2011/12/31

え、蒸して乾燥!?

寒い季節においしい日本料理といえばふろふき大根♪
ボクはカブの方が早くやわらかくなるし、甘みもあるので好きだけどね。
前から気になっていたんだけど、なぜ「ふろふき」なのか?
まさかお風呂をわかしながらゆでるんじゃないよね(笑)

由来を調べてみると、漆器職人が漆を乾かすのに大根のゆで汁を吹き込むとよい、と教えられ、果たしてうまくいくんだけど、そのときにゆでた大根が余ったので近所に配るとこちらも評判。
漆器を乾燥させる場所が「風呂」と呼ばれていたので、「風呂吹き」大根になったのだとか。
むしろ前後逆転で、漆器を乾かす風呂に水蒸気を吹き込む際、ただただお湯をわかすだけじゃもったいないから、ついでに大根もゆでちゃえ、という方が正解かも、とも言われているよ。

ここで言う「風呂」とは「蒸し風呂」。
江戸時代以前は「風呂」と言えば蒸し風呂だったんだよね。
で、江戸時代の間、いつかはわからないんだけど、お湯につかるように変わったのだ。
弥次喜多の「東海道中膝栗毛」には五右衛門風呂の話が出てくるから、そのころ(19世紀初頭の文化・文政期)にはすでにお湯に入る風呂が一般的になっていたはずだよね。
ちなみに、人が入るお風呂でゆでた大根じゃ食べる気がしないから、風呂吹き大根は蒸し風呂がメインだったころの発明なんだろうね(笑)

で、ここでさらに疑問。
漆を乾かすのに「風呂」ってどういうこと?
乾かすというと、水分を飛ばすイメージがあるので、暖めるとしても乾燥させる必要があるよね。
でも、漆の場合は違うのだ!
「乾かす」と言っても、それは言葉上だけで、実際には水分を飛ばしているわけじゃないのだ。

漆はウルシノキの樹液から作るもので、主な成分はウルシオール(タイやミャンマー産の場合はラッコール)と呼ばれる長い炭素鎖のついたフェノール系化合物。
これが「乾かす」という工程を経ると重合して高分子の樹脂になるのだ。
それが漆器表面の被膜だよ。
この被膜により、木の器は耐熱性、耐水性、耐油性などなどが高まり、かつ、腐りにくくなるのだ。
漆器はお手入れは大変だけど、しっかり手入れすると長持ちするんだよね。

採取したウルシノキの樹液(これを荒味うるしと言うのだ。)は、最初は乳白色なんだけど、空気に触れると褐色になるんだ。
この荒味うるしに少し熱を加えて流動性を上げてから濾過をし、不純物を取り除くのだ。
こうしてできたのが「生漆」で、これをよく攪拌し、成分を均一にするとともに粒子を細かくすることを「やなし」と言うんだ。
漆の主成分のウルシオールは水に溶けないので、ウルシオールは小さな粒子状の脂が水溶液中に分散しているエマルジョンの状態なのだ。
その油の粒子を細かくし、さらに均一に分散させるわけ。

さらに天日干しなどで低温のまま水分を蒸発させる工程を「くろめ」と言い、ここまで来てやっと塗れる漆になるのだ。
この生成過程で鉄分を加えると色が化学反応で黒く発色するんだ。
それが重箱などの黒漆だよ。
何も入れずにそのまま塗るのが透漆(すきうるし)で、木地の目を活かしたいときや、金箔を貼るときの接着剤に使われるのだ。
辰砂(硫化水銀)などの顔料を加えて色をつけることもあるよ。
椀ものなんかであざやかな朱色のものがこれ。
(漆は水に溶けないので、まず水銀などは椀の中身には溶け出さないよ!)

この後、漆は何工程にも分けて「塗り」が行われるんだけど、塗った漆を乾かすのが「風呂」と呼ばれる場所なのだ。
漆の「乾燥」というのは、漆に含まれている「ラッカーゼ」という酵素の作用により重合して高分子化すること。
さらに空気中の酸素で酸化して硬化するのだ。
このうち、空気酸化は常温でもどんどん進むんだけど、酵素反応はある程度の熱と湿気が必要なので、わざわざ「風呂」で「乾かす」んだって。
ちなみに、「くろめ」の時に低温で水分を飛ばすのは酵素を失活させないためだよ。
具体的には、ウルシオールのベンゼン環についている水酸基が架橋してつながるのだ。
空気の酸化では長い炭素鎖に二重結合ができているんだけど、そこは紫外線に弱いので、漆器は洗った後によく拭いてから日に当てずに乾かす必要があるんだよ。

一方、酵素反応を使わず、単純に加熱して固める方法もあるのだ。
それが焼き付けと呼ばれるもの。
120~150度で30~60分焼くんだって。
この方法だとウルシオールが熱重合するんだけど、金属のような塗りではうまく漆がつけられない素材でもコーティングできるのだ。
甲冑なんかの武具の場合はこの焼き付けでコーティングしているのだ。

というわけで、大根から漆の話に変わってしまったのだ(笑)
手入れが大変だから最近は普段使いはしなくなってしまった漆器だけど、やっぱり風情があるよねぇ。
何より、英語ではjapaneseと呼ばれるくらい、海外では日本の名産品と思われているものなのだ。
ちょっとは漆のことを知っていると、海外に行ったときに役に立つかも。
ちなみに、中国や東南アジアにも漆器はあるので日本の特産品ではないよ。
磁器をchineseと呼ぶのと同じで、最初に欧州に入ったときにどこの名産品だったかが重要なのだ。

2011/12/24

乾燥注意報発令

この時期いやなのは乾燥肌。
ボクは手や足ががさがさになるんだよね(>o<)
見た目が悪いのもあるけど、乾燥しているところはざらざらするから布なんかが引っかかるのだ。
なので、この時期は保湿クリームなんかに気をつけているんだよね。
洗い物なんかをするときもわざわざお湯でなく水でやったりするんだよ!
でも、毎年毎年差鮫肌のようになってしまうのだ・・・。

この乾燥肌、文字どおり皮膚表面の水分量の低下が原因。
人間の皮膚は、一番表面にある表皮、その下の真皮、さらに下の皮下組織から成り立っているのだ。
いわゆる「皮革」は真皮の部分で、「しわ」はこの真皮に刻まれるんだよ。
真皮の繊維タンパク質のコラーゲンなんかが劣化して弾性を失うことが原因。
やけどなんかは真皮まで達してしまうと再生はムリで、痕が残ってしまうのだ(ToT)

その真皮の上の表皮は、外界と人間の体の内部を遮断する役割を持つ最終防衛戦!
適度に水をはじき、雑菌の体内への侵入を防ぎ、保温と汗の気化熱による放熱で体温調節にも役だっているんだ。
表皮の構造は特殊で、真皮のすぐ上にはケラチンという層状の硬いタンパク質を精算する表皮細胞があるのだ。
この細胞は内部にケラチンを蓄積して死ぬと、すぐにははがれ落ちずに、表皮の外側にくっついたままたまっていくのだ。
これが名高い「角質」。
古い角質はあかとなってはがれていくよ。

この角質が表皮による防護のミソなんだ。
角質の間には、皮膚の下にある皮脂腺から分泌された皮脂がしみ出て、表面に膜状になって薄く広がっているんだ。
皮脂が多いとてかりの原因となって、あぶらとり紙でとるよね(笑)
これが毛穴に詰まって雑菌が繁殖するとニキビになるのだ。
でも、皮脂には重要な役割があって、角質の内部の水分の蒸発を防いでいるんだ。
水の表面に油をはると蒸発が抑えられるよね。

角質の中にはアミノ酸やカルボン酸などの有機酸、尿素などの天然の保湿成分があって、それにより水分を保持しているんだ。
健康な状態だと20~30%くらいの水分量だとか。
これが少なくなると乾燥肌になるというわけ。
逆に、これが適度に保たれているのが、「ハリ」と「うるおい」のあるお肌だよ(^o^)/

乾燥肌の原因はいろいろとあるんだけど、一つは皮脂の分泌が悪くなることによるもの。
これは加齢やストレスが原因と考えられているよ。
この場合は代わりの油を足してあげればいいわけだよね。
なので、ハンドクリームにはセラミドとかの油脂が含まれているのだ。
馬油なんかを塗るのも同じだよ。

それと、よく言われるのが角質のタンパク質の劣化。
これはストレスにより発生する活性酸素や紫外線が原因のようなのだ。
これは骨組みががたつくから、天然保湿成分が失われていくので保湿力そのものが落ちてしまうんだよね。
活性酸素や紫外線の影響を低減させるために抗酸化剤が使われるのだ。
ビタミンE(αトコフェロール、酢酸トコフェロールなど)は親油性なのでよく配合されているよね。
保湿力を上げるのに使われるのは尿素やグリセリンなど。
高級なものではヒアルロン酸なんかも入っているよ。

人為的な原因もあって、あまりに潔癖すぎて強い石けんを使ったり、硬いタオルなどでごしごしこすると角質がはがれすぎてしまうのだ!
韓国式のあかすりなんかも赤くなったりするけど、あれも基本はこすりすぎ。
乾燥肌と同じように保湿力が失われ、かゆみが出たりするのだ。
ちなみに、皮膚の表面には常在菌がいるけど、この常在菌が皮脂を分解することで皮膚表面が弱酸性になっていて、それが抗菌作用を発揮しているのだ。
洗いすぎると常在菌叢にも影響が出て、かえって皮膚の健康に悪影響なんだよね。
くさくならない程度、あかがぼろぼろ落ちない程度、適度に洗うことが大切だよ。

乾燥肌になると、かさかさになるだけでなく、ひどくなるとかゆみとか痛みが出てくるよね。
これは皮膚の防御力が落ちるため。
保湿だけでなくて、皮膚は外界からの様々な刺激を防いでいるけど、その防御力は落ちるので、刺激がダイレクトに伝わるようになるのだ。
かゆみと痛みは実は同じもので、痛覚神経が弱く刺激されるとかゆみ、強く刺激されると痛みとして感知されるだけなので、皮膚への刺激でダメージを受けている、という証拠なのだ。
さらにひどくなるとあかぎれなんかになるけど、これはもう物理的なダメージにまで至っている、ということだよね(>o<)

というわけで、乾燥肌の仕組みはなんとなくわかったのだ。
保湿クリームは自分の状態(皮脂が少ないのか、角質のダメージなのか)をよく見極めて使わないと効果がないんだよ。
皮脂が出ているのに油系のクリームをぬってもてかりがひどくなるだけだし。
でも、それ以外でも、バランスのよい食事をする(肉食が多いと酸化数の多い質の悪い皮脂に成分が変わってしまうのだ!)とか、睡眠をよくとるとかも大事みたい。
冬はまだこれから。
乾燥対策をきちんとしないと!

2011/12/17

油をぬいてさっぱりと

ふと思ったんだけど、「脱脂綿」ってすごい言葉だよね。
油脂を除いた綿というそのままだけど(笑)
最近ではコットンと呼ぶ方が多いからあまり聞かないけどね。
で、なぜそもそも「脱脂」にする必要があるのか、などをつらつらと調べてみたのだ。
さすがに「脱脂粉乳」とは違うもんね、仲間みたいな響きだけど。

もともと「綿」は綿花の種を囲んだ白く細い繊維状の部分。
綿が開いた状態で収穫されたものが実綿(みわた)で、中の種は綿実(めんじつ)と言うんだよ。
綿毛の部分だけをはずし、これを2つのローラーの間に圧縮しながら通すと、種だけが手前に落ちて残って、綿毛だけが取り出せるのだ。
これが「綿繰り」という作業。
かつては弓状の道具でこの綿毛を弦ではじいてほぐしていたんだ。
これを「綿打ち」と言うんだけど、このときに残っていた異物やゴミなんかを除くのだ。
さらに、こうしてほぐした綿毛をくし状の針ですいてやると、長い繊維と短い繊維に分かれて、長い方はよって糸に、短い方は紙の原料なんかにするんだって。
綿糸にした後さらに織り込むと綿布となるのだ。

残った綿実は油分が多いので、ごまと同じように絞ると油がとれるのだ。
それが綿実油。
精製技術が低かった頃は黒~赤の色のついた、あまりきれいでない濁った油しかとれなかったらしいんだけど、石灰を使った精製法が開発されてからは透き通った透明な上質な油がとれるようになったのだ。
綿実油は酸化しづらいこともあって、揚げ油やツナ缶に使われたりしているよ。
かつては菜種油なんかより高級品として扱われていて、今でもビタミンEが豊富だったりするのでちょっと高級な食用油として使われているのだ。
でも、綿花自体をほとんど輸入に頼っている我が国(数字的には自給率0%)では、当然綿実油もごくわずかしか作られていないよ(>o<)
木綿の副産物とは言え、製造コストが高いのがネックみたいで、その意味では、健康食品とかの付加価値がつかないと売れないってことみたい。

で、話はもどって脱脂綿だけど、不純物を取り除いた綿毛を水酸化ナトリウムで処理し、さらに次亜塩素酸で漂白するとできるのが脱脂綿。
ほぼ純粋なセルロース繊維だけになるんだって。
水酸化ナトリウム処理をすることで油脂分は鹸化されて水に溶けていき、次亜塩素酸でクリーム色っぽい綿毛が真っ白になるのだ。
セルロースは人工合成もできるけど、綿毛状のシートに加工する上では天然物を使った方がよいみたいだね。
もともと木綿は吸水性が高いんだけど、余分な油脂分をさらに除いているのでより吸水性が高くなっているのだ。
つまり、水をはじかないのでしっとりとなじむわけ。
薬液や化粧水をふくませるにはその方が便利だよね。

綿花は古代から栽培されていて、人類に利用されてきているんだけど、日本で本格的に衣料に使われ始めたのは戦国時代なんだって!
もともと平安時代に綿花が伝えられたらしいんだけど、日本では根付かず、ずっと輸入に頼っていたらしいのだ。
なので、絹と同様に木綿も高級品で、庶民は麻布を使った衣服を着ていたんだそうだよ。
麻布はごわごわして肌触りもよくないし、密に織り込んでもけっこう寒いので、あんまり着心地はよくなさそうだよねorz
布団の綿もないわけで、冬は寒そうなのだ・・・。

そんな綿花は戦国時代に再度上陸し、このときは栽培が根付いたのだ。
まずは綿花が再上陸した河内から全国に広がっていったんだって。
江戸時代に突入すると生産量も上がり、庶民の衣服にも使われ始めたらしいよ。
こうして木綿が日本の衣料の主流になっていくのだ。
お布団にも綿が入るし、冬には綿入りのあわせの着物も登場。
これでだいぶあたたかいね♪
木綿は吸水性がよくて肌触りもよく、通気性もあってむれづらいのに保温性があって温かいから、日本の風土によく合っていたんだよね。

明治になってもしばらくは関税による保護で国内の綿花栽培も盛んだったんだけど、明治29年(1896年)に関税が廃止されると海外の安い綿花が大量に入ってくるようになって、それを使った繊維工業が発達するのだ。
木綿の生産量は上がったんだけど、国内の綿花栽培は衰退の一途。
さらに、化学繊維の台頭もあって、だいぶ様相が変わって現在に至るそうなのだ。
でも、最近ではオーガニック・コットンとか言って、むかしながらの木綿が再び脚光を浴びているよね。
それに、やっぱりまだまだ肌着などは木綿が好まれているのだ。

ボクは帯電体質なこともあって、木綿の服が好きなんだよね。
化繊だとすぐにビリビリ来るから(笑)
でも、こうして調べてみると、意外と日本での木綿の衣料の歴史ってそんなに深くもないんだな、とびっくり。
ただ単に名前が気になって調べてみただけだけど、なかなかおもしろい結果になって満足だよ(^o^)/

2011/12/10

感電注意

いよいよこの季節がやってきたね・・・。
そう、乾燥した冬の時期に人類を恐怖のずんどこに陥れる、静電気!
ドアノブにさわろうとして、電車の手すりに触れようとして、はたまた、人にさわろうとしただけでビリビリと来るのだ(>o<)
ボクなんかこの前シャツを脱ぐときに目の前に「青い稲妻」が見えたよ。

静電気は電気を通さない絶縁体が摩擦されるとそこに正又は負の電荷が蓄積したもの。
これが一気に放電されるとびりっと来るのだ。
なんだか自分が電撃を受けているようだけど、実際は自分の指先から放電されていることもあるんだよ(これはどっちに帯電しているかによるのだ。)。
空気が湿っていると静電気が空気中に逃げやすいのでそんなに気にならないんだけど、乾燥していると体に電気が残ったままの帯電状態が続くのだ。
それで金属のような電気を通しやすいものに近づくと放電してしまうわけ。
羊毛や化学繊維だと特に帯電しやすいので、柔軟剤を使って摩擦を少なくしたりするのが予防策だよ。
繊維の中に金属が織り込まれていて、静電気を逃がしやすくしている特殊な服もあるみたい。

でも、最近では、キーホルダー型の静電気除去装置、というか、静電気を先に逃がしてくれる便利なグッズがあるのだ。
手に持って先に金属にくっつけると、そこで接地(アース)して、帯電した電気をやんわりと逃がしてくれるのだ。
静電気でびりっと来るのは一気に放電されるからで、ゆっくりと電気を移動させてあげれば何も感じないんだよ。
それを助けてくれるグッズなのだ。

原理は意外と簡単で、抵抗値の高い導電性のゴム又はシリコンゴムから電気を逃がすようにしてあるんだ。
自分が帯電していると、まわりと比べて電位(電圧)が高くなったり、低くなったりしている状態なのだ。
その差分を埋めようと放電して電気が流れるとびりっと来るわけ。
人間の体はほぼ絶縁体なので、通常は電気が流れないんだけど、一定の条件を越えると(電位の差の大きさと距離)、火花放電(スパーク)の形で長短時間のうちに一気に電気が移動するのだ。
この電流が流れるとき、間に抵抗値の高い導電体を入れておくと、スムーズに、そして小さな電流が流れることで帯電状態が解消されるんだ。
電流が少なくてすむのは抵抗値が高いからで、オームの法則によるんだよ(電圧=抵抗値×電流なので、抵抗値が大きいと電流が小さくなる!)。

最近のものは電気を逃がすと液晶が光るようになっていたりするよね。
それがまた電気が動いているのが実感できて楽しいのだ♪
これは電気を逃がすときにちょっとだけその電気を使って光らせているのだ。
本体の中には放電管が入っていて、導電体から外に流れる電流のほか、一部が放電管に来るようになっているんだ。
帯電している量が多いほど、放電管に流れる電流も多くなるんだけど、比例するわけではないから、だいたいの目安くらい。
それでも、おっ、たくさん帯電していたな、とわかるとなんだかうれしいよ(笑)
びりっ!、なしで外に逃がしているしね。

で、このグッズの主役の導電性ゴムがどういうものかというと、それ自体では絶縁体のゴムやシリコンゴムに導電体である黒鉛の粉(カーボンブラック)や金属の微粉末を混ぜ込んだものなんだ。
本体自体は絶縁体だけど、中にちょっとだけ電気を通すものがまぶされているので、全体としてちょっとだけ電気が流れるようになっているのだ。
導電体を混ぜる量で電気の流れやすさが変わるので、用途に応じて使い分けるんだって。

その用途というのは何も静電気のびりっ!を防止するだけじゃないのだ。
精密機械工場だとちょっとの静電気で電子回路がダメになるので、入口のゴムの静電気除去パッドを踏むんだよね。
それも導電性ゴム。
もっと身近なものでは、リモコンのボタンやキーボードのボタンの裏側にあるシリコンなんかもこれだよ。
キーボードでここにほこりがつくと反応が悪くなるんだよね。
柔軟に動くゴムを使うことでスイッチングを容易にしているのだ。
このゴムが回路に接触した瞬間に電気が流れてON、離れるとOFFといったカンジだよ。

この導電性ゴムは導電性ポリマーの一種なんだけど、もう一つ種類があるのだ。
それが白川英樹博士がノーベル化学賞を取った導電性プラスチック。
こっちは導電体を混ぜ込むのではなくて、もともと電気を流すプラスチックなのだ。
高分子樹脂なんかは基本的には電気を流さない絶縁体なんだけど(天然ゴム自体が高分子樹脂だよね。)、炭素間の二重結合やベンゼン環(いわゆる「亀の子」)が規則的に並ぶような高分子は少し電気を流すのだ。
これは、構造式で書くようには二重結合の位置はきちんと決まっておらず、全体にπ電子と呼ばれる電子が偏在しているような状態になっているんだ。
このπ電子を介してところてん方式で電子の動きが伝えられるので、電気が流れるというわけ。

混ぜ込み型の導電性ポリマーよりもよく電気を流すところがポイント。
よく言われるのは折りたたみ型の携帯電話のヒンジ部に使われているという話だよね。
銅線でも曲げること自体は可能なわけだけど、何度も曲げたり伸ばしたりすると金属疲労で断線してしまうのだ・・・。
なので、もともと柔軟に動く電気を通す物質が重要だったんだ。
スマホになるとありがたみが薄れるような気もするけど、別に活躍の場はそこだけじゃないからね(笑)

2011/12/03

ぴりっと赤い

最近気になっている食べ物は「紅しょうが」。
ほどよい酸味と辛みで口の中がさっぱりするよね。
脂っこい肉料理なんかに入れるとおいしいのだ♪
小さい頃はよけて食べていたけど、オトナになるとかかせなくなるよね(笑)

そんな紅しょうがだけど、どうやって色をつけているんだろうと気になったわけ。
調べてみると、伝統的な紅しょうがは梅干しと一緒に作られることがわかったのだ。
梅干しを漬けたときに副産物でできる梅酢に新しょうがをつけるのが正式で、あそを後で細切りにするんだとか。
スーパーなんかで売っているやつは、あらかじめ細切りにした新しょうがを赤い食用色素を含む調味液につけこんだものだそうだよ。
このとき使われる色素はタール系の赤102号というやつで、あんまり体にはよくなさそう・・・。

梅干しは、完熟した梅の実を塩で漬けることから始めるんだけど。このとき浸透圧の関係で梅のみから水分がにじみ出てくるのだ。
それが「梅酢」というやつで、梅から水分だけでなくクエン酸も大量に出てくるんだよね。
そのせいで非常に酸っぱいので「梅酢」と呼ばれるのだ。
塩漬けの段階で出てきたのが「白梅酢」で、真っ赤な梅干し(いわゆる「紫蘇梅」)を作るときはこの梅酢を赤紫蘇で色づけして、「土用干し」と言って塩漬けした後しばらく乾燥させた梅の実(「白干し」という状態だよ。)を再度漬け込むのだ。
ちなみに、白干しを昆布と一緒に漬け込むと昆布梅、鰹節と一緒に漬け込むと鰹梅、蜂蜜と一緒に漬け込むと蜂蜜梅となるのだ!

このときの真っ赤な梅酢が「赤梅酢」で、梅干しを漬けて残った赤梅酢にしょうがを漬け込むのが真っ赤な紅しょうがの伝統的な作り方だよ。
ところが、白梅酢のままで新しょうがを漬け込むこともあるのだ。
この場合、梅酢の中の酸(クエン酸)と梅の実に含まれるアントシアン系色素が反応して淡いピンク色になるのだ。
お寿司についてくるガリなんかも淡いピンク色のものがあるけど、あれもしょうがを甘酢に漬け込んだときに酢の中の酸と色素が反応しているんだ(ひねしょうがを使うとピンク色にならないみたい。)。
上品な色の天然物(?)の紅しょうがはこうして作られているんだ。

本来の紅しょうがはかたまりのままじっくりと漬け込んで芯まで赤く染まってから切るわけだけど、時間がない場合は切ってから漬けると早いみたい。
大量生産の場合は、梅酢にアミノ酸やらを足した調味液に切ったものを漬け込むんだけど、これはあっという間に漬かるみたい。
調味液の方も浸透しやすいように工夫してあるんだよね。
さらに、少し漬けただけで調味液と一緒にパックして出荷してしまうのだ。
で、流通している間にも漬けている状態になって、手元に届く頃に食べ頃になるというわけ。

お寿司のガリの場合は口の中をさっぱりさせるだけじゃなくて、その殺菌作用で生魚を安全に食べる、という使用目的もあるのだ。
間にガリを挟むことで前のネタの味を一回リセットするとともに、殺菌も兼ねるわけ。
それと、しょうがの力で生魚を食べて冷えた体を温める、という効果もあるとか。
一方、紅しょうがの場合は彩りや味のアクセントといった役割が強いんだよね。
添えられる料理を見ても、あまり殺菌作用は期待されていなさそうなのだ。
茶色い焼きそばや牛丼なんかだとやっぱり赤い色があった方が見た目にもアクセントとなるし、油っぽさも酸味と辛みで緩和されて味が引き立つのだ!

ガリの場合は甘酢なのでそんなに塩分は入っていないけど、紅しょうがは梅干しの副産物の梅酢で漬けるので、実はけっこう塩分を含んでいるのだ。
伝統的な梅干しは塩分濃度が20%を超えるために長期保存が可能なわけだけど、それを漬けていた梅酢にもけっこうな量の塩分が含まれていることになるよね。
梅干しはその後の干す過程で水分が飛ぶのである程度塩分は濃縮されるけど、それでも梅酢には侮れないほどの塩分が含まれているのだ。
10%を超えるようなので、実は海水よりしょっぱい?

