2025/04/12

かっふ~ん

 最近テレビのお天気コーナーでも「ヒノキ花粉」情報が出てくるようになったのだ。
前はスギ花粉以外はあまり触れなかったよね?
実際には、ヒノキもスギも同じヒノキ科で近縁種なので、スギ花粉にアレルギーのある人の多くはヒノキ花粉にもアレルギーを持つらしい。
で、スギ花粉が2~4月に飛散するのに対し、ヒノキ花粉はちょっとずれて3~5月に飛散するらしいので、あれ、スギ花粉は終わったはずなのに花粉症の症状が続くな、と思ったらヒノキ花粉もでした、ということらしい。
ボクは幸いまだ発症していないけど、つらい時期がさらに1か月伸びるとなるとねぇ。
確かにヒノキ花粉情報というのも求められているのかも。

スギ花粉とヒノキ花粉は、飛散の時期が少しずれる以外にも違いがあるわけだよね。
粒径はスギ花粉が30~40μm、ヒノキ花粉が28~35μmと、ヒノキの方が一回り小さい感じ。
また、スギ花粉は表面に突起があってとげとげしているのに対し、ヒノキ花粉はのっぺりとしているんだって。
そんな形状の違いで症状も異なると言われていて、スギ花粉が鼻の症状が強く出るのに対し、ヒノキ花粉は目や粘膜の症状が出やすいと言うよ。
とはいえ、アレルギーの症状は個人差が大きいのでそうも一概に言えないのだけど。
どちらも風に乗ると数kmから数十kmも飛ぶらしいので、都心部であっても影響は免れないのだ。
花粉から逃げようと思ったら、沖縄か、小笠原か、北海道か。
結構遠くまで離れないと無理なんだよなぁ。

そもそも花粉症が問題視されるようになったのは症状の原因が特定できるようになったからで、むかしから花粉が飛散する時期に鼻やのどの調子のおかしい人はいた、と言われているのだ。
ただし、その出現頻度はかなりあがっていて、その要因の一つは大気のよごれとも言われているよ。
花粉単独というのではなく、花粉とPM2.5のような大気中の微粒子が一緒に合わさるとアレルギーになる、という考え。
そういう面もあるかもしれないけど、黄砂のような微粒子はむかしから流れていているから、それだけでもないはず。
よくもう一つの要因と言われるのは、スギやヒノキの数が増えたから、というもの。

確かに、戦後の植林では、すぐに使える建材としてスギの植林がすすんだんだよね。
短期間でまっすぐな木材が得られるスギは建材という点では優秀なのだ。
ヒノキは成長に時間がかかるけど、性質的に建材としては最上級のもので需要も多いので植えられていったわけだよね。
これで我が国の人工的に管理している森林の多くがスギやヒノキになっていったわけ・・・。
一方で、伝統的な植林では、スギやヒノキばかり植えていたわけではないのだ。
森林資源として重要だったのは建材ではなく、むしろ薪炭の材料。
化石燃料が主体の今と違って、木炭が重要な燃料だったので、その材料となる木を植えたわけ。

代表的なのはクヌギやコナラ。
そう、どんぐりのなる木だね。
スギやヒノキは実を落とさないので森の動物にとってほとんど恩恵がないんだけど、これらの期は森の生態系を豊かにする効果もあったのだ。
逆に言うと、スギやヒノキを効率的に圧縮して植林すると、動物も寄り付かない「緑の砂漠」になってしまうのだ(>_<)
それに次いで重要だったのがアカマツ。
マツの仲間はまっすぐな木材はとりづらいけど、しなやかで加工しやすいので、梁の材料に使われたりしていたのだ。
かつ、松脂もとれるし、乾燥した松葉は着火剤にも使えるので、非常に便利だったのだ。
しかも、タカなどの猛禽類は枝ぶりから安定的に営巣できるからかアカマツに巣を作ることがおおいらしく、そういう面でも生態系に貢献しているのだ。
確かにスギやヒノキだと鳥が巣を作るのは難しそう。

今では花粉症対策として「花粉の少ないスギ」への植え替えなんてことが行われているけど、生物多様性の確保などの観点を踏まえると、かつての里山管理のような考え方を入れて、いろんな樹種を増えた方がいいんだよなぁ。
それには管理コストがかかるので、ペイするように工夫がいるわけだけど。
ドローンとかを使えば効率的にできるだろうし、もっとまじめに考えないといけない問題かもね。

2025/04/05

炭酸力

 スーパーの和菓子コーナーで、聞きなれない商品を見つけたのだ。
その名も「炭酸まんじゅう」。
草大福やら黒糖まんじゅうと一緒に並んでいた、黄色いおまんじゅうだよ。
その時点ではドンパッチでも入っているのか?、と思ったんだけど(笑)
よくよく考えてみたら、生地を発酵させずに重曹(炭酸水素ナトリウム)で皮を作ったのか、と思い至ったのだ。
でも、まんじゅうの皮ってそもそもどうなんだっけ。

まんじゅうの起源は中国。
中華風蒸しパンである「饅頭(マントウ)」や具入りの蒸しパン「包子(パオズ)」だよ。
日本では多くの地域でお米がとれるわけだけど、埼玉や群馬、長野のようなもともと稲作にあまりむいていない地域では代わりに小麦が栽培されていたし、温暖な吸収や四国は二毛作の裏作で小麦を作っていたんだよね。
その関係で日本でも小麦食の伝統があるわけだけど、そこに食い込んだのだ。
まんじゅうの場合、実は大陸から二系統が伝わってきていて、酒種を使って生地を発酵させる「酒まんじゅう」と発酵させずに重曹で生地をふっくらさせる「利休まんじゅう」の二つだよ。
酒まんじゅうの方が本場のものに近いけど、発酵させるのには温度管理が必要だし、時間もかかるので、重曹を使って簡単にふっくらした皮が作れるのはありがたいわけだよね。

炭酸まんじゅうがまさにそれで、別名を「田舎まんじゅう」と言うんだけど、それはまさに田舎で自分で作って自分で食べるようなまんじゅうだから、ということなのだ。
「利休まんじゅう」は、お茶文化と一緒に発達した薄皮まんじゅうだけど、これは作るのに技術がいるんだよね。
薄い皮であんこを包むのが難しいのだ。
なので、大福のように小麦粉を練って作った生地にあんこを入れて蒸すだけの田舎まんじゅうは皮があついのだま、田舎で食事として食べるものならその方がいいしね。
で、蒸さずに囲炉裏の灰の中で焼くと長野の名物「おやき」になるよ。
ちなみに、上州名物焼きまんじゅうはぐなしの酒まんじゅうを焼くらしい。
実は手間がかかっているみたいなんだけど、これは江戸末期に店で売る商品として開発されたものだから。
埼玉や群馬では小麦食がさかんで、うどんやらまんじゅうやらすいとんやらをよく食事として食べていたらしいので、まんじゅうを作っておいて冷たく硬くなったやつを焼いて食べていた、みたいなのが下地にあったんじゃないかとは思うけど。


この炭酸まんじゅうの特徴は、重曹の効果により皮が黄色くなっていて、少し苦みがあること。
重曹を加熱すると二酸化炭素が発生し、それによって生地がふんわりするわけだけど、二酸化炭素が抜けた後には水産間トリウムが残るんだよね。
これが苦みの原因だけど、市販されているベーキングパウダーの場合は中和剤も入っているので、この苦みが出ないように工夫されているのだ。
黄色い色も水酸化ナトリウムの効果で、小麦粉中に少しだけ存在しているフラボノイド色素が塩基性課で黄色く発色するから。
これはうどんは白いのにかん水(塩基性)を入れあ中華麺は黄色くなるのと同じ。
さらに、塩基性課ではグルテンの結合が強化されるので、ぷりぷりとした歯ごたえが出てくるのだ。
これがうどんと中華麺の弾力の違いなんだけど、実は、乾麺のパスタをゆでるときに少し重曹を入れると中華麺のような食感になるんだよね。
なので、生地を練る段階でなく、ゆでる段階でも作用するようなものなのだ。

