2024/05/04

まつられ

 最近は神社本庁による啓蒙のおかげもあって、「二拝二拍手一拝」(又は「二礼二拍手一礼」)のお作法も広まってきているけど、一般に神社に参拝に行くのは「社頭参拝」で、拝殿の前でお賽銭を賽銭箱に入れて参拝するのだ。
神道の考え方だと、神様は音に反応して気づいてくださるので、意識をこっちに向けてもらえるように拍手や鈴を鳴らすのが大事なんだよ。
一方、政治家の参拝で問題になるのは昇殿参拝と呼ばれる正式な参拝の方。
厄払いや七五三などの儀式のときには一般の人もやるけど、拝殿に上がって御神体のある本殿の方を向いて、祝詞なんかをあげながら儀式を行うのだ。
このとき、玉串奉奠(ほうてん)というのがあって、榊の枝に紙垂(しで=雷のような形の紙)がつけられたものを奉納するんだけど、本人は参拝せず「玉串料を収めた」というのはこれの代わりにお金を出した、ということなのだ。

で、基本的には我々は神社に参拝するときに訪れるのは拝殿。
そこが神様を拝む場所なんだよね。
一方、神様が宿る、依り代の「御神体」があるのが本殿。
神社的にはそちらが本体なのだ。
でも、基本的に御神体は秘匿されるので、目に触れることはないんだよね。
御開帳もなくはないけど。

この御神体にもいくつか種類があって、オーソドックス(?)なのは、鏡、刀剣など。
伊勢神宮の内宮の御神体は八咫鏡だし、熱田神宮の御神体は天叢雲剣になってるよね。
この人工物の御神体はわりと時代が下ってからで、その前、古神道の時代は、自然界にある畏敬の念を抱かせるようなものが御神体=神の宿るもの、だったのだ。
代表例は奈良の三輪山にある大神(おおみわ)神社。
この神社は三輪山それ自体が御神体なので、山の前に拝殿があるだけ。
同じようなものは福岡の宗像神社で、御神体は玄界灘に浮かぶ「沖ノ島」そのもの(=沖津宮)で、宗像市にある神社(=辺津宮)はそれ自体が拝殿扱いだよ。
石上神宮は布都御魂剣(ふつのみたまのつる=武御雷神が葦原中国を平定するときに使った刀剣)をまつっているけど、もともとは神宝が埋められているという禁足地に拝殿が設けられているスタイルだったんだよね。
本殿を立てようと明治期になって禁足地を発掘してみたらものすごく古い鉄剣が見つかり、それを布都御魂剣や天羽々斬(あめのははきり=素戔嗚尊が八岐大蛇を切った剣)に比定されているものだよ。

それよりもう少し身近になるのが、大きな石、大きな木、きれいな湧水などの自然物。
これはいまでもわりとよく保存されていて、しめ縄をかけて賽銭箱が置いてあったりするのだ。
もともとはその自然物が信仰を集めていたんだけど、やがてその信仰対象の神様に名前が付き、その性質の神様にふさわしい御神体が選ばれ、本殿と拝殿が作られる、みたいな感じで神社が形作られていくんだよね。
どこからか勧請してくる場合を除いては、もともと神秘的な場所・ものがあって、そこにあとから名前の付いた神様があてられるケースが多いのだ。
山の神様とか水の神様とかは自然に対する畏敬の念が信仰の本質であって、特定の神様を信仰しているわけじゃないからね。

でも、記紀神話が取りまとめられ、神道が整理されてくると、特定の神様への信仰が増えてくるのだ。
航海の安全であれば宗像三女神や住吉三神であったり、五穀豊穣の神様だったら稲荷信仰にも結び付いている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や保食神(うけもちのかみ)であったり。
で、このころには仏教が伝来していて、仏像や仏画と同じようなノリで、神の像や絵も作られたりするんだよね。
場合によってはそういうものが御神体になっているケースもあるのだ。
神道の神様は「感じる」ものであって「見る」ものではないから、本来は形がないはずなんだけど、具象化されてしまうのだ。

