2015/11/28

晩秋の芳醇

今年はあたたかいからか、紅葉はいまいちのようだけど、着実に秋から冬に移り変わろうとしているのだ・・・。
寒いのが苦手なので、この季節はもの悲しいんだよね・・・。
で、そんな季節に出てくるのが洋梨。
「梨」とは言いながら、夏の終わりに出てくる和梨とはものが全く違うよね。
生物種としては極めて近縁のようなんだけど。

果物としての梨の原産は中国で、そこから東西に分かれたようなのだ。
東に残ったものは東アジアで食べられている、まるい形のしゃりしゃりした梨。
西に渡ったものは、ひょうたん形のねっとりした梨。
欧州で梨が広まったのは、ローマ帝国が広めたからなんだって!
ということは、梨もシルクロードを経由して欧州にもたらされたのだ。
全く性質の異なる果物になっているけどね。

和梨と洋なしの最大の違いは、その食感。
和梨にはリグニンに富んだ硬い細胞壁を持つ「石細胞」というのが果肉全体に分布していて、これがしゃりしゃりした食感、ざらざらした舌触りのもとになっているのだ。
他の果物だと、中の柔らかい果肉を保護するために皮下にあるものらしいんだけど、和梨の場合は果肉全体に広がっているんだって。
洋梨の場合はこの石細胞は少ないので、そういう食感にはならないのだ。
でも、この食感のせいで、和梨は英語では「sand pear(砂の梨)」なんて言われているんだよ・・・。
あのしゃりしゃり感とみずみずしさがよいのに!

実は、洋梨も収穫した手の時点ではがりがりした食感らしいのだ。
しかも甘くない。
これは、果肉中にデンプンの形で栄養が蓄えられているため。
果肉の2%ほどらしいけど、これが硬い食感を生み出すとともに、その分だけ糖が少なく、甘みもなくなっているのだ。
なので、洋梨は収穫してから「追熟」という過程が必要なんだよね。
バナナやメロン、キウイなんかも同じだけど、成熟ホルモンでもあるエチレンガスの作用により、果肉内のデンプンがブドウ糖や果糖に分解されて甘みがぐんと増すとともに、ビタミン類も増え、さらに、芳香成分も出てくるのだ。
メロンや洋梨が熟してくると芳醇な香りになるのはこのためだよ。
洋梨として日本でもっとも流通しているラフランスはあまり色が変わらないけど、洋梨の多くは熟してくると果皮の色が緑から黄色に変わるのだ。

リンゴなんかだと、最初から糖類が栄養として蓄積されているので、栄養を蓄えきった時点=食べ頃という熟し過多なので。
一方で、こういう追熟が必要な果物は、いったん栄養がデンプンで蓄積され、それがさらに分解されて甘みと方向が出てくるので、栄養を蓄えてからしばらく経過した時点=食べ頃という熟し方なんだよね。
これを「後熟」というらしいけど、一気に熟した果実を提供するのではなく、五月雨式に熟した果実を提供するための戦略だとか、リンゴなどの果実と時期をずらして果実を提供するための戦略だとか考えられているのだ。
確かに、和梨に比べて旬がかなり後方にずれているので、同じ梨の中でもしっかり棲み分けができているよね。

この追熟においては、果肉の肉質も変化するのだ。
熟す前はデンプンの硬い塊があってがりがりするんだけど、これはちょうど硬くなったおもちの小さな粒が果肉の中に広がっているようなもの。
硬くなったデンプンというのは食感が悪いんだよね(笑)
追熟していく過程ではこのデンプンがなくなるので、がりがりの素は排除されるのだ。
さらに、細胞壁としてがっちり固まっていたペクチンが溶け出してくるので、ねっとりとしたとろみを与えるのだ。
ペクチンは果実ジャムのとろみの正体だけど、まさに天然のジャムのようになるわけ。
リジッドな細胞壁が壊れて、果肉中にとろみ成分が広がるので、リンゴなどの果実とはまた違ったねっとり感になるのだ。
柿もペクチンが多いことで知られる果実なんだけど、やっぱり完熟するとねっとりとするよね。

日本に西洋なしが導入されたのは明治期らしいけど、なかなか日本の気候に合わず、山形などの一部の寒冷地にのみ定着したようなのだ。
今でもラフランスの一大産地は山形だよね。
生食の洋梨が出回るようになったのはそれこそ平成に入ってからで、それまではシロップ煮の缶詰などの加工品が多かったのだ。
これはやっぱり流通技術の問題とかあるのかな?
今ではいったん4度に冷やしてから、20度で追熟させるらしいんだけど、そういうのが適切にできるようになって、店頭に並ぶときに食べ頃かその少し手前にちょうどもっていくことができるようになったのが大きいのだろうなぁ。
こうしたボクたち日本人も、甘くてねっとりした洋梨

