2024/04/27

実は年2回

 衆議院の補欠選挙があるのだ。
今回は、島根1区(細田衆院議長が死去したため)、長崎3区(谷川議員が裏金問題で辞職したため)及び東京15区(柿沢議員が公選法違反で逮捕・起訴され、辞職したため)の3つ。
これってそこそこ数が集まってからやるものだと認識していたんだけど、それは当たらずも遠からじ。
実は国政選挙の場合はルールがあって、例外を除いて、原則として4月と10月の第4日曜日に実施することになっているのだ!
知らなかった。
9月16日~翌3月15日に補欠選挙の実施事由が発生した場合は4月、3月16日~翌9月15日に補欠選挙の実施事由が発生した場合は10月なんだそうだ。

まず、「補欠選挙の実施事由」とは何を指すか?
これにも明確にルールがあって、
①衆議院小選挙区(=議員定数1)は欠員が生じたとき
②参議院選挙区(議員定数が1~6)は定数の1/4を超える欠員が生じたとき(=東京・神奈川・埼玉・愛知・大阪の5選挙区は2名の欠員、それ以外の選挙区は1名の欠員)
③比例代表は再選挙が必要な当選人不足数と合わせて定数の1/4を超える欠員が生じたとき(ただし、参議院は全国比例で定数100なのでまず発生せず、衆議院は最大の近畿ブロックだと定数28で8名欠員が出た場合、最小の四国ブロックは定数6で2名欠員が出たとき)
ということになっているよ。
基本的には、多くの選挙区では一人でも欠員が出ると補欠選挙が行われるようになっているのだ。

このルールに従って行われる補欠選挙を「統一補欠選挙」と言うのだ。
これは衆議院に小選挙区制が導入されたため。
以前は補欠選挙の実施が必要な事由が発生してから40日以内という規定。
1996年に衆議院選挙に小選挙区制が導入されると、当選人が一人しかいないので、なんらかの事由で議員がいなくなるとすぐに補欠選挙をせざるを得ず、回数が増大したのだ。
選挙事務に係るコストも増したので、2000年の公選法改正で現在の年2回のルールができたそうだよ。

例外的に補欠選挙が行われる例としては、統一地方選と同時に行われる場合。
統一地方選は、4月7日~13日の間の日曜日に実施される前半戦で都道府県知事と都道府県議会議員、政令指定都市の市長と地方議会議員を選び、4月21日~27日の」間の日曜日に実施される後半戦で政令指定都市以外の市町村の首長と地方議会議員を選ぶのだ。
この統一地方選がある都市は、4月の補欠選挙は統一地方選後半戦と同時に実施されることになっているよ。
ま、ルール上決まる日程とほぼほぼ被るんだけど。
それから、参議院の場合は解散がなくて通常選挙が行われる日程が通例6月~7月になっているので、参議院通常選挙のある年は、10月の補欠選挙は参議院の通常選挙と同時に行われるのだ。
逆に、衆議院総選挙は解散があるのでいつ行われるか決まっていないから、たまたま投票日が重なることはあっても、合わせにはいかないみたい。
いきなり参議院の補欠選挙も一緒にやります、とかなっても準備も大変だしね。

このほか、「再選挙」と一緒にやる場合、というのがあるのだ。
再選挙は、公選法違反で当選が取り消された場合は、選挙したけどどの候補者も法定得票数が得られなかった場合、比例代表で名簿のリストが足りなくて繰上補充で当選人が確保することができなくなった場合などに行われるもの。
この再選挙も原則として補欠選挙と同じルールで日程が設定されるのだけど、例外的に統一ルールから外れる場合があって、その時一緒に補欠選挙もしてしまう、というもの。
国政選挙の場合は、当選人がいなかった、或いは、定数に満たなかった場合、選挙無効訴訟の結果選挙無効となった場合(「1票の格差」など)はその事由が発生した日から40日以内に再選挙することになっていて、その場合はその時一緒に補欠選挙もすると負いうことなのだ。
ちなみに、現在の選挙区制だと当選人が出ないとか定数に満たないことはまずまず想定されなくて、基本は選挙無効の場合が再選挙になるのだ。
しかも、通常は公選法違反等で逮捕・起訴されるとその訴訟を起こされる前に議員辞職するので、再選挙ではなくて補欠選挙になるんだよね。
最近の例で言うと、河合杏里参議院議員(当時)の場合は、公選法違反の刑事裁判で有罪判決が出るまで議員辞職していなかったので、有罪になった時点で当選無効になり、再選挙することになったのだ。

