2025/10/18

勝手に埋めてはノー

 いわゆる「移民問題」をよく耳にするようになったのだ。
外国人の流入が一気に進んで、地域でいろいろともめごとが発生している、という文脈で。
そういう外国人の中には、正規にビザを取ったり、気化したりせず、不法に滞在している人もいるようで・・・。
外国人を排斥するな、とすぐに人権の問題にする人がいるけど、不法に滞在しているのは不法行為なので、まずはそっちを問題視すべきでもあるんだよね。
で、そんなトラブルの中で、宮城県で話題になったのが、ムスリムによる「土葬」の問題。


イスラム教では、火葬はNGで土葬にしなければいけないんだけど、現在日本国内では土葬はダメ、ということになっていて、それを特別に認めるかどうか、ということ。
現職の父の村井さんが見t目る方向で動いたら大炎上して、回線に向けて取り下げたりしているのだ。
で、このニュースに接したとき、てっきり土葬は法的に禁止されていて(刑法の死体遺棄になる?)、火葬してないと埋葬してはいけないと思っていたんだけど、そうではなかったのだ。
こういうのは自分で一次資料を確かめるのが大事だね。

死体の埋葬については、「墓地、埋葬等に関する法律」という、戦後すぐの昭和23年に制定された法律で定められているのだ。
第1条の目的にあるとおり、墓地や納骨堂、火葬場の管理や死体の埋葬が適切に行われるように、と定められたもの。
この法律では、第2条の定義で、 「埋葬」を「死体(妊娠四箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ること」と第1項で定めたうえで、続く第2項で「火葬」を「死体を葬るために、これを焼くこと」としているのだ。
つまり、法律上の「埋葬」は必ずしも火葬だけを想定しているのではなくて、そのまま死体を土中に埋設する「土葬」も概念的には含まれているんだ。
明示されていないだけで。
さらに、その「埋葬」や「火葬」を行うに当たっては、厚生労働省令に従って市町村長の許可を受けること、となっているのだ(第5条第1項)。
でも、法律上はどこにも「火葬」してから「埋葬」しなければならない、はないわけ。

ちなみに、この第5条第1項違反の罰則は、「二万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」。
あれ?、刑法の死体遺棄は「三年以下の拘禁刑」となっているんだけど・・・。
では、実際に起こっているというムスリムの人が勝手に墓地に埋葬するケースはどうなるのか?
AI君の回答だと、「死体遺棄」は死体を隠ぺいする意図をもって遺棄する、すなわち、山中や海中など見つかりづらい場所にもっていく、というところが反社会性が高いとのことで、自治体から許可をもらってないけど(土葬で、というのではもらえないけど)、墓地に火葬せずに土葬するという場合は隠そうとしているわけでhないので無許可埋葬に当たるらしい。
そこは裁判所で争うんだろうね。

そこで最初の疑問いもどるわけだけど、「土葬」は禁止されているのか?
どうも、自治体ごとの条例等によって認められていない、ということらしい。
実際に、キリスト教墓地などでは協議に従って土葬が行われていて(火葬してしまうと最後の審判の後に復活できない。)、これは認められている行為なのだ。
完全に認めていない自治体もあれば、協議や電灯などの個別の自由で特別に認めているところもある、というのが実態。
埋葬許可を出すときに火葬してから墓地に埋めてね、土葬とか私有地に勝手に埋めるのはやめてね、という条件を付ければ法律の建付け上はよいのだ。
今回の場合も、宮城県も、その特別に土葬を認めるチームの方に入ろうとした、ということになるんだね。

では、なぜ日本は火葬が原則なのか?
歴史をさかのぼると、当然火葬よりは土葬が先なんだよね。
ネアンデルタール人ですら遺体に敬意をもって接し、花などを添えて穴に埋める、なんて行為をしていたわけで。
古代日本では、火葬どころか、死体を土中に埋めることすらしていなかったような証拠もあるのだ。
いわゆる「風葬」というやつだけど、死体をみえる位置に置いておくわけだね。
中世京都の化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)はまさにそういう場所で、死体がごろごろ転がっていたというよね・・・。
古代のアジア共通の風習として、骨だけを取り出して改めて埋葬する改装というのがあって、まず遺体を腐敗させて骨を取り出すというプロセスが風葬という考え方もあるみたい。
日本や中国で支配者が亡くなると「殯(もがり)」というのがるけど、これは大の上に死体を載せて放置して、骨を取り出しきれいに洗ってから墳墓に入れる、というものなのだ。
柳田国男先生の説によると、どうもアジアでは体と魂を分離して考えるので、すぐに腐敗する死体そのものはそこまで重要ではなく、そこに宿っていた魂こそが大事なんだ、だから死体を埋める墓と魂を宿らせてお参りする墓が分離するのだ、ということだけど、未来にも残る骨が先祖崇拝の対象だったのかもね。

土葬については、大化の改新の時に出された「薄葬令」という勅令で、身分に応じて墳墓の大きさを制限するルールができたのだけど、この中には古代中国の礼記に基づき、「死体は隠すべきもの」という思想の下で作られているんだよね。
だとすると、そういう古代中国の思想が入ってきたころに、上流階級を中心に死体を埋葬するようになったはずなのだ。
おそらく庶民までがいちいちそうしていたかどうかは不明で、平安時代でも風葬していたんだからそうではないと思うけど。
これは巨大化していった古墳の形成をけん制するものなんだけど、同時に、
さらに状況が変わるのが仏教の伝来。
お釈迦さまも火葬されたそうで、その焼骨(仏舎利)は世界中に散っているわけだけど、仏教は火葬が原則なのだ。
奈良時代から平安時代にかけて仏教が日本中に広まると、上流階級は少なくとも火葬に転換していくんだよね。
しかしながら、明治維新の復古神道の流れで、日本古来の埋葬法式は土葬、ということで一時的に火葬が禁止されたりもしたけど、けっきょくは公衆衛生や墓地として使える土地の限界などから火葬が原則になっていくのだ。

そういう意味では、「土葬は野蛮」というのはあまりいただけない考え方で、その国々、地域地域、地方地方によってルールがあるから、原則としては「郷に入っては郷に従え」ということなんだろうね。

2025/10/11

ぴりっと一粒

 和歌山の高級山椒をもらったのだ。
我が家はわりと山椒の香りが好きで、近所のおいしい焼鳥屋さんでもたっぷりと使うし、最近はやりの山椒風味のチョコレートなんてのも好きなのだ。
ボクは個人的にむかしから京都の山椒餅もすきだけど、なんだかさわやかな香りだよね。
口の中を一気にすっきりさせてくれるというか。

山椒は英語ではJapanese pepperというんだえど、まさに日本独特の香辛料というとらえ方をされているみたい。
日本で使われる山椒は日本原産の植物だよ。
中国にも山椒の仲間はあるんだけど、ちょっと種類の異なるもので、日本の山椒とは香りも違うし、何より辛いらしい。
日本のものはぴりっとくらいだけど、がっつり絡みを加えるのに使われるんだそうだよ。
それと、中国には花椒(ホアジャオ)もあるよね。
こっちは麻辣の「麻」、つまりしびれるような辛さの香辛料。
ここ最近は本格支背料理のしびれるからさの素としておなじみなのだ。
カホクザンショウという種で、英語ではShichuan pepper、四川の山椒という呼び名だよ。

日本の山椒も、中国の花山椒もそうなんだけど、粉状になっているものは、完熟した実を乾燥させ、果皮の部分をすりつぶしたもの。
花山椒なんかだyと開いた果皮そのものを打っているのを見かけるようになったけど、完熟した山椒の実は、乾燥してくると三つにぱかっ問われて中から黒い種子が出てくるのだ。
で、その趣旨は捨てて(笑)、ぱっと開いた果皮の方だけ使うわけ。
ただし、この辛味の成分は精油成分なので、時間の経過とともに飛んで行ってしまって風味が劣化するのだ。
なので、基本的には使う直前に粉末状にするのがよいのだよね。
花椒はペッパーミルでその場で挽くこともあるけど、普通の山椒はまだ見たことないなぁ。
そっちも興味あるんだけどな。

山椒と言えば、粉状のものばかりではなく、ケッパーのようなころんとした実もあるよね。
ちりめん山椒に入っているやつ。
こちらは実山椒と呼ばれるのだ。
あれは夏前に収穫した未熟な実をゆでたり水にさらしたりしてアクを抜いたものなんだって。
未成熟なので将来的に中にできる黒い種子はまだ柔らかい状態で気にならないのだ。
これもまたさわやかな風味で好きなんだよなぁ。
これもすぐに風味が飛んで行ってしまうので、実山椒として買ってきた場合は冷凍するなりしないといけないのだ。

実は、この山椒の風味は実にあるだけではなく、木全体にあるんだよね。
煮物なんかに添えられる「木の芽」は山椒の若芽だし、実になるはるか前の「花山椒」。
ボクはまだ食べたことないと思うけど、お高級な和食には出てくるみたい。
さらに、山椒の木はすりこぎに使われているのだ。
これは香りだけではなく、木自体が固いというのも重要らしいよ。
さすがに微妙に削れるすりこぎからの香りづけを期待しているわけではなさそうだ。

最近、和歌山産のものは「ブドウ山椒」として売り出しているけど、これは山椒の実は密集してなってブドウの房のように見えるから。
実の密度にばらつきはあるのだろうけど、和歌山県、特に有田川地域のものは身も大きく、密集して実がなるのでそう呼ばれるようになったとか。
山椒自体はどうも縄文時代から香辛料として使われている形跡があるのだけど、和歌山は平安時代にはすでに山椒の名産地として知られ、現代にいたるまで生産量トップなのだ。
実は山椒はミカン科の植物なので、つくづく和歌山ってみかんとの相性が良いんだね。

ちなみに、山椒の別名に「はじかみ」というのがあるんだけど、そういえば、焼魚についてくるショウガの甘酢漬けも「はじかみ」だよね。
山椒の方のはじかみの「はじ」は「はじける実」から、ショウガの方のはじかみの「はじ」は「はじが赤い」からなんて説があるようだけど、どちらも口の中をすっきりさせる目的で食べられているから、口直しのものをそう呼んでいたのではないかと思うよ。
どちらかが先でそれで煮たような効果があるからもう一つの方もそう呼ぶようになった、とか。
個人的には、山椒のはじかみが先にあって、それと同じような効果があるショウガの酢漬けを「はじかみショウガ」とよぶようになったなじゃないか、という気がするね。

2025/10/04

彼岸にぱっとサイデリア

 すっかり秋っぽい陽気になってきた。
まだ時々暑いけど、秋の虫は泣いているし、ギンナンは落ち始めてにおっているし。
そして、この時期突然現れる、あの花も咲き始めた。
そう、曼殊沙華とも呼ばれる彼岸花。
秋のお彼岸の時期に突然花が出てくるから彼岸花なんだけど、その突然具合から幽霊花なんて呼ばれることもあるよね。

もともとは中国原産の多年草。
土の中には小型の玉ねぎのような鱗茎があって、地上部は枯れてもまたそこから花が出てくるのだ。
土の中で気温をセンシングしているらしく、夏が終わって涼しくなり始めると発芽し、1週間ほどであの真っ赤な花を咲かせるらしい。
高さが結構あるけど、成長度も早いな。
で、その花が枯れると、今度は葉が出てくるのだ。
花と葉は共存しないんだって。
葉だけの状態になると、知っている人じゃない限りは彼岸花とはわからないのだ。
それが冬を越えて春先に枯れ、次の秋を待つみたい。
鱗茎に栄養をため込むならむしろ逆の方がいいような気もするけど、これも競合相手との関係での戦略になっているんだろうね。

ちなみに、この鱗茎には毒があるので、普通の動物は食べないのだ。
なので、冬の間に地上部に葉があって目立っても、モグラやネズミにかじられることはないよ。
そういう性質があるから田んぼのあぜ道にネズミ除けとして植えられたりもするのだけど。
ただし、その毒は水溶性なので、人間だけはよく水にさらして毒抜きをして食べるのだ。
飢饉のときとかだけだったみたいだけど。
その意味でも田んぼのまわりにあるのはいいことなのだ。
お花の近くの彼岸花ははばかられるけどね。

日本の彼岸花はすべて三倍体。
つまり、有性生殖ができないので、発芽する種子が作れないのだ。
というわけで、地下部の李kネイが分かれてクローン増殖するんだ。
群生している彼岸花はほぼすべて同一の遺伝情報を持っているというわけ。
生命力も高いみたいなので、鱗茎を一部植えておくとそこからまた生えてくるようだよ。
そういう性質を利用して田んぼのまわりに植えるのだ。

でも、有性生殖をしないのであれば、なぜ花をつけるのか?
しかも、チョウが寄っていくので、蜜も出しているみたい。
かなりのエネルギーを使って短期間で一気に花を咲かせ、昆虫に蜜を提供し、とやっている割には、クローン生殖しかできない・・・。
きわめて不合理のような気がするけど、おそらく、その無駄は三倍体の彼岸花が圧倒的に不利になって淘汰されwるほどのことでもなかったということなのだ。
三倍体でクローン生殖していく場合、遺伝情報を交換できる二倍体の有性生殖に比べてはるかに遺伝的変異が入りづらいのだ。
なので、さほど不利でもないので、二倍体時代の有性生殖の名残でそのまま花と密を用意している、ということらしい。
これも彼岸花の神秘性を高めてはいるけどね。

原産地中国には事前に自生している二倍体の種があって、そこから三倍体のクローン生殖する変種が生まれ、それを有史以前に誰かが日本に持ってきた、と考えられているみたい。
弥生時代に稲作とか始めた時かなぁ?
基本的には自分の周りにじわじわと広がっていくことしかできないので、遠隔地に広がるのは人の手によるもの。
田んぼのまわりに植えるのはわかるけど、墓場によくあるのは、やっぱりお彼岸の頃に鮮やかな赤い花を咲かせるからかな。
他に植えようとしている彼岸花の鱗茎をどこかで落とした、というのもあるんだろうけど、基本的には誰かがそこに植えよう思って植えられたものだよ。
何もないところに咲いていても、そこにはかつて何かがあったかもしれないのだ。

2025/09/27

草食ということは草を食べるということです

 秋の虫が鳴きだした。
なんか涼しくなてきたし、秋を感じる。
そこで(?)、気になったんだけど。
あの秋の虫たちってバッタの仲間だから草を食べているわけだよね、基本的に(コオロギは肉も食べるというのは映画「ラストエンペラー」で知ったけど。)。
でも、バッタの仲間って、ウシとかヒツジみたいに反芻しているわけじゃないよね。
だとすると、どうやって植物を消化しているのか?

一般に、植物に特徴的な細胞壁はセルロースでできているのだけど、これが分解できないのだ。
木になると、木質と呼ばれるリグニンというのがあって、これがさらに輪をかけて分解できない。
っていうか、これらが簡単に分解されてしまうと紙や木造建築が成り立たないわけだけど。
では、どうやって消化して、栄養にするのか?
ウシやヒツジのような反芻する動物は、細かく砕いた植物を微生物の力を借りて分解して栄養を取り出している、はず。
では、昆虫はどうなのか?
改めて草食動物について調べてみたのだ。

草食動物の栄養摂取方法にはいくつかあるんだよね。
単純なのは、消化可能な可食部(果物や木の実、花の蜜、樹液など)をだけを食べるという手法。
これはまあそうだよね。
で、そうではなくて、葉っぱを主に食べている動物たちがどうしているのか。
これにはいくつかパターンがあるのだ。

シンプルなのは、自分でセルロースを分解する、という手法。
ただし、生物界でもセルロースの分解酵素を持っているものは少なくて、動物界では貝類くらいしかないらしい。
っていうか、陸生の貝類、すなわち、カタツムリやナメクジつはセルロースが分解できるのだ!
以外にすごい動物なんだね、とびっくり。
海の中の貝類は海藻も食べるみたい。

でも、普通はセルロースは分解できないので、他の生物(主に微生物)と共生して、分解してもらうのだ。
外部共生するものとしては、リグニンを分解できる白色腐朽菌(キノコ)を育てて餌にしているシロアリなんかがわりと有名だよね。
とはいえ、こういうのはメジャーではなく、やっぱり内部共生、つまり、体の中に微生物を取り入れて、という方が多いのだ。
その意味では、ヒトもいろんな腸内細菌と共生しているし、反芻動物はみんなそう。
特殊な例だと、コアラなんかは消化できないユーカリの葉を栄養にするために特殊な菌と共生しているんだけど、子コアラはその菌を持っていないので、最初に親の糞を食べる、という通過儀礼(?)があるよ。

内部共生型にもさらにサブパターンがあるみたい。
①先に自分が消化して残りを微生物に分解してもらうか、②先に微生物に分解してもらってから栄養を吸収するか、③先に自分が消化したうえで微生物に分解してもらいそこからさらに栄養を吸収するか、の3通り。
ヒトの場合は①で、ウマをはじめ反芻しない哺乳動物はみんなこのカテゴリーに入るらしい。
よくかみ砕いて自分で吸収できる栄養を吸収した残りかすを盲腸・結腸・大腸のあたりで共生している微生物に分解してもらって、菌はふんと一緒に体外に排出されるのだ。
ただし、この菌の食べ残しの栄養を水分と一緒に台帳から吸収することができて、酢酸やプロピオン酸のような低級脂肪酸ならそのままブドウ糖代謝に回せるし、ビタミンB群やビタミンKなどはこの腸内細菌が作ったものを町内から吸収したりしているのだ。
これで共生が成り立つわけだ。

②の場合は、丁寧にかみ砕き、すりつぶした植物を微生物に分解してもらい、菌ごといただいて栄養にする、というもの。
もともと栄養価の高い(=糖質やたんぱく質が多い)穀類や豆類が餌の場合は微生物にいいところ撮りされてしまうわけだけど、栄養価の高くない草だけを食べる場合はこの方がよいのだ。
反芻する動物はこれ。
ヒトは草だけではなかなか生きていけないけど、ウシやヒツジは反芻を繰り返すことで草を発酵させ、栄養価を高めてからいただいているのだ。
カバやナマケモノみたいな動物は、草しか食べないし、反芻もしないけど、この方法で栄養を取っているみたい。
ナマケモノはいいとして、カバはあれだけパワフルでもこのやり方なのか・・・。

③は反芻動物で、①と②のいいところどり。
まず、自分で吸収できる栄養は吸収しきったうえで、その残りかすを微生物に分解してもらう。
そのうえで、菌ごとさらに栄養を吸収する。
ウサギやモルモットはこれで、多くの場合は糞食をするらしいのだ。
例えば、ウサギの場合、一度目は少し柔らかい糞を出すらしいんだけど、これは自分で吸収できる栄養を吸収した残りかすのようなもの。
これをもう一度餌として食べ、体内で発酵させてから菌ごとさらに栄養をいただくちう二段スタイルなのだ。
反芻しようすると体を大きくしないといけないんだけど、この方法だと小型になれるのだ。
昆虫の中でも、シロアリ・ゴキブリの中はこれらしい。
シロアリの仲間はリグニンたっぷりの木材を食いつぶすわけで、すごいやつらだよね。

で、この上記にもれるもの、それが多くの昆虫。
それらは・・・。
セルロースは分解できないけどとにかく量を食べて少ない栄養を浸する集める、という戦略らしい!
どうしても体内共生しようとすると体が重くなるんだよね。
例えば、ヒトの場合、腸内細菌の重量は1~2kgと見積もられているのだ。
こういうときのヒトの標準体重は60kgを仮定しているだろうから、1~2%というところかな。
ただし、発酵させるには一定規模数の菌がいないとダメだから、そのまま比例で減らすわけにもいかないんだよね。
なので、バッタはひたすら食べる、ということらしい。
カイコなんかもそうで、とにかく大量の葉っぱを食べるのだ。
実はパンダもこれに近く、ほとんど消化吸収できないけど大量の竹を食べるんだよね・・・。


というわけで、疑問がひとつ解決した。
バッタの大量発生による蝗害というのがあるけど、確かにこういう非効率な食べ方をするのであればそうなるか、と思うよ。
嫌われ者だけど、シロアリのように効率的に食べればもっと少ない量ですむのに。
ま、棲息環境での戦略上そういう「物量作戦」でも問題なかっ宝現世主として残っているのだろうけど。
なにごとも効率だけでは割り切れないのは昆虫も同じか。

2025/09/20

果肉を食わせて種をまく

 シーズンに入ってしまった。
道に黄色いサクランボ様の実が落ちている。
見た目だけならかわいらしい。
問題は、においなんだよね・・・。
そう、ギンナンのあの独特のにおい。
踏んでいく人がいるから余計に広がる。

あんなにおいなので、サルやネズミはさけて食べないみたいなんだけど、一部の鳥やアライグマなんかは積極的に食べるようなのだ。
で、そのくさい実の中にある、硬い殻に包まれたギンナンの本体(発芽する部分)はふんと一緒に排出され、遠隔地に運ばれるわけだ。
においによって捕食する動物種を絞っているのには何か意味があるはず。
っていうか、進化論でいえば、少なくともどこかのタイミングでにおいが有利に働く場面があったからこそ、くさくないギンナンは現在残っていないのだ。

単純に考えれば、人間のように殻の中身を食べてしまうような動物には食べてほしくないわけだよね。
外側のくさい部分は食べるけど、あとはからごと飲み込んでそのまま出してくれる。
そういう動物が望まれるのであって、強い顎で殻ごと砕いてその中身を食べるような動物はお断りなわけだ。
強くにおいがそういう動物を排除するのにどう役立つかだけど、考え方は逆で、中まで砕いてしまうような動物を完全ン位排除するのではなくて、殻の外側しか食べない動物のうちどれかに食べてもらえればよい、ということなのだ。
これはオール・オア・ナンの世界ではなくて、殻ごと飲み込んでくれるような動物のすべてに食べてもらう必要がなくて、においを気にせずに食べる動物であれば殻ごと飲み込んでくれればよいのだ。
つまり、においで食べてくれる動物種を絞りに絞っても、それなりの数がいてくれれば繁殖戦略上は問題ないから、御供御数種類の動物にしか食べられなくても問題なし、ということだよね。

