2014/09/27

コメの消費を上げるためにも米粉を食べよう

先日、はじめて「ケンミンの焼きビーフン」を食べてみたんだ。
肉、味付ビーフン、野菜を重ねて水を入れて蒸し焼きにするだけ。
意外と簡単にできて、なかなかのもの。
CMでは存在を知っていたけど、こういうものだったんだ、と感心したよ。
東南アジア料理として食べるビーフンとはやっぱり違って、和食としてアレンジされているんだね。

ビーフンはうるち米を材料とするライスヌードルの一つで、中国福建省当たりが発祥のもの。
ベトナム、タイ、インドネシア、シンガポールなどでもメジャーなものなのだ。
ライスヌードルはその名前のとおりお米を原料として麺類の総称で、ベトナムのフォーや生春巻きに使うライスペーパー、中国の点心で出てくる腸粉、タイ風焼きそばパッタイに使う平太麺のセンレックなどが含まれるよ。
もともと中国では、小麦を原料とした麺類を「麺」と呼んで、米を原料としたものを「粉」と呼んだんだって。
よって、「ビーフン(米粉)」はまんまの名前なんだよね。
ちなみに、ここで言う「麺類」というのは、イタリアのパスタの概念と同じで、必ずしも細長いひも状のものだけでなく、シート状のものなど様々な形状のものが含まれるよ。
餃子も春巻きも麺類。

中国やインドのような国土が広い国だと、国内でも気候条件が大きく違うので、地方によって主食となる穀物が違うのだ。
北部の寒冷な乾燥した地域では主に小麦が、南部の温暖で湿潤な地域では主に米が食べられるんだよね。
(更に土壌が貧困な場合はそばなんかになるよ。)
なので、インドカレーでも北部料理はナンを、南部料理はライスをつけるのだ。
中国も同様で、北部由来の北京料理だと小麦がメインだし、南部由来の福建料理だと米がメイン。
炒めビーフンも福建省から伝わっているのだ!

麺と粉の大きな違いはその作り方。
小麦麺の場合、多くは小麦粉と水を混ぜ、生地を練って麺にしていくんだよね。
このときに塩を入れることで、コシのもととなるタンパク質のグルテンが生成され、独特の硬さ・粘りが出てくるのだ。
小麦麺の弾力があって、ぷっつりと切れる食感はグルテンによるところが多いよ。
一方、米粉の場合は、水につけたまま米をひいて白濁液を作るところから始めるんだ。
これを濾過してデンプンを主成分とする生地を取り出し、ところてんのように細かい穴から湯の中に押し出して作るのがビーフン。
生春巻きに使うライスペーパーの場合は、白濁液をクレープのように布の上に丸く広げ、蒸し上げるんだよ。
フォーのような平麺は、白濁液を熱した鉄板の上に広げ、シート状に固まったものを切っているんだ。
いずれもその後によく乾燥させるところがみそ。
パスタのように長期保存ができるのだ。
粉を水と一緒に練るんじゃなくて、水と一緒に米を砕いて、形を整えてから乾燥させる、というのが一般的な製法だよ。
点心の腸分のように乾燥させずに「生」で食べる料理もあるようだけど。

この粉の場合、もっちりとした食感になるけど、これはデンプンの中のアミロペクチンによるもの。
小麦よりも米の方がアミロペクチンが多いので、もちもち感が出るのだ。
同じようにデンプンを抽出して作る春雨は、小麦よりもアミロペクチンが少ない豆を原料に使うので、つるっとした食感で、もちもち感はほとんどないんだよね。
同じ米で、うるち米から作る上新粉と餅米から作る白玉粉では性質が違うけど、ビーフン類の多くはインディカ種のうるち米から作るので、そこまでもちっぽくはならないみたい。
最近では、米由来のデンプンだけじゃなく、ジャガイモやタピオカ由来のデンプンを句会えたりもするようで、すでに「粉」でも亡くなりつつあるようなのだ。

