2014/02/22

まずは首を突っ込む

テレビでストックホルムにあるABBAミュージアムを紹介していたんだけど、なんとその入口には「顔出し看板」が!
しかも、ABBAの各メンバーの顔の部分は着脱可能で、一人で行っても自分がABBAのメンバーになったかのような記念撮影ができるのだ(笑)
日本にあるやつは顔を出す部分はくりぬかれたままだけど、これはなかなか秀逸だね。
ま、それ以上におどろいたのが、この「顔出し看板」が海外にもあったことだけど。

「顔出し看板」又は「顔ハメ看板」は、観光地やレジャー施設に設置されている記念撮影用の書き割り看板で、通常はキャラクターが描いてあって、顔の部分に穴が空いているのだ。
そこに自分の顔を出して写真を撮ってもらうと、そのキャラクターになったみたいな写真が撮れるというわけ。
観光地ではその土地に関連したキャラクターや人物(神田明神なら銭形平次、桂浜なら坂本龍馬などなど)が多くて、レジャー施設だとその施設のマスコットキャラクターだったりするよね(某ネズミ施設には存在しないけど、むかしは後楽園にはドンチャックの顔出しがあったのだ。)。
キャラクターなりきり系の他にも、電車の運転席のところが切り抜かれていて、自分が運転士になったような写真が撮れるものなど、本来的な書き割りの趣を残すものもあるよ。

これがいつから広まったかは定かではないんだけど(一説には熱海にある金色夜叉の寛一・お宮のやつが最初とも!?)、今ではどこの観光地にもあるよね。
で、印刷や斜視の亜ネルを使ったものよりも、手書きの味のあるものの方が人気があるような気がするのだ。
どのみちまぬけな写真にしかならないから、そのチープさがよいんだよね♪
浅草では花魁の衣装が借りられるし、京都では舞妓さんの衣装が借りられるけど、そういう本格的なものじゃなくて、板に書いた絵に顔を出すだけで気分が出せるところが魅力かな?

この看板が活躍するためには、誰しもが観光地で記念撮影をするような状態になることが必要なんだけど、カメラの普及の歴史を振り返れば、80年代後半から90年代前半があやしいのだ。
70年代の終わりに、自動露出とオートフォーカス(又はピント合わせ不要の固定焦点方式)を搭載した小型のカメラが出たのだ。
ポケットカメラやコンパクトカメラと呼ばれたこのカメラは、シャッターを切るだけでほとんどピンぼけせずに写真が撮れるという優れもので、カメラの一般への普及に大きく貢献したんだ。
ただし、特殊な横長のフィルム(通常は35ミリ判だったけど、このカメラは110判というフィルムだったのだ。)を使っていて、カメラ自体も横長のもの。
おもちゃ的な扱いではあったものの、きちんと写真も撮れるので広まったみたい。

バブル時代に突入する80年代になると、オートフォーカスを搭載した一眼レフカメラが登場するのだ。
それまで一眼レフはピントや絞りを調整するのが難しく、素人には向かないので「趣味のもの」という扱いだったけど、これにより誰でもシャッターを切るだけでそれなりの写真が撮れるようになったのだ。
しかも、バブルで景気がよいから、けっこう高額な一眼レフカメラでも普及したわけ。
それまでは写真好きな人は旅行先にカメラを持って撮っていた程度だったのが、誰でもカメラ持参で写真を撮って帰ってくる時代に突入するわけだよ。

さらに、90年代になると、大革命が起きるのだ。
バブルははじけて高級なカメラはまた趣味人のものにもどるけど、一般大衆が旅行先などで写真を撮るものとして「使い捨てカメラ(レンズ付きフィルム)」が登場するのだ。
富士フイルムの「写ルンです」がメジャーだよね。
軽量で操作も簡単。
写真を撮ったらそのまま写真屋さん(DPEショップ)に持ち込んで、1時間後には現像ができている、という代物。
これにより、若い世代も旅行先で写真を撮ることが一般になるわけだよね。
修学旅行生が手軽に自分で記念撮影ができるようになったのだ!