そんな梅酢に漬けるわけで、紅しょうがも意外と塩分が含まれていて、食塩相当量で見ると、昆布の佃煮とかと同じレベル。
イカの塩辛やシラス干しよりも塩分が多い場合もあるのだ!
梅干しに比べると1/3くらい、しょうゆや味噌に比べると半分以下だけど、それでも多いよねぇ。
市販されているものは調味液につけたものなのでけっこう塩分は抑えてあると思うけど、梅干しも梅酢も紅しょうがも自分で作るとけっこうな塩分になるので注意が必要なのだ。
自分で作って材料的には安心でも、塩分摂取の観点では危険かもよ。
ただし、塩分のおかげで長期保存は可能。
逆に市販のものは塩分を抑えているので、一度開封すると長期保存できないし、冷蔵庫でしっかり冷やして保存しないとダメだったりするんだ。

そんなに量を使うわけじゃないからと言いながら、牛丼・豚丼なんかを食べるときはついつい紅しょうがを大盛りにしてしまうんだよねorz
これからは少しだけ気をつけてみようかな。
牛丼とかを食べた後はのどが渇くけど、実は汁の濃さよりも紅しょうがが原因だったりして(>o<)

2011/11/26

ハレの日には麦を食え

今週の勤労感謝の日、上州名物のおっきりこみを家で作って食べたのだ。
煮ぼうとうとも呼ばれるもので、塩を入れずに水で練って延ばした麺をたっぷりの野菜と一緒に汁で煮込んで食べるんだよ。
山梨のほうとうとはちょっと違って、カボチャなどが入らない分、甘みは少なく、さっぱりしているのだ。
なかなかの美味。
イメージ的にはすいとんに近いのかな?

今でこそ小麦をよく口にするけど、どうも日本ではそれほどメジャーではなかったらしいのだ。
伝統的な小麦を使った料理としては、うどんやそうめんのような麺類、ほうとうやひっつみ、はっとなどのすいとん類、まんじゅう、麩など。
けっこうよく見かける気がするけど、実はどれも庶民が口にできるようになったのは江戸時代なんだとか。
それは、単純に挽き臼の問題らしいのだ。

小麦も大麦も日本には弥生時代には伝わっていて、ともに「五穀」として認識されていたのだ。
実際に記紀神話にも出てくるし。
でも、大麦はわりと簡単に脱穀して飯や粥にして食べられるので、食糧作物として普及したようなのだ。
(戦前のようないわゆる米麦混炊の麦飯ではなくて、大麦だけで食べたり、あらかじめ火を通した大麦を後で加えたりして食べていたようだよ。)
小麦は中心の溝が深いし、粒ももろいので引いたりつぶしたりして粉にしないと食べられなかったんだよね。
日本では稲や大麦、粟などそのままでもゆでたり炊いたりすれば食べられる穀物がよくとれたのでわざわざ小麦を工夫して食べることがなかったようなのだ(>o<)

でも、中国やインドでは小麦をよく食べるよね。
中国の麺や餃子などの点心やインドのナンは小麦粉を使っているのだ。
でも、これは気候が大きく影響しているんだ。
中国でもインドでも、小麦を食べるのは北の方。
南の方は稲作中心で米を主食にしていることが多いのだ。
つまり、より乾燥や低温に強い小麦の方が食糧作物として栽培にふさわしかったのだ。
東欧やロシアとかだともっと寒くて、その場合はライ麦なんかが栽培されるけど、これも気候の影響なんだ。

だったら大麦でもよいようなものだけど、小麦が主流になったわけはその中に多く含まれるタンパク質のグルテン。
大麦の場合はそのまま粥にして食べられるけど、いったん粉にしてしまえば、小麦はパンや麺にするともっちりとした独特の食感があっておいしいよね。
大麦のパンやライ麦のパンはどうしてもかたいのだ・・・。
その方が好きな人もいるみたいだけど。
ただし、大麦も主要作物には違いなくて、むしろデンプンが多く含まれることを利用して発酵食品のもとになっているのだ。
ビールやウイスキーは大麦で造るし、日本でも醤油や味噌、焼酎は大麦なんだよね。

日本に渡ってきた小麦はそれなりに食べられてきたんだけど、小麦粉に加工されて麺やまんじゅうなどになったのは鎌倉時代から室町時代にかけての話。
仏教、特に禅宗とともに点心が伝わってきて、麺や饅頭の手法が伝わり、それが日本式にアレンジされていったのだ。
ところが、挽き臼が普及していない日本ではわざわざ粉に挽く小麦粉は高級品で、お坊さんがおやつとして点心的なものを食べるくらいで庶民の口には入らなかったんだそうだよ。
たまにハレの日のお祝いの席で食べられたんだとか。
砂糖自体が貴重だったこともあるけど、まんじゅうはお祝いのお菓子だし、祝いの席で人が集まるとすいとんやうどんが振る舞われることがあたようなのだ。
というわけで、ちょうどこのころにいろんな料理法は生み出されるのだ。

日本での小麦文化が開花されるのは江戸時代。
やっと挽き臼が広まったのだ(笑)
それまでは臼の中で搗くだけだったのが、ようやく粉にできるようになったわけ。
で、同時に粉にしないと食べづらい蕎麦も広まっていくことになるのだ。
このころは税として米やそれに代わるものを納める必要があったわけだけど、流通経済も発展してきたので、それだけではなく、商品作物の栽培も盛んになるのだ。
それで様々な野菜や果物、お茶やたばこなどの嗜好品がより多く作られ、庶民の口にも入るようになるんだ。

小麦や大麦は春に収穫できるので、二毛作を行う上で稲の裏作物としてよく栽培されたのだ。
米は税で取られるけど、麦類は手元に残るから、自分たちが食べられるのだ。
で、大麦なんかは米の代替品として同じような料理法で食べられたわけだけど、小麦は挽いて粉にしてから食べる必要があったので、主に加工品になるわけだよね。
すいとん類はそのまま小麦粉を練った団子様のものを汁で煮るだけで簡単に作られるので、農作業の合間の食事として食べられたりしたみたい。
讃岐うどんの生醤油うどんのような原始的(?)なうどんも、ゆでて醤油を絡めるだけなので、同じような部類だよね。
いわゆるおそば屋さんで食べるような具の入った汁とともに食べるうどんはうどんをゆでるのと汁を作るので手間がかかるので、やっぱりハレの日の料理になるのだ。

パンのような生地にしてから食べるのはまんじゅう類だけど、あん入りのまんじゅうは砂糖が高級品なので、一般的な料理ではないのだ。
むしろ、長野のおやきのように、小麦粉で作った生地で具を包んで焼いて食べるようなものが主流。
上州名物の焼きまんじゅうも本来はあんが入っていないまんじゅうを串に刺し、味噌だれをつけて焼いて食べたもののようなのだ。
ちなみに、おやきは無発酵ぱんだけど、麹で発酵させてふっくらさせるまんじゅうはしパンだよね。

保存性の高い小麦加工食品を作って流通させたのはそうめんや稲庭うどんのような乾麺や麩のようなもの。
まずは長期保存を目的に作られたんだろうけど、保存が利けば流通するようになるのだ。
そうめんは江戸時代にもかなり流通していたみたいだし、麩も農閑期に農家で作られていたりもしたみたいだよ。
こういうのは現金収入になるので、当時としてはすごく重要な加工品だったはずなのだ。

戦国時代には一部にカステラやパンが入ってくるけど、西洋的な小麦食品がメジャーになるのは明治期以降。
それでも、明治時代はまだ大麦の方が主要な作物だったみたい。
それが逆転してくるのは戦後にパンやパスタなどが食卓によく並ぶようになってからなのだ!
そう考えると、意外と小麦を食べる習慣って最近のものなのかも。
やっぱり給食としてコッペパンと粉ミルクが支給されるようになり、多くの日本人がパン食になれたというのが大きいんだろうね。
でも、そこからさらに巻き返しがあり、お好み焼き、たこ焼き、焼きそばなどの粉もの文化が花開くのだ♪

というわけで、これから小麦加工品を食べるときは、江戸時代以降の伝統と明治期の西洋食文化の導入、そして、戦後の日本食文化としての再興に思いをはせていただく必要があるよ!
ま、おいしければなんでもよいんだけど。
お米も大事だけど、小麦や大麦も大事な食文化としてきちんと残していきたいね。

2011/11/19

1秒間に1京回!

先日次世代スパコン「京」がまたまたスパコン世界ランキングで1位になったのだ!
その直前にLINPACKというプログラムを使った速度測定で10ペタフロップス(1秒間に浮動小数点演算を1京回する、という速さだよ。)という速度を達成したのだ。
LINPACKというのは、いろいろな機能のあるスパコンの早さを比較するために使われるベンチマークプログラムで、これで世界トップ500を決めているんだ。
それで2回連続1位を獲得したわけ。
中国が追い上げてきているし、米国はスペック的にはもっと上を目指したスパコンを開発中なので抜きつ抜かれつだけど、うれしいのはうれしいよね♪
やっぱり2位より1位がよいのだ!

国が民間企業と共同でスパコンを世界最速のスパコンを開発した最初は航研スパコンこと「数値風洞(NWT)」というもの。
これは流体シミュレーションを行うもので、それまで大型の風洞実験施設でモデルを使って実験していた流体実験をコンピュータ上で再現するんだ。
このときはこういうスペックで流体シミュレーションをしたい、というのがあって、それに見合うスパコンを作ったら世界最速に躍り出たというわけ。
これは関係の研究者に非常に評判がよくて、このスパコンを所有していた航空宇宙技術研究所(現在は統合して宇宙航空研究開発機構)はこの分野のCOEとなったのだ。

その次は有名(?)な地球シミュレータ。
これは海洋研究開発機構が持っているよ。
これは地球規模で大気の動きなどをシミュレーションするために開発されたスパコンで、できた当時は温暖化予測などで話題になったのだ。
もちろん、世界最速というところも注目されたし、世界最速の座から転落されたときはもっと大きく報道されたのだ(>o<)
ま、マスコミとしてはそっちの方がおもしろいんだろうね。
ちなみに、世界最速の称号は2年半にわたって維持したのだ(5期連続)。

これは航研スパコンの成果を引き継いで、さらにバブル崩壊で落ち込んだ日本の産業基盤を活性化するため、高性能・高速のスパコンを開発が目指されたという経緯があるのだ。
で、それをどの分野に使うか、ということになったとき、それまでは計算量が多すぎてなかなか精緻なシミュレーションができなかった大気の動きや気候変動予測などの分野が選ばれたんだ。
全地球規模で同時にシミュレーションができるので、その名も「地球シミュレータ」になったわけ。
ただし、このときはすでに世界最速のスパコンを作ることが大きな目的になっていて、「やりたいこと」が先にあったわけでもなかったのでアプリケーションが弱いとの批判があるのだ(ToT)
確かに、十分に使い切れないのか、地球シミュレータを使った研究を公募する事業も文部科学省の補助で行われているんだ(他に大学等の大型研究施設も共用の対象だよ。)。
とは言え、国が税金を使って整備した最先端機器だから、それを広く共用しようという意味が強いんだろうけど。

そして、第3世代となるのが、次世代スパコンとして開発された「京」。
ここに至っては、我が国のフラッグシップとして世界最速のスパコンを作ること自体が目的になっているので、「コレ」というアプリケーションは特に想定して折らず、「汎用型」となっているんだ。
それゆえに批判もあるんだけど・・・。
ちなみに、どういう分野で使えそうかは当然わかっているので、今はアプリケーションの開発に向けた予算投入も始まっているのだ。
せっかく瞬間風速だとしても世界最速になったのだから、よいアプリケーションを作って活用してもらいたいよね。

で、この「京」には生みの苦しみもあったのだ。
それは途中で開発主体のひとつだったNECが撤退したこと。
航研スパコンを開発したのは富士通、地球シミュレータはNECで、その両者がタッグを組んで開発に取り組んでいたのだ。
でも、このNECが途中で採算が合わない、と撤退し、富士通のみが残ったのだ。
それでも、開発計画を見直した上で、所期の目的の10ペタフロップスという計算速度は実現したわけ。

富士通とNECの役割分担は、スカラー計算を行う部分を富士通が、ベクトル計算を行う部分をNECが担当、というもの。
スカラー計算というのはひたすら単純な計算を繰り返し行うもので、まさにLINPACKやら円周率計算やらを早く正確に行うのに向いているのだ。
一方、ベクトル計算というのは、複数の計算を同時並行的に行うもので、複数のパラメータを同時に変えなくてはいけないような複雑な計算が得意。
地球シミュレータではまさにそれなわけ。
実はこれは日本の強みでもあったんだ。

でも、単純に一般のパソコンのCPUをどんどん高度化して行くイメージのスカラー型に比べ、ベクトル型は特殊なので、開発にもよりお金がかかるというデメリットがあるのだ。
さらに、省電力性能でもスカラー型はかなりよくなってきているのに比べ、ベクトル型にはどうしても限界があるみたい。
さらに、最近では並列処理計算といって、ひとつの計算機の中でスカラー型のCPUを複数個同時に動かしてひとつの計算をすることで、これまでスカラー型が苦手としていた複数変数の同時計算がかなりよくできるようになってきたのだ!
2009年には長崎大の助教が3,800万円という破格で地球シミュレータを越える計算速度を持つスパコンを組み上げたんだけど、これは市販のCPUを760個使って並列処理をするものなんだ(ちなみに、CPUを同期させて一つの計算をさせるところが難しいのであって、単純にCPUを多く使えばいいってものでもないんだよ。)。
これによりベクトル型にはこの先限界が見えてきた、ということみたい。
で、けっきょく「京」ではスカラー型に絞ることにしたんだけど、並列処理により複雑な計算もできるようにはなっているのだ。
さらに、他のスパコンとネットワークでつなぐことで、さらに計算能力を高めようとしているわけ。
これがハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ(HPCI)と言われる計画だよ。

もともと一つの計算を複数のコンピュータで分担して計算するという手法(分散コンピューティング)は前からあって、グリッド・コンピューティングとしてそれぞれが持っている計算資源(スパコン)の能力を持ち寄って、より高い計算環境を実現しよう、というものがあるのだ。
例えば、大学や研究機関のスパコンをつなぐ、ナショナル・リサーチ・グリッド・イニシアティブ(NAREGI)というものがあるよ。
HPCIの場合は、並列処理で計算能力を上げたスパコンをネットワークでつないでグリッド化し、さらに計算能力を高めようという魂胆だよ。
これにより、単独のスパコンとしては能力を抜かれても、総合力では勝てる可能性があるのだ。

というわけで、けっこうスパコン界も大変みたい。
「2位じゃダメなんですか?」なんてのもあったけど、本来は「やりたいこと」を実現するためのツールなんだよね。
でも、逆にツール側の技術力向上で新たにできるようになることも出てくるわけで、その意味では高性能スパコンの開発を進めることにも一定の意義はあるのだ。
なかなか難しい問題だけど、税金が投入されるプロジェクトなので、これからも「関心を持って見ていくことが大事なのかも。
個人的には勝てる分野ならフラッグシップ的なものも「あり」のような気もするけどね。

2011/11/12

よいマルチ?

予算委員会で3次補正予算案の審議が始まったと思ったら、中身は山岡大臣の「マルチ問題」・・・。
これでいいのか?、という気もするけど、この件も気になるのは確かだよね。
疑問符がつく人が担当大臣をしていていいのか、という問題もあるし。
で、個人的に気になったのは、この話で出てくる、「よいマルチ、普通のマルチ」という言葉。
「マルチ商法」って一般には悪いイメージだよね。
「よい」も何もないと思うんだけど・・・。

調べてみると、マルチ商法というのは法律用語ではなく、定義もいろいろあるので受け止め方に差が出てくる言葉のようなのだ。
法律上規制されているのは、「特定商取引に関する法律」で規制されている「連鎖販売取引」というもの。
消費者生活センターなどでは、この「連鎖販売取引」のことをいわゆる「マルチ商法」として表現しているみたい。
例えば、国民生活センターの相談事例なんかを見ていると、連鎖販売取引に関するトラブルのところで「マルチ商法」とあるのだ。
大学生が勧誘された例だけど、これは実際に平成16年に女子学生から相談があった実例みたい。

「連鎖販売取引」というのは特定商取引に関する法律(昭和51年法律第57号)第33条で定義されているんだ。
そのまま引用すれば、

第三十三条  この章並びに第五十八条の七第一項及び第三項並びに第六十七条第一項において「連鎖販売業」とは、物品(施設を利用し又は役務の提供を受ける権利を含む。以下同じ。)の販売(そのあつせんを含む。)又は有償で行う役務の提供(そのあつせんを含む。)の事業であつて、販売の目的物たる物品(以下この章及び第五十八条の七第一項第一号イにおいて「商品」という。)の再販売(販売の相手方が商品を買い受けて販売することをいう。以下同じ。)、受託販売(販売の委託を受けて商品を販売することをいう。以下同じ。)若しくは販売のあつせんをする者又は同種役務の提供(その役務と同一の種類の役務の提供をすることをいう。以下同じ。)若しくはその役務の提供のあつせんをする者を特定利益(その商品の再販売、受託販売若しくは販売のあつせんをする他の者又は同種役務の提供若しくはその役務の提供のあつせんをする他の者が提供する取引料その他の主務省令で定める要件に該当する利益の全部又は一部をいう。以下この章及び第五十八条の七第一項第四号において同じ。)を収受し得ることをもつて誘引し、その者と特定負担(その商品の購入若しくはその役務の対価の支払又は取引料の提供をいう。以下この章及び第五十八条の七第一項第四号において同じ。)を伴うその商品の販売若しくはそのあつせん又は同種役務の提供若しくはその役務の提供のあつせんに係る取引(その取引条件の変更を含む。以下「連鎖販売取引」という。)をするものをいう。
なんだけど、これじゃわからないよね(笑)
わかりやすく言えば、布団やら化粧品やら健康食品やらを販売する事業で、会員になって受託販売をすると、売上高や新規会員紹介でマージンがもらえる、という仕組みで会員を増やしていくものなのだ。
ただし、会員になるときに入会金が必要だったり、有料の研修を受けなければいけなかったり、一定量の商品をあらかじめ購入することを義務づけられたりするのだ。
受託販売のところだけ見るとフランチャイズに似たような感じもするけど、フランチャイズの場合はロイヤルティーを払って自らやらせてもらうんだよね。
なので、自分で事業をしているという感覚があるのだけど、マルチ商法の場合は、もともと売れたらその分マージンがもらえる仕組みで、「副業的に」とか「アルバイト感覚で」とか称してもっと安易にできるようなイメージがあるのだ。

実際に受託販売がうまくいくのであれば問題はそんなに問題は発生しないわけで、それがどうも「よいマルチ」らしいんだよね。
「マルチ商法」と言うと聞こえが悪いので、「ネットワーク・ビジネス」とかも言ったりするみたい。
ちなみに、類似のものに「マルチまがい商法」というのもあるよ(笑)
でも、多くの場合、商品が売れないのでマージンが入らない、というところで問題が発生するんだ。
その際、あらかじめ受託販売用に購入させられた商品が返品(クーリング・オフ)できない、とか、実はほとんど売れない商品でもともと会員の入会料だけで回していたような仕組みだった、とかのトラブルにつながるわけ。
簡単だ簡単だと言って高額な入会料や研修料をとる詐欺まがいの行為もあるんだ。
よい資格があると言って高額な料金を払わせて資格を取得させるけど実際には全く使えない資格だったとか、高額な研修を受けてもも実際は仕事を回してもらえないだとか、内職用の高額な器具を交わされても実際には儲からない内職だったとかの詐欺的な手口だよ。

ただし、この連鎖販売取引は、それ自体が禁止されているものではなく、一定の規制がかけられているだけ、というところがいわゆる「ネズミ講」との違いなんだよね。
もともと「特定商取引に関する法律」は悪質な訪問販売や通信販売を規制するためにできた「訪問販売等に関する法律」で、マルチ商法はそれが社会問題化してきたときにこの枠組みに入ったのだ。
で、新たな手口が出てきて問題が発生するたびに取り締まりを強化すべく改正を繰り返し、今の法律になったというわけ。
それでも、日々悪質な手口も進化していくので、「いたちごっこ」的ではあるんだよね(>o<)

連鎖販売取引の場合、クーリング・オフができるようにする、中途解約できるようにする、誇大広告をしない、強引な勧誘をしないなどの規制がかかっているんだけど、それをクリアすれば禁止されているものではないのだ。
とは言え、実質上はこの規制はとても厳しくて、ほぼ事実上の禁止に近いものになっているそうなんだ。
なので、「マルチ商法」かな?、と感じたら、とりあえず避けた方が無難。。
もしひっかかっていたら、早め早めに都道府県の消費者センターに相談するべきなのだ。
理論上「よいマルチ」というか「合法的な連鎖取引販売」は存在するけど、本当にそれがビジネスモデルとして社会に存在しているかははなはだあやしいのだ・・・。

ちなみに、「ネズミ講」は法律で禁止されているんだ。
「無限連鎖講の防止に関する法律」というのがそれで、その中で定義されている「無限連鎖講」がいわゆる「ネズミ講」。
親会員から子会員、孫会員とネズミ算式に会員を増やしていく過程で入会料を集め、それを上位会員に配当金として分配していくのでその名があるんだ。
会員が無限に増えていくのであればいいのだけど、実際には会員が無限に増えるわけではないので、ある時点で破綻し、末端の会員は入会料だけ払って配当がもらえなくなるのだ。
ピラミッドの上位にいた人だけはもうかっていて、それが成功事例のように映ると新規会員が増えてしまうんだよね・・・。

事業、ビジネスモデル自体に収入が見込めないのに、入会料だけで配当金を回そうとするとこの仕組みになるのだ。
今問題になっている「安愚楽牧場」の経営も、実質上これに近いことになっていたんだよね。
けっきょく肉牛はほとんど売れていなくて、新たな会員からの出資金をもとに配当を払っていたので、会員の加入がなくなった時点で破綻することは目に見えていたのだ。
ま、この場合は意図的にやっていたのではないので「ネズミ講」には当たらないのだろうけど、ウソのビジネスモデルでそういうことをすると「ネズミ講」になるのだ。

というわけで、世の中そんなにうまい話があるわけではなくて、楽してもうけようというのはうまくいかないのだ。
株取引とかで一夜にして莫大なお金を稼ぎ出す人もいるけど、それは一部の才覚のある人で、一般人ではそうはいかないのだ。
宝くじが当たるほど運がよければ別だけど、「誰でも楽にもうけられる」なんてうたい文句ウソっぱちなので、引っかからないように自分で気をつけないといけないよ!

2011/11/05

私の名はミミ♪

日本ではまだまだ浸透していないけど、テレビなんかではハロウィンの仮装の様子が報道されていたりするよね。
どうも日本の「お化け」のイメージと明るいのだ。
日本のものが「陰」なら、西洋のものは「陽」だよね。
西洋でも怖い「お化け」は当然いるんだろうけど、ハロウィンだとどうしても滑稽さが出て来るのかな?

そんなハロウィンの時期にふと思い出したのが、「耳なし芳一」の話。
子どものころに知って、かなり怖かった思い出があるのだ・・・。
命は助かるけど、「耳」は取られてしまうっていう、東洋的なあまり救われないストーリーは後味がよくないよね。
むしろ霊を慰めているくらいで、悪いことはしていないはずなのに(>o<)
で、記憶をたどると、最後に耳を取られて、「目も見えない、耳も聞こえない」とhttp://www2.blogger.com/img/blank.gifいう二重苦の状態になったものだと信じていたんだけど、どうもそれは勘違いだったみたい。
改めて小泉八雲さんの「怪談」に収録されている「耳無芳一の話」を読んでみると、耳を取られた後に和尚さんの声に気づいているので、聴覚の機能は失われていないのだ!

それもそのはずで、平家の怨霊に引きちぎられた「耳」は解剖学的には「耳介」と呼ばれる部分で、聴覚自体を担っているものではないのだ。
それこそむかしは戦争で耳がちぎれたりすることもあったろうから、耳がなくなっても音が聞こえなくなるわけじゃない、というのは知られていたんだろうね。
科学的な知識がないからといってバカにできなくて、むしろ経験則として現代人以上にいろんなことを知っている場合があるのだ。

人間の耳は、外耳、中耳、内耳と分かれていて、いわゆる「耳」は外耳の耳介という部分。
耳たぶのことは「耳垂」と言うんだそうだよ。
この耳介と耳の穴である「外耳道」を合わせて外耳と言うのだ。
これは空気の振動である音を集め、中耳に伝える役割があるのだ。
耳の後ろに手を当てると音がよく聞こえるようになるけど、耳介にはそういう集音機能があるわけ。
でも、人間の場合はそんなにその機能は発達していなくて、むしろ、後ろ方向からの音を遮ることで、どの方向に音源があるのかを確認することに意義があるのだ。
動物の中にはウサギのように耳を動かして音源方向をソナーのように探ることができるものもいるけど、人間は耳をほとんど動かせないので、首を回すしかないんだよね。
ちなみに、ゾウのような大きな耳介をラジエーターのように放熱器として使っている例もあるのだ。

鳥類やは虫類なんかだと耳の穴だけがあって、耳介はないんだよね。
鳥の場合は翼によって三次元的に動けるからそんなに水平面での音源方向探索は重要ではないのかも。
は虫類だと、においや赤外線なんかを感知していたりするから音よりもそっちの情報が重要なんだろうね。
ヘビやトカゲがぺろぺろと舌を出すのは周囲のにおい物質を集めているわけだし、ヘビはピット器官でサーモグラフィーのような知覚を得ているのだ。
ヘビなんかは鼓膜すら退化しているようだから、音は重視していないのは確実だね。

外耳道は耳の穴でここまでは空気の振動として伝わって来る音が、鼓膜によって固体の振動に変換されるのだ。
なので、鼓膜が破れてしまうと、その変換ができなくなるので音が聞こえなくなるんだよ。
ちなみに、外耳道はただ音を伝えるだけでなく、共鳴管にもなっていて、特定の周波数の音は共鳴で増強されて聞こえやすくなっているのだ。
共鳴させることで音のノイズもある程度キャンセルされるんだよね。
これにより、人間の耳にとって聞こえやすい音とそうでない音が出てくるわけ。

中耳には鼓膜があって、ここで空気の振動が固体の振動へと変換されるんだけど、これが蝸牛のある内耳に行くと液体の振動に変換されるのだ。
蝸牛の中はリンパ液で満たされていて、固体の振動として伝わってきた音はここで液体の振動に変換されるのだ。
蝸牛の中には有毛細胞という細胞表面に細かな「毛」が生えている細胞があって、液体が揺れるとこの毛がそれを感知するのだ。
すると、その機械的な刺激がカルシウムイオン濃度の調節に作用して、そこから神経を伝わる電気信号になるのだ。
揺れ方によって反応する有毛細胞が違うそうで、それで周波数の高低を区別するんだそうだよ。
よくできているねぇ。

ちなみに、薬剤による副作用の難聴はこの聴覚神経へのつなぎの部分に対する影響なのだ。
抗生物質のストレプトマイシンが有名だけど、これは電気信号への変換が阻害されるようなのだ。
薬をやめれば治るというわけでもないようなので、注意が必要なんだ。
最近ではその副作用の少ない薬剤も増えてきているようだけどね。

で、最後に、ちょっと気になったのが一時期話題になった「モスキート音」。
これは若者にだけ聞こえる音として注目を集めたのだ。
年齢が進むと高周波の音が聞こえにくくなってくるんだけど、それを利用しているわけ。
どういうメカニズムかはよくわからないんだけど、おそらく、筋肉が固くなることによって中耳での変換が悪くなるからじゃないかなぁ、と思うんだよね。
一般に若い方が肉は軟らかいのだ。
ただ、有毛細胞のところの劣化も老人性難聴では問題になるので、そっちかもしれないんだけど。

2011/10/29

原器ですか~?

