2011/05/28

大きすぎて目が点

かつて期間限定メニューとして公表を博したメガマックが復活するんだって。
ビーフパティが4枚で、一つ食べただけで800kcal近くも摂取してしまうおそろしいハンバーガーだよ。
ま、話題になると一度は食べてみたくなるんだけど(笑)
そんなメガマック、ビッグマックがベースで、「ビッグ」よりさらに大きいからと「メガ」にしたんだよね。
ところで、メガってなんじゃらほい?、ということで、少し調べたんだ。

メガ(mega)はギリシア語で「大きい(great)」の意味を持つ「μέγας(megas)」という言葉に由来しているのだ。
拡声器のメガホンとか、ストーンヘンジなどの巨石群を指すメガリスなんて単語にはまさにそういう意味合いで使われているのだ。
最近では、原発事故関係でメガフロートなんてのも有名になったよね。
あれも海上に浮かぶ巨大な人工物なのでそう呼ばれるんだ。

一方、一般によく聞くのは、メガバイトとか、メガトン(TNT火薬の爆発力の何倍かを示す単位)とかの、単位につける接頭辞の使用法だよね。
こちらの「メガ」は百万倍を意味していて、1と0を区別する1バイトの百万倍(実際には220で1,048,576倍)がメガバイト(MB)だよ。
かつてのフロッピーディスク(通常の2DDの場合)はだいたい1MBだけど、CDだと640MB、DVDになると片面一層でも4,700MBで、通常はそのさらに上の「ギガ=十億倍」を使って4.7ギガバイト(GB)と言うのだ。
コンピュータの世界は容量が飛躍的に大きくなってきているから、まさにこういう接頭辞があると桁数が少なくてすむんだよね。

この単位の接頭辞には決まりがあって、増える方では、十倍がデカ(ほんとど使われないけど・・・。)、百倍がヘクト(畑の広さなどで使うヘクタールという単位はよく出てくるよね。)、千倍がおなじみのキロ。
その上は3桁ずつ上がっていって、百万倍がメガ、十億倍がギガ、一兆倍がテラ、千兆倍がペタ、百京倍(19桁!)がエクサ、十垓(がい)倍(22桁!!)がゼタ、一秭(じょ)倍(25桁!?)がヨタというんだよ。
スパコンの計算速度でペタフロップスというのがあるので、新聞なんかでもペタくらいまでは出てくるけど、その先はまずみないし、そもそも漢字の数の単位が読めないよね・・・。

これは逆に減る方もあって、十分の一がデシ(デシリットルという単位は小学校で出てくるよね。)、百分の一がセンチ(センチメートルくらいしか使わないのだ。)、千分の一がやっぱりおなじみのミリ。
その下は3桁ずつで、百万分の一がマイクロ(最近は放射線量率でよく聞く?)、十億分の一がナノ(ナノテクノロジーのナノだよ。)、一兆分の一がピコ、千兆分の一がフェムト、百京分の一がアト、十垓分の一がゼプト、一秭分の一がヨクトなんだって。
半導体なんかの微細加工にフェムト秒レーザーというごくごく短時間だけレーザー光を照射する技術があるんだけど、そういうのでぎりぎり「フェムト」が専門紙で見かける程度かな?

大きいことを表すメガと同じように、小さいことをマイクロということがあるよね。
ミニスカートよりさらに短いマイクロミニとか、かつては超小型機械をマイクロマシンなんて呼んでいたのだ。
ところが、さらに微細化高技術は高度化されていったので、半導体の分野なんかで分子や原子のレベルで制御する技術が出てきて、それがマイクロの下のナノを使ってナノテクノロジーと呼ばれるようになったのだ。
そこから、ものすごく小さいモノをナノと呼ぶようになって、ナノ加工とかナノ洗浄とか聞くようになったよね。
iPod nanoなんてのもあるのだ。

ということは、ちょうだいえっとメニューの小さいハンバーガーはナノマック?
かつては米国ではカロリーを抑えたハンバーガーが発売されていたみたいだけど、日本でも、ハンバーガーは食べたいけどカロリーは抑えたい、というニーズに対応して出たりして。
商標登録するならいまのうちだよ(笑)

2011/05/21

にがずっぱい!

