2025/10/11

ぴりっと一粒

 和歌山の高級山椒をもらったのだ。
我が家はわりと山椒の香りが好きで、近所のおいしい焼鳥屋さんでもたっぷりと使うし、最近はやりの山椒風味のチョコレートなんてのも好きなのだ。
ボクは個人的にむかしから京都の山椒餅もすきだけど、なんだかさわやかな香りだよね。
口の中を一気にすっきりさせてくれるというか。

山椒は英語ではJapanese pepperというんだえど、まさに日本独特の香辛料というとらえ方をされているみたい。
日本で使われる山椒は日本原産の植物だよ。
中国にも山椒の仲間はあるんだけど、ちょっと種類の異なるもので、日本の山椒とは香りも違うし、何より辛いらしい。
日本のものはぴりっとくらいだけど、がっつり絡みを加えるのに使われるんだそうだよ。
それと、中国には花椒(ホアジャオ)もあるよね。
こっちは麻辣の「麻」、つまりしびれるような辛さの香辛料。
ここ最近は本格支背料理のしびれるからさの素としておなじみなのだ。
カホクザンショウという種で、英語ではShichuan pepper、四川の山椒という呼び名だよ。

日本の山椒も、中国の花山椒もそうなんだけど、粉状になっているものは、完熟した実を乾燥させ、果皮の部分をすりつぶしたもの。
花山椒なんかだyと開いた果皮そのものを打っているのを見かけるようになったけど、完熟した山椒の実は、乾燥してくると三つにぱかっ問われて中から黒い種子が出てくるのだ。
で、その趣旨は捨てて(笑)、ぱっと開いた果皮の方だけ使うわけ。
ただし、この辛味の成分は精油成分なので、時間の経過とともに飛んで行ってしまって風味が劣化するのだ。
なので、基本的には使う直前に粉末状にするのがよいのだよね。
花椒はペッパーミルでその場で挽くこともあるけど、普通の山椒はまだ見たことないなぁ。
そっちも興味あるんだけどな。

山椒と言えば、粉状のものばかりではなく、ケッパーのようなころんとした実もあるよね。
ちりめん山椒に入っているやつ。
こちらは実山椒と呼ばれるのだ。
あれは夏前に収穫した未熟な実をゆでたり水にさらしたりしてアクを抜いたものなんだって。
未成熟なので将来的に中にできる黒い種子はまだ柔らかい状態で気にならないのだ。
これもまたさわやかな風味で好きなんだよなぁ。
これもすぐに風味が飛んで行ってしまうので、実山椒として買ってきた場合は冷凍するなりしないといけないのだ。

実は、この山椒の風味は実にあるだけではなく、木全体にあるんだよね。
煮物なんかに添えられる「木の芽」は山椒の若芽だし、実になるはるか前の「花山椒」。
ボクはまだ食べたことないと思うけど、お高級な和食には出てくるみたい。
さらに、山椒の木はすりこぎに使われているのだ。
これは香りだけではなく、木自体が固いというのも重要らしいよ。
さすがに微妙に削れるすりこぎからの香りづけを期待しているわけではなさそうだ。

最近、和歌山産のものは「ブドウ山椒」として売り出しているけど、これは山椒の実は密集してなってブドウの房のように見えるから。
実の密度にばらつきはあるのだろうけど、和歌山県、特に有田川地域のものは身も大きく、密集して実がなるのでそう呼ばれるようになったとか。
山椒自体はどうも縄文時代から香辛料として使われている形跡があるのだけど、和歌山は平安時代にはすでに山椒の名産地として知られ、現代にいたるまで生産量トップなのだ。
実は山椒はミカン科の植物なので、つくづく和歌山ってみかんとの相性が良いんだね。