で、もうなってくると、公開してもよさそうなものだよね。
なので、御神体の御開帳というのもなくはないけど、仏教の本尊が絶対非仏で非公開を貫くように、そういうものでも公開しない、というのもあるわけで。
後から神様に祭り上げられて天神様こと菅原道真公については神像がわりとよくあるけど、御神体である神像は非公開であることが多いよ。
っていうか、神様が宿る真正なものなので、基本的には人の目に触れないようにするものなのだ。
湯志保がある神社ならなおさらね。

ちなみに、近所にあるような小さい神社の場合は、本殿と拝殿が分かれていないことも多く、社殿の奥の方に御神体がまつられていることが多いよ。
多くはほかの神社の神様を勧請してきたもので、そこの御神体はいわば電話の子機のようなものだから、そういう扱いでもよいみたい。
真正なものなので低調に扱わなければいけないのはそのとおりなんだけど、そもそも神様を勧請してくるときに自ら用意しなきゃいけないわけで、絶対的に秘密御いうわけにもいかず、そのコミュニティの中では口に出さないだけで知られたことではあったはずなのだ。

2024/04/27

実は年2回

 衆議院の補欠選挙があるのだ。
今回は、島根1区(細田衆院議長が死去したため)、長崎3区(谷川議員が裏金問題で辞職したため)及び東京15区(柿沢議員が公選法違反で逮捕・起訴され、辞職したため)の3つ。
これってそこそこ数が集まってからやるものだと認識していたんだけど、それは当たらずも遠からじ。
実は国政選挙の場合はルールがあって、例外を除いて、原則として4月と10月の第4日曜日に実施することになっているのだ!
知らなかった。
9月16日~翌3月15日に補欠選挙の実施事由が発生した場合は4月、3月16日~翌9月15日に補欠選挙の実施事由が発生した場合は10月なんだそうだ。

まず、「補欠選挙の実施事由」とは何を指すか?
これにも明確にルールがあって、
①衆議院小選挙区(=議員定数1)は欠員が生じたとき
②参議院選挙区(議員定数が1~6)は定数の1/4を超える欠員が生じたとき(=東京・神奈川・埼玉・愛知・大阪の5選挙区は2名の欠員、それ以外の選挙区は1名の欠員)
③比例代表は再選挙が必要な当選人不足数と合わせて定数の1/4を超える欠員が生じたとき(ただし、参議院は全国比例で定数100なのでまず発生せず、衆議院は最大の近畿ブロックだと定数28で8名欠員が出た場合、最小の四国ブロックは定数6で2名欠員が出たとき)
ということになっているよ。
基本的には、多くの選挙区では一人でも欠員が出ると補欠選挙が行われるようになっているのだ。

このルールに従って行われる補欠選挙を「統一補欠選挙」と言うのだ。
これは衆議院に小選挙区制が導入されたため。
以前は補欠選挙の実施が必要な事由が発生してから40日以内という規定。
1996年に衆議院選挙に小選挙区制が導入されると、当選人が一人しかいないので、なんらかの事由で議員がいなくなるとすぐに補欠選挙をせざるを得ず、回数が増大したのだ。
選挙事務に係るコストも増したので、2000年の公選法改正で現在の年2回のルールができたそうだよ。

例外的に補欠選挙が行われる例としては、統一地方選と同時に行われる場合。
統一地方選は、4月7日~13日の間の日曜日に実施される前半戦で都道府県知事と都道府県議会議員、政令指定都市の市長と地方議会議員を選び、4月21日~27日の」間の日曜日に実施される後半戦で政令指定都市以外の市町村の首長と地方議会議員を選ぶのだ。
この統一地方選がある都市は、4月の補欠選挙は統一地方選後半戦と同時に実施されることになっているよ。
ま、ルール上決まる日程とほぼほぼ被るんだけど。
それから、参議院の場合は解散がなくて通常選挙が行われる日程が通例6月~7月になっているので、参議院通常選挙のある年は、10月の補欠選挙は参議院の通常選挙と同時に行われるのだ。
逆に、衆議院総選挙は解散があるのでいつ行われるか決まっていないから、たまたま投票日が重なることはあっても、合わせにはいかないみたい。
いきなり参議院の補欠選挙も一緒にやります、とかなっても準備も大変だしね。

