2020/10/31

変わって大変

今年から年末調整のやり方が変わったのだ。
で、電子化推進で、電子ファイルに記入して出すことになったこと自体はきっと歓迎すべきなんだけど、抄紙機の変更が面倒すぎる・・・。
なんか、これまで書かなくてもよかったことを書かなくちゃいけなくて、それを調べるのが一手間。
というわけで、変わったポイントをまとめるのだ。

まず大きな変更点は、給与所得控除と基礎控除の変更。
給与所得控除は、もともと給与としての収入の額に応じて改装が分かれているのだけど、全階層について一律10万円の減。
このままだと税額算定の対象額が増えるので増税になるんだけど、その分基礎控除を増やす改正をしていて、多くの人には増税にならないようにしているのだ。
具体的には、合計所得金額が2400万円以下の場合は控除額が10万円増。
ただし、それより所得が高い一の場合は、合計所得金額が2400万円超2450万円以下の場合は控除額が6万円減。
2450万円超2500万円以下の場合はさらに控除額が22万円減となっているのだ。
そして、2500万円超のセレブになると、基礎控除なしっ!
つまり、高額所得者は、給与所得控除が減ったのに加え、基礎控除も減るので増税になるよ!
これまでは所得税率を段階的にして高額所得者の税負担割合を上げていたんだけど、今回は控除の方で税額算定対象額を上げることで増税にしてきたのだ。
ま、多くの人は所得が2400万円以下になるので、基本は給与所得控除と基礎控除でプラマイゼロというわけ。

しかし、この改正の余波が様式変更に来ているのだ・・・。
これまでは基礎向上は一律だったので特段申告書などは必要なかったんだけど、所得制限が出てきたので、別途合計所得金額を確認する必要が出てきたのだ。
そこで「給与所得者の基礎控除申告書」が必要になったんだよね。
これには、給与所得のほか、副業などの事業所得、印税や年金などの雑所得、株式配当金などの配当所得、不動産所得、退職金などの退職所得、そこに含まれないその他の所得(公営ギャンブルの払戻金、保険の満期返戻金など)を書き込む必要があるんだ。
で、給与所得も自分で書く必要があるので、前の年の源泉徴収票の総支給額を参照するか、月給額から年間収入見込額を算出するか市内といけないんだ。
こんな作業今までなかった!
しかも、これまでは確定申告酢一だけ気にすればよかった給与所得以外の所得もこの時点で金額は書かないといけないんだよね。
※もちろん、別途確定申告は必要!

そして、新たに、所得金額調整控除というのができて、世帯内に「特別障害者:が含まれる場合、年間所得が850万円超の場合、新たな控除が得られることになったんだ。
これはさっきの基礎控除の申告書と同じ様式(実際には、さらにくっついていて「給与所得者の基礎控除申告書 兼 給与所得者の配偶者控除等申告書 兼 所得金額調整控除申告書」という長い名前なのだ。)の中に書き込むことになっているよ。
扶養家族以外にも控除が認められるようになったのはいいけど、ますます複雑になってきた・・・。

例年同じものを書いてきていても、毎年書き方を忘れて調べまくっていたのに、今年からは様式自体が違う!
書く内容も増えていて、参照する書類も増えている・・・。
うちの職場の担当の人も混乱していてかなり手間どっているようだよ。
だから、不明な点があって質問しても、すっきりと答が返ってくるわけでもないんだよね。
いやあ、これは大変だ。

ただし、電子化のおかげで、必要な数字(所得金額など)を入れれば自動的に経産はしてくれるので、前よりは少し楽なところもあるんだよね。
ごくわずかだけど。
それと、申告書類は電子的に提出するんだけど、証書類は依然として紙で提出なので、紙と電子ファイルが混在しているんだよね。
これも混乱原因。
生命保険の支払い証明とかも電子的に交付されるようになるといいし、もっというと、マイナンバーで火もつけてもらえばそもそも本人が書かなくても自動的に記入されているものが作れるはずなんだけどなぁ。

