2023/09/30

飲めば鍛えられるか

ボクは昔から牛乳が苦手だったのだ。
給食で飲むのがせいぜいで、自分からの婿とはほとんどなし。
というのも、おなかがゆるくなりがちだから!
これって「あるある」だよね。
俗に言う乳糖不耐症なのだ。
小腸で乳糖が分解できず、大腸まで言ってしまうとまわりの水分を抱き込んでしまうので便がゆるくなる、ということなんだって。

でもでも、これってちょっと不思議だよね。
だって、赤ん坊の頃は母乳にせよ、粉ミルクにせよ、乳糖をたくさん摂取しているわけで。
それでいちいちおなかを下していたのでは大変だ!
と思ったんだけど、この小腸の中で乳糖を分解する酵素であるラクターゼは、授乳期にたくさんあるけど、離乳とともに減少していくことが知られる酵素。
多くのほ乳類でそのように遺伝的な制御がなされているみたい。
で、大人になったとき、多少乳糖が分解できる人は牛乳を飲んでもなんでもないんだけど、まったく乳糖が分解できない人だとおなかを下すのだ。

これには遺伝因子と環境因子があると言われているよ。
単純に言えば、むかしから酪農をしていて食生活の中で乳(牛乳、羊乳、山羊乳など)を摂取してきた欧州系人種のコーカソイドだと乳糖不耐症の発現率は低く、逆に、日本を含む東アジア人種や南北米大陸のネイティブアメリカンのようなモンゴロイドでは乳糖不耐症の発現率が高いのだ。
これはそういう文化的背景である程度淘汰圧がかかっていて、日常的に乳を摂取しない生活をしていると乳糖を分解できようができまいが関係ないけど、貴重な栄養源として乳を摂取している場合は乳糖を分解できないのは痛手になるのだ。
それが遺伝因子。

でもね、これはちょっとおかしな話なのだ。
というのも、冷蔵保存技術が発達している近大であれば生乳を飲むこともよくあるだろうけど、そういう技術がない時代は保存性を高めるために加工していたわけだよね。
バターやチーズやヨーグルトに(伝統的なバターは発酵バターで、発酵乳から脂肪分をとりだして作るのだ。)。
で、その時代の方がはるかに長いのだ。
で、発酵乳の場合は特に、乳酸発酵の過程で乳糖が減っていくので、そもそも不耐症を気にするようなものでもないはずなのだ。
本当に乳糖が分解できる人の方がその文化的背景で生存上有利だったなんて言えるのだろうか、という疑問が出てくるよね。

じゃ、環境因子ということになるんだけど、こっちもよくわからない。
もともと苦手でも飲んでいるうちにおなかを下さず飲めるようになる、という現象が知られていることから考えられているもの。
もともと持っている遺伝子で、それが大人になると発現しなくなるだけなので、なんかの拍子でまた酵素が出てくれば問題ないわけだよね。
で、体も馬鹿じゃないから、乳を飲み続けてそのたびにおなかを壊していると改めて酵素が出てくるんじゃない、ということらしい。
でも、調べた限りでは、そういう乳糖不耐症がかわされるような場合で実際に小腸の中でラクターゼ活性がどう変わっているかとかいうのはきちんと調べられていないみたいなんだよね。
そういうのもあるかもだけど、日本人の場合、小中学校の給食ではほぼほぼ毎食牛乳を飲まされているのに、乳糖不耐症の人はけっこういるのだ。
本当に訓練すれば飲めるようになるのか?

ちょっと視点を変えると、そういうことはあるかもしれないとは思うんだよね。
ただし、人間のラクターゼが再活性化するのではなく、腸内細菌叢で変化があって、乳酸を分解できる細菌(ビフィズス菌)などが増えることで回避しているんじゃないか、ということ。
実際に食生活の変化で腸内細菌叢は変わることが知られているので、乳酸菌を含む発酵乳をよく摂取しながら牛乳も飲むようにすれば、乳糖不耐症はちょっと解消するような気がするわけ。
これも実験的に確かめられたわけじゃないけど。
改めて遺伝子が発現するようになる、というよりはあり得ると思うんだよね。

