シン・デン
台風の影響で千葉がすごいことになっているのだ。
二度の浸水(というか水没)被害。
そして、また台風が近づいてきている・・・。
そんな中、報道で注目されたのが印旛沼。
水位が相当上がってしまったみたいであたり一面の水。
居住者は多くないみたいだけど、高級な錦鯉などを育てていた養魚場が完全に水没してしまったみたいだね。
もともと印旛沼はちょっと低地になっていて、しかも、まわりに水の流れが多くて自然に水が集まるところ。
江戸時代初期に利根川の瀬替えが行われ、もともと江戸湾に流れ込んでいた流れを千葉から太平洋に流れるように流路の変更をしたのだけど、その影響で印旛沼周辺にはさらに水が集まりやすくなったようなのだ。
つまり、江戸都市部の治水のための対策で、印旛沼周辺は水害が起こりやすくなったんだよね。
とはいえ、千葉のあたりは気候も温暖で稲作には適している地域。
水量が豊富ということは水田には向いている、ということで、印旛沼も何度か干拓による新田開発が試みられたんだけど・・・。
いずれも失敗。
どうしても水を逃がしきれなかったようなのだ。
そういう地形なら、今回の被害は「さもありなん」なんだよね。
そこまで集中的に雨が降ることがなかったから大きな被害が出なかっただけで、もともと水害リスクは非常に高い地域なのだ。
居住者がそこまで多くないというのもそういうところが理由かな。
江戸時代は大きな戦乱もなく平和な時代が続いたこともあって、人口が大きく増えたんだよね。
でも、それを支えるためにも農業生産量も上げる必要があって、いわゆる「新田開発」が盛んにおこなわれたのだ。
ちょうど農業技術、土木技術などの進歩もあったしね。
江戸市中の都市整備もそうだけど、個人的にはうまく水路を整備して水を逃がすようにして干拓を進めたと思っていたんだよね。
確かに、そういうところもあったけど、実際には、湿地自体がそんなにないわけで。
さらに、先の印旛沼や手賀沼などあまりうまく干拓できなかったところもあって、それほど貢献していないようなのだ。
むしろ、水利がよくなくて水田に使えなかった土地を水田にできるようになったのが大きいみたい。
そのときに重要な技術だったのは実は測量技術と言われているよ。
灌漑用水は常に流れていないといけないわけで、自然に水の流れを作るには「傾斜」が必要だったのだ。
つまり、水場から離れたところにある平坦なところには田圃は作りにくかったわけ。
江戸時代に土木技術が発達し、そこに正確な測量ができるようになって、微妙な高低差を使って灌漑用水を流せるようになったみたいなのだ。
もちろん、干拓事業で水を抜く時にも測量は重要で、オランダのように風車に連結したポンプで水を汲みだすわけではないから、堤を築いて水の流入を止めつつ、排水路を作ってそこから水を出していく必要があるのだ。
このとき、高低差が正確に測量できていないとこのイ排水路から逆流して水が入ってきてしまうわけだ。
基本的には位置エネルギーだけで水を動かすので、正確な測量が成功のカギになるんだよね。
荒川放水路の開削とか、利根川の瀬替えとか、治水関係の大規模土木工事もまさにこの恩恵を受けているわけだよね。
都内の神田上水や玉川上水も水源地からうまいこと水を江戸市中まで引いてきているわけで。
手計算と人力による土木工事だけでよくそこまで整備したものだと思うよね。
ちなみに、今の二分されている印旛沼は戦後の昭和21年になってやっと成功した干拓事業によるもの。
印旛沼放水路が完成して約900haの水田ができ、北印旛沼と西印旛沼に分断されたのだ。
でも、この放水路は途中で揚水をしたうえで排水しているので、江戸時代には決して成功し得ないものなんだよね。
そこまで水害対策としては手ごわいところなので、今回のような非常識な大雨だと仕方ない面もあるのかもしれないね。