2023/07/29

がーせー

 ツイッター(今は「X」?)の新機能が話題になっているのだ。
コミュニティノートと呼ばれるもので、誤解を招くような内容のツイートがあった場合、ユーザーが協力して背景情報などを匿名で追加できるようになったんだよね。
事実上のファクトチェックとして機能していて、わざと古いデータを持ち出してきたり、ごく一部の自分に都合のよい部分だけ抜き出してきたり、そもそもエビデンスのない話であったりすると、背景情報が追加されるんだって。
すでに大手マスコミの記者のツイートもやり玉に挙がったりしているようなのだ。
これまでは自分でそれが事実かどうか確かめないといけなかったわけだけど、多くの匿名のユーザーの協力によりファクトチェックができるようになったので、画期的と言われているんだ。
しかも、リプライのようにブロックできない!
あえて匿名になっているので、特定の誰か(特に影響力のある人)がこう言っている、ということではなく、エビデンスをきちんと示してその中身で判断してもらおう、ということらしい。

この流れは、偽情報(disinformation)対策としてけっこう有効だと思うのだ。
ツイッターのようなテキスト系のSNSが普及した結果、内容の審議の吟味や判断をせず、それが印象的だった、インパクトがあったと言うだけで拡散するユーザーがけっこうな数いて、そうして拡大再生産されていくと、まるでまるであたかもそれが申述だから広まっているような誤解につながるのだ・・・。
むかしであれば、風説の流布というのはじっくり時間をかけて、また、情報を流すルートもしっかりと考えて、ということが大事だったわけだけど、とにかくインパクトがあって、そういうユーザーの関心を引きそうな内容で発信できれば勝手に拡散していく、というわけなのだ。
これに対し、ファクトチェックというのはけっこう大変な作業で、いちいちそれを公的な主体が確認・検証していく、というわけにもいかないんだよね。
政治的な色合いを持ったデマとかフェイクニュースみたいなのも実際にあるので、政府としても何か対応を考えざるを得ないけど、そういう状況だと、どこまで手が回るかはわからないわけ。

そんなとき、この手法は、匿名の集合知を使ってかなりのファクトチェックを実現できているようなのだ。
皮肉にも、一度流布したデマやガセを否定するような訂正情報って言うのは拡散しづらいんだよね。
なので、せっかくファクトチェックしても、その内容をどうやって広めるかも課題なのだ。
このコミュニティノートの場合は、拡散元の情報に直接背景情報が追加できるので、そのお騒がせな情報に触れた人に直接届けられるという利点があるんだ。
これはなかなかうまくできた仕組みだと思うんだよね。
どこまで狙って作ったのかはわからないけど。
少なくとも、東日本大震災後の「EM菌は放射能も除去する」だとか、新型コロナがはやり始めたコロの「トイレットペーパーが品薄になる」みたいなデマ情報の拡散がかなりの部分防げるかもしれないんだよね。
コミュニティノートがつく前にそれを見知った人が口コミで広めるのまでは押さえ込めないけど。
陰謀論がはやるのもそうなんだけど、どうも人は心理学的に自分が信じたいものを真実だと思う傾向があるんだよね。
そうなると、いくら客観的事実をエビデンスと示してもダメな場合はあるのだけど、いわゆる盲目的な信者以外は目覚めさせることができる可能性はあるわけ。

愉快犯で面白おかしくうその情報を広めると言うくらいなら迷惑だなぁ、で済むこともあるんだけど、最近は政治的な目的で偽情報を拡散し、社会を混乱させたり、偏った方向に煽動したりという動きも出てきているので、これはよりシビアに対応が求められるわけだよね。
しかも、ネットの世界だと拡散力が段違い、そして速い!
真偽判定だけで言えば、ビックデータとの照合でAIを活用すればかなりのことができるようになるけど、仮に「偽」だった場合、それをどのようにただしていくか、というのはまた別の問題で、今回の方法はそこがきれいにうまくセットになっていたというのがポイントなのだ。
イーロン・マスクさんに買収されてから批判が多かったけど、この心機能は賞賛すべきだよね。
一部のデマを垂れ流していた人たちは批判しているようだけど(笑)