ちなみに、山椒の別名に「はじかみ」というのがあるんだけど、そういえば、焼魚についてくるショウガの甘酢漬けも「はじかみ」だよね。
山椒の方のはじかみの「はじ」は「はじける実」から、ショウガの方のはじかみの「はじ」は「はじが赤い」からなんて説があるようだけど、どちらも口の中をすっきりさせる目的で食べられているから、口直しのものをそう呼んでいたのではないかと思うよ。
どちらかが先でそれで煮たような効果があるからもう一つの方もそう呼ぶようになった、とか。
個人的には、山椒のはじかみが先にあって、それと同じような効果があるショウガの酢漬けを「はじかみショウガ」とよぶようになったなじゃないか、という気がするね。

2025/10/04

彼岸にぱっとサイデリア

 すっかり秋っぽい陽気になってきた。
まだ時々暑いけど、秋の虫は泣いているし、ギンナンは落ち始めてにおっているし。
そして、この時期突然現れる、あの花も咲き始めた。
そう、曼殊沙華とも呼ばれる彼岸花。
秋のお彼岸の時期に突然花が出てくるから彼岸花なんだけど、その突然具合から幽霊花なんて呼ばれることもあるよね。

もともとは中国原産の多年草。
土の中には小型の玉ねぎのような鱗茎があって、地上部は枯れてもまたそこから花が出てくるのだ。
土の中で気温をセンシングしているらしく、夏が終わって涼しくなり始めると発芽し、1週間ほどであの真っ赤な花を咲かせるらしい。
高さが結構あるけど、成長度も早いな。
で、その花が枯れると、今度は葉が出てくるのだ。
花と葉は共存しないんだって。
葉だけの状態になると、知っている人じゃない限りは彼岸花とはわからないのだ。
それが冬を越えて春先に枯れ、次の秋を待つみたい。
鱗茎に栄養をため込むならむしろ逆の方がいいような気もするけど、これも競合相手との関係での戦略になっているんだろうね。

ちなみに、この鱗茎には毒があるので、普通の動物は食べないのだ。
なので、冬の間に地上部に葉があって目立っても、モグラやネズミにかじられることはないよ。
そういう性質があるから田んぼのあぜ道にネズミ除けとして植えられたりもするのだけど。
ただし、その毒は水溶性なので、人間だけはよく水にさらして毒抜きをして食べるのだ。
飢饉のときとかだけだったみたいだけど。
その意味でも田んぼのまわりにあるのはいいことなのだ。
お花の近くの彼岸花ははばかられるけどね。

日本の彼岸花はすべて三倍体。
つまり、有性生殖ができないので、発芽する種子が作れないのだ。
というわけで、地下部の李kネイが分かれてクローン増殖するんだ。
群生している彼岸花はほぼすべて同一の遺伝情報を持っているというわけ。
生命力も高いみたいなので、鱗茎を一部植えておくとそこからまた生えてくるようだよ。
そういう性質を利用して田んぼのまわりに植えるのだ。

でも、有性生殖をしないのであれば、なぜ花をつけるのか?
しかも、チョウが寄っていくので、蜜も出しているみたい。
かなりのエネルギーを使って短期間で一気に花を咲かせ、昆虫に蜜を提供し、とやっている割には、クローン生殖しかできない・・・。
きわめて不合理のような気がするけど、おそらく、その無駄は三倍体の彼岸花が圧倒的に不利になって淘汰されwるほどのことでもなかったということなのだ。
三倍体でクローン生殖していく場合、遺伝情報を交換できる二倍体の有性生殖に比べてはるかに遺伝的変異が入りづらいのだ。
なので、さほど不利でもないので、二倍体時代の有性生殖の名残でそのまま花と密を用意している、ということらしい。
これも彼岸花の神秘性を高めてはいるけどね。