今売られているような田舎まんじゅうは、小麦粉と砂糖を混ぜて水で練って重曹を加えてあんこを包んで蒸す、という工程。
そう、あんこのあるなしはあるけど、ほぼほぼ蒸しパンと同じなのだ。
あんこを包んだ蒸しパンと言っても過言ではないね。
ちなみに、あんこを入れる代わりにゆでたサツマイモをサイコロ状に切ったものを混ぜてから成形して蒸せば鬼まんじゅう。
戦前から食べられているとまんじゅうで、戦後になって食べられるようになると蒸しパンという名前になっているのかもしれないなぁ。

2025/03/29

は~い解散、解散

 東京地裁が宗教法人法に基づき旧統一教会に解散命令を出したのだ。
教会側は東京高裁に即時抗告すると早速会見し、場合によっては最高裁まで争い姿勢のようだけど、いつの間にかそこまで話は進んでいたんだね。
報道されないだけで手続は進んでいたようなのだ。
で、今回の解散命令は昭和26年(1951年)に宗教法人法が制定されてから3件目だそうで。
それほど珍しいことなのだ。
でも、個人的には何で裁判所が?、という疑問もあったので、ちょっと調べてみたよ。

まず、宗教法人法の規程。
第81条で解散命令について規定していて、「裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」となっているんだけど、今回は都道府県をまたいで活動してる宗教団体である統一教会の所轄庁である文部科学省が地裁(法人登記の場所なので今回は東京地裁)に解散命令を請求したものなのだ。
で、その請求理由は同条第1号の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」とされているのだ。
刑事事件として検挙されたことはなかったけど、多額の献金の要請や霊感商法などで財産的・精神的被害をもたらしたとする民法上の不法行為を根拠にしている点が注目されているよ。
以前の2件(オウム真理教と明覚寺)については刑事事件を根拠にしているので、さらに一歩踏み出した判断になるからなのだ。

その事前の手続きとして、第78条の2に基づく質問権を7回行使しているんだけど、最初に質問権を行使するときは話題になっていたけど、この質問権というのは、オウム真理教の事件を踏まえて法改正で追加されたものなんだよね。
地下鉄サリン事件というテロ行為を起こして初めて山梨県にあった施設で警察による強制捜査が行われることになるんだけど、坂本弁護士一家失踪事件以来きな臭いことはあったわけで、もう少し情報が取れていれば未然に防ぐこともできたのででは、ということなんだよね。
確かに、当時の教団は相当怪しい活動をしていたので、報告徴収やら質問権行使やらがもっとできていたら、最悪の事件を起こす前に検挙できた可能性はゼロではないのだ。
で、今回、その法改正で追加された質問権が機能したわけなのだ。
行使する前には憲法上は信教の自由が保障されているのでその権利侵害だなんて意見もあったけど、その結果、民事上の不法行為のエビデンスは集まりました、ということなんだよね。

ちなみに、オウム真理教の次に解散命令が出た明覚寺というのは、水子供養にかこつけた霊感商法で詐欺をしていたとして刑事事件になった宗教法人。
もともと本覚寺と名乗っていて、悪名が広まってきたので解明したといういわくつき。
旧統一教会が名称を変えた際にも話題になったのだ。
この時は普通に詐欺罪で警察の捜査が入ったので、質問権の行使などなくてもなんとかなったんだよね。
今回についていうと、刑法犯とまでは言えないような得も言われぬやり口(?)での不当な金集めが問題視され、それが民法上の不法行為に当たるとして、それを根拠に「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」という整理になっているんだ。
でも、この民法上の不法行為を「法令に違反して」という宗教法人法の条文の解釈で行けるかどうかは微妙とみている専門家もいて、おそらくもう少し裁判で争うことになるんだよね。

っていうか、最初にオウム真理教が刑法犯で解散命令が出た時も、最終的に最高裁まで争っているのだ。
「法令に違反し」まではよいとしても、「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる」というのが少し大げさな表現であることが理由だよ。
霊感商法で大規模に詐欺行為を働く、というのは「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる」のか、というこおだよね。
ただし、これは最高裁判決が出ているので、オウム真理教は完全アウト。
明覚寺もテロ行為という国家転覆につながるような大それたことはしていないけど悪質な詐欺を継続して働いていたのでアウト、という整理になっているので、少しずつ外縁が明らかになってきているのだ。
今回の例も、民法上の不法行為まで広がるかどうかは今後の司法判断を待つよりほかないよ。
ちなみに、明覚寺と同じように霊感商法でもんだしされた「法の華三法行」についても解散命令を発出すべく検討されたんだけど、それより先に破産してしまったので、宗教法人としては解散になってしまったのだ。
宗教法人法第43条第2項で「宗教法人は、前項の場合のほか、次に掲げる事由によつて解散する」となっていて、その一つとして第3号で「破産手続開始の決定」が規定されているので、破産すると強制的に解散なのだ。
オウム真理教も破産しているけど、あれは宗教法人としての解散命令が出亜後に破産しているのだ。

2025/03/22

今こそ原点回帰

 そろそろ放出された備蓄米が流通に乗るはずなんだけど、お米の値段はいっこうに下がらない。
っていうか、むしろまだまだ上がっている。
本当に米価は安定するのだろうか?
スーパーに行くと、「お米の代わりに」とか言って、パスタや焼きそば、パンのコーナーに力を入れ始めているのだ。
最近はお米を食べない食生活も広がってきているから、確かにそういうのもありだよなぁ。
でも、このまま値段が上がったせいで米離れが加速し、かえってうれなくなってしまうのだろうか。
ボクもある程度はいいけど、どうしてもお米を食べたくなるときはあるんだよなぁ。

そんなとき、先人の知恵が役に立つのだ。
それが「かて飯」と呼ばれるもの。
埼玉の名物として五目ごはんみたいのがあるけど、あれ。
もともとは米を炊くときに他の材料を入れてかさまししたものなのだ。
特に有名なのはNHKドラマ「おしん」で一気に全国区の知名度になった大根飯。


もともと江戸時代の農家は、自分でお米を作っているのにたらふくお米を食べると言うことはなかなかできなくて、麦や雑穀を混ぜたり、水気を多めにして雑炊やかゆにして食べていたのだ。
そんな少ない米でおなかいっぱい食べる工夫のひとつが「かて飯」。
大根以外にも、エンドウ豆(豆ごはん)、サツマイモ、キノコなどを入れていたようなのだ。
海が近い地域では海藻を混ぜ込むのもよくやられていて、その系統にあるのが、給食で人気のわかめごはん。
刻んだわかめのかすかな磯の香りとほんのりした塩味がおいしいよね。
戦中戦後の食糧難の時代には、トウモロコシやカボチャをまぜたりもしたのだ。
戦中世代はさんざん食べさせられたから、サツマイモやトウモロコシ、カボチャがきらいな人が一定数いるんだよね。

で、もともとは米が少なくてもすむ工夫だったわけだけど、具が入ってあじのついたごはんっておいしいよね、ってことで発展していくのがかやくごはん。
栗ごはんやタケノコごはんはもともとは「かて飯」のカテゴリーだったようだけど、白飯が不自由なく食べられる時代になっ点もおいしいからといって食べ続けられているのだ。
っていうか、少し高級だよね。
豆や山菜、キノコなんかもそう。
ボクは実家で出ていた里芋入りのキノコごはんが好きだったなぁ。

