2025/11/29

いつもここから

 最近、仕事で日本橋方面に行くことがあるのだけど、地味に熱い。
っていうか、三井不動産はしっかり都市開発しているイメージがある。
日本で最高層のビルも建築中だし。
一部は「三井のすずちゃん」のCMでも紹介されていたけど、三井不動産の肝いりで、日本橋地区に産業集積を作ろうとしているんだよね。
最初にできたのはLINK-Jというライフサイエンス系の企業・ベンチャーのネットワーク組織。
同じような枠組みで、2番目が宇宙のCROSS-U、三番目でできたばかりのが半導体の半導体のRISE-A
もともと日本橋には製薬系企業やベンチャーが集まっていたいうのもあってLINK-Jができたんだと思うけど、これが成功したからほかの分野もってことなんだろうなぁ。
で、実は日本橋という街は、江戸時代からイノベーションの中心地でもあったんだよね。


日本橋には「三越前」というすごい名前の地下鉄駅があるわけだけど、「三越」こと「三井越後屋」は日本で生まれた最初の百貨店。
もともとは呉服屋だったわけだけど、そのビジネススタイルはすでに江戸時代でイノベーションだったのだ。
有名なのは、
①店前現銀売(従来は通門を聞いてから商品を届けるか、買ってほしい商品を屋敷まで売りに行くスタイル、店頭に商品を並べてそれをその場で売買するのは三越から!)
②現銀掛値無(その当時は値引き交渉がある前提で高めの売値を提示して、とやっていたのだけど、それをやめて定価販売に徹した、というのは世界初)
③切り売り可(呉服屋では一反単位でしか売り買いしていなかったのだけど、顧客の需要に応じて反物を切り売り、これにより一反まるまる変えない顧客を開拓)
といったもの。

すでに江戸商いにイノベーションを起こしていたわけだけど、御一新後は、フランスの老舗百貨店であるラファイエットを参考に、呉服屋をベースに日本式の百貨店を展開。
商品カタログを作る、セールを告知するポスターを作る、電話による通信販売をするなど、今の業態の基本を次々と始めたのだ。
この開拓精神が現代にもつながっているんだよね。
最初の商社の一つである三井物産も、海外の輸入人を待っているだけじゃなく、自分で探してきて商品にするっていう思想から創設されているようだし。
で、アジアで最初、世界で三番目の地下鉄である銀座線ができるときは巨額を投じて日本橋三越の目の前に駅を作ったわけなのだ。

でも、日本橋がすごいのは三井だけではないんだよね。
もともと幕府の金座(金貨である小判・大判をつかさどる公的機関)は今の日銀のあたりに置かれていて、明治期以降も日本橋が金融の中心になるのだ。
一万絵札の顔である澁澤榮一翁の尽力で第一国立銀行ができたのはまさにそこ(本石町)。
その後、東京証券取引所の前身である東京株式取引所がつくられたのも日本橋(兜町)。
で、前島密さんが欧州の精度を参考に郵便事業を始めたのも日本橋で、今の日本橋郵便局の地が郵便発祥の地なのだ。

そのほか、中央区観光協会によれば、
(1)商品券(出汁でおなじみのにんべんが江戸末期に考案)
(2)人力車(最初の営業許可は日本橋)
(3)お子様ランチ(日本橋三越の食堂で「御子様洋食」として開発されたメニュー)
(4)ハヤシライス(丸善の創始者・早矢仕有的が考案)
(5)親子丼(人形町の軍鶏鍋の老舗「玉ひで」が鍋の最後に割り下に溶き卵と卵を入れて食べている客を見て考案)
(6)甘納豆(和菓子の老舗榮太郎が考案)
(7)稲荷寿司(人形町の志乃多寿司の初代店主が考案)
(8)味付海苔(明治天皇京都行幸のお土産として山本海苔店が開発)
などなど。
どれも江戸から明治にかけて開発されたもので、当時としてはしゃれた、時代の最先端を行くものだったはずなのだ。
ちなみに、高級フルーツの千疋屋も日本橋発祥で、もともとは江戸の町に発達していた水運を使って産地から仕入れた新鮮な野菜や果物を売る店としてできたらしい。
これも流通革命と言えばイノベーションなのだ。