ちなみに、「ガセ」というのはもともとはテキ屋界隈の隠語で、「おさわがせ」の「がせ」らしいよ。
本物でなく、人騒がせなものだから、というのが語源だとか
ここから、偽物、まがい物そのものを「ガセ」と呼ぶようになったのだ。
今回のように背景情報を追加されて、うそ認定されることでかえって話題になることもあるから、「偽物」というよりは「人騒がせなもの」という感じなのだ。
そういう意味では、SNSのガセ情報というのは語源に近い使い方をしているわけだね。

2023/07/22

本当に好物か?

ゼルダの関係で任天堂が米国で炎上しているそうなのだ。
なんでも、リンクがスイカにかぶりついている絵が「黒人差別」らしい・・・。
っていうか、日本の文化としては、スイカは夏を代表するもので、夏らしさを描こうとしていると思うんだけど、米国では、スイカ=黒人奴隷の好物、というステレオタイプな受け止めがあって、それで差別という話につながるんだとかなんとか。
よくわからないけど。
多様性を認める世界を目指すなら、自国の価値観を外に押しつけるんじゃなくて、相手側の価値観にも理解を示すべきじゃないの?、とは正直思うよね。

19世紀の米国、特に大規模プランテーション農業で黒人奴隷を多く使っていた南部では、黒人のイメージとして、少しの休憩とスイカさえ与えておけば満足している、というのがあったんだって。
これが事実かどうかはよくわからないけど、当時の奴隷には人権なんて概念は適用されないし、過去の文献を見ると黒人奴隷の扱いは相当ひどかった例も報告されているよね。
だとすると、休ませてやるだけでもありがたく思え、甘いものとしてスイカを与えているだけでも喜べ、と思っていた可能性はあるんだよね。
ただし、本当に黒人がスイカのことを好んでいるかというと、実際の消費傾向を見ると、別に黒人が特に好んでスイカを買って食べているわけではないらしい。
まさに、イメージ先行のもので、後に絵のイメージとともに米国文化の中にすり込まれていったみたいなのだ。
その後、テレビショーなどで黒人の扱いを揶揄するような場面でも、わざと「スイカに異様な執着を見せる」みたいな形で扱われてきたようなのだ。まさにステレオタイプ。
そこから脱却できていないのが差別が残っている証拠のような気もする。


こういうステレオタイプの刷り込みというのはいろんなところにあるんだよね。
例えば、日本画の世界では「梅にウグイス」というのが絵になる取り合わせとなっているのだ。
で、2月の梅の時期に緑色の鳥が梅の木の枝にとまっていると、ついついウグイスだと思ってしまうわけだけど、たいていの場合、これじゃメジロ。
まず、メジロは明るい緑で、ウグイスはくすんだ緑(ウグイス色)なので色が違うし、メジロの場合は名前のとおり目のまわりが白いのだ。
メジロは梅の花の蜜を吸いに来るのでよく梅の木にとまっているけど、そもそもウグイスは昆虫などを食べるので、たまたま近くに梅の木があればとまるだろうけど、梅の木をめがけてくることはないのだ。
春を告げるかのごとく「ホーホケキョ」と鳴くウグイスが、やはり春の訪れを告げる梅の花の咲いた木にとまっている、というのが観念的に「絵になる」だけで、実際の自然現象で春にそういう場面が多く見られる、ということではないんだよね。
黒人とスイカもまあそんなところで、重労働の農作業の休憩時間に甘みがあって水分補給もできるスイカが与えられれば喜ぶのだろうけど、普段からスイカを好んで食べているわけではない、ということだと思うんだよね。

