2019/04/26

火気厳禁

パリのノートルダム大聖堂の火災はいまだに大きなニュース。
パリの街のあちこちでも再建のための寄付を求めるポスターをよく見かけるよ。
すでにけっこうお金は集まっているみたいだけど、あれってどれくらいの費用がかかるんだろうね。
どこまでどう復原するかとかでも変わってくるんだろうけど。

そんな中、火事の原因について、新情報が!
やっぱりというべきか、火気厳禁だったはずの改修現場で喫煙していた事実が発覚したって!
その業者はたばこが火事の原因ではないと言い張っているけど、こっちはポイ捨て文化だからなぁ。
火がついたままたばこの吸い殻をすてて、かつ、それを踏んだりしないので、火のついた吸い殻が風でころころと移動する可能性もあるのだ・・・。

当初疑われていた、作業用エレベーターの漏電という線はなさそうとのこと。
燃え方を見ると、火の元はどうも大聖堂内部じゃないかと見られていて、そのエレベーターはちょっと距離があるようなのだ。
ま、まだわからないけど、
で、とりあえず作業関係者とかにさらに話を聞いているらしいよ。

フランスでは、EU指令に従い、公共の場所では原則として喫煙は禁止。
レストランとかカフェも中は禁煙なんだけど、テラス席は喫煙可としているのだ。
でも、パリなんかは条例で路上喫煙も禁止されているんだけどね・・・。
オープン・スペースで灰皿が設置されているからよいという判断なのだろうか?
きわめてグレーだと思うんだけど。

パリで最初に路上喫煙が禁止されたとき、まだ街中には吸い殻捨てがあったんだよね。
通常はゴミ箱の横に「つば」のようなものがついているのだ。
そこで火をもみ消して、吸い殻を捨てる感じ。
でも、これがあるからか、一向に路上喫煙が減らなかったんだって。
そこで、この吸い殻捨てをなくしたところ・・・。
ポイ捨てが激増した!

っていうか、路上喫煙をやめるわけじゃないんだ。
なので、パリは街中ポイ捨ての吸い殻だらけ。
せっかくきれいな街並みと言われているのに非常に残念な感じ。
犬たちの「落とし物」とともに、パリの道の害悪なのだ。
そして、前にも言ったように、火がついたままぽいっと捨てるんだよね。
横にベビーカーがいようとお構いまし。
っていうか、ベビーカーを押している親が喫煙しながらだからね。

そんあわけで、ポイ捨てされたばかりの吸い殻はまだ火がくすぶっているのだ。
それが風でころころと建物の方に行くこともしばしば。
だけど、こっちの建物は基本は石造りなのでそれくらいじゃ燃えないみたい。
日本だったらすぐに火事になるだろうけど。
そんなのもあって、基本的に「火の気」に対しての注意が散漫なような気がするよ。
日本では古来より「付け火(放火)」の罪は極めて重いけど、こっちではそうでもないみたい。
デモとかでもすぐにゴミ箱に火をつけて燃やすしね。
これを機に、ポイ捨てをやめる、最低限火は消す、ってことを徹底しないとダメだと思うんだけどなぁ。

2019/04/20

浄財

パリのシンボルともなっているノートルダム大聖堂で火災があったのだ!
リアルタイムで尖塔が焼け落ちるのが中継されていたんだよね・・・。
まだ原因は究明中とのことだけど、世界中で文化財の火災対策の総チェックが行われているみたい。
日本でも、戦後すぐに放火で金閣寺(鹿苑寺舎利殿)が焼失したけど、これはひょっとするとそれ以上のショックな出来事なのかも。

ノートルダム大聖堂は12世紀に建設が着工されたもので、所在地であるシテ島はガリア人の街だったルテティアの中心地でもあったところ。
まさにパリの古代以来の中心地に建つシンボリックな教会だったのだ。
パリの大司教座でもあるんだよね。
世界遺産「セーヌ河岸」の重要な構成要素でもあるので、観光にもダメージがあるかも。
でも、すでに再建に向けて莫大な寄付が集まっているんだよね。
「黄色ベスト」の人たちは、自分たちは貧困にあえいでいるのに、なぜこの件ではそんな大金がすぐに集まるのかと憤っているらしいよ。