というわけで、わりと政治ニュースに着目していても知らないことが多いな、と思ったよ。
ま、こんな選挙日程の細かいルールを気にすることはないのだけど。
テレビでコメントしている「選挙のプロ」たちは大前提としてよく知っていることかもしれないけどね。

2024/04/20

ほうなんですか?

 日本の場合、奈良仏教(南都六宗)からはじまって、平安仏教の密教(天台・真言)、鎌倉仏教の浄土信仰(浄土宗・真宗)、日蓮宗、禅宗(臨済・曹洞)などなど、これまで国内で起こった仏教宗派がだいたい残っているのだ。
でも、実は中国ではそうではないんだよね。
というのも、中国では大きな仏教弾圧が何度かあって、その際に衰退、或いは、消滅してしまった宗派もあるから。
日本だと明治期の廃仏毀釈があるけど、宗派が消滅するまでには至ってはいないのだ。
中国の場合、「三武一宗の法難」といって大きな弾圧が過去に4度行われるけど、このときは、寺の財産を没収、強制的な僧の還俗などが行われたのだ。

では、なぜそんな弾圧が起こるのか?
仏教は中国の歴代王朝に反旗を翻したりしていたのか?
でも、そんな話は歴史で聞かなかったような・・・。
ということでちょっと調べてみると、やはり時の王朝の支配に支障が出るような場合に弾圧が起こるのだ。
仏教そのものが憎い、というより、仏教勢力が問題を起こすので、ということらしい。

例えば、中国の皇帝の中には仏教を手厚く保護する政策をとる人もいるわけだけど、そうすると仏教寺院の影響力が大きくなってくるわけ。
すると、他の勢力はこれを排除したいと思うわけで、皇帝の代替わりで弾圧する、という場合はあるのだ。
例えば、唐の時代は、仏教と道教が王朝の支持をめぐって対立をしていて、それが最大の仏教弾圧である「会昌の廃仏」につながったのだ。
完全に派閥争いであって、ポリティクスの世界だよね。
宗教の協議の中身の対立とか、仏教の信仰者が増えると政治に影響があるとか、そういう話ではないのだ。
また、一般に、僧籍に入ると租庸調や兵役が免除されるんだよね。
でも、これを各youして、得度して修業するのではなく、出家だけして「税逃れ」をするようなやからが出てきたので、それを取り締まる必要も出てきたのだ。
仏教弾圧の中で出て来る「強制的な還俗」というのはこういうところに本質があるのだ。


これは日本でも同じで、勝手に僧になられると困れるので、正式に僧籍に入るためのプロセスを用意する必要があったのだ。
それが戒壇の設立で、聖武天皇が唐から鑑真和上を招聘し、唐招提寺を作ったのもここに理由があるのだ。
これにより日本でも正式なプロセスで出家・得度ができるようになるんだけど、この時の整理では、僧になるためのプロセスは国家管理で、国が設置した東大寺、大宰府の観世音寺、下野の薬師寺の3つの戒壇のみに限定したんだよね。
加えて、全国に国分寺・国分尼寺を整理して、仏教の国家管理を進めたのだ。
とはいえ、奈良時代は朝廷への仏教勢力の影響が強すぎたので、平安遷都につながっていくわけだよね。
ここで仏教を弾圧して、とはならなかったのが日本的かもしれないけど、けっきょく、平安時代も密教を国家鎮護のために使っていたわけで、決別するまでではない、ということなんだろうね。
おそらく、大陸には仏教に変わる勢力としての道教があるけど、日本にはそこまでの仏教の対抗勢力がないというのが大きかったのかもね。