で、黒人の食文化としてもう一つwすれてはいけないのがフライドチキン。
南部では白人が食べるものではないとまで言われるのだけど、ケンタッキー・フライドチキンのおかげもあって広く食文化として浸透してきているんだよね。
日本なんかは独自の進化もしているけど。
で、こっちは本当に黒人につきものだったのだ。
というのも、奴隷制の残っていた時代の黒人が肉を食べようと思うとフライドチキンくらいしか食べられなかったようなのだ。
そもそもウシやブタは食べさせてもらえない。
トリは食べさせてもらえるのだけど、西洋で好まれる胸肉をとった残りの食べにくい部分(=手羽やモモなど)を多少悪くなっても食べられるようにする調理法である油で揚げるという手法でのみ許されたのだ。
油で揚げると全体が柔らかくなって軟骨とかも食べられるようになるしね。
で、黒人たちがおいしそうに食べているので、白人たちも食べてみたくなった、ということで、黒人だけのものじゃなくなったみたい。
そのフライドチキンがドライブインの名物になり、それがチェーン展開して、というのがケンタッキー・フライドチキンなのだ。

では、お金があれば何でも食べられるようになったこの現代においても黒人はフライドチキンばかりを食べるのか?、好むのか?
これはなんとも言えないけど、米国のケンタッキー・フライドチキンのお店に行くと、黒人やヒスパニックの人ばかりなのは事実。
これはそういう人種というより、低所得者層ということのようで、マクドナルドも同じような傾向があるのだけど、中所得者層以上でもハッピーセットの魅力にはあらがえないらしく、それだけ持ち帰りで買って帰る白人はいるのだ。
けっきょく、お金があれば食べるものは自由だけど、貧困状態であれば食べられるものが限られてくる、ということで、安価でカロリーの高いフライドチキンは低所得者層向けの料理、ということなんだと思う。
フライドチキンって米国発祥の料理でかなり有名なものであるとは思うけど、あまり米国料理の代表選手として出てこないのは、こういう事情があるからなのかも(米国料理の代表って、ハンバーガーが圧倒的だよね。)。

いずれにしても、食べ物と差別感情のつながりはどうしても文化的背景に根ざしているので、外部者からはわかりづらいのだ。
だからといって見過ごしていいわけではなく、不快な思いを抱く人がいるなら配慮はすべきだけど、自分たちの価値観を押しつけて攻撃してくるのはどうかと思うんだよね。
こういうのって、多くの場合、「不快に思っている」人々ではない人が声高に叫ぶから問題のような気も。
それはともかく、相互理解のためにはお互いのことをよく知ることが大事で、その上でどうしたらよいのかを話し合うってことかな。
 

2023/07/15

酸味は危険

ネットのレシピは危ないものも多いと言われているけど、新しいやつが出てきたのだ。
これまで問題になったのは、豚肉ユッケとかだったけど、今度は自家製サワークリーム。
ツイッターで拡散されているのは、特濃牛乳を買ってきて、瓶に移し替えてから日陰に2~3日間常温で放置、そうするとクリームが分離してくるので、それを取り出すと酸味のあるサワークリームのできあがり、別の容器に移して冷蔵庫へ、というものらしい。
っていうか、いきなり牛乳を常温で数日放置って危険すぎる・・・。
酸味が出てきているかもしれないけど、同時に刺激臭もあるのでは?
つまり、腐敗しているのでは。

本物のサワークリームは、生クリームを乳酸発酵させたもの。
つまり、このレシピとは順番が逆で、先に牛乳を静置して生クリームと低脂肪乳に分け(工業生産的には遠心分離)、その生クリームをヨーグルトとか発酵バターの要領で乳酸発酵させるのだ。
生クリームは脂肪分が多いからちょっとくどいけど、これを乳酸菌発酵させることでさわやかな酸味が出てくるんだよね。
ちょっと乳酸発酵させると保存性が高くなるので(これはヨーグルトも同じ)、最初はそのために発酵させてたと思うんだけど、生クリームそのものとはまた違った使い方ができるのも今につながっている理由なのだ。