今では銀座の方がおしゃれな街感を醸し出しているけど、銀座の街は御一新後すぐの二度の大火事で焼け野原になった後に開発されたのだ。
新橋に鉄道が通った後、日本橋と新橋をつなぐ場所に屋kの腹があったので、そこに最先端の街区を整備したイメージ。
もともと築地明石町に外国人居留地があったこともあって、洋風の赤レンガの街ができ、そこに当時は最先端のガス灯がともるのだ。
銀座の街が碁盤の目のように道が縦横に整備されているのは人工的に開発した街だから。
今ではそんなイメージはないけど、江戸城が立つ前は日比谷公園のあたりに海岸線があって、日比谷入江と呼ばれていて、江戸時代に徐々に埋め立てをしていって銀座や築地ができるのだ。
そういう意味ではウォーターフロントでもあって、江戸時代を通じて東日本の経済・金融の中心地であった日本橋から地続きで発展していった街でもあるんだよね。
横浜のみなとみらいや東京の晴海・有明のようなものだったのだ。

2025/11/22

栄養のかたまり

 どこにそんなに住んでいたのか、というほどクマが出てきているのだ。
どうも、今年は山の中に餌が少ないらしく、街中にまで出てきて探している、ということらしい。
でも、いざやあを降りてみれば、そこそこ食べ物もあるわけで。
クマの冬眠は両生類や爬虫類が仮死状態になるような冬眠とは違って、単純に代謝を極限まで落として寝ている冬ごもりの状態なので、十分い餌があればしなくてもよいんだよね。
極域にいるホッキョククマ(シロクマ)は冬眠しないわけだし。
で、一度町まで出て餌があることがわかると冬眠せずにずっと出てくるのではないか、みたいなことを言っている人もいるよ。
そうなると大変だ。

では、クマは冬眠の前に何を食べているのか?
まず重要なのは、ドングリなどの木の実。
クマは冬眠前にできるだけ皮下脂肪を蓄え、それを超低燃費で消費しながら春を待つのだ。
で、このときの餌集めで重要なのは、最終のコストはあまり高くなく、栄養価は高いこと。
実は、縄文人も採集生活の時はたくさんドングリを食べていたように、森林に拾いに行けば栄養価の高い木の実が手に入るという点でドングリは非常に優秀なんだよね。
その主成分は炭水化物(デンプン)や脂質。
適度にタンパク質やビタミン、ミネラルもあるようなのだ。
人間が食べる場合はあく抜きが大変だけど、健康食品業界では、ドングリは栄養価の高いスーパーフード扱いらしいよ。

なぜ栄養価が高いかというと、乾燥していて(=水分含有量が少なくて)エネルギー密度が高い食べ物だから。
単純に100gあたりのカロリーを比較してみるとわかるんだけど、
 ①スイカ        40kcal
 ②うどん(ゆで後)   100~130kcal
 ③ごはん(炊飯後)   170kcal
 ④食パン        250kcal
 ⑤ドングリ(シイの実) 240kcal
となっていて、ドングリは食パンに並んでグラム数当たりの熱量が大きいのだ。
ゆで前の乾麺のうどんや炊飯前の精白米はともに100gあたり350kcalくらいなので、デンプンなり脂質なりのカロリーのあるものの濃度の問題なんだよね(からっからの乾パンに至っては100gあたり400kcalくらいあるのだ!)。
いくら甘く感じても水っぽいスイカはカロリーが低く、水分量が減っていって相対的にデンプンや脂質の重量比が上がるとカロリーは高くなるのだ。
ま、当たり前だけど。

