとってちょうどよい温度のお湯が出てくる場合ばかりではないということ。

しかしながら、これらにも属さない温泉があるのだ。
それが、和歌山の南紀白浜温泉や兵庫の有馬温泉。
万葉集の時代から知られる温泉だけど、そもそも近畿地方には活火山なんてないのだ。
活断層はあるけど、そこまで大きなものはなし。
ましてや、地下から無理矢理くみ上げているわけではないのだ。
長らく謎の温泉とされてきたんだよね。
ところが、ごく最近になって、ひとつの仮説が出てきたのだ。
それは、南から来るフィリピン海プレートが四国沖の南海トラフでユーラシアプレートの下に沈み込んでいるところで発生している高温の水が滲出してきているのではないか、ということ。
プレートには水も含まれているんだけど、沈み込む場所付近で軽いものはそこで放出されてしまって、高温の水が出てくると見られているんだ。
それがしみてきてわき出してきているわけ。
確かに白浜や有馬の湯は塩分濃度が高くて、他の温泉と泉質がかなり異なるんだよね。
この沈み込みの場所から離れてくると、プレート境界面の熱でマグマが発生し、そのマグマで地下水が温められ、という形でスタンダードな温泉ができるのだ。
これが多くの九州の温泉。

でも、まだ不思議なこと。
有馬温泉は活断層のちょうど上にあるのだ。
なので、南海トラフ付近のプレート境界面で放出されたもともとフィリピン海プレートに含まれていた高温の水が、その活断層の隙間にしみこんで地表まで出てくるんだよね。
しかしながら、南紀白浜にはそういう活断層はないのだ。
和歌山の活断層は中国・四国の間の中央構造線だけど、そこからははるかに南。
よくわからないけど、和歌山南部でそうしてできた高温の地下水が湧出しているっぽいんだよね。
というわけで、まだまだ謎が残るのだ。

2022/05/14

海のロボ

知床沖の事故で、沈んだ船の調査に無人潜水機が使われているのだ。
100mを超える深さだと、ダイバーが潜って探ってくる、というのが難しいんだよね。
そもそも潜水や浮上をゆっくりやらないと潜水病になってしまうし、酸素タンクの容量にも限りがあるので、活動時間も相当限られるわけ。
そこで、ロボットに代わりにやってもらおう、というのは自然な発想。
もともとヒトがある程度以上の深さの海中に潜ろうとすると、耐圧や酸素確保の問題で制約が大きいので、だったらロボットをさっと沈めて調べてもらおう、ということなのだ。

今回の事故で使われているのは「ROV(Remotely Operated Vehicle)」と呼ばれるもの。
一般的には「遠隔操作型潜水機」と言われるもの。
海中では電波で信号を送れないので、有線で母船につながっていて、水上で操作するのだ。
正太郎少年が鉄人28号を動かしているのと同じ。
マリアナ海溝を潜ったことでも有名な海洋研究開発機構の「しんかい6500」は中に人が乗るのでガンダム型だね。
ところが、このケーブルが問題で、ケーブルの長さの分しか活動できないのだ。
深さも広さもどうしても制限が出てくるんだよね。
かといってケーブルを長くすればいいというものでもなく、あまりにケーブルが長いと絡んだりするのだ。
今回の知床の調査でもケーブルが絡んでしまって操作不能に陥っていたよね・・・・。
水上でヒトが操作できるので、その状況に応じて臨機応変にいろんなことができるのが魅力だけど、この短所は大きいのだ。

そこで出てくるのが、自律型の無人潜水機。
「AUV(Autonomous Underwater Vehicle)」と呼ばれるものだよ。
こちらはあらかじめ与えられたプログラムどおりに動くロボットで、ロボット掃除機のルンバのようなものを想定すればよいのだ。
ケーブルが不要なので、深さや広さには自由度があるんだけど、逆に、ケーブルを介しての電力供給ができないということなので、バッテリーの容量から来る活動限界があるのだ。
将来的によい蓄電池我ができれば連続潜行時間は伸ばせるど、これがひとつのネック。

もう一つは運用の自由度には限界があるのだ。
自分で周囲の環境を認識して動作を変更することはできるのだ。
これは障害物を回避するルンバと同じ。
さらに、必要に応じて音波で多少の通信はできるのだけど、それでもROVのようには自由自在には動かせないんだよね。
このあたりは小惑星探査機のはやぶさに似ているかな。
はやぶさの場合はあまりにも遠いところにいるので通信に制約があるのだけど、リアルタイムで自在に動かせない、という点では似ているのだ。

でもでも、技術の進歩は著しくて、最近では、複数のAUVが互いにコミュニケーションを取りながら編隊で活動する、なんてこともできるようになってきているみたい。
宇宙でも小型衛星が相互にコミュニケーションをとって編隊飛行(?)する「コンステレーション」というのがあるけど、宇宙では電波や光で高速・大容量の通信が可能なのにたいし、海中では音波による低ビットレートの通信しかできないので、なかなか難しいみたい。
それと、電波信号を受信するGPDが使えないので、位置情報をリアルタイムで更新するには別の手立てを考える必要があるのだ。
これには、海底に「海中灯台」のような形で位置情報を音波で発信してくれる装置を設置するなどを考えているみたい。
調査海域があらかじめ決まっていないと使えない手だけど。
でも、こういうのができると、「海のドローン」的に、ちょっと小さめのものが複数機で調査する、みたいなことができるようになるので、今回の事故調査なんかにも大きく役立ちそうなのだ。
広い海域でつぶさにローラーで調べなくちゃいけないなんて場合は有用だよね。

このようにROVもAUVも長所短所があるので、用途に応じて使い分けられているのだ。
もちろん、もっともきめ細やかな対応ができるのは「人の手」なわけで、そこは有人でやる必要があるんだろうけどね。
それでも、ルンバのように無人でできることが増えればそれだけ効率的なのだ。
もうすぐ、海の中でロボットが活躍する時代がやってくるね。

2022/05/07

日本のエバーグリーン

大型連休突入!
そして、5月のこの連休と言えば、こどもの日の柏餅。
けっきょくはただのあん入りの餅なんだけど、なんとなく季節ものとして食べたくなるよね。
これも柏の葉の存在が大きいかな?
香りは移っていてさわやかだけどね。

「カシワ」は、ブナ科の植物で落葉広葉樹でありながら冬になっても葉が落ちないので古代日本では申請なきとされてきたんだ。
神が宿る木とも。
そして、葉にはよい香りがあって、厚手で丈夫。
その特徴から、お皿の代わりに食べ物を載せたり、ものを包んで蒸したりするのに使われたんだ。
ここから「カシキハ(炊葉)」と呼ばれるようになり、それがいつしか言いやすい「カシワ」になった、と言われているよ。
なので、餅のようなものを包むのもむかしから行われてはいたんだけど、皐月の「端午の節句(菖蒲の節句)」に縁起物として柏餅が食べられるようになるのは、江戸時代の武家文化。

カシワはブナ科なので、秋に葉が枯れ、落ちるには落ちるんだけど、それは翌年新芽が出てから。
つまり、次の葉が出てくると、前の葉があとを譲って落ちるというわけ。
これが子々孫々代を重ねていくように見えて、武家社会では尊ばれたのだ。
もともと「菖蒲(しょうぶ)」は「尚武」につながるなんてありがたがっているくらいだから、こういう連想は重要なんだよね。
もとは18世紀後半くらいに江戸で始まった文化のようだけど、当時は参勤交代で各地の大名が江戸と地元を行ったり来たりしたので、全国区に広がっていったみたいだよ。
ちなみに、柏の葉は香りはつけてくれるけど、それ自体は硬くて食べられないのではずすのが正解。
桜餅のように葉っぱも一緒に食べるものではないのだ(笑)

