2021/10/16

超選抜のエリート

 最近かなり収まってきたけど、まだまだコロナが報道の話題の中心なのだ。
感染が治まってきた原因がよくわからないとか、第六波が来るとか来ないとか、ワクチンの3回目のブースター接種をやるとかやらないとか。
この1年半くらいの間でかなりウイルスに関する知識も深まった気がするよね。
でもでも、そんな中、ちょっと気になる表現があったのだ。
それは、「ウイルスが変異してこうなった」みたいな説明の仕方。

これはほ乳類を含む生物の進化でもそうなんだけど、こうなろう、こうなりたい、という目的の下に努力した結果が進化ではないのだ!
あくまでも変化は常に起こっていて、そのうち、生存競争に有利な変化は構成にも伝えられ、そうでないものは消えていくだけ。
これが自然選択、自然淘汰による適者生存。
たまたま現在の環境により適した変化を遂げたものが生き残る、という結果が積み重なったのが進化だよ。
キリンは高いところの葉っぱを食べるために首を伸ばしたのではなく、たまたま首が長くなった個体は他の動物が食べられない高いところにある葉っぱを食べられるようになり、生存競争上有利になったのだ。
なので、その形質を持つものが生き残り、キリンになったのだ。

ウイルスは生物ではないけど、基本的には同じ。
コロナウイルスのようなRNAウイルスは、遺伝情報の本体がDNAより不安定なRNAであることもあって、変異が入る確率は高いんだよね。
これは遺伝情報の複製におけるエラーで、確率的に起こることなんだけど、どこにどういう変異が入るかはまったくのランダム。
そもそもウイルスとしての形を保つことができなくなるような致死的な変異(例えば、カプセルタンパクが作れなくなる、逆転写酵素の活性がなくなるなど)もあれば、遺伝情報としては変異が入っているけどそれがタンパク質に翻訳されるときにはほぼ影響がないような変異(3つの核酸塩基によるコードとアミノ酸の対応は1:1ではないので、変異が入ってもアミノ酸レベルでは変化がない場合もあるし、アミノ酸1個が変わったところでタンパク質の機能には問題がない場合も多いのだ。)もあるよ。

こういう変異は複製されるたびに起こっているんだけど、少なくともウイルスの活性に大きな影響のないものだけが増殖していくのだ。
これがいわば第一次選抜。
まわりの環境に変化がなければこれだけなんだけど、実際にはまわりの環境も刻一刻と変化していくわけ。
季節が変われば気温・湿度が変わるし、人間はウイルスに対抗するためにワクチンとか開発するし。
で、変異が入った結果、従来以上に感染力が強くなったり、増殖能力が高くなったりするものが勢力を拡大していくんだよね。
これがウイルスの世代交代で、いわば第二次選抜。
デルタ株などの変異株もこうした第二次選抜を突破したもので、人間が一定の感染予防対策をした上でも感染力や増殖能力を発揮できるウイルスが勝ち残って蔓延しているのだ。
逆に言うと、これらの対策で防げるものは感染できない・増殖できないので消えていくわけ。


ほんの少しの飛沫にごく短時間接触しただけでも感染できるほど感染力が強くなったり、ワクチンにより獲得された抗体で無効化されなくなったりとかの、ウイルスにとって有利な変化が起こるような変異をしたものが残るというわけ。
いたちごっこになるわけだけど、じゃあ、いつまでたってもこれが終わらないかというと、実はそうでもないのだ。
どこかで収束するのだ。
それはなぜか?
それは、ウイルスは自分では増殖できないから。
ウイルスが増殖するためには、感染して宿主の中で増やしてもらわないといけないんだよね。
なので、十分いウイルスが増える前に宿主が死んでしまうほどの感染症状が出るようになってしまうなどの、強力になりすぎたウイルスはそれ以上増えなくなるのだ。
これが時々報道で言及される「自壊ルート」というやつ。
ウイルスが増えるためには人間との共生が必要なので、必要以上に人間にダメージを与えるようなウイルスは爆発的な感染にはなりにくいのだ。
そのまえに感染した人が死んでいってしまうから。