で、米が高くなったいま、米以外の主食を食べるというのもあるけど、この「かて飯」に注目するのもありと思うのだ。
ごはんを食べたいという欲求も満たせるし、お米をがまんしている、という感じも薄いし。
けっこういいアイデアだと思うんだよな。
そんなことを考えていると、ひさしぶりにわかめごはんが食べたくなってきた。
でも、わかめごはんだと大してガサ増やしにならないんだよなぁ。
やっぱり豆ごはんやトウモロコシごはんから始めるのがよいか。

2025/03/15

聞かない力

 ネットで見た情報なんだけど。
精神疾患の症状の一つである幻聴がノイズキャンセリングのイヤホンで軽減するということが報告されているのだ。
え?
実際には音が聞こえていないから「幻聴」なんじゃないの?
それが雑音を消して音をクリアに聞きやすくするノイズキャンセリングでなくなる?
これだけ聞くと意味不明だよね。
ちょっとずつ解きほぐして考えた方が良さそうなのだ。

まず、ノイズキャンセリング技術から。
これは理論的にはそうなんだけど、本当にそんなことができるのか、と個人的に思う技術の一つなんだよね。
音が波の英室を持っているのは周知のとおり。
実際には空気の振動が進行方向に振動する粗密波という波なのだ。
で、波という性質を持つ以上、周期と位相があるわけで、同じ周期で逆位相の波を重ねると、山と谷がそれぞれ打ち消し合うので波がキャンセルされるのだ。
なので、ノイズの音の波の成分を分析し、それを打ち消す波を出してあげればよいわけ。
理屈はそうなんだけど、リアルタイムで音波の成分を分析して逆位相の音波をぶつけるってすごいよね。
実際には完全一致しなくてもある程度打ち消せればノイズは小さくなるので、ある程度予測できればできなくもないとは思うけど。

次は「幻聴」について。
本来的な意味として、聞こえないはずの音が聞こえたと脳が錯覚している状況を指すわけだよね。
聴覚信号については、
 音刺激が耳に入ってくる
=>鼓膜を介して音刺激が生体内信号に変換される
=>聴覚神経から脳の聴覚野に音刺激が来たという情報が伝わる
=>脳内で情報処理をしてその音刺激を「音」として認識する
という流れ。
このうち、特に重要なのは認識の部分で、人間の脳の処理は立派なので、「聞きたい」音は増幅されて、そうでない雑音(虫の声、外を走るトラックのエンジン音などの環境音)は減衰させて認識しているんだよね。
集中してくるとまわりの雑音が気にならなくなる、というやつ。
確かに、いろんな人の話し声が混ざり合った雑踏の中で会話をしていても自分が会話している相手の声だけははっきり聞こえるけど、その背景にある他の人の会話は通常あまり認識されないよね。


精神疾患は「心」という概念を無視すれば、聴覚に関する脳が機能不全に陥っている状態。
この場合、脳内の音刺激の情報処理がおなしなことになると、聞こえていないはずの音が聞こえたように誤認してしまうのだ。
ただし、どうもそれにもさらにサブタイプがあるようで、
・全く何も聞こえていないのに音が聞こえると錯覚している
・本来雑音として「あまり聞こえない」ように処理すべき音が意味のあるような音(多くの場合他の人の話し声、しかも、自分を罵倒や嘲笑するような声)に誤認している
というような場合があるのだ。

後者の場合、ノイズキャンセリングできるとトリガーになる雑音が減るのでこうかはありそうだよね。
でも、実は前者の場合でも、ノイズキャンセリングで雑音は聞こえないんだ、という安心感と言うか、プラセボ効果により、そういう錯覚をしなくなる、というケースがあるようなのだ。
音がしない部屋に入れても自分をののしる声が聞こえる、という症状を訴える患者さんであっても、ノイズキャんセリングのヘッドホンを装着させると落ち着くことがあるんだって。
こうなると、機能不全とはいいながら、精神的な状態が機能に影響を与えているということになるので、また「心」という問題に戻ってくるんだよなぁ。
なかなか脳の高次機能と言うのは難しい。
とはいえ、器質性ではない耳鳴りなんかの場合は精神的な原因かもしれないので、その場合はノイズキャンセリングヘッドホンがおすすめだよ、ということ。

2025/03/08

たたいて固める

 難読語の一つ、「三和土」。
これは「たたき」と読むのだ。
今では玄関で履き物を脱ぐスペースを指すけど、もともとは伝統的な日本家屋で板間に上がる前の土間の部分のこと。
日本は履き物を脱いで家屋に上がる文化だけど、炊事場や作業場などは土間にあって、履き物をはいたまま過ごす場所だったんだよね。
単純に足元が汚れるからなんだけど。

で、この土間は土をたたき固めて作られていたので「たたき」と言うのだ。
「敲き土」というもので、安山岩や花崗岩が風化した土(火成岩由来のその辺にあるさらさらした土、非アルカリ室)に消石灰とにがりを加えて練ったものを塗ってたたき固めたもの。
しっかり固めると誇りも立たなくなるし、水もあまりしみこまなくなるのだ。
コンクリートのなかった時代には重要な建築部材だったんだって。
で、三種類の材料を混ぜて土を固めるから「三和土」という字を当てるのだ。
今ではコンクリで打ち固めてあっても「三和土」と呼ぶのだけどね。

で、土間と板間の境界にあるのが「上がりかまち」。
まだ草履や草鞋を履いていた時代は、上がり框に腰かけて足を洗ってから家に上がるという習慣があったんだよね。
これを「足濯ぎ」と言うのだけど、旅館なんかだとたらいに湯を張って洗ってくれる、なんてサービスもあったみたい。
もちろん、庶民の家だと桶に水が汲んであるだけで後は勝手に洗って手拭いで水をぬぐってね、ということなんだけど。
なので、玄関口の上がり框は基本は腰かけるもので、家にああラナイまでも上がり框に腰かけて家の人とコミュニケーションをとるなんてこともあったわけだよね。
今でもお茶会に呼ばれると足袋や靴下を履き替えるのだけど、その昔は足を洗っていたわけだから、家に上がるのはけっこう大変なことなんだよね。
そうなので、上がり框に腰かけて話したり、縁側という内と外の境界でコミュニケーションをとることに意味がったのだ。
現在ではほぼほぼ段差がなくなってきたけど、昔は吸われる高さというのが大事なのだよ。

世界を見渡しても、あまりこういう構造の家屋はないように思うけど、それは遺文を融合するという文化の考査地である日本で発展したものだから。
もともと日本では、縄文時代に竪穴式住居だったので、周囲より少しくぼませたところに土間を作って生活していたのだ。
そこに南洋由来の高床式の住居が入ってくるんだよね。
高温多湿な東南アジア系の住居では、地面と床の間に空間を作ることでじめじめした気候の中でも快適に過ごせるので、高床式の住居が発達していたらしいのだ。
この二つが日本の地で出会ったとき、なぜか二つの方式を融合して併存されるような形で発達したものなんだよね。
夏なんかは特にじめじめしているので、日本でも赤床式はけっこう快適なわけあけど、一方で、土間は土間で履き物を脱がないで出入りできるし、床が多少汚れることを気にしなくてもよいので便利なのだ。