気温もぐんぐん上がってきて、なんとなく梅雨も近づいて、いよいよ夏が近づいてきたのだ♪
今年は冷房がなくてきつそうだけど、やっぱりボクは夏が好きなんだよね。
そんな夏好きがそわそわする季節に出てくる果物が夏みかん。
最近はほとんど食卓でみかけなくなったけど、初夏の風物詩なのだ。

この夏みかん、江戸の中期に萩藩青海島(現在の山口県長門市)の砂浜に流れ着いた柑橘類のタネを植えて育ててみたのが始まり、という不思議な出自。
今でもその原木は残っているそうなんだけど、これは史跡かつ天然記念物に指定されているのだ(ちなみに原木部分は根本のみで、上は接ぎ木されたものだって。)。
皮が厚くて実が大きなブンタンが何か別の柑橘類と自然交配してできたものだろうと言われているんだ。
確かに、皮の厚みや実の水分の少なさはブンタンゆずりだけど、あの独特の甘さはないよね・・・。
むしろ、酸っぱくて、ちょっと苦みがあって、という印象で、味的には大きく異なるのだ。

そんな味なので、江戸中期に栽培され始めたころは生食用ではなく、大きな実を子どもがおもちゃにしたり、酸っぱい果汁を食酢のかわりにしたりしたのだ。
食酢の代わりというのはスダチやカボスに似た使い方だね。
でも、明治になると生食されるようになったのだ。
そのきっかけは、秋から冬にかけて色づいて来た実を収穫せず、初夏まで放っておいてから食べてみたこと!
すると、酸味が減って、その分甘みが感じられ、爽快な甘酸っぱさになったというのだ。
ここで「初夏」と言っているのは5~6月なんだけど、今の感覚だとちょっと「初夏」には早い気がするよね。
でも、東洋的な季節のとらえ方だと、気温がぐんぐん上がり始める時期である「立夏」を過ぎたら「夏」だったので、ちょうど新暦の5月くらいが「初夏」だったのだ。

夏みかんはナツダイダイとも呼ばれるんだけど、これはダイダイと同様に実が色づいてからも長く木になり続けるからみたい。
ダイダイはそれこそ2~3年もなり続けるので、それが「代々」にかけられ「だいだい」と呼ばれるようになったのだ。
それで縁起がいいからと正月飾りなんかにつかうんだよね。
夏みかんも同様で、冬に熟してからも放っておけば木になったまま。
あるとき、誰かが気がついて初夏に食べてみたら、酸味成分であるクエン酸や酒石酸が減り、もともとある糖分の甘さが目立つようになったのだ。
(6月を過ぎるとまた実の色が薄くなり、やがて緑色にもどる「回青」という現象が起きるので、それまでに収穫するようだよ。)
糖度は12くらいで、温州ミカンとほぼ変わらないそうなので、実は結構甘い果物なのだ。。
糖度の比較はこの表がわかりやすいよ。

現代では露地もの、ハウスもの、輸入ものとそれこそ1年中いろんな果物が食べられるけど、明治の初期は果物の旬は通常の収穫時期のみ。
初夏に食べられる夏みかんは貴重な存在だったのだ。
それで萩藩では、明治維新で職を失った下級士族に夏みかんの栽培を奨励し、一気に栽培量が増えていったみたい。
さらに、昭和10年(1935年)になると、大分県の果樹園で川野さんがより甘みのある変わり種を発見したのだ。
それが「甘夏」で、発見者からカワノナツダイダイと呼ばれるんだよね。
戦後は夏みかんから甘夏に徐々に置き換わっていったみたい。
糖度が上がったというより、酸味が早めに抜けるようなのだ。

実は、日本人は無類の夏みかん好きで、その独特の苦みがある甘さと酸っぱさを楽しんでいたのだ。
グレープフルーツの自由化が始まると夏みかんの生産量は減っていくんだけど、昭和61年(1986年)に伊予柑にぬかれるまでは、柑橘類ではダントツの温州ミカンに次ぐ消費だったみたい。
今でも夏みかん味のガムやアメは人気があるよね。
さすがにグレープフルーツや伊予柑、スイーティーなんかが出てきているので、生食する機会はほとんどないけど、それでも、夏みかんの皮の砂糖漬とか夏みかんのマーマレードなんかはけっこうよく見かけるよ。
和菓子では、夏みかんをくりぬいて果汁を寒天で固めた夏柑糖なんてのもあるよね。
これがまたさっぱりとした味わいでおいしいのだ(^o^)/

ちなみに、夏みかんの木は意外と街中でも見かけるよね。
ボクも小学生くらいのころよく気になっていたのだ。
見ているとおいしそうで、もらったこともあったんだけど、食べられたものじゃないんだよね(>o<)
記憶が定かでないけど、きっと時期がダメだったんだろうな。
5月くらいにもらえば、生食もできるはず。
今度もらうなら今の時期だね!

