2014/05/31

もはや伝統芸の域か?

東南アジアでは、ベトナムの反中デモだけでなく、タイのクーデターも大きな騒ぎになっているのだ。
日本企業も脱中国を進めて東南アジアに生産拠点を移し始めているけど、なかなか政治的に安定しないものだねぇ。
日本がそれだけ平和ぼけするくらい平和なのかもしれないけど。
とにもかくにも、世界では暴力を伴う政治的な動きがけっこうあるのだ。

クーデターは、もともとフランス語のcoup d'Etatで、「国家への一撃」といった意味なんだって。
「革命」は、社会制度と支配的なイデオロギーの政治的転換だそうで、例えば、フランス革命のように絶対王政から共和制に大変革が起こったり、米国独立のように、植民地支配からの脱却だったりするのだ。
主に政治システムの大転換を伴うものを指すそうだよ。
似たもの「反乱」があるけど、これは統治機構に対して暴力をもって政治的反抗をするもので、これが革命のきっかけになることもあるのだ。
インドの独立はもともと反乱から始まっているしね。
これらに対し、クーデターの場合は、支配階級内部での権力闘争の中で発生する政治的な暴力の使用に分類されるのだ。
政権の中の反主流派が軍と結託して政治機能を停止させ、国を乗っ取るみたいな。
国のNo.2がクーデターを起こして政権を執る、というのもこれだよ。

テロリズムというのもあるけど、これは政治的な目的に従って計画的に暴力行為を行うもので、概念は広いみたい。
国家転覆のためにやるようなのもあるし、国家の政策に対する報復措置のようなもあるし。
宗教的なものもからむから複雑だよ。
これが大きな政治的なうねりになってくると「反乱」につながっていくのかな?
それと、「内戦」という場合は、単一国家の中で民族や宗教の違いによる対立で武力紛争が起こること。
英語では「反乱」も「内乱」も同じく「rebellion」で、「内戦」は「civil war」というのが通例だけど、実は「内戦」と「内乱」との違いは明確ではないんだよね。
ある程度継続的に紛争状態にあると「内戦」と呼ぶ場合が多いのかな?

タイの場合は、農村部から絶大な支持を得ているタクシン派と、それに反発する都市部に支持を得ている反タクシン派の政治的主導権に関する争いに起因しているみたい。
1932年に立憲君主制に移行して以来、もう19回目のクーデターだとか・・・。
政治でもめて行き詰まると軍が介入し、いったんちゃらにして新しい政権をスタートさせる、という流れになっているらしく、クーデターを起こした軍は、タイ国王にクーデターを認めるようお願いに行く伝統もあるんだって。
一応形的には、国家的省庁である国王が国の行く末を案じて仲介に入った、という体裁にもなるのだ。

ついこの間もタイではクーデターがあって、まさに当時のタクシン首相は外遊先から帰国できなくなってしまったわけだけど、クーデターによる政権交代後、普通に選挙をしたら、またタクシン派が勝ってしまったらしいのだ・・・。
どうしても農村部の方が票が多いから、従来の選挙システムでやるとそうなってしまうみたい。
それでタクシン派の首相が何台か就任し、そのたびに反タクシン派から糾弾され、スキャンダルなどの理由で政権を追われていったみたい(料理番組に出演してギャラをもらったことが首相の兼業規定に違反する、とかいう言いがかりに近いものも。)。
で、現在はタクシン元首相の妹に当たるインラックさんが首相になっていたわけだけど、やっぱり不満がたまってまたクーデター(>o<)
タイの場合、憲法裁判所は上院により判事が選ばれるんだけど、この上院はどちらかというと都市部より。
なので、現政権にタイする不利な判決ばかり出すそうで。
今回も首相を免職にしたり、タクシン派の優勢な下院の選挙は憲法違反で無効だとしたり、反タクシン派の思惑どおりに動いているみたい。

とりあえず現在は軍部が治安維持をしている状態だけど、また新しい憲法ができて、新政権が発足するようなのだ。
で、このまままた前と同じような選挙システムにするとタクシン派が郵政になってしまうので、そこをどうするかが鍵みたい。
タイでは軍事政変はよくあって国民も慣れっこだし、何より、最近はほとんど流血騒ぎもない、極めて穏当な(?)クーデターなので、タイ国民もそんなに心配はしていないみたいだけど、早く安定してほしいよねぇ。
タイは日本にとっても重要な国だし、東南アジアでも枢要な国だから。

