2024/01/27

朝の定番も脂がのってきた

 日本の朝ごはんの定番と言えば、塩鮭、納豆、海苔、生卵なんかだよね。
さすがにこの御時世にこれらをフルセットで食べている家庭は少ないけど、外食の朝食セットでは良く見る顔合わせ。
ちょっとした旅館の朝ごはんはこんな感じで、少し豪華になると、朝から鍋とか出てくるんだよね(笑)
でもでも、世代的に、朝食べる魚と言えば、塩鮭がまず思い浮かぶのだ。
でも、おそらくボクが子供のころに食べていた塩鮭と、現在スーパーで普通に売られている塩鮭は異なるものなのだ。
なにより、塩分量が違う!

むかしの塩鮭はとにかくしょっぱかったよね。
身もぎっしりとしまっていて、脂もあんまりのっていないイメージ。
その塩辛い鮭で白ごはんをいっぱい食べるのだ。
お茶漬けなんかにも合うんだよね。
っていうか、戦前までの日本式の食事は、とにかく塩辛いおかずで大量の白飯・米を食べるんだよね。
佃煮でも漬物でも、今よりはるかにしょっぱかった記憶があるのだ。
最近は健康志向で減塩が流行っているし、そもそも糖質を取りすぎないようにとか言って白飯・米を食べる量が減っていて、塩味が薄れているのだ。

でも、鮭の場合はそれだけではないのだ。
っていうか、モノが違うのだ。
むかしの塩鮭は、天然物の白鮭。
産卵期に川に遡上してきたもの、或いは、川に遡上しようと河口付近に来たものを獲って塩漬けにしたものが塩鮭だったのだ。
わかりやすいのはお正月の新巻鮭。
もともと保存性を高めるために内臓をとってそこに塩を詰め込んでいるんだけど、脂がのりすぎていると腐敗しやすくなるので、冷たいオホーツク海を回遊している脂がのっている状態よりは、川の手前まで来るくらいで適度に脂が落ちている方がよかったのだ。
そもそも、かつては脂がのりすぎていない方が好まれていたしね。

しかし、ここで転換期が訪れるのだ。
それは、養殖鮭の登場。
一般に養殖鮭は銀鮭が多いけど、これは本来は千島列島以北のカムチャッカやアラスカの川で生まれた鮭。
成長が早く、脂ものりやすいのが特徴で、塩鮭にしてもよいけど、完全養殖の場合は寄生虫フリーなので生食できるのだ。
つまり、刺身や半生の状態でも食べられるというわけ。
もともとサーモンの生食はタイヘイヨウサケを養殖したノルウェーサーモンから始まっているけど、国産では、養殖の銀鮭が食べられるようになってきていて、国債のサーモン刺身と言ったらこれだよ。
それまでは、アイヌ伝統のルイベのようにいったん冷凍して寄生虫を殺してからじゃないとだめだったのだ。

養殖物の銀鮭の場合、その特徴はとにかく脂がのっていること。
養殖マグロは全身がトロと言われるけど、基本的に、いけすの中であまり運動せずとも十分な餌が与えられるので、肥満状態になるのだ。
で、その身は、刺身やスモークサーモンに向いているんだよね。
焼く場合も、そのままソテーなんかにするのは脂がのっている方がおいしいのだ。
でも、塩鮭の場合は、あんまり脂がのっていると向いていないんだよね・・・。
ところが、塩鮭に塩をきかせなくなったので、今度はこういう脂がのったものを甘塩でふっくら焼く焼鮭が増えてきたんだよね。
牛丼チェーンの朝食メニューに出てくるようなやつ。

なので、スーパーで売っている甘塩の塩鮭はたいてい銀鮭。
ソテーやフライ用の大ぶりの切り身はアラスカ産のキングサーモン(マスノスケ)。
高齢者向け(?)に売られている、塩味がきつい、昔ながらの塩鮭は白鮭なのだ。
そういう目で巣商品をきちんと見てみると面白いよ。
鮭も適材適所で別種が選ばれているのだ。

個人的には、健康には悪いと言いながらも、塩鮭は塩がきいている、ちょっと固いくらいの鮭がいいんだよなぁ。
脂がのっている鮭はときどき生臭いやつがあって苦手なのもあるけど。
これはもう別物なので、きちんと選びましょうってことだね。
ただし、なかなか塩がきいた塩鮭は見なくなってきているけど。
売れないんだろうなぁ。