ところが、問題はこの「柏」という字なんだよね。
カシワ自体は中国にもある木なんだけど、中国で「柏(はく)」というと、ヒノキ科の常緑針葉樹を指すのだ。
つまり、落葉広葉樹のカシワとは正反対!
日本で言うと、コノテガシワ、シダレイトスギ、イブキ、アスナロなんかがこれにあたるんだって。
中でも、柏槙(びゃくしん)と言われるイブキは、「松」と並んで「松柏」と称され、常緑樹の代表選手なのだ。
そう、この「松柏」のときの「柏」も「カシワ」ではなくて、中国の方の「柏(はく)」なのだ。
そして、日本のカシワを表す場合は、正式(?)には「槲」というむずかしい字を使うようだよ。
この字の場合は中国でも「カシワ」を指すのだ。

では、なぜこうした誤認が生まれたのか。
それこそ想像の域を出ないんだけど、調べた限りでは、樹木としての携帯は全く違うのだけど、その樹木の持つイメージが似通っているので、書物のテキスト情報でしか海外の情報を知り得ない古代においては混同されてもおかしくなかったのではないか、ということ。
中国の「柏(はく)」は、
①常緑樹であって、縁起物として門前などに植えられる神聖なきとして扱われた。
②葉や木材によい香りがして、木の葉を酒につけて香り付けをすることもあった。
という特徴があって、日本の「柏(かしわ)」は、
③冬になっても葉が落ちないことから神聖視され、大きな邸宅や字者などに植えられた。
④葉が大きくよい香りがし、酒食の際に打つわとして用いられた。
という特徴があるんだよね。
で、よくよく見てみると、①と③、②と④はちょっとずつイメージがかぶっていることがわかるのだ。
①と③は冬でも葉が落ちない神聖な木というイメージ、②と④はよい香りがして酒食の際に供されるというイメージ。
それこそ命がけで遣唐使を送っていたわけで、知識人といえども中国本土で「柏(はく)」という樹木の実物を見たことがあるわけではなく、知識としてこういうものというイメージを知っているだけなんだよね。
そんなときに、似たようなイメージを持つ日本の別種の樹木があった場合、混同してもおかしくないのだ。

ちなみに、この「柏」の日中問題はけっこう古くからどうも違う木を指しているようだとはわかっていたようだけど、「槲」という字は難しいし、熟語として出てくる「松柏」なんかの場合の「柏(はく)」は正しい方の植物で認識されていたので、日本人間だけでコミュニケーションしている分には全く困らず、直されなかったようなのだ・・・。
知る人ぞ知るで、漢籍を学ぶ人たちが、漢文に出てくる「柏(はく)」は日本で言う「柏(かしわ)」ではないよ、ということを語り継げばよかったのだ。
そんないい加減な、と思うけど、日本ではいまだにゲームに使うカードのこと「トランプ」と呼ぶけど、英語でのトランプの原義は「切り札」というものでは、カードそのものはカードと呼ぶんだよね(笑)
同じようなことは現代でも普通にあるというわけなのだ。

2022/04/30

ホネを見つけた

山梨の山の中でヒトのものと思われる骨が発見されたのだ。
数年前から行方不明になったいる子どものものかもしれない、ということで大きく報道されているよね。
極一部の骨しか見つかっていないので、さらに山の中を捜索するみたい。
動物や鳥が別の所から運んできた可能性もあるからね。
で、それ以上に重要なのは、今後この骨を調べて、行方不明になっている子どものものかどうかを確かめる、というのだ。
DNA鑑定をするとか。
ここで気になったんだよね。
いわゆる「骨」といわれると、そんなにいろんなことがわかるとは思えないのだけど、どうも最近の技術はかなりの発達を遂げていく、まさにいろんなことがわかるようになっているようなのだ。

まずもって一番大事なのは、その骨がヒトのものなのか、動物のものなのかの判別。
まるっと一人又は一体分の骨があればわかりやすいけど、一部しかない場合は素人目にはわからないよね・・・。
伝統的には、専門家が骨の形状や構造なんかからヒトのものかどうかを判別していたのだ。
でも、今はもっと進んでいるのだ!
あらかじめヒトや様々な度物の骨の形状や構造のデータが膨大に登録されたデータベースがあって、それと発見された骨を照合して、その骨が何の骨かを調べるんだって。
まさにビッグデータとAIの世界。
さらに、それにシミュレーションで肉付けもできるようになっていて、ヒトの場合は、頭蓋が見つかっていれば、顔や頭の形を予測して再現できるそうなのだ。
博物館なんかで○○原人の顔を再現しました、ミイラとして埋葬されたヒトの顔を再現しました、なんて展示があるけど、それと同じような技術。
これはその骨が誰であるかを同定する上で極めて有用なツールとなるよね。
頭蓋骨全体が見つかっていないと適用しづらいけど。

古い時代には、主に歯の治療歴から同定していたんだよね。
行きつけの歯科医院に残っている虫歯等の治療記録と見つかった頭蓋骨の歯を照合するのだ。
でも、これも歯のついている部分が見つかっていればできるんだけど、手や足の骨だけだと使えないよね。
頭以外の骨だけだと、骨の大きさや太さからある程度体格が予測できるのと、骨の状態を見るとある程度の年齢と性別が予測できるので、中肉中背の30代~50代の男性、みたいなことが予測できるだけだったのだ。
もちろん、骨折の痕なんかがあればもっと情報が得られるけど。

流れが変わるのは、DNA鑑定の技術が発達してから。
本当の白骨で、骨以外何も残っていないとさすがにきついけど、通常は肉片やらが少し残っていたり、骨の中心部に骨髄が残っていたりするのだ。
そうすると、そこからDNAを抽出することができて、それが本人同定ができるんだよね。
ただし、DNA鑑定が導入された当初はけっこうな量のサンプルがないと調べられなかったので、毛根だけ、骨だけ、みたいな状態だとほぼお手上げだったんだよね。
今はPCR方によるDNA増幅技術の発達と、保存状態のよろしくないサンプルからの少量のDNA抽出技術が進歩したので、決定的な方法としてDNA鑑定がいろんな場面で使えるようになったのだ。
今回も骨に少し残っているであろうDNAと、ご家族から提供を受けた乳歯などに残っているDNAを照合することで確認するみたい。

というわけで、現代の技術では、そんなに大きくない骨片が見つかっただけでも、それが何の骨か、誰の骨化の情報がけっこう得られるようになっているのだ。
そう考えると南下すごい世界になっているよね。
現在でもかなりの人数の行方不明者が毎年出ているし、それなりの数の身元不明遺体がやはり毎年見つかっているようなので、コストと手間を考えなければ、それなりの数でマッチングができるかもしれないんだよね。
戦後すぐは、戦争で死んだと思われていた兵隊さんが実は生きていてなんとか命からがら帰還したら、奥さんはすでに再婚していた、みたいな不幸な話はよくあったそうなんだよね。
そのとき、死体の一部なんかを仲間が持ち帰ってご遺族に渡していたみたいなんだけど、今の技術があれば、こういう不幸な誤解はかなり防げるのだ。

2022/04/23

本当に意外と知られていなかった事実

 最近、ネットのニュースで、「レジ袋有料化は実は義務ではなかった」というのを見たのだ。
で、さっそく記事を読みに行ったんだけど、なんとなくわかったようでわからない・・・。
どうしても気になったので、自分でちょっと法令の枠組みを調べてみたのだ。
これはちょっと驚きの結果だった。


この話のおおもとの法律は「容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律」、通称「容器包装リサイクル法」。
平成7年(1995年)にできた法律で、いわゆる「資源ゴミ」の収集とリサイクルを規定した法律だよ。
ペットボトルやガラス容器、プラスチック容器など、リサイクルが可能なものは一般ゴミとは別に回収し、リサイクルすべきことを定めているのだ。
つまり、この平成7年のタイミングで資源ゴミの回収の制度が本格的に始まったというわけだね。
そういう意味ではけっこうエポックメイキングな法律なのだ。

