2025/12/27

ショナイの話は内密に

 すでに総理補佐官と特定されているようだけど、官邸幹部が試験として核保有の必要性を述べたとか言って騒がしくなっているのだ。
もともと「オフレコで」ということで話していた際の発言だったのだけど、日テレが、「事の重大性」にかんがみて報道した、っていうことらしい。
このことについて、「オフレコ」の取材とはなんだったのか、こういうことをするメディアは出入禁止にならないのか、など、周辺も盛り上がっているよね。
というわけで、ちょっと「オフレコ」について調べてみたのだ。


「オフレコ」は「off the record」の略で、「記録には残さない」ということ。
公表しないことを前提に話をする、ということなのだ。
双方が事前に合意して成り立つもので、湿原をした方が後から「あれはオフレコで」と言うのはもちろん通じないのだ。
でも、モラルだけの話ではなくて、あらかじめ双方が合意している限りは、口頭の約束であっても民法上は契約に当たるので、明文化されていて秘密保持契約にあたるのだ。
仮に、正式にオフレコである旨の合意がなされていたにもかかわらず勝手に情報を公開し、それに伴って何らかの損害は発生すれば、漏らした方は契約不履行で損害賠償をする責を負うことになるよ。
とはいえ、どちらかが一方的に主張しただけでは成立しないので、そこには留意する必要があるのだ。
失言したから「オフレコ」で、というのは原則認められないわけ。

今回の例はどこまで合意があったかというのはよくわからないけど、政治家まわ周りではむかしから「オフレコ」と言いつつ情報が漏れてくることが多いんだよね。
それも見越して情報を流す手練れもいれば、素直に「オフレコ」というのを信じて口が滑って大変なことになるひともいるのだ。
有名な事例としては、小沢一郎さんが1994年に総理候補として海部俊樹さんを担ごうとしたときに発したと言われる「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」」というのがあるよね。
これはいろんなところで「神輿は軽い方がよい」という感じで使われるようになった迷言なのだ。
「オフレコ」でもなんでもないんだけど、民主党政権時代の復興大臣の松本龍さんが「今の最後の言葉はオフレコです。絶対書いたらその社は終わりだから」と発言してメディから激しい批判を受けたこともあったよね。
こういうのがまぜこぜになっているので、何が「オフレコ」なんだかよくわからなくなってくるけど、最初の事例の小沢発言については漏らした田崎史郎さんが処分されているので、本当に「オフレコ」だったはずなんだよね。
今回も日テレがわざわざ言い訳しているところを見ると、「オフレコ」ということで聞いた話だったはず。
その言い訳が妥当かどうかはかなり賛否量炉なるみたいだけどね・・・。

で、この「オフレコ」報道には規則性もあって、誰が言った発言なのかがなんとなくわかるように報道ぶりで言葉が使い分けられているんだよね。
具体的には、次のような感じ。
 (1)政府首脳=官房長官(まれに総理本人)
 (2)政府高官=官房副長官(官房長官のこともあり)
 (3)首相周辺=総理秘書官など総理のそばにいる人
 (4)政府筋=官房副長官や総理秘書官
 (5)党首脳=党首又は党幹事長
 (6)党幹部=党三役(又は四役)
ちなみに、今回の場合は「政権幹部」というのは総理補佐官だったようなのだ。
なお、各省の場合は、「首脳」=次官級、「幹部」=局長・審議官、「筋」=課長などの実務者、ということらしいよ。

でも、こうしてすでにルールが知られている以上、本当の意味での情報源の秘匿にはなっていないんだよね。
「オフレコ」ということだったので誰が言ったかだいたいわかるけどそこは深く突っ込まない、程度の話で。
ところが、それが問題になった事例もあったのだ。
2009年に事務の官房副長官だった警察出身の漆間巌さんが西松建設事件について、「自民党側は立件できないと思う」と検察捜査の見通しを「オフレコ」で発言したのだ。
報道各社はルールに従って「政府高官が・・・」と報道したのだけど、この件が政治問題化したため、時の河村健夫官房長官はテレビ番組に出演した際、「答え合わせ」として実名を公表したのだ。
その後、漆間副長官は釈明会見をするに至ったよ。

政治家まわりで「オフレコ」報道が多い理由としては、記者クラブ制度があることがあげられるんだよね。
記者クラブ側からの要請で定期的に懇談の場が求められるようなんだけど、ざっくばらんに話しましょう、ということで、その場が「オフレコ」になることが多いのだ。
首相動静なんかを見ていても、特定の汽車からの取材をうけるもののほか、番記者たちとの懇談みたいな日程が入っていることがあるよね。
記者たちとしては、そういう場でぽろっと出てくる非公開情報を狙っているわけ。
別の情報ソースで裏付けが取れれば一気に報道する方向でかじを切るみたい。
さすがに「オフレコ」で拾った情報だけをもって報道するのは信義則違反だからね。
今回はそういう意味では「おきて破り」に当たるのかも。