2024/01/20

食い止める

 東京も冬になってかなり乾燥してきた。
この時期は火事が怖いよねぇ。
特に、東京の下町は木造建築が密集しているから、被害が拡大しやすいんだよね。
うちの近所もそうなので、街全体で気を付けないといけないのだ。
で、江戸時代なんかはもっと状況がよくなかったわけで、しょっちゅう大火事が発生して、広範囲に被害があったようなのだ。
特に、歴史上最大規模の被害をもたらしたともいわれる、明暦の大火(振袖火事)は、本号で火事が起こって江戸市中に延焼し、ついには江戸城の店主まで燃えたんだよね・・・。
それだけ江戸という年は火事が燃え広がりやすいところだったのだ。

この明暦の大火の教訓を生かし、江戸では防災対策が進むのだ。
ひとつは、隅田川の架橋。
都市防衛上の理由で、もともと隅田川には千住大橋しかかかっていなかったんだよね。
でも、火で追れながらも隅田川を渡れずに亡くなった人が多く出たので、綱吉公の生母の桂昌院殿の進言もあり、隅田川に橋がかけられることとなったのだ。
それが両国橋(当時の名称は「大橋」)。
その後、その少し下流に新大橋、さらに下流に行って永代橋、最後は浅草の吾妻橋と江戸時代中に5つの橋がかけられることになったんだ。
永代橋は花火の見物客が多く載りすぎて落ちて大惨事になることもあったけど、江戸市中で火事があっても本所・深川の方に逃げられるようになったわけ。

江戸初期は隅田川を渡った先は下総だったけど、こうして橋がかけられ、人口の増えた江戸市中の新市街として本所・深川が都市開発されていくと、町奉行支配の「御府内」に組み入れられたんだよね。
いわゆる江戸市中である「御府内」は今の23区よりもう少しせまくて、東側は山手通りくらいまで。
つまり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、東海道の品川宿の手前までで、これら歓楽街を含めて「大江戸」になるのだ。
本郷や目黒がだいたい境界だよ。
なので、王子の飛鳥山は江戸をちょっとだけ出た行楽地になるのだ。
西側は明治通りくらいまでで、水戸街道の千住宿や行楽地だった亀戸からは江戸じゃない、という感覚。
かつては浅草は江戸の端だったので、明暦の大火後、日本橋付近にあった遊郭が移され、江戸随一の歓楽街になったのだ。
江戸の刑場があった南千住(小塚原)や品川(鈴ヶ森)はさらに端っこということだね。

で、旧江戸市中が手狭になったのは、人口問題だけではないんだよね。
都市計画の問題で、町家で起こった火事で江戸城が燃えるなんてのは問題外な分けで、延焼が広がらないように、「火除地」というのを設けたのだ。
わかりやすい例で言えば、ドミノを並べているときにわざと3~4個抜いておいてどっか倒れても全体が倒れないようにするのと同じ。
そこに空き地があれば燃えるものがないので火事がその先まで広がらない、ということ。
そのため、江戸城の内堀と外堀の間の町家は再整理され、一部は新田開発が進んでいた東部に移住させられるのだ。
それが見たカヤ吉祥寺、小金井の当たりの村。
吉祥寺はもともと本郷のお寺で、その門前町が移動した先が今の吉祥寺。
神田連雀町(今の須田町・淡路町あたり)の人が明暦の大火で焼け出されて移住した先が三鷹市の下連雀のあたりだよ。

さらに、江戸城の外側の大きな街区や隅田川の橋のまわりも火除地にされたんだ。
それが「広小路」と呼ばれるもので、銀座線の上野広小路駅に名前が残っているよね。
上野広小路(下谷広小路)には露天商なんかが多数出店していてにぎやかだったようなのだ。
建屋は垂れられないけど、原状復帰可能な仮設店舗はOKなので、そういう店が並んだみたい。
両国橋の周りも広小路になっていてこっちも大盛況だったらしいよ。
こっちは見世物小屋とかもあったとか。
もう一つは吾妻橋のたもとの浅草広小路。
北側は歓楽街の新吉原、南側は浅草寺の門前町として栄えていて、そこにさらに広小路があったというわけ。

明暦の大火以降は、火消も整備されていって、江戸中期の享保年間には、吉宗公が町火消を置くようにしたのだ。
暴れん坊将軍でもよく「め組」に新さんが出入りしているよね。
江戸の火消は、基本的には「破壊消防」で、それ以上火事が広がらないように、燃えるもの=建物を壊して火を食い止めるのだ。
火消のシンボルの纏は、ここまで壊せ、という目印だよ。
けっきょく、高圧放水のできるポンプ車があるわけでもなく、化学消化もできないから、延焼を食い止めるのが一番大事だったのだ。
なので、まずは火除地でもともと都市設計上隙間を開けておいて、さらに、実際に火事が起こったら火元付近の周りの建物を破壊して延焼を食い止める、ということだったんだよ。
乱暴な気はするけど、それでも、火事が無限に広がるよりはましなのだ。
実は、今でも森林火災なんかの場合は火を消しようがないので、周辺の気を伐採して燃え広がらないようにしつつ、あとは自然に消えるのを待つ、なんて感じなんだよね。

