2021/09/25

パンダの気持ち

 改めて考えてみると、メンマって不思議な食べ物だよね。
だって、原料はタケ。
パンダが食べているやつだよ。
最初に加工して食べようとした人はすごいよね。
あのかたい竹があんなしゃっきり食感に変わるんだから、相当手間がかかっているはずだよね。
こんにゃくと並ぶほどの執念の技術と思うよ。

でも、メンマの原材料は日本でよく見る孟宗竹や真竹ではなくて、亜熱帯性の麻竹(まちく)というやつなんだって。
中国南部や台湾に生えているやつで、今でも日本で売られているほとんどのメンマは中国か台湾のものだよ。
1mくらいのまだそこまで大きく育っていないのを切り出し、蒸して少し柔らかくしてから塩漬けにして、乳酸発酵させるんだって。
この過程でかたい竹の繊維があの独特のしゃきしゃきした食感に変わるのだ。
みっちり詰まっている繊維が少しゆるんで、さらに塩分の浸透圧で一部の細胞壁が破壊されるんだ。
そうして細胞の中からしみ出してくる糖分を乳酸菌が発酵させていくわけだけど、このときに風味がつくのだ。
タケを普通にかじるとさわやかな精油成分の香りがするけど、メンマはまた違う風味だよね。
この風味は発酵でできてくるのだ。
そして、あの飴色も発酵の過程で出てくるもので、メンマをメンマらしくしているのは発酵の作用だよ。

発酵させたもの葉細かく切られてから天日干しに。
これが流通する形態で、長持ちするのだ。
食べるときには、塩抜きをしてからラー油や調味液で味をつけるんだけど、そうしてできあがるのがラーメンの上に乗っているメンマ。
実は「シナチク」が本来の名前で、「ラーメンの上にのせる麻竹」だからといって「メンマ」と戦後に丸松物産創業者の松村秋水さんにより名付けられたそうだよ。
今では「シナ」という響きがいやがられることもあって、まず「シナチク」とは呼ばれなくなったけどね。
ちなみに、ラーメンにのせるのは日本だけで、本場(?)の中国では普通に炒め物などの材料に使うみたいだよ。

日本の竹で同じようなものが作れないかというと、そういうわけではないらしく、まだわかめの柔らかい竹で同じような手法で作る国産メンマというのもあるみたいだよ。
福岡県の人が開発したようなのだ。
ネットで見ると、タケノコを使ってメンマ的なものを作っているレシピもよく見かけるね。
タケノコの場合は、塩漬けから始めればいいので楽みたい。
ちょっと育ちすぎてかたくなってしまっているタケノコだとよいのかも。

ちなみに、本来のメンマはかなり長い時間乳酸発酵させるんだって。
もともと麻竹は竹の中でも糖分を多く含む種類だそうで、じっくり乳酸発酵させると、かなりの酸性(pH4くらい)になるそうな。
これにより他の雑菌が繁殖できなくなるというのがポイント。
さらに感想もさせるので、保存食品になるんだよね。
でも、現在は時間を短縮するために半発酵くらいで風味付けの調味液につけたものもあるそう。
時々酸っぱいメンマがあるけど、あれは完全に発酵させたものだったのか。
発酵させた感を出すために、酸っぱい味付けにしてしまったものなのか。
なかなか判断が難しいところだ。

2021/09/18

空中栽培

100円ショップとかでも売っているんだけど、インテリアとして「エアープランツ」がはやっているんだって。
これって、土や水がいらない観葉植物で、空気中の水分を吸収して成長するというすごいやつなのだ!
にわかには信じがたいけど、根もついてなくて、たまに霧吹きする程度で大丈夫なんだって。
世の中にはすごい生物がいるもんだね。

