2019/08/31

和洋の辛み

フランス人って、唐辛子の辛みは苦手だけど、マスタードは大好きなんだよね。
それこそ何にでもマスタードをつけるのだ。
ステーキにもマスタードだし。
そして、実際にフランスのマスタードはおいしいのだ!
ディジョンのマスタードが特に有名だよね。

マスタードの辛味成分は、アリルイソシアネート配糖体。
俗に言うカラシ油配糖体というやつなのだ。
これは鼻につんとくる刺激性の辛味成分。
わさびの辛味もこれ。
ダイコン、カブ、ノザワナ、タカナ、アブラナなどのアブラナ科の植物の種子にはたいてい油分と辛味成分が含まれていて、草食動物に種子を食べられないように「忌避物質」として備わっていると考えられているよ。
人間はわざわざ取り出して食べているわけだけどね(笑)
カイワレや辛味大根の辛味もこれ。

一方、唐辛子の辛味はカプサイシン。
アリルイソシアネートが硫黄を含む有機硫黄化合物であるのに対し、カプサイシンはアルカロイドの一種。
アルカロイドは窒素を含む塩基性の天然有機化合物の総称だよ。
アリルイソシアネートの辛味は瞬間的であるのに対し、カプサイシンはわりとひりひりと残る辛味なんだよね。
おそらく、フランス人はこれが苦手なのだ。

マスタードの場合は、セイヨウカラシナやシロガラシの種子やその粉末に水や酢、糖類、小麦粉などを加えて練り上げたもの。
ターメリックを入れて真っ黄色にしたのが米国のイエローマスタード(本来は薄い黄土色。)。
通常は辛味は抑えめだよね。
蜂蜜を加えて辛味をマイルドにしたのはハニーマスタード。
種子が粒のままは言っているのが粒マスタード。
いずれにしても、辛味だけでなくて甘みや酸味があるのが特徴。
肉料理によく添えられるのも、辛味で‌肉の臭みを消すとともに、酸味で油脂をさっぱり食べさせるためなんだよね。

これに対して、和辛子はセイヨウカラシナの種子を粉にした粉カラシを水またはゆで溶いたもの・
単純に辛味だけ。
なので、あくまでも薬味扱いなんだよね。
ソース的に使う欧米とは役割が異なるのだ。

カラシの辛味成分は揮発性なので、水に溶いただけではすぐに辛味が飛んでしまうのだ。
なので、和辛子の場合は基本は食べる直前に練るもの。
時間をおくとどんどん辛味がなくなっていくのだ。
いわゆる風味がなくなるというやつ。
マスタードの場合は、酢が入っているので揮発しづらくなっているのだ。」でも、全体的に辛さは抑えめなことが多いんだよね。
そういう風味辛味成分が飛ばないようにすると辛味がマイルドになるから。

そこで、出てきたのが「練り辛子」。
チューブに入っているカラシやシュウマイや納豆に着いてくる袋入りのカラシだよ。
こちらは、油脂や贈年材で辛味成分を安定させて、人工的に香味成分を加えたもの。
練りたてのカラシ並、とはいえないまでも、風味が残った状態で辛味が味わえるものなのだ。
その手軽さから、国内ではこれがほぼ主流になっているんだよね。
毎回毎回粉カラシを練る、なんて家はもうほとんど存在していないのだ。
そっちの方が辛味が鮮烈らしいけど。
高級なとんかつ屋さんとかに行くと出てくるんだよね。

ちなみに、セイヨウカラシナはすでに弥生時代には大陸経由で日本に伝来していたのだ!
原産地は中央アジアと考えられているよ。
平安時代にはすでに書物にも名前が載っているので、古くから親しまれてきているのだ。
栽培植物として根付いていたわけ。
一方で、原種のカラシナが命じいいこうに帰化植物になっていて勝手に自生し始めたのだ。
そこで、単位「カラシナ」と呼ぶのではなく「セイヨウカラシナ」というのが種名になったみたいだよ。
沖縄の「島菜(シマナー)」はカラシナのことで、高菜や搾菜(ザーサイ)はカラシナの変種だって。