最初の頃にコロナウイルスが脅威とみられたのも、致死率はそれほど高くないけど感染力が強くてすぐに広まるから。
そして、最初期の脅威は、感染してからの潜伏期間が長く、自覚症状のないキャリアがウイルスを広めていたかもしれない、という事実。
自覚症状はなくても体の中でウイルスは確実に増殖していて、それが飛沫として外に放出されていた可能性は高いのだ。
一方で、変異に変異を重ねた結果、今現在はやっている変異株では、感染から発症までの感覚が短くなっているようで、無自覚にウイルスを広めてしまっている可能性が低くなっている可能性があるんだよね。
これは時間かけて統計学など目視して分析すべきだけど、これが本当だとすると、潜伏期間が短くなったというのはひとつの「自壊ルート」ということになるのだ。

で、この先またウイルスがぶり返すかどうかだけど、これはよくわからないんだよね。
ウイルスに起こる遺伝情報の変異は全くのランダムで、その結果として生じるウイルスの変化も未知数なので、なんとも言えないのだ。
感染力だけは強いけど発症してもたいしたことのないような、「ただの風邪」みたいになるかもしれないし、インフルエンザのように致死率の比較的高い、季節性のある流行感染症として定着する可能性もあるのだ。
今の時点で言えることは、これからどうなるかわからない以上はm当面はウイルス対策をそれなりに継続せざるを得ない、ということだね。
少なくとも、なぜ今世界中で感染が治まってきたのかがある程度わかってこないと、次打つべき手は見えてこないんじゃないかなぁ。

2021/10/09

免許がないっ!

最近警察が取り締まりを強化しているのもあるけど、よくテレビで「電動キックボード」の問題が取り上げられるのだ。
端的に言えば、電動式モーターがついたキックボードは、道路交通法上「原動機付自転車」に該当するので、法令上の義務を守りましょう、ということ。
つまり、「原チャ」と呼ばれるスクーターと同等の規制がかかるわけで、運転には免許が必要、ヘルメットの着用が義務、車両(キックボード)にはライト、ミラー、ブレーキがきちんと整備されていることが必要、ナンバープレートをとることが必要、自賠責保険の強制加入、などなど。
これを知らずに使っているといきなり「切符」を着られることになるよ。
テレビではすでに無免許・車両整備不良で切符を切られている人が映し出されたりしているのだ。

「原動機付自転車」については、道路交通法第2条第1項第10号で定義されていて、内閣府令(道路交通法施行規則)で規定する排気量又は出力以上の原動機がついている車で、軽車両や車いす、歩行補助車ではないもの、とされているのだ。
車いすや歩行補助車は障害のある方や高齢者が使うもので、いわゆる電動車いすとかシルバーカー(高齢者の手押し車)のこと。
軽車両が除外されているのは、電動アシスト付自転車をこの枠組みから外すためだよ。
あれは自転車と同じ扱いでよいのだ。
車両ではあるので本当は斜度を走らないといけなかったりするんだけど。

もともと自転車にエンジンのついたものは軽車両扱いで免許不要だったんだけど、昭和27年にホンダが「カブ」(小型オートバイのスーパーカブとは違って、自転車に後付けでエンジンをつけるキット)が販売される頃に大きく普及し、事故なども増えてきたので、規制されるようになったんだって。
そのときは14歳以上の許可制。
その後、昭和35年に道路交通法が施行される際、16歳以上を対象とする免許制に移行するのだ。
これが現在に続く原付免許。
速度は出ないけど低燃費で小回りがきくから、細い道が多かったりする日本の都市部では活躍したんだよね。
そういう経緯で交通安全を確保する観点で、免許や保険、車両整備などの様々な規制がかけられるようになったわけだけど、これはやっぱり交通に占める割合が無視できず、野放図にはできないからなんだよね。