ところが、これはもう少し複雑な問題をはらんでいるのだ。
それは、イチョウという植物種が極めて古いものであるということ。
すなわち、イチョウの木が地上に登場して反寧したのは、まだ恐竜や大型爬虫類が闊歩する中生代という時代。
超原始的な哺乳類の祖先はいても、メジャーな存在ではないのだ。
小型の恐竜や爬虫類に実を食べてもらって、ということが必要だったはずなんだよね。
で、中生代から新生代に移り変わるあたり、ちょうど恐竜が絶滅し、被子植物が勢力を伸ばしていくタイミングにおいて、その捕食者が恐竜や爬虫類から鳥類や哺乳類に代わっていくことになるのだけど、それでももともとのイチョウの繁殖戦略はそこそこ有効だったからこそ今に続いているのだ。
そうなると、ひょっとすればだけど、あの独特のにおいは殻をかみ砕く捕食者に食べられないようにする、という消極的なものではなく、実は積極的に恐竜や爬虫類を引き付けるものであった可能性もゼロではないと思うんだ。
生物相の大転換を境にその役割は変わったんだけど、引き続き有効に機能した、というだけで。

世界最大の花と言われるラフレシアは獣肉の腐臭のような強烈なにおいで特定の昆虫を引き付け、繁殖にりようしているわけで、そういう戦略があってもよいのだ。
ただし、化石からわかることは、過去においてもイチョウの実を食べていた動物(恐竜は爬虫類)がいたということだけ。
なので、ジュラシック・パークのように、何らかの形で保存されていて中生代のイチョウの細胞からDNAを抽出して現世首都の違いを見る、というくらいまでやらないと、ギンナンのにおいが過去と現在において同じなのか、異なっているのかはよくわからないんだよね。
恐竜や爬虫類でなく、鳥類や哺乳類に食べてもらうようになったタイミングで初めてにおいが有効に自然淘汰に貢献した、ということもなくはないのだ。
なんかボク的にはこういうのはロマンを感じるんだよなぁ。
小学生クリアのころは本当に古生物学にも興味があったんだよね。

ちなみに、いわゆる「果実」というのは定義上は被子植物のもの。
受粉後に子房が発達していって種子を包むようになったもの。
リンゴでもモモでもミカンでも。
イチョウは裸子植物なので、厳密にいうと実としてのギンナンは果実ではないのだ。
たまたま一番外側の害表皮部分が肉質化しているだけ、という整理だそうで、同じような実をつける裸子植物は他にソテツくらいみたい。
イチョウと同じく生きた化石植物であるメタセコイアはマツにちかい針葉樹で、松ぼっくりに似た球果という丸くて硬い実をつけるのだけど、その鱗片には松の実のようなものがついていて、これがギンナンに当たるもの。
こういう球果は乾燥するとカサが開いてきて鱗片が剥がれ落ちていくんだけど、実の部分に膜状のものがついていて風で遠くに運ばれるのだ。
松ぼっくりも分解して一枚一枚硬い鱗片をはがしていくと、根元部分に松の実と半透明の膜があるんだって。

被子植物の果実は果肉部分を食べてもらうついでに種子は飲み込んでもらって、というイチョウと同じ戦略なんだけど、マツなんかの場合は、大事な種を食べられないように硬いもので覆っているのだ。
ただし、実施にはリスや鳥はそれをほじくって食べるのだけど、ネズミやリスなんかは食料を貯蔵する習性もあるので、ドングリと同じように食べずに埋められただけの松の実が発芽する場合もあるのだ。
風で自然に飛ばす以外に広げる手段にもなるので、さらに食べにくくする、というイタチごっこにはなっていないみたいだ。

2025/09/13

忘却の彼方に

 風の強かった日の翌日。
職場の木の下にまだ少し青いドングリを見つけた。
もうそんな時期か。
まだ猛暑が続いているけど。
子供の時はついつい拾って集めてしまうけど、それを忘れてしばらくたつと、虫が出てくるんだよなぁ。
ゾウムシの仲間だよね。
かなり気持ち悪いのだ(>_<)

そんなドングリは陸生動物にとって非常に重要な食料。
数多くの実がなるし、その実はでんぷん質に富んでいるし。
人間にとってはけっこうあくが強いものもあるのであく抜きがいるけど、イノシシやリス、ネズミなんかだとそのままばりばり。
いま問題になっているクマにとっても重要で、ドングリが気候の影響で不作になると餌を求めて里に下りてくる、と言われているよね。
森の栄養源なのだ。
でも、このドングリっていうのは果実であるわけで、そこから目が出て次の世代の木になるはずのもの。
それがこんなに食べられまくってよいのだろうか?

ところが、どうもこれがドングリの戦略になっているのだ。
かつては自然落下で落ちて、その形状からころころと転がって周りに広がっていく、と考えられていたのだ。
ドングリコロコロの世界だね。
でも、実際には、ドングリの実は乾燥に弱く、その辺に転がっていったものは発芽することはほぼないのだ。
では、どうなっているのか?
そこで重要なのが、ドングリを食べる小動物たち。

ドングリは秋になるので、体温維持のために常にものを食べていないといけない小動物にとっては貴重な貯蔵できる食料になっているんだ。
見つけたら食べるだけでなく、巣に持ち帰ったり、土に埋めて隠したりするのだ。
これが大事。
秋の終わりから冬にかけては貯蔵したドングリを少しずつ食べていくんだけど・・・。
全部を食べきるわけじゃないのだ!
さすがに巣に持ち帰ったものは食べきれない場合を除いて残ることはないけど、いろんな場所に埋めて隠す場合、掘り返されないことがあるのだ。
探し出せないのか、緊急事態用にさらに残してあるのかは不明だけど、土に埋められたまま、食べられないものが残るんだ。
これが発芽して次の世代の木に育つわけ。

大きななgれとしては、イノシシやシカなどの比較的大きな動物が地面に落ちている実を拾って食べる。
このとき、実が転がっている地面は大型動物によって踏み荒らされるので、土の表面が耕されたようになる。
その少し柔らかくなった土の下に、ネズミやリスなどがドングリを貯蔵する。
多くは掘り返して食べられちゃうけど、一部は掘り返されることなく、発芽に至る。
もちろん、虫に卵を産み付けられてしまった実は発芽できないので、こっちは天敵になるのだ。
食用の栗も害虫対策が大変というからね。
でも、動物は虫概要がいまいが食べてしまう、すなわち、虫がいても虫ごと食べてしまうので(タンパク質が増えてかえってよい?)、そこはランダムみたい。
虫フリーで、小動物に土の下に隠されるけど忘れられてしまって、水分や気温の条件がちょうどあったものが次の世代として発芽する、というわけだ。
でも、降格と確かに確率は高くなさそうだから、多くの実をつける必要があるよね。

さらに、この戦略には少し節gな話があるのだ。
ドングリのなるブナやナラは比較的不利植物で、リスやん済みが登場する前からあったらしい。
ということは、このドングリの戦略はかつては小型の爬虫類やネズミの祖先にあたる小型哺乳類などによって担われていた可能性があるらしいよ。
とはいえ、ずっと高温でじめじめしていたから乾燥せずに転がっただけで発芽していた可能性もゼロではないとは思うけど。

2025/09/06

人工知能はかく騙りき

 最近、googleで検索すると、最上位に「AIによる概要」というのが表示されるようになったのだ。
検索ワードに対して生成AIのgeminiが回答を用意してくれるらしい。
今は概要だけだけど、米国ではすでに「AIモード」というのも実装されていて、より詳細なAIを活用した検索もできるのだとか。
確かにけっこう便利。
なんだけど・・・。
時々ウソがまじってるんだよなぁ(>_<)
例えば、ポイ活のためにやっているクイズの回答を調べようと検索して、ここに表示されたものを選ぶんだけど、けっこう間違っていることがある!

これは生成AIあるあるのひとつで、「ハルシネーション」という現象なのだ。
AIに質問したとき、非常にそれっぽい回答が返ってくるんだけど、それが事実誤認だったり、まったくのでっちあげ立ったりする、というもの。
知識があれば見抜けるけど、そもそもわからないからAIに聞いているのだし、非常にそれっぽくできているので審議の見極めは難しいのだ。
google剣先の場合も、下の方に注記で「AI の回答には間違いが含まれている場合があります。」と書いてあるよ。
生成AIに聞くとデータをまとめたうえで答えてくれるので、資料作成やら、場合によっては学生・生徒の宿題やらで非常に便利なんだけど、ここがひっかかるんだよなぁ。
荒唐無稽なものではないか、ウソが混じってないか、確認する必要があるのだ。
おそらく、今後はそういうのが長けた人がAIを自由闊達に使いこなす有能な人、ということになるんだろうね。

でも、なぜ「ハルシネーション(=幻覚)」なのか?
アンドロイドは電気羊の夢を見るかもだけど、AIがありもしないものを見て混乱しているわけではないよね。
プログラムに従って計算・処理をして回答を導き出しているだけど、その回答の精度の問題なのだ。
むしろ、ありもしない、それっぽいものを見せられているのは調べものをしている方。
そう、この名前のつけ方は利用者である人間視点なんだよね。
なので、この名前自体に意見を持っている専門家もいるようだけど、すでに広まってしまっているのでここから名前を変えるとまた混乱するだろうなぁ。
そして、そういうことをすると、この「ハルシネーション」の原因になるかもしれないのだ。

「ハルシネーション」の原因として考えられているものにはいくつかあるんだけど、根本的なものとしては、参照している元データが誤っているというもの。
そもそもウソの混じったデータを参照していたらそこから正解は抽出できないのだ。
そうではなくとも、データソースが古いと松井がってしまう可能性があるんだよね。
例えば、古い教科書で学習してしまったAIは鎌倉幕府の成立を「いい国作ろう鎌倉幕府」で「1192年」と答えるわけだけど、最新の教科書では、兵士を滅ぼし、朝廷から諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可された「1185年」で教えているんだよね。
さらに、幅広くネット上の情報全般を拾うようなものにしてしまうと、そこに流れている誤情報も拾ってしまうのだ。
例えば、なぜか多くの人が誤解している「うるおぼえ」という表現や、野球は自分の本名ののぼるをもじって正岡子規が作った言葉、といった事実誤認が確認されている通説などなど。
参照元データの正確性がそのまま出てきてしまうので、ネット検索とは少し相性がよくなくて、AIによる検索結果の概要がちょいちょい間違っている原因でもあるのだ。
なお、逆に、ウソ情報をネット上で広めてデータソースを汚染しておけば、AIによる正確な情報の抽出を妨害することもできるというわけだよ。
旧ツイッター工作員さんもがんばりがいがある?

そのほかの原因としては、AIがどうやって回答テクストを作っているのか、というところに由来するみたい。
今の生成AIはかなり自然な形で文章を返してくるけど、これはある単語の次にどの単語が来るかをコーパスをもとに統計処理して、言語として「自然」な単語のつながりを作るようプログラムされているのだ。
で、そういう状況下で、AI的には意図をつかみきれないような質問だったり、参照元データに十分なソースがなかったりする場合、これが優先されて、さもありそうなそれっぽい回答が作られてしまうみたい。
よく生成AIを使いこなすには質問の仕方が大事というけど、まさにこれで、AIとして質問内容がくみ取りやすいようにしてあげる工夫がいるのだ。
前提から長々と質問する人は会議でも嫌われるけど、そういう聞き方をするとAIもどこに質問の本質があるのかわからなくって混乱するので、非常に自然にすれ違った、或いは、まったくでっち上げの回答をするのだ。
わざとはぐらかすこともあるけど、人にもAIにも簡潔に質問の趣旨をわかりやすくして聞いてあげることが大事だね。

2025/08/30

工夫どすえ

旬だからか、テレビでハモをよく見るようになった。 
関東だと料亭に出てくる高級食材というイメージだけど、京都では夏が旬のメジャーな食材なんだよね。
小骨が多くて骨切りをしないといけないからあまり一般家庭で食べる感じでもないけど、京都では鮮魚店で骨切りしたものもうっているらしいよ。
東京ではたまに見かけるくらいか。

そもそも京都でハモが食べられるようになったのは、とにかくハモが生命力が強い魚だったから。
京都府という意味では日本海に接しているわけだけど、京の都は内陸。
物流が初田牛廷内時代は人力で運ぶのが基本なので、魚介類を生きたまま運ぶのは大変。
フナやアユ、コイといった淡水魚は問題ないけど、海産物を運ぶには工夫が必要だったのだ。
その点、水を張って1日かけて運んでも生きているハモは貴重な食材だったわけ。

では、生きたまま運べないものはどうなのか。
メジャーなのは塩鯖。
京都の名物のひとつに鯖寿司があるけど、あれは、福井の若狭湾で獲れた鯖を塩で締めたものを使っているのだ。
その運搬の道が鯖街道。
サンダーバードに乗るとわかるけど、京都と福井の間は山でずっとトンネルの中を行くのだけど、当時は足で山越えをしていたのだ。
約1日かけて運んだらしいけど、ちょうどよく塩でしめられていたらしいよ。

そのほか、乾物も重要だったのだ。
京都に特に根付いているのは棒鱈と身欠きニシン。
スペインやポルトガルも鱈を干物(バカラオ)にして保存食にしていたよね。
京料理では煮物に使うのだ。
明治になって北海道でたくさん獲れたニシンは日持ちがしないので内臓をとって干して身欠きニシンにして全国に出荷されたわけだけど、京都ではそれをナスと一緒に炊いたりしておばんざいにしていたのだ。

冷蔵・冷凍車で全国津々浦々に新鮮なまま魚介類を運べるようになったのなんてここ最近のことなんだよね。
なので、内陸の各地方では工夫して海産物を食べていたのだ。
長野の塩イカは皮をはいでゆでたいかを塩漬けにしたもので、スルメよりやわらかいのだ。
山梨の煮貝は駿河湾のアワビを醤油漬けにして運んだのはじまりだとか。
栃木県で食べられるモロはサメのことで、サメはミニ含まれるアンモニアのおかげで腐敗しにくいので内陸まで運べる貴重な海産食材だったのだ。
今ではそんなこととする必要もないし、もっとおいしいものが食べられもするわけだけど、地元の食文化としてぜひ残してほしいよね。

2025/08/23

イスとりゲームじゃない

 今年はサンマが豊漁だそうで。
脂がのっていて大振りのものが安いのだとか。
最近は獲れなくて高いことが多かったから朗報だね。
庶民の味方だったサンマはここのところ高級魚と化していたから。
そこで思いだしたのが、サンマが獲れなくなった時、代わりにサバやイワシは獲れるようになったとか言ってた報道。
同じ青魚だし、似たような海域に棲んでいるし、「イスとりゲーム」にようなもので、ある魚種が増えると相対的に他の魚種が増えられなくなる=減る、という単純な図式を想定したのだ。
でも、そんな単純な話じゃないらしい。

まず、前提としてデータを調べてみたのだ。
水産庁の公表している水産白書の資料編には魚種別の生産量のデータがあるので、それを2015年~2024年の10年間で追うことにしたのだ。
対象魚種は、それぞれトレードオフになっていそうな、サンマ、サバ、イワシ。
それと、あまり直接は関係しなさそうな比較用の魚種としてカツオ。
この4種の生産量の推移を単純に折れ線グラフにするとこんな感じ。



もともとの生産量の絶対量に差があるからよくわからないなぁ。
なんとなく魚種の谷と山がが連動しているようにも見えるし、うまくかみ合っているようにも見えるし。
単純な「イスとりゲーム」なら、サンマ、サバ及びイワシを足し合わせた総量は横ばいくらいで、その中でそれぞれの魚種の増減が組み合わされる、という感じで見えるはず。
そうなっているのか、いないのか?
そこで、もう少し工夫して、基準年の2015年の生産量を100とした場合の生産量の相対量を折れ線グラフにしたのがこちら。



増減は見やすくなった気がする。
イワシが増えて、サンマとサバが減っているのはよくわかる。
カツオがサバと同じような動きをしているのはよくわからないなぁ。
2021年なんかはサバが少し回復してサンマはまた下がっているから、サンマが不漁でサバは去年より獲れてる、みたいな感じなのかな。
断片的にみると報道で言われていることが当てはまるようだけど、全体のトレンドとして見た時にそこまでぴったりと当てはまる気がしないなぁ。



で、ググって検索してみると・・・。
AIさんが「サンマとサバは、一般的に同じ海域に多く出現するわけではないため、サンマが大量に獲れる年はサバの漁獲量が少ない傾向にある、というわけではありません。それぞれの魚の生態や回遊パターン、漁獲状況は異なります。」とまとめてくれたのだ。
一方で、農水省のHPのQ&Aの「サンマの不漁が続いているが、どうしてですか。」という質問に対する回答は、「また、日本に近い海域では、他の浮魚類(イワシ類やサバ類など、海の表層近くを主な生息場所とする魚種)が増加したことにより、サンマが日本の近くで回遊しにくくなっている可能性も考えられます。」ということも書いてあるのだ。
でも、もっとその前に「日本でのサンマの漁獲量の減少は、2010年に突然起きた分布の沖合化が契機と考えられ、
2010年以降も海洋環境や餌環境の変化により、沖合化と資源減少が進行しています。」というのがあって、これが主要因で、他の魚種の影響もあるかも、ちう程度だけど。

さらに調べていくと、水産資源管理学の世界では、青魚の「魚種交替」という考え方があるらしいのだ。
これはあたまたまどれかの魚種が増えたからほかが減るとかいう話ではなくて、数十年レベルの周期で大気や海洋の環境に変動があって、その影響でそれぞれの魚種にとって棲息環境も変動する、というもの。
もともと青魚は繁殖力が強くて生息環境の変化が大きな変化として見えやすい、というのがあるみたい。
平たく言えば、海水温やらプランクトンの量やらが周期的に変動して、それに合わせてその時々に繁殖しやすい魚種が変わる、ということ。
これだけで言えば、次に増えるのを待っていればいいはずだけど・・・。

当然そうはいかないわけで。
もともとサンマはほぼほぼ日本人だけが消費していたような魚種だけど、最近は中国や韓国でもたくさん食べるようになり、資源量が減っているのだ。
この影響がさらにかぶさってくるので、周期的な変動に合わせて待っていればよい、ということでもないんだよね。
もう少し複雑な懐石をして資源量を管理する必要があるようなのだ。
sのうち、本来はサンマが増えるタイミングのはずなのにサンマが獲れない、みたいなことも起きてくるかも・・・。

2025/08/16

要チェックやで!