2025/12/20

自動回復

 水道管の破裂事故なんかでけっこう明るみに出てきたことだけど、バブル時代に大量に施工された建築物・構造物が耐用年数的に限界を迎えつつあるのだ。
架空だから割とすぐに交換・メンテできる電線と違い、地中に埋めてしまっているライフラインの水道管やガス管なんかは劣化が見えづらいんだよね。
さらに、これも素人目にはほぼわからないけど、橋梁やトンネル、高架道路なんかも危険と言われているのだ。
打鍵検査というたたいた時の反響音で中にひびが入っていないかなんかを確認する技術はあって、いまはそこにAI技術も駆使して調べられるようにはなっているけど、直す方はそう簡単にはいかない。
お金もかかるし、その橋なりトンネルなり、道路なりを一定期間止めないといけないし。
非常に大きな問題なのだ。


こういうインフラの老朽化の大きな要因の一つがコンクリートの劣化。
鉄筋コンクリートの場合は内部のの鉄の錆もあるんだけど、現代のコンクリートのばあ、振動などでひびが入ってそこに水がしみこむとどんどん劣化していってしまうのだ。
ところが、二千年前にローマ帝国が築いたコロッセオや水道橋はまだきちんと形をとどめているんだよね。
で、その構造物には当時のコンクリートが使われているのだ!
ローマン・コンクリートと呼ばれているんだけど、現代のコンクリートよりもはるかに長期間の耐用年数になっているんだよね。
すでにこの技術は失われていて、長年謎と言われていたんだけど・・・。

2023年になって、その耐久性の高さの秘密の一つが、ローマン・コンクリートの中に入っているライムクラストという白い消石灰(水酸化カルシウム)のつぶつぶではないか、という説が出たのだ。
コンクリートの中に微小な消石灰が含まれている場合、ひびができて水がしみこんでくると、その場で水と反応するのだ。
その場に非常に強力なアルカリができるんだけど、今度はそのアルカリが空気中の二酸化炭素を取り込んで、石灰(炭酸カルシウム)として再結晶化するのだ。
つまり、ひびができて水がしみこんでくると、そこにいったん強アルカリのどろどろのペースト状のものができて、それが二酸化炭素を捕まえると固まってひび割れをふさぐのだ。
これがローマン・コンクリートの自然回復と呼ばれる現象で、長持ちする大きな要因の一つ。
仕組みが分かっているなら再現できそうだけど、実際はそうもいかないみたいのは少し不思議なんだよね。
配分とか混ぜ方とかそういうそうハウみたいなところで失われているものはありそうだけど。

で、こうして科学的には仕組みが推定できたんだけど、すぐにそれで決まり、というわけにはいかなかったのだ。
古代ローマの偉大な建築家で、当時の建築技術の知識の粋を集めて書き記した「建築十書」の著者でもあるウィトルウィウスさんの存在。
そう、ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図でおなじみのウィトルウィウスさん。
その「建築十書」の中のコンクリートの調整法について、まずは水と消石灰を混ぜてペースト状にして、と書いているらしいのだ。
でも、この方法だとコンクリートの中に粒上の消石灰は残らない!
先に水と混ぜるんじゃなくて、消石灰と生石灰(酸化カルシウム)などの材料と一緒に混ぜる方法でないとダメなのだ。
この混ぜ方をすると、混ぜる過程で消石灰や生石灰が水と反応して発熱するので「熱混合(ホットミキシング)」と言われるんだけど、火山灰中のケイ酸塩がその熱で他のものと反応したりと、コンクリートを強化するほかの作用も出てくるみたい。
また、最初に丁寧に消石灰だけ水と混ぜてペーストにするのと違って、融け残りの消石灰がコンクリートの中に分布する、「よい状態」になるのだ。

で、建築の大家のウィトルウィウスさんとの関係でこうだろうな、と思っていたやり方が否定されてしまう形になっていたのだけど、火山噴火により一夜にして埋もれたポンペイの遺跡を調査する過程で、やっぱり「熱混合」が行われていた証拠が出てきたんだって。
それがつい最近の話。
古代ポンペイの町はいきなり火砕流に襲われて埋もれてしまったので、そこには時間停止された当時の状況が保存されていたのだ。
コンクリートを使う建築現場もあったようで、まさに消石灰と生石灰をまぜてコンクリートを作ろうとしているという状況が埋もれていたというのだ。
なんでウィトルウィウスさんはそのように書いてたのか不明だし、ひょっとしたら現場で適当に作業していて結果的にローマン・コンクリートができていたのかもしれないけど、科学的な推測と考古学的証拠が見事に合致したんだよね。
考古学ってときどきこういう面白い結果が出てくるよね。