日本の朝廷は仏教と一定の距離を取りながらつきあっていくわけだけど、個別の宗派ごとに見ると、「法難」と呼ばれるような話はあるのだ。
例えば、宗派ごとの対立の影響もあって、法然は讃岐に、親鸞は越後に、日蓮は伊豆に入るになっているのだ。
また、日蓮宗のうち「不受不施派」は江戸末期まで弾圧され、強制的に回収させられて真言宗になった寺院などもあるよ。
でも、仏教コミュニティ内の対立なので、仏教自体がけしからん、とはならないのだ。
政治勢力と仏教勢力の対立としては、織田信長による叡山焼き討ちなんてのがあるけど、これも武力集団としての影響力を排除しようとしただけで、信仰を排除しようとしているわけではないんだよね。

なので、明治期の廃仏毀釈までは支配層とうまく付き合ってきたのが日本の仏教だったのだ。
ちなみに、一般的に「廃仏毀釈」とは言われるけど、明治政府が推し進めようとしたのは国家神道体制の確立で、そのために出したのが「神仏分離令」。
神道と仏教の分離というわけだけど、神仏習合が進んでいた日本ではこれはなかなか難しい話だったんだよね。
本地垂迹で日本の神様と仏教の神様がつながっているし。
でも、このとき、神職者の中で仏教に圧迫されてきたと考えている勢力が「廃仏」を言い出し、世間のムーブメントがそっちに移って行ってしまったんだよね。
なので、必ず寝所政府が意図したところではなかった、ということなのだ。
そこも中国のものとは少し毛色が違うんだよね。

2024/04/13

においのもと

 テレビで見たのだけど、岡山県はトイレの消臭剤の年間消費量がナンバー1らしい。
その理由をインタビューでさぐっていたんだけど、番組の中で出していた結論は、洋式トイレで男性が小をする場合に座らず立ったままする人の割合が全国平均に比べて圧倒的に高いから、ということだったのだ。
つまり、まわりに飛沫が飛び散っていて、それがにおいのもとになっているというわけだ。
トイレ用洗剤のCMでも思ったより飛び散っている、みたいなのがあったよね。

でも、実は尿素のものが臭いわけじゃないのだ。
もともと腎臓の中で血液をろ過して老廃物を取り除いた廃液が尿になるわけで、基本的に膀胱から尿道を経て外に出るまでは無菌状態。
っていうか、膀胱や尿道にある時点で細菌が中にいる場合は、膀胱炎や尿道炎を起こしているのだ(>_<)
問題は体外に排出された後。
つまり、検尿の時などの出したての尿は臭いわけではないのだ。
でも、検尿カップから提出用容器に移した後、残ったのをそのままにしておくと臭いが出て来るよ。
残りのほとんどはお入れにそのまま流すと思うけど、検尿カップにこびりついて残ったものは後々臭いが出るので、水ですすぐとかしないとまずいわけだ。

では、なぜ臭いが発生するのか。
尿臭のメインはアンモニア臭。
もともとアンモニアは毒なので、体内で発生するアンモニアは尿素にして無毒化されるんだよね。
それが尿中に排出されるわけ。
でも、体外に排出された尿素は、まわりにいる最近に分解され、再びアンモニアが発生するのだ。
これがにおいの発生源。
特有の刺激臭が出て来るよ。