厳密に言うと、電動キックボードは最初から原動機付自転車に該当するものだったんだろうけど、町中に走っていない限りは問題にならないわけで、これまで危険視もされてこなかったのだ。
ところが、これが広く売り出されるようになり、乗る人も増えてくるとそういうわけにはいかず、きちんと取り締まりをしないといけなくなったわけだよね。
戦後に原動機付自転車の規制が始まったのと同じ理屈。
電動キックボードが原動機付自転車に該当する、ということがあまり知られていおらず、業者にょってはそれを購入者に適切に知らせないままに販売されているため、普通の自転車感覚で乗っている人が増えてきて問題化したのだ。
あれってけっこう速度も出るし、実際に危ないよね。

ボクはパリにいた頃、フランスでも問題になっていたのだ。
フランスは道が狭いし、車を止めるところも少ないので(っていうか、車庫証明なく自動車が買えてしまうため路駐が多く、道の広さに比べて走行できる車線が少ないのも大きな要因。)、自転車が重要な交通手段になっているんだよね。
一方で、押収の自転車は日本のママチャリと違って「ガチ」の自転車で、乗りこなすのはけっこう大変な代物。
そこで登場したのがキックボードで、歩くよりは速いし、割と簡単に乗れるのだ。
で、足で勢いをつけて乗るだけの、モーターのついていないもの(昭和の時代に日本でもはやった「ローラースルーゴーゴー」みたいなもの)であればそこまで問題なかったんだけど、モーターがついたものが出てきてフランスでも規制の動きが出てきたのだ。
規制が入る前は、電動キックボードのシェアサービスなんかも出始めて、気軽に、簡単に町中のステーションで電動キックボードを借りて、目的地近くの別のステーションに返す、なんてのが広まりつつある頃だったんだ。
その後すぐに日本に帰ってきてしまったのでよくわからないけど、その後はどうなったのか?

一方で、規制の網にかけるのは必要だけど、オートバイ型の原動機付自転車と全く同じ義務を課すのもやり過ぎでは、という声もあるのだ。
モーター次第だけど、そこまで速度が出せないようなものもあって、そういうのについては、電動アシスト付自転車と小型オートバイの間くらいのレベルでいいのでは?、ということで、一部の地域で実証実験が始まっているみたい。
具体的には、ヘルメットの着用義務の免除、自転車を除く一方通行での適用除外(自転車と同じように一方通行を免除)、自転車専用道の通行許可(現在はむしろ通行できない)など。
要件は、例えば、毎時15キロメートル以下の速度であることなんだって。
確かにそれだとかなりガチ目に走っているジョギングくらいの速さだから、ママチャリと同じくらいだよね。
一応警察としても、普及を妨げる目的ではなく、あくまでも交通の安全が主旨だから、適切に普及させるような取組もしているというなんだね。
何はともあれ、まずはルールはルールとしてきちんと認識されることが重要だけど。

2021/10/02

カガクの子

 最近はまた受け止めが違ってきているけど、一時期、化学調味料(うま味調味料)への風当たりがすごく強かったのだ。
とにかく体に悪い、という風聞が広まって、使うのが悪みたいな雰囲気があったんだよね。
おそらく、A級戦犯は某グルメ漫画で、化学調味料を摂取し続けると下がバカになって味がわからなくなる、みたいな話が広まったのだ。
基本的には「出汁」の中から単離された「うま味成分」なので、おかしな話ではあるのだ。
塩でも砂糖でも大量にとれば体に悪いわけで、それと同じようなもののはずだよね。

味の素に代表される化学調味料・うま味調味料は日本発祥のもの。
唐代の池田菊苗博士が、コンブに含まれるうま味成分がグルタミン酸であることを発見したことを皮切りに、鰹だしのうま味成分であるイノシン酸、しいたけのうま味成分であるグアニル酸が、「酸・甘・塩・苦」に続く第五の味覚として認識される「うま味」のもととわかったんだよね。
そうなると、コンブや鰹節、干し椎茸で出汁を取る代わりに、これらの物質を足せばいいんじゃね?、ということで開発された調味料なのだ。
最初に調味料として販売されたのがグルタミン酸ナトリウムを主成分とする味の素だよ。