おそらく、このあたりが顔出し看板の普及の時期なんじゃないかとにらんでいるんだよね。
誰もが気軽に写真を撮るようになって、顔出し看板の需要が出てきたわけなので。
しばらくこの使い捨てカメラが主流になるんだけど、低価格で高画質なデジカメが登場すると、今度はそっちにシフトしていくんだよね。
デジカメになるとさらに状況は変わって、撮影枚数に限りがなくなるので、ますます「くだらない」写真を撮るようになるんだよね(笑)
使い捨てカメラが手軽だけど、フィルムである以上撮影枚数に限りがあるし、何より撮った後は現像する必要があったけど、デジカメの場合は容量が許す限りいくらでも撮影できるし、パソコン等の画面で画像が確認できるので、紙媒体で残したいものだけプリントして、後は電子データで保存できるのだ。
こうなると、一度ならず二度、三度と失敗を恐れずに撮影できるし、顔出し看板があれば、いっちょ顔でも出してみますか、ということになるわけだよね。
そんなわけで、現代になってもなお存在し続けているんじゃないかなぁ。

ちなみに、海外にもけっこう顔出し看板は存在しているようで、アジアだけでなく、ハワイとかにもあるようなのだ。
日本人が広めたのか、各国の人が同じような発想を持ったのか。
また、最近ではスマホのカメラアプリに、あらかじめ「フレーム」として顔出し看板のようなものが入っているのもあるよね。
でもでも、あくまでも顔出し看板は旅の記念。
その場所に行かないと顔を出せない、という希少性が大事なはずだよね。
これからも御当地顔出し看板の繁栄を期待したいね。

2014/02/15

「ぽん」か「ほん」か

オリンピックになると、「ニッポン」という文字をよく見かけるようになるし、「ニッポン」というかけ声もよく聞くよね。
そうなると、「日本」という字は正式には「ニッポン」と読むのかというと、どうもそうなってはいないらしいのだ・・・。
平成21年6月にに当時民主党に所属していた岩國哲人元衆議院議員が提出した質問主意書への答弁を見ると、どっちでもいいと書いてあるのだ!
より正確には、
「にっぽん」又は「にほん」という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている。
だって。
そうだったのか。

日本の紙幣を見ると、「NIPPON GINKO」と書いてあるように、「日銀」こと「日本銀行」は「にっぽんぎんこう」なのだ。同様に、「日本放送協会(NHK)」は「にっぽんほうそうきょうかい」、「日本武道館」は「にっぽんぶどうかん」なんだって。
政党で言うと、「日本社会党」は「にっぽんしゃかいとう」と読むそうなのだ。
ところが、公的組織でも「日本オリンピック委員会」は「にほんおりんぴっくいいんかい」と読むし、公益法人だと「日本相撲協会」は「にほんすもうきょうかい」、国策会社でも「日本航空」は「にほんこうくう」が正式。
なんとなく、こういう場合は「にっぽん」、こういう場合は「にほん」というルールがあるわけじゃなく、語感で選ばれているような気がしないでもないよね(笑)
けっきょくどちらも圧倒的に使われているわけではなく、それぞれ通用しているので、今更政府としては決められない、といのが正解なのだ。

ただし、戦前には「にっぽん」に統一しようという動きもあったみたい。
昭和9年(1934年)の文部省臨時国語調査会で「にっぽん」に読みを統一し、外国語表記も「Japan」をやめて「Nippon」にしようとしたんだけど、不完全に終わったみたい。
「大日本帝国憲法」も、正式に「だいにっぽんていこくけんぽう」と読み仮名をつけようとした動きもあったそうだけど、けっきょくは公式には読みは定まっていないようなのだ。
戦前ですらそうなんだから、現代においてどちらかに統一する勢いはないだろうね。
語調を強めたいとき、勢いをつけたいときは破裂音がいいから「にっぽん」と言うし、よりマイルドに、平板に言いたいときは「にほん」と言うようにした方が使い分けできるしね(笑)

では、むかしはどうだったか、というのが問題だよね。
研究によれば、飛鳥時代後期、7世紀後半くらいの国際的な漢字の読みは呉音で「にっぽん」と読むか、漢音で「じっぽん」と読むかのどちらかだったのではないかと推測されるのだ。
漢字文化圏の場合、文字自体は変わらなくても、時代によって読みが変わるので複雑なんだよね・・・。
国際的には、当時の中国の王朝における主流の読みに従うんだろうけど。
で、ここでわかるのは、「じゃぱん」というのは、この漢音の「じっぽん」から来ているであろうということ。
「黄金の国ジパング」とかもおそらく同じ。
マルコ・ポーロさんは元代の中国を訪れているから、そのころの読みがそれに近かったんじゃないかな?