先週の土曜日、気になる記事を見つけたのだ。
それは、「キログラムの定義を見直す」というもの。http://www2.blogger.com/img/blank.gif
これまでは1kgの標準となる「キログラム原器」というおもりがあって、それと比較して決めていたのだ。
それが、洗浄したり、ほこりが付着したりして微妙に重さが変わるので、現在の精緻な測定には耐えられない、という判断があったみたい。

そこで調べてみたんだけど、このキログラム原器というのは白金(プラチナ)90%・イリジウム10%で作られた円柱形の分銅。
フランスで40個作り、それが世界に配布されているのだ。
おおもとの「国際キログラム原器」(=一番正確なもの)はパリ郊外のセーヴルにある国際度量衡局にあるのだ。
日本ではつくばにある産業技術総合研究所計量標準総合センター(旧工業技術院計量研究所)にあるよ。
米国の場合は米国国立標準技術研究所(NIST)が管轄しているのだ。
で、フランスのおおもとの原器と各国に配布されている原器を約10年ごとに比べて校正するんだって。

当初は単純に水1リットルの質量として定義されたのがキログラムなんだけど、水の堆積は温度や気圧で変化するので、改めて特定の温度・圧力下での、空気の溶けていない蒸留水1リットルの質量として定義されなおしたんだって。
その重さを体現したのが白金・イリジウム合金の原器というわけ。
これは真空中に厳重に保管されているんだけど、洗浄すると少し軽くなったり、ほこりがつくと少し重くなったり(と言ってもマイクログラム=100万分の1グラムのオーダーだけど)するので、もっと普遍的な定義に見直そう、というのが決まったのだ。

一番有力なのは、ケイ素(Si)原子○個分の重さ、という定義で、ケイ素は非常に安定な物質で、不純物をほとんど含まず単結晶を作ることができるので(純度の高い水晶のことだよ。)、一番向いているだろう、と選ばれたわけ。
一般に、1モルことアボガドロ定数(6.02×1023)の個数の原子があると、質量数にグラムをつけた質量になるんだよね。
例えば、自然界に最も多いケイ素の安定同位体だと28Siだと28g。
でも、これはそうなるような数をアボガドロ定数と定めているので、むしろ本当に何個でそうなるかを精度よく決める研究が必要なのだ。
それを今後4~5年やって、新しいキログラムの定義に活かそうというわけ。

一方、メートル原器というのはすでに使われていないんだよね。
かつては長さの基本単位としてキログラム原器と同様に使われていたんだけど、もっと普遍的な定義を置いたことで使われなくなったのだ。
やっぱり白金90%・イリジウム10%の合金製で、両端についている目盛りの間の距離が、摂氏零度のときにちょうど1メートルになるように作られているんだ。
やっぱりフランスが30個製作して、各国に配布していたんだよ。
日本ではキログラム原器と同様に産業技術総合研究所に保管されていたのだ。
ところが、この白金・イリジウム合金は比較的化学変化が少ないとはいえ、熱で膨張・収縮したり、ちょっとゆがんだりと不具合もあるんだよね。
長さについても高い精度が求められるようになったことを受け、より普遍的な定義を置くことになったのだ。
ちなみに、米国のNISTがそもそも最初のメートル原器に誤差があることを見つけているそうだよ(>o<)

そこで19世紀終わりに出てきたのは、特定の光の波長をもとに定義しようという考え。
20世紀になってからも議論を続け、やっと光の波長に基づく定義を見直したのだ。
具体的には、希ガスのクリプトン86(86Kr)の真空中での電磁スペクトルであるオレンジ~赤色の発光スペクトルが示す波長の1,650,763.73倍と等しい長さ、ということになったんだよ。
ただし、メートル原器はそれなりに使いやすいこともあって、1960年までは使われたみたい。

でも、やっぱりまだ不確実性が残るので、より普遍的なものが求められるようになったのだ。
それは光を使った定義。
相対性理論でも光速は一定という前提を置いているけど、これを使って、光がある時間に真空中を進む距離、という形式で1メートルを定義したのだ。
宇宙では「光年」という距離の単位を使うことがあるけど、こっちは「光秒」だよ。
光速が299,792、458m/sなので、逆にして1/299,792、458光秒ということになるのだ。
ほぼ同時期にセシウム原子時計が確立されていて、時間の単位の「秒」が精度よく定義できるようになったことも影響しているみたい。
ちなみに、原器が廃止された後は、測定結果が基準になるため、基準となる計量器が特定されるようになるんだって。
これはキログラムも同じだろうね。

メートルはもともと海抜0mの地球の子午線の4万分の1の長さと定義されていたんだよね。
実は、これはフランス革命に前後する時代。
キログラムの定義もほぼ同じ頃に検討されているのだ!
ちょうど世界的視野でものごとをとらえる転換点だったんだろうね。
度量衡の統一というのは中国の古代王朝でも行われたけど、国際的な取引をする際には避けては通れない道で、その途を拓いたのはフランスだったのだ。
スペインとかオランダ、ポルトガルなんかは世界を股にかけて交易していたけど、そういう発想はなかったんだよね。
逆に、フランスでは革命が起こって共和制になったので、古い絶対王政の時代に使っていた度量衡を使わず、新しい単位を作りたい、それも国際的に通用する単位が作りたい、という機運があったのかもね。
実際、フランスでは欧州で使われていたグレゴリオ暦に代わって、革命後に新しい暦(革命歴、熱月とか霧月とかあるやつだよ。)を作ったりもしたからね。
暦は広まらなかったけど(笑)

2011/10/22

夜に光る

世田谷で相当古いラジウムを使った夜行塗料が見つかって大騒ぎになっているのだ!
最初は「すわっ、都内でもホットスポットか?」と話題になったわけだけど、ふたを開けてみると、民家の軒下から放射性物質が「わきだし」たんだよね(管理下にない放射性物質が発見されることを専門用語で「わきだし」と言うらしいよ。)。
で、そのラジウムが入った瓶に「日本夜光」とかかれていて、どうもむかし使われていた夜光塗料ではないか、ということまでわかっているみたいだね。
もともと線量が高いことがわかってすぐ、出ている放射線のスペクトルを調べてセシウムではなさそうだ、というのがわかっていたようだけど。

で、この事件でわかってきたことは、けっこう最近まで放射性物質が入った夜光塗料が使われていたという事実(>o<)
ま、たいした線量ではないので、その夜光塗料が文字盤に使われた時計を身につけていても健康には影響がないはずだけど。
それでも、関心は一気に高まったよね。
家にある文字盤が光る時計を見て不安を覚えている人も多いかも、なのだ。

もともとレントゲン博士がX線を発見したときのエピソードは、目には見えないけど感光紙に反応する謎の照射がガラス管から出ている、というものだったんだよね。
それでよくわからないから「X線」と名付けたのだ。
さらに、ノーベル賞も受賞したキュリー夫人は、ウラン化合物からそのX線に似た透過力を持つ謎の光線が出ていることを発見。
これが人類による放射線の発見で、その放射線を出す能力を放射能と定義したんだよね。
目には見えないけど、フィルムを感光させるなど間接的に存在がわかったというのがみそなのだ。

今回見つかったラジウム化合物の場合、壊変するときに出てくる放射線で自ら励起され、蛍光を持続的に発するのだ。
いわば自然に発光するわけ。
この特性を利用して、夜光塗料として使われていたんだ。
最初は原因不明だったんだけど、この夜光塗料を使う人の中にがんになる人が頻発したことから、どうも塗料に含まれる放射性物質ががんに関係しているとわかってきたのだ。
よくよく調べると、職人さんたちが夜光塗料を塗る際に筆をなめていて、それで体内にラジウムなどの放射性物質を取り込み、内部被ばくをしていたという事実が判明。
ラジウムはカルシウムに似ているため骨に取り込まれ、けっこう長い間内部被ばくの原因となるのだ。
夜光塗料として使われ始めたのが1900年代初頭、がんの発生が認められ始めたのが1910~1920年代、世界中で使用が禁止されるに至ったのは1990年代なんだって。
もともと低線量だから、使い方に気をつければいいだけではあるんだけど。

それに代わって出てきたのが蓄光する夜光塗料。
事前に光を当てておくとエネルギーをためて、暗くなるとぼわっと淡く光るのだ。
最近では時計の文字盤だけでなく、照明器具にも使われているよね。
いきなり暗くならず、しばらくちょっとだけ明るいので便利なのだ。
電源がなくても光るので、避難経路を示す避難誘導板にも使われ始めているらしいよ。
そのほか、キーホルダーやアクセサリーにも使われているのだ。
放射性物質を使った自発光型夜光塗料と違って、時間がたつにつれて発光は弱まっていくのが特徴。
自分の時計の夜光塗料が気になる人は、しばらくながめていれば区別できるというわけ。

この蓄光型の夜間塗料が光るのは燐光が出ているため。
燐光というのは、物質に光などのエネルギーが当たって励起(エネルギー準位が高くなった状態に遷移すること)された後、より波長の長い(=エネルギーとしては弱い)光を出す現象の一つ。
もっと有名なのは蛍光だよね。
蛍光灯はその名のとおり蛍光で光っていて、水銀などから出てくる紫外線がガラス管の内部に塗られた蛍光物質を励起し、そこから蛍光として可視光が出てくることが光るのだ。

蛍光と燐光の違いはなかなかむずかしいんだけど、端的に言うと、外から光などでエネルギーを加えられてからすぐに光(=エネルギー)を放出して基底状態にもどるか、徐々に光を放出して基底状態にもどるかの違いなんだ。
図で示すと以下のようになるんだけど、蛍光の場合は励起された電子のスピンが対になっているので(一重項状態)、すとんとすぐに基底状態まで落ちることができるのだ。
一方、燐光の場合は、励起された電子のスピンが同じ向きにそろっているので(三重項状態)、すぐに基底状態まで落ちることができず、徐々に落ちていくんだ。
このため、蛍光は反射的にぱっと光って、燐光は持続的にぼわっと光るのだ。
この燐光の時間差を利用したのが蓄光というわけ。



ほかに光るものと言えばホタルの光や露点で見かけるサイリューム(これは登録商標で、一般名はケミカルライト)が有名かな。
ホタルの場合はルシフェリンという発光物質がルシフェラーゼという酵素の作用で光るんだ。
下村博士がノーベル賞を獲得した緑色蛍光タンパク質(GFP)の場合は、GFPとイクオリンというタンパク質が複合体を作っていて、それがカルシウム濃度の変化によって光るものだよ。
これはエネルギーとしてATP(アデノシン三リン酸)を消費して光らせているんだ。
こういうのは生物発光と呼ばれるよ。
ちなみに、ネコの目が夜に光って見えるのはこちら側の光を反射しているだけで、発光しているわけでないんだ。
道路にある反射板と一緒。

ケミカルライトの場合は、シュウ酸ジフェニルと過酸化水素を混ぜることで発光させるのだ。
チューブに入った状態では混ざってなくて、ぽきっと仕切りを折って外して混ぜると光り始めるよ。
シュウ酸ジフェニルが過酸化水素と反応すると過シュウ酸エステルになって、それがさらに酸化を受けると1,2-ジオキセタンジオンというとても不安定な物質(四員環化合物)が生じるんだ。
これはすぐに2つの二酸化炭素に分かれるんだけど、このときに出るエネルギーがまわりにある蛍光色素を励起させることが光るんだ。
蛍光色素を変えることで色も変えられるのが便利なんだよね。
使うときに熱も出ないし、持ち歩けるし、最近では軍隊や災害対策でも使われているよ。

というわけで、夜間に光るものもいろいろあるのだ。
太古のむかしは月明かりや星明かりしかなくて本当に暗かったんだろうけど、現代は身の回りに光があふれているんだねぇ。
中には今回のラジウムのようにちょっと心配なものもあるけど、電気がなくても光るものが意外と身の回りにあるよ。

2011/10/15

ギャンブル必勝法?

ネットで、「二度あることは三度ある」の確率を数学的に解いている記事を見つけたのだ。
なかなか興味深い(笑)
で、気づいたんだけど、意外と確率の話って誤解というか、あやまったイメージをもたれがちなんだよね。
特に顕著に出てくるのは、丁半ばくちとか、ルーレットの赤・黒、ハイ&ローなんかの確率が1/2の「出目」の読み方。
ここまで丁/赤/ハイが続いているから次は逆・・・、なんて発想があるよね。
でも、それこそが誤った認識というか、錯誤なのだ!

この考え方の基本になっているのは、二項分布の正規分布による近似なんだよね。
おそらく、大半の人はそんなこと考えたこともないとは思うけど、直感的に知っている話なのだ。
これは、ある確率pで発生する事象について、十分に大きい例数nで繰り返すと、その期待値はnpになる、というもの。
具体的に言えば、コインの裏表について、1,000回繰り返して投げると、表又は裏が出る期待値はそれぞれ500回程度、ということなんだよね。
もともと1/2の確率なんだから、半分程度になるだろう、という直感と一致するわけ。
すると、片方が多めに出ていると、次はもう一方が出ないとバランスがとれない、という考え方になるのだ。
これが錯誤、誤認のおおもとなんだよね。

実際には、近似式で計算すると、100回繰り返した場合、標準偏差は5になるので、60回以上表又は裏が出る確率は15.87%、65回以上表又は裏が出る確率は0.13%になるんだ!
これが400回繰り返した場合だと、標準偏差は10になるので、210回以上表又は裏が出る確率が15.87%、230回以上表又は裏が出る確率が0.13%ということになるのだ。
さらに、10,000回繰り返すと、標準偏差が500になって、5,500回以上が15.87%、6,500回以上が0.13%だよ。
これは、正規分布表を利用した簡便計算で、標準偏差σの振れ幅に入る確率として計算しているのだ。
1σの範囲を超える確率は15.87%、2σだと2.28%、3σだと0.13%なのだ。
でも、逆に言うと、100回繰り返した場合でも、40~60回の間にはいるのは68.26%で、1/3くらいの確率で10回以上の差がつく、とも言えるんだよね。

もっと小さい数で考えてみると、5回繰り返した場合に3回以上表又は裏が出る確率はなんと1/2!
5回だと全部で32通りのパターンが考えられるんだけど、そのうちの半分の16通りでは片方の目が3回以上出続けるのだ。
これを6回繰り返した場合を考えてみると、全部で64通りのパターン。
そのうち、6回連続になるのが表又は裏で2通り。
1回だけ別の目が出る場合を考えると、どのタイミングで別の目が出ても必ず3回以上連続することになるので、表と裏各6通りで12通り。
出目が4:2になる場合を考えるとそれぞれ9パターンあるので全部で18通り。
出目が均等な場合は対称性を考慮して全部で6通り。
すると、(2+12+18+6)/64=38/64で60%弱の確率となるのだ!
むしろ、6回繰り返すと3回以上続かない方が珍しいというわけ。
ちなみに、6回繰り返して4回以上連続する確率は16/64でなんと1/4なのだ。

こうなると、すでに続けて同じ目が出ているから次は逆、なんて発想は捨てた方がよいよね。
それに、3回連続で同じ目が出てもなんら不思議ではないのだ。
6回繰り返しただけでむしろ3回連続する方が起こりやすいわけだからね。
ボクたちがイメージしているほど、3回連続で同じ目が出るなんていうのは珍しいことではないのだ。
仏の顔も三度までとか言われても、けっこう頻繁に許してもらえなくなるね(笑)

でもでも、もっと重要なのは、いくらその前まで同じ目が出続けていようと、次に表又は裏が出る確率は確実に1/2でしかないということ。
出目の流れなんてはっきり言って関係ないのだ。
前までに出ている出目はすでに確定してしまった事象なので、その確率は考慮に入れる必要はないんだよね。
つまり、その時々の確率だけ考えればよくて、経緯は気にしてはいけないのだ。
全体的に見れば、確かに出目が何回も連続するのは珍しいことでかもしれないけど、それは最初から10回分なりをかける場合(スポーツ振興くじのtotoは全試合の勝敗を1回の投票で予想してかけるけど、そういうイメージ。)の話であって、前にどんな目が出ていようと、次に表又は裏になる確率は変わらないのだから、1回ずつの勝負であれば前のことをすっかり忘れてフレッシュな気持ち(?)で臨むのがよいわけ。

というわけで、上でぐちゃぐちゃ計算していたのは、実はそんなに意識しなくても、といううより、むしろ考えない方がよい話なのだ。
とは言え、まったくの無駄ではないんだよね。
それは本当に表又は裏の出る確率が1/2になっているかということ。
表又は裏が出やすいと、計算上の確率ではなかなか起こらないような事象(例えばずっと同じ目が出続けるなど)がより起こりやすくなるわけ。
ま、賭け事の場合はむしろ「いかさま」を疑った方がよいんだよね。
全体の流れを読むのはむしろいかさまが行われているのか、偶然性の下に行われているのかを見極める上で必要なのだ。
例えば、上の例から行くと、100回の結果で66回以上表又は裏が出ているんだとすると、かなりあやしいことになるよね。
逆に、出目が交互に出続けるのは実はものすごくまれな事象なので、むしろそういう場合はいかさまを疑った方がよいんだよ。
それは明らかに誤った確率の認識に基づいてバランスを考えて出目を細工しているはずだから。
気をつけなはれやっ!

2011/10/08

いざ!無限大の彼方へ♪

今年のノーベル物理学賞は超新星の研究で宇宙が加速膨張をしていることを示した研究者に贈られたのだ。
って、よく意味がわからないよね(笑)
毎年のこととは言え、物理学賞、特に宇宙関係の受賞は難しい話が多いような・・・。
でも、なんだかくやしいので、ちょっとだけ調べてみたよ。

宇宙の始まりは、今では「ビッグバン」で始まったというのが定説だよね。
でも、アインシュタイン博士が相対性理論を確立した近代物理学では「ビッグバン」なんて現象は信じられていなかったのだ!
むしろ、「静的な宇宙」、すなわち、厳然としてそこにあって、変化のない宇宙が広がっている、と考えられていたんだ。
普通は自分たちを取り巻く環境は、小さな変化はあるにしても、トータルでは不変と考えるからね。
ところが、相対性理論をつきつめていくと、宇宙はかなり動的であることがわかってきたんだ。

その中で出てきたのがビッグバンという理論。
ある時巨大な爆発が起こって、そのときに宇宙が生じ、現在に至るまで広がり続けている、という話だよ。
仮説として提示されたときは見向きもされなかったようなんだけど、宇宙望遠鏡にも名前を残したハッブル博士の研究で宇宙が広がっている証拠が示されてから、状況が変わってきたんだ。
ハッブル博士は、非常に遠くの銀河系やクエーサーの研究をしていたんだけど、そこから来る光を調べてみると、銀河の組成から想定される光の波長より長い波長の光が観測されている事実を発見したのだ。

これは光のドップラー効果によるもので、遠ざかっていく光源からの光は波長がより長く観測され(赤方偏移)、逆に近づいてくる光源の光は波長が短く観測されるのだ(青方偏移)。
光速は常に一定なので、音のドップラー効果とは違って、周波数でなく波長がずれるんだよね。
で、遠くにある銀河からの光を調べたら、核融合反応等の光源と考えられる現象で出てくるはずの光より波長が長い光が観測されたんだよね。
で、光源である銀河は観測点である地球から徐々に離れている、ということがわかったのだ。
調べてみると、離れている距離に比例して速い速度で遠ざかっていることがわかって、これを「ハッブルの法則」というのだ。

さらに、宇宙には宇宙背景放射と言って、全方向からマイクロ波が放射されているのが観測されるのだ。
これは熱源が光としてエネルギーを照射する黒体放射に換算すると絶対温度で3K程度。
これは宇宙の「気温」とも言うべきものなんだけど、この正体は、ビッグバンからしばらく後(38万年くらい後)に出てきた光の「なれの果て」と考えられているんだ。
ビッグバン直後は超高熱状態で光(光子)は自由に広がって運動できない状態らしいんだけど、ある程度冷えてくると自由に動けるようになるそうなのだ。
それが「宇宙の晴れ上がり」と言う瞬間で、このときに出てきた光が広がっていって、大きく赤方偏移して赤外線を通り越してマイクロ波にまでなったのが背景放射の正体と考えられているんだ。
で、この背景放射はどこでどの方向から測っても同じという等方性を有しているんだけど、それこそがビッグバンの時に出てきた光が広がったものが観測されているから、という証拠になるんだって。

こうした観測データからビッグバンによる宇宙生成が証拠づけられてきたんだけど、いくつか理論的不具合もあったのだ。
それを解決するのが日本の佐藤勝彦博士も提唱者の一人であるインフレーション理論というやつだよ。
けっきょく「原初」はどうなっていたのか、完全に「無」だったのかどうかなどの解決はついていないんだけど、理論的にいろんなことがわかってきて、かつ、一様と考えられていた宇宙(universe)は、実は同時並行的にいろんな状態が存在している「マルチバース(multiverse)」な状態であることもわかってきたんだそうな。
もうこの辺になるとついていけないよね(>o<)

ビッグバンに話をもどすと、相対性理論で考えていくと、まずいことがわかってきたのだ。
それは、現在推計される宇宙全体の質量では宇宙が膨張し続けるには不十分である、という計算結果。
もっと巨大な質量がなければ膨張が止まって収縮を始め、いずれは無次元の特異点に収束してしまうことになるのだ。
これを「ビッグクランチ」と言うんだよ。
でも、実際は広がり続けているので、何か観測できていない、足りない分の質量があるはずなのだ。
それで出てきたのが暗黒物質(ダークマター)。

重力が働いた痕跡として間接的には存在がわかるんだけど、正体が未だにわからないんだよね。
質量が0だと思われていたニュートリノ(小柴博士がスーパーカミオカンデで観測してノーベル賞を取った素粒子だよ。)に質量があったので、一時はダークマターの正体だ、と言われたこともあったけど、ニュートリノだけでは足りないのだ!
そこで、重力波観測装置(LCGT)というのを作ってその正体をつかもう、という国際大型プロジェクトも動き始めているんだ。
そのうち何かわかるのかな?