悪い噂が立ち始めたのが60年代終わりの米国。
中華料理を食べると頭痛や疲労感などの症状が出る、といわれるようになり、その原因が、中華料理に大量に使われている化学調味料が原因じゃないかと言われたのだ。
これが「中華料理症候群」と呼ばれるもの。
これは後に濡れ衣であったことが科学的にわかるんだけど、こういう風聞は一度たって浸透してしまうと、なかなかぬぐえないんだよね・・・。
米国でもいまだに批判は続いているそうなのだ。

日本もその流れをくみつつ、日本独自の「嫌悪感」も醸成されていったんだよね。
それが「化学調味料」という名称。
もともとは商品名を言うことができない公共放送が使い始めた言葉。
最初期は小麦粉中のグルテンを加水分解して作られていたグルタミン酸は、やがて石油由来成分から化学合成されるようになったのだ。
こうして、化学的に合成された調味料、ということで「化学調味料」になるんだけど、「天然じゃない」というネガティブなとらえられ方をしてしまった結果、人工的な体に悪いもの、という印象を与えるに至ったのだ。
こうした経緯もあって、現在は「うま味調味料」と呼ぶようにしましょう、と業界が呼びかけているわけ。

ちなみに、現在は化学合成はされてなくて、精糖過程で出てくる廃蜜糖を発酵させて作られているんだ。
サトウキビの搾り汁をそのまま濃縮すると黒砂糖になるわけだけど、その搾り汁の中から白砂糖を結晶化させ、遠心分離して取り出すと、黒っぽい液体成分が残るのだ。
それが廃蜜糖。
かつてはラム酒の原料にされたりしたんだけど、現在は協和発酵の発見した微生物の力でアミノ酸発酵に使われるのだ。
その中にグルタミン酸を作る微生物もいるわけ。
実は、味の素は世界でも有数のアミノ酸製造会社でもあるのだ!
グルタミン酸以外のアミノ酸も様々な微生物を使って作り出しているんだ。

というわけで、現在のうま味調味料は主に発酵により微生物が作り出しているのだ、あまり「化学的」ではないんだよね。
生成過程は化学的だけど、それは精糖や製塩でも同じだよね。
しかも、原料は完全に天然由来。
本来は、口に入るものなのに石油化学関連というネガティブなイメージは払拭されてもいいわけだけど、なかなか一度根ざしたものはぬぐいきれないんだよね・・・。
味の素は広告なんかで「発酵で作っていること」をすっごいアピールしているけど、まだまだ化学合成で作っていると思っている人が多いのだ。
そのためにも、早めに「化学調味料」という名称をなくさないとまずい、と業界は感じていると言うことだよ。

この「うま味」成分は、互いに混ぜ合わせると相乗効果があることが知られているんだ。
コンブと鰹のそれぞれで出汁を取った場合は、合わせ出汁にした場合とでは、味の深みが違うことはむかしから知られていたのだ。
で、その概念はそのまま調味料の世界にも導入されていて、基本中の基本の味の素はほぼほぼグルタミン酸ナトリウムなんだけど、その後に発売されるハイミーはそこにイノシン酸ナトリウムがけっこうな割合で混ぜられているのだ。
現在では、そこに「風味」をつけることで粉末出汁の素(「ほんだし」など)として売られているよ。
味の素は使っていなくても、こういう出汁の素は使う家庭も多いんじゃないかな?
化学調味料ではなく、出汁の素と言われるとネガティブなイメージを持ちにくいからね(笑)

2021/09/25

パンダの気持ち

 改めて考えてみると、メンマって不思議な食べ物だよね。
だって、原料はタケ。
パンダが食べているやつだよ。
最初に加工して食べようとした人はすごいよね。
あのかたい竹があんなしゃっきり食感に変わるんだから、相当手間がかかっているはずだよね。
こんにゃくと並ぶほどの執念の技術と思うよ。