 子供のころからインスタント麺がけっこう好き。
カップでも袋でも。
で、スーパーであたらしい味を見つけたり、好きなブランドが安売りになっていたりするのを見かけると、ついつい買ってしまうのだ。
長持ちするし、って。
でも、よくよくパッケージを見てみると、実はそこまで長期保存できないので。
通常の場合、カップ麺は製造から6か月で、袋麺は少し長くなって8か月・・・。
1年以上もつわけではないのか。

一方で、もう少し伝統的な乾麺のそばやうどん、素麺を見てみると、もっと保存可能期間が長いんだよね。
そばやうどんは1~2年、素麺は3年以上なのだ(揖保乃糸なんかは3年半)。
なんでだろうと思うよね。
で、ちょっと調べてみたのだ。
端的に言うと、どうも残っている水分量が多ければ多いほど保存期間は短く設定されるみたい。
逆に言うと、素麺は一番乾いていて、インスタント麺はそこまで乾燥していない、ということなのだ。
素麺は細いから別としても、パスタや乾麺はゆでるのに5~10分かかるのに対し、インスタント麺はデフォルトで3分、長いものでも5分だから、麺自体に違いはありそうなのだ。
乾麺だとゆで時間が足りないと芯が残るから、やはりインスタント麺は乾燥度合いが低いのかもね。
と思ったのだけど・・・。


AIさんによると、そうでもないらしい。
乾麺の水分量は14%以下となっているのに対し、インスタント麺の場合は、フライ製法だと3~6%、ノンフライ製法でも10%前後。
つまり、水分量で保存期間が影響されるなら、乾麺の方が短くなくてはいけないのだ!
でも、インスタント麺の方が「もどり」やすいということは考慮する必要があるのではないか?
短い時間で「もどる」ということは、それだけ水分を吸収しやすいから、仮に少しでも水分(湿気)があると劣化しやすくなるという性質なのではないか。
そう考えると、ちょっと保存可能期間が短くなるのはあるかもしれない。

それと、今回問題視しているのは「賞味期限」なので、食べられる・食べられないというぎりぎりの判断ではなく、おいしく食べられるかどうか、という視点。
この視点でいうと、時間がたつと酸化して劣化する油も重要なのだ。
確かに、フライ製法の方がノンフライ製法よりも風味が損なわれる経時劣化が大きいと言われているのだ。
でも、そうすると素麺なんかは油を塗りながら伸ばしているわけで、もっと短くなるはず。
なのに、素麺は一番賞味期限が長く、なおかつ、「熟成」といって製造から時間がたったものの方がおいしいとまで言われている・
ということは油の問題でもなさそうだ。

そこでふと気づくのは、「たれ」の存在。
そう、おそらくはこれが問題なのだ。
粉末スープにせよ、液体スープにせよ、インスタント麺には味をつけるものが付属くしているのだ(初期型のチキンラーメンのように麺にしみこませているものもあるけど。)。
醤油などの調味料単品の賞味期限は1~2年だけど、ラーメン全体の風味という点では、いろんなものが混ぜられた結果短くなっているのではないか?
比較対象として、液体のめんつゆの賞味期限を調べてみると、開封前の賞味期限は1年ほどのよう。
これは乾麺に比べると短い賞味期限だから、やはりこちらに引きずられている部分はあるだろうね。

というわかえで、保存可能期間だけ考えると、素麺がいいわけだけど、けっきょく麺つゆが長持ちしないから、塩味で食べるということでもしない限り、乾燥麺の保存食はせいぜい1年くらいと考えるしかないね。
缶詰のように数年もつと考えてはいけないのだ。
というわけで、賞味期限前においしく食べるために、しっかり日付は確認しておこう。

2025/08/09

ぱっと散る

 最近はトラブルもあるようだけど、花火のシーズンになったのだ。
空中で火薬を爆発させるだけで本来的には季節的な要素はないはずないし、なんなら、日本の場合は冬の方が空気も乾燥して住んでいるし、早く暗くなるから見栄えがいいはずなんだけど、それでも「夏のもの」というイメージだよね。
なんでも、江戸の華と言われた隅田川の花火は、隅田川での船遊びが許された納涼花火解禁期間の開始日に花火師の玉屋と鍵屋が宣伝目的で互いに競い合って花火を上げたのgははじまりだそうで、
一説に、基金やこれらの死者をともらうために吉宗公が始めた、とも言われるけど、これは歴史的には間違っているそうだよ。
そんな日本の花火。
世界的に見ても芸術性が高いと言われているよね。
それは、打ち上げ花火の技術力。
その広がり方、色などが独特の進化を遂げているのだ。
海外だと、ただ広がるだけみたいのが主流だったから。

日本の打ち上げ花火は紙製のカプセルの中に丸めた火薬をきれいに並べて作られる煙火玉というもの。
大きいものでは尺(一尺は約30cm)を超えるので「尺玉」なんて呼ばれ方もするよね。
その火薬玉の並べ方で花火の広がり方が変わり、火薬玉の組成で色が変わるのだ。
そこが花火師の技術力。
おそらく、広がり方は歴史的に経験則として語り継がれてきたもので、今は多分計算もしていると思うのだ。
きれいに放射状(実際に空中では球状)に広がるのを基本に、変わり者としてハート形とか字の形にするなんてのもあるよね。

もう一つのポイントが色。
花火に使われる火薬は伝統的な黒色火薬。
酸化剤の硝石(硝酸カリウム)に燃料である木炭と酸化促進剤の硫黄を混ぜた組成が基本。
見た目が真っ黒なので黒色火薬なんだけど、種子島に火縄銃が伝わって以来、日本でも生産が拡大するのだ。
で、戦国の世が終わり、平和な江戸時代になると、それが花火に応用されるというわけ。
典型的な文化的な発展だね。

で、この黒色火薬そのものは赤く燃えるのだ。
線香花火はこの黒色火薬をごく少量使ったものなので、あのちょっと淡いオレンジがそもそもの色。
この黒色火薬に、添加物として金属粉を入れると色が変わるんだよ。
これは金属元素の炎色反応を利用したもの。
そう、化学で習う

リアカー(Li)赤
なき(Na黄)
ケイ村(K紫)
動力(Cu緑)
かると(Ca橙)
するもくれない(Sr紅)
馬力(Ba緑)

というやつ。

これを混ぜ合わせてさらに色を作っていくのだけど、このときのポイントは、絵の具を混ぜるイメージではないということ。絵の具の色は吸光反応、特定の色(波長)の可視光を吸収すると、その吸収する光の色と補色の関係にある色に見えるのだ。
例えば、植物が緑色に見えるのは葉緑素の色だけど、この葉緑素は光合成に赤い光を使っているんだよね。
つまり、赤い光を吸収するから、その補色の緑に見えるのだ。
一方で、この花火の色は金属の炎色反応で発色なので、光の色の重ね合わせの方になるのだ。
つまり、赤緑青が基本で、全部混ぜると白色になるというやつ。
カラーテレビでいろんな色味を出せる原理と同じ。
赤と緑が混ざれば黄色(絵の具の場合は黒)、緑と青を混ぜると水色(絵の具の場合は深緑)のような感じ。
実際には、金属の炎色反応は人間のカラー認識の基本のRGBと一致しているわけではないので、直感的に色の混ぜ合わせは予測しづらいんだよね。
発色の違いもあるし、この辺は経験値がものをいうのだ。
例えば、絵の具だと桜のピンク色を作るには赤と白を混ぜればいいけど、これを花火で再現しようとするとけっこう大変らしいのだ。

ちなみに、途中で色が変わる花火は、それぞれの色の火薬玉の詰め方の違い。
外側から燃えていくので、外側と内側で異なる色の火薬玉を使うと、燃焼中に色が変わるというわけ。
これも花火の広がり方と合わせて絶妙なバランス配置がいるはずで、やはり難しい技術なのだ。
でも、こういう技術に日本が優れているのってなんだかほこらしいよね。
こういうすぐに社会に役立つわけではないところに過剰に技術力を咲くのが日本らしいというか、なんというか。

2025/08/02

はぁちぃ~

 先日、東新宿駅のポイント故障で副都心線が止まったのだ。
で、相互乗り入れなどしている関係で、有楽町線、西武線、東武線、東急線にもその影響が波及。
最近では珍しい大混乱になったのだ。
で、おそらく、一番大変だったのは渋谷ではないかと思うんだよね。
というのも、副都心線・東横線は他の路線から乗り換えるときに遠いので、山手線などで振替輸送してもらうにしても混雑の中けっこうな距離を移動しないといけないのだ。
池袋・新宿から乗り換えなしで東横線に入れるのが副都心線最大の魅力なのに!

そんな渋谷。
今では大都会で、しかも、さらに再開発でまたまた大きくなろうとしているけど、江戸時代から栄えていた新宿と比べると普通に田園風景広がるいなかだったんだよね。
「春の小川」に出てくる川のモデルは代々木に流れていた河骨川と言われているけど、これは渋谷を流れていた宇田川の支流(いずれもすべて暗渠化)。
ああいう風景が渋谷にも広がっていたはずなのだ。
確かに、映画の「ハチ公物語」に出てくる渋谷駅も都心ではないよね。

新宿は、甲州街道やその脇街道の青梅街道の最初の宿場で、江戸外れの歓楽街として栄えていたのだ。
同じように、東海道の最初の宿場である品川もそう。
江戸市中の範囲は今の23区よりだいぶ狭くて、山手線の西側はおおよそ江戸の境界にあたるんだよね。
目黒なんかは将軍家がタカ狩りをするくらいだったわけだし。
で、渋谷に何もなかったかというとそういうことでもなく、大山街道(矢倉沢往還)の宿場として集落はあったようなのだ。
それが道玄坂上の円山町のあたり。
少し高台になっているところだよね。

でも、大きな宿場ではなく、こじんまりとしたもの。
おそらく、中山道(東山道)の板橋宿や日光御成道(岩月街道)の江戸の出口だった王子の方がはるかに栄えているよ。
板橋は江戸4宿最下位とはいえ中山道では最大の繁華街だったし、王子なんかは飛鳥山や王子稲荷などの観光スポットがあって、江戸庶民の一大行楽地だったのだ。
目黒だと目黒不動瀧泉寺や大鳥神社なんかもあるからもう少し人通りがあったんだろうけど、原宿・渋谷・恵比寿のあたりはおそらく草っ原だよ。


今の渋谷駅は谷底にあるけど(だから地下鉄の銀座線が空中を走っている!)、渋谷川・隠田川、宇田川などが流れる田園だったんだって。
明治期に最初に液ができたときはまだまだ田舎だったけど、その後東京市電や玉川電鉄(ともに路面電車)ができると都会化してきて、東急グループにより東京南西部の開発が始まると一気にターミナル駅として栄えるようになるのだ。
その後、隠田川は暗渠となり、そのうえにキャットストリートがあるよ。
もともとキャットストリートの正式名称は旧渋谷川遊歩道路というのだ。

で、ほぼ同じような時期に、原宿には明治神宮が造営され、景色が変わるのだ。
戦前は大きな神社ができただけで町として栄えるのは戦後だけど。
恵比寿は恵比寿でもともとはビール工場と貨物駅しかないようなところで、その跡地がガーデンプレイスなどの再開発区域だよ。
そもそもエビスビールの工場があったから恵比寿という地名になったくらい、何もないところ。
それがいまや東京でももっともおしゃれな都会になっているのだから驚きだね。
ま、土地があるから再開発できるわけで、最初からごみごみしている上野・浅草地域や神田なんかは再開発が難しいのだ。
新宿も都庁周辺の再開発区域は淀橋浄水場跡地だし、池袋のサンシャイン周辺は巣鴨拘置所跡地なのだ。

で、実は渋谷は今もなお発展し続けているんだよね。
90年代後半から2000年代前半にかけ、IT系のベンチャーが渋谷に集積し始め、シリコンバレーになぞらえて「ビットバレー」なんて呼ばれるようになるんだけど、現在もグローバルにスタートアップを集めようとしているのだ。
政府が大々的に進めているのが「グローバル・スタートアップ・キャンパス構想」。
市ヶ谷に移転した防衛研究所の跡地のある、防衛省目黒地区に隣接した国有地に建設予定らしいけど、駅でいうと恵比寿が近いのだ(ガーデンプレイスの奥あたり)。
で、もともとIT系ベンチャーの集積もあるので、一気に渋谷周辺でスタートアップを盛り上げよう、ということのようだ。
でも、なんか計画があんまり進んでいないような・・・。

2025/07/26

選挙はポップに

 参議院選は相当盛り上がったのだ。
既存政党には任せられないと新興勢力も票を伸ばしたしね。
これが民意。
参議院選挙だからこれがすぐに国政に直結するわけでもないのだけど。
そんな今回の選挙で話題になったキーワードの一つが「ポピュリズム」。
日本では大衆迎合主義とか衆愚政治のような悪いイメージで語られることが多くて、今回も報道ではそういうニュアンスを多分に福でいるのだ。

ま、大衆に「耳聞こえのよい」政策をアピールして人気を得ようということなので、そういう側面はあるのだ。
不都合なことは言わない、大衆が聞きたいと思うことを言おうとするあまりに主義・主張が一貫しないなどが指摘されているよね。
与党から見れば、減税を訴えているけど税収が減ることで歳出をどう変えていくのか具体的に言わない、なんてのはよく聞いたこと。
一方で、目先の金配りに効果は薄いとかなんとか言っていたはずなのに状況がまずくなってくるといきなり給付金を打ち出す与党。
いずれにせよ、選挙で票を獲得するためには多かれ少なかれ選挙民の心をつかむ必要があるわけで、完全に「人気取り」的なことを排除はできないんだよね。

むしろ問題は、その時々の状況に即して「政治に主張してほしい」と大衆が思っていることを口にするだけなので、政策がブレブレになるという問題点なのだ。
米国のトランプ大統領やブレグジットの時の英国のジョンソン首相はポピュリズムの典型のように扱われるけど、政策がぶれてはいないので、選挙によって民意が反映されてはいるんだよね。
それが不合理な判断・政策であっても、正式なプロセスで決められたことはsン町しなければいけないのが「民主主義」なのだ。
とはいえ、いわゆる「反エリート主義」や「アンチ・エスタブリッシュメント」みたいな不満を常に抱えているような低所得層をたきつけて数的有利を取る、というのが本当に良いのかどうかという問題だよね。
マキャベリズムに立てば、権力を得るための手段としては正当化されるのかもしれないけど。

で、今回躍進した某新興政党はさっそくいろいろ言われ始めているね。
選挙が終わってから「手のひら返し」があったようで。
最初に出したい法案はスパイ防止法案ではなく反コロナ法案だとか。
外国人排斥をするとは言ってないとかなんとか。
煽って盛り上げて票を得ておいて、投票した人たちが期待したことではなく、もともとその陰に隠していた自分たちがしたいことをするのならばそうなるのは必然ではあるけど。

この関連で最近よく見かけるようになったのは、ヒトラーの「大衆煽動術」なるもの。
そこまでのどてらいうねりになるのかはよくわからないけど、今の経済状況、国際状況は世界大戦前と似ている、なんていう専門家もいるから、より注目を集めているんだよね。
それはこんなもの。

 ・大衆は愚か者である。
 ・同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。
 ・共通の敵を作り大衆を団結させよ。
 ・敵の合うを拡大して伝え、大衆を怒らせろ。
 ・人は小さな嘘より大きな嘘に騙される。
 ・大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
 ・利口な人の知性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。
 ・貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。
 ・都合の悪い情報は一切与えるな。都合の良い情報は拡大して伝えよ。
 ・宣伝を総合芸術に仕立てあげろ。大衆の資格聴覚を刺激して感性で圧倒しろ。

なんだか思うところがあるよね・・・。
こういうものだと危機意識を持っていればまだよいのだけど、追う言う意識を持とうなんて思う人はそもそも騙されないんだよなぁ。
SNSなどの趣味・趣向で入ってくる情報にバイアスが出るような媒体にばかり触れていると、いわゆる「エコー・チェンバー」でより凝り固まっていくんだよなぁ。
何が正しくて何が悪いとは一概には言えないけど、明らかに騙そうとする人たちに騙されないようにはしなくちゃいけないんだよね。

2025/07/19

下から注意

 うちの職場の近くは、アスファルトの舗装が少し白っぽいんだよね。
そのせいか、ちょっとまぶしい感じがするのだ。
目が痛い。
砂浜とかと同じ感じ。
でも、この時期に気をつけなといけないのは、むしろ「見えない」方の光。
そう、紫外線。
地面は紫外線も反射しているのだ!


スキー場での「雪焼け」は地表の雪が空からの紫外線を乱反射するから。
冬で日差し自体は強くなくても、紫外線強度は上がっているのだ。
なので、雪焼けで顔面を日焼けするし、ちゃんとゴーグルをつけていないと目が痛くなる、「雪目」になるのだ。
見えないからこそ、ダメージが出てからその存在が分かるんだよね。
気象庁のページによると、紫外線の反射率は地表面の状況で大きく変わるとされていて、新設の場合は驚異の80%!
次に高いのは砂浜で10~25%。
通常のアスファルトは10%程度、水面だと10~20%、草・土だと10%以下、だって。
で、ボクがまぶしく感じている白っぽいアスファルトの場合は、通常の黒っぽいアスファルトより少し高いんじゃないかなぁ。

最近は機構へのづの影響が東京でも気温が爆上がりするし、日差しもかなり強烈になったから、男子日傘なんてのも出てきたよね。
っていうか、真昼間の陰のないところを庁直にどうするなら、ないと死ぬ・・・。
で、日傘はカサなので、当然のことながら情報からの光を防ぐのだ。
可視光や赤外線を防げば熱いのが少し和らぐし、紫外線を防げば日焼けしなくなる、はずなんだけど・・・。
ここで重要なのは照り返し。
アスファルトくらいの反射率ならあまり気にしなくてもよいのかもだけど、地面がもう少し紫外線を反射しそうな状態の場合、地表面で反射された紫外線のことを考えておく必要があるのだ。
特に紫外線い弱い人はね。

雨上がりの地表面だと水にぬれているのでおそらくいつも以上に紫外線を反射しているし、神社の玉砂利のような白い砂利は恐らく砂浜程度には反射していると思われるのだ。
とはいえ、上からくる方が圧倒的に多いわけだから、カサで防ぎつつ、日焼け止めを塗って、紫外線を通さない布地で覆う(基本的には紫外線は透過力が低いので何か布で覆われていればOK)、というのがよいのかな。
完全防備の女性は時々見かけるよね。
暑いのに御苦労様です。

じゃあ逆に、紫外線は鏡のようなもので反射できるのか?
通常の鏡ではダメなんだよね。
古代の鏡は青銅を磨いた銅鏡で、その後は加工の容易さから水銀が使われるようになったのだ。
で、現代の鏡は純銀を使っているんだ。
理由は、可視光のほぼ100%を反射できるから。
つまり、可視光領域においては波長で反射率がほぼ一定なので、正確な色味で鏡像を映し出せるのだ。
ちなみに、赤外線もほぼほぼ反射するよ。
だけど、だけど、紫外線はあんまり反射しないんだよね。

蛍光灯なんかは電気的に紫外線を出して、それを蛍光管内部に塗布された蛍光物質に当てて光っているわけだけど、こういうときに紫外線光源というのはけっこうあるよね。
パリピ御用達のブラックライトなんかもそうだし。
そういうので紫外線が反射できないと困るわけだけど、実は、高純度のアルミだと紫外線を反射するので、それが用いられているのだ。
人間が見る限りは多少光沢の差があるとはいえどちらも銀色だけど、反射する光の波長には大きな違いがあるんだね。
世の中を紫外線で見ている昆虫の場合は、人間が使っている鏡はただの黒い壁にしか見えないけど、磨かれたアルミ板だと自分の姿が映っている姿見になるのだ。

2025/07/12

買取前提

 
「残クレアルファード」という言葉をよく見かけるようになったのだ。
「残価クレジット」という支払方式で安価に高級車んアルファードに乗る、ということのよう。
ちょっとやんちゃそうな人たちが使っている画像をよく見かける気がする。
お手頃にあこがれのアルファードに乗れる、ということのようなんだけど・・・。
世の中、そんなにうまい話があるわけはなくて。
安く乗れる、というメリットの裏側には、もちろんデメリットもあるはずなのだ。

まず、「残価クレジット」とは何か?
これは自動車向けの残価設定ローンのこことで、一定年数の後に下取りで買い戻すことを前提に将来的な売却予定額(=残価)を除いた部分をローンで返済していく、という方式。
ただし、このローンを組んでいる間の車の名義はローンを設定したディーラーになっていて、あらかじめ設定しておいた年数の後、いったん横に置いておいた残価で買い取った場合だけ自分のものになるのだ。
これは、購入額と残価の差額分だけがローンの対象になっているのではなく、最終支払額が残価に設定されていて、そこで残価をまとめて払えばローン完済で自分のものになるし、その時点で手放せば名義は麺攻されず、ディーラーは「担保」又は「抵当」扱いになっていた車を引き取るのだ。
これは住宅ローンを支払いきれずに手放す場合と同じ。
ローンでの購入は支払いが完了してから名義が変わるんだよね。

で、こういうシステムなので、大きな問題が二つあるのだ。
ひとつは、将来的に売却予定額が決められていることから、勝手に車を改造したり(内装を含む)、汚したり、傷つけてはいけないのだ。

走行距離制限もあるみたい。
仮にそういうことがあった場合、その時点での評価額ともともと設定されていた残額の差額分を徴収されるよ。
本当の車好きであればいろいろカスタムしたいのだろうけど、それはダメで、元のままできれいに載り続けないといけないのだ。
これはけっこうきついと思う。
同じような残価設定ローンがスマホにもあるんだけど、この場合は当然画面がバキバキに割れていてはだめで、そういう場合は別途お金を取られるのだ(例えば、auのプランの場合は追加費用が22,000円に設定されているよ。)。

もう一つは金利の問題。
上にあるとおり、あうまでも残額は最終支払額になっているので、ローン自体は購入価格全体にかかっているのだ。
つまり、金利は購入額全体に対してかかるということ。
よって、月々の支払額は、(購入額-残額)÷返済月数+金利という計算になるよ。
通常のカーローンより少し金利が低くなっているらしいけど、それでも、残額分も含めて金利がかかっているので、一見、月々の支払いは抑えられているけど、最終的に残額も払って買い取った場合、余計にお金がかかっている可能性もあるのだ。
ちなみに、側近で残額が払えない場合、その残額に対してさらにローンを組むこともできるみたい・・・。
二重ローンだ。
そうなると、ますます金利分は大きくきいてくるのだ。

自動車だとまだましなんだけど、最近はこの同じシステムが住宅にも使われているよ。
残価設定型住宅ローンというやつなんだけど、これの場合、いったんローン返済期間が終わったところで残額を一括で支払えない場合、さらに十年、二十年とかけてローン返済するようなのだ。
いったいいくつまでローンが続くんだ?
その返済期間が長期に及ぶ場合は、「リバースモーゲージ」も使えて、亡くなった後に住宅を手放す代わりに生存期間中は金利だけ付帯していればよい、というスタイルもあるよ。
子供に家が残せないけど、逆に言うと、最近は相続者がいなくて空き家になっているケースも多いというから、時代にはあっているのだろうか?