これに、最終が簡単というのもポイントが高いのだ。
クマは肉も食べるけど、肉を食べようとすれば借りが必要なわけで。
そうなるとけっこう体を動かさないといけないわけだけど、ドングリは拾うだけだからね。
短期間でとにかく栄養を取ろうと思うと極めてコスパの高い食料ではあるのだ。
でも、競合相手として、リスやネズミのようなげっ歯類なんかもいるので、ドングリが不作になってしまうと、冬眠前に十分な皮下脂肪が貯められなくなってしまうよ。
川沿いだと、遡上してきたサケというのも重要な栄養源で、日本では、ちょうど9~12月の増量期に「カモがネギしょった状態」で遡上してくるのだ。
産卵行動を終えたサケは力尽きてぷかぷか川に浮かんでいるけど、おいしいかどうかは別として(遡上してきた紗枝は脂が落ちに落ちていて食べてもおそらくおいしくない。)、超簡単に手に入るたんぱく源ではあるんだよね。
こっちも肉食の鳥だとかヤマネコのような競合相手はいるけど。

こういう冬眠前の食べだめ食料が不足すると、次の食料を探しに山を下りてくるのだ。
ちょっと前までは、里山の栗とか柿に手を出す程度なのでそこまで人と接触することはなかったわけだけど、さらに食料不足が深刻になると、人間がいようが構わずにさらに街中まで入ってきてしまうわけだね。
今がその状況。
で、襲われる人も出てきているのだけど、もっと怖いのは、こういう山を下りてきているようなクマは、山での餌の取り合いに勝てなかった、比較的弱いクマだということ。
つまり、山の中にはもっと強いクマがまだいるのだ・・・。

下手に餌を上げるのもよくないし、やっぱりある程度間引きして適正な生息数に落ち着けないと共存は蒸すかしいんだろうなぁ。
シカが増えすぎて餌がそっちに取られているんじゃないか、みたいな話もあるし、都市部周辺の山間部の生体全体を適正に管理しなくちゃダメなんだろうなぁ。
そういう点では、かつての日本の「里山」というのはわりとよくできたシステムだったんだと思うよ。

2025/11/15

リスクを取ってうまさを追求する?

 夏場に雨が多かったので、今年はマツタケが豊作なんだって。
で、全く同じ理由で、毒キノコも豊作。
例年、キノコ狩りであやまって毒キノコを食べて、というニュースが出るけど、今年は増えるかもしれないと言われているのだ。
で、毒キノコ誤食事案でもっとも多いのはツキヨタケ。
茶色い、キノコっぽいキノコなんだけど、見た目がシイタケやヒラタケに似ていて、いかにも食べられそうなんだよね。
でも、このキノコにはイルジンという毒成分が含まれていて、かなり激しめの下痢や嘔吐の症状が出るのだ。
死亡例の報告は少ないらしいけど、なかなかきつそうだよね。

で、ツキヨタケはまさに見間違いで食べてしまいそうになる、一見なんの変哲もないキノコだけど、見た目から明らかに毒キノコ然としているのもいるのだ。
その代表例は紅テングタケ。
白い斑点のある赤いかさ。
まさに絵にかいたような毒キノコ(笑)
見てすぐに毒っぽいなと分かるので間違って食べることはまずないけど、なぜか食べる人がいるのだ。
それは・・・。

おいしいらしい!
ベニテングタケの毒成分のひとつ、イボテン酸はアミノ酸の一種で、強いうまみを示すそうなのだ。
生体内ではグラミンさん受容体やアスパラギン酸受容体に作用するようだけど、コンブのうまみの主成分がグルタミン酸なので、まさに味蕾においても同じように作用するようなのだ。
カエンタケやツキヨタケ、ドクツルタケのような食べたら死ぬようなはがしい毒ではないこともあり、このうまみのために少量食べようとする勢力がいるらしい。
で、食べ過ぎちゃうと中毒症状が出るのだ。
それとは別に、似てから塩漬けにすると毒をかなり弱められるので、食糧難の時には食べていた、という地域もあるみたい。

