2024/06/15

淑女の読み物

 最近の若者は、わりと本を読むらしい。
といっても、ライトノベルが読まれているだけのようだけど・・・。
いわゆる「なろう系」やら「異世界転生もの」が量産されていて、アニメや漫画に展開されてメジャー化していくのだ。
古く言えば、「スレイヤーズ」、その後の世代だと「涼宮ハルヒシリーズ」、最近のだと「転スラ」、「無職転生」、「シャンフロ」、「オーバーロード」とか。
「涼宮ハルヒ」の時代まではプロ作家が書いていたのだけど、最近は小説投稿サイト(「小説家になろう」とか「アルファポリス」など)で素人作家さんが投稿して、人気が出ると書籍化、というぱてーんが増えてきているよね。
こういう形にすると玉石混交だろうけど、編集者が「何が受けるか」をあまり考えなくても、実際に人気のあるコンテンツを見つけられるという利点があるのだ。
携帯小説もそうだけど、けっこう何が受けるかわからないというのはあるんだろうね。
小説としては表現がけっこうメタメタでもストーリーや設定が面白い、キャラクターが魅力的、なんだか読ませる文章で続きが気になる、とかとか。

で、それはまだ理解できるんだけど、いまいちよくわからないのが、なぜか売れ続けている「ハーレクイン・ロマンス」。
こういう言い方をすると愛好者には怒られるかもだけど。
男性であることもあって、ほぼ触れたことはないので、よくわからないんだよね。
岩波文庫並みに本屋の一角を占めていて、売れ筋の書籍の一軍であることは知っているのだけど。
なので、少し調べてみることにしたのだ。

基本的には、ハーレクイン社が出版している主に女性をターゲットとした大衆恋愛小説のペーパーバックが「ハーレクイン・ロマンス」なのだ。
書いているのも女性、読んでいるのも女性で、男性には近寄りがたい雰囲気を持っているのが特徴。
日本では翻訳版が月2回刊行されているらしいけど、それくらい頻繁に出版されるもので、書籍の大量生産・大量消費の代名詞であるペーパーバックの雄なのだ。
っていうか、現在ではぱーぱーバックはもう「ハーレクイン・ロマンス」くらいしか売れないらしい。
かつてはスティーブン・キングのミステリなんかが良く売れたわけだけど、他のコンテンツが充実してくるにしたがってそういう伝統的なペーパーバックは軒並み売れなくなって、「ハーレクイン・ロマンス」だけが残ったようなのだ。
どうも、これは「ハーレクイン・ロマンス」の特徴から来ているらしいことがわかったよ。

先に書いた通り、基本は女性が読む女性作家による大衆恋愛小説。
ヒーローと呼ばれるイケメンや大金持ち(19世紀前半の英国摂政時代の貴族とかアラブの富豪とからしい。)の男性が、ヒロインと呼ばれる主人公の女性と恋に落ち、ハッピーエンドで終わるのだ。
かつ、女性をターゲットにしているので、女性が読んでいて不快になるような展開はまずなくて、浮気とか不倫とかではなくて、あくまでも純粋な恋愛が成就する、というものらしい。
日本ではドロドロした昼ドラが主婦層に好まれていたけど、欧米文化はキリスト教的な価値観もあって、王道のれないがよいらしい。

内容的には3つのシリーズがあって、日常では怒らないようなドラマティックな恋愛の話の「ロマンス」、身近に起こりそうな恋の話の「イマージュ」、情熱的な恋の話の「ディザイア」に分かれるそうで、背表紙もこのシリーズごとに色分けされているみたい。
で、舞台設定でもパターンがいくつかあって、歴史もの(ほとんどは英国摂政時代、日本の異世界転生ものの異世界のほとんどが中世欧州をベースにしているようなものか?)、アラブ王国もの(シークというアラブの王族と恋する話らしい、これはシャムの王様と子供たちの英語家庭教師の恋を描いた「王様と私」みたいなものか?)、現代もの(キャリアウーマンだったり、平凡な女性だったり)がメジャーみたい。
こういう基本的な枠組みの中で、いろんな女性作家が「順列組み合わせ」のような定型パターン・エピソードをつなぎ合わせてハッピーエンドになるれ内を描くようなのだ。
逆に言うと、こういう基本コンセプトがあるからこそ、どんどん大量に刊行できるわけだよね。