米粉が注目されてきているのは、我が国のように米が余っていて米食を推進したいからではなく、グルテンフリーの食品の必要性が認められてきたから、
セリアック病という自己免疫疾患では、グルテンが標的となるので、小麦を使った料理が食べられないのだ・・・。
いわゆる小麦アレルギー。
でも、これってかなり痛い話で、純然とした和食なら麩を食べなければ済むようなものだけど、洋食とかでは相当つらいよね。
そこで脚光を浴びたのが米粉を使った食品。
米粉パンであったり、米粉を使った麺類なのだ。
日本では未だにライスヌードルにあたる米粉を使った麺類の総称がないけど、これは伝統的には小麦を食べなくてもなんとかなっていたからなんだろうね。
今は逆輸入の形でライスヌードルが注目され、逆にもうカタカナ語でよくなってしまったので、改めて漢語を作る必要がないのだ。

2014/09/20

大英帝国崩壊の危機か

イギリスの正式な国名は、「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」であることはわりと有名だけど、この枠組みが崩れかけたのだ!
今月18日にグレートブリテン島北部に位置するスコットランドが独立するかどうかの投票を行ったのだ。
むかしからくすぶっていて、ずっと徐々に独立賛成派が増えていたんだよね。
独立すれば、300年以上ぶりの独立となるんだ。
今回はけっきょく独立は見送られる形になったけど。

日本から見るとよくわからないけど、もともとイングランドとスコットランドは分化も民族も違う別の国。
同じお受けが君臨して「二重帝国」になっていたのだけど、1707年に連合法というのがイングランド、スコットランド双方の議会で成立し、連合王国であるグレートブリテン王国が誕生したのだ。
北部アイルランドがこれに加わるのは1800年の連合法だよ。
ちなみに、もうひとつのウェールズだけはちょっと位置づけが違って、13世紀中頃にウェールズ大公(Prince of Wales)をいただくウェールズ公国が誕生するんだけど、すぐにイングランドのエドワード1世王に侵略され、イングランドの統治下に入ってしますうのだ。
なので、連合王国の一角ではあるけど、イングランドの一地方という扱いなんだよね。
ちなみに、このとき、エドワード1世は長男のエドワード2世にウェールズ大公の地位を継がせたので、それ以来、イングランドの皇太子は「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を引き継ぐことになるのだ。
これが連合王国になった今でも続いているわけ。

こういう経緯があって、イングランド、ウェールズ、スコットランド及び北部アイルランドが一つの連合王国になったのだけど、スコットランドだけは独立心が強く、たびたびイングランド主導の連合王国統治に不平・不満を漏らすのだ。
それで独立騒動がずっとくすぶっているわけ。
それが噴出したのは今のエリザベス2世女王陛下の戴冠のとき。
イングランドには「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれたエリザベス1世が君臨していたけど、スコットランドとしてはエリザベス女王の統治ははじめてだったのだ。
そこで、新たに君臨するエリザベス女王が「1世」なのか「2世」なのかでもめたんだって・・・。
最終的には、女王本人の意思で「2世」となったんだけど、そのとき、新基準として、「○世」が異なる場合は大きい方の数字をとる、と決めたんだそうだよ。
ただし、国王又は女王が自らなんと名乗るかはまわりが決めるのではなくて、「国王大権」として本人が決めることなので、次の王がこの新基準を採用するかどうかは未定なんだとか(>o<)

1998年にはスコットランド法というのが制定され、外交、軍事、財政・金融、麻薬取り締まり、移民政策などの連合王国が一体として取り組むべき政策課題(いわゆるウェストミンスター議会留保事項)を除き、スコットランドは独自に法令を作ることが認められたのだ。
これにより、福祉政策や、所得税率、禁煙政策など、スコットランドは独自の法制度を持っているのだ。
かなりの裁量が認められるようになっているわけ。
もともとスコットランド法は大陸法系で、英米法ではないというところも興味深いけど。
これでも足りないから独立、ということなんだけどね。