ベニテングタケには、イボテン酸の代謝物(脱炭酸)で、やはり毒成分のムッシモールというのも含まれていて、この二つが複雑に絡み合って中毒症状を起こすのだ。
イボテン酸は血液脳関門(非常に密な血管内皮細胞の壁にy理限られた化合物しか脳内に侵入できない)を越えられないので、末端のアスパラギン酸受容体に作用するんだけど、これは興奮作用を起こすもの。
興奮、せん妄、けいれんなどにつながるのだ。
一方で、炭酸がとれたムッシモールは血液脳関門を越えて脳内に侵入できるんだけど、脳の中ではγアミノ酪酸(GABA)受容体に作用するのだ。
こっちは抑制系で、眠気、不快感、めまいなどが起こるよ。
で、この二つが同時に起こってしまうのだけど、成人ではムッシモールの方の抑制系の症状が強く出て、子供ではイボテン酸の興奮系の症状が強く出ると胃荒れているよ。
頭はもうろうとしてくるけど肉体は興奮状態にあるという不思議な状況になるわけだけど、この特性から、古代からシャーマニズムの儀式に使われたりしていたらしい。
則子宮の毒ではないというのがポイントだね。


さらに、ベニテングタケにはムスカリンという毒成分も含まれているのだ。
これはアセチルコリン受容体に作用するのだけど、やはり血液脳関門を越えられないので、末梢で興奮状態を引き起こすのだ。
副交感神経が刺激されて、発汗、縮瞳、血圧上昇などの症状が出てくるのだけど、心臓発作や呼吸困難につながるので危ない奴なのだ。
オウム真理教の地下鉄サリン事件でつくぁれた神経毒ガスのサリンは同じ作用を持つものだけど、ひどいとああいう状況にもなりかねないわけだ。
ベニテングタケの場合は微量にしか含まれないので、こっちの症状がメインになることはないようだけど。

というわけで、こうやって調べてみると、本当においしいならちょttくらいかじってみても、という気になってしまうな(笑)
でも、うまみ成分はあるがそこまで強くない、とかいう報告もあるようなので、あえてリスクはとらなくても、という気もする。
今はマイタケのようなうまみ成分(グアニル酸)が強いキノコがスーパーで売ってるしね。
ちなみに、天然のマイタケは、見つけると米を踊って喜ぶほどおいしい、というところから来ているらしいから、うまいキノコならそっちがノーリスク・ハイリターンだ。

2025/11/08

木を喰らふ

 わりと有名な雑学として、シロアリはアリではなくゴキブリの仲間、というのがあるのだ。
アリやハチのような女王を頂点とするコロニーを形成する社会性昆虫の代表選手だけど、「目」レベルで違うんだよね。
ちなみに、哺乳類のアリクイはアリもシロアリも食べるようなのだ。
ゴキクイじゃ動物園で人気でないよね・・・。

さて、そんなシロアリは日本のような木造建築中心の社会では非常に迷惑な害虫。
いつの間にか家がボロボロにされてしまうのだ。
これは、シロアリの仲間がもともと植物遺体を食べる昆虫だから。
そう、木材は樹木の死体を加工したものなんだよね。

シロアリが木材をかじって生活できるのは、セルロースを分解できるから。
このセルロースの分解というのが実は厄介で、多くの動物は自分でセルロースを分解することはできないんだよね。
カタツムリのような会の仲間は自分で消化できるらしいけど、哺乳類の草食動物は共生最近に分解してもらって栄養を取り出しているんだよね。
ウシが反芻するのは効率よく分解してもらうためだし、げっ歯類の中でも草食のハムスターの盲腸が異様に長いのは微生物にセルロースを分解してもらう必要があるから。
で、シロアリの場合も、腸内の共生細菌の力を借りて分解しているんだって。
ただし、シロアリの場合は自分で消化酵素を持っている仲間もいるようだけど。
とはいえ、まずは微生物にセルロースを分化してもらう、というのがメインみたい。