この方式で唯一面倒なのが履き物をぬがなくてはいけないところ。
とはいえ、日本は文化的にけっこう明確に「内」と「外」、「清浄」と「不浄」、「ハレ」と「ケ」を意識して分けて考えるから、履き物を脱いで足を洗って家に上がる、という一連の流れはすんなり受け入れられるのかも。
神社にお参りして、礼をしてから鳥居をくぐり、手水で口をすすぐ、みたいなのと同じ感覚だよね。
住居も西洋化してきたからすでに「たたき」というのは名称としてしか意識されないようになってきてしまっているけど、難読の漢字にはしっかりと意味があるものなのだ。

2025/03/01

にほひおこせよ

 梅の花が咲き始めたのだ。
確実に春が近づいてきている!
職場の近くでふと甘い香りが漂っていて、見てみると白梅が咲いていたんだよね。
古来より梅の花の開花漂ってきた香りで知るというけど、本当にそうなのだ。
実は酸っぱいのに、花は甘い香りなんだよね。

春を代表する桜風味というと、塩漬けにした桜の葉の方向成分である「クマリン」が有名だけど、梅の花の香りはもう少し複雑なようなのだ。
そもそも香りの強いもの、弱いものもあるし、白梅と紅梅で香りが違うよね。
で、少し調べてみると、2010年に花王が梅の花の香り成分を分析した、という話が出てきたのだ。
実際の当時のプレゼン資料はリンク切れで見られないのだけど、それを取り上げたニュースやブログなんかが残っている感じ。

花王の使っている技術は「エアロセント技術」という独自のもので、花をガラス容器で覆って香り成分を吸着させて分析するようなのだ(ガスクロ?)。
精油成分のような高揮発性のものから油脂のような低揮発成分まで広く分析できるとか。
しかも、時間分解能もあるので、花が咲く初めてから終わるまでの香り成分の変化も終えるんだって。
で、この技術を使って、和歌山県と共同で梅の花の香り成分を調べたようなのだ。
和歌山と言えば実梅としても有名な南高梅があるけど、南高梅は花の香りも強いことで有名なんだよね。

花王の発表資料を見られていないので正確性は欠くけど、どうも代表的な成分は、酢酸ベンジル、ベンズアルデヒド、オイゲノールといったもので、その他マイナーな香り成分が相当数あって、その組み合わせで品種ごとに異なる香りになっているみたい。
花王の分析では、「、白梅はライトフローラル、紅梅はリッチなスパイシーフローラルタイプ、淡紅梅はパウダリーな甘さが強いタイプという官能評価」ということらしいよ。
正直よくわからないけど(笑)


まず、酢酸ベンジルはベンジルアルコールと酢酸のエステルで、ジャスミン、イランイラン、クチナシなんかの香り成分。
つまり、相当甘ったるい香りなのだ。
香水や化粧品にもよく使われる香料だよ。
ベンズアルデヒドはアーモンドや杏仁の香り成分で、すっとしたさわやかな香り。
安価な香料としてよく使われるものだよ。
オイゲノールはクローブの香り成分で、バニラのような甘い香りの中にスパイシーさがある、というものらしい。
わかるようなわからないような。

つまり、この3つを混ぜるとなんとなく梅の花の香りになるようなのだ。
これだけだと安っぽいのだろうけど。
そして、白梅はベンズアルデヒド多め、紅梅はオイゲノール多め、ということなんじゃないかな。
香りが強くない梅というのは多分ベンジル酢酸が少ないのだ。
こういうのを考えながら梅の香りを楽しむのもまた一興?
でも、梅の花の香りを再現した〇〇ってあんまり聞かないような・・・。
まだ難しいことがあるのかも。

さらにちなみに、花王の研究では時間悔過で香りの屁化を見ているのだけど、梅の花は開花から落弁(花びら青tること)まで2週間ほどで、7日目あたりに完全開花。
香りもこのあたりが一番強いようなのだ。
かつ、開花直前までは低空飛行で、開花で一気に強くなってあとは減衰していく、という感じみたい。
ということは、香りが漂ってきて梅の花が咲いているのに気づく、というのは、ほぼほぼ満開状態になったあたり、ということになるよね。
においで気づくと梅の花が咲き誇っているというのはなかなかシチュエーション的には劇的だよね。
よくできてるよ。

2025/02/22

ため込むリスク

 米の価格上昇問題について、ついに政府が備蓄米の一部を開放するのだ。
これが市場に流通すると価格が下がってしまうので、投機目的でコメを着占めていたような人たちはさっそく売り抜けようとしているみたいだね。
令和の闇市ともいわれるネットのフリマサイトにけっこう出回っているようなのだ。
IT業者やスクラップ事業者、中国関係法人などいろんなところがため込んでいると報道されているけど、どうなることやら。
少し時間はかかるけど安くなることがほぼほぼ確実なのにこのタイミングで高値で買う人はいるのか?

で、ここでさらに懸念が指摘されているのが、非正規のルートでせき止められていた米の品質の問題。
通常、米は玄米として冷蔵保存されているんだけど、どうも投機目的の人たちは、雨風しのげればよいとばかりにその辺に常温で置いてるっぽいんだよね。
これは米の品質が著しく低下するし、また、危険な保管方法でもあるのだ。
素人が目先の金目当てに手を出しただけなのでそんなことは知らないのだろうけど。

まず、これから春になってあたたかくなるけど、ここで出てくるリスクが「虫」の問題。
無菌室やクリーンる^無で作っているわけではないので、どうしても米には虫がついているのだ。
卵が産みつけられているんだよね。
これが一定の温かさになると孵化して出てくるのだ。
代表的なのは、甲虫のコクゾウムシ(小さなゾウムシ)と蛾のノシメメダラメイガ。
どちらも幼虫の間は白いのであまり目立たないのだけど、成虫になるとどうしても目立つのでぎょっとするのだ。
それぞれ毒を持っているような虫ではないので、食味は大きく低下するものの、天日干しして虫を取り除けば食べられないこともないけど、虫がわかうようないい加減な保存方法をしていた米を買おうとする人はあまりいないよね・・・。
冷蔵しておくとこの虫の発生が抑えられるのだ。

虫が湧くまで行かなくとも、保存状態が悪いと米はどんどん劣化していくのだ。
でんぷんの質が劣化していくなどンお不可避な経年変化は別としても、保存状態が悪いと米ぬか中の脂質が酸化し、においがつくのだ。
いわゆる「古米臭」というやつ。
これは米の食味を大きく損なうんだよね。
いわゆる刑務所のくさい飯は、まだものがない戦後はにおいのついた古米くらいしか刑務所には回せなかったので、本当に炊いたお米がくさかったらしいんだよね。
寿司なんかはがん水量が少なくなって粘り気も抑えめになった古米の方がいいなんて言うけど、これはあくまでも保存状態が最良なもの。
いい加減な保存状態だと古米臭が染みついてしまうのだ。
この先フリマサイトに出回るのはひょっとするとこの「くさい飯」かも。

におい程度であればまだましなんだけど、梅雨時期になって湿気が増えると危ないのがカビ。
一部のカビは生えるとお米の色が黄色く変わってしまうので(黄変米)、見た目でやばいやつだとわかるんだけど、ぐちゃぐちゃに腐っていく野菜と違って、見た目だけではわかりづらいものもあるのだ。
そのむかし、三笠フーズという会社が、基準以上の残留農薬が残っていたり、カビが発生したりした、非食用の「事故米」を加工食品用に転売して大問題になったけど、そのときに本当にやばかったのがカビが発生してアフラトキシンができてしまったもの。
この毒は熱で分解されないので炊いてもそのまま米の中に毒が残るのだ。
で、最悪の場合は肝臓がんにつながるよ。
黄変米のカビ毒もマヒや急性肝障害など耶馬目なものだけど、こっちは見た目ではじけるのでまだ対策を取りやすいのだ。
っていうか、黄変米h食べなきゃいいだけなので(加工されちゃうとつらいのだけど。)。