日本から見てイギリスというと、タータンチェック、キルト、バグパイプ、ウィスキー(スコッチ又はアイリッシュ)、ゴルフ発祥の地(セント・アンドルーズ)などが思い浮かぶけど、これも多くはスコットランドの文化。
産業革命を支えた石炭もウェールズとスコットランドのものだし、「国富論」のアダム・スミス、「シャーロック・ホームズ」のコナン・ドイル、電話の発明者のグラハム・ベル、蒸気機関を発明したジェームス・ワットなど、スコットランド出身者が多く活躍しているんだ。
英国首相のトニーブレアさんやゴードン・ブラウンさんもスコットランドの出身。
英国の産業や文化、政治を支える上で重要な位置を占めているので、今さら独立されるとかなりの影響が出るはずなんだよね・・・。

それでも独立を画策しているのは、北海油田の石油があるからなんだとか。
スコットランドにはまだ石炭もあるし、欧州随一の埋蔵量と言われている石油もあれば、かなりの経済力が見込めるからね。
イングランドと一緒でなくてもやっていけるぜ、ということみたい。
ただ、本当にそうなのか、とスコットランドの中でも思っている人がいるわけで、ずっと独立はしなかったんだけど。
実際どうなるかはよくわからないけど、仮にスコットランドが独立すると、英国の国旗のユニオンジャックは変更されるのだ。
もともとイングランド、スコットランド及びアイルランドのそれぞれの国旗を組み合わせたものなので、背景の青地と白の斜めクロスのスコットランド国旗分がはずれるんだよね。

2014/09/13

実録シリーズ?

先日、「昭和天皇実録」の編纂が完了し、今上天皇陛下に奉呈された、という報道があったのだ。
現在はその写しを皇居東御苑で公開(特別閲覧)していて(11月いっぱいの予定)、奉呈されたのと同じ装幀の副本も展示されているんだって。
来年から5年間かけて刊行されるらしいけど、12,000ページもあるらしいし、きっとハードカバーだから高いんじゃないかな・・・。
こういうときこそ、図書館で読みたい時代だけ読むのがよいよね(笑)

もともと「実録」というのは、中国で正史を作る際に参考にされる各皇帝の一代記のことで、その統治下での事績がまとめられるのだ。
中国は必ず前王朝の成立から滅亡までを正史としてまとめ、今の王朝の正当性を主張するんだよね。
なので、「史官」という歴史書を作成する官職があるくらいなのだ。
米国の政府機関でも「historian」という役職の人がいて、政策史をまとめているんだよね。
日本では今回の「実録」を作るので、宮内庁の書陵部にはそういう役職の人がいるけど、正式に歴史を紡ぐ人はいないのだ(>o<)

日本での実録の扱いは中途半端で、各代について作成していたわけじゃなくて、「日本三代実録」のように、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇の三代をまとめたようなものも。
そもそも大和朝廷がずっと続いていることもあって、「朝廷の正当性」を主張する正史の必要性は薄くて、「正史」もきちんと作られているわけではないのだ。
「王権神授」というか、皇祖皇宗の由来をひもとく日本書紀があれば事足りる部分もあったんだろうけどね。

一方で、江戸時代には「徳川実紀」というのが幕府によって編纂されていて、江戸幕府の公式記録になっているのだ。
もともとは初代家康公から10代家治公までの事績を12代家慶公に献じたもので、各将軍の諡号に実紀をつけて、「東照宮御実紀」(家康公)、「台徳院御実紀」(秀忠公)、・・・と将軍の治世ごとに事象を日付順で記載したもの。
将軍の逸話を収めた付録もあるとか。

11代家斉公以降も大政奉還まで実紀は編纂され続け、その後半部分は「続徳川実紀」とも呼ばれるのだ。
もともとは将軍ごとの実紀なので、幕府内では単に「御実紀」と呼んでいたものを、明治時代にまとめて総称する際に「徳川実紀」と名付けたとか。
江戸時代は火事が多かったので、古い時代のものは資料が散逸していて、幕府内の公式記録だけでなく、他からの資料の転載のようなものもあるらしいけど、江戸時代の歴史書として非常に貴重なものなのだ。
本体は国立公文書館が保管しているけど、国史大系の一部として刊行されているし、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーでも見られるのだ。
これは実質上の「正史」なんだけど、幕府自らが作っているから、中国の歴代王朝の「正史」とはまた位置づけが異なるのだ。