で、日本で困ったちゃんの害虫であるヤマトシロアリは「下等シロアリ」と呼ばれるもので、とにかく大きく強力なあごで硬い木材を細かくかみ砕き、腸の中で微生物にセルロースを分解してもらって栄養を摂取するのだ。
森の中の朽ちであれば問題ないんだけど、街中で木造住宅の柱でそれをやられると困るわけだよね。
人間の一方的な都合でしかないけど。
逆に、森の中では、朽ち木を分解してくれるという重要な役割を担っているのだ。
そもそも、セルロースは化学的にかなり安定なぶっしるで、だからこそ、木造建築だったり紙だったりが歴史の中で残っていくわけだけど、森の中でいつまでもセルロースが分解されずに残っていたら植物の遺体で埋まってしまうわけで。
こういう分解作用は重要だし、分解されたのちは他の植物の肥料になったりもするからね。
自然の摂理の中で必要な存在なのだ。

ちなみに、イエシロアリが「下等シロアリ」とすると、「上等シロアリ」もいるわけ。
国内でいうと、八重山諸島に生息するタイワンシロアリなんかがそう。
このシロアリは賢くて、巣の中でキノコを栽培し、そのキノコを食べているのだ。
そう、農業をするアリなのだ。
下等シロアリがセルロースの分解に協力してもらっている微生物は原生生物(バクテリア)が多いみたいだけど、こっちはキノコ、すなわち真菌であるカビと共生しているのだ。
しかも、体内ではなく、体外で。
そういうアリがいることは知っていたけど、「アリ」ではなくて「シロアリ」だったのか。
やっぱりゴキブリの類の方が賢いのかな?
アリは他のアリの出したg\フェロモンをたどることでえさ場に行きつくだけというけど、ゴキブリは迷路学習も得意だとかいうし。
憎まれっ子世にはばかるだなぁ。

2025/11/01

冬の備えで樹木に巻こう

ついこの間まで夏日・真夏日・猛暑日だったのに、一気に秋めいてきた。
夏が長くなった分、秋が短くなってるなぁ。
冬に突入する時期はあまり変わらないからなんだよね。
そんな冬の備え。
一気に寒くなったから人の衣替えも大変だけど、日本庭園では冬に備えて庭師さんたちが準備をするのだ。

その一つが「こも巻き」。
霜降(10月下旬)のころに松の幹に藁でできたこもをまきつけるのだ。
江戸時代から行われている害虫の駆除法で、松の害虫のマツカレハという蛾の幼虫が冬の間にこのこもの中に潜り込むので、啓蟄(3月上旬)のころにこもをはずし、虫ごと燃やしてしまう(「こも焼き」)、という方法。
このマツカレハの幼虫の毛虫は狭い場所に入って越冬する習性があってそれを利用する、というのだけど・・・。
どうも効果はあやしいらしいのだ。
昔から、この幼虫の天敵となる益虫(サシガメやクモなど)も一緒に殺してしまっているのではないか、たいして毛虫は集められていないのではないか、と疑問に思われていたらしい。
で、21世紀になって科学的に調べてみたところ(兵庫県立大の研究グループが姫路城で行った研究)、

(1) こもを巻くことで益虫に越冬場所を提供し、益虫を増やす効果あり
(2) 一方で、昔から言われているように害虫防除効果がわずか
(3) こもをはずす際に幹を点検する作業が松のメンテナンス上は非常に重要
(4) こもを巻いて中にいる昆虫の種類を調べること自体は外注・益虫モニタリングの手法として有効

といった結果が出たらしい。
なので、今では害虫駆除目的でこも巻きをしなくなっているところもあるとか。
とはいえ、江戸時代に始まった手法なので、経験則的にメリットがあったはずで、気候や風土の違いが影響するのかも、とは思うんだよね。
寒さが厳しい、或いは、そこまで厳しくない地域では有効とか、雪の量の多寡で効果が変わるとか。

これと似たような見た目のものに「冬囲い」というのがあるんだよね。
こちらは松以外も含めて庭木などの樹木を積雪や冷機から保護する目的で幹にこもやむしろを巻き付けるもの。
特に積雪多い寒い地方で行われるものなのだ。
豪雪地帯だと雪の重みで幹や枝が折れたり、乾燥した冷たい風が幹や枝の表面が傷んだりするのを防ぐのだ。
そう、人間が防寒具を切るのと同じだね。

