2025/10/25

婦人参政に賛成

 高市内閣がついに発足したのだ。
我が国憲政史上初の女性総理。
なぜか「高市早苗は名誉男性だから女性初の総理でも喜べない」という謎の主張も見受けられるけど、高市総理の場合、経歴を見ても実力本位でここまで上り詰めたようにしか見えないからすごいことだと思うよ。
さっそくいろいろ政策の方向性が打ち出されているけど、公明党と連立を解消して、新たに維新の会が閣外協力ということでどうなることやら?
で、せっかくなので、我が国の婦人参政権の歴史を少し振り返ってみるのだ。


明治維新以降の近代化において、我が国も民主主義が導入され、選挙制度が整備されていくのだけど、このときは男性にしか選挙権・被選挙権が認められていなかったのだ。
民主主義も浸透してきた大正デモクラシーの時期に、平塚らいてうさんをはじめとする活動家が婦人参政権実現を訴え、条件付きとはいえ衆議院を一度通過したものの、貴族院議員で反対され廃案になったそうな。
当時の貴族院の皇族ぎいにゃ家族議員も男性のみが選ばれる仕組みで、そもそも帝国議会には男性議員しかいなかったんだよね。
で、そのままきな臭くなって戦争に突入し、この話はいったん止まるのだ。

再び動きだしたのは戦後すぐ。
市川房江さんは連合国軍司令部(GHQ)に指示される前に日本の側から婦人参政権実現を提案するべきと考え、東久邇宮総理や陸軍省などに働きかけるんだ。
でも、今は占領下で決定権はないから、とこの人たちは断るのだけど、つてをたどって、昭和20年10月9日に東久邇宮内閣の総辞職を受けて新たに総理に就任した幣原喜重郎総理にたどり着くのだ。
発足翌日の10日に面会し、婦人参政権制定は日本から言い出すべきと話したところ賛同が得られ、そのまま「20歳以上の国民に男女の別なく選挙権を与える」旨が閣議決定されることに。
さらに翌日、総理に就任した幣原喜重郎さんはGHQのマッカーサー元帥にあいさつに訪れ、そのまま外交官時代の英語力を生かして1時間ほど話をするんだけど、そのとき米国側から求められたのが、いわゆる五大改革。
すなわち、①女性の権利擁護(婦人参政権を含む)、②労働運動の奨励、③教育の自由化、4秘密警察の制度廃止、及び、⑤経済民主化の5つ。
でも、婦人参政権についてはこの会談の前日に閣議決定していて、米国に言われたからやったのではなく、わが国独自の方針としてやった、ということになったのだ。
これは面白い。

実際には、先の婦人参政権導入を決めた閣議決定に基づく衆議院選挙法改正後初、そして、大日本帝国憲法か最後となった第22回衆議院議員総選挙において、我が国ではじめて女性に選挙権・被選挙権が認められたんだ。
このとき、79名の女性が立候補し、実に39名もの当選者を出したのだ。
この記録は2005年に43名の当選者が出るまで最大だったそうだよ。
昭和22年には、貴族院に替わって設立された参議院の第1回通常選挙が行われ、10名の当選者が出ているのだ。
これで両院で女性議員が誕生したのだ。
ちなみに、市川房枝さんは最初の衆議院総選挙には立候補せず、そして、その後公職追放になっていたので、第3回の参議院選挙で初当選となるよ。

でも、議員が誕生しただけではダメ。
で、我が国で最初の女性大臣が誕生したのは、少し時間が空いて昭和35年の第一次池田内閣。
医者の代議士として有名だった中山太郎さんの母親、中山マサさんが厚生大臣として入閣したのだ。
5か月だけだったらしいけど、母子家庭への自動富士手当の支給の実現などの功績があるんだって。
そして、平成元年までくると、森山真由美さんが内閣の番頭役である内閣官房長官に就任。
女性の内閣官房長官はこれまで森山さんだけなのだ。
で、21世紀が1/4ほどおわって、やっと女性総理の誕生につながるわけだ。

