2019/09/28

赤い、ゆれるやつ

小学生の頃にキーホルダーを買ってから、「赤べこ」がわりと好きなんだよね。
造形もかわいらしいし、首が揺れるのも楽しいよね。
で、長らくその存在を意識することはあまりなかったのだけど、ひさしぶりに「赤べこ」熱が出てきたのだ。
それは、「妄想工作所」がデザインした、3つの首を持つ「ケルベコス」のカプセルトイ。
ギリシア神話に出てくる、3つの首を持つ地獄の番犬「ケルベロス」のように3つの首を持つ「赤べこ」なのだ。
本物はもっと大きい民芸品なんだけど、カプセルトイで出たのでついついほしくなって、新宿のヨドバシカメラまで行って手に入れたんだよね。

もともと「赤べこ」は会津地方の郷土玩具。
赤い「牛(べこ)」で、「赤べこ」。
張り子の人形で、首が揺れるように作ってあるんだよね。
木型に和紙を貼って成型し、木型を外した後に胡粉で至徳下塗りしてから、絵付けをするのだ。
このとき、全体を赤く塗って、特徴的な黒い斑点模様なんかをつけるんだ。
同じように作ったもので、虎型のものとかもあるよね。
虎の場合はひげがつけられるけど、「赤べこ」の場合は模様が描かれるだけの場合が多いよ。
そのうつろな表情がまたかわいらしいのだけど。

天正年間に、本能寺の変の後に安土城にいた織田家の一族を保護したことで有名な蒲生氏郷が殖産振興のために会津地方にまねた板技術者から伝わったと言われているよ。
それが今の張り子の「赤べこ」の製法みたい。


その由来には諸説あって、すでにどういう経緯で作られるようになったのかは定かではなくなっているみたい。
ひとつは、平安時代の疫病払いから来るというもの。
平安時代には疫病が蔓延し、その疫病払いのために様々な呪いなんかが流行するんだけど、その中に、赤い牛により疫病が払われた、という伝説があるみたい。
会津地方に天然痘が流行したとき、赤い牛の人形を持っていた子供は病気を免れた、というのもあって、それで病よけのイメージがついているみたい。
黒い斑点模様は「痘」を表しているとも言われているよ。
「赤」という色も邪気払いの意味合いがあるから、これは納得できるよね。

もうひとつは、やはり平安時代の話で、円蔵時というお寺にお堂を建立する際、上流にある村から大量の材木が寄進されたところ、どこからか赤い牛が現れて、その運搬を手伝ってくれたという伝説なのだ。
こっちはかなり仏教に寄せているので、なんとなく後付けのような気もするけど・・・。
この説話から、幸運を呼ぶ牛、という認識になったそうな。
なんかそのつながりはいまいち納得できないのだけど。

いずれにしても、子供を守るとか、子運を呼ぶとか、そういう御利益を期待して会津地方の各家庭に広まっていったようなのだ。
で、いつしかそうした由来は忘れられていき、「縁起物」として置かれるようになって、現代まで伝わったみたい。
その由来が曖昧になっていたので改めて調べて上記のような説が出てきたみたいだよ。
個人的には、「福犬」と同じくらいのかわいらしさなので、審美的にもよかったのが残った理由だと思うけどね。

2019/09/21

炊いて祝おう♪

お祝いの赤飯のお裾分けをもらったのだ。
赤飯好きのボクとしてはほっこり。
もともとごはんはかためが好きで、おこわがすきなんだよねぇ。
なので、カロリーが高いのはわかってながら、ついつい赤飯おにぎりを選ぶくらい。
こういうのはうれしいね。

現在の赤飯は、小豆又は大角豆(ささげ)と一緒に蒸して作るんだよね。
あらかじめもち米を豆のゆで汁につけておくんだけど、このときに、ゆで汁中に抽出されていたアントシアニン色素を吸って、ほんのり赤く色づくんだよ。
北海道では甘納豆で赤飯を作る地域もあるんだけど、その場合は色がつかないので、食紅などで別に色をつけるんだよね。
大事なのは、お米が赤いことなのだ。