原産地中国には事前に自生している二倍体の種があって、そこから三倍体のクローン生殖する変種が生まれ、それを有史以前に誰かが日本に持ってきた、と考えられているみたい。
弥生時代に稲作とか始めた時かなぁ?
基本的には自分の周りにじわじわと広がっていくことしかできないので、遠隔地に広がるのは人の手によるもの。
田んぼのまわりに植えるのはわかるけど、墓場によくあるのは、やっぱりお彼岸の頃に鮮やかな赤い花を咲かせるからかな。
他に植えようとしている彼岸花の鱗茎をどこかで落とした、というのもあるんだろうけど、基本的には誰かがそこに植えよう思って植えられたものだよ。
何もないところに咲いていても、そこにはかつて何かがあったかもしれないのだ。

2025/09/27

草食ということは草を食べるということです

 秋の虫が鳴きだした。
なんか涼しくなてきたし、秋を感じる。
そこで(?)、気になったんだけど。
あの秋の虫たちってバッタの仲間だから草を食べているわけだよね、基本的に(コオロギは肉も食べるというのは映画「ラストエンペラー」で知ったけど。)。
でも、バッタの仲間って、ウシとかヒツジみたいに反芻しているわけじゃないよね。
だとすると、どうやって植物を消化しているのか?

一般に、植物に特徴的な細胞壁はセルロースでできているのだけど、これが分解できないのだ。
木になると、木質と呼ばれるリグニンというのがあって、これがさらに輪をかけて分解できない。
っていうか、これらが簡単に分解されてしまうと紙や木造建築が成り立たないわけだけど。
では、どうやって消化して、栄養にするのか?
ウシやヒツジのような反芻する動物は、細かく砕いた植物を微生物の力を借りて分解して栄養を取り出している、はず。
では、昆虫はどうなのか?
改めて草食動物について調べてみたのだ。

草食動物の栄養摂取方法にはいくつかあるんだよね。
単純なのは、消化可能な可食部(果物や木の実、花の蜜、樹液など)をだけを食べるという手法。
これはまあそうだよね。
で、そうではなくて、葉っぱを主に食べている動物たちがどうしているのか。
これにはいくつかパターンがあるのだ。

シンプルなのは、自分でセルロースを分解する、という手法。
ただし、生物界でもセルロースの分解酵素を持っているものは少なくて、動物界では貝類くらいしかないらしい。
っていうか、陸生の貝類、すなわち、カタツムリやナメクジつはセルロースが分解できるのだ!
以外にすごい動物なんだね、とびっくり。
海の中の貝類は海藻も食べるみたい。

でも、普通はセルロースは分解できないので、他の生物(主に微生物)と共生して、分解してもらうのだ。
外部共生するものとしては、リグニンを分解できる白色腐朽菌(キノコ)を育てて餌にしているシロアリなんかがわりと有名だよね。
とはいえ、こういうのはメジャーではなく、やっぱり内部共生、つまり、体の中に微生物を取り入れて、という方が多いのだ。
その意味では、ヒトもいろんな腸内細菌と共生しているし、反芻動物はみんなそう。
特殊な例だと、コアラなんかは消化できないユーカリの葉を栄養にするために特殊な菌と共生しているんだけど、子コアラはその菌を持っていないので、最初に親の糞を食べる、という通過儀礼(?)があるよ。

内部共生型にもさらにサブパターンがあるみたい。
①先に自分が消化して残りを微生物に分解してもらうか、②先に微生物に分解してもらってから栄養を吸収するか、③先に自分が消化したうえで微生物に分解してもらいそこからさらに栄養を吸収するか、の3通り。
ヒトの場合は①で、ウマをはじめ反芻しない哺乳動物はみんなこのカテゴリーに入るらしい。
よくかみ砕いて自分で吸収できる栄養を吸収した残りかすを盲腸・結腸・大腸のあたりで共生している微生物に分解してもらって、菌はふんと一緒に体外に排出されるのだ。
ただし、この菌の食べ残しの栄養を水分と一緒に台帳から吸収することができて、酢酸やプロピオン酸のような低級脂肪酸ならそのままブドウ糖代謝に回せるし、ビタミンB群やビタミンKなどはこの腸内細菌が作ったものを町内から吸収したりしているのだ。
これで共生が成り立つわけだ。