立法府の長に目を向けると、平成5年には社会党の土井たか子さんが初の女性衆議院議長に就任。
これまで伝統的に議長は比較第一党から出していたんだけど、このときは日本新党ブームで自民党が下野し、第一党の自民党を除いて連立与党が組まれたので、比較第一党でない党から議長が選出されたのだ。
やじが飛んだりして大変だったらしい。
参議院の方はもう少し遅く、平成16年に扇千景(林寛子)さんが議長に選出されたよ。
実は、土井たか子さんに続いて議会の長に女性が鳴るのはこれで二人目。
ずっと女性議員が少ないと言われているから仕方ないのかもしれないけど。

地方に目を転じると、女性初の知事は通商産業省出身の太田房江さん。
前任の横山ノック知事の辞任を受けての選挙で勝ったのだ。
これ以降、都道府県知事や市町村長だとけっこう女性が就任しているよね。
間接選挙ではなく直接選挙でえらばれるのが大金だろうなぁ。
最近は問題を起こしている女性首長もいるけど・・・。

2025/10/18

勝手に埋めてはノー

 いわゆる「移民問題」をよく耳にするようになったのだ。
外国人の流入が一気に進んで、地域でいろいろともめごとが発生している、という文脈で。
そういう外国人の中には、正規にビザを取ったり、気化したりせず、不法に滞在している人もいるようで・・・。
外国人を排斥するな、とすぐに人権の問題にする人がいるけど、不法に滞在しているのは不法行為なので、まずはそっちを問題視すべきでもあるんだよね。
で、そんなトラブルの中で、宮城県で話題になったのが、ムスリムによる「土葬」の問題。


イスラム教では、火葬はNGで土葬にしなければいけないんだけど、現在日本国内では土葬はダメ、ということになっていて、それを特別に認めるかどうか、ということ。
現職の父の村井さんが見t目る方向で動いたら大炎上して、回線に向けて取り下げたりしているのだ。
で、このニュースに接したとき、てっきり土葬は法的に禁止されていて(刑法の死体遺棄になる?)、火葬してないと埋葬してはいけないと思っていたんだけど、そうではなかったのだ。
こういうのは自分で一次資料を確かめるのが大事だね。

死体の埋葬については、「墓地、埋葬等に関する法律」という、戦後すぐの昭和23年に制定された法律で定められているのだ。
第1条の目的にあるとおり、墓地や納骨堂、火葬場の管理や死体の埋葬が適切に行われるように、と定められたもの。
この法律では、第2条の定義で、 「埋葬」を「死体(妊娠四箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ること」と第1項で定めたうえで、続く第2項で「火葬」を「死体を葬るために、これを焼くこと」としているのだ。
つまり、法律上の「埋葬」は必ずしも火葬だけを想定しているのではなくて、そのまま死体を土中に埋設する「土葬」も概念的には含まれているんだ。
明示されていないだけで。
さらに、その「埋葬」や「火葬」を行うに当たっては、厚生労働省令に従って市町村長の許可を受けること、となっているのだ(第5条第1項)。
でも、法律上はどこにも「火葬」してから「埋葬」しなければならない、はないわけ。

ちなみに、この第5条第1項違反の罰則は、「二万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」。
あれ?、刑法の死体遺棄は「三年以下の拘禁刑」となっているんだけど・・・。
では、実際に起こっているというムスリムの人が勝手に墓地に埋葬するケースはどうなるのか?
AI君の回答だと、「死体遺棄」は死体を隠ぺいする意図をもって遺棄する、すなわち、山中や海中など見つかりづらい場所にもっていく、というところが反社会性が高いとのことで、自治体から許可をもらってないけど(土葬で、というのではもらえないけど)、墓地に火葬せずに土葬するという場合は隠そうとしているわけでhないので無許可埋葬に当たるらしい。
そこは裁判所で争うんだろうね。

