2017/06/24

赤い魚と言えば・・・

日本で赤い魚と言えば、何よりもまずタイが思い浮かぶよね。
なんと言っても高級魚のイメージが強いのだ。
そして、めでたい(笑)
一方で、フランスでは、それに当たるのがrouget(ルージェ)なんだよね。
和名ではヒメジ。

このヒメジという魚は、実は日本近海にもたくさん生息している魚。
数m~100mくらいの深さの砂地の海底近くにいるらしいのだ。
ほとんど海底すれすれのところを泳いでいるようで、特徴的な「あごひげ」はその海底を探るセンサーになっていて、砂の中に潜むエビなどを探し当てて、えさにするそうなのだ。
そういう生態なので、底引き網漁でひっかかるらしいのだけど、市場にはあまり流通しないんだって。
それなりの量はとれるようなんだけど、小骨が多くて食べづらいのと、傷みやすいということもあって、高級な練り製品の材料になるとか。

ただし、各地でいろんな名前で呼ばれているので、昔はよく食べたようなのだ。
ヒメジというのももともとは神奈川あたりのローカルネームで、富山ではその鮮やかな色から「オキノジョロウ」なんて呼ばれるし、東京や広島では「ヒメ」、福井や三重では「アカイオ」(「いを」は古語で「魚」を指す言葉だよ。)、関西・中国・四国では「ヒメイチ」、山口から九州にかけては「ベニサシ」などなど。
どれもやっぱり見た目から来ている名前みたいだね。

脂肪の少ない白身で、唐揚げや南蛮漬けのような、多少小骨があってもそのまま食べられる料理に向いているのだ。
特に、日本産ヒメジは小型のものが多いので、そのまま食べられるようにするんだって。
ある程度の大きさがあれば、小骨は気になるけど、塩焼きや煮付けでもよいみたい。
干物にする地方もあるようだよ。
関東では最近になって天ぷらダネとして人気が出てきているんだって。
皮に独特の風味があって、それが天ぷらに向いているとか。

フランスでは、高級な白身魚のグリエ(焼き魚)やポワレ(蒸し焼き)にはよくヒメジが使われているのだ。
やはり皮の色がきれいなのと、風味があるので、多くの場合は皮付き。
熱を通しても固くなりにくく、身離れもよいので、ナイフとフォークで食べるフランス人にも食べやすいみたい。
スズキもよく食べるんだけど、日本人的感覚から言うと「火を通しすぎ」で、ぱさついていることが多いんだよね・・・。
で、ぱさぱさなだけじゃなくて、身が崩れるので食べづらいのだ。
その点、ヒメジは食べやすい!
よく出てくるタラとかスズキは身がすぐ崩れてしまうのもあって、フォークでは食べづらい・・・。
箸だと問題なく食べられるんだけどなぁ(笑)

ヒメジは地中海沿岸地域では重要な食材で、それこそ古代ローマの時代からおいしい魚として親しまれてきたんだそうだよ。
フランスでは、マトウダイ(サン・ピエール)やカサゴ(ラスカス)もよく見るけど、これらもわりと高級魚。
やっぱり火を通してもぱさつきにくいからね。
その点、タラやボラはいろいろと種類があるけど、たいていはリーズナブルで、庶民の魚なのだ。
でも、よほどおいしいところでない限りは、たいていはぱさついているよ。
少量の脂肪分があるかどうかで違うものだねぇ。
それにしても、肉には火を通したがらないくせに、魚は焼きすぎなんだよなぁ・・・。
においが気になるのかな?