2011/05/14

目に青葉・・・

季節も春本番で、まもなく梅雨のうっとうしい天気が来そうなこの頃。
ちょうどカツオの水揚げも増え、食卓に初鰹が並ぶ時期でもあるのだ。
江戸時代には特に珍重されて、初鰹は女房・子どもを質に入れてでも、と言われたものだけど、今では庶民の食卓にも普通に出てくるものになったよね。
ま、むかしも「初物」にこだわらなければ庶民の口に入るものだったようだけど(笑)
そんなカツオを少し調べてみたのだ。

カツオは、春先に南から黒潮に乗って三陸沖まで北上し、秋には逆向きに南下していく季節性回遊魚。
春先の北上してくるのが初鰹で、秋に南下してくるのが戻り鰹。
2回の旬がある魚だよ。
秋の戻り鰹は産卵を控えているので脂がのっていて、トロ以上に珍重する向きもあるんだけど、逆に脂が少ない春先の初鰹はその分だけうまみ成分のイノシン酸の味が強く感じられるさっぱり系の味で、明治より前の日本ではその方が好まれていたのだ。
もともと白身の魚の方が高級で、サバやサンマなどの脂ののった魚は庶民のものだったし、マグロのトロに至っては捨てられていたらしいからね。

そんなカツオは古代から日本では親しまれていた魚で、神饌といって神様のお供え物にされるくらいだったとか。
でも、カツオはサバと同じように傷みやすいので、干して保存が利くようにしてから流通させていたようなのだ。
冷蔵して運べるようになって夏まで初鰹が食べられるようになった現代とは大違い!
ちなみに、その干したカツオが現在の鰹節の原型だとか。
江戸時代に製法が確立された今の鰹節は、ゆでた後に燻製し、天日干しを行うのだ。
ゆでて小骨を抜いたのがなまり節で、これはこれで好きな人がいるよね。
燻製をして水分を抜くんだけど、これを燻乾と呼んでいて、これが終わると荒節と呼ばれる状態になるよ。
これを薄く削ったのが「花かつお」なのだ。
いわゆる本枯節と呼ばれる、たたくと金属音のする固い鰹節は、さらにカビを表面につけ、熟成しながら水分を抜いていくのだ。
こうすることで、タンパク質が分解されてうまみ成分のアミノ酸が増えていくとともに、他の有害なカビが生えなくなって、保存性が高くなるんだ。
これは透明感のある赤い色で、重量は最初の鰹節の2割程度にまでなるというから、水分もほとんどないことになるよね。

この傷みやすいカツオだけど、もっとも一般的な食べ方はなんと言っても「たたき(土佐造り)」だよね。
皮付きのまま表面を火であぶって、氷水か何かであら熱を取って厚めに切って、大量の薬味と一緒に食べるのだ。
同じく痛みやすいサバは酢に漬けて「しめ鯖」にして食べるので、この「たたき」も表面をあぶることで殺菌しているなんて言われるんだけど、どうもそうではないみたい。
むしろ、これを臭みをとると同時に、皮のすぐしたにある脂の層熱を加えることでうまみを増しているっぽいのだ。
脂を少し融かしてうまみを増す、というのは超レアな状態で食べる牛肉の「たたき」と同じなんだよね。

保存性を高める目的なら、流通させる時点で高めておかないといけないはず。
しめ鯖のように酢に漬けたり、漬けマグロのようにしょうゆに漬けたり、鮒寿司のように乳酸発酵させたり、昆布締めのように塩で水分を抜いたり、と実際にそうやって保存性を高める食べ方をしている例はたくさんあるのだ。
あえて言えば、カツオの場合はそれがなまり節なんだろうけど。
今ではかなり新鮮な状態で運べるけど、むかしは新鮮とは言っても流通経路が発達していないので、けっこうにおいが出てしまっていたはずなんだよね。
それをごまかすためにも、生姜やネギなどの薬味をきかせる必要があるのだ。

それでもなおかつ食べられる理由はやっぱりその味にあるみたい。
マグロもそうなんだけど、カツオは死後うまみ成分であるイノシン酸が増えてくるのだ(釣ってから約1日後がピーク。)。
なので、時間がたつと臭みもますんだけど、うまみも増しているというわけで、臭みを我慢してでもおいしいものが食べたい、ということで考案されたのではないか、と思うのだ。
たたきの由来にはいろいろあって、土佐藩主の山内公が食中毒を避けるために生魚を食べることを禁止した際に焼き魚だと言うために表面だけあぶった、なんて説もあるので、そういうところから殺菌説が出てきたのかも。
もともと「たたき」という語源は、塩をたたくようにすり込んだから、とかいうのもあるので、そうやって保存性を上げたカツオの生食の料理のことを「たたき」と呼ぶように鳴ったのではないか、とも思えるよ。

