サッカーW杯が始まったのだ。
とはいえ、ボクはスポーツ全般についてほぼ興味なしなので、結果をニュースで知るくらい。
でも、気になることが。
それは、日本代表のシンボルにもなっている三本足のカラス。
記紀神話に出てくる八咫烏を意匠化したものなんだよね。
Wikipediaにはいろいろ理由が書いてあるけど、八咫烏が案内した神武天皇は蹴鞠がうまく、というのはちょっと笑ってしまった。
さて、この八咫烏。
「咫(あた)」は古代の大きさの単位で、三種の神器の「八咫鏡」と同じ。
とりあえず大きいということ。
それに加えて三本足と言われているんだ。
でも、記紀神話の中に出てくるものは、高皇産霊神又は天照大神に使わされ、熊野(今の和歌山県新宮市のあたり)から神武天皇を導き、奈良県の橿原の地に連れていくのだ。
そこで神武天皇が即位するわけだね。
日向(宮崎県)を出発して東に進んできたわけだけど、最初大阪から奈良に入ろうとして失敗するのだ。
これはきっと天照大神の子孫たる自分が西から東に入ろうとしたためだ、東から西へ入ろう、ということで、紀伊半島をぐるっと回ってリベンジすることにあるのだ。
このとき、道案内をしたのが八咫烏ということになっているんだよね。
記紀神話で道案内というと、まずは天孫降臨の際に天の八衢から葦原中国まで瓊瓊杵尊を案内した猿田彦もいるよね。
猿田彦を祀る神社は多いのだけど、猿田彦神社(総本宮)、二見興玉神社、椿大神社とおおきなものは三重県にあるのだ。
それもそのはずで、この神は伊勢の五十鈴川のあたりの出身ということになっているのだよね。
で、瓊瓊杵尊は日向国高千穂に降り立ったはずなのに、道案内をした猿田彦は伊勢にいたのだ!
で、神武東征を助けた八咫烏は熊野の出身。
なんとなく、紀伊半島の東側に大陸からやってきたと言われる天孫族を助けて一緒に大和朝廷の礎を築いた一族がいたんじゃないか、という気がするよね。
天孫降臨の下りでは、出雲の勢力と取引して国を手に入れ、最後まで抵抗勢力だった建御名方命は諏訪まで逃げるのだ。
神武東征では、日向から筑紫に出て本州に渡り、吉備を通って生駒のあたりまで出て、そこで長髄彦と戦うのだけど、いったん敗走し、先に述べたようにぐるっと回って逆側、熊野の方から奈良に入り、そこで再度長髄彦と戦って破るのだ。
おそらくこれらの神話は大和朝廷ができあがるプロセスにおける先住系氏族との争いの歴史なんだよね。
実際に古代日本の中には、出雲や吉備、越、諏訪なんかの勢力がいて、それを打ち破ったのか、交渉して中に引き入れたのかはよくわからないながら、うまいこと「平らげて」いって、神武天皇が即位して大和政権成立、というながれなんだよね。
明確に戦っているのは近畿地方にいた長髄彦の勢力で、これは明確に打ち破って大阪や奈良の地を手に入れてるっぽいのだ。
で、その戦いの中で協力してくれた先住系氏族が八咫烏だったり猿田彦だったりするわけだよね。
長髄彦を破る際には、金色のトビ(金鵄)がやってくるのだけど、この金鵄は八咫烏と同一視されることもあるので、やっぱり地元の助力勢力のような気がするね。
猿田彦なんかはサルなので、言葉は悪いけど、あmり文明的でない(と天孫族が思っていた)先住氏族をあらわしているんだろうけど、八咫烏はなぜ鳥なのか?
金鵄もなぜ鳥なのか?