そこで最初の疑問いもどるわけだけど、「土葬」は禁止されているのか?
どうも、自治体ごとの条例等によって認められていない、ということらしい。
実際に、キリスト教墓地などでは協議に従って土葬が行われていて(火葬してしまうと最後の審判の後に復活できない。)、これは認められている行為なのだ。
完全に認めていない自治体もあれば、協議や電灯などの個別の自由で特別に認めているところもある、というのが実態。
埋葬許可を出すときに火葬してから墓地に埋めてね、土葬とか私有地に勝手に埋めるのはやめてね、という条件を付ければ法律の建付け上はよいのだ。
今回の場合も、宮城県も、その特別に土葬を認めるチームの方に入ろうとした、ということになるんだね。

では、なぜ日本は火葬が原則なのか?
歴史をさかのぼると、当然火葬よりは土葬が先なんだよね。
ネアンデルタール人ですら遺体に敬意をもって接し、花などを添えて穴に埋める、なんて行為をしていたわけで。
古代日本では、火葬どころか、死体を土中に埋めることすらしていなかったような証拠もあるのだ。
いわゆる「風葬」というやつだけど、死体をみえる位置に置いておくわけだね。
中世京都の化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)はまさにそういう場所で、死体がごろごろ転がっていたというよね・・・。
古代のアジア共通の風習として、骨だけを取り出して改めて埋葬する改装というのがあって、まず遺体を腐敗させて骨を取り出すというプロセスが風葬という考え方もあるみたい。
日本や中国で支配者が亡くなると「殯(もがり)」というのがるけど、これは大の上に死体を載せて放置して、骨を取り出しきれいに洗ってから墳墓に入れる、というものなのだ。
柳田国男先生の説によると、どうもアジアでは体と魂を分離して考えるので、すぐに腐敗する死体そのものはそこまで重要ではなく、そこに宿っていた魂こそが大事なんだ、だから死体を埋める墓と魂を宿らせてお参りする墓が分離するのだ、ということだけど、未来にも残る骨が先祖崇拝の対象だったのかもね。

土葬については、大化の改新の時に出された「薄葬令」という勅令で、身分に応じて墳墓の大きさを制限するルールができたのだけど、この中には古代中国の礼記に基づき、「死体は隠すべきもの」という思想の下で作られているんだよね。
だとすると、そういう古代中国の思想が入ってきたころに、上流階級を中心に死体を埋葬するようになったはずなのだ。
おそらく庶民までがいちいちそうしていたかどうかは不明で、平安時代でも風葬していたんだからそうではないと思うけど。
これは巨大化していった古墳の形成をけん制するものなんだけど、同時に、
さらに状況が変わるのが仏教の伝来。
お釈迦さまも火葬されたそうで、その焼骨(仏舎利)は世界中に散っているわけだけど、仏教は火葬が原則なのだ。
奈良時代から平安時代にかけて仏教が日本中に広まると、上流階級は少なくとも火葬に転換していくんだよね。
しかしながら、明治維新の復古神道の流れで、日本古来の埋葬法式は土葬、ということで一時的に火葬が禁止されたりもしたけど、けっきょくは公衆衛生や墓地として使える土地の限界などから火葬が原則になっていくのだ。

そういう意味では、「土葬は野蛮」というのはあまりいただけない考え方で、その国々、地域地域、地方地方によってルールがあるから、原則としては「郷に入っては郷に従え」ということなんだろうね。

2025/10/11

ぴりっと一粒

 和歌山の高級山椒をもらったのだ。
我が家はわりと山椒の香りが好きで、近所のおいしい焼鳥屋さんでもたっぷりと使うし、最近はやりの山椒風味のチョコレートなんてのも好きなのだ。
ボクは個人的にむかしから京都の山椒餅もすきだけど、なんだかさわやかな香りだよね。
口の中を一気にすっきりさせてくれるというか。