ボクの場合は、牛乳でないとダメという栄養素があるわけでもないし、ヨーグルトは味が好きなので、基本はヨーグルトを摂取するようにしているんだ。
っていうか、本当はそれでいいんだよね(笑)
ま、生クリームなんかを大量に楽しみたい、というときに乳糖不耐症だとちょっと不利かもしれないけど、ボクはそこまで生クリーム好きなわけでもないからなぁ。
学校給食でも牛乳かヨーグルトを選べるようにしてくれたらいいのに。

2023/09/23

残暑は続くけど季節はずれ

 もう秋分というのに残暑が続いているのだ。
まもなく昼の時間の方が短くなるのに30度を越える暑さってなんかすごいよね。
なので、なかなか冷房をつけない日はないわけで。
電気代は上がっているし、光熱費負担も大きいよね。
そんなときの先人の知恵のひとつが風鈴。
このまえ近所でまだぶら下がっているのを見つけたよ。
夏休みの終わりの頃には片付けられるイメージがあるけど、こう暑い日が続くとそのままぶら下げておきたい気持ちもわかる(笑)

でもでも、風鈴って音が鳴るだけで別に涼しくなるわけでもなんでもないわけだよね。
こういうことを言うとみもふたもないけど。
風鈴はその音で涼しく感じさせるものなのだ。
そう、某マンガでラーメンはげ(通称)が言っている、「あいつらはラーメンを食っているんじゃない、情報を食っているんだ」というのと同じ。
風鈴の音は基本的に高温で、その材質はガラスや金属だから、そもそもなんか冷たいイメージがあるのだ。
さらに、その音がするってことは外には風が吹いているわけで、風があれば涼しいか、と思わせるわけ。
これは実際に風が家の中に入ってこなくても。
脳の情報処理において、ガラスや金属、そして、風というのが認識されると、「涼しい」という概念が連想されて、なんだか涼しい気がする、涼しげに感じる、ということなんだよね。
これはテレビで川のせせらぎの映像を見たりしても同じ。

でもでも、映像との違いは、映像は直接「涼しい」という概念とつながりやすいのに対し、音の場合は、ある程度文化的背景がないと「涼しい」まで連想が及ばないこと。
ちりんちりんと甲高い音が聞こえてきたとき、日本人はすぐに風鈴を思い浮かべるので、そとでは風が吹いていて、それがガラス製の風鈴を鳴らしている、と認識するわけ。
でも、風鈴という存在を知らない人からしたら、なんか音がしているな、と思うだけで、その先がつながらないんだよね。
これは秋の虫の声も同じで、日本人は鈴虫などの秋に鳴く虫の鳴き声を認識しているので、それが聞こえてくると網秋が来て涼しくなってくるんだなぁ、と連想するわけだけど、それを知らない外国人は何かよくわからない、りんりんという音が聞こえる、と思うだけなんだよね。
それが虫であるとか、その虫の鳴く季節とは結びついていかないのだ。

そういうわけで、風鈴の音を涼しく感じるのは、極めて文化的なものなんだよね。
でも、実際はそこまで古いものではなくて、せいぜい江戸中期以降のもの。
というのも、透明ガラスの製法がオランダ経由で日本に広まったのがその頃。
で、そこから風鈴とか金魚鉢をはじめとした「ギヤマン細工」が作られるようになるわけ。これも最初のうちはきっと高価なものなので一部の人だけのものなわけだけど、ある程度安価に作れるようになると庶民にも普及するわけだよね。
それが文化として根付くと「風物詩」みたいに季節とモノのが強く結びついて、そういう連想を生むような土壌が形成されるのだ。
ウナギも一年中食べられるし、むしろ夏じゃない方がおいしいらしいけど、どうしても「土用の丑の日」のキャッチフレーズと強く結びついて「うなぎ」=「夏の食べ物」的なところがあるよね。
これもやはり江戸時代以降の話だけど。

こういうのを踏まえてついつい夢想してしまうのが、すでに「風鈴」というものがなんであるかさえ忘れ去られてしまった遠い未来において見つかった古代の風鈴。
ガラス製のただ風が吹くと音が鳴るだけの道具。
それなのに、かなり技術が発達した後でもなぜか使われていた痕跡がある。
これはきっとなにか「呪術的な意味」があるに違いない、なんて考古学者は想像するわけだよね。
おそらく、遺跡から見つかっているもので、現代的視点から見るといまいちなんだかよくわからないものって、そういう時代的・地域的な文化的背景の中で意味を持っていたモノがあるんじゃないかぁ、と思うんだよね。
「きっと祭祀に使っていたに違いない」と思われている「銅鐸」も案外このたぐいかもしれないなぁ、なんて思うんだよね。