そして、この法律は平成18年(2006年)に改正されて、そのとき、レジ袋等の容器包装を多く用いる小売事業者(スーパーなど)に対して、レジ袋の使用抑制のための措置を講じるべきことを求めるようになったのだ。
このときは、①レジ袋を有料化する、②レジ袋を使わない人にはインセンティブを与える(割引、ポイントアップなど)、③環境負荷の少ないレジ袋(厚手の再使用可能なもの、バイオプラスチックを使ったものなど)に転換する、といった選択肢から自由に選べたんだ。
確かに、これくらいのタイミングで、レジ袋を有料化するスーパーが出てきたり、マイバッグの場合はプラスでポイントが付加されるようになったりしたよね。
これは覚えてる。
でもでも、このときは有料化するところはそんなに多くはなくて、マイバッグ仕様による割引やポイント加算が優勢だった気がするのだ。
数円のこととは言え、上乗せでお金を取られるというのは消費者にとって忌避されるので、マイバッグを使うといいことがあるよ、という誘導策の方がイメージがいいよね。

そして、今回のタイミングで、これまでは①~③のどれでもよかったものが、①の有料化が基本、という枠組みに変わったのだ。
③の場合のレジ袋は有料化しなくてもよいことになっていて、一部のファストフードチェーンなんかはこの例外を使って無料でレジ袋を提供し続けているけど、スーパーやコンビニなどの小売大手は、本来有料化しなくてもよい紙袋も含めて、すべて有料化になっているよね・・・。
便乗有料化と言われている状態なのだ。
現在の制度では、レジ袋は有料が基本で、環境負荷の少ないレジ袋の場合は例外的に有料化しなくてもよい、ということで、その他、②のマイバッグ使用に対してインセンティブを与える取組も推奨、みたいな感じだよ。
でもでも、実は「有料化が基本」というのは、法律上の義務ではない、というのが、冒頭の記事の言いたいことだったんだよね。

平成18年改正のタイミングで導入されたのは、事業者が取り組むべき「容器包装の使用の合理化による容器包装廃棄物の排出の抑制」の判断基準を国が示す、という枠組み。
これは省令(財務省・厚生労働省・経済産業省・農林水産省の共同省令)で、本来は法的拘束力があるものではないのだ。
各省が独自の判断で制定できる下位法令で、法的に拘束力を有する義務を課すには国会で審議される法律であることが必要なのだ。
その法律の施行に必要な範囲で細かいことを定めるのが下位法令と言われるもので、閣議で決定する政令と各省が制定する省令があるわけ。
もともと「判断基準」と言っているだけあってだけあって、あくまでも細かい基準を示す、という位置づけのものなのだ。

では、なぜこれが「有料化が義務になった」と受け取られるのか。
これがもう一つのポイントだよね。
実は、その枠組み自体は平成18年改正で導入されているんだ。
新たに第7条の4というのが導入されて、さっきの「判断基準」を国が示す、ということになったのだ。
で、その次の第7条の5において、主務大臣(財務大臣、厚生労働大臣、経済産業大臣又は農林水産大臣)は、この判断基準に基づいて事業者に必要な指導及び助言ができる、と規定されているのだ。
さらに、続く第7条の6では、事業者に対して、「容器包装の使用の合理化による容器包装廃棄物の排出の抑制」の促進のための取組を主務大臣に定期的に報告する義務を課していて、この報告を聞いて前条の「指導及び勧告」をする、という流れになっているのだ。
でも、これだけじゃ終わらないんだよね。

いわゆる「伝家の宝刀」になっているのが、第7条の7。
これは「勧告及び命令」という「指導及び勧告」より一段上の措置について定めている条項。
まず、定期報告を受け、必要に応じて指導・勧告を行うのだけど、事業者の取組が「著しく不十分」と認められる場合は、必要な措置をとるべきとの勧告、いわゆる「是正措置勧告」を出せることになっているんだ。
7第条の5の勧告は「こうしてね」というだけなんだけど、7第条の7の是正措置勧告は、事業者がそれに従わなかった場合、その旨を公表できる、ということになっているんだ。
つまり、是正勧告に従わない不埒な事業者は名前を公表して社会的制裁を加える、ということ。


さらにさらに、公表された上でなお是正措置暗黒に従わない事業者に対しては、審議会の意見を聞いた上で、勧告に従った措置をとるよう命令することができるのだ。
これは是正措置命令というやつ。
この是正措置命令は罰則付で、従わない場合は、50万円以下の罰金が科せられるのだ(第46条の2)。
かなり道のりはあるんだけど、事業者が国が示した判断基準に従わないと、是正措置勧告が出て、それに従わないとその旨を公表され、それでも従わないと是正措置命令が出て、これまで無視すると罰則、という流れ。
何段階かステップを踏んでいるけど、正当な理由なく判断基準に従わない、と見なされると、手順を踏む必要があっても罰金までいく、ということなんだよね。
これが「有料化が義務になった」と言われるゆえん。

当初の判断基準ではレジ袋有料化はオプションのひとつでしかなかったわけだけど、その後の判断基準の改定によってレジ袋有料化が基本となったので、この判断基準に従うことが求められるようになったのだ。
ボクはてっきり法改正があったから有料化された、と思っていたんだけど、実は実は、省令が改正されただけだったんだよね・・・。
もちろん、省令である判断基準の改定も勝手にできるわけではなくて、この場合は規制の改廃に係るものに当たるので、法律に従って意見公募手続、いわゆる「パブリック・コメント」を減ることが必要なのだ。
国からすれば、そのときに意見を言わなかっただろ、ということなんだろうけど、正直、そんなパブコメをしていたなんて知らなかった・・・。
事業者向けには説明会なんかもしていたみたいだけど。
なんか、だまし討ちされているような気がしないでもない。
こういう所に納得感がないから、レジ袋有料化はとにかく評判が悪いんだろうなぁ。

2022/04/16

初夏の謎音

全国的に初夏を先取りしたような陽気になったのだ!
連日の夏日。
でも、またそのすぐ後に季節が逆戻りで寒くなったりもしているのだけど・・・。
でもでも、いったんあたたかくなると、動物も植物も活性化するわけで。
イチョウも若葉を出しているし、初夏の花も咲いたりしているよね。
そんな中気になったのが、野干に翌耳にする「ジーッ」という音。
最初は機械音かとも思ったんだけど、どうも虫の声っぽいのだ。
例年なら5月に入ってから聞くことが多かったけど、今年はもう聞こえ始めたので、おそらく虫だと思ったわけ。
で、その正体を少し探ってみたよ。

まず自分で思いついたのは、初夏にそういう声でなく虫と言えば「オケラ」。
土の中で泣くんだけど、穴の中で鳴き声が共鳴するみたいで、けっこう大きな音になるのだ。
田舎で田植えの時期なんかに聞こえてくるのがこれだよ。
ネットで動画検索して実際の鳴き声を聞いてみても似ている気がする。
でも、このオケラは都心部ではまず見られない昆虫。
というのも、水の近くの土中に生息するので、主に水田まわりに生息しているのだ。
この時期に「代掻き」なんかするとけっこう捕まえられるらしいけど、さすがに東京都心部でそんな協はないし・・・。
というわけで、おそらくオケラではないのだ。

土の中でミミズが「ジー」と鳴くという俗説もあるのだけど、耳zはどう見ても音を出せそうにないよね(笑)
このミミズの声と考えられていたのはオケラの声なのだ。
なので、これも候補からは外れるね。
都会にもミミズはそれなりにいるけど、夜に聞こえてくる「ジー」という音は相当大きいから、よほどのぼミミズがいないとダメそうだけど、そこまでの数もいないだろうし。

で、もう少し調べてみると、別の候補が見つかったのだ。
それがキビキリギス。
キリギリスの仲間で、ショウリョウバッタのようにとんがった頭の昆虫だよ。
俗に「血吸いバッタ」と呼ばれるやつで、触ろうとすると強いあごでかみつかれたりもするみたい。
ボクはそういう昆虫がいることを全く認識していなかったんだけど、こいつが怪しいのだ。
雑食性で林の近くの草地なんかに生息しているらしいだけど、主に植物をよく食べる雑食性で、イネ科植物の穂やわかめを食べることが多いそう。
で、都会の草地に生えている雑草の多くはイネ科なんだよね。
なので、都会であってもこいつのえさは豊富にあるわけだ。

