2026/10/03

ホシタイモイジルナ

 むかしから干しいもが好きなのだ。
子供のころに親がおやつに勝手く照れていたんだよね。
実家にまだ石油ストーブがあったころは少しあぶって食べたりもしたのだ。
で、今でもお気に入りで、銀座に出るとついつい茨城のアンテナショップに寄って買ってしまう。
おいしいやつが売ってるから。

もともとサツマイモは江戸時代に救荒作物として普及したわけだけど、その性質上、生のままで保存するよりさらに保存がきくように加工されてきた歴史があるのだ。
そここそ、最初の最初hじゃ薄切りにして干す、これだけ。
これは遠江(静岡県西部)で考案されたもので、「白切り干し」と呼ばれたそうだよ。
生のままだとけっこう水分量があるので冷暗所に保管しても腐ったり、カビが生えたりするんだけど、水分量を減らすことで保存性を高めたのだ。
でも、これはただの水分の抜けたサツマイモなので、干しいもとは全くの別物。
そもそも固いし、含まれているでんぷんも糊化していないので、そのままでは食べられないのだ。
なので、これをゆでたり、汁物の具にしたりして食べるわけだけど、さらに粉末状にして水でこねてから蒸して、サツマイモ餅のようなものを作ったりしたようなのだ。

で、これを考案した人が、干したものをそのまま食べられるようにと、今度はいったんゆでたイモを薄く切って干すようにしたんだよね。
これが「煮切り干し」と呼ばれるもので、今の干しいもに比較的近いのだ。
それが江戸も終わりのころ、文政7年(1824年)のことらしい。
いったん火を通しているのででんぷんの一部が控訴により麦芽糖に変化して甘みも出て、かつ、でんぷんが糊化しているので生のまま干したものより柔らかい。
ちょっと秀あぶったりして温めてやるとそのままでも食べられるのだ。
で、江戸時代のイモの加工はここまで。

明治に入ると、ゆでる代わりに蒸す方法が考案されたんだよね。
これが「蒸し切り干し」で、今の干しいもの製法。
イモを大量にゆでるのは大変だけど、蒸す場合はもう少し楽なので大量に生産できるようになったのだ。
しかも、蒸す場合はゆっくりと芯まで熱が入るに出、麦芽糖も増えるし、イモ全体がさらにでんぷんの糊化でやわらかくなるといういいことづくめ。
これが明治も半ばを過ぎた明治25年(1892年)ということだから、煮る方法から蒸す方法に切り替わるまでに70年ほどかかっているのだ・・・。
こうして大量生産できるうえに栄養価も高い干しいもは軍用の携帯食にも採用され、日露戦争の野戦食「軍人いも」としてメジャーになっていくのだ。

でも、ここまではまだ静岡の話。
部隊が茨城の移るのはもう少しあと。
実は、那珂出身の照沼勘太郎さんが静岡沖で難破した船から救助された際、静岡で干しいもを知り、地元に持ち帰って研究を重ね、茨城で最初の干しいもを作ったそうなのだ。
20世紀に入ると正式に静岡から茨城(那珂湊)に蒸した後に干す製法が伝わったのだ。
茨城は米どころでもあるし、関東の大農業生産地でもあるわけだけど、冬は空気が乾燥していて干しいもを作るのに環境がよかったのでどんどん広まっていったみたい。
で、特に沿岸部のひたちなか市、東海村などで名物になったのだ。

僕は特にねっとり、しっとり系が好きなのだけど、茨城の干しいもはそれが多いような気がするんだよね。
持つと手がべとべとするくらいのやつがお好み。
焼き芋でもほくほくよりはねっとりが好きなんだよね。
これはもともとのイモの性質もあるけど、ゆっくりと蒸しながら過熱して麦芽糖をたくさん作りつつ、しっかりでんぷんを糊化しているはずなのだ。

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