2019/08/24

神州一

日本料理というとどうしても醤油のイメージだけど、実は醤油が普及したのは江戸時代。
すなわち、醤油ベースの味付けは江戸時代以降にできたものなのだ。
それまでの調味料の主流は、塩、煎り酒(酒で梅肉をといて煮詰めたもの)、そして、味噌。
味噌は味噌で、「味噌汁」という形で家庭の和食には欠くべからざる存在だよね。
醤油が普及するまでは、うまみ成分であるアミノ酸を含む調味料は味噌のみ、というわけで、非常に重要なものだったのだ。
その味噌を造るときに副産物でできる「上澄み」が「たまり」で、これが非常に美味なので、これを液体等魅了として生産できるようにしたのが醤油の製法なのだ。
なので、起源をたどれば、醤油も味噌から派生したものなんだよね。

味噌が大陸から伝わったものなのか、日本で独自に作り出されたのかは諸説あるようだけど、文献に最初に登場するのは平安時代。
その頃の味噌は豆の形の残るもので、調味料ではなくて、そのまま「おかず」として食べられていたようなのだ。
中国から伝来した「塩辛納豆」に近いもの。
豆に塩分を足して発酵させたものだよ。
塩辛納豆の場合はそれを更に乾燥させるんだけど、平安時代に食べられていた「未醤(みしょう)」はもう少し柔らかい、乾燥させていないものだったっぽいのだ。
これは、同時期に調味料として伝わった「醤(ひしお)」の製法と混ざって医るっぽいんだよね。
「醤」は、肉や魚を塩と麹菌で発酵させて作られる液体調味料で、かなりどろっとしたもの。
日本では魚醤である秋田のしょっつるや石川のいしるが有名だよね。
で、麦、米、豆などを原料にして作られるのが穀醤。
通常は長期間発酵させて原料の原型がなくなるくらいまでどろっとさせるんだけど、塩辛納豆との折衷で豆の形が残る状態で食べ始めたのが日本の味噌の始まりではないかと思うのだ。
そういう意味では、中国伝来でもあるし、日本特に「独自発展」させた日本発祥のものでもあるかもしれないよね。
「未醤」というのみお、まだ「醤」になりきれないうち、という意味である可能性も高いのだ。
でも、そうすると、実は江戸時代の「たまり」から「醤油」への転換は原点回帰でもあるんだね。

で、最初は豆を主要な原料にして、豆の形が残る状態で発酵食品としておかずになっていたようなんだけど、鎌倉時代に合って中国から「すり鉢」が伝わると、これをすりつぶして湯に溶かし、汁物にされるようになったのだ。
これが味噌汁の始まり。
当初は味噌自体がまだ貴重なものなので、基本は武家や公家の食事にしか出てこなかったんだけど、室町時代になって農家で自家製味噌が造られるようになると、庶民の食卓にも上るようになるのだ。
このころ、使用目的によって味噌も発達し、保存食(陣中食)に使われる玉状に丸めたもの(そのままかじたり、削って湯に溶かしたりする携帯食)、湯に溶かしてしるにするいわゆる味噌、そのままおかずとして食べる味噌(金山寺味噌や朴葉味噌のようなもの)などなどバリエーションも増えてくるのだ。
そして、原料もいろいろ種類が増えてきて、古来からの豆味噌だけでなく、麦味噌、米味噌も生まれ、さらに、それをブレンドする合わせ味噌も。
こうして当時の日本料理は味噌の味付けで形成されていくのだ。

日本料理では一汁一菜とか一汁三菜とかの形式が存在するけど、汁物がついているのが基本。
そして、その汁物はたいてい味噌汁なのだ。
やっぱりそれだけ深く浸透していたんだよね。
江戸時代に醤油が広まっても醤油ベースの汁物に置き換わることがなかったのだから、その深さはすごいものだよね。
日本人にとってソウルフードになっているのだ。

一方で、伝統的な日本食である、漬け物と味噌汁とごはんという形式だと、塩分と炭水化物の取り過ぎになるんだよね・・・。
洋食の普及もあいまって毎日のように食べる、というものではなくなってきたのも事実。
でもでも、「減塩」タイプなんてのがあって、それが売れているんだから、まったく捨てきることもできないし、やっぱり食べるとほっとするものでもあるんだよね。
伝統は伝統としてしっかりと残していきたいものなのだ。

2019/08/17

日頃の心がけが大事

最近「未病」って言葉がはやっているよね。
CMでも聞くのだ。
で、それは何かとググってみると・・・。
なぜか神奈川県のHPがトップに出てくる!
これhが黒岩知事一押しの案件でもあるからみたい。