でも、メンマの原材料は日本でよく見る孟宗竹や真竹ではなくて、亜熱帯性の麻竹(まちく)というやつなんだって。
中国南部や台湾に生えているやつで、今でも日本で売られているほとんどのメンマは中国か台湾のものだよ。
1mくらいのまだそこまで大きく育っていないのを切り出し、蒸して少し柔らかくしてから塩漬けにして、乳酸発酵させるんだって。
この過程でかたい竹の繊維があの独特のしゃきしゃきした食感に変わるのだ。
みっちり詰まっている繊維が少しゆるんで、さらに塩分の浸透圧で一部の細胞壁が破壊されるんだ。
そうして細胞の中からしみ出してくる糖分を乳酸菌が発酵させていくわけだけど、このときに風味がつくのだ。
タケを普通にかじるとさわやかな精油成分の香りがするけど、メンマはまた違う風味だよね。
この風味は発酵でできてくるのだ。
そして、あの飴色も発酵の過程で出てくるもので、メンマをメンマらしくしているのは発酵の作用だよ。

発酵させたもの葉細かく切られてから天日干しに。
これが流通する形態で、長持ちするのだ。
食べるときには、塩抜きをしてからラー油や調味液で味をつけるんだけど、そうしてできあがるのがラーメンの上に乗っているメンマ。
実は「シナチク」が本来の名前で、「ラーメンの上にのせる麻竹」だからといって「メンマ」と戦後に丸松物産創業者の松村秋水さんにより名付けられたそうだよ。
今では「シナ」という響きがいやがられることもあって、まず「シナチク」とは呼ばれなくなったけどね。
ちなみに、ラーメンにのせるのは日本だけで、本場(?)の中国では普通に炒め物などの材料に使うみたいだよ。

日本の竹で同じようなものが作れないかというと、そういうわけではないらしく、まだわかめの柔らかい竹で同じような手法で作る国産メンマというのもあるみたいだよ。
福岡県の人が開発したようなのだ。
ネットで見ると、タケノコを使ってメンマ的なものを作っているレシピもよく見かけるね。
タケノコの場合は、塩漬けから始めればいいので楽みたい。
ちょっと育ちすぎてかたくなってしまっているタケノコだとよいのかも。

ちなみに、本来のメンマはかなり長い時間乳酸発酵させるんだって。
もともと麻竹は竹の中でも糖分を多く含む種類だそうで、じっくり乳酸発酵させると、かなりの酸性(pH4くらい)になるそうな。
これにより他の雑菌が繁殖できなくなるというのがポイント。
さらに感想もさせるので、保存食品になるんだよね。
でも、現在は時間を短縮するために半発酵くらいで風味付けの調味液につけたものもあるそう。
時々酸っぱいメンマがあるけど、あれは完全に発酵させたものだったのか。
発酵させた感を出すために、酸っぱい味付けにしてしまったものなのか。
なかなか判断が難しいところだ。

2021/09/18

空中栽培

100円ショップとかでも売っているんだけど、インテリアとして「エアープランツ」がはやっているんだって。
これって、土や水がいらない観葉植物で、空気中の水分を吸収して成長するというすごいやつなのだ!
にわかには信じがたいけど、根もついてなくて、たまに霧吹きする程度で大丈夫なんだって。
世の中にはすごい生物がいるもんだね。

日本で売られている「エアープランツ」のほとんどはパイナップル科の植物で「ハナアナナス属」の仲間。
属名にもあるように、きちんと花も咲くし、実もなるんだって。
種子はものすごく小さいものらしいけど。
この手の根がついていなくて空気中の水分を吸い取って成長しているものは、南北米大陸の熱帯雨林や砂漠、岩石の多い山地などいろんなところにあるみたい。
熱帯雨林は雨が多いけど、実は土壌が薄く貧困なんだ。
その意味では、下手に土の中に根を張るより、他の植物や岩に「着生」して空気中から水分を吸収した方がよい、という生存戦略をとったわけ。