このほか、「再選挙」と一緒にやる場合、というのがあるのだ。
再選挙は、公選法違反で当選が取り消された場合は、選挙したけどどの候補者も法定得票数が得られなかった場合、比例代表で名簿のリストが足りなくて繰上補充で当選人が確保することができなくなった場合などに行われるもの。
この再選挙も原則として補欠選挙と同じルールで日程が設定されるのだけど、例外的に統一ルールから外れる場合があって、その時一緒に補欠選挙もしてしまう、というもの。
国政選挙の場合は、当選人がいなかった、或いは、定数に満たなかった場合、選挙無効訴訟の結果選挙無効となった場合(「1票の格差」など)はその事由が発生した日から40日以内に再選挙することになっていて、その場合はその時一緒に補欠選挙もすると負いうことなのだ。
ちなみに、現在の選挙区制だと当選人が出ないとか定数に満たないことはまずまず想定されなくて、基本は選挙無効の場合が再選挙になるのだ。
しかも、通常は公選法違反等で逮捕・起訴されるとその訴訟を起こされる前に議員辞職するので、再選挙ではなくて補欠選挙になるんだよね。
最近の例で言うと、河合杏里参議院議員(当時)の場合は、公選法違反の刑事裁判で有罪判決が出るまで議員辞職していなかったので、有罪になった時点で当選無効になり、再選挙することになったのだ。

というわけで、わりと政治ニュースに着目していても知らないことが多いな、と思ったよ。
ま、こんな選挙日程の細かいルールを気にすることはないのだけど。
テレビでコメントしている「選挙のプロ」たちは大前提としてよく知っていることかもしれないけどね。

2024/04/20

ほうなんですか?

 日本の場合、奈良仏教(南都六宗)からはじまって、平安仏教の密教(天台・真言)、鎌倉仏教の浄土信仰(浄土宗・真宗)、日蓮宗、禅宗(臨済・曹洞)などなど、これまで国内で起こった仏教宗派がだいたい残っているのだ。
でも、実は中国ではそうではないんだよね。
というのも、中国では大きな仏教弾圧が何度かあって、その際に衰退、或いは、消滅してしまった宗派もあるから。
日本だと明治期の廃仏毀釈があるけど、宗派が消滅するまでには至ってはいないのだ。
中国の場合、「三武一宗の法難」といって大きな弾圧が過去に4度行われるけど、このときは、寺の財産を没収、強制的な僧の還俗などが行われたのだ。

では、なぜそんな弾圧が起こるのか?
仏教は中国の歴代王朝に反旗を翻したりしていたのか?
でも、そんな話は歴史で聞かなかったような・・・。
ということでちょっと調べてみると、やはり時の王朝の支配に支障が出るような場合に弾圧が起こるのだ。
仏教そのものが憎い、というより、仏教勢力が問題を起こすので、ということらしい。

例えば、中国の皇帝の中には仏教を手厚く保護する政策をとる人もいるわけだけど、そうすると仏教寺院の影響力が大きくなってくるわけ。
すると、他の勢力はこれを排除したいと思うわけで、皇帝の代替わりで弾圧する、という場合はあるのだ。
例えば、唐の時代は、仏教と道教が王朝の支持をめぐって対立をしていて、それが最大の仏教弾圧である「会昌の廃仏」につながったのだ。
完全に派閥争いであって、ポリティクスの世界だよね。
宗教の協議の中身の対立とか、仏教の信仰者が増えると政治に影響があるとか、そういう話ではないのだ。
また、一般に、僧籍に入ると租庸調や兵役が免除されるんだよね。
でも、これを各youして、得度して修業するのではなく、出家だけして「税逃れ」をするようなやからが出てきたので、それを取り締まる必要も出てきたのだ。
仏教弾圧の中で出て来る「強制的な還俗」というのはこういうところに本質があるのだ。


これは日本でも同じで、勝手に僧になられると困れるので、正式に僧籍に入るためのプロセスを用意する必要があったのだ。
それが戒壇の設立で、聖武天皇が唐から鑑真和上を招聘し、唐招提寺を作ったのもここに理由があるのだ。
これにより日本でも正式なプロセスで出家・得度ができるようになるんだけど、この時の整理では、僧になるためのプロセスは国家管理で、国が設置した東大寺、大宰府の観世音寺、下野の薬師寺の3つの戒壇のみに限定したんだよね。
加えて、全国に国分寺・国分尼寺を整理して、仏教の国家管理を進めたのだ。
とはいえ、奈良時代は朝廷への仏教勢力の影響が強すぎたので、平安遷都につながっていくわけだよね。
ここで仏教を弾圧して、とはならなかったのが日本的かもしれないけど、けっきょく、平安時代も密教を国家鎮護のために使っていたわけで、決別するまでではない、ということなんだろうね。
おそらく、大陸には仏教に変わる勢力としての道教があるけど、日本にはそこまでの仏教の対抗勢力がないというのが大きかったのかもね。