ちょうど春から初夏にかけて「ジー」と泣くことが知られていて、戦記の変圧器のような機械音と言われているのだ。
オケラとも声が似ていることも有名。
確かに実際の鳴き声を検索してみると、こいつっぽい!
夜行性なので夜になると鳴き声が聞こえるのもばっちり。
というわけで、ほぼほぼこのクビキリギスっぽいのだ。

夜でなければなき後のする方を探してみれば虫の本体が見つかるんだろうけど、夜だとつらいよね。
懐中電灯をもって探しに行くのであれば別だけど、正直そこまでしようとは思わないし(笑)
でも、今回ネットで調べてみると、謎の「ジー」という音を気にしている人は多いみたいで、すぐに調べがついたのだ。
そういう意味では有名なものなのかも。

2022/04/09

熱くない火

江戸時代くらいまでの日本では、火には2種類あって、いわゆる普通の火である陽火と、触っても熱くなく青白く光る陰火があると言われていたのだ。
陰火は墓場などに出る鬼火などのこと。
陰陽五行説もまじって、陽火は陰気を持つ水で消せるけど、陰火は陽気を持つものでないと消せないから,水をかけても消せない、とか言われていたよ。
これは、鬼火が雨の日によく見られるということも関係していると思うのだ。

今の視点で見ると、そんな馬鹿な、と一笑に付されそうだけど、墓場などで雨が降っている,或いは、降りそうなどんよりした天気の時に青白い発光体が見られるという現象は洋の東西を問わずに存在しているんだ。
中国はもちろん日本と同じような鬼火があるしこれが欧州に行くと、ウィルオウィスプやセントエルモの火なんかが有名なのだ。
日本だと、有明海の不知火や狐火なんかもあるよね。
ゲゲゲの鬼太郎を見ているだけでも、天火、釣瓶火、姥が火などなど火の妖怪がけっこう出てくるよ。
で、そこまで普遍的なので、そらくこれは実際の自然現象と結びついたもので、よくわからないけどなんか発光体を目撃することがあって、その正体がわからないので、そういう妖怪のようなものとして説明している、ということなのだ。
では、それはいったい何なのか?

端的に言えば、よくわからない(笑)
っていうか、おそらくいろんな現象が発光という形で目撃されているだけなので、これが正体、というものがあるわけじゃないんだよね。
不明の発光をそうなづけているだけで、蛍を知らない人が夜に蛍が光りながら飛んでいるのを見れば、「すわ、何か光るものが空中を漂っている!」とか思うはずだよね。
一時期早稲田大学の大槻教授は何でもかんでもプラズマのせいにしていたけど、プラズマが正体であることもあるし、そうでないこともあるはずなのだ。
なので、それぞれの目撃談や現象を個別に見ていく必要があるんだよね。

例えば、セントエルモの火なんかはもう科学的に解明されていて、これは「プラズマ放電」というものなのだ。
雷が鳴っているような大気が不安定なとき、とがったものの先端で静電放電が発生し、その際ほのかに青く光るのだ。
このときに流れている電流はごく微量なのでほぼほぼ熱は発生しないから、帆柱のてっぺんでセントエルモの火が光ったとしても船が燃えるようなことはないんだよね。
でも、火が見えているのに燃えないのはおかしい、と認識するわけで、昔の人からすれば不可思議な現象だったのだ。

湖沼や墓場などで天気の悪い日に丸く光るものがふらふらと漂っている場合、多くは球電というものと考えられているのだ。
これは名前のとおり、雷が丸くなったようなもので、多くの場合は暖色系の色なんだって。
なので、人魂とかの正体とされているのだ。
この球電は熱を持っているので、触れると熱いし、火がつくよ。
同じような場所で青白い発光が見られる場合は、地中から吹き出すリン化合物やメタンが陰火したものとも言われるよ。
墓場で見られるのは、土葬した死体が腐敗していく中で発生するメタンだったり、骨だけ埋めた場合も骨髄からしみ出てきたリン化合物だったりと言われるよ。
これらは確かに火をつけると高温で燃えて青白い光にはなって、しみ出てくるのは微量なのでそれがちろちろとぼんやりと見える、というわけ。
これも燃えているので熱い火だよ。
ただし、これらはそういうのではないか、と言われているだけで、確かめられているわけじゃないよ。

不知火は夜に漁をしている漁船の漁り火が蜃気楼現象で全く別の場所で見えている、らしいのだ。
こんなところで夜漁は行われていないはず、なんだあの火は、ということなんだけど、別の場所で漁をしている火が大気の屈折で本来見えないはずの場所で見えるようになっているんだよね。
なので、不知火の場合は出る時期と場所がしっかり決まっているのだ。
複雑な条件がすべてうまく整わないと見えないから。
ちなみに、最近は夜にも電灯の灯りがあったり、海水が汚染されありであんまり見られなくなっているそうだよ。

日本には青鷺火とか五位の光といって、夜に鳥が光る現象も知られているのだ。
これは夜行性のゴイサギのことなんだけど、ぬれた白い羽毛が月明かりを反射してきらきら見えた、とか、水中にいる発光するプランクトンが体表面についていた、とかいろいろ説はあるんだけど、いずれにせよ、夜に鳴き声や音がしてそっちの方を見やると鳥がいて青白く光っている、ということのよう。
セントエルモの火と同様のコロナ放電は飛行機でも起こるそうなので、ひょっとしたらゴイサギがコロナ放電で光っていることもアルかもしれないよね。
光るという話だけが誇張されて、夜に飛んでいる火球を弓で射てみたら果たしてその正体はサギだった、みたいな伝説もあるんだけど、さすがにそこまでは光らないよね(笑)

こういう不可思議な発光現象で非常に重要な点は、多くのものはほのかにちらちらと光っているということ。
つまり、まわりに月明かり、星明かりくらいしかない真っ暗な夜だからこそ観測できるくらいの光ということなのだ。
最近は町中だと夜でも明るくて、普通にカラスが行動していたりするけど、そういう世の中ではもうこういう現象は観測できないんだよね・・・。
不知火とか青鷺の火みたいな派見てみたい気もするんだけどなぁ。

2022/04/02

もっとも単純なアミノ酸

日本は「不眠大国」と呼ばれるほど、不眠に悩んでいる人が多いそうなのだ。
単に寝付きが悪い、眠りが浅い人から、病気のレベルで不眠症の人まで。
国民皆保険で処方せにゃ管と医療費負担が少ないというのもあるのだと思うけど、睡眠薬(睡眠導入薬を含む)の売り上げも世界トップレベルで高いみたい。
最近は町中の薬局で買える市販薬のドリエルのようなものもあるしね。
そんな中、「医薬品」ではなく「機能性表示食品」としてグリシン(味の素の商品名は「グリナ」)というのもあるのだ。
グリシンはアミノ酸の中でももっとも単純な構造をしたもので、中心の炭素の4つの結合のうち、2つが水素、ひとつがカルボニル基、残りひとつがアミノ基というもので(H2N-CH2-COOH)、20種類の必須アミノ酸の中でもっと分子量が小さく、また、唯一光学異性体を持たないものなのだ。

この商品説明などを見てみると、偶然寝る前にグリシンを服用すると眠りが深くなり、翌朝すっきり起きられることがわかって、睡眠の質の向上に繋がっているのではないか、ということがわかったんだって。
もともとは二重盲検法(ダブルブラインドテスト)で、何か効果がありそうな化合物の対照物、つまり、偽薬効果(プラセボ効果)を評価するための「効果がないはずのもの」として選ばれていたんだって。
ところが、どうもグリシンの方が効果がありそう、ということでいろいろと調べてみたんだって。
これまでにわかっているので、グリシンを服用して寝ると、睡眠の導入が速やかになり、かつ、深くて質の高い睡眠が得られやすい、ということ。
これをどう評価しているかというと、ひとつは体温、もう一つはレム睡眠とノンレム睡眠のバランスなのだ。