話は「実録」にもどると、明治になって、きちんと各天皇の御代について実録を作ろうということになって、孝明天皇から実録の編纂が始まったのだ。
戦前は宮内省が担当で、それが戦後宮内庁に引き継がれているわけ。
「孝明天皇紀」、「明治天皇紀」は存在が知られていたんだけど、「大正天皇紀」は存在は推測されていたものの、長年宮内庁で情報公開の対象から外されていて、幻の実録だったのだ。
ところが、21世紀に入って、情報公開・個人情報保護審査会が非公開は不当とする判断を下したので(平成13年)、翌年以降一部が黒塗りの形で公開されることになったんだって。
それを受けてか、今回の「昭和天皇実録」は最初から全文が公開されることになっているのだ。
マッカーサー元帥とのやりとりや、終戦前夜の動向など、すでに知られていることも多いけど、未公開の側近や侍従の証言・メモなど、新たな情報も含まれているとか。
個人的にはかなり興味あるなぁ。

2014/09/06

保存食は防災訓練のタイミングで更新を!

9月1日の防災の日に、うちの職場でも防災訓練があったのだ。
毎年やってはいるけど、今回は訓練の一環として、備蓄倉庫にある乾パンとビスケットの配給も受けたのだ。
ま、これは訓練というより、単に配るだけだから、備蓄食料のリニューアルのために古いものを処分するという意味合いが強いような気もするけど(笑)

今回もらってきた乾パンもビスケットも実は中身は同じで、三立製菓という乾パン製造では主流メーカーのもの。
おやつ用に袋に入って売っているものよりは大型の乾パンがみっしりと5枚セットで袋詰めになっているもの。
長期保存するものだけあってかなりの乾燥度で、一口食べると口の中の水分がすべて持っていかれてしまう・・・。
水も貴重な災害時にこれを食べられるのかは少し疑問だなぁ。

乾パンは保存食としての堅パンの一種で、堅パン自体は欧州ではむかしから食べられていた保存食なのだ。
古代ローマでは兵糧として支給されていたらしいよ。
二度焼くなどの手法によって極限まで水分を除くことで、腐敗を防止して貯蔵性を高め、寒冷地での凍結にも強くなるのだ。
また、水分がない分だけ軽くなるので、携行も容易に。
まさに軍隊が戦地に持っていく食料としてはふさわしいものだったんだよね。
大航海時代にも活躍するのだ。

一方、我が国の伝統的な保存食は、乾燥させたお米。
伊勢物語にも旅の携行食として「干し飯」が出てくるよね。
「東下り」で三河国八つ橋まで来たところで、在原業平公が「かきつばた」の歌を詠んだとき、同行者はその歌に感動して「干飯(かれいい)」に涙をこぼし、ふやけた、というエピソードがあるのだ。
鎌倉時代以降は「糒(ほしい)」の字が当てられるようになって、代表的な携行食糧になるんだよね。
もちろん、兵糧としても使われていたよ。
水で戻してもいいし、そのままぱりぽり食べられるし。

江戸末期くらいに西洋から堅パンが導入され、やがて日本人の口に合うように日本式アレンジがなされ、今の乾パンができあがるのだ。
糖分を補うのと、唾液を出やすくして食べやすくする目的で、氷砂糖や金平糖が同梱されるようになるのだ。
試行錯誤の結果、陸軍が仕様を決めて郡民協働で開発して今の形になったようだよ。
たまに食べると、絶妙な甘さも合ってなかなかおいしいよね。
でも、これだけだとつらいけど・・・。