じゃあ、なんで同じようなマグロの場合は臭みがないかというと、これは獲ってからすぐに尾びれを切って血抜きをし、かつ、さばいた後にも血合いをきれいに取り除くからなんだって。
カツオの場合は魚体がそんなに大きくないし、何より高級魚でもないので、そこまでしないから見に臭みが出てしまう見たい。
自分で釣り上げた場合に、すぐに血抜きをして、血合いをとってあげると、まったく臭みなく普通のお刺身として食べられるようだよ。
つりが好きな人は試してみるとよいかも。
ちなみに、有名な一本釣りは、網で獲るとカツオのみに傷がつくので、それを避けるために竿で釣り上げるんだけど、これもカツオが痛みやすいことと関連があるんだよね。
体表に傷がつくとそこから傷んでしまうから。
その点では、サバやイワシよりは高級ってことだよね(笑)

2011/05/07

甘い汁

ペプシが新製品として甘くないコーラを発表したのだ。
コーラというと、あの独特の甘みとフレーバー(これが秘密なんだよね。)が特徴だけど、その甘みを取り除いた、というのだ。
これまでも人工甘味料を使ってカロリーを0にした製品はあったけど、画期的ではあるよね。
ちょっと興味があるので、一度は飲んでみたいのだ。
そのままではきつくても、アルコールを割るものとしてはそれなりに需要はあるかも。

で、その抜かれたコーラの甘さのもとは「異性化糖」という液糖(シロップ)。
成分的に見ると、単糖のブドウ糖と果糖が混ざったものなんだけど、これが清涼飲料水に最適なすっきりとした甘さになるんだって。
砂糖(しょ糖)だとちょっと甘さが口の中に残るし、何より、冷たい飲料を作る場合に粉状の砂糖は溶かしにくい、という問題もあるようなのだ。
ブドウ糖は砂糖の7割程度の甘さで、果糖は逆に1.5倍前後の甘さ。
砂糖より甘くないブドウ糖と砂糖より甘い果糖が混ざることで、砂糖と同じくらいの甘さだけど、すっきり感がある甘味料になっているんだそうだよ。
ちなみに、低温では砂糖の甘みは感じにくいけど、ブドウ糖や果糖では低温でもしっかり甘みを感じるので、やっぱり冷たいものに合っているようなのだ。

この異性化糖、いかつい名前だけど、それは生産方法から来ているんだよね。
一般に家庭で消費されている砂糖はサトウキビやテンサイから抽出された糖液から抽出するわけだけど、異性化糖の場合はデンプンに酵素を反応させて作るのだ。
麦芽糖も麦芽に含まれる酵素でデンプンを分解するんだけど、この場合は二糖である麦芽糖までしか分解できないので、そんなに甘くならないんだよね。
異性化糖の場合は主にトウモロコシ由来のデンプンを使うので、米国では「コーン・シロップ」なんて呼ばれるとか。

異性化糖の場合は、まずαアミラーゼを加えて95℃くらいまで加熱し、デンプンを小さく断片化することでよく水に溶けるようにするのだ(液化)。
次に、55℃くらいまで冷却してから、今度はグルコアミラーゼという酵素を加えて、さらに分解していくのだ。
αアミラーゼで分解すると、デキストリンなど、ブドウ糖がいくつか連なったオリゴ糖になるのだ。
このオリゴ糖をはしから分解していってブドウ糖にするのが今回の反応(糖化)。
これでデンプンののり状のどろどろがとろっとした甘い糖液になるのだ。
さらに、このブドウ糖液にグルコースイソメラーゼという酵素を反応させ、ブドウ糖を果糖へと変換するのだ(異性化)。
分子式を変えずに分子構造を変えることを「異性化」と呼んでいるので、一連の工程でできた液糖が異性化糖と呼ばれるわけ。



途中で異性化させて果糖に変換しているので、ブドウ糖液だと甘さがたりないため。
なんとか砂糖に近い甘さにしようとした結果で、最終的には、水分を飛ばして濃縮し、ブドウ糖と果糖の比率が一定になるように精製して製品となるのだ。
果糖が多ければより甘い異性化糖になるよ。
ちなみに、ブドウ糖が多い異性化糖はブドウ糖果糖液糖、果糖が多い異性化糖は果糖ブドウ糖液糖と呼ばれていて、それぞれ、果糖が42%、55%のものが一般的みたい。
果糖42%だと砂糖より少し甘くなくて(でも、低温では甘く感じることがあるよ。)、果糖55%より砂糖より少し甘くなるのだ。

最終的にシロップの形で出てくるので、冷菓や清涼飲料水の材料として使いやすいんだよね。
タンクローリーなどで運搬も比較的楽だし、工場で計量するときも液状なので量りやすいのだ(粉だと空隙があるから体積では量れないので、いちいち重量を量らないといけないからね。)。
でも、高温にするとメイラード反応が起きて茶色くなってしまうので、熱を加えるものには使いにくいという欠点も。
それに、水分を完全に除去して粉状、固形状にはできないので(その前にメイラード反応が起こってカラメルになってしまうのだ・・・。)、一般消費者向けにはほとんど売られていないのだ。