②の場合は、丁寧にかみ砕き、すりつぶした植物を微生物に分解してもらい、菌ごといただいて栄養にする、というもの。
もともと栄養価の高い(=糖質やたんぱく質が多い)穀類や豆類が餌の場合は微生物にいいところ撮りされてしまうわけだけど、栄養価の高くない草だけを食べる場合はこの方がよいのだ。
反芻する動物はこれ。
ヒトは草だけではなかなか生きていけないけど、ウシやヒツジは反芻を繰り返すことで草を発酵させ、栄養価を高めてからいただいているのだ。
カバやナマケモノみたいな動物は、草しか食べないし、反芻もしないけど、この方法で栄養を取っているみたい。
ナマケモノはいいとして、カバはあれだけパワフルでもこのやり方なのか・・・。

③は反芻動物で、①と②のいいところどり。
まず、自分で吸収できる栄養は吸収しきったうえで、その残りかすを微生物に分解してもらう。
そのうえで、菌ごとさらに栄養を吸収する。
ウサギやモルモットはこれで、多くの場合は糞食をするらしいのだ。
例えば、ウサギの場合、一度目は少し柔らかい糞を出すらしいんだけど、これは自分で吸収できる栄養を吸収した残りかすのようなもの。
これをもう一度餌として食べ、体内で発酵させてから菌ごとさらに栄養をいただくちう二段スタイルなのだ。
反芻しようすると体を大きくしないといけないんだけど、この方法だと小型になれるのだ。
昆虫の中でも、シロアリ・ゴキブリの中はこれらしい。
シロアリの仲間はリグニンたっぷりの木材を食いつぶすわけで、すごいやつらだよね。

で、この上記にもれるもの、それが多くの昆虫。
それらは・・・。
セルロースは分解できないけどとにかく量を食べて少ない栄養を浸する集める、という戦略らしい!
どうしても体内共生しようとすると体が重くなるんだよね。
例えば、ヒトの場合、腸内細菌の重量は1~2kgと見積もられているのだ。
こういうときのヒトの標準体重は60kgを仮定しているだろうから、1~2%というところかな。
ただし、発酵させるには一定規模数の菌がいないとダメだから、そのまま比例で減らすわけにもいかないんだよね。
なので、バッタはひたすら食べる、ということらしい。
カイコなんかもそうで、とにかく大量の葉っぱを食べるのだ。
実はパンダもこれに近く、ほとんど消化吸収できないけど大量の竹を食べるんだよね・・・。


というわけで、疑問がひとつ解決した。
バッタの大量発生による蝗害というのがあるけど、確かにこういう非効率な食べ方をするのであればそうなるか、と思うよ。
嫌われ者だけど、シロアリのように効率的に食べればもっと少ない量ですむのに。
ま、棲息環境での戦略上そういう「物量作戦」でも問題なかっ宝現世主として残っているのだろうけど。
なにごとも効率だけでは割り切れないのは昆虫も同じか。

2025/09/20

果肉を食わせて種をまく

 シーズンに入ってしまった。
道に黄色いサクランボ様の実が落ちている。
見た目だけならかわいらしい。
問題は、においなんだよね・・・。
そう、ギンナンのあの独特のにおい。
踏んでいく人がいるから余計に広がる。

あんなにおいなので、サルやネズミはさけて食べないみたいなんだけど、一部の鳥やアライグマなんかは積極的に食べるようなのだ。
で、そのくさい実の中にある、硬い殻に包まれたギンナンの本体(発芽する部分)はふんと一緒に排出され、遠隔地に運ばれるわけだ。
においによって捕食する動物種を絞っているのには何か意味があるはず。
っていうか、進化論でいえば、少なくともどこかのタイミングでにおいが有利に働く場面があったからこそ、くさくないギンナンは現在残っていないのだ。