ちなみに、ボルシチやビーフストロガノフにかかっているのは「スメタナ」と呼ばれる東欧の発酵乳。
こちらは低温で発酵させた乳で、好気性菌と嫌気性菌が共存して発酵しているのが特徴。
基本的に乳酸菌と呼ばれる一群のバクテリアは通性嫌気性菌(酸素があったもなくても生きていけるもの)で、乳酸発酵は酸素の非存在下で進むんだよね。
これにはちょっと熱をかけてあげないといけないし、殺菌もしたいので、鍋に入れてじっくりあたためながら、ゆっくりかき混ぜる、ということをするのだ。
これはヨーグルトも発酵バターも同じ。

今回のレシピでまずいのは、瓶に移し替えるという部分。
特濃牛乳を買ってきた状態だと、牛乳は加熱殺菌されているし、パックの中は清潔なので、問題ないのだ。
ただし、開封後は早めにお召し上がりください、ということで、外気に触れると雑菌が混入するおそれがあるので冷蔵庫で保存しつつ早めに消費してね、ということ。
なのに、滅菌しているかどうかもわからない瓶に入れて常温で数日放置、ということなので、ほぼほぼ腐敗するような気がするんだよね・・・。
用王のスメタナの場合は、もともと気温も低く、低温発酵ガス済んでいくので、雑菌が繁殖しにくいという事情があるのだ。
これをより気温が高く、湿度もある日本でやる、というのはちょっと危険。
せめて、冬とかに限定しないと。

どうしても試してみたい場合は、
①冬の寒い時期に
②煮沸消毒して滅菌した容器に移し替え
③そこにヨーグルトなどの乳酸菌煎りの発酵乳を種として少しまぜ
④しっかり栓をして、直射日光の当たらないところで静置
という感じかなぁ。
買ってきた生クリームを少しあたためてヨーグルトをほんの少しだけ添加、その後滅菌容器に移して発酵させる、でもよいような気はするけど。
納豆菌だとほかの雑菌より強いから失敗はしづらいのだけど、乳酸発酵はけっこう難しいんだよねぇ。
数日おいてみて、刺激臭や腐敗臭がしていたら失敗なので、素直にあきらめましょう。

一番安心なのは、しゃんされているヨーグルトメーカーで作ることかな。
普通の牛乳を使えばヨーグルトができるけど、生クリームを使えばサワークリームになるはずなので。
無調整乳を買ってきて、クリームと低脂肪乳に分けた後、それぞれ乳酸発酵させると、クリームはサワークリームに、低脂肪乳はカッテージチーズになるよ。
カッテージチーズの場合は、凝固分が多く含まれる「カード」というものができるので、それを水切りする必要があるけど。
そう考えてみると、ヨーグルトメーカーというのはけっこう面白い機械かも。

2023/07/08

ガ~ス~

東京新橋でガス爆発事故があったのだ。
カフェバーで店員さんが雷太0でたばこに火を付けたらどかん、ということのようなんだけど、このお店はオール電化でガスは使っていなかったらしい。
どうも、原因は上階の内装工事の際に工事業者さんがガス管の接合部を謝って外してしまったそこからガスが漏れたらしい。
火を付けた人は無事だったようだけど、なんかガス臭いと思っていたんだって。
でも、自分のところはオール電化だからまさかそんなことが起きてるとは思わなかったようなのだ。

でも、この話に少し不思議なところがあるんだよね。
上階でガス漏れがあったのはそうなんだろうけど、これは都心部なので漏れていたのはおそらく都市ガス。
つまり、メタンガスを主成分として液化天然ガス(LNG)なのだ。
で、これは空気より軽いんだよね(空気1に対して都市ガスは0.6くらい)。
そう、普通に都市ガスが漏れると空気より軽いので上に行くのだ。
おそらく、今回は配管の位置だとか、建物の構造で下の階に漏れ出てしまったのだろうとは思うけど。