むかしはサトウキビやテンサイという植物が限定的にしか栽培できなかったから甘い糖は非常に貴重だったわけだけど、今ではこうしてそこらじゅうにあるデンプンからも作ることができるようになったのだ。
口の中でお米をずっとかんでいると甘くなるけど、あれも唾液中のアミラーゼでデンプンが分解され、麦芽糖ができるから甘いわけだけど、そこからシロップにはつながらないよね(笑)
また、お酒の醸造では、デンプンを麹で糖化し、酵母でそこでできた糖を発酵させてアルコールにしていたので、酵素を使った糖化はずっとやってきたわけだけど、せいぜい甘酒を造るくらいで、砂糖の代用になるほどの糖液は作ってこなかったんだよね。
おそらく、最後の異性化の工程が重要で、砂糖並みに甘くできたところが成功の秘訣のような気がするよ。

ちなみに、かつては酸分解でデンプンをブドウ糖にしていたらしいんだけど、それだと甘みも少ないし、副産物で色がついていたらしいのだ。
ここに日本の技術が搭乗し、糖化するところに酵素を使ってきれいにブドウ糖液にすることを可能にし、さらに、酵素を使って異性化をすることで甘みも増強させたのだ。
日本が醸造技術なんかで培ってきた技術力が生きているんだね。
そう思うと、たまに飲む甘い清涼飲料水もありがたみがでるかな?

2011/04/29

ご利用は、間接的に

まだそんな気分じゃないという人もいるだろうけど、いよいよゴールデンウィークに突入。
今年は2日と6日さえ休めば超大型連休!
逆に、その平日二日を普通に来ると、断続的な連休なのだ・・・。
この時勢だとなかなか大型連休にするのはつらいよね(>o<)
そんな連休のさなか、いよいよ天皇皇后両陛下は被災3県に行幸啓されるのだ♪
芸能人が来たり、スポーツ選手が来たりするのもうれしいだろうけど、やっぱり皇室の方々が来るとなると違うよね。
変な政治家だったらむしろ来なくていいだろうし(笑)

で、ここで気になったのは敬称。
日本語だと、皇室や各国の王室に対しては、君主及びその配偶者に「陛下」、それ以外の皇族・王族に「殿下」を使うのが通例。
大統領とか大臣だと「閣下」。
偉いお坊さんや司教などの宗教家に対しては「猊下」
珍しいところでは、ローマ法王(教皇)に対して使う「台下」(或いは「聖下」)なんてのもあるよ。

これは、もともと偉い人を直接名指しするのが失礼だ、とする考え方があったからで、天皇のことを「帝=御門(みかど)」や「内裏(だいり)」と呼んだり、将軍の正室を「御台所(みだいどころ)」と呼んだりするのも同じ考え方。
本人を直接指すのではなく、その人がいる場所で表そうとするものなのだ。
「陛下」という敬称も同じような発想で中国で生まれたもので、「玉座、高御座(たかみくら)の陛(階段)の下においでのお取り次ぎの方にまで申し上げます。」といった意味で使われ始めたんだって。
これは直接話しかけるのが失礼なので、ワンクッションおいて間接的に話しかける、という発想。
殿下や閣下なんていうのも同じ発想で使われるのだ。

実はこれ、西洋でも同じ発想なんだよね。
例えば、米国の大統領が日本の天皇に話しかけるときは、気軽に「You」なんて言ってはいけないのだ。
そういう呼びかけのときは、「Your Majesty」と使い、第三者として言及するときは「His Majesty」と使うんだよ。
これはその他の敬称でも同じような感じで、ローマ法王に使うHolinessの「台下・聖下」、王族などに使うHighness(殿下)、大統領や大臣に使うExcellency(閣下)など。
市長や裁判官、国会議員などに使うLordshipやWorshipなんてのもあるけど、逆にこっちは対応する日本の敬称はないかもね。
洋の東西を問わず、偉い人に対しては直接指すことなく、間接的にその人であることをほのめかすということをするのだ。
けっこうおもしろい現象だよね。

ちなみに、これらは「~さん」という意味で使うMr.やMs.、「~博士」のDr.、「~卿」という意味で使うSirやLordとはまた違うんだよね。
その場合の敬称(というか役職みたいなもの)は名前の前につけるのだ。
エリザベス女王ならQueen Elizabeth、明仁天皇ならEmperor Akihito。
爵位を表すDuke(公爵)、Marquess(侯爵)、Count(伯爵)、Viscount(子爵)、Baron(男爵)や、「~王子」という時に使うPrinceも名前の前だよね)例えば、今度結婚するウィリアム王子はPrince William。)。
一方、日本語の訳からだとまぎたわしいのが大使や偉い軍人などに使う「Honorable」。
訳語は「閣下」になってしまいがちだけど、これも名前の前につけるのだ。
ちなみに、Sirだけはファーストネームの前につけるんだよね。
アイザック・ニュートンはドクター・ニュートンだけど、サー・アイザック・ニュートンとするのが一般的だよ。

