婦人参政に賛成
高市内閣がついに発足したのだ。
我が国憲政史上初の女性総理。
なぜか「高市早苗は名誉男性だから女性初の総理でも喜べない」という謎の主張も見受けられるけど、高市総理の場合、経歴を見ても実力本位でここまで上り詰めたようにしか見えないからすごいことだと思うよ。
さっそくいろいろ政策の方向性が打ち出されているけど、公明党と連立を解消して、新たに維新の会が閣外協力ということでどうなることやら?
で、せっかくなので、我が国の婦人参政権の歴史を少し振り返ってみるのだ。
明治維新以降の近代化において、我が国も民主主義が導入され、選挙制度が整備されていくのだけど、このときは男性にしか選挙権・被選挙権が認められていなかったのだ。
民主主義も浸透してきた大正デモクラシーの時期に、平塚らいてうさんをはじめとする活動家が婦人参政権実現を訴え、条件付きとはいえ衆議院を一度通過したものの、貴族院議員で反対され廃案になったそうな。
当時の貴族院の皇族ぎいにゃ家族議員も男性のみが選ばれる仕組みで、そもそも帝国議会には男性議員しかいなかったんだよね。
で、そのままきな臭くなって戦争に突入し、この話はいったん止まるのだ。
再び動きだしたのは戦後すぐ。
市川房江さんは連合国軍司令部(GHQ)に指示される前に日本の側から婦人参政権実現を提案するべきと考え、東久邇宮総理や陸軍省などに働きかけるんだ。
でも、今は占領下で決定権はないから、とこの人たちは断るのだけど、つてをたどって、昭和20年10月9日に東久邇宮内閣の総辞職を受けて新たに総理に就任した幣原喜重郎総理にたどり着くのだ。
発足翌日の10日に面会し、婦人参政権制定は日本から言い出すべきと話したところ賛同が得られ、そのまま「20歳以上の国民に男女の別なく選挙権を与える」旨が閣議決定されることに。
さらに翌日、総理に就任した幣原喜重郎さんはGHQのマッカーサー元帥にあいさつに訪れ、そのまま外交官時代の英語力を生かして1時間ほど話をするんだけど、そのとき米国側から求められたのが、いわゆる五大改革。
すなわち、①女性の権利擁護(婦人参政権を含む)、②労働運動の奨励、③教育の自由化、4秘密警察の制度廃止、及び、⑤経済民主化の5つ。
でも、婦人参政権についてはこの会談の前日に閣議決定していて、米国に言われたからやったのではなく、わが国独自の方針としてやった、ということになったのだ。
これは面白い。
実際には、先の婦人参政権導入を決めた閣議決定に基づく衆議院選挙法改正後初、そして、大日本帝国憲法か最後となった第22回衆議院議員総選挙において、我が国ではじめて女性に選挙権・被選挙権が認められたんだ。
このとき、79名の女性が立候補し、実に39名もの当選者を出したのだ。
この記録は2005年に43名の当選者が出るまで最大だったそうだよ。
昭和22年には、貴族院に替わって設立された参議院の第1回通常選挙が行われ、10名の当選者が出ているのだ。
これで両院で女性議員が誕生したのだ。
ちなみに、市川房枝さんは最初の衆議院総選挙には立候補せず、そして、その後公職追放になっていたので、第3回の参議院選挙で初当選となるよ。
でも、議員が誕生しただけではダメ。
で、我が国で最初の女性大臣が誕生したのは、少し時間が空いて昭和35年の第一次池田内閣。
医者の代議士として有名だった中山太郎さんの母親、中山マサさんが厚生大臣として入閣したのだ。
5か月だけだったらしいけど、母子家庭への自動富士手当の支給の実現などの功績があるんだって。
そして、平成元年までくると、森山真由美さんが内閣の番頭役である内閣官房長官に就任。
女性の内閣官房長官はこれまで森山さんだけなのだ。
で、21世紀が1/4ほどおわって、やっと女性総理の誕生につながるわけだ。
立法府の長に目を向けると、平成5年には社会党の土井たか子さんが初の女性衆議院議長に就任。
これまで伝統的に議長は比較第一党から出していたんだけど、このときは日本新党ブームで自民党が下野し、第一党の自民党を除いて連立与党が組まれたので、比較第一党でない党から議長が選出されたのだ。
やじが飛んだりして大変だったらしい。
参議院の方はもう少し遅く、平成16年に扇千景(林寛子)さんが議長に選出されたよ。
実は、土井たか子さんに続いて議会の長に女性が鳴るのはこれで二人目。
ずっと女性議員が少ないと言われているから仕方ないのかもしれないけど。
地方に目を転じると、女性初の知事は通商産業省出身の太田房江さん。
前任の横山ノック知事の辞任を受けての選挙で勝ったのだ。
これ以降、都道府県知事や市町村長だとけっこう女性が就任しているよね。
間接選挙ではなく直接選挙でえらばれるのが大金だろうなぁ。
最近は問題を起こしている女性首長もいるけど・・・。
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