山椒は英語ではJapanese pepperというんだえど、まさに日本独特の香辛料というとらえ方をされているみたい。
日本で使われる山椒は日本原産の植物だよ。
中国にも山椒の仲間はあるんだけど、ちょっと種類の異なるもので、日本の山椒とは香りも違うし、何より辛いらしい。
日本のものはぴりっとくらいだけど、がっつり絡みを加えるのに使われるんだそうだよ。
それと、中国には花椒(ホアジャオ)もあるよね。
こっちは麻辣の「麻」、つまりしびれるような辛さの香辛料。
ここ最近は本格支背料理のしびれるからさの素としておなじみなのだ。
カホクザンショウという種で、英語ではShichuan pepper、四川の山椒という呼び名だよ。

日本の山椒も、中国の花山椒もそうなんだけど、粉状になっているものは、完熟した実を乾燥させ、果皮の部分をすりつぶしたもの。
花山椒なんかだyと開いた果皮そのものを打っているのを見かけるようになったけど、完熟した山椒の実は、乾燥してくると三つにぱかっ問われて中から黒い種子が出てくるのだ。
で、その趣旨は捨てて(笑)、ぱっと開いた果皮の方だけ使うわけ。
ただし、この辛味の成分は精油成分なので、時間の経過とともに飛んで行ってしまって風味が劣化するのだ。
なので、基本的には使う直前に粉末状にするのがよいのだよね。
花椒はペッパーミルでその場で挽くこともあるけど、普通の山椒はまだ見たことないなぁ。
そっちも興味あるんだけどな。

山椒と言えば、粉状のものばかりではなく、ケッパーのようなころんとした実もあるよね。
ちりめん山椒に入っているやつ。
こちらは実山椒と呼ばれるのだ。
あれは夏前に収穫した未熟な実をゆでたり水にさらしたりしてアクを抜いたものなんだって。
未成熟なので将来的に中にできる黒い種子はまだ柔らかい状態で気にならないのだ。
これもまたさわやかな風味で好きなんだよなぁ。
これもすぐに風味が飛んで行ってしまうので、実山椒として買ってきた場合は冷凍するなりしないといけないのだ。

実は、この山椒の風味は実にあるだけではなく、木全体にあるんだよね。
煮物なんかに添えられる「木の芽」は山椒の若芽だし、実になるはるか前の「花山椒」。
ボクはまだ食べたことないと思うけど、お高級な和食には出てくるみたい。
さらに、山椒の木はすりこぎに使われているのだ。
これは香りだけではなく、木自体が固いというのも重要らしいよ。
さすがに微妙に削れるすりこぎからの香りづけを期待しているわけではなさそうだ。

最近、和歌山産のものは「ブドウ山椒」として売り出しているけど、これは山椒の実は密集してなってブドウの房のように見えるから。
実の密度にばらつきはあるのだろうけど、和歌山県、特に有田川地域のものは身も大きく、密集して実がなるのでそう呼ばれるようになったとか。
山椒自体はどうも縄文時代から香辛料として使われている形跡があるのだけど、和歌山は平安時代にはすでに山椒の名産地として知られ、現代にいたるまで生産量トップなのだ。
実は山椒はミカン科の植物なので、つくづく和歌山ってみかんとの相性が良いんだね。

ちなみに、山椒の別名に「はじかみ」というのがあるんだけど、そういえば、焼魚についてくるショウガの甘酢漬けも「はじかみ」だよね。
山椒の方のはじかみの「はじ」は「はじける実」から、ショウガの方のはじかみの「はじ」は「はじが赤い」からなんて説があるようだけど、どちらも口の中をすっきりさせる目的で食べられているから、口直しのものをそう呼んでいたのではないかと思うよ。
どちらかが先でそれで煮たような効果があるからもう一つの方もそう呼ぶようになった、とか。
個人的には、山椒のはじかみが先にあって、それと同じような効果があるショウガの酢漬けを「はじかみショウガ」とよぶようになったなじゃないか、という気がするね。