2023/09/16

残された・・・

 今年は特に残暑が厳しい。
このまま10月まで暑いとかいう長期予報も出ているよね・・・。
このまま日本は亜熱帯になってしまうのか?
春とか秋が過ごしやすいんだけど、それが短くなってきている気がするんだよなぁ。

それはそれとして、気になったのは「残暑」という言葉。
暑さのピークを越えてからの暑さ、ということなんだけど、言葉の使い方としては、二十四節気の「立秋」を過ぎてもまだ暑い場合に「残暑」というだよね。
で、その「残暑」になる前は「暑中」。
そう、暑中お見舞いの「暑中」だよ。
二十四節気で言うと、小暑と大暑を合わせた約1ヶ月くらいが「暑中」。
名前からして暑そうな時期だよね。

で、二十四節気で「大暑」の次が「立秋」。
ここから「暦の上では秋」ということになるんだけど、もともとの二十四節気の考え方として、「立秋」は暑さのピークを過ぎてこれから徐々に涼しくなっていきますよ、というポイントで、涼しくなり始めるポイントではないのだ。
なので、暑さが当然続くわけで、そこを「残暑」と呼ぶわけだね。
二十四節気はもともと中国のものなので日本とは少しずれるんだけど、日本でも暑さのピークはだいたい夏の土用のあたり。
つまり、「立秋」の前の18日間だよね。
この時期に精力をつけるためにウナギを食べるわけだ。
「土用の丑の日にウナギ」というのはあくまでもキャッチフレーズだし、この時期はウナギの旬でもなんでもないんだけど、伝統として残っているのにはこういう理由があるんだよね。

例年「立秋」は8月上旬なので、お盆の頃はまさに「残暑」の時期なんだけど、確かにお盆くらいになると朝晩はけっこう涼しくなってヒグラシもカナカナと鳴く、みたいなのが日本の風物詩だよね。
ちょっとは涼しくなるイメージはあるのだけど、これが崩れつつあるのが最近の傾向なんだよね。
原因が気候変動なのかどうかはよくわからないけど。
気象学的には、「立秋」を過ぎた当たりから徐々に太平洋高気圧の勢力が弱まって南下していき、逆にシベリア高気圧が精力を増して南下してくるので、ピーク時から涼しくなるのだ。
その境目が日本列島の真上に来た当たりが秋雨(秋霖)の時期だよね。
今年は太平洋高気圧が待った弱まる気配がなくて残暑が長引いているらしい。

暑さのピークがあればその逆の寒さのピークもあるんだけど、それが冬の「小寒」と「大寒」を合わせた「寒中」。
寒中見舞いの「寒中」だよね。
「寒中」に入る時期を「寒の入り」とも言うのだ。
「立春」の直前の約1ヶ月間で、この時期は関東でも雪が降るくらい冷え込むよね。
「立春」を過ぎても寒さが残ることを「余寒」というのだそうだよ。
あんまり使わないけど。
なので、年賀状出し忘れて松の内を過ぎた、さらに>寒中見舞いも出しそびれた、となると、余寒見舞いということになるんだとか。
そこまで季節の御挨拶状を出すことはほぼほぼないのだとは思うけど、設定はあるわけだね。

2023/09/09

その頃ソ連では

 一種のネットロアみたいなものだと思うけど、米ソ冷戦時代の宇宙開発競争に関する小話があるんだよね。
米国がマーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ計画と段階的に有人宇宙飛行を重ねてきて、あることを発見したのだ。
それは、宇宙空間ではボールペンが使えない!
ボールペンって、重力で押し出されたインクがペン先のタマのyら側に付着し、そのタマが回転すると同時にそのインクが紙面に転写される、という仕組みなのだ。
なので、実はペン先を上に向けて天井に字を書こうとしてもうまく書けないんだよね。
すぐにインクの供給がなくなってかすれてしまうのだ・・・。

そこで、米国航空宇宙局(NASA)はかなりの開発費をかけて無重力環境でも書けるボールペンを開発したのだ。
インクの押し出しを重力に依存するのではなく、圧縮空気などで押し出す方式。
これで無事に宇宙空間でもボールペンが使えるようになったわけ。
それが「スペースペン」。
科学館とかのお土産コーナーとかでも買えるよ。
一説には開発に100万ドルかかったとかなんとか。