そうなると、次の興味はローマン・コンクリートを現代に再現できないか、ということだよね。
で、どうも技術的には再現できるらしい。
ただし、同じコンクリートでも現代のコンクリートとはそもそも別物なので、使い方を変えないといけないんだって。
例えば、ローマン・コンクリートでは薄い壁は作れない、骨組みに生コンを流し込むみたいな広報も取れず、レンガを積み上げて手作業でコンクリートを塗りこめていかなくちゃいけないなどなど。
歴史的建造物の修復には使えそうだけど、大型構造物をローマン・コンクリートで、というのが現代ではなかなか現実的ではないみたいだ。

2025/12/13

ほな、たぬきと違うか

先日、日本橋にある滋賀県のアンテナショップ「ここ滋賀」で信楽焼のぬいぐるみをかったのだ。
ふわふわでかわいいやつ。
でも、なんか違和感・・・。
そう、しっぽにしましまがある。
これはたぬきっていうよりアライグマでは?
で、よくよく見ると、よく見る「たぬき顔」なんだけど、それも違うことがわかったのだ。

ちまたにあふえている多くのタヌキのキャラクターがそうなんだけど、目のまわりをアイマスクのような形で覆うんだよね。
よく見る典型例はこのポンタ
目のまわりが「∞」の形で色が変わっているんだよね。
多くの場合は地の色より暗い色になることが多いけど。
でも、実際のタヌキの写真はこちら
そう、目と目の間は地の色なのだ。
暗い色の部分は目の周りから顎の方にU字型に広がっているんだよ。

一方、アライグマはこちら
いわゆる「たぬきのキャラクター」のような感じの模様なんだよね。
鼻筋に線があるので少し違うけど。
でも、世にはびこっている「たぬき」の顔は、むしろアライグマに近いのだ。

簡易的に図示するとこんな感じ。

【タヌキ】
  ∩   ∩ 

 ■■■ ■■■
 ■〇■ ■〇■
 ■■■▽■■■
  ■   ■
   ■■■


【アライグマ】
  △    △
    ■
 ■■■■■■■
 ■〇■■■〇■
  ■■■■■
  ≡ ▽ ≡
 
ちなみに、伝統的な信楽焼たぬきを見てみると、けっこう正しい。 
それと、水木しげる先生も参考にしていた江戸時代の妖怪絵のタヌキを見ても、やはりわりと正しい感じ。
むかしの日本人ってわりとデフォルメするけど、観察眼もするどいんだよなぁ。
タヌキについては実際に狩猟の対象で近くで見る機会もあっただろうしね。
割と身近な動物の一つではあったはずなのだ。

そのほかの分かりやすい特徴としては、タヌキはパンダのような柄で手足が暗い色になっているが、アライグマは全体が地の色。
一方で、タヌキの尾は地の色だが、アライグマの尾にはしま模様あり。
行動的な特徴としては、タヌキはかなり臆病で人を見ると逃げるか、場合によっては気絶するのに対し、アライグマはけっこう攻撃的で下手に近寄るとかみついてきたり、ひっかいてきたりする。
特に、アライグマは狂犬病ウイルスのキャリアであることもあるので要注意なのだ。
アニメのラスカルのせいでかわいいイメージがあるけど、かなり凶暴だよ。

ほかにも、在来種で似たような形態のものとしてはアナグマが、外来種か在来種かよくわからないけどいるものとしてはハクビシンがあるのだ。
東京都がまとめてくれている比較表で見ると、タヌキとアライグマに比べるとそこまで似ていないような気がするけど、基本は遠目で見かけるだけで近寄ってみることは少ないから、誤認もあるかな、というところ。
ハクビシンなんかは名前のとおり真っ白な鼻筋のラインがあるからわかりやすいし、アナグマはのっそりしたフォルムなので全体像が見えれば判断できるかもだけど。

似たような餌を食べているこれらだけど、タヌキだけは圧倒的に肉が臭くて硬くてまずいらしい。
多くの場合「たぬき汁」に使われていたのはアナグマではないかと言われているようだけど、アナグマは脂ものっていてジビエとしておいしいらしいよ。
中国ではハクビシンはわりと高級食材なんだけど、米国ではアライグマの二木はかつて奴隷が食べていたそうで、一段落ちる肉扱いだったのかな?

