2012/02/25

もう始まってるよ!

2月中旬から3月中旬のブームと言えば、確定申告。
ポスターなんかもよく見かけるようになるし、耳にすることも多いよね。
昨年はボクも高額な歯科治療をしたので、しっかり確定申告して還付金をもらおうと思って準備を進めているよ。
でも、よくわからないのでちょっと勉強してみたのだ。

確定申告というのは、所得に応じて課税される国税の所得税や地方税の住民税の納付のために、1年間にこれだけの収入(所得)がありましたよ、と税務署に申告するもの。
それによって税額が確定するので、確定申告と言うのだ。
もちろん、不正に低めの額を申告して「税金逃れ」をすると、後で追徴課税としてがっぽり取られるのだ。
マルサの世界だよね。
追徴課税の場合、本来収めるべきだった額に重加算税などのペナルティ的なより高い税率で計算された金額に法外とも言うべき高い利子がつき、さらに延滞税もつくのだ。
なので、はじめから正直に申告しましょう、という制度になっているんだ。

一般に勤め人(サラリーマン、公務員、団体職員等々の給与所得者)の場合は、わざわざ確定申告をしなくてもよいように源泉徴収というものがあるんだ。
これは給与を支払う側(雇用者)があらかじめ税金として払う分を天引きして給与を渡すもので、給料の出元で徴収するから源泉徴収というのだ。
各個人の納税意識がどうしても薄れるという問題はあるんだけど、効率的に漏れなく税金を徴収できるという点では優れた制度なんだ。
日本ではナチス・ドイツの例にならい、第二次大戦中に導入されたらしいよ。

ただし、自営業や自由業などの個人事業主や年金生活者は源泉徴収ができないので、毎年毎年確定申告をすることになるよ。
給与取得者でも、年間給与が2,000万円を超える場合、複数箇所から給与取得を受けている場合、給与所得以外の収入(家賃収入、副業による収入など)がある場合は確定申告が必要なんだよ(本当はもっと細かい規定だけど、平たく言うとこんな感じ。)。
基本的には、2,000万円超の給与以外の場合は源泉徴収をする際に総所得が確定できないからなんだよね。
分譲マンションを買ったけど人に貸している場合、土日や早朝・夜間にバイトして得た副業収入がある人は注意が必要なのだ。
黙っていると「脱税」になるからね。

毎月の給与明細を見ると源泉徴収でどれだけ税金が支払われているかがわかるんだけど、実際にはこれは払いすいている場合があるのだ(理論的には不足している場合もあるけど、なかなかそういう事態は発生しないのだ。)。
そこで出てくるのが年末調整という制度。
毎年書かされるけど、毎年覚えていなくて書き方に悩むんだよね(笑)
これは所得税などには「控除」というものがあって、所得のうち課税が免除される部分があるためなのだ。
実際には、総所得からその部分を差し引いて控除した額に税率をかけて税額を決めるんだよ。
有名なのは、誰でも一律にかかる基礎控除(38万円、誰でも38万円までの所得は非課税!)、配偶者控除(年間103万以下の収入しかない配偶者には控除枠を適用。これがパート収入の上限としてよく出てくる数字だよ。)、扶養控除(最近子ども手当の関係で扶養控除は目減りしてきているよね。)、生命保険料控除・地震保険料控除(保険料として支払っている額の一部は非課税。)などが対象。
こうしたものは多くの人が共通で必要なので、まとめて源泉徴収のときに調整してしまうのだ。
通常年末にこの手続をするので年末調整と呼ばれるんだ。

でもでも、実はこのほかにも認められる控除があるんだよね。
そうした控除を申告する場合は確定申告が必要なのだ。
この場合は、源泉徴収時に税金を払いすぎているので、後で払いすぎていた分を還付金としてもどしてもらえるんだよ。
有名なのは、医療費控除(多額の医療費を払った場合はその一部が非課税。)、寄付金控除(国や地方、NPO法人等への寄付金の一部は非課税。)、住宅借入金等特別控除(マイホームの購入などの場合にかかった費用の一部が非課税。)などなど。
逆に、競馬や競輪で大穴を当てた、株や為替で儲けた、土地や建物を売ったなどで給与所得以外の臨時所得があった場合は、その所得の額によって確定申告が必要だよ。
これらの場合はさらに税金を納めることになるのだ!
ただし、宝くじの当せん金は非課税なので、一等前後賞まとめて当てても大丈夫だよ♪

というわけで、税金の世界はなかなかに奥深いのだ。
源泉徴収の場合は特に普段から意識しないからよくわからないことが多いよね。
今回自分で確定申告をしようとする段になって知ったことも多いよ。
国税庁のHPはけっこうわかりやすく書いてあるのだ、参考になるかも。
お国のため、自分のため、税金は適切に払おう(^o^)/