2014/05/24

肉体疲労時の栄養補給

大学生くらいの頃は徹夜してもわりと平気だったんだけど、最近はもうつらくて・・・。
当日はまだよいのだけど、その後2~3日はつかれを引きずるんだよね(>o<)
やっぱり寄る年波には勝てないということなのか(笑)
そう考えると、下手に徹夜作業するよりは、適度に休みを入れつつやった方が作業効率はいいみたい。
でも、時に締め切りの関係でどうしても夜を徹して、ということにはなるんだよね。

で、仕方がないので、そういうときは栄養ドリンクに頼ったりするわけで。
ほとんど気休めのような気もするけど、一瞬だけ活力が復活した気がするのだ。
ま、本当に復活したのだとしても、いきなり疲労が回復するわけではないので、無理矢理体を動かすようにカンフル剤を投与しているだけなんだよねorz
そうなると、「神通力」が切れた頃にどっとつかれが押し寄せてくるのだ。

栄養ドリンクの主要な成分は、水溶性ビタミンのビタミンB1誘導体、ビタミンB2(リボフラビン)、ビタミンB3(ナイアシン)、タウリン、カフェインなどなど。
カフェインは言わずとしれた神経興奮作用。
眠気を抑え、集中力を持続することにつながるのだ。
で、水溶性ビタミンやタウリンは主に栄養補給の観点から入っているんだよね。
糖質や脂質の活性化を狙っているのだ。
タウリンは胆汁酸の分泌を促進するなど、脂質の代謝を高める、はずなのだ。
どこまで疲労時の回復に貢献するのかは不明だけど。

水溶性ビタミンの中でもビタミンB1誘導体は、いわゆるにんにくパワー。
ビタミンB1であるチアミンはアルカリ条件下では分解しづらく、また、腸からの吸収もあまりよくないんだよね。
ところが、にんにくの中では、臭気成分のアリインとくっついてアリチアミンという物質になっていて、これだとより分解されづらくて安定性も高く、腸からの吸収もよくなるのだ!
つかれたときににんにくや玉ねぎを、というのは栄養ドリンクを飲むくらいには意味があるというわけ。
ちなみに、これをもとに商品開発したのがアリナミンだよ。

で、チアミンは糖質代謝に関与しているので、不足すると体内にある糖質をエネルギーに転換できなくなるのだ。
欠乏症としては脚気(かっけ)で、最終的には末梢神経のしびれや心不全にもつながっていくのだ・・・。
栄養状態があまりよくない時代にはよく見られたし、大航海時代には航海中によく発生していたようなのだ。
日本でも、ビタミンB1を豊富に含む糠を落とした白米を食べるにようになってから問題になり始めて、江戸時代から明治時代までけっこう苦しんでいたのだ(>o<)
玄米のまま食べる、ぬか漬けを食べる、野菜をたくさん食べるなどで改善されることはわかっていたんだけど、ビタミンB1の欠乏症だとわかっていなかったので、対処が遅れた部分もあるのだ。
ま、現代では脚気が発生するほど不足することはないんだけど。

欠乏すると大問題として、疲れたときにアドオンで大量に摂取して意味があるかどうかはけっこう微妙・・・。
古代からつかれたときににんにくを食べると疲労回復が早い、と言われているので、多少は意味があるんだろうけど。
最近では、「にんにく注射」と称して、注射剤で直接血中にビタミンB1を入れることもあるんだよね。
注射した後ににんにく臭がするのでそう呼ばれているんだけど、ようはアリナミンを注射剤にしているようなものなのだ。
こうすると、腸管での吸収率を気にしなくてよいので、より大量に摂取できるわけ。
でも、ネットで調べると、医師の多くはどこまで意味があるのかよくわからない、って見解のようだね。
もともとは体を酷使するアスリートの間で行われていたもののようだけど、一般の人がそこまで疲労を蓄積しているか、っていうことなのかな?
ちなみに、ビタミンB1は大量に摂取しても基本的には尿中に排出されるので、そんなに過剰摂取は気にしなくてよいのだ。
カゼでも何でも注射を打ちたがる人はいるから、気休め効果がより高いのかもね。

ビタミンB2やビタミンB3もエネルギー代謝に関係していて、欠乏すると口内炎ができたりするのだ。
逆に、ストレス環境下でつかれがたまっていて口内炎ができている場合なんかは、栄養ドリンクを飲むことにそれなりに意味があるよ。
これらもまともな食事をとっている限りはまず不足することはないんだけどね。
ちなみに、栄養ドリンクを飲んだ後に、尿が鮮やかな蛍光色になるのはビタミンB2によるものなのだ。
でも、これって過剰に摂取していて体外に排出されているということなので、やっぱりそんなにふそくしていなかったんだね、ということなんだろうけど。