日本でも、宗教施設の修復や再建のために寄付を集める、というのは伝統的に行われてきているんだよね。
宗教者が布教・伝教しながら寄付を集めて回るのが「勧進(かんじん)」。
人々が自主的に寄付するのが「寄進(きしん)」。
これら2つはそうやって使い分けているらしいよ。
確かに、お寺や神社の修復・再建の費用をまかなうために開催される相撲興行は「勧進相撲」だよね。
「勧進」の場合は「寄付(donation)」というよりも、「資金調達(fund raising)」という意味合いが強いのかも。

同じようにお寺や神社が資金集めに行っていたのは「富くじ」。
東京では、谷中感応寺(現「天王寺」)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、湯島神社(湯島天神)の3つが有名だよ。
寺社の大収入源なんだけど、はっきり言えばギャンブルなので、幕府はたびたび禁令を出していたようなのだ。
で、その流れで、官営の宝くじにつながるんだよね。
今でも刑法上は私的に富くじを興業すると罰せられるよ(刑法第187条)。
でも、阪神淡路大震災の後も、東日本大震災の後も、「復興宝くじ」が販売されたから、伝統的な「勧進」の伝統は息づいている気がするね。

すでにフランスでは大金が集まっているから関係ないけど、せっかくだから、売り上げをそのまま寄付するチャリティのオペラやバレエ公演とか、フランスらしいものを考えてみてもよいかもね。
そうすれば、毎土曜日に暴れている「黄色ベスト」の人たちもあまり怒らないかも。
いずれにせよ、この後十数年かけて修復するそうだから先が長い話で、お金があるだけあった方がよいはずなのだ。

2019/04/13

つけこんで、つけこんで

日本ではわりと有名なシャリアピン・ステーキ。
でも、これって日本オリジナルなんだって。
あらかじめタマネギのみじん切りに肉をつけておくことでやわらかくするんだよね。
来日していたオペラ歌手のフョードル・シャリアピンさんの求めに応じて作られたそうなんだけど、歯の調子が悪くて柔らかいステーキが食べたかったそうな。
そんな状態でも肉なんだね・・・。

欧米では、基本的には肉は赤身が好まれることもあり、基本的にはかたいもの。
それをがしがしと食べないと食べた気がしないとか。
日本に来ると薄い肉ばかりで肉を食べた気がしない、という感想も出るほど。
でも、最近は和牛が出回っていて、霜降りでやわらかいのもあるから、意識は変わっているのかなぁ?
でも、肉を事前に処理してやわらかく焼く、というのはあまりない発想のようなのだ。

一方で、酢やつけ汁につけ込む、という調理法は一般的なんだよね。
フランス料理で言う「マリネ」がそれだよ。
これはフランス語のマリネにするの過去分詞から来ているようなんだけど、フランス語では、つけ込んだものは「marinade(マリナード)」と呼ばれるのだ。
酢漬けだけじゃなくて、レモン汁でも塩水でも油でも、なんでもいいみたい。
香草や香辛料と液体で下味をつけたり、香りをつけるのもマリネなんだって。
日本的な感覚で言うと、お酢ベースのつけ汁で漬けたものがどうしても頭に浮かぶけどね。

酢で漬けた場合、まずは殺菌作用で長期保存が念頭にあるんだよね。
これが野菜類の酢漬け=ピクルスだよ。
日本のなますもそうだよね。
肉の場合は、酢を入れた水で煮ると軟らかくなることが知られているのだ。
これは、筋肉と筋肉をつないでいる結合組織のコラーゲンがが熱により変性し、酢の効果により水に溶け出しやすくなるため。
変性コラーゲンは酸性条件下で水に溶けやすくなるんだよね。
ちなみに、水に溶け出したコラーゲンを集めたのがゼラチンだよ。

塩水などの塩分を含むつけ汁の場合は、浸透圧の違いで過剰な水分を取り除いてくれるんだよね。
野菜の場合は水分が少なくなってしゃきしゃきに(キャベツの塩もみなど)、肉や魚の場合は身が引き締まってぷりぷりに。
肉や魚の場合は、余計な水分が輩出されるときに水に溶けやすいくさみ成分も一緒に出て行ってくれるので、くさみ取りにもなるのだ。
ステーキを焼く前に塩を振るのはこのためだよ。