正直、これだけ聞くと、「そんな小説を読んで面白いのか?」と思うわけだけど、実はそうではないらしい。
これは、ターゲットである女性読者がその読書体験で何を求めているか、ということにつなげっているのだ。
基本的には、読書体験では、まだ見ぬ世界を知って知識が広がったり、登場人物に感情移入して喜怒哀楽を疑似体験したりするわけだけど、どうも女性の読書体験は後者、感情移入の方に重きが置かれるらしいんだよね。
女性は教官を求める、と言われているのと同じ。
逆に男性は理屈っぽく知識を求める傾向にあると言われ、自己啓発本みたいなやつはほとんどが男性読者なんだそうで。

そうなると、女性読者としては、読書を通じて疑似恋愛を体験して、ドキドキしたい、ワクワクしたい、と思っているわけだ。
でも、個人個人で趣味嗜好がことなるから、せっかくなら現実では味わえないようなラブ・ロマンスを求める人もいれば、実際には体験できていない日常の中でも起こり得そうな恋愛を求める人もいるのだよね。
で、自治はそのほとんどすべてのパターンがそこにはあるのだ!
つまり、読者にしてみれば、自分がどの疑似恋愛体験をしたいのかを探りながらいろんな作品を読んでいくことになるよ。
これが数多くの作品を次々と打ち出して読者をひきつけてやまないコツ。
最初はこういうのが好き、と思っていても、読んでみたら別のジャンルもよかった、みたいなのもあるし、一度はまればどんどん手に取るのだ。
こう考えると、なんだか「なぜ売れているのか」がわかった気がするよね。
ボクは恋愛小説はあまり好みでないので読まないけど(笑)

2024/06/08

丸善にしかける

 地味に好きなお菓子がある。
それはレモンケーキ。
甘酸っぱくて、懐かしい味。
子供の時に最初に食べたのは近所のケーキ屋さんのやつ。
大人になってからは主にコンビニやスーパーで買える山崎のレモナック。
時々百貨店で高級なやつを買うとぜいたくな気分になる。

そんなレモンケーキ。
発祥は大正時代だそう。
広島県の物産陳列館(被爆後に「原爆ドーム」になった建物)で大正8年(1919年)3月に開催された「似島獨逸俘虜技術工藝品展覧會」の菓子即売所で、日本初のバウムクーヘン(ユーハイムのもの)とともにレモンケーキが販売され、大好評を得たのだとか。
この時のレモンケーキは今のような紡錘形でコーティングされたものではなく、レモンピールなどで風味をつけた生地をパウンドケーキ型で焼いて、上部にアイシングしてからカットしたものだったみたい。
当時の広島県内では一大ブームで、御使い物や仏壇に供える菓子と言えばこれ、というくらいになったとか。
それが全国に広まっていったらしいけど、そこまでメジャーにはならなかったのだ。

転機が訪れたのは戦後になってから。
葛飾区にある製菓・製パン用型製品を作っている千代田金属工業が、レモンをかたどった紡錘形の型を作ったのだ。
これまではサクで焼いてカットしていたわけだけど、フィナンシェなどの焼き菓子のように、最初から一つ一つ紡錘形の焼き菓子ができるのだ。
これにレモン風味のホワイトチョコレートでコーティングすると、現在一般的に認知されているようなレモンケーキになるわけ。
これが昭和40年代から50年代にかけて一大ブームになり、全国メジャーなお菓子になったわけ。

