2016/12/31

免税でお買い物

休暇で一時帰国しているのだけど、なんと、この場合は国内の免税店でtax freeの買い物ができるというのだ。
つまり、消費税なし。
税率8%だから、これはけっこう大きいよね。
一方、銀座三越内には、空港になるのと同じようなduty freeのフロアができたんだよね。
って、これって何が違うんだ?ってことで調べてみたのだ。

日本語では同じ「免税店」だけど、英語ではきちんと使い分けているのだ。
空港内にある「免税店」はduty freeで、消費税だけでなく、酒税、関税、たばこ税も非課税。
これは、そもそも日本国外での取引という扱いをされるので、課税されないということなのだ。
なので、これは基本的に日本を出国後で、目的地の国に入国前というわけ。
多くは出発地の空港で買うけど、機内販売も免税だよね。
理論的には入国前にもあるのだけど、多くの空港では入国審査前の免税店というのはないみたい。

日本の場合は、アルコール類にかかる酒税や、たばこにかかるたばこ税、香水等にかかる関税が大きいため、これらが免除されると相当な割引になるんだよね。
たばこなんかは国内販売価格のほとんどが税額相当分だから大きいのだ!
アルコールもそう。
酒税が高い(=アルコール度数の高い)ウイスキーなどの高級酒ほどこの効果は大きいよ。
なので、空港の免税店ではよくウイスキーを売っているわけ。

 一方で、tax freeというのは消費税が免除になるもの。
これは、国内での販売ではあるんだけど、「輸出品の販売」ということで、消費税法上課税が免除されているものなのだ。
免税店の設置には税務署に許可をもらう必要があって、多くの場合、免税カウンターで特別の手続きが必要だよ。
パスポートの確認と、買った物品が国内で消費するものではなく、海外で消費するものであることを宣誓することが求められるのだ。
さらに、出国する際も手荷物で持ち込む必要があって、パスポートに貼り付けられた購入明細と実際に持ち込んだ商品を照らし合わせて、不足がないか確認されるのだ。
仮に不足がある場合は、その足りない商品は国内で消費したと見なされ、改めて消費税が徴税されるよ。

海外旅行に行ったときの「タックスリファンド」と実は同じで、タックスリファンドの場合は、一度消費税を払った後、空港で手続きをすると消費税相当分がもどってくる仕組みだよね。
なので、事後免税制度と呼ばれるのだ。
こちらの方が確実なんだけど、やはり手続きが面倒なので、事前に消費税なしで買えるtax freeが増えているわけ。
でも、国内で消費する分も含めて消費税なしで買われたらまずいので、空港での確認手続きが発生するのだ。

三越銀座にあるduty freeの場合は、商品はそこではもらえず、必ず出国ゲートの先の引き渡しカウンターでもらうわけだけど、これはいわば、出国した後に買う商品を国内で予約しただけの状態にしてあるってことなんだろうね。
成田空港株式会社との合弁でやっているようだけど、おそらく、様々な法的なハードルをうまく乗り越えて運営しているのだ。
実は、銀座阪急にはロッテ資本のduty freeの免税店もああるんだよね。
今後こういうのが増えてくるかも。

これまでは、特定免税点制度という形で、沖縄にだけduty freeの免税店が認められていたのだ。
沖縄振興の一環として、沖縄振興特別措置法の中で定められているものだよ。
沖縄の空港の場合、国内線であっても、内地(奄美、与論を含む沖縄県以外の日本国内の地域)に行く航空券を持って入れば買い物ができるのだ。
沖縄県庁の近くには、ギャラリアという免税店のショッピングモールがあるよね。
ここの場合も買い物をした後、空港での引き渡しになるよ。
そういう意味では、三越銀座のduty freeはこれに似ているのかも。

ちなみに、tax freeの方は「非居住者」限定の制度なので、外国人観光客や海外に在住している日本人で一時帰国している人向け。
なので、万人がそこで買えるわけではないのだ。
逆に、duty freeの方は、日本を出国予定の人出あれば誰でも利用可能。
三越銀座の場合は、パスポートと航空券の控えがあって、成田空港または羽田空港の国際便に搭乗する人出あれば利用可能なのだ。
ゆっくりと商品を選べるし、東京在住者にはよいかも。
空港の楽しみがひとつなくなるけどね(笑)

2016/12/24

モロッコの謎を追え

フランスのスーパーにも「モロッコインゲン」が売っているんだよね。
一本ずつで買えるので、サヤインゲンやモロッコインゲンは一人前の自炊をするには助かる食材なのだ。
ナスやズッキーニは日本の者より巨大だから・・・。
この辺は量り売りのうれしいところだね。
で、このパリのスーパーで売っているモロッコインゲンもモロッコ産だったので、ボクはてっきりモロッコの野菜だと思っていたんだけど、実はそうではないようなのだ!

結論から言うと、モロッコインゲンというのはタキイ種苗の登録商標で、一般名はヒラサヤインゲン。
つぶれた形の平たいサヤインゲンの品種としてタキイ種苗が売り出しているのが「モロッコ」なのだ。
命名の由来は、モロッコ原産とかではなく、地中海沿岸地域で栽培されている「ヒラサヤインゲン」から作った品種で、映画「カサブランカ」にあやかったとかなんとか。
必ずしもモロッコのものではないのだ!
フランスのスーパーに並んでいるのも、モロッコ産だけでなく、スペインさんとかもあるから、南欧から北アフリカの地中海性気候での栽培に向いているのかも。

もともとインゲンは中南米原産の新大陸野菜。
アステカではすでに乾燥された豆が重要な食料となっていたようなのだ。
インゲンマメは高タンパクで、乾燥重量の約2割がタンパク質だというから、「畑の肉」ことダイズの3割には及ばないにしてもなかなかの数字。
肉を狩猟に頼っている中南米の生活様式から考えると、貴重な栄養源だったろうね(中南米地域では今でも重要なタンパク源だって。)。
で、これが大航海時代に欧州に渡って広まるのだ。

すでに16世紀には育てやすく食べやすい栽培作物として広がり、特にギリシアなどの地中海沿岸地域で栽培が進んだのだとか。
フランスでは、完熟した豆を使うだけでなく、未成熟のうちにさやごと食べる「サヤインゲン」としての利用が出てきたのだ。
フランス語では「haricot vert(緑のインゲン)」と言うよ。
で、サヤインゲン専用の品種も作られ、インゲンは豆とサヤインゲンの2とおりで食材として重要な位置を占めるようになるのだ。

16世紀末には欧州から中国に伝わり、17世紀の江戸時代になって日本への渡来。
一般に、隠元禅師が中国禅を日本に伝えるときに持ってきたと言われているので、日本語では「インゲン」なのだ。
ちなみに、隠元禅師は中国臨済宗の僧侶なんだけど、日本には栄西さんが茶とともに中国から持ち帰って日本独自の発展をしていた臨済宗がすでにあったので、新しく来た隠元禅師は「臨済正宗」などの名を名乗ることが許されず、臨済宗を開いた臨済義玄さんの師匠である黄檗希運さんの名を取って「黄檗宗」と名乗ることになったんだよ。
京都の黄檗山はその総本山の萬福寺のあるところなのだ。

温暖な地域では1年で三度も収穫できるほどの栽培のしやすさもあって、爆発的に広がったんだね。
関西でインゲンマメのことを三度豆と呼ぶのはそういうことらしいのだ。
で、このインゲンマメの種類の中に、赤インゲン豆(金時豆やレッドキドニービーンズ)、うずら豆、虎豆などがあるのだ。
甘納豆や白あんなんかはインゲン豆から作るから、江戸時代になってから伝わった割には和菓子食材で重要な地位を占めている気がするなぁ。
それほど役に立つ栽培作物だったんだろうね。

むかしはサヤインゲンというと固いスジがあるので、下処理として両端を追ってスジをとっていたけど、今の品種ではもうとらなくてもいいんだって!
よく母親の手伝いでやっていて、ぽきっと織る感触がすきだったんだけどなぁ。
モロッコインゲンの場合も、スジは気にしなくていいみたい。
サヤエンドウだとまだスジが気になることがあるけどね。
ここでもインゲンは優等生なのか。

2016/12/17

第三の米?

フランスで米と言えば、細長いインディカ米(長粒種)がメジャーなんだよね。
日本人以外は粘りけの少ない米を好む傾向があるんだとか。
っていうか、日本式の米(ジャポニカ米、短粒種)は、日本、朝鮮半島、中国東北部・・・、と世界でもごく一部でしか栽培されていないから仕方ないんだけど。
今では和食ブームもあるし、中国でもジャポニカ米が好まれているので、世界的にメジャーになってきているようだけど。
でも、そこで気になったのが、欧州でよく米を食べるイタリアやスペイン。
実は、彼らが食べている米は、日本の米とも違うし、かといって、インディカ米でもなかったのだ。

米は大分類では、粒が丸くて粘りけがあるジャポニカ米と、粒が細長くて粘りけの少ないインディカ米の2つがあるのだ。
で、ジャポニカ米にも実は小分類があって、日本などで栽培されている温帯性のジャポニカ米と、中国南部やジャワ島なんかで栽培されている熱帯性ジャポニカ米(ジャバニカ米とも)があるんだ。
で、イタリアやスペインの米は、このジャバニカ米に近いもののようなんだよね。
確かに、スーパーでリゾット用の米として売られているのは、日本米よりはひとまわり粒が大きいもの。
でも、本当に熱帯地域で栽培されているジャバニカ米は、日本米ほど粘りけもなく、また、粒もかなり大きいもの。
欧州の米所の米は、ジャポニカ米とジャバニカ米の中間くらいのものなのだ。

欧州に稲作が伝わったのは、ローマ帝国崩壊後、7~8世紀にムーア人がイベリア半島へ侵入したころ。
ムーア人は北西アフリカのイスラム教徒で、水稲による稲作をしていたようなのだ。
イベリア半島やイタリア半島はたまたま水稲栽培に適していたので、そのまま水田による稲作が根付き、米がよく食べられるようになったみたい。
欧州の他の地域は乾燥していることもあって、小麦がメインだし、されに土地がやせているような北欧では、カラスムギ、ライ麦なんかが主な穀物だったんだよね。
新大陸からジャガイモが入ってくると、一気に欧州に広がることになるのだ。
稲作ができるというのは、環境的にかなり恵まれているということみたい。

ボクははじめは欧州は全体的に陸稲で、インディカ米だと思っていたので、リゾットやパエリアも基本はインディカ米だと思っていたんだけど、実はそうではないので、インディカ米ではおいしくできないのだ(>o<)
リゾットは、米のとろみが全体を包み込んで一体化していなくてはいけないんだけど、インディカ米だと粘りけが少ないためにうまくいかないのだ。
むしろ、日本米の方がおいしくできるくらい。
パエリアも、インディカ米だとぱさついてしまうし、現地では好まれる「おこげ」もできないんだよね。
インディカ米で作ると、具だくさんピラフになってしまって、パエリアって感じじゃないんだよね。
やっぱり、インディカ米よりは、日本米で作った方がおいしくできるのだ。

そう考えると、日本でリゾットやパエリアが好まれる理由がわかる気がするね(笑)
インド料理でも、日本人はぱさぱさのインディカ米よりはもっちりとしたナンを好むよね。
やっぱり、日本人の舌には粘りけのある米が好まれるんだろうなぁ。
でも、結局はそれぞれの地域で、その土地でとれる米をどうおいしく食べるかで料理が発達してきているはずで、その点では、日本と似た米を育てている地域の料理が日本人の口に合うのは当たり前なのかも。
タイ料理屋インド料理だと、べたつく日本米よりはさらりとしたインディカ米の方がおいしいと思うけど、まさにそういうことなんだろうね。

どうも日本人が単純に考えているよりも、世界の米事情は複雑なようなのだ。
こういうのは海外に出てみないとよくわからないね。
米国にいたときは、普通にカリフォルニア米が日本式のジャポニカ米で、それが普及していたのでよくわからなかったのだ。
やっぱり海外に目を向けてみるといろいろとわかることがあるね。
勉強になるのだ。

2016/12/10

パリでアジアの味を

パリは人種のるつぼなので、フランス料理以外にも各国料理がいろいろあるのだ。
その中でも、数的に目立つのは、中東風のケバブ、中華総菜、レバノン総菜、そして、寿司・焼き鳥。
ケバブは欧州の至る所で見かけるらしいので、パリに限ったことではないのかもしれないけど、パリを代表するファストフードになっているよ。
レバノンはもともとフランスの移民統治領だったこともあって、多いみたい。
街中でよくレバノン杉の国旗を見かけるよ。

ここで注意したいのは中華総菜。
多くの場合、「chine(中国)」とは書いてなくて、「asiatique(アジア風)」と書いてあるのだ。
確かに、生春巻きとか、ブン(ベトナムの米粉の細麺)、フォー(ベトナムの米粉の平麺)、タイ風サラダなどなど、中華の枠内には収まりきらないものが売っているんだよね。
どうも、これらの店の多くは、旧仏領インドシナ、すなわち、ベトナムやラオスの出身者がやっているらしいのだ。
フランスが最初に大規模に中華系移民を受け入れたのは第一次大戦後らしいんだけど、ベトナム戦争の前後になると、統一ベトナム主義による迫害から逃れてきたベトナム系難民の多くがフランスに流入し、その人たちが住み着いたらしいのだ。
で、おそらく、この人たちがそういう総菜屋をやっているんだよね。
それもあって、エスニックな味付け(甘酸っぱ辛い)やコリアンダーの多用など、日本で言う中華とはまた違った味わい。

パリ市内にも中華街と呼べるような場所があるんだけど、その中でも有名な、パリ南東部(13区)のプラス・ディタリ(Place d'Italie)は、ベトナム・ラオス出身の人たちが集まって作った中華街。
なので、中華食材のみならず、東南アジアっぽいものが並ぶよ。
乾麺のフォーやチリソース、ライスペーパー、ニョクマムなどなど。
最初に来た中華系移民は主に広東省から来たので、今でも炒飯のことは「riz cantonais(広東風ライス)」と呼ぶんだよ。
ベトナム・ラオスからの移民の後からやってきたのは浙江省や旧満州の人たち。
でも、この人の「風味」をあまり感じることはないかな。

一方で、この中国の人たちが何をやっているかというと、日本食レストランをやっているのだ・・・。
日本食と言っても、サーモンの寿司と焼き鳥くらいしか置いていないものが多く、最近は、日本風ラーメンと称する、日本のラーメンとはまた違った麺類を出す店もやっているみたい。
パリに人たちはそれが「日本食」と思っているのかもしれないけど、これは誤解につながるんだよなぁ(>_<)
もちろん、ちゃんとした和食の店もあるにはあるけど、多くは高級な店なので、庶民は知らないのだ。

じゃあ、日本人は何をしているかというと、フレンチの店を出しているのだ(笑)
最近パリでは日本人シェフのレストランが増えているんだよね。
パティスリーではサダハル・アオキなんかもあるし。
自分の腕が本場で通じるか試したいのかな?
こういうところのフレンチは、日本の食材を使ったり、日本風のアレンジであっさり目立ったり、より素材の味を活かすような調理法だったりするわけ。
フランス人からしたら亜流に見えるのかもしれないけど・・・。

というわけで、パリのアジア人によるレストラン事情は錯綜しているんだよね。
ボクはエスニックな味が好きなので、むしろ、きちんとベトナム料理がおいしアジア総菜店を見つけているのだけど、日本で食べるような中華を期待するとがっかりすることもあるのだ。
何事も、背景とか知るとまたtがった見え方があるものだよね。

2016/12/03

欧州冬の風物詩

パリのクリスマスマーケットに行ったんだけど、なにやらおいしそうな、香ばしいにおいが・・・。
何かと思ったら、マロン・ショー(焼き栗)。
欧州では冬のよく街中で売られているものなんだね。
ちょうど寒かったので思わず買ってしまった(笑)
はじめは天津甘栗のような感じかと思ったんだけど、ほのかな甘みとほっこりした食感。
これは全く別物だね。
どちらかというと、芋類に近いかも。
じつは、この欧州の焼き栗は、日本の栗や天津甘栗とは種類が違うんだよね。

クリの仲間は北半球の温暖湿潤な地域に広く分布しているんだけど、木材としても優秀なことに加え、実が食べられるので古代から栽培されてきたのだ。
日本でも三内丸山遺跡(縄文時代)で栽培の痕跡が見つかっているよ。
種類は異なるけれど、ユーラシア、北米では広く一般的に食べられてきたものなのだ。
しかも、ドングリと違ってあく抜きせずに食べられるので、非常に有用なんだよね。

日本の栗はいわゆる和栗というやつで、渋皮が身に密着していてはがしづらいことが特徴。
なので、生の場合は渋皮を包丁などで剥く必要があるのだ。
ゆでたり焼いたりしても渋皮が剥きづらいんだよね・・・。
中の実は淡黄色で、熱がとおるときれいな黄色になるのだ。
なお、今食用になっているのは栽培品種として、実が大きくなるもの、甘みが強いものなど品種改良を重ねた結果できたものだよ。

日本でもよく食べられる天津甘栗はシナグリという中国原産の栗。
こちらは渋皮がはがれやすく、甘みが強いのだ。
このシナグリを焼いた小石の中で砂糖をかけながら焼いたのが天津甘栗。
渋皮が密着していないので、ころんと身の部分だけが出てきて食べやすいんだよね。
これは製法に工夫があると思っていたんだけど、実は栗の種類の違いなのだ!

イタリアのピエモンテ産の栗、などと言われているのはヨーロッパグリ。
渋皮は比較的はがれやすく、実は茶色。
これが栗色(マルーン)なのだ。
本場のモンブランのクリームは茶色いけど、これは渋皮ごとクリームにしているわけじゃなくて、栗の実自体が茶色いからなのだ。
外皮に軽く切れ目を入れて炒るだけで比較的簡単に実を取り出すことができるので、欧州では街角で焼き栗が売られているのだ。
甘みは薄めだけど、デンプン質が多く、粘りけが少ないのだ。
なので、天津甘栗よりももっとほくほくした感じの仕上がりになるんだ。
このあたりが焼き芋に近い感覚を与えているのかも。

それと、重要なのは煮崩れしないこと。
これがマロン・グラッセにしておいしく食べられる理由なのだ。
和栗は実が割れやすいので、甘露煮くらいならいいのだけど、マロン・グラッセのように徐々に糖度を上げて何度も煮るという感じの製法には向かないのだ・・・。
なので、マロン・グラッセを作る場合はどうしてもヨーロッパグリが必要なんだよね。
ま、日本は日本で渋皮煮のようなものもあるので、栗の特徴にあわせておいしく食べるということかもしれないけど。

で、ここでわかりづらいのが、フランス語における「栗」の表現。
フランスでは、大きめの栗を「marron(マロン)」、小ぶりの栗を「châtaigne(シャテーニュ)」と呼ぶんだけど、もともと「マロン」というのは街路樹でもおなじみの「マロニエ(セイヨウトチノキ)の実」のことを指しているようなのだ。
もともとヨーロッパグリは、イガの中に実が3~7個入っている小ぶりの実だったんだけど、栽培品種の中に、イガの中に実が一つだけしか入っていない大きめの実ができるものができたみたい。
で、それがまるでまるでマロニエの実のようなので、「マロン」と呼び始めたのがはじまりと言われているのだ。
一方、元祖のマロニエの実は、日本のトチの実と同じで毒性があるので生食はできず、しっかりあく抜きなどの工程を経て、デンプン質だけを取り出す必要があるんだよね。
なので、本来の「マロン」だからと言って食べないように気をつけないといけないのだ!

2016/11/26

パリでテ

パリの飲み物というとついついカフェオレと思ってしまうけど、よく昼間見かけるのはエスプレッソだし、イギリスほどではないのかもしれないけど、紅茶もかなり飲まれているのだ。
日本でも有名なマリアージュ・フレールはパリが本店だし、パリ土産として人気のあるクスミ・ティーも紅茶だよね。
で、マドレーヌのフォションに行けば、やっぱり紅茶なのだ。
というわけで、パリでは紅茶も相当好まれて、飲まれているんだけど、個人的感想から言うと、日本以上にフレーバー・ティーが多い!
フルーツやら花やら多種多様なフレーバーの紅茶が売られているし、サロン・ド・テではオリジナルのブレンドの紅茶で人気が出たりするらしいのだ。

で、これは紅茶だけじゃなくて、緑茶(テ・ヴェール)でも同じなんだよね・・・。
パリには虎屋もあるし、寿月堂という日本茶専門店もあるのだ。
なので、日本式のお茶が浸透していて、その影響で「抹茶」風味がはやっていると思っていたんだけど、どうも真相はそうじゃないみたい。
確かに、日本茶をそのまま楽しむこともあるみたいだけど、緑茶にもいろんなフレーバーを足して楽しんでいるみたい。
さらに、日本茶と中国茶をブレンドしたり。
日本茶はわりとすっきりとした味わいなので、中東風にミントを足したり、柑橘系のフルーツと合わせたりするようなのだ。
でも、ボクが求めているのはそういうのじゃない(笑)
やっぱり日本食材を扱っているお店で日本茶のティーバッグを買った方が、イメージしていたものが飲めるよ。
ま、フレーバー緑茶はそれはそれとして楽しめばよいのだけど。

そういえば、米国にいたときも、緑茶と言えば甘くなっているのが普通だったっけ。
そもそも紅茶自体も甘くしないと飲まない米国人なので、緑茶をほの苦いまま飲むことはなくて、「朝鮮人参と蜂蜜」とか「ザクロ風味」とか、そういうのがコンビニで売られていたっけ。
全く同じものがフランスのスーパーでも並んでいるんだけど(笑)、茶葉やティーバッグとしては、フレーバーだけがついているものが売られているよ。
たまたま見つけたフレーバーなしの緑茶を買ってみたんだけど、やっぱりちょっと紅茶風の感じで、いわゆる日本茶ではなかったので、製法とかも微妙に異なるのかも。

でも、実は緑茶にフレーバーをつけるというのは変わったことではないことがわかったのだ!
日本でもかなり広く飲まれているよ。
それは、ジャスミン茶。
あれって、緑茶に茉莉花(ジャスミン)のフレーバーをつけたものなんだってね。
はじめて知った・・・。
やっぱり慣れてないから違和感を感じるのであって、慣れてくればそれはそれとして楽しめるということだね。

それと、緑茶の加工品ということでは、プーアル茶もそうなんだって。
緑茶は、茶葉の中にもともとある酵素で発酵しないように加熱処理をしたもので、加熱処理せずに完全に発酵させたのが紅茶、途中で加熱処理をして半発酵の状態で止めるのが烏龍茶に代表される青茶。
で、プーアル茶などの黒茶と呼ばれるものは、緑茶を後から発酵させて作るものなんだって。
作り方も二つあって、緑茶を加熱処理した後でも少しだけ酵素が残っているので、これによって長年かけて熟成させて作る「生茶」というものと、加熱処理した緑茶に麹菌をつけてカビにより発酵させる「熟茶」というのがあるのだ(これらを「後発発酵」というみたい。)。
もともとは長年熟成させる「生茶」が生産されていて、短時間で同じような風味になる「熟茶」の製法が出てきたみたい。
いずれにせよ、その熟成過程で独t区のフレーバーがつくというわけ。
これも一種のフレーバーティーではあるね。

ここでも面白い発見があったんだけど、その製造過程からもわかるとおり、紅茶よりも時間をかけて作られることもあって、黒茶はほぼビタミンCを含んでいないのだ。
でも、モンゴルの遊牧民は、ビタミンCの補給のために、一日に何度も黒く固めた茶団子(これは黒茶なのだ。)乳と塩入の茶(ツァイ)を飲んでるんじゃなかったっけ?
調べてみると、やはり遊牧民が飲んでいる茶にはビタミンCは含まれておらず、むしろ、馬乳酒(アイラグ)からビタミンCを補給しているようなのだ(乳酸菌による発酵過程でビタミンCが産生されているのだ。)。
そうなると、なんで茶を飲む習慣ができたんだろねぇ。
水分・塩分の補給はわかるけど、かなりの貴重品として茶が扱われているので、もう少し何かありそうなものだけど。
やっぱりカフェインが入っているから嗜好品なのかな?

