2021/08/28

正体不明

今は科学がかなり発達しているので、多くの現象が科学的に説明できるよね。
でも、むかしはそうではなかったので、不思議なことが世の中にあふれていたのだ。
それでも、当時の人々は「なんだかわからない」ままなのは不安なので、なにがしかの説明をつけようとしたんだよね。
そのときの社会や文化的背景から合理的と思われる範囲で。

その一つの表れが各地に残る神話や伝説。
日食・月食はなぜ起こるのか、なぜ海水は塩辛いのか、蛇はなぜ脱皮するかなどは有名なもの。
身近な自然現象でも、原理がよくわからないながら、妖怪のせいにして警戒したりしたものなんだよね。
あの淵に入るとカッパに足をひっぱられておぼれるみたいな。
そして、特に害とかはないんだけど、なんだかわからないような現象も妖怪のせいにされたのだ。
山の中で聞こえる大きな音は「天狗倒し」と呼ばれるし、おそらく神経が病んでしまって異常な行動が目立つようになる「〔狐憑き」と言ったり。

いずれも「前近代的」な響きがあるけど、実のところ、科学の世界でも似たようなことをしているのだ。
古い例で言えば、そのむかし光の媒質として想定されていた「エーテル」。
波が水が媒質になって伝える、音は空気が媒質になって伝える、じゃあ、光は?、となって、真空だと音は伝わらないけど光は伝わるので、そこに何か光を伝播するものがあるはずだ、という考えで出てきたのが「エーテル」の概念。
ながらく、その正体を突き止めるべくいろいろな実験や研究が行われたんだけど、結論から言うと、光には媒質はなかったのだ!
ところが、それだと伝統的な波動の理論とうまく整合しないので、まだ見つけられていないはずで何かあるはずだ、と「エーテル」の存在が信じられてきたんだよね。
で、光の持つ様々な性質から、光の媒質で「エーテル」はこういう性質を持っているはず、なんて理論までできあがっていたのだ。
これは19世紀以前の物理学の話だけど、やっていることは、「やまびこ」のげんりがよくわからず、山の中に溶解「やまびこ」がいてオウム返しに言葉を返している、と考えるのとそんなに変わらないんだよね(笑)

古典力学の多くの理論が、相対性理論、量子力学の登場で必ずしも正確ではなかったことが判明していくわけだけど、この期に及んでもまだこういうことが行われているのだ。
主に宇宙論や素粒子論の世界だけど、理論の世界ではこうなっているんじゃないか、と仮説を立てられるけど、実験的に確かめられないことが多くて、こういうものや現象が存在するはずだ、と仮置きさるのだ。
歴史的なものは、アインシュタイン博士が一般相対性理論を打ち立てたときに重力場方程式に導入した宇宙項。
一般相対性理論にそのまま従うと宇宙が自らの重力で収縮してしまうので、宇宙の大きさが不変であると考えた博士が時空にまんべんなく働いている斥力として入れたもの。
しかし、ハッブル博士による精密な宇宙の観測結果から、実際には宇宙は膨張していることがわかったので、今ではこの宇宙項はアインシュタイン博士が当時想定していたものより大きなものになっているよ。
ちなみに、この宇宙項が現実世界で何を表しているかは未だわかっていないんだけど、とりあえず「ダークエナジー」と呼ばれているんだよね。
この辺は妖怪のせいにするのと同じ(笑)
これとほぼ同じ頃、様々な天文学的な観測結果を基に宇宙の質量を見積もったところ、光学的に「見える」星々を積み上げただけではたりないことがわかったのだ。
そこで、何か観測でかいけど重量を持ったものがあるに違いない、ということで想定されたのが「ダークマター」。
現在では、全宇宙の質量とエネルギーに占める割合は、原子等の通常の物質は4.9%弱、ダークマターが26.8%、ダークエナジーが68.3%と推定されているんだけど、95%以上が未知のものということになるね・・・。