日本で売られている「エアープランツ」のほとんどはパイナップル科の植物で「ハナアナナス属」の仲間。
属名にもあるように、きちんと花も咲くし、実もなるんだって。
種子はものすごく小さいものらしいけど。
この手の根がついていなくて空気中の水分を吸い取って成長しているものは、南北米大陸の熱帯雨林や砂漠、岩石の多い山地などいろんなところにあるみたい。
熱帯雨林は雨が多いけど、実は土壌が薄く貧困なんだ。
その意味では、下手に土の中に根を張るより、他の植物や岩に「着生」して空気中から水分を吸収した方がよい、という生存戦略をとったわけ。

もちろん、そこまで多くの水分を吸収できるわけではないので、多肉性の植物で、葉っぱが分厚いのだ(アロエのような感じの葉)。
そして、葉の表面には水分を集めやすいように細かい毛が生えていていることが多いよ。
熱帯雨林は雨が降るから表面について水滴を吸えばいいだけだけど、砂漠や山地のものは、朝方冷え込んだ時間に出る霧などから水分を吸収する必要があるので、そういう工夫がいるのだ。
表面積を大きくして、できるだけ水分に触れる部分を多くしているわけ。
そして、自分の中に水分をため込めるように多肉性になっているんだよ。

日本での観葉植物としてのエアープランツの場合、いくら湿度が高いと言ってもそれだけではさすがに足りないので、「ミスティング」といって3~5日に1回は霧吹きで水をかけてあげる必要があるみたい。
そして、月に一度くらいは「ソーキング」といってバケツに張った水の中に植物を浸してあげることもやった方がいいんだって。
サボテンと同じであんまり水をあげすぎてもダメなので、湿度にも気をつけながら適宜「水やり」はする必要があるのだ。

で、ボクが気になったのは、水分はそれでいいとして、その他の養分はどうしているんだろうってこと。
観賞用のエアープランツの場合は、肥料を非常に薄めたものを霧吹きすればいいみたいなんだけど、自然界ではどうなっているのか?
熱帯雨林にあるものは、気を伝って下りてくる水滴の中に養分が少し溶け出しているのでそれを吸収しているんだって。
熱帯雨林の場合、土壌の有機物はすぐに分解されてしまうし、雨で流れ出てしまうので、よほど広めに根を張らないと吸い取れないんだって。
なので、むしろ土壌に落ちる前、気を伝っている間に吸い取ってしまえ、ということらしいよ。
枯れ葉や枯れ枝は地面に落ちる前にもすでに微生物による分解が始まっていて、そこに雨が当たると一部の養分が溶け出すので、それを吸い取るのだ。
つまり、流し素麺のできるだけ上流ですくい取る、みたいな。

砂漠や山地の場合は、そもそも有機物が土壌中にはほとんどないわけだよね、生物も少ないから。
他の動物の排泄物や死骸がちょっとある程度だけど、元が少ないからすぐ拡散してしまうしね。
すると、ここで土の中に根を張ってその養分を吸い取ろうとすると非常に非効率。
こういうところにいる着生植物の場合、葉の付け根とかに「水だまり」があって、そこに昆虫や両生類が生息していることがあるのだ。
そうなると、そいつらから養分をもらえばいいわけだよね。
そうでない場合は、鳥の糞などの上からの落下物を受け止める、という戦略もあって、パラボラアンテナのように広がった形の葉の形状をしているものもあるそうだよ。

いずれにしても、けっこう少ない量の養分で成長できるようなのだ。
かなり省エネ型の植物でもあるんだろうね。
うらやましいような気もするけど(笑)

2021/09/11

すきまにつけこむ

 コロナ禍で家に引きこもっているから、心を病む人が増えているようなのだ。
特に一人暮らしの学生さんや若手の社会人など。
新たなコミュニティに溶け込もうとするタイミングでのステイホームで、孤独感が高まっているようなのだ。
特に、進学や就職で引っ越しをした場合なんかは、身近に知り合いもいないし、けっこうきついみたい。
ま、今はオンラインでのコミュニケーション・ツールもかなり充実しているのでさみしさは紛らわせる子tができると思うんだけど、それでも、新しい環境に対する不安はあって、かつ、その環境の中に直接飛び込めないから解消もできないんだよね。
あんまりよく知らない同級生や同僚、先輩とはオンラインだけでは表面的なやりとりしかできないだろうし。