一般にヒトというか恒温動物は、睡眠時に体温が下がるのだ。
これは代謝が落ちて発熱量が下がる(インプット減少)のと、体表などからの放熱が盛んになる(王とプット増加)ことによるんだ。
寝汗をかくのは放熱が盛んになっているからで、一般には毛細血管が広がっているので、寝付いたヒトの手などを触るとあたたかいと感じるのだ。
体がほてって眠れない、手足が冷たくて眠れない、というのはこの裏返しで、睡眠時の体温調節がうまくいっていないからだとか。
ここで言う体温というのは、体の中の温度である深部体温のことで、通常は外的要因に左右されずに一定に保たれているもの。
体表面温度だと、風が吹けば下がるし、日が当たれば上がるけど、そういうのには左右されず、あくまでも体の中の調節機構のみによって上下するのが深部体温だよ。
でもでも、深部体温の調節がうまくいかないから眠れないのか、うまく眠れているから深部体温が下がっていくのかは本当はわからないと思うけどね。
深部体温は外から冷やしたり暖めたりしてもほとんど影響がないので、なかなか確かめようがないからわからないのだ。
現象として、睡眠と深部体温の調節は関係があることだけは確かなんだけど。

で、グリシンを服用すると、深部体温の調節がずれが是正されるようなのだ。
味の素の研究によれば、実際にグリシンを服用した場合と層でない場合で深部体温の変化を調べると、グリシンを服用した場合は、いわゆる「睡眠の質が高い」パターンの深部体温の変化になるみたい。
この研究はあくまで現象を追っているだけで作用メカニズムの解明にはつながらないのだけど、グリシンの服用が睡眠時の深部体温の変化に影響を及ぼしていて、かつ、その影響は質の高い睡眠をしているときの変化に近づけるような方向であるらしい、ということはわかるのだ。
睡眠薬ってちょっとこわいけど、ただのアミノ酸であるグリシンで本当にこういうよい効果が得られるのであれば、それはうれしいよね。

でも、どうもこれ以上はわからないようで、だからこそ、「機能性表示食品」にとどまっていて、医薬品には至っていないのだ。
作用メカニズムが不明だと何か副作用が出た場合も対処できないし、よい効果といっても、さっき見たように因果関係が本当にそうなのかがわからないので、薬事承認は通せないんだよね。
睡眠薬だと、睡眠の質はどう荒れ、眠れなかった人が眠れるようになる(副作用で悪夢を見る、うなされる、寝てもすっきりしないなんてのもあるけど・・・・)ので、わりとクリアカットに効果が評価できるんだよね。
でも、睡眠の質については、、深部体温変化やレム睡眠・ノンレム睡眠のバランスなどで状況証拠は集められるけど、質が上がったかどうかと言うこと自体は評価しづらいんだよね。
まさに、信じるものは救われる、の世界なのかもしれないけど。

ちなみに、グリシン自体は中枢神経でよく整形の神経伝達物質になっていることは知られていて、仮に脳内に直接投与すれば、鎮静作用があるはずなのだ。
多くの睡眠薬も神経の興奮を抑える薬なのだ。
そこからすると、似たような効果があってもよいとは思うけど、どうも効果は違うんだよね。
睡眠薬は文字どおり、飲むと眠くなる薬なのだ。
一方で、グリシンは飲んだら眠くなるんじゃなくて、寝付きがよくなる、睡眠の質がよくなるものなんだよね。
なので、神経の過剰興奮を抑制するから効く、というよりも、体内時計の狂いの是正とかそっち方面に影響してそうな気はするんだよなぁ。
これはそのうち解明されるのだろうか?

2022/03/26

全員野球で停電を防げ

先日の震度6強の地震の影響で東京電力管内の火力発電所の一部が稼働できない状況なのだ。
そんな中、開花宣言とともにやってきた「花冷え」の強力な寒気団により、関東地方は雪も降るような冷え込み・・・。
このために暖房による電力需要が一気に伸び、需給逼迫の危機が訪れたのだ。
このため、経済産業省や東京電力パワーグリッドは国民に節電を要請したんだよね。
このまま需要が供給力をオーバーすると大規模停電になるよ、と。
なんとか大規模停電は回避できたけど、かなりぎりぎりのところでふんばったようなのだ。

もともと電気の安定供給の大原則は「同時同量」。
消費している分だけ発電して供給して、需給のバランスを常時一致させる必要があるのだ。
多少のずれは周波数の乱れ程度で済むんだけど、大きく過不足が生じるとネットワークで障害が起こって大規模停電になるのだ。
電気回路で過電力が生じるとショートするけど、そういうイメージ。
実際、20世紀に米国で生じたカリフォルニア電力危機では、電力需要に対して供給が追いつかず大規模停電になったんだよね。
仮定のブレーカーとは違って、需要を抑えて再起動すればもとにもどるわけではなく、需給バランスが崩れた上でのネットワーク障害は送配電線が切れたり、発電所側にダメージがあったりと、すぐに復旧できないのだ・・・。
なので、実際にそんな事態になるとけっこう長期にわたって不自由することになるのだ。
なんでも電気を使う現代ではかなりきついよね。

この米国の電力危機は電力自由化による影響と言われていて、日本でも電力の自由化を進める上でその分析を行い、同じ過ちを犯さないように慎重に議論されたのだ。
そういうのもあって、一気に全面自由化するのではなく、大規模需要家から徐々に自由化範囲を広げていくという段階的な自由化になったんだよね。
で、現在完全自由化に移行したわけ。
ここで問題になったのは、「電力の安定供給」を担うのは誰なのか、という論点。
公益事業として規制されつつ各電力会社に地域独占が認められていた旧電気事業法の世界では、電力会社=一般電気事業者に対して「供給義務」が課せられていて、電力会社は電力の安定供給に努めなければならず、何か問題があれば経済産業大臣から必要な命令などが出せるようになっていたんだ。
具体的には、供給予備力をきちんと確保することが大原則。
過去の電力需要動向から予測して、それに見合った供給力を確保する、ということ。

この際、十分な「余裕」を持って供給力を確保することになっていて、通常は需要予測の8~10%程度の余力が必要と言われているんだ。
この需要予測を超える分が「予備力」で、需要予測に占める割合が「予備率」だよ。
最近の報道でよく聞く言葉になったよね。
この予備率が3%を切ると非常にまずい状況で、今回のように「需給逼迫警報」が出るということなのだ。
ここで言う「供給力」というのは発電所の発電能力=発電容量とは同じではない点が重要。
常に発電所が100%出力で発電できるわけじゃないし、定期メンテも必要なので、そういうのももろもろ含めて実際に発電できる能力で供給力を確保することが求められるんだ。
需要が甘利にも大きくて発電能力が足りない場合は、やはり今回よく聞くようになった「揚水発電」で、夜中に貯めておいた電気を昼間に回すなどの工夫が必要なのだ。

で、自由化前の世界だと、各電力会社がそれぞれの供給区域において一元的に供給義務を負っていて、社内で発電部門と送配電部門(ネットワーク部門)が協力して調整していたのだ。
で、自分の供給区域内だけでどうにもならなそうな時(真夏のピーク時など)は、隣接する電力会社から融通を受けるため、中央電力協議会で協議していたのだ。
でも、各電力会社の供給区域内のネットワークは基本的には独立していて、かつ、東日本と西日本では電気の周波数が異なるので、周波数が異なる区域間の融通には周波数変換所(全国で2カ所)を通すことが必要なこと、北海道電力と東北電力の間は直流連系しかないなど制限も多いんだよね。
なので、よほどのことがない限りは自分でなんとかする、というのが基本だったのだ。
※とはいえ、北海道電力や東北電力の原子力発電の電気の多くは東京電力に流れていたし、春の雪解けでどうしても放水しないといけない黒部ダムの水力発電の電力は北陸電力から関西電力に流れるのは「いつものこと」だったのだ。