単純に考えれば、人間のように殻の中身を食べてしまうような動物には食べてほしくないわけだよね。
外側のくさい部分は食べるけど、あとはからごと飲み込んでそのまま出してくれる。
そういう動物が望まれるのであって、強い顎で殻ごと砕いてその中身を食べるような動物はお断りなわけだ。
強くにおいがそういう動物を排除するのにどう役立つかだけど、考え方は逆で、中まで砕いてしまうような動物を完全ン位排除するのではなくて、殻の外側しか食べない動物のうちどれかに食べてもらえればよい、ということなのだ。
これはオール・オア・ナンの世界ではなくて、殻ごと飲み込んでくれるような動物のすべてに食べてもらう必要がなくて、においを気にせずに食べる動物であれば殻ごと飲み込んでくれればよいのだ。
つまり、においで食べてくれる動物種を絞りに絞っても、それなりの数がいてくれれば繁殖戦略上は問題ないから、御供御数種類の動物にしか食べられなくても問題なし、ということだよね。

ところが、これはもう少し複雑な問題をはらんでいるのだ。
それは、イチョウという植物種が極めて古いものであるということ。
すなわち、イチョウの木が地上に登場して反寧したのは、まだ恐竜や大型爬虫類が闊歩する中生代という時代。
超原始的な哺乳類の祖先はいても、メジャーな存在ではないのだ。
小型の恐竜や爬虫類に実を食べてもらって、ということが必要だったはずなんだよね。
で、中生代から新生代に移り変わるあたり、ちょうど恐竜が絶滅し、被子植物が勢力を伸ばしていくタイミングにおいて、その捕食者が恐竜や爬虫類から鳥類や哺乳類に代わっていくことになるのだけど、それでももともとのイチョウの繁殖戦略はそこそこ有効だったからこそ今に続いているのだ。
そうなると、ひょっとすればだけど、あの独特のにおいは殻をかみ砕く捕食者に食べられないようにする、という消極的なものではなく、実は積極的に恐竜や爬虫類を引き付けるものであった可能性もゼロではないと思うんだ。
生物相の大転換を境にその役割は変わったんだけど、引き続き有効に機能した、というだけで。

世界最大の花と言われるラフレシアは獣肉の腐臭のような強烈なにおいで特定の昆虫を引き付け、繁殖にりようしているわけで、そういう戦略があってもよいのだ。
ただし、化石からわかることは、過去においてもイチョウの実を食べていた動物(恐竜は爬虫類)がいたということだけ。
なので、ジュラシック・パークのように、何らかの形で保存されていて中生代のイチョウの細胞からDNAを抽出して現世首都の違いを見る、というくらいまでやらないと、ギンナンのにおいが過去と現在において同じなのか、異なっているのかはよくわからないんだよね。
恐竜や爬虫類でなく、鳥類や哺乳類に食べてもらうようになったタイミングで初めてにおいが有効に自然淘汰に貢献した、ということもなくはないのだ。
なんかボク的にはこういうのはロマンを感じるんだよなぁ。
小学生クリアのころは本当に古生物学にも興味があったんだよね。

ちなみに、いわゆる「果実」というのは定義上は被子植物のもの。
受粉後に子房が発達していって種子を包むようになったもの。
リンゴでもモモでもミカンでも。
イチョウは裸子植物なので、厳密にいうと実としてのギンナンは果実ではないのだ。
たまたま一番外側の害表皮部分が肉質化しているだけ、という整理だそうで、同じような実をつける裸子植物は他にソテツくらいみたい。
イチョウと同じく生きた化石植物であるメタセコイアはマツにちかい針葉樹で、松ぼっくりに似た球果という丸くて硬い実をつけるのだけど、その鱗片には松の実のようなものがついていて、これがギンナンに当たるもの。
こういう球果は乾燥するとカサが開いてきて鱗片が剥がれ落ちていくんだけど、実の部分に膜状のものがついていて風で遠くに運ばれるのだ。
松ぼっくりも分解して一枚一枚硬い鱗片をはがしていくと、根元部分に松の実と半透明の膜があるんだって。