「赤」という色は、古代日本では神に捧げる供物の色でもあり、魔除け・邪気よけの色でもあったのだ。
神社の鳥居を赤く塗るのも同じ発想だよ。
なぜ「赤」という色が選ばれたのかはよくわからないみたいだけど、神聖な色として扱われていたのは確かなんだよね。
なので、神に捧げる米も赤くしたかったのだ。

実は、赤米というのがあって、これは玄米の種皮や果皮にアントシアニン系色素の含まれている、見た目が赤いもの。
むかしむかしはこのお米を蒸したものをささげていたみたい。
ただし、きっちり精米してしまうと中身は白いので、皮ある程度残したままにしないといけないんだ。
現代で普通に食べられている白米の稲に比べると病害虫や気候の変化などの環境変化に強く、棚田などでも生育が容易という特色を持つのだ。
一方で、丈が長いので風などで折れやすく、米の収量が少ないなどのデメリットも。
そして、何より、食味が悪い、すなわち、おいしくないらしいんだよね(笑)
アミロースやタンパク質が多く、その意味では栄養面では優れている部分もあるんだけど、おいしくない。
なので、神に捧げる穀物でありながら、下等米として扱われていたようなのだ。

明治時代には、農業技術が進歩したこともあって、いったん栽培品種としては駆逐されかけたんだよね。
他方、神事に使うことから、一部の神社でそのための栽培で保存されていて、そのおかげで残ったのだ。
現在では、雑穀米に混ぜられていることもあって、紫黒米(濃い紫色のお米)とともに、「古代米」品種として珍重され、健康食品としても注目されているようだよ。
まずいからと撲滅されかけたのに、見事に復活したのだ(笑)

それだけではなく、過酷な環境に強い品種でもあるので、駆逐しようとしても勝手に生えてくることもあったみたい。
もともと排水の悪いところや新田開発をしてまだ栄養が不足しているようなところでもよく育つ品種なので、田んぼのはしや周辺に勝手に生えてきたりするんだって。
先に言ったようにおいしくないので、これがまざると米の検査等級が下がるといって嫌われたようなのだ。
そのしぶとさもなんだかいいね。

2019/09/14

たたいて闘魂注入

高知名物と言えば、「土佐造り」。
すなわち、厚切りの鰹のタタキ。
カツオのサクを藁火で表面をあぶってさっと氷水で冷やし、分厚く切って、薬味をたっぷりのせるのだ。
ショウガだけでなく、ニンニクをきかせるんだよね。
これは確かにうまい!

なぜ「タタキ」と呼ばれるようになったのかは定かでないらしいのだけど、あぶった後にたれや塩をなじませるために身をたたいたため、という説もあるのだ。
本当に「たたく」から「タタキ」なのか・・・。
実は、英語でも「タタキ」で、フランスでは「マグロのタタキ(Tataki de Thon)」をよく見かけたよ。
あぶることで香ばしさが出て、生臭みが薄れるから外国人に食べやすいのかな?
皮ぎしの脂もとろけてうまみが活性化する効果もあるんだよね。
あぶりトロとかと同じ。

なんで表面をあぶるようになったのかもよくわからないみたいなんだけど、刺身を食べることを禁じられたので表面だけあぶったとかいう説もあるんだ。
個人的には、表面についた雑菌を焼いて滅菌することで食中毒を予防したのではないかと思うんだよね。
当時は流通にも限界があるし、鮮度良く運べなかったので、刺身は取れたての魚のみでできる贅沢な料理。
多くは醤油ベースのたれで漬けた「漬け」や酢や昆布で「〆(しめ)」たものだったんだよね。
雑菌は基本的に表面についているので、そこをあぶってしまえばけっこう食中毒は防げそうなんだよね。
ユッケの場合は表面を削るわけだけど、結局表面を削るときに包丁に雑菌がついてしまうので、それだと食中毒が防ぎきれないこともあるのだ(>o<)
でもでも、最終的には、単純にそうやって食べた方がおいしいから、料理法として広まったんだろうけどね。