2017/06/17

国にも男女の別あり

フランスに来てからも仕事は英語がメインなんだけど、さすがに多少は仏語を話さないといけない機会があるんだよね。
で、学生時代に第二外国語として習ったときの知識を最大限活用するんだけど・・・。
すっかり忘却の彼方だ(笑)
それでも、ぎりぎり覚えている単語を並べてなんとかするしかないわけで。

そんなとき、改めて面倒だなぁ、と思うのは、仏語の名詞には男女の性があること。
おおもとのラテン語だとさらに中性名詞もあるのでさらにややこしいのだけど。
でも、一つのというときも談攻め意思なら「アン(un)」、女性名詞なら「ユンヌ(une)」と使い分けないといけないし、男性名詞につく冠詞は前置詞と一体化して「au(à+le)」とか「du(de+le)」とかになるのでややこしいのだ。
そして、もっとややこしいのは、「~へ行く」というときに、その行き先が国名になる場合、男性名詞の国、例えば日本なら、「au Japon」なんだけど、女性名詞の国、例えばフランスなら、「en France」となって、前置詞すら変わってしまうのだ。
これから夏のバカンスが来るけど、よその国に遊びに行くなんて話をフランス語でするときには注意をしないといけないんだよね。

仏語の場合、国の名前はひとつに限られるので、必ず定冠詞がつくのだ。
これは英語との大きな違い。
なので、「le」とか「la」と一緒に覚えてしまうと、男女のどちらかかも同時に覚えられそうなものなんだけど・・・。
母音で始まる国、例えばドイツ(Allemagne)なんかは、エリジオンが起こってしまって「l'Allemagne」となるので、どっちかわからない(笑)
ま、たいていの欧州の国は女性名詞なんだけど。

で、つらつらと仏語の国名を見ていくと、いくつかおもしろいものがあるのだ。
まずは米国と英国。
日本ではすぐに「アメリカ」というけど、米国人は自分たちでは「the United States (of America)」と呼ぶんだよね。
これは仏語も同じで、「les États-Unis (d'Amerique)」と言うのだ。
音で言うと「レゼタジュニ(ダメリック)」なので、全く米国っぽさがないのだ。
もっと複雑なのが英国。
日本では「イギリス」と言ってしまうけど、これはもともと「イングランド」のポルトガル語名の「イングレス」に由来しているので、英国全体を指していないのだ。
通常は英語で「United Kingdom (of Great Britain and Northern Ireland)」で、「UK」と呼ばれるよね。
フランスでも全く同じなんだけど、仏語にすると、「le Royaume-Uni (de Grande-Bretagne et d'Irlande du Nord)」となるのだ。
やっぱり英国の面影がない(笑)
最初はどこの国のことを言っているのかわからなかったくらいだよ。
ロンドンも「Londre」で綴りが違うし、日本人には英国関係の地名はわかりづらいようなのだ。

米国・英国以上にわかりづらいのがオランダ。
オランダはホラント州を指す「Holland」のポルトガル語「Holanda」に由来していて、英国と同じように欧米の国名とは大きく異なっているのだ。
オランダの英語名称は「the Netherlands」なんだけど、これはオランダ語の「Nederland」から来たもの。
このネーデルラントはもともと「低地」を意味する言葉なのだ!
このため、仏語では、「les Pays-Bas」と言うのだけど、「pays」は「国」、「bas」は「低い」という意味なので、ドストレートな名前なんだ。
ネーデルラントに近い音だったらわかるけど、これは想像もつかないよね・・・。

最後に、前に出てきた「ドイツ」。
仏語の「アルマーニュ」の由来は、ゲルマ系民族の一つの「アレマン人」の地というところから来ているんだって。
英語の「German」はそのまま「ゲルマン」から。
日本語の「ドイツ」はドイツ語の「Deutschland(ドイチュラント)」から来ているので、実は一番ドイツ自身の呼び方をリスペクトしているんだよ。

逆に、「オーストリア」が「Autriche(オートリシュ)」で、「オーストラリア」が「Australie(オーストラリー)」で、けっこう音が変わるので、むしろこっちは区別しやすくなっていたりもするよ。
朝鮮は「Corée」になってしまうので、英語の時とアルファベット順の並びが大きく異なってくるから注意が必要なのだ。
これはドイツもそうだけどね。

というわけで、国名って英語と仏語ではけっこう違うのだ。
もちろん、国だけじゃなくて都市名も違うんだよね・・・。
なので、日本語・英語・仏語の対応関係はかなりややこしいよ(>_<)