2015/11/21

つわものどもが夢の跡

すったもんだがあったけど、国立競技場が更地になったのだ。
いやあ、オリンピックが近づいてきたねぇ。
まだ新国立競技場がどうなるかはわからないけど(笑)
それより前に、来年のリオデジャネイロのオリンピック施設がまだ完成していない方が問題かもしれないけど・・・。

実は、ここにオリンピックのメインスタジアムが建設されるのは2回目!
そう、前の東京オリンピックに合わせて前の競技場が建設され、それを補修しながら使っていたのだ。
東日本大震災でもひびが入ったり、老朽化も進んでいたんだけど、それ以上に、メインスタジアムに必要な収容人数が足りないので、建て替えることになったんだよね。
建て替えまでしなくても、なんて意見はあったけど、メインスタジアムだし、やっぱり開催主体は新しく建設したいよね。

さて、一般に国立競技場と呼ばれている施設は、正式には、国立霞ヶ丘陸上競技場というのだ。
神宮にあるので渋谷区と思われがちだけど、住所は新宿区霞ヶ丘。
ちょうど新宿区と渋谷区にまたがっている地域にあるんだよね。
江戸時代、このあたりは譜代大名の青山家の下屋敷があったところで、内藤家と並んで小大名でありながら広大な土地を江戸郊外に持っていたのだ。
内藤家は新宿・代々木・四谷一帯、青山家は青山・渋谷一帯だよ。
地区名の青山も青山家から来ているのだ。

明治維新後、大名の下屋敷は明治政府に接収され、新政府の用地になったのだ。
で、このあたりは陸軍の青山練兵場になったんだよね。
近代式軍隊を作り上げるため、代々木や青山などに広い練兵場が設けられたのだ。
でも、明治天皇が崩御して、この地で大葬儀が行われたのを契機に、ここに明治天皇の業績を残すための巨大な洋式庭園を構築することが決まったのだ。
それが神宮外苑。
代々木の練兵場は後に明治神宮と代々木公園になるんだけど、明治神宮のある「内苑」に対して、場所が離れているので「外苑」なんだ。
ただし、新宿御苑をくっつけてさらに巨大な「神宮の杜」を作ろうという構想もあったのだ。
そうなると、都内の中心地のほとんどが緑地になっていたことになるね!

明治神宮が神社洋式だったので、外苑の方は洋式にしたわけだけど、公園を整備すると同時に、聖徳記念館を建築するとともに、野球場(後の神宮球場)や競技場が整備されたのだ。
この競技場は戦前日本の主要な陸上競技場で、戦中には、学徒出陣の壮行会にも使われたんだって・・・。
終戦後、GHQに一時接収され、返還された後は外苑の管轄下の競技場にもどったんだけど、戦後復興の象徴でもあった東京オリンピック開催に向け、明治神宮から文部省(当時)に譲渡されたのだ。
それでここに建てられたのが、まさに壊された陸上競技場だよ。

実は、戦前にもオリンピック招致をしていて、昭和15年(1940年)に東京大会が開催されるはずだったのだ。
実際には、戦争への突入により辞退するんだけど。
このときのオリンピックでも霞ヶ丘にメインスタジアムを作る構想はあったんだけど、当時は外苑の景観を損ねるとの理由で、世田谷のゴルフ場跡の広大な土地にメインスタジアムを作ることが決まったのだ。
これが駒沢オリンピック公園。
駒沢競技場も戦後の東京オリンピックで会場のひとつとなるけど、戦前の開催案ではこっちがメインだったんだよ。
ちなみに、代々木の練兵場跡もやっぱり候補になっていて、こっちも戦後のオリンピックでは会場に使われているのだ。

戦後に改めてオリンピックを招致する際、やっぱり霞ヶ丘に白羽の矢が立ち、今度は景観に配慮しながら競技お嬢を作ると言うことで妥結したのだ。
おそらく、戦後になって明治神宮の声が相対的に弱まったのもあるんだろうね。
で、そのオリンピック招致を目指して、まずは昭和33年(1958年)にアジア競技大会と国民体育大会を霞ヶ丘で開催することになったんだ。
でも、明治神宮から文部省に譲渡されたのは、開催2年前の昭和31年(1956年)になってから。
起工は昭和32年(1957年)の1月で、竣工は昭和33年(1958年)の3月なので、1年3ヶ月で作ったんだ。
当然建設スケジュールはタイトなので、夜を徹して作業をしたんだよ。
国の威信がかかっていたのだ!