2016/11/19

ノー読解力

人工知能(AI)に学習させて東大合格を目指していて「東ロボくん」が、東大合格というゴールをあきらめたようなのだ。
センター試験の問題を解かせると、数学や物理では高得点、世界史などではそこそこの得点がとれるんだけど、国語と英語がダメで、プロジェクト期間内では合格水準に達することはできない、と判断されたみたい。
最近はAIが将棋やチェスで名人を打ち負かしたりしているけど、受験勉強ではまだまだのようなのだ。
でも、どうもこれには構造的な問題があるようなんだよね。

研究者のひとたちが分析した結果、国語や英語でいい点が取れないのは、主に「読解力がないから」というのが理由みたい。
基本的にAIの場合は、問題文の中の単語の羅列をパターン化して、こういう単語が並んでいる場合はこういう問題だから、これが答えになるはず、と膨大なデータを検索しつつ推測しているんだよね。
でも、これは文章の意味を理解しているわけじゃないので、微妙な表現の違いで全く異なることを聞いてくることがある国語や英語の問題には十分に対応できないようなのだ。
逆に、数学や物理なんかは問題がパターン化しやすいので高得点がとれ、選択式の世界史も多くの場合問題がパターン化できるので答えられるみたい。

さらに、ここで研究者の人たちが気づいた点があったんだよね。
確かにAIは国語や英語の点数は高くないのだけど、それでも偏差値でいうと45くらいあって、点でダメというわけではなく、平均よりちょっとしたくらい、というもの。
そうだとすると、ひょっとして、普通に試験を受けている子供の中にも実は問題文の意味が理解できていない子供がいるんじゃないか、と考えついたわけ。
そこで、このプロジェクトの研究者たちは、小学生を対象にきちんと文章が読めているのかどうかを調査する、読解力テスト(リーディング・スキル・テスト)というのをやってみたらしいんだ。
すると、やはりパターン認識はできていても、文章の意味を正確にできていない子供がいるということがわかってきたんだって!
これは驚き。
知識を問う問題ならパターン認識で対応できるけど、文章の意味を理解して、それに的確な答えを出さなくちゃいけない問題は解けないということなのだ。
今度は調査範囲をもっと広げて、どうやったら読解力を上げるような学習ができるのかを含め、深掘りをしていくようだよ。

たまに話がなかなか伝わらない人がいるけど、実はこういうこと?
一部の知的障害を持った人たちも、パターン化された言語・行動は認識できるけど、そうでないものを知覚するとパニックを起こすことが知られているよね。
実はそういう現象は白黒はっきりと教会が分かれているわけじゃなくて、こういう「読解力がない」、「空気が読めない」みたいなものも含めてグラデーションになっているのかも、と思ったよ。
なので「よく読めばわかるでしょ」と言っても、相手はそれを読んでも正確に意味が理解できるとは限らないのだ・・・。
これは早急に「読解力」を養う学習法を確立したいね。

で、同じような話は、自動翻訳の世界でもあるのだ。
最近、googleの自動翻訳の精度が上がったと話題になっているけど、これはニューラルネット技術の導入によるものなんだて。
それだと意味がわからないけど(笑)、平たく言うと、これまは単語ごとに適当な訳語をあてがって訳していたんだけど、新たなシステムでは、文章全体を読み込んだ上で訳語をあてているようなのだ。
機械は文章の意味は理解できないんだけど、こういうパターンで単語が並ぶ文章の場合はこういう訳されている場合が多い、という情報が付け加わることで、とんちんかんな訳語がはめられなくなるのだ。
これで相当精度が上がるみたいなんだよね。
英語の場合、runとっかtakeとかhaveとかって多様な意味を持っているけど、文章の流れのパターン認識によってどういう意味で使われているのかがある程度推測できるというわけ。
前のシステムだと、本来「経営する」の意味で使われていた「run」に「走る」という訳語を当ててしまったりもしたわけだけど、こういうのがなくなるということだよ。

googleのディープ・ラーニングによる機械翻訳はそうやって進化しているわけだけど、これもパターン認識を精緻化しているだけで、文章の意味を理解しているわけではないんだよね。
そこはやはり機械では無理なのだ。
でも、最近お仕事で仏語で送られてきた文書をgoogleで英語に翻訳したらかなりきれいな、意味の取った英語が出てきたので驚いたんだよね。
ひょっとしたら、人間でもどうしても読解力が向上しない人は、こういう訓練が必要なのかも・・・。
機械と違って無尽蔵のデータベースを検索できるわけじゃないから、難しいけど。
でも、外国語は話せなくても、相手の声の調子や顔色を見て適当にごまかすなんてことはやっているわけで、それくらいならできるはずなんだよね。

2016/11/12

ジャンクなパリジャン

フランスはパンとハムとチーズがおいしいから、サンドイッチもめちゃくちゃおいしいのだけど、いかんせん、秋冬の寒い時期に冷たいものを食べる気にならないんだよね・・・。
そこで代わりに食べるのが、パリでは「グレック・サンドイッチ」と呼ばれるもの。
日本で言うケバブサンドなのだ!
通常は、単体だと5~6ユーロで、フライドポテト(ポムフリット)と缶ジュースがつくセット(menu)で6~7ユーロくらい。
イメージとしては、マックやサブウェイのようなジャンクフードだよね。
土日も夜遅くもやっているし、量も多めなので、若い人や男性に人気なのだ。
イタリア発祥のホット・サンドイッチのパニーニもあるけど、こっちは土日や夜には食べられないのが難点。

パリ以外では「グレック」とは呼ばないらしいんだけど、この「グレック」は「ギリシアの」という意味。
ケバブサンドはトルコのものと思いがちだけど、ギリシア経由で入ってきたから、とか言われているのだ。
でも、調べてみると、実はややこしいことがわかってきた・・・。
ケバブサンドに使われるのはドネルケバブで、「ドネル」は「回転」、「ケバブ」は中東地域でよく食べられる「串焼き肉」のこと。
長い串に羊肉や鶏肉を刺して大きな塊を作り、それを回転させながら焼くという今のドネルケバブは、トルコ発祥と考えられているのだ。
それをサラダとともにパンにはさんでサンドイッチにしたのは、ドイツのトルコ系移民のお店が最初と言われているんだよね。
でも、ギリシアにもケバブとほぼ同じ料理で「ギロ」というのがあって、これをピタにはさむ「ギロピタ」というのがあるのだ。
パリについてはこっちが伝わったってこと?

実際にはケバブサンドの正式な発祥はよくわかっていなくて、19世紀くらいにドネルケバブをサラダと一緒にパンにはさんで食べる習慣ができて、それが欧米ではファストフードとして広まった、ということみたい。
日本に広まったのは21世紀だからだいぶ時間がかかっているよね。
ちなみに、日本人にはきついスパイスや羊肉はあまりなじまないので、日本で食べられるケバブサンドは本場の味とはかなり遠いと言われているよ。
タコスなんかもそうだけど、相当日本風にアレンジされているのだ。
ボクがパリで買っているグレック・サンドイッチも、羊肉の臭さや強いスパイスを感じないから、やっぱりフランス人の口に合うようにアレンジされているみたい。
どうも、中東のケバブは肉自体に強めの味がついているので、サンドイッチにするにしてもあまりソースは使わないみたいだけど、欧米に広まっているものは肉の味が弱めなので、サンドイッチにするときにはケチャップやマヨネーズ、ハリッサと呼ばれるチュニジア風の唐辛子ソース、サムライソース(ケチャップとマヨネーズを混ぜてハリッサを加えたもの)などを使うのだ。
あまりチェーン展開されていなくて、中東系の移民が独自に店を開くスタイルが主流で、そこがハンバーガーとはちょっと違うみたい。

パリにおけるグレック・サンドイッチにもいろいろとメニューがあって、ドネルケバブを挟むだけではないのだ。
ケフタ(kefta)というのはトルコ料理でキョフテと呼ばれるミートボールをはさむもの。
ステック(steak)は、ハンバーガーにはさむミートパティを使うのだ。
ブロシュット(brochette)は、本来は串焼きの肉の意味だけど、たいていはスパイシーなタレに漬け込んだ鶏肉を焼いたものがはさまれるのだ。
エスカロップ(escalope)は鶏胸肉をカツレツにしたもの。
メルゲ(merguez)は、中東風の生ソーセージを焼いたものをはさむよ。
いずれにしても、ちょっとオリエントな味わいになるんだよね。
これに目玉焼きやチーズなどのトッピングもできるんだ。

ファストフードとしてはなかなかよくできていて、数分待つと温かいサンドイッチが食べられるよ。
店にある簡易なイス席で食べてもいいし(「sur place」)、持ち帰ってもよいのだ(「a emporter」)。
フライドポテトをつけるのはフランスの特徴みたい。
それと、飲み物(「boisson」)は基本は冷たい缶ジュースで、なぜかホットコーヒーとかは選べないのだ。
これはフランスのファストフード全体に言えることで、アジア系総菜屋(「traiteur asiatique」)でも、料理はレンジで温めてくれるんだけど、ついてくるのは冷たい飲み物なんだよね。
温かいお茶とかがあればいいのに、といつも思う。
っていうか、日本のように温かいソフトドリンクがあるのって逆に珍しいのかな?

2016/11/05

フランスの時間

10月31日の深夜から、フランスは夏時間が冬時間に切り替わったのだ!
夏時間3:00になった瞬間に冬時間2:00になるんだ。
なので、1時間得するわけ。
逆に、冬時間から夏時間になるときは・・・。
朝がつらそうだね(笑)

フランスは標準時として中央ヨーロッパ時間を採用しているんだ。
これは協定世界時(UTC)と比べて1時間進んでいるので、UTC+1と呼ばれる標準時だよ。
ちなみに、夏時間になると1時間早くなるのでUTC+2。
日本標準時は、UTC+9で、夏時間は採用していないから、夏時間だと時差が7時間、冬時間だと時差が8時間になるんだ。

UTCはむかしのグリニッジ天文時をもとにしているので、基本的にはロンドンの 時間なんだよね。
で、ここでふと疑問。
ロンドンとパリって、あまり経度は変わらないのでは?
地図で見てもほぼ南北の関係だよね。
とすると、1時間も時差があるのはおかしい?
東京と北京の時差が1時間だけど、そこまで感覚的に離れていないよね・・・。

調べてみると、フランスの標準時に中央ヨーロッパ時間が持ち込まれたのは名地図/ドイツに占領されていた時代!
第二次大戦中のことなのだ。
それが戦後も残ってしまっているみたい。
確かに、ベルリンであればロンドンと時差が1時間くらいあっても不思議じゃないよね。
パリ、ブリュッセル、アムステルダムなどは、無理矢理ベルリン時間につき合わされたということみたい。
統治する方としては時差がない方がいいだろうからね。

純粋に経度だけで見ると、パリなんかは完全にUTCゾーンになるのだ。
なので、今の標準時はそもそも1時間近くずれていて、太陽が南中するのは冬時間では13:00ちょっと前、冬時間になると14:00近く・・・。
東京の場合は、南中時刻がだいたい11:56なので、ほぼ正午。
最初このギャップに戸惑ったんだよね。
これなら夜になっても明るいわけだ。
東京に比べたら、2時間時計が進んでいるのと同じだから。

逆に言うと、朝が暗い・・・。
日の出の時間は イメージとして東京より1時間遅いというrだからね。
これがますますパリがなんだか薄暗いイメージを持っているのにつながっているのかなぁ。
もともときれいに晴れ上がることもなくて、薄ぐもりで空が灰色のことが多いのだけど、イタリアのように真っ青な空という感じではないんだよね。
きっと、機構のみならず、日本人に染みついている時間と太陽との関係からもそう感じているのだ。

2016/10/29

イカとイカ

この前、お仕事の関係で外国人のゲストを迎える食事会の準備をしていたのだ。
その際、「何か食べられないものはあるか?」と聞いていたんだけど、その中に、「cuttlefishは食べない」という回答が。
これってなんだっけ、と辞書で調べると、「コウイカ」とあったのだ。
え、イカって「squid」じゃないの?、と思って調べてみると、日本語では区別していない区別を英語でしていることがわかったんだ。

「squid」はイカの総称でもあるんだけど、狭義には「ツツイカ」を指すのだ。
で、「コウイカ」は「cuttlefish」。
そんなこと言われても、どのいかがどっちかにわかにはわかりづらいよね(笑)
日本人ほどイカを食べないと思っていた英語圏の人々が区別していたというのが一番の驚き。
でも、この言葉の違いは、イカの分類上の大きな2つのグループをそれぞれ指しているんだよね。

「コウイカ」というのは、モンゴウイカやコブシメなどが属する分類。
コウイカ目、ダンゴイカ目、トグロコウイカ目とさらに三種類に分かれるようなのだ。
その特徴は、体の中に軟骨上の「殻」がしっかりと残っていること。
だから「甲イカ」なのだ。
イカは元々オウムガイのような殻を持った軟体動物で、カタツムリがナメクジになるように、殻がなくなって今の形になるんだけど、その名残が強く残っているというわけ。
見た目的にも特徴があって、ずんぐりした体の側面全体にヒラヒラとひれがついているのだ。
イカと言われてイメージするのとはちょっと違った形。
コウイカの仲間は、皮膚の色を変色させることもできて、砂地や岩場に退色を変色させて潜り込んでカムフラージュをするのだ。

もうひとつの「ツツイカ」というのは、スルメイカやアオリイカが属する分類で、今では、目のところに薄い膜のある「閉眼目」と、膜のない「開眼目」に分かれているんだって。
特徴は、胴体が細長く、「えんぺら」と呼ばれる三角形の「耳」が胴体の先端についていること。
日本人が一般的にイメージするイカの形そのもののイカだよ。
スルメや駄菓子の剣先イカの形。
コウイカではしっかりと軟骨上の「殻」が残っているんだけど、こちらはビニールシートのようなフィルム状の殻の痕跡があるのみ。

ちなみに、イタリアでよく食べられているのはコウイカ。
イカスミパスタはコウイカで作るのが本場の味。
それと、江戸前でもイカと言えばコウイカ。
天ぷらや寿司に使ってたのはコウイカだったのだ。
一方、西日本では伝統的にツツイカを食べてきているんだよね。
スルメはかなり古くまでさかのぼれる加工食品で、かつては朝廷への献上物でもあったんだとか。
内陸にある京都なり奈良なりに海産物を届ける上で、日持ちするスルメは重要だったんだろうね。
ちなみに、中国では、スルメを重曹を入れた水で戻してぷりぷりした状態にして料理に使うそうだよ。

最近の安めのお寿司屋さんで見かける「スミイカ」はコウイカで、アオリイカとかスルメイカはツツイカだよ。
そして、100円寿司などで回っている何も種類に言及していないイカは多くの場合「ソデイカ」と呼ばれる巨大なツツイカ。
食用では最大の種類で、体長1m、重量は20kgにもなるような大型の種類。
そのまま食べるとかたいので、いったん冷凍してから回答すると、もっちりとした食感になるんだって。
テレビで回転寿司の仕込みの様子を見たことがあったけど、確かに巨大なイカのシートを切り分けていたけど、あれがソデイカだったのか。

2016/10/22

冬の果物

フランスのスーパーで、オレンジ色の小さな果物を見かけるようになったのだ。
米国では日本のみかんが「サツマ・オレンジ(カリフォルニア産)」として売られていたので、フランスにもあるのかな、と思って近づいてみると・・・。
それはみんかんではなく、クレメンタイン!
フランス語の発音だと、クレモンティーヌ(この表記だと、日本では歌手の名前の方がメジャーかな?)。
クレメンタインは欧州産のマンダリンオレンジで、タンジェリンと植物学分類上は同一種。
栽培品種としては、より色が濃い(オレンジ~赤)がタンジェリンで、より色が薄い(黄~オレンジ)がクレメンタインだって。
どちらも皮が手でむきやすく、ほどよい酸味と高い糖度で生食に適しているのだ!
日本のみかんに比べると、果汁の量は変わらないけど、袋の皮が薄いのでよりジューシーに感じるよ。
味も日本のものより少し酸味が強く、さっぱりした感じかな。

もともとミカン類はインドのアッサム地方が原産と言われていて、それが東洋と西洋に伝播しているのだ。
東洋に渡ったのが日本の温州みかん(ウンシュウミカン)で、中国経由。
中国のものは「橘」とか「桔」と呼ばれるけど、いわゆるマンダリン・オレンジなのだ。
マンダリンというのは、中国清朝の官吏のことで、当時紫禁城では官吏は濃いオレンジ色の服を身につけていたのでそう呼ばれるようになったみたい。
一方、中東を経て地中海沿岸に渡ったのが地中海マンダリン。
品種改良がなされて、クレメンタインやタンジェリンになるのだ。
タンジェリンの名称はタンジール人(モロッコ人)から来ているそうで、北アフリカで生まれたことがわかるのだ。

クレメンタインについては、諸説はあるようだけど、1906年にアルジェリアのクレマン神父が地中海マンダリンとスイートオレンジを交雑させて作ったと言われているのだ。
この神父さんの名前が取られているというわけ。
基本的にあたたかい地方で育つものなので、フランスで流通しているのは、北アフリカやスペインのもの。
ボクが食べたのはスペイン産だったよ。

フランスでは、オレンジは主にジュースやマーマレードなどの加工食品にするのが一般的なようだけど、このクレメンタインは皮が簡単にむけることもあって、日本のみかんのようにテーブルに置いておいて生で食べるみたい。
日本のみかん同様、ほぼ種がないというのも生で食べられることが多い理由の一つ。
やはりビタミンCが豊富で、どんどん寒くなる秋口に出始めるので、風邪の予防で食べられるようなのだ。
これはこたつの上に置いてあってもまったく違和感がないね(笑)

ちなみに、今ではおなじみの温州みかんは、実は江戸後期から明治になって普及したんだって。
紀伊国屋文左衛門さんが江戸に運んで大もうけしたのは紀州みかん(キシュウミカン)というやつで、中国浙江省から伝来した小さいミカンを日本で改良した品種。
かつては「高田(こうだ)みかん」と呼ばれていたのだ。。
温州みかんは種がないので、武士社会では縁起が悪いとされていたようなんだけど、栽培の利便性や食べやすさから広まることになったんだって。
でも、伝統的に日本で食べられてきたのは、タチバナの系統を引くキシュウミカンなので、こっちが「ホンミカン」らしいのだ。
朝廷にも献上されていたんだそうだけど、今では温州みかんに押されてしまってまず見ないんだよね。

2016/10/15

鳥みたいなもの?

フランスのレストランに行くと、いちいち名前がわからないので、辞書を引きながらそれが何の材料を使った料理なのか調べるんだよね。
幸いにして、「○○を××した~~」とか説明口調の料理名が並んでいるので、これで十分(笑)
でもでも、やっぱり食材の違いがあるんだよねぇ。
魚介類なんかはむしろ日本よりは種類が少ないけど、肉類は日本より種類が豊富なのだ!
さすがは肉食の肉。

よく目にするのは、カモ、ウズラ、ハト、イノシシ、シカ、ウマ、そしてウサギ!
そう、フランス人はけっこうウサギを食べるのだ。
しかも、ウサギを伝統的に食べ続けてきただけあって、日本にはない種類分けもあるんだ。
すなわち、養殖物か、天然物か。
日本の場合だとブリとかがそうだよね。

フランス語では、養殖物のウサギ肉は「lapin(ラパン)」、天然物(ジビエ)のウサギ肉は「Lièvre(リエーブル)」と明確に区別されていて、ジビエは狩猟の季節にしか食べられない貴重なもの。
普段から食べるのはラパンの方だよ。
普通にソテーしたりもするんだけど、粘着性の高い肉質なので、ソーセージなどの加工食品の結着剤なんかにも使われるようなのだ。
背中から腿にかけての肉が食べられるほか、内臓も食べるみたい。
と言っても、大きくはないから、あまり食べるところはないんだよね。

実は日本もむかしはよくウサギを食べていたのだ。
誰でも聞いたことがあることだけど、ウサギを一羽、二羽と数えるのは、仏教的思想から肉食が厳禁だった時代に、ウサギは鳥の一種だから食べてよい、というロジックに基づいているんだよね。
つまり、その頃はウサギを貴重な動物性タンパク源として食べていたのだ。
でも、このとき食べていたのは、フランスで食べられているウサギとはちょっと違うんだ。

欧米で食べられているウサギはアナウサギ。
いわゆるラビット(rabbit)という種類で、耳が長いタイプのウサギなのだ。
でも、このラビットが日本に入ってきたのは16世紀前半というから、戦国時代より少し前。
オランダ人がペットとして持ち込んだと言われているみたい。
ペットとしてのウサギが飼われるようになるのは近世に入ってから、江戸時代中期のことのようなのだ。
でも、それ以前にもウサギを食べていたはず・・・。

そう、縄文時代から日本人が食べていたウサギは、ヘア(hare)、つまりノウサギの方。
耳が比較的短いウサギだよ。
待ちぼうけ♪の歌で、木の根っこで転んだウサギはこっちのノウサギであったはずなのだ。
海外から輸入されたアナウサギはペット用、むかしから日本にいるノウサギは食用というわけ。
並べてみるとけっこう違うからね。

明治になると、耳の長い外国ウサギのブームが来て、ジャパニーズ・ホワイトと呼ばれる品種も日本で生まれたのだ(いわゆる赤い目の白いウサギだよ。)。
当時は「南京兎」なんて呼んでいたんだよね。
そのブームの少し後、明治中期になると、食肉と毛皮用に農家が副業でウサギを飼育するようになり、かなり盛んだったようなのだ。
ウサギは軍事物質としても利用され、肉は兵站(レーション)に、毛皮は防寒具になったみたい。
今では家畜としてウサギが飼われているってあまり想像できないよね・・・。

戦後になると、家畜としてのウサギ飼育は衰退していって、手間のあまりかからない、しかも、鳴かないペットとして普及することになるのだ。
耳のたれたロップイヤーだとか、小さな個体のウサギを交配させて作ったミニウサギなんてのがあるよね。
情操教育の一環といって学校でもよく飼育されていたのだ。
そうなると、だんだんと食材としては見なくなるんだよね。
つい数十年前は食べていたはずなのに・・・。

というわけで、ウサギ肉を食べること自体は日本でも普通にしていたことなのだ。
本場フランスでも、ウサギ肉の料理は伝統料理で、あまり食べられなくなってきているというから、いつか同じようになってしまうかも。
でも、ジビエは珍重されているので、そっちの線では残るかな。
日本人が旬の魚や野菜・果物をありがたがるように、フランス人は狩猟時期のジビエをことさら愛しているみたいだから。

2016/10/08

談合(?)の結果

パリに来てからは、仏語がわからないというのもあって、毎日BBCワールドニュースを見ているんだよね。
で、いやになるくらいトランプおじさんが出てくるのだ(笑)
でも、きのうはちょっと違って、別の人の良さそうなおじさんが出てきたよ!
何かと思ったら、国連の事務総長選のニュースだったのだ。
そう、ポルトガルの元首相で、国連難民高等弁務官を務めたこともある、アントニオ・グテーレスさんが次期の事務総長に事実上決まった、という話だったのだ。

で、気になったのが、どうやって事務総長を選ぶのか、というスキーム。
ちょっと調べても、日本語で簡単に説明したものが見つからないんだよね(>o<)
で、英語のページとかも見つつ、自分なりにまとめてみたのだ。

まず、国連憲章上では、事務総長は総会で任命することになっているんだけど、「安全保障理事会の推薦」を踏まえることになっているのだ。
これまでの総会では、安保理が推薦した人を否決したことはないので、事実上安保理で決められているというわけ。
で、この安保理の議論の中身というのはなかなか表に出てこないので、事務総長選出のプロセスが不透明だと批判を受けているんだよね・・・。
しかも、安保理として誰を推薦するかを決めるということは、5つの常任理事国が拒否権を発動してはいけなということと同じ。
つまり、米英仏露中のどこかの国に不評な候補は事務総長には選ばれないのだ!

それでは、安保理で決めるまでにどうやって候補を絞り込んでいくかというと、ストロー・ポールと呼ばれる模擬投票が繰り返されるんだ。
事務相当は地域のローテーションで回すことが寒冷化していて、次はだいたいどのあたりから選ばれる、というのがあるんだけど、そうすると、その地域の中でこの人という候補が出てくるのだ。
今回はさらに初の女性事務総長を、と言って女性候補が注目されていたけどね。
で、事務総長が当たりそうな地域はそれぞれに独自の候補を探して、立候補させた上で、非常任理事国を含む安保理のメンバーに働きかけ、というか、票集めのための工作をしかけるのだ(笑)

もの模擬投票では、支持、不支持又は意見なしのどれかを投ずることになっていて、一応は、どの国がどの票を入れたかはわからないようになっているんだ。
なので、「票読み」というのがあって、ブラックボックスなんだけど、あそこの国は不支持を入れている可能性があるので挽回しなきゃ、みたいな水面下の動きを活発化させるわけ。
当然、常任理事国が不支持を入れたんじゃないか、とわかると、その候補はほとんど選ばれる可能性がなくなるんだよね・・・。
ひとつの不支持でも、それが常任理事国だったらだめなのだ。

この模擬投票を繰り返していって、不支持が多い候補が脱落していき、候補が絞り込まれていくんだよね。
今回はなかなか絞り込みができなかったようだけど、6回目の投票で、グテーレス候補が不支持なし、意見なし2、残りは支持という結果になったので、事実上決まったのだ。
実際には、この最後の模擬投票の翌日に安保理で決議をして、安保理としてグテーレスさんを事務総長候補に推薦する、と正式に決定しているみたい。
それが今度の国連総会で諮られ、きっとそのまま承認されるのだ。

このように、ただでさえ議論が見えない安保理が決めていて、しかも、その絞り込みの模擬投票は匿名で行われていて、各候補陣営は表に裏にと票集めの働きかけをして、と、きわめてポリティカルな過程を経て選ばれるんだよね。
確かにこれは不透明だ(笑)
一応、事務総長を選ぶ手続も含めて、安保理を改革しようという動きはあるみたいだけど、常任理事国の思惑もあるし、なかなかうまくいかないみたい。
しかも、こういうプロセスで選ばれる事務総長が、その動きに対して本当にイニシアティブを発揮できるかどうかは微妙だよね。

2016/10/01

Manna-Be

今住んでいるアパルトマンのすぐ近くに小学校があって、出勤時間前くらいからがやがやと声が聞こえるんだよね。
でもでも、よくよく聞いてみると、子供の甲高い声だけじゃなく、低めの声も聞こえてくる・・・。
なんでかと思っていたら、親が送りに来ているのだ!
で、その親たちも話しているので、さらにがやがやしているわけ。
日本とは違うなぁ。

なんでも、フランスの小学校(5年生まで)では、保護者が登下校の送り迎えをしなきゃいけないことになっているんだって。
共働きやシングル世帯も多いので、ベビーシッターが来ることも多いみたい。
日本にも集団下校みたいなのはあるけど、それも低学年だけだよね。
子供の安全性についてはかなり慎重なお国柄みたい。
ちなみにおもしろいのは、近くの横断歩道にはちゃんと交通整理の人がいること。
「緑のおばさん」みたいなもので、信号のない横断歩道で交通整理をして、子供たちの登校をサポートしているのだ。
ま、こっちの人はもとから信号も守らないし、横断歩道でないところでも横断するような習慣がついているのだけど・・・。

調べてみると、フランスの小学校では落第・留年があるんだって!
日本でも病気などで長期入院した場合なんかは例外的にあるけど、これはびっくり。
しかも、フランスの子供たちは学習塾には原則通わないし、まず家庭教師もつけないので、学校が唯一の勉強をするところ。
そのため、親たちも学校の授業内容や子供の習熟度にすごい関心があるんだとか。
なので、学力が伴わないまま進級するよりは、留年してでもしっかり学んでから、と考えるんだそうだよ。
これも文化的な違いなんだろうなぁ。

子供のいる同僚に聞くと、授業やカリキュラムはわりとゆったり目のようなんだけど、幼稚園のときからフランス語の読み書きを教えていたり、学校の授業では自分で考える力を養うような教え方をしたりと日本の学校とは様子が違うみたい。
そして、学校の先生から保護者にいろいろと子供の習熟度や学校生活について連絡があるようだよ。
保護者の側も、先生の教え方に目を光らせているみたい。
それだけ学校が大事な場所と名手いるのだ。
やっぱり塾がないことが大きいんだろうなぁ。