今ではカツオのみならず、牛肉でもたたきがあるよね。
肉の場合は、表面の滅菌もさることながら、脂の活性化が大きいと思うけど。
牛の脂は馬の脂ほど融点が低くないので、体温により口の中でそのまま油がとろける、ということはないのだ。
なので、ちょっと火を通して最初に融かしてあげるとおいしいんだよね。
マグロのトロやトロサーモンをあぶるのも同じような理由だよ。


一方、東京のおとなりの千葉で「タタキ」といえば、味などの青魚のみを刻んで薬味とまぜたもの。
味噌で味をつけると「なめろう」になるよね。
こちらは見た目どおり、まな板の上で包丁でたたきように刻みながら作るから「タタキ」。
もともとは「タタキなます」と呼ばれていたものが「タタキ」になったのだ。
「なます」は大陸から伝わった料理法で、肉や魚、野菜などを細かく刻んで作るものの総称。
現在の日本ではお正月に食べる紅白なますのように野菜の酢の物が「なます」の代表になってしまっているけど、中国では肉でも魚でもなんでも刻んで薬味やたれと混ぜて食べる料理法だったのだ。
「なます切りにする」というのはここから来ている言葉だよ。
日本に伝わってからは、仏教の影響で肉食が禁じられたので、魚と野菜が残ったわけで、魚の方は「タタキ」と呼ばれるようになり、野菜の方だけが「なます」になったのだ。
ただし、山口の郷土料理の「ちしゃなます」(ほぐした焼き魚とレタス=ちしゃを酢味噌で和えたもの)のように、魚が入っている「なます」も当然あるよ。

そして、さわにまぎらわしいのは野菜の「タタキ」。
こっちはたたくことで野菜の繊維質を柔らかくする調理法のこと。
タタキゴボウやキュウリのタタキがそれ。
たたくことで繊維がほぐれてタレともよくなじむんだよね。
野菜の場合は刻んだものが「タタキ」とよばれることはまれなようなのだ。

カツオにしても、アジにしても、タタキの場合はたっぷりの薬味とともに味付けされたものを食べるんだよね。
やっぱりこれは鮮度の問題が大きかったんじゃないのかなぁ。
カツオはなまり節や鰹節に、アジはヒラキに、と加工すれば長期保存できるのだけど、生のものも食べたいというところから初田牛反じゃないかと思うんだよね、。
とにかく日本人の食に対する欲望は尋常じゃないから(笑)
なぜか食べるものだけには異様なこだわりを見せるんだよね。

2019/09/07

あ~ま~ぞ~ん!

最近、ナショナル・ジオグラフィックの記事でm、「アマゾンのジャングルが地球の酸素の20%を供給しているというのは誤解」という記事を見たのだ。
この言説はG7でも言及されたことがあるくらいメジャーなんだけど、科学的には正しくないんだそうで。
で、実際に記事の中身を読んでみると、なるほどな、と思ったんだよね。

ようやくすれば、アマゾンのジャングルにある植物は大量の酸素を光合成により排出しているけど、同時に、アマゾンは生物の宝庫で、植物も含めて大量の山椒を消費しているので、実はネットで見ると酸素の供給量と消費量がほぼバランスしており、酸素の供給源にはなっていない、ということなのだ。
ちなみに、アマゾンから生み出される酸素量は、陸上で供給される酸素量の約16%、つまり2割弱。
これが」よく言われる20%の根拠みたい。
でも、実際には、海洋の植物プランクトンも多くの酸素を供給しているのだ。
そもそも地表面積ベースで言えば、海洋が7割、陸地が3割。
で、海洋の寄与分を考慮に入れれば、アマゾンからの供給量は9%くらいだそうだよ。