まだこのころだとあまりにもしつこいバターの風味は苦手な人が多いだろうし、少し酸味があってさっぱりしているほど良い甘さが受けたのかも。
フォルムもかわいらしいしね。
焼き菓子なので生ケーキより日持ちするので「おもたせ」なんかにもできる点もよかったのだ。
で、その後は「ちょっと懐かしいお菓子」程度になっていくんだけど、最近またブームが来ているようなのだ。
平成の後期くらいからだけど、レモン風味のお菓子が流行ってから、伝統的(?)なタイプにひと手間加えたものが出て来るんだよね。
中にレモンマーマレードを入れてみたり、レモンピールをお目にしてよりレモン風味を出したり。
これらが高級路線のレモンケーキなのだ。

でも、ちょっと気になるのは、なぜ広島発祥なのか?
そう、我が国ではレモン栽培は広島が全国一なんだよね!
というのも、レモンの木は寒さに弱く、国内で栽培できる個所は限られるのだとか。
その一大産地が広島県の瀬戸内海沿岸部なんだよね。
レモン自体が日本に伝わったのが明治6年(1873年)、広島県で最初に植えられたのが明治31年(1897年)と言われているよ。
最初は買ってきたネーブルの苗木の中にレモンが混ざっていて、間違って植えたらしい・・・。
で、レモンの実がなるのだけど、どうやって食べたらよいのかわからないので、港に寄港する船乗りたちに聞いたりしていたのだとか。
そういう背景があって、レモン味のものが広島の名物になったのわけなのだ。

2024/06/01

がる

 実際の会話ではあまり使うことがないけど、ネットなんかでは良く見る表現、「イキる」、「イキり」。
(ネガティブな意味で)格好をつけている、調子に乗っている、虚勢を張っているなどの意味。
不良やチンピラがオラついて絡んでくる様子がまさに「イキって」いる状態だよね。
そういう時に限って、こういう人の方から「イキって」じゃねぇぞ、と言われるわけだけど。

「イキ」は「粋」又は「意気」で、「いきがる」の「が」が抜けた口語表現ではないかと考えられているらしい。
接尾語の「がる」は、形容詞又は形容動詞の語幹や名詞にくっついて、そのように振る舞う、そのようはふりをする、という意味を持たせる言葉。
「強がる」とか「賢がる」とかの「がる」で、本来はそうでないのにそのように見せている的なネガティブなニュアンスを持っているのだ。
で、「粋」にくっつけば、「粋」なふりをする、「粋」であるかのように振る舞う、ということになるよね。

もともと江戸時代で使われていた「粋」という概念はざっくりという今の「cool」と同じでなんかかっこいい、というイメージ。
なので、「いきがってんじねぇ」という場合は、かっこうつけているんじゃねぇ、ということになつよね。
おそらくこれがもともとの意味なんだと思うけど、これが「イキる」になっていく過程で、便利な言葉として様々なシチュエーションで使われていくことで、広がりを持った意味になっていくのだ。
ええかっこしい・かっこうつけている=>調子に乗っている/虚勢を張っている、的な。

ネットとの相性が良いのは、匿名性の高い場においては、自らの本質を隠してなんでもかんでも「盛れる」ので、まさに「イキっ」た人が数多くいる、ということなんだろうね。
少しでもぼろを出したり、あまりにも見え透いた虚勢であれば「イキり」認定されるわけ。
有名な2ちゃんのコピペでこんなのがあるけど、最後まで「イキっ」ていて清々しく、ほほえましいのだ。

33 風吹けば名無し 2016/06/22(水) 12:46:30.27 ID:ISNFTZMe0
まーたしょうもない人生送ってるやつが成功者を叩いてるのか

45 風吹けば名無し 2016/06/22(水) 12:48:16.70 ID:Y8g+JM3E0
>>33
税理士一発合格、早稲田卒、身長182、都内85階タワマン住みがしょうもない人生なんですか・・・(唖然)