この「冬囲い」と同じように、冬に備えての準備となっているのが「雪吊」。
雪の重みで得蛾が折れないように、木の上にテントを張るような感じで縄を張るのだ。
広く張った枝はそのまま雪を受け止めてしまうけど、縄を張ることで角度をつけて雪が高く積もらないように工夫するわけだよね。
「冬囲い」も「雪吊」も金沢の兼六園が有名で、やはり雪深い北国の代表的な大名庭園を麺テンスしていくうえで洗練された技術用のようなのだ。
どこまで必要かは別として、都内の大名庭園(駒込の六義園や江戸川橋の肥後細川庭園など)で見られるよ。

これらは特徴的あ見た目もあって、秋の風物詩にもなっているんだよね。
これらの作業が始まると秋から冬に移っていくんだなぁ、と感じるわけ。
日本庭園の秋の楽しみは紅葉もあるけど、こっちもぜひ感じてみてほしいものなのだ。

2025/10/25

婦人参政に賛成

 高市内閣がついに発足したのだ。
我が国憲政史上初の女性総理。
なぜか「高市早苗は名誉男性だから女性初の総理でも喜べない」という謎の主張も見受けられるけど、高市総理の場合、経歴を見ても実力本位でここまで上り詰めたようにしか見えないからすごいことだと思うよ。
さっそくいろいろ政策の方向性が打ち出されているけど、公明党と連立を解消して、新たに維新の会が閣外協力ということでどうなることやら?
で、せっかくなので、我が国の婦人参政権の歴史を少し振り返ってみるのだ。


明治維新以降の近代化において、我が国も民主主義が導入され、選挙制度が整備されていくのだけど、このときは男性にしか選挙権・被選挙権が認められていなかったのだ。
民主主義も浸透してきた大正デモクラシーの時期に、平塚らいてうさんをはじめとする活動家が婦人参政権実現を訴え、条件付きとはいえ衆議院を一度通過したものの、貴族院議員で反対され廃案になったそうな。
当時の貴族院の皇族ぎいにゃ家族議員も男性のみが選ばれる仕組みで、そもそも帝国議会には男性議員しかいなかったんだよね。
で、そのままきな臭くなって戦争に突入し、この話はいったん止まるのだ。

再び動きだしたのは戦後すぐ。
市川房江さんは連合国軍司令部(GHQ)に指示される前に日本の側から婦人参政権実現を提案するべきと考え、東久邇宮総理や陸軍省などに働きかけるんだ。
でも、今は占領下で決定権はないから、とこの人たちは断るのだけど、つてをたどって、昭和20年10月9日に東久邇宮内閣の総辞職を受けて新たに総理に就任した幣原喜重郎総理にたどり着くのだ。
発足翌日の10日に面会し、婦人参政権制定は日本から言い出すべきと話したところ賛同が得られ、そのまま「20歳以上の国民に男女の別なく選挙権を与える」旨が閣議決定されることに。
さらに翌日、総理に就任した幣原喜重郎さんはGHQのマッカーサー元帥にあいさつに訪れ、そのまま外交官時代の英語力を生かして1時間ほど話をするんだけど、そのとき米国側から求められたのが、いわゆる五大改革。
すなわち、①女性の権利擁護(婦人参政権を含む)、②労働運動の奨励、③教育の自由化、4秘密警察の制度廃止、及び、⑤経済民主化の5つ。
でも、婦人参政権についてはこの会談の前日に閣議決定していて、米国に言われたからやったのではなく、わが国独自の方針としてやった、ということになったのだ。
これは面白い。

実際には、先の婦人参政権導入を決めた閣議決定に基づく衆議院選挙法改正後初、そして、大日本帝国憲法か最後となった第22回衆議院議員総選挙において、我が国ではじめて女性に選挙権・被選挙権が認められたんだ。
このとき、79名の女性が立候補し、実に39名もの当選者を出したのだ。
この記録は2005年に43名の当選者が出るまで最大だったそうだよ。
昭和22年には、貴族院に替わって設立された参議院の第1回通常選挙が行われ、10名の当選者が出ているのだ。
これで両院で女性議員が誕生したのだ。
ちなみに、市川房枝さんは最初の衆議院総選挙には立候補せず、そして、その後公職追放になっていたので、第3回の参議院選挙で初当選となるよ。