2020/10/24

焼きたて、ふわふわの、懐かしい味

コンビニで、「台湾カステラ」というカップデザートを見つけたのだ。
テレビで名前は聞いていたので、思わず購入。
いわゆる「カステラ」とは全く別物だね。
でも、なんだか「これがはやる」と言われながら、はやらないうちに消えてしまいそうな・・・。
というわけで、ここに「台湾カステラ」とはなんだったのか、まとめておこうと思うのだ。

どうも、日本には台湾から直接入ってきたわけではなくて、韓国ではやっているものとして入ってきたみたい。
韓国発のスイーツやジャンクフード系は、本当にはやっているのかどうかはよくわからないけど(笑)、メディアがよく取り上げるので、話題には上るよね。
どうもその一環。
鶏排(台湾式スパイシーフライドチキン)や豆花(デザート豆腐)とはちょっと違うみたい。
台湾の名を冠しながら、なんだか不思議だね。

でも、もの自体は台湾発のもの。
台湾には、戦前の日本統治時代に日本式のカステラが伝わっていて、いわゆる「長崎カステラ」に近いものもあるのだ。
それは「長崎蛋糕」と呼ばれているよ。
「蛋糕」がカステラとかケーキという意味みたい。
で、この台湾カステラは、「古早味蛋糕」と呼ばれる種類で、「古早味」は「むかし懐かしい味」ということで、シンプルな材料で作ったどこか懐かしい感じの味のもの、ということなんだって。
おそらく、日本から伝わったカステラが台湾で独自の発展を遂げて、家庭でも簡単に作れるような形になり、それが「なつかしい」といわれるくらいまでポピュラーになったんだと考えられるのだ。
韓国ではやった台湾カステラは、その後出てきた「現烤蛋糕」というもので、「現烤」は「焼きたて」という意味らしいよ。
つまり、店頭で焼きたてで、ふわふわ、ほかほかののカステラを売り出したものが取り入れられたみたい。

なんでこれが「むかし懐かしい味」かというと、それは材料のシンプルさにつきるのだ。
材料は、小麦粉、卵、砂糖、植物油、牛乳だけ。
しかも、砂糖はあまり入れずm、甘さは控えめなのだ。
実は、これはシフォンケーキとほぼ同じ材料なので、カステラと言うよりは、シフォンケーキやスポンジケーキに近いものなのだ。
長崎カステラの場合は、伝統的には牛乳は入れず、かつ、水飴を入れてしっとりとした、割と重めの食感にするんだよね。
台湾カステラの場合は、牛乳も入れるので生地も軽くなるし、よりふわふわっとした感じに仕上がるよ。
冷めてからも生地が柔らかく、ふるふるするんだって。

シフォンケーキとの違いは、焼き方。
シフォンケーキはそのままオーブンで焼くのだけど、台湾カステラは蒸し焼きにするため、「湯煎焼き」にするのだ。
水を張ったトレイに乗せて焼くことにより、表面はあまりかりっとせず、むしろ蒸しパンのようなふわっとした感じになるのだ。
台湾カステラはとにかく大きく作って、大きく切り分けるのが特徴。
長崎カステラほど生地が詰まっていないので、それでも食べられちゃうんだって。

で、そのままでは甘さは控えめで、むしろ、卵の風味がしっかり生きているんだとか。
なので、そのまま食べると「優しい味」なんだけど、チーズを入れたり、ハチミツをかけたり、クリームを挟んだりとアレンジもできるんだそうな。
さらに、できたてでも、冷やしてから食べても、温め直して食べてもいいんだって。
これが新しいスイーツとしてはやった要素なのかもしれないね。
アレンジによっていろんな人の好みに合うようになるのだ。

もともと長崎カステラはポルトガルから伝わった南蛮菓子が日本で独自の発展を遂げてできたものだけど、それが今度は台湾に渡ってさらに変貌を遂げ、韓国経由で日本に戻ってきたというのはおもしろい軌跡だよね。
ボクが食べたものは、冷やしてしっとりしたもので、何も書けていないやさしい味のものだったけど、がっつり甘いものが食べたいときには少し物足りない感じかな。
ま、自分で何か書けて食べてもいいのかもしれないけど。
すでにネットには台湾カステラのレシピもあふれているようで、かつ、犯しにしては比較的簡単に作れるようなので、買うものと言うよりは、自宅で作るものとしてはやっていくかもしれないね。