73 風吹けば名無し 2016/06/22(水) 12:50:56.00 ID:+61AL8Z50
>>45
東京都内に85階建てのマンションなどない
今建設中の新宿の60階が東京の最高層だ

109 風吹けば名無し 2016/06/22(水) 12:53:53.53 ID:Y8g+JM3E0
>>73
お前が知らないだけだろにわか
俺が言ったのは海外の都内マンションの事。海外住みだからね
日本住みなんていついった?にわか


ちなみに、「生きる」は同音異義語だけど、「イキる」とは活用が違うんだよね。
「生きる」は上一段活用、「イキる」は五段活用。
否定の助動詞の「ない」に接続させるために未然形にすると一目瞭然で、「生き・ない」と「イキら・ない」に分かれるのだ。
なので、文脈を組まずとも音声だけでも区別することができるのだ。
ま、あんまり「生きる」と「イキる」が混同されるような場面は想定されないけど。
アンジャッシュかなんかがコントにしてくれればおもしろいけどね。
世界の黒澤も「イキる」の方で映画を撮っていたらだめだったかも。

2024/05/25

最期はどちらか

 俳優の中尾彬さんの訃報が流れたのだ。
前に一度大きな病気をしてからかなり仕事はセーブしていたらしい。
その死因は「心不全」。
つまりは最後は心臓が機能しなくなって亡くなった、ということなんだけど・・・。

こういう著名人の不法で発表される死因って、事故死などの外因性でない場合、たいていは「心不全」か「呼吸不全」なんだよね。
つまり、心臓が機能しなくなったか、呼吸ができなくなったかのどちらか、というだけの意味。
人間の生命活動の根幹なのでそれはそうなんだけど、問題は、なぜ心臓が動かなくなったり、呼吸ができなくなったか、ということだよね。
とはいえ、死因についてもプライバシーだから何でもかんでも公表すればいいというわけでもなく、病死か、自然死(老衰など)か」、事故死かくらいわかればいい、と言えばそれもそうなんだよね。
でも、医師又は歯科医師が書くことになる死亡診断書(最終的にその人が死亡したということを医師又は歯科医師が判断した証拠の書類)では、そうもいかないのだ。
なんと、ネット上にはこうせいろうどうしょうによる死亡診断書の書き方マニュアルがあるよ。

この死亡診断書には死因について記入する欄があって、①病死・自然死、②外因死(交通事故、転倒・転落、溺水、煙・火災及び火焔による傷害、窒息、薬物による中毒、自殺・他殺等)、③不詳の3つに大きくカテゴライズされるのだ。
②の外因死の場合はかなり検案をする必要があって、火災現場で焼死体が見つかったときは、火災でなくなったのか、先に殺されていて死体が焼かれたのか、で話が変わってくるわけだよね。
そういうのは監察医が司法解剖をして確認することになるよ。
マニュアルを見ると、例えば、てんかん発作が起こって川に転落して溺死した場合、外因死の「溺水」でなくて「てんかん発作による病死」と書かないといけないらしい。
で、どうやってもなくなった原因がわからないのは③で、これは穴を掘っていたら白骨が出てきちゃって、ものすごく古いもので特に外傷の跡も見られない、なんてもの。
困ったときの分類だよね。

で、問題は「病死・自然死」の死因の書き方。
そのむかしは、心臓が止まったら「心不全」、呼吸が止まったら「呼吸不全」と書いていたみたいなんだ。
でも、こういう書き方だと、世界保健機関で集めている死亡原因の統計データに使えないため、もうちょっとなんで死に至るようになったのかをわかるように書くべし、ということになったみたい。
なので、例えば、がんの末期で最後に心臓が止まって亡くなった場合、かつては「心不全」と書いてしまったんだけど、「〇〇がん」と書かれるようになったのだ。
そうすると、これは統計上の死因は「悪性新生物」に分類されることになるよ。