被子植物の果実は果肉部分を食べてもらうついでに種子は飲み込んでもらって、というイチョウと同じ戦略なんだけど、マツなんかの場合は、大事な種を食べられないように硬いもので覆っているのだ。
ただし、実施にはリスや鳥はそれをほじくって食べるのだけど、ネズミやリスなんかは食料を貯蔵する習性もあるので、ドングリと同じように食べずに埋められただけの松の実が発芽する場合もあるのだ。
風で自然に飛ばす以外に広げる手段にもなるので、さらに食べにくくする、というイタチごっこにはなっていないみたいだ。

2025/09/13

忘却の彼方に

 風の強かった日の翌日。
職場の木の下にまだ少し青いドングリを見つけた。
もうそんな時期か。
まだ猛暑が続いているけど。
子供の時はついつい拾って集めてしまうけど、それを忘れてしばらくたつと、虫が出てくるんだよなぁ。
ゾウムシの仲間だよね。
かなり気持ち悪いのだ(>_<)

そんなドングリは陸生動物にとって非常に重要な食料。
数多くの実がなるし、その実はでんぷん質に富んでいるし。
人間にとってはけっこうあくが強いものもあるのであく抜きがいるけど、イノシシやリス、ネズミなんかだとそのままばりばり。
いま問題になっているクマにとっても重要で、ドングリが気候の影響で不作になると餌を求めて里に下りてくる、と言われているよね。
森の栄養源なのだ。
でも、このドングリっていうのは果実であるわけで、そこから目が出て次の世代の木になるはずのもの。
それがこんなに食べられまくってよいのだろうか?

ところが、どうもこれがドングリの戦略になっているのだ。
かつては自然落下で落ちて、その形状からころころと転がって周りに広がっていく、と考えられていたのだ。
ドングリコロコロの世界だね。
でも、実際には、ドングリの実は乾燥に弱く、その辺に転がっていったものは発芽することはほぼないのだ。
では、どうなっているのか?
そこで重要なのが、ドングリを食べる小動物たち。

ドングリは秋になるので、体温維持のために常にものを食べていないといけない小動物にとっては貴重な貯蔵できる食料になっているんだ。
見つけたら食べるだけでなく、巣に持ち帰ったり、土に埋めて隠したりするのだ。
これが大事。
秋の終わりから冬にかけては貯蔵したドングリを少しずつ食べていくんだけど・・・。
全部を食べきるわけじゃないのだ!
さすがに巣に持ち帰ったものは食べきれない場合を除いて残ることはないけど、いろんな場所に埋めて隠す場合、掘り返されないことがあるのだ。
探し出せないのか、緊急事態用にさらに残してあるのかは不明だけど、土に埋められたまま、食べられないものが残るんだ。
これが発芽して次の世代の木に育つわけ。

大きななgれとしては、イノシシやシカなどの比較的大きな動物が地面に落ちている実を拾って食べる。
このとき、実が転がっている地面は大型動物によって踏み荒らされるので、土の表面が耕されたようになる。
その少し柔らかくなった土の下に、ネズミやリスなどがドングリを貯蔵する。
多くは掘り返して食べられちゃうけど、一部は掘り返されることなく、発芽に至る。
もちろん、虫に卵を産み付けられてしまった実は発芽できないので、こっちは天敵になるのだ。
食用の栗も害虫対策が大変というからね。
でも、動物は虫概要がいまいが食べてしまう、すなわち、虫がいても虫ごと食べてしまうので(タンパク質が増えてかえってよい?)、そこはランダムみたい。
虫フリーで、小動物に土の下に隠されるけど忘れられてしまって、水分や気温の条件がちょうどあったものが次の世代として発芽する、というわけだ。
でも、降格と確かに確率は高くなさそうだから、多くの実をつける必要があるよね。