で、春先は備蓄米の放出により米価が下がってしまうからまだこらえて、次の新米が出る直前の米の供給量が下がる夏過ぎに売ろう、なんて浅はかな考えをすると、これが危ないのだ。
もともとモラルも減ったくれもないだろうから、黄変米になっていようがどうしようが、フリマアプリでだまして売る連中はきっと出てくるよ・・・。
素のフリマサイトでは、使用済みの米袋も売られているらしいので、復路だけ詰め替えて偽装して出品される未来がほぼほぼ見えているんだよね。
なんで、信頼できないルートでのコメの調達は絶対にしてはいけないのだ。

2025/02/15

いざ解放せむ

 米の販売価格の高止まりが続いているのだ。
秋になって新米が出れば安くなるはず。
と言われていたけど、高いまま・・・
米は不作というわけでもなく、むしろ昨年度より生産量は上がっているのだけど、なぜか集荷量は下がっているらしい。
つまり、どこか捕捉できていないルートに流れている?
七ならべじゃないけど、誰かが流通を止めて米の価格を上げ、利ザヤを稼ごうとしているとしているのでは、と見られているよね。

そんな中、米の価格の安定性の確保のため、農林水産省は政府備蓄米の放出を決めたのだ!
市場にコメが出回らないから高値でtロ位引き去れるわけで、流通量が上がれば下がるはず、ということ。
でも、すでに小売店は高価格でコメを仕入れてしまっていてその在庫があるので、それがはけるまでは下がらないのじゃないか、とも言われているよ。
ま、やらないに越したことはないし、米はなんだかんだで日本人の生活基盤を支えるものなので、うまくいってほしい。

この政府備蓄米というのは、そこまでむかしからあるものではなく、平成になって始まった制度なのだ。
きっかけは平成5年(1993年)の「平成の米騒動」。
この年のコメの大凶作と、その前の年の普通レベルの不作の合わせ技で、米が圧倒的に足りなくなったのだ。
これは今と違って本当に買いたくてもものがなくて買えないというくらい(年間1,000万トンの消費量に対して役200万トンの不足)。
で、各国に働きかけてコメの緊急輸入に踏み切るんだよね。
カルフォルニア米なんかはかなりましだったのだけど、この時問題になったのがタイ米。
タイ米はインディカ米なので、ジャポニカ米の日本のコメとは根本的に異なるものなので、同じように炊いて同じように食べようとしたので「おいしくない」と大騒ぎになったのだ。
きちんとタイ米らしい調理法をとればおいしく食べられ得るのだけど(それをさんざん広報したのだけど)、タイ米=おいしくない米という認識がこの時で来てしまったんだよね。
ガパオライスやタイカレーにはめちゃくちゃ合うのに。

これまでの米の流通は食糧管理法の下で政府の管理下にあったんだよね。
もともとは戦時下の食糧不足に対応するものだったけど、戦後も改正されながら関r制度は維持されていたのだ。
このころは、米は基本全量政府がいったん買い上げて全国に公平に流通させる、ということをしていて、余った分を備蓄に回していたのだ。
「特急米」とか「一級米」とかいうのはこのころのグレードで、同じグレードのものはブレンドしてしまったので、今のように「〇〇産××」みたいなブランド米もなかったんだよ。
で、その後「自主流通米」という名でこの全量買い取り制度の外で流通するものもあったけど、それは例外的なもの・・・。
かつ、国会においては、「米は一粒たりとも輸入してはならない」という決議がなされていて、海外からの米の輸入も事実上禁止されていたのだ。

ところが、上記の米騒動で緊急輸入するに至り、ここに大きな変化が訪れるのだ。
ちょうどGATT(関税及び貿易に関する一般協定)のウルグアイラウンドにおいて日本は米の輸入を解禁するよう米国に迫られていたのだ。
これでもう時代のうねりは止められず、米の管理制度は時代遅れということで廃止されることとなり、食糧管理法に代わって「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」に基づく制度に移行するのだ。
これが平成7年(1995年)。
この後から、ブランド米を直接農家から買えるようになったりしたんだよ。
スーパーや百貨店も農協を通さずに直接農家から仕入れたりするようになったのだ。

で、この法律に切り替わったときにできたのが政府備蓄米制度。
2年連続で不作が続いても大丈夫なように、100万トンという水準で備蓄していて、5年かけて毎年20万トンずつ入れ替えていくのだ。
古くなった米は、市場に出してしまうとコメの市場価格が不安定になるので、基本は飼料用に回すんだけど、一部は学校給食や子ども食堂などに無償で提供されるらしいよ。
今回は、価格が高くなりすぎているので、この備蓄米を市場に投下して価格の高止まりを解消しようというわけなのだ。

2025/02/08

断末魔はドナルド・ダック

 
最近話題になった報道で気になる点があったのだ。
ヘリウムで自殺?
ヘリウムガスって何か毒性があったっけ?
仮に毒性があるなら、声がドナルド・ダック化するみたいな感じで使わないよね?
と、頭が混乱したのだ。
よくよく見てみると、ほぼ純正ヘリウムで酸素が混入されていないと酸欠を起こすらしい。
といっても、これは窒素でもなんでも同じで、ようは、酸素濃度が低すぎるガスを吸うとやばい、ということのようなのだ。

これは人間の肺におけるガス交換の仕組みに由来するんだって。
肺という臓器では、機能性ユニットである肺胞の中で、吸い込んだ空気と肺に張り巡らされた血管との間でガス交換を行うのだ。
このとき、ヒトの血液側の酸素濃度はおよそ16%。
空気中の酸素濃度は21%なので、濃度勾配により吸い込んだ空気の中の酸素が血液に取り込まれていくのだ。
すごいシンプルなメカニズム。
でも、これがあだとなるのだよね。

逆に、吸い込んだ空気が16%より低い酸素濃度だった場合、酸素は血液中から吸い込んだ空気の方に流れてしまうのだ。
水は常に高きより低きに流れるから。
一方で、血中酸素濃度が低下すると、延髄での反射でさらに空気を吸い込もうとしてしまうんだよね。
でも、その時周りの空気の酸素濃度が低いままだと・・・。
府のスパイラルでどんどん血中酸素濃度が下がっていくことに!
これが酸素濃度の低いガスを吸い込むことによる酸欠の仕組み。
ヘリウムで酸欠というのもこの類で、ドラルド・ダック声にするヘリウムガスのスプレーには酸素が20%ほど混ざっているのだけど、今回のものは酸素が混ぜられていないものだったようなのだ。
これは気体の種類は問わないので、無味無臭で、それ自体には毒性のないもの(まさにヘリウムガスのようなもの)でも起こり得る、というのは知っておかないと危ないのだ。

で、高地で息苦しくなるのは、酸素濃度はそんなに変わらないんだけど、空気が薄くて吸い込んだ空気中の酸素量自体は少なくなるので、酸素が少し足りない状態になるのだ。
その状態の症状が「高山病」。
これは徐々に体を慣らしていくしかないんだよね。
アスリートがやっている「高地トレーニング」みたいなのをやると、血液中のヘモグロビン(赤血球の中で酸素を運ぶもの)の量が増えることが知られているのだ。
それにより、低酸素状態への抵抗力がついて、無酸素運動系の競技では効果があるんだよね。

一方で、この話と一線を画するのが一酸化炭素中毒。
これは酸素の量の問題ではなく、一酸化炭素の毒性の問題なのだ。
ストーブの不完全燃焼で一酸化炭素が発生した場合は、十分な酸素濃度があろうが酸欠になるのだ。
その初期症状は高山病とも似ているんだよね。
体の中で酸素が足りない状態に強制的になるわけ。
これが起きるメカニズムは単純で、一酸化炭素は酸素に比べてヘモグロビンと結合しやすく(200倍以上)、一度くっつくと離れないので、そのヘモグロビンはもう酸素を運べなくなるから。
つまり、体の中での酸素の運び手が次々と一酸化炭素に取られてしまうので、いくら酸素を吸っても酸欠になるというわけなのだ!