で、今回のノーベル物理学賞の受賞は、さらに踏み込んだもので、遠くにある超新星から出てくる光を調べていたら、想定したよりも速い速度で宇宙が広がっていることをつきとめた、という成果。
ハッブルの法則では距離と遠ざかる速度は比例するんだけど、実際に精度を高めて観測すると、加速膨張していることがわかったんだ。
つまり、現在も宇宙が広がる速度は少しずつ大きくなっているというわけ。
そうすると、現在推計されている宇宙全体のエネルギーだけでは説明ができなくなるのだ・・・。
そこで出てくるのが暗黒エネルギー(ダークエナジー)というやつで、よくわからないけど、宇宙を広げるように働く(物質同士が近づこうとする万有引力に抗して斥力として働く)ものが存在すると仮定したわけ。
なんだかこんな話が多いね(笑)

これでやっと今回の受賞研究の内容に行き着いたんだけど、このダークエナジーについてはほんとによくわからないんだよね。
現代物理学では、宇宙に存在しているすべての相互作用(重力や電磁気力、原子核内の強い相互作用や弱い相互作用)をひとつの理論で説明しようとする大統一理論の構築を目指しているけど、けっきょくはそこに行き着くことになるのだ。
ダークエネジーを解明することは、その大統一理論の構築につながるんだって。
もしこの理論を打ち立て、それが観測データから証明されれば、またノーベル賞受賞につながるはずなのだ。
これまでも宇宙の生成を巡ってはいくつもノーベル賞が出ているんだけどね。
実生活にはほとんど影響がない話のようだけど、壮大な話ではあるよね。
つい50年前の人たちはビッグバンもしらなかったわけだけど、今では多くの人は聞いたことがあるわけで、未来ではもっと一般の人も宇宙生成について詳しくなっているのかもしれないね。

2011/10/01

皇室の第一次産業

今週、天皇陛下が皇居内で稲刈りをされた、というニュースが流れたのだ。
いよいよ秋も深まってきたねぇ、と実感するニュースだよね。
意外と知られていないのかもしれないけど、皇居内には水田があって、陛下は毎年播種、田植え、稲刈りと稲作農業を御公務としてなされているのだ。
これに対して、皇后陛下は養蚕をされていて、繭をとって糸を紡ぐところまでなされているんだよ。
両陛下のスケジュールを見ていると、様々な公務の中にそういうのが散見されるのだ。
例えば、5月にはお田植え御養蚕の様子が紹介されているよ。

宮内庁の整理では、稲作と養蚕は我が国の農耕文化の中心という位置づけで、「伝統文化の継承」というカテゴリーで紹介されているんだ。
すでに御高齢で各種祭祀や儀式、行幸などで御多忙な中、毎年毎年取り組まれているのには頭が下がるよね。
計画停電時も23区内は対象外だったのに自主的に停電されるなど、常に国民の目線を意識されているようなのだ。
世界でも、国家元首自らがこうした儀礼的でなく農事に携わるのはきわめてまれなんだそうだよ。

もともと天皇家は農耕社会の中から生まれてきて、農耕文化とは切っても切れない縁があるのだ。
重要な宮中祭祀である新嘗祭は、その年に収穫された新米などの五穀の新穀を天神地祇にすすめるとともに、自らも食してその年の収穫を感謝するものだよ。
御自分もお食べになるのは、神、そして皇祖皇宗と一体化するためと言われているよ。
特に即位後最初の新嘗祭である大嘗祭はもっとも重要な祭祀といわれているのだ。
で、現在では、皇居内で獲れた新米が新嘗祭に使われているのだ。
御自分で育て、収穫した稲を使って行う祭祀であれば、感謝の念もひとしおだよね♪
まさに伝統行事の一環というわけ。

こうした宮中祭祀は天皇という存在の由来にも関係していると考えられているんだ。
欧州の王家の多くは王権神授説に代表されるように、神から支配する権限を授けられている、という形式になっていて、王と国民は支配者と被支配者とう関係なのだ。
で、旧約聖書の世界に見られるように、その支配者としての地位は「神との契約」によるもの、となっているんだよね。
なので、実は統治責任は被支配者たる国民に対してではなく、神に負っているので、国民から不評でもやめなくてもよいのだ・・・。

でも、日本の場合は実はそういう形式ではなくて、天皇家は農耕祭事を司る「シャーマン」という位置づけが強いんだよね。
農耕社会の中で、神に祈り、神の声を聞き、人々を導く存在なのだ。
なので、天皇家は、農耕社会の祭祀・儀礼の主催者というのが一義的な役割で、決して農民を支配する、というものではないんだよね。
実はこれが大和朝廷がずっと存続してきた理由の一つなのかも。
何かまずいことがあっても、それを鎮めるための祭事を執り行うことになるからなのだ。
日本書紀なんかでは「百姓」と書いて「おおみたから」と読ませるけど、被支配者というよりは国を支える者という意識が強いからそういう言い方になっているんじゃないかと思うんだよね。

ちなみに、中国の場合は支配者たる皇帝は天命を受けて支配者となるわけだけど、皇帝は国を治めるのみならず、四時の運行をも支配することになっているのだ。
つまり、季節の移り変わりや天候の順行にも責任を負っているわけ。
その意味では農耕社会との関係は西洋世界より濃厚なのだ。
でも、この関係は逆に言うと、冷夏や天候不順などは皇帝の「徳」に問題があるから、と考えられてしまうので、不作・凶作は皇帝の責任ということになってしまうんだ。
その意味では、皇帝は天に対して責任を負いながら、事実上支配民や農事にも責任を負う形になっているわけ。
なので、西洋世界に比べて王朝の交代、革命が起きやすい環境なんだよね。

でも、むかしから皇室で自ら稲作をしていたわけではないんだ。
現在のように皇居内で稲作を始めたのは昭和天皇で、昭和2年(1927年)のこと。
はじめは天皇自らが泥の中に入って農作業をすることに抵抗があったようだけど。
養蚕の歴史はもう少し古くて、明治4年(1871年)に昭憲皇太后が始められたんだって。
皇居内では、稲作は皇居内生物学研究所で、養蚕は紅葉山御養蚕所でそれぞれ行われているよ。
皇居内生物学研究所は、陛下が御専門のハゼの研究をされているところでもあるのだ。
日本の国家元首は世界でもめずらしい理系元首なんだよね(笑)

そんなわけで、皇室は都市に暮らすボクたち以上に季節の移り変わりと密着した生活をしているのだ!
日本の伝統的な姿を体現しているよね。
そういう意味では、今でも「国体」なのかも。

2011/09/24

黒いダイヤも今はギンナン

今年もとうとうこの季節がやってきたのだ!
そう、ギンナンが道に落ちて、踏まれてくさくなるのだ(>o<)
みんなよけて歩けばいいのに、といつも思うんだよね。
そんなイチョウは「生きた化石」とも呼ばれる植物。
メタセコイアなんかもそうだけど、古代種が現在まで生き残っているのだ。

イチョウが登場したのは古生代後期に当たる石炭紀の終わり頃。
石炭紀は巨大な両生類が地上を徘徊し、原始的なは虫類も出始めた時代。
もっと興味を引くのは、巨大なシダ植物や巨大昆虫がばっこした時代でもあるんだ。
ちょうどイチョウやソテツなんかの裸子植物も繁茂したんだって。
この植物の大繁殖により、空気中の二酸化炭素濃度は下がり、逆に酸素濃度は30%を超えるほど上がったそうだよ(現在は21%ほど)。
二酸化炭素濃度が低くなりすぎて徐々に気候が寒冷になり、氷河期に突入したとも言われているのだ。

で、その石炭紀という名前は、まさに石炭が出る地層だから。
古生代や中生代の植物が腐敗しないままに地中に埋没し、熱や圧力をかけられると、化学反応により酸素や水素が徐々に抜けていって炭素含有量が増えていくんだって。
最初は脂肪族(主に炭素と水素がつながった有機化合物)で脱水反応が起こり、続いて脱炭酸反応でさらに炭素含有量が高まるのだ。
最後に脱メタン反応で芳香族(ベンゼン環を主体とする有機化合物)に変わっていくんだって。
これを石炭化と言うんだ。

この課程で、最初に脱水反応で炭素含有量が70%を超えるくらいになったのが泥炭や褐炭といった柔らかい石炭。
まだ水分も多く含んでいるし、不純物も多いのであまり燃焼性もよくなく、発熱量も低いのだ。
なので燃料としてはあまりよくないんだけど、泥炭なんかはウィスキーを作る際、麦芽の成長を止めるための乾燥に使われていて、その独特の香りがウィスキーの風味になっているんだよね。
褐炭は水分が多くてエネルギー効率が悪いわりに、自然発火もするのでなかなか扱いづらいみたい。

さらに脱炭酸が起きると瀝青炭になるのだ。
これが一番高価な石炭で、いわゆる石炭と言えばこれ、というもの。
炭素含有量は83~90%程度で、燃焼性もよく、発熱量もわりと高いのだ。
ただし、まだ硫黄などの不純物も多く、燃焼時に黒煙が出るんだよね。
蒸気機関車の煙で真っ黒になる原因なのだ。
この瀝青炭を蒸し焼き(乾留)すると、コークスとコールタールに分かれるんだ。
コークスは今でも製鉄産業で重要な位置を占めていて、安定性と価格であまり代替がないんだそうだよ。
鉄鉱石とコークスを積み上げて下から空気を吹き込んで燃やしてやると、コークスが不完全燃焼して一酸化炭素が生まれ、その一酸化炭素が酸化鉄から酸素を奪って(還元して)、金属鉄ができるというわけなのだ。
一方のコールタールの方は世界で最初に認定された発がん性物質でもあるけど(山極勝三郎博士がウサギの耳にコールタールを塗り続けた実験だよ。)、かつては芳香族化合物(ベンゼン、フェノール、ナフタレンなど)の重要な原料だったんだよね。
フェノールを日本名で石炭酸というのはここに由来するのだ。

さらに炭素含有量が上がってかちかちになると無煙炭という石炭になるのだ。
金属光沢があって、燃やしてもあまり煙が出ないのでその名前があるんだ。
発熱量は高いんだけど、あまり着火性がよくないので(不純物としての燃焼性揮発成分に乏しいため)、燃料としては瀝青炭の方が上みたい。
でも、煙が出ないので、かつては軍艦の燃料として重要視されて痛そうだよ。
今では粉状の粉炭にして練炭の材料になったり、炭化物(カーバイト)の材料になったりするのだ。

石炭ができるには、腐敗する前に堆積していく必要があるんだけど、むかしはシロアリやキノコのように樹木の腐敗を進める生物も少なかったので比較的できやすかったみたい。
で、沼沢地などではすぐに水につかるので腐敗しづらく、石炭になりやすいそうなのだ。
さらに、地殻運動や地熱の違いで反応速度が違っていて、日本は地殻運動や火山活動が活発なので、諸外国より反応が早いんだそうだよ。

最近家庭で石炭を使うことはほとんどなくなったよね。
バーベキューのときなどに練炭を見かける程度なのだ。
かつては石炭ストーブなんかもあったわけだけど。
これは固形物なので貯蔵や運搬が困難なことと、天然ガスや石油に比べて発熱量が低いからなんだ。
でも、石炭にもメリットがあるんだよね。
それは豊富な埋蔵量と、比較的安定な地域に埋蔵されているという事実。
海外の方が安く掘削できるので国内から炭鉱はなくなったけど、日本にもまだけっこう石炭はあるのだ。
最終的なエネルギー源としては重要なんだよね。
それに、なんと言っても安いのだ。
なんと言っても発電の燃料としては重要で、我が国の電気の下支えをしているのは原子力と石炭火力なのだ。
石油火力や天然ガス火力は熱効率は高いけど、その分コストもかさむんだよね。

でも、石炭自体は発熱量も低く、また、燃焼させると硫黄や窒素などの不純物が出るし、煤煙で真っ黒になるのだ。
そして何より、二酸化炭素を多く出すのだ。
これが問題になっているんだよね。
技術開発が進んで、石炭ガス化ガスなんて言うものもあるけど、クリーンな燃料に変換できても、その分コストがかかれば安価というメリットが消えてしまうのだ。
燃料が枯渇してきたらそれを乗り越えるかもしれないけどね。
そんなわけで、かつては黒いダイヤと言われた石炭は、これからの状況によってはまた大きく復権するかもしれないんだよ。
後は再生可能エネルギーがどこまで使えるようになるかだね。
今はギンナンを落としているイチョウも、遠い将来には重要な燃料になっているかもしれないのだ(笑)

2011/09/17

期待していないけど期待値

ちょうど1ヶ月くらい前、サマージャンボ宝くじの抽選が行われたようなのだ。
ボクが子どもの頃は、1等前後賞合わせて1億円(1等賞金6,000千万円+前後賞各2,000万円)だったけど、これは宝くじの賞金は原則として額面金額(ジャンボの場合は1枚300円)の20万倍までという上限が法律で決められているからなんだって。
今ではさらに法改正され、総務大臣が指定をした場合は、額面金額の100万倍まで(ジャンボなら300円の100万倍で3億円)の当せん金が認められるようになったんだよ。
今のところ最高額のジャンボ宝くじでも2億円だけどね(前後賞を合わせると計3億円)。
でもでも、「億円」という単位が出てくると俄然夢を見たくなるけど、同時に、当たらないよあぁ、というのも宝くじの印象。
これがどうなっているのかをちょっと数字で調べたのだ。



表がその簡単な分析。
今年のサマージャンボ宝くじの場合、1等、前後賞、2等はそれぞれ1枚ずつ。
01組~100組まであって、それぞれ100000~199999の10万通りの数字の組み合わせがあるので、トータルでは1000万通り。
すなわち、これらの賞は1000万分の1の確率でしか当たらないのだ!
組違い賞だとその100倍、組番の下一桁だけを指定する3等だとその10倍当たりがあるのだ。
で、それぞれ当せん金と当たる確率をかけ合わせて、当せん金の期待値を求めると、1等で20円、前後賞合わせても30円というていたらく・・・。
1等から7等まで+ラッキーサマー賞まで入れても、300円で買った宝くじ1枚に期待される当せん金は136円という結果になったのだ(ToT)
通常ジャンボ宝くじの当せん金期待値は140~150円くらいと言われているから、こんなものだろうね。

逆に言うと、売上金の半額は実入りになるわけで、そこから宝くじ事業を行うに当たっての経費(人件費、印刷費、宣伝費等)が捻出されるとともに、各種公共事業等に投入される収益金(全国都道府県・19指定都市に納められる分)が生み出されるのだ。
財団法人日本宝くじ協会のHPによれば、宝くじの売り上げのうち45.6%が当せん金、14.5%が事業経費、39.9%が収益金になるそうなのだ(平成21年度実績)。
1枚300円のジャンボ宝くじの場合、その45.6%は136円80銭なので、だいたい期待値計算と合っているよね!
実際には、当たっていても当せん金を受け取りに来ない人が多数いるので、その分は収益金にまわるようなのだ。

よく宝くじには「当たりやすい売り場」がある、なんて言って長蛇の列ができることがあるよね。
でも、公平に抽選をしている限り、この売り場だと「当たりやすい」ということはないはずなのだ。
ただし、「当たりが出やすい」というのは存在するんだよね。
それは単純に売り上げ枚数の差。
宝くじの当たりのようにごくごくまれにしか起こらない事象はポアソン分布に近似されるけど、そうすると、一つの売り場で高額当せん金が当たる確率は、「売上げ枚数×当選確率」に近似されるのだ。
例えば、さっきのサマージャンボの場合、50万円以上の当たりが出る確率はわずか0.00114%(>o<)
1万枚の売上げがある売り場なら、その期待値は0.114・・・。

つまり、10回に1回しか高額当せん金は出ないというわけ。
当然、1000枚しか売れない売り場ならその10分の1の確率でしか高額当せん金は出ないわけだよね。
逆に言うと、10万枚以上売上げのある売り場なら毎回1つは高額当せん金が出るんだよ♪
すなわち、一度高額当せん金が出たと言って話題になると売上げが伸びるので、ますます高額当せん金が出る確率が上がるのだ。
この「正の循環」で「当たりが出やすい売り場」(例えば銀座の数寄屋橋)が誕生するわけだよね(笑)
ま、買った人から見れば、どこで勝手も当たる確率に変わりはないのだ。

そんなわけで、年末にはまた年末ジャンボがあるけど、期待値的に購入金額の半額は寄付していると思って買わなきゃいけないわけ。
ま、当たったら大きいし、夢を買うということだよね。
堅実派のボクとしては、なかなか買おうとは思わないのだけど(笑)
とは言え、買わなきゃ当たらないわけで、高額当せん金を手に入れる確率を「0」にしないためには買うしかないのだ!

2011/09/10

血の絆~情けは人のためならず

この前献血をしたんだけど、そのときの血液を使った検査の結果が家に届いていたのだ。
いわゆる血液検査でやるようなコレステロール値やらγGTPやらを調べてくれるんだよね。
これでまたボクの血が至って健康であることがわかってよかったよ♪
ボクの場合は、学生の時にはじめて献血して以来、職場などでやる場合はできるだけ行くようにしているんだよね。
だって、自分が交通事故なんかに遭ったときのことを考えると、輸血用血液は確保しておいてほしいもんね。

でも、調べてみてわかったんだけど、どうやらつい最近まで輸血用血液や血液を加工して製造される血液製剤はそのほとんどを「売血」によっていたようなのだ!
血液銀行と呼ばれる業者に血を売るんだよね。
水木しげる先生の代表作、ゲゲゲの鬼太郎の前身の墓場鬼太郎の冒頭のエピソードにもそんな話が出てくるよ。
日本では、とある事件が起こってから、原則無償で提供される献血により集められた血液が使われるように変わったんだって。
でも、特に若い層で献血離れが進んでいるので、献血場所で提供される飲み物やお菓子が豪華になったり、複数回行くとポイントがたまってそれに応じたプレゼントがもらえるようになったり、献血場所に雑誌やDVDなどを見られるようになったりと工夫がされているんだ。
ボクなんかも献血するときはたっぷりと飲み物とお菓子をもらっちゃうよ(笑)

その問題となる事件とは、「ライシャワー事件」というもの。
駐日米国大使だったライシャワーさんが昭和39年(1964年)に刺されるという事件が起きたんだけど、このとき輸血を通じて肝炎になってしまったのだ。
輸血された血液中に肝炎ウイルスが潜んでいたんだよね。
当時はウイルスの簡便な検査法もなかったし、主に売血により輸血用血液がまかなわれていたんだけど、その血液の多くは金銭を得るために過度に売血を繰り返していた人たちの血だったのだ。
そういう人たちは肉体労働者が多かったらしいんだけど、そういう人たちの間では覚醒剤が流行していて、注射の回し打ちなんかもしていたのでウイルス性肝炎が蔓延していたんだって。
そういう人たちが血を売るので、あまり質のよくない血液だったんだそうだよ。
肝炎による黄疸で血液が黄色くなっているので、「黄色い血液」なんて呼ばれたとか。
(過度の採決により赤血球の減少で血漿の色が強く出て黄色く見えていた、という説もあるよ。)

この事件を機運として我が国では献血制度が整備され、売血がなりを潜めることになったのだ。
でも、実際には、献血だけでは血液製剤分まではまかなえなくて、その分は海外で売血された血液を原料に使っていたりしたんだよね。
そういう状況下で薬害エイズや薬害肝炎みたいな話が出てきたのだ(>o<)
今でこそ簡易的な検出キットがあるので多少予防はできるのだけど(潜伏期間があるので、完全に検出できるわけじゃないんだよね。)、このころはまだそんな技術もなかったのだ。
でも、問題は、そういうリスクがあるとわかってからも使い続けたことなんだよね・・・。

現在の献血は日本赤十字センターが一元的に行っているんだよね。
献血に行くとわかるけど、まずは献血できる体調かどうかを調べて、さらに献血して大丈夫な人かどうかの検査があるのだ。
これには、不特定多数の人と性的関係を持った、とか、麻薬を服用した、とか、いつぐらいにどこの国に滞在したとかいろいろあるんだよね(海外滞在はクロイツフェルト・ヤコブ病などの疾患のリスクの関係だよ。)。
さらに、献血がエイズ検査目的ではないことが確認され(エイズ検査は全国の保健所等で無料で受けられるよ。)、200ml、400ml、成分のどれかを選んで献血開始。
献血前にスポーツドリンクを勧められるのはこれは水分補給のためで、血液はつまるところそのほとんが水でできているので、水で薄めた感じにしたいんだよね。

献血中、手をグーパーさせられたり、使い捨てカイロであたためるように言われることがあるけど、これは体が冷えると血管が細くなって血が出にくくなるからなんだ。
そうすると、時間がかかって献血する人も苦しいし、待ち時間も長くなってしまうんだよね。
ちなみに、成分献血の場合は、一度全血を抜いてから必要な成分をとった後のものを輸血のように体にもどすんだよね。
時間がかかるというのでボクはやったことないけど、ぷくぷくという変な感触があるらしいよ。

ちなみに、全血献血の場合でも、保存する場合は成分ごとに分けて保存されるみたいだよ。
そのままだと長期保存に向かないので、それぞれの成分(赤血球、血小板、血漿等々)に会わせた保存方法がとれるように分けるんだって。
ただし、事故とかでその場で血が必要な場合は「枕元輸血」と言ってその場で血を採取して輸血したりするのだ。
その他、いわゆる「輸血」のイメージは注文制で行われている全血の輸血だけど、手術とか前もってわかっている場合は適宜成分を組み合わせた輸血用の血液製剤が使われるみたい。
なんだか意外だよね。

血を抜くのはちょっとこわいけど、自分もお世話になるかもしれないわけで、安全な血液を確保するためには協力しておきたいものなのだ。
これこそが本当の意味での「情けは人のためならず」だよね。
献血手帳を持っていると有事の際に優先的に輸血してもらえると言われているけど、実際にはそんなことを確かめているひまもないし、公平に扱われるんだって。
確かに、という感じだね。
ま、無理はすることはないけど、できれば一度はやっておきたいね。

2011/09/03

育ちのよいドジョウは臭くない(笑)

いよいよ野田政権がスタートするねぇ。
本人は「ドジョウのように泥臭く」と言っているみたいだね。
いまいち地味な感じがいなめないけど、堅実派ということをアピールしたいのかな?
で、ボクの場合は、むしろドジョウが気になったので、少し調べてみたのだ(笑)

ドジョウはコイ目ドジョウ科の淡水魚で、むかしは水田や小川でよく見かけたのだ。
それこそ田舎では至る所にいたので、安価な食材としても活用されていて、ドジョウ食文化が生まれたんだよね。
最近は水田にも農薬を使うのでぐんと減ったんだって。
戦前に比べると流通量ががた落ちらしいよ。
確かに、現代ではドジョウ料理ってちょっと高級だよね。
泥臭いイメージはあるけど・・・。

ドジョウはウナギが短くなったような、ナマズが細くなったような形態だけど、実はコイの仲間。
でも、鱗がなくて体表面を粘液が覆っていてぬめっとしているのでそういうイメージがあるんだよね。
でも、それは進化の過程でたまたま似たような形態になったというだけなんだろうけど。
実際、だんだんわかってきたように、ウナギは概要で産卵し、稚魚が海から川にもどってきて生育するのだ。
なので、淡水だけじゃなく、海水環境でも生きられるんだよ。

それに、ウナギは水が少ないところでも皮膚呼吸ができるんだ。
ナマズはえら呼吸のみ。
ドジョウの場合は、皮膚呼吸ではなくて口から空気を吸って、腸でガス交換できるようになっているんだって。
水が少ない環境では、水面に口を出してぱくぱくして呼吸ができるのだ。
コイも口を水面につけてぱくぱくするけど、コイの場合はそれでは呼吸できないみたい。
もともともう少し水の多い環境に棲む魚だからね。

ドジョウにもナマズにもひげはあるけど、ナマズのひげがesaとなる小魚や昆虫の動きをとらえるセンサー的な役割を持っているのに対して、ドジョウのひげには味蕾があって、味を感じているらしいのだ。
泥がある環境だと視覚だけに頼れないので、ナマズは水の動きで、ドジョウは味で餌を探しているみたい。
ナマズの場合は何か動きを察したらそっちに行ってぱくっとやればよいけど、ドジョウの場合はおいしそう(?)な味がしたらぱくっといくのかな?

そんなドジョウはユスリカの幼虫やミジンコなどの動物性プランクトンなどを食べる雑食性。
どうしても泥も一緒に食べてしまうので泥臭いんだよね。
食材として使うときにはきれいな水に上げて泥を吐かせる必要があるのだ。
これはコイやナマズでも一緒だけどね。
でも、この泥臭さって、藍藻中に含まれるゲオスミンという化学物質が原因なので、水田のように泥の上に常にきれいな水が流れている場所でとれたドジョウはそんなに泥臭くないのだ!
ため池とか沼とかの水の流れがよくないところでとれるナマズやコイなんかは相当泥臭いけどね。
ちなみに、このゲオスミンは酸性条件下で分解するらしいので、お酢を使うと多少くさみがとれるみたい。
通常は味噌味や強めの醤油味で臭みをごまかすよね。

ドジョウの場合は、ささがきのゴボウと一緒に甘めのしょうゆたれで煮て、最後に卵でとじる柳川が有名だよね。
ドジョウからはよいダシが出るそうで、それを卵でとじておいしく食べようという工夫なんだって。
小さいものだとまるのまま入れるんだけど、内臓があると泥臭さが出るし、骨も硬いので、大きなものは割いてから入れるそうな。
それと、体の表面のぬめりも生臭さの原因になるので、お湯をかけて白くかたまったぬめりを取ってから調理すると上品な味になるみたい。

このほか、江戸では、そのまま醤油味で煮て最後に山椒をふるドジョウ鍋なんかも食べられていたようだよ。
田舎ではそのまま味噌味で煮たドジョウ汁や、蒲焼き、串焼き、唐揚げなどで食されていたようなのだ。
ちなみに、ドジョウ豆腐(地獄鍋)という料理があって、これは豆腐と生きたドジョウを一緒に煮ると、熱さを逃れるためにドジョウが豆腐の中に逃げ込んで煮えてしまう、とかいうものなんだけど、実際には豆腐の中に入り込む前に煮えてしまうので、実現はむずかしいようなのだ。
ウナギは捕るのが大変だったけど、ドジョウは水田にちょっと罠を仕掛けるとすぐにとれたようなので、生活に密着した食材だったんだよね。
今では天然物のドジョウは少なく、養殖物や輸入ものが使われていて、かえってウナギより効果なのだ(>o<)

江戸でドジョウ料理の名店と言えば駒形どぜう。
本来ドジョウの旧仮名表記は「どぢやう」なんだけど、これを「どぜう」と書き始めたのは駒形どぜうの初代越後屋助七さんなんだって。
なんでも、文化3年(1806年)の江戸の大化で店が類焼したとき「どぢやう」の4文字では縁起が悪いとして、3文字で同じく「ドジョウ」と読める「どぜう」と書き改めたんだとか。
他の店もまねするようになって、「どぜう」と書かれることが多くなったんだそうだよ。

というわけで、泥臭いイメージのあるドジョウだけど、実はそんなに泥臭いワケじゃないし、今ではわりと高級食材なのだ。
新しい野田政権は、旧態然としたイメージのドジョウなのか、現代のドジョウなのか、今後が注目されるね。
できれば、泥の中から出ても、洗練された味にあるドジョウになったほしいけど。

2011/08/27

もちもちとしこしこ

暑い日にはつるつるっと食べられる麺類がありがたいよねぇ。
朝夜ともにお世話になっているのだm(_ _)m
朝は主に乾麺のそうめんやそばが多いんだけど、夜は讃岐うどん♪
しこしこもちもちのコシのある太麺が最高だよね!
ボクはもっぱら釜揚げがもっちりしていて好きなのだ。

で、このうどんのコシ、タンパク質のグルテンによるものなんだけど、小麦粉を使った麺類では共通なんだよね。
もともと小麦粉の中にはグリアジングルテニンというタンパク質が含まれていて、これがグルテンに変化すると麺類のコシが出てくるのだ。
うどんなどの麺類の生地をこねるときには必ず水と一緒に塩を入れるんだけど、これがポイント。
もともとグリアジンもグルテニンも比較的低分子のタンパク質で、これが塩の存在下で見ずと一緒に練ると、システインのチオール基(-SH)の間でジスルフィド結合(-S-S-)ができることで、三次元的な網目構造ができるのだ。
それがデンプンと水を抱え込んだのが「麺」だよ。

グリアジンもグルテニンも水溶性タンパク質で、小麦粉を水にさらすだけだと表面の親水基のまわりに水の分子が水素結合で水和して分散するのだ。
小麦粉を水で溶くとさらさらだよね。
でも、そこに塩を入れると、タンパク質のまわりに水和していた水分子がナトリウムイオン(Na+)や塩化物イオン(Cl-)に取られるので、タンパク質同士がお互いに密着するようになるのだ。
そこに「練る」という作業で外から力を加えてあげると、グリアジンとグルテニンの表面に出ているシステインのチオール基の間で化学反応が起こって、ジスルフィド結合でつながるわけ。
そうして重合してできた大きな網目状のタンパク質がグルテンなのだ。
塩がなくてもある程度練ることはできるけど、グルテンの網目構造が大きくならないのだ(>o<)
ちなみに、タンパク質が多すぎると麺が固くなるので、うどん粉は主に中力粉だよね。