無事にアジア競技大会と東京国体を終えた後、オリンピック招致に向けてさらに動き出すんだけど、このときできた競技場ではオリンピックのメインスタジアムとしては収容人数が足らなかったのだ。
なので、スタンド・観客席を増築し、収容人数を増やす工事をしたんだよね。
おそらく、新国立競技場構想に反対していた人は、またそれでいいんじゃないの?、と思っていたんじゃないかな。
でも、本体自体にだいぶガタがきていたからねぇ・・・。
象徴的なものでもあるし、過度にお金をかける必要はないけど、できれば何か残したいよね。

さて、オリンピックの後は、高校サッカーの聖地としてサッカー競技に使われるとともに、主要な陸上競技の会場としても活用されていたのだ。
さらに、嵐やSMAPをはじめ、コンサート会場にも使われていたんだよね。
実は、このコンサートやイベントの会場としての使用料収入というのが大きいらしくて、没になった新国立競技場当初案では多目的に使えるような設計になっていたんだよね。

2015/11/14

国産ジェット機が翔んだ日

名古屋で、初の国産ジェット旅客機のMRJの飛行試験が成功したのだ。
当日は事故があるかもしれないからと、近隣区域への立入りは制限され、遠くから見るか、ネットの生中継で見ることになったのだ。
生中継することについては、初飛行試験で何かトラブルがあるかもしれないと危険視する向きもあったんだけど、結果としては見事に離陸・飛行・着陸とこなしたんだ!
日本の航空機技術の歴史が書き換えられた瞬間だよ。

日本の航空機技術は戦前からかなり高い水準にあったんだよね。
実際に、零戦や隼、紫電改などのレシプロ戦闘機はその性能の高さを評価されているのだ。
加速性能と小回りがきくので、当時の空中戦では活躍できたんだよね。
でも、終戦後、この技術力を恐れた連合軍GHQは、航空禁止令というのを出して、国内に残っている航空機をすべて破壊するとともに、航空機の開発・製造を禁止したんだ。
これがきっかけで我が国の航空機技術は置いてけぼりを食らうことになるのだ・・・。

実際には、朝鮮戦争の勃発により、日本の旧航空機メーカー(三菱重工や川崎重工、中島飛行機の後身である富士重工など)に修理やメンテナンスの仕事が入り、また、ライセンス生産による部品製造の仕事も入ってきたので、製造技術については一定のレベルを維持することができたのだ。
でも、肝心の開発の方は止められたままなのが痛かった。
第二次大戦では、ちょうどジェット機が実戦投入が始まり、戦後、民間航空に転用されていく時期だったんだよね。
そのタイミングを逃してしまったのだ。
米国では、大型爆撃機の技術から、大型ジェット旅客機が生まれるんだよね。
軍用輸送機の企画競争に負けたボーイング社が、自社の軍用機の技術を民間機に転用したのだ。
そうしてできてくるのが、ボーイング707から始まる大型ジェット旅客機のシリーズ。
民間航空機により大量輸送自体が幕を開けることになるんだよね。

日本では、終戦間際のタイミングでジェットエンジンを搭載した試験機を開発するところまではこぎ着けていたんだけど、それ以降いったん開発が止められてしまったので、ジェットエンジンについて大きく遅れをとることになったのだ。
これがいまだに尾を引いているんだよね・・・。
自衛隊機の戦闘機や輸送機は国内企業が製造しているけど、ライセンス生産で、肝心なエンジンや計器類などは海外製。
しかも、ブラックボックスとなっていて、勝手に解体して中を調べても行けない契約になっているんだ。
定められたマニュアルに則って修理やメンテナンスはしていいんだけど、重要な部品の交換だと、米国に行ったのくって作業してもらうなんてことも。

その一方で、サンフランシスコ講和条約の発効後、日本が完全に独立を取り戻してから、国産航空機開発の機運が高まったのだ。
その流れで開発されたのが、国産レシプロ旅客機のYS-11。
本当は「わいえすいちいち」と読むのが正式だそうだけど、一般には「わいえすじゅういち」と呼ばれている航空機だよ。
開発には、三菱重工や中島飛行機で活躍していた設計士が入り、通商産業省の主導の下、関連企業が集まって国を挙げて取り組まれたのだ。
当時は特定の企業が突出しないようにとの配慮で、日本航空機製造株式会社という特殊法人が設立され、ここが開発・製造・販売主体となったのだ。
ちなみに、最初にこの機体を引き受けるローンチカスタマーは、日本航空(JAL)ではなくて、当時はまだできたばかりだった全日本空輸(ANA)だったのだ。

