2012/11/17

な・ご・み

11月15日は七五三。
着物を着たちびっ子をよく見かけるよね。
ボクは2歳離れた兄がいたので、まとめてだったみたいだけど、最近は一人っ子が多いし、子どもにお金をかける家が多いから、豪勢なんだろうなぁ。
おじいちゃん・おばあちゃんががんばっちゃうのかもしれないけどね(笑)

七五三は、文字どおり、3歳、5歳、7歳のそれぞれのタイミングでするお祝いだけど、古来からある「髪置き」、「袴着」、「紐落とし」又は「帯解き」として行われていたものがシステム化されたみたい。
「髪置き」というのは、それまで剃っていた髪を伸ばし始めるお祝いで、2~3歳で行われていたんだって。
むかしは、赤ちゃんのうちは髪を剃る習慣があったのだ。
ちなみに、これは男女共通なので、七五三も3歳は男女共通らしいよ。
ボクは女の子だけと思っていたよ・・・。

「袴着」は男の子のお祝いで、文字どおりはじめて袴をはくというもの。
男性の和装の正装は袴がいるからね。
これは3~7歳だったみたい。
それまでは着流しだけのバカボンスタイルなのだ(笑)
「紐落とし」・「帯解き」は女の子のお祝いで、それまでは着物を留めるのに紐を使っていたのを帯に変えるというもの。
これも女性の和装の正装にするということなのだ。
こっちは5~9歳だったみたい。

「髪置き」は別として、「袴着」や「紐落とし」はともに和服に関する儀式なので、呉服屋がこの行事を商業的に取り入れて、江戸中期に広めたのが今の七五三の原型と言われているのだ。
なんだか、クリスマスやバレンタインと同じにおいがするねぇ(笑)
歴史的には、第5代将軍綱吉公の長男で、2歳にして上州館林藩の藩主になった徳川徳松の健康を願う催しが嚆矢と言われているんだ。
盛大に行われたそのイベントにヒントを得て、呉服屋さんが広めたのかもね。
これが武家や有力な商家に広まり、明治以降は一般庶民にも普及したのだ。
でも、基本は関東圏のもので、それが全国区になっていったみたいだよ。
ちなみに、子宝に恵まれなかった綱吉公待望の長男だっただけに、根津神社に豪華な社殿を寄進したりといろいろしたんだけど、残念ながら徳松は夭逝してしまうのだ・・・。

徳松の例もそうなんだけど、むかしは衛生状態・栄養状態も悪く、乳幼児の死亡率も高いし、幼くしてなくなる子どもも多かったのだ(ToT)
なので、「7つまでは神のうち」なんて言って、7歳を過ぎるまでは人別帳にも載せず、地域コミュニティの構成員としてもカウントされていなかったんだよね。
なので、無事に子どもが成長しているというお祝いでもあるのだ。
今ではだいぶそういうのは薄れてきたけどね・・・。

でも、その残滓が残っているのが、七五三に欠かせない千歳飴。
名前のとおり、長命を寿ぐ縁起物なのだ。
細く長く生きるようにと、切らずに細長く伸ばした飴を、「かまずに」食べさせるんだよ。
紅白に着色し、袋には鶴や亀などの図案もあって、まことにめでたいのだ。
ボクはミルキーの印象だったんだけど、本来的には日本式の水飴を練って作る甘いだけの飴のはずだよね。
七五三の原型のできた江戸中期の元禄・宝永のころ、浅草の飴売りの七兵衛さんが売り出したらしいのだ。
当時は甘いものは高級品だから、子どもの無事な成長を祈る親の気持ちが込められていたのかも。

そんなわけで、七五三は子どもの健康な成長を祝い、社会の構成員として迎え入れる儀式だったのだ。
ただ子どもにきれいな服を着させて写真を撮る日じゃないんだよ(笑)
社会状況はだいぶ変わったけど、本来の意味を忘れず、残していきたい伝統なのだ。

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