2017/06/10

ついつい買ってしまう通り

日本出張で東京と福岡に行ってきたのだ。
3泊5日なのでかなりの強行スケジュール(>_<)
いやあ、タイトだった。
でも、そんな中で唯一楽しめたのは、太宰府天満宮の仲見世の見学。
名物の焼きたて梅ヶ枝餅も食べられたよ♪

「仲見世」というのは、寺院の門前町にある古い商店街の形態で、社寺の境内、特に表参道に並んでいるお店のことだよ。
特に東京の浅草寺のものが有名なのだ。
雷門からずっと続いていて、いつも賑わっているよね。
でも、同じように、大きな寺院、神社の参道には同じような感じで商店が並んでいるよ。


 織田信長さんや豊臣秀吉さんが楽市楽座で商業・経済を活性化するまでは、自由に商売ができなかったみたいなんだよね。
いわゆる「座」と呼ばれる商工業者の組合に入らないといけなかったんだって。
その組合には独占販売権や非課税特権が認められていたんだけど、これを廃して、誰もが自由に商売ができるようにしたのが「楽市楽座」だよ。
これにより、城下町や寺社の門前町のような人の賑わうところに商店が集まるようになったのだ。

こうして日本で商店街が形成されていくんだけど、 このうち、仲見世には、寺社に参拝する人目当ての商売が行われるわけ。
もう江戸時代にはおみやげものが売られていて、太宰府天満宮では梅ヶ枝餅もあったのだ!
京都の古いお寺の参道沿いなんかは、創業が平安時代にまでさかのぼるような甘味の店もあるよね。
○○団子とか△△餅とか。
その他、寺社ゆかりの縁起物、おみくじ、軽食などなど。
実は今とあまり変わらないのかも(笑)

でも、太宰府に行って気づいたけど、様相がちょっと変わってきているんだよね。
 むかしながらの民芸品やお菓子を売る店も多いのだけど、増えつつある外国人観光客目当てのお店が増えているんだよね。
漢字Tシャツとか、歌舞伎や力士のキャラクターグッズとか。
浅草なんかはだいぶ前からそうだけど、他の観光地でも似たような感じになってきているみたいだよ。
実際、太宰府に来ている観光客の人は中国人だったみたいだし(言葉からの判断だから、なんとなくだけ)。

 でも、歴史的に見れば、これは正しい方向の変化なんだよね。
もともと自由に商売が認められるようになって、売れるものを売る店が残っていって、そういうおみやげもの屋と食べ物屋主体の商店街になったはずなのだ。
それが参拝客がもとめていたものだから、
今度はそのニーズが、いわゆる「外国人から見て日本的なもの」に変わっただけなんだよね。

おそらく、仲見世が形成されつつある時代には、今のような仲見世も奇妙に移ったはずなんだよね。
その前までは、生活必需品を売るようなお店が多かっただろうから。
そういう意味では、ちょっと経済的に余裕を持った参拝客におみやげや軽食を売るというのは新たな形態で、ボクが外国人観光客目当てのお店に感じている違和感と同じようなものを感じたんじゃないかと思うのだ。

そういう意味では、これからも仲見世は進化し続けるのかもね。
日本のことがもっと海外に知られるようになって理解が進めば、今のような俗な「日本的」なものじゃなくて、また違うものを求めるようになるから。
そうなると、原点回帰でむかしのようになるのかな?

2017/06/03

今でも境界線

パリ市内を出てシャルル・ド・ゴール空港に行く場合、「ペリフェリク」という環状高速道路を通るのだ。
ここがまさに渋滞ポイントなんだよね。
この環状高速道路の内側がパリ市、外側はパリ郊外(イル・ド・フランス圏だけどパリじゃない。)ということになっているんだよね。
※実際には、ブーローニュのmoriとヴァンセンヌの森もパリ市なので、ちょっとはみ出ているところはあるんだけど(笑)
実は、この環状道路こそが、かつてパリを囲っていた城壁の跡なんだよね。