2020/10/17

渋いうちはダメ

 秋になって、柿のシーズンになったのだ。
ボクは昔から柿が好きなんだよね。
生食も干したのもどっちも。
でも、古来から日本人は柿を食べるために様々な工夫をしてきたのだ。

そのままおいしく食べられる「甘柿」は突然変異と考えられていて、基本は渋いものなのだ。
品種改良の過程で甘柿同志を掛け合わせても渋柿になることもあるらしいから、実は渋みは柿のアイデンティティに関わるものと言っても過言ではないのだ。
でも、この渋みは柿が完熟して「熟柿(じゅくし)」という実がとろっとろの状態になると感じなくなるんだよね。
つまり、本来はその状態が食べ頃ってこと。
柿的には渋いうちは食べられたら困るのだ。
これは柿の生存戦略上重要で、中にある種がしっかり熟す状態になるまでは食べられても困るということだよね。
熟した状態で種ごと食べてもらって、鳥や動物に遠くまで運んでもらってそこで種を出してもらうことで生息域が広がるのだ。

この渋みの正体はタンニン。
お茶なんかの渋みもこのタンニンだけど、お茶の場合はそこまで量が多くないのでそのまま楽しめるのだ。
でも、渋柿をガリッとかじると口の中がしびれるほどの渋さだよね・・・。
未成熟の渋柿の中にあるタンニンは水溶性で、それが唾液に溶けて粘膜に付着すると渋みを感じるという仕組み。
なので、タンニンが溶け出さないようにしてあげれば、いいわけ。
むかしはこういう科学的な部分はわかっていなかったわけだけど、いろいろと試して、経験的に、いわゆる「渋抜き」の方法が確立されてきたのだ。

一番単純なのは干し柿。
実がとろとろになるまで熟せば渋はなくなるものの、そこまで行くとほぼ流通はできないし、日持ちなんかもしないわけだよね。
またかたいうちに収穫して追熟、というのもあり得なくはないけど、同時にいたんでも来るわけで、きちんと保管して、適切な時期に食べなくちゃいけないのだ。
※現代なら、リンゴと一緒に袋に入れておくとリンゴから出るエチレンガスの効果で追熟が促進され、すぐに甘くなるよ。
そこで、他の多くの果物で行われているのと同様に、干して水分を飛ばす、という方法がとられるわけ。
干し柿にすれば運搬もしやすくなるし、日持ちもするようになるし、何より、水分が飛んで甘みも増すので、これはかなりよい方法なのだ。
なので、基本は、完全に熟すのを待つか、干し柿にするのが選択肢だったわけ。

でもでも、生食で甘い柿を食べたいという欲望は捨てきれなかったようで、そのために更なる工夫がなされたのだ。
それが今にも残る渋抜きの方法だよ。
有名なのは、焼酎に漬けるというもの。
これは樽柿というやつ。
つけ込まないまでも、アルコール度数の高いお酒を吹きかけ、外気に触れないように密閉して1週間ほど放置する、というものもあるよ。
温泉地なんかでは、お湯につけておく、というのもあるのだ。
これらはみな、柿の中にアルデヒドを発生させ、それがタンニンと結合することでタンニンが水に溶けなくなる、という原理を使っているのだ。
もちろん、そんな仕組みがわかったのは後のことだけど。
で、仕組みがわかった後に編み出されたのは、炭酸ガスの充満したところに億というもの。
柿は酸素がない状態に置かれると中の頭分がアルコール発酵され、それがさらにアルデヒドに変わるのだ。
お湯につけておくのと基本は同じ反応が起きているみたい。

こんな感じで工夫して、普通に食べたら渋い柿をおいしく食べてきたのだ。
今では最初からそのまま食べられる甘柿があるわけだけど、実は甘柿より渋抜きした渋柿の方がおいしい、という話もあって、渋抜きも続いているんだよね。
富有柿や次郎柿は甘柿だけど、平核無(ひらたねなし)や刀根早生(とねわせ)のような渋抜きした柿も関東では好まれるんだよね。
ちなみに、柿は糖分が多いので敬遠されがちだけど、カリウムやビタミンCの含有量も多く、果物として非常に優秀なものなのだ。
今は値段もそんなに高くないし、なんと言っても、日本が誇る果物なので、秋は柿を食べよう!
なお、フランスでは、とろとろに熟した柿を冷凍庫で凍らせてから少し溶け出したものをスプーンですくって食べるのがはやっているみたい。