でも、議員が誕生しただけではダメ。
で、我が国で最初の女性大臣が誕生したのは、少し時間が空いて昭和35年の第一次池田内閣。
医者の代議士として有名だった中山太郎さんの母親、中山マサさんが厚生大臣として入閣したのだ。
5か月だけだったらしいけど、母子家庭への自動富士手当の支給の実現などの功績があるんだって。
そして、平成元年までくると、森山真由美さんが内閣の番頭役である内閣官房長官に就任。
女性の内閣官房長官はこれまで森山さんだけなのだ。
で、21世紀が1/4ほどおわって、やっと女性総理の誕生につながるわけだ。

立法府の長に目を向けると、平成5年には社会党の土井たか子さんが初の女性衆議院議長に就任。
これまで伝統的に議長は比較第一党から出していたんだけど、このときは日本新党ブームで自民党が下野し、第一党の自民党を除いて連立与党が組まれたので、比較第一党でない党から議長が選出されたのだ。
やじが飛んだりして大変だったらしい。
参議院の方はもう少し遅く、平成16年に扇千景(林寛子)さんが議長に選出されたよ。
実は、土井たか子さんに続いて議会の長に女性が鳴るのはこれで二人目。
ずっと女性議員が少ないと言われているから仕方ないのかもしれないけど。

地方に目を転じると、女性初の知事は通商産業省出身の太田房江さん。
前任の横山ノック知事の辞任を受けての選挙で勝ったのだ。
これ以降、都道府県知事や市町村長だとけっこう女性が就任しているよね。
間接選挙ではなく直接選挙でえらばれるのが大金だろうなぁ。
最近は問題を起こしている女性首長もいるけど・・・。

2025/10/18

勝手に埋めてはノー

 いわゆる「移民問題」をよく耳にするようになったのだ。
外国人の流入が一気に進んで、地域でいろいろともめごとが発生している、という文脈で。
そういう外国人の中には、正規にビザを取ったり、気化したりせず、不法に滞在している人もいるようで・・・。
外国人を排斥するな、とすぐに人権の問題にする人がいるけど、不法に滞在しているのは不法行為なので、まずはそっちを問題視すべきでもあるんだよね。
で、そんなトラブルの中で、宮城県で話題になったのが、ムスリムによる「土葬」の問題。


イスラム教では、火葬はNGで土葬にしなければいけないんだけど、現在日本国内では土葬はダメ、ということになっていて、それを特別に認めるかどうか、ということ。
現職の父の村井さんが見t目る方向で動いたら大炎上して、回線に向けて取り下げたりしているのだ。
で、このニュースに接したとき、てっきり土葬は法的に禁止されていて(刑法の死体遺棄になる?)、火葬してないと埋葬してはいけないと思っていたんだけど、そうではなかったのだ。
こういうのは自分で一次資料を確かめるのが大事だね。

死体の埋葬については、「墓地、埋葬等に関する法律」という、戦後すぐの昭和23年に制定された法律で定められているのだ。
第1条の目的にあるとおり、墓地や納骨堂、火葬場の管理や死体の埋葬が適切に行われるように、と定められたもの。
この法律では、第2条の定義で、 「埋葬」を「死体(妊娠四箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ること」と第1項で定めたうえで、続く第2項で「火葬」を「死体を葬るために、これを焼くこと」としているのだ。
つまり、法律上の「埋葬」は必ずしも火葬だけを想定しているのではなくて、そのまま死体を土中に埋設する「土葬」も概念的には含まれているんだ。
明示されていないだけで。
さらに、その「埋葬」や「火葬」を行うに当たっては、厚生労働省令に従って市町村長の許可を受けること、となっているのだ(第5条第1項)。
でも、法律上はどこにも「火葬」してから「埋葬」しなければならない、はないわけ。