日本の都市の場合、城郭の周りにはお堀が作られるけど、城下町を囲むような城壁は作られないので、開放的なのだ。
自由に城下町に入れるし、町が発展していけば徐々に市街地を広げていくことができるのだ。
江戸の街がまさにそうで、どんどん拡張していったわけだよね。
明暦の大火の後には、かつては下総国だった隅田川の向こう側(本所・深川)も併合して、巨大な街になったんだよね。
ところが、欧州の都市の多くは、城塞として、街全体が城壁に囲まれていることが多いのだ。
今でも城壁が残っているところは少ないのだけど、かつて城壁で囲まれていた部分を「旧市街」と呼ぶことが多いよ。

パリもまさにそうで、第一次大戦後の1919年から1929年にかけて城壁が取り払われ、その跡地に公園やらスポーツ施設やら新興住宅地やらを整備してらしいのだ。
ちょうど城壁の外縁部に当たるところに環状の高速道路が整備され、それが今でもパリの境界になっているんだ。
この城壁こそがティエールの城壁で、19世紀、再び王制にもどっていたフランスで、ルイ・フィリップがプロイセンやロシアからの侵攻に備えるために築いたものなのだ。
ナポレオンが失脚したのはまさにこの両国が相手だったから、当時のフランスには脅威だったみたい。

この城壁の跡はほとんど残っていないのだけど、地名には残っているよ。
ペリフェリクに面しているところには、「Porte de ~」という地名が多いのだ。
これはそこに城門があったということを示しているんだ。
国際見本市会場があって、世界的に有名な「サロン・デュ・ショコラ」の会場でもある「Porte de Versailles」なんかもそうだよ。
東京でも、江戸城のお堀沿いには「~橋」、「~門」、「~見附」って地名が多いけど、これも江戸城に続く橋、城門、櫓がそこにあったからなんだよね。
虎ノ門の文部科学省の所では外堀の遺構が見られるようになっているよ。

パリはもともとローマ時代のルテティアというガリア人が築いた街、というか村。
最初はノートルダム寺院があるシテ島周辺だったのだ。
それが徐々に拡大していくんだけど、ブルボン王朝によって絶対王政が確立されると、城壁の必要性がなくなってきて、いったんなくなったんだって。
ところが、18世紀のフランス革命直前のころ、パリ市内で商売を行う承認から徴税しようと、もう一度巴里の中心地が城壁で囲まれたのだ。
これがフェルミエー・ジェネローの城壁。
「徴税請負人の壁」ということらしいよ。
今でもパリ市内のこのときの関税徴収所が残っているようなのだ。

で、フランス革命後、もう一回り大きな城壁として作られたのが、最後のティエールの城壁。
これは原点回帰で城塞の防壁なのだ。
でも、第一次世界大戦ではそもそも戦闘方法が大きく変わってしまって、城壁があることにあまり意味がなくなってきたので、取り壊されることとなったんだ。
引き続き歩兵による戦闘がメインだったのでけど、銃器が発達し、射程の長いライフル銃などが実装された結果、騎兵による突撃があまり意味をなさなくなったのだ。
城壁はこの騎兵の突撃に対して有効だったんだけど、それが主役じゃなくなれば、あまり意味がなくなってしまったんだよね。
これも時代の流れ。

でも、そのおかげで、日本の都市のように街を外縁部へと自由に広げていけるようになったのだ。
これが、パリを中心とするイル・ド・フランス圏だよ。
城壁があるうちは、となりの都市とは物理的に隔絶されていたわけで、一つの都市圏とはならないのだけど、壁がなくなって地続きになると、大きな都市圏が形成できるのだ。
パリ自体は山手線の内側より少し広いくらいの、そんなに大きくない街なんだけど、イル・ド・フランス圏で見ると巨大な経済都市になるのだ。
それでも、東京はもっと大きいんだよね・・・。
城壁のような物理的制約がなかったおかげで明治以降もどんどんと都市圏が広がっていったからね。
ま、広いからいいというわけでもないんだけど(笑)