ただし、日本の中でもぴかぴかの腕を持つ飛行機屋が総力を挙げて開発したんだけど、彼らは軍用機しか作ったことがなかったし、そもそも旅客機に乗ったこともなかったようなんだよね。
なので、できあがったYS-11はお世辞にも乗り心地がいいものとは言えないようなもので、パイロットからすると操縦しづらいものだったとか。
国産技術の復活というノスタルジーの中では美化されているけど、能力的にはそこまでか、という評価もあるみたい。
軍用機ばりに頑丈だったのと、就航後の不断の改良を続けたことでそれなりに売れたんだけど、主体が特殊法人だったというのもあって経営は悪化。
1973年(昭和48年)には製造が終了し、日本航空機製造も三菱重工に事業を引き渡して1982年(昭和57年)に解散することとなるのだ。
その後もしばらく国内外で飛んでいたんだけど、国内では2006年(平成18年)に定期路線から完全引退したんだ。
このときは引退を悲しむ声が大きかったんだよね。

そんな中、やはり国産旅客機を、ということで、経済産業省の協力を得て、三菱重工が開発に取り組んだのがMRJなのだ。
三菱・リージョナル・ジェットの略で、短距離~中距離を飛ぶ中型のジェット旅客機。
ちょうど開発計画が持ち上がった90年代は、カナダのボンバルディアやブラジルのエンブライエルの成功から、これからはリージョナル・ジェットに時代と言われた頃で、それなりの市場が見込めたんだよね。
また、大型ジェット旅客機だと、開発費用も莫大にかかるので、日本ではとてもじゃないけど無理だったのだ。
けっきょく世界でボーイングに対抗しているのは欧州のエアバスだけだしね。

このMRJの開発に当たっては、高い燃費性能と低環境負荷の技術が採用され、そこが国が補助して技術開発をする部分なんだよね。
この開発には宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東北大学が協力しているのだ。
それで、いくつかの開発トラブルを乗り越え、何度も試験飛行を延期して、やっと初試験飛行に成功したんだ。
今回もローンチカスタマーはANAなんだけど、民間主体で開発を進めていること、YS-11のときの反省を踏まえて経営戦略を検討したことから、すでに海外からの受注も取り付けているんだ。
国内外でいまかいまかと待ち続けていた飛行試験がやっと成功し、これから型式証明の獲得など就航に向けての準備が進められるのだ。
世界の空を国産ジェット旅客機が飛ぶ日も近い?

2015/11/07

おだやかに独立

出張でカナダに行ってきたのだ。
寒かった!
北米大陸の北側だからね。
場所によっては極域に入っていて、オーロラも見えるわけだし・・・。
そんなカナダだけど、意外とよく知らないんだよね。

英国と独立戦争までして完全に独立し、大統領制を敷いている米国とは異なり、カナダは英連邦の一角。
英国王がカナダ王を兼ねていて、その下で立憲君主制になっているのだ。
英連邦の他の国と同様に、国王の代理として「カナダ総督」が「君臨すれども統治せず」で存在していて、実質的には首相が政治のリーダーとなっているのだ。
このあたりはオーストラリアとかニュージーランドも同じだよね。
でも、こういう政治体制なので、バンクーバー五輪では、国家君主としてエリザベス女王の代理でカナダ総督が開会宣言をしているんだよ。
でも、カナダが独立して完全に主権国家になったのは1982年なんだって!
どうなってるの?、と思うけど、英国式の法手続で、そこに至ってやっと完全に独立したらしいのだ。
カナダという形で国がまとまったのは1867年。
英国議会で制定した「英領北米法」という法律により、北米の英国植民地のうち、カナダ植民地、ニューブランズウィック植民地及びノバスコア植民地を合わせて「カナダ自治領」となったのだ。
このとき、州が4つできて、オンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州及びノバスコア州ができたよ。
これはカナダの東側部分。
後に中央部のマニトバ州、北西部のノースウェスト準州、西部のブリティッシュコロンビア州、、太平洋上のバンクーバー等、大西洋上のプリンスエドワード島などがどんどん組み入れられ、今の形になったのだ。
カナダの場合は、あくまでも英国の領土の一部で、一定程度の自治権が認められていた、ということなんだよ。

1931年になると、ウェストミンスター憲章が制定され、英国の海外自治領にも外交権が与えられるようになったのだ。
逆に言うと、それまではなかったということ・・・。
カナダやオーストラリア、ニュージーランドなんかは、英国軍として第一次世界大戦に参加しているんだけど、これは英国が参戦したのでそのまま引きずられて参戦しているのだ(>o<)
このウェストミンスター憲章では、英国王が各自治領の国王を兼ねることとされ、それぞれの国が国王への忠誠をもとに団結する「同君連合」となったのだ。
これにより、英連邦が正式に法的に位置づけられたことになるんだって。
ただし、この時点ですぐにカナダは独立したんだけど、オーストラリアとニュージーランドが独立するのは1947年で、戦後になってからなのだ。