現在の死亡診断書の様式においては、「直接の死因」、「それに至った原因」、「さらにそれに至った原因」と最大で4段階まで原因をさかのぼって書くようになっているんだ。
なので、最終的に心筋梗塞で心臓が止まった場合、直接の死因は「心筋梗塞」でよいのだけど、その心筋梗塞に至った原因として「冠状動脈硬化症」を書く、という感じになっていて、心臓の冠状動脈の状態が悪くてそれが心筋梗塞につながった、というのがわかるようになっているのだ。
がんの場合だと、原発は「大腸がん」でそれ「肝臓に転移」で「肝不全」みたいな感じになるよ。
ここまでくると、書く方もきちんと把握したうえでじゃないと書けないからけっこう大変なような気がする。

病院で亡くなった場合はカルテ情報やらなにやらあるからこういうのは書けると思うのだけど、問題は、自宅療養している場合だよね。
特に、高齢者の場合はいろんな疾病・症状を抱えていて、朝起きたら亡くなっていた、みたいなのもあるだろうから、そうなると死因を調べて特定する必要があるのだ。
せめて病院のベッドの上ではなく畳の上で死にたい、なんて言うけど、そうなると事後の処理が大変だったりするわけだよね・・・。
しかも、なんで亡くなったかけっきょくよくわからない場合もあって、その場合だけ「老衰」というのを死因にできるらしいよ。
もう体全体が弱っていて、ということだよね。

2024/05/18

まじ寝てねーわ

 この時期の大学生あるある。
「寝てない自慢」!
地獄のミサワではないけど、なぜか寝てない自慢をするよね。
でもって、そんな寝てない状況でも普通に過ごせている俺すごい的な。
ところが、これってイキリ大学生だけの話じゃなくって、社会に出てからも同じような人たちがいるんだよね。
さすがに「寝てない自慢」をストレートでするわけでなく、「ショートスリーパーだから睡眠時間が短くても大丈夫」というように進化するのだ。

実際にショートスリーパーと呼ばれる人たちは存在するらしい。
歴史上の人物ではナポレオンなんかが有名だけど、睡眠時間が短くても平気な人。
具体的には、人間は6時間は睡眠をとらないと不調になって脳や肉体のパフォーマンスが落ちると言われていて、それより未ジカンジカンシカ睡眠をとっていないのにパフォーマンスの落ちない人というのがいるらしいのだ。
2時間寝ればスッキリで、むしろ、4時間以上はどんなにがんばっても寝られない、みたいな。
それでいて、日中に眠気に襲われるわけでもなく、記憶力や判断力にも問題がないそうな。
確かにそういうのはちょっとうらやましい(笑)

一方、普通の人が6時間未満の短時間睡眠を繰り返すと、「睡眠負債」というのがたまっていっていくのだ。
この状態では、記憶力や判断力が鈍って作業効率が落ちていくわけだけど、あまりにも睡眠時間が少ないと身体的な能力も低下していくよ。
徹夜続きの状態がまさにそうだよね。
でも、どうも感覚が鈍い人もいるようで、明らかに睡眠不足状態に陥っているのに、それを認識していない人がいるようなのだ。
軽度なものに限るのだろうけど。
常にそうやってパフォーマンスが低い状態で安定しちゃっているので、パワーマンスが落ちている、ということも感覚的にわからなくなっているんだろうね。
で、こういう人たちが「自称ショートスリーパー」のようなのだ。
体調的には不調を来しているんだけど、それに気づいていない人。
どうも、世に「ショートスリーパー」と自称している人のほとんどがこれではないか、というのが睡眠の専門家の言。
実は、それだけ真正のショートスリーパーというのは珍しい存在なのだ。
自分を特別な存在だと思ってしまうイキリぐせはなかなか抜けないわけだね(苦笑)

