2022/07/30

どんな肉も・・・

近所にかなりおいしい焼き鳥屋さんがあるのだ。
ハツ(心臓)やささみなんかを食べてみるとより実感するんだけど、ふっくらと焼き上がっているんだけど、しっかりと火が通っていて、絶妙な焼き加減。
これはそこら辺の居酒屋で食べられるものとは段違いなのだ。
俗に、串打ち三年焼き一生なんて言われる焼き鳥の技術だけど、技術力の差が出るんだなぁ、と思ったよ。

そんな焼き鳥だけど、実は海外の人から見た場合に日本を代表する料理のひとつなんだよね。
海外で好まれる理由のおおきなものは、宗教的な禁忌にあまり影響されない鶏肉の料理であること。
そして、これも大きな理由だと思うけど、いわゆる「ザ・日本」の味付けである甘辛いたれであること。
そういえば、海外で見る焼き鳥はみな「たれ」で、まず「塩」はないんだよね。

ボクがパリにいた頃は、エセ日本料理屋も含め、日本料理のつーっトップは寿司と焼き鳥だったんだよね。
天ぷらやすき焼きではないのだ。
ま、焼き鳥だと、味付の冷凍のものを暖めて焼き色つけるだけで出せる、というのが大きいのもあるだろうけど、それだけ海外の人にも好まれている料理だということだよね。

歴史的には、仏教的な禁忌からあまり肉を食べてこなかった我が国でも比較的よく食べられていたのが鶏肉。
すき焼きとかにもしたけど、串に刺して焼くみたいな単純な方法は当然あって、かなりさかのぼれそうなのだ。
京都伏見稲荷の参道で売られている「すずめ焼き」なんかは、まるまる一羽を串に刺して焼いてあるものだけど、平安時代からあるのだ。
でも、今の形に似た焼き鳥形態が文献にレシピで登場するのは江戸時代らしいよ。
ただし、江戸時代は肉を食べるためにニワトリを育てているわけではないので、卵を産まなくなった雌鳥のほか、餅などで捕獲してくる鳥、例えば、ウズラとかヤマドリ、ヒヨドリ、キジ、ツグミ、スズメなどいろんな鳥を食べていたみたい。
明治になると肉食用の養鶏が始まるので、ニワトリに落ち着いていくのだ。

ところが、大戦後は、 物資がない中、闇市では「焼き鳥」という名の、なんだかよくわからない肉を串に刺して焼いてあるものが並ぶんだよね。
今から考えるとホルモン焼きのようなものだと思うけど、それまではあまり食べられてこなかったような内臓系の肉を安く仕入れてきて出す、みたいなことが起きるんだよね。
今では「焼き鳥」とはいわず、「ホルモン焼き」やら「串焼き」としてきちんと売られているけど、あしたのジョーでもおなじみの山谷地区(浅草と南千住の間)なんかには、串焼きや煮込みなどもつ料理を出す低価格帯の店が数多く並んでいるのだ。
新橋のガード下は今はニワトリの肉だけど、戦後すぐはやっぱりそういう肉だったんじゃないかなぁ。


でも、実は「焼き鳥」には地方さもあって、必ずしも鶏肉ではないことも。
って、なんだか矛盾しているんだけど。
有名なのは北海道。
道央の美唄焼き鳥や道南の室蘭やきとりは豚肉。
そして、知る人ぞ知る函館のハセガワストアの焼き鳥弁当も豚肉だよ。
これは北海道開拓の際に養豚業が盛んになって豚肉をよく食べていたからとかなんとか。
十勝には豚丼もあるし、肉といえば豚、的な文化が北海道にはあるみたい。
(と言いつつ、ジンギスカンは羊肉・・・。)

同じように、埼玉の東松山名物の「焼き鳥」も実は豚肉(「かしら」と呼ばれるほほ肉)なのだ。
これは孤独のグルメにも出てきたから知っている人は知っているけど、特性の味噌だれをつけて食べるんだよね。
これは明確に発祥のお店がわかっていて、その店ではやったからまわりで広まったみたい。
そういうのもあるのだ。