この状態だと、カナダはまだ英国の一部という位置づけで、憲法の改正には英国議会が権限を留保していたりしたのだ。
そこで、1982年になって、1982年憲法法というのが英国議会で制定され、これにより自治領から真の独立国になったんだそうだよ。
っていうか、そんな最近のことだったんだね・・・。
これはびっくり。
さらに、実はケベック州だけはこの1982年憲法を批准していないんだとか・・・。
もともとケベック州はフランス系の住民も多く、カナダから独立しようという動きもあるみたいなので、そういうところから来るのかもしれないけど。
そういうわけで、カナダは日本から見るとけっこうわかりづらい政治体制になっているんだよね。
普通に観光する分にはあまり意識しないし、ほとんど米国と同じと思っていたけど、かなり違うんだよね。
そこは戦争してまで独立したのと、自治領を経てマイルドに独立してきたのとの違いなのかもしれないけど。

2015/10/31

基礎工事偽装はノーベル賞級の研究に影響を与えるか?

10年くらい前に、構造計算書のねつ造で「姉歯事件」というのがあったけど、それと同じくらいのインパクトのある建築偽装事件が起きているのだ!
そう、横浜のマンション傾斜事件。
基礎工事で固い岩盤まで打ち込まないといけない杭がそこまで届いていないことなどが着目されていて、文章マンションの売買にも大きく影響を与えているみたいだね。
で、この事件を起こした現場管理責任者の人が関わった工事が全国で41件あると言われているんだけど、そのうちのひとつが茨城県東海村にある「大強度陽子加速器(J-PARC)」のニュートリノ実験施設であることがわかったようなのだ。
そう、東大宇宙線研の梶田先生のノーベル賞受賞の時に少し話題になった、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の施設だよ。

この施設では、J-PARCのメインリング(陽子に磁場と電場をかけて回しながら加速しているトンネル)から陽子線を分岐させ、グラファイト(炭素)の標的に当てることでニュートリノビームを作っているのだ。
炭素に高速・高エネルギーの陽子が衝突すると、そこでパイ中間子が生まれるんだよね。
これは湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した中間子理論で予言されていたもので、電荷の有無で、π、π、πの3種類があるんだ。
πというのは電気的に中性(=電荷を持たない)なもので、πとπがそれぞれ粒子-反粒子の関係であるのに対して、πは自分自身が反粒子でもあるという変わり種。
でも、今回のニュートリノの実験には関係ないので、ここから先は無視(>o<)

「中間子」という名前は、できてもすぐに崩壊して別の粒子になってしまう性質から名付けられていて、荷電パイ中間子も26ナノ秒(約4千万分の1秒)で崩壊してしまうよ。
πは反ミュー粒子とミューニュートリノに崩壊し、πはミュー粒子と反ミューニュートリノに崩壊するのだ。
ここで出てくるミューニュートリノを岐阜県神岡鉱山跡にあるスーパーカミオカンデに発射し、そこでミューニュートリノが別の種類のニュートリノ(タウニュートリノ又は電子ニュートリノ)に変化する反応(ニュートリノ振動)を観測しているのが「T2K実験」。
「T」はJ-PARCのある「東海村」、「K」は「神岡」、「2」は「to」だよ。
もともと、つくばの「KEK」から神岡にニュートリノを打ち込む「K2K実験」というのがあって、それの後継計画が「T2K計画」なのだ。

標的に陽子が衝突したときに出てくるパイ中間子は前方向に散乱していくんだけど、電荷を持っているパイ中間子は磁場をかけると曲げられるので、集めてくることができるだ。
実際には、電磁ホーンと呼ばれる「角」型の電磁石でパイ中間子の流れを「しぼる」のだ。
パイ中間子がある程度まおまるので、そこから出てくるニュートリノもそれなりにまとまっているというわけ。
ニュートリノは電気的に中性で、ほとんど相互作用をしない素粒子なので、ニュートリノになってからはどうしようもないので、こういう工夫をしているのだ。
ちなみに、この電磁ホーンにかける磁場をスイッチすると、正の電荷を持つパイ中間子を集めたり、負の電荷を持つパイ中間子を集めたり、ということができるんだよね。
その結果、打ち出すニュートリノも、π由来のミューニュートリノと、π由来のミューニュートリノに切り替えができるんだ!
これまではニュートリノ振動を観測してきたけど、T2K実験では反ニュートリノでも同様の振動現象が起こるかどうかを確認することも目的としているんだよ。