2017/05/27

移動する祝日

フランスでは、今週後半は昇天祭があったので人が少なかったのだ。
必ず木曜日に設定される祝日なので、金曜日も休んで4連休にする人が多いんだよね。
復活祭に連動して日が決まる祝日で毎年日が変わるので時期は変わるのだけど、たいてい春の気候のよい時期なので、プチバカンスになるようなのだ。
イースターは日本に入ってきたものの、こっちはまだなじみが薄いよね。

キリストは、磔刑の3日後に復活したのだ。
というか、「女たち」が墓を見に行ったらもぬけの殻だったんだよね。
で、その40日後(復活当日が1日目になるので正確には39日後)に天に昇ったので、昇天祭が復活祭の40日後に設定されるわけ。
復活祭は、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決められているので、その39日後=5週と4日後なので、必ず木曜日になるんだよ。
ちなみに、処刑は金曜日に執行され、その3日後に復活なので、復活は必ず日曜日なのだ!

もともと復活祭は古代の太陽信仰との結びつきが指摘されていて、それで、春分の日と月の満ち欠けをもとに設定されているんだよね。
ちょうど春分の日を越えて昼の時間が長くなっていく時期で、太陽の精力が増していくタイミング。
それを祝うものなのだ。
クリスマス(降誕祭)も、冬至祭りとの関係が指摘されているけど、やっぱり太陽信仰が関係しているみたい。
こういう古代の太陰暦で設定されていた祭りを太陽暦のキリスト教の中に取り入れていった結果、毎年日付が変わってしまう「移動祝日」ができあがったのだ。

実は、西方教会と東方教会で復活祭の日付が変わるので、当然のことながら昇天祭の日付も変わるのだ。
理由は簡単。
西方教会が復活祭の日付の算出にグレゴリオ暦を用いているのに対し、東方教会はユリウス暦を用いているため。
今年2017年はたまたま一致しているんだけど、昨年2016年は、西方教会では3月27日、東方教会では5月1日と1ヶ月以上のずれが生じていたのだ!
2024年に再度1ヶ月以上のずれが生じた後、2025年に再び一致するよ。
実にややこしい。

この「40日間」の根拠は、新約聖書のルカの福音書に続く使徒言行録にあるのだ。
そこでは、復活後のキリストは、40日の間各地で「神の国」について説いて回り、その後、ベタニア北部のオリベト山頂から天に帰ったとされているんだ。
ところが、おおもとであるルカの福音書では、弟子に会って会話した後、すぐに昇天したかの用の記述なんだよね。
もちろん、どれくらいの期間の話かは明示的に書いていないのだけど。
でも、逆に、使徒言行録には数字が書いてあることもあり、こっちが採用されているみたい。
復活自体が不思議な話なんだけど、これも不思議な話だ。

日本ではなじみがうすい昇天祭も、キリスト教においてはとても重要な祝日なんだって。
特に、キリストの「死と再生」による神格化というプロセスを完結させるものなので、大事なのだ。
というのも、新約聖書のうち降誕について触れているのはマタイの福音書とルカの福音書のみ。
ヨハネの福音書に至っては、「はじめにロゴスありき」とか言っているけど、降誕の下りはないのだ。
一方で、復活については全部の福音書が触れているんだ。
なので、特に復活祭は重要視されているんだよね。
ちなみに、昇天まで書いているのはマルコの福音書とルカの福音書のみ。
ルカの福音書は降誕から昇天まで全部が盛り込まれているのだ。

いずれにせよ、キリスト教において非常に重要な祝日なんだよね。
ただし、イースターのような飾りとか、独特の食習慣とかはないので、地味に街から人がいなくなっているだけなんだけど(教会では何かやっていりるのかな?)。
なので、日本にはイースターは浸透していっても、昇天祭まで無理だろうね。
こればかりは宗教色を排除して取り入れられないだろうから。