電力全面自由化後は、電力会社に課せられていた供給義務が撤廃されるんだよね。
地域独占を認める代わりに規制を課していたのであって、その前提が崩れるからそこまで求められない、ということなのだ。
そこでどうなったかというと、新電力を含む小売電気事業者全体に「供給力確保義務」を課し、自分が売電契約を結んでいる顧客の需要を十分に満たすだけの供給力を確保することを売電事業者に求めたのだ。
加えて、電力ネットワーク全体の調整を図る機関として電気事業法に基づき設立されている電力広域的運営推進機関に対し、安定供給の確保のために需給状況を監視し、必要に応じて電気供給事業者に指示等を行うことを求めているんだ。
これはかつて中央電力協議会が調整していたようなネットワーク間融通だけでなく、ネットワーク内の需給バランスの調整も含まれるよ。
電力ネットワークの場合、入力と出力で数字が合っていればいいというわけではなく、ネットワークで電気の供給と消費のバランスがとれていないと障害が起こるので、それも見ないといけないのだ。
で、発電する事業者に対しては発電量の増減を指示し、売電する事業者に対しては筆王yに応じて需要抑制をするよう勧告することになるよ。

今回はなんとか乗り越えたとしても、大震災以降原子力発電所がなかなか再稼働しない中では予備力が厳しい状況は続くんだよね・・・。
夏のピーク時にはまた危ないかもしれないのだ。
ウクライナへの侵攻で原油価格や天然ガス価格も上がっていて火力発電もコストが上がっているし、電気の安定供給への課題は増えているね。
でも、こういう具体的な危機意識があると、節電への意識が高まるかも。

2022/03/19

4つのせめぎ合い

東北地方でかなり大きな地震があったのだ。
東京でもけっこう揺れてびっくりした。
停電したところもあるしね。
今回の地震も東日本大震災の余震とみられているようだけど、地震の震源地はちょっと違うみたい。
日本海溝付近なんだけど、大震災の時はプレートの境界面のひずみで、今回のはプレートの下あたりにできたひずみじゃないかって。

ここで言っているプレートというのは、太平洋プレート。
日本の領土は4つのプレートの上にのっていて、東日本がのっているのが北アメリカプレート。
西日本がのっているのがユーラシアプレート。
伊豆半島と伊豆諸島・小笠原諸島・沖ノ鳥島がのっているのがフィリピン海プレート。
そして、沖ノ鳥島がのっているのがこの太平洋プレートだよ。
太平洋プレートは名前のとおり太平洋を広くカバーしているプレートだけど、ハワイ諸島なんかがのっているのだけど、日本も南鳥島だけはこのプレート上にあるのだ。

で、このプレートの境目は地震・火山活動が活発なところ。
北アメリカプレートとユーラシアプレートの接するところが地理で習うフォッサマグナで、静岡糸魚川構造線は境界面と見られているよ。
フィリピン海プレートが北アメリカプレートに突き刺さっているところが富士山。
今でも伊豆半島は日本列島を突き上げているのだ。
ちょうどインドプレートがユーラシアプレートを突き上げているところにヒマラヤ山脈があるのと同じ。
フィリピン海プレートとユーラシアプレートが接するところが、東海・東南海地震でリスクが高いと見られている南海トラフなんだよね。

で、今回の地震の震源地は、太平洋プレートが北アメリカプレートの下に沈み込んでいるあたり。
ちょうど日本海溝の付近なのだ。
非常に硬い地殻が動いて滑り込んでいるわけで、すっと沈み込んでいるわけではなく、摩擦でさまざまなゆがみ・ひずみが生じているのだ。
そのエネルギーが爆発的に解放されると大きな地震になるんだよね。
けっこうこれまでも東日本大震災の余震と見られるものは多かったけど、震源地がちょっと違うから、これまでひずみを貯めに貯めていた、ということかな?

こうしてみると、日本のように多くのプレートに国土が分かれてのっている例って少ないんだよね。
ニュージーランドなんかはオーストラリアプレートと太平洋プレートに分かれているけど。
火山・地震活動が活発な国というと、イタリアやインドネシア、トルコ、チリなんかが思い浮かぶのだ。
で、世界のプレートの図を見ると、それらの国々は複数のプレートの上にのっているわけではないのだけど、すぐ近くにプレートの境界面があるんだよね!
プレートの境界と関係なく火山活動が盛んなところとしてはハワイ諸島が思い浮かぶけど、あそこはフィリピン海プレート上のほっとスポットと呼ばれる場所にあって、マグマ活動が盛んなので火山は噴火するけど、地震はさほど多くないのだ。
むしろ、前に大きなロサンゼルス地震があったけど、北米西海岸はプレートの境界面なので、時々大きな地震が発生するんだよね。
北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界は大西洋上にあるので、北米ではまさにそこだけが地震が起きやすい場所なのだ。
欧州も地中海に境界面があるので、地中海に面している国はわりと地震があるけど、そうでない場合は地震が少ないんだよね。

いずれにしても、このプレートの図を見ると、日本が非常に特殊な環境にあることはわかるよ。
世界有数の地震国と言われるのもうなづけるね・・・。
こういう環境で暮らしてきたから、自然に対する畏怖の念が強いのかも。

2022/03/12

無酔

最近のことと思うけど、ノンアルとか微アルの飲料がはやっているよね。
もともとノンアルは自動車を運転しないといけない人とかがせめて味だけはビールを楽しみたい、とかいうけっこう限定的なニーズだったと思うのだけど、ここのところは、ビールだけでなく、レモンサワーやワインのノンアルもテレビでよくCMを見るようになったのだ。
それだけ「売れる」ということだよね。
さらに、一時「ストロング」シリーズの、通常よりアルコールが濃いめの缶酎ハイがはやっていたと思ったら、その対極にある、アルコールがかなり低めの飲料、いわゆる微アルの飲料も増えてきているのだ。
ボクも層だけど、日本人は体質的に(遺伝的に)アルコールに弱い人が一定数いるので、お酒の雰囲気と味は楽しみたいけど、絶対量が飲めない、みたいなのはあるから、そういうところに刺さるみたい。
普通に飲める人でも、明日は朝が早いから、とか、最近ずっと飲んでるから、とかで微アルにしとくかみたいな需要もあるし、けっこう売れているようなのだ。

これらは、酒税法上はアルコール飲料に該当せず、扱いは「清涼飲料水」になるのだ。
酒税法では、「酒類」の定義として「アルコール分一度以上の飲料」としているので、アルコール度数が1%未満だとアルコール飲料にはならないのだ。
ノンアルと呼ばれるものは限りなくアルコール度数がゼロに近いもの(通常は0.05%未満)で、ちょっとは入っているけど度数が1%未満のものが微アルと呼ばれるみたい。
それこそ江戸時代より前から親しまれているのは甘酒だよね。
これはデンプンが糖分に分解されたところで飲んでしまっているので、糖分が発酵してアルコールになっていないのだ。
子どもの頃に楽しんだのは「シャンメリー」だよね。
ノンアルコールのシャンパン風味飲料。
そして、おじさんたtにの飲み物のホッピー。
ホッピー自体は微アルのビールテイスト飲料で、通常はそれだけでは飲まず、焼酎の割材に使うのだ。
プリン体が少ないから、通風のおじさんたちには大事なものだよね(笑)

その後に登場してきたのが、いわゆるフリー計のビールテイスト飲料。
いったんビールを造ってからアルコールを除去する製法や、爆中や爆中エキスを元にビール風味の炭酸飲料を作る製法など、いろいろあるみたい。
それぞれ特徴はあるので、ビールの銘柄の好き嫌いがあるように、どれがビールの代替物としてよいかという好みもあるんだろうね。
それこそ最近はいろんなものが売られているから、それだけマーケットも広がったのだろうと思うのだ。