そして、噂には聞いていて、ボクもかなり興味を寄せているのが、フランスの学校の給食。
ネットで調べてもすぐに出てくるけど、ちゃんとコース仕立てになっているのだ。
通常は、前菜、主菜、チーズ又はヨーグルト、デザートという構成になっているみたい。
パンの代わりにライスになる場合はチーズがないこともあるのかもしれないけど。
日本の給食も一汁三菜+主食という構成でわりと豪華なんだけどね。
でも、日本の場合はキャベツの塩もみとか小松菜のおひたしでも「一菜」だから(笑)

で、食べ方も全く違うようなのだ。
そもそもフランスの学校の昼休みは2時間と長いらしいので、ゆったりと食べるというのもあるかもしれないけど、前菜=>主菜=>チーズ又はヨーグルト=>デザートとコースの順番に食べていくんだって。
最近は聞かなくなったけど「三角食べ」とか言って、おかずと主食と汁物を交互に食べるよう指導する日本とは大違い。
これも文化で、そういう順番で食べるものとしみついているから、ワンプレートに載っていてもそう食べるみたい。
たぶん、日本の子供だと、前菜のサラダを少し食べ、主菜の肉又は魚を食べ、またサラダを食べ、となるだろうね。
日本式の食事ではそれが自然だから。
たまに順番に出てくる会席料理なんかだと、いっぺんに出してくれたらいいのに、なんて思うしね(笑)

ちなみに、この給食は学校で食べなくてもいいみたい。
昼休みが長いので、いったん家に帰って、家族と食事をする子もいるみたい。
親たちの昼休みも長いので、一緒に食べられるんだって。
パリは意外と狭い地域なので、通勤時間はさほどかからないのも大きいよね。
日本で郊外から都心に通勤すると2時間以上かかることもあるから・・・。

2016/09/24

モッキー天国

パリに来て何よりおどろいたのは、路上喫煙の多さ!
それこそ、老若男女みんなたばこを吸っているイメージ。
米国ではかなり喫煙率が下がってきていて、あまりたばこを吸う人がいなかったので、欧米ではそういう傾向だと思っていたんだけど・・・。
どうもおフランスはちょっと事情が違うみたい。

フランスでも、他の先進国と同様に喫煙を制限する法規制はきちんとあって、不特定多数の人がいる建物の中での喫煙は全面禁止なんだって。
なるほど、それで外に出てくるわけか。
レストランやカフェも「中」は禁煙なので、テラス席ですぱすぱと吸うわけ。
これで余計にたばこを吸う人が目立つんだよね。
それでも、かなり若い女性が吸っていたり、子連れの母親が吸っていたりと、ちょっと衝撃的なところもあるのだ(>o<)

フランスの法規制では、喫煙自体に関する年齢制限は置かれていないんだって。
っていうか、そういう規制の仕方をしている日本はむしろ独特みたい。
フランスでは、18歳未満の子供にはたばこの販売を禁止するとともに、16歳未満の子供のいる学校内での喫煙は禁止なんだって。
でも、これって穴だらけなんじゃ・・・。
実際、誰かに買ってきてもらえばたばこは手に入るし、学校の中はだめでも校門の外ならよかったりするのだ。
自動販売機のないフランスでは、たばこは対面販売なんだけど、年齢確認をしないところもあるので、自分でも買えるみたい。
そうして、放課後に校門を出た瞬間に一服、という感じになるのだ(>o<)
体育館裏で隠れて吸うのとどちらがよいのやら。

こうしてフランスでは若年層の喫煙が多いみたいなんだけど、それ以上に問題なのはたばこのマナー。
日本ではJTが頑張って携帯用灰皿の普及について宣伝していたりするけど、こっちは全部ポイ捨て。
空気が乾燥しているし、木造の建物がないから、たばこのポイ捨てが火事につながることが少ないのかもしれないけど、これはあまりにもひどいよ。
散歩中の犬の「落とし物」も基本は放置なので、道路はそういうものがたくさん落ちているのだ(TωT)
気をつけて歩かないといけないんだよね。

昨年の夏に、たばこの道路へのポイ捨てに関する罰金が35ユーロから68ユーロに上がったそうなんだけど、まったくポイ捨てはなくなっていないよ。
パリ市としても街中に灰皿を設置したりしているみたいだけど、見た目はほとんど効果なしなんじゃないかな。
もう子供に吸わせるんだったら、学校で教えればいいのに!
けっこう狭い道で路上喫煙されているとほんとにいやなんだよね(>o<)
煙いし、手とかに火が当たりそうだし。
もっとフランス政府には抜本的になんとかしてもらいたいよ。

とはいえ、愛煙家の国なので、なかなか規制は難しいみたい。
規制を厳しくしようとすると反対の声が出て、例外を入れられて骨抜きにされたり、厳格に運用されなかったりでなあなあで来ているみたいなんだ。
なので、最悪吸うのは仕方ないとしても、もう少しマナーをなんとかしてほしいよ。
日本は日本式たばこマナーを是非フランスに輸出すべきだね。

2016/09/17

片手はパンでふさがっています

パリに来てびっくりしたのは、街行く人が普通にフランスパン(バゲット)を持っていること。
しかも、紙一枚がくるっと巻いてあるけど、そのままわしづかみ。
さらに、先端が少しかじられている・・・。
フランスでは買い物したときに袋をもらうとお金がかかるので、自分でエコバッグを持ち歩くことが多いのだけど、バゲットは手づかみなんだよね。

フランスに来て外食すると、それこそフランス人は肉や魚などのタンパク質ばかり食べて、日本におけるごはんのような炭水化物の主食をあまり食べないのだ。
もちろん、輪切りのバゲットは食べるけど、主食というほどではないよね。
では、本当に毎日のように見かけるバゲットを持った人たちはどこでそれを食べているのか、すごく気になったのだ。

どうも、フランス人は、家でごはんを食べるときは、かなりバゲットを食べるみたい。
っていうか、あさごはんは、縦半分に切ったバゲットにバターとジャムを塗ったタルティーヌを食べ、昼と夜はメインの料理に輪切りのバゲットを食べるのだ。
スープやサラダだけでなく、パスタや米料理にも!
そして、余ったバゲットは、フレンチトーストにしたり、スープの具にしたり、クルトンにしたり、ペットのえさにしたり。
これならかなりの量を消費していてもうなずけるかも。

どうもフランス人はお気に入りのパン屋(ブーランジェリー)というのがあって、そこのパンを買い続けるのが基本だそう。
なので、外食時にはきっとあまりそこのバゲットは気に入っていないのだ(笑)
ということは、外食時のバゲットは控えめで、うちで食べるときは多め?
こだわりの強いフランス人なので、さもありなん、という感じ。
そうでないと、毎日のようにあの長いバゲットを買う理由が見つからないよね。

フランス人の朝食というとクロワッサンを思い浮かべるんだけど、実はバゲットの方が主流みたい。
クロワッサンはフランス流では「菓子パン」である「ヴィエノワーズ(ウィーン風パティスリー)に分類されていて、主食たる「パン」ではないみたい。
なので、「パン屋」である「ブーランジェリー」と、「菓子パン屋」である「ヴィエノワズリー」は区別されているのだ!
たいていは「洋菓子屋」の「パティスリー」もあわせて同じ店でやっていることが多いけど。

これは厳格に法律などのルールでも分かれているのだ。
フランスにおけるフランスパンは、小麦粉、水、塩及びイーストのみを原料とすることが決まっているんだって。
せいぜい麦芽(モルト)を足すくらい。
なので、砂糖やらバターやらがたっぷり入った「菓子パン」とは異なる存在なのだ。
もともとグルテン含有量の少ないフランス産小麦でおいしいパンを作るために、と工夫を重ねて生み出されたものみたい。
といっても、バゲットが今の形になるのは20世紀に入ってからで、それまでは丸い大きなパンダ他みたいだけど。

そして、「ブーランジェリー」と名乗るのも大変なのだ。
法律で決められていて、パン職人がいて、自分で小麦粉を選び、店内でタネをこね、焼き上げないといけないんだって。
日本のパン屋さんのように、どこかでパン生地まで作っておいて、それをお店で焼くだけではだめなのだ(>o<)
これは厳しい!
それだけフランス人は「フランスパン」に対するこだわりが強いというと。
日本でも、お米はどこ産がいいとか、炊き方はかため/やわらかめがいいとかこだわるけど、なんだかそれ以上だよね。

ボクもフランスになれてきたら、バゲット片手に歩いてみるかな?
といっても、一人じゃそんなに消費しきれないよね・・・。
まさにパンだけ食べる生活になりそうだ。
でも、おにぎりだけでごはんをすませることもあるから、フランス人にとっては普通なのかも。

2016/09/10

かにかま in France

ボクはスーパーが大好きなので、いつも買い物に行くと端から端まで見てしまうんだけど、そこでびっくりするものを見つけたんだよね。
それはかにかま!
普通に魚介類のコーナーに置いてあるんだけど、置いてある量と種類が半端じゃない!
日本の練り物コーナー全部くらいの規模でかにかまが並んでいるんだよ。
ちょっと気になって調べてみたのだ。

すると、なんと、世界のかにかま消費量は日本をはるかに上回るレベルになっているんだって。
日本では年間消費量が5万トン程度、対して、世界では50万トン程度。
かにかま市場はむしろ国外がメインみたい。
しかも、日本から輸出している分もあるけど、すでに海外工場もたくさんあるらしいよ。
ただし、オートメーションで製造する機械は日本が特許を持っているし、日本固有の技術があるので、製造器の世界シェアは日本が一番だって。
テレビでかにかまができる様子を見たことがあるけど、けっこう複雑な工程なんだよね。
スケトウダラなどの冷凍の身をすり身にして、それを細いかまぼこに成形して、最後に束ねて色をつけて。
最初の最初は細長いかまぼこを作って手作業で束ねて固めていたらしいけど、製造器が開発されてからは大量生産ができるようになったのだ。

では、なぜ海外でかにかまがはやっているのか?
くわしくはわからないんだけど、最初は米国だったみたい。
カニの不漁が深刻になったとき、カニの代替品として紹介され、広まっていったとか。
それでカリフォルニアロールに使われるようになり、さらに、サラダの具としても定着していったようなのだ。
おりしも健康志向が重なり、脂肪分が少なく低カロリーで高タンパクなかにかまに注目が集まるのだ。
このときにはもう、カニの代替品というより、ヘルシーなシーフードとして受け取られていたみたい。
それもあって、特に欧州では「surimi」と呼ばれるのだ。

そういえば、日本でも最初は本当のカニの身に似せたものが多かったけど、もう繊維状のかまぼこを束ねただけのかにかまが主流になりつつあるよね。
デフォルメされたと言うより、日本でも「かにかま」という食材として受け入れられているのかも。
かに玉とかでカニじゃなくてかにかまだとあれだけど・・・。
でも、お弁当のおかずなんかでは、むしろかにかまとして使われているから、これはよりグローバルな使い方なのだ(笑)

フランスのスーパーにあるかにかまは「surimi」という名前で、カニ以外のフレーバーもあるし、かにかまをさらに加工した食品(チーズインかにかまとか、かにかまオードブルとか)なんかもあるみたい。
しかも、使う量が半端じゃないようで、日本のものより大量に入っている!
なんとkg単位のものがあるよ。
サラダはもちろん、パスタの具やサンドイッチの具にも。
フランスで売られている寿司はたいていサーモンかかにかまだよ。
というわけで、世界の中でもフランスのかにかま消費量は世界一らしいのだ。

ちなみに、パリでかにかまを買ってみたけど、日本のものより少し大きいくらいで中身は同じ。
ちゃんとかにかまだったのだ。
で、パリのような内陸都市は新鮮な魚介類は高価なので、手軽に使えるシーフードとしてはよいかもね。
もう少しすると、フランス風の食べ方が日本に逆輸入されるかも。

2016/09/03

朝の飲み物

パリに来てから、時々仕事の打ち合わせでカフェを使うのだ。
で、そのとき、せっかくおフランスに来ているから、カフェ・オ・レでもしばいたろ、と思っても、メニューに載っていないんだよね・・・。
これは不思議。
聞くと、パリの街中でカフェ・オ・レを飲むフランス人はほぼいないそうなのだ。
え!、フランスの代表的な飲み物じゃなかったの?

そもそもフランスで「カフェ(コーヒー)」と言えば、普通にエスプレッソが出てくるんだよね。
日本では「フレンチ・ロースト」というと深めに焙煎した濃いコーヒーなので、牛乳を入れてカフェ・オ・レにするくらいだから濃いコーヒーなんだろうな、とは思っていたんだけど。
で、日本でよく飲むような、量が多めでそんなに苦くないコーヒーを飲みたい場合は、「カフェ・アロンジェ」とか「カフェ・ロング」とか「カフェ・アメリケーヌ」とか注文するんだ。
どれもエスプレッソをお湯で薄めたものが出てくるみたいだけど・・・。
本式のドリップコーヒーが飲みたい場合は、スタバに行くのが手っ取り早いよ。

で、どうしても街中でカフェ・オ・レが飲みたい場合は、「カフェ・クレーム」というのを注文するといいんだって。
これはエスプレッソにスチームしたミルクを加えたものなので、正確にはカフェ・ラッテのような気がするけど、カフェ・オ・レのように、温めた牛乳と混ぜられたものが出てくることもあるみたい。
そうか、だからメニューには載っていなかったのか。
ちなみに、メニューにある「カフェ・ノワゼット」は、エスプレッソに少量のミルクを加えたもので、エスプレッソだけだと苦くてつらい、というときに飲まれるみたい。
と言っても、フランスでもイタリアでも、エスプレッソにはじゃりじゃりするほどたっぷり砂糖を入れて飲む人が多いんだけどね。

では、なぜ外ではカフェ・オ・レがメニューにないのかが気になるよね。
確かにフランスではカフェ・オ・レはよく飲まれているのだけど、みんな朝食に飲むんだって!
基本は、家で濃いめに入れたドリップコーヒーと温めた牛乳を用意して、その日の気分で分量を変えながら混ぜて飲むらしいよ。
もちろん、ボウルでたっぷりと。
なので、フランス的には、カフェ・オ・レは家で朝に飲むもの、というイメージなので、外のカフェでは飲まない、ということのようなのだ。
朝から朝食(プチ・デジュネ)を提供しているカフェもあるけど、そこでなら出してもいいような気がするけど、あんまり見ないね。
「家で」というのが大事なのかも。

で、カフェ・オ・レは、コーヒーと牛乳を別に用意して、飲む前に混ぜるというのが基本なんだそうだけど、ネスプレッソなどの家庭用エスプレッソマシーンの普及により、家でドリップしてコーヒーを入れる人が少なくなったので、カフェ・オ・レの作り方も変わってきているらしいのだ。
家でカフェ・オ・レを飲む場合は、温めた牛乳にインスタント・コーヒーを入れる家庭が増えているんだって。
確かに、コーヒーとかにはこだわりがありそうな割に、スーパーで大量のインスタント・コーヒーを見かけるので、おかしいなぁ、とは思っていたんだよね。
ブレンディのCMと同じやり方だ!

そういえば、赴任してからしばらく止まっていたホテルの朝食では、普通にドリップしたコーヒーが出てきていたんだよね。
ボクはそのまま飲んでいたけど、常温の牛乳も置いてあったので、フランス人だったらカフェ・オ・レにしたのかも。
ボクはその牛乳はシリアル用だと思っていたよ(笑)
たしかに、クロワッサンやパン・オ・ショコラもあったから、そうすると、フランス式の、カフェ・オ・レにパンをつけながら、という朝食ができるね。
実は、こういうのもフランスのこだわりなのかなぁ。

2016/08/27

塩と日光はいつでも効果的

フランスやパリのガイドブックには、必ずと言っていいほど、赤ワインをこぼした場合はすぐに塩をつけるとしみにならない、的なことが書いてあるのだ。
それだけ赤ワインがポピュラーな飲み物なのは確かだよね。
スーパーで売っている割と安めのワインですらおいしいというし。
でも、実はこれ、ちょっとつければいいんじゃなくて、盛り塩のようにして、なおかつ上から圧力をかける必要があるのだ!

ボクもはじめは何かの化学的な作用で、赤ワインの色素が分解されるとか、水に溶けやすくなるとか、そういう効果があると思っていたんだ。
ところがどっこい、これは塩で赤ワインを吸い出す、ということのようなんだ。
塩の吸水性を使って、まだ繊維の奥深くにしみこむ前に、布地から引きはがすというわけ。
恐ろしく単純な原理だけど、それだけに効果はあるのかも。
化学的な作用だと、温度とかの条件がありそうだもんね。

塩の主成分である塩化ナトリウムはそもそもそんなに潮解性(まわりの水分を引き込んでまで溶けようとする性質)はないし、アルコール(エタノール)が入っていると少し溶けにくくなるんだけど、赤ワインを飲むような場ですぐに手に入る、というのが重要なのかも。
塩化マグネシウムだと潮解性もあるから、むしろ天然塩の方が効果があるかも。
粗塩の方がいい、なんていうのもそういうことかもね。

でも、これって、しょうゆをこぼしたときに口でちゅうちゅう吸うのと同じと言えば同じ。
一般に染み抜きで行われる、下に当て布をしてから濡れた布で上からたたく、というのも、新しい水分を上から入れて、ところてん方式にしみの元であるしょうゆなどを下の布地に移す、ということだから、狙っていることは同じ。
とにかく、布地の繊維は、もっと細い繊維状のタンパク質が撚られたものなので、その隙間に入り込んだら吸い出すことはできないから、その前に素早く対処することが大事なんだ。
赤ワインの場合も、服にこぼしたなら、できるだけすぐに脱いで盛り塩をして、上からぐいぐい押しつけて塩に赤ワインを吸わせるのが正解なのだ。
こう言われると、ガイドブックに書いてある文章は違和感があるなぁ(笑)
ちなみに、絨毯などにこぼした場合は、まずはさっと液体を拭き取って、その上で盛り塩をし、最後に掃除機で吸い取るとよいみたい。

一方で、カレーのしみについては、実は時間が経っても落とせるのだ。
なぜなら、カレーのしみは化学的な作用で色をぬくから。
カレーの黄色い色は主にターメリック(ウコン)由来のクルクミンというポリフェノールに由来するもの。
このクルクミンは、紫外線で退色(色が落ちていく)ことが知られているんだ。
紫外線が当たることで酸化され、無色の物質になってしまうのだ。
なので、カレーのしみがついたものは、天日干しをすると、どんどん色が抜けていくわけ。
なんどか洗って天日干しをすると、ほとんど見えなくなるよ。
こっちは繊維の奥までしみこもうが、紫外線が届く限り反応が起こるので、しみが落とせるんだよね。

それにしても、塩や日光は殺菌効果だけじゃなく、しみも落とせるのだ(笑)
 これでフランスに行っても、インドに行っても安心だ。
しょうゆはその場でちゅうちゅうするのが一番いいよ。

2016/08/20

硬い水への抵抗

生活してみて実感しているけど、フランスの水道水は硬水なのだ(>o<)
思った以上にカルシウムが多いみたい。
だって、水滴がそのまま乾くと、白い粉の輪郭が残るんだよ・・・。
これがまさに溶けていたカルシウム。
ここまでとは。

硬水だと、石けんの泡立ちも悪いので、洗剤の洗浄力も落ちるんだよね。
なので、フランスでは、洗濯は温水でやるのだ。
ドラム式の洗濯機が主流だけど、まず「温度」を選ぶんだよ。
通常は30~40度みたいだけど、90度とかも選べるのだ。
って、熱水で洗濯するんだ!
これはびっくり。

これには二つの理由があって、ひとつは、熱をかけることで布地についた汚れを溶け出しやすくすること。
お湯で洗った方が落ちがいいから、日本でも染み抜きなんかの時は温水を使うよね。
でも、もう一つの理由の方が大きいのだ。
それは、カルシウムを沈殿させるため!
水道水の中では、主に炭酸水素ナトリウムとして溶けているので、熱をかけてやることで二酸化炭素の溶解度を低下させ、水に溶けにくい炭酸カルシウムとして沈殿させる、という原理なのだ。
 それだけじゃなく、フランスの場合は、カルシウムを沈殿させる薬剤(カルゴンなど)を洗剤と一緒に入れることも。

でもでも、これをやると、沈殿した炭酸カルシウムがどこかにたまるわけで・・・。
洗濯槽にこびりついたり、配管の内側にこびりついたりするのだ。
なので、定期的をそれをとってやるどろっとした洗剤を使うんだよ。
って、どれだけ使いづらい水だ(>o<)
 日本の基準から考えると、めんどくさいことこの上ないね。

でも、すごく簡便な方法で、そこまでしなくてもいい、というのがフランスの生活の知恵。
それは、洗濯するときに少しお酢を入れるというもの。
お酢の酸っぱさの正体は酢酸やクエン酸だけど、これは両方とも炭酸カルシウムを溶かす作用があるんだよね。
酢酸カルシウムは非常に水に溶けやすい塩だし、クエン酸はカルシウムイオンと錯体を形成して水に溶かすのだ。
なので、お酢を入れるとあら不思議、カルシウムは沈殿せずに、排水とともに下水へと流れていくのだ。
ちなみに、洗い上がりまでにはきちんとすすがれるのでにおいは残らないよ。

これと同じ原理で、フランスでは水回りの掃除にお酢を使うんだよね。
お酢を水で薄めたものをスプレーで吹きかけたり、そのままふきんにつけてこすったりするのだ。
すると、カルシウムでできた白い水垢はきれいに落ちる!
フランスでは電気ケトルが主流だけど、どうしても内側にカルシウムがたまるんだよね・・・。
これも、お酢を薄めたものを何度か沸騰させるととれるのだ。
ただし、こっちの場合はにおいが取れるまでなんとも洗わないとだめだよ。

というわけで、フランスはただの水道水でも扱いが面倒なんだよね。
でも、暮らしの知恵でなんとかしてきたのだ。
なんでスーパーで工業用っぽいお酢がリッター単位で売られているのかと思ったら、こんなわけがあったんだよね。

2016/08/13

パリの発酵乳事情

日本にいたときは毎朝ヨーグルトを食べていたので、パリでも朝食に食べようと思ってスーパーを見に行ったのだ。
そうしたら、おどろいたことに、ものすごい数のフレーバーがある!
米国に留学したときもおびただしいフレーバーがあったけど、欧米の人はこういうのが好きなのかな?
でも、ボクがほしいのは、砂糖も入っていない「プレーン」。
フランス語がわからないから、これを探すのに苦労したのだ・・・。

結果的には、「Yaourts Nature」というのを選べばよいようなのだ。
いろんなフレーバーも気になるんだけど、そこはジャムを入れれば味は変えられるしね。
でも、さらにまたこまったのだ。
ただのプレーン・ヨーグルトとおぼしきものと、「Brassé」と書いたもののがあって、こっちが高いんだよね。
で、全く違いがわからないので調べてみたところ、製法に違いがあることがわかったのだ。

フランスで販売されているカップに入ったプレーン・ヨーグルトは、一般的にはカップに入れてから発酵させるんだって。
たしかに、こっちで買ったヨーグルトには上澄みのホエーがあるね。
で、この「Brassé」というのは、タンクなどの大きな容器で発酵させたものをカップにつめたもの。
このため、通常のプレーン・ヨーグルトはがしっと堅めなんだけど、「Brassé」はなめらかでクリーミーなんだとか。
それでちょっと高いわけか。
日本でもそういう製法の違いってあるのかな?

フランスでさらにややこしいのは、ヤギ乳やヒツジ乳で作ったヨーグルトもあること。
ボクはまだ意識して見かけたことはないけど、チーズだと普通にヤギ乳・ヒツジ乳はあるから、そうなんだろうね。
そして、もっとややこしいことに、ヨーグルトと見た目がそっくりなチーズがあるのだ。
その名も「フロマージュ・ブラン」。
あっさりしているチーズで、デザートとしてフルーツのソースをかけて食べられたりするみたい。

フロマージュブランは、温めた乳に乳酸菌を加えて発酵させ、少量のレンネットを入れて固めてから水分を絞ったもの。
通常、チーズに使う乳は、脂肪分が多いものを使うのだけど、フロマージュ・ブランの場合は比較的脂肪分の少ない乳を使うようで、そのためにあっさりとしているんだとか。
っていうか、製法だけ見るとあまりヨーグルトと変わらないような・・・。
発酵させる乳酸菌の種類が違うのかな?
ものとしては、生クリームより質感が軽く、ヨーグルトより酸味がまろやかで、フレッシュチーズよりあっさりなんだって。
これだけ聞くといいとこ取りだ(笑)

このフロマージュ・ブランがヨーグルトのすぐとなりにおいてあるので紛らわしいんだよね。
しかも、ヨーグルトと同じように、様々なフレーバーのものが出ているし。
小型のスーパーでは、むしろヨーグルトよりフロマージュ・ブランの方が多いんじゃないかなぁ。
ひょっとしたら、パリで食べたそれは、ヨーグルトじゃなくて、フロマージュ・ブランかも。

2016/08/06

パリのメトロもカードですいすい

パリに海外赴任になったのだ!
まったく想定していなかったから、もう来ているんだけど、まだ信じられないよ(笑)
でも、着々とパリでの生活の立ち上げをしていかないといけないんだよなぁ・・・。
お仕事はその先だよね(笑)
そんな中、パリ市内の地下鉄メトロで使える「定期券」のVavigoというものを手に入れたのだ!
っていうか、買ったんだけど。

パリのメトロは、同心円のような形でゾーンに分かれていて、ゾーン内は均一料金。
ゾーン内は制限時間内であればどの路線に乗ってもいいのだ。
 もっとも、キップは乗るときには改札に通すけど、出るときは通さないので、まれにあるという車内改札に出会わなければもっとどうにでもなるような気はするけど・・・(ただし、罰金は高いよ!)。
 で、このキップには日本の回数券のような「カルネ」という10枚つづりのものがあったりするのだ。
さらに、観光客向けの○日フリーパスみたいなのもあるよ。

でも、 いわゆる日本式の「定期券」はないんだよね。
その代わりに、週・月・年単位でメトロが乗り放題になる磁気カードがあるのだ。
それがNavigoと呼ばれるもの。
どのゾーンまでのるかで値段は変わってくるけど、ボクが買ったのはゾーン1~5で1月乗り放題の73ユーロのもの。
買ったというか、実際には空の磁気カードを作って、自動販売機でチャージするんだけどね。

 週より月、月より年の単位の方がお得なんだけど、年単位のものだと700~800ユーロと高額になるので、なくしたときのリスクを考えて月単位のものを選ぶ人が多いみたい。
ボクもとりあえずそうしたよ。
 主要な観光地だけであればゾーン1の中だけでだいたい事足りるんだけど、ゾーン5まで広げると、シャルル・ド・ゴール空港やディズニーランド・パリまでが乗り放題区間に入るのだ。
 空港でも帰るので、ディズニーランドにも行って、パリ市内もがっつり楽しもうというのであれば、週単位のものを買ってもよいのかも。

 ボクもあらかじめネットで情報を検索してから行ったんだけど、実際に購入しようとするとけっこう違うことが多かったのだ。
ボクはもしもの場合に備え、英語が通じそうな観光地のオペラ駅で買ったんだけど、そこでの体験だよ。
まず、窓口でNavigoがほしい、と言うと、インフォメーションセンターの方に案内されたのだ。
確かにそこの窓口にはNavigoはこちら、みたいなことが書いてあるんだよね。

 で、パスポートを確認され、居所と連絡先を聞かれ、としているうちに、係の人がパソコンで入力。
最後に ウェブカメラのようなカメラで写真を撮ったら、それが印刷された磁気カードができてきたのだ。
ネットでは写真を用意する必要があるとかなんとか書いてあったけど、それはなかったよ。
さらに、カード代で5ユーロまずかかる、ということだったんだけど、ボクの場合はカードの発行は無料で、チャージにだけお金がかかったよ。
なんか違うのかな?