中毒が発生してしまうと高濃度の酸素を吸わせるしかないんだけど、回復するまでにけっこうな時間がかかるので、酸欠状態は続くんだよね。
そのため、酸素の消費量の多い脳などは障害が残りやすく、非常に危険なものなのだ。
なので、とにかく予防が大事。
燃焼系の暖房器具の場合は定期的に換気が必要だよ。
また、密閉度の高い屋内の火事なんかだと、火が出て燃え上がってしばらくすると屋内の酸素の消費が進んで火勢がいったん弱まるのだ。
この状態でドアや窓を開けると一気に空気が流入して酸素が供給されるために爆発的に火勢が強くなる「バックドラフト」が起こるよ。
なので、不用意にドアや窓を開けて背景のだけど、そのままの状態だと不完全燃焼が進んで一酸化炭素が出てくるのだ。
一酸化炭素の比重は空気と同じくらいなんだけど、燃焼で出てくる一酸化炭素は熱いので上の方にたまりがちだから、姿勢を低くして一酸化炭素をできるだけ吸わないようにすることが大事。
でも、そのままだと一酸化炭素中毒に加えて低酸素による酸欠も近づいてくるので、誰も助けに来ないのであれば、少し窓から離れたところから物を投げて空気の通り道を作るしかないよ。
火は勢いを増すけど、酸欠や一酸化炭素中毒は防ぎやすくなるのだ。

2025/02/01

田舎タワー

 子供のころ、高速道路などで移動中に「送電塔」が見えると「田舎タワーだ」なんて喜んだものなのだ。
東京タワーに形が似ているからね。
で、今の職場の近くにもわりと太い送電線が通っているんだよね。
鉄道と大きな工場があるからみたい。

実は、いわゆる電線には大まかに三種類あって、コアになるのが供給区域全体に網の目のように張り巡らされているのが送電網。
その送電網に発電所で発電した電気を入れるのが電源線。
逆に、送電網から電気の使用者に電気を届けるための末端のネットワークが配電網。
大きな工場や鉄道の場合は送電網から直接電気を引き込むけど、デパートやコンビニ、一般家庭だと、配電網から電気の使用場所に引き込み線を引くのだ。

電源線はいいとして、送電と配電と概念を分けているのは、電気を流通させるときにできるだけロスを少なくするようにネットワークを運用する必要があるからなんだよね。
これは中高生レベルの出電気力学で説明できるよ。
まずはオームの法則だけど、「電圧=抵抗×電流」で、同じ電線に流す場合(=抵抗値が一定)、電圧と電流は比例するので、電圧をかけるとよりよく電流が流れるのだ。
これはわかりやすい。
一方で、電力ロスは抵抗で発生する熱の形で出てくるのだけど、このときのジュール熱(単位時間あたりに発生する熱量)は、「ジュール熱=抵抗×電流の二乗」になるので、電流が少ない方がよいことになるよね。
この二つだけで単純に考えると電流が少ない方が有利なよう見見えるけど・・・。

実は電力供給で大事なのは電力(=仕事率)で、これを需要端(=電気を引き出すところ)で一定に保つ必要があるんだよね。
電力は、「電力=電圧×電流」になるので、電力を一定に保とうとすると電圧と電流は比例するのだ。
したがって、熱の形で出てくる電力ロスを抑えつつ、需要端で電力を一定に保つ場合は、電圧を高くして流れる電流を小さくした方が有利なわけ。
これが送電を高圧電流で行う理由だよ。

実際には、発電所で発電される電気の電圧はそこまで高くなくて、しっかり昇圧したうえで送電網に電気を入れるんだよね。
送電網の基幹線は27.5万V(275kV)か50万V(500kV)なので、そこまで昇圧するのだ。
で、配電側に近づくにしたがって電圧を下げていくんだよね。
送電と配電の境界は6600Vで、送電網から直接電気を引いてしまう場合は「特別高圧」で、6600Vまで降圧して配電網に入れてから電気を引くのが、高圧や低圧、家庭用である「電灯」という区分だよ(今は全面自由化してしまったので必ずしもこういう区分にはなっていないけど。)。
電信柱の上にある柱上変圧器は200Vまで降圧するのだけど、この先から引き込むのが低圧(200V)や電灯(100V)だよ。

この送配電ネットワークを電力系統と呼ぶのだけど、一般に日本の系統は欧米のものより「弱い」と言われているんだよね。
その大きな理由は、電力の供給場所と消費場所が偏っているから。
東京電力管内は典型的だけど、そもそも発電所のほとんどは供給区域の外にあるのだ(新潟、長野、福島など)。
でも、電気をたくさん使うのは、23区内や横浜、川崎などの都市部。
神奈川や千葉にはまだ火力発電があるからましだけど、23区の近傍には発電所なんてないよね(むかしは千住に火力発電所があったけど。)。
こういう状態で、夏に気温がぐっと上がって都心部で電気の使用量が大幅に増えたり、大きな発電所がトラブル等で止まったりすると、電気の流れが大きく変わるのだ。

丈夫な電力網の場合は、電気の供給と引き出しが満遍なく分散しているので、特定の発電所が止まったり、特定の場所で電気の使用量が上がっても系統全体でバランスをとりやすいのだ。
一方、これが偏っていると、うまくバランスが取れなくなって停電したりするんだよね。
もともと東京電力管内はぜい弱なネットワークなんだけど、東日本大震災以来、福島や新潟の原発が止まって電気のインプットの流れが大きく変わったので、このバランス鳥がさらに難しくなっているようなのだ。
額面上で発電量と消費量があっているだけではだめで、ネットワークの電気の流れも踏まえて調整しなくちゃいけないから大変なんだよね。
消費者からは直接何をしているか見えづらい東京電力ぱわぐりっどは実はけっこうすごい仕事をしているのだ。

2025/01/25

えーしー

 とある放送局はとあるトラブルにおり、ほぼすべてのCMがACジャパン(旧公共広告機構)のものに切り替わっているのだ。
これだけいろんな種類を作ってたんだと感心したけど。
まさに現在のトレンド。
東日本大震災直後もスポンサーがつかずにACジャパンの広告が流れまくったけど、今回の状況はそれとはまた異なるのだ。
なぜなら、広告主はCMの放送を取りやめているだけで、広告枠は買ったままだから。
つまり、ACジャパンの広告に切り替わろうと、すでに支払っている広告料は今のところ返金されていないのだ。
すでに「返金しろ」という声は上がっているようだけど・・・。
とはいえ、広告枠の更新時期にはもうスポンサーがつかなくなるので、今はしのげても間もなくかなりきつくなるんだよね。

テレビのCM契約にはいくつか種類があって、いわゆる各番組の中で流れる「ご覧のスポンサー」のCMはタイムCMと呼ばれるもの。
特定の番組に対してスポンサー料を払って、その番組の時間枠の中でCMが流れるのだ。
番組の内容によって視聴者層がある程度想定できるので、対象を絞った訴求力のある広告が打てる、と言われているよ。
もちろん、その分だけお高いのだ。