もちろん、そこまで多くの水分を吸収できるわけではないので、多肉性の植物で、葉っぱが分厚いのだ(アロエのような感じの葉)。
そして、葉の表面には水分を集めやすいように細かい毛が生えていていることが多いよ。
熱帯雨林は雨が降るから表面について水滴を吸えばいいだけだけど、砂漠や山地のものは、朝方冷え込んだ時間に出る霧などから水分を吸収する必要があるので、そういう工夫がいるのだ。
表面積を大きくして、できるだけ水分に触れる部分を多くしているわけ。
そして、自分の中に水分をため込めるように多肉性になっているんだよ。

日本での観葉植物としてのエアープランツの場合、いくら湿度が高いと言ってもそれだけではさすがに足りないので、「ミスティング」といって3~5日に1回は霧吹きで水をかけてあげる必要があるみたい。
そして、月に一度くらいは「ソーキング」といってバケツに張った水の中に植物を浸してあげることもやった方がいいんだって。
サボテンと同じであんまり水をあげすぎてもダメなので、湿度にも気をつけながら適宜「水やり」はする必要があるのだ。

で、ボクが気になったのは、水分はそれでいいとして、その他の養分はどうしているんだろうってこと。
観賞用のエアープランツの場合は、肥料を非常に薄めたものを霧吹きすればいいみたいなんだけど、自然界ではどうなっているのか?
熱帯雨林にあるものは、気を伝って下りてくる水滴の中に養分が少し溶け出しているのでそれを吸収しているんだって。
熱帯雨林の場合、土壌の有機物はすぐに分解されてしまうし、雨で流れ出てしまうので、よほど広めに根を張らないと吸い取れないんだって。
なので、むしろ土壌に落ちる前、気を伝っている間に吸い取ってしまえ、ということらしいよ。
枯れ葉や枯れ枝は地面に落ちる前にもすでに微生物による分解が始まっていて、そこに雨が当たると一部の養分が溶け出すので、それを吸い取るのだ。
つまり、流し素麺のできるだけ上流ですくい取る、みたいな。

砂漠や山地の場合は、そもそも有機物が土壌中にはほとんどないわけだよね、生物も少ないから。
他の動物の排泄物や死骸がちょっとある程度だけど、元が少ないからすぐ拡散してしまうしね。
すると、ここで土の中に根を張ってその養分を吸い取ろうとすると非常に非効率。
こういうところにいる着生植物の場合、葉の付け根とかに「水だまり」があって、そこに昆虫や両生類が生息していることがあるのだ。
そうなると、そいつらから養分をもらえばいいわけだよね。
そうでない場合は、鳥の糞などの上からの落下物を受け止める、という戦略もあって、パラボラアンテナのように広がった形の葉の形状をしているものもあるそうだよ。

いずれにしても、けっこう少ない量の養分で成長できるようなのだ。
かなり省エネ型の植物でもあるんだろうね。
うらやましいような気もするけど(笑)

2021/09/11

すきまにつけこむ

 コロナ禍で家に引きこもっているから、心を病む人が増えているようなのだ。
特に一人暮らしの学生さんや若手の社会人など。
新たなコミュニティに溶け込もうとするタイミングでのステイホームで、孤独感が高まっているようなのだ。
特に、進学や就職で引っ越しをした場合なんかは、身近に知り合いもいないし、けっこうきついみたい。
ま、今はオンラインでのコミュニケーション・ツールもかなり充実しているのでさみしさは紛らわせる子tができると思うんだけど、それでも、新しい環境に対する不安はあって、かつ、その環境の中に直接飛び込めないから解消もできないんだよね。
あんまりよく知らない同級生や同僚、先輩とはオンラインだけでは表面的なやりとりしかできないだろうし。