そんなときに気をつけたいのが、こういう「心のすきま」につけこむ悪質なビジネス。
むかしから「運気がよくなるペンダント」、「富を呼び込む壺」などなどあやしい品々はあわけで、普段なら敬啓にはだまされないんだけど、不安が高まっていて正常な判断ができない状態だと、「わらにもすがる思い」で飛びついちゃうのだ。
そして、よくよく認識しておくべき琴は、この手の悪質なやつを仕掛ける側からすれば、百発百中である必要はなく、100人に一人でもカモを見つけられればそれでいいんだよね。
なので、まわりにいる冷静な人たちから見れば「なんでそんなのに」と思うようなものであっても、敵も然る者で不安をあおって正常な判断をしにくくさせる手法は心得ているので、だまされちゃう人も出てくるわけ。

で、詐欺とまではいかなくても、大なり小なりカモにされている場合はあるんだよね。
これは身を持ち崩すほどの被害はないんだけど、「ぼったくり」程度には被害を受けているようなもの。
効果があるかどうかよくわからないアロマやパワーストーンにそこそこお金を払ってしまうなどなど。
そういう場合は、「スピリチュアル」というキーワードがあるのだ。
マスコミがあおっていることもあるのが残念なんだけど・・・。

もともと、「スピリチュアル」というのは、肉体の世界ではなく、精神的、霊的な世界に属することを指すような形容詞。
西洋世界では古代から二元論的な世界の解釈が行われていて、ユダヤ教が元々魂と肉体を分けて考えていたのもあって、キリスト教にもそういう二元論的なとらえ方が浸透しているのだ。
そこで、身体的な外部から観察可能な部分と、それとは逆に、精神的な害府から観察不可能な部分という概念が出てきて、この精神的な部分が「スピリチュアル」の世界になるわけ。

世界保健機関(WHO)が定義するように、人間の健康は心身の健全な状態を指すわけで、身体・肉体だけでなく、心・精神も健全であることが大事なのだ。
で、古代からこの部分をケアしてきたのが宗教やまじないで、不安を取り除くような機能を持ってきたのだ。
お祓いとか祈祷、お守りなどなどがそれ。
社会的に認められたシステムがありさえすれば、あとは「信じるものは救われる」の言葉どおりなわけ。
不安というのは気の持ちようだから。

ところが、近代になって宗教の力の限界が見えてくると、そこまで「盲目的」にはすがれなくなってきたのだ・・・。
特に「科学的根拠がない」とか合理主義的な考えが合わさると、まじないとかって意味のないものと見なされてしまうんだよね。
信じるからこそ救われていたのに、信じ切れないから救われないのだ。
そんなすきまに入り込んできているのが「スピリチュアル」。
多くの場合、現代の科学では解明できていない「超常的な力」とか科学の言葉だけ借りた「エセ科学」の理論により解決される、みたいなスタイルで、宗教とはまた違う、という体をとることが多いよ。
それがオーラとかパワーストーン、レメディ/ホメオパシーなどなどのスピリチュアル・ビジネス。

宗教やまじないは社会的な背景があって、みんながそう信じているから効果があるんだけど、こういうのはそういうのがないので、以外と「お金を出すこと」自体が「きっと効果がある」と信じる根拠になることもあるのだ。
これだけ払ったんだから効くでしょ、ということなんだけど、実は本末転倒なんだよね・・・。
でも、現実的にはそれがよりどころになってしまって、かつ、不安が完全には払拭しきれなくて、ずるずるとはまっていってしまうのだ。
だます方はそういうはめる手法も心得ているわけだけどね。

というわけで、趣味・趣向の範囲で占いとか、パワースポットにはまるのはよいのだけど、高価なものには気をつけなきゃなんだよね。
不安なときに全く見ず知らずの人から優しい言葉をかけられたりするとふらふらっと行っちゃうものだけど、ちょっと一歩立ち止まって考えるべきなんだよね。