うどんなんかは練った後に寝かせたりするけど、それはグルテンをより大きくするためなんだよね。
グルテンの重合度が高ければ高いほど強いコシになるのだ!
ゆっくりと重合反応が起きるのを待つわけ。
このグルテンは液性がアルカリに傾くとよりできやすくなるので、中華麺だとかん水を入れるんだよね。
すると、よりコシが出てくるし、麺の色も黄色くなるのだ。
ちなみに、このグルテンだけを取りだして乾燥させたのがお麩だよ。
練った小麦粉を水にさらしてデンプンを洗い流すのだ。
お麩の網目状構造がまさにグルテンの三次元ネットワークということだね。

麺は打っただけではだめで、必ずゆでるよね。
これはデンプンを糊化(α化)するため。
もともとデンプンはブドウ糖が重合した高分子で、長い螺旋状にブドウ糖がつながった直鎖に分枝として短いブドウ糖の直鎖が出ている構造を取っているんだ。
安定的な結晶構造だと、この枝分かれした部分は水素結合によってきれいにたたまれている状態なんだけど、熱を加えてやるとその水素結合が切れて枝が広がるのだ。
まさに使い古したほうきのようになるわけ。
で、この広がった枝の間に水が入り込んで膨潤すると、ゲル状になるんだよね。
小麦粉を溶いた水に熱を加えるととろみが出るのはこのためだよ。

で、麺の状態でも同じで、グルテンに抱え込まれたデンプンに熱が加わると糊化してゲル状になるのだ。
この状態が麺がゆであがった状態。
あんまりゆですぎると水を吸いすぎてコシがなくなるけど、適度に水を吸った状態では、グルテンの編み目がとろみを帯びたデンプンを抱え込んでいい感じになるんだ。
この状態ですぐ食べるのがいわゆる「釜揚げ」の状態。
この状態ではグルテンの網目構造は比較的ゆるく、デンプンのとろみが目立つので、もちもちした食感になるんだ。

これを冷水でしめると、グルテンの網目構造がかしっときつくなって、麺表面のとろっとしたデンプンは再び結晶化して固い構造になるので、しこしことした食感が生まれるのだ。
これがざるうどんなどで食べる状態。
温うどんにするときはもう一度麺の表面を温めるのが本来のゆで方だよ。
温うどんは二度ゆでるのだ。
ただし、冷え切ってしまうと、グルテンに抱え込まれたデンプンのとろみが失われ、固くぼろぼろ、ぼそぼそになるんだよね。
これが古いゆで麺が「のびた」状態。

一般にゆで麺で売られているのがこの状態で、再び湯がくことでデンプンの糊化が復活し、うどんの食感になるのだ。
焼きうどんにする場合でも、一度湯がいてから使うのはこのためだよ。
ゆで麺をそのまま炒めてもぼそぼそしておいしくないのだ(ToT)
一方、冷凍麺は実は釜揚げの状態で急速冷凍しているんだよね。
ただし、冷凍すると水分が凍結するときに体積が増えて、せっかくのデンプンの高次構造が破壊されて弾力が弱くなることがあるのだ。
そこで、破壊されにくいタピオカなどのデンプンが混ぜられているんだって。

というわけで、うどんなどの麺類のもちもち感としこしこ感はタンパク質とデンプンの重合・変性によるものだったのだ。
現在おいしい既製品うどんがあるのも、こうやって化学的にうどんが解明されたおかげなんだよね。
でも、先人はそれを経験の積み重ねで改良してきたんだから、もっとすごいよね。
よく讃岐うどんなんてものが生まれたと思うよ。

2011/08/20

しりこーん

最近CMで「ノンシリコンシャンプー」というのをよく聞くのだ。
なんだかよくわからなかったんだけど、これって、シャンプーの成分にシリコン系高分子が入っていないってことなんだって。
で、そんなことを知っても、けっきょくなんだかわからないんだけど(笑)
というわけで、ちょっとシリコン系高分子について調べてみたよ。

シリコンと聞くと美容整形のジェル状のものを思い浮かべたり、半導体の材料を思い浮かべたりするよね。
前者のジェル状のやつがシリコン系高分子なのだ。
炭素は水素と一緒に炭化水素系の高分子を作るけど、その炭素の代わりにケイ素が入ったのが有機ケイ素系化合物。
その中でも、ケイ素と酸素が強く結合したシロキサン結合を介して重合した高分子がシリコン(又はシリコーン)だよ。
重合の度合いや置換基によってオイル状立ったり、ゴム状だったりするのだ。

ケイ素と酸素の結合は、炭素と酸素の結合よりもはるかに強いので、シリコン系高分子はいわゆる炭素骨格の高分子より化学的・物理的に安定なんだ。
耐熱性や耐酸化性、絶縁性にすぐれ、紫外線や放射線にも強いんだって。
さらに、炭素・酸素結合を介した高分子が二次元的なジグザグ構造を取るのに対し、ケイ素・酸素結合を介した高分子はそこにひねりが加わって三次元的ならせん構造をとるので、その構造からも独特の性質がでるんだとか。
それは主に水素結合がしづらいということによる分子間力の低下で、表面張力が小さかったり、温度による粘度変化が小さかったり、水をはじく性質(撥水性)が出たりするんだ。

これらの性質がシリコン系高分子の使われ方にも影響するんだよね。
例えば、水素結合を作りづらいという性質は、摩擦が少なく、さらさらしているということなのだ。
これを利用したのが潤滑油で使われるシリコンオイルやグリース。
油の潤滑油は紫外線などで酸化して劣化していくし、酸やアルカリに弱いけど、シリコンオイルだと比較的丈夫なのだ。
また、化粧品なんかにも伸びがよくなってべたつかなくなるとので使われるんだって。
高級な油だと肌にしみこむのでべたつかないけど、その分伸びが弱かったりするよね。
それを補えるのだ。

シャンプーやリンスの成分としてに使われるのもまさにこの理由。
髪を洗うとキューティクルが開き、そこに界面活性剤のシャンプーが来るとキューティクルがはがれるとともに必要な油脂分まで奪っていくのだ。
その油脂分を補うのがリンスやコンディショナーだけど、その上からシリコン系高分子でコーティングすると、「さらさら」した感触になるというわけ。
ただし、キューティクルは傷んだまま「くさいものにふた」方式でごまかしていることになるので、髪質がよくなっているわけではないのだ(>o<)
で、最近は髪質自体をよくしよう、表面上だけさらさらにするんじゃダメだ、という流れで、ノンシリコンのアミノ酸系シャンプーが出てきたんだそうだよ。
なるほどねぇ、と思うのだ。

熱や酸に強く、変性しづらいという性質は、ゴム状のシリコンゴムで重要なのだ。
シリコンパッキンなどに代表されるように、劣化しづらいゴム状の性質は便利なんだよね。
天然ゴムや合成ゴムだとどうしても酸化して固く、もろくなるから。
で、化学反応を受けにくいので、生体内でも安定するんだ。
それで医療材料にも使われるようになったそうな。
つまった動脈を開くバルーンカテーテルとか、人工心肺膜なんかに利用されているよ。
そのほか、酸素透過型コンタクトレンズもシリコン系高分子だそうなのだ。
さらに、豊胸などの美容整形の分野でも使われているのだ。
ただし、シリコン系高分子自体は安定なんだけど、異物であることは確かなので、それを包んでいる袋が回りの組織と癒着したり、必ずしも長期的な安全性は未確認な面もあるんだよね(ToT)

撥水性という性質は、シリコンオイルやシリコンパッキンでも重要なんだけど、深夜の通販番組でよく見かけるのはカーワックスだよね。
最新のシリコンワックスというやつなのだ。
伸びがよくてよく水をはじく、というもの。
ワックスだけじゃなく、撥水性や摩擦の低下をねらってシリコン系高分子でコーティングをすることはよくあるのだ。
ガラスなんかもあらかじめシリコンコーティングをしておくとべちゃっとぬれずに、水滴が浮くのだ。
そのかわり、くもりやすいんだけどね。
(くもりどめにはむしろ親水性のコーティングをして、水が表面全体に広がるようにするんだよ。)

というわけで、シャンプー界では疎まれ始めているシリコン系高分子も、かなり身近なところで活躍しているのだ。
知らず知らずのうちにお世話になっていたんだねぇ。
ようは使いようってことだから、適材適所で使えばよいだけなんだけど。
とりあえず、家に帰ったらシャンプーの成分表示でも確認しようかな?

2011/08/13

どこに干す?

毎日暑いし、日差しも強いよねぇ(ToT;)
この時期だとい、夕立がこわいものの、洗濯物を外に干すとからっとすぐに乾くのだ!
節電が求められている今こそ、自然の力を使って乾燥だよね。
とは言え、昼間家にいられない共働き家庭の身としては、平日に外に洗濯物を干すのは難しいんだけど(>_<)

よく言われるのは、部屋干しだと独特のにおいが出てくるけど、外に干すとそれがない、というもの。
なので、外に干せないなら乾燥機で乾燥させる、ということになってきているのだ。
部屋干しもうまく活用できれば省エネにもなるし、よいんだけどね。
で、その気になるにおいのもとは、最近CMでもおなじみになってきた雑菌の繁殖。
洗濯物はきれいなはずなんだけど、実際には繊維の間に洗剤が残って付着していたり、落としきれなかった皮脂の汚れなんかがこびりついているのだ。
で、そこに湿気が加わると、雑菌が繁殖してしまうというわけ・・・。

部屋干しのにおいを抑える洗剤やスプレーには殺菌成分が入っていて、この雑菌の繁殖を抑えるのだ。
外に干している場合は、太陽光に含まれる紫外線によりある程度の殺菌効果が期待できるのと、部屋干しよりは乾燥が早いので、雑菌が繁殖できる時間が短く、においが出る前に至らないんだ。
でも、くもりの日なんかだと乾燥に時間がかかって、いつまでも湿気っている状態なので、場合によってはにおいが出てくることもあるのだ。
乾燥機の場合は、乾いた熱い空気で一気に乾燥させるのでその心配はないんだよ。

乾燥機の場合、回転させながらまんべんなく熱風を当てて乾かしていくので、乾燥も早いし、タオルなんかだとふっくらと仕上がるんだよね。
これは回転させることで洗濯している間につぶされていたパイル生地の繊維がふくらんでくるから。
タオルを天日干しする場合は、洗いざらしをそのまま干すと、繊維がつぶされたまま乾燥されてしまうのでごわごわになるのだ!
そのときは、タオルをよく振ったりはたいてから干すとごわごわにならないよ。
そうすることでつぶれていた繊維の間にも空気が入り込み、わりとふっくらと乾燥させることができるのだ。
柔軟剤を使うと繊維自体はやわらかく仕上がるけど、繊維自体がつぶれている場合はその効果がうすいので注意が必要だよ。
柔軟剤を増やせばふっくらとなるわけではないのだ。
問題は乾燥のさせ方なんだよね。

でも、乾燥機も完璧ではないんだよね。
エネルギーを余計に消費するというのもあるけど、一気に乾燥させるので、繊維を傷める可能性があるんだ。
絹や化学繊維のように熱に弱いものだと、その熱で縮んだりするので、それはNG。
また、なかで乾燥させながら回転させるので、ボタンなんかも壊れやすいんだよ。
さらに、乾燥気温赤で動き回るので、しわがつきやすいのだ。
後でアイロンをかけたりすればよいわけだけど、乾燥機は下着やタオルなんかが得意で、高級な衣類には使えないのだ。
ま、高級な衣類は普通はクリーニングに出すけどね(笑)

乾燥機と部屋干しの間にあるのが浴室乾燥。
うちももっぱらこれなのだ。
お風呂場に部屋干ししつつ、そこに乾いた温風を当てつつ、洗濯物から出てくる湿気を排出していくのだ。
普通の部屋干しよりはるかに早く乾くし、日中洗濯物が取り込めない人にはありがたいよね。
最近では放射性物質がつくので外に干せないなんて言って使う人も多いようだけど。

天日干しの場合は、重力で下に引っ張られながら乾燥していくので、しわができづらいんだよね。
とは言え、天日干しでもしわができることはあって、その対策としては、干すときにぱんぱんとよくたたいて伸ばしてから干すとしわになりづらいのだ。
あらかじめアイロンを軽くあててから干すなんていう裏技もあるみたいだよ。
もともと洗うときにネットにたたんで入れて洗るとさらによいらしいのだ。

天日干しもただ日の当たるところに干せばよいというわけではなくて、洗濯物の乾燥には4つのポイントがあるのだ。
それは、気温、湿度、風、日照で、天気予報と一緒に出てくる洗濯指数はこれを組み合わせて計算しているらしいよ。
詳しくは予報会社の企業秘密なんだそうだけど(笑)
重要なのは、湿度と風で、いくら気温が高くても湿度が高いと乾きづらいし、また、気温が低くても風があると乾燥が早いのだ。
日照が少なくても、洗濯物の回りの蒸発した水蒸気が散っていってくれるので、風があるとどんどん水分の蒸発が進んでかなり乾くんだよね!
ま、天日干し独特のあたたかみやからっと感は低いかもしれないけど。

また、直射日光を当てるかどうかも問題なんだ。
よく「陰干し」なんて言葉があるけど、それは、直接日が当たらないように風通しのよいところに干すことなんだよね。
日光には殺菌効果もあるんだけど、同時に、紫外線は色素を変化させて、退色させる作用があるので、色もの・がらものにはよくないのだ。
そこで、日の光を当てずに乾かすわけ。
また、ぬいぐるみとかくつなど、内部に水分がたまりやすいものは、直射日光を当てて乾かすと表面だけ乾燥してしまって中が湿ったままになるんだよね。
なので、内部の水分が徐々に表面にしみ出ていきつつ、表面から水分が飛んでいくように乾かす必要があるのだ。

陰干しではなくて、夜干しというのもあるのだ。
単に夜に干すだけなんだけど(笑)
これは時間がない人が使ったりするよね。
でも、注意しなくちゃいけないのは、夜露が下りてせっかく乾いた洗濯物がまた湿気ってしまう可能性があること。
それと、乾くのに時間がかかるので、においが出るおそれもあるのだ。
陰干しと同じように、風通しが重要なのと、湿度に気にしなくちゃいけないんだ。

というわけで、洗濯物の乾燥だけでも奥が深いんだよねぇ。
なんにせよ、洗濯したての衣類は気持ちよいのだ♪
きちんと乾かして、気持ちのよい生活を送りたいよね。
そのためにも、うまく洗濯物を干さないと。

2011/08/06

風通しよく

節電ブーム(?)の今夏に注目されている、日本古来の道具と言えば、「すだれ」と「よしず」。
細い竹やアシ(ヨシ)を糸で束ねてシート状にしたものだよ。
ホームセンターなんかでは前から見かけたけど、今年は特に需要が高まっているそうだよ。
いまのボクのうちは賃貸マンションなのでなかなか使う場面がないけど、ちょっと使ってみたい気もするのだ(>o<)
風流だし、見た目が涼しそうだよね。

「すだれ」と「よしず」の違いは必ずしも明確ではないし、いろいろと説があるらしいんだけど、一般的には、軒に横向きにぶら下げて使うのが「すだれ」で、使わないときはくるくる丸めておくのだ。
一方、縁側などの屋外に縦向きに立てかけて使うのが「よしず」で、海の家や古い駄菓子屋さんなんかでよく見かけるよね。
こっちも使わないときはくるくると巻いておくわけだけど、丈があるからけっこう場所をとるのだ(ToT)
むかしだったら家の横にでも立てかけておけたんだろうけど・・・。

すだれやよしずはカーテンと同じように遮光して、その分太陽熱を遮断してくれるんだけど、一本一本の竹又はアシの間には隙間が空いているので、そこから風が通るんだよね。
これで涼しさアップなのだ。
むしろブラインドに近いのかな?
ブラインドだと光量が調節できるけど、すだれとかよしずはそこまではできないけどね。
でも、よしずの場合は水をかけておくと、隙間を通ってくる風が気化熱で冷やされるので、冷風機にもなるんだよ!
この機能はよしずの方が優れているよね(笑)

竹やアシを糸で編んだだけの単純な構造なので、その歴史は古く、すでに万葉集にも登場しているんだって。
それだけ長い間日本の風土・気候とともに生きてきたというわけ。
でも、これは機能面からだけじゃなく、文化的な意味でも使われていたんだよね。
例えば、天皇や公家なんかの偉い人は、下々の者が直接顔を見てはいけないので、御簾(みす)と呼ばれるすだれをはさんで面会したのだ。
ぼんやり姿がわかり、声も聞こえるけどはっきりとは見えない、そんな微妙な演出をする道具にもなっていたわけ。
これは一種の境界を意味するわけだよね。
その間は連続的ではなくて、「隔たりがある」ということを象徴的に示すものとして使われたのだ。
それだけ、すだれというものが内と外を区別する境界にある、という認識が広まっていたということだよ。

ちなみに、昭和の時代まではまだ国産品が多かったようなんだけど、河川の改修・整備などで日本産のアシが手に入りにくくなったため、現在では多くのものが中国産なんだって!
さすがに農薬とかを使っているというわけではないだろうけど、糸がすぐほどけてばらばらになったりと、丈夫さなんかには不安が残るよね。
何度も巻いたり広げたりするものだから、きちんとしたものを買った方が後々お得かも。
原産地標記(があればの話だけど、)注意してみよう♪

最後に、このすだれを名前をいただく偉大な科学機器の話。
それは、日本のX線天文学の草分け、小田稔先生の開発した「すだれコリメーター」だよ。
1970年代、宇宙の世界ではX線を放出している天体(X線天体)の存在が予言されたのだ。
ブラックホールや恒星(太陽を含む。)、中性子星などは電磁波としてX線を出しているのではないか、というもの。
で、それを観測するために作られたのがすだれコリメーターなんだよ。

X線は可視光や赤外線なんかと違って、鏡で反射させたり、レンズで屈折させたりができないのだ。
なので、進んでくるものをそのまま観測するしかないんだよね。
で、特定の方向からどんなX線が来ているかを観測しようとしても、いろんな方向から来るX線が混じり合って観測されてしまうので、よくわからなかったのだ(可視光などの場合は鏡の反射やレンズの屈折で特定の方向の光だけ取りだして観測することができるのだ。)。
そこで、指向性を持ったX線観測装置としてすだれコリメーターという装置が出てきたんだ。

原理は比較的単純で、複数のスリットを組み合わせて、その後ろに観測機器を置くだけ。
スリットを組み合わせるところがみそで、正面から電磁波が来る場合は、すべてのスリットをそのまますり抜けてくるので比較的強度の強い電磁波が観測されるんだけど、斜めから入っている場合は、最初のスリットは通り抜けても、次のスリットは通り抜けられなくなったりするのだ。
すると、その分だけ強度が弱くなるわけ。
これにより、入射方向で強度が違うので、スリット付の観測機器を全方向に回転させながら周波数ごとのスペクトルをとっていくと、どの方向からどんな周波数の電磁波が来ているかがわかるようになるんだ。

これは屈折も反射も使わず、遮蔽効果しか使っていないので、X線にも応用可能なわけ。
で、このスリットがすだれのようなワイヤーを縦に並べてものを使っていたので、「すだれ」コリメーターと命名されたんだ。
これで日本は世界に先駆けてX線天文学を作り上げていくんだけど、このアイデアも、身近にすだれがあったから思いついたのかもしれないよね(笑)
でも、(当時の)最先端の科学機器に「すだれ」って入っているのはちょっとおしゃれだよね(^o^)/

2011/07/30

ワーラーを吸うわら

日本全国が肉牛(「にくうし」と読むんだよ。)のセシウム汚染で大騒ぎ!
これまで日本の牛肉は世界的にも安全・安心でおいしいと評判だったんだけど、その信頼も失われつつあるのだ(ToT)
当然すべての肉牛が汚染されているわけではないけど、いわゆる「風評被害」で日本の牛肉全体が危険と思われてしまうんだよねorz
しかも、東北の国産牛って関東地域ではブランド牛として扱われていただけに、畜産農家のショックも大きいだろうねぇ。
なにしろ、これまで高値で取引されていたものが値がつかなくなるんだから。
これは将来的な影響もあるので、かなり深刻な問題だよ。

で、その原因となったのが、飼料として使われていた稲わらの汚染。
農林水産省も震災後に「気をつけるように」という通知を出していたんだけど、そこには「乾牧草」とは書いてあっても、「稲わら」とは明記されていなくて、「など」に含まれるとして解釈する必要があったんだって。
ま、それはよくあることのような気もするけど、周知徹底の方法に問題があったんじゃないか、とも言われているよね。
結果として起きてしまっていることなので、犯人捜しや責任の追及をするよりも、まずはすでに流通してしまった汚染わらを追跡して、飼料として使われないようにすることが大事だと思うけど。

で、この稲わら、宮城県から出荷されたものが汚染されていたんだよね。http://www2.blogger.com/img/blank.gif
ところが、文部科学省で発表している航空機モニタリング(米国のエネルギー省の協力を得て空中から線量分布を測定しているものだよ。)の結果をみると、宮城県内はさほど高い数値は出ていないのだ!
すると、考えられる原因としては、少し前に話題になった「特定避難勧奨地点」、いわゆる「ホットスポット」のように局地的に線量の高い場所があって、そこにたまたまわらがあった、というもの。
でも、これって偶然が重ならないとそうならないし、今では他の地域でも汚染されたわらが見つかったりしているので、そういう話ではないはずなのだ。

そこで考えられているのが、稲わらでは放射能が濃縮されてしまう、という説。
もともと東北地方では、開きに稲を刈り取り、稲わらは水を抜いた田んぼに並べてしいておくんだって。
で、冬に雪が降って、それが融けてまた乾燥したころにロールして出荷されるそうなんだ。
これが「春わら」と呼ばれるもので、東北地域は一大生産地だとか。
それで東北から出荷された稲わらが全国的に広がってしまったようなんだよね。
でも、稲わらが汚染されているのがわかっているので、それを追えば二次被害は防げるはずで、稲わらの流通をしっかり抑えれば次の犠牲(まさに牛偏だね・・・。)はでないはず。

では、なぜわらの放射能が濃縮されたか。
稲わらは、田んぼ一面に並べてあって、本来地表に付着するはずだった放射性セシウムを吸着してしまうんだ。
空から降ってくる放射性セシウムは、大気中を漂っていたのが雨や雪と一緒に降下してきたもので、水をよく吸う性質のある稲わらはこれをたくさん吸収するわけ。
地表面だと一部の雨水は表面を流れていってしまうし、地下にも浸透していくけど、稲わらはその分も含めて全部吸っているのだ。
で、それが乾燥すると、稲わらにだけ放射性セシウムが残るわけ。

で、その放射性セシウムを吸った稲わらをロール状に巻いていくと、1カ所に集められるので放射能が高くなるのだ。
これは福島県の小学校で汚染された校庭の表土を削って、校庭の隅に置いておいたら、そこだけ空間線量が高くなった、というのと同じ。
一様にうすく分布していたものがまとめられると、単位体積当たりの放射能が高くなるのだ。
さらに、稲わらは体積のわりに軽い(比重が小さい)ので、単位重量当たりの放射能で見ると数字が大きくなるのだ。
報道でよく使われる「○Bq/kg」という単位がそれだよ。
稲わら1kgって相当あるんだよね。

こういうようにして放射能が濃縮されていくので、地表面の放射能(空間線量率)を測定するとたいして高くないのに、そこに並べてあった稲わらの線量は高くなってしまうのだ。
地面から生えている牧草も同じようなことが言えると思えるんだけど、牧草は生えている間は縦になっているので、意外と雨に振れる面積が少ないし、何より稲わらのように雨水を吸収しないのだ。
なので、震災後に刈り取った牧草を乾燥させた乾牧草は稲わらほど線量が高くないんだって。

これで本当にすべてが説明できるかどうかはわからないけど、かなり説得力のある説明だと思うんだよね。
そして、汚染された稲わらがあった地域は危ない、といういい加減な流言の否定にもつながるのだ。
大事なのは、稲わらは汚染が濃縮されるから線量が高いだけで、それがあった地域は必ずしも線量が高くない、ってことなんだ。
汚染された稲わらが見つかったからといってすぐに逃げ出すような話ではないのだ。
ただし、逆に、そんなに汚染されていない地域でも、今回の稲わらのように汚染が濃縮される可能性はあるわけで、そこは気をつけないといけないんだよね。
すでに雨樋の下や下水の汚泥は放射能が濃縮されていることが知られているけど、そういうのが事前にわかっていれば気をつけようがあるからね。
それと、稲わらは有機農法に使う堆肥の原料にもなるので、そっちも気をつけないといけないのだ!

2011/07/23

「エセ」に気をつけろ!

なんだか原発の事故以降、ネットに玉石混淆の情報が蔓延しているのだ(ToT)
勘違いとか理解が足りないくらいならまだよいんだけど、科学的な説明のフリをしてさも説得力を持たせようとしているものはたちが悪いのだ。
リテラシーが十分に高くないといいようにだまされちゃうからね。
これは政府とか公的な発表も同じなんだけど、やっぱり情報は自分で吟味して峻別しないといけないのだ!