一方、その頃ソ連では・・・。
鉛筆を使っていた!
というのがオチ。
NASAが一生懸命技術開発にいそしんでいる中、無理にボールペンを使うのではなく、宇宙空間でも使える鉛筆を使った、ということ。
過剰に技術開発に血道を上げる米国に対して、発想の添加でソ連は技術や金がなくてもうまくやってた、みたいな話なんだよね。
ちなみに、鉛筆の芯の主成分である黒鉛は、無重力環境ではその粉末がそこら中に飛び散って漂ってしまうので、現在は宇宙ステーションの中とかでは使えないよ。
昔は使っていたのかもだけど。

同じような宇宙開発のスタンス、というか、宇宙船の設計思想の話として、米国は宇宙船を航空機の延長で見ているの対し、ソ連は船舶の延長で見ている、というのもあるのだ。
米国の発想では、宇宙空閑に出てしまったら直したりなんかできないから、とにかく故障しないように作る(頑健性)、ひとつ故障があってもそれをカバーできるように作る(冗長性)、とおうのが基本コンセプト。
これは飛行機と同じで、飛行機は飛んでいる間は修理ができないという前提で安全な航行を確保するためにそういう発想でデザインされているんだよね。
一方、ソ連の場合は、船は途中で穴が空いたってふさぐことができればリカバリーできる、宇宙船も同じで、簡単に直せるのであればシンプルな作りにしておいて直しながら使えば良い、という発想だったらしいんだよね。
この設計思想の違いがまさに実感されたのが国際宇宙ステーション(ISS)計画。
それぞれが担当のユニットやモジュールを作って宇宙に打ち上げ、宇宙空間で組み立てていくわけ。
ISS計画は冷戦下での東西陣営の平和的な協力プロジェクトとして重要な意義があったわけだけど、ひとつのものを作るに当たってそれぞれの設計思想を知ることになり、きっと良い刺激にもなったと思うんだよね。

宇宙関係で面白いのは、地球に帰ってくるときの宇宙船の設計も。
NASAは打上げや再突入時の衝撃から宇宙飛行士を守るために低反発素材であるテンピュールを開発・実用化したのだ。
背中やおしりに係るGを分散させることで宇宙飛行士にかかる負担を軽減するため。
でも、ソ連は違ったんだよね。
宇宙飛行士一人一人石膏で型を取ってオーダーメードで座席を作るのだ。
こうして背中とおしりにぴったりの座席ができるので、Gは均一にかかるからテンピュールみたいなのは不要。
逆に言うと、NASAは誰が宇宙飛行士になっても使えるように、規定の形の座席にテンピュールを使うようにしてるのだけど、宇宙飛行士なんてそうはいっても限られているので、ソ連・ロシアのやり方の法がかしこい気もするよね・・・。
ただし、両方乗ったことのある日本人宇宙飛行士に寄れば、やっぱり米国の宇宙船の方が乗り心地がよいらしい(笑)

宇宙船関係ではもう一つあって、標準搭載品が違う、というのもあるのだ。
米国の場合、宇宙船は帰還自に海に落とすことが多いのだよね。
で、あらかじめ計算して落下地点を割り出して置いて、船を待機させて置くわけ。
なので、宇宙船には浮き輪が積み込まれているのだ。
一方、ロシアは基本地上(シベリアの森林遅滞)に落とすのだ。
なので、宇宙船にはオノやナイフなどが搭載されているんだよね。
サバイバル用に・・・。
そのサバイバルキットだけで48時間生き残る、という訓練もあるらしい。
ワイルドだろぉ?

2023/09/02

シン路面電車

 宇都宮で新しくLRTが開業して話題になっているのだ。
LRTはいわゆる次世代型路面電車で、「Light Rail Transit」のこと。
伝統的な路面電車よりは輸送力があるけど、地下鉄ほどじゃない、という中間形態の交通システム。
専用又は自動車道との併用の軌道を敷設するのだけど、鉄道や地下鉄に比べると低コストで整備できるというので最近注目を浴びているのだ。
ちょっと前は富山のライトレールも話題になったよね。

宇都宮の場合は、全くの新規の路線であることがさらに注目を集めているのだ。
地図で見るとわかるけど、南北の縦のラインはJRや私鉄(東武線)があるのだけど、東西の横のラインは基本は自動車に依存している都市なんだよね。
で、市街地も大きくなってくると、渋滞問題が出てきたのだ。
それを解消するため、多くの人が活用するであろう横の移動について、新交通システムとしてライトレールが採用されたんだって。
まずはJR宇都宮駅の東側で、追って西側も開通するみたい。

