2011/11/26

ハレの日には麦を食え

今週の勤労感謝の日、上州名物のおっきりこみを家で作って食べたのだ。
煮ぼうとうとも呼ばれるもので、塩を入れずに水で練って延ばした麺をたっぷりの野菜と一緒に汁で煮込んで食べるんだよ。
山梨のほうとうとはちょっと違って、カボチャなどが入らない分、甘みは少なく、さっぱりしているのだ。
なかなかの美味。
イメージ的にはすいとんに近いのかな?

今でこそ小麦をよく口にするけど、どうも日本ではそれほどメジャーではなかったらしいのだ。
伝統的な小麦を使った料理としては、うどんやそうめんのような麺類、ほうとうやひっつみ、はっとなどのすいとん類、まんじゅう、麩など。
けっこうよく見かける気がするけど、実はどれも庶民が口にできるようになったのは江戸時代なんだとか。
それは、単純に挽き臼の問題らしいのだ。

小麦も大麦も日本には弥生時代には伝わっていて、ともに「五穀」として認識されていたのだ。
実際に記紀神話にも出てくるし。
でも、大麦はわりと簡単に脱穀して飯や粥にして食べられるので、食糧作物として普及したようなのだ。
(戦前のようないわゆる米麦混炊の麦飯ではなくて、大麦だけで食べたり、あらかじめ火を通した大麦を後で加えたりして食べていたようだよ。)
小麦は中心の溝が深いし、粒ももろいので引いたりつぶしたりして粉にしないと食べられなかったんだよね。
日本では稲や大麦、粟などそのままでもゆでたり炊いたりすれば食べられる穀物がよくとれたのでわざわざ小麦を工夫して食べることがなかったようなのだ(>o<)

でも、中国やインドでは小麦をよく食べるよね。
中国の麺や餃子などの点心やインドのナンは小麦粉を使っているのだ。
でも、これは気候が大きく影響しているんだ。
中国でもインドでも、小麦を食べるのは北の方。
南の方は稲作中心で米を主食にしていることが多いのだ。
つまり、より乾燥や低温に強い小麦の方が食糧作物として栽培にふさわしかったのだ。
東欧やロシアとかだともっと寒くて、その場合はライ麦なんかが栽培されるけど、これも気候の影響なんだ。

だったら大麦でもよいようなものだけど、小麦が主流になったわけはその中に多く含まれるタンパク質のグルテン。
大麦の場合はそのまま粥にして食べられるけど、いったん粉にしてしまえば、小麦はパンや麺にするともっちりとした独特の食感があっておいしいよね。
大麦のパンやライ麦のパンはどうしてもかたいのだ・・・。
その方が好きな人もいるみたいだけど。
ただし、大麦も主要作物には違いなくて、むしろデンプンが多く含まれることを利用して発酵食品のもとになっているのだ。
ビールやウイスキーは大麦で造るし、日本でも醤油や味噌、焼酎は大麦なんだよね。

日本に渡ってきた小麦はそれなりに食べられてきたんだけど、小麦粉に加工されて麺やまんじゅうなどになったのは鎌倉時代から室町時代にかけての話。
仏教、特に禅宗とともに点心が伝わってきて、麺や饅頭の手法が伝わり、それが日本式にアレンジされていったのだ。
ところが、挽き臼が普及していない日本ではわざわざ粉に挽く小麦粉は高級品で、お坊さんがおやつとして点心的なものを食べるくらいで庶民の口には入らなかったんだそうだよ。
たまにハレの日のお祝いの席で食べられたんだとか。
砂糖自体が貴重だったこともあるけど、まんじゅうはお祝いのお菓子だし、祝いの席で人が集まるとすいとんやうどんが振る舞われることがあたようなのだ。
というわけで、ちょうどこのころにいろんな料理法は生み出されるのだ。

日本での小麦文化が開花されるのは江戸時代。
やっと挽き臼が広まったのだ(笑)
それまでは臼の中で搗くだけだったのが、ようやく粉にできるようになったわけ。
で、同時に粉にしないと食べづらい蕎麦も広まっていくことになるのだ。
このころは税として米やそれに代わるものを納める必要があったわけだけど、流通経済も発展してきたので、それだけではなく、商品作物の栽培も盛んになるのだ。
それで様々な野菜や果物、お茶やたばこなどの嗜好品がより多く作られ、庶民の口にも入るようになるんだ。

小麦や大麦は春に収穫できるので、二毛作を行う上で稲の裏作物としてよく栽培されたのだ。
米は税で取られるけど、麦類は手元に残るから、自分たちが食べられるのだ。
で、大麦なんかは米の代替品として同じような料理法で食べられたわけだけど、小麦は挽いて粉にしてから食べる必要があったので、主に加工品になるわけだよね。
すいとん類はそのまま小麦粉を練った団子様のものを汁で煮るだけで簡単に作られるので、農作業の合間の食事として食べられたりしたみたい。
讃岐うどんの生醤油うどんのような原始的(?)なうどんも、ゆでて醤油を絡めるだけなので、同じような部類だよね。
いわゆるおそば屋さんで食べるような具の入った汁とともに食べるうどんはうどんをゆでるのと汁を作るので手間がかかるので、やっぱりハレの日の料理になるのだ。

パンのような生地にしてから食べるのはまんじゅう類だけど、あん入りのまんじゅうは砂糖が高級品なので、一般的な料理ではないのだ。
むしろ、長野のおやきのように、小麦粉で作った生地で具を包んで焼いて食べるようなものが主流。
上州名物の焼きまんじゅうも本来はあんが入っていないまんじゅうを串に刺し、味噌だれをつけて焼いて食べたもののようなのだ。
ちなみに、おやきは無発酵ぱんだけど、麹で発酵させてふっくらさせるまんじゅうはしパンだよね。

保存性の高い小麦加工食品を作って流通させたのはそうめんや稲庭うどんのような乾麺や麩のようなもの。
まずは長期保存を目的に作られたんだろうけど、保存が利けば流通するようになるのだ。
そうめんは江戸時代にもかなり流通していたみたいだし、麩も農閑期に農家で作られていたりもしたみたいだよ。
こういうのは現金収入になるので、当時としてはすごく重要な加工品だったはずなのだ。

戦国時代には一部にカステラやパンが入ってくるけど、西洋的な小麦食品がメジャーになるのは明治期以降。
それでも、明治時代はまだ大麦の方が主要な作物だったみたい。
それが逆転してくるのは戦後にパンやパスタなどが食卓によく並ぶようになってからなのだ!
そう考えると、意外と小麦を食べる習慣って最近のものなのかも。
やっぱり給食としてコッペパンと粉ミルクが支給されるようになり、多くの日本人がパン食になれたというのが大きいんだろうね。
でも、そこからさらに巻き返しがあり、お好み焼き、たこ焼き、焼きそばなどの粉もの文化が花開くのだ♪

というわけで、これから小麦加工品を食べるときは、江戸時代以降の伝統と明治期の西洋食文化の導入、そして、戦後の日本食文化としての再興に思いをはせていただく必要があるよ!
ま、おいしければなんでもよいんだけど。
お米も大事だけど、小麦や大麦も大事な食文化としてきちんと残していきたいね。

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