2010/09/04

Wooden Fish

正座をしていると足がしびれるから耐えられるけど、単調なお経を聞いていると眠くなるよね(笑)
それに大きく貢献しているのが、あの単調なリズムを刻んでいる木魚。
ぽくぽくぽくとなかなか心地よい音なのだ。
最近は楽器としても使われたりするんだよね。

この木魚、実は読経のリズムを整えるだけでなく、眠気防止の意味もあるというのだ。
確かに音は大きいけど、リズムが単調だから心地よい響きになってくるんだよね・・・。
でも、魚はまぶたもなく、眠らないものと認識されていたので、居眠りせずにしっかり励め、という意味が込められているのだ!
とは言え、現在の木魚を見ると、魚っぽい鱗のモチーフはあるものの、必ずしも魚の形はしていないよね。
木製の鈴のような形で、施されている彫刻も竜だったりすることもあるのだ。
日蓮宗で大音声の読経の時に使う木柾(もくしょう)なんかも似たような機能のものだけど、こちらは完全に木製の鉦=柾で、音を鳴らすものに徹しているのだ。

この木魚が日本で広く使われるようになったのは江戸時代からで、そんなに古くはないのだ。
持ち込んだのは日本黄檗宗の開祖である隠元禅師。
中国の禅宗の大本山で、臨済宗を開いた臨済義玄さんの支障に当たる黄檗希運さんも住した黄檗山萬福寺では、魚板と呼ばれる魚の形をした板が使われているのだ。
これはたたいて音を出すことで、人を集める合図に使ったりするんだって。
禅寺では1日のすべての行為が修行で、いちいち動きが決まっているので、こういう合図が重要なのだ。

この魚板は、魚は目を閉じない=眠らない、ということと、魚の腹をたたくことで煩悩をはき出させるという意味が込められているらしいよ。
修行に精進する象徴として使われていたわけだけど、いつしか読経のリズムを整え、同時に眠気を覚まする楽器のような使われ方をするようになり、明代になると今の木魚の原型が完成していたようなのだ。
それは日本にも少しは伝わっていたようだけど、江戸時代に隠元禅師が持ち込むまではあまり広まらなかったみたい。
逆に、江戸時代以降は禅宗だけでなく、天台宗や浄土宗でも使われるようになったのだ。
ちなみに、黄檗宗では他にも仏具としていろんな楽器を使うことで有名だそうだよ。

魚は眠らないというのはまぶたがなく、目を閉じないからなんだけど、これは水中に棲む魚は目を乾燥から守る必要がないので、まぶたがなくてもなんとかなるのだ。
でも、サメの一部では瞬膜と呼ばれる目を守る半透明の膜があって、エサを食べるときなどは一瞬閉じて目を保護するのだ。
これは物理的な刺激から守るため。
まぶたは皮膚と連続的で開閉可能な目を保護する器官で、皮膚と目の間にある瞬膜とは別物なのだ。
まぶたが上下に動くことが多いのに対し、瞬膜は水平に動くことが多いのも特徴なのだ。
カエルなんかだと、まぶたと瞬膜の両方があることもあるのだ。
カラスも瞬膜を持っていて、光っていた目がくもった瞬間が瞬膜が閉じたタイミングなのだ。

ちなみに、魚は眠らない、というのは厳密にはウソなのだ。
目を閉じない、というか、閉じられないだけであって、「原始睡眠」という脳が体を休ませている状態はあるのだ。
人間で言うとレム睡眠にあたるようなもので、この間は泳ぎ方も「覚醒」状態とは違うんだよね。
こっくりこっくりじゃないけど、沈んでは浮かび直し、といった動きをするよ。
金魚なんかを飼っていると時々見られるのだ。

マグロやカツオなんかは体の構造上泳ぎ続けないとえら呼吸できないので、休息しているときも止まれないのだ。
なので、ぶつ切りで意識が吹っ飛んでいるような状態を繰り返して、止まらない程度に体を休ませるわけ。
隠れてじっとしている魚も「寝ている」のかもしれないね。
ということは、目を開けながら寝るのは木魚の意味合い的には許されるのかな?
たまにそういう人を電車で見かけたりするけど(笑)

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