一方で、日本人としてはお米も食べたい、という欲求があるので、伝統的な糒も改良が重ねられ、「アルファ化米」として携行食糧となって軍に採用されるのだ。
お米の中のデンプンがアルファ化されるともっちりとおいしい食感になるんだけど、それには蒸したり、炊いたりして熱をかける必要があるし、一度アルファ化しても、時間がたつと劣化してきて堅くぼそぼそになるんだよね。
アルファ化米は、もっちりした状態のまま乾燥させることで、水やお湯でもどすともちもちしたお米が食べられる、というものなんだけど、いかんせん、戦時中のものはおいしくなかったようなのだ。
それでかなり否定的なイメージが国民の間に広がって、戦後は災害用の備蓄食料としてはおやつとして食べてもおいしい乾パンが主流になっていったんだ。
登山やキャンプ用の携行食糧としてはアルファ化米も生き続けるんだけどね。

ところが、阪神大震災の時にまた流れが変わるのだ。
実際に災害が起きて、毎日のように乾パンを食べることになると、とにかく飽きる。
そして、お米が食べたい、というニーズが高まったんだそうだよ。
そのころにはアルファ化米の技術も格段に進歩していて、おいしく戻せるものができあがっていたのだ。
で、アウトドア用品として売られていたアルファ化米を配ったところ、これが大好評。
また伝統的な糒が備蓄食料として復権したのだ。
もちろん、「サトウのごはん」のような加熱調理するものの方がおいしいのだけど、アルファ化米はお湯や水で戻すだけという簡便性があるし、何より、真空パック+乾燥技術で保存期間もかなり長期にできるのだ、やっぱり備蓄にはアルファ化米が便利なんだよね。

うちの職場にはアルファ化米はあるのかな?
防災訓練でもらった後、お昼に乾パンを食べたんだけど、最初はおいしいものの、やっぱり飽きるし、何より大量の水分がないと食べられないんだよね(>o<)
本当の災害時にはこれはけっこうきついかも、と思ったよ。
水で戻せるアルファ化米(しかも、今は五目ごはんやおこわ、赤飯など、それだけで食べられるものもあるよ!)があるといいんだけどなぁ。
ボクはどちらかというとごはん党だし(笑)

2014/08/30

協調しつつも各自の判断で

自律分散処理という概念があるのだ。
中央で一括処理するのではなく、処理を分散させて並行処理をさせるんだけど、勝手にばらばらと処理するのではなく、全体がちょうわするようにそれぞれが自律的に処理するようにするのだ。
というとなんだか難しいけど、こういうシステムは意外と身近にあるのだ。

例えば、人間の場合、脳で情報処理をしているわけだけどこういうシステムが採用されているんだよね。
膝のあたりをたたくと足がぴんと伸びる「膝蓋腱反射」というのがあるけど、これって意識して動かしているわけではなくて、刺激に応じて勝手に体が動いているのだ。
いわゆる「脊髄反射」みたいなもので、一番低レベルの情報処理でA=>Bというプログラムを実行するもの。
感知した刺激がAなのかそうでないのかだけを区別すればよいだけなので、脳の高次機能を使わず、あらかじめ組み込まれたプログラムに従って刺激が来たら無条件に動くので、「無条件反射」とも呼ばれるよ。
これは熱いものを触ったら手を引っ込める、転びそうになると手をつこうとする、というのと同じ。

ちょっと複雑になると、自転車に乗るためにバランスをとる動作というのがあるんだよね。
最初のうちは意識して苦労しながらバランスをとるんだけど、慣れると自然にバランスがとれるようになって、「バランスをとらなくてはいけない」なんてことは意識しなくて済むようになるのだ。
これは小脳の記憶によるもので、いったん小脳で細かいバランスをとる動きが記憶されると、以降はその記憶をもとに無意識で体が動くようになるんだって。
これは水泳でも同じで、泳げないうちは意識していないと体が沈むけど、いったん泳げるようになるとそんなことはまったく気にならなくなるのだ。