このほか、尿中には微量ながらタンパク質も含まれているので、それが分解されるとやはり腐敗臭のもとになるような物質もできているのだ。
卵や肉が腐ったようなにおい。
とはいえ、尿中のたんぱく質はごく微量なので、大量のアンモニア臭を押しのけてまで感じられるようにはならないんだよね。
犬なんかは人間より嗅覚が鋭くて、アンモニア臭の奥にある別の物質のにおいまで完治できるのでおしっこでなわばりをマーキングするんだけど、さすがに人でそこまでできる人はあまりいないはず。

でも、おしっこのにおいが強くなる、というのはあるんだよね。
これはむしろ病気の兆候。
なんらかの原因で普段は尿中に排出されない物質が大量に尿中に排出されることでにおいのもとになっているのだ。
わかりやすいのは、栄養ドリンクを飲むと大量の水溶性ビタミンのビタミンB2(リボフラビン)が尿中に排出されるので、尿が真っ黄色になって少し薬臭くなるのだ。
で、腎臓の病気とかで、血液のろ過機能が弱ってくると、本来は尿中に出てこないタンパク質が排出され、それがにおいのもとに。
健康診断の検尿も基本は尿中のたんぱく質を測定しているんだけど、これが多いと腎機能が低下しているというシグナルになっているんだよね。
ちなみに、泡だってその泡がなかなか消えない、というのもタンパク質が多めに排出されてしまっているシグナルの一つ。

では、臭い対策はどうするか。
単純に言えば、尿の飛沫が飛んでいるのが問題なので、それをきれいにふき取っておけば臭いは発生しないのだ。
でも、トイレを使うたびに毎回毎回掃除はできない・・・、となると、別のにおいが悪臭をごまかすしかないわけ。
いわゆる「ベルサイユ方式」。
昔のトイレの芳香剤はこれ。
「芳香剤」とはよく名付けたもので、より強い、でも、人にとっては良いにおいに感じるものでアンモニアを中心とした悪臭をごまかすのだ。

でも、現在普通に使われているのは消臭剤。
名前のとおり「悪臭の原因を消す」のだ。
では、どうやって除去するか。
代表的なものは、化学的方法と物理的方法。
化学的方法というのは、別の化合物と反応させて臭いのしない化合物に変化させてしまう、という発想。
トイレの場合はわかりやすくて、においの原因はアンモニアなので、このアンモニアに何かを反応させて悪臭の原因にならない化合物にしてしまえばよいのだ。
アンモニアは塩基性なので、多くの場合は何らかの酸性物質と反応させるよ。
ただし、なんでもいいかというか、そういうわけでもないのだ。
例えば、そこら辺にある二酸化炭素と反応させて炭酸アンモニウムにしても、炭酸アンモニウム自体が強い刺激臭を持つので意味ないのだ。
塩酸と反応させて塩化アンモニウムに変換すれば無臭になるけど、この物質は強い吸湿性があるので、べとつくのだ。
トイレでそれは使えないよね。
というわけで、ちょうどよいものというのを探すのは大変で、だからこそいろんな商品があるわけ。

物理的方法の方は、多孔性の単体に臭いの原因物質を吸着させるというもの。
素焼きの陶器や活性炭にアンモニアを吸着させるのだ。
冷蔵庫や靴箱用の消臭剤は主にこれだよね。
トイレのようなある程度の広さがある空間だとこれだけだと間に合わないので、トイレ用消臭剤の場合は上の化学的方法と組み合わせになることが多いよ。

2024/04/06

間違うと大変

 小林製薬の紅麹問題はなかなか収まるところを知らないね・・・。
プベルル酸というカビ毒の混入があったことは判明したけど、これってまだ原因と特定できているわけじゃないんだよね。
もともとあんまりよく知られていない物質で、そもそも腎毒性があるかどうかも不明。
仮に、今回の健康被害はこのプベルル酸が原因だったとしても、なぜ混入したのかがわからないと対処できないのだ。
まだまだ未解明なことが多すぎる。
でも、ここをおざなりにしてしまうと、あとで大変なことになるのだ。