話を自動車にもどして。
似たようなローンで、もう少し早く出てきたカーリースというのもあったよね。
サブスクで車に乗れる、みたいな。
こちらは、連たる会社が代わりに自動車を購入してくれて、それを月々一定の利用用で貸してくれる、というサービス。
ちなみに、「わ」ナンバーにはしなくてよいみたい。
この利用料には、車の購入費用のほか、自動車税や自動車重量税、自賠責保険なども入っているのだ。
コピー機のオフィス・レンタルと同じような仕組みで、最初は企業向けに提供されていたんだけど、個人向けが出た、ということだったんだよね。
個人向けの場合、一定のリース期間終了後にその車を買い取れるオプションもあって、これをさらに改良したのが残価クレジットというものらしいのだ。
ただし、カーリースの場合はあくまでもリース契約なので、月々支払うお金は利用料という形で一定。
一方、残価クレジットはローン契約なので、支払期間に応じて少しづつ支払額は減っていくのだ(元本が返却された分だけ)。
それと、残価クレジットの場合は自動車税や自動車重量税、自賠責保険は別途負担する必要があるから、月々の支払額だけを比較してもダメなのだ。

なんとなく仕組みはわかったけど、よくこういうことを考えるよね。
リボ払いもそうだけど、一見お得のように見えて、きちんと設けられる仕組みになっているのだ。
もちろん、赤字切手ボランティアでそういうことをする篤志がいるわけじゃないけど当たり前なのだけど。
でもでも、表面上ンおお得感に飛びつくことなく、よくよく考えて、自分はメリットをきちんと享受できるのか確かめてから使わないと部内のだ。

2025/07/05

伊東に行くなら・・・

 経歴詐称疑惑のあった伊藤市長の問題は、いよいよ「卒業してなかった」ということで落ち着きそうなのだ。
っていうか、手続き的に簡単に手に入ると言われている卒業証明書をなかなか出してこないあたりはもうわかっていたことだけど。
こういうのって、最後まで隠し通せるものではないし、粘らずに早く誤ってしまった方がよいと思うんだけど、実はそうもいかないんだよね。
それは、公職選挙法との関係なのだ。

公職選挙法第235条のでは「虚偽事項の公表罪」というのを規定しているのだ。
第1項は候補者が当選しようとして嘘をつく場合の規程で、、
当選を得又は得させる目的をもつて公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者の身分、職業若しくは経歴、その者の政党その他の団体への所属、その者に係る候補者届出政党の候補者の届出、その者に係る参議院名簿届出政党等の届出又はその者に対する人若しくは政党その他の団体の推薦若しくは支持に関し虚偽の事項を公にした者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。
となっているんだよね。
まさにこれにがっつりと抵触するので、経歴を詐称していたことを認めた時点でアウトなのだ。
ちなみに、この規定だと、結果として落選していても、立候補時にウソの情報を選挙公報などに載せてしまうと罪に問われることになるよ。

有名な先例としては、旧民主党の国会議員の案件があるよね。
米国の「ペパーダイン大学を卒業」と経歴に書いていたわけど、それがあやしいということになって追及を受けたのだ。
このときはマスコミを連れて米国の現地にまで行って、みたいな悪あがきをしていたわけだけど、卒業していないんだからどうにかなるわけでもなく・・・。
さんざん追及されて離党して、公職選挙法違反で告発。
警察の事情聴取を受けて、経歴を詐称していたことをおおむね認めたところで議員を辞職。
けっきょくは「起訴猶予処分」ということで落ち着いたんだ。
これって、公職選挙法違反はほぼ明らかなんだけど、訴追するまでは必要ない、という検察の判断なのだ。
一連の流れの中で社会的制裁も受けているしね。
おそらく、今回も同じような流れになるはずで、市長という公職を辞して警察の事情聴取を受けて、となるのだ。
これも裁判まで行かないだろうなぁ。

ちなみに、同条第2項は、立候補している人の足を引っ張ろうとして虚偽の情報を流す場合の規定。
当選を得させない目的をもつて公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者に関し虚偽の事項を公にし、又は事実をゆがめて公にした者は、四年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。
こちらはよりたちが悪いということで量刑が重くなっているのだ。
自分を利するより、他人を蹴落とす方が罪深いということだね。
これが原因で落選になったかどうかはわからないんだと思うけど、これは被疑事実を認めた場合は起訴猶予とは行かないと思うんだよね。
ほぼほぼ確実に裁判にはいくと思うね。

ちなみにのちなみに。
選挙妨害という観点で実際に事例があるのは、虚偽情報をなあすというよりは、もっと物理的な妨害行為なのだ。
先般問題になったのは、演説しているところに行って大音量でその演説が聞こえないように妨害するってやつ。
わざわざ街頭演説の行先裂きにストーキングしてやってたみたいだよね。
これは真偽を確かめるという以前の問題で即アウト行為。
虚偽の情報を流して足を引っ張ったんじゃないか、というときには、それは本当に虚偽なのか、虚偽だったとしてどれくらい影響が出たのか、などなどを掘り下げる必要があるので、面倒っちゃ面倒。
どのみちそういう妨害をする人は他にもポスターをはがしたりと妨害してくるので、そっちで現行犯で取り締まった方がよかったりするわけだ。
ただし、ネット上でのデマの拡散や誹謗中傷なんてのもあるから、今後はそういうケースで取り締まられる例が増えてくるかもだけど。

というわけで、参議院選挙が近いので、ここも要注目なのだ。
今回は注目度の高い選挙だし、いろいろあるかもね。
国籍問題を明確に解決しないまままた立候補しようとしている元議員もいるみたいだし。
人腹なりそうだ。
って、候補者を擁立しただけで炎上案件が発生しているからなぁ。
興味は尽きないね。

2025/06/28

快適な肌触り

 家で愛用しているスリッパは、足の裏に触れる面が畳表のものなのだ。
夏場は少しひんやりしていて気持ちよく、かつ、足裏に張り付かない。
一方、冬はむしろ少しあたたかく感じるんだよね。
これも気持ちよい。
一度使ってからお気に入りで、何代目かなのだ。

畳表の素材は言わずと知れた「い草」。
イネ科の単子葉植物。
乾燥しても丈夫でしなやかなので敷物の素材になっているわけだけど、夏は高温多湿、冬は低温乾燥の日本の風土に合っているんだよね。
その要因は、その吸湿性のあるスポンジ状の構造。
畳表に使われるのはイグサの茎の部分だけど、その中はスポンジ状になっていて空気をたくさん蓄えられるようになっているのだ。
これがクッション性も出しているんだけど、それ以上に、この部分に湿気を含んだ空気をため込むんだよね。

夏の間は吸湿性があるので畳表の表面はさらっとしているのだ。
ユニクロの速乾シャツと同じ。
蒸れない、べたっとくっつかないで快適なのだ。
逆に、冬場はここに湿気のある空気がため込まれるんだけど、湿度と熱が適度に放出されるんだよね(放湿性)。
で、ほのかにあたたかい。
確かに、住宅の床面でも、板張りは冬冷たいけど、畳は少しあたたかみを感じるよね。
まったく同じことなのだ。
このクッション性と吸湿性・放湿性(あわせて調湿性)という特徴で、人の肌に触れるもので、かつ、体重がかかるようなもの、つまり畳表やござにはよい材料なのだ。

畳で思い浮かべるもう一つの特徴は独特の香り。
日本人は割と好きな香りだけど、バニラの主要な香り成分でもあるバニリンも含まれているみたいで、心を落ち着かせる効果もあるんだよ。
ただし、これは単純にイグサの香りというわけでもないのだ。
それは、畳表などに使う場合、「前処理工程」があるから。
そう、「泥染め」というプロセスがあるんだよね。

名前的に想像つくけど、泥水につけてから乾燥させるという工程。
粒子の細かい泥をつかった泥水にいったんつけてから乾燥させることで、イグサ表面がコーティングされ、ゆっくりと満遍なく乾燥するようになるのだ。
そのまま乾燥させるとむらが出てしまうのだけど、そうすると、均質にならないんだよね。
で、この乾燥過程で中に残っていた酵素も完全に失活するので、葉緑素の分解が完全に止まり、色変わりを防ぐのだ(紫外線などによる退色はあるので、ずっと鮮やかな緑なわけじゃないよ。乾燥させているのに干し草のように茶色くならない、ということ。)。
また、コーティングにより傷がつきづらくなるのだ。
さらに、イグサで重要な調湿性が向上すると言われているのだ。
まさにいことづくめ。
そして、イグサの本来のにおいと土のにおいが混ざって、いわゆる「新しい畳のにおい」になるらしい。
香りのブレンドがうまくいっているわけだね。

よいことばかりのようだけど、世の中には泥染めをしないイグサを使う場合もあるのだ。
泥染めをしない場合、イグサがもともと持っている油脂成分が表面に出てくるので水をはじき、つやつやな見た目になるんだけど、吸湿性は落ちるのだ。
でも、水をあまり吸わなくなるので、カビは生えづらくなるみたい。
香りについてはイグサ本来の、甘い草の香り(人によっては青物臭い?)。
でも、泥のコーティングない分だけ材料としてはもろくなるので、畳に加工するのは技術的に難しくなるんだって。
これがあまり見かけない理由のような気もするけど。

何はともあれ、ボクは夏涼しく、冬あたたかく、という部分が気に入っているので、しっかり泥染めしてもらったものでよいのだ。
このスリッパの本領発揮ははだしの時。
素肌で触れるとその良さがよくわかるんだよなぁ。
今の住宅はどんどん和室がなくなっているけど、温泉旅館とか行くとちょっと畳があってうれしかったりするわけで。
せめて畳敷きの部屋がなくても、スリッパくらいは、というところかな(笑)

2025/06/21

オホーツクに消ゆ

 梅雨入り後すぐ、猛暑が続いている。
まるで真夏のような天気。
青い空、白い入道雲、強い日差し・・・。
でも、梅雨明けじゃないんだって。
まだ雨が戻ってくる可能性もあるから、とか。
確かに、ここ最近の天気図を見ると、例年なら日本列島を東西に貫いているはずの「梅雨前線」がないのだ。
かわりに、南からの高気圧(太平洋気団)が張り出してきていて、夏休みの時期のような威圧配置になっている・・・。

前線というのはもともと、2つの異なる気団が接触した部分のこと。
あたたかい空気と冷たい空気、乾燥した空気と湿った空気、と気団はそれぞれ特徴があるんだけど、異なる性質を持つ気団同士が接触した場合、容易に混じり合うものではないのだ。
十分に時間が経過すれば均一に混ざるはずなんだけど、実際には温度や湿度が不連続になる、不安定な境界面ができるんだよね。
それが前線。

あたたかい気団が張り出してきてもともとあった冷たい気団の上に覆いかぶさってくる場合にできるのが温暖戦線。
逆に、冷たい気団が張り出してきてあたたかい気団の下に潜り込んでくる場合にできるのが寒冷前線。
一般に温暖前線ができると広範囲にわたってしとしとと弱い雨が降り、雨が上がると気温が上がるのだ。
あたたかい気団が押し寄せてきているから当たり前だけど。
いわゆる春先の雨はこんな感じだよね。
一報、寒冷前線の場合は、あたたかい気団が一気に持ち上げられて積乱雲が生じ、狭い範囲で強い雨(場合によっては雷雨やひょう・あられ)が降って、雨が上がると気温が下がるのだ。
夏休みも終わるころの夕立なんかはこの典型だよね。

で、あたたかい気団と冷たい気団の勢力が拮抗している場合には、どちらも押し負けないのでしばらく前線が存在し続けるのだ。
これが停滞全線で、梅雨前線や秋雨前線がこれ。
前線のあるところは非常に不安定な状態で雨が降りやすいんだけど、どちらも引かないとそれが長続きするので長雨になるのだ。
梅雨前線の場合は、最終的に南からのあたたかい気団(太平洋気団)が冷たい気団(オホーツク気団)を北に追いやる形で夏の気圧配置になって終わるんだけど、それとほぼ同じような状態になっているのが今の天気図。
あたたかい気団が強すぎて前線を飲み込んでしまった状態なのだ。

秋になるころには、北の冷たい気団が勢力を回復してきて南下し、あたたかい気団と再度押し合い・へし合いをするのだけど、その時にできるのが秋雨前線。
秋の長雨(秋霖)なのだ。
で、そういう季節的変化でなくとも、なんらかの理由で冷たい気団が弱まっているだけなら、また冷たい気団がせり出してくることもある、すなわち、また拮抗状態になって前線が復活する可能性がある、ということで、梅雨明けではないだろう、と予測されているのだ。
レアだけど、過去にもそういうことがあったみたいだし。

ただし、けっきょく冷たい気団が再び降りてくることがなければ、後から見てこれが「梅雨明け」になってしまうこともあるんだよね・・・。
そうなると2~3日しか梅雨がなかったことになる。
さすがにそれはないよね。
空梅雨にもほどがある!

2025/06/14

おさない・かけない・しゃべらない

 フランスにいた時、何度か火災報知器が鳴って中庭に避難する、みたいなことがあったのだ。
ま、誤報なんだけど。
で、その時思ったのが、日本人が整然と非難行動をとるのに対し、フランス人は勝手気ままでだらだらやってる、ということ。
そういえば、こういう動きって子供のころから学校で訓練させられるから慣れているんだよなぁ、と実感したよ。
フランス人は幼稚園生のような動きだから、やはり訓練が足りない、というか、そもそもしたことがないのかも・・・。

日本の場合は、関東大震災の経験を踏まえ、避難訓練・防災訓練というものを定期的にやることになっているんだよね。
災害対策基本法では、地方自治体は防災計画を作るべきこと、公的な施設や組織には災害予防責任者を置くこと、災害予防責任者は防災計画に従って防災訓練をすべきこと、などなどが定められているんだ。
実際に小中学校の教育課程にもきちんと避難訓練や防災訓練が組み込まれているんだよね。
これにより、日本人の場合は子供のころから定期的に避難訓練・防災訓練を重ねてきているのだ。
それこそやったことがない人なんていないんじゃなかろうか?
大人になって働き始めてからもあるところにはあるからね。

これが実際のインシデントに遭遇した際の動きの違い。
日本の場合、けっこう大きな地震があっても訓練の成果で初動でどうすべき、ちょっと落ち着いてきたらどうすべきかなどが刷り込まれているので、多少パニくってもなんとかなっているんだよね。
これが大事なわけ。
でも、じつは訓練によって通り一辺倒の動き方になることの危険もあるのだ。
東日本大震災の時は津波から逃げなくてはいけないので、なんとしても高台に避難すべきではあるんだけど、平時の訓練どおりにいつも行っている低地の避難所に避難してしまったがゆえに命を落としたケースなんかもあるらしい。
誰でも彼でも臨機応変には動けないけど、指示を与えてあげればきびきびと動けるようにはなっているので、これはむしろ非難を誘導する立場の人の問題かもしれないけどね。

では、海外では避難訓練をしていないのか、というと、全くゼロでは泣けど、日本のように定期的に行うのはまれみたい。
イタリアやギリシアなんかは日本と同じ地震・火山大国なんだからやってもよさそうだけど、お国柄かな?
日本の場合は関東大震災で逃げ遅れて火災に巻き込まれた人が多かった、というところから来ているから、災害被害の状況がことなるのかもだけど。
でもでも、日本ではほかの国で発生したらすごい被害になりそうな災害でも被害は小さかったりして、それが避難がうまくできていたから、なんてケースが知られるようになると、日本式の避難訓練を取り入れようという動きもあるみたい。
防災先進国としてこういうのはぜひ売っていきたい話なのだ。

しかし、よくよく考えてみると、年に数回程度の避難訓練だけでみんながきれいに動けるか、というと、そこはちょっと違うかもしれないんだよね。
日本はまたまたの特殊事情として、運動会やら入学式・卒業式やらで整然とした団体行動をとる訓練をしているのだ。
隊列を乱さない、なんてのはお手の物。
逆に言うと、欧米なんかだと軍隊にいた経験でもない限り、こういうのは不得意そうだよなぁ・・・。
なので、避難訓練のやり方だけ教えてもうまくできないおそれがあって、こういう普段からの団体行動とパッケージで教えないとダメかもしれないのだ。
マス・ゲーム的な動きは中国や北朝鮮が得意とするところで東アジアの十八番のような気もするけど、チア・リーディングとかシンクロナイズド・スイミングとか複数名で秩序ある動きをすることはできているので、やっぱりなれの問題なんだよなぁ。

あとは、そういうのはせずにのびのびとやらせたい、というのと、災害時の行動上のリスクとを天秤にかけてどう判断するかだけどね。
しかしながら、地球温暖化の影響か災害は激甚化してきているから、一定程度の避難訓練はしておかないともたないような気はするけどね。
学校教育における体育は軍事教練の残滓だ、なんていう人もいるけど、こういうメリットもあるから、やっておいて損はないように思うよ。
運動が苦手で成績もよくなかったボクでもそう思う(笑)

2025/06/07

ノーヘル・ノー免許

 自転車の同労交通法違反に対する厳罰化について報道されているのだ。
すでに昨年11月の道交法改正で、自転車の「(スマホ)ながら運転」や「酒気帯び運転」が厳罰化されているんだよね。
これは自転車による交通事故が増えているという社会状況を受けたもの。
で、現在報道されているのが、これら自転車の道交法違反について、自動車や自動二輪と同じように「反則金制度」、いわゆる「青切符」が来年4月から導入される方針になっている、というもの。
警察庁はパブコメを経て、道路交通法施行令を改正し、自転車をその対象に追加するつもりみたい。
そうなると、
 (1)「ながら運転」で12,000円
 (2)「遮断踏切立入」で7,000円
 (3)「信号無視」で6,000円
 (4)「逆走・歩道通行などの通行区分違反」で6,000円
 (5)「一時不停止」で5,000円
 (6)「ブレーキなどの制動装置不良」で5,000円
 (7)「無灯火」で5,000円
 (8)「傘さし・イヤホン運転」で5,000円
 (9)「二人乗り」で3,000円
の反則金になるよ。
警察官に見つかって青切符を切られた瞬間に金銭的なペナルティがかかることになるのだ。
自転車通学している中高生だろうと対象なので、しっかり交通ルールを知ってもらわないとお小遣いがすぐになくなる・・・。
「ながら運転」は自分でも悪いと思っているだろうけど、「一時不停止」なんかは知らない可能性が高いよね(>_<)

で、ボクが思った感想は、自転車もそうだけど、もっと「質が悪い」電動キックボード(LUUPなど)を取り締まった方がよいのでは?、というもの。
高速道路に侵入したうえで逆走したり、信じられない乗り方をしている人もいるようなのだ。
運営会社はアカウント削除で二度とサービスが使えないようにするとかなんとか言っているけど、そういうことじゃないんだよなぁ・・・。
なので、警察に違反者を取り締まって、交通ルールを守らなければならないことを知らしめてほしいわけ。

でも、この電動キックボードなどが含まれる「特定小型原動機付自転車」という車両種はかなり特殊。
ヘルメットの着用については、一般原動機付自転車が必須なのに対し、自転車と同じく努力義務。
だけど、規格上制限速度が20km/h以下に設定されているので、実際はかなりのスピードで走っているよね。
これが自転車と同じでよいのか?
とはいえ、カテゴリ的には「原動機付自転車」に入っているので、昨年11月に自転車が追加される前から「ながら運転」は禁止だし、もちろん、酒気帯び運転など決して許されないのだ!
実際には、飲み会帰りにスマホで通話しながら乗っているなんて人もいるようなんだけど・・・。

で、こちらの電動キックボードはもともと反則金制度の対象なので、自転車の取締強化を待つことなく、いますぐにでも危険運転に青切符をきれるのだ。
最近になって多少そういう事例もでてきているようだけど、街中で「絶対アウト」的な乗り方をみかけるんだよなぁ。
それを見ると、自転車の反則金制度というのの実効性が疑われる。
でもでも、むしろ、自転車追加で取締強化する必要があるから人員を増やして体制を強化します!、ということであれば、ついでに取り締まってもらえるかもしれないよね。
実はそこに期待しているのだ。

ちなみに、原動機付自転車の反則金は自動二輪と同額で設定されているので、「速度超過」で6,000~20,000円、「ながら運転」で12,000円、「信号無視」で6,000円、「通行区分違反」で6,000円、「合図不履行違反(ウィンカーなしでの右左折)」で5,000円など。
けっこうな反則金収入がありそうだけどなぁ。
自動車の「ネズミ取り」するより、こっちの方が稼げそうな気がする。
街中も安全になるし。
一度一斉取り締まりをしてみてほしい。

2025/05/31

こまい話

 進次郎農相の機動力で、放出された備蓄米が店頭に安価に並ぶようになった。
なんだかすごいセクシー。
これを受けて、テレビなんかでは「古米のおいしい食べ方」みたいなのを特集しているよね。
古米くらいならさほど問題ないし、むしろ寿司屋さんなんかは好んで古米を使ったりするんだけど(水分含有量が少ないから寿司酢を混ぜるのに向いているらしい。)、今回の放出は古古米や古古古米といった2~3年前のお米。
テレビに出てくる(自称)専門家は、「普段であれば家畜の飼料用に回していたようなもので、臭くて食べられたものではない」とか言っているけど、進次郎大臣は報道陣の前で食べて「どれもおいしい」と言っていたね。
もともとお米のにおいが苦手な人がいるから、そういう人にはきついんだろうけど、あまり気にせずに食べられる人も多いということかな?

