勝手に埋めてはノー
いわゆる「移民問題」をよく耳にするようになったのだ。
外国人の流入が一気に進んで、地域でいろいろともめごとが発生している、という文脈で。
そういう外国人の中には、正規にビザを取ったり、気化したりせず、不法に滞在している人もいるようで・・・。
外国人を排斥するな、とすぐに人権の問題にする人がいるけど、不法に滞在しているのは不法行為なので、まずはそっちを問題視すべきでもあるんだよね。
で、そんなトラブルの中で、宮城県で話題になったのが、ムスリムによる「土葬」の問題。
イスラム教では、火葬はNGで土葬にしなければいけないんだけど、現在日本国内では土葬はダメ、ということになっていて、それを特別に認めるかどうか、ということ。
現職の父の村井さんが見t目る方向で動いたら大炎上して、回線に向けて取り下げたりしているのだ。
で、このニュースに接したとき、てっきり土葬は法的に禁止されていて(刑法の死体遺棄になる?)、火葬してないと埋葬してはいけないと思っていたんだけど、そうではなかったのだ。
こういうのは自分で一次資料を確かめるのが大事だね。
死体の埋葬については、「墓地、埋葬等に関する法律」という、戦後すぐの昭和23年に制定された法律で定められているのだ。
第1条の目的にあるとおり、墓地や納骨堂、火葬場の管理や死体の埋葬が適切に行われるように、と定められたもの。
この法律では、第2条の定義で、 「埋葬」を「死体(妊娠四箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ること」と第1項で定めたうえで、続く第2項で「火葬」を「死体を葬るために、これを焼くこと」としているのだ。
つまり、法律上の「埋葬」は必ずしも火葬だけを想定しているのではなくて、そのまま死体を土中に埋設する「土葬」も概念的には含まれているんだ。
明示されていないだけで。
さらに、その「埋葬」や「火葬」を行うに当たっては、厚生労働省令に従って市町村長の許可を受けること、となっているのだ(第5条第1項)。
でも、法律上はどこにも「火葬」してから「埋葬」しなければならない、はないわけ。
ちなみに、この第5条第1項違反の罰則は、「二万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」。
あれ?、刑法の死体遺棄は「三年以下の拘禁刑」となっているんだけど・・・。
では、実際に起こっているというムスリムの人が勝手に墓地に埋葬するケースはどうなるのか?
AI君の回答だと、「死体遺棄」は死体を隠ぺいする意図をもって遺棄する、すなわち、山中や海中など見つかりづらい場所にもっていく、というところが反社会性が高いとのことで、自治体から許可をもらってないけど(土葬で、というのではもらえないけど)、墓地に火葬せずに土葬するという場合は隠そうとしているわけでhないので無許可埋葬に当たるらしい。
そこは裁判所で争うんだろうね。
そこで最初の疑問いもどるわけだけど、「土葬」は禁止されているのか?
どうも、自治体ごとの条例等によって認められていない、ということらしい。
実際に、キリスト教墓地などでは協議に従って土葬が行われていて(火葬してしまうと最後の審判の後に復活できない。)、これは認められている行為なのだ。
完全に認めていない自治体もあれば、協議や電灯などの個別の自由で特別に認めているところもある、というのが実態。
埋葬許可を出すときに火葬してから墓地に埋めてね、土葬とか私有地に勝手に埋めるのはやめてね、という条件を付ければ法律の建付け上はよいのだ。
今回の場合も、宮城県も、その特別に土葬を認めるチームの方に入ろうとした、ということになるんだね。
では、なぜ日本は火葬が原則なのか?
歴史をさかのぼると、当然火葬よりは土葬が先なんだよね。
ネアンデルタール人ですら遺体に敬意をもって接し、花などを添えて穴に埋める、なんて行為をしていたわけで。
古代日本では、火葬どころか、死体を土中に埋めることすらしていなかったような証拠もあるのだ。
いわゆる「風葬」というやつだけど、死体をみえる位置に置いておくわけだね。
中世京都の化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)はまさにそういう場所で、死体がごろごろ転がっていたというよね・・・。
古代のアジア共通の風習として、骨だけを取り出して改めて埋葬する改装というのがあって、まず遺体を腐敗させて骨を取り出すというプロセスが風葬という考え方もあるみたい。
日本や中国で支配者が亡くなると「殯(もがり)」というのがるけど、これは大の上に死体を載せて放置して、骨を取り出しきれいに洗ってから墳墓に入れる、というものなのだ。
柳田国男先生の説によると、どうもアジアでは体と魂を分離して考えるので、すぐに腐敗する死体そのものはそこまで重要ではなく、そこに宿っていた魂こそが大事なんだ、だから死体を埋める墓と魂を宿らせてお参りする墓が分離するのだ、ということだけど、未来にも残る骨が先祖崇拝の対象だったのかもね。
土葬については、大化の改新の時に出された「薄葬令」という勅令で、身分に応じて墳墓の大きさを制限するルールができたのだけど、この中には古代中国の礼記に基づき、「死体は隠すべきもの」という思想の下で作られているんだよね。
だとすると、そういう古代中国の思想が入ってきたころに、上流階級を中心に死体を埋葬するようになったはずなのだ。
おそらく庶民までがいちいちそうしていたかどうかは不明で、平安時代でも風葬していたんだからそうではないと思うけど。
これは巨大化していった古墳の形成をけん制するものなんだけど、同時に、
さらに状況が変わるのが仏教の伝来。
お釈迦さまも火葬されたそうで、その焼骨(仏舎利)は世界中に散っているわけだけど、仏教は火葬が原則なのだ。
奈良時代から平安時代にかけて仏教が日本中に広まると、上流階級は少なくとも火葬に転換していくんだよね。
しかしながら、明治維新の復古神道の流れで、日本古来の埋葬法式は土葬、ということで一時的に火葬が禁止されたりもしたけど、けっきょくは公衆衛生や墓地として使える土地の限界などから火葬が原則になっていくのだ。
そういう意味では、「土葬は野蛮」というのはあまりいただけない考え方で、その国々、地域地域、地方地方によってルールがあるから、原則としては「郷に入っては郷に従え」ということなんだろうね。