で、こうやって間接的に呼びかけられる人々は自分を指すときも独特の言い回しがあったりするのだ。
中国や日本では、皇帝や王は「朕」という一人称を使うよね。
日本でも戦前までは詔勅で天皇が自分をさすときは「朕」だったのだ(昭和天皇は口語では「私」、普段は「僕」とおっしゃっていたようだけど。)。
いわゆる「玉音放送」の「大東亜戦争終結ノ詔書」も「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ・・・」となっているのだ。
西欧語でもそういう独特の言い回しがあって、偉い人は自分個人でも一人称複数を使う、という習慣(?)があったのだ。
これを「尊厳の複数(Royal We)」と呼んでいるそうなんだけど、すべての一人称を複数形にするんだよね。
ローマ法王も同じだったんだけど、先々代のヨハネ・パウロI世からそれを廃止して、一人称で「I」を使うようになったんだそうだよ。
日本では天皇に対してのみ使う敬語なんていう特殊な表現まで生まれたけど、西洋でもいろんな婉曲表現で「尊敬の念」を表したようなのだ。

というわけで、偉い人の持ち上げ方は意外と洋の東西を問わず同じだったのだ(笑)
こういうのって、たまに接する機会があるから、注意してみているとおもしろいかも。
例えば、NHKの英語ニュースで海外から偉い人とかが来たときにどう表現されているかなどで調べられるのだ!
一番直近では、英国のウィリアム王子の結婚式かな?

2011/04/23

今年は昭和で言うと何年?

未曾有の大震災から1ヵ月以上が経ったけど、なかなか復興のメドは立たないし、原発の方も不安がつのるばかりだよね(ToT)
まさに、21世紀最大の災害なのだ!
中国文明圏では、こういう天変地異があるとよく元号を変えたんだよね。
日本でも飢饉や大地震などがあると変えた例があるのだ。
で、今更ながら元号について気になったので、ちょっと調べてみることにしたのだ。

もともと元号っていうのは中国発祥のもので、中国の考え方では、すべての世界を司る天帝から天命を受けた皇帝は、地上を支配するのみならず、時間をも支配すると考えられていたのだ。
この時空を支配するという考え方は、皇帝が暦を作ってそれを頒布し、その暦に従って人々の生活、特に農業が営まれるということをも意味するんだ。
これは四時の運行は皇帝が司っている、という証でもあるのだ。
すなわち、暦を作るのは王朝の専権事項であって、勝手に暦を作ってはいけなかったのだ。
逆に、自分こそが「王」だと思う人は、自分で暦を作ってそれをアピールしたみたいだよ。
で、年を表す元号っていうのもその流れから来るんだよね。
暦と同様に皇帝以外が勝手に元号を定めてはいけないし、我こそが支配者だと思う人は自分が作った私的な元号を支配民に使わせたりしたようなのだ。

この元号は、基本的には君主が交代すると変わる(=改元される)んだけど、それ以外にも変えられたのだ。
ひとつは祥瑞改元というもので、吉事があったときに縁起がよいと変えるというもの。
中国では竜が天に昇るのを見た、とか、麒麟が空を駆けていくのを見た、とかそういうもので変えたようだよ。
日本でも、白雉という元号があるけど、これは珍しい白いキジが朝廷に献上されたことに由来するものなんだよ。
そして、革年改元というのがあって、中国では甲子、戊辰、辛酉の年に大きな政治的変化があるという説があったので、その年になると元号を変えていたことがあったのだ。
これは政治的な変革が発生しないように、象徴的に元号だけを変えるという発想みたいだよ。

そして、天変地異があった場合に改元する災異改元。
例えば、江戸時代でも、振り袖火事とも呼ばれる明暦の大火の後に万治と改元されているし、天保の大飢饉の後に弘化と改元されているのだ。
これは、元号を変えて悪い影響に区切りをつけようという思いもあるんだけど、それ以上に、天災地変が発生するのは、為政者の徳が低いから、という中国的な考え方が背景にあるためなのだ。
なので、支配者が心を入れ替えて政治をするためにも、元号を変えて出直そう、ということなんだ。
奈良時代の聖武天皇は疫病が流行したときに御自身の徳の低さを嘆き、全国に国分寺を設置するとともに奈良の大仏を建立したんだけど、平安時代まで下ると、御霊信仰とあいまって、何かあると誰かのたたりとして祭り上げ、改元して出直そうとしたのだ。
で、今回も未曾有の大災害だから改元しよう、なんていっている人たちがいるんだけど、そんなわけにはいかないんだよね。