もともとは、中国の伝統医療である「中医」の言葉で、「健康」状態と「病気」状態の中間に位置する状態を指す言葉。
東洋医学では、「健康」と「病気」はゼロサムの世界ではなくて、グラデーションがあるのだ。
心身ともにバランスがとれていて恒常性が保たれている状態が「健康」。
逆に、バランスが崩れて恒常性が破綻している状態が「病気」。
その中間で、バランスが崩れかけていて、恒常性がゆれている状態が「未病」というわけなのだ。
「病気」とはいえないけど、その前段階で体調を崩しているときなので、ここでしっかり養生すると大病しない、ということで、中国では伝津御的な生薬(いわゆる「漢方」)で体調を整えるんだよね。

このような大きく体を壊す前、少しでも体調が悪くなったら伝統薬を服用する、というのは洋の東西を問わずにとられている両方でもあるのだ。
でも、古典的な西洋医学では、病気の原因を突き止め、それに対処する、という手法がとられてきたので、症状が安定してから病名がついて、それに対して治療を行う、という流れだったんだよね。
そうではなく、もう少し事前に対処しておけば病気にならずにすむ、ということで「未病」という概念を広めようとしているのだ。
つまり、古典的西洋医学は対症療法になっていて、常に後手後手に回ってしまうので、先んじて手を打ってしまおうというわけ。

この考え方自体はしっかりと近代医学にあるのだ。
それが「予防医学」。
病気になる前に病気にならないようにする、病気を早期発見する、病気が重症化しないようにする、病後のケア(再発防止やリハビリなど)をする、というかなり広い概念。
健康診断や予防接種、感染症教育なんかがこれにあたるよ。
聖路加病院長だった日野原重明医師が提唱した「習慣病」という概念もこれに呼応したもので、もともと糖尿病とかは「成人病」と呼ばれていたわけだけど、生活環境の改善でかなり予防できることがわかったので、「生活習慣病」と呼ぶことになったのだ。
つまり、教育や専門家の指導で発症や重傷かをかなりの程度防げるというわけ。

これ自体は非常に良いことで、特に生活習慣病は生涯にわたって多額の医療費が投入されることになるから、未然に防ぐのは大事なのだ。
感染症や合併症も防ぐに越したことはないよね。
これは知識と技術によって確実に防ぐことができるものだし。
でも、これが「がん」とか「神経系疾患」になってくるとあやしいんだよね・・・。
確かに、ストレスのような環境要因もあるのだけど、こうしたら確実に予防できるというものでもないから。
ここに「未病」という言葉がビジネス上で使われると、あやしいニュアンスを伴ってくるのだ。

もともと高血圧の人には降圧剤が処方されているんだよね。
で、当然その基準があって、血圧が一定値以上の人がその対象。
で、「未病」というビジネスが狙っているのは、その基準より少し低いくらいの、普通より血圧が高めな人。
「ゴマ麦茶」なんて特保商品もあるけど、いわゆる高血圧予備軍の人たちを対象としたビジネスがあるのだ。
そもそも高血圧と診断されている人たちに降圧剤を処方すること自体が大規模コホート研究の結果からあやしいと言われているんだけど、それ未満の人たちを相手にしているんだからね。
で、血圧が気になる方は、くらいでゴマ麦茶や青汁を勧めるkぅらいならそこまで実害はないけど、「今血圧を下げておかないと将来・・・」のように病気のリスクで脅してくる人たちが悪質なのだ。
それで高額の商品を売りつけられるケースも。
さらに、こういうやつは、ずっと摂取し続けないとダメ系なんだよね。
やめたらまた血圧が高くなりますよ、とおどすから。
すなわち、生涯にわたって「しぼりとれる」ビジネスモデルなのだ!

多くの場合はそこまで悪質じゃないんだけど、どうしてもそういうのが出てきてしまうのも現実。
特に「未病」という言葉が一人歩きしてしまうとね。
健康寿命を伸ばす、ということ自体は、(健康保険の財政問題を別とすれば、)おそらくよいことなんだけおd、それを悪用してビジネスに使う人たちも出てきてしまうというわけ。
そのためにも、しっかりと「予防医学」の概念を教育する必要があると思うんだよなぁ。

2019/08/10

お世話係

うちの職場にもあるのだけど、新人職員のケアをする制度として、メンター制度というのがあるよね。
自分が入ったばかりの頃は制度としては確立していなくて、1期、2期上の先輩とつきあう中で、お仕事をする上でのこつや心構えなどを面白おかしく失敗談などを交えながら聞いたものだけど、最近はきちんと制度化されているのだ。
先輩後輩のコミュニケーションが減ったのか、組織として「やってます」と対外的にアピールするためにそういうものをきちんと形作ることが必要なのか。
とにかく、そういうのが整備されているんだよね。