そんなときに気をつけたいのが、こういう「心のすきま」につけこむ悪質なビジネス。
むかしから「運気がよくなるペンダント」、「富を呼び込む壺」などなどあやしい品々はあわけで、普段なら敬啓にはだまされないんだけど、不安が高まっていて正常な判断ができない状態だと、「わらにもすがる思い」で飛びついちゃうのだ。
そして、よくよく認識しておくべき琴は、この手の悪質なやつを仕掛ける側からすれば、百発百中である必要はなく、100人に一人でもカモを見つけられればそれでいいんだよね。
なので、まわりにいる冷静な人たちから見れば「なんでそんなのに」と思うようなものであっても、敵も然る者で不安をあおって正常な判断をしにくくさせる手法は心得ているので、だまされちゃう人も出てくるわけ。

で、詐欺とまではいかなくても、大なり小なりカモにされている場合はあるんだよね。
これは身を持ち崩すほどの被害はないんだけど、「ぼったくり」程度には被害を受けているようなもの。
効果があるかどうかよくわからないアロマやパワーストーンにそこそこお金を払ってしまうなどなど。
そういう場合は、「スピリチュアル」というキーワードがあるのだ。
マスコミがあおっていることもあるのが残念なんだけど・・・。

もともと、「スピリチュアル」というのは、肉体の世界ではなく、精神的、霊的な世界に属することを指すような形容詞。
西洋世界では古代から二元論的な世界の解釈が行われていて、ユダヤ教が元々魂と肉体を分けて考えていたのもあって、キリスト教にもそういう二元論的なとらえ方が浸透しているのだ。
そこで、身体的な外部から観察可能な部分と、それとは逆に、精神的な害府から観察不可能な部分という概念が出てきて、この精神的な部分が「スピリチュアル」の世界になるわけ。

世界保健機関(WHO)が定義するように、人間の健康は心身の健全な状態を指すわけで、身体・肉体だけでなく、心・精神も健全であることが大事なのだ。
で、古代からこの部分をケアしてきたのが宗教やまじないで、不安を取り除くような機能を持ってきたのだ。
お祓いとか祈祷、お守りなどなどがそれ。
社会的に認められたシステムがありさえすれば、あとは「信じるものは救われる」の言葉どおりなわけ。
不安というのは気の持ちようだから。

ところが、近代になって宗教の力の限界が見えてくると、そこまで「盲目的」にはすがれなくなってきたのだ・・・。
特に「科学的根拠がない」とか合理主義的な考えが合わさると、まじないとかって意味のないものと見なされてしまうんだよね。
信じるからこそ救われていたのに、信じ切れないから救われないのだ。
そんなすきまに入り込んできているのが「スピリチュアル」。
多くの場合、現代の科学では解明できていない「超常的な力」とか科学の言葉だけ借りた「エセ科学」の理論により解決される、みたいなスタイルで、宗教とはまた違う、という体をとることが多いよ。
それがオーラとかパワーストーン、レメディ/ホメオパシーなどなどのスピリチュアル・ビジネス。

宗教やまじないは社会的な背景があって、みんながそう信じているから効果があるんだけど、こういうのはそういうのがないので、以外と「お金を出すこと」自体が「きっと効果がある」と信じる根拠になることもあるのだ。
これだけ払ったんだから効くでしょ、ということなんだけど、実は本末転倒なんだよね・・・。
でも、現実的にはそれがよりどころになってしまって、かつ、不安が完全には払拭しきれなくて、ずるずるとはまっていってしまうのだ。
だます方はそういうはめる手法も心得ているわけだけどね。

というわけで、趣味・趣向の範囲で占いとか、パワースポットにはまるのはよいのだけど、高価なものには気をつけなきゃなんだよね。
不安なときに全く見ず知らずの人から優しい言葉をかけられたりするとふらふらっと行っちゃうものだけど、ちょっと一歩立ち止まって考えるべきなんだよね。