明治維新以降、改元をどうするかが問題になって、「一世一元の制」がしかれたのだ。
これは天皇の在位中には元号を変えず、皇位継承があったときだけ改元するというもの。
日本では「蒸し米を炊いて祝おう大化の改新(645年=大化元年)」から元号が断続的に使われ始め、「なれい大宝律令(701年=大宝元年)」からは連続して元号が定め続けられてきているんだ(南北朝時代は2系統の元号があったけどね。)。
それまでは、いろんなタイミングで改元をしていたんだけど、明治になって一世一元の詔を出して、在位中は改元しない制度に変えたのだ。
これは旧皇室典範に継承され、大正、昭和と引き継がれるのだ。

戦後になると旧皇室典範が廃止され、新たに定められた皇室典範(昭和22年法律第3号)には元号に関する規定がなかったので、一時あやふやな状況が続いていたんだよね。
これは、戦後になって古い体制を改めようと、一時公文書でも西暦を使ったりしようという動きがあったからなんだよね。
でも、けっきょく国民は元号を使っているので、しっかりとその法的根拠を定めようとできたのが元号法(昭和54年法律第43号)なのだ。
元号を使うということは、歴史的に見てもその天皇の支配下に属するということなのでけっこう騒がれたようなんだけど、なんとか成立したのだ。
法律自体は2項しかなくて、

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。


というあっさりしたもので、皇位継承があった場合、政令により次の元号を定めるのだ。
この元号法に基づいて最初に定められた元号が「平成」だよ。
なので、どんな災害があっても皇位継承がなければ元号は変わらないんだ。
元号法を改正すれば別だけど・・・。

それにしても、すごいのは、日本ではずっと天皇が君主であり続けて、天皇が定めた元号が使われ続けてきた、という事実なのだ。
摂関政治の頃はあくまでも天皇の下で貴族たちが政治をおこなっていたわけだけど、鎌倉幕府以降、政治の実権は武士に移っているのだ。
でもでも、元号を定め、国を代表する象徴的支配者はあくまでも天皇であり続けたんだよね。
これがすぐに王朝が交代してしまう中国との違いなのだ。
現在の憲法の下でも天皇も、国をまとめる象徴的な存在という意味では、江戸時代となんら変わらないのだ。
というわけで、元号を使うのは日本国民としてのアイデンティティ、誇りでもあるので、便利だからといって西暦ばかり使っていてはダメなのだ。
それと、今上天皇への敬意を表するためにも、「今年って昭和で言うと何年だっけ?」なんてのもダメなんだよ(笑)

2011/04/16

いつまでゆれるの?

3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生してから1ヵ月が経過したのだ。
でも、まだまだ余震が続いているよねぇ。
最近では震度6級の大きな余震もあって、東京でも震度4くらいでゆれたから本当にびっくりしたよ。
気象庁が大きな余震の可能性は低くなるって発表した矢先だったしね。
原発問題もまだしばらく片付きそうにないけど、余震の方も心配なのだ(>o<)
先の地震でもろくなった構造物が倒壊するおそれがあるし、何より、いつまでも余震が続くと精神的な重圧も感じるよね。

余震というのは、地殻プレートが押し合ったり、引っ張り合ったり、横ずれしたりして起きる地震(これを本震と言うのだ。)の後に続く地震の総称で、大きな地震であればあるほど大きな余震が長い間続く可能性があるのだ。
ちなみに、本震の前に先触れでゆれる前震というのもあるんだって。
この余震は、本震で放出されきれなかった地震のエネルギーが徐々に放出されることで起きると思われているのだ。
あまりに貯まったエネルギーが大きいと、一気に放出しきれないんだそうだよ。
で、そういうときは、大きな地震が来た後に、比較的大きな地震が続くのだ・・・。
今の状態がまさにそうなんだけど、なかなか収まる気配はないし、まだまだ警戒しなきゃ、という雰囲気だよね(ToT)
一般には、余震の大きさは最高でも本震のマグニチュードより1程度小さくなると言われているんだけど、今回の地震はマグニチュードが9.0だったから、マグニチュード8クラスの巨大地震が余震として発生するおそれがあるかもしれないということだよね・・・。

よく地震のメカニズムとして、プレートテクトニクスが語られるよね。
地球表面を覆っている比較的固い岩盤は「1枚岩」ではなくて、いくつかのプレートに分かれていて、それが動いているというのだ。
プレートとプレートの間では、横にずれたり、下に滑り込んだり、上に乗り上がったりして摩擦が生じていて、そこで発生するエネルギーが徐々にためられていくことになるんだ。
それがためきれなくなって放出されると地震となるわけ。
ちなみに、ヒマラヤ山脈も富士山もプレート同士がぶつかって盛り上がってできているんだよね。
決して速いスピードで動いているわけではないけど、それくらいの強さのものなのだ!