では、真正のショートスリーパーは何が違うのか。
体調に不調があるかどうかは個人的・主観的な感覚のようだけど、実は、客観的に観察できる事実でも判別できるみたい。
それは、寝ている間の状態。
真正のショートスリーパーの場合、睡眠時にほぼほぼレム睡眠がないということが知られているんだって。
このレム睡眠というのは、まぶたの奥で眼球がぐりぐり動いている浅い眠りの状態。
Rapid Eye Movementの頭文字をとってレム。
この状態では、肉体は弛緩していて休んでいる状態だけど、脳は割と活動的な状態なんだ。
夢を見ているのもたいていはレム睡眠の間と考えられているよ。
なんでこういう状態があるのか不明だけど、頭の中で記憶の整理をしているのではないかなどと言われているのだ。

で、普通の人は、睡眠時に深い眠りであるノンレム睡眠(眼球の動きがなく、脳の活動もかなり抑制されて、体全体が休んでいる状態)と浅い眠りのレム睡眠を周期的に繰り返しているんだよね。
たいていは90分周期くらいで、6時間睡眠では4サイクルくらいしていることになるのだ。
これは眼球の動きだけでなく、脳波を測定した場合もこの周期性は観測できるよ。
どうも、ショートスリーパーの人は、ほぼほぼずっと深い眠りのノンレム睡眠の状態で、かつ、ノンレム睡眠の時間だけを比べると通常の人と変わらない、ということのようなのだ。
つまり、レム睡眠をスキップできる人がショートスリーパーというわけだ。

ネットで検索すると、「どうやってショートスリーパーになるか」みたいなのを見かけるけど、どうもこれは訓練でどうにかなるものではないらしいよ。
生まれ持っての性質、遺伝的要素が強いようなのだ。
なので、短時間睡眠でならしていこうとしようが、単に睡眠不足になるだけなのだ。
なので、イキってみても仕方がないので、生来のショートスリーパーでないのなら、心身の健康のためによく寝ることとが大事なのだ。
ついつい夜更かししてしまうから、ショートスリーパーになれれば便利なんだけどね。
無理なものは無理ということで。

2024/05/11

この思い届けて!

 大型連休明けと言えば、会社や学校に行きたくなくてゆううつな気分になりがち。
まさにそれが社会現象として表れているようなのだ。
それは・・・。
退職代行の盛況。
テレビのニュースでも取り上げるほどなのだ。

民間事業者のやっている退職代行サービスは、基本的には「〇〇さんが退職したいとの意向をお持ちです」と会社などの雇用側にお伝えするだけ。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
自分で言い出しにくい人向けのサービス。
気を付けないといけないのは、退職する前に残っている有休を使いきりたいとか、業務上の引継ぎをどうしたいとかの退職に当たっての雇用者・被雇用者間のやりとりは仲介できないということ。
「有休を使いきって〇月×日付で退職されたい意向です」とか「業務の引継ぎについては整理してある書類や電子ファイルを見てもらえばわかります」みたいなのを伝言するところまではできるけど、間を取り持って調整はできなのだ。
なぜなら、それは雇用者・被雇用者間の労働契約上の権利・義務に関することで、本来的には弁護士資格がないと代理人となれないから。
つまり、そこまでやってしまうと「非弁行為」になるのだ。

なので、けっきょくその手の手続きは自分でやるか、別途弁護士に依頼することになるよ。
ま、直属の上司には話しにくいけど、事務的なやりとりを会社の人とするのはOKみたいなこともあるだろうから、それはそれでよいのかもだけど。
それにしても、そういうサービスがそこまではやるとは・・・。
実際にはもう少しいろいろ手続きをしてもらえると思って頼んでいる人もいるとは思うけどね。
まずは有無を言わせず雇用者に退職の意向を伝えたい、ということに特化したサービスになっているのだ。