ま、とにもかくにも、栄養ドリンクに入っているような成分が圧倒的に不足するような状態はよほどの飢餓状態・低栄養状態なので、現実的にはないはずなんだよね。
でも、なおも人々を引きつけるのは、気休め効果が高いからなのだ。
しかも、高級なものを飲めば、それだけお金を使ったこともあってよりきいた気がする(笑)
それがわかった上でも時々飲んじゃうんだけどね。

2014/05/17

高額納税者はどいつだ

最近は少なくなってきたけど、うちの職場にも喫煙者はそれなりにいて、喫煙スペースでの雑談で独特のコミュニティが形成されているんだよね(笑)
それにしても、現在のタバコの価格は400円超!
子どもの頃は200円台だったと思うから、もう2倍くらいになっているのだ・・・。
牛丼が300円だったのが300円以下になっているんだから対照的だなぁ。

タバコの価格でよく言われるのは、そのほとんどが税金であると言うこと。
実際に日本たばこ(JT)のサイトでは、430円の商品の場合、価格のうち64.4%が税金だと説明されているのだ。
そのうちわけは、国たばこ税が106.04円(24.7%)、地方たばこ税が122.44円(28.5%)、たばこ特別税が16.40円(3.8%)、消費税が31.85円(7.4%)で、総計276.73円(64.4%)なんだって。
ちなみに、地方たばこ税は、都道府県税と市町村税があって、都道府県たばこ税が17.20円、市町村たばこ税が105.24円だよ。

この数字を見ただけでも、喫煙者は多くの税金を納めているなぁ、と思うけど、実際に税収の面でもたばこ税収はかなりの額に上るのだ。
財務省のサイトにあるデータによると、平成26年度予算で言うと、地方財政計画額ベースで、国税分は1兆646億円(国たばこ税:9,220億円、特別たばこ税:1,426億円)、地方税分は1兆739億円(都道府県たばこ税:1,509億円、市町村たばこ税:9,230億円)とされていて、総計2兆1,385円にものぼるのだ。
ちなみに、決算ベースの数字で見ると、平成24年度の国税の税収全体は43.9兆円で、国たばこ税とたばこ特別税を合わせて1兆1,754億円なので、2.7%に相当するのだ。
同じように地方税で見ると、平成24年度決算ベースで、地方税収全体は34.4兆円で、地方たばこ税は1兆1,760億円なので3.4%だって。
一部の人が納税しているだけでこれだけのインパクトなんだねぇ。
いくら税額が高いと言っても、軽々にやめられないわけだ。

タバコへの課税は明治期から始まっていた、日清戦争後に財政収入を増やすために専売制が開始されたのだ。
日露戦争の戦費調達でこれが拡大されて、戦後、国の直営から日本専売公社による独占販売に変わったのだ。
この時代は税金として徴収されるのではなく、国の会計にタバコの売上げ収入として入ってくるとともに、地方には納付金という形でお金を渡していたみたい。
これが、三公社五現業の見直しで、日本専売公社が廃止され、日本たばこ産業ができると、また税金の形で徴収することになったのだ。
このときにできたのが「たばこ消費税」で、後に一般消費税が導入されるときに「たばこ税」に名称が変更されたんだって。
地方たばこ税も日本専売公社がなくなったときに導入されたのだ。

国たばこ税はタバコの製造業者(主にJT)と海外産タバコの輸入業者に課税されるもので、紙巻きタバコだと本数当たりの税額が決められているのだ。
地方たばこ税は、卸売販売業者等が小売販売業者に売り渡す場合、小売り販売業者の営業所の所在の地方自治体に支払うもので(卸売販売業者等が直接消費者に売り渡しなどをする場合はその卸売業者等の所在地の自治体に払うことになるよ。)、やはり紙巻きタバコなら本数当たりで税額が決まっているよ。
さらに、たばこ特別税は、国鉄を民営化したときの累積赤字を精算するために作られた日本国有鉄道清算事業団と、国有林野事業特別会計の負債を一般会計に承継させるときに負担を補うために作られた税なのだ。
日本国有鉄道清算事業団はすでに解散しているんだけど、まだ負債は残っていて、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構がその業務を引き継いでいるよ。
国有林野事業特別会計の負債は、現在は一般会計から国有林野事業債務管理特別会計に承継されているのだ。

