2024/06/29

神宮のMORIMORI

 都知事選の中で、神宮外苑の再開発問題を取り上げている人がいるのだ。
でも、これってすでに言われているように、宗教法人である明治神宮の私有地を純粋民間で再開発する話で、公金は一円たりとも投入されないモノなんだよね。
景観が崩れるとか、日照権が脅かされるとか、周辺住民が反対するのはわかるとしても、都政の争点になるような話ではないはずなんだよね・・・。
でも、なんだか着目を集めてきたので、ちょっと調べてみたよ。

もともと、新宿区や渋谷区のあたりは江戸時代は何もないところだったのだ。
明治神宮内苑は家康公の入府後、肥後熊本藩加藤家の屋敷になるのだ。
内苑にはパワースポットで有名な「清正井」があるけど、それはそういうわけ。
加藤家の改易後は、彦根藩井伊家の下屋敷になるんだよね。
それが御一新で政府に接収されて、代々木御料地になるのだ。

内苑の方はまだ木々があったようだけど(「代々木」地名の由来となるモミの大木があったみたいだよ。)、外苑があったあたりは原野。
何もない野っ原。
そこが御一新後は青山練兵場として陸軍の軍用地になるのだ。
とにかく広大な原っぱだったので、いろんな用途に使われていて、戦前の方の東京オリンピックのスタジアムの候補地だったり、戦前に東京で万博を開こうとするときの候補地だったりするのだ。
それらは実現しなかったわけだけど、太平洋戦争時には学徒出陣の壮行会記念行事なんかも開かれているんだよね。

で、現在につながるような位置づけになったのは、明治天皇崩御後のこと。
明治天皇の御陵は御遺言により、京都の伏見桃山御陵が造営されることになるんだけど、東京府内でも何か残せないか、という話になったのだ。
ちょうど大喪の儀を青山練兵場で開いたこともあり、この近辺に記念施設を創設する計画がまとめられたよ。
その時提案されたのが、国家事業である明治天皇を祭神とする神社施設の創設と、その周辺地域における民間主導の公園施設の整備。
そうして代々木御料地に創設されたのが明治神宮(内苑)で、その外側、青山練兵場跡に作られたのが神宮外苑なのだ。
外苑の整備時には、奉賛会が組織され、各都道府県の支部を通じて国民からの寄付を募ったそうだけど、どの地域も目標額を達成するという大成功のクラウド・ファンディングだったみたい。

宗教施設である内苑と違い、外苑はあくまでも公園なので、記念館としても聖徳記念絵画館(大喪の儀の際に使った葬場殿の跡地に建築)のほか、各種スポーツ施設などが作られたよ。
そう、神宮球場、秩父宮ラグビー場、旧国立競技場(国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)なんかだよ。
このほか、景観をよくするために外苑前の銀杏並木が整備されたりしたのだ。
再開発計画に不動産事業者だけでなく、国立スポーツ振興センターが入っているのはそのためだよ。
明治神宮自体は日本で一番初詣の人出がある神社ではあるけど、その収入に御ほとんどは外苑にあるこれら施設の利用料なんだって。
ドル箱は結婚式場の明治記念館と神宮球場みたい。
でも、スポーツ施設群はとにかく古く、老朽化も激しいので、民間の資金を入れて再開発しようという計画のようなのだ。

外苑再開発の批判の中には、「百年の森を守れ」というのがあるけど、これは内苑の方なんだよね。
外苑は緑地面積はあるけど、最初から公園として整備されているので銀杏並木の他はそんなに大きな森はもともとないのだ。
しかも、再開発計画では植樹も行うので、緑地面積はかえって微増するらしい。
樹木が代替わりすることにはなるので体制ベースでは一時的に減ることになるけど。
で、この再開発を止めようという訴えは最高裁まで行って棄却されていて、すでに司法判断も下されているのだ。

ちなみに、「百年の森」と言われている内苑の方も、もともとは人工林。
約100年後に自然林に移行するように、と綿密に計画されて作られた森なのだ。
通常、神域の森はスギやヒノキなどの針葉樹林なんだけど、東京の気候や煙害などを勘案し、カシやクス、シイなどの広葉樹が中心になっているのだ。
基本的には手入れはあまりせず、自然な変異に任せているので、今ではほぼほぼ自然林のような景観になっているのが特徴。
こちらは神域の「鎮守の杜」なので、もちろん再開発の対象にはなっていないよ。

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