ところが、平安時代の仮名書きでは、「にほん」と表記されているんだって!
仮名の読み方字体が異なっている可能性もなくはないけど、確実に「にほん」と読む習慣はあったんだよね。
室町時代では、対外的には「にっぽん」とか「じっぽん」とか言うけど、普段は「にほん」と言っていたのではないか、というような説もあって、そうなると、かなりむかしから強いこだわりもなく、場面場面で読みを使い分けていたことに・・・。
これが日本の文化性かな(笑)
今と全く変わらない!
むしろ、中国では漢字の読みが時代で変わるのが普通だったから、大きなこだわりを持っても国際的に通用しなくなるだけだし、意味がなかったのかな?

ちなみに、我が国の国号は「日本国」とする、と定めている法律は特になくて、日本国憲法において、「天皇は、日本国の象徴であり・・・」というように使っているので、「日本国」が事実上の国号となっているのだ。
国旗と国家はもめたのでちゃんと法律で定めたんだけどね。
実は、戦前も「日本、日本国、日本帝国、大日本国、大日本帝国」などの様々な国号がばらばらに使われていたようで、昭和10年(1935年)に帝国議会で不統一が問題視され、以降は「大日本帝国」で統一されるようになったんだって。
それに比べれば今はほぼ「日本国」で統一されているから、デファクト・スタンダードとしてはうまく機能しているかな。
ま、読みは定まっていないのだけどね。

2014/02/08

重ねて重ねて

また、日本人が狂喜乱舞する祭り、「ヤマザキ春のパンまつり」が始まったのだ!
しばらくはお昼ごはんはパンだなぁ(笑)
ま、その方が手っ取り早いし、いつでも食べられるからよいのだけど。
で、その中でもついつい買ってしまうのがアップルパイなんだよね。
いわゆるケーキのアップルパイとは違って、パン・オ・ショコラのチョコレート部分がアップル・フィリングになった感じのものだけど。

パイの醍醐味と言えばそのさくさく感。
ぼろぼろとカスが落ちるので食べるのが大変だけど、やめられないぜ♪
このさくさく感を生み出しているのが、パイ生地に大量に含まれているバターやマーガリンなどの油脂。
手がべとべとになるわけだ・・・。
このせいで普通のパンよりカロリーが高めなんだよね。

パイ生地は、小麦粉と卵、水を練って、その上にバターを薄くのばして重ね、それを折りたたんでは伸ばし、折りたたんでは伸ばし、と作っていくのだ。
これにより、パイ生地の断面を見ると、小麦粉の生地の層とバターなどの脂の層が交互に並んでいる状態になるわけ。
これが焼成されるとき、生地と生地の間のバターが融け、沸騰し、そこに隙間ができるわけ。
これがさくさく感の正体で、生地がぽろぽろとはがれるのもこのため。
極薄の生地が重なっている状態に焼き上がるんだよね。

パンの場合は、生地の中に気泡が分散している、スポンジ状態に焼き上がっているんだよね。
これがふわふわ感を生み出しているのだ。
発酵パンの場合は、パン記事中でイーストが発酵反応を起こしたとき出てくる炭酸ガスで気泡ができ、ベーキングパウダーを使う場合は、熱で炭酸水素ナトリウムが分解されて炭酸ガスが発生して気泡になるのだ。
これにより気泡が三次元的に分散して、スポンジ状の構造になるんだ。

クロワッサンやデニッシュはその組み合わせで、パン生地のバターやマーガリンを重ねて折りたたんでいくのだ。
やっぱり多層構造になって、そのうち脂の層が融けて隙間ができるんだ。
ただし、パン生地を使っているので、極薄の生地自体がふわふわしていて、あの独特のしっとり間が出るみたい。

このバターを重ねて織り込んでいくところがミソなんだけど、これが難しいんだよね・・・。
というのも、折りたたんでいるうちにバターが融けてしまうと生地となじんでしまうのでさっくり感がだせなくなるのだ。
かといって、融けていない状態だとそれなりにかたいわけで、それをきれいに伸ばしていくのはコツがいるよ。
最後の方はものすごく薄いバターの層ができていて、手の表面の温度で融けかねないので、手を氷水で冷やしながら作業する、なんてこともあるようなのだ。
生地を折りたためば折りたたむほどさくさく感が出るんだけど、折りたたむ回数を増やすとそういう問題が出てくるわけ。
機械だったら冷やしながらローラーで伸ばしていくんだろうけどね。

ちなみに、折りたたむ以外のパイもあるのだ。
一般にアメリカン・パイと言われるもので、小麦粉とバターを均一にまぶし、塩水で生地にまとめたもの。
クッキーのようなさくさくした焼き上がりになるのだ。
アメリカのチェリーパイやパンプキンパイの底にしかれている部分だよ。
バターを切るようにして小麦粉とまぶしていくんだけど、これはこれでけっこう大変なんだよね。
おいしいものを食べるには手間暇が大事ということかな?