これに対して、郊外に多い液化石油ガス(LPG)、通称「プロパンガス」は、プロパンやブタンと言ったガスが主成分で空気より重いのだ(空気1に対して石油ガスは1.5くらい)。
なので、この場合は漏れると下に行くよ。
一戸建ての建物でプロパンガスが漏れると床下にたまったりして、そこにポイ捨てのタバコが投げ込まれると床下からどかん、となるわけ。
今回仮に漏れていたのがプロパンガスだった場合、重さにより下の階全体にガスが広がることが想定されるので、ライターで火を付けた店員さんは助からなかったかも。
本来茎より軽いガスが上の階から漏れ出してきて、天井付近にたまっている幹事だったからなんとか助かったような気がするのだ。

こういうガスの違いっていうのはやっぱり知っておいた方がいいんだよね。
一般には、都市ガスは安い、プロパンガスは割高、というイメージだけど、これは規制のかけ方とかもあるんだよね。
都市ガスはガス事業法で規制されていて、かつては地域独占が認められていた一般ガス事業者が提供していたのだ。
独占を認める代わりに規制料金で、経済産業省の認可を得た料金設定になっていたわけ。
一方で、プロパンガスは高圧ガス保安法なんかで安全規制はあるけど、料金は自由設定。
もともとガスボンベを運んで交換して、という人件費がかかる形式だし、多くの場合協働は働かないので、料金は高めになりがちではあるんだよね。

でも、実は、都市ガスが安いのは、すでにパイプラインが整備されているから。
ガス管網から少し外れたところに都市ガスを引こうとすると、そこまでのパイプラインの整備費用を要求されるんだけど、それはめちゃくちゃ高いのだ。
これは電気も同じで、すでにある配電網から外れたところに電気を引こうとすると、引き込み線を引くのにとてもお金がかかるんだよね・・・。
そうなると、月々の料金は少し割高でも、プロパンガスが優位になるのだ。

プロパンガスはそんな消極的なメリットしかないかというと、そうでもないんだよ。
ひとつは、災害に対する強さ。
都市ガスの場合はガス管が折れて使えなくなってしまうと復旧にものすごく時間がかかるんだよね。
でも、プロパンガスの場合は新しいボンベを持ってくればよいので、すぐに普及できるという利点があるのだ。
それと、ガスの成分から来るものとして、プロパンガスの方が火力が強いんだよね。
中華のような強い火力を求める飲食店は好んでプロパンガスを使う場合もあるほど。
最近はIHヒーターでもいろんな料理が作れるようになっているけど、やっぱり高火力のガスで、というのもプロの世界ではあるようなのだ。

ちなみに、どちらのガスも本来は無臭。
でも、ガス漏れを検知しやすいように、わざと「ガス臭い」においを付けているんだよね。
今回もなんかくさかったと言っているようなので、やっぱりそういうにおいがしたら、念には念の入れて気をつけた方がいのだ。
あれほどの大爆発が起こるほど漏れていたのに、しかも、おそらくにおいにも気づいていたのに、誰もガス漏れを気にしなかったのは逆にすごいような気もするけど。

2023/07/01

で、いつなの?、いまでしょ!?

各種調査で内閣の支持率ががた落ちしているらしいのだ。
その原因は、長男による公邸でのはっちゃけ忘年会と、毎なカードに関する不祥事、そして、首相が解散権をもてあそんだからだって。
なんか、最後のやつは違うような気もするけど、特に今の政権は「けっきょく何がやりたいの?」というのが明確に見えないから、そういうのもあいまって、「国民に信を問う」という部分が見えず、政略のためだけに解散をちらつかせた、ってことみたい。
ま、こういうのはマスコミも中立的に報道するわけではないし、SNSとかでも声が大きいのがそういう人が多いから、実際に国民がどう思っているかはよくわらないのだけど。
で、ちょうどよい機会になったので、衆議院の解散について少し調べてみたのだ。