記紀神話だとただの大きなカラスという記述しかないけど、平安時代になって、三本足のカラスというモチーフになるのだ。
これは大陸の「金烏」から来ているイメージで、金烏は太陽のことなので、ひょっとすると、天孫族に協力したことから太陽のイメージを付与しているのかもしれないよね。
記紀神話の成立は奈良時代で百年くらい間があるわけだけど、おそらく鳥に置き換えていた意義は見失われていたんじゃないかと思うんだよね。
弓を使うとか、山野を飛ぶように移動するとか、天孫族に比べて肌の色が少し黒かったとか、そういうのがあったと思うのだけど。
でも、熊野権現の神使はカラスなので、単純に熊野の神を報じる一族を表すものとして使っている可能性もあるのだけど、今は逆になっていて、熊野の地で神武天皇の道案内をしたからカラスが熊野権現の使いと見られるようになった、と説明されているんだ。
なんとなくだけど、本来的には古代熊野の地にはカラス(必ずしも三本足でない)をシンボルとしていたような先住氏族がいて(トーテム信仰的なものとして自分たちとカラスを重ねていたとか)、それが神武東征を助けた、というのが本筋のような気がするよ。
で、後は後付けで属性が付与され、主従が逆転し、ということじゃないかと。
ちなみに、記紀神話では天孫降臨の後、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の間の皇子神である火折尊(山幸彦)は竜神の娘である豊玉姫と婚姻し、神武天皇の父親となる鸕鶿草葺不合尊を設けるわけだよね。
こちらは天孫族が日本列島(というか九州)にやってくる前後にいわゆる「海の民」と同盟を結んで古代日本で勢力を伸ばしていったことを表していると考えられているのだ。
こちらは結婚までしているので、おそらく同一の血族集団をつくるところまで融合していて、道案内をした、ということになっている猿田彦や八咫烏は協力者扱いなんだと思うのだ。
当初の大和政権は絶対王政的な中央集権ではなく、諸王の中の王みたいな、中小国連合の中の盟主みたいな感じだったっぽいので、それを支えた勢力ということなんじゃないかな。
2026/06/20
カラスの勝手でしょ
2026/06/13
令和の大伴金村はいるか
ひさびさに皇室制度関係の話題が大きく報道されているのだ。
というのも、「立法府の総意」という形で、これからの皇統の維持に向けた取組について国会としての賛否が示されたから。
と言いつつ、実際は有識者会議でさんざん議論して、やるとしてもこれくらいしかない、というような安打と思うので、それが飲めるかどうかくらいの世界だとは思うのだけど。
それでも、なんだかんだで日本人は皇室の話題が好きだから、大きく取り上げられるんだよね。
ポイントは二つで、結婚後も女性皇族は皇籍離脱させずに皇族としての身分を残すこと、及び、すでに臣籍降下した元皇族のうち男系の系譜に連なるところから養子を入れることを可能とすること、を了解し、具体策の検討に移ろう、ということ。
前者は主に敬宮愛子内親王の今後のことを想定していて、後者は、秋篠宮悠仁親王以降の皇統の継続の安定性を意識したものなのだ。
女系を認めるべきかどうかは賛否両論なわけだけど、これmでも男系女性天皇は存在していたので、その道をふさがない、ということだよね。
後者については、明治以前は男系の家筋から養子をもらって宮家を維持するみたいな話はやっていたみたい。
御一新後、皇室のルールとして旧皇室典範ができてからできなくなったのだ。
さらに、戦後になって、かなり天皇家とは遠縁になっていた11の宮家が皇籍離脱(臣籍降下)し、明治天皇の男系の子孫のみが皇族に残ったんだよね。
実際には、明治天皇には大正天皇以外皇子がいなかったので、昭和天皇の兄弟、平成天皇の兄弟、今上天皇の兄弟が皇族になっているのだ。
で、今回の方針で養子を迎えるとすると、昭和22年(1947年)に皇族を離れた11の宮家(伏見宮、閑院宮、山階宮、北白川宮、梨本宮、久邇宮、賀陽宮、東伏見宮、朝香宮、竹田宮及び東久邇宮)からということになるんだけど・・・。
実は、男系だけで見ると、600年以上さかのぼらないと現在の皇統につながらない、というほど遠いらしい。
その間、女系ではつながっているので、いわゆる普通の親戚として考えるとそこまで遠くないのだけど。
しかも、皇族で亡くなったのはもう80年も前。
15歳以上の若い男子を養子に、ということだけど、該当者は少ないし、すでに皇族だった記憶のない、普通の一般人として生きてきた家族も多いので(宮中行事には旧皇族として呼ばれることもあったみたいだけど)、なかなかすごい話だよね。
ここで思い出すのは、記紀の時代の皇統断絶の危機の話。
かなり香ばしい事績が多い武烈天皇だけど、皇嗣を設ける前に崩御されたので(数え年で18歳?)、そこでいったん男系の皇統が切れそうになったのだ。
そこに出てくるのが大伴金村。
武系の中止のして古代史で大活躍する豪族(大連)だけど、その最大の功績は、武烈天皇崩御後に、当時越後にいた応神天皇の五世孫にあたる継体天皇を連れて来たこと。
千祖・即位した時点で58歳だったそうだから、全く皇族とは関係ない世界で生きてきた老年に差し掛かった人を天皇に迎えたのだ。
ただし、この継体天皇以降は歴史上実在が確認されている男系皇族で皇統が維持されてきたんだよね。
それ以来の危機があるかも、というわけだ。
で、悠仁親王から見て5世代さかのぼると明治天皇になるので、仮に明治天皇に兄弟がいればその系統に当たるということだけど、うえで書いたように、養子を出す候補に想定されている旧宮家はもっとさかのぼらないと合流しないんだよね。
これはある意味で大変革でもあるわけだ。
男系の万世一系にどこまでの意味を見出すかにもよるのかもしれないけど、それくらい想定しておかないと皇統の維持が厳しくなっているのも事実。
そもそも正室のみで側室を置かなくなったので、子供の数が圧倒的に少ないのだ。
そこを「子をなせ」とプレッシャーをかけるわけにもいかないわけだし、そもそも一般国民の少子化対策もうまくいっていない中で、現在の皇族の枠内だけで男系男子を増やそうとするのはかなりリスキーではあるよね。
最後は多くの人が納得できるようなルールで、ということだと思うけど、立憲君主であり、日本国の象徴でもある天皇家をどう維持していくのかはさらに議論が必要そうなのだ。
2026/06/06
お茶じゃダメなんですか!?