2020/10/10

御不在の間

 十月と言えば「神無月」。
国中の神様が出雲に集まるので、各地で神様が不在になるから「神無月」、逆に、出雲は神様が集まるので「神在月」なんて言うのだ。
でも、これって後付けのものなんだって。
先に「カンナヅキ」という音の言葉があって、それに「神無月」という字を当ててから出てきた俗信らしいよ。
といっても、すでに中世、平安時代には広まっていたと言うから古い話ではあるのだ。
でも、そのころすでに「カンナヅキ」の語源がよくわからないようになっていたんだね・・・。

これはわりと広く信じられていたようだけど、ひと月の間神様が全く不在ではさすがに困ってしまうよね(>o<)
で、「留守神」というものがあるのだ。
これは、神無月になっても出雲に行かず、地元に残ってくれる神様のこと。
多くの場合、かまど神や田の神のような、日常生活に密着していて、不在にされたら困るような神様と認識されているのだ。
かまどは生活に不可欠なものである一方、火元の不始末は火事につながるわけで、きちんと神様をまつらないんだよね。
1日かそこらなら火を使わない、というのもできるかもだけど、もっと長いからね。
それに、旧暦とは言え、神無月だと米の収穫が終わった後の収穫祭なんかもあって、農耕地では秋祭りがある場合もあるので、お祭りの時に神様がいないというのも都合がよくないのだ。

そうした流れで「留守神」という概念ができてくるわけ°、なぜかそこにかまど神と同一視されることの多い大黒天だけでなく、恵比寿神が入ることが多いというのだ!
これは不思議。
大黒・恵比寿の二柱セットでお祭りする例が多いからなのか、豊漁の神様として漁村地域で「留守神」になっていたのがひろまったのか、「商売繁盛」の福神としおてひと月も不在にされたら困るということなのか。
よくわからないのだけど、「留守神」というと「恵比寿が多い」と言われるくらいには広まっているんだって。

こういう系列とはさらに別に、出雲に行かない神様もいるのだ。
もっともメジャーなのが諏訪大明神。
諏訪大社にまつられている竜神だけど、あまりにも恐ろしく大きな姿なので、他の神様が驚いてわざわざ諏訪明神には来ていただかなくても、となったとかいう話なのだ。
もともとなんで集まっているかは諸説あるんだけど、「縁組みの相談」をしているとかいうのもあって、確かにそういう話なら荒ぶる竜神にわざわざおこしいただかなくても、とはなるよね(笑)
一方で、むしろ竜という蛇身なので、八岐大蛇が退治された出雲の地へ行かないようにしているなんて説もあるそうな。
実際、この時期にはちょうど、おとなりの石見国では伝統的に神楽の奉納が行われるんだけど、それは八岐大蛇退治の話なんだよね。

そして、出雲に行かない神様として有名なのは、能登国羽咋の鍵取明神。
この神様は、他の神様が不在にする間鍵を預かって守る、という伝承があるのだ。
なので「鍵取」なんだよね。
そんなに大きな神社ではないようだけど、延喜式にも載る式内社で、崇神天応の時代に創建と言うから由緒ある神社だよ。
現在は「志乎(しお)神社」という名前で、戦前の社格は郷社。
「鍵取」という名前が先なのか、伝承があるから「鍵取」になったのかはよくわからないみたい。

ちなみに、諏訪明神も鍵取明神も、再試されている神様は武御名方(タケミナカタ)なんだよね。
そして、恵比寿といえば、事代主(コトシロヌシ)のこととされることもあるよね。
さらに、かまど神と同一視されることのある大黒天といえば大国主(オオクニヌシ)。
なぜか国譲りの三柱の神がそろってしまうのだ。
これは意味があることなのか、偶然なのか?
出雲に集まるのは国津神だけという伝承もあるんだけど、その場合は他の神様に会いたくないなんて事も考えられちゃうよね。
もっとも、出雲大社の祭神は大国主なので行くも行かないもないのだけど(笑)

2020/10/03

さそわれる?