肉の違いだけじゃなく、形態の違いもあるよ。
愛媛の名物と言えば今治の焼き鳥。
これは俗に「鉄板焼き鳥」とも呼ばれるもので、串に刺して焼くんじゃなくて、鉄板の上でやいてたれにからめるのだ。
宮崎名物の地鶏の炭火焼も近い作り方だけど、こっちはあまり「焼き鳥」には分類されないんだよね。
不思議。
地鶏の炭火焼は、一口大に切った宮崎地鶏に塩こしょうをして、鉄板の上で焼くんだけど、そのとき、炭のすすがかかるほどの強火で焼くことで香ばしい香りをつけるのが特徴。
っていうか、これも「焼き鳥」だよね。

こういう地域差があるというのは、この調理法が割と全国規模で好まれている、ということだよね。
軽食にもいいし、お酒のつまみにもいいし、おかずにもなるし。
そして、材料で使われる鶏肉や豚肉は牛肉に比べると臭みがないので、肉食になれなかった昔の人でも食べやすかったんだと思うんだよね。
炭火で焼くときは油も落ちてより臭みが抜け、香ばしい香りがつくし。
実は、江戸時代から数えても二百年を超える伝統料理。
日本料理の代表選手でもいいわけだね(笑)

2022/07/23

匂い立つ大地

アニメ「ゴールデンカムイ」はつに冒険の舞台が樺太に移ったのだ。
このコンテンツのおかげで一気にアイヌへの関心が高まったようだけど、千島列島や樺太についての日本とロシアの関係にも注目が集まるかも。
政府が発信してもなかなか北方領土の話は伝わっていかないけど、こういう娯楽コンテンツは協力なんだよなぁ。
でも、それ以上に今は樺太(サハリン)が社会の注目を集めているのだ。
それは、「サハリン2プロジェクト」の行方・・・。
日本のエネルギー事情に大きな影響が出かねないんだよね。

ロシアは大資源国で、中でも天然ガスは大量に採掘できるのだ。
その天然ガスはユーラシア大陸を横断するパイプラインで欧州諸国に供給されているんだけど、その欧州地域への入口になっているのがウクライナ。
このパイプラインはウクライナを通って西側に延びているんだよね。
ちょっと前、ウクライナで親EU政研ができてロシアともめたとき、ロシア(というか、実際には国営企業のガス供給会社のガスプロム)はウクライナ向けのガスの価格を上げてきたのだ。
旧ソ連地域のよしみで西側諸国より安く卸してもらっていたんだけど、それを西側諸国並みの価格にする、と宣言されたわけ。
これでウクライナとロシアがもめて、ウクライナ向けの供給は止める、とかいう話に発展したのだ。

このとき、西側へのパイプラインはウクライナを通っていて、西側向けの供給は止めていないので、ウクライナに敷設されているパイプラインにはガスが通っているわけ。
で、このもめ事があった後、西側へのガス供給が支払った金額に比べて少なくなっている、ということがわかったんだって。
ロシアはウクライナが途中で勝手に抜いているんだと言い、ウクライナは当然そんなことはしていないと言い、けっこう欧州地域でもめたみたい。
その頃から欧州のガス供給問題はウクライナがネックになっていたのだ。
で、今回の紛争で、やっぱりロシアから欧州地域へのガス供給が滞っていて、ドイツやフランスなどでは大規模なエネルギー不足問題が発生しようとしているんだよね。
原子力で電気青まかなえるフランスはまだましなんだけど、原子力を捨て、自然エネルギー偏重に転換していたドイツはロシアのガスがないと相当つらそうなのだ。
これが欧州で問題になっている天然ガスの問題。
日本はわりと「対岸の火事」的に見ていた人が多いと思うんだけど、今度はそれが「我がこと」になりつつあるのだ。
それが「サハリン2」の問題。
やっと樺太に話が戻る(笑)