2024/01/13

無敵理論

 今回の能登半島の大地震で、やはりというか、あーあというか、SNSで「人工地震だ」という陰謀説が出回っているようなのだ。
トランプ氏が大統領に返り咲かない限りはDS(ディープステート)によってこういう人工的な災害が世界中で起こされるらしい。
きっと、フリーメーソンとイルミナティも関与していて、ロスチャイルド家がお金を出しているはずなのだ!
SNSが発達してからはよくこういう発言を見かけるようになったよね。
もとからいた人が「見える化」されただけなのか、SNSにより拡大再生産されているのか・・・。
けっこう本気っぽい感じなのでそこが怖い。

この手の陰謀論は社会が不安になってくると活発になってくるらしいんだよね。
陰謀論の特徴の一つは、いろんな不幸なこと、都合の悪いこと、いやなことの原因をすべて外に求めることができること。
そりゃそうだみたいな自業自得なものについても、「実は・・・」とできてしまうのだ。
そして、これに真っ向から反論しても無駄なんだよね。
これこれこういう証拠、事情があるのでそれは違う、と言ってみたところで、それも含めて工作されていて、世の人々は洗脳されている、真実を知っているのは自分だけ、と聞く耳を持たないのだ。
まさに「信じたいものを信じる」スタイル。
でも、そこまで巧妙う王策しているのにSNSとかで情報が駄々洩れのように流れてくるのか、というところには思い至らないのもミソ。
おそらく、「自分だけが真実を知っている」という優越感もくすぐっているからだと思われる。

もともと、人間は「よくわからないこと」っていうものにたいして漠然と不安を持つんだよね。
なので、間違っていてもいいから、何か理屈をつけて納得したがるのだ。
そうやってできてきたのが世界創生神話だったり、神話による物事の起源の説明や現象の理解なんだよね。
特に自然災害のような現代においても人の力ではどうしようもないようなものは「神の御業」で、祈念するしかないわけで、盛大にお祭りをしたり、人身御供をしたりとかしてきたわけ。
それが、現代は陰謀論にすり替わってきているんだよね・・・。

欧州では、古代ギリシアの大哲人たちは現代の科学から見れば間違っているかもしれないけど、理論構築をして世界を一定の法則の中で理解しようと努力していたんだよね。
それが古代ローマでキリスト教が国教化され、世界を理解する軸が聖書に移ったキリスト教世界になると一変するのだ。
すべては聖書に書いてあるとおりと。
イスラム教はもっと厳格にコーランを神聖視しているよね。
で、近代への移行の過程で、ガリレオ・ガリレイやコペルニクスは教会から、社会からたたかれるという憂き目にあうわけだ。
そうは言いながらも、すべてを聖書にゆだねるだけではもうにっちもさっちもいかなくなって、聖書というものが徐々に相対化され、科学という新しい視点で世界を見るようになって近代になるのだ。

それでも、やっぱり聖書が大事と思う勢力もいるわけで、それが米国なんかにはわりと多い、進化論の否定者。
現在ではID(インテリジェント・デザイン)理論という隠れ蓑も用意していたりするけど、この世界は神(或いは人街の領域の極めて知的な存在)により完璧に創造・調整されている、と信じているようなのだ。
そういうように神を信じる、宗教に根差す、というとそうなるんだけど、宗教が相対化されていった結果、宗教以外の軸で同じような考え方を持つ人たちが出てくるんだよね。
人類は宇宙人がクローン技術で想像した、神や天使は古代人類が宇宙人を表現したものだ、みたいな主張もあるよね。
その中で、世の中のよくわからないこと、理解できないことの裏側には、この世界を動かしている団体・組織があって、その意向ですべて動かされている、みたいなのもあるわけ。