もう少し安価に広告を流したいときは、番組提供クレジットの中には表示されないけど、「ほか各社」という扱いでCMを入れることも可能なのだ。
こういうのがスポット契約と呼ばれるもの。
番組中に流れるものが「パーティシペーション」で、番組と番組の間に流れるものが「ステーションブレイク」だよ。
一社提供の番組なのに時々その会社以外のCMがなあれるのはこれなのだ。

さらに、もっとイレギュラーなものもあって、それが「フリースポット」とうもの。
ある時間の幅の中で一定の回数CMを入れてください、時間帯は指定しません、という契約。
有名どころではハウス食品やコーワがつかっているもので、CM枠に空きが出るとそこに差し込まれることが多く、埋め草のように使われるのだ。
特定の層をターゲットにせず、全般的に広告すればよい、というころであればこれが使えるんだよね。
でも、個人的にはハウス食品のカレー粉のCMみたいなのは、見たらカレーが食べたくなるので、必ずしもグルメ系の番組の間である必要はなく、ドラマだったり、バラエティだったりなんでもありのような気がするな。

で、このフリースポットの特徴として、他にスポンサーがつかない場合に入ってくることが多いので、この手のCMばかりが目立つようになる=スポンサーが付きづらくなっている、ということなのだ。
視聴率が落ちて人気が低迷してくるとそうなってくるわけで、CMの流れ方を見るだけでもそういうのが何となく察せるというわけだ。
もちろん、深夜番組のようなもともとスポンサーのつきづらいものもあるので、徐々にCMの流れ方が変わっていって、という場合限定だけどね。

で、現在の某放送局はこの状況をさらに超えたところにあるんだよね。
誰もCMを入れたく無くなくなった場合に差し込まれるのがACジャパンのCMなのだ。
道徳・マナー的なCMだったり、公益的な事業(あしなが育英会や子ども食堂、各種検診など)だったり。
東日本震災の時に目立ったのが「元気に挨拶しよう」というやつで、今でいうと、「検脈」と「決めつけ刑事」が話題かな。
フリースポットの場合はまだスポンサーがお金を出してくれているわけだけど、それさえもいなくなると、こればかりになってしまうのだ。
幸い、現時点では広告枠の引き上げだけでいったん出した広告料は返金されていないので収入減になったいるわけではないけど、すでに広告料を払っているのにCMを止めてほしい、と言っている企業が多いわけだから、次の契約には結びつかないよね・・・。

そのACジャパンだけど、前は公共広告機構と名乗っていたのだ。
名前的に公的な機関だとばかり思っていたんだけど、業界関係者が作った任意の団体だったんだよね。
米国にも似たような組織があって、それをまねて、昭和46年(1976年)に関西で活動sる関西広告機構が発足し、それが昭和49年(1974年)に公共広告機構になって活動が全国展開されたそうだよ。
で、公的機関と紛らわしいという理由で、平成21年(2009年)に正式名称をACジャパンに改めたのだ。
時代時代でけっこう話題になっている広告を打っていて、もともとわりと存在は目立っていたけど、いよいよここに極まってきた、という感じかな。
おかげで現在放送中のフルラインナップがわかったしね。

2025/01/18

当事者間で

 最近よく報道で耳にする言葉。
それは「示談」。
自動車の接触事故とかをイメージするけど、今話題になっているのは、泥酔したうえでの住居不法侵入だったり、和解金を9,000万円支払ったと言われるトラブルだったり。
そこで、改めて「示談」というものを調べてみたのだ。

一般に「示談」と言われているものは、法律上は、最場外の和解、私法上の和解と呼ばれるもの。
民法第695条「和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる」という条項に基づくもの。
重要なのは、双方が譲り合って妥結している、と定義されていることなのだ。
交通事故なんかの場合は、加害者側の謝罪と損害賠償によって被害者側が蛍雪への被害届を取り下げる、みたいな感じ。加害者側は謝罪と被害者側が納得する額の金銭の支払いで、被害者側は被害届の取り下げで、それぞれ裁判で争わないということを譲って合意していることになるよ。

民法事案であれば、双方が納得しているのであれば必ずしも裁判で決着をつけなくてもよいわけだけど(逆に言うと、双方の話し合いだけでは決着しないから民事裁判をするわけだけど)、刑事事案はそう単純ではないんだよね。
治安維持という観点では、社会通念上許されざる行為で法律上犯罪とされているものについてはきちんと罰する必要があるのだ。
なので、接触事故でけがをした、という程度であれば被害届が取り下げられれば送検・起訴されることはまずないけど、ひき逃げで被害者が亡くなっているような場合、被害者遺族と賠償金の支払い等で和解ができていたとしても、刑事罰は免れないのだ。

例えば、今回の住居不法侵入の場合、知らない人に勝手に家に入ってこられる、ということだけど、その家の住人が和解で来ている限りにおいてはそこまで目くじら立てて罰するほどでもないものだよね。
なので、このケースは示談で和解ができていれば刑事事件になる可能性は極めて低いのだ。
入っていただけでなくその場で暴れて器物損壊もある、なんて場合は別だけど、ただ入ってきただけで物的損害なく追い出しに成功していれば、入ってこられた住人側が許すというのであればそれ以上のものではなくなるよね。
一方で、問題は「トラブル」の方。
何があったのか全く詳細はわからないけど、金額的に相当なことがあったんじゃないかと推測してしまうよね。
すると、被害者との間で和解が成立していようが、刑事事件になる可能性はあるのだ。
実際、加害者側はコメントで「示談で和解しているから今後の活動に支障はない」とか書いているけど、すでにこれだけシャイ的に騒がれているわけで。
何があったのかの中身いかんでは、公序良俗の観点で、また、治安維持の観点で刑罰を科すべき、との判断は無きにしも非ずなんだよね。

ここで気になるのは、仮に強制的な行為があった場合、それって「親告罪」じゃなかったっけ?、ということ。
親告罪というのは、告訴が泣けれあ公訴を定義できない、つまり、検察官が刑法犯として裁判にかけられないという犯罪のこと。
プライバシーの保護の観点から、いわゆる「強姦罪」は長らく親告罪とされてきたので、被害者側から訴えがなければ状況証拠として確実にそういう事案があったとわかっていても裁判には持ち込めなかったのだ。
ところが、シャイ的な受け止めとして、強制行為や痴漢・盗撮のような性犯罪は被害者の訴えがなくても罰せられるべきというように社会の受け止めが変わってきたので、「不同意性交等罪」となった現在の刑法の扱いでは非親告罪になっているのだ。
なので、まず警察が捜査に乗り出すかどうかというのはあるけど、示談で和解していても刑事罰は回避できない可能性があるんだよ。
ここまで大々的に報道されるとその可能性はゼロには見えないよね。

というわけで、示談による和解で完全に刑事罰が回避できるのは親告罪のみなので、気を付ける必要があるのだ。
刑法上親告罪に規定されているのは3つのケースがあって、「告訴がなければ公訴を提起することができない」と明確に規定されているよ。
(1)事実が公になると、被害者に不利益が生じるおそれのある犯罪
 未成年略取・誘拐罪、名誉棄損罪・侮辱罪、新書開封罪・秘密漏示罪
(2)罪責が比較的軽微であり、または当事者相互での解決を計るべき犯罪
 過失損害罪、私用文書等毀棄罪・器物損壊罪・信書隠匿罪
(3)親族間の問題のため、介入に抑制的であるべき犯罪
 親族間の窃盗罪(親族相盗例)・不動産侵奪罪、親族間の詐欺罪・恐喝罪等、親族間の横領罪
このうち、(3)は相対的親告罪というもので、加害者と被害者の関係性が親族である場合の特例という扱いになっているのだ。