もうちょっと複雑なのは「パブロフの犬」の条件反射。
梅干しを診るとつばが出る、みたいなのだけど、これは先天的に備わっているプログラムではなく、後天的に獲得されたプログラムによる反射なのだ。
なので、まず最初にプログラムを条件付けとして記憶に書き込むことが必要で、「えさを与えるときは必ずベルを鳴らす」なんてことを繰り返すわけ。
これはAという刺激が来たときに過去に条件付けされたBという記憶と照らし合わせ、その二つが合致するときにCという反応をするプログラムなのだ。
なので、A+B=>Cみたいな感じ。
刺激が来てから条件が満たされているかどうかを判断する部分があるので、ちょっと高度な判断をしているんだよね。

でも、条件反射までは意識下で体が反応しているのだ。
もっと高次の反応になると、ある刺激に対して、過去の記憶に照らしてそれが好ましいものかどうか、危険なものでないかどうかなどを判断して反応するんだけど、この場合は意識的にああでもない、こうでもないと考えた末に行動するのだ。
それだけに時間がかかるわけだけど、プログラムとして自動的に答えが出せるようなものではない場合に多様な臨機応変に多様な反応が導き出せる点が有利なのだ。
悩むだけで先に進まないこともあるけど・・・。

これらはおそらく進化の過程で獲得してきたもので、無条件反射のようなものはそれこそ生存競争で生き抜くために必要だったもの。
条件反射は刻々と変わる環境の変化に適用する上で必要となるから、より生存が有利になるものとして身につけてきたもの。
そして、最後の意識的な反応は、群れを作る、子孫を残すパートナーを見つけるなどの社会性のある行動をとるために必要なのものとして手に入れたものと考えられるよね。

実はコンピュータのデータ処理も似たようなもので、最初はあらかじめ入ったプログラムに従ってインプットを入れるとアウトプットを出すだけ。
電子計算機がまさにそれだよね。
もう少し進化すると、インプットを入れたときの条件次第で反応が変わるというもの。
エアコンのスイッチを入れると室温によって暖房と冷房を切り替えるみたいな話だよね。
初期のパソコンのサブルーチン・プログラムなんかは、インプットがある条件を満たす場合はこういうアウトプット、そうでない場合はこういうアウトプットという形式のもので、これを複層的に積み重ねてファミコンのゲームなんかは作られていたんだよね。

で、今必要とされているのは、インプット又は処理すべきデータの種類によってどの階層で処理するかを自立的に判断し、末端から中央までの適切なところで処理を行うことで、全体の処理の効率化を上げる、というシステムなのだ。
例えば、クレジットカードの決済は必ず中央で処理をするので数分かかるんだけど、SUICAのような電子マネーは端末又はそのすぐ上のノードでデータを蓄積しておいて、一定期間ごとに中央に集めて整合性を検証するシステムになっているのだ。
これにより決裁スピードがほぼリアルタイムになっているし、例え中央サーバが落ちても端末が生きているとシステムは一定期間動き続けるんだよ!

ただし、これらはそれぞれ処理形式も含めてあらかじめ決められていて、データを見てその場でどの階層で処理するかを決めているわけではないのだ。
それには、データのタグ付けやデータの評価などをしてどの階層での処理が適しているかを振り分ける技術がいるわけで、しかも、その振り分け方によって全体が調和をもって運用できるシステムにならないといけないのだ。
でも、地理空間情報をリアルタイムで把握して自動車を無人走行させたりする場合、全部を中央処理にしてしまうとプラレールのように決まった動きしかできないのだ。
それぞれがいろんな動きをするんだけど全体としては調和がとれていて、仮に何かトラブルがあっても適切に処理できる、ということを考えると、自律分散処理にしないとダメなんだよね。

信号を守る、自分の速度・進行方向を適切に把握する、というのは一番低層の処理でよいのだけど、それをある程度集約して一定範囲内で自動車同士が衝突しないように調整する、という次の階層があって、さらにそれでいて効率的な交通・流通システムになるように自動車が動くという最も高次な調整を行う階層があるはずなのだ。
でも、一台一台全部の動きをミクロに解析して調和的に動かそうとするとどんなに処理速度の速いスパコンでもリアルタイムではできないし、そもそも各自動車からのデータの吸い上げにも時間がかかるので、機能しないシステムになるのだ。
処理するデータが増え、複雑になるほどこうやって処理しないと回せないのが現実で、ビッグデータがはやっているけど、次にはこの技術がないとけっきょく使えないということになるんだ。
なので、これから熱くなる言葉だよ!