で、これは供給ベースの数字のみ。
実際には、植物は昼間は光合成するけど、夜は酸素を消費してエネルギー生産もしているのだ。
そして、アマゾンにはいろんな微生物や動物、昆虫が生息しているわけで。
これらの生物も基本は酸素を消費して生きているのだ。
すると、アマゾンで生み出された酸素のほとんどすべては消費されてしまうわけ。
途中のプロセスを見ると、発酵のような酸素を必要としないエネルギー生産もあるんだけど、最終的にはそこでできたアルコールも酸素を消費して二酸化炭素になるんだよね。
これがネットで見ると酸素の供給量はほぼゼロ、という中身。
逆に、そうでないとすると、地球上からはどんどん二酸化炭素が減って酸素が増え続けてしまうわけだけど、そうはなっていないのは、酸素の供給と消費がほぼバランスしていて、差し引きでゼロになっているから。
ここに化石系燃料の消費による二酸化炭素が加わって温暖化が問題になっているわけなのだ。

一方で、億年オーダーの長い長い地球の歴史を見ていくと、あるときから酸素が増え、大気中にそれなりの量がたまって、今度はそれを消費してエネルギー生産を行う生物が出てくるんだよね。
この時代は酸素が増えていく時代で、オゾン層も形成されるのだ。
それにより、地上に届く有害な紫外線量が減り、地上にも生物が進出できる素地が作られるよ。
こうして広がっていったのが多くの現生生物群なわけだけど、この酸素がどこから来たのかという問題が出てくるよね。
当初は、二酸化炭素から炭素固定して酸素をはき出す生物が生まれ、酸素が出てきたはずなのだ。
この時点では酸素を消費する生物はほとんどいないので酸素はたまっていく一方
あるときから酸素を消費する生物が出てきて、酸素の供給と消費が徐々にバランスしていくんだよね。
でも、その後も少しずつ酸素は増えていったのだ。
なぜか?
それは、生物の食物連鎖から一部の有機物(生物により固定された炭素)が外れていったため。

代表的なものは、深海底にたまっている海洋性微生物(プランクトン)等の死骸。
潜水艦から「マリンスノー」として観測されるものだよ。
実は、深海底にも微生物はいて、これらの有機物が酸素を消費せずに分解されてエネルギー生産が行われていることがわかってきているのだけど、そこまで多くの量ではないのだ。
これがつもりにつもって、堆積層の下の方に行って高温高圧下の環境にさらされると、ゆるやかに物理化学的変化を経て石油に変わっていくのだ。
地上にあった植物が地殻変動等で海底に沈んで同じような変化を受けると石炭になるんだけど、こっちは恒常的なものではないんだよね。
あるときアマゾンが海中に沈めば何億年後には石炭化するかも知れないのだ。

もうひとつは、珊瑚などが炭酸カルシウムの形で固定したもの。
これはそのまま石灰岩になるので、生物の食持ち連鎖から外れた炭素固定なのだ。
意外とその寄与は大きいと考えられていて、珊瑚礁の減少も地球温暖化の原因の一つと言われているよね。
こっちはその石灰岩を熱して消石灰などにしない限りは二酸化炭素は大量に出てくることはないのだ。
どんどん二酸化炭素を消費していく一方なわけ。
酸素は酸素で金属をさびさせたり(酸化)して無機物にも固定されていくので、その辺のバランスも見る必要があるのだ。

いずれにせよ、アマゾンから大量に酸素が供給されているのは事実。
でも、同時に、アマゾンで大量の酸素が消費されているのも事実。
なので、酸素の供給源としてアマゾンの自然を保護しようというのはあんまり正しくないのだ。
一方で、人工的に大量の植物だけを伐採したりするとアマゾンの生態系が乱れるので、このバランスに悪影響が出るのも確実。
なので、樹木を守るだけでなく、アマゾンの自然環境全体を守る必要があるのだ。
複雑な生態系では少しの外的な影響が大きく作用することもあるので、できるだけ現状の環境を維持できるようにするのが大切で、植樹をするとかではなく、今の生物多様性をできるだけそのまま保全していくのが大事だということだよ。