ロシアは資源大国なんだけど、まだまだ資源が眠っているとよそくされているのだ。
そのひとつが樺太周辺の化石燃料資源。
樺太等の周辺を8つの鉱区に分け、それぞれ開発をしようという話が出てきたんだよね。
そのうちの第2鉱区、樺太北東部沿岸域で天然ガスを採掘しているのが「サハリン2プロジェクト」だよ。
ソ連崩壊後のロシアには資金力も技術力も不足していたので、このプロジェクトには外資の参加を角だったのだ。
で、距離的に近いこと、天然ガスの供給もとに多様性を持たせたいことなどから、日本も参加することになって、石油メジャーのシェルとともに、三井物産や三菱商事がこの話に参加したのだ
プラント建設にも日本企業がロシア企業と共同で受注していたりするよ。
で、サハリン2だけは開発が成功し、天然ガスの採掘が行われていて、日本も買っているんだ。

でも、この開発途上でもロシアらしい「いやがらせ」的な話があったんだよね。
2001年にいったん開発計画はロシア政府に承認されるんだけど、2006年になって、環境アセスメントの不備を指摘して、プロジェクトを止めろ、と言い出したのだ。
あわや開発中止かとなったんだけど、ロシアの国営企業のガスプロムが、シェル・三井物産・三菱商事で作ったサハリン・エナジーという開発会社に51%の株式保有率で参加することで解決させたのだ。
なんか、難癖つけてこのプロジェクトをロシア企業が乗っ取ったようにしか見えないよね・・・。
もともとそういうことをする国だから仕方ないのかもだけど。
こうしてなんとか開発中止の危機を乗り越え、供給開始までこぎ着けたのだ。

ところが、ロシアのウクライナへの侵攻を契機に、シェルがサハリン2から撤退。
日本企業にもかなりプレッシャーがかかったんだけど、エネルギー安全保障の観点から日本企業は引き続き参加する、という判断になったのだ。
で、なんとかなったはずなんだけど、今般新たな大統領令が出て、サハリン2の運営はロシアの新会社にすべて移せ、となったのだ。
これにはこれまで出資してきた日本企業もびっくり、というのが現状。
日本のロシアへの天然ガスの依存度は9%程度らしいけど、1割近くなくなるのあつらいよね・・・。
ただでさえ原発が再稼働できずに火力が主力になっているのに、
そして、欧州もロシアからガスが手に入らなくなってきているので、他の地域から買おうとするのだ。
それで天然ガスの国際的な争奪戦が起きていて、価格も跳ね上がっているんだよね。
そんな状況下でこれはやばい、というのが今回の問題なのだ。
やっぱりロシアは「おそロシア」だ。

2022/07/16

人の不幸は・・・

大変な事件が起きて、改めてカルトと言われる宗教集団に注目が集まっているよね。
宗教団体はお布施や寄進を募るものだけど、余裕がある分をもらうのではなくて、根こそぎ持っていって生活を破綻させるまでになるから問題になるのだ。
そういう悪質なのがけっこうあるみたいだね。
でも、いつも思うんだけど、なんでこういう手口に引っかかるのか、というのは疑問なのだ。
家庭が崩壊するまで金を搾り取られていれば不幸なはずで、それで何で途中でやめずに出し続けるんだろう、と。
これには、一応心理学的な作用があるみたいなのだ。

まず、入口として、最初にどうやってお金を出させるか、そこがポイントだよね。
個々人の救済というよりも集金を目的とするようなカルト団体だと、「お金を持っていると執着が生まれ、それが不幸の原因となる。まずはそのおおもとのお金を手放すべき。」みたいなことを言ってお金を出させるらしいんだよね。
通常の感覚であれば、「何言ってんだ」で終わるんだけど、心身を病んでいて正常な判断ができないような状況だと、「そうなのか」とお金を出してしまうみたい。
そうなるとカモだよね。
そういう人でなくても、合宿と称して過酷な環境で軟禁して心身耗弱状態になったところで、なんてもあるみたい、
こうなると悪質度はさらに増すね。

こういう仕組みって、全員から集金する必要は全くなくて、百人、千人に声をかけて一人でも金を出せば、その後はその人をターゲットにして搾り取ればよいだけ、ということなんだよね。
なので、一見荒唐無稽、不可解な理論なんだけど、真珠ルものは救われるとばかりにわらをもつかむ人が見つけられればそれでよいのだ。
弱者を食い物にするというひどい話だけど、実際にはそういう方のがビジネスとしては成り立ちやすいのも事実。
生活保護費のピンハネみたいな話もあるようだけど、悪い仕組みを考える人っているんだなぁ、と逆に感心するよ。