2017/05/20

過保護に育てればやわらかい

フランスでは、ちょうどアスパラガスが旬を迎えているのだ!
日本だとどんな野菜も通年見かけるけど、フランスではけっこう野菜の旬を大事にしているみたいなんだよね。
で、この時期のフランスの名物と言えば、ホワイトアスパラガス。
日本ではついこの間まで缶詰がメジャーだったけど、もちろんフランスでは生。
ゆでただけでほんのりとあまくておいしいのだ♪
ゆで汁にもうまみが溶け出すので、それを料理に使うんだって。

そんなホワイトアスパラガスも、ものとしてはグリーンアスパラガスと同じもの。
育て方が違うだけ。
普通に日光に当ててt育てるとグリーンアスパラガスになるんだ。
放っておくとどんどん太く、固くなっていくので、ある程度のところで収穫するのだ。
一方、ホワイトアスパラガスは、芽が出てきたところで土をかぶせたり、最初からトンネルの中で栽培されたりして、日光を遮って育てられたものなのだ。
すると、葉緑素が作られず、皮もあまり固くならず、苦みも少ないホワイトアスパラガスになるんだよ。
苦みがない分だけ甘みを感じるんだよね。
ちなみに、ビタミンなどの栄養面としては、やっぱり日に当てたものの方がよいみたい。

この栽培方法は「軟白栽培」と呼ばれる手法なのだ。
実はアスパラガスだけではなく、いろんな野菜に使われている手法だよ。
同じくフランスでよく見かけるのはチコリー。
イタリアで言うラディッキオ。
白菜のように葉がかたまっているけど、野生のものは普通に伸びて行くみたい。
これを軟白栽培することで、スーパーで見かけるあの形の野菜になるのだ。
苦みもあるけど、やわらかく、甘みもあるよね(熱を通すとより甘みを感じるのだ。)。

もちろん、これは欧州だけの栽培文化じゃないよ!
日本でもおなじみなのは、ウド。
酢の物にしたり、きんぴらにしたりするあの白いウドは、室の中で日光を遮って育てられたものなのだ。
山菜としての山ウドというのがあるけど、これは普通に日光を受け手育ったもの。
うどの大木じゃないけど、放っておくと太く固くなるので、若いうちに摘むのだ。
白ウドに比べると、苦みもあるし、あくが強いんだよね。
これは日光が当たっている結果。
でも、天ぷらなんかにすると山ウドもおいしいのだ。

もっとよく見かけるもので言えば、もやし。
大戦中は海軍が潜水艦の中で栽培していたなんて話もあるけど、豆を暗闇の中で発芽させて育てたのがもやしだよ。
普通に畑にまいたら双葉が出て育っていくけど、日光がないからひょろひょろと伸びていくのだ。
もともと豆に蓄えられている栄養だけで伸びるんだよね。
ビタミンが豊富だし、暗く、かつ、狭いところで育てられるので海軍にとっては帰朝だったみたい。

そして、根三つ葉。
ひょろっと白く長く太い茎を持つ三つ葉。
これはある程度成長した後に「根寄せ」と言って茎の周りに盛り土をして、そこに日光が当たらないようにして育てるのだ。
そうすると、土に覆われている部分が白く、やわらかくなるわけ。
長ネギの白い部分もそうだよ。
九条ネギのような全体が青いものが本来のもので、白ネギは根寄せしてその部分を軟白栽培しているのだ。

さらに、中華料理などで見かけるようになった黄ニラ。
これも日光を遮って育てられたニラで、柔らかく、臭みも少ないのだ。
ニラは鮮やかな緑色だけど、葉緑素が抜けるとちょと黄色っぽいってことだね。
普通のニラより少し高いのは、栽培に手間がかかっているからなのだ。

というわけで、そのまま育てると固くなったり、苦くなったりするものを、 日光を遮って育てることで柔らかく育てるというのはいろんな野菜で適用されている手法なのだ。
こういうのも人類の食へのあくなき追求だよね。
最初に考えた人はすごいと思うよ。
きっと、たまたま日陰で育ってものが柔らかかったり、苦みが少なかったりして、そういうのをヒントにしてやってみたんだろうね。
そして、植物の方も、日光を遮られてもなお育とうとするからこそできるわけで、その生命力もすごいのだ!