2025/01/11

UG

 産経新聞の元日の一面には、夫婦別姓について小中学生にアンケートをした結果の記事が載ったらしいのだ。
夫婦別姓推進派の人たちはよく「別姓を強制するわけではなく、別姓にして困る人はいない」と主張していたのだけど、このアンケートによると、子供たちは両親が別姓だといやらしいのだ。
家族は同姓というのが当たり前だったのだから当然の結果のような気もするけど・・・。
で、またこの話題が盛り上がったんだよね。

この話でよく出てくるのは、江戸時代までは庶民には名字がなく、明治以降の制度だから「夫婦同姓は伝統ではない」という主張。
これは一部合っていて、一部間違っているのだ。
まず、これはもうよく知られたことだけど、確かに江戸時代は武家・公家以外は公式に名字を名乗ることは許されていなかったけど、さすがにそれでは個人を区別するのが大変なので、事実上は名字のようなものを名乗っていたのだ。
一般に「屋号」とも言われるけど、商家であれば店の名前。
例えば、「紀伊国屋文左衛門」とか「蔦屋重三郎」とかみたいな感じ。
農村集落でも、田の縁にあるから「タブチ」、里山のふもと近くだから「ヤマシタ」、村の庄屋の家だから「ムラカミ」とか。
明治期に名字を名乗るように言われて、その屋号をほぼそのまま名字に転用したケースと、せっかくだからと新たに「創姓」したケース、よくわからないから庄屋や寺社などの額のある人につけてもらったケースなんかがあったみたお。
場合によっては村落でみんな似たような名字になってしまってけっきょく区別がつかないから屋号をそのまま判別に使っているようなところもあるのだ。

武家や公家の名字も似たようなところがあって、正式な一族の血縁を表すのは「本姓」又は「氏(うじ)」なんだけど、これは有名な4姓=源平藤橘をはじめいそんなに種類が多くなく、区別がつけづらいので、屋号のように低地宅の場所や所領の地名などを名乗ったのだ。
例えば、公家の藤原家の例で言えば、北家、南家、摂家、式家の4つに分かれ、それがさらに分かれていって、近衛家や冷泉家、九条家などの明治期に見られる家族に積んがっていくんだよね。
武家の場合はほとんど源氏か平氏なわけだけど、鎌倉幕府を開いた頼朝は源氏姓を使い続けたけど、そののちに室町幕府を開く足利将軍家は同じ源氏でありながら栃木県の足利庄からとった足利を名乗ったのだ。
南北朝期に足利家と対立する新田家は同じ源氏で新田庄からとった名前。
頼朝に協力して鎌倉幕府で執権になる北条家は元は平氏で地盤にしていた伊豆の地名から北条を名乗っているよ。
同じく頼朝を助けた三浦氏も平氏で、こちらは三浦半島のあたり。
羅生門の鬼の腕を切り落とした渡辺綱も源氏で、渡辺は兵庫県の地名だよ(渡辺綱自身は東京三田の当たりの生まれ)。

武家や公家については、種類の少ない本姓だけだと区別しきれないので、屋号的なもので区別して読んでいたのが名字になっていくのだ。
ただし、公式文書には本姓で署名したりするので、徳川家康も征夷大将軍として「源朝臣徳川家康」みたいに書いたりするのだ(松平氏が源氏かどうかはあやしいとされているけど、なぜか征夷大将軍は源氏の棟梁がなる、というように考えられていたので源氏を名乗ったと言われているよ。)。
ちなみに、織田家は平氏、太閤秀吉の場合は豊臣が本姓なのでそのままだよ。
これらの上層階級は、明治期になって形式的にも本姓を名乗らないようになって、戸籍が整備されるときに本姓ではなく名字の登録になったのだ。

で、問題は、これらの下級で女性はどう名乗っていたか。
平安文学では、菅原孝標娘だとか藤原道綱母みたいな個人名が伝わっておらず、続柄だけで記録されているばあいもあるけど、紫式部の使えた中宮・藤原彰子のように、生家の氏を名乗ることも多かったようなのだ。
考えれば当然で、貴族階級の結婚は純粋な恋愛結婚というより、政略結婚である場合が多かったと考えられるし、そもそも平安時代は「通い婚」なので、男性配偶者の家に入るわけではないのだ。
武家についてはだいぶ血縁による結びつきが強く、家族意識が高いように思われるけど、源頼朝の夫人は北条政子であって、やはり生家の氏を名乗っているよね。
これも血縁を大事にするからこそ、どの血縁集団と親族関係なのかがわかるように、あえてそうしているんじゃないかと思うんだよね。

一方で、庶民については、「嫁に行く」、「婿に入る」が基本なので、どちらかの屋号の集団に組み入れらることが多かったのだ。
そうすると、国民の大多数は庶民なので、明治期に民法を整備する際いろいろ議論した結果、夫婦同姓が基本になったようだよ。
なので、「名字がなかった」というとけっこううそになって、「伝統ではない」とまでは言い切れないわけ。
でも、明治以降に正式に法制度化されたので、そういう意味ではずっとルール化されていたわけではなく、あくまでも習慣的にそういうケースが多かった、程度というわけだね。

2025/01/04

皮と汁

 お正月がやってくるとよく目にするやつ。
それは、あの鮮烈なオレンジ色の・・・。
橙(だいだい)!
みかんじゃないんだよ。
「代々」栄えるという縁起物なので、正月の注連飾りや鏡餅に用いられるのだ。
特に武家で尊ばれたので、江戸以降に広まった文化だと思うけど。

ダイダイは、そのままにしておくと複数年の間、木になったままになるのだ。
これは一部の柑橘類に共通の性質のようだけど、一度越冬して次の夏を迎えるとまた果皮に葉緑素が復活して緑に戻るのだ。
これを「回青」というのだ。
ダイダイはそのまま食用にしないのでそのまんまなんだけど、河内晩柑のような食用のものは食感が悪くなるので、回青しないように袋をかぶせるんだそうだよ。
夏みかんの場合は回青する前、春に完熟した頃に食べるのだ。

ダイダイは飾るだけかというと、そうでもないのだ。
きれいなオレンジに色づくほど熟すると苦みが強くなってしまうのだけど、未熟果の青い状態だと酸味が強く風味がよいので、ポン酢に使われたりするんだって。
スダチやカボスと同じような感じで、酸味が強く、風味がよい果汁を押すの代わりに使うのだ。
一方、完熟した場合は皮を使うんだよね。
乾燥させた完熟果の果皮は「橙皮(とうひ)」と呼ばれる漢方薬。
後から出てくる苦み成分が健胃作用などをもたらすんだよ。
みかんの皮を干した「陳皮」よりも高級みたい。
というわけで、ダイダイは飾りにも使えるし、未熟なうちは果汁が調味料に使われるし、完熟すれば生薬にもなる優れものなのだ。
最近は注連飾りも鏡餅もみかんで代用される方が多いかもだけど。

同じくこの頃に出てくるちょっと変わった柑橘類と言えば金柑。
ダイダイはかなり果実が大きいけど、金柑は小さめ。
で、この金柑の特徴は、果汁ではなく、むしろ皮をメインに食べること。
実が小さいし、わりと水気が少ないので、果汁は微々たるもの。
むしろ、甘露煮にしたり、砂糖漬けにしたりで、そのまま食べることが多いのだ。
でも、そうして甘く味付けても、もともともっているほんのりした苦みで後味がよいのだ。
そして、きっちりと柑橘特有のさわやかな風味もあるんだよね。
小さいけど種はしっかりあるのだけど、これは原種に近いものだからみたい。
それでも、それをおいしく食べようとするんだから、昔の人はいろいろと工夫するよね。