日本の朝廷は仏教と一定の距離を取りながらつきあっていくわけだけど、個別の宗派ごとに見ると、「法難」と呼ばれるような話はあるのだ。
例えば、宗派ごとの対立の影響もあって、法然は讃岐に、親鸞は越後に、日蓮は伊豆に入るになっているのだ。
また、日蓮宗のうち「不受不施派」は江戸末期まで弾圧され、強制的に回収させられて真言宗になった寺院などもあるよ。
でも、仏教コミュニティ内の対立なので、仏教自体がけしからん、とはならないのだ。
政治勢力と仏教勢力の対立としては、織田信長による叡山焼き討ちなんてのがあるけど、これも武力集団としての影響力を排除しようとしただけで、信仰を排除しようとしているわけではないんだよね。

なので、明治期の廃仏毀釈までは支配層とうまく付き合ってきたのが日本の仏教だったのだ。
ちなみに、一般的に「廃仏毀釈」とは言われるけど、明治政府が推し進めようとしたのは国家神道体制の確立で、そのために出したのが「神仏分離令」。
神道と仏教の分離というわけだけど、神仏習合が進んでいた日本ではこれはなかなか難しい話だったんだよね。
本地垂迹で日本の神様と仏教の神様がつながっているし。
でも、このとき、神職者の中で仏教に圧迫されてきたと考えている勢力が「廃仏」を言い出し、世間のムーブメントがそっちに移って行ってしまったんだよね。
なので、必ず寝所政府が意図したところではなかった、ということなのだ。
そこも中国のものとは少し毛色が違うんだよね。

2024/04/13

においのもと

 テレビで見たのだけど、岡山県はトイレの消臭剤の年間消費量がナンバー1らしい。
その理由をインタビューでさぐっていたんだけど、番組の中で出していた結論は、洋式トイレで男性が小をする場合に座らず立ったままする人の割合が全国平均に比べて圧倒的に高いから、ということだったのだ。
つまり、まわりに飛沫が飛び散っていて、それがにおいのもとになっているというわけだ。
トイレ用洗剤のCMでも思ったより飛び散っている、みたいなのがあったよね。

でも、実は尿素のものが臭いわけじゃないのだ。
もともと腎臓の中で血液をろ過して老廃物を取り除いた廃液が尿になるわけで、基本的に膀胱から尿道を経て外に出るまでは無菌状態。
っていうか、膀胱や尿道にある時点で細菌が中にいる場合は、膀胱炎や尿道炎を起こしているのだ(>_<)
問題は体外に排出された後。
つまり、検尿の時などの出したての尿は臭いわけではないのだ。
でも、検尿カップから提出用容器に移した後、残ったのをそのままにしておくと臭いが出て来るよ。
残りのほとんどはお入れにそのまま流すと思うけど、検尿カップにこびりついて残ったものは後々臭いが出るので、水ですすぐとかしないとまずいわけだ。

では、なぜ臭いが発生するのか。
尿臭のメインはアンモニア臭。
もともとアンモニアは毒なので、体内で発生するアンモニアは尿素にして無毒化されるんだよね。
それが尿中に排出されるわけ。
でも、体外に排出された尿素は、まわりにいる最近に分解され、再びアンモニアが発生するのだ。
これがにおいの発生源。
特有の刺激臭が出て来るよ。

このほか、尿中には微量ながらタンパク質も含まれているので、それが分解されるとやはり腐敗臭のもとになるような物質もできているのだ。
卵や肉が腐ったようなにおい。
とはいえ、尿中のたんぱく質はごく微量なので、大量のアンモニア臭を押しのけてまで感じられるようにはならないんだよね。
犬なんかは人間より嗅覚が鋭くて、アンモニア臭の奥にある別の物質のにおいまで完治できるのでおしっこでなわばりをマーキングするんだけど、さすがに人でそこまでできる人はあまりいないはず。