ちなみに、タバコに係る消費税は、国と地方のたばこ税がかかった上に消費税がかかるので二重課税だ、と言われるんだけど、実は厳密には二重課税ではないのだ。
国のたばこ税の納税義務があるのは製造業者や輸入業者で、その納税負担分を小売り価格に上乗せされているだけなんだよね。
地方のたばこ税も同様で、納税義務があるのは卸売販売業者で、その納税負担分がやはり小売価格に上乗せされているのだ。
消費税は物品又はサービスを取引する度に課税されるんだけど、税負担は製造業者、卸売業者、小売業者と転嫁されていって、最終的には消費者が負担する仕組み。
ただし、課税の累積を防ぐため、売上げにかかる消費税額から仕入れに係る消費税額を控除した額を納税する仕組みなんだよね。
つまり、100円の価格の商品を消費者が108円で買ったとき、小売業者が卸売業者から50円の価格で仕入れていたら、小売業者の納税額は100×8%-50×8%で4円になるんだよね。
卸売業者が製造業者から25円で仕入れたとすると、卸売業者の納税額が2円、製造業者の納税額が2円で、トータルで消費者の支払った8円が分担されて納税されることになるんだ。

これを踏まえると、国のたばこ税の場合は、製造業者に課税されるので、卸売業者が買うときにはすでに商品のコストに含まれているんだけど、地方のたばこ税は卸売業者に課税されるので、小売業者や消費者から見るとコストに含まれているけど、卸売業者にとってはコストになっていないのだ。
すなわち、国のたばこ税は、製造業者から消費者までのタバコの売り渡しのすべての取引で課税対象に含まれてしまうんだけど、地方のたばこ税は卸売業者以降でしか課税対象に含まれないわけ。
なので、タバコ一箱当たりの消費税は「8%」になっていなくて、「7.4%」だったのだ。
卸売業者が製造業者から商品を仕入れるときは地方たばこ税相当分に対する消費税は納税されていないのだ。

430円のタバコの場合、税金を除いた本体価格は35.6%に相当する153.08円で、これが製造業者から卸売業者に行くときに国のたばこ税として122.44円が課税されて、275.52円になるのだ。
この取引に係る消費税はその8%で22.04円で、この時点で価格は297.56円になっているのだ。
卸売から小売りに行くとき、この価格に地方のたばこ税122.44円が付加されて、420円になるよ。
小売りから消費者に渡るときは、仕入れ価格である297.52円を控除して消費税を計算するので、小売業者が納税する消費税は、実際は地方のたばこ税相当分にかかる部分だけになって、9.80円になるのだ。
これが420円に加わると、429.80円で、430円となるわけ。
消費税だけ足すと、31.84円になって、一番最初に出てきた数字の31.85円とほぼ一致するのだ!
いやあ、自分で計算してみて初めて理解できたけど、複雑だねぇ。

2014/05/10

虹の輪は二時頃消失した!

連休最終日の五月六日、長崎で珍しい気象現象が観測されたのだ。
それは「暈(かさ)」と呼ばれるもので、太陽の回りに虹色の光の輪が見えるというもの。
薄い雲が太陽を覆っている時に、雲の中の微小な氷の結晶がプリズムの役割を果たし、太陽光を屈折させるために起こる現象なんだって。
光は波長ごとに屈折率が異なるので、色が分かれて見えるようになるのだ。

暈が観測されるには、対流圏上層(地表から10km前後上空)に、巻層雲(白いベール状の薄い雲)、巻積雲(いわゆる、うろこ雲)、巻雲(細い雲が筋状に集まった雲)があることが条件。
これらの雲の中には細かい氷晶が多く含まれているんだって。
しかも、粒状に成長しておらず、きれいな六角柱状の結晶構造になっているので、光が側面又は底面から入射すると、中で屈折させて決まった方向から出てくることになるのだ。
すなわち、小さな天然のプリズムがたくさん並んだ中を光が通過するようなイメージになるわけ。
側面から入って別の側面から出てくる光による「内暈(ないうん)」というのが比較的よく観測されるもので、底面から入って側面から出る光による「外暈(がいうん)」というのもまれにあるそうなのだ。