2012/02/18

さわやかな香りは春の訪れを告げる

2月の和菓子といえばうぐいす餅。
あざやかな緑色がきれいだよね。
そして、この時期になると出てくるのが桜餅♪
うぐいすもちもよいけど、この桜餅のさわやかな香りが好きなんだよね~。
塩漬けの葉を使っているだけだから、本来は春でなくてもよいんだけどね(笑)

いわゆる桜餅には2種類があるのだ。
江戸発祥の桜餅はクレープ状の焼いた生地に餡をあさみ、それをさらに桜の葉の塩漬けで来るんだもの。
隅田川沿いの長命寺発祥の菓子と言われているのだ。
長命寺桜餅は今でも名物で、桜の葉が3枚使われていることで有名だよ。
葉っぱは食べる人と食べない人がいるけど、食べた方が香りが出て、味わい深いのだ。
長命寺桜餅のように3枚あるとちょっと多いけど・・・。

この長命寺、もともとは常泉寺というお寺だったのだ。
おそらく寺名の由来は境内にあるわき水から。
ところが、このわき水で名前が変わるんだよね。
3代家光公のとき、近くで鷹狩りをしていた将軍家光公は不意に具合が悪くなってしまうのだ。
ところが、このわき水を飲んだところたちどころに回復したので、その水を「長命水」と名付け、お寺も長命寺と名前を改めたのだ。

8代将軍の吉宗公の時代になると、隅田川沿い(墨堤)に桜の木が植えられるのだ。
桜の木は水を浄化するとの俗信があって、隅田川だけでなく、神田上水や玉川上水沿いにも桜並木が造成されたんだ。
これがきっかけで江戸では花見のために行楽に行くことが盛んになり、そこからまた新たな文化が生まれることになるんだよ。
で、向島は長命寺門前のお菓子屋さんだった山本新六さんという人は、この桜を何か使えないものかと考案したのがこの桜餅。
行楽客に好評で、一気に江戸名物となったのだ。
さらに、江戸も終わりに近づくと、蜀山人こと太田南畝さんほかが「隅田川七福神」を定めると、ますます不動の人気となり、今に至るようだよ。

で、この江戸発祥の桜餅は、小麦粉又は上新粉などの粉をといた生地に食紅などで淡い色をつけ、焦げ目がつかない程度に焼くのだ。
むかしは餡を挟んで桜の葉で巻いてからさらに蒸したみたい。
これとは対照的に、おはぎのようになっているのが関西の桜餅。
道明寺粉に色をつけて蒸してから餡をくるみ、それをさらに桜の葉の塩漬けで巻くのだ。
江戸流はすぐに葉っぱがはがせるけど、関西風はぴったりとくっついているのできれいにははがれないよ。
これは食べる方がスタンダードってことかな?

道明寺粉は、糯米を水に浸してから蒸し上げたものを天日干しにした糯米の干飯を荒く砕いたもの。
いわゆる糯米で作ったアルファ化米だよね。
もともとは大阪藤井寺にある道明寺で考案された保存食だよ。
つぶつぶともちもちが混在した独特の食感だよね。
ボクは結構好きなのだ。
ちなみに、道明寺粉には砂糖水を加えてから蒸すそうなので、餡が入っていなくても甘いみたいだよ。

一般には、江戸で好評を博した桜餅をまねて関西の桜餅が生まれたと言われているんだけど、これには「本家・発祥」争いもあって、関西側は、長命寺桜餅が出る前から大阪には桜餅があった、とする南方熊楠さんの説を主張したりしているよ。
もともと桜の葉は使っていなかったようだけど、似たようなお菓子はあったみたい。
椿餅という餅粉を蒸して団子状に丸めたものを椿の葉で包んだもので、これは平安時代に中国から伝わったんだって。
でも、桜の葉に包むことで香りを移す、というところが桜餅のミソだよね。
植物の葉で包むだけなら笹団子というのがあるし、これはそっちに近いような気もするのだ。

桜餅に使われる桜の葉はその辺にある桜の葉を使っているわけではなく、きちんと適したものを使っているのだ。
それは葉が柔らかく、表面の毛も少ないオオシマザクラの葉。
現在流通している桜の葉の塩漬けのほとんど(全国シェア約7割)は伊豆半島の松崎町産らしいよ。
虫食いが出ないようにするのは手間がかかりそうだよね・・・。
ちなみに、あの独特の香りはクマリンという物質由来。
生体中ではクマリン酸配糖体という形で液胞内に貯蔵されていて、そのままではにおいはしないんだけど、葉が破損したり、塩漬けにされたりすると液胞から出てきて、さらに細胞内の控訴で加水分解されてクマリンが生じてくるので香りがするようになるのだ。
食品添加物としては認められていないので、似たような物質を使うか、あくまで桜の葉の塩漬けでに香りを移すかのどちらかしかないみたい。