最近のLRTは専用軌道を用意することが多いけど、それでも、幹線道路の車線を減らさないとそんな軌道は作れないわけ。
併用軌道だと信号で自動車とLRTの交通整理が必要。
宇都宮のような規模の都市の場合、朝夕の通勤時間帯に自家用車で移動する人が多くて渋滞が発生するけど、昼間の間はそこまで流通のための輸送利用はないから、自家用車を使わなくても通勤できるようになれば渋滞は解消するのだ。
一方で、都心部のように、そもそも四六時中交通量が多くてちょっと何かあると渋滞するような状態の場合は、かえって邪魔になるのだ。
それが理由で都内からはほぼほぼ路面電車がなくなったんだよね。

江戸時代は基本全員徒歩移動。
お金を持っていれば駕籠で移動。
それが御一新以降、明治になって馬車鉄道が整備されるんだよね。
これは一定の路線に沿って運行されるバス的な位置づけの馬車。
で、これが明治の終わりから電化され、路面電車(東京市電)に発展していくのだ。
特に大正期、第一次大戦の頃は景気も良くなって最盛期を迎えたようなのだ。
23区内に縦横無尽に路面電車が走っていたんだよね。
関東大震災の後に徐々に利用者が現法していくのだけど、これは自動車が普及してきてモータリゼーションが広がってきたことなどが要因だそう。
このころ、私鉄線の整備も進み、バス路線も増えたみたいで、それまで都内の公共交通をほぼ一手に担っていた市電の役割が減ったということなのだ。

とはいえ、路面電車は戦後も主要な公共交通機関だったんだよね。
戦後に東京市が東京都になってからは「都電」と呼ばれるようになったけど、今の地下鉄のように、都心部で移動するなら都電が便利だったはずなのだ。
この時点では地下鉄路線は少なくて、戦前にできていた銀座線と戦後復興の象徴として整備された丸ノ内線くらい。
でも、このころから流通量増加から交通量が爆発的に増え、路面電車は交通の妨げと見なされるようになるのだ。
で、都の方針として、基本的に路面電車は順次廃止していって、地下鉄やバスで代替の輸送手段を用意する、ということになったのだ。
なので、かつての都電の路線のうち、特に輸送力が必要なところは地下鉄路線になっているし、そこまでじゃないのはバス路線になったのだ。

で、最終的に残った都内の路面電車は、都電荒川線(東京さくらトラム)と東急世田谷線のみ。
荒川線は、ほぼほぼ専用軌道のみから構成されていたこともあって、廃止を免れたのだ。
けっこう便利に使える路線ではあるんだよね。
荒川車庫の周辺の明治通り沿いは基本的に他に公共交通機関がないし。
雑司ヶ谷なんかも副都心線ができるまでは池袋まで出ないといけなかったし。
世田谷線は、もともと渋谷と二子玉川をつないでいた路面電車の玉川線の支線で、三軒茶屋と下高井戸を結ぶ路線。
本線の渋谷・二子玉川の間は地下鉄化され、新玉川線となるのだ。
今で言う田園都市線だよね。
むかしは多摩川を越えて、二子玉川から先が田園都市線だったのだけど、2000年に全体が田園都市線になったのだ。

実は、優先的に整備すべきと答申が出されている路線はまだ未着工のものがあるんだけど、これをすべて地下鉄で実現しようとするときついんだよね・・・。
最近はかなり深く掘らないといけないしでとにかく高いのだ。
なんとか作ったのが大江戸線や南北線で、地下鉄では無理、というのが日暮里舎人ライナー。
日暮里舎人ら否はまさに公共交通空白区域だったので乗降者数が多くていつも混んでいるけど、より輸送力の高い地下鉄では整備できなかったのだ(南北線にくっつける計画もあったらしい。)。
で、今でも話題に上るのが、エイトライナーとセブンメトロ。
それぞれ環八、環七に沿った環状路線なんだけど、距離も長いので、地下鉄はかなりきびしいわけ。
大江戸線のさらに外側だからね。
これをLRTで実現しては、というのは時々言われるのだ。
確かに、あれば非常に便利だけど、それでもむずかしいだろうなぁ。