なんと、その語源は、ギリシアの叙情詩、ホメーロスの「オデュッセイア」にさかのぼるんだって。
女神アテーナーは、オデュッセウスの息子であるテーレマコスの前にメントールという老人の姿を借りて現れ、助言をする下りがあるそうなのだ。
ここから、経験豊富な者が、若者や経験の少ない者に助言をすることを「メンタリング」と呼ぶようになったんだって。
この話では老人なんだけど、実際のメンター制度では、もう少し若い世代が新人のお世話をする例が多いよね。
あまりに先輩すぎるとどうしても新人が恐縮するし、もともとあったような先輩後輩のコミュニケーションを制度化したものだというのもあって、そうなっているのだ。
ところが、制度化したためにかえってうまくいかない事例もあるみたい。

メンターを置く場合、通常は直接業務上のつながりのない人を任命するんだよね。
そうでないとお仕事における不安や困ったことなどを話しづらいから。
で、制度化される前は、業務上につながりは特にないけど話しやすい先輩に話していたわけだけど、メンターとして誰かが任命される場合、必ずしも話しやすい人とは限らないわけだよね。
実際にコミュニケーションをとってみると話せるようになるのかもしれないし、そういう相談にのる能力がありそうな人を組織としてもメンターにしているんだろうけど、いきなりメンターとコミュニケーションして、といわれても戸惑うよね(笑)
まさにそこが課題になっているみたい。
よく知らない人に相談しろと言われましても・・・、ということ。

そこで、メンターとなる職員と新人の懇親会を最初に設けたり、メンター制度が機能しているかどうかフォローするための定期的な報告の仕組みを設けたり、といろいろ工夫をするわけだけど・・・。
そういうのがかえって負担増になるんだよね(>_<)
そういうのもあって、メンター制度を廃止しているとおろもあるんだって。
よかれと思って導入しても形骸化するんじゃ意味ないからね。
むしろ、新人が困っていそうなときに周りから声をかけてあげる、わからないことなどがあったら気軽に聞ける、業務以外の話題でも話がしやすい、などの職場環境を作る方が大事なのだ。
ま、その風通しの良さを作るというのが難しいし、それは客観的には評価できないから、できているのかどうかも判断のしようがないんだけど。
特に、電通社員の過労死のような問題が発生したとき、組織としてどう取り組んでいたのか?、と社会に問われても答えづらくなるのだ。
そのため、有名無実化していようが、制度としてやってます、というところもあるのが現実。

これとは別に、もっと年配の職員、具体的には、管理職に当たるような人が若手が指導するものとして「コーチング」ちょいうのもはやっているよね。
ただ叱責するだけでなく、その若手の得意なことや能力・スキルを伸ばしてあげるためのアドバイスをしていく、というもの。
飴と鞭を使い分け、褒めるべきは褒め、注意すべきところは注意して、でも、全体的には「褒めて伸ばす」的な感じで接するんだよね。
この御時世では、普通にしかるだけだと「パワハラ」認定されることもあるので、管理職研修などでよく紹介されるようなのだ。

でもでも、そういう手法を学んだとしても、実践できるかどうかは別問題。
正式な資格認定があるわけでもなく、効果測定ができるようなものでもないので、それぞれがかってに「コーチング」だと思ってやっているだけなのがげんじつなんだよね・・・。
おそらくうまく使いこなしている人もいるのだろうけど、世の中そんなうまいこと運ぶわけもないわけで。
そもそも1~2時間の研修で講師から聞いたくらいじゃできるようになるわけないし、むしろ、できている人は元々そういうことが無意識でできていた人なんだよね(笑)
でも、さすがにこっちは制度化しづらいので、そこまでは至っていないのだ。
管理職の人事評価の視点としては取り入れられているんだろうけど。

ともあれ、「人事」は心の問題が絡んでくるから難しいよね。
それこそ明治の時代から「最近の若者は」みたいな話があるそうだけど、世代間ギャップで認識の差があるから、それを意識してうまくつきあうようにしないとダメなのだ。
そういう意味では、元来コミュニケーション能力が高い人はそういうにおが自然にできるから、うらやましいよね。

