にがずっぱい!
気温もぐんぐん上がってきて、なんとなく梅雨も近づいて、いよいよ夏が近づいてきたのだ♪
今年は冷房がなくてきつそうだけど、やっぱりボクは夏が好きなんだよね。
そんな夏好きがそわそわする季節に出てくる果物が夏みかん。
最近はほとんど食卓でみかけなくなったけど、初夏の風物詩なのだ。
この夏みかん、江戸の中期に萩藩青海島(現在の山口県長門市)の砂浜に流れ着いた柑橘類のタネを植えて育ててみたのが始まり、という不思議な出自。
今でもその原木は残っているそうなんだけど、これは史跡かつ天然記念物に指定されているのだ(ちなみに原木部分は根本のみで、上は接ぎ木されたものだって。)。
皮が厚くて実が大きなブンタンが何か別の柑橘類と自然交配してできたものだろうと言われているんだ。
確かに、皮の厚みや実の水分の少なさはブンタンゆずりだけど、あの独特の甘さはないよね・・・。
むしろ、酸っぱくて、ちょっと苦みがあって、という印象で、味的には大きく異なるのだ。
そんな味なので、江戸中期に栽培され始めたころは生食用ではなく、大きな実を子どもがおもちゃにしたり、酸っぱい果汁を食酢のかわりにしたりしたのだ。
食酢の代わりというのはスダチやカボスに似た使い方だね。
でも、明治になると生食されるようになったのだ。
そのきっかけは、秋から冬にかけて色づいて来た実を収穫せず、初夏まで放っておいてから食べてみたこと!
すると、酸味が減って、その分甘みが感じられ、爽快な甘酸っぱさになったというのだ。
ここで「初夏」と言っているのは5~6月なんだけど、今の感覚だとちょっと「初夏」には早い気がするよね。
でも、東洋的な季節のとらえ方だと、気温がぐんぐん上がり始める時期である「立夏」を過ぎたら「夏」だったので、ちょうど新暦の5月くらいが「初夏」だったのだ。
夏みかんはナツダイダイとも呼ばれるんだけど、これはダイダイと同様に実が色づいてからも長く木になり続けるからみたい。
ダイダイはそれこそ2~3年もなり続けるので、それが「代々」にかけられ「だいだい」と呼ばれるようになったのだ。
それで縁起がいいからと正月飾りなんかにつかうんだよね。
夏みかんも同様で、冬に熟してからも放っておけば木になったまま。
あるとき、誰かが気がついて初夏に食べてみたら、酸味成分であるクエン酸や酒石酸が減り、もともとある糖分の甘さが目立つようになったのだ。
(6月を過ぎるとまた実の色が薄くなり、やがて緑色にもどる「回青」という現象が起きるので、それまでに収穫するようだよ。)
糖度は12くらいで、温州ミカンとほぼ変わらないそうなので、実は結構甘い果物なのだ。。
糖度の比較はこの表がわかりやすいよ。
現代では露地もの、ハウスもの、輸入ものとそれこそ1年中いろんな果物が食べられるけど、明治の初期は果物の旬は通常の収穫時期のみ。
初夏に食べられる夏みかんは貴重な存在だったのだ。
それで萩藩では、明治維新で職を失った下級士族に夏みかんの栽培を奨励し、一気に栽培量が増えていったみたい。
さらに、昭和10年(1935年)になると、大分県の果樹園で川野さんがより甘みのある変わり種を発見したのだ。
それが「甘夏」で、発見者からカワノナツダイダイと呼ばれるんだよね。
戦後は夏みかんから甘夏に徐々に置き換わっていったみたい。
糖度が上がったというより、酸味が早めに抜けるようなのだ。
実は、日本人は無類の夏みかん好きで、その独特の苦みがある甘さと酸っぱさを楽しんでいたのだ。
グレープフルーツの自由化が始まると夏みかんの生産量は減っていくんだけど、昭和61年(1986年)に伊予柑にぬかれるまでは、柑橘類ではダントツの温州ミカンに次ぐ消費だったみたい。
今でも夏みかん味のガムやアメは人気があるよね。
さすがにグレープフルーツや伊予柑、スイーティーなんかが出てきているので、生食する機会はほとんどないけど、それでも、夏みかんの皮の砂糖漬とか夏みかんのマーマレードなんかはけっこうよく見かけるよ。
和菓子では、夏みかんをくりぬいて果汁を寒天で固めた夏柑糖なんてのもあるよね。
これがまたさっぱりとした味わいでおいしいのだ(^o^)/
ちなみに、夏みかんの木は意外と街中でも見かけるよね。
ボクも小学生くらいのころよく気になっていたのだ。
見ているとおいしそうで、もらったこともあったんだけど、食べられたものじゃないんだよね(>o<)
記憶が定かでないけど、きっと時期がダメだったんだろうな。
5月くらいにもらえば、生食もできるはず。
今度もらうなら今の時期だね!
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