Navigoには、パリ市内居住者向けの通常のものと、非居住者向けのDecouverteというのがあって、通常のVavigoは郵送で申し込んで3週間かかるとネットにはあったんだけど、ボクが今回手に入れたのはひょっとしたら通常のNavigo?
でも、駅の窓口ではどのみちDecouverteしか買えないので、普通にNavigoおくれと言えば大丈夫、というこれまたネット情報をもとにやってみたんだけどね。
ひょっとしたらシステム自体が変わっているのかもしれないけど。
何はともあれ、これでパリ市内のメトロと電車は乗り放題だぜ!

2016/07/30

土用の食べ物といえば

夏の土用がやってきたのだ。
今ではコンビニでもウナギが売っているよね。
しかも、夏の土用だけでなく、最近では秋でも冬でも土用になるとウナギを売っているような・・・。
でも、実は夏の土用のウナギというのは、江戸時代に平賀源内さんが生み出したキャッチフレーズといわれていて、真夏の暑い盛りに精のつくものを、ということで広まったものなんだよね。
むしろ、もっと伝統的な土用の食べ物があるのだ!

それは、「土用餅」。
京都や加賀に残る風習なんだけど、土用の入りにあんこでくるんだおもちを食べるんだよね。
これが夏ばてを防ぐと考えられていたのだ。
お彼岸にはぼた餅やおはぎを食べるけど、こっちはお米の粒が完全につぶしていない状態であるのに対し、土用餅は完全に搗いたおもちなのだ。
赤福餅みたいなものだよ。

土用というのは、立春・立夏・立秋・立冬の四立の前に置かれる2週間強の4つの不連続な期間の総称。
陰陽五行説では、季節は5つに分かれていて、東西南北に対応した春夏秋冬と、中央に配される土用があるのだ。
各季節の移り変わりの時期に置かれるのが土用で、節分の時期に一致するのだ(節分は四立の前日だから。)。
特に、夏の土用は、これからぐんぐんと暑くなっていく立夏の直前の時期で、真夏の暑い盛り。
なにがしかの願掛けみたいなのがあっても不思議じゃないよね。

土用餅よりさらにさかのぼると、宮中行事で似たようなのがあったみたい。
それは、夏の土用にガガイモの葉から煮出した汁で餅粉を練って団子を作り、味噌汁に入れて食べる、というもの。
この団子部分だけが残って、後に土用餅になるみたい。
なぜあんこでくるむのかはよくわからないけど、おそらく、小豆は「魔除け」の効果のある神聖な食物と見なされていたことと関係があると思われるのだ。
赤飯とかもそうだよね。

もともと「朱」の色には魔除けの効果があると考えられていて、だからこそ神社の鳥居や社殿を朱に塗るわけだけど、これは、朱という色の顔料である「辰砂」の性質が絡んでいると思われるんだよね。
辰砂というのは硫化水銀を含む鉱物で、赤とオレンジの中間的な色なんだよね。
当然水銀化合物なので、この水銀の入った含量である朱を塗ると、害虫や腐食を防ぐのだ。
これがおそらくい「魔除け」のイメージにつながっていくんだよね。
で、同じような赤い色を出す小豆も神聖視されてくるというわけ。

ここまで来ると小豆自体が魔除けの効果を持つように信じられるので、神の依り代ともなるおもちを魔除けの小豆あんで包み、それを食べることで自分を神と一体化し、魔除けの効果を取り込む、という発想になるのだ。
夏越しの祓えの前日に食べ、穢れを祓って残り半年の無病息災を祝うという水無月も小豆あんだよね。
これも京都の伝統的なお菓子だけど、三角形の外郎(ういろう)の上に小豆のあんこがのっているのだ。
三角の外郎は氷のイメージで、冷たさと魔除けを体に取り込もうということみたい。

というわけで、何か悪いことが怒りそうなら小豆あんを食べようってことだね!
ボクはもともと好きだからけっこうな頻度で食べているけど、それでけっこう守られているのかな?

2016/07/23

校名は伏せたままで

梅雨も終わりかけ、蒸し暑い日が続いているよねぇ。
クールビズでましになったとは言え、汗が泊まらない暑さ・・・。
日本の夏は湿度が高いからね。
それなのに、からっとしている欧州起源のスーツを着なくちゃいけないんだから(>o<)
でも、そんな中、街中でひときわ暑苦しい若者を見るのだ!
それは就活生。
濃紺とか黒とかの暑苦しいスーツを着ているよね。
もうそういう時期なのか。
今年は去年よりスケジュールが2ヶ月前倒しだから?

その就職活動で思い出したんだけど、最近は就職活動中は学歴を書かせないんだよね。
エントリーシートやら履歴書には書くみたいだけど、面接官に見せる面接票には書かせないところもあるようなのだ。
民間企業ではソニーが先駆的で、ニュースとかでも話題になったよね。
ネットの情報では、エントリーシートの段階で大学名ですでにカテゴリー分けされて、フィルターがかかっているなんて話もあるけど・・・。
そういうように学校名をあえて書かせないところは、人物本位で決めている、ということなのだ。

これはただ単にOBが後輩を優遇するとかそういうことだけじゃないみたい。
そういうコネもむかしの就職活動では重要だったみたいだけど、おそらく、今では、いい学校を出ている=それだけ勉強をがんばってきた、という実績の評価なんだよね。
それはそうで、その人なりに努力した結果が学歴ではあるのだ。
でも、その学校名に引きずられてしまって、人物を正しく評価できない、ということもあるのだ。
それが心理学で「ハロー効果」と呼ばれるもの。

「ハロー」は挨拶の「hello」ではなく、西洋画の聖人の頭の後ろに描かれる後光の「halo」のこと。
不思議なことに、仏像にも後光があるし、西洋の聖人にも後光が差すんだよね。
これは立派な存在からは何か光のようなものが出ているという共通の認識があって、それが同じような手法で表現されているってことなのかな?
で、学歴のようなその人のわかりやすい特徴のひとつが、「後光が差す」ようにその人全体が優れているかのような印象を与えることを言うのだ。
動物好きの人に悪い人はいない、とかも同じようなものかも。

受験には運不運なんかもあるから、どの大学に入るだけで全部が決まるわけじゃなく、その学校で何を勉強してきたのか、勉強以外にどういうことを経験してきたのか、というのが本来その人物に対して評価すべきことなんだよね。
それはみんな頭ではわかっているはずなんだけど、有名大学を出ているだけでその人はすごい、と思ってしまって、より好意的に解釈しがちになる、ということなのだ。
超一流大学の学生がバイトに精を出すと、勉強だけじゃなく社会勉強もがんばってらい、となるのだけど、あまり有名ではない大学の学生がバイトに精を出すと、勉強もしないでばいとばっかり、となる。
こういう印象に与える影響のことを言っているのだ。

確かにそういうところあるよね・・・。
この前終わった参議院選挙や、今やっている都知事選でもそうだけど、その人の細かい政策やこれまでの言動などにきっちり目を通した上で投票する人は多くなくて、多くの場合、ポスターを見た印象、テレビなどで報道された発言、その人のプロフィールなどで投票活動が変わってくるんだよね。
まさにハロー効果が大きく聞いているよ。
元大臣とか、元知事とか言われると、一度はそういう重職をつとめているので実績があるから「できるはず」とかね。
これは就職面接に限らず、自分でも気をつけないといけないなぁ。

2016/07/16

尊皇で譲位認める?

今上陛下が生前大意の御意向を示された、という衝撃的な報道があったのだ!
すなわち、御自身は退き、皇位を皇太子殿下に譲るということなのだ。
でも、今の皇室制度の基本的な事項を定めた法律である「皇室典範(昭和22年法律第3号)」には「譲位」や「退位」に関する規程はないので、どうするのか?、という話になっているんだよね。
場合によっては皇室典範の改正が検討されるわけだけど、そうなると、秋篠宮家に悠仁親王殿下がお生まれになってから下火になっていた「女性天皇」問題が出てくるのだ・・・。
どうせ皇室典範を改正するなら、それも含めてやればいいと。
すでに宮内庁次長は「そのような事実はない」と否定しているのでどうなるかわからないけど。

もともと「譲位」自体は珍しいことではなく、我が国ではよく行われていたことなのだ。
最初は持統天皇というから飛鳥時代。
最後は江戸時代の光格天皇だって。
退位した前天皇は「太上天皇」、略して「上皇」と呼ばれ、この上皇が政治的な実権を握り続けると「院政」になるのだ。
持統天皇以前にも生きている間に皇位を譲った例はあったようなんだけど、まだそのころは「上皇」という言葉がなかったので、数に数えられていないみたい。
で、今回も仮に「生前退位」が可能となれば、敬称は「太上天皇」とか「上皇」になるんじゃないかと言われているんだよね。

報道では、今の皇室典範が対応できていない、と言われているけど、実は、明治時代にできた旧皇室典範でも「譲位」や「退位」に関する規程は存在していないのだ。
明治維新の後の皇室制度改革にはいくつか特徴があるんだけど、そのひとつが、皇位継承権の順序問題。
明確に直系・嫡系の長男が皇位継承順位第一位に位置づけられ、皇位継承権は男系男子の皇族に限られることとなったのだ!
古代にはそれこそ最初の上皇になった持統天皇をはじめ、女性天皇もいたわけだけど、明治以降は男性天皇しか認めなくなっているんだよね。

もうひとつは、「一世一元の制」。
これは、先代の天皇が崩御され、次代の天皇が践祚・即位されたときに改めて元号を建て、当代天皇の在位中は改元をしない、というもの。
つまり、天皇と元号は1対1で対応させる、ということなんだよね。
かつては自然災害のような凶事や瑞祥が見つかった吉事があると改元されたんだけど、それがなくなったんだよね。
で、「生前退位」が可能となった場合、普通の感覚だと改元するんだけど、その扱いをどうするかを一応議論する必要があるんだよね。

旧皇室典範では元号についても規程があったんだけど、現在の皇室典範からは元号に関する部分はなくなっていて、代わりに「元号法(昭和54年法律第43号)」という法律に規定されているのだ。
これは法律の中でももっとも条文が文字開放率として知られているもので、1条のみなので「第○条」ではなく「第○項」だけでできているのだ!
第1項は「元号は、政令で定める。」、第2項は「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」。
これに附則がついたものだよ。
もともと昭和帝の高齢化により、次の元号をどうするんだ、と考えたときに、皇室典範からその規程が削除されてしまっていたので、元号の法的根拠を設けるために作られた法律なのだ。

ここで言う「皇位の継承」は皇室典範と同じなので、「生前退位」する場合の「譲位」も「皇位の継承」という概念に含めてしまえば改正の必要はないし、「皇位の継承」とは別に「皇位の禅譲」みたいな概念を新たに作るなら、こちらも改正しないといけなくなるはず。
明治以来の皇室典範の作りとして、生前に譲位が行われることを想定していないので、皇位継承が先代天皇の崩御以外の場合に存在し得るのかどうかはよくよく検証しないといけなさそうなのだ。
今の皇室典範は法律になっているしね。
はてさて、どうなることやら。
ただ、あのお年にして御公務は非常に多忙を極めているので、御意向(大御心)は最大限尊重すべきと思うんだけどねぇ。

2016/07/09

ホロホロでトロトロ

外食でビーフシチューや豚の角煮、チキンカレーなんかを食べると、ものっすごい柔らかく煮込まれているものがあるよね。
箸でほぐれます、みたいな。
自宅でやろうと思っても、なかなかそこまではいかないのだ・・・。
圧力鍋とかを使えば別なのかもしれないけど。
とにかく、じっくりと熱をかけているみたいなんだよね。

どうやったら肉がそこまで軟らかくなるのか?
原理としては簡単なようなのだ。
それが、肉の中にあるコラーゲンがゼラチン化するとやわらかくなる、というもの!
それだけ。
あのぷるっぷるで、お肌つやっつやのコラーゲンですよ。
それが煮汁に溶け出すくらいになれば、もとの肉はホロホロというわけ。

動物の肉は筋肉と脂肪なのだ。
ここに骨や皮、腱(スジ)なんかがついているわけ。
で、肉を加熱すると、まず固体状だった脂肪が融けるんだよね。
牛肉だったらヘット、豚肉だったらラード、鶏肉だったら鶏油(ちーゆ)だね。
そうすると、脂肪が詰まっていたところに隙間ができるので、その分だけ肉がやわらかくなるのだ。
これは薄肉をしゃぶしゃぶしたり、牛肉を炙ってたたきにしたりしたときの変化だよ。
ねちょっとした生肉の食感ががらっと変わるのだ。

でも、さらに強く加熱すると、筋肉の主要な構成タンパク質であるアクチンとかミオシンが熱変性して、固まるのだ。
この変化では、生肉独特の粘りがなくなって、ぷつっと切れるようになるのだ。
タンパク質の高次構造においても、まわりにたくさん水分があるような状態から、がちっと筋肉繊維が収縮して水分が追い出されて、固まる感じになるよ。

このままだと固いだけなんだけど、コラーゲンを多く含む場合は変わってくるのだ。
コラーゲンの場合は、熱による変化でより水分を集めるようになって、軟化するのだ。
ぞれがゼラチン。
コラーゲンは繊維状のタンパク質が3本よられている構造をとっているんだけど、熱がかかるとこれがまずほぐれるのだ。
さらにそこに水分がまとわりついてきて、ゼリー状になるんだよね。
これが煮汁の中に溶け出すんだけど、コラーゲンはもともと接着剤のように筋肉繊維を結びつけているものなので、これがなくなると筋肉繊維自体がほぐれるのだ。
この溶け出したコラーゲンが肉を煮たときのとろみで、冷やすと固まって「煮こごり」になるのだ。
煮こごりをきれいに精製して取り出したのがゼラチンで、その主要成分がコラーゲンになっているのだ。

コラーゲンは軽く火を通しただけでは少し固くなるんだけど、さらにじっくりと熱をかけると、徐々に解きほぐされてやわらかくなるのだ。
温度で言うと、65度くらいで少し収縮して固くなって、80度前後でほぐれて軟化するようなのだ。
つまり、沸騰手前くらいの熱をずっとかけ続けると、ほぐれていくわけ。
そして、完全にほぐれると、液中に溶け出していくわけ。
この解きほぐすのに時間がかかるので、じっくりと煮る必要があるんだ。
ちなみに、ステーキなんかは、肉の中心がまだ赤いけど、あれは脂肪が溶け出して、アクチンとミオシンが少し熱変性して食感が変わるギリギリくらいの熱の通し方。
これがやはり中心温度で65度くらいなので、コラーゲンが溶け出すことはなく、肉がばらばらになるようなことにはならないのだ。

たいていどんな肉でもコラーゲンは含まれているんだけど、牛のスネやテール、豚の豚足や皮下のバラ肉、鶏の手羽先や皮なんかには特に多く含まれていて、これらはじっくりと煮てやると柔らかくなって、とろみが出てくるよ。
ちょっと前は、こういうコラーゲンを食べるとお肌がつやつやなんてもてはやされたけど、コラーゲンは食事として摂取した場合、しっかりと胃腸で消化・分解され、アミノ酸として吸収されるので、ただの「良質なタンパク質」でしかないのだ(>o<)
肌に直接塗るならまだしも、食べてもすぐに美肌になるわけではないよ。
もちろん、皮膚の上から塗ってもそんなに浸透しないので、気休めレベルなんだけど・・・。
というわけなので、おいしいから食べる、ということでよいのだ(笑)

2016/07/02

色がついたら疑え

また有名人の覚せい剤事案が発生したのだ・・・。
ラブホテルに女性といたところへ警察が踏み込んだみたいだね。
で、こういうとき、テレビドラマだとさっと検査キットを出して、「謎の白い粉末」を透明な試薬の入った小さな試験官に入れて振って確かめるのだ。
反応して色がつくと、○○の疑いあり、とか言って現行犯逮捕するんだよね。
たぶん、今回も同じようなコトが起きていると想像されるのだ。

こういう麻薬・覚せい剤の捜査で使われているのは、マルキス試薬とシモン試薬というものなんだって。
どちらも確定的に麻薬や覚せい剤だ、と証明できるものではなく、あくまでも短時間でその疑いがあるかどうかを確かめるもののようなのだ。
正式には、その粉末をより詳細に時間をかけて調べるんだよね。
もちろん、所持者・使用者については、毛髪や尿が検査されるのだ。

では、この試薬はどうなっているかをちょっと調べてみたんだ。
ネットで見つけた関東化学の説明書によると、マルキス試薬は麻薬と覚せい剤の両方を調べることができて、シモン試薬は覚せい剤を調べることができるみたい。
マルキス試薬の中身はいたって単純で、濃硫酸にホルムアルデヒドが混合されたもの。
ホルマリンと硫酸を混ぜたものと考えればよいのだ。
ここに麻薬とか覚せい剤のようなベンゼン環を持つアルカロイド(アミノ基を持つ化合物)があると、ホルムアルデヒドによって架橋され、これらの分子が重合して高分子になるのだ(アミノ基とアミノ基の間をホルムアルデヒドがつないでしまうのだ。)。
この反応が起きると、色がつく(呈色する)わけ。

ベンゼン環はもともと紫外線を吸収するのだけど、分子が大きくなるとより低いエネルギーの光を吸収するようになるのだ。
可視光を吸収するようになると、その補色に色づいて見えるんだよ。
例えば、一番波長が短い紫の光を吸収するようになると、黄色く見えるし、もう少し波長の長い青い光を吸収するようになるとオレンジに見えるのだ。
この光の吸収スペクトルは化合物の構造で決まるので、何色になったかでどんな化合物が入っているか当たりがつけられるというわけ。
覚せい剤ならオレンジ色、モルヒネ・コカインなら紫色になるよ。
刑事ドラマで液が紫色になるやつはこれなのだ!

シモン試薬は覚せい剤の有無を簡単に調べるもの。
上のマルキス試薬では、覚せい剤と反応するとまずオレンジ色になるんだけど、少し時間が経つと色が変わってくるのだ。
このとき、アンフェタミンなら褐色、メタンフェタミンなら緑青色になるのだ。
シモン試薬でも、アンフェタミンなら赤っぽいオレンジ、メタンフェタミンなら青い色になるよ。
このシモン試薬は、A液(炭酸ソーダ)、B液(ペンタシアノニトロシル鉄(III)酸ナトリウム)、C液(アセトアルデヒドとエタノールの混合液)の3つを順次加えていってまぜるんだ。
それぞれ目薬の容れ物に入っているのだ。
これはわりと複雑な反応みたいだけど、錯体の構造が変わって液の色が変わるみたい。

これらの試薬で色がつくと、麻薬なり覚せい剤の疑いあり、ということで、より詳細な確認検査に回されるのだ。
似たような反応をする物質もあるにはあるので、あくまでも1次スクリーニングなんだって。
ちなみに、メタンフェタミン(昔で言うヒロポン)は今でも国内で医薬品として使われることがあって、日本薬局方にも掲載されているのだ。
日本薬局方の確認試験では、ヘキサクロロ白金(IV)試液と混ぜるとオレンジ色の沈殿ができるとか、ヨウ素試液と混ぜると褐色の沈殿ができるとかが掲載されているよ。
こっちは、覚せい剤の疑いが、というのとは逆で、ちゃんと医薬品に有効成分が入っているかどうかの確認試験なんだけどね。

2016/06/25

本当は期限あり

鳩山邦夫元法相がお亡くなりになったのだ。
この人は、サイバンインコの「中の人」になってみたり、友達の友達がアルカイダだったりで有名な政治家だったけど、ボク個人としてもとても印象に残る政治家だったのだ。
御冥福をお祈りします。
で、この鳩山元法相が有名になった件としては「死に神」問題があるんだよね。
これは朝日新聞が報じた記事に由来するもので、鳩山元法相が「死刑の執行は粛々と行うべき」として歴代法相の中でも群を抜いて多くの死刑を執行していることに対し揶揄したもの。
このときの元法相の発言で「ベルコトンベアー方式」なんてことも言われたのだ。

でも、実は死刑という制度は刑が確定したら期限内に執行すべきことが法律で定められているんだよね。
刑事訴訟法第475条第1項では、「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と定めているので、死刑という刑が裁判で確定した後、改めて法務省内で刑の執行にかかる手続きがあって、しかる後に法務大臣から執行命令が発せられて、刑の執行に至る、という図式なのだ。
その次の第2項では、「前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」とされているので、本当は刑確定から半年以内に執行をすることが求められているんだ。
とは言え、その後ろに但し書きとして「但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」というのもあって、例外は認めているわけ。
実際には、死刑の執行には数年はかかるみたいなんだよね・・・。
中には死刑の執行せずに大臣の任期を終えた人もいたのだ(これはその大臣の信条によるところもあるのだけど。)。

鳩山元法相は、この法律に定められたルールに則り、手続きをきちんと進めるべきだ、と主張しただけなので、当時から「死に神」呼ばわりした朝日新聞には抗議がなされたみたい。
でも、マスコミの論調の中では、「そもそも死刑という制度が妥当なのか」という議論を意図的かそうでないのか見事にまぜこぜにされてしまって、死刑を執行すること=悪いことみたいに捉えられることもあるんだよね。
少なくとも、現行法制化では死刑という刑があって、裁判においてもそれが確定しているものについては、元法相が主張したように粛々と執行していくのが法治国家としてあるべき姿なんだよね。
その上で、死刑という制度を存続させることがいいのか、仮釈放なしの終身刑のようなものに変えた方がよいのか、というのは、社会で議論し、国会で審議した上で、必要であれば法制度を変えていくという話なんだよね。
今のルールが気にくわないから従わなくていい、というのは少しおかしな話に感じるよ。

話はそれたけど、裁判で死刑という判決が確定すると、法務省内で手続きが発生するのだ。
まず、判決の謄本と公判記録が検察庁に送られ、検察ではこれらの書類に基づいて死刑確定者に関する上申書を作成して法務省に提出するのだ。
この上申書は法務省の刑事局に回され、やはり検察から送られてくる裁判の確定記録とともに中身を確認する作業に入るのだ。
通常死刑判決が出るような裁判は長期にわたって行われるため、ここで確認する記録は膨大な量になっているそうだよ。
また、再審や恩赦、非常上告など、刑の執行を停止する必要のあるものに該当するかどうかも慎重に確認することになっていて、これにも時間がかかるみたい(例えば、えん罪の疑いのある場合は速やかに執行はできないし、恩赦が近々見込まれる場合にも拙速に執行はされないのだ。)。
で、中身の確認が終わると、死刑執行にかかる起案をし、法務大臣の了解を求めるのだ。
法務大臣がこれを裁可すると、死刑執行命令書が作成され、法務大臣が署名すると刑の執行が確定するんだ。

死刑の執行に関しては、刑法第11条第1項で「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する」と決まっていて、日本では絞首刑が採用されているのだ。
中国だと銃殺刑もあるし、米国では電気椅子なんかも使われるみたいだけどね。
さらに、次の第2項では、「死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する」となっていて、刑の執行までの間は、刑事施設に「拘置」されるのだ。
これは逃げられないように身柄を拘束することで、「懲役」や「禁固」とは別の概念なんだよ。
確かに、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の定義(第2条第4号)では、受刑者は、「懲役受刑者、禁錮受刑者又は拘留受刑者をいう」となっていて、死刑囚は含まれていないのだ。
なので、死刑囚が収容される刑事施設というのはいわゆる「刑務所」ではなく、「拘置所」なのだ。
つまり、東京で言えば、府中刑務所ではなく、小菅の東京拘置所にいるというわけ。
そういう意味では、拘置所には、裁判がまだ終わらず刑が確定していない「未決囚」と呼ばれる人たちと、死刑が確定している死刑囚がいることになるよ。

刑の執行に当たっては、検察官、検察事務官及び拘置所の所長(又はその代理)が立ち会うべきことが刑事訴訟法第477条第1項で定められているんだけど、一方で、第2項では、検察官又は拘置所長の許可を得たもの以外は刑場への立入りを禁止しているのだ。
通常は刑事施設の職員(刑務官等)のほか、医官や教誨師が立ち会うみたい。
このあたりはあまり詳細が明らかにされないので、詳しいことはわからないんだけど。
医官により死亡が確認されると、刑事訴訟法第478条に従って検察事務官が執行始末書を作成し、立会い検事と拘置所長が署名押印して刑の執行が終了することになるよ。