この古いお米の臭み、「古米臭」の主成分はヘキサナールというアルデヒド。
米ぬか中の遊離脂肪酸が酸化されることで出てくる物質で、草いきれや大豆の「青臭さ」のもとなんだそうだよ。
米ぬか中には「米油」が搾り取れるほど多くの油脂が含まれているんだけど、菜種や綿実なんかとは違い、そこに同時に脂肪分解酵素のリパーゼもたくさんあるらしいのだ。
普通は子房の形にしてエネルギーを蓄えるので、分解酵素はえんるぎーを取り出すときに出てくると思うんだけど、米ぬか中には最初から多くの分解酵素が含まれているみたい。
玄米の状態って本来は温度と水分で発芽の条件を待っている状態なわけだけど、条件が整い次第ロケットスタートでエネルギーを取り出して発芽するぞ、ということなのだろうか?
とはいえ、実際にリパーゼが多く含まれているので、玄米は保存中に脂肪が分解されて遊離脂肪酸というのが出てくるのだ。

その遊離脂肪酸のひとつがn-ヘキサン(ノルマル・ヘキサン)で、これが酸化されるとアルデヒドのヘキサナールができてくるのだ。
さらに酸化されるとカルボン酸のカプリン酸というのになるんだけど、これはヤギの臭みだって。
イメージしづらいけど。
炭素数が4~6くらいのアルデヒドやカルボン酸(C4のブチナール/酪酸、C5のペンタナール/吉草酸、C6のヘキサナール/カプリン酸)はどれも悪臭で知られているんだよね。
この悪臭の鯨飲となるカルボン酸もアルコールとエステル結合するとフルーツ系の方向成分になるから不思議。
逆に言うと、よい香りを持つものは裏腹にこういう悪臭成分も併せ持つということなのだ。


これらの物質は揮発性があるので熱をかけるととんでいくわけだけど、これは炊飯という調理方法とはいまいち相性がよくないんだよね・・・。
つまり時間をかけて加熱しながら水分を浸透させていくわけだけど、通常二をするなどしてちょっと加圧するので、この悪臭成分が焚いている最中のお米にも映ってしまうのだ。
最初にふたを開けておいてにおいを確認しながら臭くなくなったらふたをする、とか、リゾットやピラフのように先に生米を炒める、みたいなやり方だとましになるかな?
よく知られている方法に、少しお酒を入れて炊くとよい、というのがあるけど、これはアルコールが一緒に混ざっていると、共沸という現象でアルコールと揮発性のある子^る成分がまだ温度が高くない状況で先にとんでくれるのでにおい移りしない、ということみたい。
「共沸」というのは沸点が異なるもの同士が混ざっているときに分留できずに一緒に混ざったまま蒸発していく現象のことだそうだよ。

もうひとつの解決策としては、炊く前に氷を入れておく、というのがあるのだ。
こうすることで、釜(又は鍋)の中があたたまるのに時間がかかる、つまり、悪臭成分は蒸発していくけど水分はさほど蒸発していかないという温度状態がちょっと長くなるので、においが移りづらくなるみたい。
けっこう簡単な方法だよね。
もちろん、悪臭成分をとばさなくても、そこから取り除くのでもよいわけ。
活性炭で吸着してしまう、というのがスタンダードで、お米と混ぜて炊くと嫌なにおいが取れる活性炭(竹炭など)や素焼きのプレートなんかは市販されているよね。
でも、氷を入れておけばいい、とか、日本酒をちょっとたらせばいい、と言われるとそっちの方が楽なような。

というわけで、仮に放出備蓄米を食べる場合は、そんな工夫を少しするとおいしく食べられるようなのだ。
前にコメの大不作でタイ米を緊急輸入したときは、食べ方を間違えて「おいしくない」という評判になってしまったけど、その二の舞は避けないとね。
古いお米にはにおいがある、というのはあらかじめわかっていることなので、それをちょっとの工夫で回避すればよいだけなのだ。

2025/05/24

虫愛づる万博

 いよいよ開幕した大阪・関西万博。
さっそく入場者数のことが話題になっていたけど、現在の話題の中心は「虫」。
どうも虫が大量発生していて、すごいことになっているらしいのだ。
これが「いのち輝く未来社会のデザイン」かと皮肉られてもいるよね・・・。
体調の蒸しとともに生きるのが未来社会ではないはずなんだけど。

現在大発生しているのはユスリカ。
そう、川や池の近くの水辺で「蚊柱」を作っている小さい羽虫。
広義には蚊の仲間ではあるけど、成虫は口は退化していて生殖活動をするだけの存在なので、人を刺したりするわけではないのだ。
そう、ただ単に「邪魔」、「気持ち悪い」と嫌悪感を向けらるだけで、それ以上の実害はないんだよね。
いわゆる「不快害虫」というやつ。
だったらこの繁殖期間はがまんするか、というのもあるんだけど、報道で見る限りはそのレベルは超えていそうだね。
とにかく、虫、虫、虫・・・、という感じだから。

それと、もろい虫なので、手で払ったりするだけですぐ死んじゃうんだけど、そうなると、虫の体液などがつくわけで。
服についた虫を払おうものなら死骸が服にこびりつく、体液がしみる・・・。
何かされる和じゃないから我慢しろと言われても、目の前がむしだらけだからなぁ。
こういうのは一番込めるよね。
万博協会はアース製薬なんかに協力を求めているらしいけど。

このユスリカの幼虫は「赤虫」と呼ばれるもの。
釣餌に使われたり、ペットの魚の餌にしたりするやうだよね。
あの赤いうねうねしたやつが水辺にいて、それが羽化するんだけど、一匹の雌の周りに大量の雄がぐるぐる回って蚊柱を形成するのだ。
川辺とかで出くわしても気持ちの良いものではないけど、その規模がすごいことになっているみたいだからなぁ。
たまったもんじゃないね。
幼虫の住む水域が富栄養化すると大量発生するようだから、今回の万博の開催に当たって周りの水辺でそういうことがあったんだろうね。

見た目が気持ち悪いとして忌避される虫はけっこういて、便所コオロギことカマドウマとか、本当はゴキブリを食べてくれる益虫なのに見た目が怖いと言われるアシダカグモだとか。
花壇とかにいるダンゴムシも、子供の時は平気で触れたはずなのに、大人になるとちょっと気持ち悪いとか思ってしまうよね。
住宅の密閉度が上がり、住環境化都市化していくと蒸しと触れる機会が少なくなるから余計にそうなるのだ。
でも、せっそk動物ってどうしても哺乳類とは全く異なる慶太をしているから、どうしても意思の疎通ができなさそう、と感じてしまい、それが忌避間につながるんだよね。
逆に、犬や猫はなんか話していることが伝わりそうなのでそうはならないのだ。
好きでカブトムシなんかを飼っている人は心の中で会話しているかもだけど。

万博に戻るけど、今は「不快害虫」のユスリカだからまだいいとして、このまま放っておくとボウフラから蚊が湧いてくる可能性も高いよね。
そうなると実害が出るのだ。
夏になっていけば食べ残しなんかにハエがわくこともあるだろうし、万博の虫対策は今後も大変だろうなぁ。
ああいう埋立地って虫が大量発生しやすい環境なんだから、もう少し事前に対策を打てたんじゃないかとも思うけど、どうなんだろう?
跡地利用のIR(統合型リゾート)のことを考えても、虫対策は大きな課題だよね。
ここで日本の虫対策の技術力を見せるのもありだ。

2025/05/17

百聞が一見を超える

 ネットのニュースで見たのだけど、総務省が実施した委託調査で、ネットで目にした情報をそのまま信じやすい人が半数に上る、という衝撃的な結果が出たのだ。
かつ、その情報を家族や友人と会話したり、SNSで拡散した人は25%程度とか。
こりゃあ、ネットを中心に陰謀論がはびこるわけだ。
全部DSがうらであやつっているギフハブが悪い!

ネットのない時代からうわさが広まる波佐谷というのは想像する以上のもので、悪事千里を走るじゃないけど、過去の調査で「口裂け女」の噂の広がりを計測すると、時速100kmの速さで伝播していっている、なんてのがあったんだよね。
で、こういうのは、本当らしいものより、むしろ、えっそんなことが、適菜八の方が広まるんだよね。
それは当たり前で、誰もがそうだよね、とすぐに納得できるような話にはバリューがないから口の端に上らないのだ。
その内容が衝撃的だったり、サプライズがある方が話題にするよね。
でも、口裂け女の話は子供を中心に広まるのであって大人はまともにはとりあわなかったのだ。
それは面白い話ではあるけど嘘っぽいとすぐに見抜けるから。
でも、子供は信じやすいので広めてしまう・・・。
そういう構図だったはずなんだよね。

ところが、先の調査でいうと、大人であってもフェイクニュースに騙されやすい、ということが浮き彫りになったんだよね。
情報の中身として完全に荒唐無稽と切って捨てられるような「口裂け女」の噂とは違い、もう少し「信じられないけどそう言われるとそんな気がする」的なものだろうから大人が全く信じないわけじゃないだろうけど、問題はそれよりも「ネットの情報」というのがミソだと思うのだ。
会話で話題にする場合、その情報を口に出すときに、本気で信じているのか、半信半疑なのか、デマだと話あったうえで話しているのか、などは明言しなくてもニュアンスでにじみ出てくるよね。
ネットの場合もメールとして転送するとか、ブログを書く、生地にコメントをつける場合はそうなんだけど、X(旧ツイッター)のリツイートみたいな機能の場合は、単純に情報をっ買う産するだけなんだよね。
ボタンをぽちっとするだけで。
なんでその情報を拡散しようと思ったのか本当の意図は読めないのだ。
もちろん、コメント付きで囲繞したうえでポストしてもよいのだけど。

リツイートの場合、その情報がそのままフォロワーのタイムラインに流れていき、拡散されていくんだよね。
で、ここでさらに問題なのが、多くの人は趣味・趣向・主張に従ってSNSをフォローするので、もともと似たような考え方を持つ人にバイアスがかかってコミュニティが形成されているということ。
すなわち、同じ内容の情報に興味を持つ可能性が高く、かる、同じようにリツイートする可能性も高いのだ。
そうなると、自分のSNSのタイムラインには複数のルートで同じ情報が流れていくことになるんだよね。
もともフォロー・フォロワーの関係はかなりバイアスがかかったコミュニティではあるんだけど、人間は自分を基準において物事を考えがちなので、「広くせけにっぱんの人がその情報を支持している」と誤認しがちなのだ。
実際は似たようなことを考えている集団の中での一過性のブームみたいなものなんだけど、コミュニティ内でその情報が拡大再生産されていくなかで、それが真実に思えてきてしまうのだ。
そう、いわゆる「エコーチェンバー」になってしまうのだ。

ネットではやっている陰謀論の多くは、冷静に考えれば「そんなことないだろ」という荒唐無稽なものではあるんだけど、ある種の願望であったり、現実逃避的な感情とかみ合ってしまうと、「信じたくなってしまう情報」になるんだよね。
古来より、人間は自分の認識の限界を超えた事象をものすごく恐れる傾向があって、無理やりにでもこじつけて理解しようとするのだ。
それが雷は雷神が太鼓をたたいて落とすものだ、とか、貧乏神に取りつかれて落ちぶれた、とかそういう続伸なわけ。
それと同じように、自分では理解不能なことを自分でも受け入れ可能な、かつ、他責的なこじつけをしてくれるようなトンデモ論には一定の魅力があって、無意識化には「それにのっかりたい」という願望があるのだ。
そういう状況下で、SNSで何度もそのトンデモ論が流れてきて目にするようになると、「一見信じられないような話だが、これだけ多くの人がその情報を拡散しているのならば、これは真実なのではないか」と思い込んでしまうんだよね。
こうなるともうあとは転げ落ちていくだけ。
ほぼ自己暗示の世界だけど。

最近は「コミュニティノート」機能があるので、善意の第三者から冷静なツッコミがはいることもあるけど、SNS情報が容易に拡散すること、かつ、同じような思想を持つ集団の中でエコーチェンバーになりやすいことは、ネットで陰謀論が広まる重要な要因だと思うんだよね。
なので、ネットの情報とはそういう性質を持っているものだと理解したうえで、適切に一定の距離を置いて受け止める必要があるのだ。
とはいえ、ボクもこの調査の話はニュースで見ただけで原本(一次ソース)には当たっていないので、すでに誤情報に踊らされているおそれはあるのだけど・・・。

2025/05/10

似て非なるポピー

 4月から5月にかけて、道端でかわいらしいオレンジの花をよく見かけるのだ。
ボクは「ヒナゲシ」と認識していたのだけど、実際には「ナガミヒナゲシ」という種類らしい。
紀和得て繁殖力の高い帰化植物で、それこそ生命力が高いことで知られるぺんぺん草(ナズナ)と同じくらいどこでも見かけるのだ。
この時期は花があるから余計に目につくんだよね。

このナガミヒナゲシやヒナゲシは名前にも入っているとおり「ケシ」の仲間。
ケシと同じように、花弁が落ちた後に子房が膨らんできて果実になるんだけど、未成熟なうち、いわゆる「芥子坊主」の打開で傷をつけると白い乳液がにじみ出てくるのだ。
ケシの場合はそこに大量のモルヒネなどのあへんアルカロイドが含まれているのだ(だいたい重量比で10%くらい)。
この状態が「生あへん」で、実はこれをあぶって吸引するだけでも十分なくらいなもので、古代から利用されてきたのだ。
よい純度の高いものはここからさらに生成していって白い粉にしていくんだ。
なお、現在では、芥子坊主に午前中に傷をつけ、午後に固まった粘液をかきとって、という「へらかき」の工程は人手がかかるのであまりやられておらず、茎ごとすりつぶして化学的に麻薬成分を抽出するようになってきているらしい・・・。

ヒナゲシやナガミヒナゲシは乳液は出るけどそこに麻薬成分は入っていたのだ。
で、芥子坊主が縦長なので「ナガミ」という名前になっているよ。
大きさはピーナッツくらい。
確かに、オレンジの反が終わるとそんな「こんぼう」状のものが風に揺られているよね。
これが成熟すると中に小さい黒い種が大量にできて、風で揺れると先端に空いた穴から放出されてあたりに種をばらまく、という感じで増えていくのだ。
土壌が悪くても、多少乾燥していても生えてくるので、どんどん繁殖するし、地表部分は枯れても越年してしまうのでなかなか駆除できないやっかいものだよ。
花はきれいで、ヒナゲシなんかはフランスの国花になったり、中国では虞美人草として親しまれたりしているくらいだから。

この、よく見るナガミゲシと紛らわしいのが、同じく繁殖力の強い帰化植物のアツミゲシ。
最初に渥美半島で群生しているのが見つかったのでその名前がついているのだ。
これは白~紅~赤紫の花を咲かせるポピーの花で、花の色以外はよく似ているようなのだ。
問題は、こっちのアツミゲシには麻薬成分が含まれていて、「あへん法」により栽培が原則禁止されているものだということ。
知らないで栽培してしまう例もあるみたいだけど、問題はけっこう勝手に自生していることみたい。
繁殖力が強く、駆除も困難なので、過去に群生が発見された地域では一番見つけやすい花の咲く時期にパトロールもするそうだよ。

このアツミゲシは、通常アヘン栽培に用いられるケシよりは小型で、芥子坊主も小さいのだ。
なので、伝統的な「へらかき」の行程は大変なので、麻薬の原料として栽培されることはないんだけど、科学的に抽出する方法を使えばそこもクリアできちゃうんだよね・・・。
わざわざ栽培はしなくても、群生地を見つけたら刈り取ってそこから麻薬成分を抽出するくらいはできてしまうのだ。
ニュースで調べてもけっこう出てくるので、かなり帰化植物として広まっているんじゃないかな。

ちなみに、あへん法で禁止されているのは、麻薬原料となるケシの栽培とあへんの採取・所持等なので、きれいな花だなと思ってアツミゲシの花を摘んでくるのはOK。
それを鉢に植え替えて育てるのは×。
もちろん、そこから麻薬成分を取り出すのも×。
ニュースで取り上げられているものの多くは、ヒナゲシの群生かと思ったらアツミゲシだったので処分した、とかなので問題ないのだけど、最近の報道では、山口県の地域交流館で誤ってアツミゲシの寄せ植えを販売した、なんてのがあるので、これは違法耕一うことになるよ。
よくよく花の色に気を付けたうえで、できればその場で楽しみにとどめて持ち帰らないのが身の安全上は重要かもね。
李下に冠を正さず。

2025/05/03

外の血(知)を入れよ

 酒井美紀さんが不二家の社外取締役になったことが話題になったり。
フジテレビが経営改革の一環で社外取締役の人数を増やしたり。
社外取締役ブームが来ているのだ(誤)
でも、会社の経営を担う取締役でありながら「社外」ってなんか矛盾してない?
外様大名でありながら家康公の側近として辣腕を振るった藤堂高虎みたいな、的な?
というわけで、少し調べてみたのだ。

「社外取締役」というのは、会社というものの基本放棄である会社法にきちんと定められているものなのだ。
まだ会社法が商法の一部だった平成14年(2002年)の商法大改正で法的な位置づけが与えられ、平成17年(2005年)に会社法が独立してからは会社法で規定されているのだ。
なので、法律にていっがある以上、わりと簡単に調べはつくんだよね。
ただし、それが一般人にすっと理解できるかどうかが問題なだけで。

現在の定義は、平成26年(2014年)の会社法大改正で厳格化されたもので、会社法第2条第15号に5つの要件があげられているのだ。
どれも、外からの視点でその会社の経営に物申す、というコンセプトを踏まえたものだよ。

イ号「当該株式会社又はその子会社の業務執行取締役(株式会社の第三百六十三条第一項各号に掲げる取締役及び当該株式会社の業務を執行したその他の取締役をいう。以下同じ。)若しくは執行役又は支配人その他の使用人(以下「業務執行取締役等」という。)でなく、かつ、その就任の前十年間当該株式会社又はその子会社の業務執行取締役等であったことがないこと。」
これはわかりやすくて、少なくとも10年以上その会社の「中の人」ではなかった、ということだよね。
会社とのかかわり方を網羅的に書き下しているから少しわかりづらいけど。

ロ号「その就任の前十年内のいずれかの時において当該株式会社又はその子会社の取締役、会計参与(会計参与が法人であるときは、その職務を行うべき社員)又は監査役であったことがある者(業務執行取締役等であったことがあるものを除く。)にあっては、当該取締役、会計参与又は監査役への就任の前十年間当該株式会社又はその子会社の業務執行取締役等であったことがないこと」
これは正直なところ頭の中に「?」が浮かんでしまうけど、やっぱり「中の人」ではなかったことを言っているんだ。
会社組織には、会社の業務を遂行する「中の人」とその業務遂行を管理・監督する立場の人がいて、前者をダメと言っているのがイ号。
「業務遂行を管理・監督する立場の人」というのが、業務を執行しない取締役(基本的には「社外取締役」)、会計参与、監査役などということで、この役割自体は10年以内に担っていたことがあってもいいんだけど、その役職に就く前の10年間は「中の人」だった場合はダメ、と言っているのだ。
つまり、3年前に一度監査役に就任した人は一次予選は突破できるんだけど、3年前からその10年前にあたる13年前までの間に「中の人」だった場合は二次予選敗退、ということなのだ。
会社の期bにもよるけど、経理部長かなんかで定年を迎え、一度退職した後に監査役で迎えられたような人を社外取締役につかせることはできないというわけなのだ。

ハ号「当該株式会社の親会社等(自然人であるものに限る。)又は親会社等の取締役若しくは執行役若しくは支配人その他の使用人でないこと」
これはわかりやすいね。
これまではその会社かその子会社だけを対象にしてきたけど、さかのぼって親会社から下ってくるのもダメ、ということなのだ。
フジテレビの例でいうと、親会社は持株会者のフジ・メディア・ホールディングスで、子会社がフジテレビジョン、そのフジテレビジョンの子会社(フジ・メディア・ホールディングスから見れば孫会社)が、アニメ制作などをしているデイヴィッドプロダクション(「はたらく細胞」や令和版「うる星やつら」、「炎炎ノ消防隊」などを手掛けている。)という感じ。

ニ号「当該株式会社の親会社等の子会社等(当該株式会社及びその子会社を除く。)の業務執行取締役等でないこと」
これも一瞬わかりづらいけど、兄弟会社の「中の人」もダメ、ということ。
フジテレビでいえば、産経新聞やニッポン放送の「中の人」はフジテレビの社外取締役にはなれないのだ。

ホ号「当該株式会社の取締役若しくは執行役若しくは支配人その他の重要な使用人又は親会社等(自然人であるものに限る。)の配偶者又は二親等内の親族でないこと」
これも少し難解だけど、「中の人」そのものじゃなくても、特に影響力のある重要な「中の人」の親族もダメ、ということなのだ。
同族経営みたいになるけど、代表取締役社長の配偶者、親兄弟は普通の取締役にはなれても、社外取締役にはなれない、ということ。

そういう意味では、会社の業務の中身はわかりつつ、直接関係してこなかった人、という難しいような、誰でもいいような感じの人を当てないといけないのが「社外取締役」なんだけど、取締役会設置会社の場合は二人以上置かないといけないので、誰かしら連れてくる必要があるのだ。
そういうわけで、財務省などの高級官僚を「天下り」で迎えてみたり、著名人を連れてきて宣伝を狙ってみたり、ということが起こるのだ。
酒井美紀さんの例は、取締役会の女性比率の向上とそのネームバリューからの起用のようだよ。

2025/04/26

内なる〇〇を燃やせ

 お葬式に参加してきたのだ。
仏式だったのでお焼香をしたのだけど、なんで粉末状のお香が燃えるのか実はよくわかっていなかったんだよね。
灰の上に置かれている四角いものが熱源であることはしっていたのだけど、今回知ったのは、それが「炭」だったということ。
熱した石とか電熱だとか、そういうのを想定していたのだけど、よくよく考えれば仏教の儀式でお香を焚くのは非常に歴史があることだから、納得がいくよね。
石を熱してもよいけど、そんなに熱が長持ちしないし。

今回、お焼香の準備をしているのをたまたま見たのだけど、表面が銀色の何かにコーティングされた四角い炭にろうそくで火をつけ、それを灰の上に置いていたのだ。
炭が燃える場合は2種類あって、炎を上げてまさしく燃えている「燃焼」状態と、炎は出さずに赤熱しただけの状態でゆっくり燃える「熾火(おきび)」状態があるのだ。
炭火焼肉屋ら焼鳥、ウナギの蒲焼なんかでも燃え盛る炎に当てて焼いている絵わけではなく、静かに炎を上げずに燃えている炭から一定程度距離を話して焼いているよね。
遠赤外線というやつだ。
お焼香もこれと基本的には同じ原理でお香を焚いているようなのだ。

この炎を出さないで燃えている状態を「無炎燃焼」というらしいのだ。
炭の表面で炭素の酸化反応(C+O=CO)が起きていて、これが発熱反応なので燃焼に必要な温度が維持されるのだ。
この「炭の表面」というのがみそで、外側というだけでなく、多孔質の炭の場合は中心部も含めて空気に触れている面が多く、そこ全体で反応が起きているのだ。
つまり、炭全体がゆっくりと酸化反応を起こして発熱している感じ。

この状態はゆっくりしたものなので、火力はそこまで高くないけど長時間じっくりと焼けるというメリットがあるのだ。
これが炭火焼きでつかわれる所以で、火力が強すぎると食材の表面だけが焦げて中(中心部)は生の状態になってしまうわけだけど、弱めの熱でじっくり焼くので中心部まで火が通るのだ。
仲間で熱を通す過程で余計な脂も落ち、水分も適度に保持されながら焼けていくので、ふっくらと焼けるという寸法だよ。
焼鳥なんかでは重要だよね。
ステーキの焼き方だと、まずは表面を焦がして肉汁が漏れないようにし、じっくりと中まで火を通す、みたいなことをするわけだけど、基本的に肉類はゆっくりと被を入れた方が柔らかく仕上がるんだよね。