2019/08/03

夏の友

夏といえば、そうめん!
蒸し暑い日本の夏にぴったりな料理なのだ。
つるつるっと食べられてるけど、意外とカロリーは高いんだよね・・・。
ゆで時間が短いのも魅力的。


その歴史は古く、奈良時代に遣唐使が伝えた「索餅(さくべい)」から発達したと考えられているよ。
索餅は、そのjきったいはよくわからないのだけど、小麦粉と米粉を水で練って生地を作り、縄状に延ばした上で乾燥させ、或いは、油で揚げたものと推測されているのだ。
この状態では保存がきき、ゆでてから食べていたみたい。
神社でのお供え物(神饌)にも使われ、「延喜式」なんかにもその名前が登場するのだ。
初期のものは相当太く、ちぎって食べたのではないか、ともいわれているみたい。
いずれにせよ、縄状に延ばすのは表面積をかせいで乾燥させやすくするためだろうね。

時代が下ってくると、この索餅がもっと長く麺状に延ばされるようになるのだ。
今のような細い麺になったのは室町時代みたい。
この頃もまだ「索餅」とも呼ばれていたみたいだけど、「素麺(そうめん)」という表記も見られるようになるとか。
ただ小麦粉の生地を練ってのばすから「素」の「麺」なのかな?
室町時代はゆでてから洗った麺をもう一度蒸したりして暖める食べ方が主流だったとか。
その後、江戸時代になると、今のように冷たい麺として食べられるようになるみたい。
当然、冷蔵庫・冷凍庫がない時代なので、冷たい井戸水で冷やした程度だとは思うけど。

経緯からわかるように、素麺の発祥の地は奈良。
そして、細い麺状に引き延ばす製法も奈良の三輪地方が発祥のようなのだ。
「揖保乃糸」でおなじみの三輪素麺が元祖みたい。
ここから摂津や、播磨や小豆島に手延べ技術が伝わり、二期作などで小麦の生産が盛んで、同時に、海塩の産地も近い瀬戸内海沿岸に広がっていったみたい。
西日本では摂津の「灘素麺」というのがメジャーだったみたいなんだけど、近代に入って市街化が進んだこともあり、その後塵を拝していた播州素麺がトップに躍り出たようだよ。
素麺というと「播州手延べ素麺揖保乃糸」が真っ先に思い浮かぶよね。

素麺の伝統的な製法は、もむ擬古に塩を足して水で練って生地を作り、休ませながらちょっとずつ延ばしていくのだ。
日本の小麦はグルテンが少ないので、一気に延ばそうとすると切れてしまうので、寝かせながら、段階的に伸ばしていく技術が必要で、これには熟練が必要みたい。
このとき、麺同士がくっつかないように表面にうすく油を塗るんだよね。
素麺の場合はゆでた後に流水で洗うので基本的には食べるちょきにはその油の風味は除かれるのだ。
もともと塩が結構入っているから、スープに乾麺を入れてそのままゆでて食べる、という食べ方はできないんだよね。
三輪素麺のように温かい汁麺の「煮麺」で食べるときも、一度ゆでて洗ったものを温かいつゆに入れるのだ。

これと対極的なのは、イタリアの乾麺であるパスタ。
乾燥パスタに使われるのはデュラム小麦。
特にグルテン含有量が多い小麦なのだ。
粘りけが少ないのでパンには向かないのだけど、逆に、粘りけがないから、生地をのばしてパスタに加工できるみたい。
もともと胚乳が黄色いので、麺に加工した後も黄色いのだ。
卵の色じゃないんだね!

日本の小麦はグルテンが少ないので生地を作ったときに粘りけは少ないのだけど、それだけぼそぼそした生地なので、技術がないと生地を伸ばせないのだ。
これは完全に職人技。
今では機械化も進んでいるけど、長年培ってきた経験と知恵がそこには活かされているのだ。
うどんも含め、乾麺にしたときの状態の違いや、ゆでた後の食感の違いなどはグルテン量の差なんだよね。
パスタのカッペリーニなんかはかなり素麺に近い細い麺だけど、やっぱり食感が違うんだよなぁ。
同じような作り方をしている乾麺なのに不思議だよね。

ちなみに、今はかなり極細の素麺があるけど、これは最近になって出てきたみたい。
外国産のグルテンの多い小麦(「外麦(がいばく)」というらしいよ。)を使うことで実現しているのだ。
三輪麺の場合は細ければ細いほど高級なんだって。
これは麺をつるつるっとあまりかまずに食べる食習慣から来るんだろうなぁ。
いわゆる「のどごし」。
パスタはあくまでもかんで食べるものなので、「アルデンテ」のような食感が大事なんだよね。
でも、その「のどごし」を追求したものが外国の小麦でないと作れないというのは皮肉な話だね。