2012/02/04

やっぱり「草」が好き

あっという間に1月も終わってしまったねぇ(>o<)
今年はお正月に日本にいなかったのであまりおもちを食べなかったのだ。
ま、保存食として常にストックしているし、比較的簡単に調理して食べられるからそれなりには食べるんだけど。
今年は食べ飽きていないから、出動回数も増えるかな?

そんなおもちの中でもボクがもっとも好きなのは草餅。
緑色のにくいやつだよ(笑)
コンビニで売っているものなんかだと本当に色がついているだけだけど、きちんと作ったものは独特の香りがよいよね。
切り餅にしたものを焼いてから食べるのもまたおいしいのだ。

草餅は通常もちをつくときにヨモギを混ぜるものとばかり思っていたんだけど、実はそうでもないらしいのだ。
春にヨモギの新芽をとって、一回湯がいてアクをとり、それを丸ごと、或いは汁をしぼってまぜこむんだけど、もちをつくときに入れるものと、上新粉を練るときに加えてそれを蒸すものがあるようなのだ。
後者はむしろ「草団子」なんじゃないかと思うんだけど、あんこを包むと草大福や草餅として売られるんだよね。
糯(もち)の米粒をついて作るのがもち、粳(うるち)をひいた上新粉を練って蒸したりゆでたりして作るのが団子、というのが一般的なんだけど、この境界はとてもあいまい。
そもそも白玉団子は糯米の粉で作るし、コンビニなんかで売られている大福餅などはついたものではなくて練ったものがメインなんだよね。
むしろ、最終的な形態で名前を変えている、という方が正確なような気も(笑)

今ではヨモギを使うけど、もともとは春の七草のひとつ、ゴギョウこと母子草を使うものだったんだって。
その起源は中国で、3月3日の上巳の節句に米の粉(?)に母子草の汁を練り込んで羮(あつもの)にしたものを邪気払いで食べていたようなのだ。
粉を練って蒸していることから団子のような作り方だけど、蜜も混ぜて甘くしていたようなので、ういろうに近いものだったのかな?
でも、実物が現代に伝わっていないようなので、よくわからないみたい。
伝わったばかりの平安時代には母子草が使われていたようなんだけど、それがいつしかヨモギに変わっていくのだ。

母子草は七草に入っているくらいだから邪気を払う効能があるとは考えられていたようだけど、正式な漢方には使われていないようで、あまり「薬効」というのは期待されていなかったのだ。
一方、ヨモギは止血止めにも使えるし、漢方では健胃、冷え性、貧血、腹痛などに効くなどとも言われ、身近にある薬草だったのだ。
沖縄では臭み消しの意味も込めて、今でも料理に入れるよね(ふーちばー)。
モグサの原料でもあるし、「薬効」という観点ではヨモギに軍配が上がるんだよね。
ちなみに、薬に使うヨモギは、乾燥させてから葉の裏の綿毛をとるのだけど、その綿毛はモグサになるのだ。

詳細は不明ながら、鎌倉期以降にヨモギが使われるようになって、江戸期ではもうヨモギが主流だったみたい。
「かつては母子草を使っていた」という言われ方になってしまうのだ。
薬草としての効能だけじゃなく、ヨモギの独特の香りは春を感じさせるさわやかさがあるので、色目だけでなく香りでも季節を感じさせるところがよかったのかもね。
実際に春の節句に使われるものが起源だし、より春らしいものが使われるようになるというのもうなづける話ではあるのだ。
今でもひな祭りの菱餅の「緑」担当はよもぎ餅だよね。
そういうところにかつての節句に食べられていた痕跡が残っているようなのだ。

ヨモギというのはなかなか有用な植物で、荒れ地でも生えるし、多年草なのでしっかり根をはって土を固定するのだ。
草餅や草団子に使うことから、商品作物としての需要もあるんだよね。
なので、道路を造ったときに切り崩した斜面に植えられたり、休耕地に放っておいても栽培できる作物としてはやすままにされたりしているみたい。
その辺の空き地にも生えているような気がするけど、現代においても身近なところで役に立っていそうなのだ。
まだまだ日本人とヨモギのつきあいは続きそうだね。
そのためにも、色をつけただけじゃなく、しっかりヨモギを練り込んだ草餅をおいしく食べよう♪

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