 芸能人の自殺とみられる不審死が続いたのだ。
かなり若い人たちなので、ショックが大きいよね・・・。
日本の場合、死亡判断は医師しかできないので、どんな状態であっても、病院等に運んで医師が「死亡」と判断しないと死んでいるかどうかは確定していない、という整理になるのだ。
なので、よくニュースでも「病院に運ばれ、死亡が確認されました」という言い方をするんだよね。
「死亡を確認」というのがまさにそのこと。

で、今回の人たちの不審死は、その状態から自殺ではないかと見込まれているんだよね。
自宅で争った形跡がないので、ほぼほぼそうなんだろうけど、場合によっては、死ぬ意図はなかったけど誤って、というのもあるかもしれないので、これも断定できないんだよね。
遺書なんかが残されていればかなり状況証拠としては固まるんだけど、偽装自殺の可能性も否定しきれないので、そこは司直・司法の判断があるのだ。
でも、今回の場合はほぼほぼ「自殺」として報道されているよね。
そして、勝手に「コロナ鬱」という前提で話がされているのだ。
芸能人はコロナ禍で仕事もなくなって、将来への不安感が増していたのではないか?、みたいな文脈で。
子供を産んだばかりの女性が将来に不安を感じて・・・、というのもにわかには考えづらいけど。

こういう、まわりから見るとなぜ自殺するのかよく理由がわからないような事件については、昔の人は妖怪のせいにしたんだよね。
その名も「縊鬼(いつき)」または「くびり鬼」。
もともとは中国の妖怪で、首をつって死んだ人の妄念が強いと、他の人にとりついて自分と同じように首つりをさせる、というもの。
中国では「鬼」は姿が見えない精神対のようなもので、日本で言うと幽霊やら霊魂といったイメージのもの。
なので、首をつって亡くなった人の妄念・執念が首つりを連鎖させる、という発想なのだ。
なんでも、冥界には死者の定員があって、転生しようとしたときに次の死者が来ないと転生できないから、自ら次の死者を作り出すのだそうで。
恐ろしい辻褄合わせだ!

これが日本にも入ってきていて、最初は中国と同じでいきなり「首つり」をさせるものだったようだけど、徐々に、理由不明な自殺一般の原因として担がれるようになったようなのだ。
今では自殺というと、経済的困難とか精神的な病気(鬱など)などに無理くりこじつけるんだけど、昔はよくわからなければ妖怪の仕業ということでみんな納得したのだ。
本当にそういうものが存在していると信じていたかどうかは別として、そういうわからないもの、不可知なものについては「魔が差した」的な受け止め方をするというのはリーズナブルでもあるよね。
河川で不審な水死体が見つかればカッパが引き込んだ、いきなりよくわからないことをわめいたり、暴れたりする人が出てきたら狐が憑いた、などなど。

実は今でもそうなんだけど、すべての事象が科学的に説明できるわけでもないし、死人にむち打つようにほじくり返したところで十分な証拠がそろうわけでもないし、なんでもかんでも「真相」を解明することがよいことではないのだ。
ならばいっそ、「わからない」ままにしておいて、運悪く「怪にに魅入られた」としてしまった方が、コミュニティの中では傷つく人も少なく、処理できる方法だったんだよね。
なので、非科学的と言って馬鹿にできるものではないよ。
正直なところ、根掘り葉掘り調べても故人は帰ってくるわけではないし。

一方で、割り切ってそうするのなら問題ないのだけど、オカルト的にそういう怪にとりつかれないようにはこうすべき、とかなってくるとこれはまた問題。
すでに起きてしまっている事象をどう説明するか、どう納得するか、というコンテクストで「怪」が出てくるのはかまわない。
でも、これから起きるかもしれないことも含めて「怪」の世界にからめてしまうとろくなことがないのだ。
もともと「原因不明」なものをそのように理解しよう、というお約束ごとだったので、当然「怪」での説明体系を使ったとしても防ぐことなんかできないし、仮に防げても偶然。
ところが、たまたまの成功例が変な風に喧
伝されると霊感商法的になるわけで・・・。
百害あって一利なし。
壺を買ったから防げた、壺を買っていなかったらもっとひどい目に遭っていた、なんていうのは詐欺なんだよね。