ちなみに、よく刑の執行後に仮に生きていた場合はそこで刑の執行が終わったので釈放される、なんてことが言われるんだけど、この根拠とされるのが、刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律(旧監獄法)の規程。
まず、第71条の第1項と第2項で、死刑の執行は刑事施設内の刑場で行うことと、祝祭日と12月31日~1月2日にかけては死刑の執行を行わないこととしているのだ。
続く第72条で、「死刑ヲ執行スルトキハ絞首ノ後死相ヲ検シ仍ホ五分時ヲ経ルニ非サレハ絞縄ヲ解クコトヲ得ス」とされていて、死相を確認してから5分経たないと絞首に使った縄を外してはいけない、という規程があるのだ。
ここをもって、5分経って縄を外したら蘇生した、という例をどう考えるか、ということなんだけど、この場合、過去の例では刑の執行はいったん完了したと見なされ、再度執行はされない、ということになったみたい。
ただし、現在の絞首刑の場合、まず蘇生しないような方法だし、医官が死亡を確認しないと刑の執行が終わらないようになっているので、おそらくこの問題はもう起こらないと考えられるよ。

なんだか暗い話だけど、これが日本の死刑制度なんだよね。
これが現代社会において妥当なものかどうかは議論があるところだけど、少なくとも法律が改正されるまでは、このルールに則るのが法治国家だとは思うんだよね。
その上で、国連での議論なんかも踏まえつつ、制度について国を挙げて検討すればいいのだと思うよ。
そういう意味では、鳩山元法相はこの問題を意識の上に上げる一石を投じたと思うのだ。
改めて、御冥福をお祈りします。

2016/06/18

焼いて融かして色つけて

日曜の昼過ぎについつい見てしまうのが、「なんでも鑑定団」の再放送。
美術品・工芸品についてわかりやすくコンパクトに説明してくれるので、ちょっと賢くなった気になるのもいいんだよね(笑)
なんとなく見始めて、けっきょく最後まで見てしまうパターンが多いのだ。
本物か偽物か予想するのもおもしろいしね。

この番組を見ていると気になってきたのが陶磁器の色。
よく「釉のかかりがすばらしい」とか「発色がいい」なんて聞くけど、それってなんで変わるんだろうということ。
今の御時世、科学的に分析すれば「いい出来のもの」をクローンのように再現できるんじゃないか、とこう考えるのだ。
ところが、これはそんなに甘くないらしいんだよね・・・。

釉薬(「うわぐすり」又は「ゆうやく」)は、陶磁器の表面を覆っている薄いガラス室の皮膜。
土をこねてそのまま焼成した素焼きだと、どうしても細かい穴がたくさんあいている状態なので、水分を若干浸透させてしまうんだよね。
それがいいところでもあるんだけど、吸水性があると液体を保存する容器には使いづらいのだ。
そこで、その上にガラス質のコーティングをして、耐水性を高めようというわけ。

「うわぐすり」というだけあって、素焼きしたものの上からかけて、その後もう一回焼成させるのだ。
「かける」とは言うけど、実際の釉薬は土や灰を水で懸濁させたもので、そこに素焼きしたものをつけるという表現の方が合っていると思うよ。
刷毛で塗ったりしてもいいのだろうけど、均質な厚さにするためには、「塗る」というのでは難しいはずなのだ。
さっと釉薬の中にくぐらせて、天日で乾燥させてから焼成する、というのが普通だと思うよ。

ものによっては、一度乾かしてから一部だけ別の釉薬につけて色調を変えたり、絵の具のように使って絵を描いて模様にするという技術もあるみたい。
絵を描く場合は、背景色の釉薬につけ、その上に絵を描き、さらに透明になる釉薬につける、という幹事で段階的に作業するのだ。
このとき重要なのは、釉薬の段階では焼き上がりとは全く違う色なので、「絵付け」をするにしても、慣れていないと焼き上がりがどうなるかわからないということ。
釉薬っていうのはたいて白~灰~黒みたいな色だからね。

釉薬の主成分は4つ。
骨材というのがガラス質を作る主原料で、これは二酸化ケイ素。
糊材というのはできたガラス質の安定性を保つもので、これは酸化アルミニウム(アルミナ)。
どちらも長石が入った土の成分なのだ。
ここに媒熔材と呼ばれるものを入れて、釉薬の融ける温度を調節するんだって。
その成分は、酸化ナトリウム、酸化カリウム、酸化カルシウム、酸化マグネシウムなど。これらは土の中にも含まれるし、灰の中にも多く入っているのだ。
釉薬の温度を調節するのは、焼成温度によって発色が変わってくるからで、例えば、灰を入れる量でできあがりの色味が変わってくるのだ!

最後が発色剤。
これは主に金属で、色のもととなるのは鉄、銅、コバルトなど。
今は化学的に足したりもするようだけど、伝統的には鉱石を砕いたものや特殊な土・砂、特定の植物の灰なんかを使って、発色につながる金属の量を調整したみたい。
このあたりは、試行錯誤による伝承と、職人の感みたいな世界だよね。
あれとあれをこうまぜるとこういう色になる、みたいな。
織部の緑や楽茶碗の黒とかだよ。

ところが、上にも少し書いたけど、焼成の仕方で色が変わってくるのだ。
発色剤となる金属がどういう状態で焼き上がるかで色が変わるわけだけど、例えば、銅の場合、十分に酸素が供給されて完全燃焼で高温で焼成された場合、青~緑になるのだ。
ところが、酸素が少なく、不完全燃焼で焼成された場合(多くの場合燃焼温度は少し低め)、赤くなるんだよね。
これは銅の酸化状態の違いで、完全燃焼で酸化焼成された場合、銅は酸化銅(II)CuOになるので、青っぽい色を呈するのだけど、不完全燃焼で還元焼成された場合、酸化数がより少ない酸化銅(I)CuOになるので、真っ赤な色を呈するのだ。
鉄も同じで、完全燃焼だと酸化鉄(II)FeOで黒なんだけど(備前焼の黒)、不完全燃焼だと酸化鉄(III)Feで赤くなるのだ(赤さびの色)。
もっと酸化が抑えられると、酸化されていない金属鉄になるので、青っぽい色になるのだ。
実際にはこれらが混ざるので、複雑な色合いになるよ。

つまり、炉内の酸素供給量による燃焼状態とそのときの炉の温度で大きく発色が変わるのだ!
これはもう相当な複雑系になるので、完全に昔の優れた焼き物を再現することができないんだよね・・・。
科学的に原理はわかるんだけど、そもそもパラメーターが多すぎて条件設定がしきれないのだ(>o<)
炉内での火のまわり方なんかはカオス理論になるだろうし、同じようなやり方でも偶然性に大きく左右されてしまうんだよね。
というわけで、焼き上がってみるまでわからない、のだ。
それが陶磁器のおもしろさなんだろうけどね。

2016/06/11

煙にまく?

日本の研究グループに命名権が付与されていた113番元素について、国際純正・応用化学連合(IUPAC)は、日本から提案していたニホニウム(Nh)という名称・記号の案で意見公募を開始したのだ。
5ヶ月間も意見を求めるらしいけど、よほどのコメントがない限りはそのまま決まるそうで。
でも、この名前の場合はちょっと危ないような・・・。
3月中旬に提案が行われてからやっとオープンになったわけだけど、わかってしまうと、まあそうだよね、というネーミングではあるよね(笑)

で、この113番元素の名前についてはいろんな予想がされていたんだよね。
新聞報道等で人気があったのは「ジャパニウム」。
日本で初めて、世界で二番目にサイクロトロンを作った仁科芳雄博士にちなんだ「ニシナニウム」なんてのもあったのだ。
でもでも、その中にまったくわからない名前が。
これは科学誌Natureの関連のブログの中の予想にあった名前なんだけど、「Enenraium」というもの。
中身を読んでみると、妖怪の「煙煙羅」にちなんでいるんだって。
って、なんで!?
正直、エントリーの理由は不明なんだけど、機械的につけられる仮称が「ウンウントリウム」だったので、音が似ているというので選ばれたんじゃないか、と予測している人はいるよ。

この「煙煙羅」という妖怪は、字の表すとおり煙の妖怪で、江戸時代の画師・鳥山石燕さんによる「今昔百鬼拾遺」という作品の中に出てくるのだ。
実は、これ意外に伝承などが残っていないので、鳥山石燕さんの創作妖怪と考えられているよ。
蚊遣り火の煙がくすぶりゆらゆらゆれていて、怪しい形をなすことがある、それが羅(うすもの)が風にたなびくように見えるので、「煙煙羅」と名付けたか、といった旨のキャプションがあるんだ。
雲でもそうだけど、じっと見ていると何かの形に見えてくることはあるよね。
きっとそういう感覚が反映されたものなのだ。

これだけなので、怪しく見える、という意外に特徴がないわけ。
なので、113番元素とはほぼ関係はないはず。
実態はつかめないけど何かある、という点では、10年で3個しか作ることができなかった113番元素につながる部分はあるけど(笑)
でも、この妖怪との並びだったら、怪しく見えるけど、それはそう見えているだけ,と言うことになっちゃうから、113番元素は幻になっちゃうね・・・。
だとすれば、名前としてあまりふさわしくないね。

また、煙っていうのは、燃え残ったものや燃えにくかったものが燃焼時に発生する熱に煽られてエアロゾルとして浮遊しているものなんだよね。
黒や灰色に見えている色は、エアロゾルとして浮遊している「すす」によるものなのだ。
「すす」だけなら汚れがつく程度なんだけど、場合によっては、その中に一酸化炭素や窒素酸化物、硫黄酸化物、金属酸化物なんかの有害なものも入っている場合があるので、注意が必要だよ。
「煙煙羅」のもと(?)の蚊遣り火は、ヨモギの葉や松・杉・榧の青葉を火にくべてけぶらせるもので、今で言う蚊取り線香に近いんだけど、殺虫成分が入っているわけではなく、あくまでも煙で虫を追い払うものなのだ。
植物中の精油成分などが含まれるので、通常の煙に比べて目にしみたりすることはあるけど。
そういう意味では、ごくごくありふれた「すす」の中に、微量に何か性質の違うものが紛れ込んでいて、という状況は、113番元素を作っている時に似ているかもね。

まあ、煙煙羅について調べてみても、やっぱり名称として提案される理由はわからないね(笑)
そういうのがあってもいいかもだけど、さすがに日本発、アジア初の元素名でそれはないよなぁ。
じゃ、もう一個命名権がとれたら候補に入れるということで!

2016/06/04

しばし待たれい

元プロ野球選手の覚醒剤取締法違反の事件について、東京地裁が有罪判決を出したのだ。
量刑は、懲役2年6月、執行猶予4年。
通例、覚醒剤の所持・使用などは、初犯の場合は執行猶予がつくと言われているけど、今回もそうなったんだよね。
相場としてはこんなものかな、というところみたい。
で、改めて気になったのが「執行猶予」という制度。
刑務所に入らずとも、その間おとなしくしていれば刑の執行を免れる、くらいの認識なんだけど、ちょっと調べてみたのだ。

執行猶予は、刑法の第一編「総則」の中の第四章「刑の執行猶予」というところで、第二十五条から第二十七条の七までの12条によって規定されているんだ。
刑の「全部」又は「一部」の執行猶予があって、「一部」のみの執行猶予の場合、他の部分で刑の執行がなされることがあるよ。
刑の全部の執行猶予の要件は第二十五条で定められていて、3年以下の懲役・禁固又は50万円以下の罰金が対象で、1年以上5年以下の期間で執行が猶予されるんだけど、もちろん、条件があるんだよね。
その条件は大きく2つで、①前に禁固以上の刑に処せられたことがないこと、又は、②前に禁固以上の刑に処せられているがその執行が終わった日又は刑の免除があった日から5年間禁固刑以上の刑に処せられたことがないこと。
前に禁固刑以上の刑に処せられたがその刑の全部が執行猶予中の場合は、特に情状酌量すべきものがあれば、1年以下の懲役・禁固について執行猶予が得られる場合があるよ。
ここで言う「禁固以上の刑」というのは、死刑、懲役及び禁固のこと。
刑の種類は第九条で、死刑、懲役、禁固、罰金、拘留、科料と6つ挙げられているんだけど、次の第十条で、刑の軽重はこの第九条に規定する順序による、とされているので、一番重いのが死刑、一番軽いのが科料となるわけ。

①の場合は保護観察はオプションなんだけど、②については保護観察をつけないといけないんだよね。
この保護観察については、遵守すべき事項を守らず、それがやむを得ない事情出ない場合は、裁量的に執行猶予が取り消される場合があるのだ。
執行猶予中に罰金刑に処せられた場合も取り消しの可能性があるよ。
逆に、執行猶予中に執行猶予のない禁固刑以上の刑に処せられたり、執行猶予の言渡し前に犯した犯罪について執行猶予のない禁固刑以上の刑が書せられた場合は、自動的に執行猶予が取り消されるのだ。
執行猶予が取り消されると、懲役・禁固の場合は刑務所に行くことになるのだ・・・。

なお、何事もなく執行猶予期間を無事に過ごすと、第二十七条の規程により、「刑の言渡しが効力を失う」ことになるのだ。
なんだか難しいけど、罪を犯して刑に処されたという事実は残るけど、懲役・禁固刑を受けているという状態ではなくなるのだ。
これで何が起こるかというと、国家資格なんかの多くでは「欠格条項」が定められていて、そこがクリアされるのだ。
例えば、国家公務員法では、「禁固以上の刑に処せられ、その執行が終わるまで又は執行を受けることがなくなるまでの者」は国家公務員になれないばかりか、在職中にこの要件に該当すると自動的に失職するんだよね。
でも、執行猶予期間が終わって、刑の言渡しの効力が失われると、もうこの条項には該当しなくなるので、また国家公務員として復職できるようになるのだ。

公務員だと復職は考えづらいけど、選挙権・被選挙権なんかも、服役中だけでなく、執行猶予中もなくなるんだよね・・・。
また、いわゆる「士業」においては、さらに「冷却期間」がいるのだ。
例えば、公認会計士、行政書士、司法書士だと、「禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることがなくなつてから三年を経過しない者」となっているので、執行猶予期間が終わって3年たてば、前科がなくなったものとなって、またその資格を得ることができるのだ。
ただし、逆に言うと、これらの仕事をしていた人が犯罪を犯し、執行猶予付とは言え実刑判決を食らうと、もうその資格では仕事ができなくなってしまうんだよね(>o<)

こういう中でもっとも厳しい要件が、弁護士や弁理士などの欠格要件。
これらではシンプルに「禁錮以上の刑に処せられた者」となっているので、実刑判決が出たらアウトという図式なのだ・・・。
でも、一度でも実刑判決を受けると二度となれないか、というと、そういうわけでもないのだ。
刑法第三十四条の二で「刑の消滅」というのが規定されていて、「禁錮以上の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで十年を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う」となっているのだ。
すなわち、禁固以上の刑に処せられても、10年経てばこの欠格要件からは外れるということなんだ。
なので、若いときに万引きで執行猶予付の実刑判決を受けたとしても、努力すれば中年以降に弁護士資格を得ることは可能なのだ。

こうやって調べてみると、執行猶予というのはいろんなところに影響してきそうだね。
刑務所に入らなくてすむ♪、と思っても、それなりに社会的制裁としての制限はかけられているようなのだ・・・。
何はともあれ、犯罪を犯さないようにするのが大事だよね。
当たり前だけど。

2016/05/28

すって粘ればとろろ

5月だというのに夏日どころか真夏日まで!
これは暑い、というより、熱い。
こうなってくると、もう夏らしいものが食べたくなるわけで。
で、さっそく、とろろそばを食べたのだ。
そこでふと気になったんだけど、とろろに使うイモって何イモ?

スーパーや八百屋さんで見かけるのは、円筒状のイモか、しゃもじ型のイモだよね。
前者は一般的にはナガイモ、後者はヤマトイモとして売られているのだ。
でも、どちらも「ヤマイモ」と呼んでいるような・・・。
さらに、とろろと言えば、自然薯(ジネンジョ)もあるよね。
これも「ヤマイモ」?
そこで、少し調べてみたのだ。

まず、日本で古来から食べられてきた、日本原産のものは自然薯。
種名は「ヤマノイモ」というのだ。
芥川龍之介さんの「芋粥」に出てくるイモだよ。
基本的には野生種で、山に入って取ってくるんだけど、イモが十分に成長している頃にはすでに地上部分の蔓は枯れているので、なかなか見極めがむずかしいみたい。
しかも、地中の石などの障害物を避けて曲がりくねって伸びるので、折らずに取り出すのは難しいのだ(>o<)
なので、今でもむかしでも、高級な食材なんだよね。
鎌倉の自然薯なんて言ったらめちゃくちゃ高いよ。
最近は人工で栽培もできるようだけど。

一方、店頭でよく見かけるのは「ヤマイモ」。
「ノ」が入らないわけ。
これは中国原産のものが中世以降に日本に伝わったものと言われているのだ。
「ヤマノイモ」が英語で「Japanese Yam」なのに対し、「ヤマイモ」は「Chinese Yam」なので、むしろこっちの方がわかりやすいね(笑)
こちらは人工的に栽培がしやすいので、よく流通しているし、よく口にしているはずなのだ。

この「ヤマイモ」にも大きく3種類あって、円筒状のものが「ナガイモ」、しゃもじ型になっているのが「イチョウイモ」、ジャガイモのような丸い形のものが「ツクネイモ」なのだ。
「イチョウイモ」は関東では「ヤマトイモ」とも呼ばれるんだけど、関西で「ヤマトイモ」というと奈良の伝統野菜で「ツクネイモ」の一種の「大和芋」のことなので、さらに紛らわしいのだ・・・。
ちなみに、ナガイモは一番水分が多くて粘りけが少なく、イチョウイモはちょっと粘りけが多め、ツクネイモは粘りけが強い、という特徴があるよ。

どれも生食できるんだけど、一般には、短冊切り・拍子切りにして食べるならナガイモ、すり下ろしてとろろにするならイチョウイモかツクネイモといった感じみたい。
関西ではお好み焼きの生地のつなぎに「ヤマイモ」を入れるけど、これは「イチョウイモ」か「ツクネイモ」みたい。
ノリに挟んで磯辺揚げにするときは、一番水分が少なくて粘りけの強い「ツクネイモ」がよいようなのだ。

ちなみに、ナガイモは煮たりり上げたりして火を通すとふっくらとした食感に変わって、それはそれでなかなかおいしいんだよ。
この性質は「ヤマイモ」でも「ヤマノイモ」でも同じで、熱を通すと粘りけのもとであるムチンが変質するので、ふわっとした感じに変わるのだ。
この性質が利用されていて、薯蕷(じょうよ)饅頭とかかるかん、きんとんなどに使われているのだ。
和菓子の材料としても重要なんだよね。

「ヤマノイモ」はさらに粘りが強くて、独特の風味があるのだ。
アクもあって、「ヤマノイモ」は切断面がすぐに変色するよ。
通常はすり下ろしてからだし汁などでよくのばしてとろろにするんだ。
ナガイモ類だとそのままたれを入れればちょうどよいかたさになるんだけど、「ヤマノイモ」の場合は粘りけを見ながら調節した方がいいのだ。
そうでないと、箸でつまめるくらいの粘りがあるからね・・・。

というわけで、これがわかればなんとなく選べるようになるね。
そう言えば、実家でとろろ汁を作るときは、「ナガイモ」と「イチョウイモ」をブレンドしていたような。
これはこだわりがあったんだなぁ。

2016/05/21

上野で名品を展示する

上野にある国立西洋美術館本館が、世界文化遺産への登録に近づいたのだ!
上野でよくのぼりなんかを見たけど、地元も相当応援していたんだよね。
東京都は、小笠原諸島が自然遺産に指定されているけど、文化遺産はないので、仮に指定されればこれがはじめて。
なので、俄然盛り上がってきたのだ。

もともと、この建物単体での申請ではなくて、近代建築の三大巨匠にも数えられるル・コルビュジエさんの建築のひとつとしての申請なんだ。
世界7カ国に散在する23件の建造物がまとめて申請されているんだけど、こういう申請もはじめてのことだったみたい。
ガウディの作品群みたいに、国内数カ所に散在くらいはあったようなんだけど。
しかも、通常政界遺産への申請は国ごとに「枠」があって、日本で申請するときもまず国内で「予選」があるんだけど、今回はフランス枠での申請だったんだよね。

で、この美術館が建てられたのには、なかなか興味深い経緯があったのだ。
それは、国立西洋美術館の根幹とも言える、「松方コレクション」の変遷が関係しているんだよ。
このル・コルビュジエによる本館は、まさに「松方コレクション」を所蔵・展示するために建造されたものなのだ!
企画展は見に行っても常設展は見ない、なんて人は多いけど、これを機会にぜひぜひ常設展示も見てもらいたいものだよね。
ま、実際に指定されたら、何かそれで企画をしそうだけど・・・。

「松方コレクション」というのは、対象から昭和初期に川崎造船所(川崎重工業の前身)の初代社長を務めた実業家の松方幸次郎さんの美術品コレクションのこと。
この人は、第6代内閣総理大臣の松方正義大勲位の子息なのだ。
第一次世界大戦による船舶需要で業務拡大をしていった松方氏は、欧州で船の売り込みをしている最中に美術品を収集し出すのだ。
収集の経緯や目的は諸説会って明らかじゃないんだけど(本人が著作等を残さなかったため)、ロンドンの画商で興味本位に買ったのが始まりとか。
その後、ロンドンでの買い付けをはじめ、パリなどでも美術品の買い付けをし、西洋近代美術作品や、フランスの宝石商の持っていた一大浮世絵コレクションなどを購入するのだ。
さらに、彫刻家のロダンの代表作もまとめて購入しているんだよね。

こうして、松方氏は美術収集家として一気に名をはせ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワール、モネ、モローなどの作品がコレクションに加えられていくことに。
まさに世界的なコレクションになったんだよね。
けっきょく目録が作られていなかったので正確な総数は不明なんだけど、最終的には、絵画約2,000点、浮世絵約8,000点、そのほか彫刻や工芸品などがあったと考えられているよ。
特に、海外に流出した浮世絵を取り戻した功績が大きいんだよね。
国内では、というか、江戸時代は浮世絵は庶民のもので「芸術作品」とは見なされておらず、ほとんどものが残っていなかったので、こうして海外に流出してものを取り戻さないと現在まで残っていなかったおそれがあるんだよね・・・。

松方氏自身は自分で美術館を作って、と思っていたようなんだけど、運悪く世界恐慌のあおりを受けて川崎造船所の業績が悪化して経営破綻。
夫妻整理のために松方氏も私財を手宇供せざるを得ず、国内で保管していたコレクションは散逸することになってしまったのだ(>o<)
このときに手放された西洋絵画の一部は、今ではブリヂストン美術館や大原美術館に収蔵されているよ。
浮世絵については皇室に献上され、それが帝室博物館に下賜されたので、現在では東京国立博物館が所蔵しているのだ。

一方、海外にあったコレクションはそのまま保管され続け、散逸は逃れたんだけど、やはり不幸に見舞われるのだ・・・。
ロンドンに保管されていたものは火事により焼失。
これは約300点と推定されているよ。
パリに保管されていたものは、ナチス・ドイツのパリ侵攻の際に接収されそうになるも、辛くも逃れたんだけど、日本の敗戦に伴い、仏国政府に押収されてしまうのだ。
基本的には国の資産はそのまま没収、個人資産は原則その個人に返還する、というはずだったんだけど、あまりにも優れた美術品だったがために、返還されずに仏国政府のものとされてしまうのだ。

しかしながら、日本としてもこれだけのすばらしいコレクションを失うわけにはいかないと返還交渉を続け、吉田茂首相が1951年のサンフランシスコ講和会議の際に仏の外務大臣に要求し、やっと返ってくることになったんだよね(なお、この朗報を聞くことなく、1950年にすでに松方氏は鬼籍に入っていたのだ。)。
ただし、仏国政府はすでに自分のものと思っているので、「返還」ではなく「寄贈」と主張し続けていて、仕方なく「寄贈返還」とかいう形態で返ってくることになったのだ。
また、このとき、全部を返したわけでもないのだ(返ってきたのは約430点のうち約370点)。
コレクションの中でも特に重要と思われるゴッホやゴーギャンの作品はそのままフランスに残ることに・・・。
有名なのは、オルセー美術館所蔵の「アルルの寝室」という作品だよ。

しかも、この「寄贈返還」に当たっては、仏国政府はいくつか条件をつけてきたんだよね。
それが、①展示に当たって専用の美術館を設置すること、②美術品の輸送費は日本側で負担すること、③ロダンの「カレーの市民」の鋳造火は本革が負担することの3つ。
で、この①の条件に基づいてできたのが国立西洋美術館というわけ。
でも、美術館設置に当たっても、まだまだ苦難の道が続いていたのだ・・・。

当時の日本は財政難で、とてもじゃないけど新しい美術館を建設するお金がなく、東京国立博物館の表慶館(大正天皇の御成婚を記念して作られた日本発の美術展示館)に展示することでお茶を濁そうとするんだけど、仏国政府は不快感を示し、改めて新美術館の建設を要求してきたのだ。
そこで、実業家で政治家だった藤山愛一郎さんが呼びかけて寄付金集めが始まったのだ。
さらに、補正予算でも建設費の一部が認められ、当時の金額で約1億5千万円という建設費が用意できたのだ。
これが1954年11月のこと。

ここからは展開が早く、建設候補地に上野の現在地が指定され、設計をル・コルビュジエさんに依頼することも年内に決まったのだ。
翌1955年に建設予定地に鍬入れを行い、ル・コルビュジエさん本人も現地を視察。
更に翌年の1956年にはル・コルビュジエさんから基本設計案が届き、1957年にはそれが実施設計案となって、国立西洋美術館本館が竣工するのだ。
1959年に仏国政府からコレクションの引き渡しが行われ、その年の6月に一般公開が始まることに。

で、この「寄贈返還」された「松方コレクション」を軸に、西洋美術史に沿うような展示ができるよう、ルネッサンス期の「オールド・マスター」の購入が進められ、現在の収蔵コレクションができあがったんだ。
国立西洋美術館の敷地内や本館1階にロダンの彫刻作品が多いのは、「松方コレクション」に由来するからなんだよ。
というわけで、こうして日本における西洋美術の殿堂ができあがったわけだけど、数々の苦難を乗り越えた経緯を知ると、今回の世界遺産登録へのICOMOSの勧告というのも感慨深いね。

2016/05/14

経歴詐称なのか?