でも、おしっこのにおいが強くなる、というのはあるんだよね。
これはむしろ病気の兆候。
なんらかの原因で普段は尿中に排出されない物質が大量に尿中に排出されることでにおいのもとになっているのだ。
わかりやすいのは、栄養ドリンクを飲むと大量の水溶性ビタミンのビタミンB2(リボフラビン)が尿中に排出されるので、尿が真っ黄色になって少し薬臭くなるのだ。
で、腎臓の病気とかで、血液のろ過機能が弱ってくると、本来は尿中に出てこないタンパク質が排出され、それがにおいのもとに。
健康診断の検尿も基本は尿中のたんぱく質を測定しているんだけど、これが多いと腎機能が低下しているというシグナルになっているんだよね。
ちなみに、泡だってその泡がなかなか消えない、というのもタンパク質が多めに排出されてしまっているシグナルの一つ。

では、臭い対策はどうするか。
単純に言えば、尿の飛沫が飛んでいるのが問題なので、それをきれいにふき取っておけば臭いは発生しないのだ。
でも、トイレを使うたびに毎回毎回掃除はできない・・・、となると、別のにおいが悪臭をごまかすしかないわけ。
いわゆる「ベルサイユ方式」。
昔のトイレの芳香剤はこれ。
「芳香剤」とはよく名付けたもので、より強い、でも、人にとっては良いにおいに感じるものでアンモニアを中心とした悪臭をごまかすのだ。

でも、現在普通に使われているのは消臭剤。
名前のとおり「悪臭の原因を消す」のだ。
では、どうやって除去するか。
代表的なものは、化学的方法と物理的方法。
化学的方法というのは、別の化合物と反応させて臭いのしない化合物に変化させてしまう、という発想。
トイレの場合はわかりやすくて、においの原因はアンモニアなので、このアンモニアに何かを反応させて悪臭の原因にならない化合物にしてしまえばよいのだ。
アンモニアは塩基性なので、多くの場合は何らかの酸性物質と反応させるよ。
ただし、なんでもいいかというか、そういうわけでもないのだ。
例えば、そこら辺にある二酸化炭素と反応させて炭酸アンモニウムにしても、炭酸アンモニウム自体が強い刺激臭を持つので意味ないのだ。
塩酸と反応させて塩化アンモニウムに変換すれば無臭になるけど、この物質は強い吸湿性があるので、べとつくのだ。
トイレでそれは使えないよね。
というわけで、ちょうどよいものというのを探すのは大変で、だからこそいろんな商品があるわけ。

物理的方法の方は、多孔性の単体に臭いの原因物質を吸着させるというもの。
素焼きの陶器や活性炭にアンモニアを吸着させるのだ。
冷蔵庫や靴箱用の消臭剤は主にこれだよね。
トイレのようなある程度の広さがある空間だとこれだけだと間に合わないので、トイレ用消臭剤の場合は上の化学的方法と組み合わせになることが多いよ。

2024/04/06

間違うと大変

 小林製薬の紅麹問題はなかなか収まるところを知らないね・・・。
プベルル酸というカビ毒の混入があったことは判明したけど、これってまだ原因と特定できているわけじゃないんだよね。
もともとあんまりよく知られていない物質で、そもそも腎毒性があるかどうかも不明。
仮に、今回の健康被害はこのプベルル酸が原因だったとしても、なぜ混入したのかがわからないと対処できないのだ。
まだまだ未解明なことが多すぎる。
でも、ここをおざなりにしてしまうと、あとで大変なことになるのだ。

歴史的有名な疫学上の大失敗は「脚気」の問題。
日清・日露戦争では多くの戦死者が出たわけだけど、陸軍は活計苦しんで亡くなった方も多いんだよね。
っていうか、神経がマヒして動けなくなるから、軽く症状が出ただけでも戦場では致命的。
当時からいかに脚気を克服するかが大きな課題だったんだけど、陸軍はその対応策を間違ってしまったんだよね。
その中心人物が軍医中将の森林太郎。
そう、「舞姫」の作者、森鴎外その人だよ。