ニュースの解説なんかだと、そのため込まれたエネルギーを地震として放出する際に板バネのような絵を描いて説明するのだ。
板バネを指で曲げておいてから指を話すと、振動しながらもとのまっすぐな状態にもどろうとするよね。
これはいわゆる「縦ゆれ」的なイメージだけど、ゴムひもやバネのような伸び縮みするような場合もあって、それが「横ゆれ」のイメージになるのだ。
でも、実際には地殻はそんな単純に縦と横の成分に分けて考えられるような動きをするわけじゃないんだよね。
むしろ、ゴムまりを無理やりつぶして、それが複雑に動きながらもとの形にもどろうとする動きの方が近いのだ。
これは「応力」という力で、物体の内部に生じたゆがみをもどそうとあらゆる方向に働く力のことで、糸が引っ張られたときに引っ張られたのと反対方向に働く張力が3次元になったようなものなのだ。

地殻の構成は一様ではなくて、いろんな岩石や砂、泥、水などなどがモザイク状にまざっていて、岩石内部での密度の濃淡があったり、粘度の大小があったりするんだよね。
そのために外部から力が加わると、それが均等に分散されず、弱いところにゆがみ・ひずみが蓄積されるのだ。
それで局所的に応力が発生した状態になるんだけど、いよいよそのゆがみ・ひずみに耐えられなくなると、地殻の岩盤が割れて、断層ができるのだ。
この断層ができるときのゆれが地震となるわけ。
断層ができる場合には、押し合う力で上に盛り上がる逆断層、引っ張り合う力で下にずれ込む正断層、横にずれ合う横ずれ断層などの種類があって、それぞれの断層のでき方で地震のゆれも特徴的になるんだよ。
この断層は地震後にある程度確認できるので、どういう地震だったかの解析が可能になるのだ。

ところが、こうやって断層ができても、完全にゆがみやひずみが解消していない場合があるんだよね。
いったん断層ができるともろくなって次の断層ができやすくなるし、また、断層ができてずれて動くことで新たなゆがみ・ひずみが発生することもあるのだ。
こうしてまた耐えられない状態になると地震が発生するんだ。
それが余震。
逆に、断層が大きく動く時にその予兆として少し動くのが前震だよ。
実際には断層は一カ所にだけできる訳じゃなくて、いろんな形の断層がいっぺんにできるので、そう単純ではないんだけど。

ちなみに、耐えられなくなって断層ができる前にも、ゆがみ・ひずみのエネルギーが蓄積されている状態は観測できるはずなんだよね。
それで地震予知を行おうという考え方もあるのだ。
例えば、岩石は外から圧力をかけられると中に応力が発生するんだけど、その際、内部に微弱な電流が流れることが知られているのだ。
地殻でも同じことが言えるだろうと、地中に発生する微弱な電流をとらえて地震予知につなげようとする方法もあるんだ。
地震の前にはプラズマの火球が発生するとか、地温が高くなって生物の行動に変化が見られるとか、土中成分の濃度に変化が出てそれが植物に影響を与えるとかとか、いろいろとあやしいのも含めて考えられてはいるんだよね。
地震雲という特徴的な雲が出るなんて言う民間伝承的なものもあるのだ。
日本で一般的なのは、微弱な地層のずれなどをGPSなどを使った精密な位置観測で検出するのだ。
これは前震よりさらに前の前触れを見ているわけだよ。
古代中国では8つの首の竜が8方向に顔を向けて玉を加えていて、その玉が落ちた首の方向で地震が起きる、なんて予知をしていたけど、これも微弱なゆれを検知する機械になっているんだよね。

気象庁の余震の予測は、過去の地震の観測例や統計データ、発生した地震の性質の分析などをすることで、どの程度の余震が発生するかのシミュレーションをして、余震の発生確率を割り出しているんだよ。
ある期間の間にどれくらいの大きさの余震がどれくらいの確率で発生するかを発表するのだ。
さらに、その予測が当たったか外れたかをさらに計算に入れて未来の予測につなげていくのだ。
今回の地震は未曾有の大災害といわれるような超巨大地震だったのでなかなか予測は難しいみたいだけど、数年に一度発生するような中程度の地震であれば統計モデルもかなり確立されているので予測精度は高いみたい。
今回の地震のデータを詳細に解析すれば、将来の大きな地震にも備えられるはずだから、しっかりとデータをとり続けることが大事なのだ!
次の地震に備えることも必要なんだよね。