世界はロスチャイルド家の財力により支配されているとか、米国政府はフリーメーソンの傀儡だとかそういうやつ。
で、そういう超越団体の中には、世の中の悪いことを一手に引き受けるような、ショッカー的な存在もいるようで、それがイルミナティだったり、DSたったりするみたい。
ま、そういう悪の組織が悪事をたくらんだ結果悪いことが起きている、と単純に考えた方が理不尽さがなくなるのは確かなんだけど、これってただの思考停止ではあるんだよね。
上でみたように、無敵理論で反証可能性もないし。
で、世の中は不安定になってくると、自分のせいではない、或いは、自分のせいとは考えたくないようないやなこと、不都合なことが増えてきて、それを悪の組織に責任転嫁していくのだ。
それでいったんは心の不安は取り除かれるかもしれないけど、それはアルコールで不安を一時忘れるようなもので、よくないんだよなぁ。
全く解決にはつながらないからね。

2024/01/06

一般人でも歯は大事

 お正月の和菓子に「花びら餅」というのがあるのだ。
紅色の菱餅(またはそれに代わるもの、求肥など)と味噌餡、蜜煮にしたゴボウを白くて柔らかい餅で包んだお菓子。
しおりお持ちに赤い色が透けるんだよね。
裏千家で明治以降に「初釜」で出されるようになって広まったのだとか。
そこまで古い伝統ではないけど、お正月になるとたいていどの和菓子屋さんでも見かけるよね。
日本人はこういう伝統食みたいなの好きだから。まだコンビニには目をつけられていないけど。

その起源をさかのぼると、平安時代に行われていた「歯固めの儀」という宮中行事らしいんだ。
おそらく大陸からの輸入ものなんだろうけど、正月三が日に固いものを食べ、長寿を願い儀式だとか。
年齢の「齢」の字に表れているように「歯」は年齢を表すものと考えられていて、それを固いものを食べて丈夫にする=長生きする、というコンセプトらしい。
確かに、動物の中には歯で年齢を推定する場合もあるよね(哺乳類全般で使える方法みたい。)。
冬にはエナメル質の形成が進まなくなるので、木の年輪のように歯のエナメル質の層の数を数えると何回冬を越したかがわかるらしい。

近代化されるまでは、虫歯はけっこう致命的な病で、それこそ抜くしか治療法しかないんだよね。
なので、歯を大事にすることは健康上重要だったのだ。
特に、むかしは固いものを多く食べていて、歯の摩耗も激しかっただろうし、歯を丈夫にして健康を願うのは一定の理屈があるのだ。
江戸時代になると、木で作った入れ歯やら、ふさ楊枝と言われる歯みがきも存在していてシカ領域の技術はけっこう発展していたと思うけど、さすがに平安時代はね・・・。
塩で歯を磨いたり、幼児みたいな細い棒で歯の隙間に詰まった食べかすをとるくらいはしたかもしれないけど。

で、この「歯固め」の行事では、固くなった餅(菱餅)や押鮎(鮎を塩漬けにした後に重しを載せて固く乾燥させたもの)、搗栗(栗を干してから臼で軽く搗き、殻と渋皮を除いたもの)、鹿肉・猪肉(干し肉)、大根(おそらく干し大根?)などを膳に乗せて食べたんだそうだよ。
時代が下って江戸時代になると、薄く伸ばした白い餅の上に赤い菱餅を載せ、さらにその上に押鮎を載せたものが出されていたとか。
実は、それをかたどったのが今の花びら餅で、ちょうど折りたたんだ形になっているのだ。
ゴボウは押鮎の代わりみたい。
この和菓子が公家に配られるようになり、さらにはそれが民間のお茶にも使われるようになった、ということのようなのだ。

では、なぜ「歯固め」で長寿を願うのは正月なのか。
これは「数え年」では元日を迎えるために一歳増える数え方だったから。
日本で実年齢を普通に使い始めたのは明治期に西暦を採用して以降で、それまでは基本は数え年。
生まれた時点で1歳で、以降はお正月のたびに歳を重ねるのだ。
だからこそ、お正月には「あけましておめでとう」なんだよね。
そういう年を重ねるタイミングだからこそ、長寿を願うのは自然なことなのだ。

ちなみに、現代で「歯固め」というと新生児の「百日祝い」の「お食い初め」にその残滓が残っているのだ。
「お食い初め」自体は、一生くいっぱぐれないように、と一汁三菜の膳を用意するんだけど、そのときに「歯固め」もするのだ。
神社からいただいてきた「歯固め石」をかませるのが一般的なようだけど、地域によっては大根や栗をかませるようで、これは宮中行事の名残だよね。
赤ちゃんの健やかなる成長を祝い、歯が丈夫になるように、という願いを込めているわけで、考え方は同じなのだ。
コンセプト自体はこうして残って、宮中での形式は和菓子の形で残されているというのがなかなか興味深いね。