この分野で日本が頑張っているのは、「陽子崩壊」という現象の観測。
すでにノーベル賞を2回も出しているカミオカンデ、スーパーカミオカンデはもともと理論的に想定されている「陽子崩壊」を観測するための実験装置だったのだ。
ところが、「陽子崩壊」はまだ観測できず、代わりに、ニュートリノの観測で2回ノーベル賞が出ているんだよね。
「陽子崩壊」は非常にレアな現象(少なくとも陽子の寿命は10の34乗年以上と見積もられているよ・・・)なので、超純水を貯めておくタンクが大きければ大きいほど観測しやすくするはずなので、現在はさらに大きなハイパーカミオカンデが計画されているのだ。
もちろん、もはや日本の十八番にもなっているニュートリノの観測も行うみたいだけど。

2021/08/21

下からのぞけば

 またのしたからのぞくときれいと言われるのは、日本三景の一つの天橋立。
でも、ボクは先日、またの間から中身をのぞかれたのだ!
そう、人生で初めての大腸内視鏡検査を受けたんだよね。
それなりの年齢になるとポリープとかできている人も多いので、一度は受けた方がよいとずっとすすめっれていたんだよね。
なので、今回の人間ドックでは、上からの胃カメラ(上部消化管内視鏡)と下からの大腸内視鏡の両方を受けたのだ。
いやあ、大変だった。

胃カメラは独国で発達したものなんだけど、大腸内視鏡は主に日本で発達したものなんだって。
内視鏡の機器を開発したのも日本、直腸=>S状結腸=>下行結腸=>横行結腸=>上行結腸と盲腸の手前まで挿入する技術を確立したのも日本。
そして、現在行われているような、検査しながら見つけた小さなポリープを切除する手術法を完成させたのも日本!
日本は庁が好きなんだなぁ(笑)

胃カメラの場合は、わりとまっすぐ下ろしていけるので、そこまでぐりぐりと曲げる必要なないんだよね。
一方、大腸は、4回大きく湾曲したところがあるので、そこでは内視鏡自体を大きく曲げる必要があるのだ。
なので、かなり柔軟に曲げられるものが必要だったわけ。
最初期は光ファイバーを使っていたけど、光ファイバーはちょっとかたくて曲げるのにも限界があるので、けっこう苦労したはずなのだ。
逆に、今は電子スコープで先端に小型のCCDカメラがついていて、その先はいわゆる「電線」でいいので、曲げるのはかなり楽になっているはずなのだ。


曲げられると言っても、その人その人に合わせて曲げながら入れるのは大変そうだよね。
実際、ボクが自分で受けたときも、大きく曲げなくちゃいけないところでは横向きにされたり、また仰向けにもどったりと自分でも動かないといけなかったのだ。
こういう挿入法をきちんと確立して、小腸の出口まで検査できるようになっているわけ。
ボクが受けたときは、消化管の運動を押さえるブチルスコポラミン臭化物製剤(ブスコパン)を服用した上で、挿入直前に潤滑油ゼリーを肛門付近にぬられたのだ。
これがなんだか冷たくって変な感じ。
むかしはこのゼリーの中に局所麻酔のキシロカインが入っていたそうなんだけど、現在は入ってないものを使うことが多いそうだよ。
ボクは特に説明を受けなかったから、おそらく滑りをよくするためだけのゼリーかな?

そして、大腸内視鏡の場合は、中を観察して終わりではなくて、小さなポリープの場合はその場で切除するのだ。
大木なのは別途開腹手術がいるのだけど、早期発見できれば検査と同時に治療もできるわけ。
ボクははさみみたいなのでちょん切るのかと思っていたんだけど、実際はループ状になっているワイヤーに引っかけ、根元を絞った後にそのワイヤーに高周波電流を流して焼き切るのだ。
そのままだと血が止まらないので、ラジオペンチの先端のようなクリップで傷口を挟んで止血。
そのクリップはトカゲのしっぽ切りのようにその場で切り離すことが可能で、そのまましばらく体内に残留した後、数日すると自然に脱落するらしい。
なので、ポリープの切除などをした場合は、刺激物やアルコールの摂取は1週間は避けてください、と言われるよ。
ボクは幸いそう言うのはなく、見ただけで終わったよ。

