2026/10/17

奈良の都の

 あれは中学校の社会科の授業だったか。
日本の旧国名(令制国の名称)はすべてに文字になっている、という話が合ったのだ。
有名なのは、「和泉」や「紀伊」。
「和泉」の「和」の字はなくてもいいし、「紀伊」に至ってはいまでは「きい」と読むけどもともとは「き」なので「百舌鳥(百舌鳥)」同様に感じにした方が字数が増えているのだ!

でも、これにはちゃんと理由があって、奈良時代の元明天皇の治世下で各令制国に地誌としての風土記の編纂が命じられるんだけど、その際、国名をはじめとした地名は中国にならってよい意味の漢字二文字にせよ、との指示があったのだ。
これは「諸国郡郷名著好字令」、通称「好字二字令」と呼ばれるもの。
これにより「泉の国」が「和泉国」に、「木の国」が「紀伊国」、「粟の国」が「阿波国」になったのだ。
字数が減ったものもあって、「上毛野(かみつけの)」と「下毛野(しもつけの)」はそれぞれ「
上野(こうずけ)」と「下野(しもつけ)」になったんだよね。
「大和」は、もともと「倭」と書いて「やまと」だったものが「大倭」で「やまと」になって、それがさらに「大和」に字が変わったよう。
「近淡海(ちかつあはうみ)」と「遠淡海(とおつあはうみ)」は「近江(おうみ)」と「遠江(とおとうみ)」になるよ。

まさにこのタイミングは中国の率調整にならって中央集権型の国家統治システムが構築されていくタイミング。
武力を持った有力な氏族(=豪族)がそれぞれの支配地域を治めつつ「諸王の王」として天皇がその上に君臨していた豪族の時代だった飛鳥時代から、天皇を頂点として中央集権国家でその下で貴族が実務を担った奈良時代に変わろうとする頃。
この新たな統治システムの参考になったのが中国の王朝であり、それにならって様々な国家改革がなされていくんだよね。

代表的なのは国家事業としての歴史書の編纂で、古事記は元明天皇の在任時に成立しているし、正史である日本書紀はそのすぐ後に出来上がるのだ。
これら国家としての歴史をまとめるとともに、各地方の歴史や風俗を風土記としてまとめさせたわけだね。
その前段階として、大化の改新の後に中国式の元号の導入(暦の中央管理は国家としての重要な仕事)、中央集権国家としての戸籍制度の導入(庚午年籍)、大宝律令(701年)による中国式律令制国家への体制変更、国産通貨の鋳造(和同開珎)なんかがあったわけ。

この時代は中国から漢字を輸入して「万葉仮名」として表音文字にも使っていたわけだけど、漢字の本来の意味にかかわらず「音」だけ拾って字を当てているので、大和言葉で意味を成している地名に「音」だけで漢字を当てると、中国の人から見ると変なことになるんだよね。
中国から見て文明の低い蛮国ではなく、まともな国として対等に付き合っていきたいという野望があったわけで(明治維新後の西洋文明の導入と同じような感覚)、せっかく国家統治システムは整備したのにそっちがおろそかだと、ということもあったはずなのだ。
なので、本当に中国人からどう受け止められていたかはよくわからないものの、ぱっと見は変に見えないように体裁を整えた、というのがこの「好字二字令」だと思うんだよね。

このとき、令制国の名前だけでなく、郡や字の地名も改めたんだけど、そのとき「飛鳥」で「あすか」になったようなのだ。
もともとは三文字で「明日香」を使っていて、今でも「明日香村」なんだけど、平城京の前に都のあった「あすか」の表記は中国式でかっこよくしたいわけで。
で、「飛ぶ鳥の」という「あすか」に係る枕詞からとってこの表記にしたっぽいのだ。
漢字だけ見たらまったく「あすか」要素はないからね。

それにしても、この激動の時代、飛鳥時代から奈良時代って、実は女性天皇が多い時代でもあるのだ。
聖徳太子が補佐した推古天皇をはじめ、皇極天皇・斉明天皇(重祚したので同一人物)、持統天皇、この元明天皇、その次の元正天皇もそう。
そして、孝謙天皇・称徳天皇(重祚したので同一人物)のときに道鏡のような不逞の輩が出てきたからか、そのあとは江戸時代まで女性天皇は出ないのだ。
それはともかくとして、年齢的にちょうどよい男性皇族がいなかったから女性皇族がピンチヒッターとして践祚・即位していたということなんだけど、ここまで大きく国の形が変わったことにも実は女性天皇というものが貢献したのではないかと思ってしまうよ。
そういう研究もあるのかな?

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