そんな中で少しびっくりしたのは、「人間が化石燃料を燃やすぐらいで増えたCOは、むしろ雲の発生を促し地球を冷やす効果もある」とかいう主張。
実際、エアロゾルが増えると雲が増え、それで日射が遮られて寒冷化する、という話はあるのだ。
これを日傘効果と言うらしいんだけど、恐竜の絶滅の原因と考えられている巨大隕石の落下(グレート・インパクト)はまさにユカタン半島への巨大な隕石の落下でで空中にたくさん粉塵が舞い上がり、それで日光が遮られて寒冷化したと想定されているんだ。
そのせいで植物は枯れ、草食恐竜がいなくなり、肉食恐竜も絶えたのだ・・・。
これは大規模な火山噴火でも同じようなことが起きると考えられていて、噴煙や火山灰で空が暗くなるほどの噴火だとそういうことが起きる可能性があるのだ。

ただし、これはエアロゾルの話で、二酸化炭素だとまたちょっと事情が変わってくるはずなんだよね。
まず、二酸化炭素が増えることによって雲が増えるという部分から怪しいんだけど、これって、二酸化炭素により大気の温度が上がるのできやすくなる、というところから来ていると思われるのだ。
でも、それってそのまんま地球温暖化だよね?
二酸化炭素で地球の気温が上がる、という前提が成立しない限り、二酸化炭素が増えて雲が増える、ということにはならないはずなのだ。

よしんば二酸化炭素の増加で雲が増えたとしても、おかしな話があるんだよね。
確かに雲が大量にできれば日光が遮られて地表面の温度は下がるけど、太陽から来るエネルギーが変わらない限りは大気はその分余計に温まっていることになるはず。
すると、地球全体で見れば気温は下がることはないのだ。
さらに、二酸化炭素などの温暖化ガスは熱をため込む性質(正確には、放射熱として出される赤外線を吸収する性質)があるので、地球から宇宙への熱放出(輻射)は減るはず。
すると、全体的には地球の温度は上がるはずだよ。

もともと地上は太陽光で昼間温められ、夜になると熱(赤外線)を放射して冷めていくのだ。
このサイクルで温められるのと冷めるのとが釣り合っているので地上での気温がズーと上がり続けたり、下がり続けたりすることがないわけ。
地表から放出された熱=赤外線は大気の中をとおり、複雑なプロセスを経て最終的には宇宙空間へ放出されるんだ。
で、この熱の放出量が太陽から受けるエネルギーと釣り合うから地球の温度がほぼ一定に保たれるわけ。
受ける熱量の方が多ければ温度が上がりすぎて地球は融けてしまうし、出す熱量の方が多ければ氷の惑星になってしまうよね(>o<)

で、二酸化炭素の増加は、このバランスを少し崩すのだ。
二酸化炭素に熱がトラップされる分だけ放出量が減るので、徐々に地球が温まるというわけ。
ただし、地球の温度は常に一定というわけではなくて、長期的に見ると変動しているのだ。
それが氷河期と間氷期というやつで、今の温度上昇もその変動の中のものでしかない、という考え方もあるんだよね。
一方で、化石燃料を使い始めてからは急激に温暖化が進んでいるので、自然な変動では説明できない、人為的な要素がある、というのが地球温暖化問題を考える上での原点だよ。
こればかりはなかなか決定的な証拠がないわけだけど、一般的には二酸化炭素が増えることが温暖化につながるという認識だよね。
地球温暖化問題に関して、政治的な理由も含めて懐疑論があるけど、物理的な性質や状況証拠から多くの懐疑論は反論できるのが現実だよ。
ただし、どんなものでもきちんと科学的に反論していくのが大事なので、そういうものに耳を傾ける姿勢は大事なのだ。

ちなみに、原子力発電は発電過程で二酸化炭素を出さないから地球温暖化問題に貢献する、という説明がよくなされていたけど、これも正直あやしいんだよね。
まず、原子力発電所は設計基準が厳しいので、他の発電所に比べると建設にエネルギーがかかるから、そこでは他の発電所より多くの二酸化炭素を出しているはずなのだ。
さらに、原子力発電特有の問題として、放射性廃棄物の処理の問題があるんだよね。
まだ最終処分の方法も処分場所も決まっていないけど、数千年とか数万年のオーダーで管理しないといけないんだよね・・・。
すると、その管理の分のエネルギーも必要なわけで、そこには当然二酸化炭素の排出が伴うのだ(そのときまでにすべてのエネルギーが二酸化炭素の放出なしに得られるようになっていれば別だけど・・・。)。
というわけで、「発電プロセスで」という仮定があれば正しいんだけど、本当に原子力発電が温暖化問題に貢献するかどうかは微妙だと思うのだ。
ま、もともと廃棄物問題があるから決してクリーンとは言えないと思うんだけど。

さらに余談だけど、じゃあ原子力発電をやめるか、というと、なかなかそうもいかないんだよね。
現在の電力需要を支えるためのベース電源としては有力であることは確かだと思うのだ。
太陽光や風力で代替なんて言うけど、そういう発電量が一定しない発電方法だと「使う分だけ発電する」という電力消費の特性に対応できないのだ。
これを同時同量というんだけど、発電量が多すぎても送配電網に障害が起きるし、発電量が少ないと瞬時に停電するから、厳密な発電量の制御が必要なのだ。
今は原子力や石炭火力、水力でほぼ一定量の発電を続けてベースを作り、その上で発電量制御が比較的容易な天然ガス火力や石油火力で調整しているんだよ。
太陽光や風力は微々たるものなのでさほど影響は与えないけど、こういう天気任せの発電方法のシェアが増えると同時同量の達成が非常に難しくなるのだ。
なので、現在の技術の延長線上では原子力の代替とはなり得ないんだよね。

いやな話でも、それが現実なのだ。
というわけで、脱原発をするのであれば、徹底的に電力消費を抑える必要があって、それこそ昭和30年代くらいのくらしにもどるとかしないとダメなんだよね。
で、二酸化炭素を出さないように火力も絞るとなると、江戸時代のような日が昇ったら起きて、日が沈んだら寝る見たいな生活をしないといけなくなるかもしれないってわけ。
生活の利便性とウラハラの関係であるということは頭に入れておかないといけないのだ。

2011/07/16

熱い汁を固めてぷるるん

やっぱり夏は水ようかんの季節だね!
ぷるるん、つるるんとさっぱりした甘さでおいしいのだ♪
でも、夏の和菓子には水ようかんだけじゃなく、色とりどりの寒天で固めた涼しげなお菓子があるのだ。
梅酒を固めた梅酒羹とか、夏みかん果汁を固めた夏柑糖とか。
寒天で水を表して中に金魚型の練り菓子が入っているような和菓子(琥珀羹)もあるよね。
ボクは正直あまり好きではなかったけど、むかしおじいちゃんの家に行くと牛乳を寒天で固めた牛乳羹がよく出てきたのだ。

どうも羊羹に引きずられてか、こういうたぐいの餡や果汁などの液体を寒天で固めたものは「~羹」と呼ばれるよね。
寒天の「かん」のような気もするけど、これは漢字から羊羹の「かん」のようなのだ。
でも、これって本当はおかしな話なんだ。
というのも、「羹」はもともと羮に懲りて膾を吹く」の「あつもの」と読む漢字で、肉や野菜を煮込んだ熱いスープを指すのだ!
ということは、「~羹」だと「~のスープ」ということになってしまうよね(笑)

日本に羊羹の原型が伝わったのは鎌倉のころと考えられているんだけど、禅宗と一緒にやってきたのがポイントだったみたい。
中国の本来の羊羹は字義通り羊の肉を使ったスープなんだけど、冷めると煮こごりになってゼリー状に固まったようなのだ。
肉食が禁じられている禅宗では、その代わりに小豆なんかを使って似たようなものを作ったんだって。
小豆を煮て、小麦粉やくず粉と混ぜて蒸して固めたようなのだ。
これが蒸し羊羹の原型。

ちなみに、もう一つ説があって、羊の肝臓を模したお菓子に羊肝こうというのがあって、それが日本に伝えられる際に「かん」の字が間違ったというもの。
ちなみに、羊肝こうは点心で食べられていたもので、小豆を使った蒸し餅菓子だったようだよ。
これももともとは羊の肝臓が食べられていたんだけど、精進料理では肉食が厳禁なので、代わりに小豆で似せて作ったもののようなのだ。
いずれにせよ、本当は羊料理だったわけだね。

で、なんだかんだで蒸し羊羹が日本に伝来したんだけど、ここでもまだ「~羹」とは大きく違って寒天が出てこないのだ。
寒天を使った羊羹が出てくるのは江戸時代。
米粉を混ぜて蒸して作るういろうは蒸し羊羹の一種だけど、寒天で固める羊羹に比べるともっさりしているのだ。
ねっとりした食感がないよね。
寒天で固める煉り羊羹が出てきて、だんだんと近づいてくることになるよ。

でも、「~羹」に行き着くにはもう1ステップ必要。
今度は、よりつるんとした食感を出すために、水分量を多くした水ようかんが作られるようになるのを待たなければいけないのだ。
はっきりした年代は不明なようだけど、だいぶ時代をくだらないといけないみたい。
こうなると、小豆あんを寒天で固める、というテンプレートができあがるよね。
ちなみに、重要な材料である寒天も江戸時代の発明。
すでにところてんは食べられていたけど、それをいったん凍結させることで不純物を取り除いた寒天が広まるのは江戸時代になってからなのだ。

で、その水ようかんのバリエーションとして、小豆あん以外のものを寒天で固め始めるのだ。
これはもう明治に入ってからみたい。
牛乳羹なんかはもっと最近だろうけど。
同時に、寒天を使った甘味も明治から広まり出すのだ。
浅草の舟和がみつ豆を売り出したのが明治30年(1897年)で、ここからあんみつ、みつ豆、豆寒などの甘味が広まっていくんだ。
こうして、寒天を使った菓子が夏の風物詩となっていったのだ。

いやあ、もともとは熱いスープだったはずなのに大きな変革だよ。
もはやもとの意味はまったく痕跡もないし、むしろ熱いから冷たいだから逆になっているからね!
ちなみに、すでに辞書によると「羹」で餅菓子を意味すると載っているのだ。
これは蒸し羊羹などを念頭に置いたものだけど、九州のかるかんは「軽羹」で蒸した餅菓子だから、確かにその意味は生きているのだ。
とは言え、あんまり餅菓子の意味で「羹」を使っている例は少ないけどね。
そのうち、辞書的な意味でも、「羹」=「寒天を使った冷たいお菓子」というところに行き着くはずなのだ。

2011/07/09

クールビズのおともに

最近クールビズを実践して、ノーネクタイの開襟シャツで働いているんだけど、正直断然涼しい、っていう感じにはならないよね(笑)
ボクはシャツが張り付いて気持ち悪くなるのでYシャツの下にTシャツを着るようにしているんだけど、汗がたっぷり出るとやはりびしょ濡れになって着心地は悪くなるのだ・・・。
Yシャツだけの場合よりはましなんだろうけど。
でも、最近は技術力でそこもかなり改善されるんだよね。

それが、速乾シャツ♪
汗をぐんぐん吸い取って、でも、すぐに蒸発させるので常にさらさらの着心地。
ボクも持っているけど、確かにこれはすごいのだ。
シャツがべとつかないので涼しさもアップだよね。
やっぱりクールビズはこっちもセットじゃないと。

で、この速乾シャツだけど、ものすごく細い化学繊維でできているのだ。
通常ポリエステルやナイロンといった化学繊維は水を吸わないので、汗をかくと着心地がめちゃくちゃ悪くなるよね。
シャツと体の間を汗が流れていく感じ・・・(ToT)
ところが、この速乾シャツの場合は、細い繊維で編み上げることで、毛細管現象を利用してぐんぐんと汗を吸い上げるのだ。
顕微鏡で見たらわかると思うんだけど、細い繊維がからまって細かな隙間がたくさんできているのだ。
そこに水(汗)がしみこんでいくというわけ。
さらに、繊維が十字型になっていたり、繊維に細かい溝がほられていたりと、毛細管現象による吸水力をアップする工夫がしてるんだって。

ところが、速乾シャツのすごいところは汗を吸うだけではないのだ!
吸った汗をどんどん蒸発させていくからこそさらっとしているんだよね。
その秘密はやはり化学繊維を使っているところにあるんだ。
化学繊維は綿なんかの天然繊維と違って繊維自体が水を吸わないのだ。
なので、吸った汗は繊維と繊維の間にたまるわけ。
で、この繊維は細かったり、十字型だったり、溝がほってあったりして表面積を稼いでいるので、より蒸発しやすくなっているんだ。
すると、すったそばから蒸発をしていくというわけ。
繊維の中に水が残らないから、すぐに乾くんだよ。

さらに、多くの速乾シャツは生地が多層構造になっていて、吸った汗はどんどん表面に近い層に移っていくのだ。
すると、肌に触れている面はそんなにぬれていないんだよね。
さらに、表面加工もしてあって、細かい凹凸があるので、多少ぬれていてもべっとりと肌につくことはなく、さらっとした肌触りになるのだ!
最近では、繊維に表面加工して抗菌にしたりもしていて、汗のにおいの原因となる微生物の繁殖を防いでいるんだ。
もともと汗のにおいは、汗に含まれる皮脂などが微生物に分解されて出てくるにおい物質が原因なんだけど、水分がどんどん飛んでいくだけでかなり雑菌の繁殖は抑えられるんだよね。
なので、においも抑制できるのだ。

で、すごいようだけど、これって実はステテコと同じ原理(笑)
ズボンの下にはくステテコは、綿を平織りにして横糸を強くねじっておくことで「ちりちり」に縮ませたもの。
これにより、生地表面に凹凸があるので、肌にべっとりとくっつかないし、表面積も稼いでいるので、吸水性に優れているのだ。
さらに、比較的水分を蒸発させやすいので、わりとさらっとしているんだよね。
化学繊維でなくても、ほぼ同じ原理で速乾性と涼感を実現しているのだ!

確かにこの時期はYシャツが張り付くのもいやだけど、ズボンがべっとりとくっつくのもいやなんだよね(>o<)
なので、今年の夏は、上半身は最新技術の速乾シャツ、下半身は明治からの伝統のステテコで涼しく過ごすのがよいかも。
それにしても、意外とむかしのものって科学的に妥当なんだよね。
それをわざわざ最新技術を駆使して再現するっていうのもおもしろいのだ。
さすがに上半身はちりちりのシャツを上に着るわけにはいかないので、やっぱり速乾シャツが必要だけどね。

2011/07/02

まもなく最終便です

今月、いよいよスペースシャトルの最後の打上げが行われるのだ!
1981年4月にコロンビア号が打ち上げられて以来、30年もの長きにわたって運用され続けてきたんだよね。
30年前と言えばインターネットも携帯電話もない時代・・・。
最先端技術が駆使される宇宙開発の分野でそのころからの宇宙機が継続して運用されているというのはある意味すごいよね。
でも、さすがに米国も限界を感じていて、今回でいよいよラスト・フライトとなったのだ。

もともとはブッシュ(息子)政権が2004年1月に打ち出した宇宙探査構想(Vision for Space Exploration)の中に示された方針で、2010会計年度まで(2010年9月中)にスペースシャトルを退役させ、まずは有人月探査を再開した上で将来的な有人火星探査を行うための新しい有人ロケット・宇宙船を開発する、という方向性が打ち出されたのだ。
これを受けて始まったのがコンステレーション計画で、有人ロケットのアレスI、貨物運搬用ロケットのアレスV、カプセル型有人宇宙船のオリオン、月着陸船アルタイルなどが含まれていたんだ。
ところが、次のオバマ政権になって2010年に新しい宇宙政策が出されると、この方向性は中止されて、コンステレーション計画もキャンセルになったのだ。
ただし、この件では予算を作る連邦議会ともめていて、決着がついていないんだ・・・。
とりあえず次世代型の大型ロケットと多目的カプセル型宇宙船を開発する方向では合意しているみたいなんだけど。

で、もともとは去年の夏には退役しているはずのスペースシャトルだったんだけど、諸般の事情で退役できなかったのだ。
その大きな理由は「代替の手段がない」こと。
人の運搬についてはロシアのソユーズに頼らざるを得ないんだけど、物資の運搬は独自に民間の輸送サービスを調達することでまかなおうとしていたんだよね。
それが商業軌道輸送サービス(COTS:Commercial Orbital Transportation Services)というやつで、米国航空宇宙局(NASA)が民間企業を資金援助しながら、宇宙輸送系を開発してもらい、それを使って国際宇宙ステーション(ISS)へ物資の輸送をしようという計画だよ。
これにはOrbital Sciences社やSpace X社が参加しているんだ(それぞれ、トーラスIIロケット&キグナス輸送機、ファルコン9ロケット&ドラゴンカプセル輸送機)。
開発は進んでいるけど、スペースシャトルが退役するまでには間に合わない、というのが最大のネックなんだよね。

その間はロシアのプログレス、日本の宇宙ステーション補給機(HTV)、欧州の欧州補給機(ATV)などで補う予定だったんだけど、スペースシャトルに比べると輸送量がはるかに違うのだ!
さらに、スペースシャトル関連には大きな雇用問題がからんでいて、一気にリストラするわけにもいかず、できるだけ運用を延長したいという地元の意向(特にフロリダ、テキサス、アラバマなど)もあったんだよね。
さらに、スペースシャトルの不具合問題もあって、打上げが延期され、さらに、緊急用として確保していたアトランティスの打上げも正規に行うこととして、今回の135回目の打上げが最終となったのだ。
ちなみに、今回打ち上げられるアトランティスは初期に作られたオービターなので、30年以上前のもの。
といっても、打ち上げるたびに改修しているし、改造もしているので、まるで同じものではないんだけど。

ポスト・アポロ計画の中で出てきた「往還型宇宙機」の構想では、全部を再使用する予定だったんだけど、予算的な制約などもあって、現在の一部再使用型のスペースシャトルになったのだ。
実は、一部再使用と言いつつ、使い切りのロケット以上の運用経費がかかるもので、あんまり効率的じゃないんだよね・・・。
完全再使用ならまた別なんだろうけど。
さらに、チャレンジャーとコロンビアの二度の大事故を経て、チェックや改修の基準がきびしくなったので、ますます運用コストは上がったのだ。
もともとオービターと呼ばれる飛行機型の機体(宇宙空間に出るスペースシャトルの本体)と固体補助ブースター(打上げの時にオレンジの外部燃料タンクの両脇につける2本の固体ロケット)が再使用の対象。
一番大きな外部燃料タンクは使い切りだよ。

オービターはもどってきた時点でほぼオーバーホールの大改修。
コロンビアの事故では、宇宙空間で機体表面の耐熱タイルに傷がつき、それがもとで大気圏突入児に大爆発をしたので、入念なチェックが行われるのだ。
それ以降は、宇宙空間に出た後、ロボットアームの先につけた鏡で傷がついていないかどうかを確認しているんだよ。
固体補助ブースターは会場に落ちたものを改修するんだ。
固体ロケットは花火みたいなものなので、筒の中に火薬がつまっているだけなんだよね。
その筒を拾いに行くわけだけど、実際には、傷がついていたり、さびが出たりするとそれがもとで変な飛び方をしたり、場合によっては爆発するおそれがあるので、慎重にチェックして再使用するのだ。
ま、あんまり再使用感はないよね。

最初の構想では、人工衛星の打上げなんかもすべてスペースシャトルで行う予定で、必ず宇宙飛行士がついて行くので、場合によってはちょっと故障した人工衛星の修理なんかもできるんじゃ、と機体があったんだけど、現実はそんなに甘くなかったのだ。
それが端的に表れたのはチャレンジャーの事故。
ロケットの打上げというのが本来危険な作業で、必ずしも人がいなくてもいいような場合でも、人が乗り込んで宇宙に行かなければならないスペースシャトルでの人工衛星の打上げはキャンセルされることになったのだ。
そうなると、スペースシャトルは必然的に有人ミッションのためだけに使われることになり、ISSの建設が始まるまでは各種の宇宙実験を行うくらいのものだったんだよね。
そして、スペースシャトルを人工衛星の打上げに使えなくなったので、代わりに米国空軍が使い切りの人工衛星打上げ用のロケットを開発したのだ。
それがデルタIVとアトラスVだよ。

というわけで、当初想定していたほど効率もよくないし(これはそもそも打ち上げる回数が予定よりもはるかに少ないというのも大きいんだけど)、二度の大事故もあったこともあり、次世代の有人輸送系が求められることになったのだ。
2003年のコロンビアの事故の事故調査委員会の報告書ではすでに次の有人輸送系を開発する計画を明らかにするべき、という勧告が出ているんだけど、新しいものを開発するにも時間も労力もお金もかかるので、ブッシュ(息子)大統領が宇宙探査構想を打ち出すまではそれは棚上げにされていたんだ。
それでようやく次世代型の有人輸送系の開発がスタートしたと思ったら、政権交代もあってまだもめているのだ・・・。
政権交代で混乱しているのは日本だけじゃないんだね(笑)

ちなみに、開発時に大気中での滑空試験などに使っていたエンタープライズはワシントンDCの空の玄関、ダレス国際空港横の国立航空宇宙博物館ウドバー・ハジー・センターに展示されているんだけど、退役した各オービターもいろんな場所で保管・展示される予定なんだって。
なので、実際に宇宙から帰ってきたスペースシャトルをもうすぐ見られるようになるのだ。
二度の大事故を引き起こしたスペースシャトルだけど、世界的に有人宇宙船はこう、というイメージを植え付けたスペースシャトルが退役するというのは感慨もひとしおなのだ。
宇宙に興味ない人でも知っているものだからね。
最後のフライトを無事に終えることができるよう、陰ながら応援したいのだ。

2011/06/25

いつかは白いごはんを・・・

最近は外食するとごはんは白米だけじゃなくて、玄米や十穀米も選べたりするよね。
ついつい健康に良さそうだという理由でそっちを選んでしまうよね。
でも、むかしは「貧乏人は麦を食え」なんて話があったように、むかしは白米を食べることがひとつのステータスだったのだ。
江戸時代も貧しい農民は稲作をしていながら自分ではお米は食べられなくて、粟や稗などを食べていたんだよね。
そういう点で言うと、ぜいたくになったものなのだ。

玄米は精米する前のお米だけど、白米に精米すると量が減るし、それだけ手間もかかるので高級品だったのだ。
でも、お米を食べられるのはまだいい方で、お米が食べられないと、いわゆる雑穀と言われるものを雑炊とかにして食べていたんだよね。
明治以降は大麦(押麦)をお米と一緒に炊いた麦飯は代表的だけど、それより以前は粟や稗を雑炊にしたり、餅・団子にしたりするのがメジャーだったのだ。
今では家畜や小鳥のえさになっている粟や稗だけど、かつては重要な主食だったんだよね!

いわゆる雑穀の定義は微妙で、狭い意味では、イネ以外のイネ科キビ亜科の穀物を指すのだ。
すなわち、アワ、ヒエ、キビなんかがそう。
広い意味では、穀物だけでなく豆類なんかも含まれ、主食として食べられるもの全般を指すよ。
その場合は、イネ科のオートミールにするエンバク、麦茶でおなじみのハトムギ、マメ科ではダイズやアズキ、イネ科ではない穀物的な植物(擬穀類)のソバ、アマランサスなどなどが入るんだ。
これに油を取るゴマ、ナタネ、ヒマワリ(種子)なんかも含むこともあるみたい。
いわゆる十穀米は広い意味の雑穀なので、豆なんかも入っているんだ。

日本雑穀協会というい団体によると、穀物は主穀、雑穀、菽穀、擬穀の4種類に分けられるんだって。
主穀はイネ科植物のうち主食食物として食べられているイネ、コムギ、トウモロコシ、雑穀はイネ科のうち小さい穎果(籾殻に包まれた乾燥した実)をつけるアワ、ヒエ、キビなどの総称。
菽穀は豆類のことで、擬穀は上に出てきたように、ソバなどのイネ科でないのに穀物的な実をつける植物のこと(イネ科が単子葉植物であるのに対して、ソバなどは双子葉植物でだいぶ系統が異なるのだ!)。
でも、同協会ではより広く、主食以外に利用している穀物全般を対象にしているみたいだよ。

日本の食物起源神話に出てくる五穀は、稲、粟、麦、豆(大豆・小豆)、稗(又は黍)で、それが代表的な主食になる植物だったんだろうね。
五穀豊穣というのはこれらの植物の方策を願っているのだ。
でも、五穀には正確な定義がなくて、代表的な穀物くらいの意味で、さらに十穀になるともっと広い範囲、というくらいの認識みたい。
5とか10という数字にはほとんど意味がないようなのだ(>o<)
ま、そういうのはままあることだよね(笑)

ここにも表れているように、古代社会では雑穀も重要な位置を占めていたのだ。
そもそも乾燥地帯だとイネよりもムギの方が育てやすいし、より貧困な土地だとアワやヒエでないと育てられないなどの理由もあったんだよね。
だいだんと新田開発の技術も進み、農業技術も向上したので、水田稲作へとシフトしていったけど、春に収穫できるムギや荒れた土地でも栽培できる雑穀は引き続き受け継がれてきたのだ。
それが明治以降だんだんと廃れてきたわけだけど、いままた注目を浴びているのだ。

その理由は栄養価の高さ。
玄米であればまだビタミンBが補えるけど、白米だとビタミン類はほとんど失われているんだよね。
そのせいで、白米を大量に食べ始めた江戸時代は脚気が流行することになるのだ。
雑穀類は亜鉛、リン、カリウム、水溶性ビタミン類、ポリフェノールなどの栄養価が豊富で食物繊維が多い分、デンプンが少なめなのでカロリーは控えめ。
まさに飽食の現代にあった食物になっているみたい。
それで白米至上主義から徐々にゆりもどしが来ているのだ。

さらに、現代的な理由はそれだけじゃなく、アレルギーの問題というのもあるのだ。
お米はあんまりきかないけど、小麦のアレルギーって言うのはけっこうあるんだよね・・・。
そうなると麺類もパンも食べられなくてかわいそうだけど、そういう人たちのために雑穀を小麦の代わりに使うこともあるみたい。
ただし、雑穀はグルテンを含まないので、そのままでは麺やパンにはできないのが難点なのだ(ToT)
そこはずいぶん技術的に改善できているようだけどね。

というわけで、雑穀が見直されているわけ。
全世界的な食糧事情で考えると、稲や麦の栽培に向いていない土地が多いので、収量が少ないという欠点はありながらも、雑穀をもっと主食に振り向けていくことが重要なんだよね。
そのときも、米や麦に劣る位置づけというのではなくて、それはそれとして重要な主食と認識することが重要なのだ。
実はたいした手間をかけなくても育つという利点もあるので、今後は主要食糧としてますます評価がなされるかも。
これからがさらに注目が集まりそうなのだ。

2011/06/18

やんのか、やらへんのか、どっちやねん?