でも、ここでまた少し問題があるんだよね・・・。
ミュー粒子・反ミュー粒子というのも非常に不安定な素粒子で、2.2マイクロ秒で崩壊してしまうのだ。
ミュー粒子は電子とミューニュートリノ、反電子ニュートリノに、反ミュー粒子は陽電子と反ミューニュートリノ、電子ニュートリノに。
で、この崩壊で余計なニュートリノが出てくると面倒なので、崩壊する前にトラップしてしまうのだ。
実際には、電磁ホーンでパイ中間子をしぼった後、ディケイ・ボリュームと呼ばれる空洞の中で崩壊が起こってミュー粒子とニュートリノができるのだけど、その終端にはハドロン吸収体という炭素製の壁があって、ニュートリノ以外の粒子を止めてしまうのだ!
これにより、ここから先はニュートリノだけが取り出されるわけ。
パイ中間子とミュー粒子の崩壊の時間スケールは100倍近いので、パイ中間子が崩壊してからミュー粒子が崩壊する前に止めてしまうことは十分に可能なのだ。

というようなことをやっているのがJ-PARCのニュートリノ実験施設で、この施設のうちのどこかの基礎工事に問題の人が関わっていたということのようなんだよね。
これまで安全上の問題や、実験場の支障がないようだけど、どうなんだろう?
でも、こういう施設って、一度動かすとなかなか止められないから、現場に行って問題があるかどうか確かめるっていうのも難しいような・・・。
そのために実験を止めるとまた実験再開までに時間とお金がかかるだろうしね。
日本の十八番のニュートリノ研究なので、変な影響が出ないことを祈るばかり。

2015/10/24

あのときの「未来」は来たか?

今年は、マイケル・J・フォックスさん主演の映画「Back to the Future Part2」の舞台となる2015年。
映画は1985年の設定で、第1作では30年前の1955年にタイムトリップし、第2作で逆に30年後の未来に行ったのだ。
しかも、その日付は10月21日!
まさに今週だったんだよね。
で、その映画の中に出てくる未来像がどこまで実現されているのかが話題になっているのだ。

空を飛ぶ自動車なんかは実現できていないけど、携帯型の大画面デバイスなんかはすでにタブレット端末として広まっているのだ。
ホバーボードや自動的に靴紐が締まる靴は技術的にはできつつあるんだけど、普及には至っていないから△くらい。
映画ではまだFAXが現役なんだけど、同時はパソコン通信がやっとくらいだったので、ここまで電子メールが普及するとは想像がつかなかったんだよね。
そんな中でボクが気になっているのは、タイムマシンでもある「デロリアン」の燃料。
第1作ではプルトニウムを使っているのでおそらく原子炉なんだけど、第2作になると改良が加えられていて、生ゴミをぽいぽいっと放り込むとそれが分子レベル・原子レベルで分解・再構成され、燃料になることになっているのだ。
さすがにここまでは実現できていないよね。

でもでも、ほぼ同時期に、自動車関連で大きな動きがあったのだ!
それは、トヨタのMIRAIがついに発売。
これまでも燃料電池車は作られてきたけど、MIRAIは世界で初めて量産・市販されるセダン型の年長電池車。
価格は700万円強で、そこまで高いとは思わないけど、すべて手作業で組み上げているので、現時点では1日に3台しか生産できないんだって・・・。
今後は夜も含めて24時間の生産体制を確立することを目指していて、6~9台にしたいそう。
2015年については、国内向け400台、米国向け200台でその他で年間700台を目指しているそうだよ。
プリウスが出たときも世界を震撼させたけど、それ以上のインパクトがありそうなのだ。
ちなみに、トヨタは水素を燃料とした燃料電池車を普及させるため、関連特許を無料公開までしているそう。

このMIRAIの燃料電池は固体高分子形燃料電池を採用していて、正負の電極の間に固体高分子の膜がはさまっている構造なのだ。
それがいくつも積層されて燃料電池を構成しているのだ。
しかも、耐圧強度と密閉度を強化して(700MPaなので、約700気圧に耐えるのだ。)、直接燃料となる水素を貯蔵できるタンクを搭載しているんだ。
これのおかげで水素ステーションから3分間水素を充填させれば、650km走行できるんだって(電気自動車だと充電時間がもっとかかるし、継続走行距離ももっと短いんだよね。)。
さらに、これまでプリウスで培ってきたハイブリッド技術も採用されているんだよ。
ブレーキのエネルギーも熱損失ではなく、再び電気として貯められるのだ。
水素を燃料として使うので、水しか排出しないというのも大きな特徴だよ。
まさに名前のとおりの未来の車の姿なんだよね。