日銀の審議委員の「経歴詐称問題」が出てきたのだ。
例の「ほらっちょ」さんとは違って、行ってもいない学校名を書いたりしていたわけではないんだよね。
問題は、「博士課程修了」という表現。
今回話題になっている有識者は、博士課程には進学したけど、博士号は持っていない人。
それで経歴に「博士課程修了」と書いていて、これが詐称に当たるのでは?、と騒がれているのだ。

日銀によると、博士号取得者の場合は、「○○博士」と経歴上明記するようにしていて、「博士課程修了」は「単位は取得したけど博士号を取得していない人」に対して使っていると弁明しているのだ。
確かに、そう表現されることもあるんだけど、多くの場合は、「単位取得退学」とか「満期退学」という言い方をして、「修了」という表現は使わないようにするのだ。
理系だと博士課程在学中に博士号を取得できる例が多いのだけど、人文系の場合は、多くの場合「満期退学」して大学教員などの研究職に就いて、定年間際に論文博士で博士号を取得する、という例が多かったんだよね・・・。
なんでそうなっているのかはよくわからないけど。

で、今回も「経済学」らしいので、上記の例に漏れず、なかなか博士号が出ない分野ではあったのだ。
なので、通常は大学院に進学しても、博士号は取得せずに就職するのがおきまりだったはず。
本人としても、別に変なことはしていない、という認識だったはず。
ただ、表現が正確かと言われると、実はまずかったようなんだよね。

学位についてはきちんと法令上の位置づけがあって、ルールの下に運用されているのだ。
まず、学校教育法(昭和23年法律第26号)の第104条第1項で、「大学(第百八条第二項の大学(以下この条において「短期大学」という。)を除く。以下この条において同じ。)は、文部科学大臣の定めるところにより、大学を卒業した者に対し学士の学位を、大学院(専門職大学院を除く。)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。」と定められているのだ。
ここで重要なのは、「授与することができる」ではなくて「授与するものとする」と規定されていること。
すなわち、「博士課程の修了」=「博士の学位授与」ということなのだ。
これを受けて、学位規則(昭和28年文部省令第9号)第4条第1項で「法第百四条第一項の規定による博士の学位の授与は、大学院を置く大学が、当該大学院の博士課程を修了した者に対し行うものとする。 」となっているよ。

では、「博士課程の修了」とは何かと言うと、、大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)の第17条第1項で「博士課程の修了の要件は、大学院に五年(・・・)以上在学し、三十単位以上を修得し、かつ、必要な研究指導を受けた上、当該大学院の行う博士論文の審査及び試験に合格することとする。ただし、・・・」と規定されているのだ。
これによれば、規定数以上の単位の取得+論文審査・試験に合格の両者が必要なんだよね。
つまり、論文審査が通っていない状態で、単位取得のみの場合は、博士課程は修了していないのだ!
なので、「単位取得退学」≠「博士課程修了」ということだよ。

というわけで、ルール上は博士号を取得していない人は博士課程を修了していないことになるのだ。
というか、博士課程を修了すると自動的に博士号が授与されることになるので、博士号を取得せずして博士課程は修了できないというわけ。
ただし、上にも書いたように、俗に「「大学院博士課程の単位取得」を「博士課程修了」と表現し、「博士号取得」と「博士課程修了」を区別する表現が行われていたために起きた混乱なのだ。
なんか「退学」というネガティブな響きがあるから、「満期退学」とか「単位取得退学」とはしたくなかったんだろうけど、ギリギリを正確性を追求すると「博士課程修了】と書くのはウソになってしまうんだよね・・・。
「でき婚」を「さずかり婚」と言うみたいに「満期退学」をもう少しポジティブな表現に言い換えられれば、こういう混乱はなくなるかもしれないね。

2016/05/07

めぐる庭

連休期間中、浅草の浅草寺の本坊である伝法院の庭園が特別公開されていたので、見てきたんだよね。
国指定の特別名勝で、作庭の名手と言われる小堀遠州さんの作と伝えられているお庭だよ。
いわゆる「池泉回遊式庭園」で大名庭園のようなものなのだ。
天気もよかったし、春の緑も鮮やかで、目の保養になったよ。

この「回遊式」というのは、「庭の中を歩いて散策する」という意味。
多くの場合は中央に池を配し、その周りに園路をめぐらして、築山、橋、名石などで景観を整えたもの。
中央に池があるものと特に「池泉回遊式」というのだけど、現在残っている多くの回遊式庭園は池泉回遊式庭園だよ。
東京でいつでも見られる回遊式庭園と言えば、駒込の六義園、小石川の後楽園、深川の清澄庭園などなど。
徳川将軍家から天皇家に所有が移って、後に一般に開放された浜離宮や芝離宮もそうだよ。
ちなみに、両国の旧安田庭園、早稲田の甘泉園、江戸川橋の新江戸川公園、五反田の池田山公園なんかは無料で見られるのだ。
東大の本郷キャンパス内にある三四郎池は夏目漱石さんの小説から名前がとられているけど、もともとは加賀藩邸の回遊式庭園の心字池という池だったのだ。

これらの庭園は今でも池の周りを回るように散策できるように整備されているんだけど、実はコレは江戸時代に日本庭園の様式が集大成された結果のようなのだ!
屋敷のそばに庭を造ること自体はむかしからなされていて、平安時代には寝殿造りの邸宅のまわりに大きな池を持つ庭園を造ったりしていたようなのだ。
平安時代の書物にも、庭の池に船を浮かべて遊ぶ、なんて描写が残っているから、大貴族の邸宅にはそうした自然をもした庭園があったようなのだ。
さすがにその頃の庭園はありありとは残っていないので、遺構を調べるしかないのだけど。

少し時代が下って、浄土教が大陸から伝わってくると、この庭に浄土趣味が加わるんだよね。
つまり、庭の中に極楽浄土の風景を再現しようとするのだ。
有名なのは、宇治の平等院鳳凰堂や平泉の毛越寺。
お経などに出てくる極楽浄土の風景を再現するものなので、自然景観をデフォルメして邸宅内に持ってくるというそれまでの発想とは異なるものだったようなのだ。
おそらく、当時は金や朱できらびやかに飾り、蓮の花などを咲かせていたと思われるんだよね。

これが武家の社会に入ってくると様子が打って変わるのだ。
武家社会の書院造りの場合、窓から見える切り取られた景色が重要になるんだよね。
季節の移り変わりとともに変わっていく絵のように扱うのだ。
なので、必然的に庭はコンパクトになっていくんだけど、木や石の配置、光源方向など精緻な計算がなされるようなるんだ。
さらに、禅宗が入ってくると、水を使わずに水の流れを表現しようとする「枯山水」も出てくるのだ。
竜安寺なんかが有名だけど、京都の禅寺のお庭には石と砂だけで表現された庭があるよね。
これらの庭はあくまでも建物の中から眺めるものとしてできあがっているものなのだ。

これが江戸時代になって、天下太平の時代に大名たちが庭を造り始めると、様子ががらっと変わるのだ。
それが、「歩いて楽しむ庭」の登場。
広大な敷地がないとできないわけだけど、じつは、江戸市中で大名に割り当てられていた屋敷地はどれもかなりの広さだったし、もともと地元の居城には広大な敷地があるしで、場所には困らなかったのだ。

江戸時代にはお城の新築は基本的にダメで、改修も幕府の許可がいるような状態なので、お城の立派さで自分の権力を誇示することはできないんだよ。
すると、書や画、陶磁器などの持ち物や、庭園などでアピールすることになるんだよね。
持ち物の場合、わかる人が見ないと価値が変わらないことがあるのに対し、庭は誰が見てもすごさは直感でわかるので、ちょうどよいものだったんだろうと思うんだよね。
で、競い合うと技術も高まっていくわけで、江戸時代は各大名がこぞって庭に凝って、すばらしい庭園がたくさんできたのだ。

明治に入ると大名はその財力を維持できなくなるので、庭園の中には廃れていくものも出てくるんだけど、いいものはいいので、明治の元勲や財閥に買い取られ、賓客をもてなしたりする用に使われることになるんだよね。
例えば、三菱財閥の岩崎家は庭園が好きで、国分寺の殿ヶ谷戸庭園や清澄庭園などは岩崎家の別邸として使われていたのだ。
明治の元勲では、山縣有朋さんが特に庭好きで有名で、江戸川橋の椿山荘は明治になって作られた庭園なのだ!
西ヶ原の旧古河庭園は陸奥宗光さんの邸宅跡なんだけど、ジョサイア・コンドルさん背系の洋館と、洋風庭園・日本庭園が一度に楽しめるスポットなのだ。
というわけで、明治くらいまでは伝統が引き継がれ、新宿御苑を作り上げるくらいまで続くのだ。

でも、さすがに戦後になるとこういう庭趣味の人が少なくなったようで、個人で回遊式庭園を大々的に造るというのはなくなってきているよね・・・。
今でもお大尽のイメージで、庭に池があって錦鯉を飼っている、というのはあるけど、歩いて回れるほどの庭を持つというのはなかなか想像しづらいのだ。
でも、海外にも注目されているすばらしいものなので、ぜひぜひ残していきたいものだよね。

2016/04/30

近世流行の発信源

2020年の東京五輪のロゴマークが正式に決まったのだ。
4案あったうち、本命と言われていた「市松模様」のやつになったんだよね。
伝統的な日本の柄でありつつ、モノトーンでおしゃれだからなんだとか。
一般から4万件近く意見が寄せられ、「それを踏まえ」審査員が票を入れて決めたそうな。
って、一般からの意見でもこれが一番だったのかな?

この市松模様だけど、海外で言えばチェック柄。
二色の正方形を組み合わせたシンプルな柄なので、洋の東西を問わず、むかしから使われてきているものなのだ。
日本でも古墳時代にはすでに柄としてあったみたい。
正倉院にもこの柄のものが収められているらしいよ。
でも、その当時は「石畳」と呼ばれていたんだって。
確かに、そっちの方が名前としてはしっくりくるよね。

では、なぜ「市松」になったのか。
それは、18世紀前半の享保期に活躍した歌舞伎役者「初代佐野川市松」さんに由来しているのだ。
つまりは人名。
「心中万年草(高野山心中)」という演目で白と紺の正方形の格子模様の袴をはいたところ好評で、別の演目でも使うようになったそうな。
このときはまだ「石畳」という柄として使っていたんだけど、市松の代名詞ともなった結果、模様自体が「市松」と呼ばれるようになったのだ。
「トレードマーク」ということだね。

でも、実は歌舞伎役者の名前に由来するものはこれだけじゃないのだ。
他にも「芝翫縞」、「亀蔵小紋」、「半四郎鹿子」、「小六染」などなどいろんな柄があるよ。
てぬぐいなんかで有名になっているけど、「鎌○奴(かまわぬ)」や「斧琴菊(よきこときく)」なんかも歌舞伎発祥だって。
当時芝居は最高の娯楽で、歌舞伎役者を見てかっこいいと思った人々がまねたのだ。
これは90年代の「アムラー」と同じ感覚だよね(笑)

しかも、歌舞伎の流行の発信基地としての機能は、着物の柄にとどまらないのだ。
例えば、着物の「色」。
江戸時代は茶や紺、灰などにも様々な微妙な色合いがあるんだけど、歌舞伎役者が舞台で使ったりする色がはやると、役者や芝居の登場人物の名前がついたのだ。
「梅幸茶」や「路考茶」、「団十郎茶」などが有名。
さらに、着物の帯の結び方、髷の結い方なんかも。
つまり、流行の最前線となっていたんだよね。

平安時代は支配階層である貴族が文化の担い手で、海外から仏教文化などを輸入するとともに、国風文化も育てたのだ。
この構図は武家社会になっても同じで、今度は武士がパトロンとなって文化を支えたのだ。
でも、やはり支配層が担い手。

ところが、江戸時代になると、都市住民も文化の担い手になってくるのだ。
もちろん、武家や公家が支えた文化もあるのだけど、庶民発の文化も出てくるわけ。
その代表例が歌舞伎由来のこうした文化だったりするんだよね。
浮世絵なんかもそうだけど、市井の中から文化が出てくるのだ。
こうして、古代より貴族社会で用いられていた「石畳」模様は、庶民の手により「市松」模様として展開されたというわけ。
そう考えると、なかなか感慨深いね。

2016/04/23

暗いと不平を言うよりも・・・

春になってだいぶ日が長くなってきたのだ。
麻も早い時間から明るいし、何より、夕方が明るいよね。
冬だと5時前にはもう真っ暗だったけど、今は6時前までは明るいよね。
むかしの人はそれこそ日が昇ってから起床し、日が沈むとともに就寝というのだから、こういう季節の変動に合わせて日中の活動時間も変わったんだろうね。

というのも、照明器具が貧弱だったから。
今は電気のおかげでだいぶ明るいけど、江戸時代でも照明と言えば行灯のようなものしかないわけで。
蛍光灯やLEDだとかなり明るいけど、昭和の時代のトイレにあった10Wのオレンジ色の電球なんて暗かったよね・・・。
でも、行灯はさらにその7分の1くらいの明るさだというのだ!
ということは、明かりがあっても真っ暗に近い?
農村部だと、行灯すらなく、いろりの火くらい。
でも、そんな微弱な明かりで、夜の内でも針仕事をしたり、縄やわらじを編んだりしていたというんだからすごいよ。
「蛍の光、窓の雪」なんて、そんな暗さじゃ無理でしょ、と思うけど、意外と当時の認識ではいけるのかもね。

むかしから松を燃やすと明るいということがよく知られていて、松を燃やすたいまつが証明に使われていたのだ。
確かに漢字で「松明」と書くよね。
で、野外だったら松明でももう少し大きくしたかがり火でもよいのだけど、室内だと火事になってしまうわけで。
そんなとき、奈良時代に仏教とともにやってきたのがろうそく。
当時のものは、蜂の巣から集めたワックス成分である蜜蝋を使ったものだったと考えられているよ。
でも、これは100%輸入品で超高級品で、頻繁に使えるようなものではなかったのだ。

もう少し時代が下って平安時代になると、松からとった松脂を固めてろうそくが作られるようになり、国産品も出回るようになるのだ。
もっと時代が下って武家社会になると、ハゼノキなどからとった木蝋を使った和ろうそくが登場するよ。
木蝋というのは、ハゼノキの果実を蒸してから圧搾してとれる脂肪分を固めたもの。
これは中性脂肪を主成分とするものなんだって!
これをい草と和紙で作った芯に塗り重ねて作るのが和ろうそく。
でも、これも作るのがなかなか大変で、高級品であることには変わりなかったのだ・・・。
石油パラフィンから安価に蝋が作られるまで、ろうそくは高価なものだったんだよ。

庶民は当然ろうそくなんて使えないので、行灯に使うのは灯油。
多くは菜種油が使われたんだけど、中にはもっと安い魚油を使うことも。
これは鰯などの青魚をゆでた後に圧搾し、その圧搾駅の上澄みに出てくる油を集めたもの。
とってすぐはいいのだけど、時間がたつと徐々に参加されて生臭くなるんだよね・・・。
なので、燃やしても臭いのだけど、安いからといって庶民の間では行灯にも使われたのだ。
俗に化け猫が行灯の油をなめるというのも、魚油を使っていたことから来ているみたい。

行灯は、油を張って芯を浸した火皿を紙で覆った構造。
いくら和紙が光を透かすとは言え、これでは余計に暗くなるよね。
江戸耳朶より前は火皿のまま使っていたらしいんだけど、火皿のまま使うと、少しの風で油が波打ち、火が消えてしまうことが多かったようなのだ。
そこで、少し暗くなってもいいからと紙で覆って風の影響がないようにしたわけ。
でも、この紙の覆いはずらして外せるようにもなっていて、強い光がほしいときはそうするのだ。
ただし、紙で透かすと参考されて麺として明るくなるのに対し、裸火にしてしまうと多少明るいけど点の光源なので、それぞれ長所短所があるのだ。
それにしても、ろうそくくらいの明かりがあればまだましなんだろうけど、本当に暗かったろうね。
いわゆる百物語に使うという青い紙を張った行灯なんて、ほぼ明かりがないんじゃないかと思うよ。

現代の時代劇ではけっこう夜でも明るいような描写だけど、実際はあっても行灯くらいなわけで、夜は相当暗かったのだ。
なので、月明かりは非常に重要で、「月の出ている夜ばかりじゃないぞ」なんていう脅しも意味があるわけ。
都市部でも周りが真っ暗だから、もっと星もよく見えていたんだろうね。
今はスマホの明かりのせいで体内時計がくるって夜に眠れなくなる、なんて話もあるけど、夜になったら暗いから寝るという方が自然ではあるよね。
江戸時代の人が現代に来たら明るすぎてびっくりするだろうなぁ。

2016/04/16

春の装い

やっと暖かくなってきたと思ったら、突然の冷え込み・・・。
むかしから「花冷え」と呼ばれるものはあるけど、まだあなどれないね。
春先は天候が不安定なのだ。
着るものも困っちゃうよね。
特に、コートをいつしまうかとか。

江戸時代は天候に関係なく決まりがあって、旧暦の卯月朔日(4月1日)が衣替えの日だったのだ。
今年で言うと5月7日にあたるから、もうかなりあたたかいころだよね。
武士の場合は、旧暦皐月までの1ヶ月間と旧暦長月の1ヶ月間の計2ヶ月が「袷(あわあせ)」と呼ばれる裏地付の着物。
夏の間は麻でできた裏地のない(=単衣の)「帷子(かたびら)」で、冬の間は表地と裏地の間に綿の入った「綿入れ」を着ていたのだ。
一般庶民も同じように衣替えをしていて、旧暦の4月1日になると綿入れの綿を抜いて袷にするので、「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む名字があるんだよ。

なので、むかしの春の衣替えは、冬用のセーターやダウンをしまって春物の薄手のシャツを出す、といった福の出し入れではなく、着物を解いて表地と裏地の間に入れていた綿を抜く、という作業だったのだ。
もちろん、余裕があるのなら、綿が入ったままのものをしまい、綿が入っていないものを出してもよいのだけど、そんなに余裕がある人はいなかったんだよね(笑)
実際、江戸時代はお殿様でもない限り、家はせまいし、収納スペースもないわけで。
押し入れは布団を入れれば終わりだし、衣服などは柳行李に入れていたので、今で言うカラーボックス大がひとつあるくらい。
よって、春と秋にはかなりのお裁縫量があったはずなんだよね。
もともと着物は洗い張りなんかもするから、裁縫は極めて日常的な作業だったようだけど。

この衣替えの習慣自体は、平安時代に中国から伝わったものが貴族社会で定着したもののようで、4月と10月にいふくどころか、調度品まで変えていたとか・・・。
お大尽はいつの時代もやることが違うわけです。
で、この頃の女性の正装は絹でできた裏地のない単衣を重ね着するもの。
当時の絹織物は今より薄かったようで、透けるものだったのだ。
なので、その単衣を重ねると、下の布地の色が透けて、色がグラデーションになるんだよね。
これを楽しむのがおしゃれだったのだ。

さらに、この色の重ね方にはパターンがあって、季節ごとに変えていたんだよね。
年に二度の衣替え以上に頻繁に変えていたようなのだ。
これは有職故実にもなっていて、伝統的に貴族社会で受け継がれていたみたいだよ。
「襲(かさね)の色目」というんだけど、すごいこだわりだよ。
今のようにデザインに凝ることがないから、色、それもグラデーションで勝負だったんだろうね。

ちなみに、江戸時代の着物も色にこだわっていたのだ。
ただし、江戸も後期になると、それは派手な色でなく、茶や紺、グレーなどの地味目な色・・・。
何度か倹約令が出されていた栄光があるのかもしれないけど、これらの色にものすごいバリエーションがあって、微妙な色の違い、風合いを楽しむのがおしゃれだったんだとか。
時は変われど、おしゃれへのこだわりっていうのはすごいものがあるね・・・。

そんなわけで、季節の進行に合わせて、着るものを変える、色味を変えるというのは伝統的に行われてきたことのようなのだ。
そう考えると、めんどくさがらずに楽しんだ方がよいのだろうね。
正直、あんまりそっち方面は苦手なんだけど(笑)

2016/04/09

節税は合法的に

パナマ文書というのが出てきて、世界中が大騒ぎになっているのだ!
日本はそうでもないのだけど・・・。
これは、パナマの法律事務所に蓄積されていた文書が流出したものらしいんだけど、そこに出てくる名前がすごいんだよね。
サッカーのメッシや映画俳優のジャッキー・チェンなどの一般の人もよく知っているような名前もあるんだけど、それ以上に衝撃的だったのが、各国の権力中枢にいる人たちにつながる名前。
アイスランドは首相の名前が、英国は首相のお父さんの名前が、中国は国家主席の親戚の名前が・・・。
本当の意味でのビッグネーム。

では、なぜ中米の小国であるパナマの法律事務所にこういう人の名前が出てくるのか、ということなんだけど、そのキーワードが「タックス・ヘイヴン」なのだ。
日本語では「租税回避地」とも呼ばれるよ。
英語の「haven」は「避難所」の意味。
仏語では、「paradis fiscal」で「財政の天国」という名称なので、英語名も「天国(heaven)」と間違えガチだけど、「ヘイヴン(haven)」なのだ。
ま、一言で言うと、税率の低い地域にペーパーカンパニーを作って、あたかも事業収益がその会社によって上げられているようにすることで、租税負担を軽減しようとすることなのだ。

もともとは英国の首都、ロンドンの中心地であるシティ・オブ・ロンドンの金融特区で一定の租税軽減や外国法人の場合は法人税が免税などの優遇措置をとっていたんだけど、これが広まったものとか。
もともとは金融センターにするための措置なんだけど、主要産業と呼べるようなものがない国では、これをやることで外国資本を呼び込むことができるのだ!
パナマは中南米の金融センターになっているんだけど、こういう優遇措置があることも大きいんだよね。
国際社会で活躍するグローバル企業にとっては、本社がある創業地は事業上は必ずしも重要拠点でなかったりするし、国際取引なんかをしているわけなので、一番税金が安くてすむ方法で済ませたいと思うよね。
それで、タックス・ヘイヴンと呼ばれる地域に会社を興し、そこが収益を上げているように経理をするのだ。

タックス・ヘイヴンの一形態として、「船籍貸し」というのがあるんだよね。
日本企業の船のはずなのに、船籍がリベリアとかパナマだったりすることがあるのだ。
これは「便宜置籍船」と呼ばれるもので、船主は船籍という形に国に所有船を登録し、権利と義務が発生するのだけど、この義務の中には納税義務もあるのだ。
で、外航海運なんかをしている場合は、別に日本に船籍がある必要性がなかったりするので、税金が安い国に船の管理会社を設立し、そこで船籍をとるのだ。
これが事業所得全体に係る税に対して行われているのが、今回問題視されている租税回避だよ。

各国も対抗措置はそれぞれ考えていて、日本の場合は、日本より法人税率が低い地域で租税回避が行われる場合、一定の条件を満たす日本企業(内国法人)の子会社となる外国企業(外国法人)には、両国の税率の差額分だけ課税したりするようなのだ。
でも、こういう対応はいたちごっこで、次々といろんな手法で回避がなされるので、万全の対応ができているわけじゃないんだって・・・。
日本の場合は、累積赤字の企業は法人税免除になるので、経理上収益が上がっていないように工夫する、という節税のやり方も・・・。
いろいろと税金を払わなくてすむようにする方法を考える人が多いんだよなぁ。

で、民間企業や一部のお金持ちが脱法まがいの「節税」でタックス・ヘイヴンを使うのはまだよいのだけど、問題はそれだけじゃないんだよね。
実は、この方法はマネーロンダリングにも使えて、国家の監視を外れて資産を形成することにも使えるので、マフィアやテロ組織などのよからぬ団体・組織にも使われている可能性があるのだ・・・。
そうなると、できるだけ事前に取り締まって、取りこぼしを見つけたら追徴課税で対応、というだけではすまないんだよね。
しかも、今回リークされた文書の中にあるのは、政治家の名前。
国民に対しては増税を求めたりするくせに、よからぬ団体の闇金と同じ手法で隠れ資産を築いているということ!
これは大問題だよね。
実際、アイスランドの首相は辞意を表明したのだ。

日本の政治家はもともと英語が苦手だからなのか名前が出てこないけど、世界各地の政情に大きなインパクトを与えている事件なんだよ。
ものすごい大量の文書なのでまだ見切れていないだけで、詳しく調べると日本にもスキャンダルがある可能性も・・・。
この世界的な疑獄事件で、国際情勢はどう変わることやら・・・。

2016/04/02

みんなのでんわ

女子中学生が行方不明になっていた事件で、改めて公衆電話の役割が見直されたよね。
東日本大震災の時に一度話題になっていたけど、そこからもう5年たっていて、また忘れた頃に、という感じ。
正直、公衆電話事業は「赤字」なので、今回の件も含め、何かの時に役立つ!、ということがわかるのが重要なんだよね。
昭和の終わり頃の最盛期に比べると設置数は10分の1以下になっているそうだけど、やっぱり必要なのだ。

公衆電話は、電話やインターネットなどの「電気通信事業」におけるユニバーサルサービスとして位置づけられているんだよね。
電話や電気、ガス、郵便などの国民が社会生活をする上で不可欠なサービスは、日本中のどこにいても、誰であっても、平等に公平に享受できるように供給することが求められるんだよね。
それが「ユニバーサルサービス」という考え方で、供給者のうち最低でも誰か1者はどのような条件であってもサービスの提供をしなくちゃいけないことが法令上義務づけられるんだよね。
これは「最終保障」や「ラストリゾート」と呼ばれるもので、南極の昭和基地にもちゃんと郵便物が届くのはこのおかげ(笑)

