一体誰が・・・
奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳を調査した結果、天智天皇(中大兄皇子)や天武天皇(大海人皇子)のお母さんで、日本史上初の重祚(ちょうそ)したことでも知られる斉明天皇(皇極天皇)の墓所である可能性が高まったのだ。
その時期の天皇・皇族の陵墓に特徴的な八角構造があることがわかったんだとか。
でも、現在宮内庁書陵部が斉明天皇陵として指定し、管理しているのは別の古墳。
続日本紀によると、斉明天皇陵はある時期に修理されたと読める記述があるんだけど、そのときに改装されたのかどうかが論点になるみたい。
今のところ宮内庁は指定し直そうとしていないみたいだけど。
実は、現在でも歴代天皇や皇族の陵墓は宮内庁が管理をしているのだ。
皇室関係の基本法規である皇室典範第27条によると、「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし」とあって、合わせて陵墓として書陵部で管理しているのだ。
明治維新以降は、天皇・皇后は高尾の武蔵野陵墓地(多摩御陵)に、その他の皇族は護国寺に隣接している豊島岡墓地(豊島ヶ岡御陵)に埋葬されることになっているんだ。
それ以前の陵墓については、むかしからずっと朝廷に管理されているものも少数はあったけど、ほとんどは平安時代以降に十分に管理されず、荒れ放題になってしまったいたんだ。
これを、江戸時代後期に尊皇思想が勃興した頃、本居宣長さんほかの国学者が延喜式や日本書紀等の歴史書をもとに比定していったんだって。
その作業は明治までずれこんだんだけど、今の書陵部が管理している陵墓がそれなのだ。
ただし、この宮内庁管理の陵墓は現在でも皇室が祭祀を執り行っていて、自由に調査研究ができないのだ。
以前は奈良の箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないか、という話が出たときに話題になったけど、けっきょく調査許可が出ないんだよね・・・。
最近では修復の時に研究者が立ち会える、くらいのことはできるようだけど。
で、そういう状況なので、本当に誰がそこに埋葬されているかがよくわからないものが多数あるわけ。
今回の発見も、これを踏まえて現在斉明天皇陵に指定されている「越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)」こと車木ケンノウ古墳を調査できないので、確かめられないんだよね。
宮内庁はどう動くのかは見物だけど。
ちなみに、日本でもっとも有名な前方後円墳の百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)こと仁徳天皇陵の大仙陵古墳も、実際に仁徳天皇陵かどうかはわからないそうだよ。
文献資料での記述の調査や出土品の年代特定なんかから調査をするんだけど、古代の超有力者の墓という以上にはわからないのだ。
ま、中を調べればわかるというものでもないんだけど。
ただし、世界最大級の墳墓として歴史の教科書に載っているくらいのものなので、きちんと調べたい気持ちはあるよね。
宮内庁書陵部は皇室が持っている資料や文献の管理・保存と陵墓の管理を行う部署。
旧宮内省の図書寮と諸陵寮が統合化され、戦後に書陵部になったのだ。
この書陵部の建物は一般参賀などでしか見る機会のない宮内庁の本庁舎にはなくて、普通の人がいつでも入れる皇居東御苑の旧江戸城本丸の一角、天守台の近くにあるよ。
そういう意味では、近くまで見に行けるのだ(当然中には入れないけど。)。
宮殿から離れた位置にあるのは、直接皇室のお世話を担当する他の部署とは役割が違うからかな?
ちなみに、当然陵墓を管理する地方事務所も持っていて、東京に一カ所(八王子)、京都に二カ所(伏見区と東山区)、奈良に一カ所(橿原市)、大阪に一カ所(羽曳野市)にあって、そこがある程度地域ブロックでまとめて管理しているんだ。
地図上で見ると、確かに「陵墓銀座」みたいな密集している地域があって、そこにうまく配置されているみたいだよ。
というわけで、一気に気になる存在になったよね。
高尾の武蔵野寮墓地は多摩森林科学園のすぐ近くでちょっとした散策には向いているところ。
京都や奈良の陵墓も多くは観光地になっているので、近くに行ったら気にして見るようにしてみるとおもしろいかもね。
古代のロマンに思いをはせるのだ!
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