そして、もはやノンアルはビールだけではなく、酎ハイやワインにも広がったのだ。
もともと欧米にはノンアルのビールテイスト飲料やワイン風味のブドウジュースなんてのはあって、アルコールをその場で飲めない人とが楽しむ文化があったんだよね。
日本は下戸が多いこともあるんだろうけど、そこまでの需要が過去にはなく、知る人ぞ知る、みたいな扱いだったのだ。
一方で、レストランとかに行くと、お酒がだめな人用にノンアルコールのカクテルは置かれていたよね。
でも、カクテル自体が甘いものだから、ノンアルのカクテルも甘いもので、食事と一緒に楽しむもの、とはなかなか言えないのだ。
そこで実は需要があったのが、お酒のような風味だけど、アルコールがほとんど入っていない、雰囲気重視の飲料と言うことだったんだね。
甘くないジュースというとうれなさそうだけど、強い甘味で食事の邪魔をしない、むしろ、お酒と同じように食事を引き立てるみたいな存在になったのだ。

そして、重要なのは、ノンアルビールが飲食店で提供されていたときはそこまで爆発的なヒットにはならなかったけど、家庭用の缶飲料が売り出されて浸透が進んだという点。
実際には、売り出してみると意外と売れたから、各社がさらにいろんな商品を展開するとさらにマーケットが広がって、というのがおそらく現在の姿と思われるのだ。
背景には、道路交通法の改正による飲酒運転の厳罰化とかもあるんだろうけど、お酒が苦手な人、その場ではお酒が飲めない人でもお酒の味を楽しみたい、という需要が顕在化したということだろうね。
ニッチな需要だからと思って見逃されていたら、思ったより大きな需要だったということかな。
これまでは、飲めないけどそういう席につきあわないといけない人が消極的に選ぶ、みたいなイメージだったんだけど、自宅用のものが宇売れると言うことは、お酒の味や雰囲気を楽しみたいけどアルコールはそんなに摂取したくないという積極的なノンアル/微アルの需要があったということなのだ。
一人で食事と飲み物を楽しみたいときの選択肢として売れているということだよね。
これはけっこう生活・文化における多様性が拡大した結果なのかも。

2022/03/05

これって感染するよりひどいのでは?

 新型コロナのワクチンを接種したのだ。
3回目接種で、全部モデルナ。
前回もそうだったんだけど、けっこう強い副反応が出た。
実家の家族も副反応がひどかったと言うから、遺伝的要素があるのかも・・・。
コロナワクチンに弱い家系か・・・。

一般に、医薬品の場合は副作用というんだけど、ワクチンの場合は副反応と呼ぶんだよね。
目的の感染症に対して免疫を持たせる(=抗体を作らせる)のが主反応なので、それ以外に出てくる反応が副反応なのだ。
いろんな原因があるみたいだけど、ワクチンの主成分によるもの、主成分以外のものによるもの、などなど。
多くの場合はアレルギー反応で、多くのワクチンは鶏卵を使って作るので、玉子アレルギーの人はダメなんだよね。
そのほか、ワクチンには安定剤のようなものも入っていて、それに反応する人もいるのだ。
生ワクチンの場合は、弱毒化したウイルスをそのまま投与するので、それで普通に感染症が起こる可能性もあるんだよね。

今回の新型コロナワクチンは、RNAワクチン。
抗原となる、コロナウイルスのカプセルタンパク質をコードしたmRNAを投与しているのだ。
体の中に入ったmRNAはそのままタンパク質に翻訳されて、抗原タンパク質ができるわけ。
で、それに対する抗体もできて、ウイルスが来たときにはその抗体でウイルスを無効化できるのだ。
このmRNAからできるタンパク質は体にとっては異物なので、抗体も作られるんだけど、自然免疫も活性化されるのだ。
で、コロナワクチンの副反応の多くは、この自然免疫の活性化の影響だと思うんだよね。

というのも、コロナワクチンの副反応の主要なものは、発熱、体の痛みなどなど。
これって、体の中で炎症メディエーターであるプロスタグランジンが増えることで起きているはずなのだ。
プロスタグランジンは炎症反応が起こると大量に分泌される化学物質で、発熱を促し、痛覚を増強するのだ。
まさにインフルエンザをひいたときのような状態になるんだよね。
なので、発熱や全身の痛みが出ていると言うことは、プロスタグランジンが大量に出ているので、少なくとも免疫系が活性化されている証拠ではあるのだ。
ただ、あまりにひどい副反応は過剰な反応なんだけど・・・。

このプロスタグランジンは、細胞膜の中にあるアラキドン酸という脂肪酸に、シクロオキシゲナーゼ2(COX-2)という酵素が作用してできるのだ。
なので、このCOX-2の作用を抑えてあげれば副反応は出にくくなるはず。
で、これを助けてくれる薬が非ステロイド性解熱鎮痛剤だよ。
バファリンに入っているアセトアミノフェンもそうだけど、伝統的なアスピリンや、イブプロフェン、エテンザミド、インドメタシンなどなど、いろんな薬があるのだ。
これは発熱と痛みの増強を促すプロスタグランジンの生成を抑えるので、過剰な副反応が抑えられるのだ。
実際にボクもイブプロフェンを飲んでいたけど、薬が効いている間は熱もあまり出ないし、体の痛みもかなり治まるのだ。
きれて瞬間がきついのだけど・・・。

この薬は市販の風邪薬にも入っているけど、総合感冒薬は余計なものもたくさん入っているんだよね。
なので、鎮痛剤として売っている単剤で買った方がよいのだ。
ただし、この薬が生成を抑制してしまうプロスタグランジンには胃粘膜保護作用があるので、この薬を飲むと胃が荒れるのだ。
かならず食後に飲むことが大事。
今回は食欲は低下しなかったのでボクは問題なかったけど、体の調子が悪いときは食欲もないから、これが難しいんだよなぁ。

2022/02/26

整いました!

最近、日本人の食事には圧倒的にタンパク質が不足しているので、積極的に摂りましょう、と言われているのだ。
確かに、ごはんに、麺類に、パンに、と主食にこだわる日本人の食事は炭水化物(糖質)ばかりだ・・・。
ボクも最近はサラダチキンやらちくわなどの練り物を積極的に食べるようにしているんだ。
そして、江戸時代から日本人の貴重なタンパク質源だったのが大豆。
豆腐や油揚げは手軽にタンパク質がとれる食品だよね。
さらに、食事にも合わせやすいのが豆乳。
味に好き嫌いがあるけど、乳糖不耐症で牛乳が苦手な人でも大丈夫だし、飲み物だから摂取しやすいのにけっこうタンパク質が入っている!!

で、最近豆乳をよく飲むようになったんだけど、ボクは豆乳の味自体は嫌いではないので、タンパク質量が多くてカロリーが低めの「無調整」を選んでいるのだ。
一般的なのは「調製豆乳」で、そのほか、コーヒー味などフレーバーのついた「豆乳飲料」があるんだよね。
これらは牛乳と同じように規格があって、厳密に区別されているみたい(日本農林規格、いわゆるJASだよ。)。
牛乳だと乳脂肪を取り除いたりするけど、豆乳の場合は何を「調整」しているのかいまいちよくわからないよね。

まず、豆乳は大豆を水に浸してすりつぶし、さらに水を加えて煮詰めた汁をこしたもの。
残りかすが「おから」なのだ。
タンパク質と脂肪分の多くは豆乳の中に出て、残った食物繊維がおから、とイメージするとわかりやすいのだ。
でも、この製法だと、水の量で豆乳の濃さがまちまちになるよね。
そこで、JASの規格では、無調整豆乳の条件として、最終的な大豆タンパク質含有率を3.8%以上としているよ。
かつ、大豆と水以外の原料は使ってはいけないのだ。
まさに豆の絞り汁というわけ。
で、この無調整豆乳の場合は、あたためてにがりを加えればかたまって豆腐になるし、そのまま火にかけて表面にできてくる膜をすくうと湯葉になるよ。
規格はあるけど、濃いのでないとうまくいかないので注意。