胃カメラの時も検査前は絶食が必要なんだけど、大腸内視鏡の場合はもう少し前準備が必要なのだ!
まず、前日から繊維質のものは食べちゃだめ。
そして、寝る前に強力な下剤を飲んでできるだけ腸の中をからっぽにする。
検査当日、腸管洗浄剤というのを飲まされて、腸の中に残ったかすなどをさらに洗い流すのだ。
大腸では主に水分吸収をしているけど、この腸管洗浄剤はポリエチレングリコールに塩化ナトリウム、塩化カリウムなどが加えられている薬剤で、腸管における水分吸収を妨げるので腸管の内側を洗い流すことができるようなものなのだ。
大腸では、イオン濃度勾配を使って陽イオン(ナトリウムやカリウムのイオン)を体内に取り込むときに一緒に水分を取り込むメカニズムなのだ。
ところが、この陽イオンの取り込みには物理的な限界があるんだよね。
なので、等張液に近い成分の液剤を大量に飲んだ場合、ほぼ陽イオンの取り込みができなくなって、かつ、ポリエチレングリコールはもともと水分子を抱え込む性質があって水の吸収を妨げるので、ほぼほぼ水分の吸収ができなくなるんだ。
そうなると、飲んだ分だけ洗浄液が出て行くことになるのだ!
それでかすが出なくなるまでゆっくりとこの腸管洗浄液を飲んで腸の中を本当に空っぽにするんだよ。
これが変な甘さで飲みにくいんだよなぁ・・・。

そんなわけで、人生で初めての大腸内視鏡を体験してきたよ。
前準備は大変だし、当日も何度もトイレに行かされて苦労するけど、大腸の中でちゃんと検査できるのはありがたいよね。
日本では大腸がんが増えていると言うし、検査する意義は高いのだ。

2021/08/14

Bon 盆

 世間的にはお盆休み。
今年は山の日がオリンピックの閉会にあわせて前倒しになった関係で、早めに夏休みをとる人が多いのだ。
年末年始と並んで、この時期は休みを取る人が多いから、公共交通機関は混雑するし、高速道路は渋滞するしで、毎年大騒ぎだよね、
コロナ禍2年目となった今年はもう自粛につかれたのか、例年よりは少ないにしても、けっこうな人の移動があったようなのだ・・・。
休みを分散化しようとする動きもあるけど、けっきょくみんなが一斉に休んでいる時期の方が休みやすいんだよね(笑)

そんなお盆。
年末年始と違って、正式に休みに指定されたことはないのだ。
明治になってから、年末と年始は正式に太政官布告で連休になったのに対し、お盆はあくまでも実行上の連休だったようなのだ。
お盆の時期に仕事を休むのはすでに江戸時代には確立していた習俗のようなので不思議だけど、おそらく、国家神道政策と関係していると思うんだよね。
年末は、「年越しの大祓」として神道行事でも重要な位置づけ。
年始については、天皇が六合(天地と四方)の天神地祇(天津神と国津神、すなわちすべての神様)を廃して五穀豊穣を祈る「四方拝」というのが重要な宮中行事として行われていたのだ。
どちらも神道としては重要な行事なので、国家神道確立を目指す上ではプレイアップしたいのだ。
実際、「年越しの大祓」と並ぶ、6月末の「夏越の大祓」も連休になっているので、神道で重要な行事を休みにしているのだ。
紀元節(今の建国記念日)や新嘗祭(今の勤労感謝の日)なんかも同じだよね。