2021/09/04

大人も、子供も

 最近、なぜか「カルパス」が気に入っているのだ。
あの、小さなサラミみたいなおつまみ。
ボクはお酒はほとんど飲まないので、駄菓子で売っている「おやつカルパス」のようにそのまま食べるんだけど、ちょっと口ざみしいとき、あの塩辛さ脂っぽさがなんとも言えないのだ。
そういえば、まえからサラミとかけっこう好きだったなぁ。

「カルパス」は北海道帝大にいた化学者・佐々木酉二さんが道内の食肉加工業者のために考案した名称だったんだって。
国内でドライソーセージを販売するに当たって、最初は北海道とは縁も深いロシア語の「ソーセージ」にあたる「カルパサー」を提案したんだけど、五缶があまりよくないのと、ぱさぱさしているかのような印象を与える音なので、少し変えて「カルパス」にしたんだって。
もともとは商品名だったんだけど、商標登録をお粉わかったために、人気に火がついてからみんなまねするようになり、「カルパス」が一般名称化したようなのだ。
ホッチキスなんかもそうだよね。
英語ではstaplerで、このステープラーというのが本来的な一般名称なんだけど、日本ではホッチキス社のものが圧倒的にメジャーだったのでこれが普通名詞のように扱われているのだ。

一般に販売されている「カルパス」はドライソーセージ又はセミドライソーセージで、細身割と短く切られたものを指すんだよね。
ドライソーセージやセミドライソーセージは日本農林規格(JAS)で定義が決まっていて、畜類の肉を主原料とするソーセージを乾燥させたもので、水分が55%以下のものをセミドライソーセージ、35%以下のものをドライソーセージとしているんだって。
内蔵系のソーセージもあるけど、これはドライソーセージにはならないのだ(おそらく、乾燥させて、という工程が事実上不可能なんじゃないかと思うけど。)。
作り方としては、ブタやトリなどのひき肉に塩と香辛料やつなぎを加えて腸などにつめてケーシングし、これを乾燥させるのだ。
豚肉はそのままでは生で食べられないけど、生ハムと同じで、乾燥させながら熟成させることで食べられるようになるのだ。

イタリアのサラミや、米国式ピザにのっているペパロニなんかが代表的なドライソーセージ。
水分が少なめで硬いので、基本は薄くスライスして食べるのだ。
このため、サラミ=薄くスライスするもの、という図式になっていて、ちょっとずつ切り出していくようなイメージのものにサラミの名称をつけることがあるよ。
例えば、サラミ法というのは、ばれないようにちょっとずつ金銭や物品を窃盗していく手法なんだって。
これと逆なのがパンケーキ。
こっちは積み重ねるので、重層的なものを比喩するときによく使われるのだ。

このサラミやカルパスって、どうしても不健康なイメージがつきまとうよね。
それもそのはずで、塩分や脂肪分がとにかく多いのだ。
サラミなんかは薄切りにして食べるもので、もともとそんなに多く食べるものじゃないのだろうけど。
カルパスもどんぶりいっぱい食べるようなものではないよね(笑)
ただ、この塩と油は重要で、塩をきかせることで腐らせずに乾燥・熟成させることができるわけだし、脂肪分の多いひき肉を材四両とすることで乾燥させても硬くなりすぎないのだ。
脂肪分が少ない赤身でやっちゃうと、棒状にまるめたジャーキーみたいになっちゃうはずなんだよね。
それはそれで削りながら食べたらいいのかもしれないけど、水分を飛ばしてもしっとりしているのはやはり脂肪分のおかげなのだ。
あと、やっぱり人間は塩と脂肪が大好きなんだよね。
これがジャンクフードは体に悪いとわかりつつ、やめられない要因だから。

というわけで、ドライソーセージ自体は西洋世界の先人の知恵なんだけど、それを大人も子供も楽しめるカルパスにしたのは日本だったのだ。
薄くスライスするのって大変だから、細いものを食べやすい長さにあらかじめ切ってあるって便利だよね。
そのままつまめるし。
日本式のこういう食に対する改良はいつ