こうして搾り取られていくと、端から見ればかえって不幸になっていくようにしか見えないんだけど、悪い人たちは、「金を出しているからこれくらいですんでいる、出していなかったらもっとひどいことになっていた」と脅すんだよね・・・。
これも全く論拠不明なものだけど、いったんお金を出してしまったような人には通じるようなのだ。
信者っていうのは圧縮して一時にすると「儲ける」だからね。
そして、本人的にも、「ここまで金を出しているんだから後には引けない、必ず幸せにならなければ」と思うようになるみたい。
これはコンコルド効果と呼ばれるやつだね。
株式投資やギャンブルで負け続けると後に引けなくなって大負けする、というやつ。
さらに、こうした不幸の中で、ちょっとでもいいことがあると、すかさず「これまでのお布施・寄進のおかげでよいことがあった」と吹聴するのだ。
これもおかしな話だけど、すでにまともな判断はできなくなっているので、そんなものかと思ってしまうんだろうなぁ。

こうして搾り取れるだけ搾って、さらに、金を出せなくなった後は、無償の労働者として役務を提供させるのだ。
すべての財産を寄付しなさい、なんていう集団は、多くの場合量のような集団生活拠点を持っていて、そこでタコ部屋のような生活を送らせつつ、集団から衣食住を保証してもらう代わりに奉仕をしなさい、と勧誘の手先にしたり、”ありがたい”壺やお札を販売させたり、という感じになっていくのだ。
よくぞここまで、と思うけど、すでに人を人とも思わぬようなかんじになっているんだろうなぁ。
感覚が麻痺してくるのか、もともとそういうタイプ(ソシオパスやサイコパス)の素養を思っている人がやっているのか。

こういう話だけ聞くと悲しい気持ちでいっぱいになるけど、孔子亜手口を知識として知っているかどうかはけっこう重要なんだよね。
知っていれば、あれ、これってあれじゃない、と気づく可能性もあるから。
あんまり見聞きしたくはない話ではあるけど、ある程度知っておくことは重要だと思うんだよね。
道徳お時間で教えるようなものでもないんだろうけど。

2022/07/09

Seven Evenings

七夕ばったばた。
今年は梅雨明けが早かったので、新暦の七夕でもちょっとだけ星空が見えたのだ。
これは珍しいらしい。
七夕というと、笹に短冊を飾って、というのがメインで、平塚や仙台などの七夕祭りを別にすれば、あんまり経済効果がなさそうなイベントなのだ。
でも、最近(?)はちょっと変わってきていて、コンビニとかを中心に、七夕の行事食というのを広めようとしているのだ。
関西のローカルな風習だった恵方巻を全国区にしたり、夏の土用だけだったうなぎを年4回のずべての土用に拡大したりと、その辺は抜け目がないよね。
そんな中で出てきているのが、「七夕そうめん」。
もともとは仙台の方のローカルな風習だったようだけど、ここ最近は七夕が近づくと、そうめんをよく見かけるようになったのだ。
で、これを探るには、もう少し七夕を深掘りしないといけないんだよね・・・。


七夕は中国の風習が日本に持ち込まれて独自に進化したもので、七夕の代名詞とも言える、笹に短冊、というのは江戸時代からの風習のようなのだ、
七夕が九通行事として入ってきたのはおそらく平安の頃なので、その間に貴族の季節行事が一般にも広まっていったってことだろうね。
このあたりはひな祭りや節分(追儺)なんかにも似ているかも。
今では短冊に書く願いに決まりはないけど、そもそもは、裁縫や手芸の技能上達を織女(織姫)に元悔過するものだったみたい。
こっちには起源があって、古代中国に「乞巧奠(きこうでん)」という名称でそういう風習があったのだ。
これは机の上に果物などの供え物をしたうえで、金銀お張りに七色の糸を通して・・・、みたいなもので、短冊なんかは出てこないのだ。
で、日本にこれが入ってくると、糸に見立ててそうめんが備えられるようになったんだって。
これが七夕とそうめんの出会い。