退職代行というと、ブラック体質の企業に勤めていて、やめたいと思っても退職届・辞職願を受け取ってもらえないとか、ここでやめたら損害賠償政協すると脅されるとか、そういう辞めたいのにやめられない人が使うのかと思うよね。
でも、実際にはそういうケースの場合は、退職代行サービスに依頼するだけでは解決しないのだ。
お金はかかるけど弁護士に丸投げするというのもあるし、雇用者側とある程度戦う意向があるなら、労働基準監督署や労働組合と相談して自分で交渉するということをしないとだめなんだ。
そこまでしようとする人はなかなかいないのだけど。

では、どういう層がこのサービスを使っているのか?
テレビのニュースによると、150件近い申し込みのうち、30件ほどが新卒者らしい。
つまり、働き始めて1か月程度の人。
むかしは3年はこらえないと、なんてことを言われたものだけど、最近は合わないと思ったらスパッとやめるのだそうで。
確かに、病んでしまう前に違和感を感じたところで「損切り」ができるのが理想的だけど、ちょっと前までは前の職場を数か月でやめてる、なんてのが職歴として残っているとなかなか再就職できなかったりするんだよね。
それこそ、新卒一括採用の終身雇用制が一般的な会社だと特に。
でも、現在はそういう雇用状況も変化してきているのだ。

まだまだジョブ型雇用は採用されていないけど、現在は慢性的な人で不足で「売り手市場」なんだよね。
しかも、能力が高い人だけが引く手あまた、というのではなく、普通程度の能力であってもとにかく人手が不足しているから来てほしい、というくらい。
政府が一生懸命「第二新卒」なんて概念を広めようとしてもうまくいかなかったけど、今となってはある程度以上の能力のある(というか、足を引っ張ることなく一応の戦力にはなる)人材であれば、いつでも来てほしい、という企業が多くなっているのだ。
そうなると、昔はまさに「折り紙付き」の扱いだった「新卒カード」の意向は低下していて、前の職場をすぐにやめていても問題なさそうなら雇いたい、と考える企業が出てきているので、再就職するのに不利にならない状況なんだよね。
確かに一定数の「やばい」人がいるのは確実だけど、一方で、「やばい」会社がいまだに存在しているのも事実なわけで・・・。

つい先月の報道でも、チュールでおなじみの企業で新卒者が大量離職、というニュースがあったけど、あれは詳細が明かるになればなるほど企業側が「やばい」よね。
なので、そういうところでこらえて勤めるのではなく、早々に見切りをつけて次の就職先を探す、というのはある意味「見る目がある」人材でもあるのだ。
ただし、ジョブ型雇用でキャリアアップのために転職を繰り返す、というのでもなく、なんとなく合わないから、という理由ですぐに転職しようとする人も含まれるだろうから、雇う側もその人の人となりを見ておかないと危ないんだよね。
どうしても働き始めはスキル習得のために一定のコストがかかるわけで。
やっと戦力になると思った矢先にまた転職されてしまうと大変だから。

2024/05/04

まつられ

 最近は神社本庁による啓蒙のおかげもあって、「二拝二拍手一拝」(又は「二礼二拍手一礼」)のお作法も広まってきているけど、一般に神社に参拝に行くのは「社頭参拝」で、拝殿の前でお賽銭を賽銭箱に入れて参拝するのだ。
神道の考え方だと、神様は音に反応して気づいてくださるので、意識をこっちに向けてもらえるように拍手や鈴を鳴らすのが大事なんだよ。
一方、政治家の参拝で問題になるのは昇殿参拝と呼ばれる正式な参拝の方。
厄払いや七五三などの儀式のときには一般の人もやるけど、拝殿に上がって御神体のある本殿の方を向いて、祝詞なんかをあげながら儀式を行うのだ。
このとき、玉串奉奠(ほうてん)というのがあって、榊の枝に紙垂(しで=雷のような形の紙)がつけられたものを奉納するんだけど、本人は参拝せず「玉串料を収めた」というのはこれの代わりにお金を出した、ということなのだ。

で、基本的には我々は神社に参拝するときに訪れるのは拝殿。
そこが神様を拝む場所なんだよね。
一方、神様が宿る、依り代の「御神体」があるのが本殿。
神社的にはそちらが本体なのだ。
でも、基本的に御神体は秘匿されるので、目に触れることはないんだよね。
御開帳もなくはないけど。