ちなみに、うちの職場にはハクビシンがいるようなのだ。
2回ほど見かけたことがある。
通った鼻筋でハクビシンであることはほぼ確定。
繁殖もしているのだろうか?

2025/12/06

汽笛一声

日本鉄道の発祥の地と言えば新橋。
鉄道唱歌も新橋から始まるしね。
でも、実は先に品川ー横浜間が借り開業しているので、新倍から最初の汽車が出た、というわけではないみたい。
もちろん、偉い人を呼んでの正式なセレモニーは新橋出発だったみたいだけど。

では、なぜ新橋だったのか?
当時は、新たに首都になった東京、開港により大きく発展した横浜、江戸時代から経済の中心地である大阪、そして新興の産業都市になっていた神戸を結ぶ流通の大動脈として今の東海道線が構想されたわけだよね。
(今でもJRの東海道線の終点が神戸になっているのはこのため)
で、日本海側を見ると、半島・大陸への玄関口になっていた敦賀も重要で、琵琶湖東岸の米原から枝分かれして敦賀まで、というのも重要だったみたい。
さらに、その後最大の軍港になる広島まで延伸されていくのだ。
この鉄道敷設構想の中では、のちに首都のセントラル・ステーションとして東京駅も出てくるんだけど、これはだいぶ後の話で、上野駅を起点に北関東、東北方面に鉄道が伸びてからの話。
西に向かう鉄道の起点である新橋と、北に向かう鉄道の起点の上野を結ぶ必要が出てきて、ちょうど中間点である丸の内に「中央停車場」を作ることになったのだ。
(これが今の山手線の右側)

新橋が起点になった理由の一つは、広大な土地があったから。
日本橋や銀座が町屋だったのに対し、今の新橋のあたりは武家地だったのだ。
例えば、江戸城無血開城の談判が行われたのは田町にあった薩摩藩邸。
浜離宮恩賜庭園は将軍家の濱御殿。
で、明治の御一新で広大なこの土地は政府の用地になったわけなのだ。
その後、下町風だった銀座は二度の対価で焼け野原になるので、そっちでもよかったような気がするんだけど、その時にはすでに新橋に駅を作ることが決定していたので、むしろ、商業の中心地となっていた日本橋と流通の起点となる新橋をつなぐ街として洋風に再開発されたんだよね。

新橋という名前は、今の高速の高架線のあたりにあった汐留川にかかる橋の名前。
鉄道開業時点の新橋駅は今の新橋旧停車場のところなので、汐留川になったのだ。
でも、上述した上野との間を結ぼうとしたとき、旧新橋駅は行き止まり形式のターミナル駅になっていたので、少しずらして新しい西にも北にも行ける駅を作ったのだ。
ちなみに、旧新橋駅はその後貨物線の汐留駅になるんだけど、それも廃止され、その跡地の再開発が汐留シオサイトなのだ。
開業時は近所にある神社からン前を取って烏森駅と言っていたんだけど、旧新橋駅は廃止され、最終的には烏森駅が新橋駅になったのだ。
実は、終点の横浜も同じで、開業時点の終点は今の桜木町駅なんだよね。
こっちは東海道線が延伸する際、桜木町を通る根岸線ルートが支線扱いになり、もともと高島町駅だったところが二代目横浜駅になったそうだよ。

時代が大正から昭和に移るころ。
上野ー渋谷間で東洋で初の地下鉄である銀座線が開業するのだけど、このときは、東京地下鉄道が上野ー新橋間を、東京高速鉄道(のちの東急)が新橋ー渋谷間を建設し、一本につなげるんだよね。
で、この時も起点は新橋になっていて、やはり鉄道網の起点になっているのだ。
この時にはすでにセントラル・ステーションである東京駅は開業しているのだけど、東京駅自体は戦後に建設される丸の内線ができるまで地下鉄とは連結していないんだよね。
理由は推測になるけど、当時の東京駅は完全に地上駅になってて地下鉄の駅を作ろうとすると大改修になってコストが膨大になることと、すぐ近くの京橋に明治屋が、日本橋には高島屋が資金を提供して駅ができることになっていたので、あえて省線の東京駅につなげなくてもよかったんだよね。
当時はそこまで乗り換えとかするわけじゃないし。
ただ、新橋はすでに鉄道を使った流通の拠点化していたので、はずさなかったみたいなのだ。
当時の鉄道網で考えると、民鉄である地下鉄と国鉄である省線との連血液は新橋だけだったのだ!
路線乗り換えの元祖でもあったのだ。