でも、これが通過点にしか過ぎないのも事実。
まだまだ解決すべき点があるのだ。
まずは燃料となる水素。
水素ステーションが圧倒的に少ないんだよね・・・。
というのも、水素は最も小さな原子である水素原子が二つ結合して分子を結合している最小の分子なので、密閉度を高くしないとどんどん漏れていくのだ。
しかも、酸素と反応すると爆発的な反応をするんだよね。
その爆発力を水力として使っているのが、日本のH-IIAロケットや米国のスペースシャトルのメインエンジンのロケット推力だったんだけど、それだけの爆発力があるというわけ。
自動車のモーターとしては、その反応をマイルドに進め、爆発力としてではなく、電気としてエネルギーを取り出すようにしているわけ。
だけど、そういう危険な可燃物が街中に大型タンクで貯蔵されている必要があるわけで、社会的なインフラ整備が必要なのだ。
ガソリンや軽油なんかの既存の自動車燃料も可燃性ではあるし、爆発性はあるけど、タンクからしみ出しては来ないから、その点の扱いが大きく異なるのだ。

さらに、水素をどうやって作り出すかも問題。
今は天然ガスなどを原料にして水素を取り出しているけど、この方法だと水素を製造するのにかなりのエネルギーを要するんだよね。
このため、水素を燃料とする燃料電池車は、全体としてはエネルギー効率がよくはないのだ(>o<)
今後技術が進歩して、もっと容易な、エネルギーを消費しない方法で水素が取り出せれば、さらに水素燃料が普及するはずなのだ。
映画の世界では生ゴミから水素を取り出しているのかな?
炭水化物でもタンパク質でも、有機物はたいてい水素を含んでいるので、そこから取り出せればうれしいのだけど。

また、価格が安くなったとはいえ、大衆車レベルとは言えないよね。
これは、燃料電池と水素タンクがどうしても高価になうrからなんだよね。
燃料電池については、触媒として白金などの貴金属が使われるので、どうしても価格を押し上げる原因となるのだ。
もっと安価な金属で代替できないか研究は進められているけど、実用化まではほど遠いんだよね。
水素タンクについても、量産できるレベルまではこぎ着けてはいるものの、どうしても水素を高圧で封入しなければならないという要件があるので、まだまだ技術革新が必要なんだ。
MIRAIの発売はここが許容レベルまでクリアされたところが大きいんだよ。

というわけで、映画の世界ほどではないけど、自動車の世界はものすごく進歩しているんだよ。
プリウスも最初に出てきたときはここまで普及するとは思わなかったけど、MIRAIもそうなるのかな?
今は生ゴミからバイオエタノールを作って燃料にする研究が進められているけど、あと30年後には、生ゴミをぽいぽいっと入れると燃料にできる世界が来るかもしれないね。

2015/10/17

背番号は12桁

マイナンバー制度が始まって、各自治体から通知が開始されているのだ。
簡易書留で届くらしいけど、我が家はまだ。
っていうか、東京都からの防災マニュアルも届かない・・・。
ちゃんと管理して送っているのかな?、と不安になるけど、それもマイナンバー制度がうまくいけばかなり解消されるはずなんだよね。

マイナンバー制度はもともとは国民総背番号制なんて言われていて、どちらかというと国家による国民の管理だ、とかいう否定的なニュアンスがあったんだよね。
確かに、納税者番号と自動車の運転免許証番号、社会保障関係の受給者番号などが統一化されると、今まで縦割りで処理されてきた様々な行政手続きが横串で「見える化」され、一元的に管理できるようになるんだよね。
マイナンバー制度はそういう意味では、今の時代の社会システムに合わせた、管理システムの導入なのだ。
管理強化に見えるけど、国民からしても、行政手続きの効率化だったり、社会保障サービスの公平化だったり、メリットはあるはずなのだ。
むしろ、複数の毛色から所得を得ていた人が脱税しにくくなったり、不正に社会保障サービス(特に生活保障関係)を受給していた人ができなくなったりと、悪いこともしにくくなるのだ。
やっぱり運用が大事ということだよね。

こういう国家による国民管理の仕組みというのは、古代から形を変え、品を変えて導入されてきた経緯があるのだ。
国民一人一人の顔と名前がわかるくらいの規模の小国家なら問題はないのだけど、地方ごとの小国家が統合され、中央集権体制になるとそうも行かなくなるので、管理のためのシステムが必要となるのだ。
特に、国家財政をまかなうための税の取り立てには不可欠なんだよね。
古代日本でも、大化の改新(今は「乙巳の変」と言うのかな?)直後に、中国にならって初めて国家的な管理システムである戸籍が作られたのだ。・
それが「庚午年籍」というもの。
租庸調の徴収に当たって必要な情報として、どこの地にどれくらいの年齢の人間が居るのかをまとめたのだ。
これは6年おきに更新するシステムだったみたい。