お焼香に使う熱源の炭はそのまま「焼香炭(しょうこうたん)」というものらしいいんだけど、これは1時間くらい燃え続けているみたい。
抱いた仏式のお葬式の読経は30~40分程度であることを踏まえると、ちょうどよい長さだね。
お通夜や葬儀が始まる前に火をつけておけば、よほどのことがない限りお焼香の間は熱源として使えるのだ。
お葬式はそれでよいのだけど、ずっとお香を焚き続けるような場合は炭だけだとつらいよね。
なので、高炉の中には電熱式のものもあるみたいなのだ。
アロマオイルを使う香炉なんかだと電熱式で下から水を温めて、その上にオイルを垂らすようなタイプが多いよね。

逆に、むかしは常にお香を焚いておきたいときは、お香自体を燃えるようにしていたのだ。
そう、お線香。
お線香は香料の成分を練ったうえで燃やしやすいように加工したもの。
これも炭と同じように炎を上げずにゆっくりと燃焼していくのだ。
浅草寺のようなお寺にはもくもくと煙が出ている「常香炉」は、参拝者が煙を浴びられるように常にお香を焚いているわけだけど、あれは常にお線香を焚いているのだ。
仏式のお通夜も寝ずの番でお線香を絶やさない、みたいなのがあるけど、やはり長時間の場合はお線香を焚き続けるというのが基本みたいだ。
作り方によるけど1時間くらい燃える続けるものもあるからね。

2025/04/19

紅白うお合戦

 先日、ファミレス型の回るお寿司に行ったのだ。
タッチパネルでも注文できるのだけど、そこで疑問が出てきたわけ。
サバやアジ、イワシなどの青魚が「白身魚」のカテゴリーの中に入っている!
え、光物って白身だっけ?
というわけで、ちょっと調べてみたのだ。

白身魚と赤身魚の違いはその名前が示すとおり、身の色。
人間でも、短距離走の選手はミオグロビンの少ない白筋(速筋)がメインで、逆に長距離走の選手はミオグロビンの多い赤筋(遅筋)が多いというけど、魚も同じみたい。
白身魚の多くはスプリンタータイプで、普段はあんまり動かず、エサを見つけた時や敵から逃げるときにさっと素早く動くような魚なのだ。
赤身魚の多くはマラソンランナータイプで、マグロやカツオのように常に泳ぎ続けていないとダメなやつ。
実際に白身と赤身は100gあたりのメモグロビン・ミオグロビンの含有量で区別するそうで、10mg以上が赤身、10mg未満が白身ということらしい。

白身魚の場合は、ミオグロビンが少ないという特徴のほか、コラーゲンが多いという特徴もあるのだ。
これは煮魚にしたとき決定的で、マグロなんかをねぎま鍋とかで煮て食べる場合、身はどちらかというとぱさぱさ下感じの仕上がり。
一方、カレイやキンメダイの煮つけの場合、コラーゲンが溶け出して煮凝りができるよね。
白身魚は熱で溶けだすコラーゲンが多いので加熱すると身を崩しやすいのだけど、逆に、それがあるからこそ、似て食べる場合は柔らかくなるのだ。
逆に、赤身魚の場合は、加熱すると水分が少なくなって固くなる傾向があるので、「火を入れ過ぎない」ことがおいしく食べるこつだったりするよね。

で、外観はそんな感じなんだけど、具体的に振り分けていくと、あ、そうなんだ、っていうのがいくつかあるんだよね。
一つはサケ・マス類。
身がオレンジ色なので赤身のようにも思えるけど、見は白身。
身がオレンジ色なのはエサとして食べているオキアミなどの甲殻類の持っている色素、アスタキサンチンによるもの。
ミオグロビンの色ではないのだ。
サケ・マス類は川を下って海に出て川に戻ってくる生体で知られるけど、河川残留型或いは陸封型といって海に下らずに淡水域に留まる連中もいるんだよね。
例えば、渓流釣りのヤマメはサクラマスの陸封型、逆に、塩鮭としてよく食べられるベニザケが陸封型になるとヒメマスになるのだ。
で、降海するサクラマスやベニザケは身がオレンジ色なのだけど、淡水域に留まるヤマメやヒメマスは身が白いんだよね。
かつ、その卵(イクラ)の色も違って、降海型はよく見慣れた赤い卵、陸封型は黄色い卵なのだ。
陸封型のサケ・マス類の卵は黄金イクラなんて呼ばれることもあるのだ。

問題の青魚だけど、一般的には赤身に分類されるのだ。
確かに味の刺身の色なんか見れば赤身だけど、サバって白くない?
でも、さっきのミオグロビン含有量で行くとサバも赤身みたい。
おそらく、血合いの部分は非常に色が濃く、そこはミオグロビンがたっぷりだから、全体を通してみると赤身になるっぽいのだ。
そう考えてみると、サバの味噌煮とカレイの煮つけってやっぱり違うよね。
サバは身がしっかり残っているイメージがあるし。
コラーゲン量も違うのだと思う。

境界線上に入るっぽいのがカジキの類。
カジキの仲間は回遊しているけど、海中屈指のスプリンターでもあるよね。
メカジキなんかは白身に分類されるけど、マカジキ、クロカジキなんかは赤身になるんだそうで。
確かに、ステーキのように焼いたときに、パサつくのとしっとりするのがあるけど、それはその赤身・白身の違いなのかもしれないなぁ。
カジキでひとくくりにしてどのカジキを買っているかあまり意識したことなかったけど、そこを見てみると面白いかも。

2025/04/12

かっふ~ん

 最近テレビのお天気コーナーでも「ヒノキ花粉」情報が出てくるようになったのだ。
前はスギ花粉以外はあまり触れなかったよね?
実際には、ヒノキもスギも同じヒノキ科で近縁種なので、スギ花粉にアレルギーのある人の多くはヒノキ花粉にもアレルギーを持つらしい。
で、スギ花粉が2~4月に飛散するのに対し、ヒノキ花粉はちょっとずれて3~5月に飛散するらしいので、あれ、スギ花粉は終わったはずなのに花粉症の症状が続くな、と思ったらヒノキ花粉もでした、ということらしい。
ボクは幸いまだ発症していないけど、つらい時期がさらに1か月伸びるとなるとねぇ。
確かにヒノキ花粉情報というのも求められているのかも。

スギ花粉とヒノキ花粉は、飛散の時期が少しずれる以外にも違いがあるわけだよね。
粒径はスギ花粉が30~40μm、ヒノキ花粉が28~35μmと、ヒノキの方が一回り小さい感じ。
また、スギ花粉は表面に突起があってとげとげしているのに対し、ヒノキ花粉はのっぺりとしているんだって。
そんな形状の違いで症状も異なると言われていて、スギ花粉が鼻の症状が強く出るのに対し、ヒノキ花粉は目や粘膜の症状が出やすいと言うよ。
とはいえ、アレルギーの症状は個人差が大きいのでそうも一概に言えないのだけど。
どちらも風に乗ると数kmから数十kmも飛ぶらしいので、都心部であっても影響は免れないのだ。
花粉から逃げようと思ったら、沖縄か、小笠原か、北海道か。
結構遠くまで離れないと無理なんだよなぁ。

そもそも花粉症が問題視されるようになったのは症状の原因が特定できるようになったからで、むかしから花粉が飛散する時期に鼻やのどの調子のおかしい人はいた、と言われているのだ。
ただし、その出現頻度はかなりあがっていて、その要因の一つは大気のよごれとも言われているよ。
花粉単独というのではなく、花粉とPM2.5のような大気中の微粒子が一緒に合わさるとアレルギーになる、という考え。
そういう面もあるかもしれないけど、黄砂のような微粒子はむかしから流れていているから、それだけでもないはず。
よくもう一つの要因と言われるのは、スギやヒノキの数が増えたから、というもの。

確かに、戦後の植林では、すぐに使える建材としてスギの植林がすすんだんだよね。
短期間でまっすぐな木材が得られるスギは建材という点では優秀なのだ。
ヒノキは成長に時間がかかるけど、性質的に建材としては最上級のもので需要も多いので植えられていったわけだよね。
これで我が国の人工的に管理している森林の多くがスギやヒノキになっていったわけ・・・。
一方で、伝統的な植林では、スギやヒノキばかり植えていたわけではないのだ。
森林資源として重要だったのは建材ではなく、むしろ薪炭の材料。
化石燃料が主体の今と違って、木炭が重要な燃料だったので、その材料となる木を植えたわけ。

代表的なのはクヌギやコナラ。
そう、どんぐりのなる木だね。
スギやヒノキは実を落とさないので森の動物にとってほとんど恩恵がないんだけど、これらの期は森の生態系を豊かにする効果もあったのだ。
逆に言うと、スギやヒノキを効率的に圧縮して植林すると、動物も寄り付かない「緑の砂漠」になってしまうのだ(>_<)
それに次いで重要だったのがアカマツ。
マツの仲間はまっすぐな木材はとりづらいけど、しなやかで加工しやすいので、梁の材料に使われたりしていたのだ。
かつ、松脂もとれるし、乾燥した松葉は着火剤にも使えるので、非常に便利だったのだ。
しかも、タカなどの猛禽類は枝ぶりから安定的に営巣できるからかアカマツに巣を作ることがおおいらしく、そういう面でも生態系に貢献しているのだ。
確かにスギやヒノキだと鳥が巣を作るのは難しそう。

今では花粉症対策として「花粉の少ないスギ」への植え替えなんてことが行われているけど、生物多様性の確保などの観点を踏まえると、かつての里山管理のような考え方を入れて、いろんな樹種を増えた方がいいんだよなぁ。
それには管理コストがかかるので、ペイするように工夫がいるわけだけど。
ドローンとかを使えば効率的にできるだろうし、もっとまじめに考えないといけない問題かもね。

2025/04/05

炭酸力

 スーパーの和菓子コーナーで、聞きなれない商品を見つけたのだ。
その名も「炭酸まんじゅう」。
草大福やら黒糖まんじゅうと一緒に並んでいた、黄色いおまんじゅうだよ。
その時点ではドンパッチでも入っているのか?、と思ったんだけど(笑)
よくよく考えてみたら、生地を発酵させずに重曹(炭酸水素ナトリウム)で皮を作ったのか、と思い至ったのだ。
でも、まんじゅうの皮ってそもそもどうなんだっけ。

まんじゅうの起源は中国。
中華風蒸しパンである「饅頭(マントウ)」や具入りの蒸しパン「包子(パオズ)」だよ。
日本では多くの地域でお米がとれるわけだけど、埼玉や群馬、長野のようなもともと稲作にあまりむいていない地域では代わりに小麦が栽培されていたし、温暖な吸収や四国は二毛作の裏作で小麦を作っていたんだよね。
その関係で日本でも小麦食の伝統があるわけだけど、そこに食い込んだのだ。
まんじゅうの場合、実は大陸から二系統が伝わってきていて、酒種を使って生地を発酵させる「酒まんじゅう」と発酵させずに重曹で生地をふっくらさせる「利休まんじゅう」の二つだよ。
酒まんじゅうの方が本場のものに近いけど、発酵させるのには温度管理が必要だし、時間もかかるので、重曹を使って簡単にふっくらした皮が作れるのはありがたいわけだよね。

炭酸まんじゅうがまさにそれで、別名を「田舎まんじゅう」と言うんだけど、それはまさに田舎で自分で作って自分で食べるようなまんじゅうだから、ということなのだ。
「利休まんじゅう」は、お茶文化と一緒に発達した薄皮まんじゅうだけど、これは作るのに技術がいるんだよね。
薄い皮であんこを包むのが難しいのだ。
なので、大福のように小麦粉を練って作った生地にあんこを入れて蒸すだけの田舎まんじゅうは皮があついのだま、田舎で食事として食べるものならその方がいいしね。
で、蒸さずに囲炉裏の灰の中で焼くと長野の名物「おやき」になるよ。
ちなみに、上州名物焼きまんじゅうはぐなしの酒まんじゅうを焼くらしい。
実は手間がかかっているみたいなんだけど、これは江戸末期に店で売る商品として開発されたものだから。
埼玉や群馬では小麦食がさかんで、うどんやらまんじゅうやらすいとんやらをよく食事として食べていたらしいので、まんじゅうを作っておいて冷たく硬くなったやつを焼いて食べていた、みたいなのが下地にあったんじゃないかとは思うけど。


この炭酸まんじゅうの特徴は、重曹の効果により皮が黄色くなっていて、少し苦みがあること。
重曹を加熱すると二酸化炭素が発生し、それによって生地がふんわりするわけだけど、二酸化炭素が抜けた後には水産間トリウムが残るんだよね。
これが苦みの原因だけど、市販されているベーキングパウダーの場合は中和剤も入っているので、この苦みが出ないように工夫されているのだ。
黄色い色も水酸化ナトリウムの効果で、小麦粉中に少しだけ存在しているフラボノイド色素が塩基性課で黄色く発色するから。
これはうどんは白いのにかん水(塩基性)を入れあ中華麺は黄色くなるのと同じ。
さらに、塩基性課ではグルテンの結合が強化されるので、ぷりぷりとした歯ごたえが出てくるのだ。
これがうどんと中華麺の弾力の違いなんだけど、実は、乾麺のパスタをゆでるときに少し重曹を入れると中華麺のような食感になるんだよね。
なので、生地を練る段階でなく、ゆでる段階でも作用するようなものなのだ。

今売られているような田舎まんじゅうは、小麦粉と砂糖を混ぜて水で練って重曹を加えてあんこを包んで蒸す、という工程。
そう、あんこのあるなしはあるけど、ほぼほぼ蒸しパンと同じなのだ。
あんこを包んだ蒸しパンと言っても過言ではないね。
ちなみに、あんこを入れる代わりにゆでたサツマイモをサイコロ状に切ったものを混ぜてから成形して蒸せば鬼まんじゅう。
戦前から食べられているとまんじゅうで、戦後になって食べられるようになると蒸しパンという名前になっているのかもしれないなぁ。

2025/03/29

は~い解散、解散

 東京地裁が宗教法人法に基づき旧統一教会に解散命令を出したのだ。
教会側は東京高裁に即時抗告すると早速会見し、場合によっては最高裁まで争い姿勢のようだけど、いつの間にかそこまで話は進んでいたんだね。
報道されないだけで手続は進んでいたようなのだ。
で、今回の解散命令は昭和26年(1951年)に宗教法人法が制定されてから3件目だそうで。
それほど珍しいことなのだ。
でも、個人的には何で裁判所が?、という疑問もあったので、ちょっと調べてみたよ。

まず、宗教法人法の規程。
第81条で解散命令について規定していて、「裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」となっているんだけど、今回は都道府県をまたいで活動してる宗教団体である統一教会の所轄庁である文部科学省が地裁(法人登記の場所なので今回は東京地裁)に解散命令を請求したものなのだ。
で、その請求理由は同条第1号の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」とされているのだ。
刑事事件として検挙されたことはなかったけど、多額の献金の要請や霊感商法などで財産的・精神的被害をもたらしたとする民法上の不法行為を根拠にしている点が注目されているよ。
以前の2件(オウム真理教と明覚寺)については刑事事件を根拠にしているので、さらに一歩踏み出した判断になるからなのだ。

その事前の手続きとして、第78条の2に基づく質問権を7回行使しているんだけど、最初に質問権を行使するときは話題になっていたけど、この質問権というのは、オウム真理教の事件を踏まえて法改正で追加されたものなんだよね。
地下鉄サリン事件というテロ行為を起こして初めて山梨県にあった施設で警察による強制捜査が行われることになるんだけど、坂本弁護士一家失踪事件以来きな臭いことはあったわけで、もう少し情報が取れていれば未然に防ぐこともできたのででは、ということなんだよね。
確かに、当時の教団は相当怪しい活動をしていたので、報告徴収やら質問権行使やらがもっとできていたら、最悪の事件を起こす前に検挙できた可能性はゼロではないのだ。
で、今回、その法改正で追加された質問権が機能したわけなのだ。
行使する前には憲法上は信教の自由が保障されているのでその権利侵害だなんて意見もあったけど、その結果、民事上の不法行為のエビデンスは集まりました、ということなんだよね。

ちなみに、オウム真理教の次に解散命令が出た明覚寺というのは、水子供養にかこつけた霊感商法で詐欺をしていたとして刑事事件になった宗教法人。
もともと本覚寺と名乗っていて、悪名が広まってきたので解明したといういわくつき。
旧統一教会が名称を変えた際にも話題になったのだ。
この時は普通に詐欺罪で警察の捜査が入ったので、質問権の行使などなくてもなんとかなったんだよね。
今回についていうと、刑法犯とまでは言えないような得も言われぬやり口(?)での不当な金集めが問題視され、それが民法上の不法行為に当たるとして、それを根拠に「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」という整理になっているんだ。
でも、この民法上の不法行為を「法令に違反して」という宗教法人法の条文の解釈で行けるかどうかは微妙とみている専門家もいて、おそらくもう少し裁判で争うことになるんだよね。

っていうか、最初にオウム真理教が刑法犯で解散命令が出た時も、最終的に最高裁まで争っているのだ。
「法令に違反し」まではよいとしても、「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる」というのが少し大げさな表現であることが理由だよ。
霊感商法で大規模に詐欺行為を働く、というのは「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる」のか、というこおだよね。
ただし、これは最高裁判決が出ているので、オウム真理教は完全アウト。
明覚寺もテロ行為という国家転覆につながるような大それたことはしていないけど悪質な詐欺を継続して働いていたのでアウト、という整理になっているので、少しずつ外縁が明らかになってきているのだ。
今回の例も、民法上の不法行為まで広がるかどうかは今後の司法判断を待つよりほかないよ。
ちなみに、明覚寺と同じように霊感商法でもんだしされた「法の華三法行」についても解散命令を発出すべく検討されたんだけど、それより先に破産してしまったので、宗教法人としては解散になってしまったのだ。
宗教法人法第43条第2項で「宗教法人は、前項の場合のほか、次に掲げる事由によつて解散する」となっていて、その一つとして第3号で「破産手続開始の決定」が規定されているので、破産すると強制的に解散なのだ。
オウム真理教も破産しているけど、あれは宗教法人としての解散命令が出亜後に破産しているのだ。

2025/03/22

今こそ原点回帰

 そろそろ放出された備蓄米が流通に乗るはずなんだけど、お米の値段はいっこうに下がらない。
っていうか、むしろまだまだ上がっている。
本当に米価は安定するのだろうか?
スーパーに行くと、「お米の代わりに」とか言って、パスタや焼きそば、パンのコーナーに力を入れ始めているのだ。
最近はお米を食べない食生活も広がってきているから、確かにそういうのもありだよなぁ。
でも、このまま値段が上がったせいで米離れが加速し、かえってうれなくなってしまうのだろうか。
ボクもある程度はいいけど、どうしてもお米を食べたくなるときはあるんだよなぁ。

そんなとき、先人の知恵が役に立つのだ。
それが「かて飯」と呼ばれるもの。
埼玉の名物として五目ごはんみたいのがあるけど、あれ。
もともとは米を炊くときに他の材料を入れてかさまししたものなのだ。
特に有名なのはNHKドラマ「おしん」で一気に全国区の知名度になった大根飯。


もともと江戸時代の農家は、自分でお米を作っているのにたらふくお米を食べると言うことはなかなかできなくて、麦や雑穀を混ぜたり、水気を多めにして雑炊やかゆにして食べていたのだ。
そんな少ない米でおなかいっぱい食べる工夫のひとつが「かて飯」。
大根以外にも、エンドウ豆(豆ごはん)、サツマイモ、キノコなどを入れていたようなのだ。
海が近い地域では海藻を混ぜ込むのもよくやられていて、その系統にあるのが、給食で人気のわかめごはん。
刻んだわかめのかすかな磯の香りとほんのりした塩味がおいしいよね。
戦中戦後の食糧難の時代には、トウモロコシやカボチャをまぜたりもしたのだ。
戦中世代はさんざん食べさせられたから、サツマイモやトウモロコシ、カボチャがきらいな人が一定数いるんだよね。

で、もともとは米が少なくてもすむ工夫だったわけだけど、具が入ってあじのついたごはんっておいしいよね、ってことで発展していくのがかやくごはん。
栗ごはんやタケノコごはんはもともとは「かて飯」のカテゴリーだったようだけど、白飯が不自由なく食べられる時代になっ点もおいしいからといって食べ続けられているのだ。
っていうか、少し高級だよね。
豆や山菜、キノコなんかもそう。
ボクは実家で出ていた里芋入りのキノコごはんが好きだったなぁ。

で、米が高くなったいま、米以外の主食を食べるというのもあるけど、この「かて飯」に注目するのもありと思うのだ。
ごはんを食べたいという欲求も満たせるし、お米をがまんしている、という感じも薄いし。
けっこういいアイデアだと思うんだよな。
そんなことを考えていると、ひさしぶりにわかめごはんが食べたくなってきた。
でも、わかめごはんだと大してガサ増やしにならないんだよなぁ。
やっぱり豆ごはんやトウモロコシごはんから始めるのがよいか。

2025/03/15

聞かない力

 ネットで見た情報なんだけど。
精神疾患の症状の一つである幻聴がノイズキャンセリングのイヤホンで軽減するということが報告されているのだ。
え?
実際には音が聞こえていないから「幻聴」なんじゃないの?
それが雑音を消して音をクリアに聞きやすくするノイズキャンセリングでなくなる?
これだけ聞くと意味不明だよね。
ちょっとずつ解きほぐして考えた方が良さそうなのだ。