インドのタンドーリチキンなんかの場合だと、ヨーグルトにつけこむんだよね。
この場合は、くさみをとると同時に、ヨーグルト中の乳酸菌の働きでタンパク質がbんかいされてアミノ酸が遊離し、肉が軟らかくなってうまみも出るのだ。
実は、お酢やレモン汁でつけ込んでも肉はやわらかくなるんだけど、この場合は、肉の中が酸性になって、肉本来が持っているタンパク質分解酵素の活性が上がり、自己融解で筋繊維が切れていってやわらかくなるのだ。
最初は酸性条件下で加水分解が起こっているのかと思ったんだけど、加水分解って胃酸のような強酸の存在下でしか起こらない反応で、酢やレモン汁に含まれるクエン酸のような弱酸ではダメなのだ・・・。
そうだよね、そうでないとお酢を触っただけで手がただれることになってしまうから!

シャリアピン・ステーキの場合は、タマネギに含まれるタンパク質分解酵素の力で肉をやわらかくしているよ。
青パパイヤやパイナップルでも同じようなことができるのだ。
熟成肉の場合は、外の酵素でなく、じっくり時間をかけてもともと中にある酵素でタンパク質の分解を進めるんだけど、そのまま放っておくだけだと腐敗するので、冷涼で湿度の低いところで熟成させるのだ。
原理的には、日本の干物と同じで、乾燥と熟成が進んでうまみが増すんだけど、なんかイメージが違うよね(笑)

2019/04/06

R0

いよいよ新元号「令和」が発表されたのだ。
個人的な乾燥はともかく、慣れるまでは少し違和感はあるよね。
これは「平成」の時もそうだったから、仕方ない話だけど。
難癖みたいなのは別として、けっこう前向きな評価が多いよね。

この「令和」、確認されている中では史上初の「国書」を典拠とするもの。
これまでは、漢籍を典拠とする場合が多く、実際、「平成」を選ぶ際もその大原則に則っていたんだけど、今回は「万葉集」からとられたのだ。
ちなみに、ここで留保がついているのは、初期の頃の元号は根拠・典拠がよくわからないものも多いから(笑)
元号が使われ始めた飛鳥時代から奈良時代初期なんかは非常にシンプルというか牧歌的で、例えば、穴門(あなと)の国(現在の山口県)から白い生地が朝廷に献上されたから「白雉(はくち)」(最初の元号の「大化」の次)、縁起の良い雲が見えたから「慶雲」(「大宝」の次)、瑞亀(アルビノの白い亀?)が元正天皇即位に当たって献上されたので「霊亀(れいき)」などなど。

時代が下っていくと、文章(もんじょう)博士と呼ばれる専門職貴族が勧申(かんじん)という形で考案したものを上申していたのだ。
やはり複数案をあげて選んでもらっていたようだよ。
このように形式化してくると、その典拠もわりとしっかりと記録に残るんだけど、その前の話だと、よくわからないんだよね(笑)
一説には、日本書紀などの正史からとったものもあったのではないか、なんて言われているけど、不明な点も多いみたい。

今回の「令和」については、万葉集巻の5の「梅花の歌三十二首併せて序」からとられた言葉だよ。
万葉集の場合は万葉仮名という独特の表記表で書かれていて、和歌本体は漢語+表音文字としての漢字(万葉仮名)が入り乱れているんだけど、序文はすべて漢文。
今回の場合は、「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」(読み下し「時ニ、初春ノ令月ニシテ、気淑(よ)ク風和(やはら)ギ、梅ハ鏡前ノ粉(こ)ヲ披(ひら)キ、蘭ハ珮後(はいご)ノ香(かう)ヲ薫(かをら)ス」)の「令」と「和」だよ。
奈良時代には花と言えば梅を指していて、日本人に最も愛されていた花だったのだ。
特に、まだ寒い時期から咲き始め、その色と香りで春を告げるところが好まれていたんだよね。
今回の元号にも新たな平和の時代の幕開けの意味が込められているようなのだ。