退陣表明をしたと思われた総理はまだしばらく居座るつもりみたいだね。
それもあって、今やっている通常国会の会期を延長するとかしないとかでもめている、というニュースが盛んに流れているのだ。
でもでも、一般国民からすると「会期の延長ってそもそも何?」っていうのが正直なところだよね(笑)
そこで、ちょろっと調べてみたのだ。

国会の会期については衆議院のHPの説明がわかりやすいよ。
って、それだけじゃ終わっちゃうので、少し解説すると、常に開催することが決まっているのが「常会」とも言われる「通常国会」。
国会法第2条では、「常会は、毎年一月中に召集するのを常例とする」とあるので、通常は1月中に招集されるのだ。
通常国会の会期は150日間と決められていて(途中で衆議院が任期満了となる場合はその日まで)、1回だけ延長できるんだ。
現在も通常国会の最中で、それがほうっておくと6月22日で会期末となるので、延長するしないという話題になっているわけ。

通例秋に招集されているのが「臨時会」こと「臨時国会」。
これは内閣が求めた場合、いずれかの議院に所属する総議員の1/4以上の要求があった場合、任期満了後の衆議院総選挙後又は参議院通常選挙後の場合に招集されるのだ。
「特別会」こと「特別国会」は解散後の衆議院総選挙の後に開かれるよ。
二つともその会期(開いている期間)は両議員の一致の議決で定めることになっていて(国会法第11条)、衆参で異なる議決となった場合は衆院の議決が優先するんだ(国会法第13条)。
で、この臨時会と特別会は2回まで延長ができるんだ。
特別会は解散総選挙後のみだけど、臨時会は普通は9月~12月にかけて開いているのだ。
常会を延長したり、臨時会を早めに開いたりしてほぼ1年中国会を開いている状態を「通年国会」と呼んでいるよ。
「震災対応は通年国会で対応」なんてことを言っている人もいるよね。

会期の延長を定めているのは国会法第12条で、その第1項では、両議員の一致の議決をもって延長することができると規定しているんだけど、さっきと同じで、第13条により、衆参で異なる議決となった場合は衆院の議決で決まるのだ。
なので、「ねじれ国会」でも衆院の議決だけで延長自体は可能なわけ。
ところが、そうやって無理に延長をすると野党が審議拒否をするおそれがあって、そうなると延長した意味がなくなるので、普通は与野党で合意してから延長するのだ。
その調整でもめているのが今の状況。
ただし、日本国憲法で定められた衆議院議決の優越を使って時間稼ぎをしたいときは無理やり延長することもあるんだよね(予算は衆院が参院に送ってから30日以内に議決しない場合は衆院の議決で決まるし、法案も衆院から参院に送られてから60日以内に議決しないと否決したものと見なされて、衆院の2/3以上の賛成で再可決で成立させることが可能なのだ。)。

これで延長問題が本質が何となく見えてきたけど、今回与党が会期延長をしたいのはいくつかの法案を成立させるためなので、やっぱり野党の協力がないときついんだよね。
一方、震災対応があるのに審議拒否をするとなると野党が責められるおそれもあって、野党も慎重なのだ。
そこにつけこんでけっこう与党が強引に延長を持ちかけているのもあるんだろうけどね。
で、例えば報道されているように90日延長すると9月下旬までになって、総理が言っている震災対応の三次補正までなんとかなりそう、ということになるのだ・・・。
とりあえず、今変性指示が出ている二次補正(1.5次補正?)を通すためには、多少は延長しないといけないのは確かなのだ。
どうなるかわからないけどね。

ちなみに、退陣を表明していて執行をしないであろう内閣が次の補正予算を編成して国会に提出するのはおかしい、というのは正論だけど、延長をいやがっているのは他にも大きな理由があるのだ。
それは「内閣不信任案」の提出問題。
これは国会法等で定められているものではなく、言わば「不文律」のルールなんだけど、「一事不再議」の原則というのがあるのだ。
同一会期中に同じ議案を再び審議しない、というもの。
すなわち、一度不信任案を出してしまって否決されているので、このルールを守る限りは、次の臨時会以降でないと再び不信任案が出せない、となるのだ。
法的拘束力のない参議院の問責決議なら出せるし、可決もできるけど、無視を決め込む可能性があるんだよね・・・。
通常はそれに対して審議拒否をすることで対抗するんだけど、やっぱり震災対応で大事な時期に、と批判されるので、この手も使いづらいのだ。
なので、会期延長に慎重にならざるを得ないわけ。

というわけで、今回は今般の政局を解説してみたのだ。
なんだか池上なんちゃらさんになったみたいだね(笑)
でも、法律のこととか、国会のルールなどの背景情報を知ってからニュースに接すると、よくわかっておもしろいよ♪

2011/06/11

アライグマの気持ちで

ネットで見かけてちょっとおどろいたんだけど、今般の福島の原発事故に関連して、「放射性セシウム減らす調理法は?」なんてのがあったのだ!
女性誌なんかでも食べ物の放射線をどうするか、みたいな特集が組まれているのだ。
確かに、食事を作ることが多い女性の関心事項なのかも。
でも、女性誌の中にくは、あれも汚染されている、これも汚染されている、と不安をあおるようなものもあるので注意しないといけないんだよね(>o<)
その点、ネットで見つけた「放射性セシウムを減らす調理法」はきわめめてまともなのだ。

放射性セシウム(137Cs)は、ナトリウムやカリウムと同じアルカリ金属というカテゴリーに入る元素で、性質的にもカリウムによく似ているんだよね。
なので、水に溶けやすく、カリウムと同様に体に取り込まれると血液を会して体中に広がるのだ。
ただし、尿中にすぐ排出されるものでもあるので、長く体の中にとどまって悪さをするようなものでもないんだよね。
とは言え、心配なのは確かなのだ。

そこで何をするかというと、まずは食材をよく洗うこと。
それで表面についた放射性セシウムは洗い落とすことができるのだ。
野菜や果物が中にセシウムを取り込んでしまっている場合は、塩をしたり、酢に漬けたりして水分を抜くことで、一緒にセシウムを出すこともできるよ。
といっても、100%取り除けるわけではないので、減らすだけだけどね。
さらに、もっと減らそうと思ったら、塩水に長時間つけるなどして置換する方法もあるのだ。
ナトリウムよりカリウムの方が性質が似ているので、天然塩の方が効果はあるかな?
ま、そこまでして抜く必要があるとも思えないんだけど・・・。

この薄めるという方法は、放射性物質の取り込みを減らすための手法として一般的なんだよね。
今回の事故でわりと有名になった「安定ヨウ素剤」がまさにそう。
ヨウ素は甲状腺ホルモンの材料なので、のどの甲状腺に貯まる性質があるのだ。
なので、放射性ヨウ素(131」I)も甲状腺に集まり、そこで悪さをするので甲状腺がんのリスクが高まるんだよね。
チェルノブイリ原発事故の後、ウクライナでは子どもの甲状腺がんが増えたんだけど、その原因といわれているのがこの放射性ヨウ素。
子どもの方が甲状腺に多くのヨウ素を集めるのでリスクが高いのだ。
ただし、そこまでひどくなったのは、放射性ヨウ素に汚染された牛乳を規制せずにそのまま飲み続けたためで、そのリスクはかなりコントロールできるので、必ずしも福島で同じことが起きるわけではないんだよ。

このリスクを減らすための措置が「安定ヨウ素剤」の摂取で、安定ヨウ素剤というのは放射性でない天然のヨウ素でできた、ヨウ化カリウムのことなのだ。
外から放射性でないヨウ素を過剰に摂取することで、放射性のヨウ素を薄めようというわけ。
ヨウ素は取れば取るだけ貯まっていくわけではなくて、ためられる量に限界があって余剰な分は次々に排出されるので、放射性ヨウ素を追い出せるのだ。
ただし、ヨウ化カリウムは甲状腺の機能異常などの副作用があるので、きちんと専門家や医師の指示の下に服用しなきゃいけないよ。
予防的に、ということで飲めばよいというものではないのだ。
どうしても心配なら、ヨウ素を多く含む海藻をたくさん食べたりしてもよいけど。

ほとんど検出されていないけど、心配されているのにストロンチウム(放射性なのは90Sr)という元素もあるのだ。
これはマグネシウムやカルシウムと同じアルカリ土類に分類される元素で、カルシウムによく似た性質を持っているんだ。
そのため、摂取してしまうと骨に取り込まれた長い間体に影響を与えるおそれがあるのだ(>o<)
そのために危険視されているわけ。
これも心配な場合は、外からたくさんカルシウムを入れるしかないよね。
骨代謝は筋肉をよく動かすと活性化されるので、カルシウムを多く摂取して、体を動かすのがよいのかな?

ちなみに、食品が放射性物質に汚染されていてがんになる、なんて不安になるような報道がなされているけど、厚労省や農水省で暫定的な安全基準を定めているので、基本的には流通しているものであればそんなに危険はないのだ。
基準値を超えていても出荷していた、なんてケースがあるから完全に信用できるわけでもないんだけど(ToT)
とは言え、自然界にも放射線を出す放射性同位体はあって、それは食品中に微量ながら含まれているのだ。
放射性炭素(14Cなんかはもともと食べているんだ。
とは言え、今回問題視されているような放射性のセシウムやヨウ素、ストロンチウムは基本的には核分裂反応から出てくるもので、自然界には存在しないので、今回の事故がなければまず口にしないものであるのは確か。
そういう意味では気をつけるに越したことはないけど、それを必要以上に気にして、何を食べたらいいかわからない、なんてパニックを起こすのはよくないのだ。
とりあえず今のところはいつもよりよく食品を洗う程度でかなり効果はあるはずなので、それくらいでよいはずなんだよね。

2011/06/04

リキッド・メタル

最近歯医者に通っているんだけど、それは小学生くらいの時に治療した歯のつめものがとれたから・・・。
それはいわゆる「銀歯」。
むかしはキャラメルみたいな粘性の強いものを食べているとときどきとれたりしたよね(>o<)
ボクの場合は知らないうちにとれていたようなのだ。

この「銀歯」の正体は、銀錫アマルガムと呼ばれる合金。
銀と錫の合金に亜鉛や銅を添加した粉末を水銀で練ったものなんだよ。
それ自体は粘着性はないんだけど、しばらくすると膨張しながら固まるので、やわらかいうちに歯の隙間につめ、時間がたつとそこにしっかりはまって固まるのだ。
なので、むかしは歯につめものをした後はしばらくものを食べられなかったのだ。
簡単かつ手軽に患部をふさぐことができ、しかも安価なのでむかしはよく使われたんだけど、最近ではほとんど見られないんだ。
見た目的に目立って美しくないのと、つめものに含まれる水銀や銅などの金属が溶け出すおそれがあるからなのだ。
口中に溶け出したこれらの金属イオンが金属アレルギーの原因になることもあるので、このごろはチタンやセラミックスを使うんだよね。
セラミックスだと見た目も歯と同じようにきれいに仕上がるのだ!
保険がきかないから高価だけど。

水銀と言えば、むかしは体温計でも水銀を使っていたのだ。
水銀は熱に対する膨張率が一定で、体積が温度にほぼ線形に比例して増加するので、その性質を使って水銀の体積膨張を目盛りで刻んで温度計にしたわけ。
かつては気圧計も水銀を使っていて、mmHgなんていう単位もあるよね(1気圧は、760mmHgで、これは1013mb=1013hPaなのだ。)。
これは1気圧というのは、76cm分水銀を持ち上げるだけの力がある、という意味なんだよね。
今はあんまり使われないけど。

現代ではその強い毒性から使われることが少なくなった水銀だけど、近代までは工業技術的に非常に重要な金属だったのだ。
それは、金や銀などの金属を溶かし込んでアマルガムと呼ばれる合金を作る性質から来るんだ。
まるで水が塩を溶かすように、水銀の中には金属を溶かし込むことができるんだよね。
この液体の合金を作る性質を利用していたのが、メッキや鏡を作る技術。
これは古代から使われていた技術なのだ!

水銀は自然界では、辰砂(又は丹砂)と呼ばれる赤褐色の鉱石か、自然水銀と呼ばれる液体金属の形で算出されるのだ。
ほとんどは辰砂でそのまわりに自然水銀はあるみたい。
この辰砂は硫化水銀で、半透明から透明な赤い鉱石なんだけど、その色から、血が固まったもののように見えるんだよね。
そこから、古代中国では不老長生の霊薬として用いられていて、中国では王族が飲んでいたこともあるんだよ。
中国では不老不死の妙薬を作る技術を練丹術と呼び、その薬を金丹などとして服用していたんだけど、かえって水銀中毒で毒性があったんだよね(>o<)
水俣病で問題になった有機水銀ほど水溶性が高くないので毒性は相対的に低いとは言うけど、あまりよくないのだ。
また、その色が鮮やかなので粉にして顔料に使われていたけど、毒性があるので今はあまり使わないのだ。

この辰砂を数百度まで加熱すると水銀蒸気と亜硫酸ガスが出てくるのだ。
この水銀蒸気を集めて冷やしてあげると液体金属の水銀が得られるわけ。
ただし、この水銀蒸気は有毒なので、この作業は非常に危険なんだよ。
むかしはそれを人力でやっていたんだよね・・・。
で、こうして得られた水銀に金や銀を溶かし込んで、それをメッキに使っていたんだ。
仏像なんかの場合、銅で鋳造した仏像の表面を梅酢を使ってよく磨き上げ(梅酢に含まれるクエン酸で汚れを落とすのだ!)、そこに金や銀を溶かし込んだ水銀を温んだよね。
これを火にかざすと、その熱で水銀が蒸発し、銅の表面に金や銀が残るのだ。
このままだとまだ表面がでこぼこしていて光沢がないので、さらにへらで表面を平均化し、磨き上げ、ぴかぴかにするんだ。
まさに奈良の大仏がこの方法で金メッキされていたと考えられているんだけど、大量の水銀蒸気が閉鎖空間で発生するため、多くの作業者が水銀中毒になったと考えられているんだ(>_<)

鏡の作成にも当初から水銀は重要な役割を果たしているのだ。
原初の金属鏡は、銅や青銅の表面を磨いただけのもの。
それだとどうしても鈍いので、そこに錫メッキがなされるようになるのだ。
このとき、錫を水銀に溶かして塗ったわけ。
その後、カタバミやザクロの果汁で磨き上げるんだけど、カタバミやザクロにはシュウ酸が含まれていて、その還元力で「くもり」の原因である微細な金属の錆をとっていたのだ。

現代の鏡はガラスやプラスチックなどの裏面に金属を付着させたものだけど、最初はガラスに錫箔を貼り、そこに水銀を注いでアマルガムを作らせて付着させる方法をとっていたんだって。
ただし、これには非常に時間がかかる作業なのだ。
すなわち、超高級品というわけ。
19世紀になると、硝酸銀を使った銀鏡反応で直接ガラス表面に銀を付着させることができるようになったので、ガラス製の鏡がぐっと身近な存在になるのだ。
工業的に大量生産できるようになったんだよね。
今ではガラスだけじゃなく、プラスチックやアクリルなどの透明な板にアルミなどの金属を蒸着させて作っているのだ。
可視光の反射率という点では銀がよいみたいだけど、アクリル+アルミだと安価に軽く作れるんだよね。

というわけで、ついこの間まではだいぶ身近だった水銀も、今ではあまり見かけなくなってきているのだ。
それでも、人類の歴史の上では非常に重要な役割を演じてきた金属なんだよね。
常温で液体という特異な性質が有効利用されてきたのだ。
電池も水銀フリーになってきてますます見かけなくなったけど、今後も活躍の場は出てくるかな?

2011/05/28

大きすぎて目が点

かつて期間限定メニューとして公表を博したメガマックが復活するんだって。
ビーフパティが4枚で、一つ食べただけで800kcal近くも摂取してしまうおそろしいハンバーガーだよ。
ま、話題になると一度は食べてみたくなるんだけど(笑)
そんなメガマック、ビッグマックがベースで、「ビッグ」よりさらに大きいからと「メガ」にしたんだよね。
ところで、メガってなんじゃらほい?、ということで、少し調べたんだ。

メガ(mega)はギリシア語で「大きい(great)」の意味を持つ「μέγας(megas)」という言葉に由来しているのだ。
拡声器のメガホンとか、ストーンヘンジなどの巨石群を指すメガリスなんて単語にはまさにそういう意味合いで使われているのだ。
最近では、原発事故関係でメガフロートなんてのも有名になったよね。
あれも海上に浮かぶ巨大な人工物なのでそう呼ばれるんだ。

一方、一般によく聞くのは、メガバイトとか、メガトン(TNT火薬の爆発力の何倍かを示す単位)とかの、単位につける接頭辞の使用法だよね。
こちらの「メガ」は百万倍を意味していて、1と0を区別する1バイトの百万倍(実際には220で1,048,576倍)がメガバイト(MB)だよ。
かつてのフロッピーディスク(通常の2DDの場合)はだいたい1MBだけど、CDだと640MB、DVDになると片面一層でも4,700MBで、通常はそのさらに上の「ギガ=十億倍」を使って4.7ギガバイト(GB)と言うのだ。
コンピュータの世界は容量が飛躍的に大きくなってきているから、まさにこういう接頭辞があると桁数が少なくてすむんだよね。

この単位の接頭辞には決まりがあって、増える方では、十倍がデカ(ほんとど使われないけど・・・。)、百倍がヘクト(畑の広さなどで使うヘクタールという単位はよく出てくるよね。)、千倍がおなじみのキロ。
その上は3桁ずつ上がっていって、百万倍がメガ、十億倍がギガ、一兆倍がテラ、千兆倍がペタ、百京倍(19桁!)がエクサ、十垓(がい)倍(22桁!!)がゼタ、一秭(じょ)倍(25桁!?)がヨタというんだよ。
スパコンの計算速度でペタフロップスというのがあるので、新聞なんかでもペタくらいまでは出てくるけど、その先はまずみないし、そもそも漢字の数の単位が読めないよね・・・。

これは逆に減る方もあって、十分の一がデシ(デシリットルという単位は小学校で出てくるよね。)、百分の一がセンチ(センチメートルくらいしか使わないのだ。)、千分の一がやっぱりおなじみのミリ。
その下は3桁ずつで、百万分の一がマイクロ(最近は放射線量率でよく聞く?)、十億分の一がナノ(ナノテクノロジーのナノだよ。)、一兆分の一がピコ、千兆分の一がフェムト、百京分の一がアト、十垓分の一がゼプト、一秭分の一がヨクトなんだって。
半導体なんかの微細加工にフェムト秒レーザーというごくごく短時間だけレーザー光を照射する技術があるんだけど、そういうのでぎりぎり「フェムト」が専門紙で見かける程度かな?

大きいことを表すメガと同じように、小さいことをマイクロということがあるよね。
ミニスカートよりさらに短いマイクロミニとか、かつては超小型機械をマイクロマシンなんて呼んでいたのだ。
ところが、さらに微細化高技術は高度化されていったので、半導体の分野なんかで分子や原子のレベルで制御する技術が出てきて、それがマイクロの下のナノを使ってナノテクノロジーと呼ばれるようになったのだ。
そこから、ものすごく小さいモノをナノと呼ぶようになって、ナノ加工とかナノ洗浄とか聞くようになったよね。
iPod nanoなんてのもあるのだ。

ということは、ちょうだいえっとメニューの小さいハンバーガーはナノマック?
かつては米国ではカロリーを抑えたハンバーガーが発売されていたみたいだけど、日本でも、ハンバーガーは食べたいけどカロリーは抑えたい、というニーズに対応して出たりして。
商標登録するならいまのうちだよ(笑)

2011/05/21

にがずっぱい!

気温もぐんぐん上がってきて、なんとなく梅雨も近づいて、いよいよ夏が近づいてきたのだ♪
今年は冷房がなくてきつそうだけど、やっぱりボクは夏が好きなんだよね。
そんな夏好きがそわそわする季節に出てくる果物が夏みかん。
最近はほとんど食卓でみかけなくなったけど、初夏の風物詩なのだ。

この夏みかん、江戸の中期に萩藩青海島(現在の山口県長門市)の砂浜に流れ着いた柑橘類のタネを植えて育ててみたのが始まり、という不思議な出自。
今でもその原木は残っているそうなんだけど、これは史跡かつ天然記念物に指定されているのだ(ちなみに原木部分は根本のみで、上は接ぎ木されたものだって。)。
皮が厚くて実が大きなブンタンが何か別の柑橘類と自然交配してできたものだろうと言われているんだ。
確かに、皮の厚みや実の水分の少なさはブンタンゆずりだけど、あの独特の甘さはないよね・・・。
むしろ、酸っぱくて、ちょっと苦みがあって、という印象で、味的には大きく異なるのだ。

そんな味なので、江戸中期に栽培され始めたころは生食用ではなく、大きな実を子どもがおもちゃにしたり、酸っぱい果汁を食酢のかわりにしたりしたのだ。
食酢の代わりというのはスダチやカボスに似た使い方だね。
でも、明治になると生食されるようになったのだ。
そのきっかけは、秋から冬にかけて色づいて来た実を収穫せず、初夏まで放っておいてから食べてみたこと!
すると、酸味が減って、その分甘みが感じられ、爽快な甘酸っぱさになったというのだ。
ここで「初夏」と言っているのは5~6月なんだけど、今の感覚だとちょっと「初夏」には早い気がするよね。
でも、東洋的な季節のとらえ方だと、気温がぐんぐん上がり始める時期である「立夏」を過ぎたら「夏」だったので、ちょうど新暦の5月くらいが「初夏」だったのだ。

夏みかんはナツダイダイとも呼ばれるんだけど、これはダイダイと同様に実が色づいてからも長く木になり続けるからみたい。
ダイダイはそれこそ2~3年もなり続けるので、それが「代々」にかけられ「だいだい」と呼ばれるようになったのだ。
それで縁起がいいからと正月飾りなんかにつかうんだよね。
夏みかんも同様で、冬に熟してからも放っておけば木になったまま。
あるとき、誰かが気がついて初夏に食べてみたら、酸味成分であるクエン酸や酒石酸が減り、もともとある糖分の甘さが目立つようになったのだ。
(6月を過ぎるとまた実の色が薄くなり、やがて緑色にもどる「回青」という現象が起きるので、それまでに収穫するようだよ。)
糖度は12くらいで、温州ミカンとほぼ変わらないそうなので、実は結構甘い果物なのだ。。
糖度の比較はこの表がわかりやすいよ。

現代では露地もの、ハウスもの、輸入ものとそれこそ1年中いろんな果物が食べられるけど、明治の初期は果物の旬は通常の収穫時期のみ。
初夏に食べられる夏みかんは貴重な存在だったのだ。
それで萩藩では、明治維新で職を失った下級士族に夏みかんの栽培を奨励し、一気に栽培量が増えていったみたい。
さらに、昭和10年(1935年)になると、大分県の果樹園で川野さんがより甘みのある変わり種を発見したのだ。
それが「甘夏」で、発見者からカワノナツダイダイと呼ばれるんだよね。
戦後は夏みかんから甘夏に徐々に置き換わっていったみたい。
糖度が上がったというより、酸味が早めに抜けるようなのだ。

実は、日本人は無類の夏みかん好きで、その独特の苦みがある甘さと酸っぱさを楽しんでいたのだ。
グレープフルーツの自由化が始まると夏みかんの生産量は減っていくんだけど、昭和61年(1986年)に伊予柑にぬかれるまでは、柑橘類ではダントツの温州ミカンに次ぐ消費だったみたい。
今でも夏みかん味のガムやアメは人気があるよね。
さすがにグレープフルーツや伊予柑、スイーティーなんかが出てきているので、生食する機会はほとんどないけど、それでも、夏みかんの皮の砂糖漬とか夏みかんのマーマレードなんかはけっこうよく見かけるよ。
和菓子では、夏みかんをくりぬいて果汁を寒天で固めた夏柑糖なんてのもあるよね。
これがまたさっぱりとした味わいでおいしいのだ(^o^)/

ちなみに、夏みかんの木は意外と街中でも見かけるよね。
ボクも小学生くらいのころよく気になっていたのだ。
見ているとおいしそうで、もらったこともあったんだけど、食べられたものじゃないんだよね(>o<)
記憶が定かでないけど、きっと時期がダメだったんだろうな。
5月くらいにもらえば、生食もできるはず。
今度もらうなら今の時期だね!