「脚気」の症状は古代の文献にすでにみられるのだけど、広く認知されるようになったのは江戸時代から。
これは白米中心の食文化になったことが影響しているのだ。
主に都市部で発生していて、「江戸わずらい」なんて呼ばれたわけだけど、その本当の原因はビタミンB1の欠乏症。
江戸をはじめとした都市部では、大量の白米にごくごく少量のおかず、という食事スタイルだったので、欠乏症が発生しやすかったのだ。
箱根を越えると江戸わずらいが治るなんて言われていたけど、これは田舎では玄米や麦飯、雑穀などを食べていてビタミンB1を摂取できるようになるからなんだよね。
江戸時代にぬか漬けが普及したのも、ビタミンB1が補給できて脚気にかかりにくくなる、というのがあったと言われているよ。

明治になって、近代軍事組織が整備されると、またこの脚気が問題になるのだ。
というのも、軍人を募集する際に「腹いっぱい白米が食べられる」とアピールしたから。
江戸のような都市部を除いて白米はぜいたく品だったので、当時としてはこのコピーはすごく魅力的だったんだよね。
でも、その結果、軍隊で脚気が大量発生したのだ。
というのも、陸軍の場合だと、1日の食事として支給されるのが、白米6合+少量のおかず、という感じで、まさに脚気リスクがたまるメニューだったから。
で、どげんかせんといかん、ということになったんだけど、陸軍と海軍で対応が分かれるんだよね。

海軍の方は、英国軍では脚気が極めて少ないことに着目し、ひょっとすると日本式の食事が悪いのでは、ということで、兵食に洋食を導入することにしたのだ。
海軍軍医の高木兼寛は、おそらく炭水化物とタンパク質のバランスが悪い、もっとタンパク質を取らないとだめだ、と考えたんだよね。
でも、パンと肉の西洋食(例えばパンとシチュー)はあまり評判がよくなく、肉を使ったおかずにごはんという日本式の洋食スタイル(例えば肉じゃがとごはん)をとることに。
ただし、群で支給する食事に使える金額には上限があったので、肉多めのおかずにするとそっちにコストがかかり、高価な白米が使えず、安価な麦飯になったのだ。
でも、実際はこれが功を奏し、オオムギからビタミンB1が摂取できるようになって脚気が減ったのだ。

これに対し、陸軍は最近原因説をとるんだよね。
森林太郎をはじめとする陸軍軍医はドイツ留学組が多く、ちょうどそのころドイツでは多くの感染症の原因が最近によるものであるというのが盛んに研究されていたから。
また、実際に海軍では食事を変えて脚気が減っているのだけど、そういう経験則的なことではなく、理論的に脚気を駆逐したかった、という対抗心もあったみたい。
で、衛生環境の向上などの取組を始めるわけだけど、食事は依然のままの、脚気の高リスク食・・・。
結果として、日清戦争で数千人、日露戦争では3万人弱が脚気でなくなったといわれているよ(>_<)

当時の技術力では限界もあるのだけど、このように原因を見誤るとかえって被害が拡大したりするのだ。
なので、今回の紅麹の件も、プベルル酸が悪い、と短絡的に考えてはだめで、慎重にじっくりと検証することが必要なんだよね。
そうしないと、また次に同じようなことが起きてしまいかねないのだ。

2024/03/30

紅の衝撃

 小林製薬の紅麹の件がすごいことになっているのだ。
まだまだ正確なところはわからないけど、現実問題として、100名を超える人数が健康被害で入院していて、死亡例まで出ているわけだからね。
事案を認知してからの小林製薬の対応の遅さも指摘されているよね。
かつ、水から売っているものだけじゃなくて、原料として他社製品に使われている例が多いと言いうのだから大変だ。
でも、ネットを見ていると、けっこう勘違いに基づくコメントなんかもあるのだ。
そこで、現時点で分かっていることを頭の整理のためにもまとめてみるよ。

まず、今回問題になっているのは、紅麹のサプリで、健康食品としてこのサプリを飲んでいた人のうち、腎臓に悪影響が出ている人がいる、というのが問題の根幹。
腎臓は機能がダメになると基本は回復することはなくて、悪化すると人工透析になったりするわけだけど、そういう事例も報告されているばかりか、死亡例もあるのだ。
ただし、この時点では「関係がありそう」というだけで、直接的な原因かどうかはまだ調査中、というステータスだよ。