この三十二首の和歌というのは、太宰帥(だざいのそち)として太宰府に下向していた大伴旅人の邸宅での宴会で詠まれた歌と言われているんだよね。
ちょうど同じ頃、山上憶良は筑前守として同じく下向していて、その場に参加していたようなのだ。
旅人の歌は、「わが苑に梅の花散る久方の天より雪の流れくるかも(5-822)」、憶良の歌は、「春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ(5-818)」だよ。
旅人の歌では梅の作事気でありながら雪の降る情景が歌われているし、憶良の歌では、春に先駆けて咲く梅の花を愛でる様が詠まれているのだ。
こういう歌が三十二首並んでいるところの序文からとられたわけで、太宰に左遷されていた大伴旅人の主催とは言え、春の訪れを言祝ぐ場の歌を並べた箇所の序文なので、幸先がいいように思うのだ。

で、ついでに、御一新後、一世一元の制になってからの元号の出典も簡単に振り返るよ。
記憶に新しい「平成」は、「史記」五帝本紀の「帝舜」にある「内平外成(うちたいらかにそとなる)」や「書経」の偽古文尚書の大禹謨にある「地平天成(ちたいらかにてんなる)」からとったとされているのだ。
「帝舜」は古代中国五帝の一人の「舜」のことで、後に夏王朝を創始する禹を採用した聖君として知られる人物。
つまり、実在性もあやしい夏王朝ができる前の時代の神話的世界の物語なのだ。
偽古文尚書というのは、古文尚書の偽物なのでその名前があるんだけど、古文尚書は孔子の旧宅から発見された古典籍のうち先秦時代に使われていた蝌蚪文字(かともじ)という字で書かれた尚書のことで、これ自体は散逸してしまって現代に伝わっていないのだ。
ところが、その古文尚書を見つけたとして、東晋時代(4世紀初頭)に朝廷に献上されたものがあって、それが偽古文尚書。
古文尚書ではないとわかってはいるのだけど、それ自体古いものだし、貴重な文献として構成に長く伝えられているものだよ。

史上場最も長く使われた元号である「昭和」は、「書経」堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(読み下し「百姓(ひゃくせい)昭明ニシテ、萬邦(ばんぽう)ヲ協和ス」)から来ているのだ。
実は、全く同じ文章から「明和」という元号が江戸時代中期に制定されているんだよね。
この後壮絶な戦争に突入していくとは思えないのだけど、国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味を込めたんだって。
ちょうど「五族協和」とか言っている時代だからね・・・。
ちなみに、書経は中国古代の歴史書だけど、その中でも堯典は最も古い時代に対応する部分だよ。

その前の「大正」は、「易経」彖伝(たんでん)の「臨」卦の「大亨以正、天之道也」(読み下し「大イニ亨(とほ)リテ以テ正シキハ、天ノ道ナリ」)から。
当たるも八卦、当たらぬも八卦の、古代中国の卜辞(つまりは占い)のテキストである易経の解説書である彖伝からとられているのだ。
彖伝は六十四卦の卦辞(その卦の意味するもの)の注釈書のこと。
文庫本易経を読むとわかるけど、易経本文の解説として、「彖伝に曰く・・・」とか「象伝(しょうでん)に曰く・・・」と注釈書の記述も一緒になっているのだ。
ちなみに「臨」の卦は、「兌下坤上」というもので、「¦¦¦¦||」を右90度回転させたものだよ(笑)
これは明治帝から引き継いで次代の天皇も正しく治める、と言う意味が込められてそうなのだ。

最後に「明治」。
「大正」と同じく易経を典拠としていて、そのうち、天地雷風水火山沢の8つの卦(小成八卦)の説明をしている「周易説卦伝」という書物からとられているのだ。
「聖人南面而聴天下、嚮明而治」(読み下し「聖人南面シテ天下ヲ聴キ、明ニ嚮(むか)ヒテ治ム」)より。
古代中国では皇帝は時空の運行を司るものとされていて、極星(北半球では北極星)がそのシンボル。
自らは中心に座してそのまわりを星々が巡る、というイメージだったのだ。
ここから、支配者は北極星が他の星々を見るのと同様に、自らが北にあって南を向く、ということになっていたんだよね。
そうしてどっしりと南面して向かっていれば自ずと天下は明るく治まる、ということなのだ。
これも新たな時代の天皇の役割を意味しているんだろうね。