まず、ノイズキャンセリング技術から。
これは理論的にはそうなんだけど、本当にそんなことができるのか、と個人的に思う技術の一つなんだよね。
音が波の英室を持っているのは周知のとおり。
実際には空気の振動が進行方向に振動する粗密波という波なのだ。
で、波という性質を持つ以上、周期と位相があるわけで、同じ周期で逆位相の波を重ねると、山と谷がそれぞれ打ち消し合うので波がキャンセルされるのだ。
なので、ノイズの音の波の成分を分析し、それを打ち消す波を出してあげればよいわけ。
理屈はそうなんだけど、リアルタイムで音波の成分を分析して逆位相の音波をぶつけるってすごいよね。
実際には完全一致しなくてもある程度打ち消せればノイズは小さくなるので、ある程度予測できればできなくもないとは思うけど。

次は「幻聴」について。
本来的な意味として、聞こえないはずの音が聞こえたと脳が錯覚している状況を指すわけだよね。
聴覚信号については、
 音刺激が耳に入ってくる
=>鼓膜を介して音刺激が生体内信号に変換される
=>聴覚神経から脳の聴覚野に音刺激が来たという情報が伝わる
=>脳内で情報処理をしてその音刺激を「音」として認識する
という流れ。
このうち、特に重要なのは認識の部分で、人間の脳の処理は立派なので、「聞きたい」音は増幅されて、そうでない雑音(虫の声、外を走るトラックのエンジン音などの環境音)は減衰させて認識しているんだよね。
集中してくるとまわりの雑音が気にならなくなる、というやつ。
確かに、いろんな人の話し声が混ざり合った雑踏の中で会話をしていても自分が会話している相手の声だけははっきり聞こえるけど、その背景にある他の人の会話は通常あまり認識されないよね。


精神疾患は「心」という概念を無視すれば、聴覚に関する脳が機能不全に陥っている状態。
この場合、脳内の音刺激の情報処理がおなしなことになると、聞こえていないはずの音が聞こえたように誤認してしまうのだ。
ただし、どうもそれにもさらにサブタイプがあるようで、
・全く何も聞こえていないのに音が聞こえると錯覚している
・本来雑音として「あまり聞こえない」ように処理すべき音が意味のあるような音(多くの場合他の人の話し声、しかも、自分を罵倒や嘲笑するような声)に誤認している
というような場合があるのだ。

後者の場合、ノイズキャンセリングできるとトリガーになる雑音が減るのでこうかはありそうだよね。
でも、実は前者の場合でも、ノイズキャンセリングで雑音は聞こえないんだ、という安心感と言うか、プラセボ効果により、そういう錯覚をしなくなる、というケースがあるようなのだ。
音がしない部屋に入れても自分をののしる声が聞こえる、という症状を訴える患者さんであっても、ノイズキャんセリングのヘッドホンを装着させると落ち着くことがあるんだって。
こうなると、機能不全とはいいながら、精神的な状態が機能に影響を与えているということになるので、また「心」という問題に戻ってくるんだよなぁ。
なかなか脳の高次機能と言うのは難しい。
とはいえ、器質性ではない耳鳴りなんかの場合は精神的な原因かもしれないので、その場合はノイズキャンセリングヘッドホンがおすすめだよ、ということ。

2025/03/08

たたいて固める

 難読語の一つ、「三和土」。
これは「たたき」と読むのだ。
今では玄関で履き物を脱ぐスペースを指すけど、もともとは伝統的な日本家屋で板間に上がる前の土間の部分のこと。
日本は履き物を脱いで家屋に上がる文化だけど、炊事場や作業場などは土間にあって、履き物をはいたまま過ごす場所だったんだよね。
単純に足元が汚れるからなんだけど。

で、この土間は土をたたき固めて作られていたので「たたき」と言うのだ。
「敲き土」というもので、安山岩や花崗岩が風化した土(火成岩由来のその辺にあるさらさらした土、非アルカリ室)に消石灰とにがりを加えて練ったものを塗ってたたき固めたもの。
しっかり固めると誇りも立たなくなるし、水もあまりしみこまなくなるのだ。
コンクリートのなかった時代には重要な建築部材だったんだって。
で、三種類の材料を混ぜて土を固めるから「三和土」という字を当てるのだ。
今ではコンクリで打ち固めてあっても「三和土」と呼ぶのだけどね。

で、土間と板間の境界にあるのが「上がりかまち」。
まだ草履や草鞋を履いていた時代は、上がり框に腰かけて足を洗ってから家に上がるという習慣があったんだよね。
これを「足濯ぎ」と言うのだけど、旅館なんかだとたらいに湯を張って洗ってくれる、なんてサービスもあったみたい。
もちろん、庶民の家だと桶に水が汲んであるだけで後は勝手に洗って手拭いで水をぬぐってね、ということなんだけど。
なので、玄関口の上がり框は基本は腰かけるもので、家にああラナイまでも上がり框に腰かけて家の人とコミュニケーションをとるなんてこともあったわけだよね。
今でもお茶会に呼ばれると足袋や靴下を履き替えるのだけど、その昔は足を洗っていたわけだから、家に上がるのはけっこう大変なことなんだよね。
そうなので、上がり框に腰かけて話したり、縁側という内と外の境界でコミュニケーションをとることに意味がったのだ。
現在ではほぼほぼ段差がなくなってきたけど、昔は吸われる高さというのが大事なのだよ。

世界を見渡しても、あまりこういう構造の家屋はないように思うけど、それは遺文を融合するという文化の考査地である日本で発展したものだから。
もともと日本では、縄文時代に竪穴式住居だったので、周囲より少しくぼませたところに土間を作って生活していたのだ。
そこに南洋由来の高床式の住居が入ってくるんだよね。
高温多湿な東南アジア系の住居では、地面と床の間に空間を作ることでじめじめした気候の中でも快適に過ごせるので、高床式の住居が発達していたらしいのだ。
この二つが日本の地で出会ったとき、なぜか二つの方式を融合して併存されるような形で発達したものなんだよね。
夏なんかは特にじめじめしているので、日本でも赤床式はけっこう快適なわけあけど、一方で、土間は土間で履き物を脱がないで出入りできるし、床が多少汚れることを気にしなくてもよいので便利なのだ。

この方式で唯一面倒なのが履き物をぬがなくてはいけないところ。
とはいえ、日本は文化的にけっこう明確に「内」と「外」、「清浄」と「不浄」、「ハレ」と「ケ」を意識して分けて考えるから、履き物を脱いで足を洗って家に上がる、という一連の流れはすんなり受け入れられるのかも。
神社にお参りして、礼をしてから鳥居をくぐり、手水で口をすすぐ、みたいなのと同じ感覚だよね。
住居も西洋化してきたからすでに「たたき」というのは名称としてしか意識されないようになってきてしまっているけど、難読の漢字にはしっかりと意味があるものなのだ。

2025/03/01

にほひおこせよ

 梅の花が咲き始めたのだ。
確実に春が近づいてきている!
職場の近くでふと甘い香りが漂っていて、見てみると白梅が咲いていたんだよね。
古来より梅の花の開花漂ってきた香りで知るというけど、本当にそうなのだ。
実は酸っぱいのに、花は甘い香りなんだよね。

春を代表する桜風味というと、塩漬けにした桜の葉の方向成分である「クマリン」が有名だけど、梅の花の香りはもう少し複雑なようなのだ。
そもそも香りの強いもの、弱いものもあるし、白梅と紅梅で香りが違うよね。
で、少し調べてみると、2010年に花王が梅の花の香り成分を分析した、という話が出てきたのだ。
実際の当時のプレゼン資料はリンク切れで見られないのだけど、それを取り上げたニュースやブログなんかが残っている感じ。

花王の使っている技術は「エアロセント技術」という独自のもので、花をガラス容器で覆って香り成分を吸着させて分析するようなのだ(ガスクロ?)。
精油成分のような高揮発性のものから油脂のような低揮発成分まで広く分析できるとか。
しかも、時間分解能もあるので、花が咲く初めてから終わるまでの香り成分の変化も終えるんだって。
で、この技術を使って、和歌山県と共同で梅の花の香り成分を調べたようなのだ。
和歌山と言えば実梅としても有名な南高梅があるけど、南高梅は花の香りも強いことで有名なんだよね。

花王の発表資料を見られていないので正確性は欠くけど、どうも代表的な成分は、酢酸ベンジル、ベンズアルデヒド、オイゲノールといったもので、その他マイナーな香り成分が相当数あって、その組み合わせで品種ごとに異なる香りになっているみたい。
花王の分析では、「、白梅はライトフローラル、紅梅はリッチなスパイシーフローラルタイプ、淡紅梅はパウダリーな甘さが強いタイプという官能評価」ということらしいよ。
正直よくわからないけど(笑)


まず、酢酸ベンジルはベンジルアルコールと酢酸のエステルで、ジャスミン、イランイラン、クチナシなんかの香り成分。
つまり、相当甘ったるい香りなのだ。
香水や化粧品にもよく使われる香料だよ。
ベンズアルデヒドはアーモンドや杏仁の香り成分で、すっとしたさわやかな香り。
安価な香料としてよく使われるものだよ。
オイゲノールはクローブの香り成分で、バニラのような甘い香りの中にスパイシーさがある、というものらしい。
わかるようなわからないような。

つまり、この3つを混ぜるとなんとなく梅の花の香りになるようなのだ。
これだけだと安っぽいのだろうけど。
そして、白梅はベンズアルデヒド多め、紅梅はオイゲノール多め、ということなんじゃないかな。
香りが強くない梅というのは多分ベンジル酢酸が少ないのだ。
こういうのを考えながら梅の香りを楽しむのもまた一興?
でも、梅の花の香りを再現した〇〇ってあんまり聞かないような・・・。
まだ難しいことがあるのかも。

さらにちなみに、花王の研究では時間悔過で香りの屁化を見ているのだけど、梅の花は開花から落弁(花びら青tること)まで2週間ほどで、7日目あたりに完全開花。
香りもこのあたりが一番強いようなのだ。
かつ、開花直前までは低空飛行で、開花で一気に強くなってあとは減衰していく、という感じみたい。
ということは、香りが漂ってきて梅の花が咲いているのに気づく、というのは、ほぼほぼ満開状態になったあたり、ということになるよね。
においで気づくと梅の花が咲き誇っているというのはなかなかシチュエーション的には劇的だよね。
よくできてるよ。

2025/02/22

ため込むリスク

 米の価格上昇問題について、ついに政府が備蓄米の一部を開放するのだ。
これが市場に流通すると価格が下がってしまうので、投機目的でコメを着占めていたような人たちはさっそく売り抜けようとしているみたいだね。
令和の闇市ともいわれるネットのフリマサイトにけっこう出回っているようなのだ。
IT業者やスクラップ事業者、中国関係法人などいろんなところがため込んでいると報道されているけど、どうなることやら。
少し時間はかかるけど安くなることがほぼほぼ確実なのにこのタイミングで高値で買う人はいるのか?

で、ここでさらに懸念が指摘されているのが、非正規のルートでせき止められていた米の品質の問題。
通常、米は玄米として冷蔵保存されているんだけど、どうも投機目的の人たちは、雨風しのげればよいとばかりにその辺に常温で置いてるっぽいんだよね。
これは米の品質が著しく低下するし、また、危険な保管方法でもあるのだ。
素人が目先の金目当てに手を出しただけなのでそんなことは知らないのだろうけど。

まず、これから春になってあたたかくなるけど、ここで出てくるリスクが「虫」の問題。
無菌室やクリーンる^無で作っているわけではないので、どうしても米には虫がついているのだ。
卵が産みつけられているんだよね。
これが一定の温かさになると孵化して出てくるのだ。
代表的なのは、甲虫のコクゾウムシ(小さなゾウムシ)と蛾のノシメメダラメイガ。
どちらも幼虫の間は白いのであまり目立たないのだけど、成虫になるとどうしても目立つのでぎょっとするのだ。
それぞれ毒を持っているような虫ではないので、食味は大きく低下するものの、天日干しして虫を取り除けば食べられないこともないけど、虫がわかうようないい加減な保存方法をしていた米を買おうとする人はあまりいないよね・・・。
冷蔵しておくとこの虫の発生が抑えられるのだ。

虫が湧くまで行かなくとも、保存状態が悪いと米はどんどん劣化していくのだ。
でんぷんの質が劣化していくなどンお不可避な経年変化は別としても、保存状態が悪いと米ぬか中の脂質が酸化し、においがつくのだ。
いわゆる「古米臭」というやつ。
これは米の食味を大きく損なうんだよね。
いわゆる刑務所のくさい飯は、まだものがない戦後はにおいのついた古米くらいしか刑務所には回せなかったので、本当に炊いたお米がくさかったらしいんだよね。
寿司なんかはがん水量が少なくなって粘り気も抑えめになった古米の方がいいなんて言うけど、これはあくまでも保存状態が最良なもの。
いい加減な保存状態だと古米臭が染みついてしまうのだ。
この先フリマサイトに出回るのはひょっとするとこの「くさい飯」かも。

におい程度であればまだましなんだけど、梅雨時期になって湿気が増えると危ないのがカビ。
一部のカビは生えるとお米の色が黄色く変わってしまうので(黄変米)、見た目でやばいやつだとわかるんだけど、ぐちゃぐちゃに腐っていく野菜と違って、見た目だけではわかりづらいものもあるのだ。
そのむかし、三笠フーズという会社が、基準以上の残留農薬が残っていたり、カビが発生したりした、非食用の「事故米」を加工食品用に転売して大問題になったけど、そのときに本当にやばかったのがカビが発生してアフラトキシンができてしまったもの。
この毒は熱で分解されないので炊いてもそのまま米の中に毒が残るのだ。
で、最悪の場合は肝臓がんにつながるよ。
黄変米のカビ毒もマヒや急性肝障害など耶馬目なものだけど、こっちは見た目ではじけるのでまだ対策を取りやすいのだ。
っていうか、黄変米h食べなきゃいいだけなので(加工されちゃうとつらいのだけど。)。


で、春先は備蓄米の放出により米価が下がってしまうからまだこらえて、次の新米が出る直前の米の供給量が下がる夏過ぎに売ろう、なんて浅はかな考えをすると、これが危ないのだ。
もともとモラルも減ったくれもないだろうから、黄変米になっていようがどうしようが、フリマアプリでだまして売る連中はきっと出てくるよ・・・。
素のフリマサイトでは、使用済みの米袋も売られているらしいので、復路だけ詰め替えて偽装して出品される未来がほぼほぼ見えているんだよね。
なんで、信頼できないルートでのコメの調達は絶対にしてはいけないのだ。

2025/02/15

いざ解放せむ

 米の販売価格の高止まりが続いているのだ。
秋になって新米が出れば安くなるはず。
と言われていたけど、高いまま・・・
米は不作というわけでもなく、むしろ昨年度より生産量は上がっているのだけど、なぜか集荷量は下がっているらしい。
つまり、どこか捕捉できていないルートに流れている?
七ならべじゃないけど、誰かが流通を止めて米の価格を上げ、利ザヤを稼ごうとしているとしているのでは、と見られているよね。

そんな中、米の価格の安定性の確保のため、農林水産省は政府備蓄米の放出を決めたのだ!
市場にコメが出回らないから高値でtロ位引き去れるわけで、流通量が上がれば下がるはず、ということ。
でも、すでに小売店は高価格でコメを仕入れてしまっていてその在庫があるので、それがはけるまでは下がらないのじゃないか、とも言われているよ。
ま、やらないに越したことはないし、米はなんだかんだで日本人の生活基盤を支えるものなので、うまくいってほしい。

この政府備蓄米というのは、そこまでむかしからあるものではなく、平成になって始まった制度なのだ。
きっかけは平成5年(1993年)の「平成の米騒動」。
この年のコメの大凶作と、その前の年の普通レベルの不作の合わせ技で、米が圧倒的に足りなくなったのだ。
これは今と違って本当に買いたくてもものがなくて買えないというくらい(年間1,000万トンの消費量に対して役200万トンの不足)。
で、各国に働きかけてコメの緊急輸入に踏み切るんだよね。
カルフォルニア米なんかはかなりましだったのだけど、この時問題になったのがタイ米。
タイ米はインディカ米なので、ジャポニカ米の日本のコメとは根本的に異なるものなので、同じように炊いて同じように食べようとしたので「おいしくない」と大騒ぎになったのだ。
きちんとタイ米らしい調理法をとればおいしく食べられ得るのだけど(それをさんざん広報したのだけど)、タイ米=おいしくない米という認識がこの時で来てしまったんだよね。
ガパオライスやタイカレーにはめちゃくちゃ合うのに。

これまでの米の流通は食糧管理法の下で政府の管理下にあったんだよね。
もともとは戦時下の食糧不足に対応するものだったけど、戦後も改正されながら関r制度は維持されていたのだ。
このころは、米は基本全量政府がいったん買い上げて全国に公平に流通させる、ということをしていて、余った分を備蓄に回していたのだ。
「特急米」とか「一級米」とかいうのはこのころのグレードで、同じグレードのものはブレンドしてしまったので、今のように「〇〇産××」みたいなブランド米もなかったんだよ。
で、その後「自主流通米」という名でこの全量買い取り制度の外で流通するものもあったけど、それは例外的なもの・・・。
かつ、国会においては、「米は一粒たりとも輸入してはならない」という決議がなされていて、海外からの米の輸入も事実上禁止されていたのだ。

ところが、上記の米騒動で緊急輸入するに至り、ここに大きな変化が訪れるのだ。
ちょうどGATT(関税及び貿易に関する一般協定)のウルグアイラウンドにおいて日本は米の輸入を解禁するよう米国に迫られていたのだ。
これでもう時代のうねりは止められず、米の管理制度は時代遅れということで廃止されることとなり、食糧管理法に代わって「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」に基づく制度に移行するのだ。
これが平成7年(1995年)。
この後から、ブランド米を直接農家から買えるようになったりしたんだよ。
スーパーや百貨店も農協を通さずに直接農家から仕入れたりするようになったのだ。

で、この法律に切り替わったときにできたのが政府備蓄米制度。
2年連続で不作が続いても大丈夫なように、100万トンという水準で備蓄していて、5年かけて毎年20万トンずつ入れ替えていくのだ。
古くなった米は、市場に出してしまうとコメの市場価格が不安定になるので、基本は飼料用に回すんだけど、一部は学校給食や子ども食堂などに無償で提供されるらしいよ。
今回は、価格が高くなりすぎているので、この備蓄米を市場に投下して価格の高止まりを解消しようというわけなのだ。

2025/02/08

断末魔はドナルド・ダック

 
最近話題になった報道で気になる点があったのだ。
ヘリウムで自殺?
ヘリウムガスって何か毒性があったっけ?
仮に毒性があるなら、声がドナルド・ダック化するみたいな感じで使わないよね?
と、頭が混乱したのだ。
よくよく見てみると、ほぼ純正ヘリウムで酸素が混入されていないと酸欠を起こすらしい。
といっても、これは窒素でもなんでも同じで、ようは、酸素濃度が低すぎるガスを吸うとやばい、ということのようなのだ。

これは人間の肺におけるガス交換の仕組みに由来するんだって。
肺という臓器では、機能性ユニットである肺胞の中で、吸い込んだ空気と肺に張り巡らされた血管との間でガス交換を行うのだ。
このとき、ヒトの血液側の酸素濃度はおよそ16%。
空気中の酸素濃度は21%なので、濃度勾配により吸い込んだ空気の中の酸素が血液に取り込まれていくのだ。
すごいシンプルなメカニズム。
でも、これがあだとなるのだよね。

逆に、吸い込んだ空気が16%より低い酸素濃度だった場合、酸素は血液中から吸い込んだ空気の方に流れてしまうのだ。
水は常に高きより低きに流れるから。
一方で、血中酸素濃度が低下すると、延髄での反射でさらに空気を吸い込もうとしてしまうんだよね。
でも、その時周りの空気の酸素濃度が低いままだと・・・。
府のスパイラルでどんどん血中酸素濃度が下がっていくことに!
これが酸素濃度の低いガスを吸い込むことによる酸欠の仕組み。
ヘリウムで酸欠というのもこの類で、ドラルド・ダック声にするヘリウムガスのスプレーには酸素が20%ほど混ざっているのだけど、今回のものは酸素が混ぜられていないものだったようなのだ。
これは気体の種類は問わないので、無味無臭で、それ自体には毒性のないもの(まさにヘリウムガスのようなもの)でも起こり得る、というのは知っておかないと危ないのだ。

で、高地で息苦しくなるのは、酸素濃度はそんなに変わらないんだけど、空気が薄くて吸い込んだ空気中の酸素量自体は少なくなるので、酸素が少し足りない状態になるのだ。
その状態の症状が「高山病」。
これは徐々に体を慣らしていくしかないんだよね。
アスリートがやっている「高地トレーニング」みたいなのをやると、血液中のヘモグロビン(赤血球の中で酸素を運ぶもの)の量が増えることが知られているのだ。
それにより、低酸素状態への抵抗力がついて、無酸素運動系の競技では効果があるんだよね。

一方で、この話と一線を画するのが一酸化炭素中毒。
これは酸素の量の問題ではなく、一酸化炭素の毒性の問題なのだ。
ストーブの不完全燃焼で一酸化炭素が発生した場合は、十分な酸素濃度があろうが酸欠になるのだ。
その初期症状は高山病とも似ているんだよね。
体の中で酸素が足りない状態に強制的になるわけ。
これが起きるメカニズムは単純で、一酸化炭素は酸素に比べてヘモグロビンと結合しやすく(200倍以上)、一度くっつくと離れないので、そのヘモグロビンはもう酸素を運べなくなるから。
つまり、体の中での酸素の運び手が次々と一酸化炭素に取られてしまうので、いくら酸素を吸っても酸欠になるというわけなのだ!