それぞれ、22度或いは46度屈折して光が出てくるんだけど、屈折する度合いによってどれだけ太陽の外側に我ができるかが決まるのだ。
「視半径」と呼ばれるもので、太陽は点ではなく、見かけ上の大きさを持っていて、それが天球上の角度でどれくらいの大きさに相当するかを表すのが視半径という概念。
なんで角度で表すかというと、高度が高いところで太陽を見ると、それだけ太陽までの距離が短くなるので見かけ上の大きさも大きくなってしまうので、直接的な長さの単位で表現すると都合が悪いのだ。
そこで、天球上の「弧」の大きさとしてとらえた場合に角度として何度分というのを使うわけ。
こうすると、太陽との距離を気にせずに見かけ上の大きさを表すことが可能なのだ!
ちなみに、一般に太陽の見かけ上の大きさは、直径で0.53度(32分)と言われているので、22度の場合はこの40倍の直径の輪になって見え、46度の場合は90倍弱の直径の輪になって見えるという計算になるよ。
さらにちなみに、この「暈」は太陽だけじゃなくて、月に対しても発生することがあって、太陽の暈を「日暈(にちうん)」、月の暈を「月暈(げつうん)」と呼ぶそうだよ。

雲の中の小さな氷の結晶が太陽光を屈折し、分光すると「暈」になるわけだけど、大気中の細かな水滴が太陽光を屈折・分光して発生するのが「虹」。
虹の場合、水滴に入射した太陽光は水滴の中でまず屈折され、次いで水滴から出ようとする光の一部が中で反射されて、それがまた屈折して出て行く光が観測されたものなのだ。
なので、見かけ上は、観察者から見て、太陽と正反対の方向(これを「対日点」というのだ。)を中心とした輪になって見えるんだ。
でも、観測者から見て対日点は地平線の下に位置するので、虹は輪になって見えることはなく、半円状・弧状に見えるというわけ。
虹を構成している非変わりは実際には輪になっているんだよ。

虹の場合、水滴の中で一回だけ反射された光が出てくる主虹と、二回反射されて出てくる副虹があるんだけど、副虹は光の量も少ないので、通常は観測しづらいのだ。
副虹が見える場合は、主虹の内側に見えるよ。
副虹は二回反射されたものであるため、虹色が逆転していて、通常見ている虹(主虹)は外側が青くて中が赤いんだけど、副虹は外側が赤くて内側が青いのだ。
さらに、月光による月虹というのもあるんだけど、もともとの明るさが暗いので、現代の都会ではまず見えないのだ。

虹にしても暈にしても、連続光である太陽光をスペクトル分解しているので、基本的には色のグラデーションも連続的なんだけど、一般には「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の7色ととらえているのだ。
連続的に色が変化しているというよりはその方がわかりやすいからね(笑)
ちなみに、英国では伝統的に虹は5色だと考えられていたらしいんだけど、近代物理学の父・ニュートンさんが神聖な数字である7に結びつけたのだ。
もちろん、ニュートンさんは色が連続的に変化していることは承知の上でだよ。
これが日本に広まって、日本では7色が一般的になったみたい。
でも、もともとの英国では蚊なら次子も7色とは思われていなくて、5色だったり、6色ととらえられていることもあるみたい。
ここまで統一感がしっかりと醸成される日本の学校教育は立派だねぇ。

2014/05/03

煮て、ほぐして、よる

群馬県の富岡製糸場が世界遺産登録の候補になったのだ!
日本の近代化を象徴する産業遺産として認められたみたい。
我が国の工業化を支えたもので、この官営工場から全国に近代的な製糸業が広がっていくことになるのだ。
連休突入直前にその報道がなされたので、観光客が一気に増えたそうなのだ。
グンマーもびっくりかな?

蚕の繭から繊維をとりだして絹を作る技術は中国発祥で、およそ紀元前3世紀には始まっていたみたい。
ところが、この技術はしばらく西洋世界には伝わらず、中国産絹が高級品としてもてはやされていたらしいのだ。
6世紀になってはじめて東ローマ帝国にネストリウス派キリスト教(景教)を通じて伝わって、そこから欧州における生産が始まったみたい。
でも、長らく製法が伝わらなかったおかげで、絹を取引するための交易路としてシルク・ロードができあがったのだ。
これで大きく文化交流は進んだから、それよかったのかな。