2014/02/01

バクテリアの力で中はとろとろ

日本でも水筒のように使われてきたひょうたん。
実はアフリカ原産で、その有用性から世界に広まった植物なのだ。
最古の栽培植物とも呼ばれ、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカとそれこそいろんな地域で容れ物や楽器などに利用されているのだ。
ヒョウタンのみから加工されるひょうたんは、軽くて丈夫で、水が漏れないから便利なんだよね。
タネも乾燥に強く、海水にさらされても高い発芽力があるという植物としての強さも広まった要因のひとつなのだ。

ヒョウタンの果実にはククルビタシンという苦み成分があって、これは有毒で嘔吐や下痢などの食中毒症状をひきおこすものなのだ。
なので、食べるのではなく、日用品の材料として使われるわけ。
ちなみに、海苔巻きでもおなじみの干瓢は、ククルビタシンの含有量の少ないヒョウタンであるユウガオを加工したもの。
普通のヒョウタンの実を薄くむいて干しても干瓢にはならないので注意!
やる人はなかなかいないだろうけど・・・。

ヒョウタンからひょうたんへの加工は意外と手間がかかるのだ。
完熟したヒョウタンの実のへたの部分を切り落とし、そこから棒を中に突き入れて果肉を崩すのだ。
ヒョウタンは果肉が硬いことでも知られているので、けっこう大変みたい。
で、ある程度中をぐちゃぐちゃとかき回したら、重しをつけて水につけておくのだ。
そうすると、ヒョウタンの果肉や表皮はバクテリアにより分解され、表皮の下の硬い殻の部分だけが残るんだ。
これには1週間~1ヶ月くらい必要で、さらに、ものすごい腐敗臭がするので、いったん腐った果肉等を取り去った後、さらに1週間ほど水につけ、その後陰干し。
それでもまだにおいは残っているので、水筒や食器として使う場合は、さらにお酒や番茶を内部にみたして臭みを抜くんだって。
お酒を使うのは、臭み成分をアルコールに溶かして溶出させるため。
番茶を使うのは、大量に含まれるタンニンが臭み成分を難溶性塩になって不溶化されるのでにおいを感じなくなるのだ。
実は化学的に理にかなっている手法だよ!
最後に柿渋や漆、ニスなどを表面に塗って仕上げ。

このひょうたんになる部分は、セルロースとリグニンでできているんだけど、セルロースは植物性の繊維。
ヘチマたわしや綿糸もセルロースだよね。
まったくバクテリアに分解されないわけではないけど、分解には相当時間がかかるのだ。
ヘチマたわしもヒョウタンと同じように、完熟したヘチマの果実を腐らせて取り出すんだけど、果実は腐敗するけどセルロースの網目部分は分解されない状態で取り出すのだ。

リグニンは別名木質素とも呼ばれるもので、これは白色腐朽菌でしか分解できないのだ。
白色腐朽菌は、ヒラタケ、シイタケ、エノキ、ナメコなどのきのこのことで。茶色いリグニンを分解して、腐朽した木が白っぽくなるのでこの名前があるんだ。
パルプ製造の副産物として出る黒液には大量のリグニンが含まれているのだけど、まさにその色。
ポリフェノールの一種なので茶色いのだ。
で、こっちはセルロースよりさらに分解されにくいので、容れ物などにも使えるわけ。
ただし、表面にカビが生えたりはするから、適切にメンテナンスはしなくちゃいけないんだけど。

それにしても、果実を腐らせて、硬い部分だけ取り出すって言うのは誰が考えたんだろうねぇ。
自然に地面に落ちたヒョウタンの実が長い年月で果実が腐って、硬い部分だけが残されていたのを発見したのがはじまりなのかなぁ。
こういう先人の工夫には驚くものが多いよね。
それなりの年月をかけて洗練していったんだろうけど。