電気通信事業においては、電気通信事業法において「基礎的電気通信役務」という概念があって、それがユニバーサルサービスになっているのだ。
離島であっても電話が使えるというのも入るんだけど、この中に公衆電話による電気通信サービスの提供が含まれているんだよね。
電気通信事業法施行規則で細かいことを規定していて、公衆電話については、都市部では500m2ごとに、それ以外の地域では1km2ごとに1台設置が求められているんだ。
どうも、会計検査院の指摘だと、必ずしもそこまでの台数が設置されていないのではないか、という話もあるんだけど・・・。

もともとこうしたユニバーサルサービスは、公益事業が公的枠組みの下で供給独占が行われていた時代からの名残で、電話ならNTT、電気なら各電力会社といった感じで担当が決まっているのだ。
電話については、ほとんどNTTなんだけど、空港にある国際電話専用の公衆電話は第二電電だったKDDIが設置しているものもあるよ。
いずれにしても、規制されていた時代の、供給独占をするが故の義務だったのだ。
規制改革の流れで、三公社の民営化が決まり、電電公社がNTTになるとき、電気通信事業の民間参入が可能になるんだけど、このときはまだ、自分で電線を敷設した上でサービスを提供することが求められたので、日本テレコムのような新規参入者にもこの義務はかかったのだ。
なので、旧国鉄駅には青電話と言って、日本テレコムの公衆電話が置いてあった時代もあるんだよ。

さらに改革が進むと、各事業者が個別に電線を敷設するのは社会全体に見て非効率なので、既設の電線を借り受けて電気通信サービスを提供することが認められるようになるのだ。
このときは、電話事業というよりは、ISDNとかADSLとか、電線を使ったプロバイダサービスが出てくるんだよね。
で、自分で電線を保有して電気通信事業を行うのが第一種電気通信事業者、他社の電線を借りて電気通信事業者を行うのが第二種電気通信事業者になるのだ。
この時代は、ユニバーサルサービスや電線の保守管理は第一種電気通信事業者の義務になり、また、電線をかすに当たって、サービスの提供者としては競合相手になる第二種電気通信事業者を差別的に扱ってはならないなどの規制も追加されることに。

現在では、電気通信事業者の区別はなくなり、どのような業務を行うのかあらかじめ総務大臣に届け出て登録する制度になっているのだ。
一方で、ユニバーサルサービスの提供は必要なので、法律上「基礎的電気通信役務」を規定し、この業務を行うに当たっては、「基礎的電気通信役務支援機関」から補助が行われる仕組みになっているんだ。
この支援機関は、各電気通信事業者からお金を徴収して基金を積み上げ、ユニバーサルサービスを提供している電気通信事業者に補助を行うんだ。
というのも、ユニバーサルサービスは赤字事業になるので、独占供給でもないのに特定の事業者に全部背負わせるのでは持続可能性がないから。

で、現在その担い手は東西のNTTになっているわけ。
でも、この仕組みがまたちょっと変わっていて、流れ的には、NTTからユニバ^-サルサービスの提供をするので補助をしてほしい、という申請が支援機関にあって、それが認められたとき、NTTが「適格電気通信事業者」に位置づけられて補助が行われる、ということになっているんだ。
正直「?」という感じだよね。
じゃあ、NTTはユニバーサルサービスを提供することが義務づけられているわけじゃなくて、あくまでも任意でやっているの?、ということになるよね。

ここにもからくりがあるんだ。
NTTは今でも政府が株式の一部を保有している特殊会社で、完全な民間企業ではないのだ。
なので、その業務や形態は法律で縛られているんだよ。
その法律が「日本電信電話株式会社等に関する法律」。
もともと電電公社の民営化の際に作られた法律だよ。
この法律の第3条で、NTTの責務が規定されていて、その中に、「国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な提供の確保に寄与する」ということが明確に規定されているのだ。
つまり、法律により、ユニバーサルサービスを提供することがNTTのレゾンデートルになっているわけ。
なので、別にNTTだけがユニバーサルサービスの提供者になる必要はないのだけど、少なくとも、NTTはユニバーサルサービスの担い手として確保できている状況になっているのだ。

総務省のHPとかを見ても「法令上定められています」なんて素っ気なく書いてあるだけなんだけど、実態はそんな簡単なものじゃないみたい。
今回自分で調べてみて、改めて複雑さがわかったのだ(笑)
とにもかくにも、NTTは、人の住んでいる地域においては、国民の誰もが電話を使えるように公衆電話を設置するというユニバーサルサービスを提供する義務があるんだよね。
今回の事件のように、いざというときに役に立つので、NTTに感謝しないといけないね。

2016/03/26

何事もほどほどに

今更ながらに、テレビ番組の再放送で、ライザップへの取材を見たのだ。
話を聞いているとやりかた事態は理にかなっていて、食事制限をして糖質を抑えるとともに、筋力トレーニングで基礎代謝を上げる、という王道。
これを続けるのがつらいのだけど、高い料金と徹底指導でなんとかするんだろうなぁ、というのが印象。
でも、こういう専門家の指導の下ならいいのだけど、自分だけでなんとかしようとすると、危ないこともあるんだよね・・・。

その典型が糖質制限ダイエット。
これは、従来のカロリー全体を制限するものとは違って、総摂取カロリーは気にしなくていいから、デンプン、砂糖などの炭水化物(糖質)の摂取を極小に抑えるというもの。
実は、1970年代に一度大流行して、今またリバイバルではやっているそうなのだ。
でも、どんなダイエット法でもいいことばかり出ないのが世の常。
当然、糖質制限もメリットだけではないのだ。

糖質はヒトの体にとって非常によいエネルギー源で、主にブドウ糖(グルコース)に分解されてからエネルギーに変換されるのだ。
でも、現代のように飽食の時代、しかも、パンやごはん、イモ類などの主食系の炭水化物がいくらでも食べられる状況では、すべてをエネルギーとしては使い切れないんだ(>o<)
余った分はどうなるかというと、まずは肝臓でグリコーゲンとして蓄えられるのだ。
でも、グリコーゲンは1日分もエネルギーを蓄えられないんだ。
なので、さらにあまりがある場合、っていうか、現代ではほとんどそういう状況になるんだけど、脂肪として蓄えられることとなるんだ・・・。

糖質の摂取制限をすると、新たに炭水化物が補給されなくなるので、まずはこのグリコーゲンがぐんぐんと消費されていくのだ。
このグリコーゲンが枯渇すると、やっと脂肪が燃焼されていくよ。
脂肪は体にとっては燃焼効率がよくないので、血中の糖>グリコーゲン>脂肪という優先順位で消費されるんぢゃおね。
なので、糖質制限のキモは、脂肪を燃焼して減らしていける状態に持って行けることにあるのだ。
ライザップ式の場合は、総摂取カロリーを気にしなくていいように、基礎代謝も上げて、「燃費の悪い」体にすることで、脂肪をどんどん減らそう、という発想だよ。

これだけならよいのだけど、そうはうまくはいかないわけで・・・。
人間の体の中でも、脳は基本的にブドウ糖の代謝で動かしているんだよね。
エネルギー欠乏時には、脂肪を分解したケトン体を補助エネルギー源として使えるのだけど、それでも、ブドウ糖が全くないと機能しなくなるのだ。
糖尿病治療の副作用で「低血糖」が危険なのはこのためで、低血糖状態が続くと脳の機能が低下して昏睡状態になってしまうんだ。
なので、糖質制限も、過激にやり過ぎれば、そんな危ない状況に至ることも・・・。
そこまで行かなくても、血糖値が低いことによって、脱力感やめまい、頭痛などを感じることはあるよ。

さらに、糖質でなくて脂肪を主要なエネルギー源とした場合、血中にはブドウ糖ではなくて脂肪が分解されたケトン体がエネルギー源として回ることになるのだ。
この状態になると、口臭や体臭が甘ったるい臭いがする、と言われるのだ。
さらに、糖質制限をする場合、必然的にタンパク質の摂取量が増えるので、窒素や硫黄を含むアミノ酸を大量に代謝することになるのだ。
すると、悪臭のもととなるアンモニアとか硫黄酸化物がたくさん出てくるんだよね・・・。
これも臭いの原因で、まず便が臭くなって、さらにひどくなると口臭・体臭も悪臭になってくるらしいよ。
ちなみに、ケトン体が血中に増えている状態はいわば代謝異常の状態で、あまり好ましいものではなく、これも体の不調の原因となるおそれがあるのだ。

ライザップ式糖質制限だと、デンプンを多く含む根菜類もNGだったりするんだよね。
もちろん、果糖を含む果物もダメ。
そうなると、圧倒的に食物繊維が不足するので、下痢や便秘になりやすくなるのだ。
これも体全体のことを考えるとよろしくないよねぇ。
この食事ではビタミン類も不足しがちなので、サプリメントなどで補充しないと大変なことになるよ。

というわけで、素人が過度に手を出すと危ないのだ。
炭水化物の過剰摂取、例えば、カロリーの高いジャンクフードばかり食べるなどの行為をやらない方がよいわけだけど、かといって、炭水化物の摂取を可能な限り控えるというのもやりすぎ!
ゼロサムではなくて、全体摂取カロリーに占める炭水化物の割合を減らす方向にすべきなのだ。
そういう点では、主食は抑えめに、根菜や果物は総カロリー制限の中で適度に食べる、というのが正解なのかな?
それって、いわゆる健康的な食事になってしまうわけだけど。
それより何より、食事制限だけでなんとかしようというのが誤りなので、運動をして代謝量を減らすことも大事なのだ。
そうしないと、食事が元に戻るとすぐにリバウンドしてしまうからね。

2016/03/19

深学習の成果

Googleの子会社が作った人工知能の「AlphaGo」が、囲碁のプロ棋士を負かしたのだ!
これまで、チェスや将棋ではすでに人工知能が勝利していたんだけど、囲碁は盤面が大きくて自由度が高いためか、なかなかプロを負かすようなプログラムが組めなかったんだって。
アマレベルではそこそこの強さだったらしいんだけど。
でも、この度、人工知能がやっとプロから勝利したのだ。
なので報道されているんだよね。

この人工知能に使われているのが、ディープラーニングという技術。
機械が自ら学習し、判断できるようにするのが人工知能だけど、徹底的にいろんなデータを解析させて、認識・判断能力を高めるものらしいのだ。
今回の囲碁の対戦では、戦っている内に更に強くなっているんじゃないか、なんて言われていたけど、まさに、そういうこともあり得るんだよね。
これがどんどん進化すると、これまで人間の認識・判断能力が求められていた乗り物の運転などにも応用できる可能性があるんだ。
そうなると、SFの世界のように、勝手に指定したところに行ってくれる無人タクシーなんかが実現するかも。

もともと、コンピュータの囲碁プログラムでは、「定石」がデータとして入力されていて、実際の盤面をそれに照らして、次にどういう手を打つと勝利する確率が高くなるかを計算して、期待値が一番高い手を打つ、というイメージのものなんだよね。
なので、どこまでパターンとしての棋譜がデータとして入れられるか、それをもとに可能な手を次から次へと計算して処理できるか、というのが課題。
将棋やチェスだと、駒の動きに制限があるので「次の一手」の自由度が比較的低いのだけど、囲碁の場合はそれこそ自由に打てるので、この計算量が半端なくなるのだ。
それで処理能力が追いつけなくて、対戦できるレベルで強いプログラムを構築するのが難しかったみたい。
待ち時間無制限でどれだけ時間がかかってもよいならできたのかもしれないけど。

これは「力任せ検索」と言われている手法で、考えられるすべての可能性を試して、計算するというもので、コンピュータで微分方程式を解いたりするのに使われる手法。
でも、実際には可能な選択肢が多すぎると、現実的に計算できないという壁にぶち当たるのだ。
これを越えるために必要なのが「当たりをつける」という処理方法。
人間の場合でも、単純な問題、やったことのある問題ならすぐ解ける、というのがあるけど、それは瞬時にそれが「既知」の世界に属するかどうかを判断しているのだ。
全く同一の問題でなくても、同じような問題をやったことある場合、「こうすれば解けるかな?」という当たりがつけられるので、比較的スムーズに解けるよね。
むしろ、そういうのがないと、一生懸命算数のドリルをやる必要性がなくなるわけだけど(笑)

ところが、古典的なコンピュータの場合は、細かく条件設定をして、それぞれの条件をクリアしているかどうかをまずゼロイチで判断し、それがすべてクリアされると次へ進む(いわゆる「サブルーチン構造」)、というようなプロセスになるのだ。
なので、いちいちそれぞれの条件を判定していく必要があるんだよね。
このため、コンピュータの場合は、つるかめ算を計算する場合、頭と足の数を変えると前回と同じくらいの時間をかけて解くことになるんだけど、十分に熟練した人間だと、前にやっていればぱっと答えが思い浮かんだりするんだよね。
そういう判断がコンピュータにもできないか、というのが人工知能を構築する上での課題なのだ。

コンピュータが画像認識が得意でないのもこのためで、古典的なプログラムだと、細かい条件を設定し、それが合致しているのかどうか、そして、複数の条件のうち、どれとどれの組み合わせの場合にどう認識するかなどを全部プログラムに組み込まないとダメだったんだよね・・・。
○か×かなんていうシンプルな判断ならよいけど、「ネコ」かどうか、とかなるともうお手上げ状態。
それが「個別のそのネコ」(例えば、イソノさんちのタマ)かどうかの判断ならまだしも、それがいわゆる「ネコ」一般に当たるものかどうかなんていう曖昧な判断はできないのだ(>o<)
一方で、人間の場合は、「ネコ」というばくっとしたイメージが合って、それに合致するかどうかを瞬時に判断できる仕組みを持っているんだよね。
まぎらわしいのもあるけど、ぱっと見てすぐに「ネコ」かどうか判断できないってことはまずないのだ。

でも、これは逆の作用もあって、いわゆるそのおぼろげなイメージに合致してしまうと、「ネコ」でないものも「ネコ」に見えてしまうということも起こるんだよね。
道ばたにあったゴミ袋をネコと見間違えたりなんてのはそういうこと。
特に、○が3つあって「∵」の形で並んでいると、どうしても人間の顔に見えてくる、というのもあるのだ。
そういう意味では、これまでのコンピュータ認識では、まず心霊写真は出てこないんだよね(笑)

こういう人間の情報処理能力を機械の中で再現しようというのが人工知能。
ニューラルネットワークと言われる、人間の神経系を模した情報伝達ネットワークを、さらに複層にしたものがディープラーニングに使われているのだ。
人間の神経回路も、神経伝達物質が受容体に結合するかしないかのゼロイチ信号で成り立っているわけだけど、「学習」により、特定の神経間のつながりが強くなったり、弱くなったりすることで、複雑な情報処理が行われていると考えられているんだよね。
よく使うものは強く、あまり使わないものは弱く。
さらに、特定の信号が来たときに、別の神経の感度が高くなったり、低くなったりすることがあるのだ。
これは例えば、熱いと感じたら手を引っ込める、自分自身の臭いは感じづらいなどに現れているよね。
こういうのを再現するため、データを入力して学習させることでネットワーク伝達の重み付けを行い、階層的なネットワーク間のつながりも持たせることで、神経系回路に似せた構造を作り出すのだ。
言うのは簡単だけど、実際にそれをアルゴリズムとして組むのはものすごく難しいのだけど・・・。

こういうのを繰り返すことで、機械においても、こういう組み合わせで情報が来たら、次はたいていこうなる確率が高いので、あらかじめこうしておく、みたいな判断ができるようになるんだ。
ただし、そのためには相当な量のデータと正誤判断を入力しておかないといけないのだ。
「深く学習する」という名称は、そういうところから来ているんだよね。
人間もそうなっているかというと、全部が全部そうとは言わないまでも、そういう側面もあるんだよね。
特に、言葉なんかは周りの人がどういう言葉を使っているかでかなりの影響を受けるわけで、使用言語や方言だけでなく、語彙なども変わってくるのだ。
慣れたことなら無意識のうちにできるようになるというのも、こういう学習効果のたまものだよね。
だけど、全くの未知の事態に遭遇しても、これまでの経験を踏まえたり、踏まえなかったりしてなんとか対処しようともするんだけど、こういうのはまだ人工知能では対処しきれないんだよね。
また、音楽・美術・文学などの創造的な活動もできないんだよね。
なので、人間の脳内の情報処理はそれだけでは説明できない部分があるわけで、完全に取って代わられるということでもないのだ。
そうでないと安心できないよね(笑)

2016/03/12

花粉にもいろいろとありまして

花粉症の季節到来!
ボクは際うぃあにも発症していないので平気なのだけど、つらそうにしている人が多いね・・・。
薬で反応を抑えると眠くなるというし。
ただただ、我慢して時が過ぎるのを待つばかりなのだ。
花粉症の黒焼きだとか、花粉症と似た成分を持つものを食べるだとかの「脱感作療法」というのもあるにはあるんだけど、そんなに広がっていかないところをみると、まだまだ難しいんだろうなぁ。
でも、花粉は別に悪さをするだけじゃないんだよ!

地上の植物が他家受粉(別の個体に花粉を届け、受粉させること)をするには、大きく分けて二通りの方法があるのだ。
ひとつは蜜や臭いで昆虫などをおびき寄せ、花粉を運ばせるという戦略。
動物媒というんだけど、ミツバチなどの昆虫に花粉を運んでもらう虫媒が有名だよね。
メジロなどの鳥がくちばしで花粉を運ぶ、鳥媒というのもあるよ。
この場合、昆虫や鳥を引き寄せ、花粉のあるところまで誘引する必要があるのだ。
なので、蜜を作ったり、虫や鳥が好む臭いを出したり、花を大きく色鮮やかにしたり、というコストが必要なのだ。
ただし、その昆虫なり鳥は、花から花へと渡ってくれるので、そんなに多くの花粉を作らなくてもいいというメリットもあるんだ。
被子植物の場合は基本的にこの方法をとっているよ。

中には、花粉自体を食べさせるものもあるんだよ。
実際、ミツバチは体についた花粉を集めて団子状にまとめ、花蜜と混ぜたりしてから巣の中に貯めるらしいのだ。
これは保存食になっていて、ミツバチの巣から取り出して人間も伝統薬として使っていたらしいよ。
花粉は生殖細胞でもあるので、アミノ酸やミネラルが豊富で、なかなか滋養に富んでいるようなのだ。
たとえほとんどの花粉が食べられても、少しでもめしべに届けばいいので、それもまたあり、ということみたい。

もう一つの方法が風媒。
風に乗せて花粉を遠くまで運ぶのだ。
この場合は風任せなので、基本的には大量の花粉をまき散らすことになるよ!
なので、花粉症の原因になったりするのだ。
花も花粉を飛ばせればいいので派手なものは少なく、一見して「花」とはわからないようなものも多いんだ。
実際に、マツとかイチョウとかの花は、花粉の入った袋が大量に枝についているようにしか見えない・・・。
裸子植物は基本的にこの戦略で、進化の上では、風媒がより古い戦略と考えられているよ。
他の生物が存在していなくても、風さえ吹けばなんとかなるというメリットはあるけど、大量の花粉をまき散らさないといけないので効率は悪く、熱帯雨林のような生物種が多く住む安定的な環境では、必ずしもよい戦略ではないんだよね。

そして、風で大量散布するにしても、工夫はあるのだ。
例えば、花粉を受けるめしべは大きくて、外に張り出しているんだよね。
虫媒花の場合は、花の中に隠れていて、花粉をつけた昆虫が中に入ってきたときにちょうど花粉を受けられるような構造になっているけど、風媒花の場合、とにかくどこから来るかわからない花粉をキャッチできるよう万全の体勢を整えているのだ(笑)

それと、花粉の形状・構造も少し違うんだ。
虫媒の場合、昆虫にひっついてくれないと困るので、電子顕微鏡などで見ると表面がとげとげになっていることが多いよ。
これが粘着力を産むのだ。
オナモミの「ひっつきむし」みたいなものだよね。
一方、風媒花の花粉はさらさら。
風でよく飛ぶように、かつ、広範囲に広がるように、むしろその方がいいのだ。
マツに至っては、袋状の構造があって、そこで風を受けてより遠くに飛べるようになっているようだよ。

というわけで、スギやらヒノキやらは、基本的に風で大量に花粉をまき散らして増えてきた植物なので、花粉を飛ばすのは仕方のないこと。
問題は、比較的早く生育するとか、木材としての価値が高いとかで、自然の植生から大きくはずれるくらいまで、大量にスギやヒノキを植林したことなんだよね。
スギやヒノキは食べられる木の実もつけないので、森の中で他の動物を支えることもないのだ。
やっぱり生態系を大きく崩すと、ゆがみが出てくるってことなんだろうなぁ。

2016/03/05

四年たったらまた会いましょと♪

今年は夏季五輪の開催年。
ということは、閏年だったのだ。
2月が1日増えて29日間になるわけだけど、今のような形で4年に一度「閏日」が挿入されて暦の調整がなされるようになったのは古代ローマ時代なんだって!
帝政ローマの礎を築いた、かのユリウス・カエサルの作ったユリウス暦かららしいのだ。

古代ローマで紀元前8世紀にできたロムルス暦では、そもそも農閑期の冬の期間はカレンダーに含められていなくて、10ヶ月+冬期間で1年という感じだったんだって。
この場合、冬の期間は具体の日数が定められていないので、閏年とかを気にする必要がなかったのだ。
毎年毎年、季節の進行に合わせて暦を開始すればいいわけだからね。
1年を通してカレンダーがないとか言われると奇異に感じるけど、あくまでも1年の季節の移り変わりを知るための目安としての暦を考えると、あながち間違ってもいないのだ。

1年が12ヶ月になるのはその次に出てきたヌマ暦。
紀元前7世紀前後の話だよ。
ロムルス暦では、今で言う春の3月が1年のはじめで、冬になる12月で暦は終わり、残りは「冬」だったのだ。
ここに新たに今で言う1月と2月を加えて12ヶ月にしたんだ。
俗に、ユリウス・カエサルにちなむ「July」とアウグストゥス(オクタビアヌス)にちなむ「August」を挿入したため、10月の「October」の「octo」は「octopus(たこ)」からもわかるようにもともと「8」を意味するものだったのが、ずれて10月になった、なんて言われるよね。
でも、古代ローマの暦は、もともと3月から始まるので、今で言う10月は3月から数えて8番目の月だったのでそのとおりなのだ。
7月と8月は、それぞれ「5番目の月」、「6番目の月」と呼ばれていたものが改称されただけだよ。

このヌマ暦では、各月は29日又は31日(年末の2月は28日間)で、トータルで355日しかなかったらしいのだ。
このままだと1年で10日間強ずれていってしまため、2年に一度閏月を入れて調整したんだ。
その場合、2月を23日又は24日に短縮した上で、その後に27日間の閏月を入れたんだそうだよ。
でも、この閏月の挿入は古代ローマの戦乱による混乱の中で適切に行われず、カエサルの時代まで来ると季節の進行と暦が2ヶ月近くずれてしまっていたらしいのだ!さすが元祖ラテン気質。
そこで、平年を365日にして、4年に一度の閏年を365日にするよう暦を改めたのだ。
これがユリウス暦なんだけど、このとき「5番目の月」を「ユリウスの月」に変えたんだ。

でも、やっぱりラテン気質は変わらないのか、4年に一度なのに3年に一度閏日を入れてみたりとやはり混乱していたようなのだ。
それをただしたのがアウグストゥスで、入れすぎた閏日を一旦停止して日数を調整し、紀元8年から正しく4年ごとに閏日を挿入するようにしたそうだよ。
なんだかなぁ、という話だけど(笑)
ちなみに、このとく「6番目の月」が「アウグストゥスの月」に変わったのだ。

ところが、太陽を基準とした1年は、このユリウス暦をもってしても1年で11分くらいずつずれてしまうのだ(>o<)
時代が下って16世紀の後半になると、春分の日が10日ずれるというところまで来て、改暦が行われることになるのだ。
それで出てくるのがグレゴリオ暦。
これが現在でも使われているもので、400年間に97回の閏年を挿入するのだ。
すなわち、西暦で400の倍数以外の100の倍数の年には閏年は入れないんだよね。
2000年は閏年だけど、1900年や2100年は閏年ではないのだ。
ただし、本当はこれでも微妙にずれるので、「閏秒の挿入」みたいな話が時々出てきているのだ。
これは原子時計で超精密に時間測定ができているからなんだけど、16世紀にはもう現代でも通じるような暦法ができていたのはすごいよね。

ユリウス暦ができた際、どこに閏日を挿入するかが問題になるわけだけど、すでに新年のはじめを1月1日に指定していたにもかかわらず、やっぱり2月の末日にしていたのだ。
これはまだその当時2月が1年の終わりで、自然と調整弁になるという意識なのかもしれないけど、このユリウス暦はいっせいにローマ領内で導入されたわけではなく、徐々に広まっていったので、致し方なかった面もあるんだよね。
ローマの祭礼の日も多かったので、2月は28日間のママで据え置かれていたようだし、それが混乱を防ぐ策だったのかも。
ちなみに、当時は日数が増えると2月中の祭礼の日程がずれるので、2月24日を繰り返すという形式だったようだよ。
この24日に入れるというのは明らかにその前のヌマ暦の閏月の入れ方が残っているよね。

というわけで、2月に閏日が入るのには歴史的な経緯があったのだ。
なかなか奥が深いねぇ。
明治になったときにもう完成されていたグレゴリオ暦を採用した日本としては、正直「何でだろう?」としか思わないよね。

2016/02/27

江戸のランドマーク

2月23日は「ふじさん」の日!
安直な語呂だ(笑)
でも、日本のイメージって、やっぱり「富士山」なんだよね。
奈良時代の歌人である山部赤人さんがすでに富士山に関する長歌・反歌ですでに歌われていて、万葉集にも載っているのだ。
古代から霊峰として崇められ、実際に修験道の聖地でもあるんだよね。

で、この富士山は、江戸の人たちにも人気で、「富嶽三十六景」なんていう浮世絵シリーズもあるくらい。
そればかりか、「名所江戸百景」のような江戸の風景を描いた作品にもたびたび登場するのだ。
これは、実際に江戸からよく富士山が見えたからなんだよね。
江戸城から富士山まではだいたい100kmくらいで、当時は高い建物もなく見晴らしがよいし、何より空気が澄んでいたからよく見えたはずなのだ。