2017/05/13

どっちが起源

フランスに来てから、豚ひき肉が手に入らなくて困っていたんだよね。
ところが、実は普通にスーパの精肉コーナーになったのだ!
でも、それをよくよく見てみると・・・。
「ファルシ用」豚肉と書いてある!
そうか、ファルシに使うものか、ってファルシってなんだ?、となったわけ(笑)

ファルシというのは、いわゆる肉詰め料理。
日本ではピーマンの肉詰めがおなじみだけど、フランスでは、トマトのファルシをよく見かけるよ。
ナスやズッキーニなんかもあるのだ。
さらに、葉ものでひき肉のたねを包んだものもファルシ。
つまり、ロールキャベツもファルシで、フランスでは、シュー・ファルシというのだ。
フランスってあんまり豚肉を食べないみたいなんだけど、ファルシには使うんだね。

で、このファルシとうのは「farcir(詰める)」という同士から来た名前で、もともと「詰め物料理」ということのようなのだ。
西欧では、古代ローマの時代だから、ウサギや鶏などの内臓を除いて、そこにハーブや香辛料を詰める料理があったそうなのだ。
そう、韓国の参鶏湯(サムゲタン)のようなイメージ。
内側に香りのものを詰め込んで、おいしく食べようというものなのだ。
これがファルシという料理の起源だと言うのだけど・・・。
あれ、なんか今のものと違う。

むしろ、ギリシアにあるブドウの葉で肉などのフィリングを包む料理の方が近いよね。
これはドルマというのだけど、実は中東生まれの料理。
現在のギリシア料理はトルコ料理を通じてアラブ世界の影響を強く受けているのだ!
ギリシアだけでなく、東欧で、トルコの影響があったような国には似たような料理が残っているらしいよ。
今のフランスの野菜の肉詰めのファルシは、これがさらに西欧まで伝播してきたものじゃないかと思うんだよね。
同じ「詰め物」料理だから、名前がファルシになっただけで。

中東のドルマはと言うと、トルコ語の「dolmak(詰める)」の過去分詞(=「詰められた」)から来ているんだって。
そう、語源もフランス語のファルシと同じなのだ!
これはますますあやしい。
ちなみに、アラビア語でも「詰められたもの」を意味する「マハシー」という名前なんだって。
日本語の「肉詰め」も同じだけど、どこでも同じような名付け方なんだね。
ちなみに、英語で肉詰めピーマンは「stuffed pepper」なので、やはり「詰められたピーマン」だよ。

中東のドルマは、すでにササン朝ペルシアの時代にあったようなのだ。
6~7世紀くらいみたいだよ。
このときの料理法は、まさにブドウの葉で何かを包む、というものだったみたい。
中世になると、イスラム世界ではすでにマハシーは一般的な料理になっていて、それがトルコ帝国によってさらに幅広く伝播されたんじゃないかと思うんだよね。
野菜と肉の取り合わせというのが万国共通で好まれているんだろうね。

一方で、古代ローマの肉にハーブなどを詰める料理法も現代に生き残っていいるよね。
今でもローストチキンを作るときは、内臓を除いた腹腔にハーブなどをつめるし、サンクスギビングの七面鳥もそうなのだ。
ジビエ料理では、臭みをとるためにこういう料理が特に大事なのだ。
英国料理として名高いハギスは、羊の胃の中に羊の他の内臓の詰め物をするものだけど、詰めるという発想は同じかもね。
詰める中身が斜め上の発想なだけで(笑)

でも、こうやって考えてくると、不思議なのは、フランスで売られているファルシ用の肉が豚肉であること。
中東から来たものなら、豚はダメだよね。
フランスのファルシも必ずしも豚ではないのだけど、スーパーで売られるくらいメジャーな詰め物用の肉であることは確か。
素材との相性の問題で、クセが比較的弱い豚肉の方がおいしい、ということなのかな?
これは、ムスリムでない国の発想だよね。