でも、この無調整豆乳って、大豆独特の風味というか、青臭さがあるのだ。
そして、少しえぐみがあるんだよね。
これらを苦手としている人がけっこういて、戦後までは豆乳をそのまま飲むことはあまりなかったみたい。
で、おいしく飲めるような製法ができてから広く広まってきたのだ。
それが、調味料などを加えて飲みやすくした「調製豆乳」。
ちなみに、最近では大豆の品種改良も進んで、青臭さやえぐみが抑えられたものもあって、無調整豆乳も飲みやすくなっているとか。

JAS上、調製豆乳に足してよい原料は、脱脂加工大豆(大豆油を取り除いたもの)、植物油と調味料。
大豆の青臭さは、大豆中に含まれる不飽和脂肪酸がもともと大豆の中にある酵素の作用でアルデヒドができることで出てくるのだ。
これは草刈りをしたときの青臭さと同じで、大豆を破砕して酵素が外に出てくることによって反応が起きてしまうんだ。
なので、現在は水に浸漬した大豆をいったん蒸して酵素を失活させてから破砕したりと工夫をしているみたい。
そして、大豆の中の脂肪分(大豆油)は不飽和脂肪酸に富んでいるので、酸化されて劣化しやすいのだ・・・。
できたて・絞りたてを飲めばよいのだけど、一般に流通させようとすると油の酸化を防ぐ必要があるんだよね。
そこで、豆乳のパッケージは基本脱酸素になっているし、調製豆乳の場合は、酸化防止剤を入れたり、脱脂加工大豆を加えて大豆タンパク質量を減らさないようにしつつ、飽和脂肪酸の多い植物油脂を加えたりするのだ。
こうすることで「飲みやすく」なるよ。
最後に、砂糖や塩などで味を調えるんだ。
こうして「調製豆乳」が作られるんだけど、JASでは、大豆他の悪質含有率を3.0%以上としていて、無調整豆乳より「薄く」なっているのだ。
これが飲みやすさにもつながるんだけど、薄くなっているにもかかわらず糖類が足されているのでカロリーは高くなるのだ。

そして、調製豆乳では保存性を高める観点から、食品添加物としてpH調整剤や乳化剤等も加えられているよ。
さらに、調製豆乳の場合は消泡剤が入っているんだよね。
無調整豆乳を飲むとよくわかるんだけど、よく振ってから飲もうとするとものすごく泡立つのだ。
そして、その泡はけっこう丈夫で消えないんだよね。
泡立つから即飲みづらいということではないけど、泡立つと空気に触れる表面積が大きくなって酸化しやすくなるから、調製豆乳では泡立ちが押さえられているんだ。
乳化剤も入っているので、タンパク質や脂肪分が沈殿しづらくなっているのも特徴。
ただし、これは逆にいうと、豆腐として固められない、ということなのだ。
豆腐はにがりの凝集作用で固めるので、それが阻害されるわけ。
また、最近ではレアチーズのように豆乳にレモン汁を加えてタンパク質と脂肪分を沈殿させて取り出す、みたいなこともあるみたいだけど、pH調整剤が入っている調製豆乳では難しいよ。
いずれもそういう加工がしたい場合は無調整豆乳がよいのだ。
調製豆乳はあくまでも飲み物に特化したものなのだ。

2022/02/19

壁ドンしたら手に色がついた

 最近テレビCMでよく見かけるようになったのだけど、家の外壁の塗装は古くなると粉状のものが浮き出てくるのだ。
それに気づかずに壁に触れると手に色がつく!
学校とかの公共の建物で古い壁なんかを触ると経験があるよね。
これが「チョーキング」という現象で、樹脂塗料の中の顔料の粒子が表面に浮き出てきているものだよ。
もともと壁に塗っている塗料は、この顔料を樹脂に溶かし込んだものなんだけど、なんらかの理由で樹脂がなくなることによって、表面に出てくるようになるのだ。

樹脂がなくなる原因はずばり経年劣化。
永久によい状態が保てるわけではなくて、どうしても耐用年数があるんだよね。
で、その耐用年数こそがまさにこういうチョーキング現象が出るくらいなわけで、そうなると、塗料を塗っている意味がなくなってくるので、塗り直しが必要なのだ。
テレビCMはその塗装の会社のCMなんだよね。
手に粉がついあら塗り替え時だよ、ということ。

樹脂の劣化の原因はいろいろあるけど、メジャーなのは、太陽光に含まれる紫外線による影響。
樹脂は高分子で、ポリ塩化ビニルなら塩化ビニル、ポリエチレンならエチレンと基本単位となる構造があって、それが長く繋がっている構造なのだ。
その結合部分に紫外線が当たるとそこが切れることがあるんだよね。
多くの場合、紫外線が当たってエネルギーが加わるとそこで酸化反応が起きて酸素がくっつくんだけど、それは不安定な状態なのでその結合が切れて安定化するのだ。
これは高分子の脱重合という現象で、高分子である樹脂は水に溶けないことが甥のだけど、重合する前の基本単位の分子は水に溶けるものも多いのだ。
で、紫外線で結合が切れて脱重合が起こっているところが雨にさらされると、樹脂だったものが雨に溶け出してなくなってしまう、ということになるよね。
そうすると、樹脂層が薄くなってしまって、そこに混ぜ込んであった水に溶けない顔料だけがそこに残ってしまって、樹脂がなくなった分、顔料が表面に出てきたようになるんだよね。
これがチョーキングの正体。

樹脂にはいろんな種類があるので、壁塗りをする際は状況に応じて適切なものを使うわけで、乾燥/湿気に強いもの、高温/低温につよいものなどを選んでできるだけ劣化を遅らせようとはするけど、それでも経年劣化はするんだよね。
多少劣化が見えてきた段階でさらに表層に透明なコーティングをしてしまう、というのもあるけど、これもちょっと時間稼ぎをするだけだし、見た目がちょっと汚くなるんだよね。
ちゃんとやろうと思ったら、一回前の塗装をはがして、新たに塗装し直さないとだめなんだよね。
色落ちで見た目が悪くなるから塗り直せばよい、という簡単な話ではないのだ。

これはなんでそもそも塗料を塗っているのか、というところから来るんだよね。
色をつけて見た目をきれいにするため、というのも当然あるのだけど、もっと大きな理由は、壁面の保護。
壁面がむき出しだと、風雨や直射日光にさらされて壁材自体が傷んでしまうので。
そうならないように、表面に保護膜を作って保護しよう、というのが塗装。
そういう意味では、塗装が経年劣化で傷むのはある意味当たり前っていうか、そもそもの役割で、壁材そのものではなく、表面の塗料が傷むようにしているということなんだよね。
特に鉄材だと、参加してさびるともろくなってしまうので、表面をコーティングすることに大きな井mがあるのだ。
コンクリート剤なんかだと、雨に濡れると徐々に溶け出してしまうので、直接雨水に触れないようにすることも必要なんだよね。
そうやって保護膜を作ってあげるのが塗料で、その「バリア」が弱まってきたらはり直すのが必要だよね。

同じような保護膜は他のものにもあるよ。
日本の伝統工芸品でいえば漆器のうるし。
漆を塗ることで強度を上げるとともに水をはじくようにして、木製の食器が長持ちするのだ。
見た目がきれいになる以上に実用的なメリットがあるからこそ、かぶれながらもクロウしてうるしを集め、職人技でなんども塗って仕上げる技術が生まれたんだよね。
もう少し身近なものだと、健在にも使われるトタン。
トタンは薄い鉄板を亜鉛メッキしてコーティングしたもの。
鉄がそのまま外気にさらされているとどんどんさびてしまうけど、亜鉛で表面を覆うことで鉄の腐食を防止しているのだ。
これは、亜鉛の方がイオン化傾向が大きい=酸素と結合しやすい性質を利用したもので、鉄がさびるのは酸素と結合するからなので、先に亜鉛と結合しちゃえば鉄はさびないよね、ということ。
これにより、軽く加工しやすくってさびづらいという便利な建材になっているのだ。
といっても、むき出しの鉄よりはましだとしても時間が経てばトタンもさびるけどね。