その証拠に、東京の地名で「富士見」というのがけっこうあって、これは西から東に上る坂のある場所が多いんだよね。
富士山がよく見える場所だったから「富士見」なのだ。
そのまま坂の名前としても「富士見坂」というのはたくさんあって、飯田橋から九段に向かう富士見坂や、日暮里から西日暮里に向かう富士見坂なんかは有名だよ。
今ではほとんど見えないのだけど・・・。

それでも、ビルの高層階からは、天気がよければ富士山が見えることが多いのだ。
冬だと空気も乾燥しているからよりくっきり見えるよね。
小学校の時は教室から富士山が見えるとうれしかったものだよ。
今ではマンションやビルなど高層の建物が増えてきて司会が遮られるから、天気がよくても見えないことがあるのが残念(>o<)
東京タワーですら見えづらくなってきているのだから仕方がないのかもしれないけど・・・。

人の目線の高さをAmと仮定して、地球の半径をRとすると、地平線までの距離は、三平方の定理を使って、(A+R)-Rの平方根で求められるのだ。
地球の半径に比べて、目線の高さはものすごく小さいので、近似値としては、2ARの平方根にほぼ等しくなるよ。
ここで、Aを1.5m、地球半径を6,371kmとすると、だいたい4.37kmになるのだ。
高い建物にいればそれだけ目線の高さは高くなるので遠くまで見通せるんだけど、例えば、地上約200mの高さにある新宿都庁の展望台から見ると、約38.8km先まで見えるのだ!
新宿起点で言えば、八王子、横浜、柏、市原、川越、春日部なんかでも見渡せているよ。

で、富士山の場合は、そもそも高さがあるので、もっと遠くにあっても見えるのだ。
富士山の高さをHmとすると、同じように三平方の定理から、富士山の山頂がぎりぎり地平線の先に見える限界点(地平線からの距離)は、(H+R)-Rの平方根になるはず。
これは約220kmになるんだよ。
なので、何も障害物がなければ、普通の人の目線の高さであっても、200km離れた地点から富士山は見えるというわけ。
東京は100km圏内なので余裕。
200km圏内と言えば、水戸、宇都宮、前橋・高崎、松本、名古屋なんかまで入るよ。
150km圏内まで入ると、上半分くらいは見えるので、京から下って豊橋まで出れば拝めたはずで、伊勢物語の東下りでも、三河の八橋(現在の豊田市)を過ぎたらもう見えていておかしくなくて、駿河まで出なくても見えていたはずなんだよね(笑)

ちなみに、目線が高いところもあれば、当然さらに遠くにあっても見えるはずで、100mの高さの展望台に上れば、地平線まで36km+富士山の限界点220kmで250km離れてもOK。
こうなると、金沢まで範囲が広がるんだけど、残念ながら石川県庁の19F展望ロビーは高さ約80mなので足りないのだ(ToT)
でも、日本アルプスの山々なら標高が2,000m級なので、当然のことながら富士山がよく見えるよ。
何も、目線の高さは人工の建物でなくても上げることはできるのだ(笑)

2016/02/20

そう言えば、なんか違和感を感じていた(笑)

米国の研究チームが、つに重力波の検出に成功したと発表したのだ!
重力波というのは、質量を持つ物体が加速度運動するときに生じる空間(重力場)のゆがみのことで、アインシュタイン博士が一般相対性理論に基づいて予言していたんだけど、長年直接的な観測ができなかったもの。日本もカミオカンデのある網岡鉱山跡に大型低温重力波望遠鏡(LCGT)「KAGRA」を整備していて、まもなく観測を始めるところだったのだ。
欧州でも観測をしていて、今後、米国以外のチームが重力波を観測することができるようになると、先の米国の発表は本当だったのかがまずわかり、その後、重力波の謎が徐々に解明されるかもしれないんだって。

実は、ボクたちも質量を持っているので、走ったりするとその周りの重力場はゆがんでいるんだ。
動くとなんか歪みを感じるよねぇ(笑)って、そんなわけはなくて。
この重力場のゆがみというのはものすごく小さなものなので、よほど大きな質量を持つようなものが動く場合でないと重力波として観測することは不可能なんだよね。
そこで、世界中の研究者は、ブラックホールやパルサーやらの宇宙空間にある巨大質量の天体の動きに起因する重力波を検出しようと競争していたのだ。
でも、それでも「さざ波」程度のものなので、技術的に観測が難しかったんだって。

間接的な証拠としては、互いに引き合いながら回転運動をしている連星パルサーという天体の周期を精密に観測することで、重力波というものがあるらしい、というのはわかっていたのだ。
連星パルサーは名前のとおり、ふたつのパルサーが互いに引き合いながら一体となってくるくる回転しているんだけど、どうも天体の間の距離が微妙に縮まっていて、それで回転の周期が変化していることがわかったのだ。
これは、それぞれのパルサーが共通の重心を中心に引き合いながら書いてぬんどうをするときに重力波が発生していて、その重力波の分だけエネルギーが失われることにより、徐々に近づいていく、ということのようなんだよね。
(仮に何もエネルギー損失がない場合には天体間距離は変わらないはずなのだ。)

で、この間接的証拠からエネルギーとしてどの程度の重力波が発生するかが予測できるわけだけど、これがごくごく小さなもの。
重力波は減衰することなく光の速さで伝わるんだけど、あまりにも小さすぎるのでノイズとの区別がつかず、観測できなかったみたい。
それを技術で工夫して、今回検出にこぎ着けたんだよ。

その検出方法の世界的なトレンドはレーザー干渉計(マイケルソン干渉計)を使ったもの。
光源から出たレーザーをビームスプリッターという装置でそのままの方向に進む光と、直角に曲がった方向に進む光に分けるのだ。
それぞれの光の進む先には鏡があって、レーザー光が反射され、その反射光を検出するんだけど、反射光もビームスプリッターで分離されてしまうので、実際には、もともとまっすぐだった光は反射してから曲げられた光が来て、先に曲げられた光は反射してからは直進する光が来るのだ。
何も起こらなければ光の進む距離の違いで干渉が起こるんだよね。
すなわち、光に「山」と「谷」の波があるので、「山」が重なれば強い光が検出され、逆に「谷」が重なると暗くなる。
「山」と「谷」が合わさると相殺してしまって光が弱くなるのだ。
これが「干渉縞」として観測されるんだよね。

重力波が到達すると、空間がゆがんでしまうので、それぞれの光の進む距離が伸びたり縮んだりするのだ。
理想的には片方は縮んで、片方は伸びるんだそうだよ。
でも、その大きさが、太陽と地球の距離に対して原子1個分くらいのゆがみ・・・。
なので、観測が難しいのだ。
KAGRAではレーザー光が進む距離が片道で3km、米国で重力波の観測に成功したLIGOの場合は4kmだよ。
地球が丸いので、どんなにがんばっても片道4kmとるのが限界なので、これ以上の長さでやるとなると、宇宙空間に出て人工衛星を使ってやるしかないんだけど、そういう構想もあるみたい(人工衛星の位置を精密に制御できないので実現はまだまだのようだけど。)。

我が国のKAGRAの場合は、工夫をすることで観測精度を上げているのだ。
ひとつは、地下深くに置くことで、地面の振動によるずれのノイズを下げること。
実は、国立天文台の三鷹キャンパスの地下にも小型の重力波望遠鏡のTAMA300というのがあるだけど、近くの産業道路を大型車両が通っただけで観測データがダメになるらしいんだよね・・・。
もうひとつの工夫は、徹底的に冷やすことで観測装置の熱振動を抑えること。
熱があると鏡も検出器も振動しているので、それがノイズとしてきいてくるのだ。
なので、KAGRAの場合は液体ヘリウムで冷やしながら観測するんだよ。

昨年ノーベル賞を受賞した梶田先生は、このKAGRAを整備している東京大学宇宙船研究所の所長だけど、米国の成果を賞賛していたよね。
初の観測実績は逃したけど、これからは国際共同で観測を進め、各地の観測装置でデータを集めることで、重力波の発生源の方向や距離などもわかる可能性があるので、まさに研究としてはこれから、ということのようなのだ。
なので、まだまだ挽回のチャンスがあるので、日本もKAGRAを使って研究をしてきたいってことなんだって。
本格稼働は来年になるみたいだけど、期待が高まるね。

2016/02/13

本当はメインなんです!

「なます」という料理があるのだ。
イメージとしては、お正月のおせち料理に入っている紅白のやつだよね。
さっぱりするのでボクは意外と好きなんだ。
ゆずをきかせてあるのがおいしいよね。
でも、実は、これは「精進なます」と呼ばれるものの一種で、もっと歴史があって、奥が深いものなのだ。

ことわざに出てくる「羮に懲りて膾を吹く」の「なます」なんだけど、「羹」というのが熱い料理で、「膾」は冷たい料理なんだよね。
具体的には、生肉や生魚を細切りにしたものを中国では「膾」と言うのだ(本当は魚の場合は「鱠」)。
時代劇なんかに出てくる「なます切りにする」というのは細かく切り刻む、ということだよ。
孔子さんも肉のなますを好んだと言われているけど、肉をあぶった「炙」とともに古代中国のごちそうだったんだって。
「人口に膾炙する」というのは、「炙」や「膾」のようなごちそうは人々に好まれてよく口にされるけど、それと同じように人々が口にする、ということなのだ。
酢の物の一種というイメージとはだいぶ違うよね・・・。

我が国にも「なます」は古くからある料理で、おそらく最初は本場中国のものが伝わったんだろうけど、「膾」ではなく、大和言葉の「なます」は独自の料理になっていたのだ。
平安後期の院政期には、魚や野菜を刻んだものを調味料と和えたものが「なます」と呼ばれていたようで、すでに仏教の影響からか、「生肉」はなくなっているのだ。
やがて、単に酢を使った調味料で和えたものを「なます」と呼ぶようになり、野菜だけを使ったなますも登場するんだ。
一応、野菜のみの場合は「精進なます」とよばれるのだけど。
このあたりになると、ほぼ現在の酢の物の概念だよね。

でも、江戸時代まではなますは「一汁三菜」の「菜」のひとつで、煮物・焼き物と並んでメインの料理の一つであったのだ。
通常お膳の中央より奥の「向こう側」に置かれたので、「向付(むこうづけ)」と呼ばれるようになるよ。
たぶん、この頃はまだ魚肉が入ったもので、今で言うところの「ぬた」や「カツオの土佐造り」に近い料理だと思うんだよね。
時代が下ってくるとこのなますはだんだんと刺身・お造りに置き換わっていくのだ。
もともとは刺身やお造りもなますの一種だったんだけど、はじめから調味料と和えるんじゃなくて、切り身だけ並べておいて、好きな味で食べた方がおいしくない?、ってなったんじゃないかと思うのだ。
江戸時代になると、江戸のような比較的海に近い年では新鮮な生魚が得られるようになり、さらに、醤油が普及してきて、あえてあらかじめ酢を使った調味料で和えなくてもよくなったのだ。

で、本来の酢を使ったなますはと言うと、会席料理では止め肴の酢の物・和え物として出るものに成り下がったのだ。
もちろん、ほぼ野菜だけが使われる料理に変わってはいるけど。
メインだったはずが、刺身に座を奪われてしまった・・・。
この結果、刺身のようなメインになるなます由来の料理がごそっとイメージから抜け落ちたので、いわゆる酢の物のイメージになっていくのだ。
しかも、「なます」の名前をそのまま使うのもおせち料理の「紅白なます」くらいだしね。

タルタルステーキもそうだけど、基本的には家畜の品種改良も進んでいないし、場合によっては狩猟で獲た獲物の場合もあったので、生肉はそのままではかたいもので、刻んで柔らかくする必要があったんだよね。
しかも、保存技術もよくなくてどんどん悪くなっていくのでくさみも出やすく、薬味や香辛料を混ぜることがおいしく食べるこつだったのだ。
酢を使うのは、味を調えるとともに、殺菌効果も狙っているよね。
傷みやすい鯖をしめさばにするのと同じ。
でも、江戸時代くらいまで下ると、そんなことをしなくても素材のママの味を楽しめるくらいの新鮮なものが手に入るようになったので、刺身文化が花開くのだ。
そういう意味では、「なます」という調理法は一定の役割を終えたんだよね。
ただし、味として好まれている部分は確かにあるので、酢の物のとして生き残っているのだ。

2016/02/06

製法が大事!?

文部科学省が定期的に改訂している「日本食品標準成分表」で衝撃が走ったのだ!
これは、カロリー計算やビタミンやミネラルなどの栄養素量の換算の基礎データになるものなんだよね。
料理のレシピで、塩分量が○○、カロリーが○○というのはこの表のデータから算出している例が多いのだ。
(逆に、そうでないと個別に熱量や成分を分析しないといけないから・・・。)
で、ニュースなどで話題になったのが、「ひじき」の鉄分量。
今時改訂から大幅に減ったんだよね・・・。

よく、鉄分が不足している場合は、ほうれん草やレバー、ひじきなどを食べましょう!、と指導されてきたけど、それが根底から変わるわけ。
スーパーで売っている乾燥ひじきを食べてもあまり鉄分が補えない可能性があるのだ。
学校給食とか病院食とかは栄養のバランスをすごく気にしているから、ひじきで鉄分がまかなえないとつらいかも。
女性の場合は特に鉄分の摂取が重要だから、気をつけないといけないよね。

その原因というのも明らかになっているから、今回大きく報道されているのだ。
それは、乾燥ひじきの製造過程で鉄釜が使われなくなったから。
ひじきは鉄鍋でにられてから乾燥させることで、鉄分が豊富になっていたのであって、海の中にある状態では鉄分が豊富なわけではなかったのだ!
ほうれん草とは違うわけだね。
なので、どうやって加工されたひじきかが重要なんだ。

近年では、さびにくくてメンテナンスが容易なのと、鉄より軽いのとで、ステンレス製の釜が使われるようになったんだって。
鉄の釜を使っていたときは、ひじきをにている間にその煮汁の中に鉄分が溶け出して、それをひじきが吸収していたんだけど、ステンレスの場合は鉄分の溶出はないので、本来ひじきが「地力」で持っている鉄分しかないわけなのだ。
実は、一般生活でも同じようなことが起こっていて、鉄のフライパンや鍋、鉄瓶・鉄のやかんなどが使われなくなったので、かつてに比べると意識して鉄分を摂取しないとダメになってきているんだよ。

鉄は熱伝導性も高く、加工しやすいので、古来より鍋や釜などに使われてきたんだけど、とにかく重いんだよね。
しかも、さびやすいのでメンテナンスも手間がいるのだ。
フライパンや鍋の場合は、油のなじみがよいことと、中華鍋のように重いことがかえって意味があることもあるので、業務用では使われているけど、一般家庭ではなくなりつつあるよね。
アルミなら、熱伝導性が高くて加工もしやすく、さびにくく軽いのだ。
かつては視点レスは熱伝導性が悪いので火にかける調理器具にはあまり使われなかったけど、「全面多層鋼」といって、ステンレスの間に鉄のような熱伝導性の高い金属をサンドイッチしたような材料にすることで、それを克服したのだ。
なので、ある程度の大きさが合ってアルミでは強度に問題が出るような場合は、ステンレスが使われるようになったのだ。
ひじきを煮る釜もそれでステンレス製に置き換わっているんだ。

はっきり言って、ひじきの加工業者さんもいまさら鉄釜に戻すわけにもいかず、正直困惑しているみたい。
今後は「鉄釜で煮ました」とか「ステンレス釜で煮ました」という標記が加わるようになるかもね。
でも、そうなると、「鉄釜」のやつばかりが売れてしまう可能性があるので、業界としてはつらいかな?
けっきょく、鉄の釜に戻すか、ステンレスの釜で煮るんだけど、煮るときに「鉄卵」みたいなのを入れて鉄分を補給するとかしないといけないもんね。
いずれにせよ、ひじき加工は何かが変わるはずなのだ。

そういうわけで、現代人は普段から鉄分の摂取により気をつけないといけないのだ。
鉄分は2価の鉄イオン(Fe2+)の状態で吸収されることから、よくビタミンCと一緒に摂取するといいと言われているよね。
それよりも簡便な方法は、お茶などを飲むときに鉄瓶で沸かしたお湯を使うとよいのだ。
鍋とかだと重いと料理が大変になるけど、お湯を沸かすやかんくらいならたいして気にならないからね。
地が頃ではカラー南部鉄瓶が海外で流行していたりするけど、日本でも鉄瓶にまた注目が集まるかも。

2016/01/30

なぞの単位

米国に留学していたとき、スーパーでは牛乳が「ガロン」単位で売られていたのだ。
ハーフ・ガロンとか、クォーター・ガロンとか。
イメージとしては、ハーフ・ガロンだと1升、クォーター・ガロンだと1Lという感覚(笑)
日本だと、ニュースで原油価格の話題になったときくらいにしか聞かない単位だから、正直よくわからないよね。
でも、いまだに米英では広く使われているのだ!

計量の単位というのは古来から重視されていて、世界史でも「度量衡の統一」というのは一つの大きな出来事として紹介されるよね。
古代ローマの広大な帝国支配しかり、秦の始皇帝の中央集権体制の確立しかり。
地域の狭いコミュニティの中で物々交換とかしかしないのであればさほど問題は生じないんだけど、広域に物資を流通させたり、広いエリアを統一の基準で統治したりするのには、その域内の人々が同じ単位で計量することが重要なのだ。
「○○をどれだけ」と言ってもお互いに通じないから、取引ができないし、租税も徴収できないのだ。

大航海時代以降、世界中がつながって、国際的な流通が始まるわけだけど、こうなると、一国ではなく、国際的な単位の統一が必要になってくるんだよね。
そういう流れの中で出てきたのが「メートル法」。
これまで各地域で伝統的に使われていたものとは一線を画し、当時の最先端の科学的知識をもとに設定されたのだ。
これは地球の円周の1/4を1万kmとした単位。
実際には地球は球体ではなく、ちょっとひしゃげているので、現在では光が規程単位時間に進む距離と再定義されているよ。

これは初めてして、現在では国際単位系が基本的には「MKS」単位(メートル・キログラム・秒)で統一されつつあるんだけど、メートル法を採用しない国もあるわけで。
かく言う我が国も、伝統的な尺貫法がずっと使われてきて、メートル法に完全移行したのは戦後なんだよね。
(と言いつつ、今でも家屋とか家具とかは尺貫法をベースにした寸法になっているけど。)
で、いまだに採用をしていないのが英国。
メートル法の発祥が仏国だというのが気に入らないのかもしれないけど、独自にポンド・ヤード法を貫いているのだ。
そもそもEU加盟国でありながらユーロを通貨として導入していないしね。

でも、もっとたちが悪い国もあるのだ・・・。
それが米国。
法律上はメートル法を採用していることになっていて、伝統的なポンド・ヤード法は「慣例的単位」ということで仕様が認められているんだけど、実際にはほとんどの場合においてポンド・ヤード法が使われているのだ。
ステーキの重量はポンドかオンス表示だし、液量の表示はガロンやバレルだし。
自動車の速度計もマイル毎時だよね。
気温も摂氏ではなく華氏で表示するので、日本人からするとあたたかいのか、寒いのかもよくわからないのだ。
(科学分野では絶対温度を使う関係もあって、華氏より摂氏を好むんだけどね。)

さらに、もっとめんどうなのが、英米では微妙にポンド・ヤードの単位がずれていること。
英国では160液量オンスで1ガロンだけど、米国では128液量オンスで1ガロン。
それぞれ4.546Lと3.785Lで、1L近くずれているのだ・・・。
日本国内では、計量法という法律に従って、原則としてメートル法標記をしないといけないんだけど、米国と取引をする関係で、米国ガロンは石油取引などで例外的に認められているのだ。
っていうか、大国である米国と取引するため、日本以外の国もある程度は米国の単位系を受け入れざるを得ないんだよね(>o<)
まったく迷惑な話だけど。
しかも、法律上はメートル法が正式になっているのに!

「ガロン」という単位は、ラテン語でバケツを意味する「gallet」から来ているようなんだけど、英米語特有のバケツ一杯分の水とかそういうイメージなのだ。
なので、バケツのサイズが異なれば単位がずれるのも当たり前と言うこと。
すでにいろんな計量単位がガロンと呼ばれていて、現在ではだいたい三種類に集約されているんだって。
ひとつは英国式ガロン。
後の二つは米国式で、液体の単位である米国式液量ガロンと、穀物なんかの固体を計量する単位である米国式官僚ガロンがあるのだ。
いやあ、ややこしい・・・。

科学の世界ではすでにMKS単位系に統一されているので、実社会でも徐々に変えていけるはずなんだけどね・・・。
っていうか、中学とか高校の理科ではどういう教育をしているのか気になるよ。
英国の場合は、それはそれ、これはこれで、これこそが英国の伝統だ!、と教えてそうだけど(笑)

2016/01/23

賢く計量

テレビのCMでも電力全面自由化の話が出てきているのだ。
これまでは大口の電気の使用者(電力会社の言う「需要家」)だけが電気の供給事業者を選べたんだけど、4月からは全消費者が選べるようになるんだよね。
で、すでに東京ガスやソフトバンクのようなインフラ系事業者が名乗りを上げているし、なぜかHISのような会社も事業を検討しているのだ。
選択肢がいきなり増えるわけだけど、セット割りとか各社のメニューを比較して賢く選びたいものなのだ。

この電力自由化に当たって必要となるのがスマートメーターという計量器。
これまで一般家庭の場合は、積算計というメーターが使われていて、これは検針日から次の検針日までの間に電力量を送料としてどれだけ使ったか、だけを計量する機械。
円盤がぐるぐる回っているやつだよ。
刑事ドラマとかで、「居留守を使っていても電気のメーターが回っているから中にいるはずだ!」みたいな感じで出てくるよね(笑)
でも、電気の供給事業者を電力会社から変更する場合、このままではまずいのだ。

なぜかというと、電気は使う分だけ常に発電しなくちゃいけない「瞬間消費財」だから。
複数の電気の供給事業者があった場合、ある時点でどの事業者の消費者がどれだけ電気を使っているのかをひもつけておかないと、その時点で必要な発電量がわからないのだ・・・。
これを「同時同量」という言うんだけど、電気の供給量と消費量に差が生じると、電圧が低下したりして、停電に陥るんだよね。
日本の場合、発電所のある地域と、電力の巨大消費地が偏在していて、それを結びネットワーク(送配電網)も太い幹から枝分かれしているような構造なので、少しのずれでもネットワークが落ちやすいのだ。

米国なんかの場合は、日本の10倍の広さの土地に2~3倍の人口しかいないわけで、ニューヨークのような例外を除くと基本的には全地域がそこそこ「田舎」なんだよね。
なので、それを結ぶネットワークはそれこそ蜘蛛の巣状に張り巡らされていて、ある地域で多少ずれが生じても、ネットワーク全体でその影響を吸収できる、丈夫な構造になっているんだよね。
日本の場合、基幹線に近いところでずれが生じるとその影響は全体で吸収できないので、より厳格に同時同量が必要と言われているよ。
実際、各電力会社管内には「中央給電指令所」というのがあって、ネットワーク全体の電力の消費動向をリアルタイムで把握して、どの発電所を動かしてバランスを保つのか、という運用をしているのだ。

携帯電話のように、複数のキャリアがインフラを整備できればまた別だけど、電力ネットワークを別の事業者が新たに作ることは想定されないので、基本的には既存の電力会社のネットワークを使わせてもらうんだよね。
なので、新規事業者は、発電と電力供給をセットで行うことになるのだ。
それで、各消費地点でどれだけ電気が使われているか把握し、その量に見合う発電をする必要が出てくるのだ。
米国の場合は、発電と電力供給が切れていて、消費量に合わせて発電事業者から電気を卸で買ってくる仕組みなんだけど、その場合も、電力の使用状況で卸電力の価格が変わるので、どのみち最終消費地点での使用量をモニターしているのだ。
これまでは電力会社だけが供給していたので、系統全体でどれだけ使っているかを見るというどんぶり勘定で足りたんだけど、複数の電力供給事業者が出てくるとそうもいかないというわけ。

で、一般家庭でも、4月以降に電力会社以外の事業者から電気を買う場合、或いは、電力会社から買うけど、深夜電力メニューなど多様なメニューの中から自分の消費傾向にあったメニューで電気を買う場合は、順次スマートメーターに交換されていくのだ。
日本の場合、ほぼ全国に光回線が敷設されているので、30分とか1時間ごとにどれだけ電気を使ったかを計量器からデータを送ることになるよ。
原理的にはほぼリアルタイムでもできるわけだけど、そうなるとあまりにも情報量が多すぎるので、その単位時間内の誤差は一番多くの消費を抱える電力会社が「帳尻合わせ」をするんだよね。
この調整に必要なコストは、ネットワークの使用量に上乗せなので、電力供給事業者全体で負担することになっているのだ。

スマートメーターになると、どの季節のどの時間にどういう電気の使い方をしているのかがわかるわけ。
今でも東京電力は「電気家計簿」といって、月ごとの消費動向をまとめて教えてくれるサービスがあるんだけど、これがさらに30分ないし1時間ごとの単位でわかるのだ。
そうすると、夏冬に多く消費して春秋は少ないというざっくりとした傾向だけじゃなく、昼間は家に居ないから少ないけど、夕方から夜にかけて家に帰ってくると一気に増える、朝起きるくらいの時間に増える、などの傾向がわかってくるのだ。
で、今度はそれに合わせて料金メニューが選べるようになるんだよね。
電力全体でいうと、昼間に消費のピークがあるので、昼の消費量を減らして、夜の消費量を増やすと、発電量を大きく増減しなくてすむというメリットがあるので、深夜電力は安いんだよね。
なので、平日昼間は家に誰もいない家庭なら、昼間は電力単価が高いけど、夜はその分安くなるというメニューを選ぶとよいのだ。
そういうのが携帯電話のメニューと同様にたくさん出てくるわけ。

正直、そういうのにあまりコストをかけたくない人には面倒なだけだけど、考えて工夫すればかなりお得になるはずなのだ。
とか言いながら、実際に我が家はどうしようかまだ迷っているんだけど(笑)
おそらく、最初はガスや携帯キャリアのセット割りが増えるんだろうなぁ。
そのうち、太陽光発電の自家発電と組み合わせて、とか、いろいろと出てくると思うけど。