一方で、お盆は仏教とそれ進行が複合的に混ざったものなんだけど、あいにく神社はあんまり関係ないのだ・・・。
もともとは仏教の盂蘭盆会・施餓鬼会(釈迦の十大弟子の一人、神通第一の目連尊者が神通力により実母が餓鬼道に出していることを知り、釈尊に相談し、安吾の最後の日にすべての比丘に施しをすると救われると聞き、そのとおりにして実母を救った伝説に由来するもの)が、中国で祖先祭祀信仰と習合し、それが日本に渡ってきたもの。
日本でも中国から輸入したものそのものではなく、日本独自の民俗信仰や祖霊信仰とさらに混じり合って現在のような形になったのだ。
精霊馬(キュウリやナスに足をつけてウマや牛に見立てたもの)を作って送り火・迎え火で祖先の霊を送り迎えしたり、盆踊りを奉納して祖先の霊を慰めたり。
多くの人が旧暦七月半ばのこの時期に墓参りをし、祖先の霊を偲ぶ、という風習はあったし、近代化以降はこのタイミングで都会に出ていた人たちも帰省する、ということになっていて、みんなが休む時期にはなっていたのだ。

明治になってからも、正式な休みにはならなくとも、深く浸透している習俗だったのでそのまま続くかと思ったんだけど・・・。
ここで混乱が起きるのだ。
そのきっかけは太陽暦の採用。
春分・秋分を含む二十四節気は太陽と地球の位置関係で決まるものなので旧暦から新暦に移る際は新たな日付にすればよかったのだ。
ところが、もともと日付指定の日は問題が大ありなんだよね。
そもそも元日がずれる、七夕を含む五節句がずれる。
そのまま日付を固定してしまうと、約1ヶ月前倒しになるのだ。
このせいで新暦の七夕は梅雨が明けきらない時期になってしまった・・・。

お盆も同様で、旧暦の七月中旬であればさほど問題なかったんだけど、新暦の7月中旬はちょうど稲作の農繁期に当たるんだよね。
そうすると、お盆の諸行事をやっている場合ではないわけで。
太陽暦を採用した太政官布告ではお盆はそのまま新暦に移行することになっていたんだけど、それでは支障があるので、お盆は旧暦に近い時期で行われるようになたのだ。
これが旧盆。
別に旧暦の日付に合わせているわけではなくて、単純に1ヶ月遅らせて8月中旬にやるだけなんだよね。
で、現在のお盆休みはこの旧盆が基本なのだ。
というのも、k生と言うことを考えると、地方の予定が重視されるわけで、そうなるとどうしても旧盆にならざるを得なかったから。

というわけで、けっこう紆余曲折あって今の盆休みがあるのだ。
最近は8月11日が「山の日」になったから、曜日の並びによっては連休にできるので、盆休みの時期はちょっと前倒しになっていくかもね。
子供たちはずーっと夏休みだけど、大人はやっぱり休日かどうかに影響されやすいから。

2021/08/07

お気持ちだけ

今年も原爆の日がやってきたのだ。
なんだか平和ぼけしている日本だけど、つい80年ほど前は太平洋戦争のまっただ中。
なかなか実感はわかないけど、報道なで慰霊祭を見るとやっぱりそこに思いが至るよね。
そういう意味で、こういうのは続けていく音に意味があるんだなぁ、と思うよ。
この現場卯の日の慰霊祭の象徴的な存在は千羽鶴。
なんだか平和の象徴的な扱いを受けているよね。
そして、なぜか最近では、大規模災害で被災した人たちに千羽鶴を送る、なんてことが行われているのだ・・・。
すでにいろんなところで言われているけど、気持ちはありがたいものの、迷惑でしかないんだよね。
けっこう場所とる割に何の役に立つでもないし、かといって気持ちがこもっているからむげに捨てるわけにもいかないし。
着古した衣料とか消費期限の短い食品など以上に困った贈り物のようだね。

もともとは、鶴は長寿の象徴で、長寿祈願をする際に折り鶴をいくつか糸でつなげて神社に奉納していたらしいのだ。
これは絵馬など奉納するのと同じ。
1年たったところなどの節目で、お札、お守り、破魔矢、熊手などと同様に「お焚き上げ」されるのだ。
これはひとつの日本の民俗信仰の一形態だよね。
江戸時代にはすでにあったことらしいよ。
昭和初期、戦前くらいになると、糸をお通した折り鶴が「千羽鶴」と呼ばれるようになり、女児の技芸上達などの祈願として女性の信仰を集めた淡島神や鬼子母神に捧げられるようになっていたんだって。
これについても、習字がうまくなるようにと筆を奉納したりするのと同じで、そんなおかしなことではないよね。