で、この話とは全く異なるところで、夏の時期には影響よけで願掛けをすることがよくあって、ひとつは、夏越しの祓えというのがあるのだ。
これは旧暦の水無月末日に蘇民将来の伝説にあやかって無病息災を願う行事なんだけど、このときは、神社にしつらえられた茅の輪を決まったまわり方でくぐるんだよね。
で、この茅の輪の横には、笹が立てられる習わしなのだ。
これが夏と笹の出会い。
どうも、夏に笹を飾るという発想はここから来ているみたい。
中身は手芸上達と無病息災で違うけど、夏に願う、という点では同じだしね。

さらにさらに、また別の風習があって、中国では、幼くして病気で亡くなった子どもが幽鬼となり疫病をはやらせたとき、生前その子どもが鉱物にしていた索餅(「さくべい」、小麦粉と米粉を水で練って縄上に編み上げた唐菓子)を供えたところ疫病が収まった、という伝説があり、七夕に熱病(マラリアなど)にかからないようにと索餅を供えて食べる習慣あできたそうなのだ。
これも平安期に日本に入ってきていたみたい。
で、この索餅は、そうめんのもとになったものとも言われていて、ここで、七夕、無病息災、そうめんが結びついていくのだ・・・。
で、約1週間前の夏越しの祓えでは茅の輪と笹が無病息災の象徴。
そうして、笹もここに集合されていくわけ。
そんなこんなで、七夕には笹がつきものになり、そこでは何か願い事をする、という感じになり、願い事を書くために短冊が笹につるされるようになっていくのだ。
で、無病息災を願ってそうめんを食べる、という流れみたい。
というわけで、七夕そうめんを食べるときは、無病息災や手芸上達を願った方がいいみたいだ(笑)

ちなみに、全く別のものとして、「七夕ゼリー」なるものもあるけど、これは学校給食の行事食で採用されたのがはじまりみたい。
ボクが小学校時代にはなかったような・・・。
基本は学校給食ででてくるだけのものだったんだけど、最近ではスーパーやコンビニでも、涼しげな青いゼリーに星形に切った果物がのっているものを見かけるよね。
いつのまにか学校での常識が世間の常識になりつつあるのだ。
ま、「ひな祭りケーキ」ほどは商業主義を感じないからいいけど。

2022/07/02

つるっと

夏で暑くなってくると、つるっとした食感の和菓子が出丸のだ。
わらび餅とかくずきりとか。
透明感もあって涼やかでそこもよいよね。
でも、冷蔵庫できんきんに冷やしてしまうと、これらはかたくなってしまうんだ・・・。
もともとデンプンを取りだして糊化(ゲル化)させたものなので、冷えたごはんがかたくなるように、時間経過や冷却によりどうしてもかたくなり、食感が悪くなるんだ。
なので、基本は冷やさずに、涼やかな見た目を愛でて食べるものなんだよね。

わらび餅のもととなるわらび粉は山菜のわらびの根からデンプンを抽出して乾燥させたもの。
山菜のわらびは、若芽・新芽(まだ葉が開ききっておらず、丸まっているもの)をよくあく抜きしてからおひたしにしたして食べるのだ。
まだ小さいものはあく抜きせずに天ぷらにして食べることもあるけど、これはけっこう苦みがあるよ。
で、これらを食用に調理する際、かたい根の部分ははじめに切ってしまうんだけど、この根を細かく刻んで水にさらしておくと、デンプンが溶け出すんだ。
そこからわらび粉を作るわけ。
芋類のように根が太くなっているわけでもなく、そんなに量がとれないので高級品なんだよね。

くずきりに使われるのはいわゆる本くず。
こちらはつる性植物(マメ科)のクズの根から抽出したデンプン。
わらび粉と同じように、クズの根を刻んで水にデンプンを溶かしだし、乾燥させるのだ。
上質なデンプンとしてして知られていて、日本でも古くから食材として使われているんだよね。
やはり量がとれないので、こちらも高級品。
関西ではわりと手に入りやすいそうだけど、関東だとジャガイモ由来のデンプン(いわゆる「片栗粉」、本来はカタクリの根から抽出したデンプンのはずだけど、カタクリからも量はとれないので、今はジャガイモから作るのだ・・・。)や、トウモロコシ由来のデンプン(コーンスターチ)が混ぜて使われることが多いみたい。