さらに、この戦略には少し節gな話があるのだ。
ドングリのなるブナやナラは比較的不利植物で、リスやん済みが登場する前からあったらしい。
ということは、このドングリの戦略はかつては小型の爬虫類やネズミの祖先にあたる小型哺乳類などによって担われていた可能性があるらしいよ。
とはいえ、ずっと高温でじめじめしていたから乾燥せずに転がっただけで発芽していた可能性もゼロではないとは思うけど。

2025/09/06

人工知能はかく騙りき

 最近、googleで検索すると、最上位に「AIによる概要」というのが表示されるようになったのだ。
検索ワードに対して生成AIのgeminiが回答を用意してくれるらしい。
今は概要だけだけど、米国ではすでに「AIモード」というのも実装されていて、より詳細なAIを活用した検索もできるのだとか。
確かにけっこう便利。
なんだけど・・・。
時々ウソがまじってるんだよなぁ(>_<)
例えば、ポイ活のためにやっているクイズの回答を調べようと検索して、ここに表示されたものを選ぶんだけど、けっこう間違っていることがある!

これは生成AIあるあるのひとつで、「ハルシネーション」という現象なのだ。
AIに質問したとき、非常にそれっぽい回答が返ってくるんだけど、それが事実誤認だったり、まったくのでっちあげ立ったりする、というもの。
知識があれば見抜けるけど、そもそもわからないからAIに聞いているのだし、非常にそれっぽくできているので審議の見極めは難しいのだ。
google剣先の場合も、下の方に注記で「AI の回答には間違いが含まれている場合があります。」と書いてあるよ。
生成AIに聞くとデータをまとめたうえで答えてくれるので、資料作成やら、場合によっては学生・生徒の宿題やらで非常に便利なんだけど、ここがひっかかるんだよなぁ。
荒唐無稽なものではないか、ウソが混じってないか、確認する必要があるのだ。
おそらく、今後はそういうのが長けた人がAIを自由闊達に使いこなす有能な人、ということになるんだろうね。

でも、なぜ「ハルシネーション(=幻覚)」なのか?
アンドロイドは電気羊の夢を見るかもだけど、AIがありもしないものを見て混乱しているわけではないよね。
プログラムに従って計算・処理をして回答を導き出しているだけど、その回答の精度の問題なのだ。
むしろ、ありもしない、それっぽいものを見せられているのは調べものをしている方。
そう、この名前のつけ方は利用者である人間視点なんだよね。
なので、この名前自体に意見を持っている専門家もいるようだけど、すでに広まってしまっているのでここから名前を変えるとまた混乱するだろうなぁ。
そして、そういうことをすると、この「ハルシネーション」の原因になるかもしれないのだ。

「ハルシネーション」の原因として考えられているものにはいくつかあるんだけど、根本的なものとしては、参照している元データが誤っているというもの。
そもそもウソの混じったデータを参照していたらそこから正解は抽出できないのだ。
そうではなくとも、データソースが古いと松井がってしまう可能性があるんだよね。
例えば、古い教科書で学習してしまったAIは鎌倉幕府の成立を「いい国作ろう鎌倉幕府」で「1192年」と答えるわけだけど、最新の教科書では、兵士を滅ぼし、朝廷から諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可された「1185年」で教えているんだよね。
さらに、幅広くネット上の情報全般を拾うようなものにしてしまうと、そこに流れている誤情報も拾ってしまうのだ。
例えば、なぜか多くの人が誤解している「うるおぼえ」という表現や、野球は自分の本名ののぼるをもじって正岡子規が作った言葉、といった事実誤認が確認されている通説などなど。
参照元データの正確性がそのまま出てきてしまうので、ネット検索とは少し相性がよくなくて、AIによる検索結果の概要がちょいちょい間違っている原因でもあるのだ。
なお、逆に、ウソ情報をネット上で広めてデータソースを汚染しておけば、AIによる正確な情報の抽出を妨害することもできるというわけだよ。
旧ツイッター工作員さんもがんばりがいがある?