歴史的有名な疫学上の大失敗は「脚気」の問題。
日清・日露戦争では多くの戦死者が出たわけだけど、陸軍は活計苦しんで亡くなった方も多いんだよね。
っていうか、神経がマヒして動けなくなるから、軽く症状が出ただけでも戦場では致命的。
当時からいかに脚気を克服するかが大きな課題だったんだけど、陸軍はその対応策を間違ってしまったんだよね。
その中心人物が軍医中将の森林太郎。
そう、「舞姫」の作者、森鴎外その人だよ。

「脚気」の症状は古代の文献にすでにみられるのだけど、広く認知されるようになったのは江戸時代から。
これは白米中心の食文化になったことが影響しているのだ。
主に都市部で発生していて、「江戸わずらい」なんて呼ばれたわけだけど、その本当の原因はビタミンB1の欠乏症。
江戸をはじめとした都市部では、大量の白米にごくごく少量のおかず、という食事スタイルだったので、欠乏症が発生しやすかったのだ。
箱根を越えると江戸わずらいが治るなんて言われていたけど、これは田舎では玄米や麦飯、雑穀などを食べていてビタミンB1を摂取できるようになるからなんだよね。
江戸時代にぬか漬けが普及したのも、ビタミンB1が補給できて脚気にかかりにくくなる、というのがあったと言われているよ。

明治になって、近代軍事組織が整備されると、またこの脚気が問題になるのだ。
というのも、軍人を募集する際に「腹いっぱい白米が食べられる」とアピールしたから。
江戸のような都市部を除いて白米はぜいたく品だったので、当時としてはこのコピーはすごく魅力的だったんだよね。
でも、その結果、軍隊で脚気が大量発生したのだ。
というのも、陸軍の場合だと、1日の食事として支給されるのが、白米6合+少量のおかず、という感じで、まさに脚気リスクがたまるメニューだったから。
で、どげんかせんといかん、ということになったんだけど、陸軍と海軍で対応が分かれるんだよね。

海軍の方は、英国軍では脚気が極めて少ないことに着目し、ひょっとすると日本式の食事が悪いのでは、ということで、兵食に洋食を導入することにしたのだ。
海軍軍医の高木兼寛は、おそらく炭水化物とタンパク質のバランスが悪い、もっとタンパク質を取らないとだめだ、と考えたんだよね。
でも、パンと肉の西洋食(例えばパンとシチュー)はあまり評判がよくなく、肉を使ったおかずにごはんという日本式の洋食スタイル(例えば肉じゃがとごはん)をとることに。
ただし、群で支給する食事に使える金額には上限があったので、肉多めのおかずにするとそっちにコストがかかり、高価な白米が使えず、安価な麦飯になったのだ。
でも、実際はこれが功を奏し、オオムギからビタミンB1が摂取できるようになって脚気が減ったのだ。

これに対し、陸軍は最近原因説をとるんだよね。
森林太郎をはじめとする陸軍軍医はドイツ留学組が多く、ちょうどそのころドイツでは多くの感染症の原因が最近によるものであるというのが盛んに研究されていたから。
また、実際に海軍では食事を変えて脚気が減っているのだけど、そういう経験則的なことではなく、理論的に脚気を駆逐したかった、という対抗心もあったみたい。
で、衛生環境の向上などの取組を始めるわけだけど、食事は依然のままの、脚気の高リスク食・・・。
結果として、日清戦争で数千人、日露戦争では3万人弱が脚気でなくなったといわれているよ(>_<)

当時の技術力では限界もあるのだけど、このように原因を見誤るとかえって被害が拡大したりするのだ。
なので、今回の紅麹の件も、プベルル酸が悪い、と短絡的に考えてはだめで、慎重にじっくりと検証することが必要なんだよね。
そうしないと、また次に同じようなことが起きてしまいかねないのだ。