踏みならして地固め
八百長問題でもめている日本相撲協会は、5月場所(夏場所)もとりやめて、国技館で「技量審査」という名目で相撲の取組を無料で公開することにしたのだ。
あくまでも興行ではなく、日々相撲道に精進している力士の「心技体」を競い、技量を披露しようというわけなのだ。
多額の寄付をした人の特別席を除いては整理券が配られるみたい。
一気の多くの力士が退会したので場所運営が厳しいという事情もあるみたいだけど、信頼回復のために始動し始めたというニュアンスが強いよね。
そんなニュースが流れる中、同時に画面に露出してきたのは、力士による被災地の慰問。
お相撲さんが被災現場の避難所でちゃんこをふるまったり、子どもたちとふれあったりするほほえましい光景が映し出されているのだ。
避難所では娯楽も少ないから、うれしそうだよね♪
どうせ場所もないんだから被災地を回って少しでも信頼回復に努めればいい、なんて辛口のことを言う人もいるけど、やっぱりこうして訪れてくれると被災地を元気づけることにつながってよいと思うんだよね。
でも、実はこれにはもっと意味があるのだ。
もともと相撲は神事として行われている側面もあって、今でも靖国神社などでは奉納相撲などが行われているのだ。
江戸相撲も富岡八幡宮での奉納相撲が起源で、今でも横綱碑などの相撲関係の碑があるよね。
そのうち両国の回向院で定期的に相撲が開催されるようになり、いわゆる「常場所」化していったのだ。
これが現在の大相撲のルーツ。
なんだけど、やっぱり相撲は古代から神事として行われていることもあって、寺社との関係が強いのだ。
神事としての相撲の意味合いは、その勝敗で吉凶を占うというのもあるんだけど、それより重要なのは、大地の邪気を払い、清めるということ。
それを体現している動作が「四股」で、だからこそ相撲では四股が重要な意味合いを持っているのだ。
土俵入りで様式美の四股を踏むことには大きな意味があるんだよ。
強く大地を踏みしめることで邪気を払うんだけど、まさに「地固め」の意味があるんだよね。
これは建物を建てる前の地鎮祭と一緒の発想なのだ。
この大地を踏みしめるという動作はむかしから神聖なものと見なされているんだよね。
天の岩戸伝説では、元祖力士とも言うべきアメノタヂカラオが少し隙間の開いた岩戸をこじ開けるわけだけど、そのきっかけはアメノウズメの官能的な踊りとそれをもてはやす神々の嬌声なんだよね。
で、このときのアメノウズメの踊りというのは、体に玉を帯びて強く大地を踏みしめ、しゃんしゃんと鳴らすものだったのだ。
ここでも大地を踏みしめる動作が重要な意味を持っているんだよ。
日本書紀や古事記が編纂されたのは奈良時代のことだけど、おそらく、このころまでに日本に伝わった中国文化の影響が出ているんだよね。
その最たる例は平安時代に集大成される陰陽道の儀式で、「反閇(へんばい)」というのがあるのだ。
これは独特の歩き方をして邪気を払う動作なんだけど、かつては皇族や貴人が出かける際には陰陽師が先に立って邪気を払っていたのだ!
おそらくそんなイメージが古事記や日本書紀でのアメノウズメの動きにも反映されているし、後々の神事としての相撲における四股にも影響しているのだ。
この反閇は俗に「禹歩(うほ)」とも呼ばれるんだけど、これは古代中国の三皇五帝の最後の一人、「禹」に由来しているんだ。
伝説上の聖王で、中国最後の王朝「夏」の創始者として知られる禹は黄河の治水に成功したことで王権を手にしたのだ。
その際、中国全土を奔走したことで半身不随になり、独特の片足で跳ぶように歩いていたと伝えられているのだ。
これが元祖「禹歩」で、道教ではこの「禹歩」の動きをまねることで邪気を払う儀式をするようになったそうなのだ。
それが日本に伝わってきたというわけ。
禹王の場合は全国を歩き回った結果として足が悪くなったんだけど、逆にその悪くなった足での歩き方が邪気を払うというように転換されてきたのだ。
原因と結果が逆転しているんだよね。
で、今度はその全国を歩き回って邪気を払い、地固めをする、ということが注目されるようになるのだ。
作家の荒俣宏さんは昭和天皇の全国各地への巡幸をそのようにとらえていて、戦後の日本という国の地固めのため、自ら全国を巡ったと考えているんだ。
最後の現人神であり、最初の象徴天皇である昭和天皇が、最後に残された呪術性を発揮して新生日本の国固めをした、という考え方だよ。
昭和天皇は全国各地に行幸することを強く希望されていて、沖縄にだけ入れなかったことを強く後悔されていた、と言われているほど。
まさに今回の震災の被災地に神事たる相撲の担い手でもある力士が入ることは、そこに意味があると思っているのだ。
被災者を励ますだけでなく、力士が被災現場で四股を踏むことで邪気を払って、地固めをすることにもなるんだ。
科学的にはまったく意味のないことかもしれないけど、象徴的にはきっと大事なことのように思うんだよね。
現代ではすでにお祭りの本来の意義である五穀豊穣祈願とか雨乞い祈願などの意味は失われているけど、根底にはやっぱりそういう部分があるはずなんだよね。
というわけで、ぜひぜひ力士のみなさんには被災地で「地固め」をしてきてもらいたいのだ。
物理的な復旧・復興も大事だけど、心の面はもっと重要なはずで、そこに大きく貢献できる気がするのだ。
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