でも、平安時代になって、私有地である荘園制度が発達すると、朝廷が一括して戸籍を管理する必要は薄れ、むしろ荘園ごとの管理になったため、国家的な戸籍は衰退していくのだ。
同じようなシステムが復活するのは江戸時代前後。
太閤秀吉公が検地を全国的に行った際、農民に夫役を課すために人別改が行われたのだ。
すなわち、労役を課せる成人男子がどの地域にどれくらいいるかを調べるわけ。
こうして、領地ごとに人別改帳が作成されたんだ。
さらに、江戸時代になってキリスト教が禁止されると、寺請制度ができて、士農工商の全ての民はどこかのお寺の檀家になっていないといけなくなったのだ。
誰がどの宗派に属しているのかを調べるためにまとめられたのが宗門改。
これを作るとき、先行していて人別改に宗派の別を記載する形式を基本としたので、宗門人別改帳となったのだ。

江戸中期には、もはや宗教調査的な目的よりも、人口動態を確認して、徴税などの基礎資料として活用されるようになり、事実上の戸籍の役割を果たすようになるのだ。
享保の改革以降は全国的な調査のとりまとめが行われるようになり、幕府は諸藩に6年ごとに更新するよう命じているよ。
これでいったんは廃れてしまった戸籍制度がほぼ復活した形になったのだ。
ただし、この宗門人別改からは漏れている人たちがいたことにも留意が必要なんだよね。
偉い人たちはいいとしても、狩猟を生業として山で暮らしていた、いわゆる「山の民」とか、修験者のような定住せずに全国を渡り歩く宗教者、大道芸人や巡業の一座、田畑を放り出して逃げたした農民(「無宿」)などは記載がないんだよね・・・。

明治になってからは、近代国家となるべく欧州の制度にならって新たな戸籍制度が法律の下にスタートするのだ。
もちろん、そのときの基礎的な資料は江戸時代の宗門人別改帳なわけだけど(笑)
このときに、士族以外にも名字が認められたので、各人が思い思いに戸籍上に名字を登録することになるのだ。
今でも戸籍専用の字があったりするけど、この登録の際の誤字だったりするんだよね・・・。
で、この戦前の戸籍は、家族制度を基本としたもので、戸籍上も戸主(家長)やら嫡出子・庶子などが明記されたものだったのだ。
当時の民法では、嫡出子であるか庶子であるかで遺産相続の権利が違っていたんだよね。
さらに、華族、士族、平民、新平民などの身分事項も記載されていたんだって。

戦後になると家族制度は廃止され、夫婦を基本単位とする戸籍制度に改められたのだ。
これが今の日本の戸籍制度。
戦前では、戸籍に住所の登録も行っていて、住民票の役割も果たしていたんだけど、戦後の住民登録制度は戸籍制度とは別にされ、戸籍と住民票は分離されたのだ。
江戸時代までは出席地から遠く離れて暮らす人なんていうのはわずかだったけど、近代化以降人の移動が多くなって住民登録が必要となったんだよね。
逆に言うと、むかしは自由に引っ越しとかができかなったのもあるんだけど。
さらに人の移動が激しくなると、いちいち戸籍で管理するのが大変なので、地方自治体ごとに住民登録させる制度になるのだ。
それが住民登録制度で、それを基に発行されるのが住民票。

これが住民基本台帳制度になると、戸籍と住民登録情報がリンクされるようになり、戸籍の附票を見ると住民登録の変遷がわかるようになるのだ。
やっぱり戸籍で本籍地しかわからないんじゃ不便だからね。
平成の御代になると、コンピュータによる管理が一般的になり、戸籍も住民基本台帳も電子化されてくるのだ。
で、また法改正が行われ、戸籍も住民民基本台帳もオンライン化されるんだよね。
戸籍は騒がれなかったけど、住民基本台帳ネットワークシステム(いわゆる「住基ネット」)はいろいろと話題になったのだ・・・。
セキュリティとプライバシーの問題なんだけど、これはまさに今、マイナンバー制度で問題になっているよね(>o<)

ちなみに、むかしの人別宗門改だと職業もわかったんだけど、現在の戸籍や住民基本台帳では職業はわからないので、別に「国勢調査」を行うことになっているんだよね。
これは5年に一度だけど、むかしの戸籍の更新年度とあまり変わらない(笑)
今後は、これらの情報が全てマイナンバーによりひもつけられるのだ!
相当便利になるはずだけど、ここを崩されると全て終わりなので、住基ネットの時以上にセキュリティには気をつけないといけないんだよね。