では、なぜこれが平和の象徴になっていくのか。
そこには、原爆が大きく関わっていたのだ。
広島の平和記念公園内にある「原爆の子の像」のモデルになった原爆被爆者の少女、佐々木禎子さんが、自分の健康長寿祈願のために千羽鶴を折ったことに由来しているんだよね。
ここまでの話では伝統的な扱いなのだ。
自身は10年ほどたった昭和30年10月になくなってしまうんだけど、子の少女の死を悼み、また、原爆で亡くなったすべての子供たちを慰霊するため、千羽鶴が捧げられるようになるんだ。
これで原爆の日の慰霊祭のシンボル的な飾り物となっていくんだよね。
ここまではやっぱり「長く生きたい」という生への渇望が込められているのだ。

しかしながら、時間が経過していくと、もともとの千羽鶴が折られていた動機は見失われ、平和記念であったり、災害に遭って亡くなった人たちへの慰霊といった意味にすり替わっていくのだ。
この手の話は民俗学ではよく出てくることではあるんだけど、それが現代に生きている事例としては実は貴重なのかも、とも思うんだよね。
今でも、千羽鶴は、健康や病気平癒の祈願の意味は残っていて、入院しているお友達に千羽鶴を折ろうなんてこともやっているので、まるまる意味が失われたわけではなく、新たな意味合い、属性が付加されたとみる方がいいんだろうね。
こういうことが起こるには、荒唐無稽に見えるけど、他の要因が心理的なものとして影響していることがあるのだ。

ひとつは、折り鶴の形。
鶴とは言うけど、正直それが何か知らない人が見たら鶴とは言わないよね。
むしろ、よく見る鳥としたら、鳩の方が近い気がするのだ。
これがポイントで、鳩は平和の象徴としても扱われる鳥なので、その形状の類似性から、鳩に見えなくもない折り鶴には平和の象徴的な意味合いは付加しやすいと考えられるんだよね。
鳩が平和の象徴になったのはノアの箱舟の伝説に由来するところが大きいけど、むかしのオリンピックの開会式ではよく鳩を飛ばしたりしていて、鳩が平和の象徴であることは日本にもよく浸透しているし、広島の平和記念式典では実際に今でも鳩を放しているよね(長崎の平和祈念式典では「千羽鶴」という歌の合唱があるよ!)。
こういうのはイメージの重ね合わせを考える上で大きいと推測されるよ。

また、「千」というのにも呪術的な響きがあって、武蔵坊弁慶の千本刀の伝説や戦時中の千人針など、「千」という大量のものを集めることで大願成就を目指すんだよね。
なので、昭和初期に奉納されていた折り鶴も「千羽鶴」と呼ばれるようになったんだと思うけど、「大願成就」と結びついているというのがポイント。
個人の問題ではそれは健康や病気平癒でも、平和祈念式典のような場で出てくる「千羽鶴」の「大願成就」とは何か、と考えると、やっぱり「世界平和」みたいな大きな話になるよね。
なので、「大願成就」という「千」に付属した属性の故に、かってに「千羽鶴」が「世界平和」のためのものみたいに受け取られて、さらにそれが逆転して「平和の象徴」になるのだ。
「世界平和」を祈念するために「千羽鶴」を折るのならまだストレートだけど、なぜか「世界平和」を象徴するようなシンボルになってしまっているんだよね。
こういう因果の逆転もよくあること。

でも、やはり「世界平和」というのはあまりにも大き過ぎる目標で、身近なところでの「平和」まで下ってくるようなのだ。
だからこし、復興を祈念し、災害前の平和を取り戻せるようにとついつい「千羽鶴」を送ってしまうんだよね。
「大願成就」を目指すという意味において「千羽鶴」を折ることはまだいいんだけど、それは本来は神社などに奉納すべきであって、被災地に送るものではないのだ。
最近は報道されるようになったこともあって被災直後に千羽鶴が届くことはないようだけど、気持ちは気持ちとして大切にして、送り先は気をつけないといけないね。