いまさらなような気もするけど、ごはん食も増えて和食傾向が強くなってきた給食の飲み物として牛乳が合わない、ということで、緑茶に変える自治体が出てきたというニュースを見たのだ。
でも、牛乳って必須じゃなかったんだっけ?
前に調べた記憶をたどると、顎口腔職法施行規則という文部科学省令の中で、給食に3つの定義があって、
①完全給食:給食内容がパン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、ミルク及びおかずである給食
②捕食給食:完全給食以外の給食で、給食内容がミルク及びおかず等である給食
③ミルク給食:給食内容がミルクのみである給食
となっていて、どれだろうが全部にミルクが入っていることになっているんだよね。
これをもって、給食には牛乳が不可欠、ということだと思っていたのだけど・・・。
元をたどると、戦後日本の「ララ物資」にさかのぼるのだ。
戦後復興のために様々な救援物資が寄せられたわけだけど、子供たちの栄養状況を改善するため、として脱脂粉乳が含まれていたのだ。
正直当時の人の口に合うものではなかったようだけど、コッペパンとともに学校給食に出されて広まっていくのだ。
これは誰に聞いてもそうだけど、おいしくなかったみたいだね。
で、昭和33年ころから、評判のよくない脱脂粉乳に代えて、国産の牛乳を給食に導入するよう方針が打ち出され、今に至る。
その名残がこの省令の定義の中にもあるわけだけど、いまどき主食がない給食とか、牛乳だけの給食とかはないだろうから、基本はフルセットの完全給食のはずだよね。
一方で、省令での定義はそうなんだけど、学校給食法、その施行令と法令全体の枠組みで見るともう少し違う景色が見えてくるのだ。
この定義がどこで出てくるかというと、学校給食を開始するときに都道府県に届け出ることになっているのだけど、その届出にどの種類の給食なのかを書く際のカテゴリーなんだよね。
なので、現代ではおそらく基本は「完全給食」で届出をされるはず。
で、重要なのは、その後の具体的な献立の決め方なのだ。
「完全給食」で登録している以上は牛乳(又はそれに代わるヨーグルト)が入った献立にしなきゃ、というのが今までの考え方だったようだけど、そこをもっと柔軟に考えているらしい。
学校給食については、文部科学省の方で「学校給食摂取基準」というのが示されていて、学齢ごとにどの栄養をどの程度とるのかの目安が決まっているのだ。
それをもとに市区町村の教育委員会で標準献立というのを作り、それを各学校や給食センターでアレンジして献立を組み立てる流れ。
で、牛乳を入れるとタンパク質とカルシウムががっつりとれるのでかなり楽になるのだけど、同じだけ他の食材でこれらの栄養素がとれればよい、という運用で考えているみたい。
とはいえ、総カロリー数が決まっている中、価格制約もあるのでけっこう難しいみたい。
タンパク質は豆腐やその加工品でけっこう補えるとは思うけど、問題はカルシウムだよね。
牛乳ほど効率よくはとれないので、じゃこや小魚を加えるなどの工夫をするらしいけど、月に数日くらい牛乳のない日を作るのがせいいっぱいくらい。
まさかサプリメントの錠剤を出すわけにもいかないだろうしね。
脱脂粉乳はおいしくないとはいうけど、ただ水にといて飲むからおいしくないんだよね。
米国留学中はシリアルにスキムミルク(無脂肪乳)をかけて食べていたけど、そこまでおいしくないという印象はなかったんだよね。
やっぱりいったん水分を飛ばして粉にして、それをもう一度水にとくのでおいしくないのだ。
温めてとかすので、アルマイトの容器に入った脱脂粉乳(温)は表面に膜が張っていたとかいうよね。
お菓子なんかの材料で使われる脱脂粉乳はいわゆる「ミルク感」を出す良い素材で、悪印象はないんだよなぁ。
使い方次第ということだね。
ちなみに、子供たちがたいてい好きなカルピスは、生乳からクリームを除いた無脂肪乳を独特の乳酸菌で発酵させたもの。
脂肪をあえて取り除いているから、乳酸菌発酵の酸味と相まってすっきりした飲み口なんだよね。
この頃はクリームを発酵させた濃厚カルピスも見かけるけど、こっちは確かにねっとりと濃い感じなのだなお、。
取り除いたクリームからは高級バターとして知られるカルピスバターが作られるんだけど、こっちが副産物。
もともとは業務用で使われていたものだそうだよ。