2025/10/04

彼岸にぱっとサイデリア

 すっかり秋っぽい陽気になってきた。
まだ時々暑いけど、秋の虫は泣いているし、ギンナンは落ち始めてにおっているし。
そして、この時期突然現れる、あの花も咲き始めた。
そう、曼殊沙華とも呼ばれる彼岸花。
秋のお彼岸の時期に突然花が出てくるから彼岸花なんだけど、その突然具合から幽霊花なんて呼ばれることもあるよね。

もともとは中国原産の多年草。
土の中には小型の玉ねぎのような鱗茎があって、地上部は枯れてもまたそこから花が出てくるのだ。
土の中で気温をセンシングしているらしく、夏が終わって涼しくなり始めると発芽し、1週間ほどであの真っ赤な花を咲かせるらしい。
高さが結構あるけど、成長度も早いな。
で、その花が枯れると、今度は葉が出てくるのだ。
花と葉は共存しないんだって。
葉だけの状態になると、知っている人じゃない限りは彼岸花とはわからないのだ。
それが冬を越えて春先に枯れ、次の秋を待つみたい。
鱗茎に栄養をため込むならむしろ逆の方がいいような気もするけど、これも競合相手との関係での戦略になっているんだろうね。

ちなみに、この鱗茎には毒があるので、普通の動物は食べないのだ。
なので、冬の間に地上部に葉があって目立っても、モグラやネズミにかじられることはないよ。
そういう性質があるから田んぼのあぜ道にネズミ除けとして植えられたりもするのだけど。
ただし、その毒は水溶性なので、人間だけはよく水にさらして毒抜きをして食べるのだ。
飢饉のときとかだけだったみたいだけど。
その意味でも田んぼのまわりにあるのはいいことなのだ。
お花の近くの彼岸花ははばかられるけどね。

日本の彼岸花はすべて三倍体。
つまり、有性生殖ができないので、発芽する種子が作れないのだ。
というわけで、地下部の李kネイが分かれてクローン増殖するんだ。
群生している彼岸花はほぼすべて同一の遺伝情報を持っているというわけ。
生命力も高いみたいなので、鱗茎を一部植えておくとそこからまた生えてくるようだよ。
そういう性質を利用して田んぼのまわりに植えるのだ。

でも、有性生殖をしないのであれば、なぜ花をつけるのか?
しかも、チョウが寄っていくので、蜜も出しているみたい。
かなりのエネルギーを使って短期間で一気に花を咲かせ、昆虫に蜜を提供し、とやっている割には、クローン生殖しかできない・・・。
きわめて不合理のような気がするけど、おそらく、その無駄は三倍体の彼岸花が圧倒的に不利になって淘汰されwるほどのことでもなかったということなのだ。
三倍体でクローン生殖していく場合、遺伝情報を交換できる二倍体の有性生殖に比べてはるかに遺伝的変異が入りづらいのだ。
なので、さほど不利でもないので、二倍体時代の有性生殖の名残でそのまま花と密を用意している、ということらしい。
これも彼岸花の神秘性を高めてはいるけどね。

原産地中国には事前に自生している二倍体の種があって、そこから三倍体のクローン生殖する変種が生まれ、それを有史以前に誰かが日本に持ってきた、と考えられているみたい。
弥生時代に稲作とか始めた時かなぁ?
基本的には自分の周りにじわじわと広がっていくことしかできないので、遠隔地に広がるのは人の手によるもの。
田んぼのまわりに植えるのはわかるけど、墓場によくあるのは、やっぱりお彼岸の頃に鮮やかな赤い花を咲かせるからかな。
他に植えようとしている彼岸花の鱗茎をどこかで落とした、というのもあるんだろうけど、基本的には誰かがそこに植えよう思って植えられたものだよ。
何もないところに咲いていても、そこにはかつて何かがあったかもしれないのだ。