今では桜というとソメイヨシノだけど、染井の地(今のJR駒込駅付近)でソメイヨシノが生まれるまでは、桜と言えばオオシマザクラが主流だったのだ。
このオオシマザクラは様々な園芸品種のもとにもなっているんだよ。
でも、江戸時代で言えば、その辺にある桜を使っていたのかもしれないね(笑)
それにしても、生葉では香りがないわけで、最初に塩漬けにしてみたのが工夫だよね。
ほどよい塩味で引き立つ甘み、その甘みを抑えるちょっと刺激のあるさわやかな芳香。
桜餅っていうのは本当によくできたお菓子だと思うよ。

2012/02/11

巻いて一工夫

先日朝ごはんに磯辺もちを食べたのだ。
切りもちを焼いて軽くしょうゆをつけてから海苔で巻くだけだから簡単なんだよね。
それでいておいしい♪
そこで、ふと気になったのが「いそべ」。
他にも「磯辺焼き」とか「磯辺揚げ」なんてのがあるよね。

由来というほどのことでもないんだけど、海苔の産地には「イソベ」という地名が多いらしいのだ。
海苔は海藻を乾燥させて加工して作るので、当然沿岸部が産地になるよね。
それで海苔を使った料理がその地方の名物となり、名前が冠されるようになったようなのだ。
同じ「イソベ」でも、「磯辺」と書いたり、「磯部」と書いたりするのにはそういうわけがあるみたい。
語源的には「磯の近く」ということだから、海苔の産地である磯の料理ということなんだろうね。

でも、実はそんな単純ではなくて、今のようなシート状になった板海苔が登場するのは江戸中期。
海苔自体はすでに奈良時代に編纂された各地の風土記にも出てくるので、日本では伝統的に食べられてきた海藻なのだ。
むかしから干して保存し、煮たりしてやわらかくして食べていたみたい。
佃煮なんかにする場合は、海苔を刻んでから煮るんだけど、刻んだ海苔を紙漉の要領で薄いシートに加工して乾燥させると板海苔になるのだ。
これが大発明で、巻き寿司(海苔巻き)や各種「イソベ」料理はここから生まれてくるわけだよ。
ちなみに、海苔を使った寿司でおなじみの「軍艦巻き」は戦時中の昭和16年に、銀座久兵衛の初代主人・今田寿治さんが考案したと言われているよ。
江戸時代から続く江戸前の寿司は、握るか海苔で巻くかだけだったのだ。

同じ江戸時代、それまで自然に生えている海苔を採取しているだけだったのを、養殖できるようにしたのだ。
まだ養殖技術は未熟で、手間もかかるので簡単なものではなかったようだけど、一気に生産量も拡大し、これと板海苔の技術が合わさって消費が拡大されていったようなのだ。
天然物の江戸前の海苔としては品川沖(羽田や大森あたり)が名産地だったので、海苔は品川の名物だったんだ。
なので、海苔を巻いたせんべいを「品川巻き」と言うのだ。

浅草海苔は養殖海苔の代名詞。
浅草寺の御本尊を隅田川から引き上げたときは確かに浅草は隅田川(当時の大川)の河口付近だったんだけど、海苔の養殖が行われるようになった江戸時代には干拓も進んでいて、すでに海からだいぶ離れていたんだよね。
なのに浅草海苔という名前が残っているのはおそらく浅草で加工されたからではないかと思われるのだ。
浅草から吉原に行くとき、粋な人は堀割の山谷堀(さんやぼり)を猪牙舟(ちょきぶね)で上ったんだけど、この堀の途中に紙漉橋という橋があるのだ(今は堀自体は埋め立てられているよ。)。
それはそのあたりに紙漉職人が住んでいたからで、その紙漉職人がすく前の紙の原料(コウゾやミツマタなどを蒸したり煮たりして繊維を抽出した状態のもの)を冷たい水にさらして冷やしている間に買いもしないのに吉原の遊女をのぞきに行くことを「冷やかし」と言ったのだ。
そんなわけで、浅草周辺には紙漉職人がいたわけで、その技術が板海苔の製造に使われたとすれば、海苔の加工・製造が浅草発祥となったことも考えられるよね。
詳しくはよくわからないけど、食物としての海苔は品川の名産、加工品としての板海苔は浅草の名産ということだったのだ。