この御神体にもいくつか種類があって、オーソドックス(?)なのは、鏡、刀剣など。
伊勢神宮の内宮の御神体は八咫鏡だし、熱田神宮の御神体は天叢雲剣になってるよね。
この人工物の御神体はわりと時代が下ってからで、その前、古神道の時代は、自然界にある畏敬の念を抱かせるようなものが御神体=神の宿るもの、だったのだ。
代表例は奈良の三輪山にある大神(おおみわ)神社。
この神社は三輪山それ自体が御神体なので、山の前に拝殿があるだけ。
同じようなものは福岡の宗像神社で、御神体は玄界灘に浮かぶ「沖ノ島」そのもの(=沖津宮)で、宗像市にある神社(=辺津宮)はそれ自体が拝殿扱いだよ。
石上神宮は布都御魂剣(ふつのみたまのつる=武御雷神が葦原中国を平定するときに使った刀剣)をまつっているけど、もともとは神宝が埋められているという禁足地に拝殿が設けられているスタイルだったんだよね。
本殿を立てようと明治期になって禁足地を発掘してみたらものすごく古い鉄剣が見つかり、それを布都御魂剣や天羽々斬(あめのははきり=素戔嗚尊が八岐大蛇を切った剣)に比定されているものだよ。

それよりもう少し身近になるのが、大きな石、大きな木、きれいな湧水などの自然物。
これはいまでもわりとよく保存されていて、しめ縄をかけて賽銭箱が置いてあったりするのだ。
もともとはその自然物が信仰を集めていたんだけど、やがてその信仰対象の神様に名前が付き、その性質の神様にふさわしい御神体が選ばれ、本殿と拝殿が作られる、みたいな感じで神社が形作られていくんだよね。
どこからか勧請してくる場合を除いては、もともと神秘的な場所・ものがあって、そこにあとから名前の付いた神様があてられるケースが多いのだ。
山の神様とか水の神様とかは自然に対する畏敬の念が信仰の本質であって、特定の神様を信仰しているわけじゃないからね。

でも、記紀神話が取りまとめられ、神道が整理されてくると、特定の神様への信仰が増えてくるのだ。
航海の安全であれば宗像三女神や住吉三神であったり、五穀豊穣の神様だったら稲荷信仰にも結び付いている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や保食神(うけもちのかみ)であったり。
で、このころには仏教が伝来していて、仏像や仏画と同じようなノリで、神の像や絵も作られたりするんだよね。
場合によってはそういうものが御神体になっているケースもあるのだ。
神道の神様は「感じる」ものであって「見る」ものではないから、本来は形がないはずなんだけど、具象化されてしまうのだ。

で、もうなってくると、公開してもよさそうなものだよね。
なので、御神体の御開帳というのもなくはないけど、仏教の本尊が絶対非仏で非公開を貫くように、そういうものでも公開しない、というのもあるわけで。
後から神様に祭り上げられて天神様こと菅原道真公については神像がわりとよくあるけど、御神体である神像は非公開であることが多いよ。
っていうか、神様が宿る真正なものなので、基本的には人の目に触れないようにするものなのだ。
湯志保がある神社ならなおさらね。

ちなみに、近所にあるような小さい神社の場合は、本殿と拝殿が分かれていないことも多く、社殿の奥の方に御神体がまつられていることが多いよ。
多くはほかの神社の神様を勧請してきたもので、そこの御神体はいわば電話の子機のようなものだから、そういう扱いでもよいみたい。
真正なものなので低調に扱わなければいけないのはそのとおりなんだけど、そもそも神様を勧請してくるときに自ら用意しなきゃいけないわけで、絶対的に秘密御いうわけにもいかず、そのコミュニティの中では口に出さないだけで知られたことではあったはずなのだ。