じゃあ、何が悪さをしているのか?
もともと紅麹はカビ毒のシトリニンというのを賛成する菌株があることが知られていて、これは腎毒性を持つ物質なのだ。
そのせいで、欧米では紅麹の食品等への利用に制限がかかっているのは報道されているとおり。
一方、アジア文化圏では、台湾では紅酒の醸造に、沖縄では豆腐ようの発酵に使われるなど、紅麹が伝統的に食品分野で使われてきているんだよね。
仮にカビ毒を産生する菌株でも、そんなに大量に紅麹を摂取するわけでないので、「ただちに健康に影響するレベルではない」ということで使われてきていたわけ。
ところが、この紅麹を調べていくと、どうもコレステロールを下げる働きのある物質も作っていることがわかり、健康食品としての利用につながっていくんだけど、今回問題になっているサプリのように、一度の大量に摂取するような使い方になると、産生量が微量であってもシトリニンを産生すること自体が問題になるのだ。
そこで、小林製薬は、シトリニンを産生しない菌株を開発し、安全に使える紅麹として製品化していたのだ。

ところが、今回こういう事案が発生したので、すわっ、やっぱりシトリニンが混ざっているのか、ということになったんだけど、どうもそれは違うみたいなんだよね。
今回健康被害が報告されている製品(サプリメント)を後から調べてみても、シトリニンは検出されていないのだ。
こはファクトとしてそう。
なので、健康被害の原因はシトリニンではない、ということ。
これにより、突然変異の先祖返りで小林製薬の紅麹の菌株が再びシトリニンを産生するようになった、というのは否定されるのだ。
では、何が原因なのか?

よくよく調べてみると、今回の健康被害が報告されている製品は、特定のロットに偏っているようなんだよね。
つまり、その時その工場で筑われた製品が問題である可能性が高いのだ。
そうなると、いくつか可能性が絞られてくるわけだ。
製造プロセスに問題があって、まだよくわからないけど、何か腎臓に悪影響を及ぼすような毒物が混入してしまった可能性。
この場合、どこからどうやってそれが混入したのか、というのが次の問題になってくるよね。
逆に言うと、これだと対策はしやすいのだ。
これとは別の可能性としては、このロットの製造過程において紅麹の菌株に突然変異が起こって(有意に表現型が変わるかどうかは別として、遺伝情報的には一定の確率で常に変異は入っているよ。)、シトリニンと似たような腎毒性を持つ新たな未知の物質が作られるようになってしまった、というのも考えられなくはないのだ。

こっちは影響がさらに拡大する可能性があって、他社製品の製造過程でも同じような突然変異が起こる可能性があるので、小林製薬だけの問題ではなくなってしまうのだ!
もともとそんなピンポイントで変異が入る確率は極めて低いのだ他の製造会社では発生していないんだと思うけど、小林製薬の製造ラインでそういう事象が起こったのであれば、他社の製造ラインでも同様のことが起こる確率はゼロではないのだ。
この場合は、その未知の物質に対するスクリーニングを横展開していくことが求められるよ。
すでに、一部紅麹関連製品を扱っている企業で、「当社の紅麹は小林製薬のものではありませんので安心してください」みたいなアナウンスをしているところもあるけど、そういうことではなくなってしまうのだ。
ちなみに、紅麹から抽出した色素はシトリニンの有無を確認しているので、色素だけしか利用していない場合は安全、という情報もあるけど、仮に未知の物質が原因だった場合、それは式粗抽出の過程で紛れ込んでいないのかどうかは未確認なので、これも否定されてしまうんだよね・・・。

いずれにしても、まずは原因の究明が待たれるのだ。
風評被害にもつながりかねないから、かなりの確度を持ったものでないとだめだけどね。
そういう意味では、この騒動はまだまだしばらく続くだろうなぁ。

(追記)
厚生労働省が小林製薬の大阪工場に立入検査に入ったけど、どうも、問題のロットに青カビが作るカビ毒の「プベルル酸」というのが混入しているのがわかったみたいだね。
この天然化合物自体の身体への毒性はまだよく分かっていないみたいだけど、これが真犯人とすると、紅麹の問題ではなく、製造過程の問題ということになるね。

