2011/12/17

油をぬいてさっぱりと

ふと思ったんだけど、「脱脂綿」ってすごい言葉だよね。
油脂を除いた綿というそのままだけど(笑)
最近ではコットンと呼ぶ方が多いからあまり聞かないけどね。
で、なぜそもそも「脱脂」にする必要があるのか、などをつらつらと調べてみたのだ。
さすがに「脱脂粉乳」とは違うもんね、仲間みたいな響きだけど。

もともと「綿」は綿花の種を囲んだ白く細い繊維状の部分。
綿が開いた状態で収穫されたものが実綿(みわた)で、中の種は綿実(めんじつ)と言うんだよ。
綿毛の部分だけをはずし、これを2つのローラーの間に圧縮しながら通すと、種だけが手前に落ちて残って、綿毛だけが取り出せるのだ。
これが「綿繰り」という作業。
かつては弓状の道具でこの綿毛を弦ではじいてほぐしていたんだ。
これを「綿打ち」と言うんだけど、このときに残っていた異物やゴミなんかを除くのだ。
さらに、こうしてほぐした綿毛をくし状の針ですいてやると、長い繊維と短い繊維に分かれて、長い方はよって糸に、短い方は紙の原料なんかにするんだって。
綿糸にした後さらに織り込むと綿布となるのだ。

残った綿実は油分が多いので、ごまと同じように絞ると油がとれるのだ。
それが綿実油。
精製技術が低かった頃は黒~赤の色のついた、あまりきれいでない濁った油しかとれなかったらしいんだけど、石灰を使った精製法が開発されてからは透き通った透明な上質な油がとれるようになったのだ。
綿実油は酸化しづらいこともあって、揚げ油やツナ缶に使われたりしているよ。
かつては菜種油なんかより高級品として扱われていて、今でもビタミンEが豊富だったりするのでちょっと高級な食用油として使われているのだ。
でも、綿花自体をほとんど輸入に頼っている我が国(数字的には自給率0%)では、当然綿実油もごくわずかしか作られていないよ(>o<)
木綿の副産物とは言え、製造コストが高いのがネックみたいで、その意味では、健康食品とかの付加価値がつかないと売れないってことみたい。

で、話はもどって脱脂綿だけど、不純物を取り除いた綿毛を水酸化ナトリウムで処理し、さらに次亜塩素酸で漂白するとできるのが脱脂綿。
ほぼ純粋なセルロース繊維だけになるんだって。
水酸化ナトリウム処理をすることで油脂分は鹸化されて水に溶けていき、次亜塩素酸でクリーム色っぽい綿毛が真っ白になるのだ。
セルロースは人工合成もできるけど、綿毛状のシートに加工する上では天然物を使った方がよいみたいだね。
もともと木綿は吸水性が高いんだけど、余分な油脂分をさらに除いているのでより吸水性が高くなっているのだ。
つまり、水をはじかないのでしっとりとなじむわけ。
薬液や化粧水をふくませるにはその方が便利だよね。

綿花は古代から栽培されていて、人類に利用されてきているんだけど、日本で本格的に衣料に使われ始めたのは戦国時代なんだって!
もともと平安時代に綿花が伝えられたらしいんだけど、日本では根付かず、ずっと輸入に頼っていたらしいのだ。
なので、絹と同様に木綿も高級品で、庶民は麻布を使った衣服を着ていたんだそうだよ。
麻布はごわごわして肌触りもよくないし、密に織り込んでもけっこう寒いので、あんまり着心地はよくなさそうだよねorz
布団の綿もないわけで、冬は寒そうなのだ・・・。

そんな綿花は戦国時代に再度上陸し、このときは栽培が根付いたのだ。
まずは綿花が再上陸した河内から全国に広がっていったんだって。
江戸時代に突入すると生産量も上がり、庶民の衣服にも使われ始めたらしいよ。
こうして木綿が日本の衣料の主流になっていくのだ。
お布団にも綿が入るし、冬には綿入りのあわせの着物も登場。
これでだいぶあたたかいね♪
木綿は吸水性がよくて肌触りもよく、通気性もあってむれづらいのに保温性があって温かいから、日本の風土によく合っていたんだよね。

明治になってもしばらくは関税による保護で国内の綿花栽培も盛んだったんだけど、明治29年(1896年)に関税が廃止されると海外の安い綿花が大量に入ってくるようになって、それを使った繊維工業が発達するのだ。
木綿の生産量は上がったんだけど、国内の綿花栽培は衰退の一途。
さらに、化学繊維の台頭もあって、だいぶ様相が変わって現在に至るそうなのだ。
でも、最近ではオーガニック・コットンとか言って、むかしながらの木綿が再び脚光を浴びているよね。
それに、やっぱりまだまだ肌着などは木綿が好まれているのだ。

ボクは帯電体質なこともあって、木綿の服が好きなんだよね。
化繊だとすぐにビリビリ来るから(笑)
でも、こうして調べてみると、意外と日本での木綿の衣料の歴史ってそんなに深くもないんだな、とびっくり。
ただ単に名前が気になって調べてみただけだけど、なかなかおもしろい結果になって満足だよ(^o^)/

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