2014/08/23

口伝

産経新聞が福島原発の故・吉田昌郎所長のインタビューが含まれる政府事故調の吉田町署について朝日新聞の報道を批判しているのだ。
もともとは朝日新聞が5月に独自ルー-とで入手した内容を報道していたんだけど、産経新聞が改めて8月に同文書を入手し、内容を分析したところ、朝日新聞の報道内容に疑義を呈しているんだよね。
つまり、自分たちの主張に都合のいいところだけとったのではないか、ということなんだけど。

従来の歴史学は主として文献資料や遺跡・遺物などの考古学的資料をもとに研究をしていたんだけど、それだけではつかみきれない情報があるということで、当時の担当者が存命中に直接インタビューをして、それまで紙に書き起こされていなかった情報を残す手法が始められたんだよね。
これが「オーラル・ヒストリー」というもの。
どうしても当時の関係者に話を聞くので、客観的な内容ではなく、その人の主観に基づく情報になるけど、複数の関係者、立場の異なる人の話を聞くことで、全体像が見えてくることもあるのだ。
福島の事故対応については、様々な政府の文書、東電の資料があるし、官邸・東電と福島原発との間のテレビ会議の録画画像なんかもあるんだけど、それだけでは足りないところは確かにあるんだよね。
例えば、今回問題になっている、官邸の指示を現場でどう受け止めていたのか、といったものなんかはあえて資料にはしないので、録画画像で微妙に現れてくる表情の変化を読み取る、といった世界になるのだ。
また、資料の最終版は紙で残されているけど、その検討過程でどのような議論があったのか、誰がどういう主張をしていたのか、といった情報は通常残されないので、そういったものをきちんと記録しておくという意味があるんだよね。

日本にも国立公文書館があって、江戸幕府以来の政府の政策文書を保存・管理しているんだけど、米国のナショナル・アーカイブスに比べると収集・保存している資料の数は段違いなのだ。
米国の場合、アポロ計画で使った月面地図とか、大統領の演説の音声データなんかは常に公開されているし、機密性の高い政策文書でも、一定の期間の経過の後に公開される仕組みが整っているのだ。
さらに、歴代大統領が残した資料については、手書きのメモも含めて、拡大頭領の出身地に整備される大統領図書館に保存されるんだよね。
これがものすごい貴重な資料のようなのだ。
ちょうどスプートニク・ショックやミサイル・ギャップの時の資料が公開されたとき、アイゼンハワー政権やケネディ政権はどういう情報をもとにどういう政策判断をしたのかの政策研究が進んだのだ。
日本では資料もあまりそろっていないし、分析する人も少ないので、なかなかこうはいかないんだけど。

日本でオーラル・ヒストリーをもとにした政治学研究をしている第一人者と言えば、時事放談の司会もしている御厨貴さんが有名。
学者ではないけど、ジャーナリストの立花隆さんなんかも時事問題について当時の関係者と対談したりしている著作が多いので、後々この分野では重要になるはずなのだ。
日本の宰相では、中曽根康文大勲位はかなりの数の自伝的著作を残していて、これは将来貴重な文献になるんだよね。
で、これらの著作の中には、本人が自伝として書いているものだけではなく、誰かに取材されて答えているものもあるので、オーラル・ヒストリーの記録でもあるんだ。
安全保障の専門家の佐々淳之さんの一連の著作も直接の関係者が浅間山荘事件や東大紛争をどのようにとらえて動いていたかがよくわかる資料だよね。

古代中国でも古代ギリシア・古代ローマでも、歴史は時の権力者が自らを正当化するために残されてきた、極めて政治色の強いものでもあったのだ。
特に中国の歴史書はその傾向が顕著で、元王朝の正当性を示すために、前王朝の成立から滅亡までを書いているんだよね。
で、その滅亡には相応の理由があって、となっているのだ。
一方で、権力者の側に属さない歴史的資料なんかもあって、それらは、権力者が作る「正史」に対して「稗史」と呼ばれるのだ。
この「稗史」と比較することで、政治色をさっ引いて分析できるところがあるんだよね。