ちなみに、この第5条第1項違反の罰則は、「二万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」。
あれ?、刑法の死体遺棄は「三年以下の拘禁刑」となっているんだけど・・・。
では、実際に起こっているというムスリムの人が勝手に墓地に埋葬するケースはどうなるのか?
AI君の回答だと、「死体遺棄」は死体を隠ぺいする意図をもって遺棄する、すなわち、山中や海中など見つかりづらい場所にもっていく、というところが反社会性が高いとのことで、自治体から許可をもらってないけど(土葬で、というのではもらえないけど)、墓地に火葬せずに土葬するという場合は隠そうとしているわけでhないので無許可埋葬に当たるらしい。
そこは裁判所で争うんだろうね。

そこで最初の疑問いもどるわけだけど、「土葬」は禁止されているのか?
どうも、自治体ごとの条例等によって認められていない、ということらしい。
実際に、キリスト教墓地などでは協議に従って土葬が行われていて(火葬してしまうと最後の審判の後に復活できない。)、これは認められている行為なのだ。
完全に認めていない自治体もあれば、協議や電灯などの個別の自由で特別に認めているところもある、というのが実態。
埋葬許可を出すときに火葬してから墓地に埋めてね、土葬とか私有地に勝手に埋めるのはやめてね、という条件を付ければ法律の建付け上はよいのだ。
今回の場合も、宮城県も、その特別に土葬を認めるチームの方に入ろうとした、ということになるんだね。

では、なぜ日本は火葬が原則なのか?
歴史をさかのぼると、当然火葬よりは土葬が先なんだよね。
ネアンデルタール人ですら遺体に敬意をもって接し、花などを添えて穴に埋める、なんて行為をしていたわけで。
古代日本では、火葬どころか、死体を土中に埋めることすらしていなかったような証拠もあるのだ。
いわゆる「風葬」というやつだけど、死体をみえる位置に置いておくわけだね。
中世京都の化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)はまさにそういう場所で、死体がごろごろ転がっていたというよね・・・。
古代のアジア共通の風習として、骨だけを取り出して改めて埋葬する改装というのがあって、まず遺体を腐敗させて骨を取り出すというプロセスが風葬という考え方もあるみたい。
日本や中国で支配者が亡くなると「殯(もがり)」というのがるけど、これは大の上に死体を載せて放置して、骨を取り出しきれいに洗ってから墳墓に入れる、というものなのだ。
柳田国男先生の説によると、どうもアジアでは体と魂を分離して考えるので、すぐに腐敗する死体そのものはそこまで重要ではなく、そこに宿っていた魂こそが大事なんだ、だから死体を埋める墓と魂を宿らせてお参りする墓が分離するのだ、ということだけど、未来にも残る骨が先祖崇拝の対象だったのかもね。

土葬については、大化の改新の時に出された「薄葬令」という勅令で、身分に応じて墳墓の大きさを制限するルールができたのだけど、この中には古代中国の礼記に基づき、「死体は隠すべきもの」という思想の下で作られているんだよね。
だとすると、そういう古代中国の思想が入ってきたころに、上流階級を中心に死体を埋葬するようになったはずなのだ。
おそらく庶民までがいちいちそうしていたかどうかは不明で、平安時代でも風葬していたんだからそうではないと思うけど。
これは巨大化していった古墳の形成をけん制するものなんだけど、同時に、
さらに状況が変わるのが仏教の伝来。
お釈迦さまも火葬されたそうで、その焼骨(仏舎利)は世界中に散っているわけだけど、仏教は火葬が原則なのだ。
奈良時代から平安時代にかけて仏教が日本中に広まると、上流階級は少なくとも火葬に転換していくんだよね。
しかしながら、明治維新の復古神道の流れで、日本古来の埋葬法式は土葬、ということで一時的に火葬が禁止されたりもしたけど、けっきょくは公衆衛生や墓地として使える土地の限界などから火葬が原則になっていくのだ。

そういう意味では、「土葬は野蛮」というのはあまりいただけない考え方で、その国々、地域地域、地方地方によってルールがあるから、原則としては「郷に入っては郷に従え」ということなんだろうね。