日本国憲法では、衆議院の解散に関する条文は2つだけ。
1つは天皇の国事行為を規定した第7条で、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」として、第3号に「衆議院を解散すること」というのがあるのだ。
基本的に天皇の国事行為は政治性を帯びないもので、実務上には内閣が決定したことを形式的に行う、という整理だから、内閣が解散について権限を持っている、というように読めるのだ。
もちろん、諸説はあるけど。

よく解散は首相の専権事項と言うけど、それは別の憲法の規定との組み合わせ。
それは第68条第2項の「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」で、仮に内閣の中に解散について反対する国務大臣がいても、その人を罷免することで解散に踏み切れるから。
理論上は首相だけで構成される「一人内閣」でもよいのだ。
実際には、小泉内閣における郵政解散のとき、解散に反対した島村農水大臣が罷免されたのが唯一の事例だそうだけど。
でも、首相が解散すると決めたらそれが実行できるようにはなっているのだ。
これが「首相の専権事項」と言われる由縁。

もうひとつの解散に関する憲法の規定は、第69条の「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」というもの。
これは、衆議院において不信任決議案の可決又は信任決議案の否決があった場合は、衆議院の解散か内閣総辞職をしなければならない、という規定。
どうも、戦後のGHQとのやりとりを見ると、戦前の明治憲法下では、議会を黙らせるために内閣が恣意的に解散権を行使して、みたいなものがあったので(例えば、近衛内閣における国家総動員法)、内閣が自由に衆議院の解散を決めるのはよくなくて、あくまでもこの第69条にあるような、内閣に行政を任せられない旨の議会の決議があってはじめて、ということにしたかったみたいなんだよね。

戦後すぐは、第69条の規定に関係なく内閣は解散権を有するという考え方と、解散はあくまでも第69条のシチュエーションに限定されるべきとの考え方で対立があったみたいなんだ。
まだGHQの影響下にあった1948年(昭和23年)の吉田内閣における「馴れ合い解散」は、第69条に縛られずに解散できるとする政権側と、第69条の場合に限定されるべきとの野党側の対立があったときに、GHQかた第69条に限定されると解釈されるべきと言われ、形式上内閣不信任決議案を可決させてから解散したのだ。
なので「馴れ合い」なわけ。
ところが、2回目の解散が行われた1952年(昭和27年)の段階では、野党側も早期解散へと主張を転換していて、政界では第69条に限定すべきとの主張がうすくなっていて、第7条の規定のみをもって解散が行われたんだ。
このときから、実質上第69条とは関係なく解散が行われるようになったわけ。

じゃあ、首相が「あ、解散しよ」って思ったら自由にできるかというと、そういうことでもないみたい。
やっぱり解散総選挙にはお金もかかるわけだし国政について民意を問う必要性がないとダメだ、として、解散権の濫用は牽制されているのだ。
そういう議論の中で憲法学者から示された、解散してもよい限定的な場合が4つあるんだよね。
①予算案や内閣の重要案件が否決されたり、審議未了廃案になるなど、内閣不信任と同等の判断が国会で下されている場合
②長期の審議中止等で国会機能が実質的に麻痺している場合
③党利党略により不信任決議案が提出されないまま国政・国会が停滞した状態になっている場合(野党が解散をおそれて不信任決議案を出さないのはよくあること)
④是階層選挙では争点となっていなかった重要案件が新たに発生していて、それについて国民の判断を求めるのが当然とされる場合
逆に言うと、こういう大義名分がない場合は、解散権をもてあそんでいると批判されるわけ。
で、今回はまさにそうなんじゃないか、っていうことみたい。
ただし、防衛力強化や異次元の子育て政策のための増税という話が出てきているから、真っ向からそれに対して国民の信を問う、というのはないわけではないけど。
でもでも、増税を争点に選挙すると与党は負けるので、普通はそういう切り口では解散しないんだよね(笑)