日本には弥生時代には伝わっていたそうで、古事記や日本書紀の神話には養蚕の由来の話が出てくるよね。
古事記ではスサノオがオオゲツヒメを殺したときに頭から蚕が発生して、日本書紀ではツクヨミがウケモチを殺したときにやはり出てくるのだ。
この神話は、イネ、ムギ、ダイズなどの主要食物の起源譚なので、それほど蚕は重要な位置を占める農産物だったということが伺えるのだ。
今でも皇室は女系皇族が養蚕業を行っているよね。

ところが、江戸時代以前の日本の絹は品質が悪く、高級な中国産絹が輸入されていたようなのだ・・・。
幕府は天領で養蚕業を奨励し、日本でも盛んにしようとするんだけどなかなかうまくいかず、八代吉宗公の享保年間になって全国的に奨励して、技術も向上してきたんだって。
江戸末期には日本を代表する輸出産業になっていて、開国以降は、関東甲信地方で生産された生糸が八王子に集結し、それが横浜に運ばれて海外に出て行くことになるのだ。
こうして新たに開港した横浜港が大きく栄えることになるのだ。
この明治期の殖産興業を代表する存在が、富岡に作られた官営の製糸工場なんだよね。
蚕の繭から絹は作るのはなかなか大変で、それが機械化されて大量生産できるようになったんだ。
欧州で蚕の疫病がはやって生産量が落ちたこともあって、一気に伸びるんだよね。
その後すぐにすいたいが始まるのだけど・・・。

養蚕農家は、蚕がさなぎになって繭を作ったところで出荷するのだ。
この繭は乾燥され、中のさなぎを殺すとともに、水分を飛ばしてカビや細菌が増えないようにするのだ。
しばらく乾燥させた状態で保存し、まとまったところで、繭の一つ一つをチェックするんだって。
穴が空いていたり、繭が薄かったり、汚れていたりという品質を落とすものをここでふるいにかけるんだよ。
そうして選ばれた繭は大きな釜の中でぐつぐつと煮られるのだ。
蚕の繭は絹を較正する繊維タンパクであるフィブロインのまわりにセリシンという膠質状のタンパク質がついた状態になっていて、水の中で加熱することでこのセリシンを溶解させ、繭をほぐれやすくするのだ。
そうすると、糸口も出てきて、繭をほどけるようになるよ。
手作業でやっていた時代は、収穫した繭を自分の家で煮て、この工程までやっていたのだ。

ほぐれた糸を収束してまとめていくとできるのが生糸。
小さく巻き取った後、大きく巻き直したりして出荷できる生糸ができあがるのだ。
今度はこの生糸を複数本束ねて、さらに糸をよるんだよね。
こうすることで、絹糸の太さが均一にでき、また、伸びと弾力が出るのだ。
さらに、この後の精錬という作業をして絹糸ができあがるよ。
「精錬」する前だから「生糸」と言うんだよね。

精錬工程では、生糸の中にまだ残っているセリシンとその他の不純物を除くのだ。
古くは灰汁で処理したんだけど、最近は石けんや炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)などのアルカリ水応益で処理したり、タンパク質分解酵素を使ったりするんだって。
環境に優しくするために、高温高圧下の水の中でセリシンを溶解させる、というのもあるみたい。
ただし、絹独特の光沢はセリシン由来なので、完全に落としてしまうとつややかな風合いが失われるんだって(>o<)
なので、着物などに使う場合は処理の仕方を工夫しないといけないのだ。
草木染めをする場合は、このセリシンがないと色が乗らないそうだよ。
逆に、化学染料で染色する場合は、セリシンが残っていると色むらができるので、完全に落としてから染色するんだって。
この場合、光沢は染色によってつけることになるのだ。

ちなみに、富岡製糸場では、繭の乾燥(乾繭)し、貯蔵(貯繭)してから煮て(煮繭)、小枠に糸を巻き(繰糸)、大枠に巻き直す(揚返し)ところまでをやっていたのだ。
写真などで徐行山がぎっこんがっこんやっているのは繰糸の工程だよ。
繭の糸口から糸を引き出し、何本か束ねて巻き取っていって、一つの繭が終わらぬ打ちの次の繭を用意して・・・、とけっこう大変そうな作業なのだ。
今は全自動なんだろうけど、当時は人手に依存しているところが大きかったみたい。

当時この作業をしていた女性は「工女」さんと呼ばれていて、いわゆる紡績工場の「女工哀史」とは違って、かなり環境はよかったみたい。
住み込みだけでなく通勤の人もいたみたいだし、教育の機会も確保されていたとか。
この富岡から各地の向上に技術を伝える役割も担ったんだそうだよ。
最先端の働く女性だったのかなぁ?