2024/03/23

ただ純粋に

 最近かなり減ってきたけど、昭和レトロブームで取り上げられている飲食店で、「純喫茶」というのがあるのだ。
「純」があるからそうでないのもあるわけで。
それが「特殊喫茶」。
こちらは大きく業態が異なるんだよね。
なにしろ、「風俗営業」なのだ。
ちなみに、ほかにも「歌声喫茶」とか「名曲喫茶」なんてのもあるけど、これは「純喫茶」のバリエーション。
「歌声喫茶」ではみんなで合掌し、「名曲喫茶」ではクラシック音楽に耳を傾けるのだ。

今でいう喫茶店のような業態は開国前から「茶店」や「茶屋」と呼ばれる携帯で存在していたんだよね。
水戸黄門でうっかり八兵衛がお茶の身ながら団子を食べているところ。
日本茶と軽食を提供していたのだ。
これは完全に現代の喫茶店に近いよね。

明治になって、海外の文化が入ってくると導入されたのが「カフェ(喫茶店)」というもの。
パリなんかでは芸術家が集まってサロンとして文化の中心として機能していて、それを持ってきたかったみたい。
でも、最初キハコーヒーを飲む文化がまるでなかったので、牛乳や清涼飲料、軽食を出す業態として「ミルクホール」ができたのだ。
牛乳を飲み始めるのも明治以降だから、それだけでも十分ハイカラだったわけだ。

最初にコーヒーを提供した店と言われているのが、上野黒門町にあった「可否茶館(かつひーさかん)」。
どら焼きで有名なうさぎやのすぐそばだよ。
今でも喫茶店発祥の碑があるのだ。
でも、「カフェー」の名を関する店が出てくるのは明治も終わり。
銀座に3軒のカフェーがほぼ同時にオープンするのだ。
プランタン、パウリスタ、ライオンの3つ。

パウリスタはわりとガチンコスタイルで、本場パリと同じように男性給仕(ギャルソン)がコーヒーと歌詞を提供するスタイル。
震災後に一時撤退したけど、1970年に銀座店は復活しているよ。
「銀ブラ」は「銀座でブラジルコーヒー」の略だなんて説もあるけど、このブラジルコーヒーを提供したのがパウリスタなのだ。
プランタンとライオンはコーヒーだけでなく、アルコールや養殖も提供していたみたい。
それ以上の違いが、女給さんがいたこと!
まさに茶屋の看板娘同様、それ目当てにくるお客もいたとか(洋装の女性自体が珍しい時代だしね。)。
ちなみに、ライオンは今もある銀座ライオンのことで、プランタンは震災後に移転して戦中に営業停止しているのだ。

で、お客を帯び寄せようと、女給さんにサービスさせる店が出てくるわけで。
となりに座ってお酒をお酌したり、会話をしたり、という感じになってきたのだ。
これが震災後くらいのこと。
まさに現代のスナック的な感じかな。
キャバクラとかだと給仕は男性がやっているからね。
で、こうなってくると取り締まりが必要だ、ということになって、戦前には「特殊飲食店」として警察による取り締まりの対象になるよ。
これが戦後の風営法第1号営業の取り締まりにつながるのだ。
※風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第2条第1項第1号「キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」

こうなると、純粋にコーヒーを楽しみたい人が行く店とすみわけがなされてくるわけで。
そこで生まれた概念が「純喫茶」。
基本は女給が接待せず、アルコールを提供しないことが多い業態だよ。
で、うちは健全な店ですよ、ということをアピールするために、自ら「純喫茶」と名乗るわけ。
現在では「カフェー」という響きに風俗営業のイメージが伴わなくなったのもあってすたれてきているわけだけどね。
むしろ、接待を伴わない店なんだけど、女給さんなどの従業員とコミュニケーションが楽しめて触れ合える店、という、風俗営業ではなく飲食業だけどなんかちょっと不健全な店も出てくることになるのだ。
その代表例がガールズバーやコンセプトカフェ。
どちらも従業員が隣に座ったりしたらアウトなのだ。
ガールズバーなら基本はカウンター越しに会話しないといけないし、コンカフェの場合は飲食物の提供や食器を片付ける際に「ついでに」軽くコミュニケーションをとる、というのが基本。
ずっと張り付いて相手をしちゃうと「接待」になっちゃうので、風営法にひっかかるのだ。