オーラル・ヒストリーもこれに近いところがあって、やっぱり政府が残す文書にはどうしても政策的意図がつきまとうので、そこに意図的に或いは無意識のうちに音sれている情報を拾い上げるのに重要なのだ。
昭和天皇の側近が残したメモが公開されて話題になったりもするけど、そうした隠された世界の情報がもたらされるという意味でも大きな意義があるんだよね。
自分がそういう歴史の証言者になることはなかなか想定されないけど、いつ聴かれてもいいように、都合のよい記憶だけじゃなく、メモも残しておいた方がいいんだろうね(笑)

2014/08/16

「れい」の乗り物

お盆シーズン真っ盛り!
この時期は笑点以外のテレビ番組でお線香のCMが入るよね。
町中でもお盆用の提灯や灯籠、お供え物なんかを見かけるようになるよね。
まだまだ日本の風習が残っているんだなぁと思うよ。
仏壇がない家庭も増えてきているんだけどね。

お盆という風習自体は、古代から続く日本の習俗に、道教や仏教が入り交じってできているので、不明な点も多いし、地域ごとにけっこう違うんだけど、共通している認識は、先祖の霊がこの時期に戻ってくるので、きちんとお迎えし、送り返すということ。
地獄の釜のふたが開いてそこから霊が出てくるなんていうこともあるよね。
京都五山の送り火も、長崎の精霊流しも考え方は同じなのだ。
お盆の時期に昆虫などを殺してはいけない(無駄な殺生はしてはいけない)というのも、御先祖様がそういった形態で現世にもどってきているから、という考え方に基づくんだよね。
気づかないところでもけっこう身近なところにあるものなのだ。

で、この時期によく見かけるものと言えば、割り箸などをさして動物に見立てたキュウリとナス。
ともに夏野菜の代表選手なのでこの時期にお供え物に使われることもあるけど、この場合は、御先祖様の霊の乗り物と考えられているのだ。
来るときは足の速いキュウリの馬に乗って、帰りは足はのろく荷物をたくさん積めるナスの牛に乗って、ということらしいよ。
これらは「精霊馬(しょうりょううま)」と言うんだって。
同じ夏野菜と言ってもトマトやピーマンじゃダメなのだ(笑)
某人気漫画ではブロッコリーが出てきたけど・・・。

もともとは水辺に生えるマコモで馬型の人形を作っていて、それが乗り物だったのだ。
すでに推古天皇の時代から熱に先祖の霊をまつる風習があったみたいなんだけど、これに時期的に近かったのが中国から伝わった七夕の風習。
七夕伝説の中では、天の川は天の瓜(キュウリ)からできたものという話があって、七夕にキュウリはつきもののようなのだ。
また、ナスのへたは仏の蓮でできた台座である「うてな」に似ているので、仏事に関連しているんだよね。
こういうのが混ざって、季節の野菜でもあるキュウリとナスが馬型を作るのに使われたようなのだ。

マコモでできた馬なら送り火の時に一緒に燃やせばいいのだけど、キュウリやナスだとそうもいかないよね。
かといって生ゴミで捨てたり、カブトムシのえさにするわけにもいかないし。
多くの場合は、川に流したりしたらしいのだ。
これは精霊流しや灯籠流しと同じで、常世(死後の国)は海の彼方にあるという信仰に基づくんだよね。
でも、送る側のナスはわかるけど、迎える側のキュウリも一緒なのはちょっとおかしんだけどね。

いずれにしても、お盆は先祖の霊を敬慕するよい機会。
御先祖様がいるから自分がいるのであって、自分のルーツに思いをはせるのも大事だよね。
ぐちゃぐちで起源はは不明になってはいるけど、伝統・風習としては残していきたいものなのだ。
お墓参りとかも忘れないようにしないとね。