2011/05/14

目に青葉・・・

季節も春本番で、まもなく梅雨のうっとうしい天気が来そうなこの頃。
ちょうどカツオの水揚げも増え、食卓に初鰹が並ぶ時期でもあるのだ。
江戸時代には特に珍重されて、初鰹は女房・子どもを質に入れてでも、と言われたものだけど、今では庶民の食卓にも普通に出てくるものになったよね。
ま、むかしも「初物」にこだわらなければ庶民の口に入るものだったようだけど(笑)
そんなカツオを少し調べてみたのだ。

カツオは、春先に南から黒潮に乗って三陸沖まで北上し、秋には逆向きに南下していく季節性回遊魚。
春先の北上してくるのが初鰹で、秋に南下してくるのが戻り鰹。
2回の旬がある魚だよ。
秋の戻り鰹は産卵を控えているので脂がのっていて、トロ以上に珍重する向きもあるんだけど、逆に脂が少ない春先の初鰹はその分だけうまみ成分のイノシン酸の味が強く感じられるさっぱり系の味で、明治より前の日本ではその方が好まれていたのだ。
もともと白身の魚の方が高級で、サバやサンマなどの脂ののった魚は庶民のものだったし、マグロのトロに至っては捨てられていたらしいからね。

そんなカツオは古代から日本では親しまれていた魚で、神饌といって神様のお供え物にされるくらいだったとか。
でも、カツオはサバと同じように傷みやすいので、干して保存が利くようにしてから流通させていたようなのだ。
冷蔵して運べるようになって夏まで初鰹が食べられるようになった現代とは大違い!
ちなみに、その干したカツオが現在の鰹節の原型だとか。
江戸時代に製法が確立された今の鰹節は、ゆでた後に燻製し、天日干しを行うのだ。
ゆでて小骨を抜いたのがなまり節で、これはこれで好きな人がいるよね。
燻製をして水分を抜くんだけど、これを燻乾と呼んでいて、これが終わると荒節と呼ばれる状態になるよ。
これを薄く削ったのが「花かつお」なのだ。
いわゆる本枯節と呼ばれる、たたくと金属音のする固い鰹節は、さらにカビを表面につけ、熟成しながら水分を抜いていくのだ。
こうすることで、タンパク質が分解されてうまみ成分のアミノ酸が増えていくとともに、他の有害なカビが生えなくなって、保存性が高くなるんだ。
これは透明感のある赤い色で、重量は最初の鰹節の2割程度にまでなるというから、水分もほとんどないことになるよね。

この傷みやすいカツオだけど、もっとも一般的な食べ方はなんと言っても「たたき(土佐造り)」だよね。
皮付きのまま表面を火であぶって、氷水か何かであら熱を取って厚めに切って、大量の薬味と一緒に食べるのだ。
同じく痛みやすいサバは酢に漬けて「しめ鯖」にして食べるので、この「たたき」も表面をあぶることで殺菌しているなんて言われるんだけど、どうもそうではないみたい。
むしろ、これを臭みをとると同時に、皮のすぐしたにある脂の層熱を加えることでうまみを増しているっぽいのだ。
脂を少し融かしてうまみを増す、というのは超レアな状態で食べる牛肉の「たたき」と同じなんだよね。

保存性を高める目的なら、流通させる時点で高めておかないといけないはず。
しめ鯖のように酢に漬けたり、漬けマグロのようにしょうゆに漬けたり、鮒寿司のように乳酸発酵させたり、昆布締めのように塩で水分を抜いたり、と実際にそうやって保存性を高める食べ方をしている例はたくさんあるのだ。
あえて言えば、カツオの場合はそれがなまり節なんだろうけど。
今ではかなり新鮮な状態で運べるけど、むかしは新鮮とは言っても流通経路が発達していないので、けっこうにおいが出てしまっていたはずなんだよね。
それをごまかすためにも、生姜やネギなどの薬味をきかせる必要があるのだ。

それでもなおかつ食べられる理由はやっぱりその味にあるみたい。
マグロもそうなんだけど、カツオは死後うまみ成分であるイノシン酸が増えてくるのだ(釣ってから約1日後がピーク。)。
なので、時間がたつと臭みもますんだけど、うまみも増しているというわけで、臭みを我慢してでもおいしいものが食べたい、ということで考案されたのではないか、と思うのだ。
たたきの由来にはいろいろあって、土佐藩主の山内公が食中毒を避けるために生魚を食べることを禁止した際に焼き魚だと言うために表面だけあぶった、なんて説もあるので、そういうところから殺菌説が出てきたのかも。
もともと「たたき」という語源は、塩をたたくようにすり込んだから、とかいうのもあるので、そうやって保存性を上げたカツオの生食の料理のことを「たたき」と呼ぶように鳴ったのではないか、とも思えるよ。

じゃあ、なんで同じようなマグロの場合は臭みがないかというと、これは獲ってからすぐに尾びれを切って血抜きをし、かつ、さばいた後にも血合いをきれいに取り除くからなんだって。
カツオの場合は魚体がそんなに大きくないし、何より高級魚でもないので、そこまでしないから見に臭みが出てしまう見たい。
自分で釣り上げた場合に、すぐに血抜きをして、血合いをとってあげると、まったく臭みなく普通のお刺身として食べられるようだよ。
つりが好きな人は試してみるとよいかも。
ちなみに、有名な一本釣りは、網で獲るとカツオのみに傷がつくので、それを避けるために竿で釣り上げるんだけど、これもカツオが痛みやすいことと関連があるんだよね。
体表に傷がつくとそこから傷んでしまうから。
その点では、サバやイワシよりは高級ってことだよね(笑)

2011/05/07

甘い汁

ペプシが新製品として甘くないコーラを発表したのだ。
コーラというと、あの独特の甘みとフレーバー(これが秘密なんだよね。)が特徴だけど、その甘みを取り除いた、というのだ。
これまでも人工甘味料を使ってカロリーを0にした製品はあったけど、画期的ではあるよね。
ちょっと興味があるので、一度は飲んでみたいのだ。
そのままではきつくても、アルコールを割るものとしてはそれなりに需要はあるかも。

で、その抜かれたコーラの甘さのもとは「異性化糖」という液糖(シロップ)。
成分的に見ると、単糖のブドウ糖と果糖が混ざったものなんだけど、これが清涼飲料水に最適なすっきりとした甘さになるんだって。
砂糖(しょ糖)だとちょっと甘さが口の中に残るし、何より、冷たい飲料を作る場合に粉状の砂糖は溶かしにくい、という問題もあるようなのだ。
ブドウ糖は砂糖の7割程度の甘さで、果糖は逆に1.5倍前後の甘さ。
砂糖より甘くないブドウ糖と砂糖より甘い果糖が混ざることで、砂糖と同じくらいの甘さだけど、すっきり感がある甘味料になっているんだそうだよ。
ちなみに、低温では砂糖の甘みは感じにくいけど、ブドウ糖や果糖では低温でもしっかり甘みを感じるので、やっぱり冷たいものに合っているようなのだ。

この異性化糖、いかつい名前だけど、それは生産方法から来ているんだよね。
一般に家庭で消費されている砂糖はサトウキビやテンサイから抽出された糖液から抽出するわけだけど、異性化糖の場合はデンプンに酵素を反応させて作るのだ。
麦芽糖も麦芽に含まれる酵素でデンプンを分解するんだけど、この場合は二糖である麦芽糖までしか分解できないので、そんなに甘くならないんだよね。
異性化糖の場合は主にトウモロコシ由来のデンプンを使うので、米国では「コーン・シロップ」なんて呼ばれるとか。

異性化糖の場合は、まずαアミラーゼを加えて95℃くらいまで加熱し、デンプンを小さく断片化することでよく水に溶けるようにするのだ(液化)。
次に、55℃くらいまで冷却してから、今度はグルコアミラーゼという酵素を加えて、さらに分解していくのだ。
αアミラーゼで分解すると、デキストリンなど、ブドウ糖がいくつか連なったオリゴ糖になるのだ。
このオリゴ糖をはしから分解していってブドウ糖にするのが今回の反応(糖化)。
これでデンプンののり状のどろどろがとろっとした甘い糖液になるのだ。
さらに、このブドウ糖液にグルコースイソメラーゼという酵素を反応させ、ブドウ糖を果糖へと変換するのだ(異性化)。
分子式を変えずに分子構造を変えることを「異性化」と呼んでいるので、一連の工程でできた液糖が異性化糖と呼ばれるわけ。



途中で異性化させて果糖に変換しているので、ブドウ糖液だと甘さがたりないため。
なんとか砂糖に近い甘さにしようとした結果で、最終的には、水分を飛ばして濃縮し、ブドウ糖と果糖の比率が一定になるように精製して製品となるのだ。
果糖が多ければより甘い異性化糖になるよ。
ちなみに、ブドウ糖が多い異性化糖はブドウ糖果糖液糖、果糖が多い異性化糖は果糖ブドウ糖液糖と呼ばれていて、それぞれ、果糖が42%、55%のものが一般的みたい。
果糖42%だと砂糖より少し甘くなくて(でも、低温では甘く感じることがあるよ。)、果糖55%より砂糖より少し甘くなるのだ。

最終的にシロップの形で出てくるので、冷菓や清涼飲料水の材料として使いやすいんだよね。
タンクローリーなどで運搬も比較的楽だし、工場で計量するときも液状なので量りやすいのだ(粉だと空隙があるから体積では量れないので、いちいち重量を量らないといけないからね。)。
でも、高温にするとメイラード反応が起きて茶色くなってしまうので、熱を加えるものには使いにくいという欠点も。
それに、水分を完全に除去して粉状、固形状にはできないので(その前にメイラード反応が起こってカラメルになってしまうのだ・・・。)、一般消費者向けにはほとんど売られていないのだ。

むかしはサトウキビやテンサイという植物が限定的にしか栽培できなかったから甘い糖は非常に貴重だったわけだけど、今ではこうしてそこらじゅうにあるデンプンからも作ることができるようになったのだ。
口の中でお米をずっとかんでいると甘くなるけど、あれも唾液中のアミラーゼでデンプンが分解され、麦芽糖ができるから甘いわけだけど、そこからシロップにはつながらないよね(笑)
また、お酒の醸造では、デンプンを麹で糖化し、酵母でそこでできた糖を発酵させてアルコールにしていたので、酵素を使った糖化はずっとやってきたわけだけど、せいぜい甘酒を造るくらいで、砂糖の代用になるほどの糖液は作ってこなかったんだよね。
おそらく、最後の異性化の工程が重要で、砂糖並みに甘くできたところが成功の秘訣のような気がするよ。

ちなみに、かつては酸分解でデンプンをブドウ糖にしていたらしいんだけど、それだと甘みも少ないし、副産物で色がついていたらしいのだ。
ここに日本の技術が搭乗し、糖化するところに酵素を使ってきれいにブドウ糖液にすることを可能にし、さらに、酵素を使って異性化をすることで甘みも増強させたのだ。
日本が醸造技術なんかで培ってきた技術力が生きているんだね。
そう思うと、たまに飲む甘い清涼飲料水もありがたみがでるかな?

2011/04/29

ご利用は、間接的に

まだそんな気分じゃないという人もいるだろうけど、いよいよゴールデンウィークに突入。
今年は2日と6日さえ休めば超大型連休!
逆に、その平日二日を普通に来ると、断続的な連休なのだ・・・。
この時勢だとなかなか大型連休にするのはつらいよね(>o<)
そんな連休のさなか、いよいよ天皇皇后両陛下は被災3県に行幸啓されるのだ♪
芸能人が来たり、スポーツ選手が来たりするのもうれしいだろうけど、やっぱり皇室の方々が来るとなると違うよね。
変な政治家だったらむしろ来なくていいだろうし(笑)

で、ここで気になったのは敬称。
日本語だと、皇室や各国の王室に対しては、君主及びその配偶者に「陛下」、それ以外の皇族・王族に「殿下」を使うのが通例。
大統領とか大臣だと「閣下」。
偉いお坊さんや司教などの宗教家に対しては「猊下」
珍しいところでは、ローマ法王(教皇)に対して使う「台下」(或いは「聖下」)なんてのもあるよ。

これは、もともと偉い人を直接名指しするのが失礼だ、とする考え方があったからで、天皇のことを「帝=御門(みかど)」や「内裏(だいり)」と呼んだり、将軍の正室を「御台所(みだいどころ)」と呼んだりするのも同じ考え方。
本人を直接指すのではなく、その人がいる場所で表そうとするものなのだ。
「陛下」という敬称も同じような発想で中国で生まれたもので、「玉座、高御座(たかみくら)の陛(階段)の下においでのお取り次ぎの方にまで申し上げます。」といった意味で使われ始めたんだって。
これは直接話しかけるのが失礼なので、ワンクッションおいて間接的に話しかける、という発想。
殿下や閣下なんていうのも同じ発想で使われるのだ。

実はこれ、西洋でも同じ発想なんだよね。
例えば、米国の大統領が日本の天皇に話しかけるときは、気軽に「You」なんて言ってはいけないのだ。
そういう呼びかけのときは、「Your Majesty」と使い、第三者として言及するときは「His Majesty」と使うんだよ。
これはその他の敬称でも同じような感じで、ローマ法王に使うHolinessの「台下・聖下」、王族などに使うHighness(殿下)、大統領や大臣に使うExcellency(閣下)など。
市長や裁判官、国会議員などに使うLordshipやWorshipなんてのもあるけど、逆にこっちは対応する日本の敬称はないかもね。
洋の東西を問わず、偉い人に対しては直接指すことなく、間接的にその人であることをほのめかすということをするのだ。
けっこうおもしろい現象だよね。

ちなみに、これらは「~さん」という意味で使うMr.やMs.、「~博士」のDr.、「~卿」という意味で使うSirやLordとはまた違うんだよね。
その場合の敬称(というか役職みたいなもの)は名前の前につけるのだ。
エリザベス女王ならQueen Elizabeth、明仁天皇ならEmperor Akihito。
爵位を表すDuke(公爵)、Marquess(侯爵)、Count(伯爵)、Viscount(子爵)、Baron(男爵)や、「~王子」という時に使うPrinceも名前の前だよね)例えば、今度結婚するウィリアム王子はPrince William。)。
一方、日本語の訳からだとまぎたわしいのが大使や偉い軍人などに使う「Honorable」。
訳語は「閣下」になってしまいがちだけど、これも名前の前につけるのだ。
ちなみに、Sirだけはファーストネームの前につけるんだよね。
アイザック・ニュートンはドクター・ニュートンだけど、サー・アイザック・ニュートンとするのが一般的だよ。

で、こうやって間接的に呼びかけられる人々は自分を指すときも独特の言い回しがあったりするのだ。
中国や日本では、皇帝や王は「朕」という一人称を使うよね。
日本でも戦前までは詔勅で天皇が自分をさすときは「朕」だったのだ(昭和天皇は口語では「私」、普段は「僕」とおっしゃっていたようだけど。)。
いわゆる「玉音放送」の「大東亜戦争終結ノ詔書」も「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ・・・」となっているのだ。
西欧語でもそういう独特の言い回しがあって、偉い人は自分個人でも一人称複数を使う、という習慣(?)があったのだ。
これを「尊厳の複数(Royal We)」と呼んでいるそうなんだけど、すべての一人称を複数形にするんだよね。
ローマ法王も同じだったんだけど、先々代のヨハネ・パウロI世からそれを廃止して、一人称で「I」を使うようになったんだそうだよ。
日本では天皇に対してのみ使う敬語なんていう特殊な表現まで生まれたけど、西洋でもいろんな婉曲表現で「尊敬の念」を表したようなのだ。

というわけで、偉い人の持ち上げ方は意外と洋の東西を問わず同じだったのだ(笑)
こういうのって、たまに接する機会があるから、注意してみているとおもしろいかも。
例えば、NHKの英語ニュースで海外から偉い人とかが来たときにどう表現されているかなどで調べられるのだ!
一番直近では、英国のウィリアム王子の結婚式かな?

2011/04/23

今年は昭和で言うと何年?

未曾有の大震災から1ヵ月以上が経ったけど、なかなか復興のメドは立たないし、原発の方も不安がつのるばかりだよね(ToT)
まさに、21世紀最大の災害なのだ!
中国文明圏では、こういう天変地異があるとよく元号を変えたんだよね。
日本でも飢饉や大地震などがあると変えた例があるのだ。
で、今更ながら元号について気になったので、ちょっと調べてみることにしたのだ。

もともと元号っていうのは中国発祥のもので、中国の考え方では、すべての世界を司る天帝から天命を受けた皇帝は、地上を支配するのみならず、時間をも支配すると考えられていたのだ。
この時空を支配するという考え方は、皇帝が暦を作ってそれを頒布し、その暦に従って人々の生活、特に農業が営まれるということをも意味するんだ。
これは四時の運行は皇帝が司っている、という証でもあるのだ。
すなわち、暦を作るのは王朝の専権事項であって、勝手に暦を作ってはいけなかったのだ。
逆に、自分こそが「王」だと思う人は、自分で暦を作ってそれをアピールしたみたいだよ。
で、年を表す元号っていうのもその流れから来るんだよね。
暦と同様に皇帝以外が勝手に元号を定めてはいけないし、我こそが支配者だと思う人は自分が作った私的な元号を支配民に使わせたりしたようなのだ。

この元号は、基本的には君主が交代すると変わる(=改元される)んだけど、それ以外にも変えられたのだ。
ひとつは祥瑞改元というもので、吉事があったときに縁起がよいと変えるというもの。
中国では竜が天に昇るのを見た、とか、麒麟が空を駆けていくのを見た、とかそういうもので変えたようだよ。
日本でも、白雉という元号があるけど、これは珍しい白いキジが朝廷に献上されたことに由来するものなんだよ。
そして、革年改元というのがあって、中国では甲子、戊辰、辛酉の年に大きな政治的変化があるという説があったので、その年になると元号を変えていたことがあったのだ。
これは政治的な変革が発生しないように、象徴的に元号だけを変えるという発想みたいだよ。

そして、天変地異があった場合に改元する災異改元。
例えば、江戸時代でも、振り袖火事とも呼ばれる明暦の大火の後に万治と改元されているし、天保の大飢饉の後に弘化と改元されているのだ。
これは、元号を変えて悪い影響に区切りをつけようという思いもあるんだけど、それ以上に、天災地変が発生するのは、為政者の徳が低いから、という中国的な考え方が背景にあるためなのだ。
なので、支配者が心を入れ替えて政治をするためにも、元号を変えて出直そう、ということなんだ。
奈良時代の聖武天皇は疫病が流行したときに御自身の徳の低さを嘆き、全国に国分寺を設置するとともに奈良の大仏を建立したんだけど、平安時代まで下ると、御霊信仰とあいまって、何かあると誰かのたたりとして祭り上げ、改元して出直そうとしたのだ。
で、今回も未曾有の大災害だから改元しよう、なんていっている人たちがいるんだけど、そんなわけにはいかないんだよね。

明治維新以降、改元をどうするかが問題になって、「一世一元の制」がしかれたのだ。
これは天皇の在位中には元号を変えず、皇位継承があったときだけ改元するというもの。
日本では「蒸し米を炊いて祝おう大化の改新(645年=大化元年)」から元号が断続的に使われ始め、「なれい大宝律令(701年=大宝元年)」からは連続して元号が定め続けられてきているんだ(南北朝時代は2系統の元号があったけどね。)。
それまでは、いろんなタイミングで改元をしていたんだけど、明治になって一世一元の詔を出して、在位中は改元しない制度に変えたのだ。
これは旧皇室典範に継承され、大正、昭和と引き継がれるのだ。

戦後になると旧皇室典範が廃止され、新たに定められた皇室典範(昭和22年法律第3号)には元号に関する規定がなかったので、一時あやふやな状況が続いていたんだよね。
これは、戦後になって古い体制を改めようと、一時公文書でも西暦を使ったりしようという動きがあったからなんだよね。
でも、けっきょく国民は元号を使っているので、しっかりとその法的根拠を定めようとできたのが元号法(昭和54年法律第43号)なのだ。
元号を使うということは、歴史的に見てもその天皇の支配下に属するということなのでけっこう騒がれたようなんだけど、なんとか成立したのだ。
法律自体は2項しかなくて、

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。


というあっさりしたもので、皇位継承があった場合、政令により次の元号を定めるのだ。
この元号法に基づいて最初に定められた元号が「平成」だよ。
なので、どんな災害があっても皇位継承がなければ元号は変わらないんだ。
元号法を改正すれば別だけど・・・。

それにしても、すごいのは、日本ではずっと天皇が君主であり続けて、天皇が定めた元号が使われ続けてきた、という事実なのだ。
摂関政治の頃はあくまでも天皇の下で貴族たちが政治をおこなっていたわけだけど、鎌倉幕府以降、政治の実権は武士に移っているのだ。
でもでも、元号を定め、国を代表する象徴的支配者はあくまでも天皇であり続けたんだよね。
これがすぐに王朝が交代してしまう中国との違いなのだ。
現在の憲法の下でも天皇も、国をまとめる象徴的な存在という意味では、江戸時代となんら変わらないのだ。
というわけで、元号を使うのは日本国民としてのアイデンティティ、誇りでもあるので、便利だからといって西暦ばかり使っていてはダメなのだ。
それと、今上天皇への敬意を表するためにも、「今年って昭和で言うと何年だっけ?」なんてのもダメなんだよ(笑)

2011/04/16

いつまでゆれるの?

3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生してから1ヵ月が経過したのだ。
でも、まだまだ余震が続いているよねぇ。
最近では震度6級の大きな余震もあって、東京でも震度4くらいでゆれたから本当にびっくりしたよ。
気象庁が大きな余震の可能性は低くなるって発表した矢先だったしね。
原発問題もまだしばらく片付きそうにないけど、余震の方も心配なのだ(>o<)
先の地震でもろくなった構造物が倒壊するおそれがあるし、何より、いつまでも余震が続くと精神的な重圧も感じるよね。

余震というのは、地殻プレートが押し合ったり、引っ張り合ったり、横ずれしたりして起きる地震(これを本震と言うのだ。)の後に続く地震の総称で、大きな地震であればあるほど大きな余震が長い間続く可能性があるのだ。
ちなみに、本震の前に先触れでゆれる前震というのもあるんだって。
この余震は、本震で放出されきれなかった地震のエネルギーが徐々に放出されることで起きると思われているのだ。
あまりに貯まったエネルギーが大きいと、一気に放出しきれないんだそうだよ。
で、そういうときは、大きな地震が来た後に、比較的大きな地震が続くのだ・・・。
今の状態がまさにそうなんだけど、なかなか収まる気配はないし、まだまだ警戒しなきゃ、という雰囲気だよね(ToT)
一般には、余震の大きさは最高でも本震のマグニチュードより1程度小さくなると言われているんだけど、今回の地震はマグニチュードが9.0だったから、マグニチュード8クラスの巨大地震が余震として発生するおそれがあるかもしれないということだよね・・・。

よく地震のメカニズムとして、プレートテクトニクスが語られるよね。
地球表面を覆っている比較的固い岩盤は「1枚岩」ではなくて、いくつかのプレートに分かれていて、それが動いているというのだ。
プレートとプレートの間では、横にずれたり、下に滑り込んだり、上に乗り上がったりして摩擦が生じていて、そこで発生するエネルギーが徐々にためられていくことになるんだ。
それがためきれなくなって放出されると地震となるわけ。
ちなみに、ヒマラヤ山脈も富士山もプレート同士がぶつかって盛り上がってできているんだよね。
決して速いスピードで動いているわけではないけど、それくらいの強さのものなのだ!

ニュースの解説なんかだと、そのため込まれたエネルギーを地震として放出する際に板バネのような絵を描いて説明するのだ。
板バネを指で曲げておいてから指を話すと、振動しながらもとのまっすぐな状態にもどろうとするよね。
これはいわゆる「縦ゆれ」的なイメージだけど、ゴムひもやバネのような伸び縮みするような場合もあって、それが「横ゆれ」のイメージになるのだ。
でも、実際には地殻はそんな単純に縦と横の成分に分けて考えられるような動きをするわけじゃないんだよね。
むしろ、ゴムまりを無理やりつぶして、それが複雑に動きながらもとの形にもどろうとする動きの方が近いのだ。
これは「応力」という力で、物体の内部に生じたゆがみをもどそうとあらゆる方向に働く力のことで、糸が引っ張られたときに引っ張られたのと反対方向に働く張力が3次元になったようなものなのだ。

地殻の構成は一様ではなくて、いろんな岩石や砂、泥、水などなどがモザイク状にまざっていて、岩石内部での密度の濃淡があったり、粘度の大小があったりするんだよね。
そのために外部から力が加わると、それが均等に分散されず、弱いところにゆがみ・ひずみが蓄積されるのだ。
それで局所的に応力が発生した状態になるんだけど、いよいよそのゆがみ・ひずみに耐えられなくなると、地殻の岩盤が割れて、断層ができるのだ。
この断層ができるときのゆれが地震となるわけ。
断層ができる場合には、押し合う力で上に盛り上がる逆断層、引っ張り合う力で下にずれ込む正断層、横にずれ合う横ずれ断層などの種類があって、それぞれの断層のでき方で地震のゆれも特徴的になるんだよ。
この断層は地震後にある程度確認できるので、どういう地震だったかの解析が可能になるのだ。

ところが、こうやって断層ができても、完全にゆがみやひずみが解消していない場合があるんだよね。
いったん断層ができるともろくなって次の断層ができやすくなるし、また、断層ができてずれて動くことで新たなゆがみ・ひずみが発生することもあるのだ。
こうしてまた耐えられない状態になると地震が発生するんだ。
それが余震。
逆に、断層が大きく動く時にその予兆として少し動くのが前震だよ。
実際には断層は一カ所にだけできる訳じゃなくて、いろんな形の断層がいっぺんにできるので、そう単純ではないんだけど。

ちなみに、耐えられなくなって断層ができる前にも、ゆがみ・ひずみのエネルギーが蓄積されている状態は観測できるはずなんだよね。
それで地震予知を行おうという考え方もあるのだ。
例えば、岩石は外から圧力をかけられると中に応力が発生するんだけど、その際、内部に微弱な電流が流れることが知られているのだ。
地殻でも同じことが言えるだろうと、地中に発生する微弱な電流をとらえて地震予知につなげようとする方法もあるんだ。
地震の前にはプラズマの火球が発生するとか、地温が高くなって生物の行動に変化が見られるとか、土中成分の濃度に変化が出てそれが植物に影響を与えるとかとか、いろいろとあやしいのも含めて考えられてはいるんだよね。
地震雲という特徴的な雲が出るなんて言う民間伝承的なものもあるのだ。
日本で一般的なのは、微弱な地層のずれなどをGPSなどを使った精密な位置観測で検出するのだ。
これは前震よりさらに前の前触れを見ているわけだよ。
古代中国では8つの首の竜が8方向に顔を向けて玉を加えていて、その玉が落ちた首の方向で地震が起きる、なんて予知をしていたけど、これも微弱なゆれを検知する機械になっているんだよね。

気象庁の余震の予測は、過去の地震の観測例や統計データ、発生した地震の性質の分析などをすることで、どの程度の余震が発生するかのシミュレーションをして、余震の発生確率を割り出しているんだよ。
ある期間の間にどれくらいの大きさの余震がどれくらいの確率で発生するかを発表するのだ。
さらに、その予測が当たったか外れたかをさらに計算に入れて未来の予測につなげていくのだ。
今回の地震は未曾有の大災害といわれるような超巨大地震だったのでなかなか予測は難しいみたいだけど、数年に一度発生するような中程度の地震であれば統計モデルもかなり確立されているので予測精度は高いみたい。
今回の地震のデータを詳細に解析すれば、将来の大きな地震にも備えられるはずだから、しっかりとデータをとり続けることが大事なのだ!
次の地震に備えることも必要なんだよね。