そのほかの原因としては、AIがどうやって回答テクストを作っているのか、というところに由来するみたい。
今の生成AIはかなり自然な形で文章を返してくるけど、これはある単語の次にどの単語が来るかをコーパスをもとに統計処理して、言語として「自然」な単語のつながりを作るようプログラムされているのだ。
で、そういう状況下で、AI的には意図をつかみきれないような質問だったり、参照元データに十分なソースがなかったりする場合、これが優先されて、さもありそうなそれっぽい回答が作られてしまうみたい。
よく生成AIを使いこなすには質問の仕方が大事というけど、まさにこれで、AIとして質問内容がくみ取りやすいようにしてあげる工夫がいるのだ。
前提から長々と質問する人は会議でも嫌われるけど、そういう聞き方をするとAIもどこに質問の本質があるのかわからなくって混乱するので、非常に自然にすれ違った、或いは、まったくでっち上げの回答をするのだ。
わざとはぐらかすこともあるけど、人にもAIにも簡潔に質問の趣旨をわかりやすくして聞いてあげることが大事だね。

2025/08/30

工夫どすえ

旬だからか、テレビでハモをよく見るようになった。 
関東だと料亭に出てくる高級食材というイメージだけど、京都では夏が旬のメジャーな食材なんだよね。
小骨が多くて骨切りをしないといけないからあまり一般家庭で食べる感じでもないけど、京都では鮮魚店で骨切りしたものもうっているらしいよ。
東京ではたまに見かけるくらいか。

そもそも京都でハモが食べられるようになったのは、とにかくハモが生命力が強い魚だったから。
京都府という意味では日本海に接しているわけだけど、京の都は内陸。
物流が初田牛廷内時代は人力で運ぶのが基本なので、魚介類を生きたまま運ぶのは大変。
フナやアユ、コイといった淡水魚は問題ないけど、海産物を運ぶには工夫が必要だったのだ。
その点、水を張って1日かけて運んでも生きているハモは貴重な食材だったわけ。

では、生きたまま運べないものはどうなのか。
メジャーなのは塩鯖。
京都の名物のひとつに鯖寿司があるけど、あれは、福井の若狭湾で獲れた鯖を塩で締めたものを使っているのだ。
その運搬の道が鯖街道。
サンダーバードに乗るとわかるけど、京都と福井の間は山でずっとトンネルの中を行くのだけど、当時は足で山越えをしていたのだ。
約1日かけて運んだらしいけど、ちょうどよく塩でしめられていたらしいよ。

そのほか、乾物も重要だったのだ。
京都に特に根付いているのは棒鱈と身欠きニシン。
スペインやポルトガルも鱈を干物(バカラオ)にして保存食にしていたよね。
京料理では煮物に使うのだ。
明治になって北海道でたくさん獲れたニシンは日持ちがしないので内臓をとって干して身欠きニシンにして全国に出荷されたわけだけど、京都ではそれをナスと一緒に炊いたりしておばんざいにしていたのだ。

冷蔵・冷凍車で全国津々浦々に新鮮なまま魚介類を運べるようになったのなんてここ最近のことなんだよね。
なので、内陸の各地方では工夫して海産物を食べていたのだ。
長野の塩イカは皮をはいでゆでたいかを塩漬けにしたもので、スルメよりやわらかいのだ。
山梨の煮貝は駿河湾のアワビを醤油漬けにして運んだのはじまりだとか。
栃木県で食べられるモロはサメのことで、サメはミニ含まれるアンモニアのおかげで腐敗しにくいので内陸まで運べる貴重な海産食材だったのだ。
今ではそんなこととする必要もないし、もっとおいしいものが食べられもするわけだけど、地元の食文化としてぜひ残してほしいよね。