そして、明治維新後の明治2年(1869年)に明治天皇が京都に御幸されるときのおみやげとして、日本橋室町1丁目の山本海苔店2代目主人・山本德治郎さんが発明したのが朝食でもおなじみの味付け海苔。
江戸時代は江戸文化も花開いたけど、やはり文化の中心、流通の中心は京都・大阪だったので、東京からのみやげとしては何か目新しいものが求められたのだ。
それまでは板海苔を火であぶってからしょうゆなどをつけて食べていたわけだけど、調味料を混ぜ込んで加熱乾燥してあるので(乾燥の工程でローラーにより調味料が塗布されるのだ。)、そのまま食べられるという優れものだったのだ!
ただし、通常の板海苔よりも吸湿性が高く、保存がより難しかったみたい。
今は個装真空パックができるから、いつでもぱりぱりだけどね。
でも、あぶりたての板海苔は風味もよいし、味付け海苔にはないおいしさがあるんだよね♪
ちなみに、この味付け海苔が日刊併合時に韓国に伝わって韓国海苔が生まれたらしいよ。

2012/02/04

やっぱり「草」が好き

あっという間に1月も終わってしまったねぇ(>o<)
今年はお正月に日本にいなかったのであまりおもちを食べなかったのだ。
ま、保存食として常にストックしているし、比較的簡単に調理して食べられるからそれなりには食べるんだけど。
今年は食べ飽きていないから、出動回数も増えるかな?

そんなおもちの中でもボクがもっとも好きなのは草餅。
緑色のにくいやつだよ(笑)
コンビニで売っているものなんかだと本当に色がついているだけだけど、きちんと作ったものは独特の香りがよいよね。
切り餅にしたものを焼いてから食べるのもまたおいしいのだ。

草餅は通常もちをつくときにヨモギを混ぜるものとばかり思っていたんだけど、実はそうでもないらしいのだ。
春にヨモギの新芽をとって、一回湯がいてアクをとり、それを丸ごと、或いは汁をしぼってまぜこむんだけど、もちをつくときに入れるものと、上新粉を練るときに加えてそれを蒸すものがあるようなのだ。
後者はむしろ「草団子」なんじゃないかと思うんだけど、あんこを包むと草大福や草餅として売られるんだよね。
糯(もち)の米粒をついて作るのがもち、粳(うるち)をひいた上新粉を練って蒸したりゆでたりして作るのが団子、というのが一般的なんだけど、この境界はとてもあいまい。
そもそも白玉団子は糯米の粉で作るし、コンビニなんかで売られている大福餅などはついたものではなくて練ったものがメインなんだよね。
むしろ、最終的な形態で名前を変えている、という方が正確なような気も(笑)

今ではヨモギを使うけど、もともとは春の七草のひとつ、ゴギョウこと母子草を使うものだったんだって。
その起源は中国で、3月3日の上巳の節句に米の粉(?)に母子草の汁を練り込んで羮(あつもの)にしたものを邪気払いで食べていたようなのだ。
粉を練って蒸していることから団子のような作り方だけど、蜜も混ぜて甘くしていたようなので、ういろうに近いものだったのかな?
でも、実物が現代に伝わっていないようなので、よくわからないみたい。
伝わったばかりの平安時代には母子草が使われていたようなんだけど、それがいつしかヨモギに変わっていくのだ。

母子草は七草に入っているくらいだから邪気を払う効能があるとは考えられていたようだけど、正式な漢方には使われていないようで、あまり「薬効」というのは期待されていなかったのだ。
一方、ヨモギは止血止めにも使えるし、漢方では健胃、冷え性、貧血、腹痛などに効くなどとも言われ、身近にある薬草だったのだ。
沖縄では臭み消しの意味も込めて、今でも料理に入れるよね(ふーちばー)。
モグサの原料でもあるし、「薬効」という観点ではヨモギに軍配が上がるんだよね。
ちなみに、薬に使うヨモギは、乾燥させてから葉の裏の綿毛をとるのだけど、その綿毛はモグサになるのだ。

詳細は不明ながら、鎌倉期以降にヨモギが使われるようになって、江戸期ではもうヨモギが主流だったみたい。
「かつては母子草を使っていた」という言われ方になってしまうのだ。
薬草としての効能だけじゃなく、ヨモギの独特の香りは春を感じさせるさわやかさがあるので、色目だけでなく香りでも季節を感じさせるところがよかったのかもね。
実際に春の節句に使われるものが起源だし、より春らしいものが使われるようになるというのもうなづける話ではあるのだ。
今でもひな祭りの菱餅の「緑」担当はよもぎ餅だよね。
そういうところにかつての節句に食べられていた痕跡が残っているようなのだ。

ヨモギというのはなかなか有用な植物で、荒れ地でも生えるし、多年草なのでしっかり根をはって土を固定するのだ。
草餅や草団子に使うことから、商品作物としての需要もあるんだよね。
なので、道路を造ったときに切り崩した斜面に植えられたり、休耕地に放っておいても栽培できる作物としてはやすままにされたりしているみたい。
その辺の空き地にも生えているような気がするけど、現代においても身近なところで役に立っていそうなのだ。
まだまだ日本人とヨモギのつきあいは続きそうだね。
そのためにも、色をつけただけじゃなく、しっかりヨモギを練り込んだ草餅をおいしく食べよう♪