2021/09/04

大人も、子供も

 最近、なぜか「カルパス」が気に入っているのだ。
あの、小さなサラミみたいなおつまみ。
ボクはお酒はほとんど飲まないので、駄菓子で売っている「おやつカルパス」のようにそのまま食べるんだけど、ちょっと口ざみしいとき、あの塩辛さ脂っぽさがなんとも言えないのだ。
そういえば、まえからサラミとかけっこう好きだったなぁ。

「カルパス」は北海道帝大にいた化学者・佐々木酉二さんが道内の食肉加工業者のために考案した名称だったんだって。
国内でドライソーセージを販売するに当たって、最初は北海道とは縁も深いロシア語の「ソーセージ」にあたる「カルパサー」を提案したんだけど、五缶があまりよくないのと、ぱさぱさしているかのような印象を与える音なので、少し変えて「カルパス」にしたんだって。
もともとは商品名だったんだけど、商標登録をお粉わかったために、人気に火がついてからみんなまねするようになり、「カルパス」が一般名称化したようなのだ。
ホッチキスなんかもそうだよね。
英語ではstaplerで、このステープラーというのが本来的な一般名称なんだけど、日本ではホッチキス社のものが圧倒的にメジャーだったのでこれが普通名詞のように扱われているのだ。

一般に販売されている「カルパス」はドライソーセージ又はセミドライソーセージで、細身割と短く切られたものを指すんだよね。
ドライソーセージやセミドライソーセージは日本農林規格(JAS)で定義が決まっていて、畜類の肉を主原料とするソーセージを乾燥させたもので、水分が55%以下のものをセミドライソーセージ、35%以下のものをドライソーセージとしているんだって。
内蔵系のソーセージもあるけど、これはドライソーセージにはならないのだ(おそらく、乾燥させて、という工程が事実上不可能なんじゃないかと思うけど。)。
作り方としては、ブタやトリなどのひき肉に塩と香辛料やつなぎを加えて腸などにつめてケーシングし、これを乾燥させるのだ。
豚肉はそのままでは生で食べられないけど、生ハムと同じで、乾燥させながら熟成させることで食べられるようになるのだ。

イタリアのサラミや、米国式ピザにのっているペパロニなんかが代表的なドライソーセージ。
水分が少なめで硬いので、基本は薄くスライスして食べるのだ。
このため、サラミ=薄くスライスするもの、という図式になっていて、ちょっとずつ切り出していくようなイメージのものにサラミの名称をつけることがあるよ。
例えば、サラミ法というのは、ばれないようにちょっとずつ金銭や物品を窃盗していく手法なんだって。
これと逆なのがパンケーキ。
こっちは積み重ねるので、重層的なものを比喩するときによく使われるのだ。

このサラミやカルパスって、どうしても不健康なイメージがつきまとうよね。
それもそのはずで、塩分や脂肪分がとにかく多いのだ。
サラミなんかは薄切りにして食べるもので、もともとそんなに多く食べるものじゃないのだろうけど。
カルパスもどんぶりいっぱい食べるようなものではないよね(笑)
ただ、この塩と油は重要で、塩をきかせることで腐らせずに乾燥・熟成させることができるわけだし、脂肪分の多いひき肉を材四両とすることで乾燥させても硬くなりすぎないのだ。
脂肪分が少ない赤身でやっちゃうと、棒状にまるめたジャーキーみたいになっちゃうはずなんだよね。
それはそれで削りながら食べたらいいのかもしれないけど、水分を飛ばしてもしっとりしているのはやはり脂肪分のおかげなのだ。
あと、やっぱり人間は塩と脂肪が大好きなんだよね。
これがジャンクフードは体に悪いとわかりつつ、やめられない要因だから。

というわけで、ドライソーセージ自体は西洋世界の先人の知恵なんだけど、それを大人も子供も楽しめるカルパスにしたのは日本だったのだ。
薄くスライスするのって大変だから、細いものを食べやすい長さにあらかじめ切ってあるって便利だよね。
そのままつまめるし。
日本式のこういう食に対する改良はいつ