中毒が発生してしまうと高濃度の酸素を吸わせるしかないんだけど、回復するまでにけっこうな時間がかかるので、酸欠状態は続くんだよね。
そのため、酸素の消費量の多い脳などは障害が残りやすく、非常に危険なものなのだ。
なので、とにかく予防が大事。
燃焼系の暖房器具の場合は定期的に換気が必要だよ。
また、密閉度の高い屋内の火事なんかだと、火が出て燃え上がってしばらくすると屋内の酸素の消費が進んで火勢がいったん弱まるのだ。
この状態でドアや窓を開けると一気に空気が流入して酸素が供給されるために爆発的に火勢が強くなる「バックドラフト」が起こるよ。
なので、不用意にドアや窓を開けて背景のだけど、そのままの状態だと不完全燃焼が進んで一酸化炭素が出てくるのだ。
一酸化炭素の比重は空気と同じくらいなんだけど、燃焼で出てくる一酸化炭素は熱いので上の方にたまりがちだから、姿勢を低くして一酸化炭素をできるだけ吸わないようにすることが大事。
でも、そのままだと一酸化炭素中毒に加えて低酸素による酸欠も近づいてくるので、誰も助けに来ないのであれば、少し窓から離れたところから物を投げて空気の通り道を作るしかないよ。
火は勢いを増すけど、酸欠や一酸化炭素中毒は防ぎやすくなるのだ。

2025/02/01

田舎タワー

 子供のころ、高速道路などで移動中に「送電塔」が見えると「田舎タワーだ」なんて喜んだものなのだ。
東京タワーに形が似ているからね。
で、今の職場の近くにもわりと太い送電線が通っているんだよね。
鉄道と大きな工場があるからみたい。

実は、いわゆる電線には大まかに三種類あって、コアになるのが供給区域全体に網の目のように張り巡らされているのが送電網。
その送電網に発電所で発電した電気を入れるのが電源線。
逆に、送電網から電気の使用者に電気を届けるための末端のネットワークが配電網。
大きな工場や鉄道の場合は送電網から直接電気を引き込むけど、デパートやコンビニ、一般家庭だと、配電網から電気の使用場所に引き込み線を引くのだ。

電源線はいいとして、送電と配電と概念を分けているのは、電気を流通させるときにできるだけロスを少なくするようにネットワークを運用する必要があるからなんだよね。
これは中高生レベルの出電気力学で説明できるよ。
まずはオームの法則だけど、「電圧=抵抗×電流」で、同じ電線に流す場合(=抵抗値が一定)、電圧と電流は比例するので、電圧をかけるとよりよく電流が流れるのだ。
これはわかりやすい。
一方で、電力ロスは抵抗で発生する熱の形で出てくるのだけど、このときのジュール熱(単位時間あたりに発生する熱量)は、「ジュール熱=抵抗×電流の二乗」になるので、電流が少ない方がよいことになるよね。
この二つだけで単純に考えると電流が少ない方が有利なよう見見えるけど・・・。

実は電力供給で大事なのは電力(=仕事率)で、これを需要端(=電気を引き出すところ)で一定に保つ必要があるんだよね。
電力は、「電力=電圧×電流」になるので、電力を一定に保とうとすると電圧と電流は比例するのだ。
したがって、熱の形で出てくる電力ロスを抑えつつ、需要端で電力を一定に保つ場合は、電圧を高くして流れる電流を小さくした方が有利なわけ。
これが送電を高圧電流で行う理由だよ。

実際には、発電所で発電される電気の電圧はそこまで高くなくて、しっかり昇圧したうえで送電網に電気を入れるんだよね。
送電網の基幹線は27.5万V(275kV)か50万V(500kV)なので、そこまで昇圧するのだ。
で、配電側に近づくにしたがって電圧を下げていくんだよね。
送電と配電の境界は6600Vで、送電網から直接電気を引いてしまう場合は「特別高圧」で、6600Vまで降圧して配電網に入れてから電気を引くのが、高圧や低圧、家庭用である「電灯」という区分だよ(今は全面自由化してしまったので必ずしもこういう区分にはなっていないけど。)。
電信柱の上にある柱上変圧器は200Vまで降圧するのだけど、この先から引き込むのが低圧(200V)や電灯(100V)だよ。

この送配電ネットワークを電力系統と呼ぶのだけど、一般に日本の系統は欧米のものより「弱い」と言われているんだよね。
その大きな理由は、電力の供給場所と消費場所が偏っているから。
東京電力管内は典型的だけど、そもそも発電所のほとんどは供給区域の外にあるのだ(新潟、長野、福島など)。
でも、電気をたくさん使うのは、23区内や横浜、川崎などの都市部。
神奈川や千葉にはまだ火力発電があるからましだけど、23区の近傍には発電所なんてないよね(むかしは千住に火力発電所があったけど。)。
こういう状態で、夏に気温がぐっと上がって都心部で電気の使用量が大幅に増えたり、大きな発電所がトラブル等で止まったりすると、電気の流れが大きく変わるのだ。

丈夫な電力網の場合は、電気の供給と引き出しが満遍なく分散しているので、特定の発電所が止まったり、特定の場所で電気の使用量が上がっても系統全体でバランスをとりやすいのだ。
一方、これが偏っていると、うまくバランスが取れなくなって停電したりするんだよね。
もともと東京電力管内はぜい弱なネットワークなんだけど、東日本大震災以来、福島や新潟の原発が止まって電気のインプットの流れが大きく変わったので、このバランス鳥がさらに難しくなっているようなのだ。
額面上で発電量と消費量があっているだけではだめで、ネットワークの電気の流れも踏まえて調整しなくちゃいけないから大変なんだよね。
消費者からは直接何をしているか見えづらい東京電力ぱわぐりっどは実はけっこうすごい仕事をしているのだ。

2025/01/25

えーしー

 とある放送局はとあるトラブルにおり、ほぼすべてのCMがACジャパン(旧公共広告機構)のものに切り替わっているのだ。
これだけいろんな種類を作ってたんだと感心したけど。
まさに現在のトレンド。
東日本大震災直後もスポンサーがつかずにACジャパンの広告が流れまくったけど、今回の状況はそれとはまた異なるのだ。
なぜなら、広告主はCMの放送を取りやめているだけで、広告枠は買ったままだから。
つまり、ACジャパンの広告に切り替わろうと、すでに支払っている広告料は今のところ返金されていないのだ。
すでに「返金しろ」という声は上がっているようだけど・・・。
とはいえ、広告枠の更新時期にはもうスポンサーがつかなくなるので、今はしのげても間もなくかなりきつくなるんだよね。

テレビのCM契約にはいくつか種類があって、いわゆる各番組の中で流れる「ご覧のスポンサー」のCMはタイムCMと呼ばれるもの。
特定の番組に対してスポンサー料を払って、その番組の時間枠の中でCMが流れるのだ。
番組の内容によって視聴者層がある程度想定できるので、対象を絞った訴求力のある広告が打てる、と言われているよ。
もちろん、その分だけお高いのだ。

もう少し安価に広告を流したいときは、番組提供クレジットの中には表示されないけど、「ほか各社」という扱いでCMを入れることも可能なのだ。
こういうのがスポット契約と呼ばれるもの。
番組中に流れるものが「パーティシペーション」で、番組と番組の間に流れるものが「ステーションブレイク」だよ。
一社提供の番組なのに時々その会社以外のCMがなあれるのはこれなのだ。

さらに、もっとイレギュラーなものもあって、それが「フリースポット」とうもの。
ある時間の幅の中で一定の回数CMを入れてください、時間帯は指定しません、という契約。
有名どころではハウス食品やコーワがつかっているもので、CM枠に空きが出るとそこに差し込まれることが多く、埋め草のように使われるのだ。
特定の層をターゲットにせず、全般的に広告すればよい、というころであればこれが使えるんだよね。
でも、個人的にはハウス食品のカレー粉のCMみたいなのは、見たらカレーが食べたくなるので、必ずしもグルメ系の番組の間である必要はなく、ドラマだったり、バラエティだったりなんでもありのような気がするな。

で、このフリースポットの特徴として、他にスポンサーがつかない場合に入ってくることが多いので、この手のCMばかりが目立つようになる=スポンサーが付きづらくなっている、ということなのだ。
視聴率が落ちて人気が低迷してくるとそうなってくるわけで、CMの流れ方を見るだけでもそういうのが何となく察せるというわけだ。
もちろん、深夜番組のようなもともとスポンサーのつきづらいものもあるので、徐々にCMの流れ方が変わっていって、という場合限定だけどね。

で、現在の某放送局はこの状況をさらに超えたところにあるんだよね。
誰もCMを入れたく無くなくなった場合に差し込まれるのがACジャパンのCMなのだ。
道徳・マナー的なCMだったり、公益的な事業(あしなが育英会や子ども食堂、各種検診など)だったり。
東日本震災の時に目立ったのが「元気に挨拶しよう」というやつで、今でいうと、「検脈」と「決めつけ刑事」が話題かな。
フリースポットの場合はまだスポンサーがお金を出してくれているわけだけど、それさえもいなくなると、こればかりになってしまうのだ。
幸い、現時点では広告枠の引き上げだけでいったん出した広告料は返金されていないので収入減になったいるわけではないけど、すでに広告料を払っているのにCMを止めてほしい、と言っている企業が多いわけだから、次の契約には結びつかないよね・・・。

そのACジャパンだけど、前は公共広告機構と名乗っていたのだ。
名前的に公的な機関だとばかり思っていたんだけど、業界関係者が作った任意の団体だったんだよね。
米国にも似たような組織があって、それをまねて、昭和46年(1976年)に関西で活動sる関西広告機構が発足し、それが昭和49年(1974年)に公共広告機構になって活動が全国展開されたそうだよ。
で、公的機関と紛らわしいという理由で、平成21年(2009年)に正式名称をACジャパンに改めたのだ。
時代時代でけっこう話題になっている広告を打っていて、もともとわりと存在は目立っていたけど、いよいよここに極まってきた、という感じかな。
おかげで現在放送中のフルラインナップがわかったしね。

2025/01/18

当事者間で

 最近よく報道で耳にする言葉。
それは「示談」。
自動車の接触事故とかをイメージするけど、今話題になっているのは、泥酔したうえでの住居不法侵入だったり、和解金を9,000万円支払ったと言われるトラブルだったり。
そこで、改めて「示談」というものを調べてみたのだ。

一般に「示談」と言われているものは、法律上は、最場外の和解、私法上の和解と呼ばれるもの。
民法第695条「和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる」という条項に基づくもの。
重要なのは、双方が譲り合って妥結している、と定義されていることなのだ。
交通事故なんかの場合は、加害者側の謝罪と損害賠償によって被害者側が蛍雪への被害届を取り下げる、みたいな感じ。加害者側は謝罪と被害者側が納得する額の金銭の支払いで、被害者側は被害届の取り下げで、それぞれ裁判で争わないということを譲って合意していることになるよ。

民法事案であれば、双方が納得しているのであれば必ずしも裁判で決着をつけなくてもよいわけだけど(逆に言うと、双方の話し合いだけでは決着しないから民事裁判をするわけだけど)、刑事事案はそう単純ではないんだよね。
治安維持という観点では、社会通念上許されざる行為で法律上犯罪とされているものについてはきちんと罰する必要があるのだ。
なので、接触事故でけがをした、という程度であれば被害届が取り下げられれば送検・起訴されることはまずないけど、ひき逃げで被害者が亡くなっているような場合、被害者遺族と賠償金の支払い等で和解ができていたとしても、刑事罰は免れないのだ。

例えば、今回の住居不法侵入の場合、知らない人に勝手に家に入ってこられる、ということだけど、その家の住人が和解で来ている限りにおいてはそこまで目くじら立てて罰するほどでもないものだよね。
なので、このケースは示談で和解ができていれば刑事事件になる可能性は極めて低いのだ。
入っていただけでなくその場で暴れて器物損壊もある、なんて場合は別だけど、ただ入ってきただけで物的損害なく追い出しに成功していれば、入ってこられた住人側が許すというのであればそれ以上のものではなくなるよね。
一方で、問題は「トラブル」の方。
何があったのか全く詳細はわからないけど、金額的に相当なことがあったんじゃないかと推測してしまうよね。
すると、被害者との間で和解が成立していようが、刑事事件になる可能性はあるのだ。
実際、加害者側はコメントで「示談で和解しているから今後の活動に支障はない」とか書いているけど、すでにこれだけシャイ的に騒がれているわけで。
何があったのかの中身いかんでは、公序良俗の観点で、また、治安維持の観点で刑罰を科すべき、との判断は無きにしも非ずなんだよね。

ここで気になるのは、仮に強制的な行為があった場合、それって「親告罪」じゃなかったっけ?、ということ。
親告罪というのは、告訴が泣けれあ公訴を定義できない、つまり、検察官が刑法犯として裁判にかけられないという犯罪のこと。
プライバシーの保護の観点から、いわゆる「強姦罪」は長らく親告罪とされてきたので、被害者側から訴えがなければ状況証拠として確実にそういう事案があったとわかっていても裁判には持ち込めなかったのだ。
ところが、シャイ的な受け止めとして、強制行為や痴漢・盗撮のような性犯罪は被害者の訴えがなくても罰せられるべきというように社会の受け止めが変わってきたので、「不同意性交等罪」となった現在の刑法の扱いでは非親告罪になっているのだ。
なので、まず警察が捜査に乗り出すかどうかというのはあるけど、示談で和解していても刑事罰は回避できない可能性があるんだよ。
ここまで大々的に報道されるとその可能性はゼロには見えないよね。

というわけで、示談による和解で完全に刑事罰が回避できるのは親告罪のみなので、気を付ける必要があるのだ。
刑法上親告罪に規定されているのは3つのケースがあって、「告訴がなければ公訴を提起することができない」と明確に規定されているよ。
(1)事実が公になると、被害者に不利益が生じるおそれのある犯罪
 未成年略取・誘拐罪、名誉棄損罪・侮辱罪、新書開封罪・秘密漏示罪
(2)罪責が比較的軽微であり、または当事者相互での解決を計るべき犯罪
 過失損害罪、私用文書等毀棄罪・器物損壊罪・信書隠匿罪
(3)親族間の問題のため、介入に抑制的であるべき犯罪
 親族間の窃盗罪(親族相盗例)・不動産侵奪罪、親族間の詐欺罪・恐喝罪等、親族間の横領罪
このうち、(3)は相対的親告罪というもので、加害者と被害者の関係性が親族である場合の特例という扱いになっているのだ。

2025/01/11

UG

 産経新聞の元日の一面には、夫婦別姓について小中学生にアンケートをした結果の記事が載ったらしいのだ。
夫婦別姓推進派の人たちはよく「別姓を強制するわけではなく、別姓にして困る人はいない」と主張していたのだけど、このアンケートによると、子供たちは両親が別姓だといやらしいのだ。
家族は同姓というのが当たり前だったのだから当然の結果のような気もするけど・・・。
で、またこの話題が盛り上がったんだよね。

この話でよく出てくるのは、江戸時代までは庶民には名字がなく、明治以降の制度だから「夫婦同姓は伝統ではない」という主張。
これは一部合っていて、一部間違っているのだ。
まず、これはもうよく知られたことだけど、確かに江戸時代は武家・公家以外は公式に名字を名乗ることは許されていなかったけど、さすがにそれでは個人を区別するのが大変なので、事実上は名字のようなものを名乗っていたのだ。
一般に「屋号」とも言われるけど、商家であれば店の名前。
例えば、「紀伊国屋文左衛門」とか「蔦屋重三郎」とかみたいな感じ。
農村集落でも、田の縁にあるから「タブチ」、里山のふもと近くだから「ヤマシタ」、村の庄屋の家だから「ムラカミ」とか。
明治期に名字を名乗るように言われて、その屋号をほぼそのまま名字に転用したケースと、せっかくだからと新たに「創姓」したケース、よくわからないから庄屋や寺社などの額のある人につけてもらったケースなんかがあったみたお。
場合によっては村落でみんな似たような名字になってしまってけっきょく区別がつかないから屋号をそのまま判別に使っているようなところもあるのだ。

武家や公家の名字も似たようなところがあって、正式な一族の血縁を表すのは「本姓」又は「氏(うじ)」なんだけど、これは有名な4姓=源平藤橘をはじめいそんなに種類が多くなく、区別がつけづらいので、屋号のように低地宅の場所や所領の地名などを名乗ったのだ。
例えば、公家の藤原家の例で言えば、北家、南家、摂家、式家の4つに分かれ、それがさらに分かれていって、近衛家や冷泉家、九条家などの明治期に見られる家族に積んがっていくんだよね。
武家の場合はほとんど源氏か平氏なわけだけど、鎌倉幕府を開いた頼朝は源氏姓を使い続けたけど、そののちに室町幕府を開く足利将軍家は同じ源氏でありながら栃木県の足利庄からとった足利を名乗ったのだ。
南北朝期に足利家と対立する新田家は同じ源氏で新田庄からとった名前。
頼朝に協力して鎌倉幕府で執権になる北条家は元は平氏で地盤にしていた伊豆の地名から北条を名乗っているよ。
同じく頼朝を助けた三浦氏も平氏で、こちらは三浦半島のあたり。
羅生門の鬼の腕を切り落とした渡辺綱も源氏で、渡辺は兵庫県の地名だよ(渡辺綱自身は東京三田の当たりの生まれ)。

武家や公家については、種類の少ない本姓だけだと区別しきれないので、屋号的なもので区別して読んでいたのが名字になっていくのだ。
ただし、公式文書には本姓で署名したりするので、徳川家康も征夷大将軍として「源朝臣徳川家康」みたいに書いたりするのだ(松平氏が源氏かどうかはあやしいとされているけど、なぜか征夷大将軍は源氏の棟梁がなる、というように考えられていたので源氏を名乗ったと言われているよ。)。
ちなみに、織田家は平氏、太閤秀吉の場合は豊臣が本姓なのでそのままだよ。
これらの上層階級は、明治期になって形式的にも本姓を名乗らないようになって、戸籍が整備されるときに本姓ではなく名字の登録になったのだ。

で、問題は、これらの下級で女性はどう名乗っていたか。
平安文学では、菅原孝標娘だとか藤原道綱母みたいな個人名が伝わっておらず、続柄だけで記録されているばあいもあるけど、紫式部の使えた中宮・藤原彰子のように、生家の氏を名乗ることも多かったようなのだ。
考えれば当然で、貴族階級の結婚は純粋な恋愛結婚というより、政略結婚である場合が多かったと考えられるし、そもそも平安時代は「通い婚」なので、男性配偶者の家に入るわけではないのだ。
武家についてはだいぶ血縁による結びつきが強く、家族意識が高いように思われるけど、源頼朝の夫人は北条政子であって、やはり生家の氏を名乗っているよね。
これも血縁を大事にするからこそ、どの血縁集団と親族関係なのかがわかるように、あえてそうしているんじゃないかと思うんだよね。

一方で、庶民については、「嫁に行く」、「婿に入る」が基本なので、どちらかの屋号の集団に組み入れらることが多かったのだ。
そうすると、国民の大多数は庶民なので、明治期に民法を整備する際いろいろ議論した結果、夫婦同姓が基本になったようだよ。
なので、「名字がなかった」というとけっこううそになって、「伝統ではない」とまでは言い切れないわけ。
でも、明治以降に正式に法制度化されたので、そういう意味ではずっとルール化されていたわけではなく、あくまでも習慣的にそういうケースが多かった、程度というわけだね。

2025/01/04

皮と汁

 お正月がやってくるとよく目にするやつ。
それは、あの鮮烈なオレンジ色の・・・。
橙(だいだい)!
みかんじゃないんだよ。
「代々」栄えるという縁起物なので、正月の注連飾りや鏡餅に用いられるのだ。
特に武家で尊ばれたので、江戸以降に広まった文化だと思うけど。

ダイダイは、そのままにしておくと複数年の間、木になったままになるのだ。
これは一部の柑橘類に共通の性質のようだけど、一度越冬して次の夏を迎えるとまた果皮に葉緑素が復活して緑に戻るのだ。
これを「回青」というのだ。
ダイダイはそのまま食用にしないのでそのまんまなんだけど、河内晩柑のような食用のものは食感が悪くなるので、回青しないように袋をかぶせるんだそうだよ。
夏みかんの場合は回青する前、春に完熟した頃に食べるのだ。

ダイダイは飾るだけかというと、そうでもないのだ。
きれいなオレンジに色づくほど熟すると苦みが強くなってしまうのだけど、未熟果の青い状態だと酸味が強く風味がよいので、ポン酢に使われたりするんだって。
スダチやカボスと同じような感じで、酸味が強く、風味がよい果汁を押すの代わりに使うのだ。
一方、完熟した場合は皮を使うんだよね。
乾燥させた完熟果の果皮は「橙皮(とうひ)」と呼ばれる漢方薬。
後から出てくる苦み成分が健胃作用などをもたらすんだよ。
みかんの皮を干した「陳皮」よりも高級みたい。
というわけで、ダイダイは飾りにも使えるし、未熟なうちは果汁が調味料に使われるし、完熟すれば生薬にもなる優れものなのだ。
最近は注連飾りも鏡餅もみかんで代用される方が多いかもだけど。

同じくこの頃に出てくるちょっと変わった柑橘類と言えば金柑。
ダイダイはかなり果実が大きいけど、金柑は小さめ。
で、この金柑の特徴は、果汁ではなく、むしろ皮をメインに食べること。
実が小さいし、わりと水気が少ないので、果汁は微々たるもの。
むしろ、甘露煮にしたり、砂糖漬けにしたりで、そのまま食べることが多いのだ。
でも、そうして甘く味付けても、もともともっているほんのりした苦みで後味がよいのだ。
そして、きっちりと柑橘特有のさわやかな風味もあるんだよね。
小さいけど種はしっかりあるのだけど、これは原種に近いものだからみたい。
それでも、それをおいしく食べようとするんだから、昔の人はいろいろと工夫するよね。