よく言われるのは、やっぱり本わらび、本くずの方がなめらかでおいしいというんだよね。
ジャガイモやトウモロコシではもさっとする、というのだ。
これは同じデンプンといっても、植物種ごとにデンプンの構造が違うから。
デンプンはグルコース(ブドウ糖)が重合した高分子だけど、ほぼ直鎖状に連なったアミロースと、細かく分岐して枝分かれしているアミロペクチンの2種類があって、その長さ、枝分かれの具合、それぞれの比率などでデンプンの物理的な性質が変わってきて、ひいてはそれが食感の違いになっているんだよね。
本わらびや本くずはできたてが食べられればおいしいのだけど、実は時間経過によりすぐに劣化するので、賞味期限が短いのだ・・・。
京都にはできたてをすぐ食べてもらう、賞味期限30分の本くずなんてのもあるくらい。
これを防ぐために、トレハロースを加えて劣化しづらくしたりして市販品が作られているんだ。
なので、スーパーなんかで売っている和菓子は、少しのわらび粉やくず粉と、ジャガイモやトウモロコシ由来のデンプンが混ぜられたうえで、トレハロースを添加したものでできているんだよ。
カロリー的には同じなんだけど、食味はけっこう変わるのだ。

これとは似て非なるものとして、江戸近辺の「くず餅」というのがあるのだ。
亀戸天神や池上本門寺、川崎大師平間寺などが有名。
漢字では「葛」ではなく、「久寿」と当て字にするけど、これは小麦粉由来のデンプンを発酵させたもので作られているんだよ。
和菓子界唯一の発酵食品とも言われているのだ。
小麦粉を水で練っていくとグルテンが固まってくるんだよね。
これを乾燥させたものが麩。
グルテンを取りだした後の白濁した液の中には水溶性のデンプンが溶け込んでいて、これを木の桶に入れて長期間乳酸菌発酵させるのだ。
亀戸天神門前の船橋屋では450日間発酵させるんだって!
発酵に使っている木桶にはそこで初めて見つかった植物性乳酸菌もいたそうだよ。

こちらは、発酵させた後に発酵臭(酸味のあるにおい=乳酸発酵でできた乳酸などの酸性成分)を取り除くために、デンプンを沈殿させた後に何度か水洗いし、きれいにしたデンプンを水で練って蒸し上げるのだ。
こちらの場合は、できあがりは白っぽくて不透明なゲルで、寒天ほどじゃないけどわりとかため。
これを菱形に切ってきなこと黒蜜なんかをかけて食べるんだよね。
発酵させていない小麦粉デンプンを使うとういろうのようなもう少しリジッドなできあがりになるのだ、発酵させることでぷるっと感が出るのだ。
で、これは発酵期間をけっこう長くとらないとだめで、酸性条件下でゆっくりと進む反応のようなのだ。
それによりデンプンの質が変化してぷるっと感が生まれるんだよね。

化学的に調べた人もいて、具体的には、直鎖状のアミロースが短くなっていること、分岐しているアミロペクチンの構造が変わっていること、が確認されているよ。
一般にアミロースが少なく、アミロペクチンが多いともちっとした食感になるのだ。
これは粘度が上がるから。
デンプンが水を含んでゲル状になるのは、アミロースとアミロペクチンが網目状の構造を作って、その中に水を包み込むからなんだけど、その網目構造が変わるので、食感も変わるのだ。
もちっと感が減ってぷるっと感が出てくるということは、より多くの水を包んでいる=含水量が多い、ということなので、網目がわりとゆるくなるのかな、とイメージできるよね。
そうすると、アミロースが短くなるなんていうのは直感的にそんなものか、と思うのだ。
基本的に発酵では、大きな分子が微生物に少しずつ分解されていく過程なので、長い・大きいデンプンががっちりと絡み合うより、短い・小さいデンプンがふんわりと絡み合う、という感じになると思うんだよね。